フランソワ一世(ヴァロワ朝#9)

感性と理論

フランソワ一世(ヴァロワ朝#9)

在位:1515年 – 1547年

https://ja.wikipedia.org/wiki/フランソワ1世_(フランス王)

https://fr.wikipedia.org/wiki/François_Ier_(roi_de_France)

https://en.wikipedia.org/wiki/Francis_I_of_France

https://www.y-history.net/appendix/wh0904-004.html

1519年、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が死去後の皇帝選挙(金印勅書の規定)で、フラン王として初めて立候補し、選挙権を持つ選帝侯の買収工作に大金つぎ込んだが、スペイン・ハプスブルク家カルロス1世(カール五世)に敗れた。

1521年、イタリア戦争を再開、神聖ローマ皇帝であるカール5世に対抗し、両者の間にあったイングランド国王ヘンリー8世コニャック同盟を結んだ。

戦費の捻出・芸術の発達のために、税収増を目的として行政改革を実施、中央集権体制(絶対王政)の確立・王権強化に努めた。

これらの改革は次代のアンリ2世にも受け継がれた。

議会の支援がなくとも資金を簡単に調達する方法がフランソワの治世に考案された。

それは、年金型長期国債を国王の直轄財産と徴税権で担保するものである。国王は信用がなかったので、実際に発行された国債は年利10%をくだらなかった。

アメリゴ・ヴェスプッチのスポンサーとしてその航海を援助した。新大陸の中南米を押さえたカール5世に対抗し北米を狙ったためである。

ジャック・カルティエカナダ植民に送り出し、ヌーベルフランス(フランス領カナダ、現在のケベック州)を開き、フランス植民地帝国の拡大への道を開いた。

多くの芸術のパトロンとなり、レオナルド・ダ・ヴィンチなどのイタリアのアーティストをフランスに呼び込んんで、新興のフランスのルネサンスを促進した。

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