フリードリヒ1世 (プロイセン王)

感性と理論

フリードリヒ1世 (プロイセン王)

https://ja.wikipedia.org/wiki/フリードリヒ1世_(プロイセン王)

1657年7月11日 – 1713年2月25日

1688年に父が死去し、フリードリヒ1世は後を継いで選帝侯となるが、この時はまだブランデンブルク選帝侯フリードリヒ3世と呼ばれていた。

先王フリードリヒ・ウィルヘルムの国政改革によるブランデンブルク=プロイセンは、北方戦争によって国際的影響力を増していた。

1700年11月16日、フリードリヒ3世はスペイン継承戦争ハプスブルク家に味方することを約束し、その代償として神聖ローマ皇帝レオポルト1世から王の称号を許された。

こうしてフリードリヒ3世は1701年1月18日、厳寒のケーニヒスベルクで戴冠し、「プロイセンにおける王」フリードリヒ1世となった。

しかし、フリードリヒ1世は名君とは言い難く、寵臣に決断を左右されるタイプの優柔不断な君主で、フランスルイ14世にあこがれるような虚栄心の強い浪費家だった。

その後のフリードリヒ2世・3世の時代に、産業振興、税制改革、軍事力強化、啓蒙君主制の確立によって、プロイセン王国はヨーロッパの強国としての地位を確立する。

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