シチリア(イタリアの島)

感性と理論

シチリア(イタリアの島)

https://ja.wikipedia.org/wiki/シチリア

イタリア半島の西南の地中海に位置するイタリア領の。地中海最大の島である。

紀元前にはギリシア人植民者とカルタゴが争い(シケリア戦争)、後のポエニ戦争でローマの支配下に入る(シキリア属州)。

6世紀にはユスティニアヌス大帝東ローマ帝国に属した。

9世紀後半にはイスラムが掌握し、中心拠点となったパレルモは3000人ほどの町から30万人を超える都市に急成長し、イスラムの中心都市として繁栄した。

11世紀に北欧のノルマン人が征服し、ムスリムとも共存して多文化が融合したシチリア王国として繁栄。

その後、フランスのアンジュー家、アラゴン、スペインなどに次々に支配され、1861年にイタリア王国の一部となった。


スペイン王国の成立後にはスペイン・ハプスブルク家によって支配された。

1702年にフランス(ブルボン家)とオーストリア(ハプスブルク家)との間でスペイン継承戦争が始まった。1713年に結ばれたユトレヒト条約により、サヴォイア公サヴォイア家)のヴィットーリオ・アメデーオ2世がシチリアの王位を得ることとなった。

四カ国同盟戦争1718年 – 1720年)が終わり、1720年2月17日ハーグ条約を締結。サヴォイア家はオーストリア・ハプスブルク家カール6世との間でシチリアとサルデーニャを交換し、以後シチリア島はオーストリア・ハプスブルク家の支配下に入った。

1733年にポーランド継承戦争が勃発すると、1734年にスペインがナポリ・シチリアを奪回。

以後、シチリア王国はナポリ王国とともに(同君連合として)スペイン・ブルボン家の分家であるブルボン=シチリア家によって統治されるようになった。

ナポレオン戦争中、ナポリはフランス軍によって占領されるが、イギリスが対フランスの拠点としてシチリア島を確保した。

ナポレオン戦争後の1816年にシチリア王国とナポリ王国は統合されて両シチリア王国となった。

1861年に成立するイタリア王国へシチリア島は統合された(イタリア統一運動参照)。

イタリア統一後の半世紀にわたる経済発展によって、イタリア北部は広く都市化されていたが、シチリア島は産業の発達から取り残された。

1894年にはファッシ・シチリアーニ英語版)と呼ばれる労働者の運動が激化し、政府は非常事態宣言を出して弾圧した。

シチリア島からは多くの移民が流出した。イタリア系アメリカ人の中でもシチリア系 (Sicilian Americanは多くの比重を占めている。

19世紀後半、マフィアとして知られる犯罪組織の影響力が拡大し、シチリア島にも及んでいた。

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