スペイン継承戦争

感性と理論

スペイン継承戦争

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18世紀初めにスペイン王位の継承者を巡ってヨーロッパ諸国間で行われた戦争(1701年 – 1714年)。また、この戦争において北アメリカ大陸で行われた局地戦はアン女王戦争と呼ばれる。


大同盟戦争(1688年〜1697年)のルイ14世の譲歩

1697年に大同盟戦争を終結させたレイスウェイク条約で、フランスは領土をほとんど手に入れられなかったばかりか、相手側の要求を認めたため実質的な敗戦となった。

ルイ14世のこの大幅な譲歩はスペイン王スペイン・ハプスブルク家のカルロス2世が病弱で死期が迫っていたため、次のスペイン王位継承問題に決着を着ける目論見があった。


スペイン継承問題

1665年4歳で即位したカルロス2世の後継は、オーストリア・ハプスブルク家神聖ローマ皇帝レオポルト1世が候補になったが、スペインとオーストリアの合邦を招くため、諸外国から忌避されていた。

ブルボン家のフランス王ルイ14世もフェリペ3世の孫だったが、母后も王妃マリー・テレーズもスペインの王位継承権を放棄しており適任とはいえなかった。

カルロス2世は遺言で、ルイ14世の孫でスペイン王家の血を色濃く引いていたアンジュー公フィリップを後継者に指名して、1700年11月1日に崩御する。

カルロス2世の遺言では、フィリップのフランス王位継承権の放棄とスペイン領の一括相続を前提としてアンジュー公フィリップに王位が継承されるが、これをルイ14世が拒否した場合は、カール大公が相続すると定められていた。


戦争の勃発

ルイ14世はカルロス2世の遺言の支持を表明し、アンジュー公フィリップがスペイン王フェリペ5世として即位した。

しかし、ルイ14世は、フィリップに、フランス王位継承権を保持させたまま、「フェリペ5世」を名乗らせてスペイン王に即位させた。

フィリップは翌1701年にスペインの首都マドリードへ入城した。

これに反発したイングランド・オランダ・ドイツ諸侯は反フランス同盟を再結成、スペイン継承戦争が勃発した。


ユトレヒト条約

1712年、イギリスとフランスとの間で和平交渉が開始され、フェリペ5世はフランス王位継承権を放棄することを宣言した。

1713年、各国はユトレヒト条約を結び、長年に及んだ戦争を終結させた。

戦争終結の同年にアンが没し、ステュアート朝は断絶。又従兄ハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒがグレートブリテン王ジョージ1世として即位してハノーヴァー朝が成立する。

1715年にルイ14世も死去して曾孫のルイ15世が即位、政権交代したイギリスとフランスは協調関係を築いていった。

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