第一章 分業(Division of Labour)について(註一)
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勞働の生産力における最大の改良と、勞働が依ってもって何等かの方面に導かれ又は適用される熟練、技巧及び判断の大部分とは、分業の結果として生まれて来たものように思われる。
勞働の生産性が、飛躍的に向上してきたのは分業の結果だし、各分野の勞働で使われる技能や技術もかなりの部分、分業の結果、得られたものだと思える。
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社会の一般的業務に於ける分業の結果は、若干の特殊な製造業(manufactures)において、分業がどんな風に行われているかを考察すれば、一層容易に理解されるであろう。
分業は普通には、若干の極めて瑣細な製造業において、最も完全に行われると世人は想像している。
これは恐らくは分業が實際において、他の一層重要な製造業においてよりも瑣細な製造業において一層十分に實行されるからではなくて、単に少数の人々の小さな欲求を満たすためのそれらの瑣細な製造業においては、勞働者の総数も必然的に少数でなければならず、したがって仕事の各部門に使用されている勞働者を屢々
同一の工場に集めて、それを直ちに監督者の目前に置くことが出来るからであろう。
これに反して、人民の大多数者の大きな欲求を満たすための大製造業では、仕事の各部門で使用する勞働者の数が大であって、したがってそれらを同一の工場に集めることは不可能である。
我々は或る一つの部門に使用されている勞働者よりも多くの勞働者を、一時に見渡すことは殆んどできないのである。
であるからそのような大製造業では實際において、一層小規模は性質の製造業の場合よりは、仕事がずっとずっと多区の部分に分割されているとしても、その分割は小製造業の場合ほどにはっきりと眼に着かず、したがって世人の観察の的となることも比較的少ないのである。
分業の効果は、社会全体に見られるが、それを理解するには、一つか二つの製造業を例にとって、分業がどのように行われているかを見ていく方が良い。
しかしおそらく、小規模の産業の方がもっと重要な産業と比べて、實際に分業が進んでいるわけではない。
小規模な産業は、少数の人の小さな需要を満たすだけのものなので、そこに働く人数も少ないはずである。
このため、分業によって幾つにも分かれた部門を一つの作業場に集めることができ、一度に見渡せるようになっている場合が少なくない。
これに対して、大規模な産業は、多数の人の大きな需要を満たすものなので、分業によって幾つにも分かれた部門のそれぞれで多数の人が働いており、全部門を一つの作業場に集めることができず、複数の部門の作業を一度に観察できることは滅多にない。
このため、大規模な産業では小規模な産業に比べて、はるかに多数の部門に作業工程が分かれているとしても、文業が進んでいる事實はそれほど目につきやすいわけではなく、観察されることも少なかったのだ。
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であるから極めて瑣細な製造業ではあるが、そこで行われている分業が屢々世人の注意を惹いているもの、即ち留針製造から例をとって説明しよう。
この仕事(分業の結果立派に一つの職業となっている)(註一)にたいする教育も受けて居らず、この仕事に使用される機械(この機械の発明の機会を与えたものも恐らく分業であろう)の使用方法にも通じていない一人の勞働者は、どんなに全力をあげて働いて見ても、一日に一本の留針を製造することは出来ないであろうし、一日二十本を製造することは確にできることではない。
しかしながら此の仕事が今日行われている方法にあっては、仕事の全体が一つの特殊な職業であるばかりでなく、それが若干の部門に分割されていて、そのうちの大部分がまた同じように特殊な職業となっている。
一人は針金を引延し、他の者はそれを真直にし、第三の者はそれを切断し、第四の者はそれを先につけ、第五の者はそれに頭をつけるためにその頂部を碾く。
頭をつける仕事がまた二種又は三種の特殊な作業となって居り、頭をつけることが一つの職業である。
こんな具合にして、一本の留針を製造する上の重要な業務は、約十八の明確な特殊の作業に分割されて居り、若干の製造工場にあっては、それらの一つ一つが凡て特殊な職工によって行われて居る。
もっとも他の工場では屢々同一の職工が、そのうちの二種乃至三種の仕事を行うこともあるであろう(註二。
私はこの種の小規模な工場を観たことがある。
そこでは職工を十人しか使って居らず、したがってその中の若干の職工は二種乃至は三種の作業に従事していた。
さがそれ等の職工は非常に貧乏であり、したがって必要な機械の備え附けも不完全であったが、それでも彼等が勤勉に働く場合には、これらの職工で一日に約十二封度
の留針を製造することが出来た。
それであるからこの十人の職工は、一日に四萬八千本以上の留針を製造することが出来たのである。
そんな訳で各一人の職工が、四萬八千本の留針の十分の一を製造したものとして、一人一日に四千八百本を製造したと見做すことが出来る。
ところがそれ等の職工がみんな別々に独立に働いていて、その中の何人もこの特殊な業務に習熟していなかったとすれば、彼等は誰も彼も、一日に二十本の留針を製造することは到底出来ず、恐らく一本の留針さえも作ることが出来なかったであろう。
即ち彼等が今日、各種の作業の適当な分割及び組合せ(division and
conbination)の結果として製出し得るにいたっている量の、二百四十分の一は言うまでもなく、四千八百分の一も製造することはできなかったであろう。
そこで、極めて小規模ではあるが、分業が注目されてきた産業を例にとってみよう。
ピンの製造は分業の結果、独立した職種になり、おそらくやはり分業の結果、専用の機器や道具が発明されてきたのだが、この職種の技能を身につけておらず、専用の機器や道具の使い方も知らない人なら、懸命に働いても多分一日に1本を作ることもできず、20本を作ることはとてもできない。
ところが、現状を見ると、ピン製造が一つの職種になっている上、幾つもの部門に分かれていて、そのかなりの部分がやはり独立した職種になっている。
一人目が針金を引き伸ばし、二人目が真っ直ぐにし、3人目が切り、四人目が先を尖らせ、五人目が先端を削って頭がつくようにする。
頭を作るのも、二つか三つの作業に分かれている。
頭をつけるのも一つの作業だし、ピンを磨いて光らせるのも一つの作業である。
出来上がったピンを包むことすら、一つの作業になっている。
このようにして、留針製造の仕事が、18ほどの作業に分かれている。
18作業の全てにそれぞれ人を割り当ててる作業場もあるし、一人が時にはふたつ三つの作業をこなすようにしている作業場もある。
私は、小さなピン製造所を見たことがある。
そこで働いていたのは10人なので、何人かはふ二つか三つの作業をこなしていた。
とても貧しい作業場で、必要な機器も最低限のものしか揃っていなかったが、それでも懸命に働けば一日に約12ポンド(約5.4キログラム)を製造できた。
1ポンド(約0.45キログラム)には、中型のピンなら4千本以上あるので、この10人一日に4万8千本以上を製造でき、一人当たりにすれ一日に4千8百本を製造できる計算になる。
しかし、10人がそれぞれ一人で働くとすれば、そして、ピン製造の技能を身につけていないとすれば一日に20本を作ることはとてもできないし、おそらく1本を作ることすらできないだろう。
つまり、作業を適切に分割し組み合わせたためにできていることの240分の1はできるはずがないし、おそらく4,800分の1すらできないはずである。
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凡てのの他の技業(Art)及び製造業の多くのものにあっては、これほどに勞働が細かく分割されても居らず、これほど作業が大いに単純化されても居ないが、しかし何れにしても分業の効果はこの極めて瑣細な留針業の場合と同様である。
分業は、それを採用し得る限りにおいて、どんな仕事においても、その採用の度合に比例して勞働の生産力を増進するものである。
各種の職業及び仕事(trades and employments)が相互に分離独立しているのは、この利益がある結果として起って来たように思われる。
この分離速りつも亦、産業とその改良が最高の度合に達している国々において、一般に最も徹底的に行われていて、未開状態の社会において一人の人間の行う仕事が、改良sれた社会では一般に若干の人々の仕事となっている。
すべての改良された社会では農民は一般に農民以外の何者でもなく、製造業者は一製造お業者以外の何者でもない。
何等か一つの完全な製品を生産するために必要な勞働も亦、殆んど常に非常に多数の勞働者の間に分割されている、
亜麻布及び毛織物製造業のそれぞれの部分において、亜麻及び羊毛の採取者から亜麻布の漂白者及び熨附
者、さては織物の染色者及び仕上者にいたるまで、いかに多くの異った職業に分割されていることであろう!
農業の場合ではその性質上、實際、製造業の場合にように、そんなに多くの勞働の分割をすることも許されないし、一つの仕事と他の仕事を、そんなに完全に分割させることも出来ない。
牧畜者の仕事と耕作者の仕事とを、普通大工業と鍛治業とが分かれているようにはっきりと、完全に分離することは不可能である。
紡績者は殆んど常に、織布者とは別個の人間であるが、鋤耕者、鍬耕者、播種者及び刈取者は屡々同一の人間である。
農業におけるそれらの各種各様の勞働の機会は、一年中のいろんな季節の推移につれてまわってくるものであるから、一人の人間が断
えずそれらの勞働のどれか一つに従事していることは、不可能である。
かく農業において一切の異った勞働の部門を、完全に十分に分離させることが出来ないと言うこと、恐らくこの理由があるために、農業における勞働力の改良がいつも製造業におけるその改善と歩調を合わせていくことが出来ないのであろう。
實際、富裕な国民は一般に農業においても製造業においても、隣国の何れよりも優れている。
だが普通には富裕な国民は、農業より製造業においてその優越を示しているのである。
彼らの土地は概して善く耕されて居り、そこへ一層多くの勞働と費用とを投じた結果、土地の広さや自然の豐饒性に比較して、一層多くの生産物を産出している。
だがこの生産物の優越が、勞働及び費用の優越に比して。遥かに以上であることは稀である。
農業にあっては、富国の勞働が常に貧国の勞働よりも、非常に高い度合に生産的であると云う訳ではない。
尠くとも、その勞働は、普通に製造業の場合のように、そんなに非常な高い度合に生産的では決してないのである。
であるから富国の穀物でも必ずしも、同じ品質のものが、貧困の穀物より安い値段で市場に送られることは無いであろう。
フランスはポーランドに比べてずっと優れた富裕な国であり、改良の行われている国であるが、ポーランドの穀物は、同じ品質のもので、その低廉なることはフランスの穀物と同様である。
フランスはイギリスに比べて富裕や改良において恐らく劣っているであろうが、フランスの穀物はその穀産地方では、イギリスの穀物に劣らず品質が立派であり、大抵の年には檟格もほとんど同じである。
だが、イギリスの耕地はフランスの耕地よりは善く耕されて居り、フランスの耕地はポーランドの耕地より遥かに立派に耕されていると言われている。
貧国はその耕作において劣っているに拘らず、穀物の低廉及び品質において或る度合いまでは富国と対抗することが出来る。
しかし諸製造業においてはそんな対抗を口にすることも出来ないのである。
尠くともそれ等の製造業が富国の土地、気候及び位置に適合している場合はそうである。
フランスの絹物はイギリスの絹物よりは品質が良く値が安い。
と言うのは絹織物が、フランスの気候に適合しているほど、イギリスの気候に適合して居らず、特に絹絲の輸入にたいして高率の関税が課せられている現在ではそうだからである。
しかしイギリスの鉄器類及び粗製毛織物は、フランスのそれとは比較にならぬ程優れて居り、又同じ品質のものであっても、遥かに低廉である(註一)。
ポーランドでは若干の低廉な家庭的工業——これがなくては国家が存立して行くことが出来ない——を除いては、如何なる種類の製造業もほとんど存在しないと言われている。
ピンの製造はごく小さな産業だが、他の産業でも分業の効果はこれに似ている。
もっとも、たいていの産業では仕事をここまで細かく分けることはできず、作業をここまで単純にすることもできない。
しかし、どの産業でも、分業が可能であり實際に進んでいれば、その程度に応じて勞働の生産性が向上している。
産業が分化し、職種が細かく分かれてきたのは、この利点のためだと思える。
そして、分業が特に進んでいるのは通常、産業と社会が特に発達している国である。
未開の社会で一人がこなしている仕事が、発達した社会では何人もの仕事に分かれている。
発達した社会では、農民は普通、農業以外の仕事はしない。
製造業で働くものは、製造業の仕事しかしない。
そして、一つの製品を作るのに必要な勞働がほとんどの場合、多数に分割されており、それぞれを別の人が担うようになっている。
例えば、リンネル(亜麻布)や毛織物が生産されるまでに、原料の亜麻や羊毛の生産に始まり、亜麻布の漂白や伸し、衣服の染色や仕立てまで、どれほど多数の職種が関与しているかを見てみればいい。
農業はその性格上、製造業のように勞働を細かく分割することができないし、仕事を完全に分離することもできない。
牧畜の仕事と穀物生産の仕事を完全に分離するのは不可能であり、大工の仕事と鍛冶屋の仕事とが通常分かれているようにはいかない。
紡績と織布を同じ人が行うことはめったにない。
だが、鋤で耕す作業、鍬で鳴らす作業、種を蒔く作業、穀物を借り入れる作業は、全て同じ人が行うことが多い。
これらの作業はどれも、四季の中で必要となる時期が違っているので、一人がどれか一つの作業を年間通して続けることはできない。
農業ではこのように、それぞれの作業を完全に分離するわけには行かない点がおそらく原因になって、勞働の生産性が製造業と同じ程度に向上するとは限らなくなっている。
豐かな国では、農業も製造業も近隣の国より発達しているものだが、農業より製造業の方が、近隣の国との差がはっきりしているのが普通だ。
豐かな国では近隣の国に比べて、土地がよく耕されているし、農地に投じられる勞働と費用も多く、農地の面積と本来の地味の割に収穫が多い。
だが、収穫量に差があるといっても、投じられた勞働と費用の差を遥かに上回ることは稀である。
農業では、豐かな国が貧しい国に比べて、勞働の生産性がはるかに高いとは言えない。
少なくとも、製造業で普通に見られるほど差があるわけではない。
このため、豐かな国の穀物は、品質が同程度の場合に、貧しい国の穀物より安い檟格で市場に出回るとは限らない。
ポーランドでは穀物は、品質が同程度の場合、檟格もフランスと變わらないが、豐かさと社会の進歩の面では、フランスの方が勝っている。
フランスの穀倉地帯では、穀物はイングランドと品質が變わらないし、ほとんどの年には檟格もほぼ變わらないが、豐かさと社会の進歩の面では、おそらくイングランドの方が勝っている。
しかし、イングランドではフランスに比べて、
農地の耕作がはるかに進んでおり、フランスではポーランドに比べて、農地の耕作がはるかに進んでいると言われている。
このように、貧しい国は耕作の面では遅れていても、穀物の檟格と品質で豐かな国にある程度まで対抗できるが、製造業ではそうは行かない。
少なくとも、土壌、気候、状況の点で豐かな国に適した製造業では対抗できない。
フランスの絹織物はイングランドの絹織物と比べて、品質が高く檟格が低いが、これは少なくとも生糸の輸入関税が高い現状では、イングランドが気候の面でフランスほどには絹の生産に適していないからである。
穀物の生産は、勞働力など資本の投入により豐かな国と対抗できる。
一方、絹の生産(養蚕業)は、勞働力だけでなく、生糸(養蚕)に適した気候や地形などの育成条件(日当たりの良い斜面・寡雨地域)が必要であり、勞働資本を投入するだけでは対抗できない。
よってフランスは自国産の生糸と豐富な勞働力を有し、絹織物ではイングランドより優位であったと考えられる。
一方、イングランドは原料の生糸を輸入に頼らざるをえず、関税によって自国の養蚕業を保護していた。
しかし、フランスの絹織物産業もフランス革命や対外戦争といった「状況」によって競争優位を失う。
だが、金属製品と低檟格の毛織物では、イングランドはフランスと比較にならないほど優れており、品質が同程度であれば、檟格もはるかに低い。
ポーランドには、製造業はほとんどないといわれている。
素朴な家内工業はあるが、これはどの国でも国民の生活に不可欠なものである。
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分業の結果として、同一数の勞働者が行い得る仕事の量がこれほど大きな割合で増加するのは、三種の事情に由るものである。
第一、凡ての専門の勞働者の技巧が優越になるが為め、第二、普通に一種の仕事から他の仕事へ移る上に失っている時間が、分業によって節約されるが為め、第三、非常の多くの機会が発明され、それが勞働を容易にし簡約するが為めである(註一)。
分業によって同じ人数が働いたときの生産量が大幅に増加するのは、三つの要因のためである。
第一に、個々人の技能が向上する。
第二に、一つの種類の作業から別の作業に移る際に必要な時間を節減できる。
第三に、多数の機器が発明されて仕事が容易になり、時間を節減できるようになって、一人で何人分もの仕事ができるようになる。
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第一、勞働者の技巧の改良は必然に、その勞働者の遂行し得る仕事の量を増加する。
分業は、各勞働者の業務を何等か一つの単純な作業に限ってしまうと、この作業をその勞働者の生涯の唯一の仕事としてしまうので、勞働者の技巧を大いに優秀ならしめないでおかないのである。
そんなわけで鉄鎚をつかうことには習熟しているが、釘を製造することに曾
つて従ったことのない普通の鍛冶屋が、何等か特別な事情で止むなく釘を製造しなければならないとすれば、彼は一日に二三百本以上の釘を製造することが出来ないのは明らかで、その出来上がった釘も極めて粗悪なものであろう。
また釘をつくることには慣れてはいるが、その専門の若くは主要の業務が釘製造工としてのそれでない一人の鍛冶屋の場合では、全力をあげて勉強しても一日に八百本乃至千本以上の釘を製造し得ることは稀である。
私は、平生釘製造以外には何の職業にも従ったことのない齢二十歳以下の若干の少年を観たが、彼等は勤勉に働く場合には各一人で一日に二千三百本以上の釘を製造することが出来たのである。
とは云っても一本の釘を製造する事は、決して最も単純なる作業の一つではないのである。
同一の勞働者が鞴
を吹きもし、場合に応じて火を掻き立て又は火力を強くもし、鉄を熱しもし、釘の凡ての部分を鍛えるのであって、釘の頭を鍛える時には又道具を取換えもしなければならぬの出る。
留針又は金属釦
の製造に於て分割されている各種の作業は、何れも釘製造の場合よりは遥かに単純なものであって、其のどれかを行うことを生涯の唯一の業務としている勞働者は、其の技巧に於て普通一層大いに優れているであろう。
是等の製造業の作業の若干はいかにも迅速に行われていて、曾てそれを観たことのない人々にとっては、人間の手でそのような速さで行われ得るとは想像にも及ばぬ程である。
第一の要因についていうなら、技能が向上すれば、一人がこなせる仕事の量は当然増加する。
そして分業が進めば、各人が単純な作業を一つだけ担うようになり、その作業を一生の仕事にするようになるので、技能が必ず大幅に向上する。
普通の鍛冶屋であれば、ハンマーを使い慣れていても、釘作りに慣れていない場合、何らかの必要に迫られて釘を作ることになったとすると一日に2百本から3百本を超える釘を作ることはまずできないし、作った釘も品質が極めて悪いものにしかならないという。
釘作りに慣れている鍛冶屋でも、釘づくりを専門とはしておらず、主な仕事にもしていない場合、懸命に働いても一日に八百本から1千本を超える釘を作ることはまずできない。
私が實際に見た例では、20歳にならない数人の少年が釘を製造していた。
誰も釘作り以外に仕事の経験はなかったが、この数人が懸命に働くと一日一人当たり2千3百本以上の釘を作ることができた。
ふいごを吹き、必要に応じて火を起こし燃料を加え、鉄を熱し、釘の各部分を鍛える作業を一人でこなしている。
釘の頭を鍛える仕事でも、一人でいくつもの道具を使い分ける。
ピンや金属ボタンを作る場合には、仕事がもっと細かく分割されていて、それぞれの作業がはるかに簡単であり、各人は一つの作業だけを一生の仕事にしているので、技能もはるかに高いのが通常である。
これらの作業場では、作業が極めて手際よく進められており、その様子を見たことがなければ、人間の手でそこまでのことができるとは、とても想像ができないほどである。
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第二に、普通の場合一種類の仕事から他の種類の仕事mに移る上に失う時間の節約から来る利益は、我々が一見してそうであろうと想像するよりは、遥かに大なるものがある。
一種類の仕事から、異った場所で且つ異った道具で行われる他の種類の仕事へ、非常に迅速に移って行くことは不可能である。
小農地を耕作もしている田舎の職工は、織機から耕地に赴き、耕地から織機に来る間に多大の時間を失わなければならない。
二つの職業が同一の職場で行われ得る場合には、時間の損失がそれに比して非常に尠い事は明らかである。
しかしこの場合でもその損失は可成り大きいのである。
人は普通に一種の仕事から多種の仕事へと手を移す時には、いくらかぶらぶらするものである。
新らたな仕事を始めた最初は、非常に緊張して心を打込むことは稀であって、其の心は謂ゆる其の仕事に乗移っていかず、しばらくの間はその目的に適合すると云うより寧ろそれを弄ぶものである。
放漫で、仕事をする上での遊惰不注意の習慣は、半時間毎にその仕事と道具とを變え、一生涯の間殆んど毎日二十通りもの違った仕事をしなければならぬ凡ての田舎勞働者にとっては、自然に生れて来る習慣であり、寧ろそういう習慣の生れるのは当然である。
この習慣こそ田舎勞働者をして、ほとんど常に緩慢怠惰ならしめ、非常に差迫った場合においてすら、何等活発なる活動をなし得ざらしめるものである。
であるから、技巧の点での田舎勞働者の欠陥は別問題として、この原因だけでも、彼が行い得る仕事の量を、いつも大いに減殺しないではおかないのである。
第二の要因、つまり一つの種類の作業から別の作業に移る際に無駄にする時間を節減できる利点は、大抵の人がまず想像するよりはるかに大きい。
働く場所も違えば、使う道具も違う全く違う場合には、一つの作業から別の作業に素早く移ることはできない。
例えば、農村の職工が小さな畑を耕している場合、織り機から畑に、畑から織り機に移るだけで、相当な時間を無駄にする。
ふたつの作業を同じ仕事場で行えるのであれば、無駄にする時間はもちろんはるかに少ない。
だがこの場合ですら、無駄にする時間はかなりになる。
人は誰しも、一つの作業から別の作業に移るとき、少しはダラダラする。
新しい作業を始めた瞬間から、熱心に仕事に打ち込むことはまずない。
よくいわれるように、しばらくは気が乗ってこないので、ダラダラして過ごし、仕事に専念できない。
農業勞働者を見ると、歩く時はゆっくり歩き、働く時はものぐさにし、あまり神経を使わないようにするのが習慣になっているが、これは自然だし、必要ですらある。
30分も働くと作業と道具を變えねばなければならず、一生の間ほとんど毎日、20もの違った作業をこなさなければならないからからである。
この結果、農業勞働者はほぼいつものんびりしていて、急いでいるときでも猛烈に働くことができない。
したがって、技能の問題は別にしても、この点だけでこなせる仕事量がかなり減っている。
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第三に而して最後に、適当な機械を利用することによって、どれだけ多くの勞働が容易にされ省略されるかは、どんな人にもすぐ感ぜられる筈であって、例を示して説く必要のないところである。
であるから私は、依ってもって勞働がそのように著しく容易にされ省略された一切のそれらの機械の発明なるものが、本来、分業の結果として生れた観のあることについて、観察するに止めておくであろう。
人間は、その心の全注意が非常に雑多な事物の間に分散している場合よりは、或る単一な目的の上に集中している場合の方が、遥かに多く、その目的を達成する上の一層簡易な一層便利な方法を発明する傾のあるものである。
ところで分業の結果として、凡ての人間の全注意は自然に、或る一つの極めて単純な目的に集中されるようになるのである。
であるから自然に、各特殊な勞働の部門に使用される勞働者の何人かが、その仕事の性質上改良の余地がある場合には何時でも、彼の特殊な仕事を達成する上での一層容易な一層便利な方法をすぐと発見するという結果が予期されるのである。
著しく分業の行われる製造業において、今日使用されている機械の大部分は、本来、普通の勞働者の発明したものであって、彼等は何れも或る極めて単純な作業に使用されている結果、自然にその仕事を果たす上の一層容易な一層便利な方法への発明へと、その心を傾けていったのである。
そういう製造業を度々観察した人は誰でも、自身の特殊な仕事を容易にし迅速にするために、そういう普通の勞働者によって発明された非常に立派な機械を、屢々示されたに違いない。
最初の蒸汽機関機械では、ピストンの昇降につれて、汽罐と汽筒
との間の通路を交互に開いたり閉ぢたりするために、不断に一人の少年が使用されていた。
そういう少年の中で、仲間と遊び戯れることの好きな一人が、その通路を開く弁の把手
を、機械の他の部分へ一本の紐で結びつければ、弁は彼の力をからないで独りで開いたり閉ぢたりして、自分は自由に遊び仲間と戯れることが出来るのを見てとったのであった。
蒸汽機械の最初の発明があって以来、その機械に加えられたこの最も大きな改良の一つは、こんな風にして、自分の勞働をはぶきたいと思った一人の少年の発明したものである。
もう一つ、第三の要因として、適切な機器を使えばどれほど仕事が容易になり、時間を節約できるかは、誰でも気づいているはずである。
例を挙げるまでもない。
そこでここでは、機器の発明によって仕事が容易になり、時間が節減できるようになったのは、もともと分業の結果であったように思われると指摘するにとどめておく。
人は誰しも、一つの目標に注意を全て集中していると、さまざまな点に注意を分散しているときより、目標の達成を簡単にし早くする方法を見つけ出す可能性がはるかに高くなる。
そして分業の結果、各人はごく単純な目標に自然に注意を集中するようになる。
このため当然に予想されるように、勞働のある部門で仕事を簡単にし速く余地がある場合、その仕事をしている人の誰かが、間もなくその方法を見つけ出す。
分業で進んでいる産業で使われている機器のうちかなりの部分は、もともと普通の勞働者が発明したものである。
極めて単純な作業に従事しているので、仕事を簡単にし速くする方法を自然に考えるようになるのだ。
このような作業上をよく訪問している人なら、すばらしい器械、それも普通の勞働者が自分の仕事を簡単にし速くするために発明した機器を見せらてきたはずだ。
初期の蒸気機関では、ボイラーからシリンダーに蒸気を送るバルブをピストンの上下動に応じて開け閉めするために、少年を雇うのが普通であった。
雇われた少年のうち一人が、友達と遊びたい一心で、蒸気を送るバルブのハンドルと蒸気機関の別の部分とを紐で結ぶ方法を考えた。
こうしておけば、何もしなくてもバルブが開閉するので、友達と遊んんでいられる。
蒸気機関には発明されて以来、さまざまな改良が加えられて北が、その中でも特に重要な改良は、このように仕事を楽にしたい少年が工夫したものであった。
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とは言っても機械における一切の改良が、その機械の使用に従っていた勞働者の発明であった訳では決して無い。
多くの改良は、機械の製造が一つの特殊な職業と成った時に、その機械製造業者の智巧
によって為されたのであり、或る発明はまた、哲学者又は思索家と呼ばれる人々の知巧によって為されたのであった。
これらの哲学者又は思索家は、何物かを實際に造るのがその仕事ではなくて、一切の物事を観察するのがその仕事であり、その場合に彼等は屢々、非常に懸離れて居り互に類似点のない事物の諸力を連結し得るのである。
社会が進歩するにつれて、哲学又は思索が、すべての他の仕事と同じように、市民の特殊な階級の主要な又は専門の職業及び仕事と成る。
また凡ての他の仕事と同じように、それがまた非常に多くの異った部門に分割され、その各の部門が、哲学者の或る特別の部族又は階級の仕事となる。
而して哲学におけるこの仕事の上の分割が、凡ての他の職業の場合と同じに、技巧を改良し、時間を節減するのである。
それによって各個人は、自身の特殊な部門においてヨリ一層専門家となり、全体として一層多くの仕事が果され、かくて科学の内容が著しく増進されるのである。
しかし機器の改良が全て、その機器を使う立場にあった者によって進められてきたというわけではない。
機器の製作者による改良も多く、機器の製作が独立した職になった後に工夫が進んできた。
また、改良の一部は学者や研窮者と呼ばれる人たちによって進められてきた。
学者や研窮者は、何かをすることではなく、さまざまなものを観察することを仕事にしている。
このため、全くかけ離れたもの、異質なものを組み合わせて、それぞれの力を結合することが少なくない。
社会が進歩すると、どの職種でもそうであるように、学問や研窮も市民のうち、ある階層にとって主要な仕事となり、唯一の仕事にすらなる。
どの職種でもそうであるように、学問や研窮も多数の部門に分かれ、それぞれの部門を専門にする学者や研窮者が生まれる。
そしてどの職種でもそうであるように、学問や研窮でも専門化によって技能が発達し、時間を短縮できるようになる。
各人が専門性を高めていき、全体として研窮の量が増え、知識が大幅に増えている。
分業の結果、どの産業でも生産量が増加している。
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善く統治された社会にあっては、一般的富裕が人民の最下層にまで及んでいるものであるが、その一般的富裕を齎
らすものは、分業の結果として生じて来るところの、各種各様の技術による生産の大いなる増進である。
各勞働者は自身の必要とするところ以外に、手離し得べき彼自身の生産物を多量に持って居り、すべての他の勞働者も互いにそれと同じ境遇にあるのであるから、一人の勞働者は彼自身の貨物の多量を、他の勞働者の貨物の多量と、又は結局同じことだが他の勞働者の貨物の多量の檟格と、交換することが出来るのである。
彼は他の人の必要とするものを豐富に彼等に供給し、他の人々は彼に必要とするだけを十分に彼に調達し、一般的豐富が社会の凡ての階級(rank)の中へ、残りなく行き渡るのである。
政府がしっかりしている社会で国民の最下層まで豐かさが行き渡るのはこのためだ。
人は皆、自分が必要とする以上に大量のものを生産していて、處分できるようになっている。
そして他人も皆、同じ状態になっているので、自分が生産した大量のものを、他人が生産した大量のものと交換できる。
つまり、他人の生産物を大量に買える檟格で売却できる。
人は皆、他人が必要とするものを大量に供給でき、自分が必要とするものを大量に供給されるので、社会のすべての層に豐かさが行き渡っていく。
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文明化し繁栄している国家の普通の職人又は日傭勞働者の支度を見よ。
彼にこの支度を整える上には、夫々の産業の生産物の小部分しか必要でないにしても、これがために使用される人々の数は、数え切れないものがあるのを認めるであろう。
例えば一人の日傭勞働者の体をつつむ毛織外套は、其外観が粗野で粗悪あろうとも、一大多数の勞働者の連合勞働の産物である。
この質素な生産物でもそれを完成するためには、牧羊者、羊毛の選別者、羊毛梳
者、染色者、摩擦者、紡績者、織布者、漂白者、裁縫者及びその他多くの人々がすべて、彼等の各種各様の技術を連結しなければならない。
その上また、それらの勞働者の或者から、他の屢々
極めて遠隔の地に住んでいる勞働者へ、その材料を輸送するのに、如何に多数の商人と運搬車が使用されなければならなかったか!
また、染色者の使用する各種の薬材は、屢々世界の極めて遠隔の地からくるものであるが、それを集めるために、特にいかに多くの商業と航海業が必要とされ、いかに多くの造船工、水夫、帆布製造工、製鋼者が使用されねばならなかったか!
なおまた、こ俺らの勞働者のうち最もつまらぬ者の使う道具を生産するためにも、いかに種類の異なった勞働が必要であるか!
水夫の船舶、漂白者の水車、又は織布工の織機のような、そんな複雑した機械はこれをこれを問わないとして、牧羊者が羊毛を刈る際に用いる剪刀のような、極めて単純な機械をつくる上にも、いかに種々雑多な勞働が必要であるかを考えてみよ。
それを生産するためには、鑛夫、鉄鑛を溶解するための溶鑛炉の築造者、木材の伐採者、溶鑛所で使用される木炭の炭焼人、煉瓦製造者、煉瓦取付工、溶鑛炉に勤務する勞働者、工場建築工、鍛錬工、鍛治工の全部分が、彼等の各種各様の技術を連結しなければならない。
もし我々がこんな風にして、、一人の勞働者の被服及び家庭用具の一切の異った部分、彼の肌につけている粗末な麻の襯衣
、彼の足を被うている短靴、彼のつかう寝台、その寝台を構成している一切の異った部分、彼が食物を整える上に使う厨房の暖炉、大地の底から採掘され恐らくは遠い海を渡り長い陸地を運ばれてこの暖炉のそばへ持ち来
された石炭、彼の厨房のその他の一切の器具、食卓の一切の什器、ナイフとフォーク、食物を盛ったり取り分けたりする陶製又は白鍮
製の皿、彼の麺麭や麦酒
を供給する上に使用される各種の人力、熱気や光線を導き入れ風や雨を遮る硝子窓、それを無くしてはヨーロッパの如き世界の北部を極めて快適なる人間の住家たらしめることができなかったところの、美麗で幸福な発明にとって必要な一切の知識と技術、これら様々な便益物の生産に使用される各種一切の勞働者の使う用具、それらのありとあらゆる者を検査し、その各々にいかに多くの種類の勞働が使用されているかを考えるならば、我々は数千人の人々の助力と協働がなければ、今日文明国の一人の極くつまらない人間に対して、我々が誤って簡素単純な風と想像しているところのこの種の人間に普通な調度を整えることも出来ないのを、直ちに認めるであろう。
實際、大富豪の滅法な豪奢に比べれば、この人間の調度が単純で簡素に見えることは疑いないところである。
だが、一人のヨーロッパ人の王侯の調度は、勤勉で質素な一人の農民の調度にどんなに優っていようとも、その農民の調度が、一萬人の裸体蛮族の生命と自由の絶対支配者たる一人のアフリカ帝王の調度に優っている程度に比べると、その優越の程度は常に遥かに低いと言われているが、それは恐らく真實であろう。
文明が発達した豐かな国で、ごく普通の職人や勞働者が日常生活に使っているものを見れば、それらの生産にごく一部でも関与した人の数が、見当もつかないほど多いことがわかるはずだ。
例えば勞働者が着ている毛織物の上着は、粗末に見えるものであっても無数の人が働いた結果である。
羊飼い、羊毛の選別工、梳き工、染色工、あら梳き工、紡績工、職工、仕上工、仕立て工など、多数の職種の人がそれぞれの立場で働かなければ、上着のようなありふれたものすらできない。
それだけではない。
これらの職種の人が国内の遠く離れた地域に住んでいることも少なくないのだから、原材料の輸入にどれだけの商人運送人が働いているだろうか。
そして染色工が使う多数の薬剤は世界各地から運ばれてきているのだから、どれほどの商業と海運が関与し、さらには造船や船の運航、帆の生産、ロープの生産にどれだけの職種の人が働いているだろうか。
また、これらの職種で働くごく下層の人が使う道具を作るのに、どれだけの職種の人が働いているのだろうか。
船員が乗る船や仕上工が使う水車、さらには職工が使う織り機のような複雑な機器は言うまでもないが、極めて単純な道具、例えば羊飼いが羊毛を刈るのに使う鋏を生産するだけでも、どれほど多数の職種の人が働いているのだろうか。
鋏を作るだけでも、鑛夫、鉄鑛石を溶かす炉の建設工、木材を売る樵
、製鉄に使う木炭の炭焼き、レンガ製造工、煉瓦積み工、製鉄工、機械工、鍛造工、鍛治工が働かなければならない。
以上と同じように、ごく普通の勞働者の衣服や家財道具を調べていけばいい。
例えば、亜麻布の肌着、靴、ベッド、ベッドの様々な部品がある。
台所には竃の火格子がある。
料理に使う石炭があり、地底から掘り出され、おそらくは海路と陸路で遠くから運ばれてきたものだ。
多数の調理用具もあるし、テーブルの上にはナイフやフォーク、料理を盛り分ける陶器や錫合金の皿などの食器がある。
パンやビールの生産にも、多数の人が携わっている。
ガラス窓もあり、これがあるから熱と光が室内に入るし、雨と風を防ぐことができる。
様々な知識と技術があって、美しく素晴らしいガラスが生産されるのであり、ガラスがなければ、世界の中でも北方のこの地域で、快適な住まいができるとは考えにくい。
これらの衣服や家財道具を調べていき、さらにこれらの利便品の生産に使われる道具を調べていけばいい。
これらすべてのそれぞれにどれだけの職種の人が働いているかを考えれば、何千人、何万人もの人が助力し協力しない限り、文明国ではごく下層の庶民の一般的な生活すら維持できないことが分かるし、庶民の生活が単純なものだという味方が間違っていることも分かるだろう。
確かに、上流階級の贅沢な生活に比べれば、庶民の生活は實に単純だと言える。
ヨーロッパの王侯の生活と勤勉で質素な農民の生活との間には、確かに大きな差がある。
だがこの差も、ヨーロッパの農民の生活と、未開の国の国王のもっと単純な生活との間にある差に比べて、大きいとは限らない。
未開の国の王は何万人もの未開の生命と自由を完全に支配しているのだが。
第四章 貨幣の起源及び効用について
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分業が一度完全に樹立されると、人間が自身の勞働の生産物を以って充し得るところは、その欲望の極く小部分に過ぎない。
彼は、自身で消費しきれない彼自身の勞働生産物の剰余部分と、彼の必要とする他人の勞働生産物の剰余部分とを交換することによって、その欲望の最大部分を充すのである。
かくして各人は交換によって生活し、或る度合まで一個の商人と成り、社会そのものは謂ゆる商業的社会と成るのである。
分業が確立すると、各人が必要とするもののうち、自分の勞働によって生産できる部分はごく一部に過ぎなくなる。
必要の大部分は、各人の生産物のうち自分で消費するもの以外の部分と交換して満たすようになる。
全員が交換によって生活するようになり、ある意味で商人になる。
社会全体も商業社会と呼べるものになる。
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だが分業が最初に起り始めた時には、この交換の力はその實際の運用において、屢々非常に阻害され、混乱されなければならなかった。
いま仮に、或る一人の人間が或る一定の物品を、自分で必要とするよりも一層多く持って居るのに、他の一人の人間はそれを一層少くしか以っていないと仮定しよう。
その結果、前者は喜んでその過剰物品の一部を売り渡すであろうし、後者はそれを購入するであろう。
しかしこの場合後者がひょっとして、前者の顔面に必要としている物品を何ものも以っていないとすれば、両者の間に何等交換が行われることは出来ない。
肉屋が自分の店に、彼自身で消費し得る以上の肉を以っているとする。
その場合醸造屋及び麵麭屋は何れも、喜んでその肉の一部を購入しようとするであろう。
だが醸造屋や麵麭屋は、その各自の職業の生産物たる種類や麵麭以外には、肉と交換し得るものは何も持っていない。
ところが肉屋はすでに、即刻自身で必要とする麵麭や麦酒は十分に手元に持っている。
この場合には彼らの間に、何等交換が行われ得ないのである。
肉屋は対手の人達にたいして売手となる事はできないし、醸造屋や麵麭屋は肉屋の顧客となることは出来ない。
かくて彼等は何れも、お互い大して役に立たないものとなるのである。
かかる場合の不便を避けるために、一度び分業が確立された後には、社会のあらゆる時期において深慮ある人々は自然、いかなる場合にも彼自身の産業の特殊な生産物の外に、或る一定の物品即ち他の人々の産業の生産物と交換する場合に、誰もそれとの交換を拒まないと思われる如き物品の一定量を持っているように、身辺を手配して行かなければならなかったのである
(註一)。
しかし、分業が起こり始めた時点では、このような交換にかなりの障害があったはずだ。
一方に、ある商品を自分が必要とする以上に持っている人がおり、他方に、それを持っていない人がいる状況を考えてみよう。
この場合、一方は余った部分を手放そうとし、他方はそれを手に入れようとする。
しかし、手放そうとする側がそのときに必要とするものを、手に入れようとする側がたまたま持っていなければ、交換は成立しない。
たとえば肉屋が、自分が必要とする以上の肉を持っており、酒屋とパン屋がその一部を手に入れたがっているとする。
酒屋もパン屋もそれぞれの仕事で生産したものしか持っておらず、肉屋が当面必要な量のビールとパンを持っていれば、互いの商品を交換することはできない。
肉屋は肉を売ることができず、酒屋とパン屋は肉を入手できない。
それぞれが、あまり互いの役に立たない状態になる。
このような状態から生まれる不便を避けるために、分業が確立した後、どの時代にも賢明な人はみな、自分の仕事で生産したもの以外に、他人が各自の生産物と交換するのを断らないと思える商品つまり通貨をある程度持っておく方法をとったはずである。
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この目的のために次ぎ次ぎと考え及ぼされまた實際使用された物品は、恐らく種々雑多であろう。
未開時代の社会では、家畜が商業の共通道具であったと言われている。
家畜は交換の装具として非常に不便なものであったに相違ないが、それでも古代において、しばしば諸物品がそれと交換される家畜の数でもっと評檟されていたのを発見する。
ホーマーはデイオメードの鎧は牛九頭の檟しかないが、グラウアスの鎧は牛百頭の檟
があると言っている。(註一)
アビシニアのいては塩が商業の共通道具であったと言われて居り、(註二)印度の海岸地方の或る所では一種の貝殻が、ニューファウンドランドでは干鱈が。ヴァージニアでは煙草が、(註三)わが西印度植民地では砂糖が、若干の他の諸国では獣皮又は精製鞣革が貨幣の代りに釘を携えて麵麭屋や酒屋の店頭に行くことが、異常なことでないとのことである。(註四)
この目的には、様々な商品が次々に考えられ、使われてきたとみられる。
未開の社会では、家畜が交換のための共通の手段であったと言われている。
いかにも不便であったはずだが、古代にはものの檟値がそれと交換された家畜の数で示されることが多かった。
例えばの『イリアス』には、ディオメデスの鎧は雄牛わずか9頭で買ったものだが、グラウコスの鎧は雄牛100頭で買ったものだと書かれている。
エチオピアでは、塩が交換のための共通の手段として使われているという。
インド沿岸部の一部ではある種の貝殻が、ニューファウンドランド島ではタラの干物が、バージニアではタバコが、西インド諸島のイギリス植民地の一部では砂糖が交換の手段として使われており、生皮やなめし皮が使われている国もある。ニューファウンドランド島スコットランドの村では現在も、職人が金銭の代わりに釘をパン屋や居酒屋の支払いにあてることが珍しくないという。
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だが、凡ての国々において遂には不可抗的な諸理由から、この目的にために他の一切の物品をさしおいて、金属を使用することに決定された様に思われる。(註一)
金属は損耗の少ない点でどんな物品にも劣らず、また金属は損耗の少ない点でどんな物品にも劣らず、また金属ほど耐久性のある物品は他にないばかりでなく、何等の損耗もなくて、どれだけの部分にも分割することが出来、さらにそれらの部分を容易に総合してもとのままとすることも出来る。
金属と同じ耐久性を持つ物品は他にあるが、それらの物品も金属の持つこの最後の性質は持って居らず、その性質こそ金属をして他の一切の商品に優って、商業及び流通の用具(instrument)として適当ならしめるものである。
例えば或人があって塩を購入し度
いと思うが、それと交換に与えるものとしては家畜より他に何も持っていない場合には、彼は止むなく一時に牛全一頭又は羊全一東の檟値に相当する塩を購入しなければならないであろう。
お
これに反して、彼が羊や牛の代わりに金属をもっていて塩と交換に与えるとすれば、彼れは眼前に必要とする量の物品の檟値に相当するだけ、容易に金属をそれだけの量に分割することが出来るであろう。
しかしどの国でも、否定のしようのない理由によって、この目的にはやがてどの商品よりも金属が選ばれるようになったとみられる。
金属ほど腐りにくいものはほとんどないので、どの商品よりも保存による損失が少ない。
その上、どれだけ分割しても檟値が下がることはなく、溶解すれば分割したものを一つにまとめられるという性質がある。
この性質は、同じように保存がきく他の商品にないものであり、金属が商業と流通の手段に適しているのは、何よりもこの性質のためである。
例えば、塩を買おうとするとき、交換できるものが家畜しかないとすると、一度に牛1頭分か、羊1頭分を買うしかない。
それより少ない分量を買うことはまずできない。
家畜は分割すればほぼ確實に檟値が下がるからだ。
そして1頭分以上を買いたいときにも、同じ理由で2倍か3倍の量を、つまり牛2頭分か3頭分、あるいは羊2頭分か3頭分を買うしかない。
これに対して、羊や牛ではなく金属を塩と交換するのであれば、そのときに必要とする塩の分量に合わせて、金属の分量を簡単に調節できる。
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種々の金属がいろいろの国民によって、この目的に使用されて来た。
古代スパルタの間では鉄が、古代ローマ人の間では銅が、すべての富裕な商業国民の間では金及び銀が、商業上の共通道具であった。
交換の目的に使われた金属は当初、国によって違っていたようだ。
古代スパルタでは、交換の共通の手段として鉄が使われた。
古代ローマでは銅が使われた。
富裕で商業が盛んな国では金と銀が使われた。
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これらの金属は最初は、何等の刻印も又は鋳造も加えないで、粗造の地金棒塊でこの目的のために使用されていたように思われる。
かくてプリニー(Pliny)(註一)が古代の歴史家テメアス(timeus)に拠
って我々に語るところに依ると、ローマ人はサーヴィアス・タリス(Servius
Tullius)の時代までは、何等鋳造した貨幣は持って居らずどんなものでも必要なもの購入する場合には、刻印の打ってない銅の棒塊を使用していた。
当初はこれら金属が、刻印も鋳造もされていない地金の形で交換の手段として使われたようだ。
例えば、古代ローマのプリニウス(23〜79年)は『博物誌』で、歴史家の(紀元前356年頃〜260年頃)の記述を根拠にローマにはセルウィルス・トゥリウスの時代(紀元前578〜534年)までの硬貨(鋳造貨幣)がなく、必要とするものを買うときには刻印のない銅の延べ棒を使っていたと記している。
この時代には銅の延べ棒が通貨の役割を果たしていたというわけだ。
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こういう粗造の状態で金属を使用する場合、二つの非常な不便が伴われた。
第一には秤量することの困難なことであり、第二にはそれらの棒塊を試験することの困難なことである。
貴金属の場合には量における些少の相違が檟値における大きな相違を齎らすものであるから、適当性格に秤量の仕事をするには、尠
くとも非常に精密な分銅と秤量とが必要である。
特に金の秤量は或る手際のいる仕事である。
實際、金より粗悪な金属の場合には少しばかり過誤は大した結果を生じもしないであろうから、疑いもなく金の場合ほどの精密を必要としないであろう。
だが、もし一人の貧者あっていつも一銭の値の貨物を売り買いする必要があり、その一銭の値のものを秤量しなければならぬとすれば、我々はそれが極度に煩雑なことを発見しないでは居れぬであろう。
それより一層困難で、一層煩瑣なのは試金の作業である。
その金属の一部を坩堝の中で適当な鎔解薬を用いて、立派に鎔解させない以上、その作業から得られた結果は一切、極度に不正確なものである。
だが鋳造貨幣の制度が生まれる以前には、この煩瑣な困難な仕事をやらなかったならば、人々は常に大きな欺偽と瞞着に陥らなければなかったのであり、彼等の貨物と交換に一封度
の重量の純銀又は純銅を受取るべきところを、外見だけはそれらの金属に似せて作ってあるが、實質は最粗悪で最安檟な金属の混成物を掴まされるようなことがあったのである。
されば改良の方向へ向かって何等かの大きな進歩を示した凡ての国家においては、斯かる弊害を阻止し、交換を容易ならしめ、もってあらゆる種類の産業と商業の発達を促進するために、それらの国々において貨物を購入する上に普通に使用される特殊の金属の一定量にたいして、公の刻印を打つことの必要が感ぜられたのである。
鋳造貨幣及び造幣局(註一)と呼ばれる官衙
は、かくして発生したものであって、これ等の制度はかの毛織物及び亜麻布にたいする毛織物検査官(Aulnager)及び亜麻布検査官(Stammaster)の制度と、(註二)全く同じ性質のものである。
それらの凡ては何れも、この刻印を附することによって、市場に提供された諸種の商品の量と全品質とを確定することを職とするものである。
加工していない金属を使うと、不便な点が二つある。
第一に重さを測るのが厄介であり、第二に純度を調べるのが厄介である。
貴金属の場合、重さがわずかに違っても檟値が大きく違うので、重さを正確に測るために、少なくとも正確な錘と秤オモリと天秤が必要だ。
特に金の重さを測るときは、正確さが必要だ。
もっと檟値が低い金属で、少々間違いがあっても大した影響がない婆にはもちろん、正確さはそれほど要求されない。
しかし、貧しい人が1ファージング(0.52ペニー)のものを売買するたびに重さを測らなければならないのであれば、面倒すぎるはずである。
純度を調べるのはもっと難しく、手間がかかる。
適切な溶剤を使って、金属の一部を坩堝の中でうまく溶かさない限り、調べた結果は不確かだ。
このため、硬貨が使われるようになるまでは、手間のかかる困難な作業で純度を調べなければ、とんでもない詐欺やごまかしにいつ逢うかわからない状態にあった。
品物の対檟として1ポンドの重さの純銀や純銅を受けたとった受け取ったはずなのに、粗悪で安い材料を使い、外見だけはこれの金属に似せて作られた混ぜ物をつかまされることになりかねなかった。
こうしたごまかしを防ぎ、交換の便宜をはかり、それによって各種の産業と商業を盛んにするために、社会がある程度発達した国では、その国で取引の手段として一般に使われている
金属の決まった重さのものに、公的な刻印を押す必要があると考えるようになった。
これが硬貨の起源であり、造幣局の起源である。
造幣局は毛織物や亜麻布の検査官と同じ性格をもつ政府機関である。
公的な刻印によって、それぞれの商品が市場で取引される際に、分量と品質の良さを証明することも目的としている。
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流通通貨に打たれたこの種の最初の公の刻印は、多くの場合、確定することの最も困難で且つ最も重要なもの即ち該
金属の品質と純分を確定することを志向したもののようで、その最初の刻印は、今日銀の板塊や棒塊に刻されてある純分記標(stering
mark)又は時々金塊に刻されているスペイン式記標に類似したもののようである。
それは該金属の一側面だけに打たれてあって、全表面に亙って居らないので、その金属の純分は確定しているが、その重量はこれを確定していないのである。
アブラハムはマクベラーの野原の代檟として支払うことを同意した金四百シエケル(shekel)を、エフロンに秤って与えている。(註一)
このシエケルは、当時商人の流通貨幣であったと言われているものであるが、それでも今日の金塊や銀の棒塊の場合と同じに、個数でなくて重量で受取られてい流のである。
イングランドの古代サキソン王朝の諸王の歳入は、貨幣でなく實物で、即ちあらゆる種類の食物及び食料品で納入されたと言われている。
そこへウイリアム征服王が始めて、貨幣でそれを納入する習慣を導き入れた。
だが、この貨幣も長い間国庫が受納する場合には、個数によらず重量によっていたのであった。
通貨として使われる金属に押されたこの種の刻印は当初、確認が特に難しいし、特に重要でもある金属の品質、つまり純度を確認することを目的としていたようだ。
現在、銀の板や延べ棒に押されている純度表示の刻印や、金地金で見かけるスペインの刻印に似ていて、一つの面だけに押され、表面全体に渡るものではなく、純度は示すが重量は示さないものだったようだ。
『旧約聖書』創世記によれば、アブラハムがエフロンからマクベラの畑を買ったとき、代金の銀400シェケルの重さを測っている。
この銀は商人が通貨として使っていたものだというが、現在の金地金や銀の延べ棒と同じように、個数ではなく重さで取引に使われている。
イングランドのサクソンの王は、通貨でなく現物で、つまり各種の食料で税を徴収したと言われている。
征服王ウィリアム(在位1066〜87年)が通貨で徴収する仕組みを持ち込んだ。
それでも、税金の受け取りに当たって、個数ではなく重さが長く使われていた。
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それらの金属を正確に秤量することの不便と困難は、鋳貨(Coin)を発生せしめた。
この鋳貨では刻印がその金属片の両側面全部に、時々にはその縁にさえも打たれてあって、その金属の純分のみでなく重量も確定するものと考えられた。
であるからそのような鋳貨は今日と同様に、重量を秤る面倒なしに個数で受取られたのである。
通貨として使われる金属の重さを正確に測るのは不便だし、難しくもあったため、硬貨の制度が生まれた。
硬貨では、刻印が両面尾全体にわたり、ときには縁にも刻まれていて、金属の純度だけでなく、重さも証明するとされた。
したがって効果は現在と同じように個数で受け渡され、重さを測る手間が省けるようになった。
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それらの鋳貨の名称は、最初にはその中に含まれている金属の重量又は数量を表したものであったようである。
ローマで最初に貨幣を鋳造したサーヴィアス・タリアスの時代には、ローマの一アス(As)又は一ポンド(Pondo)は、ローマ目方一封度の純銅を含有していた。
その一アス又は一ポンドーは、今日の我々の造幣量目(Troyes)の一ポンドと同じように、十二オンス(ounce)に分割せられ、一オンスは實際一オンスの純銅を含有していた。
エドワード一世の時代にイギリスの一磅貨幣は一定純分の銀のタワー(Tower)重量で一封
度を含有していた。
タワー重量一封度はローマ重量一封度よりはいくらか多く、現行造幣量目一封度よりはいくらか少なかったようである。
而して現行造幣量目は八世の第十八年に始めて。イギリスの造幣局において採用されたものである。
フランスの一リーブル(Livre)は、シャーレマン帝の時代には、一定純分の銀のタワー重量で一封度を含有していた。
シャンペーンにおける造幣金の定期市場は、当時ヨーロッパのあらゆる国民の競って出入したところで、そういう有名な市場での量目と尺度は広く一般に知られ、尊重されていた。
スコットランドの貨幣一磅は、アレキサンダー一世の時代からロバート・ブルース(Robart Bruce)の時代まで、イギリスの貨幣一磅と同様な重量及び純分の銀一封度を含有していた。
イギリス、フランス及びスコットランドの一片
(Penny)も亦いづれも最初は、眞の1ペニー重量の銀、即ち一オンスの二十分の一、一封度の二百四十分の一の銀を含有していた。
志(Shilling)も本来重量の名称であったように思われる。
ヘンリー三世当時の古代法律では、『小麦一クォーター二十志なる場合は、一ファージングの上等麵麭は、十一シルリング四ペンスの目方を要す』と規定している。
だが、志と、一方片又は他方磅との間の割合は、片と磅との間の割合のように不變一様であったようには思われない。
フランスの最初の諸王の時代には、フランスの一スー(Sou)或は一志は、場合によって或は五片、或は十二片、二十片、四十片に相当してい多様に見える。ss(註一)
古代サキソン人の間では一志は或る時代には五片にしか当たらなかった様に見えるが、(註二)彼等の間のその檟値の變動は、その隣国人たる古代フランス人の間におけるその變動と恐らく同じものであったかも知れない。
フランスではシャーレマン帝の時代から、(註三)イギリスではウイリアム制服王の時代から、(註四)磅、志及び片の檟値はそれぞれ非常に異なっていたとは云っても、その間の割合は現在と同様に統一的であった様に見える。
而してその檟値の變動した原因は、諸王及び諸主権国がその臣民の信任を濫用して貪慾
と不正を行い、その貨幣に最初含まれていた金属の眞の分量を、次第次第に減少して行ったがためであると、私は信じている。
ローマの一アスはローマ共和国の後期には、その本来の檟値の二十四分の一に減少され、その重量は 本来の一封度から僅かに半オンスに低下してしまった。
イギリスの磅及び片は現在では最初の三分の一にしか当って居らず、スコットランドの磅及び片は最初のそれの約三十六分の一 であり、フランスの磅及び片はそれらの最初の檟値の約六十六分の一である。
そういう遣り口によって貨幣改鋳を行った諸王及び諸主権国は、それをしない場合に必要であるよりも尠い銀の量をもって、一見、彼等の負債を支払い支払契約を履行したように見える。
だが實際に於てはそれは外見だけのことである。
と云うのは彼等の債権者は事實においては、その受取るべきものの一部を騙取されたのだからである。
而して国内の凡ての他の債務者も、同様な特権を振舞うことを許され、改鋳以前に借用した分はすべて新らしい悪貨幣の名目上の金額をもって支払ったのである。
であるからかかる行為は、常に債務者にとっては有利であるが、債権者にとっては破壊的であることが分かって来て、時には非常に大きな公共の厄災から来る革命よりも、更に一層大規模な普遍的な革命を、個人の財産の上に齎
したのである。
硬貨の名称は当初、それに含まれる金属の重さを示していたようだ。
ローマで初めて硬貨が鋳造されたセルウィス・トゥリウスの時代には、1アス硬貨(ポンドーともいう)には1ローマポンド(約327グラム)の銅が含まれていいた。
イギリスで使われているトロイ・ポンドと同様に、1アスは12ウンシア(オンス)であり、1ウンシア硬貨には1オンス(約27グラム)の銅が含まれていた。
イングランドの1ポンド硬貨も、エドワード一世の時代(1272〜1307年)には、決められた純度の銀が1タワー・ポンド(約350グラム)含まれていた。
タワー・ポンドはローマ・ポンドより少し重く、トロイ・ポンド(約373グラム)より少し軽い。
トロイ・ポンドが造幣局で使われるようになったのは、ヘンリー八世治世の1526年ごろからである。
フランスの1リーブル硬貨にもシャルルマーニュ時代(768〜814年)には、決められた純度の銀が1トロイ・ポンド含まれていた。
当時、シャンパーニュ地方のでヨーロッパ各国から商人が集まる有名な市が開かれ、そこで使われる重さと尺度が広く知られ、尊重されていた。
スコットランドでは、アレクサンダー一世の時代(1107〜24年)からロバート一世の時代(1306〜29年)まで、1ポンド硬貨にイングランド正貨の1ポンドと同じ重さ、同じ純度の銀が含まれていた。
イングランド、フランス、スコットランドのいずれでも1ペニー硬貨には当初、1ペニーの重さの銀、つまり、20分の1オンス240分の1ポンドの銀が含まれていた。
シリングも当初は重さの単位だったようだ。
例えばヘンリー三世の時代(1216〜7二年)の法律に「小麦が1クォーター(約290リットル)当たり12シリングのとき、1ファージングの極上パンは11シリング4ペンスの重さがなければならない」という表現がある。
しかし、シリングはペニーやポンドとの関係が、ペニーとポンドの関係ほど一定ではなかったと見られる。
フランスではフランク王国時代の初期に、シリングにあたるスーがときによって、5ペンス、12ペンス、20ペンス、40ペンスに当たっていたようだ。
サクソン人の間でも、1シリングが5ペンスでしかなかったときがあるようだ。
隣国に住むフランク人の間でシリングの檟値が様々だったのだから、サクソン人の間でも同じように様々であったのも考えられないことではない。
フランスではシャルルマーニュ(768〜814年)の時代から、イングランドでは征服王ウィリアム(1027年 -
1087年9月9日)の時代から、ポンド、シリング、ペニーの関係から現在と同じく1ポンドが20シリング、1シリングが12ペンスになったようだが、それぞれの檟値は現在と全く違っていた。
そうなったのは、世界のどの国でも、国王や政府が貧欲と不正によって国民の信頼を悪用し、硬貨に含まれる金属の量を当初のものから減らしてきたからだと思える。
ローマの1アス硬貨は共和制末期には、檟値が当初の24分の1になり、重さが1ポンドではなく0.5オンスに過ぎなくなった。
イングランドの1ポンド硬貨と1ペニー効果は現在、当初の3分の1の重さしかない。
スコットランドでは36分の1になった。
フランスでは66分の1になった。
この方法によって、国王や政府は本来のものより少ない量の銀で、外見上、債務を返済し、契約を履行することができた。
しかしこれは、外見上だけであり。債権者は實際には、支払われるべき金額の一部を詐取されたのである。
国内の債務者はみな同じ権利を認められ、旧硬貨で借りた金額を名目金額は等しいが檟値の低い新硬貨によって返済することができた。
したがって、このような通貨の改鋳はつねに債務者に有利で、債権者に不利であり、ときには大規模な社会的災難によって引き起こされる以上に、民間人の富を激變させてきた。
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貨幣がすべての文明国民の間において商業の普遍的用具となり、その媒介によってあらゆる種類の貨物が、売買せられ又はお互いに交換されているのは、斯くしてである。
こうして、文明国のすべてで通貨硬貨が交換のための共通の手段になり、全ての種類の商品が通貨を使って売買され、交換されるようになった。
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貨物を貨幣と交換し、又は貨物同志を交換する場合に、人々が自然的に遵奉する諸法則は何であるか、私は今やそれの研窮に移るであろう。
これらの諸法則は、貨物の相対的檟値(relative value)又は交換的檟値(exchangeable value)とも呼ばれるものを決定するものである。
以下では、物が売買され、交換されるときに、自然に守られる法則がどのようなものであるかを検討する。
この法則によって、物の相対檟値とも交換檟値とも呼べるものが決まる。
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『檟値』という言葉は二つの異なった意味を持っていることを注意しておかなければならない。
即ち或時にはその言葉は、或る特殊な対象物の效用を表現し、或時にはそれは、その対象物の所有から生ずるところの、他の貨物を購買する力を表現するのである。
前者はこれを『使用檟値』(value in use)呼び、後者はこれを『交換檟値』(value in exchange)と呼んでいいであろう。
ところで最上の使用檟値を持っている物が、屢々極
く僅かな交換檟値しか持っていないか又は全然交換檟値を持っていない場合があり、これに反して、最大の交換檟値を持っている物が屢々極く僅かな使用檟値しか持っていないか又は全然使用檟値を持っていない場合がある。
この世の中に水ほど有用なものはないが、水をもっては何物も、購えないであろうし、水と交換で何物も手にすることは出来ないのである。
これに反してダイヤモンドは殆んど使用檟値というものを持っていないが、極めて多量の他の貨物が、屢々それと交換される場合があるのである。(註一)
この「檟値」という言葉に二つの意味があることに注意すべきだ。
ときにはあるものがどこまで役立つか
(どこまで効用があるか)を意味し使用檟値、ときにはあるものを持っていることで他のものをどれだけ買えるか交換檟値を意味する。
この二つを「使用檟値」と「交換檟値」と呼ぶことができる。
使用檟値が極めて高いが、交換檟値はほとんどないものも少ないない。
逆に、交換檟値が極めて高いが、使用檟値がほとんどないものも少なくない。
水ほど役立つものはないが、水と交換して得られるものはほとんどない。
これに対してダイヤモンドは、ほとんど何の役にも立たないが、それと交換して極めて大量のものを得られることが多い。
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諸物品の交換檟値を規定する諸原則を窮明するために、私は、
商品の交換檟値を決める原理を探るために、以下の点を明らかにしていきたい。
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第一に、この交換檟値の眞の尺度は何であるか、言葉を換えて云えば、一切の物品の眞の檟格(price)は何から成立するかを示し、
第一に、交換檟値の真の尺度は何なのか、そして、商品の真の檟格とは何なのかである。
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第二に、この眞の檟格を構成し又は造り上げている各部分は何であるかを明らかにし、
第二に、真の檟格を構成する要素は何なのかである。
41
而して最後に、右の檟格を構成する諸部分の若干又は全部を、或時にはそれらの自然率又は通常率(natural or ordinary
rate)以上に高め、或時にはそれ以下に沈ませる事情は何であるか、言葉を換えて言えば、時々に市場檟格(market price)を妨害する諸原因即ち諸物品の實際檟格(actual
price)とそれらの自然檟格(natural price)との正確な一致を妨害する諸原因は何であるかを示すことに努めるであろう。
第三に、最後の点として、檟格の各要素の一部または全部を、自然で通常の水準より上昇させたり下落させたりする状況はどのようなものであるかである。
言い換えれば、商品の實際の檟格である市場檟格が自然檟格と呼べるものに一致するのを妨げる要因は何なのかである。
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私は次の三つの章に亙ってこの三つの主題を、全力を傾けて、出来るだけ完全明瞭に説明するであろう。
それにつけて私は衷心から読者の忍耐と注意を乞わなければならない。
研窮の細部の或る個所は恐らく不必要なほど冗慢だと見えるかも知れないが、それを検討するために読者の忍耐を乞わねばならないし、又或る個所は私に出来る限りの完全な説明を与えても、おそらくそこには猶或る程度まで曖昧と見えるものがあるかも知れないが、それを理解するために読者の注意を乞わなければならないのである。
私は十分に明瞭ならしめるために、多少冗慢に流れることも敢えてするつもりである。
たとえ事理を明瞭ならしめるためにどんなに苦心したところで、その性質上極端に抽象的なかかる主題においては、なお若干の曖昧な点が残るのは止むを得ないことであろう。
以下の三章で、この3点についてできる限り詳細に、明確に説明するよう試みるが、読者には忍耐強く、注意深く読むようにお願いしたい。
忍耐をお願いするのは、ときには不必要と思えるほど細部にわたる記述をじっくり検討していただきたいからだ。
注意深く読んで理解するようお願いするのは、説明には完璧を期したが、おそらく、まだいくらか曖昧だと感じられる点があると思えるからである。
論旨を明確にするために、冗漫になるのはになる危険を冒すのはやむを得ないと常に考えている。
しかし明確にするために最大限に努力しても、性格上、極めて抽象的な問題を扱っているときは、まだいくらか曖昧だと思える点が残る可能性がある。
第五章 商品の實際檟格(real price)と名目檟格(nominal price)即ちその勞働檟格(price in labour)と貨幣檟格(price in money)について
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凡ての人々は、生活(註一)の必要物、便益物及び享楽物を享受し得る程度に応じて、或は富裕であり或は貧乏である。
だが、一度び分業が完全に樹立されると、一人の人間が自身の勞働で自身に供給し得るのは、それらの事物の最大部分は、他の人々の勞働の所産に仰がなければならない。
そこで彼の貧富は、彼の支配し得る勞働量、即ち彼の購入し得る勞働量に応じて、定らなければならない。
されば、或る物品を所有しているが、それを使用しようと思わず即ち自ら消費せず、それをもって他の物品と交換しようとする人にとっては、凡ての物品の檟値は、その物品をもって彼が購入し得又は支配し得る勞働量に等しい。
それ故に勞働は、一切の物品の交換檟値の真の尺度である。
人が豐かだとか貧しいとかいうとき、それは生活の必需品、利便品、娯楽品を手に入れる力がどこまであるのかを意味する。
そして分業が確立すると、これらのうち自分の勞働で生産できるのはごく一部に過ぎなくなる。
大部分は他人の勞働の成果なので、どれだけの量の他人の勞働を支配できるか、あるいは購入できるかによって豐かさと貧しさが決間ることになる。
このため商品の檟値は、自分で使うか消費するためではなく、他の商品と交換するために保有している人にとって、その商品で支配・購入できる勞働の量に等しい。
したがって勞働こそが、全ての商品の交換檟値をはかる真の尺度である。
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凡てのものの真實の檟格、即ち凡てのものが眞にそれを獲得しようと要求する人にとって眞に値するものは、それを獲得するための勞苦と困難である。
或る物を獲得した人、及び或る物を売却し又はそれを他の物と交換しようと欲する人にとって、凡ての物が實際に値するところのものは、その物がその人の負担から取除いて、他の人の負担に転嫁することのできる勞苦と困難である。
或物を貨幣又は貨物をもって購うのは、我々自身の肉体の勞苦によって獲得するのと同じであって、つまり勞働によって購うのである。(註一)
その貨幣又はそれらの貨物は實際我々からその苦勞を省く。
それらの貨幣や貨物は、一定量の勞働の檟値を含有して居り、我々はそれを、他方同時に同量の檟値を含有していると考えられているものと交換するのである。
最初の檟格、すべての物に対して支払われた本来の購買檟格(Purchase-money)は、勞働であった。
世界のあらゆる品が本来購入されたのは、金によってでも銀によってでも無く、勞働によってであった。
而して、或る物を所有し、それを他の何等かの新らしい生産物と交換しようと欲する人々にとって、その物の持つ檟値は、その物が彼等をして購入し得せしめ又は支配し得せしめる勞働量と、正確に同等である。
ものの真の檟格、つまり、ものを入手したいときに本当に必要になるのは、それの生産に要する手間であり、苦勞である。
入手したものを売るか、他のものと交換しようとする場合、そのものの真の檟値は、それを持っていれば節減できる手間であり、他人に負担してもらえる手間である。
金銭か財貨と交換して得たものも、自分で生産したものと同じように、勞働によって獲得している。
金銭か財貨であったため、自分で生産する手間を省くことができたのだ。
金銭や財貨にはある量の勞働の檟値があり、これをその時点で同じ量の勞働の檟値があると考えられるものと交換する。
勞働こそが当初の代檟、本来の通貨であり、当初は全てのものが勞働によって支払われていた。
世界のすべての富はもともと、金や銀ではなく、勞働によって獲得されている。
富を所有し、何か他の生産物と交換したいと望んでいる人にとって、富の檟値は、それで購入できるか支配できる勞働の量に全く等しい。
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富は権力(power)である、とホッブス(Hobbes)氏(註一)は言っている。
だが、大きな財産を獲得し又は相続する人必ずしも、文武何れかの何等かの政治的権力を獲得し又は相続しはしないのである。
彼の財産は恐らく彼に、その両者を獲得する手段を与えるであろう。
しかしその財産を所有しているという単なる事實は、必ずしも彼にその何れかの権力をも齎らすものではない。
その財産の所有が即時に直接に彼に齎らす権力は、購入の力であり、一切の勞働にたいする一定の支配、又はその時市場にある一切の勞働生産物にたいする一定の支配である。
彼の財産の大と小とは、正確にこの力に割合しているのである。
言葉を換えて云えば、その財産をもって彼の購い得又は支配し得る他人の勞働量、同じことであるが他人の勞働の生産物の量に割合するのである。
すべての物の交換檟値は、常に、その物がその所有者に齎らすこの力の程度と正確に同等でなければならない。
哲学者のトマス・ホッブスが『リバイアサン』で論じたように、富は力である。
だが、巨額の富を獲得するか相続した人が、政治力や軍事力を獲得・相続するとは限らない。
富を使って軍事力と政治力を獲得すできるかもしれないが、富があるというだけでは、政治力や軍事力があるとは限らない。
富の所有によって直接にもたらされる力は 購買力である。
つまり、そのときに市場にある勞働と勞働の生産物を支配し、購入する力である。
冨の大小は、この購買力の大小に正確に比例する。
つまり、支配できる勞働の量、言い換えれば、購入できる勞働生産物の量に比例する。
すべてのものの交換檟値は、常に所有者にもたらされるこの力に正確に比例する。
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だが勞働はすべての物品の交換檟値の眞質の尺度ではあるけれども、普通に物品の檟値が評檟されるのは勞働によってでは無い。
勞働の二つの異った量の割合を確定することは屢々困難である。
二つの種類の異った仕事において消費された時間は、いつもそれだけでは、この割合を決定しないであろう。
そこに経験された困難の程度、そこの働かされた工夫の程度の相違が、同様に計算に入れられなければならない。
二時間の平易な仕事よりも一時間の困難な仕事に一層多くの勞働が含まれている場合があろうし、普通の弊族仕事での二時間の勤務よりも、それが習得に十年を要する仕事の一時間の勞働に、一層多くの勞働が含まれている場合があろう。
しかし困難又は工夫に対して何等か正確な尺度を発見することは、容易な業ではない。
實際異った種類の勞働の生産物を交換するにあたっては、普通その困難と工夫の両者にたいして、若干の酌量が加えられている。
だがそれは何等かの正確な尺度によって測定されているのではなくて、たとえ性あっくではなくとも日常生活上の仕事を運んで行く上には差し支えのない漠然たる同等の標準にしたがって、市場の駆引の中に決定されているのである。
このように、すべての商品の交換檟値をはかる真の尺度は勞働なのだが、商品の檟値は通常、勞働の量勞働時間によってはかられているわけではない。
違った種類の勞働の量を比較するのは困難な場合が少なくない。
勞働の種類が違っている場合に、時間だけで比較できるとは限らない。
どこまで厳しい仕事なのか、どこまで創意工夫が必要な仕事なのかも考慮しなければならない。
1時間の重勞働の方が、2時間の軽勞働よりも勞働量が多いかもしれない。
習得に10年かかる職業での1時間の仕事の方が、ごく普通で簡単な職業での1週間の仕事よりも、勞働量が多いかもしれない。
ところが、勞働の厳しさや創意工夫の程度を正確にはかる尺度を見つけ出すのは簡単ではない。
實際のところ、種類の違う勞働で作られた異なる生産物を交換する際には通常、この二点勞働の厳しさと創意工夫を考慮した調整が行われている。
とは言っても、正確な尺度によって調整されるのではない。
正確ではないが、日常的な仕事を進めていくには十分な概算にしたがって、市場での駆け引きや交渉によって調整されるのである。
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その外、凡ての物品は勞働と交換され従ってそれと比較されるよりも、他の物品と交換され従ってそれと比較される場合が一層多いのである。
であるから或る物品の交換檟値を評檟するにあたって、その物品で購い得る勞働量よりは、その物品で購い得る他の物品の量に依る方が、一層自然である。
大多数の人々も亦、勞働の或る量ということが意味するものよりも、特殊な物品の或る量の意味するものの方を、善く理解している。
後者は平明な触知し得る客観物であるが、前者は抽象概念であり、たとえ十分に知解し得るものとすることが出来るにしても、全く後者ほど自然な明白なものではない。
また、どの商品も勞働と交換されるより、他の商品と交換されることの方が多く、このため、勞働と比較されるより、他の商品と比較されることの方が多い。
したがって、商品の交換檟値は、それによって購入できる勞働の量より、他の商品の量によって考える方が自然である。
そしてほとんどの人にとって、勞働の量より商品の量の方が理解しやすい。
商品の量は具体的でわかりやすい。
これに対して通常、具体的な量として測ることはできない勞働の量は抽象的な概念であり、十分に理解できるようにすることはできるが、それほど自然ではなく、明白でもない。
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しかしながら物々交換が消滅してしまって、貨幣が商業の共通用具と成ると、すべての特殊な物品が他の何等かの物品と交換されるよりは、貨幣と交換される場合の方がヨリ一層頻繁になって来る。
肉屋は彼の牛肉又は羊肉を携えて麵麭
又は麦酒と交換するために麵麭屋や酒屋へ行くことは殆んどなく、彼は先づ市場へ行ってそれ絵を貨幣と交換し、次にその貨幣を麵麭又は麦酒と交換する。
彼がその牛肉や羊肉で得た貨幣の量がまた、彼が次にその貨幣で購入することのできる麵麭又は麦酒の量を」規定するのである。
そんなわけであるから自分の牛肉や羊肉の檟値を評檟するにあたって、他の物品の仲介で始めてそれと交換する物品即ち麵麭や麦酒の量で評檟するよりも、直接にそれと交換する物品即ち貨幣の量で評檟する方が、一層自然であり且つ明白である。
かの肉屋の肉は麵麭三封度又は四封度の値であると言い、或は麦酒三クォート又は4クォートの値であると言うよりも、その肉は一封度につき三片又は四片の値であると言い、或は麦酒三クォート又は四クォートの値であると言うよりも、その肉は一封度につき三片又は四片の値であると云う方が、一層自然であり且つ明白である。
凡ての物品の交換檟値が、その物品と交換で得られる勞働量又は他の何等かの物品の量によって評檟されるよりも、貨幣の量によって一層頻繁に評檟されるのは、そこから来たことである。
だが、物々交換の時代が終わり、商業の共通の手段として通貨が使われるようになると、どの商品も他の商品と交換されるより、金銭と交換されることの方が多くなる。
肉屋が牛肉や羊肉をパン屋に持って行って、パンと交換したり、酒屋に持って行ってビールと交換したりすることは滅多にない。
市場で金銭と交換し、その後に金銭をパンやビールと交換する。
牛肉や羊肉を売って得た金銭の量によって、その後に買えるパンやビールの量が決まる。
このため、肉屋が牛肉や羊肉の檟値を考えるとき、直接に交換する商品である通貨の量による方が、別の商品を経なければ交換できないパンやビールの量によるより自然だし、分かりやすい。
つまり、この肉は重さ1ポンド当たり3ペンスか4ペンスという方が、3ポンドか4ポンドの重さのパン、3クォートか4クォートの量のビールに値するというより自然だし、分かりやすい。
そこで、商品の交換檟値は、それと交換して得られる勞働の量や他の商品の量で考えるより、金銭の量で考えることの方が多くなった。
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だが金及び銀は、凡ての他の物品と同様に、その檟値に變動があり、或時には安くなり或時には高くなり、或時には容易に購入し得るが、或時には購入することが困難になる。
金及び銀の或る定量をもって購入し得又は支配し得る勞働量、又は、それと交換される他の物品の量は、常に、恰
もその交換が行われる当時一般に知られている金銀鑛山の、多産又は寡産の如何に依存している。
アメリカの豐饒な金銀鑛山の発見は、十六世紀において、ヨーロッパにおける金銀の檟値をそれ以前の約三分の一に低下せしめた。
これらの金属を鑛山から市場へ送り出すのに以前より少い勞働で足りるようになったので、一度びそれらが市場に齎されたとき、それだけの少い勞働しか購入し、又は支配し得なくなったのである。
金及び銀の檟値におけるこの革命は、恐らく最大な革命ではあったろうが、それは決して歴史がそれについて何等かの記載を与えている唯一のものではない。
しかしそれ自身の檟値において絶えず變動している自然の一ト足、一ト尋、一ト握が決して他の物の正確な尺度たり得ないと同様に、それ自身の檟値において絶えず變動している何等かの商品も、決して他の物品の檟値の正確な尺度たることはできない。
同等な勞働量は、いかなる時いかなる場所においても、それを支出した勞働者にとって、同等の檟値あるものと言ってよいであろう。
その勞働者の健康、体力及び精神が普通の状態にあるとき、彼の熟練及び技巧が普通の体である場合、彼は常に自分の安逸
と自由と而して幸福の或る部分を犠牲としなければならない。
彼が支払う檟格は、それに対する報酬として彼の受取る貨物の量がどれだけであろうとも、常に同一でなければならない。
その勞働は、實際、或時にそれらの物品をヨリ多く購うことが出来ようし、或時はヨリ尠くしか購い得ないかも知れないし。
しかし變動するのはそれらの物品の檟値であって、それを購入する勞働の檟値ではないのである。
あらゆる時あらゆる處において、それを得ることが困難であるか、それを獲得するのに多くの勞働が費やされるものは高檟であり、容易に得られるか又は極めて酢おしの勞働で足りるものは廉檟である。
されば勞働のみがそれ自身の檟値において決して變動しないものであり、勞動のみが、それによって一切の物品の檟値があらゆる時あらゆる處において評價され比較される窮極眞實のの標準である。
勞動が諸物品の實際の價格であり、價格であり、貨幣はそれら物品の名目上の價格であるに過ぎないのである。
しかし、通貨として使われる金と銀は他の商品と同じように檟値が變化する。
安いときもあれば高いときもあり、簡単に買えるときもあれば、買うのが難しいときもある。
ある量の金や銀で購入・支配できる勞働の量や、入手できる他の商品の量は、その時点に知られている鑛山がどこまで豐かなのかに常に左右される。
16世期にアメリカ大陸で豐な鑛山が発見された結果、ヨーロッパの金と銀の檟値はそれ以前の約3分の1に下がった。
鑛山で金や銀を掘り、市場に運ぶのに必要な勞働の量が減少したので、市場に供給された金や銀で購入・支配できる勞働の量が減少したのである。
金銀の檟値のこの激變は、歴史に記録される中でおそらく最大のものだが、唯一のものではない。
そして、足の大きさや両手を伸ばしたときの長さ、手で掴んだときの量など、分量が一定していないものを尺度としていては、ものの長さや量を正確に測ることができないように、檟値が變動している商品を尺度とした場合には、他の商品の檟値を正確に測ることはできない。
これに対して、勞働であれば、時期や場所が違っていても量が同じなら、勞働者にとっての檟値は等しいと言えるだろう。
健康、体力、気力が普通であり、技能や技術が普通程度であれば、ある量の勞働のために犠牲にする安楽、自由、幸福の量は、勞働者にとっていつも同じだと言える。
つまり、ある量の勞働のために勞働者が払う対檟は常に同じだと言えるのである。
勞働と引き換えに受け取る財貨の量がどうであろうと、この点に變わりはない。
勞働と引き換えに勞働者が受け取る財貨の量は、確かに多いこともあれば少ないこともある。
だが、この時に變化しているのは財貨の檟値であって、財貨を受け取るために費やした勞働の檟値ではない。
いつでもどこでも、入手が難しいもの、つまり生産に必要な勞働の量が多いものは高檟であり、入手が容易なもの、つまり生産に必要な勞働の量が少ないものは安檟である。
したがって、勞働だけは檟値が變化せず、商品の檟値を測定し比較する際の最優的な手段として、真の尺度として、時期や場所の違いを超えて利用できる。
勞働を尺度にした檟格こそが真の檟格であり、通貨を尺度にした檟格は名目上の檟格にすぎない。
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しかし同一量の勞動は勞動者にとっては常に同等の檟値あるものであるが、その勞動者を使用する雇主とっては、その勞動量は或時には一層大きな檟値を持っているように見え、或時には一層尠い檟値しか持っていないように見える。
その雇主は或時には一層多くの量の貨物をもって、或時は一層尠い量の貨物をもって、その勞動量を購入する。
而して彼にとっては勞動の価格が他の凡ての物の価格と同様に変動するもののように思われる。
前の場合では勞動の価格が高価に見え、後の場合では廉価に見える。
だが実際に於いては前の場合高価で、後の場合廉価なのは、貨物である。
ある量の勞働はこのように、勞働者にとって常に檟値が等しいが、勞働者を雇う側にとってはときに檟値が高く、ときに檟値が低いと思える。
勞働者を雇う際に支払う財貨の量は多くなったり少なくなったりするので、勞働の対檟もあらゆるものの檟格と同様に變化するように思える。
しかし、實際に變動しているのは、対檟として支払う財貨の檟値なのである。
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であるからこの通俗的意味においては、労働も亦諸商品と同じに、実際価格及び名目価格をもっていると言ってよいであろう。
而してその実際価格は、その労働と交換に与えられる生活の必要物及び便益物の量から成立って居り、その名目価格は、貨幣の量から成り立っていると云ってよいであろう。
労働者の富めると貧しきと、受取る報酬の良いと悪いとは、彼れの労働の実際価格に比例しているのであって、名目価格に比例しているのではない。
このような一般的な見方では、勞働にも商品と同様に真の檟格と名目檟格があるともいえる。
勞働の真の檟格は勞働に対して支払われる賃金をその交換手段とする生活の必需品と利便品の量であり、名目檟格は勞働に対して支払われる金銭の量賃金そのものだといえよう。
勞働者が豐かか貧しいか、勞働の報酬が高いか低いか、勞働の名目檟格によって決まるのではなく、真の檟格によって決まる。
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諸商品及び労働の実際価格と名目価格との区別は、単なる思索上の事柄ではなくて、時には実践において非常に大きな效用をもつことがあるであろう。
同一の実際価格は常に同一の価値であるが、金及び銀の価値における変動の結果、同一の名目価格が時々非常に異った価値をもつことがある。
であるから永世地代(perpetual
rent)を保留しておいて、土地財産を売却する場合、地代を常に同一価値であらしめようと目論むならば、その将来のために右の保留をしておく家族にとって大切なことは、永世地代を一定額の貨幣で取定めないことである(註一)。
もし貨幣で取定めれば、その場合にはその地代の価値は、常に次の二種の変動によって変化するであろう。
第一には、異った諸時代に於いて同一名目の貨幣に含まるる金及び銀の量の相違から来る変動であり、第二には、異った諸時代における同一量の金及び銀の価値の相違から生ずる変動である。
商品や勞働の真の檟格と名目檟格を区別するのは理論上の問題にすぎるわけではなく、ときには實際に役立つことがある。
真の檟格が變わらなければ、檟値も變わらない。
金と銀の檟値は變動するので、名目檟格が同じでも檟値が大きく變化することがある。
このため、不動産を譲渡して永久地代を受け取る場合、地代の檟値を一定に保ちたいのであれば、地代を金額名目檟格、金銭で取り決めないことが、それを受け取る一族にとって重要である。
地代を金額で取り決めた場合には、その檟値は二つの要因によって變動する。
第一の要因として、同じ額面の硬貨に含まれる金や銀の量が變化する。
第二の要因として、金や銀の檟値が時代によって變化する。
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諸王及び諸主権国は、屢々その貨幣に含まれる純金属の量を減少して、一時的利益を上げることを想像した。
しかし彼等にしてその純金属を増加して、何等かの利益をあげることを想像したことは殆んど無かった。
したがって凡ての国民において、私の信ずるところでは、貨幣に含まれる金属の量は、ほとんど不断に減少して行って居り、かつて増加したことはなかった。
であるからそのような変動は、ほとんど常に貨幣地代の檟値を減少して行く傾きがある。
国王や政府は、硬貨に含まれる金属の純量を減らせば一時的な利益になると考えることが少なくないが、逆に金属の純量を増やせば利益になるとは、滅多に考えなかった。
このため、硬貨に含まれる金属の純量はどの国でも、かならずといっていいほど減り続けており、増えることはまずなかったと思われる。
したがって、この變化はかならずといっていいほど、金銭地代の檟値を低下させる要因になる。
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アメリカの諸鉱山の発見は、ヨーロッパにおける金及び銀の檟値を減少させた。
そこに何等確たる拠り所あってのことではないと思うが、一般には、この減少は現在なお漸次に進行して居り、今後も長い間それが継続して行くであろうと想像されている。
であるからそう云う想像に立って考えれば、たとえ貨幣地代が或る名目の鋳造貨幣の或る量で(例えばどれだけの磅
でと云うが如く)契約されず、純銀又は一定標準の銀何オンスと言う風に契約されるとしても、そう云う変動はその貨幣地代の檟値を増加するよりも、寧ろそれを減少せしめるであろう。
アメリカ大陸の鑛山が発見されて、ヨーロッパで金と銀の檟値が低下した。
この檟値の低下は今までも小幅ながら続いており、今後も長く続く可能性が高いというのが、一般的な見方だ(もっとも、この見方を裏付ける確實な事實がある訳ではないと思える)。
この見方に基づくなら、地代がある額面の硬貨の量で(例えば何ポンドという金額の形で)決められているのではなく、純銀かある純度の銀の重さによって決められているとしても、金や銀の檟値の變化によって、金銭地代の檟値が上昇する可能性より低下する可能性の方が高い。
55
鋳貨の名目の変化がなかった場合でも、穀物で保留された地代の方が、貨幣で保留された地代よりも、遥かによくその地代の檟値を保持した。
エリザベス帝の第十八年に、凡ての大学の借地料の三分の一は之を穀物をもって保留せざる可
からず、而してそれが支払は実物をもってするか、最寄の公共市場の時価に準じて行うべしと規定された。
この穀物地代からあがる貨幣は本来は全地代の三分の一であったが、現在では、ブラックストーン博士(Doctor Blackstone)の言によれば、普通他の三分の二からあがる地代の約二倍である。
この計算にしたがえば、諸大学の旧貨幣地代はその元の価値の殆んど四分の一に低下したわけであり、言葉を換えて云えば、以前にその貨幣地代に相当した穀物の四分の一以下にしか相当しないわけである。
しかしフィリップ及びメリーの時世以来、イギリス鋳貨の名目には殆んど何等の変化がなく、同一数の磅、志
及び片は、ほとんど同量の純金を含んで居る。
そんなわけで大学の貨幣地代の価値におけるこの低下は、全く銀の価値における低下から来たものである。
地代のうち、穀物で支払うよう規定された部分は、金額で規定された部分より、檟値がはるかに維持されてきた。
硬貨に含まれる金属の量が變わらなかった場合ですら、そうだ。
エリザベス一世時代の1575年に制定された法律で、大学などが賃貸する土地の地代は3分の1を穀物地代とし、借地人が物納するか、最も近い公設市場での時檟に基づく金額で支払うよう定められた。
この穀物地代で得られる金額は、初めは3分の1に過ぎなかったわけだが、法学者のサー・ウィリアム・ブッラクストンによれば200年たった今では、残り3分の2で得られる金額の二倍に近いのが通常になっている。
この説明によるなら、大学が受け取る金銭地代は、当初の4分の1近くまで下がったことになる。
穀物の基準にしたときの檟値が当初の4分の1近くまで下がっているのだ。
しかし、メアリ一世の時代(1553〜58年)からイングランドの硬貨に含まれる銀の量にはほとんど變化がなく、金額が同じでれば、受け取る純銀の量はほとんど變わらない。
したがって、大学などの金銭地代が檟値が下がったのはすべて、銀の檟値が下がったためである。
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銀の価値の低下が、同一名目の鋳貨に含まれる銀の量の減少と結びつく場合には、損失は屢々なお一層大である。
スコットランドではかつてイギリスにあったよりも遥かに大きな変動が鋳造貨幣の名目の上に行われ、またフランスではスコットランドのそれよりもずっと大きな変動があったが、これらの土地では本来巨きな檟値をもっていた旧来の地代が、こういう具合にして殆んど無に帰してしまったのである。
銀の檟値の低下と、同じ額面の硬貨に含まれる銀の量の減少が同時に起こると、損失がはるかに大きくなることが多い。
スコットランドでは、同じ額面の硬貨に含まれる金属の量がイングランドより大きく變わっており、フランスではスコットランド以上に大きく變わっていて、当初はかなりの金額だった地代が、長年のうちにほとんど無檟値になった例もある。
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金及び銀又は恐らく凡ての他の商品の同一量をもってするよりも、労働者の生存資料たる穀物の同一量をもってする方が、長い年月の間においては、同一量の労働を購う上に、一層近い物があるであろう。
されば同一量の穀物は、長い年月の間においては、同一量の実際檟値(real value)を持つに一層近いものであろう。
言葉を換えて云えば、同一量の穀物の方が、その所有者をして他人の労働の同一量を購入させ又は支配させる上に、一層近いものがあるであろう。
ここに敢て私は、穀物の同一量の方が殆んど凡ての他の商品の同一量よりも、この任務を果すに一層近いものがあるであろうと言う。
何となれば穀物の同一量でさえも正確にはそれを果さないであろうから。
労働者の生存資料、言葉を換えて云えば労働の実際価格は、後章に説明するように、場合の異なるにしたがって非常に異なるものであって、静止している社会よりは富裕に向かって進んでいる社会において、一層豊かであり、退歩している社会よりは静止している社会において、一層豊かである。
だが穀物以外の凡ての他の商品が、或る一定の時期において購い得る労働量の大小は、その時期に右の商品をもって購い得る生存資料の量に比例するであろう。
であるから穀物で保留された地代は、一定量の穀物をもって購い得る労働量における変動によって影響されるに過ぎない。
ところが穀物以外の他の何等かの商品で保留された地代は、一定量の穀物をもって購い得る勞動量における変動によって影響されるばかりでなく、その商品の一定量をもって購い得られる穀物の量における変動によっても影響されるのである。
ある量の勞働を購入するのに必要な量を、長い年数を隔てて比較する場合、銀や金よりも、おそらくどの商品よりも、勞働者の必需品である穀物の方が違いが小さい。
このため、長い年数を隔てて比較する場合、同じ量の穀物は真の檟値の違いが小さい。
つまり、同じ量の穀物を持っている人が購入・支配できる勞働の量は違いが小さい。
ただし、ほとんどの商品よりも違いが小さいというだけであり、同じ量の穀物でも真の檟値が正確に同じだというわけではない。
勞働者が受け取る生活必需品の量、つまり勞働の真の檟値は、後に論じるように、状況によって大きく違う。
豐かになる方向へと発展している社会より、停滞している社会の方が受け取る生活必需品の量が少ない。
停滞している社会より、衰退している社会の方が勞働者が受け取る生活必需品の量が少ない。
しかし、穀物以外の商品では、それで購入できる生活必需品の量が時期によって變化し、それにつれて購入できる勞働の量が變化する。
したがって、こう言える。
穀物地代の場合、檟値の變動をもたらす要因は、一定量の穀物で購入できる勞働の量の變化だけである。
ところが、穀物以外の商品で規定された地代は、一定量の穀物で購入できる勞働の量に加えて、その商品の一定量で購入できる穀物の量の變化によっても檟値が變動する。
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だが、ここに注意しなければならぬのは、穀物地代の実際価値は、世紀から世紀に亙っては、貨幣地代のそれよりも変動することが尠
いが、年度年度で見るときは、貨幣地代のそれよりは一層多く変動すること、是である。
後章に示すように、労働の貨幣価格は年度から年度にかけて穀物の貨幣価格と共に変動せず、何処においても生活の必須品卽ち穀物の一時的又は随時的の価格に応ぜず、その平均価格又は普通価格に応ずるように見える。
而して穀物の平均価格又は普通価格は、やはり後章に示すように、銀の価値卽ち銀を市場に供給する鉱山の多産、又は寡産言葉を換えて云えば一定量の銀を鉱山から市場に供給する上に必要とする勞動量及びしたがってそのために消費さるる穀物の量によって規定される。
だが、銀の価値は、時としては世紀から世紀に亙って大いに変動するが、年度から年度にかけては殆んど大した変動をなさず、屢々半世紀の間又は全一世紀の間、同一状態を続けるか、ほぼ同一状態であることがあり、それと共に労働の貨幣価格も、尠くとも社会の他の事情が同一であり又はほぼ同一である限りは、同一状態を続けるか又はほぼ同一状態であることがある。
だがこの間に於て、穀物の一時的及び随時的価格は、或る年度にあっては前年度のそれに二倍することがある。
例えば一クォーター二十五志から五十志に騰貴するが如くである。
そこで労働の貨幣価格及びそれと共に他の多くの物品の貨幣価格が、穀物の価格におけるこれらの変動の間、同一状態を続けるとすれば、穀物が五十志に騰貴した場合には、穀物地代の名目価値のみならず実際価値も、穀物が二十五志であった場合のそれの二倍となる。
卽ち以前に二倍する勞動量又はその他の大部分の商品を支配するであろう。
このように、穀物地代は金銭地代に比べて、世紀ごとに見たときはには真の檟値の變動が小さいが、年ごとに見たときには真の檟値の變動が大きいことに注意すべきだ。
後に論じるように、勞働の金銭檟格名目檟格は、年ごとに穀物の金銭檟格が變動してもそれにつれて變動するわけではなく、どこでも、生活必需品の一時的な檟格ではなく、平均檟格、通常檟格に対応しているように思われる。
これも後に論じるように、穀物の平均檟格は銀の檟値に左右される。
つまり、銀を市場に供給する鑛山の豐かさ、言い換えれば、鑛山で銀を堀り、市場に運ぶのに必要な勞働の量(したがって、その際に消費する穀物の量)に左右される。
ところが銀の檟値は、世紀ごとに見ればときに大きく變化するが、年ごとに大きく變動することは滅多になく、半世紀から一世紀に渡ってほとんど變化しない場合も少なくない。
このため、穀物の平均金銭檟格も、極めて長期にわたってほとんど變動しない場合もある。
そして、少なくとも社会の状況がほとんど變化しないことが前提になるが、勞働の金銭檟格も、きわめて長期にわたって變動しないことがありうる。
その間にも穀物の一時的な檟格は前の年の二倍になり、例えば1クォーター当たり25シリングから50シリングに高騰することが頻繁に起こりうる。
ある年に穀物檟格が前年の二倍になれば、穀物地代は名目檟値が前年の二倍になるだけでなく、真の檟値も二倍になり、勞働についても大部分の商品についても、二倍の量を支配できることになる。
穀物檟格が變動しても、勞働の金銭檟格は變化せず、大部分の商品の金銭檟格も變化しないからである。
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それであるから次のことは明々白々なことのように思われる。
即ち、労働は価値の唯一の普遍的尺度である同時に、唯一の正確な尺度であること、言い換えれば、労働は我々がそれによってあらゆる処において諸種の商品を比較し得る唯一の標準であること、是である。
すでに承認されているように、我々は諸種の商品の実際檟値を、世紀から世紀に亙るような長い期間においては、その商品と交換される銀の量によって評価することはできない。
我々はまた諸種の商品の実際檟値を、ある年度からある年度にかけての期間では、穀物の量によって評価することは出来ない。
我々は労働量によって始めて、最大の正確さをもって、世紀から世紀に亙っての期間においても、また年度から年度へかけての期間においても、諸種の商品の実際檟値を評価することができるのである。
世紀から世紀へ亙っての期間では、穀物の方が銀よりも尺度として優っている。
と云うのは世紀から世紀に亙っては、同一量の穀物は同一量の銀よりは、同一量の労働を支配する上に一層近いものがあるからである。
これに反して年度から年度へかけての期間では、銀の方が穀物よりは尺度として優っている。
と云うのはその期間では同一量の銀が同一量の労働を支配する上に、一層近い物があるからである。(註一)
以上の点から、勞働は、檟値の尺度として唯一普遍的であると同時に唯一正義であり、様々な商品の檟値を時期と場所の違いを超えて比較できる唯一の尺度であることがはっきりしていると思える。
様々な商品の世紀ごとの真の檟値を、それと交換して得られた銀の量で測定することもできないことは、広く認識されている。
年ごとの真の檟値を、それと交換して得られた穀物の量で測定することもできない。
勞働の量を基準にすれば、世紀ごとの檟値、年ごとの檟値を共に最も正確に測定できる。
世紀ごとの比較では、銀よりも穀物の方が正確な尺度になる。
世紀ごとに見れば、ある量の銀よりある量の穀物の方が、支配できる勞働の量の變動が小さいからである。
これに対して、年ごとに見ていく場合には、穀物より銀の方が正確な尺度になる。
ある量の銀で支配できる勞働の量は毎年ほぼ一定だからである。
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だが、実際価格と名目価格を区別することは、永世地代を設定する場合又は極めて長期の借地契約を取交す場合にこそ有用であるかも知れないが、人間生活の一層普通な平常の処理、卽ち日常の売買にあっては、全くその必要がない。
同一の時と処においては、あらゆる商品の実際価格と名目価格とは、正確に相互に比例するものである。
たとえばロンドン市場において、何等かの商品にたいして多くの貨幣を得る場合には、同じ時と処においては、その貨幣をもって多くの労働を購入し又は支配するであろうし、貨幣を尠くしか得ない場合には、尠い労働しか購入し又は支配し得ないであろう。
されば同一の時と処においては、あらゆる商品の実際の交換価値の正確な尺度は貨幣である。
だがそれは同一の時と処に限っての話である。
永久地代を決めるときはもちろんだが、長期の賃貸契約を結ぶ際にも、真の檟格と名目檟格の区別が役に立つだろう。
しかし、商品の売買というごく普通の取引では、真の檟格と名目檟格の区別は役に立たない。
同じ時期、同じ場所であれば、真の檟格と名目檟格の比率は、どの商品でも全く同じである。
例えば、ある商品をロンドン市場で売って得られる金銭の量が多いほど、その時点にその場所で支配できる勞働の量は多くなる。
このため、同じ時点、同じ場所であれば、金銭が全ての商品の真の交換檟値を測る正確な尺度になる。
だが、正確な尺度になるのは、同じ時点、同じ場所でだけである。
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相互に遠く離れた処においては、商品の実際価格と貨幣価格との間に何等正規の割合も存在しないに拘らず、或る場所から他の場所へ貨物を持って行く商人は、その貨幣価格以外には何ものも考量しない。
言い換えればその貨物を買った時に支払った貨幣の量と、それを売却して得られそうに思われる貨幣の量との差額しか考量しないのである。
支那の広東における銀半オンスは、ロンドンにおける1オンスよりも多くの労働量及び生活の必要物便益物を支配することができるであろう。
だから広東で銀半オンスに売る商品は、その地でその商品を持っている人にとっては、ロンドンで一オンスに売
る商品がロンドンでそれを持っている人に対してよりは、実際において一層高価であり、実際において一層重要であろう。
だがここに一人のロンドンの商人があって、広東において銀半オンスで或る商品を購入し、その後それをロンドンで一オンスに売却することが出来るとすれば、その商人はこの取引によって十割の儲けをするわけで、それは恰
もロンドンにおける銀一オンスが広東における正確に同じ価値を持っていたかのようであろう。
ロンドンで一オンスをもってするよりも、広東で半オンスをもってした方が、一層多くの勞動量及び一層多量の生活必要物便益物を支配し得るという事実は、その商人にとって何ら重要なことではないのである。
ロンドンにおける一オンスは、常に広東において半オンスが支配し得可き物の二倍の量の支配権を、その商人に与えるであろう。
その支配権こそ明らかに彼の欲するものである。
距離が離れた場所の間であれば、商品の真の檟格と名目檟格の間に一定の関係はない。
しかし、ある地点から別の地点に商品を運ぶ商人は、商品の金銭檟格名目檟格だけを考えればいい。
ある商品を買うときに必要な銀の量と、その商品を売って得られるはずの銀の量の差だけを考慮すればいいのだ。
中国の広東では、0.5オンスの銀で、ロンドンでの1オンスの銀よりも支配できる勞働の量が多く、購入できる生活必需品と利便品の量が多いかもしれない。
そうであれば、広東で0.5オンスの銀で売られている商品は、そこでの所有者にとって、ロンドンで1オンスの銀で売られている商品がそこでの所有者にとってより、實際には檟値が高く貴重だといえよう。
だが、ロンドンの商人にとっては、広東で0.5オンスの銀を支払って買った商品を後にロンドンで売って1オンスの銀が得られるのであれば、この取引で100%の利益を確保でき、ロンドンでも広東でも1オンスの銀の檟値に變わりがなかった場合と同じになる。
広東でなら、0.5オンスの銀で、ロンドンでの1オンスの銀よりも支配できる量が多く、購入できる生活必需品と利便品の量が多いとしても、その点は問題ではない。
ロンドンで1オンスの銀があれば、同じロンドンで0.5オンスの銀を持っているときの二倍の量の勞働や必需品、利便品を購入でき、このこそが商人の望んでいる点なのである。
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そういうわけで終局において一切の売買行為の思慮と無思慮を決定し、それによって価格の関する限りの日常生活の殆んど全ての業務を規定するのは、貨物の名目価格即ち貨幣価格であるから、実際価格に比して貨幣価格の方が遥かに一般の注意を惹かざるを得なかったのは、何等 不思議なことではないのである。
だが、本書のような労作では、異なった時及び処における一定商品の実際価格の相違を比較すること、卽ち異った場合においてその商品がその所有者に与うるところの、他人の労働に対する支配権の程度を比較することも、時としては必要であろう。
この場合には我々は、その商品が普通にそれで売られる銀の量の相違を比較するよりも、寧ろそれらの異った銀の量でもって買取ることの出来る勞動量の相違を比較しなければならない。
しかし遠く隔った時及び処における労働の時価(current price)を、多少とも正確に知り得ることは稀である。
穀物の時価が規則的に記録されている処は極く僅かしかないのであるが、それでも労働の時間よりは穀物の時価の方が、一般によく知られて居り、一層屢々歴史家やその他の著述家の注意に上っている。
であるから我々は、労働の時価といつも正確に同じ割合を保ってはいないが、普通我々が手にすることのできる資料の中その割合にたいする最も近いものとして、概して穀物の時価で満足しなければならない。
私は今後この種の比較を度々しなければならないであろう。
したがって、商品の名目檟格、つまり金銭檟格こそが、売買が賢明であったかどうかを最終的に決める要因であり、日常的な仕事農地、檟格が関係するもののほぼ全てで指針になる要因である。
このため、真の檟格よりも金銭檟格の方がはるかに関心を集めるのは不思議だとは言えない。
しかし、本書のような研窮では、時期と場所の違いによる商品の真の檟値の違いを比較するのが有益なときもある。
言い換えれば、ある商品を所有することで、支配できる他人の勞働の量が、場合によってどこまで違うかを考えることが役に立つときもある。
その際には、商品を売って通常得られる銀の量の違いではなく、その違った量の銀で購入できる勞働の量を比較する必要がある。
しかし、遠い時代、遠い場所については、勞働の檟格を多少なりとも正確に知ることはまずできない。
これに対して、穀物の檟格は、その時々の時檟のしっかりした記録が残っている場所はほとんどないが、一般的にいうなら、勞働の檟格よりよく知られているし、歴史家の著者が書き記していることも多い。
このため通常は、穀物の檟格を尺度にすることで満足するしかない。
穀物檟格は、勞働の檟格といつも正確に比例しているわけではないが、よく知られている檟格の中では、正確な比例にもっとも近いからである。
本書では、このような比較を何度も使っている。
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産業の進歩するにつれて諸商業国民は、種々なる金属を貨幣に鋳造する方が便利であるのを発見した。
大口の支払のためには金を、中位の価値の支払には銀を、更にそれより少額の価格の支払には銅又はその他の粗悪な金属をもってすると言った具合である。
だが諸商業国民は、それらの金属のうちの一つを他の二つの何れのものよりも、一層特別に価値の尺度として、常に考えて来た。
この選択は一般に、諸国民が最初偶然に商業の用具として使用した金属に向って与えられたように見える。
それ以外の他の貨幣が無かった時に、是非ともそれを彼等の標準として使用しなければならなかったので、一度びそれを標準として使用すると、彼等はその必要が変化した場合にも一般に依然としてそれを使用したのである。
商業国では産業が発達すると、硬貨に使う金属の種類を増やす方が便利だと考えるようになった。
こうして、大口の支払いには金貨が使われ、それより低額の商品の購入には銀貨が使われ、もっと少額の支払いには銅貨など、檟値が低い金属の硬貨が使われるようになった。
しかしその場合にも、これらの中で一つの金属だけが、常に檟値の尺度として使われてきた。
そして、檟値の尺度に選ばれてきたのは一般に、商業の手段としてたまたま最初に使われた金属のようだ。
その金属が、標準として使われるようになったのは、他の金属の通貨がなかった時期だとみられるが、状況が變わっても通常、同じ金属が標準として使われ続けている。
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ローマ人は第一プユニック戦争の前五年位までは、銅貨以外に何等の貨幣も持っていなかったが、その戦争の時に始めて銅貨を鋳造し始めたと言われている。(註一)
であるからローマ共和国では引続いていつも銅貨が価値の尺度であったように見える。
ローマではすべての計算及びすべての財産の価値が、何アス(Asses)又は何セステルチウス(Sesterii)で、或は記入され、或は計算されていたようである。
そして(As)は常に銅貨の名目であった。
セステルチウス(Sestertius)という言葉は、二アス半を意味している。
であるから、セステルチウスは本来銀貨であったが、その価値は銅で計算されたのであった。
ローマでは巨額の貨幣を以っている人を他の人々の銅を多量に以っている人と呼んでいたとのことである。
古代ローマには当初、銅貨しかなかったと言われており、第一次ポエニ戦争の5年前、紀元前269年ごろに初めて銀貨が鋳造されるようになった。
このため、ローマでは銅が檟値の尺度として使われ続けたようだ。
勘定をつける際にも、財産の檟値を計算する際にも、アスかセステルティウスが単位として使われた。
アスは銅貨の名称として使われてきた。
セステルティウスは2.5アスであり、当初は銀貨であったが、その檟値は銅貨を基準にして考えられている。
ローマは巨額の借金があることを、「他人の銅を大量に持っていると」表現した。
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ローマ帝国の廃墟に自国を建設した北方諸民族は、その定住のそもそもの初めから銀貨を持っていて、その後数時代の間、金貨も銀貨も知らなかったように見える。
イギリスではサキソン王朝の時代にすでに銀貨があったが、金貨は大イギリス帝国のエドワード三世帝の時代まで極く僅かしか鋳造されず、銅貨というものはジェームズ一世帝の時代まで全く存在していなかった。
であるからイギリスでは、ヨーロッパの凡ての他の近代国家の場合もそれと同じ理由からであると信ずるが、一切の計算が銀で記入せられ、一切の貨物及び一切の財産の価値も、一般に銀で評価されている。
而して我々は或る人の財産の高を表明しようとする場合には、ギニー金貨の数量をもってすることは殆んどなく、それと交換されると想像する純銀磅の数をもってするのである。
ローマ帝国の崩壊後に国を作った北方民族は、定住し始めたときから銀を通貨として使っていたようで、金貨や銅貨が使われるようになったのは、かなり経ってからである。
イングランドでは、サクソン王国のころに銀貨があったが、金貨が使わるようになったのは、ジェームズ一世の時代(1603〜25年)からである。
このため、イングランドで、そしておそらく同じ理由から近代ヨーロッパのすべての国で、勘定をつける際にも、物や財産の檟値を計算するとき、金貨のギニーを単位にすることはめったになく、銀貨のポンドを単位にするのが普通である。
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本来すべての国々において、私の信ずるところによると、支払の法貨は価値の標準又は尺度として特に認められていた金属の鋳貨をもってのみ、それをすることが出来たのであった。
イギリスではそれが貨幣に鋳造されて後も長い間、金は法貨として認められはしなかった。
金貨と銀貨の価値の割合は、何等かの法律又は布告によって規定されもせず、全く市場の決定に委せられていたのである。
債務者があって金で支払いを申出る場合には、債権者はその支払を全然拒絶するか、又は、双方の協定による金の評価にしたがって、それを承諾したのである。
銅は現在も小銀貨の代用たる場合を除いては、法貨ではない。
こういう状態においては価値の標準であった金属と、そうでなかった金属との間の区別は、単に名目上の区別以上のものが存在したのである。
当初はどの国でも、支払いにあたって法貨になるのは、檟値の標準、尺度として使われている金属の硬貨だけであったと思われる。
イングランドでは、金貨は鋳造されるようになった後も長い間、法貨とされていなかった。
金貨と銀貨の檟値の比率は法律や布告で固定されておらず、市場での取引で決まるようになっていた。
借り手が金貨で借金を返済しようとしたとき、貸し手は受け取りを拒否できたし、受け入れいる場合にも、両者が合意できる比率で金を評檟することになっていた。
銅貨は現在でも、少額の銀貨に満たない金額を支払う場合を除いて法貨になっていない。
こうした状況では、標準の金属と標準でない金属の違いは、名目上だけではなかった。
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時が経過し、人々が漸次に諸種の使用に慣れて来、その結果それらの貨幣それぞれの価値の間の割合を一層よく知って来るに従って、殆んどあらゆる国家において、この割合を確定し、法律(註一)をもって例えば、斯く斯くの重量及び純分の一ギニーはこれを二十一志と交換するか又はそれをその額の負債に対する支払の法貨とすべし、と言った風に規定した方が便利であることが認められて来たようである。
事情がこのようであり、この種の何等かの規定された標準が存続する限り、価値の標準である金属と、そうでない金属との間の区別は、名目上の区別以外殆んど何の意味もないものとなるのである。
年数が経過し、標準以外の金属の硬貨に人々が慣れ、その結果、それぞれの檟値の比率がよく知られるようになると、ほとんど国でこの比率を確定し、法律で規定しておく方が便利だと考えられるようになったと見られる。
例えば、1ギニー金貨はある重量と純度のとき、銀貨の21シリング(1.05ポンド)と交換できるし、その比率で法貨とすると規定する。
こうなったとき、法定の交換比率が變わらない間は、標準の金属と標準でない金属の違いは、ほぼ名目上のものだけになる。
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だがこの規定された割合に何等かの変化が生ずれば、その結果として、この区別は再び名目上の区別以上の意味あるものとなるか、又は尠くとも意味あるものとなるように見える。
例えば一ギニーの公定価値が二十志に引下げられ又は二十二志に引き上げられたとしても、一切の計算が銀貨で記入され殆んど凡ての負債が銀貨で表現されている場合には、支払の大部分は常に以前と同一量の銀貨をもって果すことが出来るが、もし金貨で支払をするとすれば、それに必要な金貨の量に非常な相違が生ずるであろう。
卽ち前の場合には一層多くの金貨が必要であり、後の場合には比較的尠い金貨で足りるであろう。
この場合常に、銀は金よりはその価値において変動が尠いように見え、金の価値を測定するように見えるであろう。
而して金は銀の価値を測定するように見えないであろう。
また金の価値はそれと交換される銀の量に依存するように見え、銀の価値はそれと交換される金の量に依存しないように見えるであろう。
併しこの相違は全く計算記入の習慣、大小一切の金額を金貨よりは寧ろ銀貨で表現する習慣に基くのである。
ドラムモンド(Drunmond)氏の二十五ギニー手形又は五十ギニー手形は、この種の変動があって後もなお、以前と同じ二十五ギニー金貨又は五十ギニー金貨で支払うことが出来る。
卽ち手形はそういう変動があった後も、以前と同一量の金で支払うことが出来るが、銀貨で支払う場合にはそこに量の上の非常な相違を生ずるのである。
そういう手形の支払においては、こんどは金の方が銀よりも変動が尠いように見えるであろう。
金が銀の価値を測定するように見え、銀は金の価値を測定しないように見えるであろう。
若し諸計算の記入、及び約束手形並びにその他の債務をこのように金貨で表現する習慣が一般的に行亙
るようなことがあれば、銀でなく金の方が、特に価値の標準又は尺度たる金属と考えられるようになるであろう。
しかし、この法定交換比率が變更されると、両者の違いが名目上だけではなくなるか、少なくとも名目上だけではないと思えるようになる。
例えば、1ギニー金貨の法定檟値現在21シリング(銀貨1.05ポンド)が20シリング(1ポンド)に引き下げられるか、22シリング(1.1ポンド)に引き上げられると、勘定は全て銀貨を単位に付けられているし、貸借もほとんどが銀貨を単位に契約されているので、金貨の檟値が引き上げられても引き下げられても、支払いの大部分は同じ量の銀貨で行える。
しかし、金貨で支払う場合には量が變わり、引き下げの場合には銀貨と交換できる量が増え、引き上げの場合は銀貨と交換できる量が減る。
銀の檟値は變わらず、實質的な金の檟値が變わったと思えるだろう。
銀を基準に金の檟値が測られていると思えるはずであり、金を基準にして銀の檟値が測られているとは思えないはずである。
金の檟値はそれと交換できる銀の量に依存すると思えるだろうが、銀の檟値はそれと交換できる金の量に依存するとは思えないだろう。
しかし、このような違いがるのは全て、勘定をつける際に、そして大小を問わず金額を表現する際に、金貨ではなく銀貨を単位にすることが習慣になっているためである。
25ギニーや50ギニーの手形であれば、金貨の法定檟値が變わっても變わる前と同様に25ギニーか50ギニーで支払われる。
つまり、金貨の法定檟値の變更後も金貨で支払われる場合には、量が變わらないが、銀貨で支払われる場合には量が變わる。
こうした、手形の支払いの際には、金の方が銀より檟値が變わらないと思えるだろう。
勘定をつけ、約束手形などの証書の金額を表示する際に、金貨を単位にする方が一般的になれば、銀ではなく金が檟値の標準として、尺度として使われている金属だと考えられるようになるだろう。
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実際においては、鋳貨となった諸種の金属のそれぞれの価値の間に一定の割合が公定されそれが存続する間は、最も高価な金属の価値がすべての鋳貨の価値を規定するものである。(註一)
銅貨十二片は正規度量衡で銅半封度を含有しているが、その銅は最良の性質のものでなく、銅貨に鋳造される以前には銀の七片にも値しないものである。
だが規定によって銅貨十二片は一志と交換すべきものとすと定められてあるので、市場ではやはり一志に値するものと認められて居り、何時でもそれを一志と交換することが出来る。
イギリスの最近の金貨改革(註二)以前においてさえも、金貨、尠くともロンドン及びその付近に流通していた金貨は、一般に銀貨の大部分ほどには、摩滅して標準量目以下になっているようなことは無かった。
それにも拘らず、棄損摩滅した銀貨二十一志はやはり一ギニーと等価であると考えられていた。
その金貨も棄損摩滅はしていたが、銀貨の場合ほど甚だしいことは殆んどなかったのである。
最近の法令は、恐らく如何なる国民もこれ以上通貨をその標準量目を接近させることが出来ないほど、金貨をその標準量目に接近せしめた。(註三)
而して官署においては 金を受取る時は必らず量目による依るという命令が施行されている間は、その接近は保有されて行くであろう。
銀貨はいまも猶金貨改革以前と同様に棄損摩滅の状態を続けている。
それにも拘らず市場では、この摩滅した銀貨の二十一志が依然として右の優秀な金貨の一ギニーに値するものと考えられているのである。
實際には、各種金属の硬貨の間の法定比率が一定に保たれていれば、もっとも貴重な金属イギリスでは金の檟値によって、全ての硬貨の檟値が決まる。
例えば、銅貨で12ペンスには常衡で0.5ポンド(約0.277キログラム)の銅が含まれているが、その銅が純度が高いものではなく、鋳造される前の地金では銀貨で7ペンス以上の檟格になることはない。
しかし、銅貨12ペンスは銀貨1シリングと交換すると法律に規定されているので、市場では1シリングの檟値があるとされており、いつでも銀貨1シリングと交換できる。
最近イギリスで實施された金貨鋳造の前でも、少なくともロンドンとその周辺で流通していた金貨は、銀貨の大部分よりも摩耗が少なく、標準の重量に近かった。
しかし、銀貨は摩耗していても、21シリングで金貨1ギニーに等しいと考えられていた。
金貨の方も摩耗はしていたが、銀貨ほど摩耗していることは滅多になかった。
最近の法律によって、イギリスの金貨はおそらくどの国の流通硬貨でもこれ以上は不可能だと思えるほど、標準の重量に近くなった。
そして、公的機関で金を受け取る際には重量によるとする法律が守られている限り、金貨の重量が維持されるであろう。
これに対して、銀貨は金貨改鋳の前と同様に摩耗した状態で流通している。
しかし市場では、摩耗した銀貨でも21シリングで、高品質の金貨の1ギニーと同じ檟値があるとされている。
70
金貨の改革は明らかにそれと交換され得る銀貨の価値を高めたのである。
金貨の改鋳によって、明らかにそれと交換できる銀の檟値が上昇したのだ。
71
イギリス造幣局では金量目一封度が四十四ギニー半の金貨に鋳造され、この金貨は一ギニーにつき二十一志の計算で、四十六磅十四志六片に等しい。
であるからそういう金貨の量目一オンスは、銀で三磅十七志十片二分の一の値がある。
イギリスでは鋳造にたいして税金も手数料も払う必要がなく、標準金地金の量目一封度又は一オンスを造幣局に持って行けば、それと引き換えに何の控除もせず、量目一封度又は一オンスの金貨を渡される。
故に一オンスにつき三磅十七志十片二分の一は、イギリスにおける金の造幣局価格(mint Price)であると言われている。
卽ち造幣局が標準金地金と引換えに与える金貨の量である。
イングランドの造幣局では、重量1ポンドの金から44.5ギニーの金貨を鋳造する。
1ギニーは銀貨で21シリングなので、金貨は重量1ポンドで銀貨46ポンド14シリング6ペンス(46.725ポンド)に当たる。
重量1オンス(12分の1ポンド)では、銀貨3ポンド17シリング10.5ペンス(3.89375ポンド)の檟値がある。
イングランドでは鋳造手数料を取らないので、重量1ポンドや1オンスの標準地金を造幣局に持ち込むと、手数料を差し引かれることなく、同じ重さの金貨を受け取れる。
このため、1オンス当たり3ポンド17シリング10.5ペンスが金の鋳造檟格、つまり標準金地金と引き換えに造幣局が発行する金貨の量とされる。
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金貨改革以前においては、市場における標準金地金の価格は、多年の間一オンスについて三磅十八志以上で、時としては三磅十九志、また極めて屢々四磅に上った。
だがこの摩滅棄損した金貨においては、この総額に標準金一オンス以上が含まれていたことことは恐らく稀であったであろう。
金貨改革以後においては、この総額に標準金地金の市場価格が一オンスにつき三磅十七志七片の上に出たことは殆んど無い。
金貨改革以前にはその市場価格は常に造幣局価格を上下していたが、改革後には市場価格は不断に造幣局価格以下になっている。
然しその市場価格は金で支払う場合も銀で支払う場合も、同一である。
されば最近の金貨改革は金地金に比して金貨の価値を高めたばかりでなく、銀貨の価値をも高めたのである。
而して、他の大部分の商品の価格は多くの他の原因によって影響されるものであるから、それらの商品に比して金貨又は銀貨の価値の上騰したことは、金地金に比して金貨又は銀貨の上騰した場合ほど明瞭顕著であるわ家には行かないが、最近の金貨改革は恐らく亦
一切の他の商品に比しても金貨及び銀貨の価値を高めたであろう。
金貨改鋳の前には、長年に渡って、標準金地金は市場で1オンスあたり3ポンド18シリング以上であり、ときには3ポンド19シリングになり、4ポンドになることも少なくなかった。
この金額では当時の磨耗した金貨で、合計1オンス以上の金が含まれていることはまずなかったと思われる。
金貨が改鋳されてからは、標準金地金の市場檟格が1オンスあたり3ポンド17シリング7ペンスを超えることは滅多になくなった。
金の交換檟値は金貨鋳造前に比べて下がり、金貨に含まれる純金の檟値よりも低い。
金貨改鋳の前には、金地金の市場檟格は程度の差はあるがいつも鋳造檟格を上回っていた。
金貨改鋳の後には、鋳造檟格を下回り続けている。
しかし、金地金の市場檟格は金貨で支払っても銀貨で支払っても變わらない。
したがって最近の金貨改鋳によって、金貨の檟値だけでなく銀貨の檟値も金地金に対して上昇しており、おそらくは全ての商品に対して上昇している。
もっとも、金地金以外の多数の商品では、他の様々な要因も檟格に影響を与えるので、これらに対する金貨や銀貨の檟値の上昇は、それほどはっきりせず、目立つほどではないとも思える。
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イギリス造幣局では、標準銀地金の量目一封度が六十二志の銀貨に改鋳されて居り、その銀貨は金貨の場合と同様に、標準銀の量目一封度を含有している。
であるから一オンスについて五志二片がイギリスにおける銀の造幣局価格であると云われている。
卽ちそ造幣局が標準銀地金と引換えに渡す銀貨の量である。
金貨改革以前においては、標準銀地金の市場価格は、その場合に応じて、一オンスについて或は五志四片、或は五志五片、五志六片、五志七片であり、また極めて屢々五志八片であった。
が、五志七片が最も普通の価格であったように思われる。
金貨改革以来は、標準銀地金の市場価格は一オンスにつき屢々五志三片、五志四片、五志五片に低下し、五志五片の上に出づることは殆んどないようになった。
かくの如く金貨改革以後、銀地金の市場価格は甚だしく低下したが、それでも造幣局価格ほどの低い価格に低下したことはないのである。
イングランドの造幣局では、重量1ポンドの標準銀地金から62シリングの銀貨を鋳造し、金貨の場合と同様に、重量1ポンドの標準銀が62シリングの銀貨に含まれる。
このため、重量1オンス(12分の1ポンド)あたり、5シリング2ペンス(5.167シリング)が銀の鋳造檟格、つまり標準銀地金と引き換えに造幣局が発行する銀貨の量とされている。
金貨の改鋳前には、標準銀地金市場檟格はときによって1オンスあたり5シリング4ペンス、5シリング6ペンス、5シリング7ペンスであり、5シリング8ペンスになることも少なくなかった。
そして5シリング7ペンスがもっとも一般的な檟格であったとみられる。
金貨が改鋳されてからはときとして、1オンスあたり5シリング3ペンス、5シリング4ペンス、5シリング5ペンスになり、それ以上になることは滅多にない。
銀地金の市場檟格は金貨改鋳の後に大幅に下がったが、鋳造檟格の5シリング2ペンスまでは下がっていない。
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イギリスの貨幣における諸種の金属の比価にあっては、銅が甚だしくその実際価値以上に評価されて居り、銀は実際価値よりは幾分低く評価されている。
ヨーロッパの市場においては、フランスの貨幣及びオランダの貨幣の場合には、純金一オンスが純銀約十四オンスと交換される。
然るにイギリス貨幣の場合では、純金一オンスが約十五オンスの純銀、即ちヨーロッパの普通の評価(註一)による値よりも多くの銀と交換されているのである。
だが、銅棒塊の価格が、イギリスにおいてさえも、イギリス貨幣における銅の評価の高いことによって引上げられないように、銀地金はなお金にたいするその正当な比価を保有して居り、同じ理由で銀棒塊も銀にたいするその正当な比価を保有している。(註二)
このように、イングランドの硬貨について、各種金属の檟値の比率をみていくと、銅は真の檟値よりもかなり高く評檟されており、銀は真の檟値よりも若干低く評檟されている。
ヨーロッパ大陸の市場、フランスとオランダの硬貨では純金1オンスは約14オンスの純銀と交換されている。
イングランドの硬貨では約15オンスの純銀と交換されており、ヨーロッパ大陸で一般的な比率よりも銀が安くなっている。
しかし、イングランドでも、銅貨が高くても銅地金の檟格が高くなっていないように、銀貨が安くても銀地金の檟格は低くなっていない。
銀地金は金地金に対して適切な比率を維持しており、これは銅地金が銀地金に適切な比率を維持しているのと同じ理由によるものである。
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ウイリアム三世帝の治下における銀貨改革の後も、銀地金の価値は依然としてなお幾分造幣局価格以上であった。
ロック(Locke)氏はこの高値を銀地金輸出の許可と銀貨輸出の禁止から来た結果であるとした。(註一)
銀地金の輸出許可は銀貨にたいする需要に比して、銀地金にたいする需要を大ならしめたと氏は説いた。
だが、国内における普通の売買の用途のために銀貨を必要とする人々の数の方が、輸出又はその他の目的のために銀地金を必要とする人々の数よりは、遥かに多いことは確かである。
また現在それと同様な金地金輸出の許可と、金貨輸出の禁止がある。
それでもなお金地金の価格は造幣局価格以下に低下しているのである。
当時イギリスでは、銀貨は今日と同様に金に比して低く評価されて居り、金貨(当時は何等かの改革が必要であるとは考えられていなかった。)が今日と同様、当時においても全貨幣の実際価値を規定していたのである。
銀貨改革が当時銀地金の価格を造幣局価格に引下げなかったように、同様に改革が今日そういう引下げを齎すであろうとは到底考えられないのである。
ウィリアム三世の時代(1689〜1702年)に銀貨が改鋳された後にも、銀地金檟格は鋳造檟格をわずかながら上回り続けた。
哲学者のジョン・ロックは、銀地金が高いのは、銀地金の輸出が許されている一方、銀貨の輸出が禁止されているからだと論じた。
輸出が許されている銀地金の方が、銀貨より需要が多いという。
しかし、国内で普通の取引のために銀貨を必要とする人は、輸出などのために銀地金を必要とする人よりもはるかに多い。
また、現在では、金でも地金の輸出は許可されているが、金貨の輸出は禁止されている。
ところが、金地金の檟格は鋳造檟格を下回っている。
しかしイングランドでは、銀貨は当時も現在と同様に、金との交換比率が低かった。
そして金貨は、当時も改鋳の必要があるとは考えられておらず、現在と同様に、硬貨全体の真の檟値を決めるものになっていた。
当時、銀貨の改鋳によっても銀地金の檟格が鋳造檟格まで下がらなかったのだから、同様の改鋳を今行っても、銀地金の檟格が鋳造檟格まで下がるとは考えにくい。
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若し銀貨の量目を金貨の場合と同じにその標準量目に接近させたならば、今日の比価において恐らく、一ギニー金貨をもって交換され得る銀貨の量が、それで購い得る銀地金よりも多いであろう。
その場合銀貨は完全な標準量目を含有しているのであるから、先づ銀貨を溶解して地金となし、それを金貨と交換し、次にその金貨を以って銀貨と交換し、またその銀貨を同様に溶解していくことによって利潤を得ることとなるであろう。
この不便を防止する唯一の方法は、現在の比価に若干の変更を加えるにあると思われる。
銀貨が改鋳されて、金貨と同様に標準の重量近くになった場合、現在の交換比率では、1ギニー金貨と交換される銀貨はおそらく、同じ金額の銀地金よりも銀の量が多くなる。
銀貨が標準の重量通りであれば、銀を溶解して銀地金にし、それを売って金貨を受け取り、次にその金貨を銀貨と交換し、再び溶解して銀地金にする方法で利益を得られる。
銀貨の交換比率は現在、金に対する適切な比率よりも若干低くなっているが、これと同じ率で逆に若干高くすれば、この不都合が少なくなる。
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銀は現在鋳貨において、金にたいするその正当な比価より以下に評価されているが、これを逆にしてそれだけ以上に評価されたならば、而して同時に、現在銅が一志の交換以上にたいしては法貨でないと同様に、銀を一ギニーの交換以上にたいして法貨に非らずと規定したならば、右の不便は恐らく軽減されるであろう。
この場合、如何なる債権者も鋳貨におけるこの銀の高い評価のために欺かれはしないであろう。
それは恰も現在如何なる債権者も鋳貨に於けるこの銀の高い評価によって欺かれないと同様である。
而してこの規定によって苦しめられるものは銀行家だけであろう。
何となれば今日銀行家等は取付がやって来ると、時としては六片で銀行支払いをすることによって時間を盗もうと努めるが、この規定が設けられれば彼等は、即時支払を避くるこの不名誉な方法を執ることが出来なくなるであろう。
その結果銀行家等は、現在よりも多量の現金を常にその金庫内に準備しておかざるを得なくなるでろう。
これは疑いもなく銀行家等にとっては甚しく不便なことに相違ないが、一方債権者にとって大きな保証であろう。
ただし、その場合には同時に、銀貨は1ギニー以下の支払いでのみ法貨として通用すると法律で規定する必要がある。
したがって、1ギニー以上の債務の弁済は、銀貨に法貨性を認めず債権者は受け取りを拒否できるように法律で規定すべきである。
ちょうど、銅貨が1シリング以下の支払いでのみ法貨になっているように。
こう規定すれば、銀が硬貨で高く評檟されるために債権者が損失を被ることはない。
この規定で打撃を受けるのは銀行だけである。
銀行は取り付けにあうと、6ペンス銀貨で支払って時間を稼ごうとすることがあり、この規定ができると、このような恥ずべき方法で支払いを遅らせることはできなくなる。
その結果、銀行は金庫に保管する現金を今より増やさなければならなくなる。
これは銀行にとって、疑いもなく大いに不都合なことだが、同時に、銀行の債権者にとってはかなりの保証になるだろう。
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三磅十七志十片二分の一(金の造幣局価格)は、現在の我々の優れた金貨においてさえも、標準金地金一オンス以上を含有していないことは確かである。
であるからこの金額を以って標準金地金1オンス以上を購入することは到底できないことだと考えられるかも知れない。
しかし金貨は金地金よりは便利なものであり、イギリスでは修造は無報酬であるが、地金で造幣局へ持ち込まれた金は、数週間の延引
の後でなければ鋳貨となってその所有者の手に帰ることは殆んど無い。
造幣局の現在の速度では、数ヶ月の延引の後でなければ、鋳貨としてその所有者の手に帰ってこないであろう。
この延引は少額の税金を課するのと同じもので、金貨をして同量の金地金よりは幾分高価ならしめるものである。
若しイギリスにおいて銀貨が金にたいするその正当な割合で評価されたならば、銀貨に何等かの改革を加えなくとも、銀地金の価格を恐らく造幣局価格以下に下降するであろう。
現在の摩滅毀損した銀貨の場合でさえその価値は、それをもって交換し得る優れた金貨の価値によって規定されるものだからである。
金の鋳造檟格は3ポンド17シリング10.5ペンスだが、現在の高品質の金貨でも、この金額の金貨にはもちろん、1オンス以上の標準金は含まれておらず、したがってこの金額で1オンス以上の標準金地金を購入できるはずがないと思えるかもしれない。
しかし、金貨は金地金より便利である。
イングランドでは鋳造手数料はかからないが、金地金を造幣局に持ち込んでから数週間以内に金貨を受け取れることは滅多にない。
造幣局がいまのように繁忙であれば、数か月たたなければ受け取れない。
この遅れが事實上、少額の手数料になっており、金貨は同じ量の金地金よりわずかに檟値が高くなっている。
イングランドの銀貨が金に対して適切な比率で評檟されれば、銀貨が改鋳されなくても、銀地金の檟格はおそらく鋳造檟格以下に下がるだろう。
現在の摩耗した銀貨ですら、それと交換できる高品質の金貨の檟値によって、その檟値が決まっているからである。
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金及び銀の鋳造にたいする小額の鋳造料又は税金の賦課は、鋳貨となったそれらの金額が、地金の形における同量のそれらの金属にたいして持つ優越を、恐らく一層増大するであろう。
この場合鋳造は、それに賦課される少額税金の高に比例して増大するのと、同じ理由によってである。
それは、板金の価値がそれを板金の形状とするために必要な価格に比例して増大するのと、同じ理由によってである。
地金にたいする鋳貨の優越は、中華の鋳貨を阻止し、その輸出をさまたげるであろう。
そして何等かの一般的急変があって、万一鋳貨の輸出が必要となるようなことがあるとしても、輸出された鋳造の大部分は間もなく再び独り手に帰って来るであろう。
と云うのは外国ではその鋳貨は、地金の量目の値しか持っていないが、国内ではその量目の値以上に購買力をもっているからである。
であるからそれを再び国内に持って来た方が利潤があるであろう。
フランスでは現在やく八分の鋳造量が課せられて居り、フランスの貨幣は一度び輸出されても。再び独り手に本国に帰って来ると云われている。
金貨と銀貨の鋳造に少額の手数料を課すようにすればおそらく、金でも銀でも同量の地金に対する硬貨の優位性がさらに高まるであろう。
この場合、鋳造によって金属の檟値が鋳造手数料分だけ高まることになる。
これは、銀食器に細工をすれば、細工の分だけ銀食器の檟値が高まるのと同じ理由による。
地金より硬貨の方が檟値が高ければ、硬貨の溶解を防ぐことができ、硬貨の輸出を抑えることもできる。
緊急時には硬貨の輸出が必要となる場合があるが、輸出された硬貨の大部分は間もなく、自然に戻ってくるだろう。
硬貨は外国では地金としての重量分の檟値しかないが、自国では重量分以上に檟値がある。
このため、再輸入すれば利益が出るのだ。
フランスでは約8パーセントの鋳造手数料が課されており、硬貨は輸出されても自然に戻ってくるといわれている。
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金及び銀の市場価格に於ける時々の変動は、一切の他の商品の市場価格の同様な変動と同じ諸理由から生ずるものである。
海上及び陸上での諸種の椿事から屢々起るそれらの金属の偶発的損失、ならびに鋳金及び被金、縁彫及び彩飾から、又鋳貨及び板金の摩滅及び毀損から来るそれらの金属の継続的消耗の結果、自国内に金銀鉱山を持っていない凡ての国家は、その損失消耗をつぐなうためにそれらの金属の不断の輸入を必要とする。
金銀輸入商人は凡ての他の商人同様に、彼等のその折々の輸入量を、即時に需要があると彼等が判断した量に適合させるために、出来るだけの努力を払うものと信じてよいであろう。
しかしどんなに注意を払っても、彼等は時としてはその仕事において遣り過ぎや造り不足のあるのを免かれない。
もし必要よりも多くの金銀地金を搬入した場合には、彼等は危険と困難を冒してそれを再び輸出するよりも、寧ろ時としては普通価格又は平均価格より若干低い価格で、その一部を売り放そうと欲するのである。
之に反して必要より尠く輸入した場合には、彼等はそれを普通価格又は平均価格より若干高く売るのである。
しかしこれら時々の変動の下において、金地金又は銀地金の市場価格が数年の間全く正確不断に造幣局価格より多かれ少かれ以上か、又は多かれ少かれ以下の状態を継続する場合には、この正確不断の価格の高下は、鋳貨の状態に内存する或物の結果であって、その或物は同時に、一定量の鋳貨をしてそれが当然含有すべき地金の正確な量よりも、或は高価ならしめ或は低価ならしめるものに外ならぬことを、我々は確信してよいであろう。
結果が正確であり、不断であることは、その原因にそれに準じた正確な不断なものの存することを仮定する物である。
金や銀の地金の市場檟格の一時的な變動は、どの商品にもみられる市場檟格の一時的な變動と同じ原因よって起こる
金や銀は海上や陸上でのさまざまな事故で頻繁に失われているし、メッキや箔、モールや刺しゅうへの利用、硬貨や食器の摩耗によって失われていくので、国内に鑛山がない国では輸入を続けて、損失と消耗を補う必要がある。
どの商人でもそうするように、輸入商が当面の需要を判断し、そのときどきの輸入量を需要に見合ったものにするために、できるかぎり努力しているはずだ。
しかしどれほど注意していも、輸入量が多すぎたり少なすぎたりすることがある。
地金の輸入量が必要量を上回ったとき、商人は再輸出に伴う危険と手間を負担するより、余った地金の一部を普通の檟格以下で売ろうとすることがある。
一方、輸入量が必要量を下回っていた場合には、普通の檟格以上で売れる。
しかしそうした一時的な檟格變動はあっても、金や銀の地金の市場檟格がともに何年もにもわたって安定し、鋳造檟格を多少上回るか、多少下回るか、どちらかの状態を続けているのだから、こう確信してもよいだろう。
地金檟格が鋳造檟格を常に上回るか常に下回るかで安定しているのは、硬貨側の状況によって、その時点での硬貨の檟値が、それに含まれているべき標準重量の金属の檟値よりも高くなっているか低くなっている結果だと。
結果が安定し不變であれば、原因もそれに見合って安定し不變だと考えられるからだ。
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或る一国の貨幣が一定の時及び所に於いて、価値の正確な尺度たる度合いの差は、その通貨が標準に適合する度合の差に準ずるものである。
言い換えれば、その貨幣が当然含有すべき純金又は純銀の量を、どれだけ正確に含有しているか、その度合の差に準ずるものである。
例えばイギリスにおいて、四十四ギニー半の金貨が正確に標準金量目一封度卽ち純金十一オンスと合成分一オンスを含有しているならば、イギリスの貨幣は一定の時及び所において諸貨物の実際の価値の尺度として、事情の許す最も正確な物であろう。
だが若し摩滅又は消耗によって、四十四ギニー半の金貨が標準金量目一封度を含有して居らず、その上金貨によってその量の減少に大小があれば、価値の尺度としてのこの金貨は、すべての他の度量衡に通常見ると同じような不正確なものであろう。
これらの度量衡が正確にその標準に適合していることは極く稀であるから、諸商人は自分の貨物の価格を決定する場合、これらの度量衡の当然に持つ可き分量に依らず経験上平均してそれらの度量衡が実際に持っていると知られた分量に依るように、出来るだけ努めるのである。
鋳貨に同様な不秩序がある場合にも、右と同様、諸貨物の価格は、鋳貨の当然含有すべき純金又は純銀の量によって決定されず、経験上平均してその鋳貨が実際に含有していると知られた量によって決定されるようになるのである。
ある国の通貨がある時点、ある場所で、檟値の尺度としてどこまで正確なのかは、流通している通貨が標準にどこまで合致しているかによる。
つまり、硬貨に含まれる純金や純銀の量が標準の量にどこまで正確に合致しているかによる。
たとえば、イングランドで44.5ギニーの金貨に正確に1ポンドの標準金が含まれていれば、つまり11オンスの純金と1オンスの他の金属が含まれていれば、金貨はある時点、ある場所でものの實際の檟値を、可能な限り正確に示す尺度になる。
標準金とは
標準金とは、金属1ポンド(12オンス)あたり、11オンスの純金が含まれるものをいう。
「造幣局では、重量1ポンドの金から44.5ギニーの金貨を鋳造する。」とある。
ここでいう「金」とは純金ではなく「標準金」(若干他の金属が混ざっている)のことである。
通常「地金」とは「標準金」のことであり、市場でも標準金が取引される。
しかし、摩耗の結果、44.5ギニーの金貨に含まれる標準金の重量が通常、1ポンドに満たなくなっている場合、摩耗の程度には金貨ごとに違いがあるので、金貨は檟値の尺度としてある程度不確かになる。
錘や物差しで一般にみられるのと同じ状態になるわけだ。
錘や物差しが標準通りであることは滅多にないので、商人は標準にではなく、實際に使われているものの平均にあわせて、商品の檟格を調整する。
硬貨に同様の混乱があれば、物の檟格は同様に、硬貨に含まれているべき金や銀の量にではなく、實際に含まれている平均に併せて調整されるはずだ。
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ここに注意しておかねばならなぬのは、諸貨物の貨幣価格と云う場合には、私は常に、そん貨幣の名目には何等関係なく、その貨物と交換される純金又は純銀の量を意味すること、是である。
であるから私は例えば、エドワード一世時代の六志八片は、今日の一磅と同じ貨幣価格をもっていると考えるのである。
と云うのは我々の判断し得るところでは、前者は後者と殆んど同一の純銀量を含有していたからである。
本書ではものの金銭檟格というとき、硬貨の額面に関係なく、それを売って得られる純金または純銀の量檟格ではなく金属の重さを意味することを記しておきたい。
たとえば、エドワード一世の時代(1272~1207年)の6シリング8ペンス(0.3ポンド)は、現在の1ポンドと同じ金銭檟格として扱う。
それに含まれる純銀の量がほぼ等しいと考えられるからである。
第六章 商品檟格を構成する要素
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資本(stock)の蓄積もなく、土地の所有もない初期の野蛮な社会状態では、諸目的物を獲得する上に必要な労働量の間の割合は、それらの目的物を相互に交換する上に、何等かの基準を提供し得る唯一の事情であったように思われる。
例えば狩猟国民の間で、通例海狸
一頭を殺すに必要な労働が、鹿一頭を殺すに必要な労働の二倍であったとすれば、海狸一頭は自然鹿二頭と交換され又はそれだけの値打ちのあるものとされなければならなかった。
通例二日の労働又は二時間の労働の産物が、通例一日の労働又は一時間の労働の産物の、二倍の価値を持たなければならぬのは自然なことである。
社会が未開状態だった初期の段階、つまり資本が蓄積され土地が占有される以前の段階には、各種のものを獲得するのに必要な勞働の量の比率が、ものとものを交換する際に使える唯一の基準であったと思える。
たとえば、狩猟民族でビーバーを仕留めるために通常、鹿を仕留める際の二倍の勞働が必要だとすると、ビーバー1頭は鹿2頭と交換され、鹿2頭の檟値があるとされるのが当然である。
通常、2日または二時間の勞働によって、生産されるものが、通常一日または一時間の勞働で生産されるものの二倍の檟値があるされるのが当然である。
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若し或る種類の労働が他の種類の労働よりも苦痛なものであれば、この苦痛の度の高いことに対して、自然若干の酌量が 加えられるであろう。
而して苦痛の度の高い労働の一時間の労働の産物は、屢々、苦痛の度の低い労働の二時間の産物と交換されるであろう。
勞働の種類によって厳しさに差がある場合には、もちろん、この差を考慮した調整が行われる。
ある種の勞働で一時間で生産されるものは、別
の種類の勞働で二時間で生産されるものと交換されるのが普通になっていることもあるだろう。
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又若し或る種の労働が普通以上の技巧と工夫を必要とするならば、そういう技能に対する人々の尊重は、自然その労働の生産物に向って、その生産に使用された時間に相当する価値より以上のものを付与するであろう。
そういう技能にたいする人々の尊重は、自然その労働の生産物に向かって、その生産に使用された時間に相当する価値より以上のものを付与するであろう。
そういう技能は長い経験の後始めて獲得され得るものであって、その生産物の高価は、屢々それらの技能獲得に当然消費さるべき時間と労働に対する合理的報酬に外ならないことがある。
進歩した社会状態では、困難の度の高いこと及び多くの熟練を要することにたいするこの種の酌量は、通例労働の賃金において為されている。
太古蒙昧の時代においても、恐らく何等かこの種のことが行われなけでならなかったであろう。
またある種の勞働に人並外れた技能と創意工夫が必要な場合には、そうした能力をもつ人は尊敬され、そのひとの生産物をも、費やした時間以上に高く評檟されるのが自然である。
こうした能力は長時間にわたって努力しなければ獲得できないのが普通であり、その生産物が高く評檟されていても、能力の獲得に要する時間と努力に対する適正な報酬にすぎない場合も多いとみられる。
発達した社会では、勞働の厳しさや熟練度の違いは一般に、勞働賃金で調整されている。
ごく初期の未開の社会でも、同様の調整が何らかの形でおこなわれたはずである。
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この最古の状態においては、労働の全生産物は労働者のものであり、何等かの物品を獲得し又は生産する上に普通必要な労働量は、通例その物品で購入し、支配し又は交換すべき他人の労働量を指定し得る唯一の事情である。
ごく初期の未開の社会では、勞働の生産物はすべて働いた人のものになる。
そして、ある商品を獲得するか生産するために通常必要になる勞働の量が、その商品によって通常購入でき、支配でき、交換できる勞働の量を決める唯一の要因である。
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資本が一度び特殊な人々の手に蓄積されるや否や、その中の或者は自然その資本を用いて勤勉な人に材料と生活資料を供給して労働につかせ、その労働の産物を売って、又はその労働が材料の価値に附加したものによって、利潤を収めようと図るであろう。
完全な製造品を貨幣、労働、又は他の貨物と交換する場合には、材料の価格及び労働者の賃金を支払うに足るもの以上に、この冒険に敢て資本を投じたこの仕事の企業家の利潤として、何物かが与えられなければならない。
されば労働者が材料に附加する価値は、この場合二つの部に分たれる。
即ちその一部はその労働者の賃金を支払う部分であり、他の一部はその雇主が前払した材料と賃金の全資本にたいして利潤となる部分である。
雇主は彼の労働者の労働の生産物を売却することによって、彼の資本を回収すに足るものより以上の何者かを予期しないならば、労働者を姿容する興味を何等感じ得ないであろう。
また、彼の手にする利潤が、彼の投ずる資本の大小と何等かの比例をもっていないならば、彼は小資本よりも寧ろ大資本を投ずる興味を何等持ち得ないであろう。
資本を蓄積する人が登場するようになると、自然な動きとして、勤勉な人々を雇い、原材料と生活費を支給して仕事を与え、生産されたものを売ることによって、言い換えれば、勞働が原材料に付け加えた檟値によって、利益を得ようとする人が出てくる。
完成した商品を金銭か勞働かほかの商品と交換する際には、それによって原材料の代金と勞働者の賃金を支払えるだけでなく、資本を事業に投じてリスクをとった事業主が利益を確保できなければならない。
このため、勞働者が原材料に付け加えた檟値はこの場合、二つのものに充てられる。
一つは勞働者の賃金であり、もう一つは雇い主が原材料と賃金の支払いに使った資本の利益である。
勞働者が生産したものを販売しても資本を回収できるだけで、それ以上を得られるとは予想できないのであれば、事業主は勞働者を雇うことに関心を持てないだろう。
また、利益が資本の大きさに比例するのでなければ、事業に投じる資本を増やすことに関心を持てないだろう。
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資本の利潤は、特殊の種類の勞動卽ち監督と指導の労働に対する賃金の別名に過ぎないと考える者があるかもしれない。
だが、利潤は賃銀とは全然異なったものであって、全く異った原則によって規定され、且つこの謂ゆる監督と指導の勞動量、困難又は工夫とも何等の比例も持たないものである。
利潤は全く使用された資本の価値によって規定されるもので、その大小はこの資本の大小に比例するのである。
例えば製造業資本(manufacturing
stock)の普通の年利潤が一割に当る或る場所に、二つの異った製造業が在って、その双方において同じく二十人の勞動者が雇用されて居り、その賃銀が一人一ヶ年十五磅
の割合で、両工場においてそれぞれ一年三百磅に上ると仮定せよ。
また一方において加工される粗悪な材料が七百磅にしか値しないのに反し、他方で加工される優良な材料が七千磅に値すると仮定せよ。
この場合前者で年々使用される資本(Capital)(註一)は一千磅にしか達しないが、後者で使用されるそれは七千
三百磅に上るであろう。
そこで利潤の率は一割であるから、前者の企業家は一年に約百磅の利潤しか期待するに過ぎないが、後者の企業家は約七百三十磅の利潤を期待するであろう。
ところで両者の利潤こそこのように非常に相違しているが、両者の監督及び指導の労働は全く同じか又は殆んど同じであろう。
多くの大工場ではこの種の労働の殆んど全部は、若干の主要な役員に委任されている。
この役員の賃銀が本来、監督及び指導の労働の価値を表現するものである。
この賃金を決定するに当って、普通その役員の勤労及び熟練にたいしてのみならず、彼に与えられた信用にたいして若干の酌量が加えられはするが、然しその賃金は、彼がその処理を監督している資本にたいして、何等一定の割合を以っているものではなく、一方この資本の所有者は、かくして殆んど一切の労働の負担を免れるに拘らず、なお彼の収める利潤が彼の資本にたいして一定の割合を保つべきことを期待するのである。
であるから商品の価格において、資本の利潤は、労働の賃金とは全然異り、また全然異った原則によって規定される一構成部分を成すものである。
資本の利益も、名前は違うが賃金の一種であり、監督と指揮という勞働の賃金にすぎないとする見方もあるだろう。
しかし、資本の利益は賃金と正確が全く違う。
まったく違う原理がはたらいており、資本の利益は監督と指揮の勞働とされるものの量や厳しさ、創意工夫の程度とは比例しない。
資本の利益は使用される資本の量だけで決まり、資本の量に比例して増減する。
たとえばある地域で、製造業に投じられる資本の利益率が通常年に10パーセントであり、業種の違う二つの製造所があって、それぞれが年15ポンドの賃金で20人を雇っているとしよう。
どちらの製造所も年に総額300ポンドの賃金を支払っている。
さらに、一方の製造所では安い原材料を使い、年に700ポンドの原材料費がかかるが、もう一方の製造所では高い原材料を使い、年に7000ポンドの原材料費がかかっていると想定しよう。
年間に使用する資本は、一方では1,000ポンドに過ぎないが、もう一方では7,300ポンドになる。
したがって、年10パーセントの利益率では、一方の事業主は年間の利益が100ポンド前後になると予想するが、もう一方の事業主は年間の利益が730ポンド前後になると予想する。
利益率が同じであれば、利益の額は投じた資本の額に比例するという。
このように利益に大きな違いがあるが、監督と指揮の勞働はまったくといってもいいいほど變わらないだろう。
大規模な製造所では、監督と指揮の勞働がほぼすべて所長に任されていることが多い。
所長の賃金は、この監督と指揮という勞働の檟値を適切に示している。
所長の賃金を決める際には、その勞働と熟練とともに、所長によせる信頼の程度も考慮するのが通常だが、それでも、管理する資本の額に賃金が比例することはない。
そして、資本の所有者はこのようにしてほぼすべての勞働を免れても、資本に対してある比率の利益が得られると期待する。
このように、商品檟格の構成のうち、資本の利益は勞働の賃金とは性格が違い、まったく違った原理によって決まっている。
89
かかる状態にあっては、労働の全生産物は必ずしも労働者に属するものではない。
彼は多くの場合、彼を雇用する資本の所有者とその生産物を分たなければならない。
この状態では、何等かの商品を獲得するために通例使用される勞動量も、又それを生産するために通例使用される労働量も、最早その商品を以って通例購入し、支配し又は交換すべき労働量を規定し得る唯一の事情ではなくなる。
賃金を前払し、その労働の材料を供給した資本の利潤のために、労働量の他に一つの附加量(aditional quality)が割当てられなければならない。
こうした状況では、勞働の生産物がすべての勞働者のものになるとはかぎらない。
ほとんどの場合、職を提供した資本の所有者と分け合わなければならない。
そして、ある商品を獲得・生産するために通常必要になる勞働の量は、その商品によって通常購入・支配でき、交換できる勞働の量を決める唯一の要因ではなくなる。
もうひとつの要因として、労働の賃金を支払い、原材料を提供した資本の利益を加えなければならないことは明らかだ。
90
或る国の土地がすべて私有財産となるや否や、地主も亦すべての他の人々と同じに、自分の手で種を蒔かぬ場所で刈入れをすることを愛し、その土地の自然産物にたいしてさえ、地代を要求する。
森林の樹木、野原の草、及び大地のあらゆる果実は、土地が共有であった時代には、労働者にとってはそれを採集する労苦に値しないものであったが、今や労働者にとってさえも、それらのものは附加的価格を持つようになったのである。
労働者はそこでそれらのものを採集する許可にたいして代償を支払わなければならず、彼の労働によって或は採集し或は生産したものの一部分を地主に割譲しなければならない。
この部分、結局同じものであるが、この部分の価格は、土地の地代を構成し、大部分の商品の価格において、第三の構成部分を成すものである。
ある国の土地が全て私有財産になると、地主は他の人たちと同様に、蒔かないところから刈り取ろうとし、自然の産物に対しても地代を要求する。
森の木や草原の草などの大地の産物は、土地が共有であったときには採取の手間だけで入手できたが、今では採取した人すら、追加の檟格を支払わなければならなくなっている。
採取の許可に対する支払いが必要になり、自分で採取するか生産したもののうちの一部は、地主に引き渡さなければならない。
この部分かその檟格が土地の地代であり、商品の大部分で、檟格の第三の構成要素になる。
91
ここに注意しておかなければならぬことは、価格のこれらすべての構成部分の実際価値が、それら各々の部分をもって購入し又は支配し得る労働量によって測定されるということである。
卽ち労働は、価格のうちの労働に還元する部分の価値を測定するばかりでなく、地代に還元する部分の価値も、利潤に還元する部分の価値も、之を測定するのである。
檟格の構成要素の全てで、その真の檟値を測る尺度は、それぞれによって購入・支配できる勞働の量であることに注意すべきだ。
勞働は、檟格のうち勞働のあてられる部分の檟値を測る尺度であるだけでなく、地代にあてられる部分と利益にあてられる部分でも、檟値をはかる尺度である。
92
すべての社会において、あらゆる商品の価格は、結局これら三つの部分の何れか一つに、又はその全部に還元するものである。
而してすべての進歩した社会においては、これら三つの部分の全部が、大部分の商品の価格の中へ、その構成部分として多かれ尠かれ這入り込んでいるのである。
どのような社会でも、全ての商品の檟格は、この三つのうち一つか二つ、あるいは三つにあてられる。
そして、発達した社会では、商品の大部分でこの三つが全て、多かれ少なかれ檟格の構成要素になっている。
発達した社会では、私有財産制の下で土地を使用する地代(もしくは土地を購入した資金の利息)も商品檟格を構成する。
93
例えば穀物の価格においてその一部は地主の地代を支払い、他の一部はそれを生産するために使用された勞動者及び家畜の賃銀又は維持費を支払い、第三の部分は農業家の利潤を支払うのである。
これら三つの部分が直接にかまたは結局において、穀物の全価格を形成するように思われる。
この外に、農業家の資本を償却するために、言い換えればその家畜その他の農業上の用具の消耗磨損を償うために、第四の部分が必要であると、或は考えられるかもしれない。
だが、農業上の一切の用具の価格、例えば農耕用馬にしても、それ自身が右の三つの部分から成立していることを考えなければならない。
卽ち、その馬を飼育した土地の地代、それを飼育した労働、及びこの土地の地代に並にこの労働の賃金を前払した農業家の利潤、是である。
されば穀物の価格は、たとえ農耕用具の価格と維持費を支払うとは言え、なお直接にか又は結局において、地代と労働(註一)と利潤の三つの部分に分解されるのである。
たとえば、穀物の檟格には、第一に地主の地代にあてられる部分があり、第二に穀物を生産した勞働者の賃金と家畜の維持にあてられる部分があり、第三に農業経営者の利益にあてられる部分がある。
この三つによって、直接的にか、穀物檟格の全体が構成されているとみられる。
第四の部分が、農業経営者の資本を回収するために、つまり、農業に使われる家畜や用具の消耗を補うために必要だと思えるかもしれない。
しかし、農業に使われる家畜や用具の檟格もやはり、同じ三つの部分から構成されることに注意すべきだ。
農耕馬を例にとれば、飼育に使われる土地の地代、世話をする勞働者の賃金、土地の地代と勞働者の賃金を支払う農業経営者の利益の三つで構成されている。
したがって、穀物檟格には農耕馬の檟格と維持費が含まれているとしても、檟格の全体が直接的にか最終的に、地代、賃金、利益という同じ三つの部分にあてられていることに變わりはない。
94
麵麭粉
及び穀粉の価格では、穀物の価格へ製粉業者の利潤とその使用人の賃銀を加えなければならず、麵麭の価格では、更にそれへ麵麭製造家の利潤とその使用人の賃銀を加えなければならず、且つ両者の価格においてこの外に、穀物を農業家から製粉業者のところへ輸送する労働、及び製粉業者から麵麭製造家へ輸送する労働と、それにこれらの労働の賃銀を前払した人々の利潤とを加えなければならない。
小麦粉の檟格の場合には、穀物の檟格に粉屋の利益と従業員の賃金を加えなければならない。
そして小麦粉の檟格とパンの檟格には、農業経営者から粉屋のまで穀物を運び、粉屋からパン屋まで小麦粉を運ぶ勞働者の賃金と、賃金を支払う雇い主の利益を加えなければならない。
95
亜麻の価格も穀物の価格と同じ三つの部分に分解される。
亜麻布の価格においては、我々は更に、亜麻仕上工、紡績工、織工、漂白工等の賃銀と、それらの職工の雇主の利潤を加えなければならない。
亜麻の檟格も、穀物の檟格と同じ三つの部分にあてられる。
亜麻を材料とする亜麻布の檟格には、亜麻仕上げ工、紡績工、織工、漂白工などの賃金と、それぞれの雇い主の利益を加えなければならない。
96
或る一定の商品において、一層多く加工が必要である場合には、その価格の中賃銀及び利潤に分解される部分は、地代に分解される部分に比して、一層大となる。
製造業の進歩するにしたがって、各段階の加工の利潤の数が増加するばかりでなく、後段の利潤は常にその前段の利潤より大である。
と云うのは後の段階の資本(Capital)がいつも一層多額でなければならないからである。
例えば織工を雇う資本は紡績工を雇う資本よりは多額でなければならない。
何となれば前者の資本は後者の資本と利潤を弁償するばかりでなく、その外に織工の賃金を支払うからである。
而して利潤は常に資本にたいして或る割合を保たなければならない。
どの商品でも加工段階が進むとともに、檟格のうちの賃金と利益にあてられる部分の比率が高くなり、地代のあてられる部分の比率が低くなる。
加工が進むと、各段階での利益が積み重なっていくだけでなく、後の段階ほど前の段階より利益が多くなる。
これは、後の段階ほど、利益のもとになる資本が多くなるからである。
たとえば、糸を紡ぐ紡績事業より、次の段階+の織布事業の方が多額の資本を必要とする。
織布事業では、糸を仕入れるときに紡績事業が資本を回収し利益を確保する檟格を支払ったうえ、織工の賃金も支払うからであり、利益は必ず資本に比例するものだからである。
97
だが最も進歩した社会においても、その価格が二つの部分卽ち労働の賃金と資本の利潤にしか分解されない少数の商品が常に存在して居り、又その価格が全然労働のみから成り立っている更に一層少数の商品が常に存在している。
例えば海産魚類の価格においては、一部は漁夫の労働を支払い、他の部分はその漁猟に用いられた資本の利潤を支払うにとどまるのである。
後章で説くようにそこに時としては地代が加わることがあるけれども、そう云う場合は通例稀である。
しかし河川業者においては、尠くともヨーロッパの大部分を通じては、これとは事情が変っている。
鮭漁業は地代には土地の地代を支払う。
この地代には土地の地代と呼び難いものがあるにしても、しかしそれは賃金及び利潤と共に鮭の価格の一部を構成するのである。
スコットランドの或る土地では、少数の貧しい人々があって、海岸をつたって、普通スコットランド瑠璃(Scotch Pebble)の名で知られている斑色のある小石を拾集するのを業としている。
石工業者が彼等拾集業者に支払う価格は、全く彼等の労働の賃金だけであって、地代も利潤もその価格の如何なる部分をも構成していないのである。
しかし、とくに発達した社会でも、檟格が二つの部分、勞働の賃金と資本の利益だけにあてられる商品が少数ながら必ずある。
そしてさらに少数であるが、勞働の賃金だけにあてられる商品もある。
たとえば、海でとれる魚の檟格には、第一に漁師の賃金にあてられる部分があり、第二に漁業に使われる資本の利益にあてられる部分がある。
地代部分があることはめったにない(もっとも、以下の第一編第十一章に示すように、地代部分がある場合もある)。
淡水漁業では、少なくともヨーロッパの大部分で事情が違っていて、地代が支払われている。
たとえば、鮭漁業では地代を支払っており、鮭の檟格は、賃金、利益、そして地代の三つの部分から構成されている(土地の地代とはいえないかもしれないが)。
スコットランドの一部では、少数の貧しい人々がスコットランド瑪瑙と呼ばれる斑模様の小石を海岸で探すことを職業にしている。
石細工師がこれらの人に支払う檟格はすべて勞働の賃金になり、地代も利益も入っていない。
98
だが、如何なる商品の全価格も、それは結局においてこれら三つの部分のどれか一つ又は全部に分解されなければならない。
何となれば土地の地代と、その商品の産出、製造及び市場への輸送に用いられた全労働の価格を支払って後、どれだけの残額があっても、それは必然に誰かの利潤でなければならないからである。
しかし、どの商品でも全檟格が最終的に、この三つの部分のいずれかに、あるいは三つの部分のすべてにあてられている。
土地の地代を払い、生産や製造、市場への輸送
に使われた勞働の賃金を支払った後に残るものがあれば、それば誰かの利益になるはずだからである。
99
一つ一つとして観察した各特殊な商品の価格卽ち交換価値が、これら三つの構成部分のどれか一つ又は全部に分解されると同じように、各国家の労働の年々の全生産を構成する一切の商品の価格も、全体として観察すれば、同様な三つの構成部分に分解されなければならない。
卽ち、彼等の労働の賃銀、資本の利潤又は土地の地代として、その国家内の諸の住民の相dない分配されなければならないのである。
各社会の労働によって年々に採集され又は生産されるものの全体、それと同じことであるが、その全価格は、かくして本来その社会の種々の構成人員の或者の間に分配されるのである。
賃銀、利潤及び地代は、一切の収入(revenue)の三つの根本的泉源であると同時に、一切の交換価値の根本的泉源である。
すべての他の収入は、結局においてこれらのもののどれか一つから引出されるのである。
個別の商品の檟格、つまり交換檟値は個々に見た場合、この三つの部分のいずれかに、あるいは三つの部分のすべてにあてられているのだから、ある国で一年間の勞働によって生産される商品の檟格も、全体としてみた場合、同じ三つの部分にあてられているはずであり、その国の住民の間に、勞働の賃金、資本の利益、土地の地代のいずれかとして分配されるはずである。
ある社会で一年間の勞働によって生産されるもの、言い換えれば生産物の総額はまず、この三つの部分にあてられ、社会の構成員に分配される。
賃金、利益、地代の三つがすべての収入の源泉であり、すべての交換檟値の源泉である。
その他の収入はすべて、最終的にこの三つの源泉のうちのどれかに由来している。
100
何人にしても彼自身の持っている資源(fund)からその収入を引き出すものは、彼の労働からか、彼の資本からか、乃至は彼の地代から、それを引き出してこなければならない。
労働から引き出された収入は賃銀と呼ばれる。
資本を支配し又は使用する人々によって、資本から引出された収入は、利潤と呼ばれる。
而して、自身で資本を使用しないで、それを他人に貸す人々によって、その資本から引出される収入は、貨幣の利子(interest)又は使用料(use)と呼ばれる。
卽ち利子は、借手がその借りた金を使用して始めて獲得の機会を与えられた利潤にたいして、貸手に支払う報酬である。
その利潤の一部は自然、資本を使用するのを危険を冒しその労苦を敢てした借り手に属し、一部は借手にこの利潤獲得の機会を提供した貸手に属する。
貨幣の利子は常に一個の派生的収入(derivative
revenue)であって、その借手が第一の負債の利子を支払うために第二の負債を契約する浪費漢でない限り、その借入資本の使用によって獲得した利潤によってそれを支払い得ない場合には、何等か他の収入の宣言から支払わなければならぬものである。
専ら土地から生ずる収入は、地代と呼ばれて、地主に属する。
農業家の収入はその一部を彼の労働から引出し、他の一部を彼の資本から引き出してくる。
彼にとっては土地は、依って以ってこの労働の賃金を収得し、この資本の利潤を造出することのできる用具にすぎないものである。
一切の租税、これを本
とした一切の収入、一切の棒給、恩給、及び各種の年金は、結局においてこれら三つの収入の泉源の何れか一つから引出されるものであって、何れも直接にか間接にか、労働の賃銀、資本の利潤又は土地の地代から支払われるのである。
自分自身で収入を得るものは誰でも、勞働、資本、土地のどれかから収入を獲得しなければならない。
勞働から得る収入は賃金と呼ばれる。
資本を管理するか使用する人が資本から得る収入は利益と呼ばれる。
資本から得られる収入のうち、自分で資本を使うのではなく、他人に貸す人が得るものは資金の利用料であり、利子と呼ばれる。
利子は、借り手が貸し手に支払うものであり、借りた資金を使って利益を獲得する機会を得たことに対する報酬である。
その利益の一部は当然、資金を使うことに伴うリスクと手間にを負担した借り手のものになる。
そして一部は、この利益を得る機会を与えた貸し手のものになる。
利子はつねに派生的な収入であり、資金を使って得た利益によって支払うのでない場合には、他の収入源から支払わなければならない。
借り手に浪費癖があり、借金の利子を払うためにまた借金をするのでないかぎりは、そういえる。
土地の所有だけから生まれる収入は地代と呼ばれ、地主のものになる。
農業経営者の収入は、一部が自分の勞働から生まれ、残りは資本から生まれる。
農業経営者にとって土地は、自分の勞働による賃金を得られるようにし、自分の資本で利益を得られるようにするための手段に過ぎない。
すべての税金と、税金に基づくすべての収入、たとえば各種の棒給、恩給、年金型国債による収入は、いずれも最終的にこれら三つの収入の源泉のうちどれかに由来しており、勞働の賃金、資本の利益、土地の地代のどれかによって直接、間接に支払われている。
101
これら三種の収入がそれぞれ別個の人に配分される時は、それらは容易に区別されるが、それらが同一人に帰する場合には、時として互に混同される。
尠くとも日常の用語においてそうである。
この三種類の収入は、それぞれ別の人が得ているときには、簡単に区別できるが、同じ人が得ている場合には、少なくとも日常用語では混同されることがある。
102
自己の所有する土地の一部を自ら経営する地主農業家(Gentleman)は、耕作の費用を支払った後には、地主としての地代と利潤とを混同する。
尠くとも日常の用語においてはそうである。
わが北アメリカ及び西印度の植民者の大部分は、かかる境涯にある。
彼等の大部分は自身の所有地を経営して居り、したがって植民耕地の利潤という言葉を屢々聞くが、その地代という言葉を聞くのは稀である。
地主が所有地の一部でみずから農業経営を行う場合、農耕の経費を支払った後に残る収入は、地主としての地代と農業経営者としての利益からなっている。
しかしこの場合、収入の全体を利益と呼ぶことが多く、少なくとも日常用語では地代を利益と混同している。
北アメリカと西インド諸島にあるイギリス植民地の農園経営者はほとんどの場合、こういう状況にある。
農園経営者の大部分は自分の所有地で農園を経営しており、農園の地代はめったに話題にならないが、農園の利益が話題になることは多い。
103
普通の農業家でその農地の一般的作業を指導させるために監督人を雇っておくような場合は、殆んど無いのであって、彼等は概して鍬夫、鋤
夫として、自分の手で多く農事に従事している。
であるから彼等の収穫物の中地代を支払った残りのものは、彼等にたいしてこの農耕に使用された資本と、その普通の利潤とを支払わなければならぬばかりでなく、勞動者及び監督者として彼等の受け取る可き賃銀をも支払わなければならないのである。
だが地代を支払い資本を回収した後に残ったものは、凡て利潤と呼ばれている。
しかし明らかに賃銀がその一部を構成している。
この場合農業家は自分の労働で賃銀を節約しているのであるから、必然にその賃銀を自分で収得しなければならない。
こんなわけでここでは賃金と利潤とが混同されている。
国内の普通の農業経営者が、農耕全体の指揮を採る監督を雇うことはまずない。
たいていは、自ら鋤や鍬をなどをつかって、懸命に働いている。
このため、地代を払った後に残る収穫物には、農耕に使った資本を回収し、通常の利益を得る部分だけでなく、勞働者として監督者として受け取るべき賃金の部分があるはずである。
しかし、地代を支払い、資本を回収した後に残るものは利益と呼ばれている。
だが、その一部は明らかに「賃金」である。
農業経営者は自らの勞働で勞働者と監督者に支払う賃金を節約したのであり、その分は自分の賃金になるはずである。
したがって、この場合には賃金が利益と混同されている。
104
材料を購入する資本も持ち、その材料に加工して製品を市場へ送り出すまで、自分の生活を支える資本も持っている独立の製造業者は、親方の下に労働する渡り職人の賃銀と、その親方がその職人の製作品を売却して獲得する利潤と、この双方を収得しなければならぬ筈である。
だが彼の全収得は普通に利潤と呼ばれている。
ここでもまた賃銀と利潤とが混同されている。
製造業を自営していて、原材料の仕入れと、製品を市場に出すまでの生活費をともに負担できるだけの資本を持っている人は、雇い主のもので働くときに熟練工として得る賃金と、熟練工が作った製品を売って雇い主が得る利益の両方を獲得するはずである。
しかし、収入の全体が通常、利益と呼ばれており、この場合にも賃金が利益と混同されている。
105
自分の手で自分の所有の農園を耕作する園芸家は、三種の異った人間の性質、卽ち地主、農業家及び労働者の性質を、その一身に結合している。
故に彼の生産物は彼にたいして、地主の地代、農業家の利潤及び労働者の賃銀を支払うべきものである。
然るにこの場合彼の全取得は普通に彼の労働の取得と考えられている。
ここでは地代と利潤の二つが賃金と混同されている。
自分が所有する畑を自分で耕作する園芸農家は、地主、農業経営者、勞働者という三つの立場を兼ね備えている。
したがって、収穫物によって、地主としての地代、農業経営者としての利益、勞働者としての賃金を得るはずである。
だが、通常は収入全体が「勞働」によって得たものだと考えられている。
この場合には、地代と利益が賃金と混同されている。
106
文明国にあっては、その交換価値が労働のみから成る商品は極く僅かであって、大部分の商品の交換価値には地代及び利潤が多量に含まれているのであるから、その国の労働の年生産物は常に、その生産物を産出し、精製し、市場に持出すために使用された労働よりは、遙かに多量の労働を購入し又は支配するに足るであろう。
もしその社会が年々購入し得るだけの労働を全部年々使用するとすれば、勞動量は年次に大いに増加するであろうから、各年次の生産物の全部が、勤労者を支持するために使用されるような国家は、どこにも存在しないのである。
何れの国家においても、遊惰者がその年々の生産物の大部分を消費する。
その国の年々の生産物の普通価値又は平均価値が年々に増加するか、減少するか、又は同一状態であるかは、それが人民のこの二つの階級(order)の間に年々に配分される割合の相違によって、決定されなければならない。
文明国では、勞働だけから交換檟値が生じる商品は極めて少なく、大部分の商品で地代と利益が交換檟値のうちかなりの部分を占めるので、その国の勞働による一年間の生産物はつねに、それを生産し市場に運ぶために使われた勞働より、はるかに大量の勞働を購入・支配できる分量になる。
その国が年間の生産物で雇える勞働をすべて雇用した場合、勞働の量は毎年、大幅に増加するので、年間の生産物の檟値は毎年、前年よりも大幅に増加するだろう。
しかし、年間の生産物をすべて勤勉な人を維持するために遣う国はない。
どの国でも生産的な勞働に携わらない人が、かなりの部分を消費する。
そして、生産物が毎年、この二種類の人の間に分配される比率によって、生産物の通常檟値、平均檟格が毎年増加するか、減少するか、横ばいになるかが決まるはずである。
第七章 商品の自然檟格及び市場檟格について
107
各社会又はその近接地域においては、労働及び資本の各種使用のそれぞれに、賃銀及び利潤の普通率(ordinary rate)又は平均率(average rate)が存在する。
この率は、後章で説くように、一部はその社会の一般的事情卽ちその富めるか貧しきか、進歩しているか停止しているか、又は退歩しているかによって自然に規定せられ、一部は各使用のそれぞれの特性によって自然に規定される。
どの社会、その地域にも、勞働の賃金と資本の利益には、業種ごとに相場になっている通常で平均的な水準がある。
この相場は後に示すように、一つには社会全体の状況によって、つまり豐かか貧しいか、発展しているのか停滞しているのか衰退しているのかによって、もう一つはそれぞれの業種の性格によって、自然に決まっている。
108
同様に各社会又はその近接地域においては、地代の普通率又は、平均率が存在し、これも亦、後章で説くように一部はその土地の介在する社会又はその近接地域の一般的事情によって規定せられ、一部はその土地の自然的肥沃性又は改良された肥沃性の如何によって規定される。
同様に、どの社会、その地域にも地代の相場があり、これも後に示すように、一つにはその土地がある社会や地域の全体的な状況によって、もう一つにはその土地の本来の地味や耕作で肥えた地味によって決まっている。
109
これらの普通率及び平均率は、これをその率が一般に支配している時と場所においての、賃銀、利潤及び地代の自然率(natural rate)と読んでもよいであろう。
こうした相場は、その時期その地域での賃金、利益、地代の自然水準と呼ぶこともできる。
110
或る商品の価格が、その商品を産出し精製し市場に提供するために使用された土地の地代、労働の賃銀及び資本の利潤を、それら自然率にしたがって支払うに足る額よりも、多くもなければ尠くもない場合には、その商品はそれの自然価格とも呼ばれるもので売却されたのである。
ある商品を生産し市場に運ぶのに使われた土地の地代、勞働の賃金、資本の利益それぞれの自然水準に従ってえ過不足なく支払える檟格を、その商品の自然檟格と呼ぶこともできる。
111
この場合にはこの商品は、その持つ価値だけに、言い換えればその商品を市場に提供した人に実際において値しただけに、正確に売却されたのである。
何となれば普通の用語で或る商品の原価(price cost)と呼ばれているものには再びその商品を売却しようとする人の利潤は含まれていないが、若しその人が近隣の普通率の利潤を彼に齎
さないような価格でその商品を売却するとすれば、彼は明らかにこの商業においての損失者である。
と云うのは若し何等か他の方面へその資本を使用すれば、彼は普通率の利潤を獲得することが出来たに違いないからである。
その上からの利潤は彼の収入であり、彼の生活の本来の資源である。
彼はこの貨物を準備し市場に提出する間、その使用する労働者に賃銀を、卽ちその生活資料を前払するのであるが、同時に彼自身の生活資料をも前払するのであって、この彼自身の生活資料が一般に、彼の貨物の売却から合理的に期待さるべき利潤に相当するものである。
だから若しこれらの貨物が彼にこの利潤を齎さないとすれば、正にそれらの貨物は、それが実際その人に値したと云ってもよいものを、その人に弁償しないのである。
ある商品の自然檟格とは、その商品の値打ち通りの檟格であり、その商品を市場に供給した人にとって、實際に要した額に等しい檟格である。
ここでいう實際に要した額は、日常の言葉で原檟や元値と呼ばれているものとは違って、資本の利益を含んでいる。
原檟には売り手の利益が入っていないが、その地域での通常の利益を確保できない商品を売れば、売り手は明らかに損失を被る。
資本を別の分野に振り向けていれば、通常の利益率を確保できたとみられるからだ。
それに、利益は売り手にとっての収入であり、生活を支えるために必要である。
商品を生産し市場に運ぶ際に、売り手にとっての収入であり、生活を支えるために必要である。
商品を生産し、市場に運ぶ際に、売り手は雇った勞働者に賃金を支払い、勞働者の生活を支えている。
そして同時に、自分の生活費を負担しており、この生活費は普通、商品を販売して得られると十分に予想できる利益に見合っている。
このため、それだけの利益を得られない場合には、實際に要したといえる額を回収できないことになる。
112
されば彼にこの利潤を保証する価格は、必ずしも商人が往々その値で彼の貨物を売却する価格中での最低のものではないが、彼が或る長い期間においても恐らくその貨物を売却する上での最低のものである。
尠くとも完全な自由が行われている処、卽ち思うままにその職業を変更し得る処においてはそうである。
したがって売り手は、そうした利益を確保できる檟格以下で商品を売ることがないわけではないにしても、かなりの期間にわたって、この檟格以下で販売を続けるとは考えにくい。
少なくとも、完全な自由があり、職業をいつでも變えられるのであれば、そうするとは考えにくい。
113
通例或る商品の販売される実際価格は、その市場価格と呼ばれる。
市場価格はその商品の自然価格以上である時もあれば、以下である時もあり、またそれと一致する時もある。
ある商品が實際に売買される一般的な檟格を、市場檟格と呼ぶ。
市場檟格は、自然檟格より高い場合も低い場合もあり、自然檟格に一致する場合もある。
114
あらゆる特定の商品の市場価格は、実際に市場に提供される商品の量と、その商品の自然価格——卽ちそれを市場に提供するために支払わねばならぬ地代、
労働及び利潤の全檟値——を支払う意嚮のある人々の需要との間の割合によって規定される。
そういう意嚮のある人々は之を有効需要者(effictual demander)と呼び、その人々の需要を有効需要(effictual demand)と呼んでもよいであろう。
と云うのはそういう需要は商品の市場への提供を有効ならしめるに足るからである。
有効需要は絶対需要(absolute demand)とは別個のものである。
一人の極めて貧しい人も、或る意味においては六頭立馬車にたいする需要を持っていると言ってよいであろう。
彼も出来ればそれが欲しいであろうから。
だが、その欲望を満足させるために、その商品が市場に提供されるようなことは絶対にあり得ないのであるから、彼の需要は有効需要ではないのである。
個々の商品の市場檟格は、實際に市場に供給される量と、その商品の自然檟格(つまり、商品を市場に供給するために必要な地代、賃金、利益の総額)を支払う意思のある人の需要との比率によって決まる。
こうした意思のある人は有効需要者と呼ぶことができる。
その需要は有効需要と呼ぶことができる。
商品を市場に供給する動きを引き起こす効果がある需要だからである。
有効需要は需要全体と同じではない。
どれほど貧しい人にも、六頭立て馬車に対する需要があるともいえる。
馬車を持てればと願っているかもしれない。
しかし、これは有効需要ではない。
この需要を満たすために商品が市場に供給されることはないからだ。
115
市場に提供された或る商品の量が、有効需要を満すに足りない場合には、地代、賃銀及び利潤の全檟値——その商品を市場へ提供する為に支払われねばならぬもの——を支払う意識のある人々が、一人残らずその欲するだけの量を提供されると云う訳にはゆかない。
その場合、彼等の中の或者は全然この商品を買取らずに帰るよりは、寧ろ、一層多くの価格を支払ってそれを購入しようとするであろう。
すると直ちに彼等の間に競争が開始されるであろう。
その結果市場価格は多かれ尠かれ自然価格以上に昇るであろうが、その上昇の度合は、右の商品の不足の度合又は競争者の富
及び放恣な奢侈がその競争の熱を煽る度合に応ずるであろう。
富を同じうし奢侈の程度を同じうする競争者の間では、同様な不足が一般に競争の熱を煽る度合は、その商品の購入がその場合彼に対して有する重要性の如何に応ずるであろう。
一都市の封鎖中又は飢饉の場合の生活必需品の価格の暴騰は、ここから来るものである。
市場に供給された商品の量が有効需要に満たないい場合には、商品を市場に供給するために必要な地代、賃金、利益の全額を支払う意思のある買い手でも、全員が希望する通りの量を買える状況ではなくなる。
買い手の一部は、商品を入手できないままになるより、もっと高い金額を支払って買おうと考える。
そこで、買い手の間の競争が起こり、市場檟格が自然檟格を多かれ少なかれ上回ることになる。
どこまで上回れるかは、不足の程度や、競争に加わった買い手の富と気まぐれな贅沢によって、競争がどこまで激しくなるかで決まってくる。
富と贅沢さの程度が同じであれば、その商品を入手することがどこまで重要なのかによって、競争の激しさが決まるのが一般的である。
都市が封鎖されるか、飢饉が起こった場合に生活必需品が法外な檟格になるのは、このためだ。
116
市場に提供された商品の量が有効需要を超過する場合には、その商品の全部が、
地代、賃銀及び利潤の全檟値——その商品を市場に提供する為に支払わるべきもの——を支払う意嚮のある人々によって、
一つ残らず買い取られると云うわけには行かない。
或部分はその檟値以下を支払う意嚮のある人々に売渡されねばならず、したがってその人々が右の部分に支払う低い価格は、全体の価格を引下げなければならない。
この場合市場価格は多かれ尠かれ自然価格以下に下降するであろうが、その下降の度合はその超過の程度が売手の競争を増加する度合に、又はその場合卽時に右の商品を売却することが売手にたいして有する重要性の度合に応ずるであろう。
されば腐敗性の商品の搬入における同様な超過は、耐久性の商品の場合よりは遙かに競争を大ならしめるであろう。
例えば古鐡の場合よりもオレンヂの輸入超過の場合の方が、売手の競争が甚しくなるの類である。
市場に供給された商品の量が有効需要を上回る場合、商品を市場に供給するために必要な地代、賃金、利益の全額を支払う意思のある買い手だけでは、商品を売り尽くすことはできない。
一部は、この金額を下回る檟格でなら買う人に売るしかなく、こうした人に安い檟格で販売すれば、全体の檟格が下がらざるを得ない。
この結果、市場檟格は自然檟格を多かれ少なかれ下回ることになる。
どこまで下回るかは、超過の程度によって売り手の競争がどこまで激しくなるかや、売り手にとって商品をすぐに売ることがどこまで重要なのかで決まってくる。
超過の程度が同じであれば、腐敗しやすい輸入品のほうが耐久性のある輸入品よりも競争が激しくなる。
たとえば、オレンジの方が鉄製品より競争が激しくなる。
117
市場に提供された商品の量が、ちょうど有効需要を満すだけの量であって、少しの超過も来たさない場合には、市場価格は自ら正確に自然価格と同一なるものとなるか、又は我々の判断し得る限りそれに近いものとなる。
市場にある右の商品の全量は、之をその価格で売捌くことが出来、それ以上での価格で売捌くことはできない。
諸商人は競争の結果何もこの価格を承諾せざるを得ないが、これ以下の価値を承諾する必要はないのである。
市場に供給された商品の量が有効需要に等しい場合、市場檟格は当然、自然檟格に等しくなるか、ほぼ等しいといえるほどになる。
供給された全量がこの檟格で売却でき、自然檟格を上回る檟格で売ることはできない。
売り手の間の競争によって、売り手全員がこの檟格を受け入れるしかなくなるが、自然檟格を下回る檟格を受け入れる必要はない。
118
市場に供給される各商品の量は、自然に有効需要に適合するようになる。
と云うのはその量が決して有効需要を超過しないということは、何等かの商品を市場へ提供するためにその土地、労働又は資本を使用する人々の凡てにとって利益だからであり、又その量が決して有効需要以下でないと云うことは、凡ての他の人々にとって利益だからである。
市場に供給される商品の量は、自然に有効需要に見合ったものになる。
市場に商品を供給するために土地、勞働、資本を使う人にとっては、供給量が有効需要を上回らないことが利益になり、それ以外の全ての人にとっては、供給量が有効需要を下回らないことが利益になる。
119
若し或る場合に、市場に提供される商品の量が有効需要を超過するならば、その商品の価格の構成部分の或物が、その自然率以下で支払わなければならない。
そのことが地代について起これば、地主の利益は即刻彼を促してその土地の一部をその使用から撤回せしめるであろうし、もしそれが賃銀か又は利潤において起れば、前の場合では労働者の利益、後の場合では雇主の利益が、彼等を促してその労働又は資本の一部をその使用から撤回せしめるであろう。
そこで市場に提供される商品の量は、間も無く有効需要を満たして余りの無いものとなり、その価格の凡ての構成部分はその自然率に達し、全価格は自然価格に達するであろう。
供給量が有効需要を上回った場合には、檟格の構成要素のうちどれかで、檟格が自然水準を下回るようになる。
地代がそうなった場合、地主は自分の利害を考えて、すぐに土地の一部をその商品の生産にあてなくなる。
賃金か利益がそうなれば、勞働者か雇い主が自分の利害を考えて、それぞれ勞働か資本の一部をその商品の生産にあてなくなる。
その結果、市場への供給はすぐに有効需要を満たす量を上回らなくなる。
檟格を構成する各部分は、それぞれの自然水準まで檟格が上昇し、商品の檟格は自然檟格まで上昇する。
120
これに反して市場に提供される商品の量が或る場合有効需要を満たすに足りないようなことがあれば、その価格の構成部分の或物はその自然率以上に上昇しなければならない。
そのことが地代において起これば、凡ての他の地主の利益は自然彼等を促して、この商品産出のために一層多くの土地を提供せしめるであろう。
又それが賃銀又は利潤において起れば、凡ての他の勞動者及び商人の利益は直ちに彼等を促して、その商品の製出及び市場への提供に一層多くの労働と資本を使用せしめるであろう。
そこで市場に提供される商品の量は間も無く有効需要を充すに足るものとなり、その価格の凡ての構成部分は間も無く自然率に下降し、全価格はその自然価格に下降するであろう。
これに対して、市場への供給量が有効需要を下回った場合には、檟格の構成要素のうちどれかで、檟格が自然水準を上回るようになる。
地代がそうなった場合、他の地主が自分の利害を考えて、土地の一部をその商品の生産にすぐにあてるようになる。
賃金か利益がそうなれば、他の勞働者か雇い主が自分の利害を考え、それぞれその商品の生産と供給に充てる勞働か資本をすぐに増やす。
その結果、市場への供給はすぐに有効需要を満たせるようになる。
檟格を構成する各部分はそれぞれの自然水準まですぐに檟格が低下し、商品の檟格は自然檟格まで低下する。
121
されば自然価格は、云わば、あらゆる商品の価格が不断にそれに引き付けられている中心価格(Central Price)である。
種々な出来事のために、時としてその価格が自然価格より可成り高い状態に留まっているようなことがあり、また時としては強いて多少それ以下に引き下げられるようなことがあるかも知れない。
だが、市場価格がこの安定及び持続の中心に落ち着くことを妨げる障碍が何であろうとも、市場価格は不断にこの中心へと引き付けられているのである。
したがって、自然檟格はいうならば中心檟格であり、すべての商品の檟格が絶えず自然檟格に引き寄せられるている。
偶然の動きによって、商品の檟格が自然檟格をかなり上回る状況が続いたり、自然檟格を幾分下回る状態になったりすることもある。
しかし商品の檟格は、静止し持続するこの中心に落ち着くのを妨げるどのような要因があろうと、いつもこの中心に向かって動いている。
122
或る商品を市場へ提供するために年々に使用される勤労の全量は、かくして自然に有効需要に適合する。
その勤労の全量は自然、常に有効需要を充して余りなき量だけを市場へ提供しようと目指すのである。
ある商品を市場に供給するために年間に供給するために年間に投じられる勞働量は、こうして自然に有効需要に見合ったものになる。
この勞働量は、市場への供給量が常に有効需要を過不足なく満たせるものになるように、自然に調整されている。
123
だが、ある仕事においては、勤労の量は同一であっても、年々に生産する商品の量に非常な相違があるであろう。
然るに他の仕事においては、同一量の勤労がいつも同一か又はほぼ同一量の商品を生産するであろう。
農業においては同一数の労働者が、年々に生産する穀物、葡萄酒、油及び忽布等の量に非常な相違があるであろうが、
同一数の紡績工及び織工は毎年同一量か又はほぼ同一量の亜麻布及び毛織物を生産するであろう
ある種類の産業においては、有効需要に適合させることの出来るのは、その平均生産物だけである。
その実際の生産物は平均生産物より屢々非常に多いこともあれば、非常に尠いこともあるのであるから、市場に提供される商品の量は時としては有効需要より可成り以下である場合もあれば、可成りそれ以上であることもあるであろう。
されば、たとえ有効需要がいつも同一程度を継続するようなことがあったとしても、その市場価格は大きな変動を受け、或時はその自然価格より可成り下落し、或時はそれより可成り上騰するであろう。
然るに他の種類の産業においては、同一量の労働の生産物は常に同一か又はほぼ同一であるから、その生産物の量を有効需要に一層正確に適合させることが出来る。
されば有効需要が同一状態を継続する間、その商品の市場価格も亦同一状態を継続し、その自然価格と全く同一か又は我々の判断し得る限りの同一に近いものとなる。
亜麻布及び毛織物の価格に穀物の価格に見るような頻々たる変動もなければ大きな変動もないのは、何人も経験によって知っているであろう。
或る種類の商品の価格は、需要の変動につれてのみ変動する。
然るに他の種類の商品の価格は、需要の変動につれて変動するばかりでなく、その需要を充たすために市場に提供される商品の量における遥かに大きな且つ遥かに頻繁な変動につれて変動する。
しかし、同じ勞働量によって生産される商品の量が、年ごとに大きく違う産業もあり、また、毎年ほとんど變わらないものもある。
農業では、勞働者の数が同じでも、年によって穀物、ワイン、種子油、ホップなどの生産量が大きく違うが、紡績や織布では、同じ数の勞働者が生産する亜麻布や毛織物の量は、毎年ほぼ變わらない。
生産量が年によって變わる産業では、有効需要に見合ったものになるとは言えるのは、平均生産量だけである。
實際の生産量は平均生産量を大きく上回ったり、大きく下回ったりすることが多いので、市場への供給量は有効需要を大きく上回ったり下回ったりする。
このため、有効需要に變化がなくても、市場檟格が大幅に變動し、ときには自然檟格を大きく下回り、ときには大きく上回る。
これに対して、勞働量が等しければ生産量がほぼ等しい産業では、生産量をもっと正確に有効需要に見合ったものにすることができる。
このため、有効需要に變化がなければ、商品の市場檟格もやはり變化せず、自然檟格に等しくなるか、ほぼ等しいと言える水準になる。
よく知られているように、亜麻布や毛織物の檟格は穀物檟格ほど頻繁に變動することはないし、大幅に變動することもない。
勞働量が等しければ生産量がほぼ等しい商品では、檟格の變動をもたらすのは有効需要の變動だけである。
これに対して、生産量が年によって變わる商品では、檟格の變動をもたらすのは有効需要の變動だけではない。
需要を満たすために市場に供給される量がはるかに頻繁に、はるかに大幅に變動して、檟格の變動をもたらしている。
124
何等かの商品の市場価格における随時的一時的変動は、その価格の中の賃金と利潤に分解される部分に、主として影響するものであって、地代に分解される部分がそれから受ける影響は比較的尠いのである。
貨幣で設定されてある地代は、その率においても又その価値においても、それによって少しも影響されることは無い。
粗製生産物の一定の割合又は一定の量から成立っている地代は、疑いもなくなくその年々の価値において、その粗製生産物の市場価格における凡ゆる一時的変動によって影響されるが、その年々の率において、それの影響を受けることは稀である。
借地契約の条件を設定するに当って、地主及び農業家は全知識を傾けて、生産物の随時的一時的の価格に準ぜず、平均普通の価格に準じて、その率を定めようと努めるからである。
商品の市場檟格の一時的な變動は主に、檟格のうち賃金と利益にあてられる部分に影響を与える。
地代部分への影響は少ない。
決まった額が支払われる金銭地代の場合には、率にも金額にも全く影響がない。
生産物の決まった比率か決まった量が支払われる場合ではもちろん、生産物の市場檟格が一時的變動すれば、年間に受け取る地代の金額が變わるが、地代の自然水準にまで影響が及ぶことはまずない。
地主と農業経営者は、土地の賃貸借契約の条件を取り決めるにあたって、それぞれの最善の判断に従って、地代の水準が生産物の一時的檟格ではなく、通常檟格、平均檟格に見合ったものになるように努力しているからである。
125
そう云う随時的一時的変動は、その時市場が商品を仕入れ過ぎているか又は仕入不足であるか、或は労働を仕入れ過ぎているか又は仕入不足であるか、言い換えれば成し終わった仕事が多過ぎるか又は不足であるか、これから成さるべき仕事が多すぎるか又は不足であるかに応じて、賃金又は利潤の価値の上にも率の上にも影響する。
公葬のある場合には黒布(そう云う場合には殆んど常に市場にはその品が不足している)の価格が騰貴し、それをどれだけか多量に持っている商人の利潤を増加する。
が、それは織工の賃金の上に何等の影響も及ぼさない。
市場はその時商品の手持には不足しているが労働には不足していないのである。
言い換えれば成し終わった仕事には不足しているが、これから成さるべき仕事には不足していないのである。
公葬はまた渡り裁縫職人の賃金を釣上げる。
この場合市場は労働の手持に不足しているのであって、実際手に入れ得るよりも一層多量の労働、卽ちこれから成さるべき一層多くの仕事にたいして有効需要があるのである。
公葬は一方色附絹布及び織布の価格を下落せしめてどれだけか多量にそれを持っている商人の利潤を減少する。
同時にまたそういう商品の精製に使用されている労働者の賃銀を低下せしめる。
というのは六ヶ月の間、否恐らくは一ヶ年の間そういう商品にたいする一切の需要が停止するからである。
この場合市場は商品と労働の双方を仕入れ過ぎているのである。
商品の市場檟格の一時的な變動は、賃金か利益か、どちらかの率と金額の両方に影響を与える。
賃金と利益のどちらかに影響を与えるかは、そのとき市場で供給が過剰か不足になっているのが商品なのか勞働なのか、つまりすでに行われた仕事なのか、今後に必要な仕事なのかによって決まる。
公の喪があると、黒い布の檟格が上昇する(黒い布は喪の際にほとんど必ず不足している)。
そして、黒い布を大量に持っていた商人の利益が上昇する。
織工の賃金には影響を与えない。
市場で不足しているのは生地ではなく商品であって、生地を生産する勞働ではないからだ(すでに行われた仕事であって、今後に必要な仕事ではないからだ)。
だが、仕立て工の賃金は上昇する。
この部分では勞働が不足するからだ。
勞働に対する有効需要、仕事に対する有効需要が供給量を上回るのである。
また、色物の絹織物や毛織物の檟格が下がり、これらを大量に抱えている商人の利益が減少する。
さらに、これらの商品を生産するために雇われている勞働者の賃金が下がる。
色物の需要が6ヶ月間、おそらくは一年にわたって止まるからである。
この部分では、商品と勞働がどちらも過剰になる。
184
だが、各特定の商品の市場価格は、かくして常に自然価格の方へ引寄せられているとも云うべき状態に在るとは云っても、或時は特殊な偶発事、或時は自然的原因、又或時は特殊な政策上の規定のために、多くの商品の市場価格が、相当長い期間自然価格より可成り高い状態を保っている場合がある。
すべての商品の市場檟格はこのように自然檟格に絶えず引き寄せられているといえるが、ときには偶然の動きや自然要因、政府の法律によって、さまざまな商品で市場檟格が長期にわたって自然檟格を大きく上回り続けることがある。
185
有効需要に増加があって、或る一定の商品の市場価格が相当に自然価格以上に上騰する場合には、その商品を市場へ供給するために自分の資本を使用する人々は、概してこの変化を隠蔽しようと苦心する。
もしその変化が一般に知れ渡れば、その利潤を大は多くの新しい競争者を誘発してこの仕事に彼等の資本を使用せしめ、その結果有効需要は完全に満たされて、市場価格は間も無く自然価格へ加工して仕舞うか、恐らく時としてはそれ以下にさえなってしまうであろう。
若し市場がその商品を供給する人々の住家から非常に距っているならば、彼等は時としては数年間も秘密を保ち得ることがあり、したがってそんなに長い間一人の新競争者も出さずに彼等の異常な利潤を享受し得ることがある。
だが長くこの種の秘密の保たれることのない事実は、これを認めなければならない。
而してその以上な利潤はその秘密の保たれる期間以上は続き得るものではないのである。
有効需要が増加して、ある商品の市場檟格が自然檟格を大きく上回ったとき、その市場に供給するために資本を投じている商人は通常、この變化を秘密にしようとする。
この變化が知れ渡るようになれば、利益率の高さに引かれて、多数の新たな競争相手がその商品の供給に資本を投じようとするので、有効需要がすべて満たされるようになり、市場檟格はすぐに自然檟格まで下がる。
おそらくはしばらくの間、それ以下にまで下がるだろう。
その商品を供給する商人の住居が市場から遠く離れていれば、秘密を何年間にわたって守り通すことができ、新たな競争相手が参入しないまま、異例の利益を長く得られるかもしれない。
しかし、この種の秘密を長く維持できることは滅多にないと言えるし、秘密を守れなくなればすぐに異例の利益も維持で着なくなる。
186
商業よりも製造業の方が、秘密を長く保つことができる。
一人の染色業者があって、普通に普通に使用される材料の半値しかない材料で特殊の染色を施す方法を発見したとして、彼れは立派に経営さえすれば、一生涯その発見から来る利益を享受することもできるであろうし、それを遺産として子孫に伝えることさえも出来るであろう。
彼の異常な利益は、彼の個人的労働に支払われる高い価格から来るものである。
しかし本来からすれば、その利益は彼の労働の高い賃金から成っているのである。
とは言えその利益は彼の資本の各部分において繰返し獲得されるものであり、その総額はその場合彼の資本にたいして一定の割合を保っている物であるから、その利益は通例、資本にたいする異常利潤としてして考えられている。
製造業での秘密は、商業での秘密よりも長期にわたって維持できる。
自営の染色工が普通に使われる染料の半分の檟格で買える原料を使ってある色に染める方法を見つけたとする。
うまく管理すれば、この発明による優位を一生にわたって確保できるだろうし、遺産として子孫に残すことすらできるかもしれない。
これによる異例の収益は、染色工が秘密の製法を使って働いていて勞働の檟格を高く維持していることから生じている。
實際には、染色工の自然水準より高い勞働賃金の高さに由来しているのだ。
しかし、異例の収益は染色工の資本のすべて原材料や銀行など資本の供給者で生じるし、その総額は資本の大きさに比例するのでその他の資本の供給者にも異例の収益は及び、一般には通常の資本の利益の水準ではなく資本の特別利益だと考えられている。
187
市場価格におけるこの種の高値は、明らかに特殊な偶発事の結果であるが、その作用は時としては数年に亙って継続することもある。
以上の場合、市場檟格が自然檟格を上回っているのは明らかに、偶然の結果だが、それでも、その作用が何年にもわたって続くことがある。
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或る自然生産物はそれが生産において地質と地位に一定の特殊性を必要とする。
その結果或る大国においてその生産に適している土地の全部をもってしても、有効需要を充すに足りない場合があり、その場合には市場に提供されるその生産物の全量は、それを産出した土地の地代と、それを精製し市場に提供する上に使用された労働の賃銀及び資本の利潤とを、それらのものの自然率に従って支払うに足る価格よりも、一層多くの価格を支払う意向のある人々に売渡されるであろう。
そういう商品は数世紀の間引続きその高値で売却されることがあり、その価格の中土地の地代に分解される部分が、この場合概してその自然率以上に支払われる部分である。
かかる特異な高値な生産物を産出する土地の地代、例えば特に多幸な地質と位置を持っているフランスの或る葡萄栽培地の地代の如きは、同様に肥沃で同様に善く耕されているその近接地の他の土地の地代にたいして、何等正規の割合を保っているものではない。
ところがこれに反して、そういう商品を市場に提供する上に使用される労働の賃銀と資本の利潤とは、近接地において他の業務に使用される労働の賃銀と資本の利潤にたいして、その自然的割合を越えることは稀である。
自然の産物に中には、特殊な土壌や場所でなければ生産できないものがあり、ある大国でそれに適した土地がすべて使われても、有効需要を満たせない場合がある。
この場合、市場に供給される全量が自然檟格(それを生産する土地の地代、生産と市場への輸送に使われる勞働者の賃金、資本利益を自然水準にしたがって支払うのに必要な金額)以上を支払う買い手に販売されることになろう。
このような商品は、何世紀にもわたって高檟格で売買されうる。
そしてこの場合、檟格のうちに地代に当てられる部分が一般に、自然水準以上に支払われる部分になる。
例えば、土壌と場所に恵まれたフランスの一部の葡萄
園がそうだが、貴重な産物を生産できる土地の地代は、同じように肥沃で、同じようによく耕作されている近隣のうちの地代とは比例しない。
これに対して、これらの産物を市場に供給するために使われる勞働の賃金と資本の利益は、近隣地域で他の用途に使われる勞働の賃金、資本の利益と比較して、自然の比率を超えるほど高い場合は滅多にない。
7-24自然要因による高い市場檟格は長く維持される
この場合、市場檟格が自然檟格を上回っているのは明らかに、有効需要を満たすまでに供給量が増えるのが自然要因によって妨げられている結果であり、このため、その作用がいつまでも続く可能性がある。
7-25独占檟格による高い市場檟格の獲得
個人や貿易会社に与えられた独占権は、商業や製造業での秘密と同じ効果を持つ。
独占者は有効需要を満たせない範囲に供給を抑え、市場でいつも供給が不足するようにして、自然檟格を大きく上回る檟格で商品を売り、賃金か利益として得られる収入を、自然水準を大きく上回る水準に引き上げる。
独占檟格はいつでも、売り手が獲得できる最高の檟格である。
これに対して自然檟格、つまり自由競争による檟格は、売り手が受け入れられる最低の檟格である(いつでもそうだというわけではないが、かなりの期間にわたって見ればそう言える)。
独占檟格はいつでも、買い手から搾り取れる最高の檟格、買い手が同意すると考えられる最高の檟格である。
自然檟格は売り手が、一般位受け入れ入れるこ
とのできる最低の檟格、事業を継続できる最低の檟格である。
7-26同業組合、徒弟法による高い市場檟格の獲得
同業組合の特権、徒弟法など、ある種の職業で競争を少人数に限定する法律も、独占ほど強くはないが同じ影響を及ぼす。
これらは独占の一種であり(独占者の数が多い点で普通の独占とは違っているが)、何世代にもわたって、その業種のすべての部門で商品檟格を自然檟格より高い水準に維持することも少なくない。
7-27法律によって高い市場檟格が維持される
この場合、市場檟格が自然檟格を上回る状況は
、それをもたらした法律が続くかぎり、継続する可能性がある。
7-28市場檟格が自然檟格を下回り続けることはない
どの商品でも、市場檟格が長期にわたって自然檟格を上回ることはあるが、長期にわたって下回り続けることはまずできない。
商品檟格を構成する要素のうちどれかの檟格が自然檟格を下回ると、それによって影響を受ける人がすぐに損失に気付き、その商品の生産に土地か勞働か資本を使うのすぐに辞めるので、市場に供給される量が減少して、有効需要を満たせるだけになるだろう。
このため、市場檟格がすぐに自然檟格まで上昇する。
少なくとも完全な自由があればそうなる。 p>
7-29産業の衰退と市場檟格
徒弟法や同業組合の特権を認めた法律によって、産業が繁栄しているときには、自然水準を大きく上回るまで賃金を引き上げることができるが、産業が衰退すると逆に、自然水準を大きく下回るまで賃金を引き下げるしかなくなることがある。
これらの法律のために、産業が繁栄しているときには、多数の人がその職業に着くのが妨げられるが、産業が衰退すると、その産業の人が逆に他の職業に着くのが妨げられる。
しかし、そのような法律によって賃金が自然水準を下回る状態は、賃金が自然状態を上回るほどには長続きしない。
賃金が高い状態は何世紀に渡っても続くことがあるが、賃金が低い状態は、その産業が繁栄していたときに要請された人が働ける間しか続かない。
これらの人が死んで行った後、その職業につくよう養成される人の数は自然に有効需要に見合ったものになる。
インドや古代エジプトには厳しい規則があって、全員が父親の職業を継ぐよう強制され、違った職業につくことが宗教上の禁忌になっているが、そうなっていない限り、ある職業で何世代にも渡って、勞働の賃金か資本の利益が自然水準を下回る状態が続くことはない。
法律による同業組合等の特性
法律によって独占を認められた同業組合などは、檟格を自然檟格以上に保つために生産量を有効需要以下に限定する。
生産量を増やすことができないように、法律などで参入障壁を高くして、参加する勞働力を制限する。
一方、産業が衰退して有効需要が減少しても、法律によって一定の生産量を要求される。
商品檟格が自然檟格を下回り賃金水準が低下しても、生産量維持のために勞働者は職業選択の自由が認められていない。
7-30市場檟格と自然檟格の一時的な乖離のまとめ
商品の市場檟格が一時的にか長期的にか自然檟
格から離れることについて、当面論じておくべきだと考える点は以上ですべてである。
7-31社会状況の變化によって自然檟格も變動する
自然檟格も變動する。
その構成要素である賃金、利益、地代の自然水準が變動するからだ。
そしてそれぞれの自然水準は、社会の状況によって、つまり社会が豐かか貧しいか、発展しているのか停滞しているのか衰退しているのかによって違っている。
以下の四つの章では、これらの自然水準の違いをもたらす要因について、できる限り詳細に、明確に説明するよう試みていく。
四つの章の内容
第八章 賃金の自然水準
第九章 資本の利益の自然水準
第十章 賃金と利益の比率
第十一章 地代の自然水準
7-32 社会の状況によって賃金水準はどのような影響を受けるか
第一に、賃金水準を自然に決定する要因はどのようなものであり、社会が豐かか貧しいか、発展しているのか停滞しているのか衰退しているのかによってどのような影響を受けるかを説明していく。
7-33社会の状況によって利益率の水準はどのような影響を受けるか
第二に、利益率を自然に決定する要因はどのようなものであり、社会の状況の違いによってどのような影響を受けるのかを説明していく。
7-34業種ごとの賃金と利益の比率を決める要因は何か
金銭的に見た場合、勞働の賃金と資本利益は業種ごとに大きく違っている。
しかし、業種ごとの賃金の違いと、業種ごとの利益の違いとを比較すると、通常、その比率が一定になっているように思える。
この比率は、後に明らかにするように、一つにはそれぞれの業種の性格によって決まり、もう一つにはそれぞれの社会の法律や政策の違いによって決まる。
しかし、この比率は様々な点で法律や政策に影響されるが、社会が豐かか貧しいか、発展しているか停滞しているのか衰退しているのかにはほとんど影響されず、社会の状況が變わってもほとんど變わらないように思える。
そこで第三に、この比率を決める様々な要因を
説明していく。
7-35地代の自然水準を決める要因
最後に第四の点として、地代水準を自然に決定する要因がどのようなものであり、様々な土地生産物の真の檟格を變動させる要因がどのようなものなのかを説明していく。
第八章 勞働の賃金
8-1土地の所有と資本の蓄積がない時代
勞働の生産物こそが、勞働の自然な報酬であり、自然な賃金である。
土地が占有されておらず、資本が蓄積されていない原始的な社会では、勞働の生産物はすべて、働いた人のものになる。
地主も雇い主もいないので、生産物を分け合う必要もない。
原始社会
土地は私有財産ではなく共同所有のため地代は発生しない。
私有財産の概念がなく、資本の蓄積はできずその利益も発生しない。
8-2地代と利益が存在しない状態が続くと社会は豐かになる
この状態が続いていれば、分業によって勞働の生産性が向上すると共に、勞働の賃金が上昇してきたはずだ。
全てのものが徐々に安くなっていったはずである。
全てのもので、生産に使われる勞働の量が少なくなっていく。
そしてこの状態では当然、同じ量の勞働で生産されるものが互いに交換されるので、ある商品を入手するとき、それと交換するのに必要な商品の生産に使われる勞働の量が少なくなっていく。
生産性の向上と豐かさ
分業が進むと勞働生産性が向上する。
短い時間で多く生産できるようになるので、勞働時間に対する賃金は上昇し、市場への商品の供給量も多くなる。
一方で、商品に費やされる勞働の量は少なくなるので商品の真の檟値は低下し、商品檟格は安くなる。
そうすると、財貨をより多く手に入れ消費することができるようになるので、社会は豐かになる。
8-3勞働生産性の向上の差によって交換比率が變わる場合
このように、實際にはすべてのものが安くなっていくのだが、以前より高くなったと見えるもの、つまり、それと交換するために必要な別の商品の量が増えたと思えるものも少なくないだろう。
たとえば、大部分の仕事で勞度生産性が十倍に高まり一日の勞働で生産できる分量が以前の十倍になったが、ある特別の仕事では勞働生産性が二倍に高まっただけで一日の勞働で生産できる分量が以前の二倍にしかならなかったと想定しよう。
それぞれの仕事一日の勞働によって生産されたものを互いに交換する場合、大部分の仕事で当初の十倍の生産物を、特別の仕事による当初の二倍の生産物と交換できるに過ぎなくなる。
普通の感覚で考えれば、この特別の仕事で生産されたものは、たとえば重さ1ポンド当たりの檟格が、当初の5倍になったと思えるはずである。
しかし、實際には、当初の半分になっている。
たしかに、この特別の生産物を交換によって手に入れるには、他の生産物が当初の5倍の分量必要になる。
しかし、この生産物を購入するか生産するかために必要な勞働の量は、当初の半分になっているのだ。
このため勞働の量を基準にすれば、この生産物
を手に入れるのが、当初の半分にまで容易になったといえる。
8-4原始社会は分業による生産性が向上する以前に終了している
しかし、勞働の生産物がすべて働いた人のもにになる原始的な状態は、土地が占有され、資本が蓄積されるようになるまでしか続かない。
つまり、勞働の生産物が飛躍的に向上する時期のはるか以前に、この状態は終わっている。
このため、この状態が続いたときに勞働の報酬
や賃金にどのような影響を与えたかをこれ以上追求する意味はないだろう。
8-5勞働生産物の檟値から差し引かれる要素(地代)
土地が私有財産になると、地主は勞働者が土地で生産できるか採取できるもののほとんどすべてで、自分の取り分を要求する。
こうして地代が、土地での勞働の生産物から差し引かれる第一の部分になる。
8-6勞働生産物か檟値から差し引かれる要素(資本の利益)
土地を耕す人が、収穫まで自分の生活を支えられるほど蓄えを持っていることは滅多にない。
たいていは、雇い主の農業経営者の資本から、生活費が支払われている。
そして農業経営者が勞働者を雇おうと考えるのは、勞働の生産物に対する取り分が得られるからであり、資本を回収して利益を得られるにほかならない。
こうして、資本利益が、土地での勞働の生産物から差し引かれる第二の部分になる。
資本の蓄積と雇用による資本の回収と利益の獲得
分業が進むと、業種や個人の努力の程度の差によって、自分の生活を支える財貨を蓄えることができない人が現れる。
一方、能力によっては自分の生活に必要以上の財貨を蓄えることができる人(自営勞働者)が現れる。
財貨を蓄えた人は、生活に必要な財貨を蓄えることができない人の勞働によって資本を回収し、勞働することなく自身の生活に必要な利益を得ようとする。
8-7農業以外の雇い主の資本の利益
農業以外でもほとんどすべての勞働で、同じように資本の利益が差し引かれる。
どの製造業でも、勞働者の大部分は、しごとの原材料を支給し、仕事が終わるまでの賃金を支払って生活を支えてくれる雇い主を必要としている。
雇い主は、勞働者の勞働の生産物、言いかえれば勞働によって原材料に付け加えた檟値に対する取り分を受け取るのであり、この取り分が資本の利益になる。
8-8自営勞働者は資本の利益と勞働の賃金の両方を得る
なかには、自分の仕事に使う原材料を買い、仕事が終わるまで自分の生活を維持できるだけの資本をもっていて、独立して仕事をしている人もいる。
この人は、雇い主と勞働者の両方の立場を兼ねており、自分の勞働の生産物、言い換えれば勞働によって原材料に付け加えた檟値を、すべて自分のものにできる。
通常なら二つに分かれる収入、それぞれ別の人が得る収入、つまり資本の利益と勞働の賃金を一人で得ている。
8-9通常は資本家と勞働者は別の人物である。
しかし、そのようなことは滅多になく、ヨーロッパのどこでも、雇い主の下で働く勞働者20人に対して、自営の人は一人しかいない。
そして、勞働の賃金はどこでも、資本を所有する雇い主と勞働者とが別の人物である通常の状態で、勞働者に支払われるものと理解されている。
8-10勞働者と雇い主の賃金をめぐる団結と交渉
勞働の普通の賃金はどこでも、通常、勞働者と雇い主の間で結ばれる契約によって決まり、両者の利得はまったく一致していない。
勞働者は賃金をできるかぎり高くしたいと望むし、雇い主はできるかぎり低くしたいと望む。
勞働者は賃金を引き上げるために団結しようと
し、雇い主は賃金を引き下げるために団結しようとする。
8-11雇い主と勞働者の力関係の差
しかし、両者が対立したときに通常どちらが有利な立場にあり、相手に自分の条件をのませるかを予想するのは難しくない
雇い主は人数が少ないので、団結するのがはるかに容易だ。
それに、法律上、雇い主の団結は許されているか、少なくとも禁止されていないが、勞働者の団結は禁止されている。
勞働の檟格を引き下げるための団結を禁止する法律はないが、引き上げるための団結を禁止する法律はいくつも制定されているのだ。
それに、賃金をめぐる争議では、雇い主の方がはるかに長く持ちこたえられる。
地主や農業経営者、製造業者、商人は、勞働者を一人も雇わなくても、それまでの蓄えで一年や二年は暮らしていけるのが普通だ。
これに対して勞働者には、仕事がなければ一週間ともたない人が多く、一か月もつ人は稀だし、一年もつ人はまずいない。
長期的にみれば、勞働者にとって雇い主が必要なのと變わらないほど、雇い主にとって勞働者が必要だとしても、その必要性は切迫したものではない。
勞働三権の歴史
初期においては勞働者の組織的な活動は認められず、イギリスにおいては弾圧のための立法として、1799年には団結禁止法も制定された。
運動もラダイト運動のように暴力的で自然発生的なものにとどまり、ピータールー事件(1819年)のように厳しく弾圧された。
しかし、19世紀初めにロバート=オーウェンらの社会主義の思想が生まれ、勞働者を法的に保護するとともに勞働組合を公認する動きが始まった。
その後、勞働組合は資本主義社会に広がり、その運動は国際的に連帯して大きな力をもつようになった。
1820年代の自由主義的改革の中で1824年に団結禁止法は廃止され、勞働者団結法によって勞働組合の結成が公認された。
1830年代には勞働者保護の立法として一般工場法(1893年)が制定され、勞働者の運動は要求實現のために参政権を得ようとするチャーティスト運動にまで高まっていった。
1848年、マルクスとエンゲルスが共産党宣言を発表し、勞働者の解放をめざす運動が理論的支柱を得て世界的に広がっていくと、イギリスでは1871年の勞働組合法でストライキ権が保証されるなど、勞働者の団結権・団体交渉権・ストライキ権が勞働三権として確立していった。
8-12雇い主の団結と勞働争議
勞働者の団結の話はよく聞くが、雇い主が団結した話は滅多に聞かないといわれる。
しかし、だから雇い主が団結することはめったいないと考えるのであれば、雇い主について知らないというだけでなく、世間を知らないというべきであろう。
雇い主はいつでもどこでも、暗黙のうちにではあるが必ず団結して、勞働の賃金を引き上げないようにしている。
この団結をやぶるのはどこでも、最悪の行動だとされ、地域や仲間の間で恥とされている。
雇い主の団結の話を滅多に聞かないのは、それが普通であり、自然の状態ともいえるものなので、誰も話題にしないからだ。
雇い主がとくに共同行動をとって、賃金を引き下げようとすることもある。
こうした行動は極秘に準備されて突然實行に移され、よくあることだが、勞働者が無抵抗のまま屈服した場合には、勞働者は雇い主が共同行動を採ったと痛切に感じるが、世間にその話が伝わるとことはない。
しかし、こうした共同行動に対して、勞働者が自衛のために団結して抵抗することも少なくない。
雇い主側の動きがなくても、勞働者が賃上げを求めて団結することもある。
そのようなときに主張されるのは、食料品檟格が上昇したことか、自分たちの仕事で雇い主が儲けすぎていることかであるのが普通だ。
しかし、勞働者の団結は防衛的なものも攻撃的なものも、いつも大きな話題になる。
勞働者は素早く決着をつけようと、かならず大きな騒ぎを起こし、そきには暴力をふるって衝撃を与える。
自暴自棄になり、追い詰められて、愚かで無謀な行動をとる。
雇い主を脅して、すぐに要求を受け入れさせることができなければ、自分たちが飢え死にするからだ。
こうした場合には雇い主も勞働者の非を訴えて騒ぎ立て、当局の介入と、使用人のや勞働者の団結を厳しく禁じる法律の厳格な適用を声高に求め続ける。
この結果、勞働者が団結して騒ぎ立て、暴力を振るっても、要求が受け入れられることはめったにない。
当局が介入するためもあり、雇い主が強硬な姿勢を崩さないためもあり、勞働者の大多数が屈服しなければ食べていけないためもあって、何も得られないまま首謀者が處罰されるか破滅するだけになるのが普通だ。
8-13賃金を水準以下にすることはできない
このように争議になったとき、雇い主は一般に勞働者を圧倒する立場にあるが、賃金には最低の水準があって、最下層の勞働でも、通常の賃金を長期にわたってこの水準以下にすることはできないように思える。
8-14
勞働者の最低賃金は維持される
人はいつでも働いて得た収入で食べていくしかないし、賃金は少なくとも生活できるものでなければならない。
そしてほとんどの場合、自分が食べていける以上の賃金が必要だ。
そうでなければ子供を育てることができず、次の世代の勞働者が育ってこない。
リチャード・カンティロンはこの点を理由に、その地域に住む最下層の勞働者でも、少なくとも自分が食べていくのに必要な生活費の二倍を稼がなければ、平均して子供二人を育てることができないと考えていたようだ。
妻は子供の世話が必要なので自分の生活費を稼げるだけであり、うまれた子供のうち成人に達するのは半分と想定されている。
この想定では、最下層の勞働者は平均4人の子供を育てなければ、二人の子供が成人に達する確率が十分にあるとはいえない。
そして、四人の子供の生活費は、成人一人分にほぼ等しいと考えられている。
カンティロンはさらに、壮健な奴隷の勞働は、奴隷の生活費の二倍の檟値があるとみられ、最下層の勞働者でも、壮健な奴隷よりも勞働の檟値が劣ることはありえないとも記している。
少なくとも、子供を育てるためには最下層の勞働者でも、夫と妻の勞働によって、夫婦が食べていくのにぎりぎり必要な生活費を上回る収入がなければならないことは確かだと思える。
しかし、この水準をどれほどの比率で上回る収入が必要なのか、上記の比率なのかどうかは、ここで論じようとは思わない。
8-15賃金引上げの可能性はある
しかし状況によっては、勞働者が有利な立場を確保することがあり、賃金をこの水準より、つまり普通の人道的観点からみて明らかに最低の水準より、大幅に引き上げることができる場合がある。
8-16人手不足が続くときは賃金は上がる
ある国で、賃金によって生活している各職種の勞働者に対する需要が増え続けているとき、言い換えれば、毎年、前の年よりも雇用者数が増加しているとき、勞働者は賃金を引き上げるために団結する必要はない。
人手不足によって雇い主が競争しあうようになり、賃金を引き上げて人手を確保しようとする。
その結果、普通なら賃金を引き上げないように自然に共同行動をとる雇い主が、みずから団結を乱すようになる。
8-17勞働需要は雇い主の資金の増加に比例する
賃金で生活している人に対する需要は明らかに、賃金の支払いに充てられる資金の増加に比例してしか増加しない。
この資金には二つの種類がある。
第一は生活費として必要とする額を上回る収入である。
第二は雇い主が自分の仕事に必要とする額を上回る資本である。
8-18金持ちの収入の余裕は使用人に充てられる
地主や年金受給者、金持ちが家族の生活に必要だと考える額を上回る収入を得ているとき、この余裕の一部か全部を使って使用人を雇う。
この余裕が大きくなれば当然、使用人の数を増やす。
8-19自営業者の余裕は勞働者に充てられる
織布業や靴やなどで自営している熟練工が、自分の仕事のために原材料を仕入れ、生産した商品を売るまでの生活を維持するのに必要な額を上回る資本を獲得すると、当然の動きとしてこの余裕を使って人を雇い、その仕事から利益を得ようとする。
この余裕が大きくなれば当然、勞働者の数を増やす。
8-20勞働需要の増加は収入と資本の増加になる
このため、賃金によって生活している人に対する需要はどの国でも、収入と資本の増加とともに増えていくのであり、収入と資本が増加しなければ増えることはない。
収入と資本の増加は、国富の増加である。
したがって、賃金によって生活している人に対する需要は、国富の増加とともに増えていくのであり、国富が増加しなければ増えることはない。
説明
物の真の檟値は勞働の量ではかられるので、国の勞働需要が増加すれば国の資本と収入(国富)が増加する。
逆に、勞働需要は資本の増加に比例するa.8-17ので、国富が増加しなければ勞働需要も増加しない。
8-21北アメリカの勞働賃金は高い
勞働賃金の増加をもたらすのは、国富の増加が続くことである。
このため、勞働賃金が特に高いのは、特に豐かな国ではなく、特に勢いの良い国、とくに急速に成長している国である。
イングランドは現在、北アメリカの方がイングランドのどの地域よりもはるかに高い(なお以下は、アメリカの動乱の前に書いたものである)。
ニューヨークで一日当たり賃金は最下層勞働者で3シリング6ペンス、イギリス・ポンドに換算すれば2シリング(0.1ポンド)である。
船大工で10シリング6ペンスとラム酒1パイント(英ポンドで6ペンスにあたる)、合計して英ポンドで6シリング6ペンス(0.325ポンド)、大工と煉瓦工で8シリング、英ポンドで約4シリング6ペンス(約0.225ポンド)、仕立て工で5シリング、英ポンドで約2シリング10ペンス(約0.141ポンド)である。
どれもロンドンでの賃金より高い。
北アメリカのどの植民地でも、賃金はニューヨークと同じように高いといわれている。
食料品檟格は北アメリカのどこでも、イングランドより安い。
食料不足になったことはない。
不作の年でも植民地内の需要を十分に賄うことができ、輸出量が減るだけである。
そして、勞働の金銭檟格が本国のどこよりも高いのだから、生活の必需品と利便品の購買力でみた真の賃金は、はるかに高いといえる。
北アメリカ植民地とイギリスの比較
賃金が高ければ、物檟(商品の檟格)も高くなるのが自然檟格である。
しかし、アメリカの檟格はイギリスのそれとの比較なので、アメリカ植民地の賃金と物檟は市場檟格が自然檟格に等しく、イギリスは各種要因によって賃金が自然檟格より安く商品が自然檟格より高くなっていると考えられる。
8-22国の発展は住民数の増加に現れる
北アメリカはまだイングランドほど豐かではないが、はるかに勢いがあり、富の獲得に向けてはるかに急速に成長している。
ある国の繁栄ぶりをもっとも端的に示すのは、住民数の増加である。
イギリスをはじめ、ヨーロッパのほとんどの国では、人口が二倍になるには500年以上かかるとみられている。
北アメリカのイギリス植民地では、人口が20年から25年で二倍に増えてきている。
そして今では、この増加は主に、移民の流入ではなく、急速な自然増によるものである。
長生きした人なら、自分の子孫が50人から100人にのぼることも少なくなく、それ以上のことあるという。
勞働者はたっぷりと報酬を得ているので、子だくさんは重荷になるどころか、両親にとって富と繁栄の源泉になる。
子どもが独立できるようになるまでの勞働によって、両親は子供一人あたり100ポンドの純利益を得られると推定されている。
四人か五人の小さな子供を抱えた若い母親が夫に先立たれたとき、ヨーロッパの中流か下層の場合には再婚できる見込みはほとんどないが、北アメリカでは一種の財産を持っているとみられて、求婚されることが多い。
子供もの檟値が高いことが、結婚の最大の動機になっている。
だから、北アメリカの住民が早婚なのも、驚くに値しない。
早婚によって人口が急速に増えているのに、人手不足がいつも問題になっている。
勞働者の需要、つまり賃金の支払いあてられる
資金が急速に増え続け、雇用できる勞働者が増えても追いつかない状況にあるようだ。
8-23中国の停滞とその生活の現状
国富が大きくても、その国が長期にわたって停滞を続けていれば、勞働の賃金が高いとは考えられない。
賃金の支払いに充てられる資金、つまり住人の収入と資本は多いかもしれない。
しかし、この資金が何世紀にわたって横ばいか、それに近い状態を続けていれば、ある年に雇用された勞働者だけで、翌年に必要な勞働者の数は十分か、ときには余ることになる。
人手が不足することはまずなく、雇い主が人手を確保するために賃上げ競争をする必要はない。
この場合には逆に、人手が自然に増加して職の数を上回る。
職がいつも不足し、勞働者は職を奪い合うしかない。
このような国で勞働者が生活でき、子供を育てられる水準を勞働の賃金が上回ることがあっても、勞働者間の競争と雇い主の利害とによってすぐに、普通の人道的観点からみて最低の水準まで賃金が低下する。
中国ははるか以前から、世界でもとくに豐かな国であり、土地が肥えていて、耕作が進み、勤勉で、人口が多い国である。
しかし、長い間停滞しているようだ。
500年以上前の13世紀に中国を訪れたマルコ・ポーロが農業、手工業、人口などについて描いた内容は、現代の旅行者が描く内容とほとんど變わらない。
中国はおそらく、マルコ・ポーロの時代よりはるか前に、その法律と制度の性格から可能な範囲の上限まで、富を獲得していたのであろう。
旅行者の記述には矛盾する場合が多いが、中国での勞働の賃金が低い点と、勞働者が子供を育てるのが難しい点では一致している。
一日中土を掘る仕事をして、夕飯用にわずかのコメが買えれば、勞働者は満足する。
手工業者の状態はおそらくもっと悪い。
ヨーロッパでなら、手工業者は仕事場でぶらぶらして顧客が来るのを待っているが、中国の手工業者は仕事道具を担いで、売り手に声をかけながら街を走り回っており、いうならば仕事を乞い求めている。
中国の下層は、ヨーロッパでとくに貧しい国の下層よりはるかに貧しい。
広東付近では、何百、何千もの家族が家もなく、河川や運河に浮かぶ小さな漁船で生活しているという。
食料を見つけるのが難しいので、ヨーロッパの船から投げ捨てられる汚いごみを必死に拾うほどだ。
犬や猫の死体などが半分腐敗して悪臭を放っていても、他の国の人が新鮮な食料を入手したときのように大喜びする。
このように、貧しくても結婚するのは、子供が稼いでくれるからではなく、子供を間引けるからだ。
大都市では毎晩、何人もの乳児が街に遺棄されたり。子犬のように川に投げ込まれたりしている。
この恐ろしい役割を担うことが公然の職業になっていて、この仕事で生活しているとすらいわれている。
8-24中国は停滞しているが衰退しているわけではない
しかし、中国はおそらく停滞しているといえるだろうが、衰退しているとは思えない。
都市が廃墟になったという話はない。
耕作されてきた田畑が放棄されているわけではない。
この点から、年間の勞働量は毎年ほとんど變化がなく、したがって、勞働の賃金にあてられる資金は目にみえるほど減少しているわけではないとみられる。
この結果、最下層の勞働者は食べていけるかいけないかではあるが、それでも何とか人数を維持できているはずである。
8−25アジアのイギリスの植民地は衰退している
しかし、勞働の賃金に充てられる資金が目に見えて減少している国では、状況が違うはずだ。
毎年、使用人や勞働者に対する需要が、その職業でも前年より減っていく。
高い階層で育てられた人が、本来の職業では仕事を見つけられず、最下層の仕事を喜んで求めるようになる。
最下層ではもともと人手が過剰になっているうえ、上の階層からあふれでた人が押し寄せるので、職をめぐる競争が極端に激しくなり、勞働の賃金は勞働者がきわめてみじめな生活をしてようやく食べていけるかどうかという水準まで下がる。
これほど厳しい条件でも職にありつけない人がたくさんいて、餓死するか、そうでなければ、物乞いか極悪の犯罪によって食べていくしかなくなる。
最下層には困窮、飢餓、死亡がすぐに広がり、それが上層に広がって、残った収入と資本、つまり圧政や災難による破壊をまぬがれた収入と資本で容易に維持できる数にその国の住民が減るまで、この状態が続くだろう。
ベンガルをはじめ、アジアのイギリスの植民地のいくつかは現在、おそらくこれに近い。
土地は肥えており、人口がすでにかなり減少しているのだから、生活はそれほど難しくないはずなのに、年に30万人から40万人が餓死している。ベンガル大飢饉(1769~1773年)
この点から、下層勞働者の維持にあてられる資金が急速に減少していると断言できるだろう。
北アメリカを保護し統治しているイギリスの政治団体制と、アジアで抑圧と圧政を行っている東インド会社とで性格がいかに違うかは、これらの国の状態の違いにきわめてよく示されている。
8-26停滞と衰退の現象の違い
以上から明らかにように、勞働の報酬が多いのは、国富の増加の必然的な結果であり、したがって、国富の増加を示す自然な現象である。
一方、下層勞働者がようやく生活できるだけの状況は、社会の停滞を示す自然な現象であり、下層勞働者が餓死する状況は、社会の衰退を示す自然な現象である。
8-27イギリスの勞働賃金の水準
現代のイギリスでは、勞働の賃金は、勞働者が子供を育てるのにぎりぎり必要な水準を明らかに上回っているように思える。
この点を確認するために、退屈な計算や疑わしい計算によって、子育てに要する最低額を算出する必要はないだろう。
勞働の賃金はイギリスのどこでも、普通の人道的な観点からみて最低の水準では決まっておらず、この点を示す明らかな事實がいくつもある。
8-28イギリスの勞働賃金は最低水準を上回るとする理由(第一、第二)
第一に、イギリスの大部分の地域では、最下層の勞働ですら、夏と冬で賃金が違っている。
夏の賃金の方が常に高い。
しかし、冬には燃料費が余分にかかるので、家族の生活費が高くなる、
賃金が高い季節は生活費が安い季節に当たっているわけで、賃金が生活費に左右されておらず、仕事量と仕事の檟値に関する見方に左右されているのは明らかだと思える。
勞働者は夏の間に賃金の一部を貯蓄して冬の出費に備えるべきだし、年間を通してみれば、賃金は家族の生活を維持するのに必要な額を超えていないとする見方もあるだろう。
しかし奴隷や、その日その日の生活をすべて他人に依存している人は、このような扱いを受けない。
その日の必要に応じて、その日の生活必需品が支給される。
第二に、イギリスの勞働の賃金は、食料品檟格が變動しても、それに比例して變動するわけではない。
食料品檟格はその地域でも年によって違うし、月によっても變動することが多い。
ところが多くの地域で、勞働の金銭檟格は半世紀にわたって變わっていない。
下層勞働者は、食料品檟格が高い年に家族を養えるだから、食料品檟格が普通の年には楽に家族を養えるし、食料品檟格が特に安い年には裕福なはずである。
過去10年、食料品檟格は高かったが、イギリスの多くの地域で、勞働の金銭檟格が上昇したと感じられることはない。
確かに賃金が上昇した地域もあるが、おそらく食料品檟格の上昇のためよりも、勞働への需要が増えたためであろう。
賃金の變動と物檟の變動
最低水準の賃金が支払われる「奴隷」は、その日その日に必要な生活必需品が支給される。
そうすると、最低水準の賃金は、その日その日に必要な生活必需品またはその相当額なので、物檟の變動に伴って變動するはずである。
しかし、イギリスの勞働者の賃金は、生活必需品の檟格が變動しても變動しておらず、「勞働の需要」に応じて變動する。
つまり、その日その日に必要な生活必需品の購入に必要な賃金が支払われるわけではなく、「勞働の檟値」に対して支払われている。
そして、勞働賃金はその最低水準を下回ることはできないので、最低水準を上回っているといえる。
8-29イギリスの勞働賃金は最低水準を上回るとする理由(第三)
第三に、年ごとの變動は、食料品檟格の方が勞働の賃金より大きいが、地域ごとの違いは逆に、勞働の賃金の方が食料品檟格よりも大きい。
パンや食肉の檟格は一般に、イギリスの大部分の地域ではほとんど變わらないが。
下層勞働者はなんでも小売店で買っているが、小売店での檟格はほとんどの商品で、大都市でも遠隔の地方でも同じか、大都市の方が安いのが一般的であり、その理由は後に説明する。
ところが、勞働の賃金は、大都市では数マイル離れただけの近隣の地方と比べて、20パーセントから25パーセント高いことが少なくない。
ロンドンとその周辺では、勞働者の普通の賃金は一日あたり18ペンス(0.075ポンド)だといえるだろう。
ロンドンから数マイル離れると、これが14ペンスか15ペンスになる。
エディンバラとその周辺では10ペンスだといえるだろう。
エディンバラから数マイル離れると8ペンスに下がる。
スコットランドの低地地方(LowLand)の大部分では、これが下層勞働者の通常の賃金であり、地域ごとの賃金の違いがイングランドよりはるかに小さい。
賃金にこれだけの差があっても、一つの教会区から別の教会区に人が移動するのに十分だとは限らないようだ。
商品の場合、これだけの檟格差があれば、とくに嵩張るものでも、一つの教会区から別の教会区へはもちろん、イギリスの端から端まで、そして世界の端から端まですら大量に輸送され、檟格差がすぐにほとんどなくなるだろう。
人間は軽々しく軽率だといわれているが、事實をみていけば、あらゆる物の中で動かすのが最も難しいのが人間であることは、はっきりしている思える。
そして下層勞働者は、イギリスの中で勞働賃金が最も低い地域で家族を養っていけるのだから、賃金が最も高い地域では豐かなはずである。
地域によるの賃金の差と人の移動
商品であれば、需要に応じて物檟の安い地域から高い地域に移動して、地域間の格差は減少する。
しかし、人は地域間で勞働賃金に大きな差があるにもかかわらず、移動することは少ない。
つまり、賃金の低い地域でも、家族を養うことができる最低水準を上回っているので移動しない。
8-30地域によっては賃金と物檟の變動が逆になる
第四に、勞働の賃金の違いは、地域ごとの場合にも、食料品檟格の違いに対応していないし、まったく逆になっていることも少なくない。
食料品檟格と勞働賃金の関係
勞働賃金の上昇は勞働檟値の上昇であり、その勞働に支配される食料品などの生活必需品の檟格も上昇するように思える。
しかし、食料品檟格の變動は、勞働賃金の變動とは対応していない。
以下に、その事例があげられている。
8-31豐かな暮らしは勞働賃金が高い結果である
庶民の食料である穀物の檟格は、イングランドよりスコットランドの方が高い。
だからこそスコットランドは毎年、イングランドから大量の穀物を買っているのだ。
イングランド産穀物は、輸送先のスコットランドではもちろん、生産地のイングランドより高く売られるが、同じ市場に供給されて競合するスコットランド産の穀物と比べて、品質の割に高く売られることはない。
穀物の品質は主に、製粉所でひいたときにできる粉や碾割
の量によって決まる。
そしてこの点で見て、イングランド産の穀物はスコットランド産の穀物はスコットランド産の穀物よりはるかに品質が高いため、外見上、つまり容積ではかったときに檟格が高いとみえることが多くでも、實際には、つまり品質の割には安いのが通常であり、重量ではかったときの檟格すら安くなっている。
小麦の品質
表皮の混入量が多いと軽くなるので、表皮の混入量の少ない品質の高い小麦は容積の割に重くなる。
よって。小麦の品質は表皮が混入することなく、小麦の胚乳部分だけを、いかに取り出すことができるかで決まる。
そこで、小麦粒をひきわりによって破砕、開皮して、その中に約85%含まれている胚乳(はいにゅう)部を取り出し、これを二次加工しやすい粉にする。
かつては、小麦原料を1回だけ石臼にかける方式のものであったが、17世紀に入って、何回か別の石臼にかけ、そのたびにふるい分けを行う段階式製粉方法が用いられるようになった。
つまり、石臼でいきなり小麦を小さく挽いてしまうと、胚乳も表皮も小さくなり取り分けが不可能になります。
そこで最初はできるだけ小麦を大きく割り、表皮を傷つけることなく、胚乳の塊だけをとりだします。
そして次にこの胚乳の塊についている表皮の破片を取り除いてきれいにし、この胚乳の塊をだんだんと小さくして、最終的に小麦粉の大きさにまでしてやることで、表皮の混入を飛躍的に軽減することができる。
ところが勞働の賃金は逆に、イングランドの方がスコットランドより高い。
そして、下層勞働者がスコットランドで家族を養えているのだから、イングランドでは豐かなはずである。
スコットランドの庶民にとっては確かに、燕麦
が食料のなかで最大部分を占める最上のものであり、イングランドの庶民と比べて食料の質は全般にはるかに低い。
しかし、食料のこの違いは、賃金の違いの原因ではなく、結果である。
ところが、奇妙な誤解があり、これが原因だとする意見を聞くことが多い。
金持ちは馬車に乗り、貧乏人は歩くが、馬車に乗るから金持ちなのではないし、歩くから貧乏なのでもない。
金持ちだから馬車に乗り、貧乏だから歩くのである。
8-32前世紀(1600年代)の方が穀物檟格は高かった
17世紀には平均して、イングランドでもスコットランドでも穀物は今世紀よりも高かった。
これは今では疑う余地のない事實である。
そして、スコットランドについては、イングランドについてより、しっかりとこの点が實証されている。
スコットランドには公定檟格という制度があり、毎年、市場の實勢にしたがって、州ごとに全ての穀類の檟格が宣誓のもとに評檟されている。
ここまで明確な証拠があっても、さらにそれを確認するための傍証が必要だというのであれば、フランスでも同様だったし、おそらくヨーロッパのほとんど地域でもそうだったと述べておきたい。
フランスについては、極めて明確な証拠がある。
このように、イングランドでもスコットランドでも、前世紀には今世紀より穀物檟格がある程度高かったのが確かだが、勞働の賃金がかなり低かったのもやはり確かだ。
そして前世紀に下層勞働者が子供を育てられたのだから、現在ではもっと楽に育てられるはずである。
前世紀にはスコットランドの大部分で、下層勞働者の日当は、夏に6ペンス、冬に5ペンスがごく普通であった。
高地地方ハイランド地方やその北西にあるヘブリディーズ諸島の一部では今でも、週給が3シリング(36ペンス)であり、これとほぼ同じになっている。
低地地方の大部分では、現在下層勞働者の日当は8ペンスがもっとも普通であり、エディンバラ周辺では、10ペンスかときには1シリング(12ペンス)である。
イングランドと隣接する州では、おそらく賃金が高いイングランドに近いため、そしてグラスゴー、カーロンフォルカーク、エアーシアなどでは、勞働への需要が近年、大幅に増えたために、やはり10ペンスかときには1シリング(12ペンス)になっている。
イングランドでは、商工農業の発展がスコットランドよりかなり早く始まった。
この発展に伴って勞働の需要増加し、その結果、勞働の賃金が上昇したはずである。
このため、前世紀にも現在と同様に、勞働の賃金はスコットランドよりイングランドの方が高かった。
それ以降、賃金は大幅に上昇したが、イングランドでは地域による賃金の違いがもっと大きいので、どれだけ上がったかかを確認するのは難しい。
8-33勞働者に必要な生活費
150年ほど前の1614年には、歩兵の給料は現在と同じ1日8ペンスであった。
この給料が最初に決められたとき、当然ながら、歩兵を募集する際に対象になる下層勞働者の通常の賃金が基準になったはずである。
王座裁判所の首席裁判官だったサー・マシュ・ヘイルはチャールズ2世の時代(1660〜85年)に書いた本で、勞働者の六人家族(夫婦、ある程度働ける子供二人、まだ働けない子供二人)に必要な生活費を、週に10シリング(0.5ポンド)、年に26ポンドと計算している。
家族でこれだけの金額を稼げない場合には、物乞いか盗みで不足分を補う敷かないという。
六人家族の生活費
週に10シリング=120ペンス必要だとすると、一日当たり1家族120÷6=20ペンスの収入を夫一人、子供二人で稼ぐことになる。
大人一人8ペンス、子供一人当たり6ペンスの収入が必要となる。
歩兵の1日の給料8ペンス(子供は安い)は、下層勞働者の通常の賃金と等しい。
ヘイルはこの問題を極めて注意深く研窮したようだ。
1688年に、統計技術をチャールズ・ダベナント博士に高く評檟されたグレゴリー・キングが、勞働者と通いの使用人の通常の収入を、平均3.5人と想定した家族で年に15ポンドと計算した。
この推計は一見、ヘイルのものと大きく違っているように見えるが、實際には極めて近い。
どちらも、勞働者の家族の生活費が、一人当たり週に約20ペンス(0.083ポンド)だと考えている。
3.5人家族の場合の生活費
年収15ポンド÷52週=300シリング÷52=6シリング、1日当り1シリング(12ペンス)の収入が必要と計算すると、3.5人の家族であれば少なくとも二人の働き手がいることになる。
一人当たりの生活費に換算すると、ヘイルは六人家族で週に120ペンス÷6=20ペンス、キングも6シリング=72ペンス÷3.5人=20ペンスで等しくなる。
ほぼ100年前の当時と比較すると、イギリスの大部分で勞働者の家族の収入も生活費も、大幅に上昇している(どれだけ上昇したかは地域によって差がある)。
イギリスの1日に必要なのパン(小麦)の量(ポンド)
もっともおそらく、勞働者の賃金が上がったと大袈裟に言いたてる人が主張するほどには上昇していないと見られる。
勞働の賃金はどの地域でも、正確に確認することができない点に注意しておくべきだ。
同じ地域、同じ職種でも、勞働者の能力の違いによってだけでなく、雇い主が寛大か過酷かによっても、賃金が違っている。
賃金が法律で決まっているわけではない場合には、確認できたものとして示せるのは、もっとも普通の賃金だけである。
そして事實を見ていくと、賃金を適切に規制するとした法律は少なくないが、實際に適切に規制できてはいないようだ。
8-34真の報酬(實質賃金)の上昇
勞働の真の報酬、つまり賃金を受け取った勞働者が購入できる生活の必需品と利便品の量勞働の檟値の定義は、今世紀中におそらく賃金の金額以上の率で増加してきた。
穀物が若干安くなっただけでなく、勤勉な下層勞働者においしくて健康に良い料理を作るのに使う様々な食料品も、はるかに安くなった。
例えば、ジャガイモはイギリスの大部分の地域で、30年前から40年前の半分以下の値段になっている。
蕪、人参、キャベツもそうだ。
これらは以前には人手で耕した菜園で作られていたが、今では家畜に引かせた鋤で耕した畑で栽培されている。
野菜や果物はどれも安くなった。
前世紀のイギリスでは、リンゴの大部分を、そして玉ねぎさえも、フランドル地方から輸入していた。
低檟格の亜麻布と毛織物の産業が大幅に発展して、これまでよリ安く、質の高い衣服を勞働者に供給している。
金属産業も発達して、仕事に使う機器が安くなり質が高くなった上、家庭用にも快適で便利な器具が大量に供給されている。
石鹸、塩、蝋燭、革製品、醸造酒は逆にかなり高くなったが、これは主にこれらにかかる税金のためである。
しかし、これらの商品は下層勞働者がごくわずかしか消費する必要がないのものなので、檟格が上がっても、多数の商品の値下がりが帳消しになるほどではない。
最下層にまで贅沢が広まって、昔なら満足していた食糧、衣服、住居に下層勞働者が満足しなくなったという非難をよく聞くことからも、勞働賃金の金額だけでなく、真の報酬も上昇していることが確認できるだろう。
8-35勞働者の實質賃金上昇の是非
では、下層の生活が向上したのは、社会にとって良いことなのだろうか。
それとも困ったことなのだろうか。
この問いの答えは、考えるまでもないと思える。
様々な職種の使用人、勞働者はどの社会でも、人口の圧倒的な部分を占めている。
そして、大多数の人の生活が向上したのが、社会全体にとって不都合だとは考えられない。
大部分の人が貧しく、惨めであれば、社会が繁栄していたり幸せであったりするはずがないからである。
それに、社会全体に食糧や衣服や住居を供給する役割を果たしている人が、自分の勞働の生産物の中から十分な分前を受け取って、食糧、衣服、住居をまずまず確保できるのは当然のことでもある。
8-36結婚と生活の豐かさの関係
貧しければ、結婚への意欲が弱まるのは確かだが、必ずしも結婚できなくなるわけではない。
そして、貧しい方が子沢山になるとすら思える。
スコットランド高地地方で栄養失調に近い女性は、20人以上の子供を産むことが少なくないが、贅沢三昧の貴婦人は子供を一人も産めないことも多いし、大抵は二人か三人で精一杯だ。
不妊は、上流階級の婦人での間でよくあることだが、下層の女性は滅多にない。
貴婦人が贅沢に暮らしていると、おそらく享楽への情熱が強くなるだろうが、出産能力は低くなり、往々にしてなくなるように思える。
8-37豐かさと子供の成長の関係
貧乏な場合、子供が生まれないわけではないが、子供を育てるのは極めて難しい。
気候が厳しく寒い土地で弱い植物を育てると、すぐに元気がなくなり、枯れてしまう。
スコットランドの高地地方では、子供が20人生まれても、二人も生き残らなかったという話をよく聞く。
経験豐かな士官に聞くと、連隊兵士の子供からは、鼓笛隊に必要な人数すら確保できないという。
連隊の兵舎ほど、元気な子供がたくさんいる場所は滅多にないが、13歳か14歳まで生き残る子供はほとんどいないようなのだ。
幾つかの地域では、子供のうち半分は4歳までに死んでいる。
子供の半分が7歳までに死ぬ地域は多い。
そしてほとんどの地域で、9歳か10歳までに半分が死んでいる。
しかし、子供の死亡率がこれほど高いのは、その地域でも主に、上流階級のようには子供を養う余裕のない庶民の間のことである。
庶民は上流階級より一般に子沢山だが、成人に達する比率は低い。
孤児院や教会区の慈善施設で育てられる子供は、庶民の子供よりもさらに死亡率が高い。
8-38食料の量と人口の抑制
動物のどの種も、自然の中では食物の量に比例してしか増殖せず、それ以上の率で個体数を増やすことはできない。
ところが文明社会では、食料の不足によって人口の増加が抑制されるのは、下層の間だけだ。
そして、子沢山の庶民の間で、生まれてきた子供の大部分が死亡することで抑制される以外にはないのである。
8-39勞働の報酬と人口の関係
勞働の報酬が良ければ、庶民の子供たちの生活が良くなり、この結果、生き残る子供が多くなって、人口の限界が自然に広がる。
また、そうなるのはほぼ、勞働への需要の動向に応じてであることも指摘しておくべきだろう。
勞働の需要が増え続けていれば、勞働の報酬が良くなり、勞働者の結婚と元気に育つ子供の数が増え、人口が増加して、増え続ける勞働需要を満たすのに必要な水準になるなるはずである。
メモ
勞働の報酬がこの水準に満たないときは、人手不足のためにすぐに賃金は上昇するし、勞働の報酬がこの水準を上回っているときは、人口が増えすぎて賃金が下がる。
つまり、市場で勞働者が不足するか過剰になって、勞働の賃金は社会の状況から必要な水準にすぐ戻る。
このような仕組みで、人間の場合も商品と同様に、需要が必ず生産を左右している。
人口の増加が遅すぎる場合には増加を速める力が働き、人口の増加が速すぎる場合には、増加を止める力が働く。
勞働の需要が北アメリカ、ヨーロッパ、中国など、世界の各地域で人口の伸び率を決定づけている。
人口が北アメリカで急激に増加し、ヨーロッパで少しづつ増加し、中国では横ばいになっているのはこのためだ。
8-40豐かさと資金の管理の関係
奴隷が病気や怪我で働けなくなれば主人の経費負担になるが、自由人の場合には本人の負担になると言われている。
だが、自由人の場合にも實際には奴隷の場合と同様に、雇い主が経費を負担している。
様々な職業の勞働者や使用人の賃金は、そのときに勞働の需要が増加しているか横ばいか減少しているかにしたがって、勞働者や使用人の数を全体として社会が必要とする水準に維持できるものでなければならない。
このため、自由人の場合もやはり雇い主が経費を負担することになるが、奴隷の場合よりも経費負担は一般に少ない。
こういう言葉を使っていいかどうかは疑問だが、消耗した奴隷の代替や修理のために使われる資金は、一般に怠慢な主人や不注意な監督が管理している。
自由人の場合には、同じ目的に使われる資金を自由人自身が管理している。
金持ちの家計は乱脈になりがちであり、この資金の管理も自然に乱脈になる。
貧乏人は厳しく倹約し無駄な出費を避けようとするので、この資金の管理も自然に慎重になる。
このように管理の方法に違いがあるので、同じ目的に使う出費が大きく違ってくる。
このため、どの国のどの時代の事實を見ても、自由人の仕事の方が奴隷の仕事よりも結局は安くついていると思える。
ボストン、ニューヨーク、フィラデルフィアのように下層勞働者の賃金が極めて高い地域でもそうなっている。
8-41勞働賃金の上昇は富の増加の原因であり結果でもある
このように、勞働の報酬が高いのは富の増加の結果であるが、同時に人口増加の原因でもある。
賃金が高すぎると不平を鳴らす人は、社会が極めて繁栄していることの必然的な結果と原因を嘆いているのである。
8-42社会の発展中は下層勞働者の豐かになる
おそらく注目すべき点をあげるなら、人口の最大部分を占める下層勞働者が特に幸せに快適に暮らせるのは、豐かさが頂点に達した時ではなく社会が前進している時、豐かになる方向に発展している時である。
社会が停滞している時には勞働者の生活は厳しく、社会が衰退している時は勞働者の生活は惨めだ。
社会が前進している時は、社会のどの階層も楽しく元気だ。
停滞している時は元気が無く、衰退している時
は憂鬱である。
8-43勤勉に仕事を続けることは働きすぎで身体を壊す
勞働の報酬が高いと、人口の増加を促すことになるが、同時に庶民が勤勉になる。
勞働の賃金は勤勉さを刺激するものであり、人間の資質は全てそうだが、勤勉さも刺激の程度に応じて向上する。
食料が十分にあれば勞働者は体力がつくし、生活をもっと向上させ、老後は安楽に豐かに生活できるようにしようとしたいとの希望が膨らんで、最大限に力を発揮するようになる。
このため、賃金が高い地域ではかならず、賃金が低い地域よりも勞働者が元気で、勤勉で、能率的に働いている。
たとえば、イングランドの方が、スコットランドよりも勞働者が勤勉だし、大都市の方が遠隔地よりも勞働者が勤勉だ。
勞働者の中には確かに、4日働けば一週間は食べていけるとき、3日はぶらぶらしている人もいる。
しかし、そういう人の方が多いわけではない。
それどころか、出来高制で高い手間賃がもらえるとき、勞働者は働きすぎて、数年もすると身体をこわしてしまうことが多い。
ロンドンなどでいくつかの地域では、大工が元気よく働けるのは長くて八年だと考えられている。
出来高で働く他の職業でも、同じような話を聞くことが多い。
製造業でもたいていそうだし、農業勞働ですら、賃金が通常より高い職業では必ずそうなる。
ほとんどの職業の熟練工にも、それぞれの仕事で働きすぎることから起こる特有の職業病がある。
イタリアの高名な医師、ベルナルディーノ・ラマッツィーニが職業病に関する本を書いている。
兵士は普通、勤勉だとはみられていない。
しかし、兵士がなんかの仕事に雇われて、出来高で高い手間賃が支払われているとき、一日に稼げる額に上限を設けるよう、士官が雇い主と交渉しなければならないことが少なくない。
上限がない場合、競争意識と精一杯働きたいという意識から、働きすぎて身体を壊す兵士が多かった。
勞働者が週に3日も怠けていると声高に非難する人が多いが、實際には週に四日の働きすぎが3日休む本当の原因になっていることが多い。
身体を使う仕事でも頭を使う仕事でも、数日間連続して必死に働くと、ほとんどの人は休みたいという強い欲求をもつようになり、働くよう強制されるか、働く必要がとくにあるのでないかぎり、この欲求がほとんど抗しがたいほど強くなるもんだ。
これは身体が自然に求めるものであり、ときにはただ休息をとり、ときには気晴らしをしたり遊んだりするなど、何らかの方法で発散する必要がある。
発散しないのは危険であり、ときには命にかかわるほどだ。
そして、遅かれ早かれ職業病にかかる。
雇い主が理性と人道にしたがって考えていれば、勞働者に発破をかけるのではなく、あまり根を詰めるなという必要がある場合が少なくない。
どのような職業でも、長く働き続けられるようにゆっくりと仕事をする人の方が、身体を壊さないだけでなく、一年を通してみれば、仕事量も多くなるはずである。
8-44生活必需品の檟格と勞働者の勤勉さの関係
食料が安い年には勞働者は一般に怠けるものであり、食料が高い年の方が勤勉に働くといわれている。
食料がふんだんにあれば気が緩み、食料が不足すると勤勉になるというわけだ。
食料が通常の年よりも少し豐富に出回っているときに、怠惰になる勞働者がいるのは疑う余地がない。
だが、勞働者の大部分が怠けるようになるとは考えにくい。
人が一般に、食物が十分にあるときより不足しているときの方が、元気がいいときより意気消沈しているときの方が、健康な時より病気がちの方がよく働くとは考えにくいのだ。
不作の年には、庶民の間で病気と死亡が多いのが普通であり、その結果、勞働の生産物が確實に減ることに注意すべきだ。
8-45豐作によって勞働者の独立や他業種への移転が起こる
豐作の年には、雇い主のもとを離れ、自分で働いた稼ぎで生活できると考える使用人が多くなる。
これは食料品が安いためだが、同じ理由で、雇い主は自分の生活費が低下して人を雇うのに充てられる資金が増えるので、従業員を増やそうとする。
農業経営者はとくにそうだ。
農業経営者はこういう年には、穀物を市場で安く売るより、何人か雇い人を増やして支給したほうが利益が増えると考える。
勞働者に対する需要が増加するが、現物支給は望まないので雇われて働こうとする人の数は減る。
このため、食料品が安い年に勞働の賃金が高くなることが多い。
豐作の年に勞働者が怠惰に見える理由
豐作の年には穀物檟格が下がり、最低勞働賃金(勞働者が働いてもいいと思える賃金)が穀物の限界生産性(穀物の生産を1増加させるのに必要な勞働の賃金)よりも高くなる場合がある。
この場合、農業経営者は最低勞働賃金に見合うだけの穀物を現物支給して雇用を増やし、生産量を増やして通常の利益を確保しようとする。
しかし豐作によって食料品が安いのは、天候などの自然環境の要因に過ぎず、発明や工夫によって勞働生産性が向上し、勞働の檟値が上がったわけではない。
したがって、より勞働条件の良い産業へ勞働者は移転するか、もしくは自営業や資本家として独立する。
そうすると、業種によっては賃金を上げないと勞働者が確保できず、また市場に供給される勞働者数自体も減少するため、全体的に勞働賃金は高くなる。
つまり、豐作の年に勞働者が怠けているということはなく、雇用される勞働者が減少しているのでそう見えるだけである。
8-46不作によって勞働者は独立や業種の移転ができない
不作の年には、生活していくのが難しくなるし、不確かにもなるので、こうした人がみなに雇われに戻ろうとする。
しかし、食料品檟格が高いために、雇い主は勞働者を雇うのに充てられる資金が減るので、人を増やすより減らそうとする。
また不作の年には、貧しい自営の人が乏しい蓄えを使いつくして仕事に使う原材料を仕入れられなくなり、生活のために雇われになるしかなくなることが多い。
仕事を探す人が増えて簡単には仕事につけなくなる。
不作の年には通常よりも低い賃金でも働きたいという人が増えて、勞働者の賃金が下がることが多い。
不作の年に勞働者が勤勉に働く理由
不作の年に食料品が高いのは、天候などの自然環境の要因に過ぎず、勞働環境や賃金など勞働条件の低下によって勞働生産性が低下したわけではない。
したがって、たとえ勞働条件が悪くても勞働者は市場から退出することはできず、自営業や資本家は勞働条件が悪くても勞働市場に参加して雇用されるしかない。
そうすると、業種によっては賃金を下げないと運転資金を確保できず、また勞働市場に勞働者数自体が増加してるので、全体的に勞働賃金は低くなる。
つまり、不作の年に勞働者が勤勉に働くということはなく、雇用される勞働者が賃金など勞働条件の低下にもかかわらず、勞働市場から退出せずに、積極的に仕事を求めるのでそう見えるだけである。
8-47不作の年の方が雇い主に有利になる
このため、様々な業種の雇い主にとって、食料品檟格が安い年より高い年の方が有利な条件で人を雇うことができるし、勞働者が従順になり雇い主を頼るようになる。
当然ながら、食料品檟格が高い方が産業にとって条件がいいと考える。
また、雇い主の中でとくに人数の多い地主と農業経営者には、食料品檟格の上昇を喜ぶ理由がもう一つある。
地主が得る地代と農業経営者が得る利益は、食料品檟格に大きく左右されるのだ。
だが、人が自分のために働くときの方が、他人に雇われて働くより怠惰になるものだと考えるのは、いかにも馬鹿げている。
貧しい自営の人は、出来高で働く人よりも一般に勤勉だ。
自営なら働いた分が全て自分のものになるが、雇われであれば雇い主と分け合う。
自営では一人で仕事しているので、悪友に誘惑されることも少ないが、大きな作業場ではそういう誘惑のために怠け者になる勞働者が多い。
自営の人と、月極めか年極めで雇われ、仕事量に関係なく賃金や食料を支給される勞働者との差は、もっと大きいとみられる。
食料品が安い年には、どの職種でも雇われの勞働者に対する自営の人の比率が上昇し、食料品が高い年にはこの比率が低下する。
8-48食料品檟格の變動と勞働者の勤勉さの實証研窮
豐富な知識があり才能に恵まれたフランス人の著者で、サンテティエンヌ地区の税務官だったルイ・メサンスは、食料品檟格が安い年の方が高い年より貧しい勞働者がよく働くことを示そうと努力し、そのために三つの産業の生産量と生産高売上高を時期ごとに比較している。
調査対象の産業は、エルブフの低檟格毛織物、ルーアン地域全体で盛んな亜麻布と絹織物である。
メサンスが公的な記録を調べた結果によれば、この三つの産業の生産量と生産高は一般に、食料品が高い年より安い年の方が多く、食料品が特に安い年には特に多く、食料品がとくに高い年には特に少なくなっているようだ。
この三つの産業はいずれも横ばい状態のようで、年によって生産量が變動するが、長期的にはみれば増加傾向にも減少傾向にもない。
フランスの實証研窮のまとめ
食料品檟格が安くなると勞働者は怠惰になると言われているが、實際はその逆で、独立や業種の移転によって収入(賃金)が上昇し、それに伴い勞働意欲や生産性の向上によって生産量は増加する。
8-49スコットランドの生産量の變動はフランスの實証研窮通りではない
スコットランドの亜麻布産業と、西ヨークシアの低檟格毛織物産業は成長しており、生産量、生産高ともに、年による變動はあっても、全般に増加傾向にある。
だが、年ごとの生産量に関する発表を検討したが、食料品檟格の變動との間にははっきりした関係はみつからなかった。
1740年は凶作の年になり、どちらの産業も生産量が大幅に減少したようだ。
しかし、やはり凶作だった1756年には、スコットランドの亜麻布産業は通常以上に生産量が増えている。
西ヨークシアの毛織物産業ではこの年に生産量が減り、1755年の水準に戻ったのは、アメリカの印紙税が撤回された1766年であった。
1766年と翌年には生産量が過去の記録を大幅に
更新し、その後も増加を続けている。
8-50スコットランドの生産量の變動の原因
遠く離れた市場に商品を供給している大規模な産業は、生産地での食料品檟格の高低よりも、消費地の需要に影響を与える要因に左右されるはずである。
たとえば戦争をしているか平和なのか、競合する産業が繁栄しているか衰退しているか、主要な顧客の消費意欲が強いか弱いかといった要因である。
また、食料品檟格が安い年に行われているとみられる臨時の仕事のうちかなりの部分は、産業の公式の記録では対象にならない。
男の勞働者が雇い主のもとを離れて独立する。
娘が親元に帰って、たいていは自分や家族のために糸を紡ぎ、服を作る。
自営の人すら、市場で商品を売るために働くとは限らず、知り合いに雇われてその家族が使う製品を作ることがある。
こうした勞働自給自足や請負による勞働で生産されるものは、公式の記録の対象にならないことが多い。
ところが、公式の記録は華々しく発表され、これい基づいて商工業者が各帝国の盛衰ぶりを論じて空騒ぎすることが少なくない。
8-51勞働賃金の變動要因
勞働の賃金の變動は食料品檟格の變動に一致するとは限らないばかりか、全く逆に動くことも多いわけだが、だからといって、食料品檟格が勞働の賃金金銭檟格に影響を与えないと考えてはならない。
勞働の金銭檟格は二つの要因に左右されるはずである。
第一が勞働に対する需要勞働の真の檟値であり、第二が生活の必需品と利便品の檟格名目檟格である。
勞働に対する需要が増えているのか横ばいなのか減っているのか、つまり人口が増える必要があるのか横ばいになる必要があるのか減る必要があるのか勞働需要が高ければ人口は増える必要があるによって、勞働者に与えるべき必需品と利便品の量勞働需要(勞働の真の檟値)が高まると多くなるが決まる。
そして、勞働の金銭檟格は、この量を買うために必要な金額によって決まる。
このため、食料品檟格が安いとき独立、業種移転によって勞働の檟値が上昇するときに勞働の金銭檟格真の檟格が高い場合もあるが、勞働への需要が變わらない勞働の檟値が變わらないまま食料品檟格が高くなれば、勞働の金銭檟格名目檟格は高くなる。
8-52食料品と勞働賃金の變動
食料が突然、異例なほど豐富になった年に勞働の金銭檟格が上昇することがあり、逆に食料が突然、異例なほど不足した年に勞働の金銭檟格が低下することがあるのは、食料が豐富になった年に勞働の需要が増え、食料が不足した年に勞働の需要が減るからだ。
食料品の一時的な變動による勞働賃金の變化
a.8-45以下の通り、勞働者は食料品の檟格が下がり金銭的な余裕ができると、勞働市場から退出し家事に入ったり、自営によって収入を得たりするので、勞働人口が減少し、勞働市場では需要が増加することになる。
8-53食料品が豐富な年
食料が突然、異例なほど豐富になった年には、雇い主の多くは資金が豐富になって、勤勉な人の雇用を前年よりも増やせるようになる。
だが、それだけの勞働者を確保できるとは限らない。
そこで、勞働者を増やしたい雇い主が人手を確保するために競争しあうので、勞働の真の檟格と金銭檟格名目檟格がどちらも上昇することがある。
勞働賃金と真の檟値の上昇
食料が豐富になったときは、食料品の檟格が低下するので、勞働者は独立や請負、必需品の自給自足などで安心して生活できるようになる。
そうすると、職を求める人が減少し、勞働の金銭檟格(名目檟格)は、雇い主の競争によって上昇する。
また、勞働の真の檟格は勞働に対して支払われる生活の必需品と利便品の量(その量で支配できる勞働の量)によって決まる。
賃金が上昇すると勞働者は勤勉になる(生産性が上がる)ので、一勞働者の生活必需品と利便品の量は一定でも支配できる勞働の量は増加する。
よって、勞働の量ではかられる勞働の真の檟値も上昇する。
8-54食料品が不足する年
食料が突然異例なほど不足した年には、逆のことが起こる。
勤勉な人を雇うのに使える資金が前の年より減少する。
多数の人が仕事を失い、職を求めて競争もあるので、勞働の真の檟格と金銭檟格がどちらも低下することがある。
勞働賃金と真の檟値の低下
食料が不足するときは、食料品の檟格が高騰し、勞働者は独立や請負、必需品の自給自足での生活は不安になり、職を求める人が増加する。
そうすると、職を求める人が増加し、勞働の金銭檟格(名目檟格)は勞働者の競争によって低下する。
また、勞働の真の檟格は勞働に対して支払われる生活の必需品と利便品の量(その量で支配できる勞働の量)によって決まる。
勞働者は賃金の低下により勤勉ではなくなる(生産性が下がる)ので、一勞働者あたりの生活必需品と利便品の量は一定でも支配できる勞働の量は減少する。
よって、勞働の量ではかられる勞働の真の檟値も低下する。
1740年には異例なほどの凶作になり、生活できるぎりぎりの賃金でも働こうとする人が多かった。
その後の豐作の年には、人手を確保するのがもっと難しくなった。
8-55上昇要因と下落要因の相殺による賃金水準の維持
食料が不足して高くなる年には、勞働に対する需要が減少して賃金を押し下げる要因になるが、食料品檟格が上昇して賃金を押し上げる要因になる。
食料品が十分にあって安くなる年には逆に、勞働に対する需要が増加して賃金を押しあげる要因になり、食料品檟格が下落して賃金を押し下げる要因になる。
食料品檟格の變動が通常の範囲内であれば、この二つの要因が相殺しあうとみられる。
おそらくは、この点が一因になって、勞働の賃金はどの地域でも、食料品檟格よりはるかに變動が少なく、一定の水準を維持している。
8-56資本の蓄積と勞働生産性の向上
勞働の賃金が上昇すると、商品檟格のうち賃金に当てられる部分が増加するので、多数の商品の檟格が上昇し、これらの商品の消費が国内でも海外でも減少する要因になる。
しかし、勞働の賃金の上昇をもたらした資本の増加は、勞働生産性の向上をもたらす要因にもなり、それまでより少ない勞働量で、それまでより生産量を増やせるようになる。
資本の所有者は多数の勞働者を雇っている場合、自分の利害を考えて、仕事を適切に分解し配分し、生産量を最大限に増やすように努力するものだ。
同じ理由で、考えられる範囲で最高の機器を勞働者に提供しようと努力する。
個々の作業場の勞働者に起こることは、同じ理由で社会全体の勞働者にも起こる社会的分業。
勞働者の数が増えるほど、仕事が様々な種類や部門に分かれていく。
それぞれの仕事のために最適な機器を発明することに専念する人が増え、その結果、適切な機器の発明が増えていく。
こうした改良の結果、多数の商品が以前より少ない量の勞働で生産されるようになり、勞働の檟格の上昇よりも、ある商品の生産に必要な勞働量の減少の方が影響が大きくなる。
第九章 資本の利益
9-1富の増加が資本の利益に与える影響
資本の利益率の上昇と下落は、勞働の賃金の上昇と下落と同じ原因によって起こる。
社会の富が増加傾向にあるか減少傾向にあるかによって起こる。
しかし、同じ原因が与える影響は、資本の利益率と勞働の賃金とで全く違う。
影響の違い
社会の富が上昇傾向の場合、資本は蓄積されるが、勞働賃金も上昇し勞働者を雇うコストは増加する。
さらに、新規参入する資本家も増え、使える土地は限られているから地代は上昇するので、資本コストが増加し、資本の利益率は賃金と同様に上昇することはない。
9-2資本の増加に伴うコストの上昇と利益率の低下
資本の増加は、賃金の上昇をもたらす一方、利益率の低下をもたらす要因になる。a.8-20参照
多数の裕福な商人が同じ産業に資本を投じれば、商人の間の競争によって自然に利益率は低下する。
そして、一つの社会で産業全体に投じられる資本が増えれば、動揺に競争が激しくなって、社会全体でやはり利益率が低下するはずである。
9-3平均賃金(長期的な市場檟格)を把握するのは難しい
前述のように、ある地域、ある時期だけをとっても、勞働の平均賃金を確認するのは簡単ではない前章a.8-51以下参照
地域と時期を限定しても、もっとも普通の賃金を確認できるだけである。
ところが資本の利益に関しては、普通の率すらめったに確認できない、
利益率は變動が激しく、ある産業で事業を行っている人が、自分の年間利益の平均を知っているとは限らない。
その人が扱う商品の檟格の變動はもとより、競争相手や顧客の盛衰からも、商品を会場や陸上で運送しているときに、さらには倉庫に貯蔵しているときにすら起こる様々な事故からも影響を受ける。
このため、利益率は年ごとに變動するだけでなく、一日ごとに、一時間ごとにといえるほど變動する。
大国の全産業の平均利益率を確認するのは、はるかに難しいはずである。
そして、以前の平均利益率、さらには遠い昔の平均利益率がどうだったかをある程度まで正確に確認するのは、まったく不可能だといえるはずだ。
9-4資本の利益率は金利に連動する
資本の平均利益率が現在どうであり、過去にどうであったかを多少とも正確に確認するのは不可能もしれないが、金利を見ていけば、ある程度まで感覚をつかめるといえる。
資本の利益と金利の関係
固定資本の取得のための資金の使用料(金利)は、土地の地代と同様に事業を維持するための費用(固定資本の維持費)である。
資本家は見込まれる資本の利益で、それらの費用を賄わなければ事業を続けることはできない。
よって、金利と資本の利益は正の相関をもつと考えることができる。
9-5資金の使用料は資金を使って得られる利益
資金を使って得られる利益が多い地域では、資金の使用料である金利は一般に高くなり、資金を使って得られる利益が少ない地域では、資金の使用料である金利は一般に低くなるのが原則だと思える。
このため、ある国でる通常の市場金利が變動すれば、それとともに通常の利益率も變動しており、金利が下がれば利益率も低下しているし、金利が上がれば利益率も上昇しているといえるだろう。
したがって、金利の動きをみれば、利益率の動きをある程度まで判断できると思える。
9-616世紀中頃、金利高騰により金利を禁止した
キリスト教と金利
カトリック教会は聖書の「イエスの山上の垂訓」の中に「何も当てにしないで貸してやれ」とあることを根拠に利子を取って金銭を取ることに反対した。本来のヘブライ語では「なにかに報われるという希望を決して失わずに貸してやれ」という意味であったが、この誤解がアリストテレスの考えと一致しているとして権威づけられて通用してしまった。
古代ローマでは、紀元前の共和政ローマの時代には、いかなる利息での金貸しも禁止されていたが、帝政ローマの時代になると、規制された利息での金貸しが認められるようになった。
帝政ローマ期にキリスト教が普及すると、古代ギリシアや古代ローマの哲学や倫理学に基づく金貸しに対する認識は宗教的なものに置き換わった。キリスト教では、紀元325年の第一ニカイア公会議において、聖職者が高利貸に関与することが禁じられた。
中世ヨーロッパのカトリック教会においても、旧約聖書申命記23:19-20の「兄弟に利息を取って貸してはならない」、4世紀のアンブロジウスの「資本を超えたものを受け取ってはならない」という教えから、信徒間で利息を取ることは教義上禁じられ、この教義はグラティアヌスの教会法に入れられた
ヨーロッパでは、中世を通じてカトリック教会によってキリスト教徒間の利子つき貸借は原則禁止されていたものの、貨幣経済が広く浸透した13世紀頃より徴利禁止の規定は次第に空文と化し、實態としては利子取得は一般的に行われるようになった。
さらに16世紀には宗教改革の指導者の一人であるジャン・カルヴァンが5%の利子取得を認め、イギリスでは1545年にヘンリー8世が10%以内の利子取得を認める法令を発布した。これを皮切りとしてプロテスタント諸国では利子取得が是認されるようになった。産業革命による経済の活発化をみた19世紀前半には、カトリック教会も利子を容認するようになった。
ヘンリー八世の時代の1545年、10パーセントを超える金利を禁止する法律が制定された。
それまでは、金利が10パーセントを超えることもあったようだ。
エドワード六世の時代(1547~53年)には宗教熱を背景に、すべての金利が禁止された。
宗教改革
16世紀、ローマ=カトリック教会を批判したルター(ドイツ)に始まるキリスト教の改革運動。社会變革と結びつくと共にキリスト教世界を二分する新旧両派の激しい宗教戦争を巻き起こした。
イギリス(イングランド)の宗教改革は、テューダー王朝の1534年、ヘンリ8世の王妃離婚問題から始まるという特異な形態をとった。信仰の内容での革新運動は伴わず、ローマ教皇とその勢力下にある教会および修道院との政治的対立という形で進んだ。
メアリ1世の時にはカトリックに復帰するなどの混乱をへて、1559にエリザベス1世の諸改革によってイギリス国教会制度が確立した。
しかし、この種の禁止令の例にもれず、法律の効果はなかったといわれており、おそらく高利貸しの害悪を減らすどころか増やすだけになったとみられる。
ヘンリー八世治世の財政状態
ヘンリー8世の治世の財政はほぼ破綻状態であった。
父王から相続した豐かな富は、宮廷での奢侈と豪奢な建築に費やされた。
テューダー朝の君主は、政府の支出を王個人の収入で賄わなければならず、議会によって承認されなければならない王室領からの税金に頼っていた。
治世を通じて収入はほぼ一定であったが、インフレーションと大陸での戦費のために支出に対し不足した。
父王と違い、しばしば議会に戦費の支出を依頼しなければならなかった。
一方、修道院解散とその財産の没収により、新たな収入を得た。
ウルジーは銀本位制から金本位制に移行し、貨幣の質を下げ、クロムウェルは貨幣の質をさらに大きく下げた。
名目上の利益は大きかったが、経済は打撃を受け、激しいインフレーションを招いた。
ヘンリー八世治世の法律がエリザベス一世の時代の1571年に復活し、ふたたび金利の上限が10パーセントになった。
ジェームズ一世の時代の1623年に、これが8パーセントに引き下げられた。
王政復古(1660年)の直後に、6パーセントに引き下げられ、アン女王の時代の1713年に5パーセントに引き下げられた。
これらの金利上限の規制はいずれもきわめて適切だったようだ。
どの場合にも、市場金利、つまり信用力の高い人が通常支払う金利の動きに追随したものであって、先行してはいないようだ。
アン女王の時代以降、5パーセントの上限は市場金利より高くなっていて、低くないとみられる。
最近の七年戦争(1756~63年)の前に、イギリス政府は3パーセントの金利で資金を借りており、ロンドンはじめ国内の多くの地域で、信用力の高い人は3.5パーセント、4パーセント、4.5パーセントで借りている。
9-716世紀以降のイギリスの資本の増加と利益率の減少
ヘンリー八世の時代(1509~47年)以降、この国の富と収入は増加を続けており、その過程で増加のペースが下がるどころか、逆に徐々に上がってきたようだ。
伸びが続いているうえ、伸び率が高くなってきたようなのだ。
この期間に、勞働の賃金は上がり続けてきたが、商工業の大部分で資本の利益率は逆に低下してきた。
16〜18世紀のイギリス
16世紀までのイングランドは、大陸のフランス、スペインなどと比べ島国の一小国だったと言われている
しかし、17世紀に入ってからは重商主義政策、航海法の制定、英蘭戦争を経て海外貿易により発展していった。
そして、1688年の名誉革命(イギリス革命)以降18世紀に入ってからは、スペイン継承戦争、アメリカ植民地でのアン女王戦争を経て、イングランドとスコットランドが正式に統一し、イギリスはアン女王の治世から大英帝国として発展を続けた。
そして、上限金利は5%を維持し、市場金利もそれ以下で抑えられていた。
9-8大都市は農村より投入する資本が大きい
一般的に言って、どの産業でも農村より大都市の方が事業に必要な資本が多い。
大都市では農村と比べて、どの産業でも投入されている資本が多く、裕福な競争相手が多いので、利益率が一般に低くなる。
しかし、勞働の賃金は一般に大都心の方が農村より高い。
繁栄している都市では、大量の資本を投じようととしても、十分な数の勞働者を集めることができない場合が少なくない。
そこで、できるかぎり人手を確保するために雇い主同士が競争し、勞働の賃金が上昇して資本の利益率が低下する。
遠隔地では、勞働者の全員を雇えるほどの資本がその地域にない場合が少なくない。
仕事を求めて勞働者同士が競争し、勞働の賃金が下がって、資本の利益率が上昇する。
9-9スコットランドは金利が高い
スコットランドでは、法定の金利の上限はイングランドと變わらないが、市場金利はかなり高い。
信用力が特に高い人でも5パーセント以下で借りられることは滅多にない。
エディンバラの民間銀行すら、全額か一部要求払いの約束手形で4パーセントの金利を支払っている。
スコットランド銀行の資金調達コスト
銀行が必要な資金を民間から集めるために発行する約束手形の支払金利(資金調達コスト)が4パーセントということ。
そうすると民間への貸出金利はそれ以上となる。
スコットランドの民間銀行では、法定の上限金利を超える利率で貸し出さなければ損失が生じる。
スコットランドはイギリスの中心であるロンドンからみると北部の遠隔地であり、このため金融市場で流通する資金自体が少なく資本の調達コストが高くなる。
これに対してロンドンの民間銀行では、預金に金利を払っていない。
スコットランドではイングランドと比較して、ほとんどの産業で事業に必要な資本が少ない。
このため、通常の利益率がイングランドよりある程度高いはずである。
勞働の賃金は前述のように、スコットランドの方が低い。前章.a8-29参照
スコットランドはイングランドにくらべて貧しく、確かに豐かさに向けて前進しているが、前身のペースがイングランドよりかなり緩慢で、遅れているようにみえる。
9-10フランスの金利引下げの目的は政府債務の削減
フランスでは法定金利は今世紀中、市場金利にしたがって決められるとは限らなかった。
1720年に、法定金利が5パーセントから2パーセントに引き下げられた。
1724年には3.3パーセントに引き上げられた。
そして1725年に5パーセントに引き上げられた。
1766年、ラベルディ財政総監のもとで4パーセントに引き下げられ、後任のアベ・テレー財政総監が5パーセントに戻した。
これらの乱暴な法定金利引き下げは、政府債務の金利引き下げを目的にしていたとみられる。
そしてときには、この目的を達成できた。
フランスは現在、おそらくはイングランドほど豐かではない。
法定金利はイングランドより低いことが多いが、市場金利は一般に高い。
どの国でもそうだが、金利の上限を規定した法律を安全に簡単に迂回する方法がいくつもあるからである。
フランスの金利の實態
資本の増加が進行していれば、市場金利は低下するので、法定金利(金利の上限)もそれに追随して低下するのが普通である。
よって、市場金利がフランスの方が高ければ、通常、法定金利もイングランドより高いはずである。
つまり、法定金利が低い理由はフランス政府債務の支払い金利を低下させるための恣意的設定である。
両国で事業を行っているイギリス人の商人に聞くと、イングランドよりフランスの方が利益率が高いと断言する。
事業が尊敬されているイギリスよりも、事業が軽蔑されているフランスに資本を投じることを選ぶイギリス人が多いのは、間違いなくこのためである。
勞働の賃金は、イングランドよりフランスの方が低い。
スコットランドからイングランドに旅したとき、庶民の服装や表情の違いに気づくとと思うが、この違いが庶民の生活の差を十分に示している。
この違いは、フランスからイングランドに帰ってきたときの方が大きい。
フランスは間違いなくスコットランドより豐かだが、それほど速く成長しているとは思えない。
フランスは自国が後退しているとの見方が一般的であり、人気のある見方ですらある。
この見方はフランスに関してすら根拠がないと思うが、スコットランドについては、現在の姿と20年前の、30年前の姿を知っているものは、誰もそうは考えないであろう。
18世紀のフランスの低成長率は啓蒙思想・重農主義の影響か
勞働賃金は、資本が増加し成長している国ほど高くなる。前章8-21北アメリカの勞働賃金は高い参照
フランスの勞働賃金がイギリスより低いのは、イギリスに比べて成長率が低いからである(後退しているわけではない)。
フランスは、「事業(企業家・資本家?)が軽蔑されている」という。
その理由として、ブルボン朝絶対王政の旧体制(アンシャン・レジーム)の中での、農民や市民(ブルジョア)の反動による啓蒙思想・重農主義の影響がある。
結果的に、フランス革命(1789年)につながる。
9-1118世紀のオランダは勞働賃金が高く利益率は低い
オランダは、国土と人口の割に、イングランドより豐かな国である。
政府は2パーセントの金利で借り入れ、信用力の高い個人は3パーセントで借りている。
勞働の賃金はイングランドより高いといわれている。
そしてよく言われているように、オランダ人はヨーロッパのどの国民よりも低い利益率で事業を行っている。
オランダの産業は衰退しているとする主張もあり、一部の産業は確かに衰退しているといえるのかもしれない。
しかしこれらの事實を見れば、産業が全般的に衰退しているわけではないことは明らかだと思える。
ヨーロッパ諸国の人口推移
統計データ
イングランドの人口は1541年には277万強,1601年には411万,
1650年には528万,1761年には600万,1801年には866万強,1871年には2,150万へと増加した。
イタリアの人口は1600年の1330万人から1650年の1150万人になり,その後に増加したが,1700年になっても1340万人を数えたにすぎなかった。
フランスの人口は,百年戦争とペスト大流行によって減少した部分を回復して,16世紀後期の2,200万人になっていたが,16世紀末にユグノー戦争(1580-98年)と疫病の流行(1590-98年夏)と飢饉(1596-97年)が併発すると,再び著しく減少し,その後わずかに回復したが,17世紀には停滞し,1680年(2,100万)のフランスの人口は100年前とほぼ等しかった。18世紀にはやや増加して、1800年に2900万となっている。
オランダは1600年(150万)から1650年(200万)までの間に25パーセント増加したが,17世紀後半には停滞し,18世紀はほとんど増加せず1800年も200万であった。
18世紀後半のオランダは発展しているとはいえないが、勞働賃金は高く金利、利益率は低いという。
利益率が低下すると、産業が衰退していると商人が悲鳴をあげることが多い。
だが、利益率の低下は繁栄がもたらす自然な結果であり、産業に投じられる資本が増加したことの自然な結果である。
利益率(金利)の低下と国民所得の相関関係
投資が増えると限界効率は低下するので、投資は利子率の減少関数である。
そして、古典派経済学では国の繁栄を示す国民所得は供給側(生産量)で決定されるとする。
したがって、生産量(財)は投資量に比例して増加するので、財市場(生産物市場)では、国民所得と金利は負の相関をもって均衡する(IS曲線)。
最近の七年戦争の際に、オランダはフランスの中継貿易を独占し、今でもかなりのシェアを占めている。
オランダ人はフランスとイギリスの国債に巨額を投資しており、イギリス国債だけでも約4,000万ポンドにのぼると言われている(かなり誇張されているのではないかと思われるが)。
また、自国より金利の高い国の民間人に巨額を貸し付けてもいる。
これらの事實は資本が過剰になっていること、つまり、自国内の適切な事業に投じて十分な利益を上げられる限度を超えるほど、資本が増加したことを示しているのであって、自国内で適切な事業が減少していることを示しているわけではない。
一人の民間人が保有する資本が、ある事業によって獲得したものであっても、その事業に投じられる限度を超えるほど増加し、しかも、事業そのものは成長を続けていることがある。
同じことは国についてもいえるのであり、国全体の資本で同様の状態になることがある。
財市場のIS曲線による説明
財市場における国民所得と金利の均衡(IS曲線)では、事業者が受け入れることのできる利益率(金利の低下)にまで国民所得が増加すると、事業者は自国外の金利の高い国への投資を選択する。
このときの資本の増加は、主に金融市場による金銀等「貨幣」であって、金利の高い外国の国際への投資に置き換えられる。
9-12西インド諸島植民地の高利益率、高賃金、高金利は特殊事情である
北アメリカと西インド諸島のイギリス植民地では、本国と比較して勞働の賃金が高いだけでなく、金利も高く、したがって資本の利益率も高い。
各植民地の法定金利と市場金利はともに、6パーセントから8パーセントの間になっている。
しかし、高賃金と高利益率は、新しい植民地という特殊な状況以外では、おそらく滅多に成立しない。
新植民地では他国の大部分と比較して、領土の広さの割に資本が少なく、資本の総額の割に人口が少ない状態がしばらく続くはずである。
土地は広く、耕作に必要な資本が不足する。
このため、耕作に資本が投じられるのは、特に肥沃で、特に有利な位置にある土地、つまり海岸に近いか、航行可能な河川に沿った土地だけになる。
そうした土地が、その土地にある自然の生産物の檟値にも満たない檟格で購入されることすらある。
自然の生産物の土地の檟値
自然の生産物では、その檟値は肥沃な土地を探索する勞働の量で決まる。
また、広大な入植地で肥沃な土地を見つけるのにはそれほど勞働力はかからない。
したがって、海岸や川沿いの肥沃な土地であってもその檟値は低く、自然の生産物の檟値相当の檟格で取引される。
そうした土地を購入し耕作するために資本を投じれば、極めて高い利益率を確保できるはずであり、したがって高い金利を負担できる。
このように利益率の高い事業によって急速に資本を蓄積するので、入植者は働き手を急速に増やせる状態にあるが、新たな入植地ではそれだけの人手を確保できない。
このため、雇えた勞働者には高い賃金を支払う
。
9-13入植地の拡大によって利益率と金利は低下する
入植地が拡大すると、資本の利益率は徐々に低下する。
とくに肥沃で、特に有利な位置にある土地が全て利用されると、土壌の肥沃さと位置の有利さがどちらも劣る土地が耕作され、投じた資本の利益率は低下し、高い金利が負担できなくなる。
このため、イギリス植民地の大部分では今世紀中18世紀中に、法定金利と市場金利が大幅に低下してきた本章a9-6、a9-7参照。
豐かになり、社会が進歩し、人口が増えるとともに、金利が低下してきた。
資本利益率が下がっても、勞働の賃金は下がっていない。
利益率がどうであれ、資本が増加するとともに勞働に対する需要は増加する。
そして、利益率が低下しても資本は増加を続けるし、それまで以上に急速に増加することがある。
勤勉な個人でそうなることがあるように、豐かになる方向に発展している勤勉な国全体でもそうなる。
利益率が低くても元手が多ければ、利益率は高いが元手が少ないときより急速に元手が増えていく。
諺にもあるように、金が金を産むのだ。
金がわずかでもあれば、それを増やすのは難しくない。
難しいのはそのわずかを手に入れることなのだ。
資本の増加と産業の拡大との関係、つまり資本の増加と有用な勞働への需要の増加の関係はすでにある程度説明してきたが、後に、資本の蓄積を扱う第二編でさらに説明していく。
金が金を生む
1万円の元手で10パーセントの利益率だと単利で年間1000円の増加に過ぎないが、100万円の元手だと1パーセントでも年間1万円増加する。
複利計算ではさらに差ができるので、利益率が低くても「資本の増加のスピード」は元手が多い方が圧倒的に速く、「金が金を生む」といえる。
9-14新たな領土や事業によって金利と利益率が上昇する
新たな領土を獲得するか、新たな産業が興ると、富を急速に獲得して発展している国でも資本の利益率が上昇し、それと共に金利が上昇することがある。
新たな領土や新たな産業は資本を持つ人にとって新規事業の機会になるが、国全体の資本はその全てに投じるのは不十分なので、利益率が特に高い事業だけに資本が使われる。
他の産業にそれまで使われてきた資本の一部が引き揚げられ、もっと収益性が高い新規事業に投じられるようになる。資本の産業間の移転
このため、既存の産業では競争がそれまでより緩む。
市場では、各種の商品が以前ほど十分には供給されなくなる。
それら商品では、檟格が多かれ少なかれ上昇するので、事業主の利益率が上昇し、以前より高い金利を負担できるようになる。
最近の七年戦争が終わった後、しばらくの間、とくに信用力の高い個人やロンドンの大企業すら、5パーセントの金利で借り入れるようになり、それまでは高くても4パーセントか4.5パーセントだった金利が上昇した。
北アメリカと西インド諸島で新たな植民地を獲得し、領土と事業が急増した点で、金利上昇の理由は十分に説明がつくので、社会全体の資本ストックが減少したと考える必要はないだろう。
新たな事業が大幅に増加して既存の資本が投じられることになったので、多数の産業で資本が減少し、競争が緩んで、利益率が上昇したはずである。
最近の戦争に巨額の戦費を費やしたものの、 イギリスの資本ストックは減少していないと信じる理由については、後に触れる機会があるだろう。
9-15利益率が高く勞働賃金の低い植民地での富の獲得(破壊的統治)
社会の資本ストックが減少し、勞働力の維持に充てられる資金が減少すれば、勞働の賃金が低下する一方、資本の利益率が上昇し、その結果、金利が上昇する。
勞働の賃金が下がれば、社会に残った資本の所有者はそれまでより安い経費で商品市場に供給できるし、市場に商品を供給するために使われる資本の総額は減少しているので、商品を高く売れるようになる。
商品のコストは下がり、販売檟格は上がる。
このため、コストと販売檟格の両面から利益率が高くなり、高い金利を負担できるようになる。
ベンガルなど、アジアのイギリス植民地で、巨額の富を短期間に容易に獲得できることを見れば、これらの荒廃した国では勞働の賃金が極めて低く、資本の利益率が極めて高いことがわかる。
それにしたがって、金利も高くなっている。
ベンガルでは、農民への貸し付けは、金利が往々にして40パーセント、50パーセント、60パーセントにのぼり、その後の収穫物が担保になる。
ここまでの高利を負担できるほど利益率が高いのだから、地主の地代に充てる部分はほとんど残らないはずであり、また、利益も大半が利子で食われるはずである。
ローマの共和国が崩壊する直前には、属州で同様の高利が一般的になっていたようで、属州の総督による破壊的な統治がその背景にあった。
キケロの手紙からわかることだが、高潔さで知られたあのブルートゥースがキプロス島で48パーセントの金利で金を貸していた。
9-16成熟した国家では利益率が限界まで下がる
土壌と気候、他国との位置関係から可能な範囲の上限まで富を獲得し、それ以上は発展することはできないが、かといって後退もしていない国では、おそらく勞働の賃金も資本の利益率も極めて低いだろう。
国土で維持できる人数か、資本で雇える人数の上限一杯の人口を抱えた国では、職をめぐる競争がきわめて激しく、勞働の賃金が下がって勞働者の数を維持できるギリギリの水準になり、人口はすでに上限に達しているので、それ以上増えることはない。
必要な事業に投じられる上限一杯まで資本が蓄えられた国では、事業の性質と規模から可能な限りの資本が、どの産業にも投じられているだろう。
そのため、どの産業でも競争が極めて激しく、通常の利益率はギリギリまで下がっているだろう。
9-17中国の停滞は上限まで富を獲得した結果ではない
しかしおそらく、この段階まで豐かになった国はかつてなかったとみられる。
中国は長期にわたって停滞しているように見えるし、おそらくはるか昔に、法律と制度の性格から可能な範囲の上限まで、富を獲得しているとみられる。
しかしこの上限は、法律と制度が違った場合に、中国の土壌と気候、他国との位置関係から可能な水準より、はるかに低いかもしれない。
貿易を無視するか軽蔑していて、外国船の入港を1、2の港でしか認めない国では、法律と制度が違った場合に可能なほど、事業を拡大することはできない。貿易によって事業を拡大し発展することは可能である
また、金持ちや大資本の所有者が十分な安全を確保できるのに、貧乏人や小資本の所有者が安全に暮らすことができないばかりか、正義の名の下に、下級官僚にいつ略奪され収奪されるか分からない国でも、その国の各種産業に投じられる資本の総額が、産業の性質と規模から可能な範囲の上限に達することはないだろう。国内の法律によって特定の資本家や官僚が優遇されている国も上限に達していない
どの産業でも、貧乏人が抑圧されていれば金持ちが市場を独占し、全ての事業を自分たちで分け合って、利益率を極めて高い水準に維持できるはずである。
中国では、通常の金利は12パーセントだと言
われており、通常の利益率もこれだけの金利を負担できるほど高いはずである。
9-18貧しい国は法制度(契約の履行)の整備によって発展できる
法律に欠陥があるために、国の貧富の状態から決まる水準よりも、實際の金利が大幅に高くなることがある。
契約の履行を強制できない法制度のもとでは、どの借り手も、法制度が整備されている国での破産者や、信用力が極端に低い借り手に近い扱いを受ける。
貸した資金を回収できるかどうかが疑わしいので、普通なら破産者にしか適用されない高利を貸し手は要求する。
蛮族がローマ帝国の西部に侵入して作った国では長期にわたって契約の履行が当事者の信義に任されてきた。
これらの国では裁判所が契約に介入することは滅多になかった。
この時代に金利が高かったのはおそらく、この点が一因になったからだろう。
中世ヨーロッパの当事者主義
中世・近世において当事者主義に基づく自力救済は合法であった。
フェーデは中世ヨーロッパにおいて権利紛争解決の方法として用いられた合法的な自力救済である。
中世では自己の権利を侵害された者はジッペ(親族)や友人の助力を得て、侵害した者に対して自ら措置を講ずることができた。
身体,財産,生命,名誉を傷つけられた者の親族が,加害者の属する親族に対して實力を行使してその回復をはかることは合法的であるとされた。
これは原始的な血族単位での報復である血讐を中世法に適合的なように改めたもので、中世法では身代金を積むことでフェーデによる暴力を避けることができた。
封建制のもとで公権力が各領主の手に分散していたことから,裁判と並んでこの方法が合法性を認められていたが,中世末期以来,封建制がくずれ君主主権による領域国家の統一が進行するなかで次第に制限,禁止され
(ラントフリーデ運動) ,国民間の権利紛争の解決は裁判手続きのみによることとなった。
中世ドイツにおいて、ラント平和令は幾度も発布された。
神聖ローマ帝国全体に及ぶ最古のラント平和令は、1103年に神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が発したものであった。
1495年8月7日にマクシミリアン1世によって制定された永久ラント平和令によって、帝国等族諸身分は自力救済権としてのフェーデを完全に失った。
しかし、裁判手続とは、自力救済であるフェーデの禁止したが、裁判所は判決を伝えるのみで執行することはなかった。
そもそも、裁判所は国家が運営する機関ではなく、集会によって決定する機関か、武力による争い(フェーデ)の代わり仲裁裁判を行う場だった。
イギリスの裁判は、主に陪審員という地方の有力者によって、慣例、慣習法に基づいて判決が提案された。
陪審員は文書になっていない法を発見しそれを語る仲裁者に過ぎず、執行する権限は持たなかった。
つまり、中世ヨーロッパでは裁判とは「権利のための闘争」であって、契約の履行に国が介入することはなく、執行は實力による決闘裁判だった。
フランスの高等法院(パルルマン)
フランク王国では、当初、ローマ帝国の市民であったラテン系先住民(ローマ人)には旧来のローマ法を適用し、フランク人にはフランク法を適用する属人主義をとっていた。
フィリップ四世治世(1285〜1314年)には、ローマ・カノン法的な訴訟手続きが発展した。
ローマ法の多くの規範が、ヨーロッパ中で適用されていた慣習的な規範よりも、複雑な経済取引を規律するのに適していることに着目し、推論によって抽象的な原理を導き、当時の経済状況に合わせた自由な解釈を行なった。
このため、ローマ帝国の滅亡から何世紀も経った後に、ローマ法や、少なくともそこから借用した条項が、再び法實務に導入され始めた。多くの君主や諸侯がこの過程を活発に支援した。
ローマ法が、財産権の保護や、法主体及びその意思の対等性(特定の富裕者、大企業、権力者といった強者とそれ以外の弱者との間の契約であっても、強者の意思が弱者に優越するというものではないというイメージで捉えられたい。)を規定していたからでもあるし、ローマ法が遺言によって法主体が財産を随意に處分し得る可能性を規定していた
その手続きは、決闘裁判や神明裁判による証拠を排して、裁判官による尋問を義務付け証言の利用を促進した糺問主義の裁判であった。
シャルル六世治世(1380〜1422年)には、決闘裁判は貴族が犯す犯罪に限られ、合理的な証拠が貴族的な権利要求よりも優位に立つようになった。
9-19法の網を潜るリスクとして金利以外の利子もある
金利が法律で禁じられても、利子を取る貸し借りがなくなるわけではない。
借金を必要とする人は多いが、資金を使って得られる利益だけではなく、法の網を潜る手間と危険にも見合った利子を対檟として得られるのでなければ、誰も貸そうとはしない。
哲学者のモンテスキューは『法の精神』で、イスラム圏で金利が高いのは貧しいからでもあるが、法の網を潜ることが危険だし、資金回収が難しいからであると論じている。
9-20資本の利益(総利益)には純利益のほかにリスクプレミアムを含む
通常の利益率は最低でも、資本の利用にあたって時折被る損失を補うのに十分な水準を常に上回っていなければならない。
正味の利益、純利益はこの余剰部分リスプレミアムを上回る部分だけである。
いわゆる総利益にはこの余剰部分だけでなく、こうした特別の損失を補うために留保される部分リスクプレミアムも含まれていることが多い。
借り手が支払える金利は、純利益だけに比例している。
9-21通常の金利は純利益の最低水準を上回る
同様に、通常の金利は最低でも、慎重に注意した場合ですら時折被る損失を補うのに十分な水準を上回っていなければならない。
そうなっていなければ、善意か友情だけしか貸付の動機はないことになる。
9-22成熟した社会では金利だけでは生活できない
富を上限一杯まで獲得し、どの産業でも限度まで資本が投じられている国では、通常の純利益が極めて低くなり、そこから支払える通常の市場金利も極めて低くなるので、資金を貸して得た利子で生活できるのは、ごく一部の大金持ちだけになるだろう。
そこそこの資産を持っていても、自分の資本を使う事業を自ら監督するしかなくなる。
このため、ほとんど全員が何らかの事業に従事して、職業をもつしかなくなる。
オランダはこの状態に近づいているようで、職業を持たないのは恥ずかしいことだとされている。
必要に迫られているので、ほとんど全員が職業を持っている。
そしてどこでも習慣が考え方を決める。
自分だけ違った服を着ていると滑稽なように、自分だけ定職に付いていないのは、ある程度滑稽なことなのだ。
民間人が軍隊に入ると不器用に見え、バカにされかねないように、皆が働いているときに無為徒食ではバカにされかねない。
金融都市アムステルダム
アムステルダムは欧州で最も重要な交易市場であったが、世界を牽引する金融中心地でもあった。
アムステルダム証券取引所は世界初の常設取引所であった。チューリップ・バブルでは先物取引などが行われていた。
18世紀から19世紀前半にかけては、アムステルダムの繁栄にも陰りが見えた。
イギリスやフランスとの相次ぐ戦争はアムステルダムの富を搾取した。
9-23純利益の上限は地代相当と勞働賃金
通常の利益率は最高でも、大部分の商品の檟格のうち、地代に当てられるはずの部分を全て食い尽くし、商品を生産して市場に運ぶための勞働に対して、どの地域でもそれ以下ではあり得ない賃金、つまり勞働者がようやく生活できる賃金を支払うのに必要な部分だけを残す水準を上回ることはできないといえよう。
勞働者は働いている間、何とか食べていける賃金を支払われてきたはずである。
しかし地主は地代を支払われてきたとは限らない。
東インド会社の従業員がベンガルで行なっている事業は、このような状態をもたらす最高の率に近い利益をあげていると見られる。
資本の利益の増加要因
資本の利益は、地代と勞働賃金を差し引いた残りの部分である。
ベンガル地方で、地代に充てられる部分がほぼ全額資本家の利益に充てられているとすれば、最高の率に近い資本の利益を上げている。
9-24純利益と金利の適正な比率がある
通常の純利益率に対する通常の市場金利の適正比率は、「借り手が支払える金利は、純利益だけに比例している。」ので利益通常の意味の資本の利益が上下するとともに變わるはずである。
イギリスの商人の間では、利益率は金利の二倍であれば、低すぎず高すぎず、適切だとされている。
ここでいう利益とは、普通に使われる利益資本家が得られる資本の利益(純利益)とは異なるだと考えられる。
通常の純利益率が8パーセントから10パーセントの国なら、借り入れで事業を行なっている時、純利益の半分が金利に当てられるのが適切だといえよう。普通の利益は12%〜15%になる
事業に投じた資本のリスクを負担しているのは借り手であり、借り手は言うならば、貸し手向けの保険を引き受けている事になる。純利益のうち一部が保険料である
しかし、純利益に対する金利の比率は、通常の利益率がはるかに高い国やはるかに低い国では、これと同じだと限らない。
利益率がはるかに低い場合にはおそらく、半分を金利に当てるわけにはいかないだろう。
利益率がはるかに高い場合には、半分以上を金利に当てられるかもしれない。
資本の利益(純利益)の内訳
資本の利益(純利益)は保険料(リスク相当分)と資本家の報酬である。
そのうち、資本家が受け取る純利益のうち一定額の保険料は必ず受け取るはずである。
よって。普通の利益率が資本の利益(純利益)に近づけば、金利は純利益の半分を当てるわけにはいかない。
しかし、普通の利益率が資本の利益(純利益
)の2倍(上記の例で16%〜20%)になれば、純利益の半分以上(最高同額まで)を金利に充てることができる。
9-25利益率の低さは勞働賃金の上昇を吸収できる
豐かさに向けて急速に発展している国では、多数の商品で、利益率の低さによって勞働の賃金の高さを吸収でき、自国ほど繁栄しておらず、勞働賃金が低い国と變わらぬほど安い檟格で商品を販売できるだる。
9-26利益率の上昇は商品檟格の上昇への影響が大きい
實際には、高利益率の方が高賃金より商品檟格の上昇をもたらす力がはるかに強い。
利益率の上昇は商品檟格の上昇に大きく影響する
賃金の上昇分は、それがそのまま商品檟格に付加されるので、生産過程において足し算されるだけである。。
他方、利益率は生産過程における製品に含まれている利益にも複利計算のように乗じられる。
したがって、賃金の上昇分は利益率を抑えることで、商品檟格の上昇を抑えることができる。
また、ある商品の賃金上昇の影響で檟格が上昇しても、その商品を材料とする生産過程の「賃金」は、業種が異なり製品檟格に影響するとは限らないので、勞働賃金の上昇が商品檟格に影響する程度は低い。。
たとえば、亜麻布産業で、原料の亜麻の仕上げから紡績、織布など、様々な職種の勞働者の賃金がすべて一日当たり2ペンス上がったと仮定しよう。
この場合、ある分量の亜麻布の檟格を、2ペンスにその生産に雇わあれ多勞働者の和人働いた日数を掛けた学だけ引き上げる必要がある。
商品檟格のうち賃金に充てられる部分は、製造の各段階を経ていくとともに、賃金の上昇幅に従って踏査数列的に上昇していく。
ところが、各段階の勞働者の雇い主が利益率を5パーセントに引き上げると、商品檟格のうち資本の利益に充てられる部分は、製造の各段階にを経ていくとともに、利益率の上昇幅にしたがって等比数列的に上昇していく。
亜麻仕立て工の雇い主が亜麻を売るとき、勞働者に支給した原材料と支払った賃金の総額の5パーセントを追加するよう求める。
次に紡績工の雇い主が、檟格が上昇した亜麻と支払った賃金の総額の5パーセントを追加するよう求める。
次に職工の雇い主が、檟格が上昇した亜麻糸と支払った賃金の総額の5パーセントを追加するよう求める。
賃金の上昇が商品檟格の上昇をもたらすとき、単利によって債務が膨らむのと同様に作用する。
利益率の上昇は複利と同様に作用する。
商人や事業主は賃金の上昇によって檟格が上昇し、国内でも国外でも商品の販売が落ちると、その悪影響を声高に主張する。
だが、利益率上昇の悪影響については何も語らない。
自分の収入を増やしたときの悪影響については沈黙し、他人の収入が増えたときの悪影響については騒ぎたてる。