フランス革命#2

感性と理論

フランス革命#2

そのころ亡命貴族と王弟はドイツに集まっていた。

1791年8月25日に南ドイツのピルニッツでオーストリア皇帝とプロシア王の共同宣言によって、フランス国王の権利を回復するために、両国が武力行使をする決意が述べられたピルニッツ宣言

対抗策として立法議会のジャコバン系は王弟と王族財産の没収を要求し、11月9日に可決された。

11月8日に亡命貴族の財産没収と死刑の適用を含む法律がフイヤン派の反対を押し切って可決された。

ルイ16世は亡命貴族についての法令は承認しないと通告した。議会の中では戦争に賛成する者と反対する者の対立が起こった

オーストリ皇帝とプロシア王が余計なことを・・・・。

こういう他国の混乱をさらに煽って弱体化させて利を狙おうとするのは、当時の近隣諸国の定石だ。

ルイ十六世と穏健右派が反対したにもかかわらず、オーストリアとプロシアとの戦争を恐れない極端な左派(急進派)が貴族の財産没収しちゃった。

1792年1月に物価高騰が始まった。

買い占め人とみられた商人の何人かが群衆に襲撃され破壊や放火の対象になった。

アシニアの価値は下落をはじめた。

1791年度の国家財政は1億6200リーブルの赤字となった。赤字の原因は新しい租税の基本となった地租が土地所有者の抵抗によって進まなかったためだった。

赤字を補充するためにアシニア(革命期政府発行の不換紙幣)の増発が行われた。アシニアの信用をめぐってフイヤン派のブルジョアジーと他のブルジョアジー勢力との対立が起こった

土地所有者の抵抗というのがよくわからないが、領主権の一部廃止に反発して土地課税を払わなかったのか?

いずれにしても政情不安になると、買占め商人とか表れて物価は高騰する。

保守的な地方の農民の中に不安が広がり、反発が始まる。

インフレによって不換紙幣の価値は低下、増発すると信用力は無くなってさらに国家財政は苦しくなる。

経済学のセオリーOTL

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