フランドル地方

感性と理論

フランドル地方

https://ja.wikipedia.org/wiki/フランドル

https://www.y-history.net/appendix/wh0603_2-032.html

現在のベルギーとフランス北部にまたがる地方。羊毛・毛織物の産地で、長く英仏の抗争の対象となる。

英語ではフランダースという。ネーデルラントの南部地域。

5世紀以降はフランク人が支配、フランク王国のなかのフランドル伯領となった。

11世紀以降はイングランド産の羊毛を原料とするようになって、毛織物産業が大いに栄えた。

1328年には、フランス王の重税に反撥した都市の商工業者の反乱が起き、フィリップ6世による厳しい弾圧が行われ、毛織物業者がイギリスに移った。

イギリス毛織物業が盛んになる原因となり、1339年に始まる百年戦争の一因となった。

百年戦争が進行していく中でフランドルを領有するようになったブルゴーニュ公は、フランドル地方と結びつきの強いイギリスと組んで、ヴァロワ朝と対抗するようになっていった。

1447年ブルゴーニュ公女マリーが北部のネーデルラントとともにフランドルを相続、そのマリーがハプスブルク家マクシミリアンと結婚したため、ハプスブルク帝国領となった(スペインの道)。

1568年に北部のネーデルラントで独立運動が起こり、最終的に1648年に独立が承認されネーデルラント連邦共和国(オランダ)が成立した。

しかし、フランドル地方はカトリック信仰心が強くスペイン=ハプスブルク帝国領に留まった。

南ネーデルラント(ベルギー、ルクセンブルク含む)は、スペイン継承戦争後の1714年ラシュタット条約(フランスと神聖ローマ帝国の講和条約)でオーストリア=ハプスブルク家の領地となった。

ナポレオン時代にはフランスに編入されたが、ウィーン会議によるウィーン議定書でオランダに併合される。

オランダの一部となったベルギーでは民族主義の高揚という19世紀の機運の中で1830年にオランダからベルギー王国として独立して、はじめて独立国家となった際、ほぼフランドルは北部をベルギー、南部をフランスに分割された。

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