イタリアの歴史(中世〜近世)

感性と理論

イタリアの歴史(中世〜近世)

https://ja.wikipedia.org/wiki/イタリアの歴史

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ルネサンス

14世紀イタリアで始まり、やがて西欧各国に広まった「再生」「復活」などを意味するフランス語であり、一義的には古典古代ギリシアローマ)の文化を復興しようとする文化運動。

キリスト教はローマ帝国の国教としておよそ1000年間にかけてヨーロッパを支配し西洋人の宗教信仰となったが、西ローマ帝国崩壊後の中世ヨーロッパ(9〜13世紀)は、古代ローマ・ギリシア文化の破壊が行われた「暗黒時代」と呼ばれることがある。

14世紀以降、地中海貿易で繁栄した北イタリアトスカーナ地方の諸都市は、特にフィレンツェは、毛織物業と銀行業が盛んになり、大きな経済力を持っていた。

ペトラルカ1304年 – 1374年)は古典古代の時代こそ人間性が肯定されていた理想の時代であり、修道院に保管されていた古代の文献を収集し、ラテン語による詩作、著述を行った。また、1453年コンスタンティノープルの陥落東ローマ帝国滅亡)の前後には、東ローマから多数のギリシア人の知識人がイタリアへ亡命してきた。

フィレンツェミラノローマヴェネツィアナポリフェッラーラなどの都市で、パトロンとして、フィレンツェのメディチ家、ミラノのスフォルツァ家、フェッラーラのエステ家などが知られている。

しかし、イタリアは文化の先進国としてヨーロッパを近代に導く役割を果たしたが、国内は教皇領や小国に分裂し、またイタリア戦争後は外国の勢力下に置かれたため国家統一が遅れ、政治・社会の近代化では立ち遅れる結果になった


イタリア戦争

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16世紀(1494〜1559年)に主にハプスブルク家神聖ローマ帝国スペイン)とヴァロワ家フランス)がイタリアを巡って繰り広げた戦争である。西ヨーロッパのほとんどの国(イングランドスコットランド)も参戦した。

百年戦争(1337〜1453年)、薔薇戦争(1455年 – 1487)では、イギリス、フランス両国とも自国で戦費を賄うことができなかった。フランス側はジェノヴァ共和国に、イングランド側はヴェネツィア共和国に、それぞれ外債を引き受けさせた。

ナポリ王国は、長らくプランタジネット朝崩壊後の(フランス系)アンジュー家の支配が続いていたが、1435年にその王位が断絶、その後に王位を継承していたスペイン系アラゴン家のフェルディナンド1世も1494年に亡くなった。

1494年、フランス王シャルル8世は、ヴァロワ=アンジュー家からナポリ王位を継承したと主張、イタリアに侵攻して1495年にナポリ王となった。愛回、しかしミラノ公国ヴェネツィア共和国の同盟軍に敗北し撤退、同年ナポリはアラゴンの手に戻った。

1499年にはフランス王ルイ12世が侵攻、ミラノ公国を占領し、翌年ミラノ公位を奪取した。教皇ユリウス2世神聖同盟の結成を行い、フランスを追い払うのに成功した。

1515年、フランス王フランソワ1世がミラノに再び侵攻し、支配する。

1521年、教皇レオ10世(メディチ家出身)は神聖ローマ皇帝カール5世と結び、フランス支配下のミラノ公国を攻め、奪還する。フランソワ1世は教皇クレメンス7世(教皇レオ10世の次)、ミラノ、ヴェネツィア、イングランド王ヘンリー8世とコニャック同盟を結ぶ。

1527年、コニャック同盟へ対抗するため、カール5世率いる神聖ローマ皇帝軍がローマを攻める(ローマ略奪)。

1529年、ジェノヴァがカール5世の支援を受け、フランスの支配下を脱するとイタリア諸国は、カール5世に服することを決める。

1536年、フランスはミラノ公国の王位継承を主張して三度に渡りミラノへ侵攻するがカール5世に敗北した。カール5世は息子のフェリペをミラノ公とする。

1556年、カール5世が退位し隠棲。息子のミラノ公フェリペがスペイン王フェリペ2世として即位した。

スペイン王はアラゴン王、すなわちナポリ王でもあるため、神聖ローマ帝国に代わってスペインがイタリアの大部分を支配することになる。

1559年、カトー・カンブレジ条約締結によってイタリア戦争は完全に終結する。


イタリアの衰退

16世紀初頭、主要な通商路が地中海から大西洋に移ってしまったことで、イタリアは経済危機に見舞われていた。

イタリア戦争終結後、至を支配するスペイン王家は神聖ローマ皇帝と同じハプスブルク家であり、事実上皇帝の家系によってイタリアが支配されることとなった。しかし、イタリアにとってこれはスペインによる「外国の支配」に他ならなかった。イタリアのほとんどの弱小国家はスペインなどの外国勢力に敗れた。

ミラノ公国ナポリ王国は併合され、ヴェネツィア共和国ジェノヴァ共和国フィレンツェ共和国(のちのトスカーナ大公国)等は生き延びたが、弱体化していった。イタリアが属する神聖ローマ帝国は解体の一途をたどっていくものの、イタリア王兼神聖ローマ皇帝の家系であるハプスブルク家の支配はスペインを通して逆に強まった。

18世紀のイタリアの政治的状況は、16世紀の時とほとんど同じで、スペイン継承戦争(1701年 – 1714年)によってスペイン・ハプスブルク家は断絶、イタリアを支配する外国勢力が神聖ローマ帝国オーストリアに変わっただけだった。


イタリア統一へ

北イタリアで勢力を伸ばすサヴォイア公国スペイン継承戦争1701年 – 1714年)に参戦してシチリア王位を得ると、1720年にシチリア島とサルデーニャ島をオーストリア・ハプスブルク家と交換し、サルデーニャ王国が成立した。

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