テュキュディデス「戦史」第10章

The Origin of Human Society

テュキュディデス「戦史」第10章

καὶ ὅτι μὲν Μυκῆναι μικρὸν ἦν, ἢ εἴ τι τῶν τότε πόλισμα νῦν μὴἀξιόχρεων δοκεῖ εἶναι, οὐκ ἀκριβεῖ ἄν τις σημείῳ χρώμενος ἀπιστοίημὴ γενέσθαι τὸν στόλον τοσοῦτον ὅσον οἵ τε ποιηταὶ εἰρήκασι καὶ ὁλόγος κατέχει.

この文は、ミュケナイの都市の規模や、過去の出来事を現代の基準で判断することについて述べています。日本語に翻訳すると次のようになります:

「ミュケナイが小さかったことや、当時の都市が今は大したものに見えないことがあるとしても、それをもってしても、詩人たちが語り、伝承されている遠征の規模がそれほど大きくなかったのではないかと疑うべきではない。」

この一節は、現代の視点から過去の都市や出来事を過小評価すべきではなく、詩や伝承が伝えるトロイ遠征の規模を信じるべきだという考えを示しています。

Λακεδαιμονίων γὰρ εἰ ἡ πόλις ἐρημωθείη, λειφθείη δὲ τά τε ἱερὰ καὶτῆς κατασκευῆς τὰ ἐδάφη, πολλὴν ἂν οἶμαι ἀπιστίαν τῆς δυνάμεωςπροελθόντος πολλοῦ χρόνου τοῖς ἔπειτα πρὸς τὸ κλέος αὐτῶν εἶναι(καίτοι Πελοποννήσου τῶν πέντε τὰς δύο μοίρας νέμονται, τῆς τεξυμπάσης ἡγοῦνται καὶ τῶν ἔξω ξυμμάχων πολλῶν· ὅμως δὲ οὔτεξυνοικισθείσης πόλεως οὔτε ἱεροῖς καὶ κατασκευαῖς πολυτελέσιχρησαμένης, κατὰ κώμας δὲ τῷ παλαιῷ τῆς Ἑλλάδος τρόπῳοἰκισθείσης, φαίνοιτ’ ἂν ὑποδεεστέρα), Ἀθηναίων δὲ τὸ αὐτὸ τοῦτοπαθόντων διπλασίαν ἂν τὴν δύναμιν εἰκάζεσθαι ἀπὸ τῆς φανερᾶςὄψεως τῆς πόλεως ἢ ἔστιν.

この文は、古代スパルタ(ラケダイモン)の実力とその外見的な印象について、アテネとの比較を通して語っています。これを日本語に翻訳すると次のようになります:

「例えば、もしラケダイモン(スパルタ)の都市が荒廃し、神殿や建物の基礎だけが残されたとしたら、長い年月が経った後にそれを見た者は、彼らの実力に対して非常に疑いを抱くと思う(とはいえ、彼らはペロポネソスの五分の二を支配し、全体を指導し、多くの同盟国を持っている)。しかし、スパルタは一つの都市として統合されておらず、壮麗な神殿や建物を持っているわけでもなく、ギリシャ古来の風習に従って村々に分かれて住んでいるため、その外見からは実際よりも劣って見えるだろう。一方、アテネが同じように荒廃した場合、見た目の印象から、実際の実力よりも二倍ほど強大な都市であったと推測されるだろう。」

この一節は、スパルタとアテネの外見的な違いについて述べており、スパルタは外見ではその力を表さないが、アテネは見た目から実力以上に評価されるだろうと指摘しています。

οὔκουν ἀπιστεῖν εἰκός, οὐδὲ τὰς ὄψεις τῶν πόλεων μᾶλλον σκοπεῖνἢ τὰς δυνάμεις, νομίζειν δὲ τὴν στρατείαν ἐκείνην μεγίστην μὲνγενέσθαι τῶν πρὸ αὑτῆς, λειπομένην δὲ τῶν νῦν, τῇ Ὁμήρου αὖποιήσει εἴ τι χρὴ κἀνταῦθα πιστεύειν, ἣν εἰκὸς ἐπὶ τὸ μεῖζον μὲνποιητὴν ὄντα κοσμῆσαι, ὅμως δὲ φαίνεται καὶ οὕτως ἐνδεεστέρα.

この文は、過去の出来事を評価する際に都市の外見よりもその実力を見るべきであり、トロイ戦争の遠征についても詩人の誇張があるにせよ、現代の規模には及ばないと述べています。これを日本語に翻訳すると次のようになります:

「したがって、都市の外見を信じるのではなく、その実力を考慮することが適切であり、あの遠征(トロイ戦争)がそれ以前のものに比べて最大であったとしても、今の時代のものよりは劣っていたと考えるべきである。そして、ホメロスの詩に頼るべきであるなら、詩人である彼が誇張しているのは当然だが、それでもなお、あの遠征は現在のものよりも劣っていたように思われる。」

この一節は、トロイ戦争を評価する際に、ホメロスの詩が誇張されている可能性があることを考慮しつつも、現代の基準に照らしてその規模は比較的小さいと判断すべきだと述べています。

πεποίηκε γὰρ χιλίων καὶ διακοσίων νεῶν τὰς μὲν Βοιωτῶν εἴκοσι καὶἑκατὸν ἀνδρῶν, τὰς δὲ Φιλοκτήτου πεντήκοντα, δηλῶν, ὡς ἐμοὶδοκεῖ, τὰς μεγίστας καὶ ἐλαχίστας· ἄλλων γοῦν μεγέθους πέρι ἐννεῶν καταλόγῳ οὐκ ἐμνήσθη. αὐτερέται δὲ ὅτι ἦσαν καὶ μάχιμοιπάντες, ἐν ταῖς Φιλοκτήτου ναυσὶ δεδήλωκεν· τοξότας γὰρ πάνταςπεποίηκε τοὺς προσκώπους. περίνεως δὲ οὐκ εἰκὸς πολλοὺςξυμπλεῖν ἔξω τῶν βασιλέων καὶ τῶν μάλιστα ἐν τέλει, ἄλλως τε καὶμέλλοντας πέλαγος περαιώσεσθαι μετὰ σκευῶν πολεμικῶν, οὐδ’ αὖτὰ πλοῖα κατάφαρκτα ἔχοντας, ἀλλὰ τῷ παλαιῷ τρόπῳλῃστικώτερον παρεσκευασμένα.

この文は、ホメロスが『イリアス』で描いたトロイ戦争の艦隊の規模と、当時の船や戦士たちの準備状況について説明しています。日本語に翻訳すると次のようになります:

「ホメロスは1,200隻の船を描いているが、ボイオティアの船は各々120人、フィロクテーテスの船は50人を乗せていた。これは、私の考えでは、最大のものと最小のものを示しているのだろう。他の船の規模については、特に言及されていない。また、フィロクテーテスの船において、すべての乗組員が戦闘要員であったことを示している。彼の船では全員が弓兵として描かれているからだ。多くの従者が王や指導者以外に同行していたとは考えにくい。特に、彼らが戦闘の装備とともに海を渡ろうとしていたことを考えれば、船は現代のように完全に覆われたものではなく、昔ながらの海賊のような形で準備されていたのである。」

この一節は、トロイ戦争時の艦隊の船がすべて戦闘員で構成され、当時の船は現代の船とは異なり、より簡素で海賊的なスタイルであったことを示唆しています。

πρὸς τὰς μεγίστας δ’ οὖν καὶ ἐλαχίστας ναῦς τὸ μέσον σκοποῦντι οὐπολλοὶ φαίνονται ἐλθόντες, ὡς ἀπὸ πάσης τῆς Ἑλλάδος κοινῇπεμπόμενοι.

この文は、ホメロスの『イリアス』に登場するギリシャ艦隊の規模について、最大と最小の船を基準にして全体の規模を考察したものです。日本語に翻訳すると次のようになります:

「最大の船と最小の船を基準にしてその中間を考えてみると、ギリシャ全体から共に派遣された者たちの数は多くはなかったように思われる。」

この一節は、トロイ戦争に参加したギリシャ軍の規模が、それほど大きくなかった可能性を指摘しています。全ギリシャから派遣された艦隊の数が、ホメロスが示す最大と最小の船の規模を基に考えると、期待よりも少なかったことを示唆しています。