終身雇用制度の根本的な弊害

感性と理論

終身雇用制度の根本的な弊害

文明社会では、大部分の人は単純で変化のない仕事しかしていないが、社会全体でみれば、仕事の種類が無限といえるほど多い。

多種多様な仕事があるので、自分は決まった仕事についておらず、他人の仕事を調べるのが好きで、その暇が十分にある少数の人にとって、考える対象になる点がほとんど無限といえるほど多様にある。

それほど多種多様な対象について考えていけば、比較し関連づける作業を無限に続けていくことになり、めったにないほど広く深い理解力を身につけることができる。

国富論第五編第一章第三節第二項

ポイントは次のとおり。

『大部分の人は単純で変化のない仕事しかしていないが、社会全体でみれば、仕事の種類が無限といえるほど多い。』

これは現代日本においても、総じていえばそうだろう。

しかし、『多種多様な仕事があるので、自分は決まった仕事についておらず、・・・』、この「決まった仕事についていない」という点が、日本と欧米の大きく認識の違うところだろう。

そして、決まった仕事についていないゆえに、次のようなメリットが生まれるとアダムスミスはいう。

『他人の仕事を調べるのが好きで、・・・多種多様な対象について考えていけば、・・・めったにないほど広く深い理解力を身につけることができる。』


日本の終身雇用制度について逆説的に理論展開するとこういえる。

「一生、決まった仕事についているので、他人の仕事には興味をもたず、自分の会社の仕事という狭い範囲の対象についてしか考えないので、広く深く理解力を身につけることはできない」

日本においては、ある業種の会社で一つの職種の仕事の技能を習得することが重要であり、その企業の仕事以外には興味を持たなくてもいいし、広く深い能力が身につかなくても不自由のない生活ができるのだ。

そして、企業にはその企業独自の「企業文化」があるので、その文化(慣習・慣例)に従って仕事を遂行するよう教育されることによって、たとえ同じ業種・職種であっても、他の企業では仕事を遂行できない「企業特殊」な労働者ということになる。

そのことによって、あらゆる方面で弊害が生まれていることは、あえて述べるほどのことでもないだろう。


さらに、アダムスミスはこう続けている。あえてコメントはしない。

地位と資産のある人が人生の大部分の期間につく仕事は、庶民の仕事と違って、単純でも一定でもない。

ほとんどの仕事がきわめて複雑で、手よりも頭を使うものである。

こうした仕事に携わっていれば、頭を使わないために愚かになることはまずない。

さらに、地位と資産のある人の仕事は、朝から晩まで働きづめになることはまずない。

十分に余暇があるのが通常であり、暇な時間を使えば、若いときに基礎を学んだか、好きになった分野で、役立つ知識や装飾的な知識を磨くことができる。

国富論第五編第一章第三節第二項

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