タイプライター
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タイプライターが普及する以前は、語り手が口述し、書記や秘書などが聞き取って文字にし、さらに後から清書した。活字で本をつくる場合は、職人が活版を作成する必要があり、相当な費用がかかった。また会議の議事録などは通常の筆記速度で間に合わないため、欧米では数々の速記法が考案され、書記や秘書とは別に速記者が独立した職業として確立していた。
個人で使用できるタイプライターが登場すると、著者自身で活字による文章を作成できるようになった。また速記法を習得しなくても口述をかなりの速度で記述できるようになった。
業生産された初のタイプライター

1865年、デンマークのラスムス・マリング=ハンセン(en) がハンセン・ライティングボール(en)と呼ばれるものを発明した。これが1870年に製品として商業生産され、タイプライターとして初めて販売された。これはヨーロッパでは成功を収め、ロンドンのオフィスなどで20世紀初めごろまで使われていた
商業的に成功を収めた最初のタイプライター
商業的に成功を収めた最初のタイプライターは、ミルウォーキーのクリストファー・レイサム・ショールズらが1867年に発明したものだが、ショールズ自身はこの機械が気に入らず、推奨することさえ拒否している。その特許(79,265号)は Densmore and Yost が1万2000ドルで買い取り、E・レミントン・アンド・サンズ(当時はミシン製造で知られていた)に製造を依頼し、Sholes and Glidden Type-Writer として発売した。”typewriter” という用語はこのとき初めて生まれた。レミントンのタイプライター生産は1873年3月1日に開始された[要出典]。キー配列はQWERTYであり、それがこの機械が商業的に成功した原因だった[要出典]。そして、QWERTY配列は他の業者にも徐々に採用されていった。
このタイプライターは水平な紙に対して下から上にタイプアームが打ち付けて印字するようになっていたため、使用者からは印字された文字を確認できなかった。
1910年までに、手動または機械式のタイプライターの設計は一種の標準化された状態に至った。製造業者によって細かい差異はあるものの、各キーにアームがつながっていて、その先端に活字部分があるという基本構造はほとんどのタイプライターで同じである。
20世紀中頃にはタイピストは秘書や交換手同様に女性の代表的な職業となり、女性の社会進出に貢献した。