フリードリヒ・ヴィルヘルム1世 (プロイセン王)

感性と理論

フリードリヒ・ヴィルヘルム1世 (プロイセン王)

フリードリヒ・ヴィルヘルム1世 (プロイセン王)

 1688年8月14日 – 1740年5月31

粗暴で無教養だったが、財政・軍制の改革によってブランデンブルク=プロイセンの強大化に努め、兵隊王と呼ばれた。

フリードリヒ1世となるブランデンブルク選帝侯フリードリヒ3世の崩御によってプロイセン王位を継承した。

1701年1月18日、初代国王フリードリヒ1世は「プロイセンにおける王」として即位し、プロイセン王国が誕生した。

しかし、先王フリードリヒ一世の浪費によって破産寸前だったため、プロイセン国政の合理化・単純化に取り組み、同時に軍事力の強化に着手した。

経済力のある市民の受け入れを促進し、ペストによって人口希薄になった東プロイセンに、フォンテーヌブローの勅令によりカトリック勢力に迫害されたフランスユグノーたちを誘致した。

軍事監察官を強化し、御料地の税収強化、戦時における兵糧や補給調達の整備など、軍事に特化した中央集権化を強靭に進め、この時代にはほぼ中央集権体制が完成された。

王は軍隊の育成に心血を注いだが、この軍隊はほとんど実戦を戦うことはなく、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世が参加した戦争は大北方戦争のみであった。

改革の効果は素晴らしく、他国が驚くほどの軍事力を備えながら国庫にはまだ貯蓄があったという。

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