英仏植民地戦争/第2次百年戦争

感性と理論

英仏植民地戦争/第2次百年戦争

https://www.y-history.net/appendix/wh1002-032.html

https://ja.wikipedia.org/wiki/第2次百年戦争

17世紀、イギリスは立憲王政、フランスは絶対王政の主権国家が確立、いずれも重商主義経済政策をとって植民地獲得に乗り出した。

 1689年 – 1815年、名誉革命からナポレオン戦争終結までの100年あまりの期間、両国の東インド会社はアメリカ新大陸とインドにおいてたびたび戦闘を展開した。

中世末の英仏百年戦争(1337年 – 1453年)になぞらえて呼称される。


欧州での戦争北米での戦争その他の係争講和条約・戦後処理
1ファルツ継承戦争
1688年1697年
ウィリアム王戦争
1689年~1697年)
ライスワイク条約(1697年)
2スペイン継承戦争
1701年1713年
アン女王戦争
1702年~1713年)
ユトレヒト条約(1713年)
ラシュタット条約(1714年)
3オーストリア継承戦争
1740年1748年
ジョージ王戦争
1744年~1748年)
第1次カーナティック戦争
(1744年~1748年)
アーヘンの和約(1748年)
4七年戦争
1756年1763年
フレンチ・インディアン戦争
1755年~1763年)
プラッシーの戦い
1757年
パリ条約(1763年)
フベルトゥスブルク条約(1763年)
5アメリカ独立戦争
1775年1783年
パリ条約(1783年)
6フランス革命戦争ナポレオン戦争
1792年1815年
ウィーン議定書(1815年)

オーストリア継承戦争と並行して、イギリスは、スペインと西インド諸島でジェンキンズの耳戦争、フランスとは北米大陸でのジョージ王戦争とインドでのカーナティック戦争を展開し、戦いを有利に進めていた。

アメリカの独立フランス革命ナポレオン帝国を背景にイギリスイングランド)とフランスの間で繰り広げられた一連の戦争の総称である。

一連の戦争の結果、イギリスが優位に立ち、後世「パクス・ブリタニカ」と呼ばれる繁栄の時代の基礎を築いた。


大同盟戦争

1688年 – 1697年

1688年、ルイ14世がドイツのプファルツ選帝侯領に対し、弟のオルレアン公フィリップ1世の妃エリザベート・シャルロットの継承権を主張して戦争をおこした(プファルツ継承戦争)。

これに対抗してイングランド、スペイン、スウェーデン、オランダ、オーストリアはアウクスブルク同盟を結んでフランスのプファルツ継承を阻止した。北米では時のイングランド王ウィリアム3世にちなんでウィリアム王戦争とも呼んでいる。


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