ピアノレッスンと音楽鑑賞#4

感性と理論

ピアノレッスンと音楽鑑賞#4

音楽鑑賞

昨日、自分の演奏する悲愴ソナタ第二楽章の最初のフレーズだけを、Instagramのリール?にあげてみた(30秒制限)。

音楽鑑賞が趣味で、他人の演奏には何かと「イチャモン」をつけたがるが、自分の演奏ほどひどいものはなかった!(例えれば、カラオケで歌う自分の歌声を動画で見ているような・・・・恥)

とても、このままInstagramにあげておくなんて我慢できず、即刻、削除(アーカイブでいいのか?)した。

そのうち、このサイトに自分のピアノ演奏を上げようかとも考えていたのだが、とてもそんな気は無くなった。

おそらく、一生、自分の演奏を公開することはないだろう。

なぜなら、自分の演奏を公開するということは、自分の演奏まで「音楽鑑賞」してしまうことになり、ファジル・サイや反田恭平を聴いているのと同じ「耳」で聴いてしまうのだ!

「音楽鑑賞」という自分の趣味において、彼らの演奏以上に楽しめるような自分の音源を残すことなんて、切り貼りしようが「DTM」でやろうが一生できないと思う・・・・。


ピアノ演奏

しかし、だからと言って「ピアノ演奏」という趣味を止めようとは思わないから不思議だ。

つまるところ「音楽鑑賞」と「ピアノ演奏」、どちらも単なる自分の「娯楽」として考えればいいだけなのかもしれない。

思えば、元々ピアノは「自分のために弾くんだ!」などと「うそぶいて」いたが、あながちはずれではなかったようだ。

実は、ファジル・サイや反田恭平の演奏でさえ、自分では「そこはこう弾いて欲しい!」と思うところもあった。

上で言っていることと矛盾しているようだが、ただ、自分のイメージで弾いてみたいと思い、今のピアノを始めたのだ。

考えてみれば、ブルックナーの交響曲がカッコよくて、それをピアノかギターで再現してみたいなんて思ったのが最初かもしれない・・・。

そして、ギターは「指が痛くなる」という理由から5万円の電子ピアノを購入、そして簡単そうな「悲愴ソナタ第二楽章」を独学で始めたのだった。


ピアノレッスン

しかし、ただの自分のイメージではなく、楽譜を読み込んで「ちゃんとひく」ことの大切さを実感できたのは事実である。

これまで、楽器であれ資格試験であれ、何らかのスキルの習得については、無料のYoutubeや市販のテキストを購入する程度で済ませ、学校で誰かに教えてもらったり、コストのかかる通信口座などの教材を購入することは「まったく」なく、すべて「独学」でクリアできていた。

だが、ピアノ演奏については、「ちゃんと」できているかどうかは自分ではわからず、誰かに指摘されなければ気づかないのだ!

楽器屋の店員さんから一言アドバイスもらっただけで、ピアノ演奏が格段におもしろく(上手く?)なったこともあった。

ちゃんと弾くとはどういうことか、どうやれば「ちゃんと」弾けるようになるのか、といったノウハウの吸収にはある程度コストをかけなければ、とも思えるようになった。

そんなわけで、「ピアノ演奏」という「娯楽」を楽しむための「手段の一つ」として、時間とコストをかけて「ピアノレッスン」なるものを受けてみようと思ったのである。

とりあえず一ヶ月という、相変わらずケチ臭い自分ではあるが・・・

(おわり)

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