フリードリヒ・ヴィルヘルム

感性と理論

フリードリヒ・ヴィルヘルム

1620年2月16日 – 1688年5月9日

ブランデンブルク選帝侯およびプロイセン公(在位:1640年12月1日 – 1688年5月9日)。

プロイセン公国をポーランド支配から解放し、フェールベリンの戦いなどに勝利して領内からスウェーデン勢力を駆逐したため、大選帝侯と称えられる。

1653年に地方議会からユンカーの特権保障と引き換えに課税権の承認を受け、常備軍の設置に必要な税制の整備を始めた。クレーフェやプロイセンでも反対を受けつつ課税は成功し、この後の戦いを勝ち抜くための基礎となった。

1660年オリヴァ条約でフリードリヒ・ヴィルヘルムは最終的な支配権を獲得した。

選帝侯としては神聖ローマ皇帝の臣下であったが、既にブランデンブルク=プロイセンは北東ヨーロッパにおける地位を築いていた。

また、直接税と間接税による恒常的な財源確保及び官僚機構の整備による中央集権化も進みブランデンブルクは徐々に発展していった。

1688年5月9日、息子のフリードリヒ3世(後のプロイセン王フリードリヒ1世)が後を継いだ。大

選帝侯が残した常備軍の兵力は3万に上り、その税制や、移民を受け入れる宗教的寛容とともに後のプロイセン王国を築く基礎となった。

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