国富論 (上巻)

カール・マルクス

原名。諸国民の富の性質及び原因に関する研窮

アダム・スミス 著
青野季吉 訳
春秋社 出版

目 次

解説

小伝。

国富論』の著者アダム・スミス(Adam Smith)は、一七二三年六月五日即ち今を去ること二百五年前、スコットランドのファイフ州にあるカーコーディー(Kirkcaldy)の町に生まれた。この町は、当時のスコットランドの商業の一中心地たるエヂンバラの北方十二マイル ばかりの海辺の小さな町で、スミスが生まれた当時には、その町に約千五百人の人民が住んでいて、その多くは石炭仲仕なかし製釘 せいてい 業者や密貿易者であったと言われている。

スミスの父もやはりアダム・スミスと言い、小スミスが生れる数週間前に亡くなってしまった。スミスは父の顔を知らぬ薄幸な子だったのである。父スミスは同地方で相当に知名な人で、法律弁護士を職業として、傍ら軍事裁判所判事をつとめていた。一時スコットランドの大臣ルードン卿(Lord Loudon)の秘書となったが、その後引退してカーコーディーの税関吏に任命され、亡くなるまでその任にあった。母は一七八四年即ちスミスが六十一歳の時、九十歳の高齢で亡くなったが、若くして夫を失った彼女は、ほとんどその生涯をスミスに対する愛情と教育に捧げた。而してスミスも亦、限りない孝養をもってこの愛にむく いた。

スミスは少年の頃教育を郷里の文法学校で受け、十四歳の時スコットランドの商業の中心地グラスゴーにおもむ いて、同地の大学に入学し、十七歳の春(一七四〇年の初め)までそこに在学した。この時期のスミスに与えた二つの大きな影響は、スミスの思想の発展において重大なものである。その一つは同大学の倫理学教授ハッチェソン(Hutcheson)の影響であり、他はグラスゴーと云う都会の環境の影響であった。ハッチェソン教授の博識熱烈な講義は、深く若きスミスの心を捉え、スミスの根本思想とも言う き自由主義思想は、どう教授によって植えつけられたものであった。また当時同教授によって与えられた経済学上の示唆は、後に『国富論』において展開完成されたとさえ言われている。一方グラスゴーは、イングランドとスコットランドとの合併後、急激に発展し、スミスが遊学した当時は、正に東印度貿易の中心地となり、その港口には多くの商船が去来し、その埠頭には植民地からの輸入貨物が山積 さんせき していた。この殷賑いんしんな光景は、確かに後年の自由貿易主義の萌芽を若いスミスの脳裡に刻みつけたことであろう。

スミスは十七歳の秋(一七四〇年七月十七日)グラスゴーを去って、オックスフォードに赴き、そこのベリオル・カレッヂに入学した。この時彼は馬上で国境を越えたが、一度ひとたイングランドに入ると、そこの光景はスコットランドのそれとはがらりと變って、土地は豐かで、農業は進歩していた。スミスにはこの風物を観て驚いたと言われている。『国富論』の随所に、両国の進歩の差異について、興味ある記述が見出されるが、これに接する時我々は、この馬上の学生スミスを想い起さざるを得ない。だが、オックスフォードの学生生活は、彼にとって快適なものではなかった。知識欲に燃え立ったスミスがそこで発見したものは、全くの知的無感覚であり、怠惰と無理解であった。その上、そこではスコットランドの学生は、とかく疎外され勝ちであった。当時のスミスがその中に在って、幸福であり得るはずはなかった。それに彼はオックスフォードの学生生活中、絶えず疾病の壊血病と震頭症とに悩まされていた。元来彼は幼少の頃から病弱であった。(彼は終生独身で通したが、その原因の一つはこのためではないかと思う。)だが、勿論この学生生活も全然無駄ではなかった。彼はそこで殆んど大学所属の図書館に通い詰めで、主として古今の文学の研窮に打ち込んだとのことである。かくてスミスは六年間のオックスフォードの学生生活を えて、バチラー・オブ・アーツの称号を得て、一七四六年の秋(八月)郷里のカーコーディーに帰った。

それから二年後の一七四八年の冬、彼はエヂンバラで英文学の講義を開いた。その講義は毎冬季に三年間つづいて行われたが、その中には経済学の講義もあり、彼の自由主義経済思想が初めてそこで展開された。而してそこでの彼の講義は、その論題の斬新と内容の豐富の故に、非常な称讃を博した。次いで一七五一年一月九日即ち二十八歳の年に、スミスは母校グラスゴー大学の倫理学講師に選任され、翌年同教授に任命された。これ實に彼が同大学を去ってから十一年目であり、爾来 じらい スミスは郷里から母と従妹のジェーン・ダグラスを迎えて、大学附属の住宅に落ち着き、十三年の『最も有益な、従って最も幸福だった』(スミス)月日を送ったのであった。

この十三年間、彼は、同大学で倫理学及び経済学の講義をする傍ら、同大学の要職に就いたり、学会を起こしたり、倶楽部に出入りしたり——同じ倶楽部員に、近世化学の開祖ジョセフ・ブラックと蒸汽機関の発明者ジェームス・ワットがあった——エヂンバラに赴いてヒューム(David Hume)等の友人と経済論や政治論を戦わしたり、雑誌(エヂンバラ・レヴィユー)に寄稿したり、市中を観察して廻ったりした。そして家に帰れば慈愛の深い母と親切な従妹があった。まことに『最も有益な、従って最も幸福な』生活であった。

一七六四年スミスは、同僚学生の非常な愛惜の中に、その教授生活を捨て、グラスゴー大学を去った。それと言うのはバックロフ公の外遊に際して師として随行することになったからである。その報酬は棒給三百 ポンド 、終生年金三百磅で、恐らく大学の報酬の倍以上であった。スミスがこれを承諾したのは、一つにはその報酬のためでもあったろうが、一つには親しく大陸を見聞して、その学説を確説したいためでもあったろうと思われる。

かくてスミスは一行と共に一七六四年二月外遊の途に上り、同月十三日にパリに着いた。そこで滞在十日の後、彼の一行はツールーズに赴いた。同地には親友ヒュームの従兄弟が居って大いに歓迎したが、スミスの生活は快適なものではなかったらしい。彼はここでの生活の中に、時間潰しに著述の筆をとり始めた。これが画期的の世界的名著『国富論』の第一歩だったのである。これ實に一七六四年即ちスミスが三十一〔四十一〕歳の秋(七月)であった。

その後スミス一行はボルドーを観察したり、ランゲドクの地方議会を観たりして、再びツールーズに帰って、約一年ここで暮し、次いでジェネバに赴いた。その地で彼は、ボルテールに会い、共和政体なるものを観察したのであった。かくて一行は一七六五年十二月上旬にパリへ帰って来たが、当時彼の親友ヒュームはそこで非常な人気を背負っていたので、スミスも亦人気の中心となり、たちま ち華々しい社交界の人となった。彼は十ヶ月の間そこで溢れるような歓楽に酔ったと言われている。また彼はそこで熱心な観劇家でもあった。

スミスはフランス遊歴中に幾多の政治家や学者と会見し、意見を交換したが、中でも彼が、ディデロー(Diderot)ケネー(Quesnay)チェルゴー(Turgot)と知合になったことは、注意に値すると思う。

一七六六年の冬、(十一月)遊歴約三年の後、スミスの一行はロンドンに着いた。言うまでもなくスミスのカバンの中には、大著『国富論』の未定稿と、外遊中に得た多くの材料とがあった。スミスは更に約六ヶ月ロンドンに滞在して、大著の材料を蒐集 しゅうしゅう し、一七六七年五月郷里カーコーディーに帰った。

この後の六年間、スミスの全学殖と、全注意とは、大著『国富論』に向って集中された。眞に彼は、骨を削り、肉を いで、その大著の完成につとめた。我々はこの大著に支払われた到死的な大努力を想像する時、約百年後、カール・マルクス(Karl Marx)によって大著『資本論』(Das Kapital)に支払われた到死的な大努力を想起せざるを得ない。この百年の日月を挟んで、先端には資本主義経済学の基礎を樹立した『国富論』が屹立きつりつ し、後端には社会主義経済学の基礎を確立した『資本論』が聳え立っている!

一七七三年の春(四月)スミスはようや く脱稿の運びにいたった。原稿を抱いて、ロンドンに向った。が、彼の健康は傷つけられていた。そこで彼は、エヂンバラから親友ヒュームに書簡を送って、後事を依頼し、原稿全部の管理を託した。然し、彼はたお れなかった、同年五月ロンドンに着き、更に『国富論』の加筆、補修に従った。

かくて『国富論』の公刊を見たのは、ロンドンに来てから三年後、外遊から都里カーコーディーに帰ってから九年後、フランスのツールーズで稿を起してから實に十二年の、一七六六年三月九日、即ち今から百六十年前、スミスの五十三歳の時であった。『国富論』即ち『諸国民の富の性質及び原因に関する研窮』は、美装した四折版二巻となって、公衆の前に置かれた。

『国富論』の公刊から数週間後、彼は、親友ヒュームの病を聞いて、ロンドンを出発し、途中で偶然病友に会い、更に郷里の母の病を聞いて、カーコーディーに立ち帰った。この時ヒュームは再び立つ能わざるを知って、スミスに後事を託した。さき にスミスがヒュームに後事をを託したことを想起すると、不思議の感に打たざるを得ない。ヒュームはその翌月六十六歳の高齢で亡くなった。

故郷に帰ったスミスは、老母の病いが薄らぐのを見て、翌一七七七年一月、『国富論』に補正を加えて、第二版を発行するために、またロンドンへ上り、十二月エヂンバラに帰った。その翌年の一月スミスはスコットランドの関税委員に任命された。この時期からスミスの受ける報酬が相当に裕かになったので、一家はカーコーディーからエヂンバラに引移 ひきうつ った。ここでしばらく静穏な生活が送られたが、一七八四年五月にスミスの慈母は九十歳の高齢で没した。時にスミスは六十一歳で、慈母の逝去にいた んだ彼の心は、彼の衰退した健康を更に衰退させた。だが、彼の研窮は決して中断されることなく、この間にも、文学、哲学、詩及び修辞の各部門に亙った哲学史的な一著述と、法律及び統治の理論及び歴史を叙した一著述ろの準備を怠らなかった。

一七八七年の春、医師に体を見て貰うためと、当時スミスの経済学説を實際の政策に応用していた名宰相ピットに会見するために、スミスはロンドンに赴いた。ピットは彼を歓迎し、彼もピットを賞讃した。ロンドンの旅行を終えて来たスミスは、その年の春に、自分の母校であり且つ長い間その教授をつとめていたグラスゴー大学の総長に推薦された。スミスはこの推薦を非常に歓び、母校に宛てた書簡中で『これ以上の満足はない』と述べたと云う。

さき に慈母を失くしたスミスは、スラスゴー大学の総長になった翌年に、慈母と共に六十年の久しい間自分を親切にしてくれた従妹を失った。かくて彼は今や、老い、眞に淋しい孤独の人となった。だが、彼の気魄 きはく は消えず、依然として研窮をつづけていたと言われている。

一七九〇年に入ると彼の衰弱はめっきり加わり、彼をして『私は機械の如く壊れてしまったのを知っている、』と嘆息たんそくせしめた。而してこの間、 えず囘生かいせいの望のない老学者を苦しめたものは、机上に山を成す未定稿であった。彼は遂にその死に先立つ数日前に、十余冊の原稿を焼却してしまった。

かくて『国富論』の著者スミスは、一七九〇年七月十七日、六十七歳の高齢をもって、長逝した。遺骸はキャノンゲートの墓地に葬られた。

著書について。

スミスが生前に世に公にした著述は、

『道徳情操論』(The Theory of Moral Sentiments)(一七五九年)

『諸国民の富の性質及び原因に関する研窮』(国富論)(An Inquiry into the Nature and Cause of the Wealth of Nations)(一七七六年)の二つしかない。

が、彼の死後次の二つの遺著が公刊された。

『哲学上の諸問題に関する論集』(Early on Philosophical Subjects)(一七九五年)

『正義、警察、歳入及び軍備に関する講義集』(Lectures on Justice,Police,Revenue and Arms)(一八九六年)

『道徳情操論』は、スミスがグラスゴー大学の教授をしていた時代(一七五九年)に著述されたものであって、彼の處女作であり、『国富論』とならんで、生前彼自身の手によって公刊されたものとして、重要な著述である。

『哲学上の諸問題に関する論集』は、スミスの死後五年目に、彼の友人の手で公刊されたものであって、そこには、天文学史、古代物理学史、古代倫理、形而上学史に関する研窮や、絵画、彫刻、音楽、舞踏、詩に関する研窮、イギリス及びイタリアの詩に関する研窮等が含まれている。

『正義、警察、歳入及び軍備に関する講義集』は、スミスがグラスゴー大学で行った講義(一七六二——三年頃の)の筆記であるが、これはスミスが亡くなってから約百年後に、偶然の機会から発見され、エドウィン・キャナン(Edwin Cannan)の手によって校訂出版されたものである。この講義筆記の発見は極めて重大な出来事で、その後、スミスに関する研窮が大いに発展を見たと言われている。

『諸国民の富の性質及び原因に関する研窮』(国富論)は、即ち本訳書である。これが公刊までの事情は曩に小伝のところで述べておいた。スミスは本書の冒頭に、その内容の設計を明示しているから、それを見れば本書の内容の結構は明白であるが、ここに簡単にそれを要約しておこう。本書は簡単な序論と本論第五篇から成っている。第一篇では、人類進歩の根本動力たる勞働生産力の改良を促がす諸々の原因と、その勞働の生産物が社会の諸の階級や等級の間に、自然的に分配されて行く順序とが、取扱われている。これは本書の総論的部分であって、スミスの有名な勞働檟値の把握、国富にたいする基礎的観念は、ここで、明白に説述されている。第二篇では、国富を成す蓄財及び資本が、漸次に蓄積されて行くその蓄積の諸方法と、資本の使用の仕方が異るにしたがって、その資本の活動させる勞働量の差違を惹起する様相とが解剖されている。この資本蓄積論は、ケネーの『経済学』とならんで、近世経済学上の最初の大きな収穫だと言われている。第三篇では、各国民が勞働の一般的支配又は指導において採っている政策が取扱われている。近世ヨーロッパ各国民の政策は一般に、田園の産業よりは都市の産業を奨励したが、その事情を導いたものは何であるか、その政策はいかに国富の増進に関係があるか、それがここで窮明されている。第四篇では、その各国民の政策に刺激されて生まれた経済学上の学説、即ち或は都市の産業を重要だとする学説や、或は田園のそれの重要性を説く学説が取扱われ、その学説が、諸の時期や諸の国民の間で生み出した主要な結果が開明されている。つまりこれまでの四篇の目的は、人民の大多数の収入は何から成り立っているか、諸の異った時代及び国民において年々の消費品を供給する資源は、どういう性質をそな えたものであるか、を窮明するに在る。而して最終の第五篇では、君主又は国家の収入、即ち国家の財政問題が取扱われている。而して君主又は国家の経費の性質、その経費負担上の上の問題、全社会の負担たる可き経費の負担方法とその利害、近代諸政府の借款政策などがその内容となっている。

これらの大部分はグラスゴー大学の講義において展開されたものであるが、その後幾多の点が改更発展され、特に第一篇の賃銀、利潤、地代に関する諸章、第五篇の租税に関する章において、それの顕著なものであり、第四篇第九章のフランスの経済学派に関する個所は、全く新たに書き加えられたものだと言われている。(*)

スミスの経済思想及びその史的意義については、本訳書下巻において之を略述する機会を持つであろう。

Hirst;Adam Smith.Hauny ;History of Economid Thought,谷口彌五郎氏著『アダム・スミスの経済思想』等特に谷口氏の著書に依る。

この訳者はスミスの原著第九版を台本として、傍らキャナン(Edwin Cannan)の版本を参照して作ったもので、また處ガルニェー(Garnier)の仏読本及びロェーヴェンタール(Lowenthal)の独訳本の引合せて見た。且つ反訳に際して、気賀勘重氏の邦訳本(第二篇第五章まで)及び竹内謙二氏のそれから得るところが多かった。

なお註はスミスの原註の外に、キャナンの忠實なる註の中から、同氏の積極的な意見の比較的混らないものを選んでこれを掲げ、若干訳者のそれをも加えておいた。而してそれとスミスの原註とを区別するために、校舎の註には全部括弧【 】を附しておいた。

最後にこの訳本をつくるに当って、示唆と教示を与えてくれた諸学兄に感謝の意を示しておく。

一九二八・二・一七

青野季吉

原著第三版の序文(一七八四年)

本書の第一版は一七七五年の終末の端初に印刷された。

だから本書の大部分を通じて、現状(the present state of things)と言う 場合にはいつでも、およそその時期か又はそれより幾分前の時期、即ち私が本書の著述にしたがっていた時期に於ける状態であると、解さなければならない。

だが、この第三版に私は幾多追加するところがあった。

特に戻税に関する章及び奨励金に関する章に追加するところがあり、同じく『重商制度(Mercantile System)の結論』と題した新たな一章を加え、また君主の経費に関する章へ新らたな一節を加えた。

そして一切のこれrなお追加において、『現状』とはいつも、一七八三年中及び本年即ち一七八四年の端初に於ける状態を意味するものである。

原著第四版の序文(一七八六年)

この第四版に私はいかなる種類の變更も加えなかった。

だが、いまや私はアムステルダムのヘンリー・ホープ氏(Henry Hope)(註一)に対して、氏に負うところ極めて大なるものがあることを、非常に興味あり且つ重要な題目即ち『アムステルダム銀行』に関する、極めて明確な且つ豐富な報告を与えられた。

この銀行については、印刷された報告の中で、私が観て満足と思い、又は明瞭とさえ思ったものは、かつて一つもなかったのである。

この紳士の名前は今日ヨーロッパに広く喧伝けんでん されて居り、それだけにこの紳士から報告を受けることは、何人がそれを受けたにしても、その人にとって非常な名誉でなければならない。

而して私はこの事に関して氏に向って感謝の意を表するのを大いに誇りとし、ために本書のこの新版に序文を附してこれを表明するのよろこ びを、最早抑えることが出来ないのである。

序論及び本著述の設計

すべ ての国民の年々(註一)の勞働は、本来その国民が年々に消費するあらゆる生活の必要物及び便益物(註二)を供給する資源(fund)であって、その必要物及び便益物はは、右の勞働の直接の生産物から成っているか、又は、その生産物でもって他の諸国民から購入した物品から成っている。

どの国でも、その国の国民が年間に行う勞働こそが、生活の必需品として、生活を豐かにする利便品として、国民が年間に消費するものの全てを生み出す源泉である。

消費する必需品と利便品は皆、国内の勞働による直接の生産物か、そうした生産物を使って外国から輸入したものである。

さればこの生産物、又はそれでもって購入した物品が、それを消費すべき人々の数に比べて、割合が大きいか又は小さいかにしたがって、その国民の必要とする一切の必要物及び便益物の供給は、一層善い状態にあるか又は一層悪い状態にあるであろう。

このため、国内の勞働の生産物かそれを使って外国から購入したものの量が、それらを消費する国民1人当たりで見て多いか少ないかによって、その国の国民が求める必需品と利便品が十分に供給されているかどうかが決まる。

だがこの割合はいかなる国民においても、二つの異った事情によって規定されなければならない。

第一には、その国民の勞働が一般に適用される上の熟練、技巧及び判断の移管によってであり、第二には、有用な勞働に使用される人々の数と、それに使用されない人々の数との、割合の如何によってである。

或る特定の国民の領土において、その地味、気候又は広袤こうぼうがどうであったにしても、その国民の年々の供給の饒多じょうた なるか又は不足なるかは、右の二つの事情に依存せざるを得ないのである。

この量はどの国でも、二つの要因に左右されるはずだ。

第一の要因は、勞働の際に使われる技能や技術の全体的な水準である。

第二の要因は、役に立つ勞働を行なっている人の数と役に立つ勞働を行なっていない人の数の比率である。

国にはそれぞれ土壌、気候、広さに違いがあるが、それぞれの条件のもとで年間に供給される必需品や利便品が豐富かどうかは、以上の2つの要因に左右されるはずである。

この供給の饒多なるか又は不足なるかはまた、右の二つの事情のうちの後者よりは前者に、一層多く依存しているようである。

未開の狩猟及び漁業国民の間では、仕事の出来る者は誰も彼も多かれ少かれ有用な勞働に従事していて、出来る限り生活の必要物及び便益品を、自分自身及び彼の家族又は種族のうちの狩猟や漁業に出ることの出来ない老者、幼者及び病弱者に供給しようと努力している。

それにも拘らずそういう国民は、極めて貧乏であって、単に貧乏であるためだけで、彼等はしばしばその幼者、老者及び長病に悩まされている者を、或時には直接に手を下して殺害してしまうか、又はそれ遺棄して餓死させたり野獣の餌食としてしまわねばならぬ必要に迫られる。

もしくはすくなくともその必要に迫られたと自ら考える。

これに対して文明繁華の国民の間では、人民の多数者は全然勞働をせず、その中の多くの者は勞働する人々の大部分に比して、十倍否しばしば百倍の勞働の生産物を消費している。

それでもなお、その社会の全勞働の生産物は極めて大であるがゆえに、凡ての人々が屡々しばしば 豐富に供給されて居り、最も下層の最も貧しい勞働者でも、質素勤勉でありさえすれば、どんな未開人も けることの出来ないような多くの生活の必要物及び便益物の分前を享けることが出来るのである。

年間の供給が豐富かどうかは、この2つのうち、第二の要因よりも第一の要因に大きく左右されるようだ。

狩と漁で生活している未開の民族では、働ける人は皆、多かれ少なかれ役立つ勞働を行なっており、自分自身のために、そして家族や部族の中で年を取り過ぎているか、幼すぎるか、身体が弱いかで狩にも漁にもいけない人のために、生活の必需品と利便品を手に入れようと懸命に働いている。それでも悲惨なほど貧しく、物が足りないという理由で、幼児や老人や長患いの人を殺すか、原野に放置して飢え死にしたり動物に殺されたりするに任せるしか無くなることが多い。少なくとも、そうするしかないと考えるようになることが多い。

これに対して繁栄している文明国では、勞働を全くしない人が極めて多いのに、その多くは勞働をする人の大部分と比べて、勞働の生産物を十倍も、時には百倍も消費する。それでも、社会全体の勞働の生産物が極めて多いので、誰でもものを豐富に供給されていて、最下層の貧しい勞働者でも、倹約し勤勉に働いていれば、未開の民族では考えられないほど大量に、必需品と利便品を手に入れることができる。

勞働の生産力におけるこの改良の諸原因(註一)と、依ってもってその生産物が社会の諸の階級、諸の条件の人々の間に自然的に分配される順序の研窮が、本書の第一篇の主題である。

このように、勞働の生産性が向上してきたのはどのような要因があったのか、社会の様々な階層に勞働生産物が分配されていくときの自然な秩序はどのようなものなのかが、本書第一編の主題である。

ある国民において勞働が適用される上の熟練、技巧及び判断の實際の状態がどうであろうとも、その同じ状態が敬蔵する限りにおいては、その国民の年々の供給の繞多なるか又は不足なるかは、年々有用な勞働に使用される人々の数と、それに使用されない人々の数との割合に依存しなければならない。

有用な生産的勞働者の数は、後に論ずるように、いかなる場合においても、その勞働者を働かせるために使用される資本(capital stock)の量とその資本が使用される特殊な方法とに準ずる者である。

されば本書の第二篇では、資本の性質とそれの漸次に蓄積される方法と、資本の使用方法の異るにしたがってその資本が働かせる勞働の量における相違とを、取扱う。

ある国で、勞働の際に使われる技能や技術が實際にどのような水準にあっても、その水準が變わらないのであれば、年間に供給されるものが豐富かどうかは、役立つ勞働を行なっている人と行なっていない人の数の比率によって決まるはずである。

のちに明らかにするように、役立つ勞働を行なっている人の数は、どの国、どの地域でも、そうした人が働けるようにするために使われている資本の量に比例し、資本の使い方に左右されるようだ。

このため、本書第二編では、資本がどのような性格を持ち、どのように蓄積され、資本の使い方によって、雇用される勞働の量にどのような違いがあるのかを扱う。

勞働の適用における熟練、技巧及び判断の可なりよく進んだ諸国民が、その勞働の一般的の支配又は指導において、極めて異った諸の計画をって来ている。

そして、それらの諸計画は、どれもこれもその国の生産物の増大にとって同様に有利なものではなかったのである。

或る国民の政策は、田舎の産業に異常な奨励を与え、他の国民のそれは、都市の産業を大いに奨励した。

即ち各種の産業を平等に公平に取扱った国民は国民は殆んど無いのである。

ローマ帝国の崩壊以来、ヨーロッパの政策は田舎の産業たる農業にたいしてよりは、寧ろ都市の産業たる工芸、製造業及び商業にたいしてヨリ一層有利なものとなって来ている。

この政策を導き来り、確立した諸事情と見られるものが、本書の第三篇で説明されている。

これらの諸の計画は、恐らく最初には特殊な階級(order)の人々が、社会の一般的幸福にたいするその影響に何の考慮も払わず、又はそれを洞察もせず、自己の個人的利益と偏見に基いてこれを導いて来たものであろう。

だがそれ等の諸の計画は、経済学上に非常に異なれる諸の学説の生れる機会を与え、その中の或者は、都市において行われる産業の重要なことを強調し、他の者は田舎で行われる産業の重要性を力説すると言った風である。

而してこれらの学説は、学者の意見の上のみならず、諸君主(princes)及び諸主権国家の政策(public conduct)の上にも多大の影響感化を及ぼしたのである。

私は本書の第四篇において、それらの学説と、それらが諸の時期及び国民の間で生み出した主要な結果とを、出来るだけ十分に明確に説明しようと努めた。

勞働の際に使われる技能や技術がかなり発達している諸国では、勞働を全体的にどの方向に導くのかについて、国によって大きく違う政策を採ってきた。どの政策を採っても、勞働生産物の増加に同じように有利な状況が作られてきたわけではない。農村の産業を特に奨励する政策を採ってきた国もあれば、都市の産業を特に奨励する政策を採ってきた国もある。どの産業も平等に扱ってきた国はまずない。

ローマ帝国が崩壊して以来、ヨーロッパでは、都市の産業であるである商工業を、農村の産業であるである農業より優遇する政策がとられてきた。どのような状況を背景にこの政策が生まれ確立したと見られるのかを、本書第3編で説明していく。これらの政策はおそらく、当初はある階層の私利と偏見によって作られたのであり、その際に、社会全体の幸福と利益にどのような影響を与えるかは考えられていなかったし、まして見通されてはいなかったであろう。

しかしその後、これらの政策から経済政策に関して、大きく違う理論が生まれてきた。その中には、都市の産業の重要性を誇張している理論もあり、農村の産業の重要性を誇張している理論もある。これらの理論は、識者の意見に大きな影響を与えているだけでなく、国王や国の政策にも大きな影響を与えている。本書第四編では、これらの理論を、さらにはこれら理論が様々な時代に様々な国に与えた影響を、できるだけ十分に明確に説明するように努める。

人民の大多数の収入(revenue)が何から成り立っているか、諸の異った時代及び国民において、年々の消費を供給しているそれらの紙片の性質はどういうものであるか、それを説明するのが本書の最初の四つの篇の目的なのである。

第五篇即ち本書の最終篇は、主権者又は国家(Commomwelth)の収入を取り扱っている、

この篇において私は次の諸点を示そうと努めた。

第一には、主権者又は国家の必要な諸費用とは何であるか、それらの諸費用の如何なるものが全社会の一般的拠出によって支払われるべきものであり、その如何なるものが社会の或る特殊な部分にうよって又は特殊な成員によって支払わるべきものであるか、是であり、第二には、全社会課せられた費用を支払って行く上に、全社会をしてそれを拠出せしめる方法において、どんな異った諸の方法があるか、それ等の諸の方法のそれぞれの主要な利益及び不便は何であるか、是であり、第三即ち最後には、ほとんど凡ての近代政府を誘って、その収入の或る部分を担保として、債務の契約をなさしめた理由及び原因は何であるか、これらの債務が真の富即ちその社会の土地及び勞働の年々の生産物に及ぼした結果はどうであったか、是である。

以上のように、本書の第一編から第四編までは、国民全体の収入を生み出しているのが何であり、それぞれの時代にそれぞれの国で、年間に消費されるものを供給してきた源泉がどのような性格を持っているのかを説明することを目的としている。

これに対して、最後の第五編では、主権者か国の収入を扱う。第五編で示そうとしているのは以下の点である。第一に、国王または国が必要とする経費は何なのか。この経費のうち、社会全体が負担すべき部分がどれで、社会の中の1部だけ、または社会の1部の人だけが負担すべき部分はどれなのかである。第二に、社会全体が負担すべき経費を賄うために、社会全体で拠出する方法にはどういうものがあり、それぞれの方法の主要な利点と欠点は何なのかである。最後に第3の点として、近代のほとんどの政府が税収の一部を担保にして、資金を借り入れるようになったが、その理由と原因はどこにあり、この債務が社会の真の富、つまり社会の土地と勞働による年間生産物にどのような影響を与えてきたかである。

第一篇 勞働の生産力における改良の諸原因と、勞働の生産物が人民の諸の階級の間に自然的に分配される順序について

第一章 分業(Division of Labour)について(註一)

1

勞働の生産力における最大の改良と、勞働が依ってもって何等かの方面に導かれ又は適用される熟練、技巧及び判断の大部分とは、分業の結果として生まれて来たものように思われる。

勞働の生産性が、飛躍的に向上してきたのは分業の結果だし、各分野の勞働で使われる技能や技術もかなりの部分、分業の結果、得られたものだと思える。

2

社会の一般的業務に於ける分業の結果は、若干の特殊な製造業(manufactures)において、分業がどんな風に行われているかを考察すれば、一層容易に理解されるであろう。

分業は普通には、若干の極めて瑣細ささいな製造業において、最も完全に行われると世人は想像している。

これは恐らくは分業が實際において、他の一層重要な製造業においてよりも瑣細な製造業において一層十分に實行されるからではなくて、単に少数の人々の小さな欲求を満たすためのそれらの瑣細な製造業においては、勞働者の総数も必然的に少数でなければならず、したがって仕事の各部門に使用されている勞働者を屢々 しばしば 同一の工場に集めて、それを直ちに監督者の目前に置くことが出来るからであろう。

これに反して、人民の大多数者の大きな欲求を満たすための大製造業では、仕事の各部門で使用する勞働者の数が大であって、したがってそれらを同一の工場に集めることは不可能である。

我々は或る一つの部門に使用されている勞働者よりも多くの勞働者を、一時に見渡すことは殆んどできないのである。

であるからそのような大製造業では實際において、一層小規模は性質の製造業の場合よりは、仕事がずっとずっと多区の部分に分割されているとしても、その分割は小製造業の場合ほどにはっきりと眼に着かず、したがって世人の観察の的となることも比較的少ないのである。

分業の効果は、社会全体に見られるが、それを理解するには、一つか二つの製造業を例にとって、分業がどのように行われているかを見ていく方が良い。

しかしおそらく、小規模の産業の方がもっと重要な産業と比べて、實際に分業が進んでいるわけではない。

小規模な産業は、少数の人の小さな需要を満たすだけのものなので、そこに働く人数も少ないはずである。

このため、分業によって幾つにも分かれた部門を一つの作業場に集めることができ、一度に見渡せるようになっている場合が少なくない。

これに対して、大規模な産業は、多数の人の大きな需要を満たすものなので、分業によって幾つにも分かれた部門のそれぞれで多数の人が働いており、全部門を一つの作業場に集めることができず、複数の部門の作業を一度に観察できることは滅多にない。

このため、大規模な産業では小規模な産業に比べて、はるかに多数の部門に作業工程が分かれているとしても、文業が進んでいる事實はそれほど目につきやすいわけではなく、観察されることも少なかったのだ。

3

であるから極めて瑣細な製造業ではあるが、そこで行われている分業が屢々世人の注意を惹いているもの、即ち留針製造から例をとって説明しよう。

この仕事(分業の結果立派に一つの職業となっている)(註一)にたいする教育も受けて居らず、この仕事に使用される機械(この機械の発明の機会を与えたものも恐らく分業であろう)の使用方法にも通じていない一人の勞働者は、どんなに全力をあげて働いて見ても、一日に一本の留針を製造することは出来ないであろうし、一日二十本を製造することは確にできることではない。

しかしながら此の仕事が今日行われている方法にあっては、仕事の全体が一つの特殊な職業であるばかりでなく、それが若干の部門に分割されていて、そのうちの大部分がまた同じように特殊な職業となっている。

一人は針金を引延し、他の者はそれを真直にし、第三の者はそれを切断し、第四の者はそれを先につけ、第五の者はそれに頭をつけるためにその頂部をく。

頭をつける仕事がまた二種又は三種の特殊な作業となって居り、頭をつけることが一つの職業である。

こんな具合にして、一本の留針を製造する上の重要な業務は、約十八の明確な特殊の作業に分割されて居り、若干の製造工場にあっては、それらの一つ一つが凡て特殊な職工によって行われて居る。

もっとも他の工場では屢々同一の職工が、そのうちの二種乃至三種の仕事を行うこともあるであろう(註二

私はこの種の小規模な工場を観たことがある。

そこでは職工を十人しか使って居らず、したがってその中の若干の職工は二種乃至は三種の作業に従事していた。

さがそれ等の職工は非常に貧乏であり、したがって必要な機械の備え附けも不完全であったが、それでも彼等が勤勉に働く場合には、これらの職工で一日に約十二封度ポンド の留針を製造することが出来た。

それであるからこの十人の職工は、一日に四萬八千本以上の留針を製造することが出来たのである。

そんな訳で各一人の職工が、四萬八千本の留針の十分の一を製造したものとして、一人一日に四千八百本を製造したと見做すことが出来る。

ところがそれ等の職工がみんな別々に独立に働いていて、その中の何人もこの特殊な業務に習熟していなかったとすれば、彼等は誰も彼も、一日に二十本の留針を製造することは到底出来ず、恐らく一本の留針さえも作ることが出来なかったであろう。

即ち彼等が今日、各種の作業の適当な分割及び組合せ(division and conbination)の結果として製出し得るにいたっている量の、二百四十分の一は言うまでもなく、四千八百分の一も製造することはできなかったであろう。

そこで、極めて小規模ではあるが、分業が注目されてきた産業を例にとってみよう。

ピンの製造は分業の結果、独立した職種になり、おそらくやはり分業の結果、専用の機器や道具が発明されてきたのだが、この職種の技能を身につけておらず、専用の機器や道具の使い方も知らない人なら、懸命に働いても多分一日に1本を作ることもできず、20本を作ることはとてもできない。

ところが、現状を見ると、ピン製造が一つの職種になっている上、幾つもの部門に分かれていて、そのかなりの部分がやはり独立した職種になっている。

一人目が針金を引き伸ばし、二人目が真っ直ぐにし、3人目が切り、四人目が先を尖らせ、五人目が先端を削って頭がつくようにする。

頭を作るのも、二つか三つの作業に分かれている。

頭をつけるのも一つの作業だし、ピンを磨いて光らせるのも一つの作業である。

出来上がったピンを包むことすら、一つの作業になっている。

このようにして、留針製造の仕事が、18ほどの作業に分かれている。

18作業の全てにそれぞれ人を割り当ててる作業場もあるし、一人が時にはふたつ三つの作業をこなすようにしている作業場もある。

私は、小さなピン製造所を見たことがある。

そこで働いていたのは10人なので、何人かはふ二つか三つの作業をこなしていた。

とても貧しい作業場で、必要な機器も最低限のものしか揃っていなかったが、それでも懸命に働けば一日に約12ポンド(約5.4キログラム)を製造できた。

1ポンド(約0.45キログラム)には、中型のピンなら4千本以上あるので、この10人一日に4万8千本以上を製造でき、一人当たりにすれ一日に4千8百本を製造できる計算になる。

しかし、10人がそれぞれ一人で働くとすれば、そして、ピン製造の技能を身につけていないとすれば一日に20本を作ることはとてもできないし、おそらく1本を作ることすらできないだろう。

つまり、作業を適切に分割し組み合わせたためにできていることの240分の1はできるはずがないし、おそらく4,800分の1すらできないはずである。

4

凡てのの他の技業(Art)及び製造業の多くのものにあっては、これほどに勞働が細かく分割されても居らず、これほど作業が大いに単純化されても居ないが、しかし何れにしても分業の効果はこの極めて瑣細な留針業の場合と同様である。

分業は、それを採用し得る限りにおいて、どんな仕事においても、その採用の度合に比例して勞働の生産力を増進するものである。

各種の職業及び仕事(trades and employments)が相互に分離独立しているのは、この利益がある結果として起って来たように思われる。

この分離速りつも亦、産業とその改良が最高の度合に達している国々において、一般に最も徹底的に行われていて、未開状態の社会において一人の人間の行う仕事が、改良sれた社会では一般に若干の人々の仕事となっている。

すべての改良された社会では農民は一般に農民以外の何者でもなく、製造業者は一製造お業者以外の何者でもない。

何等か一つの完全な製品を生産するために必要な勞働も亦、殆んど常に非常に多数の勞働者の間に分割されている、

亜麻布及び毛織物製造業のそれぞれの部分において、亜麻及び羊毛の採取者から亜麻布の漂白者及び熨附のしつけ 者、さては織物の染色者及び仕上者にいたるまで、いかに多くの異った職業に分割されていることであろう!

農業の場合ではその性質上、實際、製造業の場合にように、そんなに多くの勞働の分割をすることも許されないし、一つの仕事と他の仕事を、そんなに完全に分割させることも出来ない。

牧畜者の仕事と耕作者の仕事とを、普通大工業と鍛治業とが分かれているようにはっきりと、完全に分離することは不可能である。

紡績者は殆んど常に、織布者とは別個の人間であるが、鋤耕じょこう者、鍬耕しゅうこう者、播種はしゅ 者及び刈取者は屡々同一の人間である。

農業におけるそれらの各種各様の勞働の機会は、一年中のいろんな季節の推移につれてまわってくるものであるから、一人の人間が えずそれらの勞働のどれか一つに従事していることは、不可能である。

かく農業において一切の異った勞働の部門を、完全に十分に分離させることが出来ないと言うこと、恐らくこの理由があるために、農業における勞働力の改良がいつも製造業におけるその改善と歩調を合わせていくことが出来ないのであろう。

實際、富裕な国民は一般に農業においても製造業においても、隣国のいずれよりも優れている。

だが普通には富裕な国民は、農業より製造業においてその優越を示しているのである。

彼らの土地は概して善く耕されて居り、そこへ一層多くの勞働と費用とを投じた結果、土地の広さや自然の豐饒ほうじょう性に比較して、一層多くの生産物を産出している。

だがこの生産物の優越が、勞働及び費用の優越に比して。遥かに以上であることは稀である。

農業にあっては、富国の勞働が常に貧国の勞働よりも、非常に高い度合に生産的であると云う訳ではない。

すくなくとも、その勞働は、普通に製造業の場合のように、そんなに非常な高い度合に生産的では決してないのである。

であるから富国の穀物でも必ずしも、同じ品質のものが、貧困の穀物より安い値段で市場に送られることは無いであろう。

フランスはポーランドに比べてずっと優れた富裕な国であり、改良の行われている国であるが、ポーランドの穀物は、同じ品質のもので、その低廉なることはフランスの穀物と同様である。

フランスはイギリスに比べて富裕や改良において恐らく劣っているであろうが、フランスの穀物はその穀産地方では、イギリスの穀物に劣らず品質が立派であり、大抵の年には檟格もほとんど同じである。

だが、イギリスの耕地はフランスの耕地よりは善く耕されて居り、フランスの耕地はポーランドの耕地より遥かに立派に耕されていると言われている。

貧国はその耕作において劣っているに拘らず、穀物の低廉及び品質において或る度合いまでは富国と対抗することが出来る。

しかし諸製造業においてはそんな対抗を口にすることも出来ないのである。

尠くともそれ等の製造業が富国の土地、気候及び位置に適合している場合はそうである。

フランスの絹物はイギリスの絹物よりは品質が良く値が安い。

と言うのは絹織物が、フランスの気候に適合しているほど、イギリスの気候に適合して居らず、特に絹絲の輸入にたいして高率の関税が課せられている現在ではそうだからである。

しかしイギリスの鉄器類及び粗製毛織物は、フランスのそれとは比較にならぬ程優れて居り、又同じ品質のものであっても、遥かに低廉である(註一)

ポーランドでは若干の低廉な家庭的工業——これがなくては国家が存立して行くことが出来ない——を除いては、如何なる種類の製造業もほとんど存在しないと言われている。

ピンの製造はごく小さな産業だが、他の産業でも分業の効果はこれに似ている。

もっとも、たいていの産業では仕事をここまで細かく分けることはできず、作業をここまで単純にすることもできない。

しかし、どの産業でも、分業が可能であり實際に進んでいれば、その程度に応じて勞働の生産性が向上している。

産業が分化し、職種が細かく分かれてきたのは、この利点のためだと思える。

そして、分業が特に進んでいるのは通常、産業と社会が特に発達している国である。

未開の社会で一人がこなしている仕事が、発達した社会では何人もの仕事に分かれている。

発達した社会では、農民は普通、農業以外の仕事はしない。

製造業で働くものは、製造業の仕事しかしない。

そして、一つの製品を作るのに必要な勞働がほとんどの場合、多数に分割されており、それぞれを別の人が担うようになっている。

例えば、リンネル(亜麻布)や毛織物が生産されるまでに、原料の亜麻や羊毛の生産に始まり、亜麻布の漂白や伸し、衣服の染色や仕立てまで、どれほど多数の職種が関与しているかを見てみればいい。

農業はその性格上、製造業のように勞働を細かく分割することができないし、仕事を完全に分離することもできない。

牧畜の仕事と穀物生産の仕事を完全に分離するのは不可能であり、大工の仕事と鍛冶屋の仕事とが通常分かれているようにはいかない。

紡績と織布を同じ人が行うことはめったにない。

だが、鋤で耕す作業、鍬で鳴らす作業、種を蒔く作業、穀物を借り入れる作業は、全て同じ人が行うことが多い。

これらの作業はどれも、四季の中で必要となる時期が違っているので、一人がどれか一つの作業を年間通して続けることはできない。

農業ではこのように、それぞれの作業を完全に分離するわけには行かない点がおそらく原因になって、勞働の生産性が製造業と同じ程度に向上するとは限らなくなっている。

豐かな国では、農業も製造業も近隣の国より発達しているものだが、農業より製造業の方が、近隣の国との差がはっきりしているのが普通だ。

豐かな国では近隣の国に比べて、土地がよく耕されているし、農地に投じられる勞働と費用も多く、農地の面積と本来の地味の割に収穫が多い。

だが、収穫量に差があるといっても、投じられた勞働と費用の差を遥かに上回ることは稀である。

農業では、豐かな国が貧しい国に比べて、勞働の生産性がはるかに高いとは言えない。

少なくとも、製造業で普通に見られるほど差があるわけではない。

このため、豐かな国の穀物は、品質が同程度の場合に、貧しい国の穀物より安い檟格で市場に出回るとは限らない。

ポーランドでは穀物は、品質が同程度の場合、檟格もフランスと變わらないが、豐かさと社会の進歩の面では、フランスの方が勝っている。

フランスの穀倉地帯では、穀物はイングランドと品質が變わらないし、ほとんどの年には檟格もほぼ變わらないが、豐かさと社会の進歩の面では、おそらくイングランドの方が勝っている。

しかし、イングランドではフランスに比べて、 農地の耕作がはるかに進んでおり、フランスではポーランドに比べて、農地の耕作がはるかに進んでいると言われている。

このように、貧しい国は耕作の面では遅れていても、穀物の檟格と品質で豐かな国にある程度まで対抗できるが、製造業ではそうは行かない。

少なくとも、土壌、気候、状況の点で豐かな国に適した製造業では対抗できない。

フランスの絹織物はイングランドの絹織物と比べて、品質が高く檟格が低いが、これは少なくとも生糸の輸入関税が高い現状では、イングランドが気候の面でフランスほどには絹の生産に適していないからである。

穀物の生産は、勞働力など資本の投入により豐かな国と対抗できる。

一方、絹の生産(養蚕業)は、勞働力だけでなく、生糸(養蚕)に適した気候や地形などの育成条件(日当たりの良い斜面・寡雨地域)が必要であり、勞働資本を投入するだけでは対抗できない。

よってフランスは自国産の生糸と豐富な勞働力を有し、絹織物ではイングランドより優位であったと考えられる。

一方、イングランドは原料の生糸を輸入に頼らざるをえず、関税によって自国の養蚕業を保護していた。

しかし、フランスの絹織物産業もフランス革命や対外戦争といった「状況」によって競争優位を失う。

だが、金属製品と低檟格の毛織物では、イングランドはフランスと比較にならないほど優れており、品質が同程度であれば、檟格もはるかに低い。

ポーランドには、製造業はほとんどないといわれている。

素朴な家内工業はあるが、これはどの国でも国民の生活に不可欠なものである。

5

分業の結果として、同一数の勞働者が行い得る仕事の量がこれほど大きな割合で増加するのは、三種の事情にるものである。

第一、凡ての専門の勞働者の技巧が優越になるが為め、第二、普通に一種の仕事から他の仕事へ移る上に失っている時間が、分業によって節約されるが為め、第三、非常の多くの機会が発明され、それが勞働を容易にし簡約するが為めである(註一)

分業によって同じ人数が働いたときの生産量が大幅に増加するのは、三つの要因のためである。

第一に、個々人の技能が向上する。

第二に、一つの種類の作業から別の作業に移る際に必要な時間を節減できる。

第三に、多数の機器が発明されて仕事が容易になり、時間を節減できるようになって、一人で何人分もの仕事ができるようになる。

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第一、勞働者の技巧の改良は必然に、その勞働者の遂行し得る仕事の量を増加する。

分業は、各勞働者の業務を何等か一つの単純な作業に限ってしまうと、この作業をその勞働者の生涯の唯一の仕事としてしまうので、勞働者の技巧を大いに優秀ならしめないでおかないのである。

そんなわけで鉄鎚をつかうことには習熟しているが、釘を製造することに つて従ったことのない普通の鍛冶屋が、何等か特別な事情で止むなく釘を製造しなければならないとすれば、彼は一日に二三百本以上の釘を製造することが出来ないのは明らかで、その出来上がった釘も極めて粗悪なものであろう。

また釘をつくることには慣れてはいるが、その専門の若くは主要の業務が釘製造工としてのそれでない一人の鍛冶屋の場合では、全力をあげて勉強しても一日に八百本乃至千本以上の釘を製造し得ることは稀である。

私は、平生釘製造以外には何の職業にも従ったことのない齢二十歳以下の若干の少年を観たが、彼等は勤勉に働く場合には各一人で一日に二千三百本以上の釘を製造することが出来たのである。

とは云っても一本の釘を製造する事は、決して最も単純なる作業の一つではないのである。

同一の勞働者がふいご を吹きもし、場合に応じて火を掻き立て又は火力を強くもし、鉄を熱しもし、釘の凡ての部分を鍛えるのであって、釘の頭を鍛える時には又道具を取換えもしなければならぬの出る。

留針又は金属ボタン の製造に於て分割されている各種の作業は、何れも釘製造の場合よりは遥かに単純なものであって、其のどれかを行うことを生涯の唯一の業務としている勞働者は、其の技巧に於て普通一層大いに優れているであろう。

是等の製造業の作業の若干はいかにも迅速に行われていて、曾てそれを観たことのない人々にとっては、人間の手でそのような速さで行われ得るとは想像にも及ばぬ程である。

第一の要因についていうなら、技能が向上すれば、一人がこなせる仕事の量は当然増加する。

そして分業が進めば、各人が単純な作業を一つだけ担うようになり、その作業を一生の仕事にするようになるので、技能が必ず大幅に向上する。

普通の鍛冶屋であれば、ハンマーを使い慣れていても、釘作りに慣れていない場合、何らかの必要に迫られて釘を作ることになったとすると一日に2百本から3百本を超える釘を作ることはまずできないし、作った釘も品質が極めて悪いものにしかならないという。

釘作りに慣れている鍛冶屋でも、釘づくりを専門とはしておらず、主な仕事にもしていない場合、懸命に働いても一日に八百本から1千本を超える釘を作ることはまずできない。

私が實際に見た例では、20歳にならない数人の少年が釘を製造していた。

誰も釘作り以外に仕事の経験はなかったが、この数人が懸命に働くと一日一人当たり2千3百本以上の釘を作ることができた。

ふいごを吹き、必要に応じて火を起こし燃料を加え、鉄を熱し、釘の各部分を鍛える作業を一人でこなしている。

釘の頭を鍛える仕事でも、一人でいくつもの道具を使い分ける。

ピンや金属ボタンを作る場合には、仕事がもっと細かく分割されていて、それぞれの作業がはるかに簡単であり、各人は一つの作業だけを一生の仕事にしているので、技能もはるかに高いのが通常である。

これらの作業場では、作業が極めて手際よく進められており、その様子を見たことがなければ、人間の手でそこまでのことができるとは、とても想像ができないほどである。

7

第二に、普通の場合一種類の仕事から他の種類の仕事mに移る上に失う時間の節約から来る利益は、我々が一見してそうであろうと想像するよりは、遥かに大なるものがある。

一種類の仕事から、異った場所で且つ異った道具で行われる他の種類の仕事へ、非常に迅速に移って行くことは不可能である。

小農地を耕作もしている田舎の職工は、織機から耕地に赴き、耕地から織機に来る間に多大の時間を失わなければならない。

二つの職業が同一の職場で行われ得る場合には、時間の損失がそれに比して非常にすくない事は明らかである。

しかしこの場合でもその損失は可成り大きいのである。

人は普通に一種の仕事から多種の仕事へと手を移す時には、いくらかぶらぶら﹅﹅﹅﹅するものである。

新らたな仕事を始めた最初は、非常に緊張して心を打込むことは稀であって、其の心は謂ゆる其の仕事に乗移っていかず、しばらくの間はその目的に適合すると云うより寧ろそれを弄ぶものである。

放漫で、仕事をする上での遊惰不注意の習慣は、半時間毎にその仕事と道具とを變え、一生涯の間殆んど毎日二十通りもの違った仕事をしなければならぬ凡ての田舎勞働者にとっては、自然に生れて来る習慣であり、寧ろそういう習慣の生れるのは当然である。

この習慣こそ田舎勞働者をして、ほとんど常に緩慢怠惰ならしめ、非常に差迫った場合においてすら、何等活発なる活動をなし得ざらしめるものである。

であるから、技巧の点での田舎勞働者の欠陥は別問題として、この原因だけでも、彼が行い得る仕事の量を、いつも大いに減殺しないではおかないのである。

第二の要因、つまり一つの種類の作業から別の作業に移る際に無駄にする時間を節減できる利点は、大抵の人がまず想像するよりはるかに大きい。

働く場所も違えば、使う道具も違う全く違う場合には、一つの作業から別の作業に素早く移ることはできない。

例えば、農村の職工が小さな畑を耕している場合、織り機から畑に、畑から織り機に移るだけで、相当な時間を無駄にする。

ふたつの作業を同じ仕事場で行えるのであれば、無駄にする時間はもちろんはるかに少ない。

だがこの場合ですら、無駄にする時間はかなりになる。

人は誰しも、一つの作業から別の作業に移るとき、少しはダラダラする。

新しい作業を始めた瞬間から、熱心に仕事に打ち込むことはまずない。

よくいわれるように、しばらくは気が乗ってこないので、ダラダラして過ごし、仕事に専念できない。

農業勞働者を見ると、歩く時はゆっくり歩き、働く時はものぐさにし、あまり神経を使わないようにするのが習慣になっているが、これは自然だし、必要ですらある。

30分も働くと作業と道具を變えねばなければならず、一生の間ほとんど毎日、20もの違った作業をこなさなければならないからからである。

この結果、農業勞働者はほぼいつものんびりしていて、急いでいるときでも猛烈に働くことができない。

したがって、技能の問題は別にしても、この点だけでこなせる仕事量がかなり減っている。

8

第三に而して最後に、適当な機械を利用することによって、どれだけ多くの勞働が容易にされ省略されるかは、どんな人にもすぐ感ぜられる筈であって、例を示して説く必要のないところである。

であるから私は、依ってもって勞働がそのように著しく容易にされ省略された一切のそれらの機械の発明なるものが、本来、分業の結果として生れた観のあることについて、観察するに止めておくであろう。

人間は、その心の全注意が非常に雑多な事物の間に分散している場合よりは、或る単一な目的の上に集中している場合の方が、遥かに多く、その目的を達成する上の一層簡易な一層便利な方法を発明する傾のあるものである。

ところで分業の結果として、凡ての人間の全注意は自然に、或る一つの極めて単純な目的に集中されるようになるのである。

であるから自然に、各特殊な勞働の部門に使用される勞働者の何人かが、その仕事の性質上改良の余地がある場合には何時でも、彼の特殊な仕事を達成する上での一層容易な一層便利な方法をすぐと発見するという結果が予期されるのである。

著しく分業の行われる製造業において、今日使用されている機械の大部分は、本来、普通の勞働者の発明したものであって、彼等は何れも或る極めて単純な作業に使用されている結果、自然にその仕事を果たす上の一層容易な一層便利な方法への発明へと、その心を傾けていったのである。

そういう製造業を度々観察した人は誰でも、自身の特殊な仕事を容易にし迅速にするために、そういう普通の勞働者によって発明された非常に立派な機械を、屢々示されたに違いない。

最初の蒸汽機関機械では、ピストンの昇降につれて、汽罐きかん汽筒きとう との間の通路を交互に開いたり閉ぢたりするために、不断に一人の少年が使用されていた。

そういう少年の中で、仲間と遊び戯れることの好きな一人が、その通路を開く弁の把手はしゅ を、機械の他の部分へ一本の紐で結びつければ、弁は彼の力をからないで独りで開いたり閉ぢたりして、自分は自由に遊び仲間と戯れることが出来るのを見てとったのであった。

蒸汽機械の最初の発明があって以来、その機械に加えられたこの最も大きな改良の一つは、こんな風にして、自分の勞働をはぶきたいと思った一人の少年の発明したものである。

もう一つ、第三の要因として、適切な機器を使えばどれほど仕事が容易になり、時間を節約できるかは、誰でも気づいているはずである。

例を挙げるまでもない。

そこでここでは、機器の発明によって仕事が容易になり、時間が節減できるようになったのは、もともと分業の結果であったように思われると指摘するにとどめておく。

人は誰しも、一つの目標に注意を全て集中していると、さまざまな点に注意を分散しているときより、目標の達成を簡単にし早くする方法を見つけ出す可能性がはるかに高くなる。

そして分業の結果、各人はごく単純な目標に自然に注意を集中するようになる。

このため当然に予想されるように、勞働のある部門で仕事を簡単にし速く余地がある場合、その仕事をしている人の誰かが、間もなくその方法を見つけ出す。

分業で進んでいる産業で使われている機器のうちかなりの部分は、もともと普通の勞働者が発明したものである。

極めて単純な作業に従事しているので、仕事を簡単にし速くする方法を自然に考えるようになるのだ。

このような作業上をよく訪問している人なら、すばらしい器械、それも普通の勞働者が自分の仕事を簡単にし速くするために発明した機器を見せらてきたはずだ。

初期の蒸気機関では、ボイラーからシリンダーに蒸気を送るバルブをピストンの上下動に応じて開け閉めするために、少年を雇うのが普通であった。

雇われた少年のうち一人が、友達と遊びたい一心で、蒸気を送るバルブのハンドルと蒸気機関の別の部分とを紐で結ぶ方法を考えた。

こうしておけば、何もしなくてもバルブが開閉するので、友達と遊んんでいられる。

蒸気機関には発明されて以来、さまざまな改良が加えられて北が、その中でも特に重要な改良は、このように仕事を楽にしたい少年が工夫したものであった。

9

とは言っても機械における一切の改良が、その機械の使用に従っていた勞働者の発明であった訳では決して無い。

多くの改良は、機械の製造が一つの特殊な職業と成った時に、その機械製造業者の智巧ちこう によって為されたのであり、或る発明はまた、哲学者又は思索家と呼ばれる人々の知巧によって為されたのであった。

これらの哲学者又は思索家は、何物かを實際に造るのがその仕事ではなくて、一切の物事を観察するのがその仕事であり、その場合に彼等は屢々、非常に懸離れて居り互に類似点のない事物の諸力を連結し得るのである。

社会が進歩するにつれて、哲学又は思索が、すべての他の仕事と同じように、市民の特殊な階級の主要な又は専門の職業及び仕事と成る。

また凡ての他の仕事と同じように、それがまた非常に多くの異った部門に分割され、そのおのおのの部門が、哲学者の或る特別の部族又は階級の仕事となる。

而して哲学におけるこの仕事の上の分割が、凡ての他の職業の場合と同じに、技巧を改良し、時間を節減するのである。

それによって各個人は、自身の特殊な部門においてヨリ一層専門家となり、全体として一層多くの仕事が果され、かくて科学の内容が著しく増進されるのである。

しかし機器の改良が全て、その機器を使う立場にあった者によって進められてきたというわけではない。

機器の製作者による改良も多く、機器の製作が独立した職になった後に工夫が進んできた。

また、改良の一部は学者や研窮者と呼ばれる人たちによって進められてきた。

学者や研窮者は、何かをすることではなく、さまざまなものを観察することを仕事にしている。

このため、全くかけ離れたもの、異質なものを組み合わせて、それぞれの力を結合することが少なくない。

社会が進歩すると、どの職種でもそうであるように、学問や研窮も市民のうち、ある階層にとって主要な仕事となり、唯一の仕事にすらなる。

どの職種でもそうであるように、学問や研窮も多数の部門に分かれ、それぞれの部門を専門にする学者や研窮者が生まれる。

そしてどの職種でもそうであるように、学問や研窮でも専門化によって技能が発達し、時間を短縮できるようになる。

各人が専門性を高めていき、全体として研窮の量が増え、知識が大幅に増えている。

分業の結果、どの産業でも生産量が増加している。

10

善く統治された社会にあっては、一般的富裕が人民の最下層にまで及んでいるものであるが、その一般的富裕をもた らすものは、分業の結果として生じて来るところの、各種各様の技術による生産の大いなる増進である。

各勞働者は自身の必要とするところ以外に、手離し得べき彼自身の生産物を多量に持って居り、すべての他の勞働者も互いにそれと同じ境遇にあるのであるから、一人の勞働者は彼自身の貨物の多量を、他の勞働者の貨物の多量と、又は結局同じことだが他の勞働者の貨物の多量の檟格と、交換することが出来るのである。

彼は他の人の必要とするものを豐富に彼等に供給し、他の人々は彼に必要とするだけを十分に彼に調達し、一般的豐富が社会の凡ての階級(rank)の中へ、残りなく行き渡るのである。

政府がしっかりしている社会で国民の最下層まで豐かさが行き渡るのはこのためだ。

人は皆、自分が必要とする以上に大量のものを生産していて、處分できるようになっている。

そして他人も皆、同じ状態になっているので、自分が生産した大量のものを、他人が生産した大量のものと交換できる。

つまり、他人の生産物を大量に買える檟格で売却できる。

人は皆、他人が必要とするものを大量に供給でき、自分が必要とするものを大量に供給されるので、社会のすべての層に豐かさが行き渡っていく。

11

文明化し繁栄している国家の普通の職人又は日傭勞働者の支度を見よ。

彼にこの支度を整える上には、夫々の産業の生産物の小部分しか必要でないにしても、これがために使用される人々の数は、数え切れないものがあるのを認めるであろう。

例えば一人の日傭勞働者の体をつつむ毛織外套は、その外観が粗野で粗悪あろうとも、一大多数の勞働者の連合勞働の産物である。

この質素な生産物でもそれを完成するためには、牧羊者、羊毛の選別者、羊毛すき 者、染色者、摩擦者、紡績者、織布者、漂白者、裁縫者及びその他多くの人々がすべて、彼等の各種各様の技術を連結しなければならない。

その上また、それらの勞働者の或者から、他の屢々しばしば 極めて遠隔の地に住んでいる勞働者へ、その材料を輸送するのに、如何に多数の商人と運搬車が使用されなければならなかったか!

また、染色者の使用する各種の薬材は、屢々世界の極めて遠隔の地からくるものであるが、それを集めるために、特にいかに多くの商業と航海業が必要とされ、いかに多くの造船工、水夫、帆布製造工、製鋼者が使用されねばならなかったか!

なおまた、こ俺らの勞働者のうち最もつまらぬ者の使う道具を生産するためにも、いかに種類の異なった勞働が必要であるか!

水夫の船舶、漂白者の水車、又は織布工の織機のような、そんな複雑した機械はこれをこれを問わないとして、牧羊者が羊毛を刈る際に用いる剪刀のような、極めて単純な機械をつくる上にも、いかに種々雑多な勞働が必要であるかを考えてみよ。

それを生産するためには、鑛夫、鉄鑛を溶解するための溶鑛炉の築造者、木材の伐採者、溶鑛所で使用される木炭の炭焼人、煉瓦製造者、煉瓦取付工、溶鑛炉に勤務する勞働者、工場建築工、鍛錬工、鍛治工の全部分が、彼等の各種各様の技術を連結しなければならない。

もし我々がこんな風にして、、一人の勞働者の被服及び家庭用具の一切の異った部分、彼の肌につけている粗末な麻の襯衣はだぎ 、彼の足を被うている短靴、彼のつかう寝台、その寝台を構成している一切の異った部分、彼が食物を整える上に使う厨房の暖炉、大地の底から採掘され恐らくは遠い海を渡り長い陸地を運ばれてこの暖炉のそばへ持ちきた された石炭、彼の厨房のその他の一切の器具、食卓の一切の什器、ナイフとフォーク、食物を盛ったり取り分けたりする陶製又は白鍮はくしんちゅう 製の皿、彼の麺麭パン麦酒ビール を供給する上に使用される各種の人力、熱気や光線を導き入れ風や雨を遮る硝子窓、それを無くしてはヨーロッパの如き世界の北部を極めて快適なる人間の住家たらしめることができなかったところの、美麗で幸福な発明にとって必要な一切の知識と技術、これら様々な便益物の生産に使用される各種一切の勞働者の使う用具、それらのありとあらゆる者を検査し、その各々にいかに多くの種類の勞働が使用されているかを考えるならば、我々は数千人の人々の助力と協働がなければ、今日文明国の一人の極くつまらない人間に対して、我々が誤って簡素単純な風と想像しているところのこの種の人間に普通な調度を整えることも出来ないのを、直ちに認めるであろう。

實際、大富豪の滅法な豪奢に比べれば、この人間の調度が単純で簡素に見えることは疑いないところである。

だが、一人のヨーロッパ人の王侯の調度は、勤勉で質素な一人の農民の調度にどんなに優っていようとも、その農民の調度が、一萬人の裸体蛮族の生命と自由の絶対支配者たる一人のアフリカ帝王の調度に優っている程度に比べると、その優越の程度は常に遥かに低いと言われているが、それは恐らく真實であろう。

文明が発達した豐かな国で、ごく普通の職人や勞働者が日常生活に使っているものを見れば、それらの生産にごく一部でも関与した人の数が、見当もつかないほど多いことがわかるはずだ。

例えば勞働者が着ている毛織物の上着は、粗末に見えるものであっても無数の人が働いた結果である。

羊飼い、羊毛の選別工、梳き工、染色工、あら梳き工、紡績工、職工、仕上工、仕立て工など、多数の職種の人がそれぞれの立場で働かなければ、上着のようなありふれたものすらできない。

それだけではない。

これらの職種の人が国内の遠く離れた地域に住んでいることも少なくないのだから、原材料の輸入にどれだけの商人運送人が働いているだろうか。

そして染色工が使う多数の薬剤は世界各地から運ばれてきているのだから、どれほどの商業と海運が関与し、さらには造船や船の運航、帆の生産、ロープの生産にどれだけの職種の人が働いているだろうか。

また、これらの職種で働くごく下層の人が使う道具を作るのに、どれだけの職種の人が働いているのだろうか。

船員が乗る船や仕上工が使う水車、さらには職工が使う織り機のような複雑な機器は言うまでもないが、極めて単純な道具、例えば羊飼いが羊毛を刈るのに使う鋏を生産するだけでも、どれほど多数の職種の人が働いているのだろうか。

鋏を作るだけでも、鑛夫、鉄鑛石を溶かす炉の建設工、木材を売るきこり 、製鉄に使う木炭の炭焼き、レンガ製造工、煉瓦積み工、製鉄工、機械工、鍛造工、鍛治工が働かなければならない。

以上と同じように、ごく普通の勞働者の衣服や家財道具を調べていけばいい。

例えば、亜麻布の肌着、靴、ベッド、ベッドの様々な部品がある。

台所にはかまど火格子ひごうしがある。

料理に使う石炭があり、地底から掘り出され、おそらくは海路と陸路で遠くから運ばれてきたものだ。

多数の調理用具もあるし、テーブルの上にはナイフやフォーク、料理を盛り分ける陶器や錫合金の皿などの食器がある。

パンやビールの生産にも、多数の人が携わっている。

ガラス窓もあり、これがあるから熱と光が室内に入るし、雨と風を防ぐことができる。

様々な知識と技術があって、美しく素晴らしいガラスが生産されるのであり、ガラスがなければ、世界の中でも北方のこの地域で、快適な住まいができるとは考えにくい。

これらの衣服や家財道具を調べていき、さらにこれらの利便品の生産に使われる道具を調べていけばいい。

これらすべてのそれぞれにどれだけの職種の人が働いているかを考えれば、何千人、何万人もの人が助力し協力しない限り、文明国ではごく下層の庶民の一般的な生活すら維持できないことが分かるし、庶民の生活が単純なものだという味方が間違っていることも分かるだろう。

確かに、上流階級の贅沢な生活に比べれば、庶民の生活は實に単純だと言える。

ヨーロッパの王侯の生活と勤勉で質素な農民の生活との間には、確かに大きな差がある。

だがこの差も、ヨーロッパの農民の生活と、未開の国の国王のもっと単純な生活との間にある差に比べて、大きいとは限らない。

未開の国の王は何万人もの未開の生命と自由を完全に支配しているのだが。

第二章 分業を発生させる原則について

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かくも多くの利益をもたらすこの分業は、本来、この分業の結果一般的豐富が生ずることを予見し企画した何等かの人間の知恵から生まれたものではない。

それはそういう広汎な利益の事などは少しも考えていない人間性(human nature)の或る性癖の、非常に緩慢で徐々ではあるが、必然の結果として生れて来たものである。

即ち、或る物を他の物と取引し、交換(berter)し、及び交易(exchange)する性癖これである。

分業はこのようにきわめて大きな利点を生み出すものだが、分業が始まったのは、知恵のある人がこうすれば全員が豐かになれると考え、計画したからではない。

これほど大きな利点があるとは誰も考えていなかったが、人間には物を交換し合う性質があり、その結果、ごくゆっくりとではあるが、必然的に分業が進んできたのだ。

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この性癖が人間性の内部に在って、それ以上の何等の分析を許さない諸の根本原則の一つであるかどうか、それとも、これはもっと有りそうなことに見えるが、その性癖は、理性と言語の諸能力の必然の結果であるかどうか、この問題は我々のいま探求しようとする主題ではない。

この性癖は凡ての人間に通有なもので、他の如何なる種属の動物にも見出されないものであり、いかなる動物も、この種の交換を知っていそうには見えないし、また他のどんな種類の契約も知っていそうには見えないのである。

二頭の猟犬が、同じ一ひき の兎を逐い立てる場合に、時々そこにある種の協同をを保って行動しているように見えることがある。

その二頭の猟犬は互に、目ざす兎を仲間の方へ駆り立てる、若しくは仲間が自分の方へ駆り立てる場合には、獲物を遮ろうとつとめる。

だがこれは、何等契約の結果ではないのであって、その特殊な場合、同一目的に対する彼等の熱情が偶然に一致したところから来たものに外ならないのである。

これまで犬同士がお互いの骨を後世に思慮をもって交換したのを見た者はない。

一疋の動物がその身振や自然の叫び声でもって、他の動物に向って、これは自分のもので、それはお前のものだ、自分はそれとこれとを交換し いと思っている、と云う意を伝えているのを観たものは、かつて無いのである。

動物が、人間からか又は他の動物から、或物を与えられたいと欲する時、その動物には、自分の要求する奉仕を与えてくれる相手の厚意による外には、何等相手を勧説する手段がない。

であるから食事を与えて欲しい時には、仔犬は母犬に媚を呈し、ちんはありとあらゆる嬌態でもって、食卓についている主人の注意をひこうとつとめるのである。

人間も時々にはその同胞にたいしてこれと同様な技術を用いる。

即ち、自分の意向のように他を動かす手段が他にない場合には、彼は様々の卑劣な阿諛あゆ的な行為でもって、他の厚意を買おうとつとめるのである。

だがあらゆる場合にこう云うことをしていることは時間が許さない。

文明社会では、一人の人間はいかなる瞬間にも、非常に多数の人々の協力と援助をとを必要とする境地に置かれてあるが、一方、その生涯を傾けつくしても、若干の人々の友誼ゆうぎ をかち得ることさえ困難なのである。

人類以外のほとんど凡ての種族の動物にあっては、各個体は一度び壮年期に達すると、全然独立なものとなって、その自然の状態においては他のいかなる生物の援助も必要としない。

ところが人間はほとんど不断に、その同胞の助力を必要とするのであるから、単に同胞の慈悲だけに手頼たよって、助力を期待しても駄目である。

それよりも対手の自愛心を刺激して、自分の利益になるように仕向けることが出来、そして自分の必要としていることを自分のためにしてくれることが、また対手自身の利益でもあることを、対手に示すことが出来れば、双方がヨリ一層その目的を達せしめるであろう。

他人に或る種の取引を申出る人は誰でも、これを為すことを提議する。

私の欲するものを私に与えよ、その時は汝の欲するこの物を汝は受取るであろうと云うのが、すべてのその種の申出の内容である。

我々が必要とする諸の善き斡旋のほとんど凡てを相互に他から受け合うのは、かような仕方によってである。

我々が食事をと整えることのできるのは、屠肉者、醸造者又は麺麭製造者の慈悲からではなくて、それらの人々が各々自分の利益を念頭におくところから来るのである。

乞食を除いては何人も、同胞市民の慈悲だけに依頼しようとする者はない。

否、乞食でさえも何から何までそれに手頼たよりはしないのである。

實際、親切な人々はその慈善心から乞食に、その生存に必要なもの一切を供給する。

しかしながらこの慈善の原則は結局において、乞食が現在必要としている生活の必要物一切を彼に供給しはするが、彼が必要とする毎にそれを彼に供給するものでもなければ、供給し得るものでもない。

彼のその場合場合に欲するものの大部分も、他の一般の人々のそれと同様に、契約、交換及び購入によって供給されている。

人が彼に与えた金銭をもって、彼は食物を購入する。

他人が彼に恵んだ古着物を彼は一層よく彼に似合った他の旧着物と交換したり、宿屋や食物の代に払ったり、金銭に替えたりし、その金銭をもって彼はまた、その場合の必要に応じて、食ったり、着たり、又は宿ったりすることが出来るのである。

物を交換し合うこの性質が人間の本能の一つであって、それ以上の説明が不可能なものか、それとも、この方が正しいように思えるが、理性と言語という人間の能力によるものなのかは、ここで論じようと思わない。

この性質は人類に共通しており、他の種の動物には見られない。

動物は交換に限らず、どんな種類の約束も合意も知らないようだ。

2匹の猟犬が1匹の兎を追いかけているとき、2匹が協力しあっているように見えるときがある。どちらも兎を仲間の方に追いやり、仲間が自分の方に追いやったときに捕まえようとする。

しかしこれは、約束や合意の結果ではない2匹がたまたま、同じときに同じ獲物を必死になって追いかけているに過ぎない。

2匹の犬が、じっくりと考えた上、骨を公平に交換し合うのを見た人はいない。

また、動物が仕草や鳴き声を使って、これは自分のもので、それはお前のものだ、これとそれを交換しようと仲間に持ちかけているのを見た人はいない。

動物が人や仲間の動物から何かをもらおうとするとき、分けてくれそうな相手に気に入られるようにする以外に方法はない。

子犬は母犬にじゃれつくし、スパニエルは餌が欲しいとき、食事中の飼い主の気をひくために様々な芸をしてみせる。

人間も同じ方法を使って他人の気を引こうとすることがある。

自分が望むように行動してもらう方法が他にない場合、卑屈な態度をとって媚びへつらい、好意を得ようとする。

しかし、毎回この方法を取ろうとすると、時間がいくらあっても足りない。

文明社会では各人がいつでも無数の人の協力と助けを必要としており、そのうち一生の間に知り合える人はごく一部に過ぎないからだ。

動物はほとんどの種で、それぞれの個体は成長すると独立し、自然の状態では他の生き物の助けを必要としない。

しかし人は、ほぼいつでも他人の助けを必要としており、他人の善意だけに頼っていては、助けを得られると期待することはできない。

相手の利己心に訴える方が、そして、自分が求めている行動をとれば相手にとって利益になることを示す方が、望みの結果を得られる可能性が高い。

誰でも、取引を持ちかけるときにはそのように提案している。

私が欲しいものをくれれば、希望するものをあげようというのが、そうした提案の意味なのだ。

そして、人間はほとんどの場合、自分が必要とする他人の助けをこの方法で得ている。

我々が食事できるのは、肉屋や酒屋やパン屋の主人が博愛心を発揮するからではなく、自分の利益を追求するからである。

人は、相手の善意に訴えるのではなく、利己心に訴えるのであり、自分が何を必要としているかではなく、相手にとって何が利益になるのかを説明するのだ。

主に他人の善意に頼ろうとするのは物乞いだけだ。

しかし、その場合でも、他人の善意にだけに頼っているわけではない。

確かに、親切な人の好意だけで生活の糧を得ているのかも知れない。

だが、突き詰めて行けばこの方法で生活しているとしても、それだけで生活に必要な物が全て、必要なときに手に入るわけではないし、手に入れることはできない。

その時々に必要なもののうちのかなりの部分は、誰でもそうするように、取引や交換によって得ている。

誰かに恵んでもらった金で、食べ物を買う。

誰かに分けてもらった古着を、自分によく合う古着や一夜の宿、食べ物と交換したり、それを売ったお金で、必要とする食べ物や服を買ったり、宿賃を支払ったりしている。

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我々が必要とするそれら相互の善き斡旋の大部分を、我々がお互に他から享け合うのは、契約、交換及び購入によってであるように、本来分業を発生せしめたものも、交換を求むる同じ人間の資性しせい である。

例えば或る狩猟者又は牧羊者の一種族において、或る特定の人間が他の者よりはずっと迅く巧に弓ととをつくる。

彼はしばしばその弓や箭と、他人の家畜又は獣肉と交換する。

そうしている間に遂に彼は、彼自身で野原に出て獣類を捕まえる場合よりも、そんな風に交換した方が一層多くの家畜や獣肉を得ることが出来るのを発見する。

であるから彼自身の利益から考えて来て、弓ややの製作が彼の主要な業務となり、かくて彼は一種の武器製造者と成るのである。

他の人はまた彼等の小屋又は移動家屋の建築や屋根造りに長じている。

彼は隣人のために屢々その仕事をしてやり、隣人は同様に家畜や獣肉でもって彼に報酬を払い、そうしている間に遂に彼は、全然この仕事にかかり切りになって、一種の家屋建築者となった方が、彼れの利益であるのを発見する。

同じ仕方で第三の者は鍛冶屋又は 真鍮職人なり、第四の者は、野蛮人の着物の主要部分たる獣皮又は毛皮の鞣革なめしがわ工又は仕上工となる。

かくの如くにして、彼自身の勞働の生産物のうちで、彼自身で消費し切れない剰余物の一切が、他人の勞働の生産物のうちの彼の必要とする部分と、確實に交換されるという事實は、各人を駆って或る一つの職業につかしめ、その特殊な業務にたいしてその人が何等かの才能又は天分を持って居れば、それを発展させ完成させるのである。

このように、人は交渉や交換、売買によってそれぞれが必要とするかなりの部分を手に入れており、分業が始まったのもやはり、ものを交換し合うこの性質のためである。

狩猟や遊牧を営む部族に、たとえば弓矢を誰よりも巧みに早く作る人がいる。

知り合いとの間で作った弓矢を牛や羊、鹿の肉を手に入れらることに気づく。

そこで自分の利益を考え、弓矢づくりを主な仕事にするようになり、いうならば狩猟具職人になる。

小さな小屋や移動式住居の骨組み、屋根、壁を作るのが上手い人もいる。

仲間の住居を作るようになり、その報酬として、同じように牛や羊、鹿の肉を受け取るようになる。

やがて、自分の利益を考えて、この仕事を専門にするようになり、いわば大工になる。

同様に、鉄や真鍮を扱う鍛冶屋になる人がいる。

未開の社会で、衣類の主な原料になる動物の皮をなめし、仕上げる人もいる。

こうして、各人が自分で消費する以上のものを生産し、余った部分を交換して確實に必要満たし合えることから、各人がそれぞれ一つの仕事に専念するようになる。

そして、その仕事の能力や才能を伸ばし、完成させるようになる。

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個々の異なった人間に内在する自然の才能の相違は、實際においては、我々が考えているよりも、遙かにすくないものである。

壮年に達した諸種の職業の人々は、一見それぞれ非常に異った天分によって区別されているように観えるが、それは多くの場合分業の原因であるよりも、寧ろその結果である。(註一)

例えば最も縁の遠い二人の人間、即ち哲学者と普通の街路人夫の間の相違は、その資質から云うよりも、寧ろ習慣、慣行及び教育から来ているように見える。

彼等がこの世に生まれて来た時、及び六歳乃至八歳の頃には、彼等は恐らく非常によく似ていたであろう。

そして彼等の両親も遊び仲間も、そこに何等の著しい相違も認めることは出来なかったであろう。

だがその年頃、又はその後間も無く、彼等は非常に異なった仕事に使用されるようになる。

ここに始めて才能の相違が目につくように成り、次第にその相違が大きくなって行って、遂に哲学者の虚栄心は、自分と街路人夫との間に何等の類似も認めることを欲しないようになるのである。

だが、契約し、交換し及び交易する資質が無ければ、各人が彼の欲する生活の一切の必要物及び便益物を、自分で整え無ければならず、凡ての人々が同一の義務を遂行し、同一の仕事を為さなければならなかったのである。

そして、それのみでよく一切の才能の大きな相違を発生せしめることの出来たところのそのような仕事の相違は、存在することが出来なかったのである。

個人ごとの天分の違いは實際には、考えられているよりはるかに小さい。

成人に達した人を見ると、職業によって天分に大きな違いがあるように思えるが、これは大抵の場合、分業をもたらす原因というより、分業の結果である。

たとえば、仕事の性格が全く違うと思える学者と荷担ぎ勞働者の差は、生まれつきの天分よりも習慣や教育の違いによるものだと思える。

生まれたときから、6歳から8歳までの間はおそらくほとんど差がなく、両親も友達も特に大きな違いがあるとは感じない。

しかし、この年齢か、少し後になると、それぞれ違う職業に就く。

そうなると能力の違いが現れ、拡大していき、やがて学者は虚栄心から、荷担ぎ勞働者と似た点があるなどとは認めたがらなくなる。

しかし、取引し交換する性質が人間になければ、各人は自分が求める必需品や利便品を全て自給しなければならなかったはずだ。

全員が同じ仕事をかかえ、同じように働くしかなく、能力の大きな違いをもたらすほどの職業の違いはなかったはずだ。

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各種の職業の人々の間に極めて著しい才能の相違をを形成するものが、この脂質であるように、その相違を有用ならしめるものが亦、この同じ脂質である。

いづれも同一種と認められている動物の多くの族(tribes)は、習慣や教育に先立って人間の間に生じたように見える天分の区別よりは、遥かに著しい天分の区別を、自然に持って来ている。

自然の性質からすれば、一人の哲学者が天分及び資質において街路夫人と相違するところはマスチーフ種の犬とグレートハウンド種の犬との相違、又はグレートハウンド種の犬とスパニエル種の犬との相違、或はまたスパニエル種の犬と牧羊者用の犬との相違の、半分にも及ばないのである。

だが、これらの動物の異なれる族は、いづれも同一種に属しているとは言え、お互いにとってほとんど何等有用ではない。

そこに交換及び公益の力又は資質が欠けているので、これらの異った天分及び才能の結果は、これを共同の資産とすることが出来ず、それは諸の種類の調度と便宜の改良に対して、少しも貢献するところがないのである。

動物は今なおどれも各自で、別々に独立で、自己を養い防御せざるを得ない状態にあり、自然がそれでもって彼等の同族を区別立てた才能の相違から、何らの利益も き出してはいないのである。

これに反して人類の間にあっては、もっとも類似点のない諸の天分も、相互に有用なものであって、契約、交換及び交易の一般的資質があるがために、彼等の各々の才能から作られた各種の生産物が、言はば共同の資産と為され、各人はそこから、他人の才能の生産物のうちで自分の自分の必要とするものは何でも、これを購い得るのである。

物を交換し合う性質こそが、職業が違う人の間でこれほどの目立つ能力の違いを生み出しているのであり、そして、この性質があるからこそ、各人の能力の違いが互いに役立っているのである。

動物には同じ種だとされるものの中にいくつもの亜種があり、生まれつきの能力の差が、習慣や教育の影響を受ける前に人間にあると見られる差より、はるかにはっきりとしている場合もある。

学者と荷担ぎ勞働者の間にある生まれつきの天分や素質の違いよりも、番犬のマスチフと猟犬のグレイトハウンドの違い、グレイトハウンドと愛玩犬のスパニエルの違い、スパニエルと牧羊犬のシェパードの違いの方がはるかに大きい。

これらは全て同じ種に属しているが、それぞれの違いは互いに何の役にも立たない。マスチフが強さを発揮し、グレイトハウンドが足の速さを発揮し、スパニエルが利口さを発揮し、シェパードが従順さを発揮して互いに助け合うというわけではない。取引し交換する能力や性質がないことから、天分や能力の違いを役立て合うことができず、種全体の生活や利便性を向上させることができない。

これに対して人間は、能力の大きな違いを互いに役立てることができる。取引と交換を行う人類共通の性質によって、各人がそれぞれの能力を活かして生産したものを、いわば全員が共用でき、全員が必要に応じてあがな い得るのである。

第三章 市場の大きさによる分業への制約

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分業を発生せしめるものは交換の力であるから、したがってこの分業の及ぶ範囲は常に、その力の及ぶ範囲、云い換えれば市場の範囲のよって制限され無ければならない。

市場が非常に小さい場合には、如何なる人も全然自己を一つの仕事に委ねる何等の原動力を持つに至らない。

と言うのは彼自身の勞働の生産物のうち、彼自身の消費し切れぬ剰余部分の全部を、他人の勞働の生産物のうちの、彼の必要とする部分と、交換する力がそこに欠けているからである。

3-1市場が大きいほど分業は進む

分業は交換の力によって生まれるものなので、分業の程度も交換の力の強さによって、言い換えれば市場の大きさによって制約される。

市場がごく小さい場合には、誰も一つの仕事に専念しようという気になれない。

自分の勞働生産物のうち自分の消費するもの以外の部分を、必要に応じて他人の勞働の生産物と交換することができるという条件がないからだ。

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産業のうちには、たとえそれが最下等の産業であっても、大都会以外では何處においてもそれを遂行することが出来ない或る種の産業がある。

例えば運搬夫は大都会以外他の如何なる所においても、仕事を見出し生存のもとを得ることは出来ない。

村落はその地域が余りに狭過ぎて、彼の存在を許さず、普通の市場都市でさえ彼にえず仕事を供給するにしては、地域が十分でないのである。

スコットランドの高地(Highland)のような荒涼たる田舎に散財している孤立の家々や極めて小さい村落では、農夫は誰も彼も自分の家庭のために、屠殺者であり、麵麭パン 屋であり、醸造者でなければならない。

こう云う状態にあっては、二十マイル以内の地域には、同一職業の他の鍛冶屋、大工又は左官さえも、これを見出し得ることは稀である。

最も近接した家族からさえ八哩乃至十哩へだって住んでいる孤立の散財した通例それに相当する勞働者の援助を持って為されているものである。

田舎の勞働者は殆んどすべての處において、同じ種類の材料で仕事をするが如き相近似した産業の一切部門に、従事せざるを得ない。

一人の田舎の大工は、木材を取扱うあらゆる種類の仕事に従い、一人の田舎の鍛冶屋は、鉄を材料とするあらゆる種類の仕事に従う。

かくて大工は大工であるばかりでなく、同時に指物師であ理、家具師であり、又時としては木材の彫刻師でさえあり、且つ車輪製造者、鋤製造者、二輪車四輪車の製造者である。

鍛冶屋の仕事は更に一層種々雑多である。

スコットランドの高地の遠隔の内部地方において、釘製造者の如き職業があり得ることは到底不可能である。

一人の製造者は一日に千本の割合で釘を製造するから、一年三百日の勞働日数には、三十萬本の釘を製造するであろう。

だが、こう云う地方では、一年間に一千本即ち一日分の製造高さえ、これを売捌うりさばくことが出来ないであろう。

職業の中には、大都市以外では成り立たないものもある。

ごく単純な職業でもそうだ。

例えば、荷担ぎ勞働者は、大都市以外では生活できるほどの仕事を見つけられない。

村では狭すぎるし、定期的にいちが立つ市場町いちばまちですら、いつも仕事を確保できるほどの規模があることは滅多にない。

スコットランド北部の高地地域のように人口が少なく、農家が一軒ずつか小さな集落を作って点在している地域では、どの農家も肉を自分でさばき、パンや酒類を自分で作るしかない。

こうした地域では、鍛冶屋、大工、石工すら、近くにそれぞれ一人しかおらず20マイル以内にもう一人いることは滅多にないのが普通だ。

隣の家まで8マイルから10マイルもあるような田舎に住む家族は、もっと人口の多い地方でならこれらの職人に依頼する細々とした仕事をいくつも自分でできるようにしておくしかない。

農村の職人はほとんどの場合、同じ材料を使う点で似通っている仕事を全て一人でこなす。

大工は木を使う仕事を何でも引き受ける。

鍛冶屋は鉄を使う仕事を何でも引き受ける。

大工は家を建てるだけでなく、建具や家具も作り、木の彫り物すら彫り、車輪や鋤、荷車や荷馬車まで作る。

鍛冶屋の仕事はもっと多様だ。

釘職人一日に1千本の釘を作り、年に3百日働くと一年に30万本を作る。

しかしそのようなところでは、年間に1千本、つまり一日分の釘を売ることすらできないだろう。

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水上運搬の方法によった方が、陸上運搬の手で為し得られるところよりも、更に一層広汎な市場があらゆる種類の産業に向って開拓されるものであるから、あらゆる種類の産業が自然に分割され改良され始めるのは、海岸及び航行し得る河川の岸に沿ってである。

そしてそれらの改良がその国の内部地方に広がるのは、屢々しばしばそれよりよほど後になってからである。

二人の御者にまもられ八頭の馬にひかれる一台の広軌四輪車は、ロンドンとエヂンバラの間を、約四トンの重量の貨物を積んで、約六週間の日程で往復する。

然るにそれと同じ日数の間に、六人乃至八人の人間に操縦され、ロンドンとレースの間を航行する一艘の船は、屢々二百噸の重量の貨物を積んで往復する。

であるから六人乃至八人の人間が、水上運搬の助けによって、同じ日数の間に、人百人にまもられ四百の馬にひかれる広軌四輪車(註一)五十台が運搬する同じ量の貨物を、ロンドンとエヂンバラの間を往復運搬することが出来るのである。

そんなわけでロンドンからエヂンバラへ最も低廉な陸上運搬によって二百噸の貨物運搬する場合には、百人の人間三週間の維持費と、四百頭の馬及び五十台の大形馬車の維持費及びその維持費と殆んど同額の消耗の費用を負担しなければならない。

然るに一方、同量の貨物を水上で運搬する場合には、六人乃至八人の人間の維持費と二百噸赤子の船の消耗の費用と、それに加えて危険率の高いだけの失費、即ち陸上運搬と水上運搬の保険金の差額だけを負担すれば良いのである。

であるから陸上運搬以外にこれらの両都会の間に他の交通方法がないとしたならば、その重量の割合に檟格の非常に高い貨物を除いては、いかなる貨物も一方から他方へ輸送されないであろうし、現在南都会間に行われている商業の僅かな部分しか行われないであろうし、その結果、現在南都会が相互にその産業に与え合っている刺戟 しげき 誘発の小部分しか与えられないであろう。

そんな具合であれば世界の遠隔な部分の間には、いかなる種類の商業も殆んど行われないか、又は全然行われないであろう。

いかなる貨物が、ロンドンとカルカッタ(註二)の間の陸上運搬の費用を負担し得るであろうか?

又たとえこの費用を与え得るような高檟な貨物があるとしても、多くの野蛮国民の領どを通過して、それたの貨物が安全に輸送され得るであろうか?

だが今日これら二つの大都会は、相互に非常に多量の商業交易をして居り、お互に市場を提供し、お互いの産業に多大の刺戟誘発を与えているのである。

水上輸送を使えば、陸上輸送だけに頼るより遥かに大きな市場をどの産業も確保できるので、海岸や航行可能な河川に沿って、各種の産業が自然に分化と発達を始める。

そして産業の発達が内陸部にまで広がるのは、はるか後になってからであることが多い。

八頭立ての広輪の荷馬車は二人の御者が乗り、4トンの貨物を積んで、ほぼ6週間でロンドンとエディンバラの間を往復する。

これとほぼ同じ日数で、船なら6人から8人が乗り込んで、と近郊のリース港とロンドン港の間を、200トンの貨物を積んで往復する。

つまり、水運の場合に6人から8人の船員で両都市の間を運ぶ貨物は、陸運の場合に50台の荷馬車、100人の御者、400頭の馬で同じ日数で運ぶのと變わらない。

200トンの貨物をロンドンからエディンバラまで、陸運としては最も安い方法で運ぶには、片道3週間に渡って百人の生活を維持し、400頭の馬と50台の荷馬車を維持し、そして意地とほぼ同じ経費がかかる消耗品を負担しなければならない。

これに対して水運では、同じ量の貨物を運ぶのに、六人から八人の生活を維持し、200トン積みの船の消耗費、危険の高さを補う割増料金、つまり陸運と海運での保険料の違いを負担すればいい。

したがって、この二つの都市を結ぶ輸送手段が陸運しかない場合、重量の割に檟格が極めて高い貨物しか輸送できず、両都市の間で現在行われている取引のうち、ごく一部しか實行できない。

そのため、それぞれの都市の産業にこの取引が与える刺激も、ごく小さなものでしかなかっただろう。

陸運に頼るしかないのであれば、世界の中の遠く離れた地域の間では、商取引はほとんど行えない。

どのような品物なら、ロンドンとカルカッタの間の陸上輸送に要する費用を負担できるだろうか。

この費用を負担できるほど貴重な品物があったとしても、多数の未開の国の領土を通って、安全に輸送することができるであろうか。

しかし現在では、この二つの都市の間で大量の取引が行われており、市場を提供し合うことによって、それぞれの都市の産業を多いに刺激している。

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水上運搬の利益はそれほど大であるから、この水上運搬の利便があって、先世界を各種勞働の生産物の市場として聞くところにおいて、技術及び産業の階調が第一に行われなければならぬことは自然であり、またそれらの改良がその国の内部地方に拡がるのは、それよりずっとずっと後でなければならぬことも自然である。

国の内部地方は、その部分を取り巻いて居り、海岸及び航行し得る大河川からその部分を隔離している地方以外には、長い間、その生産する貨物の大部分にたいして他の市場を持つことは出来ない。

したがってその地方の市場の範囲は、長い間、近接地方の富と人口の度に比例せざるを得ない。

その結果、その地方の技術及び産業の改良も常に、近接地方の改良に遅れなければならないこととなる。

わが北アメリカ植民地において、栽培地はいつも海岸か又は航行し得る河川の岸に沿って拓かれ、それらから非常に遠い地域にはほとんどひろがっていないのである。

このように水上輸送の利点が大きいことから、自然な道筋として、産業が末席に進歩するのは、水運によって世界全体が各種勞働の生産物の市場になる沿岸地域であり、産業の進歩がその国の内陸部に広がっていくのは、はるか後になる。

内陸部では長い間、生産物のかなりの部分の市場は近くにある沿岸地域に限られている。

このため内陸部で市場の規模が長い間、沿岸地域の豐さと人口に左右され、産業の発展が常に沿岸地域に遅れることになる。

北アメリカのイギリス植民地では、入植地は海岸や航行可能な河川に沿って拡大し、沿岸から離れた地域にはほとんど拡大していない。

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最も敬意のある歴史の語るところによると、最初に文明化されたと観える国民は、地中海の沿岸に沿岸に生棲せいせいしている国民であった。

地中海は、今日世界に知られている最大の内海であり、そこには潮の干満がなく、したがって風から来る波の外には一切波浪というものがない。

そんなわけでその水面のなめらかな為め、島嶼の繞多で或るため、隣接の海岸が接近しているために、地誘拐は当時の世界の幼穉な航海にとっては此上なく好都合のものであった。

と云うのは当時は、羅針盤を知らなかったところから、航海者は海岸を見失うことを恐怖し、また、造船術の不完全であったところから、大洋の逆巻く怒涛に身を委ねることを恐れていたからである。

古代世界においては、ヘラクレスの円柱(the pillares Hercules)の先へ出ること、即ちジブラルタル海峡の外へ航行することは、極めて異常な、危険此上ない航海上のくわだて だと、久しい間考えられていたのである。

そういう古代で最も熟練した航行者及び造船者であったフェニキア人とカルタゴ人でさえ、それを企てたのはずっと後のことであって、この両国民は久しい間、この航行を敢てした唯一の国民であった。

信頼できる歴史書によれば、最初に文明が発達したのは地中海沿岸だったようだ。

地中海は知られている限り世界最大の内海であり、潮の流れがなく、したがって風邪で起こるもの以外に波がないので、海面が静かな上、島が多く、岸が近いため、技術が進んでいなかった時期にも航海に適していた。

羅針盤がなかったので、陸を見失うほど沖合に出るのは危険だったし、造船技術が未熟だったので荒波のある外洋に乗り出すのは危険だった。

ヘラクレスの円柱と呼ばれたジブラルタル海峡を越えて外洋大西洋に乗り出すのは、古代には長い間、危険で驚異的な冒険だとみられていた。

古代世界で航海術と造船術が特に優れていたフェニキア人とカルタゴ人さえ、ジブラルタル海峡を越えて航海したのはかなり後になってからであり、しかも、次にそれを試みる民族が出てくるまでに、長い年数がかかっている。

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地中海沿岸の凡ての国々で、農業も製造業も先づ最初に発達し、著しい度合に改良されたのは、エヂプトであったように思われる。

上部エヂプト(Upper Egypt)は何處もナイル河から数哩すうマイル以上は隔って居らず、下部エヂプト(Low Egypt)では、そのナイル大河が大小多くの支流(canals)(註一)に分かれて居り、その支流は少しばかりの人工を加えれば、凡ての大都会の間ばかりでなく、すべての重要な村落の間、田舎の多くの農家へさえも、水上交通の便を提供したようである。

それは今日ライン河や、メーズ河がオランダで演じているところと殆んど同様なものであった。

内陸航行がこのように廣く且つ容易に行われたことが、恐らくは早くからエヂプトにおいて改良の行われた主要原因の一つであろう。

地中海沿岸の国の中で、最も早い時期に農業や手工業がかなりの程度発達したのは、エジプトのようだ。

上エジプトでは、ナイル川から数マイルまでの地域しか発達していないが、下エジプトではナイル川が多数の支流に分かれていて、わずかに手を加えるだけで、水上輸送に利用でき、大都市はもちろん、主要な村や、農村の多数の農家すらも水運で結ばれていたようだ。

つまり、現在のオランダでライン川やマース川が果たしているものに似た役割を、ナイル川が果たしていたわけだ。

河川を使った航行が容易で、普及していたことがおそらく、エジプトで文明が早くから発達した主因の一つだとみられる。

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農業及び製造業における改良は、同様に、極めて遠い古代にあって、東印度のベンガルの諸地方において、及び支那の東部諸地方の或る部分において行われたように見える。

もっともこの古代の広大なる範囲に関しては、我々ヨーロッパにおいて立派にその権威を認めている歴史家の何人によっても、まだ確証されてはいないが、ベンガルではガンジス河及びその他多くの大河が、エヂプトにおけるナイル河の場合と同じに、非常に多くの航行し得る支流を持っている。

支那の東部地方においても亦、幾多の大河川が大小様々の支流と無数の水路を持ち、相互の交通によって内陸航行の範囲を大ならしめて居り、その範囲はナイル河のそれや又はガンヂス河のそれの遠く大呼ぶところにあら ず、否、恐らくは両者合わせたものよりも大であろう。

古代エヂプト人も、印度人も、また支那人も外国貿易を奨励しなかったことは注意すべき点で、それらの国民はいづれも内陸航路から彼等の大いなる富裕を抽出して来たように思われる。

インドのベンガル地方と中国の東部地域の一部でも、農業と手工業が極めて早くから発達していたようだが、どれほど古くから発達していたかは、信頼性が高いとヨーロッパで認められている歴史書では確認できない。

ベンガルでは、ガンジス川などの大河がエジプトのナイル川と同様に、多数の航行可能な支流に分かれている。

中国の東部でも、いくつもの大河が多数の支流に分かれており、それらを交互に繋ぐことで、ナイル川やガンジス川より、おそらく両者を合計したより、広範囲な内陸航行が可能になっている。

注目すべき点を挙げるなら、古代にはエジプトもインドも中国も、外国との貿易に積極的ではなく、極めて豐かな社会を内陸航行だけによって築いたとみられる。

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アフリカの内陸地方の全部、裏海及び黒海の北部から非常に隔っているアジアのすべての部分、即ち古代のシシャ、近代の韃靼及シベリヤは、世界歴史のあらゆる時代において、今日なおそこに見ると同じ野蛮な非文明的な状態にあったようである。

韃靼の海は航行の出来ない氷結した大洋であり、またこの国には世界で最大の河流に属するものが若干貫流してはいるが、それらはお互いに余りに遠く隔絶しているので、その大部分は商業や交通の役には立たないのである。

アフリカには、ヨーロッパにおけるバルチック海及びアドリヤチック海、ヨーロッパ及びアジアにまたがっての地中海及び黒海、及びアジアにおけるアラビヤ、ペルシャ、印度、ベンガル、暹羅シャム の諸湾のような、その大陸の内部地方へ向けて船舶貿易を許す大内海が全く無く、またアフリカの諸大河は相互に余りに遠く隔っていて、何等大きな内陸航行を誘発しないのである。

また、或る国民が一つの河を利用して商業を営むことが出来ても、その河が多くの支流や水路に分れておらず、海に注ぐまえに他の国民の領域に流入する場合には、その商業は決して大なることを得るものでない。

と云うのはその河の上流国と海洋との交通を遮断する機能はいつも、下流の領域を所有する国民の手に在るからである。

ダニューブ河の航行は、ババリヤ、オーストリア及びハンガリーの諸国にたいして、現に極めて僅かな便益しか与えていないが、もしそれらの一国が黒海へ注ぐまでのダニューブ河の全流域を領有しているとするならば、それはその国に対して現在と比較にならぬほど大kな便益を与えているであろう。

アフリカの内陸地域や、黒海とカスピ海の遥か北にあるアジアの全域、つまり古代のスキタイ、近代のタタールとシベリアは、どの時代にも現在と同じように、未開の状態にあったようだ。

タタールでは、北にある北極海が凍結して航行できず、世界最大級の河川が何本か流れているが、それぞれに距離が離れすぎているので、広大な地域にわたる商業や交通を築くことができない。

アフリカには、ヨーロッパのバルト海やアドリア海、ヨーロッパとアジアにわたる地中海や黒海、アジアのアラビア、ペルシャ、インド、ベンガル、タイにみられる湾のようの内海がなく、大陸の内部まで海上輸送による商業を行き渡らせることができない。

それにアフリカの大河はそれぞれに距離が離れすぎており、内陸航路を発展させることもできない。

また、多数の支流に分かれていない河川や、河口までに他国の領土を通る河川では、一つの民族が行える商業は大規模にならない。

上流と海との間を、途中の国が妨害する力を持っているからである。

ドナウ川の航行の利用檟値は、流域にあるバイエルン、オーストリア、ハンガリーにとって、これらの国のうちどれかが黒海までの全流域を領有していた場合と比較して、極めて小さくなっている。

第四章 貨幣の起源及び効用について

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分業が一度完全に樹立されると、人間が自身の勞働の生産物を以って充し得るところは、その欲望の極く小部分に過ぎない。

彼は、自身で消費しきれない彼自身の勞働生産物の剰余部分と、彼の必要とする他人の勞働生産物の剰余部分とを交換することによって、その欲望の最大部分を充すのである。

かくして各人は交換によって生活し、或る度合まで一個の商人と成り、社会そのものは謂ゆる商業的社会と成るのである。

分業が確立すると、各人が必要とするもののうち、自分の勞働によって生産できる部分はごく一部に過ぎなくなる。

必要の大部分は、各人の生産物のうち自分で消費するもの以外の部分と交換して満たすようになる。

全員が交換によって生活するようになり、ある意味で商人になる。

社会全体も商業社会と呼べるものになる。

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だが分業が最初に起り始めた時には、この交換の力はその實際の運用において、屢々非常に阻害され、混乱されなければならなかった。

いま仮に、或る一人の人間が或る一定の物品を、自分で必要とするよりも一層多く持って居るのに、他の一人の人間はそれを一層少くしか以っていないと仮定しよう。

その結果、前者は喜んでその過剰物品の一部を売り渡すであろうし、後者はそれを購入するであろう。

しかしこの場合後者がひょっとして、前者の顔面に必要としている物品を何ものも以っていないとすれば、両者の間に何等交換が行われることは出来ない。

肉屋が自分の店に、彼自身で消費し得る以上の肉を以っているとする。

その場合醸造屋及び麵麭パン屋は何れも、喜んでその肉の一部を購入しようとするであろう。

だが醸造屋や麵麭屋は、その各自の職業の生産物たる種類や麵麭以外には、肉と交換し得るものは何も持っていない。

ところが肉屋はすでに、即刻自身で必要とする麵麭や麦酒は十分に手元に持っている。

この場合には彼らの間に、何等交換が行われ得ないのである。

肉屋は対手の人達にたいして売手となる事はできないし、醸造屋や麵麭屋は肉屋の顧客となることは出来ない。

かくて彼等は何れも、お互い大して役に立たないものとなるのである。

かかる場合の不便を避けるために、一度び分業が確立された後には、社会のあらゆる時期において深慮ある人々は自然、いかなる場合にも彼自身の産業の特殊な生産物の外に、或る一定の物品即ち他の人々の産業の生産物と交換する場合に、誰もそれとの交換を拒まないと思われる如き物品の一定量を持っているように、身辺を手配して行かなければならなかったのである (註一)

しかし、分業が起こり始めた時点では、このような交換にかなりの障害があったはずだ。

一方に、ある商品を自分が必要とする以上に持っている人がおり、他方に、それを持っていない人がいる状況を考えてみよう。

この場合、一方は余った部分を手放そうとし、他方はそれを手に入れようとする。

しかし、手放そうとする側がそのときに必要とするものを、手に入れようとする側がたまたま持っていなければ、交換は成立しない。

たとえば肉屋が、自分が必要とする以上の肉を持っており、酒屋とパン屋がその一部を手に入れたがっているとする。

酒屋もパン屋もそれぞれの仕事で生産したものしか持っておらず、肉屋が当面必要な量のビールとパンを持っていれば、互いの商品を交換することはできない。

肉屋は肉を売ることができず、酒屋とパン屋は肉を入手できない。

それぞれが、あまり互いの役に立たない状態になる。

このような状態から生まれる不便を避けるために、分業が確立した後、どの時代にも賢明な人はみな、自分の仕事で生産したもの以外に、他人が各自の生産物と交換するのを断らないと思える商品つまり通貨をある程度持っておく方法をとったはずである。

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この目的のために次ぎ次ぎと考え及ぼされまた實際使用された物品は、恐らく種々雑多であろう。

未開時代の社会では、家畜が商業の共通道具であったと言われている。

家畜は交換の装具として非常に不便なものであったに相違ないが、それでも古代において、しばしば諸物品がそれと交換される家畜の数でもっと評檟されていたのを発見する。

ホーマーはデイオメードの鎧は牛九頭のあたいしかないが、グラウアスの鎧は牛百頭のあたい があると言っている。(註一)

アビシニアのいては塩が商業の共通道具であったと言われて居り、(註二)印度の海岸地方の或る所では一種の貝殻が、ニューファウンドランドでは干鱈が。ヴァージニアでは煙草が、(註三)わが西印度植民地では砂糖が、若干の他の諸国では獣皮又は精製鞣革が貨幣の代りに釘を携えて麵麭屋や酒屋の店頭に行くことが、異常なことでないとのことである。(註四)

この目的には、様々な商品が次々に考えられ、使われてきたとみられる。

未開の社会では、家畜が交換のための共通の手段であったと言われている。

いかにも不便であったはずだが、古代にはものの檟値がそれと交換された家畜の数で示されることが多かった。

例えばの『イリアス』には、ディオメデスの鎧は雄牛わずか9頭で買ったものだが、グラウコスの鎧は雄牛100頭で買ったものだと書かれている。

エチオピアでは、塩が交換のための共通の手段として使われているという。

インド沿岸部の一部ではある種の貝殻が、ニューファウンドランド島ではタラの干物が、バージニアではタバコが、西インド諸島のイギリス植民地の一部では砂糖が交換の手段として使われており、生皮やなめし皮が使われている国もある。ニューファウンドランド島スコットランドの村では現在も、職人が金銭の代わりに釘をパン屋や居酒屋の支払いにあてることが珍しくないという。

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だが、凡ての国々において遂には不可抗的な諸理由から、この目的にために他の一切の物品をさしおいて、金属を使用することに決定された様に思われる。(註一)

金属は損耗の少ない点でどんな物品にも劣らず、また金属は損耗の少ない点でどんな物品にも劣らず、また金属ほど耐久性のある物品は他にないばかりでなく、何等の損耗もなくて、どれだけの部分にも分割することが出来、さらにそれらの部分を容易に総合してもとのままとすることも出来る。

金属と同じ耐久性を持つ物品は他にあるが、それらの物品も金属の持つこの最後の性質は持って居らず、その性質こそ金属をして他の一切の商品に優って、商業及び流通の用具(instrument)として適当ならしめるものである。

例えば或人があって塩を購入し いと思うが、それと交換に与えるものとしては家畜より他に何も持っていない場合には、彼は止むなく一時に牛全一頭又は羊全一東の檟値に相当する塩を購入しなければならないであろう。

これに反して、彼が羊や牛の代わりに金属をもっていて塩と交換に与えるとすれば、彼れは眼前に必要とする量の物品の檟値に相当するだけ、容易に金属をそれだけの量に分割することが出来るであろう。

しかしどの国でも、否定のしようのない理由によって、この目的にはやがてどの商品よりも金属が選ばれるようになったとみられる。

金属ほど腐りにくいものはほとんどないので、どの商品よりも保存による損失が少ない。

その上、どれだけ分割しても檟値が下がることはなく、溶解すれば分割したものを一つにまとめられるという性質がある。

この性質は、同じように保存がきく他の商品にないものであり、金属が商業と流通の手段に適しているのは、何よりもこの性質のためである。

例えば、塩を買おうとするとき、交換できるものが家畜しかないとすると、一度に牛1頭分か、羊1頭分を買うしかない。

それより少ない分量を買うことはまずできない。

家畜は分割すればほぼ確實に檟値が下がるからだ。

そして1頭分以上を買いたいときにも、同じ理由で2倍か3倍の量を、つまり牛2頭分か3頭分、あるいは羊2頭分か3頭分を買うしかない。

これに対して、羊や牛ではなく金属を塩と交換するのであれば、そのときに必要とする塩の分量に合わせて、金属の分量を簡単に調節できる。

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種々の金属がいろいろの国民によって、この目的に使用されて来た。

古代スパルタの間では鉄が、古代ローマ人の間では銅が、すべての富裕な商業国民の間では金及び銀が、商業上の共通道具であった。

交換の目的に使われた金属は当初、国によって違っていたようだ。

古代スパルタでは、交換の共通の手段として鉄が使われた。

古代ローマでは銅が使われた。

富裕で商業が盛んな国では金と銀が使われた。

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これらの金属は最初は、何等の刻印も又は鋳造も加えないで、粗造の地金棒塊でこの目的のために使用されていたように思われる。

かくてプリニー(Pliny)(註一)が古代の歴史家テメアス(timeus)に って我々に語るところに依ると、ローマ人はサーヴィアス・タリス(Servius Tullius)の時代までは、何等鋳造した貨幣は持って居らずどんなものでも必要なもの購入する場合には、刻印の打ってない銅の棒塊を使用していた。

当初はこれら金属が、刻印も鋳造もされていない地金の形で交換の手段として使われたようだ。

例えば、古代ローマのプリニウス(23〜79年)は『博物誌』で、歴史家の(紀元前356年頃〜260年頃)の記述を根拠にローマにはセルウィルス・トゥリウスの時代(紀元前578〜534年)までの硬貨(鋳造貨幣)がなく、必要とするものを買うときには刻印のない銅の延べ棒を使っていたと記している。

この時代には銅の延べ棒が通貨の役割を果たしていたというわけだ。

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こういう粗造の状態で金属を使用する場合、二つの非常な不便が伴われた。

第一には秤量することの困難なことであり、第二にはそれらの棒塊を試験することの困難なことである。

貴金属の場合には量における些少の相違が檟値における大きな相違をもたらすものであるから、適当性格に秤量の仕事をするには、すくな くとも非常に精密な分銅と秤量とが必要である。

特に金の秤量は或る手際のいる仕事である。

實際、金より粗悪な金属の場合には少しばかり過誤は大した結果を生じもしないであろうから、疑いもなく金の場合ほどの精密を必要としないであろう。

だが、もし一人の貧者あっていつも一銭の値の貨物を売り買いする必要があり、その一銭の値のものを秤量しなければならぬとすれば、我々はそれが極度に煩雑なことを発見しないでは居れぬであろう。

それより一層困難で、一層煩瑣はんさなのは試金の作業である。

その金属の一部を坩堝るつぼの中で適当な鎔解薬を用いて、立派に鎔解させない以上、その作業から得られた結果は一切、極度に不正確なものである。

だが鋳造貨幣の制度が生まれる以前には、この煩瑣な困難な仕事をやらなかったならば、人々は常に大きな欺偽と瞞着に陥らなければなかったのであり、彼等の貨物と交換に一封度ポンド の重量の純銀又は純銅を受取るべきところを、外見だけはそれらの金属に似せて作ってあるが、實質は最粗悪で最安檟な金属の混成物を掴まされるようなことがあったのである。

されば改良の方向へ向かって何等かの大きな進歩を示した凡ての国家においては、斯かる弊害を阻止し、交換を容易ならしめ、もってあらゆる種類の産業と商業の発達を促進するために、それらの国々において貨物を購入する上に普通に使用される特殊の金属の一定量にたいして、公の刻印を打つことの必要が感ぜられたのである。

鋳造貨幣及び造幣局(註一)と呼ばれる官衙かんえい は、かくして発生したものであって、これ等の制度はかの毛織物及び亜麻布にたいする毛織物検査官(Aulnager)及び亜麻布検査官(Stammaster)の制度と、(註二)全く同じ性質のものである。

それらの凡ては何れも、この刻印を附することによって、市場に提供された諸種の商品の量と全品質とを確定することを職とするものである。

加工していない金属を使うと、不便な点が二つある。

第一に重さを測るのが厄介であり、第二に純度を調べるのが厄介である。

貴金属の場合、重さがわずかに違っても檟値が大きく違うので、重さを正確に測るために、少なくとも正確な錘と秤オモリと天秤が必要だ。

特に金の重さを測るときは、正確さが必要だ。

もっと檟値が低い金属で、少々間違いがあっても大した影響がない婆にはもちろん、正確さはそれほど要求されない。

しかし、貧しい人が1ファージング(0.52ペニー)のものを売買するたびに重さを測らなければならないのであれば、面倒すぎるはずである。

純度を調べるのはもっと難しく、手間がかかる。

適切な溶剤を使って、金属の一部を坩堝の中でうまく溶かさない限り、調べた結果は不確かだ。

このため、硬貨が使われるようになるまでは、手間のかかる困難な作業で純度を調べなければ、とんでもない詐欺やごまかしにいつ逢うかわからない状態にあった。

品物の対檟として1ポンドの重さの純銀や純銅を受けたとった受け取ったはずなのに、粗悪で安い材料を使い、外見だけはこれの金属に似せて作られた混ぜ物をつかまされることになりかねなかった。

こうしたごまかしを防ぎ、交換の便宜をはかり、それによって各種の産業と商業を盛んにするために、社会がある程度発達した国では、その国で取引の手段として一般に使われている 金属の決まった重さのものに、公的な刻印を押す必要があると考えるようになった。

これが硬貨の起源であり、造幣局の起源である。

造幣局は毛織物や亜麻布の検査官と同じ性格をもつ政府機関である。

公的な刻印によって、それぞれの商品が市場で取引される際に、分量と品質の良さを証明することも目的としている。

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流通通貨に打たれたこの種の最初の公の刻印は、多くの場合、確定することの最も困難で且つ最も重要なもの即ちがい 金属の品質と純分を確定することを志向したもののようで、その最初の刻印は、今日銀の板塊や棒塊にこくされてある純分記標(stering mark)又は時々金塊に刻されているスペイン式記標に類似したもののようである。

それは該金属の一側面だけに打たれてあって、全表面に亙って居らないので、その金属の純分は確定しているが、その重量はこれを確定していないのである。

アブラハムはマクベラーの野原の代檟として支払うことを同意した金四百シエケル(shekel)を、エフロンにはかって与えている。(註一)

このシエケルは、当時商人の流通貨幣であったと言われているものであるが、それでも今日の金塊や銀の棒塊の場合と同じに、個数でなくて重量で受取られてい流のである。

イングランドの古代サキソン王朝の諸王の歳入は、貨幣でなく實物で、即ちあらゆる種類の食物及び食料品で納入されたと言われている。

そこへウイリアム征服王が始めて、貨幣でそれを納入する習慣を導き入れた。

だが、この貨幣も長い間国庫が受納する場合には、個数によらず重量によっていたのであった。

通貨として使われる金属に押されたこの種の刻印は当初、確認が特に難しいし、特に重要でもある金属の品質、つまり純度を確認することを目的としていたようだ。

現在、銀の板や延べ棒に押されている純度表示の刻印や、金地金で見かけるスペインの刻印に似ていて、一つの面だけに押され、表面全体に渡るものではなく、純度は示すが重量は示さないものだったようだ。

『旧約聖書』創世記によれば、アブラハムがエフロンからマクベラの畑を買ったとき、代金の銀400シェケルの重さを測っている。

この銀は商人が通貨として使っていたものだというが、現在の金地金や銀の延べ棒と同じように、個数ではなく重さで取引に使われている。

イングランドのサクソンの王は、通貨でなく現物で、つまり各種の食料で税を徴収したと言われている。

征服王ウィリアム(在位1066〜87年)が通貨で徴収する仕組みを持ち込んだ。

それでも、税金の受け取りに当たって、個数ではなく重さが長く使われていた。

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それらの金属を正確に秤量することの不便と困難は、鋳貨(Coin)を発生せしめた。

この鋳貨では刻印がその金属片の両側面全部に、時々にはその縁にさえも打たれてあって、その金属の純分のみでなく重量も確定するものと考えられた。

であるからそのような鋳貨は今日と同様に、重量を秤る面倒なしに個数で受取られたのである。

通貨として使われる金属の重さを正確に測るのは不便だし、難しくもあったため、硬貨の制度が生まれた。

硬貨では、刻印が両面尾全体にわたり、ときには縁にも刻まれていて、金属の純度だけでなく、重さも証明するとされた。

したがって効果は現在と同じように個数で受け渡され、重さを測る手間が省けるようになった。

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それらの鋳貨の名称は、最初にはその中に含まれている金属の重量又は数量を表したものであったようである。

ローマで最初に貨幣を鋳造したサーヴィアス・タリアスの時代には、ローマの一アス(As)又は一ポンド(Pondo)は、ローマ目方一封度の純銅を含有していた。

その一アス又は一ポンドーは、今日の我々の造幣量目(Troyes)の一ポンドと同じように、十二オンス(ounce)に分割せられ、一オンスは實際一オンスの純銅を含有していた。

エドワード一世の時代にイギリスの一ポンド貨幣は一定純分の銀のタワー(Tower)重量で一封 度を含有していた。

タワー重量一封度はローマ重量一封度よりはいくらか多く、現行造幣量目一封度よりはいくらか少なかったようである。

而して現行造幣量目は八世の第十八年に始めて。イギリスの造幣局において採用されたものである。

フランスの一リーブル(Livre)は、シャーレマン帝の時代には、一定純分の銀のタワー重量で一封度を含有していた。

シャンペーンにおける造幣金の定期市場は、当時ヨーロッパのあらゆる国民の競って出入したところで、そういう有名な市場での量目と尺度は広く一般に知られ、尊重されていた。

スコットランドの貨幣一磅は、アレキサンダー一世の時代からロバート・ブルース(Robart Bruce)の時代まで、イギリスの貨幣一磅と同様な重量及び純分の銀一封度を含有していた。

イギリス、フランス及びスコットランドの一ペンス (Penny)も亦いづれも最初は、眞の1ペニー重量の銀、即ち一オンスの二十分の一、一封度の二百四十分の一の銀を含有していた。

シリング(Shilling)も本来重量の名称であったように思われる。

ヘンリー三世当時の古代法律では、『小麦一クォーター二十志なる場合は、一ファージングの上等麵麭パンは、十一シルリング四ペンスの目方を要す』と規定している。

だが、志と、一方ペンス又は他方ポンドとの間の割合は、片と磅との間の割合のように不變一様であったようには思われない。

フランスの最初の諸王の時代には、フランスの一スー(Sou)或は一志は、場合によって或は五片、或は十二片、二十片、四十片に相当してい多様に見える。ss(註一)

古代サキソン人の間では一志は或る時代には五片にしか当たらなかった様に見えるが、(註二)彼等の間のその檟値の變動は、その隣国人たる古代フランス人の間におけるその變動と恐らく同じものであったかも知れない。

フランスではシャーレマン帝の時代から、(註三)イギリスではウイリアム制服王の時代から、(註四)磅、志及び片の檟値はそれぞれ非常に異なっていたとは云っても、その間の割合は現在と同様に統一的であった様に見える。

而してその檟値の變動した原因は、諸王及び諸主権国がその臣民の信任を濫用して貪慾どんよく と不正を行い、その貨幣に最初含まれていた金属の眞の分量を、次第次第に減少して行ったがためであると、私は信じている。

ローマの一アスはローマ共和国の後期には、その本来の檟値の二十四分の一に減少され、その重量は 本来の一封度から僅かに半オンスに低下してしまった。

イギリスの磅及び片は現在では最初の三分の一にしか当って居らず、スコットランドの磅及び片は最初のそれの約三十六分の一 であり、フランスの磅及び片はそれらの最初の檟値の約六十六分の一である。

そういうり口によって貨幣改鋳を行った諸王及び諸主権国は、それをしない場合に必要であるよりも尠い銀の量をもって、一見、彼等の負債を支払い支払契約を履行したように見える。

だが實際に於てはそれは外見だけのことである。

と云うのは彼等の債権者は事實においては、その受取るべきものの一部を騙取へんしゅされたのだからである。

而して国内の凡ての他の債務者も、同様な特権を振舞うことを許され、改鋳以前に借用した分はすべて新らしい悪貨幣の名目上の金額をもって支払ったのである。

であるからかかる行為は、常に債務者にとっては有利であるが、債権者にとっては破壊的であることが分かって来て、時には非常に大きな公共の厄災から来る革命よりも、更に一層大規模な普遍的な革命を、個人の財産の上にもたら したのである。

硬貨の名称は当初、それに含まれる金属の重さを示していたようだ。

ローマで初めて硬貨が鋳造されたセルウィス・トゥリウスの時代には、1アス硬貨(ポンドーともいう)には1ローマポンド(約327グラム)の銅が含まれていいた。

イギリスで使われているトロイ・ポンドと同様に、1アスは12ウンシア(オンス)であり、1ウンシア硬貨には1オンス(約27グラム)の銅が含まれていた。

イングランドの1ポンド硬貨も、エドワード一世の時代(1272〜1307年)には、決められた純度の銀が1タワー・ポンド(約350グラム)含まれていた。

タワー・ポンドはローマ・ポンドより少し重く、トロイ・ポンド(約373グラム)より少し軽い。

トロイ・ポンドが造幣局で使われるようになったのは、ヘンリー八世治世の1526年ごろからである。

フランスの1リーブル硬貨にもシャルルマーニュ時代(768〜814年)には、決められた純度の銀が1トロイ・ポンド含まれていた。

当時、シャンパーニュ地方のでヨーロッパ各国から商人が集まる有名な市が開かれ、そこで使われる重さと尺度が広く知られ、尊重されていた。

スコットランドでは、アレクサンダー一世の時代(1107〜24年)からロバート一世の時代(1306〜29年)まで、1ポンド硬貨にイングランド正貨の1ポンドと同じ重さ、同じ純度の銀が含まれていた。

イングランド、フランス、スコットランドのいずれでも1ペニー硬貨には当初、1ペニーの重さの銀、つまり、20分の1オンス240分の1ポンドの銀が含まれていた。

シリングも当初は重さの単位だったようだ。

例えばヘンリー三世の時代(1216〜7二年)の法律に「小麦が1クォーター(約290リットル)当たり12シリングのとき、1ファージングの極上パンは11シリング4ペンスの重さがなければならない」という表現がある。

しかし、シリングはペニーやポンドとの関係が、ペニーとポンドの関係ほど一定ではなかったと見られる。

フランスではフランク王国時代の初期に、シリングにあたるスーがときによって、5ペンス、12ペンス、20ペンス、40ペンスに当たっていたようだ。

サクソン人の間でも、1シリングが5ペンスでしかなかったときがあるようだ。

隣国に住むフランク人の間でシリングの檟値が様々だったのだから、サクソン人の間でも同じように様々であったのも考えられないことではない。

フランスではシャルルマーニュ(768〜814年)の時代から、イングランドでは征服王ウィリアム(1027年 - 1087年9月9日)の時代から、ポンド、シリング、ペニーの関係から現在と同じく1ポンドが20シリング、1シリングが12ペンスになったようだが、それぞれの檟値は現在と全く違っていた。

そうなったのは、世界のどの国でも、国王や政府が貧欲と不正によって国民の信頼を悪用し、硬貨に含まれる金属の量を当初のものから減らしてきたからだと思える。

ローマの1アス硬貨は共和制末期には、檟値が当初の24分の1になり、重さが1ポンドではなく0.5オンスに過ぎなくなった。

イングランドの1ポンド硬貨と1ペニー効果は現在、当初の3分の1の重さしかない。

スコットランドでは36分の1になった。

フランスでは66分の1になった。

この方法によって、国王や政府は本来のものより少ない量の銀で、外見上、債務を返済し、契約を履行することができた。

しかしこれは、外見上だけであり。債権者は實際には、支払われるべき金額の一部を詐取されたのである。

国内の債務者はみな同じ権利を認められ、旧硬貨で借りた金額を名目金額は等しいが檟値の低い新硬貨によって返済することができた。

したがって、このような通貨の改鋳はつねに債務者に有利で、債権者に不利であり、ときには大規模な社会的災難によって引き起こされる以上に、民間人の富を激變させてきた。

35

貨幣がすべての文明国民の間において商業の普遍的用具となり、その媒介によってあらゆる種類の貨物が、売買せられ又はお互いに交換されているのは、斯くしてである。

こうして、文明国のすべてで通貨硬貨が交換のための共通の手段になり、全ての種類の商品が通貨を使って売買され、交換されるようになった。

36

貨物を貨幣と交換し、又は貨物同志を交換する場合に、人々が自然的に遵奉する諸法則は何であるか、私は今やそれの研窮に移るであろう。

これらの諸法則は、貨物の相対的檟値(relative value)又は交換的檟値(exchangeable value)とも呼ばれるものを決定するものである。

以下では、物が売買され、交換されるときに、自然に守られる法則がどのようなものであるかを検討する。

この法則によって、物の相対檟値とも交換檟値とも呼べるものが決まる。

37

『檟値』という言葉は二つの異なった意味を持っていることを注意しておかなければならない。

即ち或時にはその言葉は、或る特殊な対象物の效用を表現し、或時にはそれは、その対象物の所有から生ずるところの、他の貨物を購買する力を表現するのである。

前者はこれを『使用檟値』(value in use)呼び、後者はこれを『交換檟値』(value in exchange)と呼んでいいであろう。

ところで最上の使用檟値を持っている物が、屢々しばしば く僅かな交換檟値しか持っていないか又は全然交換檟値を持っていない場合があり、これに反して、最大の交換檟値を持っている物が屢々極く僅かな使用檟値しか持っていないか又は全然使用檟値を持っていない場合がある。

この世の中に水ほど有用なものはないが、水をもっては何物も、あがなえないであろうし、水と交換で何物も手にすることは出来ないのである。

これに反してダイヤモンドは殆んど使用檟値というものを持っていないが、極めて多量の他の貨物が、屢々それと交換される場合があるのである。(註一)

この「檟値」という言葉に二つの意味があることに注意すべきだ。

ときにはあるものがどこまで役立つか (どこまで効用があるか)を意味し使用檟値、ときにはあるものを持っていることで他のものをどれだけ買えるか交換檟値を意味する。

この二つを「使用檟値」「交換檟値」と呼ぶことができる。

使用檟値が極めて高いが、交換檟値はほとんどないものも少ないない。

逆に、交換檟値が極めて高いが、使用檟値がほとんどないものも少なくない。

水ほど役立つものはないが、水と交換して得られるものはほとんどない。

これに対してダイヤモンドは、ほとんど何の役にも立たないが、それと交換して極めて大量のものを得られることが多い。

38

諸物品の交換檟値を規定する諸原則を窮明するために、私は、

商品の交換檟値を決める原理を探るために、以下の点を明らかにしていきたい。

39

第一に、この交換檟値の眞の尺度は何であるか、言葉を換えて云えば、一切の物品の眞の檟格(price)は何から成立するかを示し、

第一に、交換檟値の真の尺度は何なのか、そして、商品の真の檟格とは何なのかである。

40

第二に、この眞の檟格を構成し又は造り上げている各部分は何であるかを明らかにし、

第二に、真の檟格を構成する要素は何なのかである。

41

而して最後に、右の檟格を構成する諸部分の若干又は全部を、或時にはそれらの自然率又は通常率(natural or ordinary rate)以上に高め、或時にはそれ以下に沈ませる事情は何であるか、言葉を換えて言えば、時々に市場檟格(market price)を妨害する諸原因即ち諸物品の實際檟格(actual price)とそれらの自然檟格(natural price)との正確な一致を妨害する諸原因は何であるかを示すことに努めるであろう。

第三に、最後の点として、檟格の各要素の一部または全部を、自然で通常の水準より上昇させたり下落させたりする状況はどのようなものであるかである。

言い換えれば、商品の實際の檟格である市場檟格が自然檟格と呼べるものに一致するのを妨げる要因は何なのかである。

42

私は次の三つの章に亙ってこの三つの主題を、全力を傾けて、出来るだけ完全明瞭に説明するであろう。

それにつけて私は衷心ちゅうしんから読者の忍耐と注意を乞わなければならない。

研窮の細部の或る個所は恐らく不必要なほど冗慢だと見えるかも知れないが、それを検討するために読者の忍耐を乞わねばならないし、又或る個所は私に出来る限りの完全な説明を与えても、おそらくそこにはなお 或る程度まで曖昧と見えるものがあるかも知れないが、それを理解するために読者の注意を乞わなければならないのである。

私は十分に明瞭ならしめるために、多少冗慢に流れることも敢えてするつもりである。

たとえ事理を明瞭ならしめるためにどんなに苦心したところで、その性質上極端に抽象的なかかる主題においては、なお若干の曖昧な点が残るのは止むを得ないことであろう。

以下の三章で、この3点についてできる限り詳細に、明確に説明するよう試みるが、読者には忍耐強く、注意深く読むようにお願いしたい。

忍耐をお願いするのは、ときには不必要と思えるほど細部にわたる記述をじっくり検討していただきたいからだ。

注意深く読んで理解するようお願いするのは、説明には完璧を期したが、おそらく、まだいくらか曖昧だと感じられる点があると思えるからである。

論旨を明確にするために、冗漫になるのはになる危険を冒すのはやむを得ないと常に考えている。

しかし明確にするために最大限に努力しても、性格上、極めて抽象的な問題を扱っているときは、まだいくらか曖昧だと思える点が残る可能性がある。

第五章 商品の實際檟格(real price)と名目檟格(nominal price)即ちその勞働檟格(price in labour)と貨幣檟格(price in money)について

43

凡ての人々は、生活(註一)の必要物、便益物及び享楽物を享受し得る程度に応じて、或は富裕であり或は貧乏である。

だが、一度び分業が完全に樹立されると、一人の人間が自身の勞働で自身に供給し得るのは、それらの事物の最大部分は、他の人々の勞働の所産に仰がなければならない。

そこで彼の貧富は、彼の支配し得る勞働量、即ち彼の購入し得る勞働量に応じて、きまらなければならない。

されば、或る物品を所有しているが、それを使用しようと思わず即ち自ら消費せず、それをもって他の物品と交換しようとする人にとっては、凡ての物品の檟値は、その物品をもって彼が購入し得又は支配し得る勞働量に等しい。

それ故に勞働は、一切の物品の交換檟値の真の尺度である。

人が豐かだとか貧しいとかいうとき、それは生活の必需品、利便品、娯楽品を手に入れる力がどこまであるのかを意味する。

そして分業が確立すると、これらのうち自分の勞働で生産できるのはごく一部に過ぎなくなる。

大部分は他人の勞働の成果なので、どれだけの量の他人の勞働を支配できるか、あるいは購入できるかによって豐かさと貧しさが決間ることになる。

このため商品の檟値は、自分で使うか消費するためではなく、他の商品と交換するために保有している人にとって、その商品で支配・購入できる勞働の量に等しい。

したがって勞働こそが、全ての商品の交換檟値をはかる真の尺度である。

44

凡てのものの真實の檟格、即ち凡てのものが眞にそれを獲得しようと要求する人にとって眞に値するものは、それを獲得するための勞苦と困難である。

或る物を獲得した人、及び或る物を売却し又はそれを他の物と交換しようと欲する人にとって、凡ての物が實際に値するところのものは、その物がその人の負担から取除いて、他の人の負担に転嫁することのできる勞苦と困難である。

或物を貨幣又は貨物をもってあがなうのは、我々自身の肉体の勞苦によって獲得するのと同じであって、つまり勞働によって購うのである。(註一)

その貨幣又はそれらの貨物は實際我々からその苦勞を省く。

それらの貨幣や貨物は、一定量の勞働の檟値を含有して居り、我々はそれを、他方同時に同量の檟値を含有していると考えられているものと交換するのである。

最初の檟格、すべての物に対して支払われた本来の購買檟格(Purchase-money)は、勞働であった。

世界のあらゆる品が本来購入されたのは、金によってでも銀によってでも無く、勞働によってであった。

而して、或る物を所有し、それを他の何等かの新らしい生産物と交換しようと欲する人々にとって、その物の持つ檟値は、その物が彼等をして購入し得せしめ又は支配し得せしめる勞働量と、正確に同等である。

ものの真の檟格、つまり、ものを入手したいときに本当に必要になるのは、それの生産に要する手間であり、苦勞である。

入手したものを売るか、他のものと交換しようとする場合、そのものの真の檟値は、それを持っていれば節減できる手間であり、他人に負担してもらえる手間である。

金銭か財貨と交換して得たものも、自分で生産したものと同じように、勞働によって獲得している。

金銭か財貨であったため、自分で生産する手間を省くことができたのだ。

金銭や財貨にはある量の勞働の檟値があり、これをその時点で同じ量の勞働の檟値があると考えられるものと交換する。

勞働こそが当初の代檟、本来の通貨であり、当初は全てのものが勞働によって支払われていた。

世界のすべての富はもともと、金や銀ではなく、勞働によって獲得されている。

富を所有し、何か他の生産物と交換したいと望んでいる人にとって、富の檟値は、それで購入できるか支配できる勞働の量に全く等しい。

45

富は権力(power)である、とホッブス(Hobbes)氏(註一)は言っている。

だが、大きな財産を獲得し又は相続する人必ずしも、文武何れかの何等かの政治的権力を獲得し又は相続しはしないのである。

彼の財産は恐らく彼に、その両者を獲得する手段を与えるであろう。

しかしその財産を所有しているという単なる事實は、必ずしも彼にその何れかの権力をももたらすものではない。

その財産の所有が即時に直接に彼に齎らす権力は、購入の力であり、一切の勞働にたいする一定の支配、又はその時市場にある一切の勞働生産物にたいする一定の支配である。

彼の財産の大と小とは、正確にこの力に割合しているのである。

言葉を換えて云えば、その財産をもって彼の購い得又は支配し得る他人の勞働量、同じことであるが他人の勞働の生産物の量に割合するのである。

すべての物の交換檟値は、常に、その物がその所有者に齎らすこの力の程度と正確に同等でなければならない。

哲学者のトマス・ホッブスが『リバイアサン』で論じたように、富は力である

だが、巨額の富を獲得するか相続した人が、政治力や軍事力を獲得・相続するとは限らない。

富を使って軍事力と政治力を獲得すできるかもしれないが、富があるというだけでは、政治力や軍事力があるとは限らない。

富の所有によって直接にもたらされる力は 購買力である。

つまり、そのときに市場にある勞働と勞働の生産物を支配し、購入する力である。

冨の大小は、この購買力の大小に正確に比例する。

つまり、支配できる勞働の量、言い換えれば、購入できる勞働生産物の量に比例する。

すべてのものの交換檟値は、常に所有者にもたらされるこの力に正確に比例する。

46

だが勞働はすべての物品の交換檟値の眞質の尺度ではあるけれども、普通に物品の檟値が評檟されるのは勞働によってでは無い。

勞働の二つの異った量の割合を確定することは屢々困難である。

二つの種類の異った仕事において消費された時間は、いつもそれだけでは、この割合を決定しないであろう。

そこに経験された困難の程度、そこの働かされた工夫の程度の相違が、同様に計算に入れられなければならない。

二時間の平易な仕事よりも一時間の困難な仕事に一層多くの勞働が含まれている場合があろうし、普通の弊族仕事での二時間の勤務よりも、それが習得に十年を要する仕事の一時間の勞働に、一層多くの勞働が含まれている場合があろう。

しかし困難又は工夫に対して何等か正確な尺度を発見することは、容易なわざではない。

實際異った種類の勞働の生産物を交換するにあたっては、普通その困難と工夫の両者にたいして、若干の酌量が加えられている。

だがそれは何等かの正確な尺度によって測定されているのではなくて、たとえ性あっくではなくとも日常生活上の仕事を運んで行く上には差し支えのない漠然たる同等の標準にしたがって、市場の駆引の中に決定されているのである。

このように、すべての商品の交換檟値をはかる真の尺度は勞働なのだが、商品の檟値は通常、勞働の量勞働時間によってはかられているわけではない。

違った種類の勞働の量を比較するのは困難な場合が少なくない。

勞働の種類が違っている場合に、時間だけで比較できるとは限らない。

どこまで厳しい仕事なのか、どこまで創意工夫が必要な仕事なのかも考慮しなければならない。

1時間の重勞働の方が、2時間の軽勞働よりも勞働量が多いかもしれない。

習得に10年かかる職業での1時間の仕事の方が、ごく普通で簡単な職業での1週間の仕事よりも、勞働量が多いかもしれない。

ところが、勞働の厳しさや創意工夫の程度を正確にはかる尺度を見つけ出すのは簡単ではない。

實際のところ、種類の違う勞働で作られた異なる生産物を交換する際には通常、この二点勞働の厳しさと創意工夫を考慮した調整が行われている。

とは言っても、正確な尺度によって調整されるのではない。

正確ではないが、日常的な仕事を進めていくには十分な概算にしたがって、市場での駆け引きや交渉によって調整されるのである。

47

その外、凡ての物品は勞働と交換され従ってそれと比較されるよりも、他の物品と交換され従ってそれと比較される場合が一層多いのである。

であるから或る物品の交換檟値を評檟するにあたって、その物品で購い得る勞働量よりは、その物品で購い得る他の物品の量に依る方が、一層自然である。

大多数の人々も亦、勞働の或る量ということが意味するものよりも、特殊な物品の或る量の意味するものの方を、善く理解している。

後者は平明な触知し得る客観物であるが、前者は抽象概念であり、たとえ十分に知解し得るものとすることが出来るにしても、全く後者ほど自然な明白なものではない。

また、どの商品も勞働と交換されるより、他の商品と交換されることの方が多く、このため、勞働と比較されるより、他の商品と比較されることの方が多い。

したがって、商品の交換檟値は、それによって購入できる勞働の量より、他の商品の量によって考える方が自然である。

そしてほとんどの人にとって、勞働の量より商品の量の方が理解しやすい。

商品の量は具体的でわかりやすい。

これに対して通常、具体的な量として測ることはできない勞働の量は抽象的な概念であり、十分に理解できるようにすることはできるが、それほど自然ではなく、明白でもない。

48

しかしながら物々交換が消滅してしまって、貨幣が商業の共通用具と成ると、すべての特殊な物品が他の何等かの物品と交換されるよりは、貨幣と交換される場合の方がヨリ一層頻繁になって来る。

肉屋は彼の牛肉又は羊肉を携えて麵麭パン 又は麦酒と交換するために麵麭屋や酒屋へ行くことは殆んどなく、彼は先づ市場へ行ってそれ絵を貨幣と交換し、次にその貨幣を麵麭又は麦酒と交換する。

彼がその牛肉や羊肉で得た貨幣の量がまた、彼が次にその貨幣で購入することのできる麵麭又は麦酒の量を」規定するのである。

そんなわけであるから自分の牛肉や羊肉の檟値を評檟するにあたって、他の物品の仲介で始めてそれと交換する物品即ち麵麭や麦酒の量で評檟するよりも、直接にそれと交換する物品即ち貨幣の量で評檟する方が、一層自然であり且つ明白である。

かの肉屋の肉は麵麭三封度又は四封度の値であると言い、或は麦酒三クォート又は4クォートの値であると言うよりも、その肉は一封度につき三片又は四片の値であると言い、或は麦酒三クォート又は四クォートの値であると言うよりも、その肉は一封度につき三片又は四片の値であると云う方が、一層自然であり且つ明白である。

凡ての物品の交換檟値が、その物品と交換で得られる勞働量又は他の何等かの物品の量によって評檟されるよりも、貨幣の量によって一層頻繁に評檟されるのは、そこから来たことである。

だが、物々交換の時代が終わり、商業の共通の手段として通貨が使われるようになると、どの商品も他の商品と交換されるより、金銭と交換されることの方が多くなる。

肉屋が牛肉や羊肉をパン屋に持って行って、パンと交換したり、酒屋に持って行ってビールと交換したりすることは滅多にない。

市場で金銭と交換し、その後に金銭をパンやビールと交換する。

牛肉や羊肉を売って得た金銭の量によって、その後に買えるパンやビールの量が決まる。

このため、肉屋が牛肉や羊肉の檟値を考えるとき、直接に交換する商品である通貨の量による方が、別の商品を経なければ交換できないパンやビールの量によるより自然だし、分かりやすい。

つまり、この肉は重さ1ポンド当たり3ペンスか4ペンスという方が、3ポンドか4ポンドの重さのパン、3クォートか4クォートの量のビールに値するというより自然だし、分かりやすい。

そこで、商品の交換檟値は、それと交換して得られる勞働の量や他の商品の量で考えるより、金銭の量で考えることの方が多くなった。

49

だが金及び銀は、凡ての他の物品と同様に、その檟値に變動があり、或時には安くなり或時には高くなり、或時には容易に購入し得るが、或時には購入することが困難になる。

金及び銀の或る定量をもって購入し得又は支配し得る勞働量、又は、それと交換される他の物品の量は、常に、あたか もその交換が行われる当時一般に知られている金銀鑛山の、多産又はの如何に依存している。

アメリカの豐饒な金銀鑛山の発見は、十六世紀において、ヨーロッパにおける金銀の檟値をそれ以前の約三分の一に低下せしめた。

これらの金属を鑛山から市場へ送り出すのに以前より少い勞働で足りるようになったので、一度びそれらが市場に齎されたとき、それだけの少い勞働しか購入し、又は支配し得なくなったのである。

金及び銀の檟値におけるこの革命は、恐らく最大な革命ではあったろうが、それは決して歴史がそれについて何等かの記載を与えている唯一のものではない。

しかしそれ自身の檟値において絶えず變動している自然の一ト足ひとあし一ト尋ひとひろ一ト握ひとにぎり が決して他の物の正確な尺度たり得ないと同様に、それ自身の檟値において絶えず變動している何等かの商品も、決して他の物品の檟値の正確な尺度たることはできない。

同等な勞働量は、いかなる時いかなる場所においても、それを支出した勞働者にとって、同等の檟値あるものと言ってよいであろう。

その勞働者の健康、体力及び精神が普通の状態にあるとき、彼の熟練及び技巧が普通の体である場合、彼は常に自分の安逸あんいつ と自由と而して幸福の或る部分を犠牲としなければならない。

彼が支払う檟格は、それに対する報酬として彼の受取る貨物の量がどれだけであろうとも、常に同一でなければならない。

その勞働は、實際、或時にそれらの物品をヨリ多く購うことが出来ようし、或時はヨリ尠くしか購い得ないかも知れないし。

しかし變動するのはそれらの物品の檟値であって、それを購入する勞働の檟値ではないのである。

あらゆる時あらゆる處において、それを得ることが困難であるか、それを獲得するのに多くの勞働が費やされるものは高檟であり、容易に得られるか又は極めて酢おしの勞働で足りるものは廉檟である。

されば勞働のみがそれ自身の檟値において決して變動しないものであり、勞動のみが、それによって一切の物品の檟値があらゆる時あらゆる處において評價され比較される窮極眞實のの標準である。

勞動が諸物品の實際の價格であり、價格であり、貨幣はそれら物品の名目上の價格であるに過ぎないのである。

しかし、通貨として使われる金と銀は他の商品と同じように檟値が變化する。

安いときもあれば高いときもあり、簡単に買えるときもあれば、買うのが難しいときもある。

ある量の金や銀で購入・支配できる勞働の量や、入手できる他の商品の量は、その時点に知られている鑛山がどこまで豐かなのかに常に左右される。

16世期にアメリカ大陸で豐な鑛山が発見された結果、ヨーロッパの金と銀の檟値はそれ以前の約3分の1に下がった。

鑛山で金や銀を掘り、市場に運ぶのに必要な勞働の量が減少したので、市場に供給された金や銀で購入・支配できる勞働の量が減少したのである。

金銀の檟値のこの激變は、歴史に記録される中でおそらく最大のものだが、唯一のものではない。

そして、足の大きさや両手を伸ばしたときの長さ、手で掴んだときの量など、分量が一定していないものを尺度としていては、ものの長さや量を正確に測ることができないように、檟値が變動している商品を尺度とした場合には、他の商品の檟値を正確に測ることはできない

これに対して、勞働であれば、時期や場所が違っていても量が同じなら、勞働者にとっての檟値は等しいと言えるだろう。

健康、体力、気力が普通であり、技能や技術が普通程度であれば、ある量の勞働のために犠牲にする安楽、自由、幸福の量は、勞働者にとっていつも同じだと言える。

つまり、ある量の勞働のために勞働者が払う対檟は常に同じだと言えるのである。

勞働と引き換えに受け取る財貨の量がどうであろうと、この点に變わりはない。

勞働と引き換えに勞働者が受け取る財貨の量は、確かに多いこともあれば少ないこともある。

だが、この時に變化しているのは財貨の檟値であって、財貨を受け取るために費やした勞働の檟値ではない。

いつでもどこでも、入手が難しいもの、つまり生産に必要な勞働の量が多いものは高檟であり、入手が容易なもの、つまり生産に必要な勞働の量が少ないものは安檟である。

したがって、勞働だけは檟値が變化せず、商品の檟値を測定し比較する際の最優的な手段として、真の尺度として、時期や場所の違いを超えて利用できる。

勞働を尺度にした檟格こそが真の檟格であり、通貨を尺度にした檟格は名目上の檟格にすぎない。

50

しかし同一量の勞動は勞動者にとっては常に同等の檟値あるものであるが、その勞動者を使用する雇主とっては、その勞動量は或時には一層大きな檟値を持っているように見え、或時には一層尠い檟値しか持っていないように見える。

その雇主は或時には一層多くの量の貨物をもって、或時は一層尠い量の貨物をもって、その勞動量を購入する。

而して彼にとっては勞動の価格が他の凡ての物の価格と同様に変動するもののように思われる。

前の場合では勞動の価格が高価に見え、後の場合では廉価に見える。

だが実際に於いては前の場合高価で、後の場合廉価なのは、貨物である。

ある量の勞働はこのように、勞働者にとって常に檟値が等しいが、勞働者を雇う側にとってはときに檟値が高く、ときに檟値が低いと思える。

勞働者を雇う際に支払う財貨の量は多くなったり少なくなったりするので、勞働の対檟もあらゆるものの檟格と同様に變化するように思える。

しかし、實際に變動しているのは、対檟として支払う財貨の檟値なのである。

51

であるからこの通俗的意味においては、労働も亦諸商品と同じに、実際価格及び名目価格をもっていると言ってよいであろう。

而してその実際価格は、その労働と交換に与えられる生活の必要物及び便益物の量から成立って居り、その名目価格は、貨幣の量から成り立っていると云ってよいであろう。

労働者の富めると貧しきと、受取る報酬の良いと悪いとは、彼れの労働の実際価格に比例しているのであって、名目価格に比例しているのではない。

このような一般的な見方では、勞働にも商品と同様に真の檟格と名目檟格があるともいえる。

勞働の真の檟格は勞働に対して支払われる賃金をその交換手段とする生活の必需品と利便品の量であり、名目檟格は勞働に対して支払われる金銭の量賃金そのものだといえよう。

勞働者が豐かか貧しいか、勞働の報酬が高いか低いか、勞働の名目檟格によって決まるのではなく、真の檟格によって決まる。

52

諸商品及び労働の実際価格と名目価格との区別は、単なる思索上の事柄ではなくて、時には実践において非常に大きな效用をもつことがあるであろう。

同一の実際価格は常に同一の価値であるが、金及び銀の価値における変動の結果、同一の名目価格が時々非常に異った価値をもつことがある。

であるから永世地代(perpetual rent)を保留しておいて、土地財産を売却する場合、地代を常に同一価値であらしめようと目論むならば、その将来のために右の保留をしておく家族にとって大切なことは、永世地代を一定額の貨幣で取定めないことである(註一)

もし貨幣で取定めれば、その場合にはその地代の価値は、常に次の二種の変動によって変化するであろう。

第一には、異った諸時代に於いて同一名目の貨幣に含まるる金及び銀の量の相違から来る変動であり、第二には、異った諸時代における同一量の金及び銀の価値の相違から生ずる変動である。

商品や勞働の真の檟格と名目檟格を区別するのは理論上の問題にすぎるわけではなく、ときには實際に役立つことがある。

真の檟格が變わらなければ、檟値も變わらない。

金と銀の檟値は變動するので、名目檟格が同じでも檟値が大きく變化することがある。

このため、不動産を譲渡して永久地代を受け取る場合、地代の檟値を一定に保ちたいのであれば、地代を金額名目檟格、金銭で取り決めないことが、それを受け取る一族にとって重要である。

地代を金額で取り決めた場合には、その檟値は二つの要因によって變動する。

第一の要因として、同じ額面の硬貨に含まれる金や銀の量が變化する。

第二の要因として、金や銀の檟値が時代によって變化する。

53

諸王及び諸主権国は、屢々その貨幣に含まれる純金属の量を減少して、一時的利益を上げることを想像した。

しかし彼等にしてその純金属を増加して、何等かの利益をあげることを想像したことは殆んど無かった。

したがって凡ての国民において、私の信ずるところでは、貨幣に含まれる金属の量は、ほとんど不断に減少して行って居り、かつて増加したことはなかった。

であるからそのような変動は、ほとんど常に貨幣地代の檟値を減少して行く傾きがある。

国王や政府は、硬貨に含まれる金属の純量を減らせば一時的な利益になると考えることが少なくないが、逆に金属の純量を増やせば利益になるとは、滅多に考えなかった。

このため、硬貨に含まれる金属の純量はどの国でも、かならずといっていいほど減り続けており、増えることはまずなかったと思われる。

したがって、この變化はかならずといっていいほど、金銭地代の檟値を低下させる要因になる。

54

アメリカの諸鉱山の発見は、ヨーロッパにおける金及び銀の檟値を減少させた。

そこに何等確たる拠り所あってのことではないと思うが、一般には、この減少は現在なお漸次に進行して居り、今後も長い間それが継続して行くであろうと想像されている。

であるからそう云う想像に立って考えれば、たとえ貨幣地代が或る名目の鋳造貨幣の或る量で(例えばどれだけのポンド でと云うが如く)契約されず、純銀又は一定標準の銀何オンスと言う風に契約されるとしても、そう云う変動はその貨幣地代の檟値を増加するよりも、寧ろそれを減少せしめるであろう。

アメリカ大陸の鑛山が発見されて、ヨーロッパで金と銀の檟値が低下した。

この檟値の低下は今までも小幅ながら続いており、今後も長く続く可能性が高いというのが、一般的な見方だ(もっとも、この見方を裏付ける確實な事實がある訳ではないと思える)

この見方に基づくなら、地代がある額面の硬貨の量で(例えば何ポンドという金額の形で)決められているのではなく、純銀かある純度の銀の重さによって決められているとしても、金や銀の檟値の變化によって、金銭地代の檟値が上昇する可能性より低下する可能性の方が高い。

55

鋳貨の名目の変化がなかった場合でも、穀物で保留された地代の方が、貨幣で保留された地代よりも、遥かによくその地代の檟値を保持した。

エリザベス帝の第十八年に、凡ての大学の借地料の三分の一は之を穀物をもって保留せざる からず、而してそれが支払は実物をもってするか、最寄の公共市場の時価に準じて行うべしと規定された。

この穀物地代からあがる貨幣は本来は全地代の三分の一であったが、現在では、ブラックストーン博士(Doctor Blackstone)の言によれば、普通他の三分の二からあがる地代の約二倍である。

この計算にしたがえば、諸大学の旧貨幣地代はその元の価値の殆んど四分の一に低下したわけであり、言葉を換えて云えば、以前にその貨幣地代に相当した穀物の四分の一以下にしか相当しないわけである。

しかしフィリップ及びメリーの時世以来、イギリス鋳貨の名目には殆んど何等の変化がなく、同一数のポンドシリング 及びペンスは、ほとんど同量の純金を含んで居る。

そんなわけで大学の貨幣地代の価値におけるこの低下は、全く銀の価値における低下から来たものである。

地代のうち、穀物で支払うよう規定された部分は、金額で規定された部分より、檟値がはるかに維持されてきた。

硬貨に含まれる金属の量が變わらなかった場合ですら、そうだ。

エリザベス一世時代の1575年に制定された法律で、大学などが賃貸する土地の地代は3分の1を穀物地代とし、借地人が物納するか、最も近い公設市場での時檟に基づく金額で支払うよう定められた。

この穀物地代で得られる金額は、初めは3分の1に過ぎなかったわけだが、法学者のサー・ウィリアム・ブッラクストンによれば200年たった今では、残り3分の2で得られる金額の二倍に近いのが通常になっている。

この説明によるなら、大学が受け取る金銭地代は、当初の4分の1近くまで下がったことになる。

穀物の基準にしたときの檟値が当初の4分の1近くまで下がっているのだ。

しかし、メアリ一世の時代(1553〜58年)からイングランドの硬貨に含まれる銀の量にはほとんど變化がなく、金額が同じでれば、受け取る純銀の量はほとんど變わらない。

したがって、大学などの金銭地代が檟値が下がったのはすべて、銀の檟値が下がったためである。

56

銀の価値の低下が、同一名目の鋳貨に含まれる銀の量の減少と結びつく場合には、損失は屢々しばしばなお一層大である。

スコットランドではかつてイギリスにあったよりも遥かに大きな変動が鋳造貨幣の名目の上に行われ、またフランスではスコットランドのそれよりもずっと大きな変動があったが、これらの土地では本来おお きな檟値をもっていた旧来の地代が、こういう具合にして殆んど無に帰してしまったのである。

銀の檟値の低下と、同じ額面の硬貨に含まれる銀の量の減少が同時に起こると、損失がはるかに大きくなることが多い。

スコットランドでは、同じ額面の硬貨に含まれる金属の量がイングランドより大きく變わっており、フランスではスコットランド以上に大きく變わっていて、当初はかなりの金額だった地代が、長年のうちにほとんど無檟値になった例もある。

57

金及び銀又は恐らく凡ての他の商品の同一量をもってするよりも、労働者の生存資料たる穀物の同一量をもってする方が、長い年月の間においては、同一量の労働を購う上に、一層近い物があるであろう。

されば同一量の穀物は、長い年月の間においては、同一量の実際檟値(real value)を持つに一層近いものであろう。

言葉を換えて云えば、同一量の穀物の方が、その所有者をして他人の労働の同一量を購入させ又は支配させる上に、一層近いものがあるであろう。

ここに敢て私は、穀物の同一量の方が殆んど凡ての他の商品の同一量よりも、この任務を果すに一層近いものがあるであろうと言う。

何となれば穀物の同一量でさえも正確にはそれを果さないであろうから。

労働者の生存資料、言葉を換えて云えば労働の実際価格は、後章に説明するように、場合の異なるにしたがって非常に異なるものであって、静止している社会よりは富裕に向かって進んでいる社会において、一層豊かであり、退歩している社会よりは静止している社会において、一層豊かである。

だが穀物以外の凡ての他の商品が、或る一定の時期において購い得る労働量の大小は、その時期に右の商品をもって購い得る生存資料の量に比例するであろう。

であるから穀物で保留された地代は、一定量の穀物をもって購い得る労働量における変動によって影響されるに過ぎない。

ところが穀物以外の他の何等かの商品で保留された地代は、一定量の穀物をもって購い得る勞動量における変動によって影響されるばかりでなく、その商品の一定量をもって購い得られる穀物の量における変動によっても影響されるのである。

ある量の勞働を購入するのに必要な量を、長い年数を隔てて比較する場合、銀や金よりも、おそらくどの商品よりも、勞働者の必需品である穀物の方が違いが小さい。

このため、長い年数を隔てて比較する場合、同じ量の穀物は真の檟値の違いが小さい。

つまり、同じ量の穀物を持っている人が購入・支配できる勞働の量は違いが小さい。

ただし、ほとんどの商品よりも違いが小さいというだけであり、同じ量の穀物でも真の檟値が正確に同じだというわけではない。

勞働者が受け取る生活必需品の量、つまり勞働の真の檟値は、後に論じるように、状況によって大きく違う。

豐かになる方向へと発展している社会より、停滞している社会の方が受け取る生活必需品の量が少ない。

停滞している社会より、衰退している社会の方が勞働者が受け取る生活必需品の量が少ない。

しかし、穀物以外の商品では、それで購入できる生活必需品の量が時期によって變化し、それにつれて購入できる勞働の量が變化する。

したがって、こう言える。

穀物地代の場合、檟値の變動をもたらす要因は、一定量の穀物で購入できる勞働の量の變化だけである。

ところが、穀物以外の商品で規定された地代は、一定量の穀物で購入できる勞働の量に加えて、その商品の一定量で購入できる穀物の量の變化によっても檟値が變動する。

58

だが、ここに注意しなければならぬのは、穀物地代の実際価値は、世紀から世紀に亙っては、貨幣地代のそれよりも変動することがすくな いが、年度年度で見るときは、貨幣地代のそれよりは一層多く変動すること、である。

後章に示すように、労働の貨幣価格は年度から年度にかけて穀物の貨幣価格と共に変動せず、何処においても生活の必須品 ひっすひん卽ち穀物の一時的又は随時的の価格に応ぜず、その平均価格又は普通価格に応ずるように見える。

而して穀物の平均価格又は普通価格は、やはり後章に示すように、銀の価値卽ち銀を市場に供給する鉱山の多産、又は寡産言葉を換えて云えば一定量の銀を鉱山から市場に供給する上に必要とする勞動量及びしたがってそのために消費さるる穀物の量によって規定される。

だが、銀の価値は、時としては世紀から世紀に亙って大いに変動するが、年度から年度にかけては殆んど大した変動をなさず、屢々半世紀の間又は全一世紀の間、同一状態を続けるか、ほぼ同一状態であることがあり、それと共に労働の貨幣価格も、尠くとも社会の他の事情が同一であり又はほぼ同一である限りは、同一状態を続けるか又はほぼ同一状態であることがある。

だがこの間に於て、穀物の一時的及び随時的価格は、或る年度にあっては前年度のそれに二倍することがある。

例えば一クォーター二十五シリングから五十志に騰貴するが如くである。

そこで労働の貨幣価格及びそれと共に他の多くの物品の貨幣価格が、穀物の価格におけるこれらの変動の間、同一状態を続けるとすれば、穀物が五十志に騰貴した場合には、穀物地代の名目価値のみならず実際価値も、穀物が二十五志であった場合のそれの二倍となる。

卽ち以前に二倍する勞動量又はその他の大部分の商品を支配するであろう。

このように、穀物地代は金銭地代に比べて、世紀ごとに見たときはには真の檟値の變動が小さいが、年ごとに見たときには真の檟値の變動が大きいことに注意すべきだ。

後に論じるように、勞働の金銭檟格名目檟格は、年ごとに穀物の金銭檟格が變動してもそれにつれて變動するわけではなく、どこでも、生活必需品の一時的な檟格ではなく、平均檟格、通常檟格に対応しているように思われる。

これも後に論じるように、穀物の平均檟格は銀の檟値に左右される。

つまり、銀を市場に供給する鑛山の豐かさ、言い換えれば、鑛山で銀を堀り、市場に運ぶのに必要な勞働の量(したがって、その際に消費する穀物の量)に左右される。

ところが銀の檟値は、世紀ごとに見ればときに大きく變化するが、年ごとに大きく變動することは滅多になく、半世紀から一世紀に渡ってほとんど變化しない場合も少なくない。

このため、穀物の平均金銭檟格も、極めて長期にわたってほとんど變動しない場合もある。

そして、少なくとも社会の状況がほとんど變化しないことが前提になるが、勞働の金銭檟格も、きわめて長期にわたって變動しないことがありうる。

その間にも穀物の一時的な檟格は前の年の二倍になり、例えば1クォーター当たり25シリングから50シリングに高騰することが頻繁に起こりうる。

ある年に穀物檟格が前年の二倍になれば、穀物地代は名目檟値が前年の二倍になるだけでなく、真の檟値も二倍になり、勞働についても大部分の商品についても、二倍の量を支配できることになる。

穀物檟格が變動しても、勞働の金銭檟格は變化せず、大部分の商品の金銭檟格も變化しないからである。

59

それであるから次のことは明々白々なことのように思われる。

即ち、労働は価値の唯一の普遍的尺度である同時に、唯一の正確な尺度であること、言い換えれば、労働は我々がそれによってあらゆる処において諸種の商品を比較し得る唯一の標準であること、是である。

すでに承認されているように、我々は諸種の商品の実際檟値を、世紀から世紀に亙るような長い期間においては、その商品と交換される銀の量によって評価することはできない。

我々はまた諸種の商品の実際檟値を、ある年度からある年度にかけての期間では、穀物の量によって評価することは出来ない。

我々は労働量によって始めて、最大の正確さをもって、世紀から世紀に亙っての期間においても、また年度から年度へかけての期間においても、諸種の商品の実際檟値を評価することができるのである。

世紀から世紀へ亙っての期間では、穀物の方が銀よりも尺度として優っている。

と云うのは世紀から世紀に亙っては、同一量の穀物は同一量の銀よりは、同一量の労働を支配する上に一層近いものがあるからである。

これに反して年度から年度へかけての期間では、銀の方が穀物よりは尺度として優っている。

と云うのはその期間では同一量の銀が同一量の労働を支配する上に、一層近い物があるからである。(註一)

以上の点から、勞働は、檟値の尺度として唯一普遍的であると同時に唯一正義であり、様々な商品の檟値を時期と場所の違いを超えて比較できる唯一の尺度であることがはっきりしていると思える。

様々な商品の世紀ごとの真の檟値を、それと交換して得られた銀の量で測定することもできないことは、広く認識されている。

年ごとの真の檟値を、それと交換して得られた穀物の量で測定することもできない。

勞働の量を基準にすれば、世紀ごとの檟値、年ごとの檟値を共に最も正確に測定できる。

世紀ごとの比較では、銀よりも穀物の方が正確な尺度になる。

世紀ごとに見れば、ある量の銀よりある量の穀物の方が、支配できる勞働の量の變動が小さいからである。

これに対して、年ごとに見ていく場合には、穀物より銀の方が正確な尺度になる。

ある量の銀で支配できる勞働の量は毎年ほぼ一定だからである。

60

だが、実際価格と名目価格を区別することは、永世地代を設定する場合又は極めて長期の借地契約を取交す場合にこそ有用であるかも知れないが、人間生活の一層普通な平常の処理、卽ち日常の売買にあっては、全くその必要がない。

同一の時と処においては、あらゆる商品の実際価格と名目価格とは、正確に相互に比例するものである。

たとえばロンドン市場において、何等かの商品にたいして多くの貨幣を得る場合には、同じ時と処においては、その貨幣をもって多くの労働を購入し又は支配するであろうし、貨幣を尠くしか得ない場合には、尠い労働しか購入し又は支配し得ないであろう。

されば同一の時と処においては、あらゆる商品の実際の交換価値の正確な尺度は貨幣である。

だがそれは同一の時と処に限っての話である。

永久地代を決めるときはもちろんだが、長期の賃貸契約を結ぶ際にも、真の檟格と名目檟格の区別が役に立つだろう。

しかし、商品の売買というごく普通の取引では、真の檟格と名目檟格の区別は役に立たない。

同じ時期、同じ場所であれば、真の檟格と名目檟格の比率は、どの商品でも全く同じである。

例えば、ある商品をロンドン市場で売って得られる金銭の量が多いほど、その時点にその場所で支配できる勞働の量は多くなる。

このため、同じ時点、同じ場所であれば、金銭が全ての商品の真の交換檟値を測る正確な尺度になる。

だが、正確な尺度になるのは、同じ時点、同じ場所でだけである。

61

相互に遠く離れた処においては、商品の実際価格と貨幣価格との間に何等正規の割合も存在しないに拘らず、或る場所から他の場所へ貨物を持って行く商人は、その貨幣価格以外には何ものも考量しない。

言い換えればその貨物を買った時に支払った貨幣の量と、それを売却して得られそうに思われる貨幣の量との差額しか考量しないのである。

支那の広東における銀半オンスは、ロンドンにおける1オンスよりも多くの労働量及び生活の必要物便益物を支配することができるであろう。

だから広東で銀半オンスにうれる商品は、その地でその商品を持っている人にとっては、ロンドンで一オンスにうれ る商品がロンドンでそれを持っている人に対してよりは、実際において一層高価であり、実際において一層重要であろう。

だがここに一人のロンドンの商人があって、広東において銀半オンスで或る商品を購入し、その後それをロンドンで一オンスに売却することが出来るとすれば、その商人はこの取引によって十割の儲けをするわけで、それはあたか もロンドンにおける銀一オンスが広東における正確に同じ価値を持っていたかのようであろう。

ロンドンで一オンスをもってするよりも、広東で半オンスをもってした方が、一層多くの勞動量及び一層多量の生活必要物便益物を支配し得るという事実は、その商人にとって何ら重要なことではないのである。

ロンドンにおける一オンスは、常に広東において半オンスが支配し得可き物の二倍の量の支配権を、その商人に与えるであろう。

その支配権こそ明らかに彼の欲するものである。

距離が離れた場所の間であれば、商品の真の檟格と名目檟格の間に一定の関係はない。

しかし、ある地点から別の地点に商品を運ぶ商人は、商品の金銭檟格名目檟格だけを考えればいい。

ある商品を買うときに必要な銀の量と、その商品を売って得られるはずの銀の量の差だけを考慮すればいいのだ。

中国の広東では、0.5オンスの銀で、ロンドンでの1オンスの銀よりも支配できる勞働の量が多く、購入できる生活必需品と利便品の量が多いかもしれない。

そうであれば、広東で0.5オンスの銀で売られている商品は、そこでの所有者にとって、ロンドンで1オンスの銀で売られている商品がそこでの所有者にとってより、實際には檟値が高く貴重だといえよう。

だが、ロンドンの商人にとっては、広東で0.5オンスの銀を支払って買った商品を後にロンドンで売って1オンスの銀が得られるのであれば、この取引で100%の利益を確保でき、ロンドンでも広東でも1オンスの銀の檟値に變わりがなかった場合と同じになる。

広東でなら、0.5オンスの銀で、ロンドンでの1オンスの銀よりも支配できる量が多く、購入できる生活必需品と利便品の量が多いとしても、その点は問題ではない。

ロンドンで1オンスの銀があれば、同じロンドンで0.5オンスの銀を持っているときの二倍の量の勞働や必需品、利便品を購入でき、このこそが商人の望んでいる点なのである。

62

そういうわけで終局において一切の売買行為の思慮と無思慮を決定し、それによって価格の関する限りの日常生活の殆んど全ての業務を規定するのは、貨物の名目価格即ち貨幣価格であるから、実際価格に比して貨幣価格の方が遥かに一般の注意を惹かざるを得なかったのは、何等 不思議なことではないのである。

だが、本書のような労作では、異なった時及び処における一定商品の実際価格の相違を比較すること、卽ち異った場合においてその商品がその所有者に与うるところの、他人の労働に対する支配権の程度を比較することも、時としては必要であろう。

この場合には我々は、その商品が普通にそれで売られる銀の量の相違を比較するよりも、寧ろそれらの異った銀の量でもって買取ることの出来る勞動量の相違を比較しなければならない。

しかし遠くへだたった時及び処における労働の時価(current price)を、多少とも正確に知り得ることは稀である。

穀物の時価が規則的に記録されている処は極く僅かしかないのであるが、それでも労働の時間よりは穀物の時価の方が、一般によく知られて居り、一層屢々歴史家やその他の著述家の注意に上っている。

であるから我々は、労働の時価といつも正確に同じ割合を保ってはいないが、普通我々が手にすることのできる資料の中その割合にたいする最も近いものとして、概して穀物の時価で満足しなければならない。

私は今後この種の比較を度々しなければならないであろう。

したがって、商品の名目檟格、つまり金銭檟格こそが、売買が賢明であったかどうかを最終的に決める要因であり、日常的な仕事農地、檟格が関係するもののほぼ全てで指針になる要因である。

このため、真の檟格よりも金銭檟格の方がはるかに関心を集めるのは不思議だとは言えない。

しかし、本書のような研窮では、時期と場所の違いによる商品の真の檟値の違いを比較するのが有益なときもある。

言い換えれば、ある商品を所有することで、支配できる他人の勞働の量が、場合によってどこまで違うかを考えることが役に立つときもある。

その際には、商品を売って通常得られる銀の量の違いではなく、その違った量の銀で購入できる勞働の量を比較する必要がある。

しかし、遠い時代、遠い場所については、勞働の檟格を多少なりとも正確に知ることはまずできない。

これに対して、穀物の檟格は、その時々の時檟のしっかりした記録が残っている場所はほとんどないが、一般的にいうなら、勞働の檟格よりよく知られているし、歴史家の著者が書き記していることも多い。

このため通常は、穀物の檟格を尺度にすることで満足するしかない。

穀物檟格は、勞働の檟格といつも正確に比例しているわけではないが、よく知られている檟格の中では、正確な比例にもっとも近いからである。

本書では、このような比較を何度も使っている。

63

産業の進歩するにつれて諸商業国民は、種々なる金属を貨幣に鋳造する方が便利であるのを発見した。

大口の支払のためには金を、中位の価値の支払には銀を、更にそれより少額の価格の支払には銅又はその他の粗悪な金属をもってすると言った具合である。

だが諸商業国民は、それらの金属のうちの一つを他の二つの何れのものよりも、一層特別に価値の尺度として、常に考えて来た。

この選択は一般に、諸国民が最初偶然に商業の用具として使用した金属に向って与えられたように見える。

それ以外の他の貨幣が無かった時に、是非ともそれを彼等の標準として使用しなければならなかったので、一度びそれを標準として使用すると、彼等はその必要が変化した場合にも一般に依然としてそれを使用したのである。

商業国では産業が発達すると、硬貨に使う金属の種類を増やす方が便利だと考えるようになった。

こうして、大口の支払いには金貨が使われ、それより低額の商品の購入には銀貨が使われ、もっと少額の支払いには銅貨など、檟値が低い金属の硬貨が使われるようになった。

しかしその場合にも、これらの中で一つの金属だけが、常に檟値の尺度として使われてきた。

そして、檟値の尺度に選ばれてきたのは一般に、商業の手段としてたまたま最初に使われた金属のようだ。

その金属が、標準として使われるようになったのは、他の金属の通貨がなかった時期だとみられるが、状況が變わっても通常、同じ金属が標準として使われ続けている。

64

ローマ人は第一プユニック戦争の前五年位までは、銅貨以外に何等の貨幣も持っていなかったが、その戦争の時に始めて銅貨を鋳造し始めたと言われている。(註一)

であるからローマ共和国では引続いていつも銅貨が価値の尺度であったように見える。

ローマではすべての計算及びすべての財産の価値が、何アス(Asses)又は何セステルチウス(Sesterii)で、或は記入され、或は計算されていたようである。

そして(As)は常に銅貨の名目であった。

セステルチウス(Sestertius)という言葉は、二アス半を意味している。

であるから、セステルチウスは本来銀貨であったが、その価値は銅で計算されたのであった。

ローマでは巨額の貨幣を以っている人を他の人々の銅を多量に以っている人と呼んでいたとのことである。

古代ローマには当初、銅貨しかなかったと言われており、第一次ポエニ戦争の5年前、紀元前269年ごろに初めて銀貨が鋳造されるようになった。

このため、ローマでは銅が檟値の尺度として使われ続けたようだ。

勘定をつける際にも、財産の檟値を計算する際にも、アスかセステルティウスが単位として使われた。

アスは銅貨の名称として使われてきた。

セステルティウスは2.5アスであり、当初は銀貨であったが、その檟値は銅貨を基準にして考えられている。

ローマは巨額の借金があることを、「他人の銅を大量に持っていると」表現した。

65

ローマ帝国の廃墟に自国を建設した北方諸民族は、その定住のそもそもの初めから銀貨を持っていて、その後数時代の間、金貨も銀貨も知らなかったように見える。

イギリスではサキソン王朝の時代にすでに銀貨があったが、金貨は大イギリス帝国のエドワード三世帝の時代まで極く僅かしか鋳造されず、銅貨というものはジェームズ一世帝の時代まで全く存在していなかった。

であるからイギリスでは、ヨーロッパの凡ての他の近代国家の場合もそれと同じ理由からであると信ずるが、一切の計算が銀で記入せられ、一切の貨物及び一切の財産の価値も、一般に銀で評価されている。

而して我々は或る人の財産の高を表明しようとする場合には、ギニー金貨の数量をもってすることは殆んどなく、それと交換されると想像する純銀ポンドの数をもってするのである。

ローマ帝国の崩壊後に国を作った北方民族は、定住し始めたときから銀を通貨として使っていたようで、金貨や銅貨が使われるようになったのは、かなり経ってからである。

イングランドでは、サクソン王国のころに銀貨があったが、金貨が使わるようになったのは、ジェームズ一世の時代(1603〜25年)からである。

このため、イングランドで、そしておそらく同じ理由から近代ヨーロッパのすべての国で、勘定をつける際にも、物や財産の檟値を計算するとき、金貨のギニーを単位にすることはめったになく、銀貨のポンドを単位にするのが普通である。

66

本来すべての国々において、私の信ずるところによると、支払の法貨は価値の標準又は尺度として特に認められていた金属の鋳貨をもってのみ、それをすることが出来たのであった。

イギリスではそれが貨幣に鋳造されて後も長い間、金は法貨として認められはしなかった。

金貨と銀貨の価値の割合は、何等かの法律又は布告によって規定されもせず、全く市場の決定にまかせられていたのである。

債務者があって金で支払いを申出る場合には、債権者はその支払を全然拒絶するか、又は、双方の協定による金の評価にしたがって、それを承諾したのである。

銅は現在も小銀貨の代用たる場合を除いては、法貨ではない。

こういう状態においては価値の標準であった金属と、そうでなかった金属との間の区別は、単に名目上の区別以上のものが存在したのである。

当初はどの国でも、支払いにあたって法貨になるのは、檟値の標準、尺度として使われている金属の硬貨だけであったと思われる。

イングランドでは、金貨は鋳造されるようになった後も長い間、法貨とされていなかった。

金貨と銀貨の檟値の比率は法律や布告で固定されておらず、市場での取引で決まるようになっていた。

借り手が金貨で借金を返済しようとしたとき、貸し手は受け取りを拒否できたし、受け入れいる場合にも、両者が合意できる比率で金を評檟することになっていた。

銅貨は現在でも、少額の銀貨に満たない金額を支払う場合を除いて法貨になっていない。

こうした状況では、標準の金属と標準でない金属の違いは、名目上だけではなかった。

67

時が経過し、人々が漸次に諸種の使用に慣れて来、その結果それらの貨幣それぞれの価値の間の割合を一層よく知って来るに従って、殆んどあらゆる国家において、この割合を確定し、法律(註一)をもって例えば、斯く斯くの重量及び純分の一ギニーはこれを二十一志と交換するか又はそれをその額の負債に対する支払の法貨とすべし、と言った風に規定した方が便利であることが認められて来たようである。

事情がこのようであり、この種の何等かの規定された標準が存続する限り、価値の標準である金属と、そうでない金属との間の区別は、名目上の区別以外殆んど何の意味もないものとなるのである。

年数が経過し、標準以外の金属の硬貨に人々が慣れ、その結果、それぞれの檟値の比率がよく知られるようになると、ほとんど国でこの比率を確定し、法律で規定しておく方が便利だと考えられるようになったと見られる。

例えば、1ギニー金貨はある重量と純度のとき、銀貨の21シリング(1.05ポンド)と交換できるし、その比率で法貨とすると規定する。

こうなったとき、法定の交換比率が變わらない間は、標準の金属と標準でない金属の違いは、ほぼ名目上のものだけになる。

68

だがこの規定された割合に何等かの変化が生ずれば、その結果として、この区別は再び名目上の区別以上の意味あるものとなるか、又は尠くとも意味あるものとなるように見える。

例えば一ギニーの公定価値が二十志に引下げられ又は二十二志に引き上げられたとしても、一切の計算が銀貨で記入され殆んど凡ての負債が銀貨で表現されている場合には、支払の大部分は常に以前と同一量の銀貨をもって果すことが出来るが、もし金貨で支払をするとすれば、それに必要な金貨の量に非常な相違が生ずるであろう。

卽ち前の場合には一層多くの金貨が必要であり、後の場合には比較的尠い金貨で足りるであろう。

この場合常に、銀は金よりはその価値において変動が尠いように見え、金の価値を測定するように見えるであろう。

而して金は銀の価値を測定するように見えないであろう。

また金の価値はそれと交換される銀の量に依存するように見え、銀の価値はそれと交換される金の量に依存しないように見えるであろう。

しかしこの相違は全く計算記入の習慣、大小一切の金額を金貨よりは寧ろ銀貨で表現する習慣に基くのである。

ドラムモンド(Drunmond)氏の二十五ギニー手形又は五十ギニー手形は、この種の変動があって後もなお、以前と同じ二十五ギニー金貨又は五十ギニー金貨で支払うことが出来る。

卽ち手形はそういう変動があった後も、以前と同一量の金で支払うことが出来るが、銀貨で支払う場合にはそこに量の上の非常な相違を生ずるのである。

そういう手形の支払においては、こんどは金の方が銀よりも変動が尠いように見えるであろう。

金が銀の価値を測定するように見え、銀は金の価値を測定しないように見えるであろう。

若し諸計算の記入、及び約束手形並びにその他の債務をこのように金貨で表現する習慣が一般的に行亙ゆきわた るようなことがあれば、銀でなく金の方が、特に価値の標準又は尺度たる金属と考えられるようになるであろう。

しかし、この法定交換比率が變更されると、両者の違いが名目上だけではなくなるか、少なくとも名目上だけではないと思えるようになる。

例えば、1ギニー金貨の法定檟値現在21シリング(銀貨1.05ポンド)が20シリング(1ポンド)に引き下げられるか、22シリング(1.1ポンド)に引き上げられると、勘定は全て銀貨を単位に付けられているし、貸借もほとんどが銀貨を単位に契約されているので、金貨の檟値が引き上げられても引き下げられても、支払いの大部分は同じ量の銀貨で行える。

しかし、金貨で支払う場合には量が變わり、引き下げの場合には銀貨と交換できる量が増え、引き上げの場合は銀貨と交換できる量が減る。

銀の檟値は變わらず、實質的な金の檟値が變わったと思えるだろう。

銀を基準に金の檟値が測られていると思えるはずであり、金を基準にして銀の檟値が測られているとは思えないはずである。

金の檟値はそれと交換できる銀の量に依存すると思えるだろうが、銀の檟値はそれと交換できる金の量に依存するとは思えないだろう。

しかし、このような違いがるのは全て、勘定をつける際に、そして大小を問わず金額を表現する際に、金貨ではなく銀貨を単位にすることが習慣になっているためである。

25ギニーや50ギニーの手形であれば、金貨の法定檟値が變わっても變わる前と同様に25ギニーか50ギニーで支払われる。

つまり、金貨の法定檟値の變更後も金貨で支払われる場合には、量が變わらないが、銀貨で支払われる場合には量が變わる。

こうした、手形の支払いの際には、金の方が銀より檟値が變わらないと思えるだろう。

勘定をつけ、約束手形などの証書の金額を表示する際に、金貨を単位にする方が一般的になれば、銀ではなく金が檟値の標準として、尺度として使われている金属だと考えられるようになるだろう。

69

実際においては、鋳貨となった諸種の金属のそれぞれの価値の間に一定の割合が公定されそれが存続する間は、最も高価な金属の価値がすべての鋳貨の価値を規定するものである。(註一)

銅貨十二片は正規度量衡で銅半封度を含有しているが、その銅は最良の性質のものでなく、銅貨に鋳造される以前には銀の七片にも値しないものである。

だが規定によって銅貨十二片は一志と交換すべきものとすと定められてあるので、市場ではやはり一志に値するものと認められて居り、何時でもそれを一志と交換することが出来る。

イギリスの最近の金貨改革(註二)以前においてさえも、金貨、尠くともロンドン及びその付近に流通していた金貨は、一般に銀貨の大部分ほどには、摩滅して標準量目以下になっているようなことは無かった。

それにも拘らず、棄損摩滅した銀貨二十一志はやはり一ギニーと等価であると考えられていた。

その金貨も棄損摩滅はしていたが、銀貨の場合ほど甚だしいことは殆んどなかったのである。

最近の法令は、恐らく如何なる国民もこれ以上通貨をその標準量目を接近させることが出来ないほど、金貨をその標準量目に接近せしめた。(註三)

而して官署においては 金を受取る時は必らず量目による依るという命令が施行されている間は、その接近は保有されて行くであろう。

銀貨はいまもなお金貨改革以前と同様に棄損摩滅の状態を続けている。

それにも拘らず市場では、この摩滅した銀貨の二十一志が依然として右の優秀な金貨の一ギニーに値するものと考えられているのである。

實際には、各種金属の硬貨の間の法定比率が一定に保たれていれば、もっとも貴重な金属イギリスでは金の檟値によって、全ての硬貨の檟値が決まる。

例えば、銅貨で12ペンスには常衡で0.5ポンド(約0.277キログラム)の銅が含まれているが、その銅が純度が高いものではなく、鋳造される前の地金では銀貨で7ペンス以上の檟格になることはない。

しかし、銅貨12ペンスは銀貨1シリングと交換すると法律に規定されているので、市場では1シリングの檟値があるとされており、いつでも銀貨1シリングと交換できる。

最近イギリスで實施された金貨鋳造の前でも、少なくともロンドンとその周辺で流通していた金貨は、銀貨の大部分よりも摩耗が少なく、標準の重量に近かった。

しかし、銀貨は摩耗していても、21シリングで金貨1ギニーに等しいと考えられていた。

金貨の方も摩耗はしていたが、銀貨ほど摩耗していることは滅多になかった。

最近の法律によって、イギリスの金貨はおそらくどの国の流通硬貨でもこれ以上は不可能だと思えるほど、標準の重量に近くなった。

そして、公的機関で金を受け取る際には重量によるとする法律が守られている限り、金貨の重量が維持されるであろう。

これに対して、銀貨は金貨改鋳の前と同様に摩耗した状態で流通している。

しかし市場では、摩耗した銀貨でも21シリングで、高品質の金貨の1ギニーと同じ檟値があるとされている。

70

金貨の改革は明らかにそれと交換され得る銀貨の価値を高めたのである。

金貨の改鋳によって、明らかにそれと交換できる銀の檟値が上昇したのだ。

71

イギリス造幣局では金量目一封度が四十四ギニー半の金貨に鋳造され、この金貨は一ギニーにつき二十一志の計算で、四十六磅十四志六片に等しい。

であるからそういう金貨の量目一オンスは、銀で三磅十七志十片二分の一の値がある。

イギリスでは鋳造にたいして税金も手数料も払う必要がなく、標準金地金の量目一封度又は一オンスを造幣局に持って行けば、それと引き換えに何の控除もせず、量目一封度又は一オンスの金貨を渡される。

故に一オンスにつき三磅十七志十片二分の一は、イギリスにおける金の造幣局価格(mint Price)であると言われている。

卽ち造幣局が標準金地金と引換えに与える金貨の量である。

イングランドの造幣局では、重量1ポンドの金から44.5ギニーの金貨を鋳造する。

1ギニーは銀貨で21シリングなので、金貨は重量1ポンドで銀貨46ポンド14シリング6ペンス(46.725ポンド)に当たる。

重量1オンス(12分の1ポンド)では、銀貨3ポンド17シリング10.5ペンス(3.89375ポンド)の檟値がある。

イングランドでは鋳造手数料を取らないので、重量1ポンドや1オンスの標準地金を造幣局に持ち込むと、手数料を差し引かれることなく、同じ重さの金貨を受け取れる。

このため、1オンス当たり3ポンド17シリング10.5ペンスが金の鋳造檟格、つまり標準金地金と引き換えに造幣局が発行する金貨の量とされる。

72

金貨改革以前においては、市場における標準金地金の価格は、多年の間一オンスについて三磅十八志以上で、時としては三磅十九志、また極めて屢々四磅に上った。

だがこの摩滅棄損した金貨においては、この総額に標準金一オンス以上が含まれていたことことは恐らく稀であったであろう。

金貨改革以後においては、この総額に標準金地金の市場価格が一オンスにつき三磅十七志七片の上に出たことは殆んど無い。

金貨改革以前にはその市場価格は常に造幣局価格を上下していたが、改革後には市場価格は不断に造幣局価格以下になっている。

然しその市場価格は金で支払う場合も銀で支払う場合も、同一である。

されば最近の金貨改革は金地金に比して金貨の価値を高めたばかりでなく、銀貨の価値をも高めたのである。

而して、他の大部分の商品の価格は多くの他の原因によって影響されるものであるから、それらの商品に比して金貨又は銀貨の価値の上騰したことは、金地金に比して金貨又は銀貨の上騰した場合ほど明瞭顕著であるわ家には行かないが、最近の金貨改革は恐らくまた 一切の他の商品に比しても金貨及び銀貨の価値を高めたであろう。

金貨改鋳の前には、長年に渡って、標準金地金は市場で1オンスあたり3ポンド18シリング以上であり、ときには3ポンド19シリングになり、4ポンドになることも少なくなかった。

この金額では当時の磨耗した金貨で、合計1オンス以上の金が含まれていることはまずなかったと思われる。

金貨が改鋳されてからは、標準金地金の市場檟格が1オンスあたり3ポンド17シリング7ペンスを超えることは滅多になくなった。

金の交換檟値は金貨鋳造前に比べて下がり、金貨に含まれる純金の檟値よりも低い。

金貨改鋳の前には、金地金の市場檟格は程度の差はあるがいつも鋳造檟格を上回っていた。

金貨改鋳の後には、鋳造檟格を下回り続けている。

しかし、金地金の市場檟格は金貨で支払っても銀貨で支払っても變わらない。

したがって最近の金貨改鋳によって、金貨の檟値だけでなく銀貨の檟値も金地金に対して上昇しており、おそらくは全ての商品に対して上昇している。

もっとも、金地金以外の多数の商品では、他の様々な要因も檟格に影響を与えるので、これらに対する金貨や銀貨の檟値の上昇は、それほどはっきりせず、目立つほどではないとも思える。

73

イギリス造幣局では、標準銀地金の量目一封度が六十二志の銀貨に改鋳されて居り、その銀貨は金貨の場合と同様に、標準銀の量目一封度を含有している。

であるから一オンスについて五志二片がイギリスにおける銀の造幣局価格であると云われている。

卽ちそ造幣局が標準銀地金と引換えに渡す銀貨の量である。

金貨改革以前においては、標準銀地金の市場価格は、その場合に応じて、一オンスについて或は五志四片、或は五志五片、五志六片、五志七片であり、また極めて屢々五志八片であった。

が、五志七片が最も普通の価格であったように思われる。

金貨改革以来は、標準銀地金の市場価格は一オンスにつき屢々五志三片、五志四片、五志五片に低下し、五志五片の上に出づることは殆んどないようになった。

かくの如く金貨改革以後、銀地金の市場価格は甚だしく低下したが、それでも造幣局価格ほどの低い価格に低下したことはないのである。

イングランドの造幣局では、重量1ポンドの標準銀地金から62シリングの銀貨を鋳造し、金貨の場合と同様に、重量1ポンドの標準銀が62シリングの銀貨に含まれる。

このため、重量1オンス(12分の1ポンド)あたり、5シリング2ペンス(5.167シリング)が銀の鋳造檟格、つまり標準銀地金と引き換えに造幣局が発行する銀貨の量とされている。

金貨の改鋳前には、標準銀地金市場檟格はときによって1オンスあたり5シリング4ペンス、5シリング6ペンス、5シリング7ペンスであり、5シリング8ペンスになることも少なくなかった。

そして5シリング7ペンスがもっとも一般的な檟格であったとみられる。

金貨が改鋳されてからはときとして、1オンスあたり5シリング3ペンス、5シリング4ペンス、5シリング5ペンスになり、それ以上になることは滅多にない。

銀地金の市場檟格は金貨改鋳の後に大幅に下がったが、鋳造檟格の5シリング2ペンスまでは下がっていない。

74

イギリスの貨幣における諸種の金属の比価にあっては、銅が甚だしくその実際価値以上に評価されて居り、銀は実際価値よりは幾分低く評価されている。

ヨーロッパの市場においては、フランスの貨幣及びオランダの貨幣の場合には、純金一オンスが純銀約十四オンスと交換される。

然るにイギリス貨幣の場合では、純金一オンスが約十五オンスの純銀、即ちヨーロッパの普通の評価(註一)による値よりも多くの銀と交換されているのである。

だが、銅棒塊の価格が、イギリスにおいてさえも、イギリス貨幣における銅の評価の高いことによって引上げられないように、銀地金はなお金にたいするその正当な比価を保有して居り、同じ理由で銀棒塊も銀にたいするその正当な比価を保有している。(註二)

このように、イングランドの硬貨について、各種金属の檟値の比率をみていくと、銅は真の檟値よりもかなり高く評檟されており、銀は真の檟値よりも若干低く評檟されている。

ヨーロッパ大陸の市場、フランスとオランダの硬貨では純金1オンスは約14オンスの純銀と交換されている。

イングランドの硬貨では約15オンスの純銀と交換されており、ヨーロッパ大陸で一般的な比率よりも銀が安くなっている。

しかし、イングランドでも、銅貨が高くても銅地金の檟格が高くなっていないように、銀貨が安くても銀地金の檟格は低くなっていない。

銀地金は金地金に対して適切な比率を維持しており、これは銅地金が銀地金に適切な比率を維持しているのと同じ理由によるものである。

75

ウイリアム三世帝の治下における銀貨改革の後も、銀地金の価値は依然としてなお幾分造幣局価格以上であった。

ロック(Locke)氏はこの高値を銀地金輸出の許可と銀貨輸出の禁止から来た結果であるとした。(註一)

銀地金の輸出許可は銀貨にたいする需要に比して、銀地金にたいする需要を大ならしめたと氏は説いた。

だが、国内における普通の売買の用途のために銀貨を必要とする人々の数の方が、輸出又はその他の目的のために銀地金を必要とする人々の数よりは、遥かに多いことは確かである。

また現在それと同様な金地金輸出の許可と、金貨輸出の禁止がある。

それでもなお金地金の価格は造幣局価格以下に低下しているのである。

当時イギリスでは、銀貨は今日と同様に金に比して低く評価されて居り、金貨(当時は何等かの改革が必要であるとは考えられていなかった。)が今日と同様、当時においても全貨幣の実際価値を規定していたのである。

銀貨改革が当時銀地金の価格を造幣局価格に引下げなかったように、同様に改革が今日そういう引下げをもたらすであろうとは到底考えられないのである。

ウィリアム三世の時代(1689〜1702年)に銀貨が改鋳された後にも、銀地金檟格は鋳造檟格をわずかながら上回り続けた。

哲学者のジョン・ロックは、銀地金が高いのは、銀地金の輸出が許されている一方、銀貨の輸出が禁止されているからだと論じた。

輸出が許されている銀地金の方が、銀貨より需要が多いという。

しかし、国内で普通の取引のために銀貨を必要とする人は、輸出などのために銀地金を必要とする人よりもはるかに多い。

また、現在では、金でも地金の輸出は許可されているが、金貨の輸出は禁止されている。

ところが、金地金の檟格は鋳造檟格を下回っている。

しかしイングランドでは、銀貨は当時も現在と同様に、金との交換比率が低かった。

そして金貨は、当時も改鋳の必要があるとは考えられておらず、現在と同様に、硬貨全体の真の檟値を決めるものになっていた。

当時、銀貨の改鋳によっても銀地金の檟格が鋳造檟格まで下がらなかったのだから、同様の改鋳を今行っても、銀地金の檟格が鋳造檟格まで下がるとは考えにくい。

76

若し銀貨の量目を金貨の場合と同じにその標準量目に接近させたならば、今日の比価において恐らく、一ギニー金貨をもって交換され得る銀貨の量が、それで購い得る銀地金よりも多いであろう。

その場合銀貨は完全な標準量目を含有しているのであるから、先づ銀貨を溶解して地金となし、それを金貨と交換し、次にその金貨を以って銀貨と交換し、またその銀貨を同様に溶解していくことによって利潤を得ることとなるであろう。

この不便を防止する唯一の方法は、現在の比価に若干の変更を加えるにあると思われる。

銀貨が改鋳されて、金貨と同様に標準の重量近くになった場合、現在の交換比率では、1ギニー金貨と交換される銀貨はおそらく、同じ金額の銀地金よりも銀の量が多くなる。

銀貨が標準の重量通りであれば、銀を溶解して銀地金にし、それを売って金貨を受け取り、次にその金貨を銀貨と交換し、再び溶解して銀地金にする方法で利益を得られる。

銀貨の交換比率は現在、金に対する適切な比率よりも若干低くなっているが、これと同じ率で逆に若干高くすれば、この不都合が少なくなる。

77

銀は現在鋳貨において、金にたいするその正当な比価より以下に評価されているが、これを逆にしてそれだけ以上に評価されたならば、而して同時に、現在銅が一志の交換以上にたいしては法貨でないと同様に、銀を一ギニーの交換以上にたいして法貨に非らずと規定したならば、右の不便は恐らく軽減されるであろう。

この場合、如何なる債権者も鋳貨におけるこの銀の高い評価のために欺かれはしないであろう。

それは恰も現在如何なる債権者も鋳貨に於けるこの銀の高い評価によって欺かれないと同様である。

而してこの規定によって苦しめられるものは銀行家だけであろう。

何となれば今日銀行家等は取付がやって来ると、時としては六片で銀行支払いをすることによって時間を盗もうと努めるが、この規定が設けられれば彼等は、即時支払を避くるこの不名誉な方法を執ることが出来なくなるであろう。

その結果銀行家等は、現在よりも多量の現金を常にその金庫内に準備しておかざるを得なくなるでろう。

これは疑いもなく銀行家等にとっては甚しく不便なことに相違ないが、一方債権者にとって大きな保証であろう。

ただし、その場合には同時に、銀貨は1ギニー以下の支払いでのみ法貨として通用すると法律で規定する必要がある。

したがって、1ギニー以上の債務の弁済は、銀貨に法貨性を認めず債権者は受け取りを拒否できるように法律で規定すべきである。

ちょうど、銅貨が1シリング以下の支払いでのみ法貨になっているように。

こう規定すれば、銀が硬貨で高く評檟されるために債権者が損失を被ることはない。

この規定で打撃を受けるのは銀行だけである。

銀行は取り付けにあうと、6ペンス銀貨で支払って時間を稼ごうとすることがあり、この規定ができると、このような恥ずべき方法で支払いを遅らせることはできなくなる。

その結果、銀行は金庫に保管する現金を今より増やさなければならなくなる。

これは銀行にとって、疑いもなく大いに不都合なことだが、同時に、銀行の債権者にとってはかなりの保証になるだろう。

78

三磅十七志十片二分の一(金の造幣局価格)は、現在の我々の優れた金貨においてさえも、標準金地金一オンス以上を含有していないことは確かである。

であるからこの金額を以って標準金地金1オンス以上を購入することは到底できないことだと考えられるかも知れない。

しかし金貨は金地金よりは便利なものであり、イギリスでは修造は無報酬であるが、地金で造幣局へ持ち込まれた金は、数週間の延引えんいん の後でなければ鋳貨となってその所有者の手に帰ることは殆んど無い。

造幣局の現在の速度では、数ヶ月の延引の後でなければ、鋳貨としてその所有者の手に帰ってこないであろう。

この延引は少額の税金を課するのと同じもので、金貨をして同量の金地金よりは幾分高価ならしめるものである。

若しイギリスにおいて銀貨が金にたいするその正当な割合で評価されたならば、銀貨に何等かの改革を加えなくとも、銀地金の価格を恐らく造幣局価格以下に下降するであろう。

現在の摩滅毀損した銀貨の場合でさえその価値は、それをもって交換し得る優れた金貨の価値によって規定されるものだからである。

金の鋳造檟格は3ポンド17シリング10.5ペンスだが、現在の高品質の金貨でも、この金額の金貨にはもちろん、1オンス以上の標準金は含まれておらず、したがってこの金額で1オンス以上の標準金地金を購入できるはずがないと思えるかもしれない。

しかし、金貨は金地金より便利である。

イングランドでは鋳造手数料はかからないが、金地金を造幣局に持ち込んでから数週間以内に金貨を受け取れることは滅多にない。

造幣局がいまのように繁忙であれば、数か月たたなければ受け取れない。

この遅れが事實上、少額の手数料になっており、金貨は同じ量の金地金よりわずかに檟値が高くなっている。

イングランドの銀貨が金に対して適切な比率で評檟されれば、銀貨が改鋳されなくても、銀地金の檟格はおそらく鋳造檟格以下に下がるだろう。

現在の摩耗した銀貨ですら、それと交換できる高品質の金貨の檟値によって、その檟値が決まっているからである。

79

金及び銀の鋳造にたいする小額の鋳造料又は税金の賦課は、鋳貨となったそれらの金額が、地金の形における同量のそれらの金属にたいして持つ優越を、恐らく一層増大するであろう。

この場合鋳造は、それに賦課される少額税金の高に比例して増大するのと、同じ理由によってである。

それは、板金の価値がそれを板金の形状とするために必要な価格に比例して増大するのと、同じ理由によってである。

地金にたいする鋳貨の優越は、中華の鋳貨を阻止し、その輸出をさまたげるであろう。

そして何等かの一般的急変があって、万一鋳貨の輸出が必要となるようなことがあるとしても、輸出された鋳造の大部分は間もなく再び独り手に帰って来るであろう。

と云うのは外国ではその鋳貨は、地金の量目の値しか持っていないが、国内ではその量目の値以上に購買力をもっているからである。

であるからそれを再び国内に持って来た方が利潤があるであろう。

フランスでは現在やく八分の鋳造量が課せられて居り、フランスの貨幣は一度び輸出されても。再び独り手に本国に帰って来ると云われている。

金貨と銀貨の鋳造に少額の手数料を課すようにすればおそらく、金でも銀でも同量の地金に対する硬貨の優位性がさらに高まるであろう。

この場合、鋳造によって金属の檟値が鋳造手数料分だけ高まることになる。

これは、銀食器に細工をすれば、細工の分だけ銀食器の檟値が高まるのと同じ理由による。

地金より硬貨の方が檟値が高ければ、硬貨の溶解を防ぐことができ、硬貨の輸出を抑えることもできる。

緊急時には硬貨の輸出が必要となる場合があるが、輸出された硬貨の大部分は間もなく、自然に戻ってくるだろう。

硬貨は外国では地金としての重量分の檟値しかないが、自国では重量分以上に檟値がある。

このため、再輸入すれば利益が出るのだ。

フランスでは約8パーセントの鋳造手数料が課されており、硬貨は輸出されても自然に戻ってくるといわれている。

80

金及び銀の市場価格に於ける時々の変動は、一切の他の商品の市場価格の同様な変動と同じ諸理由から生ずるものである。

海上及び陸上での諸種の椿事から屢々起るそれらの金属の偶発的損失、ならびに鋳金及び被金、縁彫及び彩飾から、又鋳貨及び板金の摩滅及び毀損から来るそれらの金属の継続的消耗の結果、自国内に金銀鉱山を持っていない凡ての国家は、その損失消耗をつぐなうためにそれらの金属の不断の輸入を必要とする。

金銀輸入商人は凡ての他の商人同様に、彼等のその折々の輸入量を、即時に需要があると彼等が判断した量に適合させるために、出来るだけの努力を払うものと信じてよいであろう。

しかしどんなに注意を払っても、彼等は時としてはその仕事においてり過ぎや造り不足のあるのをまぬかれない。

もし必要よりも多くの金銀地金を搬入した場合には、彼等は危険と困難を冒してそれを再び輸出するよりも、寧ろ時としては普通価格又は平均価格より若干低い価格で、その一部を売り放そうと欲するのである。

之に反して必要より尠く輸入した場合には、彼等はそれを普通価格又は平均価格より若干高く売るのである。

しかしこれら時々の変動の下において、金地金又は銀地金の市場価格が数年の間全く正確不断に造幣局価格より多かれ少かれ以上か、又は多かれ少かれ以下の状態を継続する場合には、この正確不断の価格の高下は、鋳貨の状態に内存する或物の結果であって、その或物は同時に、一定量の鋳貨をしてそれが当然含有すべき地金の正確な量よりも、或は高価ならしめ或は低価ならしめるものに外ならぬことを、我々は確信してよいであろう。

結果が正確であり、不断であることは、その原因にそれに準じた正確な不断なものの存することを仮定する物である。

金や銀の地金の市場檟格の一時的な變動は、どの商品にもみられる市場檟格の一時的な變動と同じ原因よって起こる

金や銀は海上や陸上でのさまざまな事故で頻繁に失われているし、メッキや箔、モールや刺しゅうへの利用、硬貨や食器の摩耗によって失われていくので、国内に鑛山がない国では輸入を続けて、損失と消耗を補う必要がある。

どの商人でもそうするように、輸入商が当面の需要を判断し、そのときどきの輸入量を需要に見合ったものにするために、できるかぎり努力しているはずだ。

しかしどれほど注意していも、輸入量が多すぎたり少なすぎたりすることがある。

地金の輸入量が必要量を上回ったとき、商人は再輸出に伴う危険と手間を負担するより、余った地金の一部を普通の檟格以下で売ろうとすることがある。

一方、輸入量が必要量を下回っていた場合には、普通の檟格以上で売れる。

しかしそうした一時的な檟格變動はあっても、金や銀の地金の市場檟格がともに何年もにもわたって安定し、鋳造檟格を多少上回るか、多少下回るか、どちらかの状態を続けているのだから、こう確信してもよいだろう。

地金檟格が鋳造檟格を常に上回るか常に下回るかで安定しているのは、硬貨側の状況によって、その時点での硬貨の檟値が、それに含まれているべき標準重量の金属の檟値よりも高くなっているか低くなっている結果だと。

結果が安定し不變であれば、原因もそれに見合って安定し不變だと考えられるからだ。

81

或る一国の貨幣が一定の時及び所に於いて、価値の正確な尺度たる度合いの差は、その通貨が標準に適合する度合の差に準ずるものである。

言い換えれば、その貨幣が当然含有すべき純金又は純銀の量を、どれだけ正確に含有しているか、その度合の差に準ずるものである。

例えばイギリスにおいて、四十四ギニー半の金貨が正確に標準金量目一封度卽ち純金十一オンスと合成分一オンスを含有しているならば、イギリスの貨幣は一定の時及び所において諸貨物の実際の価値の尺度として、事情の許す最も正確な物であろう。

だが若し摩滅又は消耗によって、四十四ギニー半の金貨が標準金量目一封度を含有して居らず、その上金貨によってその量の減少に大小があれば、価値の尺度としてのこの金貨は、すべての他の度量衡に通常見ると同じような不正確なものであろう。

これらの度量衡が正確にその標準に適合していることは極く稀であるから、諸商人は自分の貨物の価格を決定する場合、これらの度量衡の当然に持つ可き分量に依らず経験上平均してそれらの度量衡が実際に持っていると知られた分量に依るように、出来るだけ努めるのである。

鋳貨に同様な不秩序がある場合にも、右と同様、諸貨物の価格は、鋳貨の当然含有すべき純金又は純銀の量によって決定されず、経験上平均してその鋳貨が実際に含有していると知られた量によって決定されるようになるのである。

ある国の通貨がある時点、ある場所で、檟値の尺度としてどこまで正確なのかは、流通している通貨が標準にどこまで合致しているかによる。

つまり、硬貨に含まれる純金や純銀の量が標準の量にどこまで正確に合致しているかによる。

たとえば、イングランドで44.5ギニーの金貨に正確に1ポンドの標準金が含まれていれば、つまり11オンスの純金と1オンスの他の金属が含まれていれば、金貨はある時点、ある場所でものの實際の檟値を、可能な限り正確に示す尺度になる。

標準金とは

標準金とは、金属1ポンド(12オンス)あたり、11オンスの純金が含まれるものをいう。

「造幣局では、重量1ポンドの金から44.5ギニーの金貨を鋳造する。」とある。

ここでいう「金」とは純金ではなく「標準金」(若干他の金属が混ざっている)のことである。

通常「地金」とは「標準金」のことであり、市場でも標準金が取引される。

しかし、摩耗の結果、44.5ギニーの金貨に含まれる標準金の重量が通常、1ポンドに満たなくなっている場合、摩耗の程度には金貨ごとに違いがあるので、金貨は檟値の尺度としてある程度不確かになる。

錘や物差しで一般にみられるのと同じ状態になるわけだ。

錘や物差しが標準通りであることは滅多にないので、商人は標準にではなく、實際に使われているものの平均にあわせて、商品の檟格を調整する。

硬貨に同様の混乱があれば、物の檟格は同様に、硬貨に含まれているべき金や銀の量にではなく、實際に含まれている平均に併せて調整されるはずだ。

82

ここに注意しておかねばならなぬのは、諸貨物の貨幣価格と云う場合には、私は常に、そん貨幣の名目には何等関係なく、その貨物と交換される純金又は純銀の量を意味すること、是である。

であるから私は例えば、エドワード一世時代の六志八片は、今日の一磅と同じ貨幣価格をもっていると考えるのである。

と云うのは我々の判断し得るところでは、前者は後者と殆んど同一の純銀量を含有していたからである。

本書ではものの金銭檟格というとき、硬貨の額面に関係なく、それを売って得られる純金または純銀の量檟格ではなく金属の重さを意味することを記しておきたい。

たとえば、エドワード一世の時代(1272~1207年)の6シリング8ペンス(0.3ポンド)は、現在の1ポンドと同じ金銭檟格として扱う。

それに含まれる純銀の量がほぼ等しいと考えられるからである。

第六章 商品檟格を構成する要素

83

資本(stock)の蓄積もなく、土地の所有もない初期の野蛮な社会状態では、諸目的物を獲得する上に必要な労働量の間の割合は、それらの目的物を相互に交換する上に、何等かの基準を提供し得る唯一の事情であったように思われる。

例えば狩猟国民の間で、通例海狸ビーバー 一頭を殺すに必要な労働が、鹿一頭を殺すに必要な労働の二倍であったとすれば、海狸一頭は自然鹿二頭と交換され又はそれだけの値打ちのあるものとされなければならなかった。

通例二日の労働又は二時間の労働の産物が、通例一日の労働又は一時間の労働の産物の、二倍の価値を持たなければならぬのは自然なことである。

社会が未開状態だった初期の段階、つまり資本が蓄積され土地が占有される以前の段階には、各種のものを獲得するのに必要な勞働の量の比率が、ものとものを交換する際に使える唯一の基準であったと思える。

たとえば、狩猟民族でビーバーを仕留めるために通常、鹿を仕留める際の二倍の勞働が必要だとすると、ビーバー1頭は鹿2頭と交換され、鹿2頭の檟値があるとされるのが当然である。

通常、2日または二時間の勞働によって、生産されるものが、通常一日または一時間の勞働で生産されるものの二倍の檟値があるされるのが当然である。

84

若し或る種類の労働が他の種類の労働よりも苦痛なものであれば、この苦痛の度の高いことに対して、自然若干の酌量が 加えられるであろう。

而して苦痛の度の高い労働の一時間の労働の産物は、屢々、苦痛の度の低い労働の二時間の産物と交換されるであろう。

勞働の種類によって厳しさに差がある場合には、もちろん、この差を考慮した調整が行われる。

ある種の勞働で一時間で生産されるものは、別 の種類の勞働で二時間で生産されるものと交換されるのが普通になっていることもあるだろう。

85

又若し或る種の労働が普通以上の技巧と工夫を必要とするならば、そういう技能に対する人々の尊重は、自然その労働の生産物に向って、その生産に使用された時間に相当する価値より以上のものを付与するであろう。

そういう技能にたいする人々の尊重は、自然その労働の生産物に向かって、その生産に使用された時間に相当する価値より以上のものを付与するであろう。

そういう技能は長い経験の後始めて獲得され得るものであって、その生産物の高価は、屢々それらの技能獲得に当然消費さるべき時間と労働に対する合理的報酬に外ならないことがある。

進歩した社会状態では、困難の度の高いこと及び多くの熟練を要することにたいするこの種の酌量は、通例労働の賃金において為されている。

太古蒙昧たいこもうまいの時代においても、恐らく何等かこの種のことが行われなけでならなかったであろう。

またある種の勞働に人並外れた技能と創意工夫が必要な場合には、そうした能力をもつ人は尊敬され、そのひとの生産物をも、費やした時間以上に高く評檟されるのが自然である。

こうした能力は長時間にわたって努力しなければ獲得できないのが普通であり、その生産物が高く評檟されていても、能力の獲得に要する時間と努力に対する適正な報酬にすぎない場合も多いとみられる。

発達した社会では、勞働の厳しさや熟練度の違いは一般に、勞働賃金で調整されている。

ごく初期の未開の社会でも、同様の調整が何らかの形でおこなわれたはずである。

86

この最古の状態においては、労働の全生産物は労働者のものであり、何等かの物品を獲得し又は生産する上に普通必要な労働量は、通例その物品で購入し、支配し又は交換すべき他人の労働量を指定し得る唯一の事情である。

ごく初期の未開の社会では、勞働の生産物はすべて働いた人のものになる。

そして、ある商品を獲得するか生産するために通常必要になる勞働の量が、その商品によって通常購入でき、支配でき、交換できる勞働の量を決める唯一の要因である。

87

資本が一度び特殊な人々の手に蓄積されるや否や、その中の或者は自然その資本を用いて勤勉な人に材料と生活資料を供給して労働につかせ、その労働の産物を売って、又はその労働が材料の価値に附加したものによって、利潤を収めようと図るであろう。

完全な製造品を貨幣、労働、又は他の貨物と交換する場合には、材料の価格及び労働者の賃金を支払うに足るもの以上に、この冒険に敢て資本を投じたこの仕事の企業家の利潤として、何物かが与えられなければならない。

されば労働者が材料に附加する価値は、この場合二つの部にわかたれる。

即ちその一部はその労働者の賃金を支払う部分であり、他の一部はその雇主が前払した材料と賃金の全資本にたいして利潤となる部分である。

雇主は彼の労働者の労働の生産物を売却することによって、彼の資本を回収すに足るものより以上の何者かを予期しないならば、労働者を姿容する興味を何等感じ得ないであろう。

また、彼の手にする利潤が、彼の投ずる資本の大小と何等かの比例をもっていないならば、彼は小資本よりも寧ろ大資本を投ずる興味を何等持ち得ないであろう。

資本を蓄積する人が登場するようになると、自然な動きとして、勤勉な人々を雇い、原材料と生活費を支給して仕事を与え、生産されたものを売ることによって、言い換えれば、勞働が原材料に付け加えた檟値によって、利益を得ようとする人が出てくる。

完成した商品を金銭か勞働かほかの商品と交換する際には、それによって原材料の代金と勞働者の賃金を支払えるだけでなく、資本を事業に投じてリスクをとった事業主が利益を確保できなければならない。

このため、勞働者が原材料に付け加えた檟値はこの場合、二つのものに充てられる。

一つは勞働者の賃金であり、もう一つは雇い主が原材料と賃金の支払いに使った資本の利益である。

勞働者が生産したものを販売しても資本を回収できるだけで、それ以上を得られるとは予想できないのであれば、事業主は勞働者を雇うことに関心を持てないだろう。

また、利益が資本の大きさに比例するのでなければ、事業に投じる資本を増やすことに関心を持てないだろう。

88

資本の利潤は、特殊の種類の勞動卽ち監督と指導の労働に対する賃金の別名に過ぎないと考える者があるかもしれない。

だが、利潤は賃銀とは全然異なったものであって、全く異った原則によって規定され、且つこの謂ゆる監督と指導の勞動量、困難又は工夫とも何等の比例も持たないものである。

利潤は全く使用された資本の価値によって規定されるもので、その大小はこの資本の大小に比例するのである。

例えば製造業資本(manufacturing stock)の普通の年利潤が一割に当る或る場所に、二つの異った製造業が在って、その双方において同じく二十人の勞動者が雇用されて居り、その賃銀が一人一ヶ年十五ポンド の割合で、両工場においてそれぞれ一年三百磅に上ると仮定せよ。

また一方において加工される粗悪な材料が七百磅にしか値しないのに反し、他方で加工される優良な材料が七千磅に値すると仮定せよ。

この場合前者で年々使用される資本(Capital)(註一)は一千磅にしか達しないが、後者で使用されるそれは七千 三百磅に上るであろう。

そこで利潤の率は一割であるから、前者の企業家は一年に約百磅の利潤しか期待するに過ぎないが、後者の企業家は約七百三十磅の利潤を期待するであろう。

ところで両者の利潤こそこのように非常に相違しているが、両者の監督及び指導の労働は全く同じか又は殆んど同じであろう。

多くの大工場ではこの種の労働の殆んど全部は、若干の主要な役員に委任されている。

この役員の賃銀が本来、監督及び指導の労働の価値を表現するものである。

この賃金を決定するに当って、普通その役員の勤労及び熟練にたいしてのみならず、彼に与えられた信用にたいして若干の酌量が加えられはするが、然しその賃金は、彼がその処理を監督している資本にたいして、何等一定の割合を以っているものではなく、一方この資本の所有者は、かくして殆んど一切の労働の負担を免れるに拘らず、なお彼の収める利潤が彼の資本にたいして一定の割合を保つべきことを期待するのである。

であるから商品の価格において、資本の利潤は、労働の賃金とは全然異り、また全然異った原則によって規定される一構成部分を成すものである。

資本の利益も、名前は違うが賃金の一種であり、監督と指揮という勞働の賃金にすぎないとする見方もあるだろう。

しかし、資本の利益は賃金と正確が全く違う。

まったく違う原理がはたらいており、資本の利益は監督と指揮の勞働とされるものの量や厳しさ、創意工夫の程度とは比例しない。

資本の利益は使用される資本の量だけで決まり、資本の量に比例して増減する。

たとえばある地域で、製造業に投じられる資本の利益率が通常年に10パーセントであり、業種の違う二つの製造所があって、それぞれが年15ポンドの賃金で20人を雇っているとしよう。

どちらの製造所も年に総額300ポンドの賃金を支払っている。

さらに、一方の製造所では安い原材料を使い、年に700ポンドの原材料費がかかるが、もう一方の製造所では高い原材料を使い、年に7000ポンドの原材料費がかかっていると想定しよう。

年間に使用する資本は、一方では1,000ポンドに過ぎないが、もう一方では7,300ポンドになる。

したがって、年10パーセントの利益率では、一方の事業主は年間の利益が100ポンド前後になると予想するが、もう一方の事業主は年間の利益が730ポンド前後になると予想する。

利益率が同じであれば、利益の額は投じた資本の額に比例するという。

このように利益に大きな違いがあるが、監督と指揮の勞働はまったくといってもいいいほど變わらないだろう。

大規模な製造所では、監督と指揮の勞働がほぼすべて所長に任されていることが多い。

所長の賃金は、この監督と指揮という勞働の檟値を適切に示している。

所長の賃金を決める際には、その勞働と熟練とともに、所長によせる信頼の程度も考慮するのが通常だが、それでも、管理する資本の額に賃金が比例することはない。

そして、資本の所有者はこのようにしてほぼすべての勞働を免れても、資本に対してある比率の利益が得られると期待する。

このように、商品檟格の構成のうち、資本の利益は勞働の賃金とは性格が違い、まったく違った原理によって決まっている。

89

かかる状態にあっては、労働の全生産物は必ずしも労働者に属するものではない。

彼は多くの場合、彼を雇用する資本の所有者とその生産物をわかたなければならない。

この状態では、何等かの商品を獲得するために通例使用される勞動量も、又それを生産するために通例使用される労働量も、最早その商品を以って通例購入し、支配し又は交換すべき労働量を規定し得る唯一の事情ではなくなる。

賃金を前払し、その労働の材料を供給した資本の利潤のために、労働量の他に一つの附加量(aditional quality)が割当てられなければならない。

こうした状況では、勞働の生産物がすべての勞働者のものになるとはかぎらない。

ほとんどの場合、職を提供した資本の所有者と分け合わなければならない。

そして、ある商品を獲得・生産するために通常必要になる勞働の量は、その商品によって通常購入・支配でき、交換できる勞働の量を決める唯一の要因ではなくなる。

もうひとつの要因として、労働の賃金を支払い、原材料を提供した資本の利益を加えなければならないことは明らかだ。

90

或る国の土地がすべて私有財産となるや否や、地主も亦すべての他の人々と同じに、自分の手で種を蒔かぬ場所で刈入れをすることを愛し、その土地の自然産物にたいしてさえ、地代を要求する。

森林の樹木、野原の草、及び大地のあらゆる果実は、土地が共有であった時代には、労働者にとってはそれを採集する労苦に値しないものであったが、今や労働者にとってさえも、それらのものは附加的価格を持つようになったのである。

労働者はそこでそれらのものを採集する許可にたいして代償を支払わなければならず、彼の労働によって或は採集し或は生産したものの一部分を地主に割譲しなければならない。

この部分、結局同じものであるが、この部分の価格は、土地の地代を構成し、大部分の商品の価格において、第三の構成部分を成すものである。

ある国の土地が全て私有財産になると、地主は他の人たちと同様に、蒔かないところから刈り取ろうとし、自然の産物に対しても地代を要求する。

森の木や草原の草などの大地の産物は、土地が共有であったときには採取の手間だけで入手できたが、今では採取した人すら、追加の檟格を支払わなければならなくなっている。

採取の許可に対する支払いが必要になり、自分で採取するか生産したもののうちの一部は、地主に引き渡さなければならない。

この部分かその檟格が土地の地代であり、商品の大部分で、檟格の第三の構成要素になる。

91

ここに注意しておかなければならぬことは、価格のこれらすべての構成部分の実際価値が、それら各々の部分をもって購入し又は支配し得る労働量によって測定されるということである。

卽ち労働は、価格のうちの労働に還元する部分の価値を測定するばかりでなく、地代に還元する部分の価値も、利潤に還元する部分の価値も、之を測定するのである。

檟格の構成要素の全てで、その真の檟値を測る尺度は、それぞれによって購入・支配できる勞働の量であることに注意すべきだ。

勞働は、檟格のうち勞働のあてられる部分の檟値を測る尺度であるだけでなく、地代にあてられる部分と利益にあてられる部分でも、檟値をはかる尺度である。

92

すべての社会において、あらゆる商品の価格は、結局これら三つの部分の何れか一つに、又はその全部に還元するものである。

而してすべての進歩した社会においては、これら三つの部分の全部が、大部分の商品の価格の中へ、その構成部分として多かれ尠かれ這入り込んでいるのである。

どのような社会でも、全ての商品の檟格は、この三つのうち一つか二つ、あるいは三つにあてられる。

そして、発達した社会では、商品の大部分でこの三つが全て、多かれ少なかれ檟格の構成要素になっている。

発達した社会では、私有財産制の下で土地を使用する地代(もしくは土地を購入した資金の利息)も商品檟格を構成する。

93

例えば穀物の価格においてその一部は地主の地代を支払い、他の一部はそれを生産するために使用された勞動者及び家畜の賃銀又は維持費を支払い、第三の部分は農業家の利潤を支払うのである。

これら三つの部分が直接にかまたは結局において、穀物の全価格を形成するように思われる。

この外に、農業家の資本を償却するために、言い換えればその家畜その他の農業上の用具の消耗磨損を償うために、第四の部分が必要であると、或は考えられるかもしれない。

だが、農業上の一切の用具の価格、例えば農耕用馬にしても、それ自身が右の三つの部分から成立していることを考えなければならない。

卽ち、その馬を飼育した土地の地代、それを飼育した労働、及びこの土地の地代に並にこの労働の賃金を前払した農業家の利潤、是である。

されば穀物の価格は、たとえ農耕用具の価格と維持費を支払うとは言え、なお直接にか又は結局において、地代と労働(註一)と利潤の三つの部分に分解されるのである。

たとえば、穀物の檟格には、第一に地主の地代にあてられる部分があり、第二に穀物を生産した勞働者の賃金と家畜の維持にあてられる部分があり、第三に農業経営者の利益にあてられる部分がある。

この三つによって、直接的にか、穀物檟格の全体が構成されているとみられる。

第四の部分が、農業経営者の資本を回収するために、つまり、農業に使われる家畜や用具の消耗を補うために必要だと思えるかもしれない。

しかし、農業に使われる家畜や用具の檟格もやはり、同じ三つの部分から構成されることに注意すべきだ。

農耕馬を例にとれば、飼育に使われる土地の地代、世話をする勞働者の賃金、土地の地代と勞働者の賃金を支払う農業経営者の利益の三つで構成されている。

したがって、穀物檟格には農耕馬の檟格と維持費が含まれているとしても、檟格の全体が直接的にか最終的に、地代、賃金、利益という同じ三つの部分にあてられていることに變わりはない。

94

麵麭粉ぱんこ 及び穀粉の価格では、穀物の価格へ製粉業者の利潤とその使用人の賃銀を加えなければならず、麵麭の価格では、更にそれへ麵麭製造家の利潤とその使用人の賃銀を加えなければならず、且つ両者の価格においてこの外に、穀物を農業家から製粉業者のところへ輸送する労働、及び製粉業者から麵麭製造家へ輸送する労働と、それにこれらの労働の賃銀を前払した人々の利潤とを加えなければならない。

小麦粉の檟格の場合には、穀物の檟格に粉屋の利益と従業員の賃金を加えなければならない。

そして小麦粉の檟格とパンの檟格には、農業経営者から粉屋のまで穀物を運び、粉屋からパン屋まで小麦粉を運ぶ勞働者の賃金と、賃金を支払う雇い主の利益を加えなければならない。

95

亜麻の価格も穀物の価格と同じ三つの部分に分解される。

亜麻布の価格においては、我々は更に、亜麻仕上工、紡績工、織工、漂白工等の賃銀と、それらの職工の雇主の利潤を加えなければならない。

亜麻の檟格も、穀物の檟格と同じ三つの部分にあてられる。

亜麻を材料とする亜麻布の檟格には、亜麻仕上げ工、紡績工、織工、漂白工などの賃金と、それぞれの雇い主の利益を加えなければならない。

96

或る一定の商品において、一層多く加工が必要である場合には、その価格の中賃銀及び利潤に分解される部分は、地代に分解される部分に比して、一層大となる。

製造業の進歩するにしたがって、各段階の加工の利潤の数が増加するばかりでなく、後段の利潤は常にその前段の利潤より大である。

と云うのは後の段階の資本(Capital)がいつも一層多額でなければならないからである。

例えば織工を雇う資本は紡績工を雇う資本よりは多額でなければならない。

何となれば前者の資本は後者の資本と利潤を弁償するばかりでなく、その外に織工の賃金を支払うからである。

而して利潤は常に資本にたいして或る割合を保たなければならない。

どの商品でも加工段階が進むとともに、檟格のうちの賃金と利益にあてられる部分の比率が高くなり、地代のあてられる部分の比率が低くなる。

加工が進むと、各段階での利益が積み重なっていくだけでなく、後の段階ほど前の段階より利益が多くなる。

これは、後の段階ほど、利益のもとになる資本が多くなるからである。

たとえば、糸を紡ぐ紡績事業より、次の段階+の織布事業の方が多額の資本を必要とする。

織布事業では、糸を仕入れるときに紡績事業が資本を回収し利益を確保する檟格を支払ったうえ、織工の賃金も支払うからであり、利益は必ず資本に比例するものだからである。

97

だが最も進歩した社会においても、その価格が二つの部分卽ち労働の賃金と資本の利潤にしか分解されない少数の商品が常に存在して居り、又その価格が全然労働のみから成り立っている更に一層少数の商品が常に存在している。

例えば海産魚類の価格においては、一部は漁夫の労働を支払い、他の部分はその漁猟に用いられた資本の利潤を支払うにとどまるのである。

後章で説くようにそこに時としては地代が加わることがあるけれども、そう云う場合は通例稀である。

しかし河川業者においては、尠くともヨーロッパの大部分を通じては、これとは事情が変っている。

鮭漁業は地代には土地の地代を支払う。

この地代には土地の地代と呼び難いものがあるにしても、しかしそれは賃金及び利潤と共に鮭の価格の一部を構成するのである。

スコットランドの或る土地では、少数の貧しい人々があって、海岸をつたって、普通スコットランド瑠璃(Scotch Pebble)の名で知られている斑色のある小石を拾集するのを業としている。

石工業者が彼等拾集業者に支払う価格は、全く彼等の労働の賃金だけであって、地代も利潤もその価格の如何なる部分をも構成していないのである。

しかし、とくに発達した社会でも、檟格が二つの部分、勞働の賃金と資本の利益だけにあてられる商品が少数ながら必ずある。

そしてさらに少数であるが、勞働の賃金だけにあてられる商品もある。

たとえば、海でとれる魚の檟格には、第一に漁師の賃金にあてられる部分があり、第二に漁業に使われる資本の利益にあてられる部分がある。

地代部分があることはめったにない(もっとも、以下の第一編第十一章に示すように、地代部分がある場合もある)

淡水漁業では、少なくともヨーロッパの大部分で事情が違っていて、地代が支払われている。

たとえば、鮭漁業では地代を支払っており、鮭の檟格は、賃金、利益、そして地代の三つの部分から構成されている(土地の地代とはいえないかもしれないが)。

スコットランドの一部では、少数の貧しい人々がスコットランド瑪瑙めのうと呼ばれる斑模様の小石を海岸で探すことを職業にしている。

石細工師がこれらの人に支払う檟格はすべて勞働の賃金になり、地代も利益も入っていない。

98

だが、如何なる商品の全価格も、それは結局においてこれら三つの部分のどれか一つ又は全部に分解されなければならない。

何となれば土地の地代と、その商品の産出、製造及び市場への輸送に用いられた全労働の価格を支払って後、どれだけの残額があっても、それは必然に誰かの利潤でなければならないからである。

しかし、どの商品でも全檟格が最終的に、この三つの部分のいずれかに、あるいは三つの部分のすべてにあてられている。

土地の地代を払い、生産や製造、市場への輸送 に使われた勞働の賃金を支払った後に残るものがあれば、それば誰かの利益になるはずだからである。

99

一つ一つとして観察した各特殊な商品の価格卽ち交換価値が、これら三つの構成部分のどれか一つ又は全部に分解されると同じように、各国家の労働の年々の全生産を構成する一切の商品の価格も、全体として観察すれば、同様な三つの構成部分に分解されなければならない。

卽ち、彼等の労働の賃銀、資本の利潤又は土地の地代として、その国家内の諸の住民の相dない分配されなければならないのである。

各社会の労働によって年々に採集され又は生産されるものの全体、それと同じことであるが、その全価格は、かくして本来その社会の種々の構成人員の或者の間に分配されるのである。

賃銀、利潤及び地代は、一切の収入(revenue)の三つの根本的泉源であると同時に、一切の交換価値の根本的泉源である。

すべての他の収入は、結局においてこれらのもののどれか一つから引出されるのである。

個別の商品の檟格、つまり交換檟値は個々に見た場合、この三つの部分のいずれかに、あるいは三つの部分のすべてにあてられているのだから、ある国で一年間の勞働によって生産される商品の檟格も、全体としてみた場合、同じ三つの部分にあてられているはずであり、その国の住民の間に、勞働の賃金、資本の利益、土地の地代のいずれかとして分配されるはずである。

ある社会で一年間の勞働によって生産されるもの、言い換えれば生産物の総額はまず、この三つの部分にあてられ、社会の構成員に分配される。

賃金、利益、地代の三つがすべての収入の源泉であり、すべての交換檟値の源泉である。

その他の収入はすべて、最終的にこの三つの源泉のうちのどれかに由来している。

100

何人にしても彼自身の持っている資源(fund)からその収入を引き出すものは、彼の労働からか、彼の資本からか、乃至は彼の地代から、それを引き出してこなければならない。

労働から引き出された収入は賃銀と呼ばれる。

資本を支配し又は使用する人々によって、資本から引出された収入は、利潤と呼ばれる。

而して、自身で資本を使用しないで、それを他人に貸す人々によって、その資本から引出される収入は、貨幣の利子(interest)又は使用料(use)と呼ばれる。

卽ち利子は、借手がその借りた金を使用して始めて獲得の機会を与えられた利潤にたいして、貸手に支払う報酬である。

その利潤の一部は自然、資本を使用するのを危険を冒しその労苦を敢てした借り手に属し、一部は借手にこの利潤獲得の機会を提供した貸手に属する。

貨幣の利子は常に一個の派生的収入(derivative revenue)であって、その借手が第一の負債の利子を支払うために第二の負債を契約する浪費漢でない限り、その借入資本の使用によって獲得した利潤によってそれを支払い得ない場合には、何等か他の収入の宣言から支払わなければならぬものである。

専ら土地から生ずる収入は、地代と呼ばれて、地主に属する。

農業家の収入はその一部を彼の労働から引出し、他の一部を彼の資本から引き出してくる。

彼にとっては土地は、依って以ってこの労働の賃金を収得し、この資本の利潤を造出することのできる用具にすぎないものである。

一切の租税、これをもと とした一切の収入、一切の棒給、恩給、及び各種の年金は、結局においてこれら三つの収入の泉源の何れか一つから引出されるものであって、何れも直接にか間接にか、労働の賃銀、資本の利潤又は土地の地代から支払われるのである。

自分自身で収入を得るものは誰でも、勞働、資本、土地のどれかから収入を獲得しなければならない。

勞働から得る収入は賃金と呼ばれる。

資本を管理するか使用する人が資本から得る収入は利益と呼ばれる。

資本から得られる収入のうち、自分で資本を使うのではなく、他人に貸す人が得るものは資金の利用料であり、利子と呼ばれる。

利子は、借り手が貸し手に支払うものであり、借りた資金を使って利益を獲得する機会を得たことに対する報酬である。

その利益の一部は当然、資金を使うことに伴うリスクと手間にを負担した借り手のものになる。

そして一部は、この利益を得る機会を与えた貸し手のものになる。

利子はつねに派生的な収入であり、資金を使って得た利益によって支払うのでない場合には、他の収入源から支払わなければならない。

借り手に浪費癖があり、借金の利子を払うためにまた借金をするのでないかぎりは、そういえる。

土地の所有だけから生まれる収入は地代と呼ばれ、地主のものになる。

農業経営者の収入は、一部が自分の勞働から生まれ、残りは資本から生まれる。

農業経営者にとって土地は、自分の勞働による賃金を得られるようにし、自分の資本で利益を得られるようにするための手段に過ぎない。

すべての税金と、税金に基づくすべての収入、たとえば各種の棒給、恩給、年金型国債による収入は、いずれも最終的にこれら三つの収入の源泉のうちどれかに由来しており、勞働の賃金、資本の利益、土地の地代のどれかによって直接、間接に支払われている。

101

これら三種の収入がそれぞれ別個の人に配分される時は、それらは容易に区別されるが、それらが同一人に帰する場合には、時として互に混同される。

尠くとも日常の用語においてそうである。

この三種類の収入は、それぞれ別の人が得ているときには、簡単に区別できるが、同じ人が得ている場合には、少なくとも日常用語では混同されることがある。

102

自己の所有する土地の一部を自ら経営する地主農業家(Gentleman)は、耕作の費用を支払った後には、地主としての地代と利潤とを混同する。

尠くとも日常の用語においてはそうである。

わが北アメリカ及び西印度の植民者の大部分は、かかる境涯きょうがいにある。

彼等の大部分は自身の所有地を経営して居り、したがって植民耕地の利潤という言葉を屢々聞くが、その地代という言葉を聞くのは稀である。

地主が所有地の一部でみずから農業経営を行う場合、農耕の経費を支払った後に残る収入は、地主としての地代と農業経営者としての利益からなっている。

しかしこの場合、収入の全体を利益と呼ぶことが多く、少なくとも日常用語では地代を利益と混同している。

北アメリカと西インド諸島にあるイギリス植民地の農園経営者はほとんどの場合、こういう状況にある。

農園経営者の大部分は自分の所有地で農園を経営しており、農園の地代はめったに話題にならないが、農園の利益が話題になることは多い。

103

普通の農業家でその農地の一般的作業を指導させるために監督人を雇っておくような場合は、殆んど無いのであって、彼等は概してくわ夫、すき 夫として、自分の手で多く農事に従事している。

であるから彼等の収穫物の中地代を支払った残りのものは、彼等にたいしてこの農耕に使用された資本と、その普通の利潤とを支払わなければならぬばかりでなく、勞動者及び監督者として彼等の受け取る可き賃銀をも支払わなければならないのである。

だが地代を支払い資本を回収した後に残ったものは、凡て利潤と呼ばれている。

しかし明らかに賃銀がその一部を構成している。

この場合農業家は自分の労働で賃銀を節約しているのであるから、必然にその賃銀を自分で収得しなければならない。

こんなわけでここでは賃金と利潤とが混同されている。

国内の普通の農業経営者が、農耕全体の指揮を採る監督を雇うことはまずない。

たいていは、自ら鋤や鍬をなどをつかって、懸命に働いている。

このため、地代を払った後に残る収穫物には、農耕に使った資本を回収し、通常の利益を得る部分だけでなく、勞働者として監督者として受け取るべき賃金の部分があるはずである。

しかし、地代を支払い、資本を回収した後に残るものは利益と呼ばれている。

だが、その一部は明らかに「賃金」である。

農業経営者は自らの勞働で勞働者と監督者に支払う賃金を節約したのであり、その分は自分の賃金になるはずである。

したがって、この場合には賃金が利益と混同されている。

104

材料を購入する資本も持ち、その材料に加工して製品を市場へ送り出すまで、自分の生活を支える資本も持っている独立の製造業者は、親方の下に労働する渡り職人の賃銀と、その親方がその職人の製作品を売却して獲得する利潤と、この双方を収得しなければならぬ筈である。

だが彼の全収得は普通に利潤と呼ばれている。

ここでもまた賃銀と利潤とが混同されている。

製造業を自営していて、原材料の仕入れと、製品を市場に出すまでの生活費をともに負担できるだけの資本を持っている人は、雇い主のもので働くときに熟練工として得る賃金と、熟練工が作った製品を売って雇い主が得る利益の両方を獲得するはずである。

しかし、収入の全体が通常、利益と呼ばれており、この場合にも賃金が利益と混同されている。

105

自分の手で自分の所有の農園を耕作する園芸家は、三種の異った人間の性質、卽ち地主、農業家及び労働者の性質を、その一身に結合している。

故に彼の生産物は彼にたいして、地主の地代、農業家の利潤及び労働者の賃銀を支払うべきものである。

然るにこの場合彼の全取得は普通に彼の労働の取得と考えられている。

ここでは地代と利潤の二つが賃金と混同されている。

自分が所有する畑を自分で耕作する園芸農家は、地主、農業経営者、勞働者という三つの立場を兼ね備えている。

したがって、収穫物によって、地主としての地代、農業経営者としての利益、勞働者としての賃金を得るはずである。

だが、通常は収入全体が「勞働」によって得たものだと考えられている。

この場合には、地代と利益が賃金と混同されている。

106

文明国にあっては、その交換価値が労働のみから成る商品は極く僅かであって、大部分の商品の交換価値には地代及び利潤が多量に含まれているのであるから、その国の労働の年生産物は常に、その生産物を産出し、精製し、市場に持出すために使用された労働よりは、遙かに多量の労働を購入し又は支配するに足るであろう。

もしその社会が年々購入し得るだけの労働を全部年々使用するとすれば、勞動量は年次に大いに増加するであろうから、各年次の生産物の全部が、勤労者を支持するために使用されるような国家は、どこにも存在しないのである。

何れの国家においても、遊惰者がその年々の生産物の大部分を消費する。

その国の年々の生産物の普通価値又は平均価値が年々に増加するか、減少するか、又は同一状態であるかは、それが人民のこの二つの階級(order)の間に年々に配分される割合の相違によって、決定されなければならない。

文明国では、勞働だけから交換檟値が生じる商品は極めて少なく、大部分の商品で地代と利益が交換檟値のうちかなりの部分を占めるので、その国の勞働による一年間の生産物はつねに、それを生産し市場に運ぶために使われた勞働より、はるかに大量の勞働を購入・支配できる分量になる。

その国が年間の生産物で雇える勞働をすべて雇用した場合、勞働の量は毎年、大幅に増加するので、年間の生産物の檟値は毎年、前年よりも大幅に増加するだろう。

しかし、年間の生産物をすべて勤勉な人を維持するために遣う国はない

どの国でも生産的な勞働に携わらない人が、かなりの部分を消費する。

そして、生産物が毎年、この二種類の人の間に分配される比率によって、生産物の通常檟値、平均檟格が毎年増加するか、減少するか、横ばいになるかが決まるはずである。

第七章 商品の自然檟格及び市場檟格について

107

各社会又はその近接地域においては、労働及び資本の各種使用のそれぞれに、賃銀及び利潤の普通率(ordinary rate)又は平均率(average rate)が存在する。

この率は、後章で説くように、一部はその社会の一般的事情卽ちその富めるか貧しきか、進歩しているか停止しているか、又は退歩しているかによって自然に規定せられ、一部は各使用のそれぞれの特性によって自然に規定される。

どの社会、その地域にも、勞働の賃金と資本の利益には、業種ごとに相場になっている通常で平均的な水準がある。

この相場は後に示すように、一つには社会全体の状況によって、つまり豐かか貧しいか、発展しているのか停滞しているのか衰退しているのかによって、もう一つはそれぞれの業種の性格によって、自然に決まっている。

108

同様に各社会又はその近接地域においては、地代の普通率又は、平均率が存在し、これも亦、後章で説くように一部はその土地の介在する社会又はその近接地域の一般的事情によって規定せられ、一部はその土地の自然的肥沃性又は改良された肥沃性の如何によって規定される。

同様に、どの社会、その地域にも地代の相場があり、これも後に示すように、一つにはその土地がある社会や地域の全体的な状況によって、もう一つにはその土地の本来の地味や耕作で肥えた地味によって決まっている。

109

これらの普通率及び平均率は、これをその率が一般に支配している時と場所においての、賃銀、利潤及び地代の自然率(natural rate)と読んでもよいであろう。

こうした相場は、その時期その地域での賃金、利益、地代の自然水準と呼ぶこともできる。

110

或る商品の価格が、その商品を産出し精製し市場に提供するために使用された土地の地代、労働の賃銀及び資本の利潤を、それら自然率にしたがって支払うに足る額よりも、多くもなければ尠くもない場合には、その商品はそれの自然価格とも呼ばれるもので売却されたのである。

ある商品を生産し市場に運ぶのに使われた土地の地代、勞働の賃金、資本の利益それぞれの自然水準に従ってえ過不足なく支払える檟格を、その商品の自然檟格と呼ぶこともできる。

111

この場合にはこの商品は、その持つ価値だけに、言い換えればその商品を市場に提供した人に実際において値しただけに、正確に売却されたのである。

何となれば普通の用語で或る商品の原価(price cost)と呼ばれているものには再びその商品を売却しようとする人の利潤は含まれていないが、若しその人が近隣の普通率の利潤を彼にもたら さないような価格でその商品を売却するとすれば、彼は明らかにこの商業においての損失者である。

と云うのは若し何等か他の方面へその資本を使用すれば、彼は普通率の利潤を獲得することが出来たに違いないからである。

その上からの利潤は彼の収入であり、彼の生活の本来の資源である。

彼はこの貨物を準備し市場に提出する間、その使用する労働者に賃銀を、卽ちその生活資料を前払するのであるが、同時に彼自身の生活資料をも前払するのであって、この彼自身の生活資料が一般に、彼の貨物の売却から合理的に期待さるべき利潤に相当するものである。

だから若しこれらの貨物が彼にこの利潤をもたらさないとすれば、正にそれらの貨物は、それが実際その人に値したと云ってもよいものを、その人に弁償しないのである。

ある商品の自然檟格とは、その商品の値打ち通りの檟格であり、その商品を市場に供給した人にとって、實際に要した額に等しい檟格である。

ここでいう實際に要した額は、日常の言葉で原檟や元値と呼ばれているものとは違って、資本の利益を含んでいる。

原檟には売り手の利益が入っていないが、その地域での通常の利益を確保できない商品を売れば、売り手は明らかに損失を被る。

資本を別の分野に振り向けていれば、通常の利益率を確保できたとみられるからだ。

それに、利益は売り手にとっての収入であり、生活を支えるために必要である。

商品を生産し市場に運ぶ際に、売り手にとっての収入であり、生活を支えるために必要である。

商品を生産し、市場に運ぶ際に、売り手は雇った勞働者に賃金を支払い、勞働者の生活を支えている。

そして同時に、自分の生活費を負担しており、この生活費は普通、商品を販売して得られると十分に予想できる利益に見合っている。

このため、それだけの利益を得られない場合には、實際に要したといえる額を回収できないことになる。

112

されば彼にこの利潤を保証する価格は、必ずしも商人が往々その値で彼の貨物を売却する価格中での最低のものではないが、彼が或る長い期間においても恐らくその貨物を売却する上での最低のものである。

尠くとも完全な自由が行われている処、卽ち思うままにその職業を変更し得る処においてはそうである。

したがって売り手は、そうした利益を確保できる檟格以下で商品を売ることがないわけではないにしても、かなりの期間にわたって、この檟格以下で販売を続けるとは考えにくい。

少なくとも、完全な自由があり、職業をいつでも變えられるのであれば、そうするとは考えにくい。

113

通例或る商品の販売される実際価格は、その市場価格と呼ばれる。

市場価格はその商品の自然価格以上である時もあれば、以下である時もあり、またそれと一致する時もある。

ある商品が實際に売買される一般的な檟格を、市場檟格と呼ぶ。

市場檟格は、自然檟格より高い場合も低い場合もあり、自然檟格に一致する場合もある。

114

あらゆる特定の商品の市場価格は、実際に市場に提供される商品の量と、その商品の自然価格——卽ちそれを市場に提供するために支払わねばならぬ地代、 労働及び利潤の全檟値——を支払う意嚮いこうのある人々の需要との間の割合によって規定される。

そういう意嚮のある人々は之を有効需要者(effictual demander)と呼び、その人々の需要を有効需要(effictual demand)と呼んでもよいであろう。

と云うのはそういう需要は商品の市場への提供を有効ならしめるに足るからである。

有効需要は絶対需要(absolute demand)とは別個のものである。

一人の極めて貧しい人も、或る意味においては六頭立馬車にたいする需要を持っていると言ってよいであろう。

彼も出来ればそれが欲しいであろうから。

だが、その欲望を満足させるために、その商品が市場に提供されるようなことは絶対にあり得ないのであるから、彼の需要は有効需要ではないのである。

個々の商品の市場檟格は、實際に市場に供給される量と、その商品の自然檟格(つまり、商品を市場に供給するために必要な地代、賃金、利益の総額)支払う意思のある人の需要との比率によって決まる。

こうした意思のある人は有効需要者と呼ぶことができる。

その需要は有効需要と呼ぶことができる。

商品を市場に供給する動きを引き起こす効果がある需要だからである。

有効需要は需要全体と同じではない。

どれほど貧しい人にも、六頭立て馬車に対する需要があるともいえる。

馬車を持てればと願っているかもしれない。

しかし、これは有効需要ではない。

この需要を満たすために商品が市場に供給されることはないからだ。

115

市場に提供された或る商品の量が、有効需要を満すに足りない場合には、地代、賃銀及び利潤の全檟値——その商品を市場へ提供する為に支払われねばならぬもの——を支払う意識のある人々が、一人残らずその欲するだけの量を提供されると云う訳にはゆかない。

その場合、彼等の中の或者は全然この商品を買取らずに帰るよりは、寧ろ、一層多くの価格を支払ってそれを購入しようとするであろう。

すると直ちに彼等の間に競争が開始されるであろう。

その結果市場価格は多かれ尠かれ自然価格以上に昇るであろうが、その上昇の度合は、右の商品の不足の度合又は競争者の富 及び放恣ほうし奢侈しゃしがその競争の熱を煽る度合に応ずるであろう。

富を同じうし奢侈の程度を同じうする競争者の間では、同様な不足が一般に競争の熱を煽る度合は、その商品の購入がその場合彼に対して有する重要性の如何に応ずるであろう。

一都市の封鎖中又は飢饉の場合の生活必需品の価格の暴騰は、ここから来るものである。

市場に供給された商品の量が有効需要に満たないい場合には、商品を市場に供給するために必要な地代、賃金、利益の全額を支払う意思のある買い手でも、全員が希望する通りの量を買える状況ではなくなる。

買い手の一部は、商品を入手できないままになるより、もっと高い金額を支払って買おうと考える。

そこで、買い手の間の競争が起こり、市場檟格が自然檟格を多かれ少なかれ上回ることになる。

どこまで上回れるかは、不足の程度や、競争に加わった買い手の富と気まぐれな贅沢によって、競争がどこまで激しくなるかで決まってくる。

富と贅沢さの程度が同じであれば、その商品を入手することがどこまで重要なのかによって、競争の激しさが決まるのが一般的である。

都市が封鎖されるか、飢饉が起こった場合に生活必需品が法外な檟格になるのは、このためだ。

116

市場に提供された商品の量が有効需要を超過する場合には、その商品の全部が、 地代、賃銀及び利潤の全檟値——その商品を市場に提供する為に支払わるべきもの——を支払う意嚮いこうのある人々によって、 一つ残らず買い取られると云うわけには行かない。

或部分はその檟値以下を支払う意嚮のある人々に売渡されねばならず、したがってその人々が右の部分に支払う低い価格は、全体の価格を引下げなければならない。

この場合市場価格は多かれ尠かれ自然価格以下に下降するであろうが、その下降の度合はその超過の程度が売手の競争を増加する度合に、又はその場合卽時に右の商品を売却することが売手にたいして有する重要性の度合に応ずるであろう。

されば腐敗性の商品の搬入における同様な超過は、耐久性の商品の場合よりは遙かに競争を大ならしめるであろう。

例えば古鐡ふるがねの場合よりもオレンヂの輸入超過の場合の方が、売手の競争が甚しくなるの類である。

市場に供給された商品の量が有効需要を上回る場合、商品を市場に供給するために必要な地代、賃金、利益の全額を支払う意思のある買い手だけでは、商品を売り尽くすことはできない。

一部は、この金額を下回る檟格でなら買う人に売るしかなく、こうした人に安い檟格で販売すれば、全体の檟格が下がらざるを得ない。

この結果、市場檟格は自然檟格を多かれ少なかれ下回ることになる。

どこまで下回るかは、超過の程度によって売り手の競争がどこまで激しくなるかや、売り手にとって商品をすぐに売ることがどこまで重要なのかで決まってくる。

超過の程度が同じであれば、腐敗しやすい輸入品のほうが耐久性のある輸入品よりも競争が激しくなる。

たとえば、オレンジの方が鉄製品より競争が激しくなる。

117

市場に提供された商品の量が、ちょうど有効需要を満すだけの量であって、少しの超過も来たさない場合には、市場価格は自ら正確に自然価格と同一なるものとなるか、又は我々の判断し得る限りそれに近いものとなる。

市場にある右の商品の全量は、之をその価格で売捌くことが出来、それ以上での価格で売捌くことはできない。

諸商人は競争の結果何もこの価格を承諾せざるを得ないが、これ以下の価値を承諾する必要はないのである。

市場に供給された商品の量が有効需要に等しい場合、市場檟格は当然、自然檟格に等しくなるか、ほぼ等しいといえるほどになる。

供給された全量がこの檟格で売却でき、自然檟格を上回る檟格で売ることはできない。

売り手の間の競争によって、売り手全員がこの檟格を受け入れるしかなくなるが、自然檟格を下回る檟格を受け入れる必要はない。

118

市場に供給される各商品の量は、自然に有効需要に適合するようになる。

と云うのはその量が決して有効需要を超過しないということは、何等かの商品を市場へ提供するためにその土地、労働又は資本を使用する人々の凡てにとって利益だからであり、又その量が決して有効需要以下でないと云うことは、凡ての他の人々にとって利益だからである。

市場に供給される商品の量は、自然に有効需要に見合ったものになる。

市場に商品を供給するために土地、勞働、資本を使う人にとっては、供給量が有効需要を上回らないことが利益になり、それ以外の全ての人にとっては、供給量が有効需要を下回らないことが利益になる。

119

若し或る場合に、市場に提供される商品の量が有効需要を超過するならば、その商品の価格の構成部分の或物が、その自然率以下で支払わなければならない。

そのことが地代について起これば、地主の利益は即刻彼を促してその土地の一部をその使用から撤回せしめるであろうし、もしそれが賃銀か又は利潤において起れば、前の場合では労働者の利益、後の場合では雇主の利益が、彼等を促してその労働又は資本の一部をその使用から撤回せしめるであろう。

そこで市場に提供される商品の量は、間も無く有効需要を満たして余りの無いものとなり、その価格の凡ての構成部分はその自然率に達し、全価格は自然価格に達するであろう。

供給量が有効需要を上回った場合には、檟格の構成要素のうちどれかで、檟格が自然水準を下回るようになる。

地代がそうなった場合、地主は自分の利害を考えて、すぐに土地の一部をその商品の生産にあてなくなる。

賃金か利益がそうなれば、勞働者か雇い主が自分の利害を考えて、それぞれ勞働か資本の一部をその商品の生産にあてなくなる。

その結果、市場への供給はすぐに有効需要を満たす量を上回らなくなる。

檟格を構成する各部分は、それぞれの自然水準まで檟格が上昇し、商品の檟格は自然檟格まで上昇する。

120

これに反して市場に提供される商品の量が或る場合有効需要を満たすに足りないようなことがあれば、その価格の構成部分の或物はその自然率以上に上昇しなければならない。

そのことが地代において起これば、凡ての他の地主の利益は自然彼等を促して、この商品産出のために一層多くの土地を提供せしめるであろう。

又それが賃銀又は利潤において起れば、凡ての他の勞動者及び商人の利益は直ちに彼等を促して、その商品の製出及び市場への提供に一層多くの労働と資本を使用せしめるであろう。

そこで市場に提供される商品の量は間も無く有効需要を充すに足るものとなり、その価格の凡ての構成部分は間も無く自然率に下降し、全価格はその自然価格に下降するであろう。

これに対して、市場への供給量が有効需要を下回った場合には、檟格の構成要素のうちどれかで、檟格が自然水準を上回るようになる。

地代がそうなった場合、他の地主が自分の利害を考えて、土地の一部をその商品の生産にすぐにあてるようになる。

賃金か利益がそうなれば、他の勞働者か雇い主が自分の利害を考え、それぞれその商品の生産と供給に充てる勞働か資本をすぐに増やす。

その結果、市場への供給はすぐに有効需要を満たせるようになる。

檟格を構成する各部分はそれぞれの自然水準まですぐに檟格が低下し、商品の檟格は自然檟格まで低下する。

121

されば自然価格は、云わば、あらゆる商品の価格が不断にそれに引き付けられている中心価格(Central Price)である。

種々な出来事のために、時としてその価格が自然価格より可成り高い状態に留まっているようなことがあり、また時としては強いて多少それ以下に引き下げられるようなことがあるかも知れない。

だが、市場価格がこの安定及び持続の中心に落ち着くことを妨げる障碍が何であろうとも、市場価格は不断にこの中心へと引き付けられているのである。

したがって、自然檟格はいうならば中心檟格であり、すべての商品の檟格が絶えず自然檟格に引き寄せられるている。

偶然の動きによって、商品の檟格が自然檟格をかなり上回る状況が続いたり、自然檟格を幾分下回る状態になったりすることもある。

しかし商品の檟格は、静止し持続するこの中心に落ち着くのを妨げるどのような要因があろうと、いつもこの中心に向かって動いている。

122

或る商品を市場へ提供するために年々に使用される勤労の全量は、かくして自然に有効需要に適合する。

その勤労の全量は自然、常に有効需要を充して余りなき量だけを市場へ提供しようと目指すのである。

ある商品を市場に供給するために年間に供給するために年間に投じられる勞働量は、こうして自然に有効需要に見合ったものになる。

この勞働量は、市場への供給量が常に有効需要を過不足なく満たせるものになるように、自然に調整されている。

123

だが、ある仕事においては、勤労の量は同一であっても、年々に生産する商品の量に非常な相違があるであろう。

然るに他の仕事においては、同一量の勤労がいつも同一か又はほぼ同一量の商品を生産するであろう。

農業においては同一数の労働者が、年々に生産する穀物、葡萄酒、油及び忽布ホップ等の量に非常な相違があるであろうが、 同一数の紡績工及び織工は毎年同一量か又はほぼ同一量の亜麻布及び毛織物を生産するであろう

ある種類の産業においては、有効需要に適合させることの出来るのは、その平均生産物だけである。

その実際の生産物は平均生産物より屢々非常に多いこともあれば、非常に尠いこともあるのであるから、市場に提供される商品の量は時としては有効需要より可成り以下である場合もあれば、可成りそれ以上であることもあるであろう。

されば、たとえ有効需要がいつも同一程度を継続するようなことがあったとしても、その市場価格は大きな変動を受け、或時はその自然価格より可成り下落し、或時はそれより可成り上騰するであろう。

然るに他の種類の産業においては、同一量の労働の生産物は常に同一か又はほぼ同一であるから、その生産物の量を有効需要に一層正確に適合させることが出来る。

されば有効需要が同一状態を継続する間、その商品の市場価格も亦同一状態を継続し、その自然価格と全く同一か又は我々の判断し得る限りの同一に近いものとなる。

亜麻布及び毛織物の価格に穀物の価格に見るような頻々しくしくたる変動もなければ大きな変動もないのは、何人も経験によって知っているであろう。

或る種類の商品の価格は、需要の変動につれてのみ変動する。

然るに他の種類の商品の価格は、需要の変動につれて変動するばかりでなく、その需要を充たすために市場に提供される商品の量における遥かに大きな且つ遥かに頻繁な変動につれて変動する。

しかし、同じ勞働量によって生産される商品の量が、年ごとに大きく違う産業もあり、また、毎年ほとんど變わらないものもある。

農業では、勞働者の数が同じでも、年によって穀物、ワイン、種子油、ホップなどの生産量が大きく違うが、紡績や織布では、同じ数の勞働者が生産する亜麻布や毛織物の量は、毎年ほぼ變わらない。

生産量が年によって變わる産業では、有効需要に見合ったものになるとは言えるのは、平均生産量だけである。

實際の生産量は平均生産量を大きく上回ったり、大きく下回ったりすることが多いので、市場への供給量は有効需要を大きく上回ったり下回ったりする。

このため、有効需要に變化がなくても、市場檟格が大幅に變動し、ときには自然檟格を大きく下回り、ときには大きく上回る。

これに対して、勞働量が等しければ生産量がほぼ等しい産業では、生産量をもっと正確に有効需要に見合ったものにすることができる。

このため、有効需要に變化がなければ、商品の市場檟格もやはり變化せず、自然檟格に等しくなるか、ほぼ等しいと言える水準になる。

よく知られているように、亜麻布や毛織物の檟格は穀物檟格ほど頻繁に變動することはないし、大幅に變動することもない。

勞働量が等しければ生産量がほぼ等しい商品では、檟格の變動をもたらすのは有効需要の變動だけである。

これに対して、生産量が年によって變わる商品では、檟格の變動をもたらすのは有効需要の變動だけではない。

需要を満たすために市場に供給される量がはるかに頻繁に、はるかに大幅に變動して、檟格の變動をもたらしている。

124

何等かの商品の市場価格における随時的一時的変動は、その価格の中の賃金と利潤に分解される部分に、主として影響するものであって、地代に分解される部分がそれから受ける影響は比較的尠いのである。

貨幣で設定されてある地代は、その率においても又その価値においても、それによって少しも影響されることは無い。

粗製生産物の一定の割合又は一定の量から成立っている地代は、疑いもなくなくその年々の価値において、その粗製生産物の市場価格における凡ゆる一時的変動によって影響されるが、その年々の率において、それの影響を受けることは稀である。

借地契約の条件を設定するに当って、地主及び農業家は全知識を傾けて、生産物の随時的一時的の価格に準ぜず、平均普通の価格に準じて、その率を定めようと努めるからである。

商品の市場檟格の一時的な變動は主に、檟格のうち賃金と利益にあてられる部分に影響を与える。

地代部分への影響は少ない。

決まった額が支払われる金銭地代の場合には、率にも金額にも全く影響がない。

生産物の決まった比率か決まった量が支払われる場合ではもちろん、生産物の市場檟格が一時的變動すれば、年間に受け取る地代の金額が變わるが、地代の自然水準にまで影響が及ぶことはまずない。

地主と農業経営者は、土地の賃貸借契約の条件を取り決めるにあたって、それぞれの最善の判断に従って、地代の水準が生産物の一時的檟格ではなく、通常檟格、平均檟格に見合ったものになるように努力しているからである。

125

そう云う随時的一時的変動は、その時市場が商品を仕入れ過ぎているか又は仕入不足であるか、或は労働を仕入れ過ぎているか又は仕入不足であるか、言い換えれば成し終わった仕事が多過ぎるか又は不足であるか、これから成さるべき仕事が多すぎるか又は不足であるかに応じて、賃金又は利潤の価値の上にも率の上にも影響する。

公葬のある場合には黒布(そう云う場合には殆んど常に市場にはその品が不足している)の価格が騰貴し、それをどれだけか多量に持っている商人の利潤を増加する。

が、それは織工の賃金の上に何等の影響も及ぼさない。

市場はその時商品の手持には不足しているが労働には不足していないのである。

言い換えれば成し終わった仕事には不足しているが、これから成さるべき仕事には不足していないのである。

公葬はまた渡り裁縫職人の賃金を釣上げる。

この場合市場は労働の手持に不足しているのであって、実際手に入れ得るよりも一層多量の労働、卽ちこれから成さるべき一層多くの仕事にたいして有効需要があるのである。

公葬は一方色附絹布けんぷ及び織布の価格を下落せしめてどれだけか多量にそれを持っている商人の利潤を減少する。

同時にまたそういう商品の精製に使用されている労働者の賃銀を低下せしめる。

というのは六ヶ月の間、否恐らくは一ヶ年の間そういう商品にたいする一切の需要が停止するからである。

この場合市場は商品と労働の双方を仕入れ過ぎているのである。

商品の市場檟格の一時的な變動は、賃金か利益か、どちらかの率と金額の両方に影響を与える。

賃金と利益のどちらかに影響を与えるかは、そのとき市場で供給が過剰か不足になっているのが商品なのか勞働なのか、つまりすでに行われた仕事なのか、今後に必要な仕事なのかによって決まる。

公の喪があると、黒い布の檟格が上昇する(黒い布は喪の際にほとんど必ず不足している)

そして、黒い布を大量に持っていた商人の利益が上昇する。

織工の賃金には影響を与えない。

市場で不足しているのは生地ではなく商品であって、生地を生産する勞働ではないからだ(すでに行われた仕事であって、今後に必要な仕事ではないからだ)

だが、仕立て工の賃金は上昇する。

この部分では勞働が不足するからだ。

勞働に対する有効需要、仕事に対する有効需要が供給量を上回るのである。

また、色物の絹織物や毛織物の檟格が下がり、これらを大量に抱えている商人の利益が減少する。

さらに、これらの商品を生産するために雇われている勞働者の賃金が下がる。

色物の需要が6ヶ月間、おそらくは一年にわたって止まるからである。

この部分では、商品と勞働がどちらも過剰になる。

184

だが、各特定の商品の市場価格は、かくして常に自然価格の方へ引寄せられているとも云うべき状態に在るとは云っても、或時は特殊な偶発事、或時は自然的原因、又或時は特殊な政策上の規定のために、多くの商品の市場価格が、相当長い期間自然価格より可成り高い状態を保っている場合がある。

すべての商品の市場檟格はこのように自然檟格に絶えず引き寄せられているといえるが、ときには偶然の動きや自然要因、政府の法律によって、さまざまな商品で市場檟格が長期にわたって自然檟格を大きく上回り続けることがある。

185

有効需要に増加があって、或る一定の商品の市場価格が相当に自然価格以上に上騰する場合には、その商品を市場へ供給するために自分の資本を使用する人々は、概してこの変化を隠蔽しようと苦心する。

もしその変化が一般に知れ渡れば、その利潤を大は多くの新しい競争者を誘発してこの仕事に彼等の資本を使用せしめ、その結果有効需要は完全に満たされて、市場価格は間も無く自然価格へ加工して仕舞うか、恐らく時としてはそれ以下にさえなってしまうであろう。

若し市場がその商品を供給する人々の住家から非常に距っているならば、彼等は時としては数年間も秘密を保ち得ることがあり、したがってそんなに長い間一人の新競争者も出さずに彼等の異常な利潤を享受し得ることがある。

だが長くこの種の秘密の保たれることのない事実は、これを認めなければならない。

而してその以上な利潤はその秘密の保たれる期間以上は続き得るものではないのである。

有効需要が増加して、ある商品の市場檟格が自然檟格を大きく上回ったとき、その市場に供給するために資本を投じている商人は通常、この變化を秘密にしようとする。

この變化が知れ渡るようになれば、利益率の高さに引かれて、多数の新たな競争相手がその商品の供給に資本を投じようとするので、有効需要がすべて満たされるようになり、市場檟格はすぐに自然檟格まで下がる。

おそらくはしばらくの間、それ以下にまで下がるだろう。

その商品を供給する商人の住居が市場から遠く離れていれば、秘密を何年間にわたって守り通すことができ、新たな競争相手が参入しないまま、異例の利益を長く得られるかもしれない。

しかし、この種の秘密を長く維持できることは滅多にないと言えるし、秘密を守れなくなればすぐに異例の利益も維持で着なくなる。

186

商業よりも製造業の方が、秘密を長く保つことができる。

一人の染色業者があって、普通に普通に使用される材料の半値しかない材料で特殊の染色を施す方法を発見したとして、彼れは立派に経営さえすれば、一生涯その発見から来る利益を享受することもできるであろうし、それを遺産として子孫に伝えることさえも出来るであろう。

彼の異常な利益は、彼の個人的労働に支払われる高い価格から来るものである。

しかし本来からすれば、その利益は彼の労働の高い賃金から成っているのである。

とは言えその利益は彼の資本の各部分において繰返し獲得されるものであり、その総額はその場合彼の資本にたいして一定の割合を保っている物であるから、その利益は通例、資本にたいする異常利潤としてして考えられている。

製造業での秘密は、商業での秘密よりも長期にわたって維持できる。

自営の染色工が普通に使われる染料の半分の檟格で買える原料を使ってある色に染める方法を見つけたとする。

うまく管理すれば、この発明による優位を一生にわたって確保できるだろうし、遺産として子孫に残すことすらできるかもしれない。

これによる異例の収益は、染色工が秘密の製法を使って働いていて勞働の檟格を高く維持していることから生じている。

實際には、染色工の自然水準より高い勞働賃金の高さに由来しているのだ。

しかし、異例の収益は染色工の資本のすべて原材料や銀行など資本の供給者で生じるし、その総額は資本の大きさに比例するのでその他の資本の供給者にも異例の収益は及び、一般には通常の資本の利益の水準ではなく資本の特別利益だと考えられている。

187

市場価格におけるこの種の高値は、明らかに特殊な偶発事の結果であるが、その作用は時としては数年に亙って継続することもある。

以上の場合、市場檟格が自然檟格を上回っているのは明らかに、偶然の結果だが、それでも、その作用が何年にもわたって続くことがある。

188

或る自然生産物はそれが生産において地質と地位に一定の特殊性を必要とする。

その結果或る大国においてその生産に適している土地の全部をもってしても、有効需要を充すに足りない場合があり、その場合には市場に提供されるその生産物の全量は、それを産出した土地の地代と、それを精製し市場に提供する上に使用された労働の賃銀及び資本の利潤とを、それらのものの自然率に従って支払うに足る価格よりも、一層多くの価格を支払う意向のある人々に売渡されるであろう。

そういう商品は数世紀の間引続きその高値で売却されることがあり、その価格の中土地の地代に分解される部分が、この場合概してその自然率以上に支払われる部分である。

かかる特異な高値な生産物を産出する土地の地代、例えば特に多幸な地質と位置を持っているフランスの或る葡萄栽培地の地代の如きは、同様に肥沃で同様に善く耕されているその近接地の他の土地の地代にたいして、何等正規の割合を保っているものではない。

ところがこれに反して、そういう商品を市場に提供する上に使用される労働の賃銀と資本の利潤とは、近接地において他の業務に使用される労働の賃銀と資本の利潤にたいして、その自然的割合を越えることは稀である。

自然の産物に中には、特殊な土壌や場所でなければ生産できないものがあり、ある大国でそれに適した土地がすべて使われても、有効需要を満たせない場合がある。

この場合、市場に供給される全量が自然檟格(それを生産する土地の地代、生産と市場への輸送に使われる勞働者の賃金、資本利益を自然水準にしたがって支払うのに必要な金額)以上を支払う買い手に販売されることになろう。

このような商品は、何世紀にもわたって高檟格で売買されうる。

そしてこの場合、檟格のうちに地代に当てられる部分が一般に、自然水準以上に支払われる部分になる。

例えば、土壌と場所に恵まれたフランスの一部の葡萄ぶどう 園がそうだが、貴重な産物を生産できる土地の地代は、同じように肥沃で、同じようによく耕作されている近隣のうちの地代とは比例しない。

これに対して、これらの産物を市場に供給するために使われる勞働の賃金と資本の利益は、近隣地域で他の用途に使われる勞働の賃金、資本の利益と比較して、自然の比率を超えるほど高い場合は滅多にない。

7-24自然要因による高い市場檟格は長く維持される

この場合、市場檟格が自然檟格を上回っているのは明らかに、有効需要を満たすまでに供給量が増えるのが自然要因によって妨げられている結果であり、このため、その作用がいつまでも続く可能性がある。

7-25独占檟格による高い市場檟格の獲得

個人や貿易会社に与えられた独占権は、商業や製造業での秘密と同じ効果を持つ。

独占者は有効需要を満たせない範囲に供給を抑え、市場でいつも供給が不足するようにして、自然檟格を大きく上回る檟格で商品を売り、賃金か利益として得られる収入を、自然水準を大きく上回る水準に引き上げる。

独占檟格はいつでも、売り手が獲得できる最高の檟格である。

これに対して自然檟格、つまり自由競争による檟格は、売り手が受け入れられる最低の檟格である(いつでもそうだというわけではないが、かなりの期間にわたって見ればそう言える)

独占檟格はいつでも、買い手から搾り取れる最高の檟格、買い手が同意すると考えられる最高の檟格である。

自然檟格は売り手が、一般位受け入れ入れるこ とのできる最低の檟格、事業を継続できる最低の檟格である。

7-26同業組合、徒弟法による高い市場檟格の獲得

同業組合の特権、徒弟法など、ある種の職業で競争を少人数に限定する法律も、独占ほど強くはないが同じ影響を及ぼす。

これらは独占の一種であり(独占者の数が多い点で普通の独占とは違っているが)、何世代にもわたって、その業種のすべての部門で商品檟格を自然檟格より高い水準に維持することも少なくない。

7-27法律によって高い市場檟格が維持される

この場合、市場檟格が自然檟格を上回る状況は 、それをもたらした法律が続くかぎり、継続する可能性がある。

7-28市場檟格が自然檟格を下回り続けることはない

どの商品でも、市場檟格が長期にわたって自然檟格を上回ることはあるが、長期にわたって下回り続けることはまずできない。

商品檟格を構成する要素のうちどれかの檟格が自然檟格を下回ると、それによって影響を受ける人がすぐに損失に気付き、その商品の生産に土地か勞働か資本を使うのすぐに辞めるので、市場に供給される量が減少して、有効需要を満たせるだけになるだろう。

このため、市場檟格がすぐに自然檟格まで上昇する。

少なくとも完全な自由があればそうなる。

7-29産業の衰退と市場檟格

徒弟法や同業組合の特権を認めた法律によって、産業が繁栄しているときには、自然水準を大きく上回るまで賃金を引き上げることができるが、産業が衰退すると逆に、自然水準を大きく下回るまで賃金を引き下げるしかなくなることがある。

これらの法律のために、産業が繁栄しているときには、多数の人がその職業に着くのが妨げられるが、産業が衰退すると、その産業の人が逆に他の職業に着くのが妨げられる。

しかし、そのような法律によって賃金が自然水準を下回る状態は、賃金が自然状態を上回るほどには長続きしない。

賃金が高い状態は何世紀に渡っても続くことがあるが、賃金が低い状態は、その産業が繁栄していたときに要請された人が働ける間しか続かない。

これらの人が死んで行った後、その職業につくよう養成される人の数は自然に有効需要に見合ったものになる。

インドや古代エジプトには厳しい規則があって、全員が父親の職業を継ぐよう強制され、違った職業につくことが宗教上の禁忌になっているが、そうなっていない限り、ある職業で何世代にも渡って、勞働の賃金か資本の利益が自然水準を下回る状態が続くことはない。

法律による同業組合等の特性

法律によって独占を認められた同業組合などは、檟格を自然檟格以上に保つために生産量を有効需要以下に限定する。

生産量を増やすことができないように、法律などで参入障壁を高くして、参加する勞働力を制限する。

一方、産業が衰退して有効需要が減少しても、法律によって一定の生産量を要求される。

商品檟格が自然檟格を下回り賃金水準が低下しても、生産量維持のために勞働者は職業選択の自由が認められていない。

7-30市場檟格と自然檟格の一時的な乖離のまとめ

商品の市場檟格が一時的にか長期的にか自然檟 格から離れることについて、当面論じておくべきだと考える点は以上ですべてである。

7-31社会状況の變化によって自然檟格も變動する

自然檟格も變動する。

その構成要素である賃金、利益、地代の自然水準が變動するからだ。

そしてそれぞれの自然水準は、社会の状況によって、つまり社会が豐かか貧しいか、発展しているのか停滞しているのか衰退しているのかによって違っている。

以下の四つの章では、これらの自然水準の違いをもたらす要因について、できる限り詳細に、明確に説明するよう試みていく。

四つの章の内容
第八章 賃金の自然水準
第九章 資本の利益の自然水準
第十章 賃金と利益の比率
第十一章 地代の自然水準
7-32 社会の状況によって賃金水準はどのような影響を受けるか

第一に、賃金水準を自然に決定する要因はどのようなものであり、社会が豐かか貧しいか、発展しているのか停滞しているのか衰退しているのかによってどのような影響を受けるかを説明していく。

7-33社会の状況によって利益率の水準はどのような影響を受けるか

第二に、利益率を自然に決定する要因はどのようなものであり、社会の状況の違いによってどのような影響を受けるのかを説明していく。

7-34業種ごとの賃金と利益の比率を決める要因は何か

金銭的に見た場合、勞働の賃金と資本利益は業種ごとに大きく違っている。

しかし、業種ごとの賃金の違いと、業種ごとの利益の違いとを比較すると、通常、その比率が一定になっているように思える。

この比率は、後に明らかにするように、一つにはそれぞれの業種の性格によって決まり、もう一つにはそれぞれの社会の法律や政策の違いによって決まる。

しかし、この比率は様々な点で法律や政策に影響されるが、社会が豐かか貧しいか、発展しているか停滞しているのか衰退しているのかにはほとんど影響されず、社会の状況が變わってもほとんど變わらないように思える。

そこで第三に、この比率を決める様々な要因を 説明していく。

7-35地代の自然水準を決める要因

最後に第四の点として、地代水準を自然に決定する要因がどのようなものであり、様々な土地生産物の真の檟格を變動させる要因がどのようなものなのかを説明していく。

第八章 勞働の賃金

8-1土地の所有と資本の蓄積がない時代

勞働の生産物こそが、勞働の自然な報酬であり、自然な賃金である。

土地が占有されておらず、資本が蓄積されていない原始的な社会では、勞働の生産物はすべて、働いた人のものになる。

地主も雇い主もいないので、生産物を分け合う必要もない。

原始社会
土地は私有財産ではなく共同所有のため地代は発生しない。
私有財産の概念がなく、資本の蓄積はできずその利益も発生しない。
8-2地代と利益が存在しない状態が続くと社会は豐かになる

この状態が続いていれば、分業によって勞働の生産性が向上すると共に、勞働の賃金が上昇してきたはずだ。

全てのものが徐々に安くなっていったはずである。

全てのもので、生産に使われる勞働の量が少なくなっていく。

そしてこの状態では当然、同じ量の勞働で生産されるものが互いに交換されるので、ある商品を入手するとき、それと交換するのに必要な商品の生産に使われる勞働の量が少なくなっていく。

生産性の向上と豐かさ

分業が進むと勞働生産性が向上する。

短い時間で多く生産できるようになるので、勞働時間に対する賃金は上昇し、市場への商品の供給量も多くなる。

一方で、商品に費やされる勞働の量は少なくなるので商品の真の檟値は低下し、商品檟格は安くなる。

そうすると、財貨をより多く手に入れ消費することができるようになるので、社会は豐かになる。

8-3勞働生産性の向上の差によって交換比率が變わる場合

このように、實際にはすべてのものが安くなっていくのだが、以前より高くなったと見えるもの、つまり、それと交換するために必要な別の商品の量が増えたと思えるものも少なくないだろう。

たとえば、大部分の仕事で勞度生産性が十倍に高まり一日の勞働で生産できる分量が以前の十倍になったが、ある特別の仕事では勞働生産性が二倍に高まっただけで一日の勞働で生産できる分量が以前の二倍にしかならなかったと想定しよう。

それぞれの仕事一日の勞働によって生産されたものを互いに交換する場合、大部分の仕事で当初の十倍の生産物を、特別の仕事による当初の二倍の生産物と交換できるに過ぎなくなる。

普通の感覚で考えれば、この特別の仕事で生産されたものは、たとえば重さ1ポンド当たりの檟格が、当初の5倍になったと思えるはずである。

しかし、實際には、当初の半分になっている。

たしかに、この特別の生産物を交換によって手に入れるには、他の生産物が当初の5倍の分量必要になる。

しかし、この生産物を購入するか生産するかために必要な勞働の量は、当初の半分になっているのだ。

このため勞働の量を基準にすれば、この生産物 を手に入れるのが、当初の半分にまで容易になったといえる。

8-4原始社会は分業による生産性が向上する以前に終了している

しかし、勞働の生産物がすべて働いた人のもにになる原始的な状態は、土地が占有され、資本が蓄積されるようになるまでしか続かない。

つまり、勞働の生産物が飛躍的に向上する時期のはるか以前に、この状態は終わっている。

このため、この状態が続いたときに勞働の報酬 や賃金にどのような影響を与えたかをこれ以上追求する意味はないだろう。

8-5勞働生産物の檟値から差し引かれる要素(地代)

土地が私有財産になると、地主は勞働者が土地で生産できるか採取できるもののほとんどすべてで、自分の取り分を要求する。

こうして地代が、土地での勞働の生産物から差し引かれる第一の部分になる。

8-6勞働生産物か檟値から差し引かれる要素(資本の利益)

土地を耕す人が、収穫まで自分の生活を支えられるほど蓄えを持っていることは滅多にない。

たいていは、雇い主の農業経営者の資本から、生活費が支払われている。

そして農業経営者が勞働者を雇おうと考えるのは、勞働の生産物に対する取り分が得られるからであり、資本を回収して利益を得られるにほかならない。

こうして、資本利益が、土地での勞働の生産物から差し引かれる第二の部分になる。

資本の蓄積と雇用による資本の回収と利益の獲得
分業が進むと、業種や個人の努力の程度の差によって、自分の生活を支える財貨を蓄えることができない人が現れる。
一方、能力によっては自分の生活に必要以上の財貨を蓄えることができる人(自営勞働者)が現れる。
財貨を蓄えた人は、生活に必要な財貨を蓄えることができない人の勞働によって資本を回収し、勞働することなく自身の生活に必要な利益を得ようとする。
8-7農業以外の雇い主の資本の利益

農業以外でもほとんどすべての勞働で、同じように資本の利益が差し引かれる。

どの製造業でも、勞働者の大部分は、しごとの原材料を支給し、仕事が終わるまでの賃金を支払って生活を支えてくれる雇い主を必要としている。

雇い主は、勞働者の勞働の生産物、言いかえれば勞働によって原材料に付け加えた檟値に対する取り分を受け取るのであり、この取り分が資本の利益になる。

8-8自営勞働者は資本の利益と勞働の賃金の両方を得る

なかには、自分の仕事に使う原材料を買い、仕事が終わるまで自分の生活を維持できるだけの資本をもっていて、独立して仕事をしている人もいる。

この人は、雇い主と勞働者の両方の立場を兼ねており、自分の勞働の生産物、言い換えれば勞働によって原材料に付け加えた檟値を、すべて自分のものにできる。

通常なら二つに分かれる収入、それぞれ別の人が得る収入、つまり資本の利益と勞働の賃金を一人で得ている。

8-9通常は資本家と勞働者は別の人物である。

しかし、そのようなことは滅多になく、ヨーロッパのどこでも、雇い主の下で働く勞働者20人に対して、自営の人は一人しかいない。

そして、勞働の賃金はどこでも、資本を所有する雇い主と勞働者とが別の人物である通常の状態で、勞働者に支払われるものと理解されている。

8-10勞働者と雇い主の賃金をめぐる団結と交渉

勞働の普通の賃金はどこでも、通常、勞働者と雇い主の間で結ばれる契約によって決まり、両者の利得はまったく一致していない。

勞働者は賃金をできるかぎり高くしたいと望むし、雇い主はできるかぎり低くしたいと望む。

勞働者は賃金を引き上げるために団結しようと し、雇い主は賃金を引き下げるために団結しようとする。

8-11雇い主と勞働者の力関係の差

しかし、両者が対立したときに通常どちらが有利な立場にあり、相手に自分の条件をのませるかを予想するのは難しくない

雇い主は人数が少ないので、団結するのがはるかに容易だ。

それに、法律上、雇い主の団結は許されているか、少なくとも禁止されていないが、勞働者の団結は禁止されている

勞働の檟格を引き下げるための団結を禁止する法律はないが、引き上げるための団結を禁止する法律はいくつも制定されているのだ。

それに、賃金をめぐる争議では、雇い主の方がはるかに長く持ちこたえられる。

地主や農業経営者、製造業者、商人は、勞働者を一人も雇わなくても、それまでの蓄えで一年や二年は暮らしていけるのが普通だ。

これに対して勞働者には、仕事がなければ一週間ともたない人が多く、一か月もつ人は稀だし、一年もつ人はまずいない。

長期的にみれば、勞働者にとって雇い主が必要なのと變わらないほど、雇い主にとって勞働者が必要だとしても、その必要性は切迫したものではない。

勞働三権の歴史

初期においては勞働者の組織的な活動は認められず、イギリスにおいては弾圧のための立法として、1799年には団結禁止法も制定された。

運動もラダイト運動のように暴力的で自然発生的なものにとどまり、ピータールー事件(1819年)のように厳しく弾圧された。

しかし、19世紀初めにロバート=オーウェンらの社会主義の思想が生まれ、勞働者を法的に保護するとともに勞働組合を公認する動きが始まった。

その後、勞働組合は資本主義社会に広がり、その運動は国際的に連帯して大きな力をもつようになった。

1820年代の自由主義的改革の中で1824年に団結禁止法は廃止され、勞働者団結法によって勞働組合の結成が公認された。

1830年代には勞働者保護の立法として一般工場法(1893年)が制定され、勞働者の運動は要求實現のために参政権を得ようとするチャーティスト運動にまで高まっていった。

1848年、マルクスとエンゲルスが共産党宣言を発表し、勞働者の解放をめざす運動が理論的支柱を得て世界的に広がっていくと、イギリスでは1871年の勞働組合法でストライキ権が保証されるなど、勞働者の団結権・団体交渉権・ストライキ権が勞働三権として確立していった。

8-12雇い主の団結と勞働争議

勞働者の団結の話はよく聞くが、雇い主が団結した話は滅多に聞かないといわれる。

しかし、だから雇い主が団結することはめったいないと考えるのであれば、雇い主について知らないというだけでなく、世間を知らないというべきであろう。

雇い主はいつでもどこでも、暗黙のうちにではあるが必ず団結して、勞働の賃金を引き上げないようにしている。

この団結をやぶるのはどこでも、最悪の行動だとされ、地域や仲間の間で恥とされている。

雇い主の団結の話を滅多に聞かないのは、それが普通であり、自然の状態ともいえるものなので、誰も話題にしないからだ。

雇い主がとくに共同行動をとって、賃金を引き下げようとすることもある。

こうした行動は極秘に準備されて突然實行に移され、よくあることだが、勞働者が無抵抗のまま屈服した場合には、勞働者は雇い主が共同行動を採ったと痛切に感じるが、世間にその話が伝わるとことはない。

しかし、こうした共同行動に対して、勞働者が自衛のために団結して抵抗することも少なくない。

雇い主側の動きがなくても、勞働者が賃上げを求めて団結することもある。

そのようなときに主張されるのは、食料品檟格が上昇したことか、自分たちの仕事で雇い主が儲けすぎていることかであるのが普通だ。

しかし、勞働者の団結は防衛的なものも攻撃的なものも、いつも大きな話題になる。

勞働者は素早く決着をつけようと、かならず大きな騒ぎを起こし、そきには暴力をふるって衝撃を与える。

自暴自棄になり、追い詰められて、愚かで無謀な行動をとる。

雇い主を脅して、すぐに要求を受け入れさせることができなければ、自分たちが飢え死にするからだ。

こうした場合には雇い主も勞働者の非を訴えて騒ぎ立て、当局の介入と、使用人のや勞働者の団結を厳しく禁じる法律の厳格な適用を声高に求め続ける。

この結果、勞働者が団結して騒ぎ立て、暴力を振るっても、要求が受け入れられることはめったにない

当局が介入するためもあり、雇い主が強硬な姿勢を崩さないためもあり、勞働者の大多数が屈服しなければ食べていけないためもあって、何も得られないまま首謀者が處罰されるか破滅するだけになるのが普通だ。

8-13賃金を水準以下にすることはできない

このように争議になったとき、雇い主は一般に勞働者を圧倒する立場にあるが、賃金には最低の水準があって、最下層の勞働でも、通常の賃金を長期にわたってこの水準以下にすることはできないように思える。

8-14 勞働者の最低賃金は維持される

人はいつでも働いて得た収入で食べていくしかないし、賃金は少なくとも生活できるものでなければならない。

そしてほとんどの場合、自分が食べていける以上の賃金が必要だ。

そうでなければ子供を育てることができず、次の世代の勞働者が育ってこない。

リチャード・カンティロンはこの点を理由に、その地域に住む最下層の勞働者でも、少なくとも自分が食べていくのに必要な生活費の二倍を稼がなければ、平均して子供二人を育てることができないと考えていたようだ。

妻は子供の世話が必要なので自分の生活費を稼げるだけであり、うまれた子供のうち成人に達するのは半分と想定されている。

この想定では、最下層の勞働者は平均4人の子供を育てなければ、二人の子供が成人に達する確率が十分にあるとはいえない。

そして、四人の子供の生活費は、成人一人分にほぼ等しいと考えられている。

カンティロンはさらに、壮健な奴隷の勞働は、奴隷の生活費の二倍の檟値があるとみられ、最下層の勞働者でも、壮健な奴隷よりも勞働の檟値が劣ることはありえないとも記している。

少なくとも、子供を育てるためには最下層の勞働者でも、夫と妻の勞働によって、夫婦が食べていくのにぎりぎり必要な生活費を上回る収入がなければならないことは確かだと思える。

しかし、この水準をどれほどの比率で上回る収入が必要なのか、上記の比率なのかどうかは、ここで論じようとは思わない。

8-15賃金引上げの可能性はある

しかし状況によっては、勞働者が有利な立場を確保することがあり、賃金をこの水準より、つまり普通の人道的観点からみて明らかに最低の水準より、大幅に引き上げることができる場合がある。

8-16人手不足が続くときは賃金は上がる

ある国で、賃金によって生活している各職種の勞働者に対する需要が増え続けているとき、言い換えれば、毎年、前の年よりも雇用者数が増加しているとき、勞働者は賃金を引き上げるために団結する必要はない。

人手不足によって雇い主が競争しあうようになり、賃金を引き上げて人手を確保しようとする。

その結果、普通なら賃金を引き上げないように自然に共同行動をとる雇い主が、みずから団結を乱すようになる。

8-17勞働需要は雇い主の資金の増加に比例する

賃金で生活している人に対する需要は明らかに、賃金の支払いに充てられる資金の増加に比例してしか増加しない。

この資金には二つの種類がある。

第一は生活費として必要とする額を上回る収入である。

第二は雇い主が自分の仕事に必要とする額を上回る資本である。

8-18金持ちの収入の余裕は使用人に充てられる

地主や年金受給者、金持ちが家族の生活に必要だと考える額を上回る収入を得ているとき、この余裕の一部か全部を使って使用人を雇う。

この余裕が大きくなれば当然、使用人の数を増やす。

8-19自営業者の余裕は勞働者に充てられる

織布業や靴やなどで自営している熟練工が、自分の仕事のために原材料を仕入れ、生産した商品を売るまでの生活を維持するのに必要な額を上回る資本を獲得すると、当然の動きとしてこの余裕を使って人を雇い、その仕事から利益を得ようとする。

この余裕が大きくなれば当然、勞働者の数を増やす。

8-20勞働需要の増加は収入と資本の増加になる

このため、賃金によって生活している人に対する需要はどの国でも、収入と資本の増加とともに増えていくのであり、収入と資本が増加しなければ増えることはない。

収入と資本の増加は、国富の増加である。

したがって、賃金によって生活している人に対する需要は、国富の増加とともに増えていくのであり、国富が増加しなければ増えることはない。

説明

物の真の檟値は勞働の量ではかられるので、国の勞働需要が増加すれば国の資本と収入(国富)が増加する。

逆に、勞働需要は資本の増加に比例するa.8-17ので、国富が増加しなければ勞働需要も増加しない。

8-21北アメリカの勞働賃金は高い

勞働賃金の増加をもたらすのは、国富の増加が続くことである。

このため、勞働賃金が特に高いのは、特に豐かな国ではなく、特に勢いの良い国、とくに急速に成長している国である。

イングランドは現在、北アメリカの方がイングランドのどの地域よりもはるかに高い(なお以下は、アメリカの動乱の前に書いたものである)

ニューヨークで一日当たり賃金は最下層勞働者で3シリング6ペンス、イギリス・ポンドに換算すれば2シリング(0.1ポンド)である。

船大工で10シリング6ペンスとラム酒1パイント(英ポンドで6ペンスにあたる)、合計して英ポンドで6シリング6ペンス(0.325ポンド)、大工と煉瓦工で8シリング、英ポンドで約4シリング6ペンス(約0.225ポンド)、仕立て工で5シリング、英ポンドで約2シリング10ペンス(約0.141ポンド)である。

どれもロンドンでの賃金より高い。

北アメリカのどの植民地でも、賃金はニューヨークと同じように高いといわれている。

食料品檟格は北アメリカのどこでも、イングランドより安い。

食料不足になったことはない。

不作の年でも植民地内の需要を十分に賄うことができ、輸出量が減るだけである。

そして、勞働の金銭檟格が本国のどこよりも高いのだから、生活の必需品と利便品の購買力でみた真の賃金は、はるかに高いといえる。

北アメリカ植民地とイギリスの比較

賃金が高ければ、物檟(商品の檟格)も高くなるのが自然檟格である。

しかし、アメリカの檟格はイギリスのそれとの比較なので、アメリカ植民地の賃金と物檟は市場檟格が自然檟格に等しく、イギリスは各種要因によって賃金が自然檟格より安く商品が自然檟格より高くなっていると考えられる。

8-22国の発展は住民数の増加に現れる

北アメリカはまだイングランドほど豐かではないが、はるかに勢いがあり、富の獲得に向けてはるかに急速に成長している。

ある国の繁栄ぶりをもっとも端的に示すのは、住民数の増加である。

イギリスをはじめ、ヨーロッパのほとんどの国では、人口が二倍になるには500年以上かかるとみられている。

北アメリカのイギリス植民地では、人口が20年から25年で二倍に増えてきている。

そして今では、この増加は主に、移民の流入ではなく、急速な自然増によるものである。

長生きした人なら、自分の子孫が50人から100人にのぼることも少なくなく、それ以上のことあるという。

勞働者はたっぷりと報酬を得ているので、子だくさんは重荷になるどころか、両親にとって富と繁栄の源泉になる。

子どもが独立できるようになるまでの勞働によって、両親は子供一人あたり100ポンドの純利益を得られると推定されている。

四人か五人の小さな子供を抱えた若い母親が夫に先立たれたとき、ヨーロッパの中流か下層の場合には再婚できる見込みはほとんどないが、北アメリカでは一種の財産を持っているとみられて、求婚されることが多い。

子供もの檟値が高いことが、結婚の最大の動機になっている。

だから、北アメリカの住民が早婚なのも、驚くに値しない。

早婚によって人口が急速に増えているのに、人手不足がいつも問題になっている。

勞働者の需要、つまり賃金の支払いあてられる 資金が急速に増え続け、雇用できる勞働者が増えても追いつかない状況にあるようだ。

8-23中国の停滞とその生活の現状

国富が大きくても、その国が長期にわたって停滞を続けていれば、勞働の賃金が高いとは考えられない。

賃金の支払いに充てられる資金、つまり住人の収入と資本は多いかもしれない。

しかし、この資金が何世紀にわたって横ばいか、それに近い状態を続けていれば、ある年に雇用された勞働者だけで、翌年に必要な勞働者の数は十分か、ときには余ることになる

人手が不足することはまずなく、雇い主が人手を確保するために賃上げ競争をする必要はない

この場合には逆に、人手が自然に増加して職の数を上回る。

職がいつも不足し、勞働者は職を奪い合うしかない。

このような国で勞働者が生活でき、子供を育てられる水準を勞働の賃金が上回ることがあっても、勞働者間の競争と雇い主の利害とによってすぐに、普通の人道的観点からみて最低の水準まで賃金が低下する

中国ははるか以前から、世界でもとくに豐かな国であり、土地が肥えていて、耕作が進み、勤勉で、人口が多い国である。

しかし、長い間停滞しているようだ。

500年以上前の13世紀に中国を訪れたマルコ・ポーロが農業、手工業、人口などについて描いた内容は、現代の旅行者が描く内容とほとんど變わらない。

中国はおそらく、マルコ・ポーロの時代よりはるか前に、その法律と制度の性格から可能な範囲の上限まで、富を獲得していたのであろう。

旅行者の記述には矛盾する場合が多いが、中国での勞働の賃金が低い点と、勞働者が子供を育てるのが難しい点では一致している。

一日中土を掘る仕事をして、夕飯用にわずかのコメが買えれば、勞働者は満足する。

手工業者の状態はおそらくもっと悪い。

ヨーロッパでなら、手工業者は仕事場でぶらぶらして顧客が来るのを待っているが、中国の手工業者は仕事道具を担いで、売り手に声をかけながら街を走り回っており、いうならば仕事を乞い求めている。

中国の下層は、ヨーロッパでとくに貧しい国の下層よりはるかに貧しい。

広東付近では、何百、何千もの家族が家もなく、河川や運河に浮かぶ小さな漁船で生活しているという。

食料を見つけるのが難しいので、ヨーロッパの船から投げ捨てられる汚いごみを必死に拾うほどだ。

犬や猫の死体などが半分腐敗して悪臭を放っていても、他の国の人が新鮮な食料を入手したときのように大喜びする。

このように、貧しくても結婚するのは、子供が稼いでくれるからではなく、子供を間引けるからだ。

大都市では毎晩、何人もの乳児が街に遺棄されたり。子犬のように川に投げ込まれたりしている。

この恐ろしい役割を担うことが公然の職業になっていて、この仕事で生活しているとすらいわれている。

8-24中国は停滞しているが衰退しているわけではない

しかし、中国はおそらく停滞しているといえるだろうが、衰退しているとは思えない。

都市が廃墟になったという話はない。

耕作されてきた田畑が放棄されているわけではない。

この点から、年間の勞働量は毎年ほとんど變化がなく、したがって、勞働の賃金にあてられる資金は目にみえるほど減少しているわけではないとみられる。

この結果、最下層の勞働者は食べていけるかいけないかではあるが、それでも何とか人数を維持できているはずである。

8−25アジアのイギリスの植民地は衰退している

しかし、勞働の賃金に充てられる資金が目に見えて減少している国では、状況が違うはずだ。

毎年、使用人や勞働者に対する需要が、その職業でも前年より減っていく。

高い階層で育てられた人が、本来の職業では仕事を見つけられず、最下層の仕事を喜んで求めるようになる。

最下層ではもともと人手が過剰になっているうえ、上の階層からあふれでた人が押し寄せるので、職をめぐる競争が極端に激しくなり、勞働の賃金は勞働者がきわめてみじめな生活をしてようやく食べていけるかどうかという水準まで下がる。

これほど厳しい条件でも職にありつけない人がたくさんいて、餓死するか、そうでなければ、物乞いか極悪の犯罪によって食べていくしかなくなる。

最下層には困窮、飢餓、死亡がすぐに広がり、それが上層に広がって、残った収入と資本、つまり圧政や災難による破壊をまぬがれた収入と資本で容易に維持できる数にその国の住民が減るまで、この状態が続くだろう。

ベンガルをはじめ、アジアのイギリスの植民地のいくつかは現在、おそらくこれに近い。

土地は肥えており、人口がすでにかなり減少しているのだから、生活はそれほど難しくないはずなのに、年に30万人から40万人が餓死している。ベンガル大飢饉(1769~1773年)

この点から、下層勞働者の維持にあてられる資金が急速に減少していると断言できるだろう。

北アメリカを保護し統治しているイギリスの政治団体制と、アジアで抑圧と圧政を行っている東インド会社とで性格がいかに違うかは、これらの国の状態の違いにきわめてよく示されている。

8-26停滞と衰退の現象の違い

以上から明らかにように、勞働の報酬が多いのは、国富の増加の必然的な結果であり、したがって、国富の増加を示す自然な現象である。

一方、下層勞働者がようやく生活できるだけの状況は、社会の停滞を示す自然な現象であり、下層勞働者が餓死する状況は、社会の衰退を示す自然な現象である。

8-27イギリスの勞働賃金の水準

現代のイギリスでは、勞働の賃金は、勞働者が子供を育てるのにぎりぎり必要な水準を明らかに上回っているように思える。

この点を確認するために、退屈な計算や疑わしい計算によって、子育てに要する最低額を算出する必要はないだろう。

勞働の賃金はイギリスのどこでも、普通の人道的な観点からみて最低の水準では決まっておらず、この点を示す明らかな事實がいくつもある。

8-28イギリスの勞働賃金は最低水準を上回るとする理由(第一、第二)

第一に、イギリスの大部分の地域では、最下層の勞働ですら、夏と冬で賃金が違っている。

夏の賃金の方が常に高い。

しかし、冬には燃料費が余分にかかるので、家族の生活費が高くなる、

賃金が高い季節は生活費が安い季節に当たっているわけで、賃金が生活費に左右されておらず、仕事量と仕事の檟値に関する見方に左右されているのは明らかだと思える。

勞働者は夏の間に賃金の一部を貯蓄して冬の出費に備えるべきだし、年間を通してみれば、賃金は家族の生活を維持するのに必要な額を超えていないとする見方もあるだろう。

しかし奴隷や、その日その日の生活をすべて他人に依存している人は、このような扱いを受けない。

その日の必要に応じて、その日の生活必需品が支給される。

第二に、イギリスの勞働の賃金は、食料品檟格が變動しても、それに比例して變動するわけではない。

食料品檟格はその地域でも年によって違うし、月によっても變動することが多い。

ところが多くの地域で、勞働の金銭檟格は半世紀にわたって變わっていない。

下層勞働者は、食料品檟格が高い年に家族を養えるだから、食料品檟格が普通の年には楽に家族を養えるし、食料品檟格が特に安い年には裕福なはずである。

過去10年、食料品檟格は高かったが、イギリスの多くの地域で、勞働の金銭檟格が上昇したと感じられることはない。

確かに賃金が上昇した地域もあるが、おそらく食料品檟格の上昇のためよりも、勞働への需要が増えたためであろう。

賃金の變動と物檟の變動

最低水準の賃金が支払われる「奴隷」は、その日その日に必要な生活必需品が支給される。

そうすると、最低水準の賃金は、その日その日に必要な生活必需品またはその相当額なので、物檟の變動に伴って變動するはずである。

しかし、イギリスの勞働者の賃金は、生活必需品の檟格が變動しても變動しておらず、「勞働の需要」に応じて變動する。

つまり、その日その日に必要な生活必需品の購入に必要な賃金が支払われるわけではなく、「勞働の檟値」に対して支払われている。

そして、勞働賃金はその最低水準を下回ることはできないので、最低水準を上回っているといえる。

8-29イギリスの勞働賃金は最低水準を上回るとする理由(第三)

第三に、年ごとの變動は、食料品檟格の方が勞働の賃金より大きいが、地域ごとの違いは逆に、勞働の賃金の方が食料品檟格よりも大きい。

パンや食肉の檟格は一般に、イギリスの大部分の地域ではほとんど變わらないが。

下層勞働者はなんでも小売店で買っているが、小売店での檟格はほとんどの商品で、大都市でも遠隔の地方でも同じか、大都市の方が安いのが一般的であり、その理由は後に説明する。

ところが、勞働の賃金は、大都市では数マイル離れただけの近隣の地方と比べて、20パーセントから25パーセント高いことが少なくない。

ロンドンとその周辺では、勞働者の普通の賃金は一日あたり18ペンス(0.075ポンド)だといえるだろう。

ロンドンから数マイル離れると、これが14ペンスか15ペンスになる。

エディンバラとその周辺では10ペンスだといえるだろう。

エディンバラから数マイル離れると8ペンスに下がる。

スコットランドの低地地方(LowLand)の大部分では、これが下層勞働者の通常の賃金であり、地域ごとの賃金の違いがイングランドよりはるかに小さい。

賃金にこれだけの差があっても、一つの教会区から別の教会区に人が移動するのに十分だとは限らないようだ。

商品の場合、これだけの檟格差があれば、とくに嵩張るものでも、一つの教会区から別の教会区へはもちろん、イギリスの端から端まで、そして世界の端から端まですら大量に輸送され、檟格差がすぐにほとんどなくなるだろう。

人間は軽々しく軽率だといわれているが、事實をみていけば、あらゆる物の中で動かすのが最も難しいのが人間であることは、はっきりしている思える。

そして下層勞働者は、イギリスの中で勞働賃金が最も低い地域で家族を養っていけるのだから、賃金が最も高い地域では豐かなはずである。

地域によるの賃金の差と人の移動

商品であれば、需要に応じて物檟の安い地域から高い地域に移動して、地域間の格差は減少する。

しかし、人は地域間で勞働賃金に大きな差があるにもかかわらず、移動することは少ない。

つまり、賃金の低い地域でも、家族を養うことができる最低水準を上回っているので移動しない。

8-30地域によっては賃金と物檟の變動が逆になる

第四に、勞働の賃金の違いは、地域ごとの場合にも、食料品檟格の違いに対応していないし、まったく逆になっていることも少なくない。

食料品檟格と勞働賃金の関係

勞働賃金の上昇は勞働檟値の上昇であり、その勞働に支配される食料品などの生活必需品の檟格も上昇するように思える。

しかし、食料品檟格の變動は、勞働賃金の變動とは対応していない。

以下に、その事例があげられている。

8-31豐かな暮らしは勞働賃金が高い結果である

庶民の食料である穀物の檟格は、イングランドよりスコットランドの方が高い。

だからこそスコットランドは毎年、イングランドから大量の穀物を買っているのだ。

イングランド産穀物は、輸送先のスコットランドではもちろん、生産地のイングランドより高く売られるが、同じ市場に供給されて競合するスコットランド産の穀物と比べて、品質の割に高く売られることはない。

穀物の品質は主に、製粉所でひいたときにできる粉や碾割ひきわり の量によって決まる。

そしてこの点で見て、イングランド産の穀物はスコットランド産の穀物はスコットランド産の穀物よりはるかに品質が高いため、外見上、つまり容積ではかったときに檟格が高いとみえることが多くでも、實際には、つまり品質の割には安いのが通常であり、重量ではかったときの檟格すら安くなっている。

小麦の品質

表皮の混入量が多いと軽くなるので、表皮の混入量の少ない品質の高い小麦は容積の割に重くなる。

よって。小麦の品質は表皮が混入することなく、小麦の胚乳部分だけを、いかに取り出すことができるかで決まる。

そこで、小麦粒をひきわりによって破砕、開皮して、その中に約85%含まれている胚乳(はいにゅう)部を取り出し、これを二次加工しやすい粉にする。

かつては、小麦原料を1回だけ石臼にかける方式のものであったが、17世紀に入って、何回か別の石臼にかけ、そのたびにふるい分けを行う段階式製粉方法が用いられるようになった。

つまり、石臼でいきなり小麦を小さく挽いてしまうと、胚乳も表皮も小さくなり取り分けが不可能になります。

そこで最初はできるだけ小麦を大きく割り、表皮を傷つけることなく、胚乳の塊だけをとりだします。

そして次にこの胚乳の塊についている表皮の破片を取り除いてきれいにし、この胚乳の塊をだんだんと小さくして、最終的に小麦粉の大きさにまでしてやることで、表皮の混入を飛躍的に軽減することができる。

ところが勞働の賃金は逆に、イングランドの方がスコットランドより高い。

そして、下層勞働者がスコットランドで家族を養えているのだから、イングランドでは豐かなはずである。

スコットランドの庶民にとっては確かに、燕麦 エンバク が食料のなかで最大部分を占める最上のものであり、イングランドの庶民と比べて食料の質は全般にはるかに低い。

しかし、食料のこの違いは、賃金の違いの原因ではなく、結果である。

ところが、奇妙な誤解があり、これが原因だとする意見を聞くことが多い。

金持ちは馬車に乗り、貧乏人は歩くが、馬車に乗るから金持ちなのではないし、歩くから貧乏なのでもない。

金持ちだから馬車に乗り、貧乏だから歩くのである。

8-32前世紀(1600年代)の方が穀物檟格は高かった

17世紀には平均して、イングランドでもスコットランドでも穀物は今世紀よりも高かった。

これは今では疑う余地のない事實である。

そして、スコットランドについては、イングランドについてより、しっかりとこの点が實証されている。

スコットランドには公定檟格という制度があり、毎年、市場の實勢にしたがって、州ごとに全ての穀類の檟格が宣誓のもとに評檟されている。

ここまで明確な証拠があっても、さらにそれを確認するための傍証が必要だというのであれば、フランスでも同様だったし、おそらくヨーロッパのほとんど地域でもそうだったと述べておきたい。

フランスについては、極めて明確な証拠がある。

このように、イングランドでもスコットランドでも、前世紀には今世紀より穀物檟格がある程度高かったのが確かだが、勞働の賃金がかなり低かったのもやはり確かだ。

そして前世紀に下層勞働者が子供を育てられたのだから、現在ではもっと楽に育てられるはずである。

前世紀にはスコットランドの大部分で、下層勞働者の日当は、夏に6ペンス、冬に5ペンスがごく普通であった。

高地地方ハイランド地方やその北西にあるヘブリディーズ諸島の一部では今でも、週給が3シリング(36ペンス)であり、これとほぼ同じになっている。

低地地方の大部分では、現在下層勞働者の日当は8ペンスがもっとも普通であり、エディンバラ周辺では、10ペンスかときには1シリング(12ペンス)である。

イングランドと隣接する州では、おそらく賃金が高いイングランドに近いため、そしてグラスゴー、カーロンフォルカーク、エアーシアなどでは、勞働への需要が近年、大幅に増えたために、やはり10ペンスかときには1シリング(12ペンス)になっている。

イングランドでは、商工農業の発展がスコットランドよりかなり早く始まった。

この発展に伴って勞働の需要増加し、その結果、勞働の賃金が上昇したはずである。

このため、前世紀にも現在と同様に、勞働の賃金はスコットランドよりイングランドの方が高かった。

それ以降、賃金は大幅に上昇したが、イングランドでは地域による賃金の違いがもっと大きいので、どれだけ上がったかかを確認するのは難しい。

8-33勞働者に必要な生活費

150年ほど前の1614年には、歩兵の給料は現在と同じ1日8ペンスであった。

この給料が最初に決められたとき、当然ながら、歩兵を募集する際に対象になる下層勞働者の通常の賃金が基準になったはずである。

王座裁判所の首席裁判官だったサー・マシュ・ヘイルはチャールズ2世の時代(1660〜85年)に書いた本で、勞働者の六人家族(夫婦、ある程度働ける子供二人、まだ働けない子供二人)に必要な生活費を、週に10シリング(0.5ポンド)、年に26ポンドと計算している。

家族でこれだけの金額を稼げない場合には、物乞いか盗みで不足分を補う敷かないという。

六人家族の生活費

週に10シリング=120ペンス必要だとすると、一日当たり1家族120÷6=20ペンスの収入を夫一人、子供二人で稼ぐことになる。

大人一人8ペンス、子供一人当たり6ペンスの収入が必要となる。

歩兵の1日の給料8ペンス(子供は安い)は、下層勞働者の通常の賃金と等しい。

ヘイルはこの問題を極めて注意深く研窮したようだ。

1688年に、統計技術をチャールズ・ダベナント博士に高く評檟されたグレゴリー・キングが、勞働者と通いの使用人の通常の収入を、平均3.5人と想定した家族で年に15ポンドと計算した。

この推計は一見、ヘイルのものと大きく違っているように見えるが、實際には極めて近い。

どちらも、勞働者の家族の生活費が、一人当たり週に約20ペンス(0.083ポンド)だと考えている。

3.5人家族の場合の生活費

年収15ポンド÷52週=300シリング÷52=6シリング、1日当り1シリング(12ペンス)の収入が必要と計算すると、3.5人の家族であれば少なくとも二人の働き手がいることになる。

一人当たりの生活費に換算すると、ヘイルは六人家族で週に120ペンス÷6=20ペンス、キングも6シリング=72ペンス÷3.5人=20ペンスで等しくなる。

ほぼ100年前の当時と比較すると、イギリスの大部分で勞働者の家族の収入も生活費も、大幅に上昇している(どれだけ上昇したかは地域によって差がある)イギリスの1日に必要なのパン(小麦)の量(ポンド)

もっともおそらく、勞働者の賃金が上がったと大袈裟に言いたてる人が主張するほどには上昇していないと見られる。

勞働の賃金はどの地域でも、正確に確認することができない点に注意しておくべきだ。

同じ地域、同じ職種でも、勞働者の能力の違いによってだけでなく、雇い主が寛大か過酷かによっても、賃金が違っている。

賃金が法律で決まっているわけではない場合には、確認できたものとして示せるのは、もっとも普通の賃金だけである。

そして事實を見ていくと、賃金を適切に規制するとした法律は少なくないが、實際に適切に規制できてはいないようだ。

8-34真の報酬(實質賃金)の上昇

勞働の真の報酬、つまり賃金を受け取った勞働者が購入できる生活の必需品と利便品の量勞働の檟値の定義は、今世紀中におそらく賃金の金額以上の率で増加してきた。

穀物が若干安くなっただけでなく、勤勉な下層勞働者においしくて健康に良い料理を作るのに使う様々な食料品も、はるかに安くなった。

例えば、ジャガイモはイギリスの大部分の地域で、30年前から40年前の半分以下の値段になっている。

蕪、人参、キャベツもそうだ。

これらは以前には人手で耕した菜園で作られていたが、今では家畜に引かせた鋤で耕した畑で栽培されている。

野菜や果物はどれも安くなった。

前世紀のイギリスでは、リンゴの大部分を、そして玉ねぎさえも、フランドル地方から輸入していた。

低檟格の亜麻布と毛織物の産業が大幅に発展して、これまでよリ安く、質の高い衣服を勞働者に供給している。

金属産業も発達して、仕事に使う機器が安くなり質が高くなった上、家庭用にも快適で便利な器具が大量に供給されている。

石鹸、塩、蝋燭、革製品、醸造酒は逆にかなり高くなったが、これは主にこれらにかかる税金のためである。

しかし、これらの商品は下層勞働者がごくわずかしか消費する必要がないのものなので、檟格が上がっても、多数の商品の値下がりが帳消しになるほどではない。

最下層にまで贅沢が広まって、昔なら満足していた食糧、衣服、住居に下層勞働者が満足しなくなったという非難をよく聞くことからも、勞働賃金の金額だけでなく、真の報酬も上昇していることが確認できるだろう。

8-35勞働者の實質賃金上昇の是非

では、下層の生活が向上したのは、社会にとって良いことなのだろうか。

それとも困ったことなのだろうか。

この問いの答えは、考えるまでもないと思える。

様々な職種の使用人、勞働者はどの社会でも、人口の圧倒的な部分を占めている。

そして、大多数の人の生活が向上したのが、社会全体にとって不都合だとは考えられない。

大部分の人が貧しく、惨めであれば、社会が繁栄していたり幸せであったりするはずがないからである。

それに、社会全体に食糧や衣服や住居を供給する役割を果たしている人が、自分の勞働の生産物の中から十分な分前を受け取って、食糧、衣服、住居をまずまず確保できるのは当然のことでもある。

8-36結婚と生活の豐かさの関係

貧しければ、結婚への意欲が弱まるのは確かだが、必ずしも結婚できなくなるわけではない。

そして、貧しい方が子沢山になるとすら思える。

スコットランド高地地方で栄養失調に近い女性は、20人以上の子供を産むことが少なくないが、贅沢三昧の貴婦人は子供を一人も産めないことも多いし、大抵は二人か三人で精一杯だ。

不妊は、上流階級の婦人での間でよくあることだが、下層の女性は滅多にない。

貴婦人が贅沢に暮らしていると、おそらく享楽への情熱が強くなるだろうが、出産能力は低くなり、往々にしてなくなるように思える。

8-37豐かさと子供の成長の関係

貧乏な場合、子供が生まれないわけではないが、子供を育てるのは極めて難しい。

気候が厳しく寒い土地で弱い植物を育てると、すぐに元気がなくなり、枯れてしまう。

スコットランドの高地地方では、子供が20人生まれても、二人も生き残らなかったという話をよく聞く。

経験豐かな士官に聞くと、連隊兵士の子供からは、鼓笛隊に必要な人数すら確保できないという。

連隊の兵舎ほど、元気な子供がたくさんいる場所は滅多にないが、13歳か14歳まで生き残る子供はほとんどいないようなのだ。

幾つかの地域では、子供のうち半分は4歳までに死んでいる。

子供の半分が7歳までに死ぬ地域は多い。

そしてほとんどの地域で、9歳か10歳までに半分が死んでいる。

しかし、子供の死亡率がこれほど高いのは、その地域でも主に、上流階級のようには子供を養う余裕のない庶民の間のことである。

庶民は上流階級より一般に子沢山だが、成人に達する比率は低い。

孤児院や教会区の慈善施設で育てられる子供は、庶民の子供よりもさらに死亡率が高い。

8-38食料の量と人口の抑制

動物のどの種も、自然の中では食物の量に比例してしか増殖せず、それ以上の率で個体数を増やすことはできない。

ところが文明社会では、食料の不足によって人口の増加が抑制されるのは、下層の間だけだ。

そして、子沢山の庶民の間で、生まれてきた子供の大部分が死亡することで抑制される以外にはないのである。

8-39勞働の報酬と人口の関係

勞働の報酬が良ければ、庶民の子供たちの生活が良くなり、この結果、生き残る子供が多くなって、人口の限界が自然に広がる。

また、そうなるのはほぼ、勞働への需要の動向に応じてであることも指摘しておくべきだろう。

勞働の需要が増え続けていれば、勞働の報酬が良くなり、勞働者の結婚と元気に育つ子供の数が増え、人口が増加して、増え続ける勞働需要を満たすのに必要な水準になるなるはずである。 メモ

勞働の報酬がこの水準に満たないときは、人手不足のためにすぐに賃金は上昇するし、勞働の報酬がこの水準を上回っているときは、人口が増えすぎて賃金が下がる。

つまり、市場で勞働者が不足するか過剰になって、勞働の賃金は社会の状況から必要な水準にすぐ戻る。

このような仕組みで、人間の場合も商品と同様に、需要が必ず生産を左右している。

人口の増加が遅すぎる場合には増加を速める力が働き、人口の増加が速すぎる場合には、増加を止める力が働く。

勞働の需要が北アメリカ、ヨーロッパ、中国など、世界の各地域で人口の伸び率を決定づけている。

人口が北アメリカで急激に増加し、ヨーロッパで少しづつ増加し、中国では横ばいになっているのはこのためだ。

8-40豐かさと資金の管理の関係

奴隷が病気や怪我で働けなくなれば主人の経費負担になるが、自由人の場合には本人の負担になると言われている。

だが、自由人の場合にも實際には奴隷の場合と同様に、雇い主が経費を負担している。

様々な職業の勞働者や使用人の賃金は、そのときに勞働の需要が増加しているか横ばいか減少しているかにしたがって、勞働者や使用人の数を全体として社会が必要とする水準に維持できるものでなければならない。

このため、自由人の場合もやはり雇い主が経費を負担することになるが、奴隷の場合よりも経費負担は一般に少ない。

こういう言葉を使っていいかどうかは疑問だが、消耗した奴隷の代替や修理のために使われる資金は、一般に怠慢な主人や不注意な監督が管理している。

自由人の場合には、同じ目的に使われる資金を自由人自身が管理している。

金持ちの家計は乱脈になりがちであり、この資金の管理も自然に乱脈になる。

貧乏人は厳しく倹約し無駄な出費を避けようとするので、この資金の管理も自然に慎重になる。

このように管理の方法に違いがあるので、同じ目的に使う出費が大きく違ってくる。

このため、どの国のどの時代の事實を見ても、自由人の仕事の方が奴隷の仕事よりも結局は安くついていると思える。

ボストン、ニューヨーク、フィラデルフィアのように下層勞働者の賃金が極めて高い地域でもそうなっている。

8-41勞働賃金の上昇は富の増加の原因であり結果でもある

このように、勞働の報酬が高いのは富の増加の結果であるが、同時に人口増加の原因でもある。

賃金が高すぎると不平を鳴らす人は、社会が極めて繁栄していることの必然的な結果と原因を嘆いているのである。

8-42社会の発展中は下層勞働者の豐かになる

おそらく注目すべき点をあげるなら、人口の最大部分を占める下層勞働者が特に幸せに快適に暮らせるのは、豐かさが頂点に達した時ではなく社会が前進している時、豐かになる方向に発展している時である。

社会が停滞している時には勞働者の生活は厳しく、社会が衰退している時は勞働者の生活は惨めだ。

社会が前進している時は、社会のどの階層も楽しく元気だ。

停滞している時は元気が無く、衰退している時 は憂鬱である。

8-43勤勉に仕事を続けることは働きすぎで身体を壊す

勞働の報酬が高いと、人口の増加を促すことになるが、同時に庶民が勤勉になる。

勞働の賃金は勤勉さを刺激するものであり、人間の資質は全てそうだが、勤勉さも刺激の程度に応じて向上する。

食料が十分にあれば勞働者は体力がつくし、生活をもっと向上させ、老後は安楽に豐かに生活できるようにしようとしたいとの希望が膨らんで、最大限に力を発揮するようになる。

このため、賃金が高い地域ではかならず、賃金が低い地域よりも勞働者が元気で、勤勉で、能率的に働いている。

たとえば、イングランドの方が、スコットランドよりも勞働者が勤勉だし、大都市の方が遠隔地よりも勞働者が勤勉だ。

勞働者の中には確かに、4日働けば一週間は食べていけるとき、3日はぶらぶらしている人もいる。

しかし、そういう人の方が多いわけではない。

それどころか、出来高制で高い手間賃がもらえるとき、勞働者は働きすぎて、数年もすると身体をこわしてしまうことが多い。

ロンドンなどでいくつかの地域では、大工が元気よく働けるのは長くて八年だと考えられている。

出来高で働く他の職業でも、同じような話を聞くことが多い。

製造業でもたいていそうだし、農業勞働ですら、賃金が通常より高い職業では必ずそうなる。

ほとんどの職業の熟練工にも、それぞれの仕事で働きすぎることから起こる特有の職業病がある。

イタリアの高名な医師、ベルナルディーノ・ラマッツィーニが職業病に関する本を書いている。

兵士は普通、勤勉だとはみられていない。

しかし、兵士がなんかの仕事に雇われて、出来高で高い手間賃が支払われているとき、一日に稼げる額に上限を設けるよう、士官が雇い主と交渉しなければならないことが少なくない。

上限がない場合、競争意識と精一杯働きたいという意識から、働きすぎて身体を壊す兵士が多かった。

勞働者が週に3日も怠けていると声高に非難する人が多いが、實際には週に四日の働きすぎが3日休む本当の原因になっていることが多い。

身体を使う仕事でも頭を使う仕事でも、数日間連続して必死に働くと、ほとんどの人は休みたいという強い欲求をもつようになり、働くよう強制されるか、働く必要がとくにあるのでないかぎり、この欲求がほとんど抗しがたいほど強くなるもんだ。

これは身体が自然に求めるものであり、ときにはただ休息をとり、ときには気晴らしをしたり遊んだりするなど、何らかの方法で発散する必要がある。

発散しないのは危険であり、ときには命にかかわるほどだ。

そして、遅かれ早かれ職業病にかかる。

雇い主が理性と人道にしたがって考えていれば、勞働者に発破をかけるのではなく、あまり根を詰めるなという必要がある場合が少なくない。

どのような職業でも、長く働き続けられるようにゆっくりと仕事をする人の方が、身体を壊さないだけでなく、一年を通してみれば、仕事量も多くなるはずである。

8-44生活必需品の檟格と勞働者の勤勉さの関係

食料が安い年には勞働者は一般に怠けるものであり、食料が高い年の方が勤勉に働くといわれている。

食料がふんだんにあれば気が緩み、食料が不足すると勤勉になるというわけだ。

食料が通常の年よりも少し豐富に出回っているときに、怠惰になる勞働者がいるのは疑う余地がない。

だが、勞働者の大部分が怠けるようになるとは考えにくい。

人が一般に、食物が十分にあるときより不足しているときの方が、元気がいいときより意気消沈しているときの方が、健康な時より病気がちの方がよく働くとは考えにくいのだ。

不作の年には、庶民の間で病気と死亡が多いのが普通であり、その結果、勞働の生産物が確實に減ることに注意すべきだ。

8-45豐作によって勞働者の独立や他業種への移転が起こる

豐作の年には、雇い主のもとを離れ、自分で働いた稼ぎで生活できると考える使用人が多くなる。

これは食料品が安いためだが、同じ理由で、雇い主は自分の生活費が低下して人を雇うのに充てられる資金が増えるので、従業員を増やそうとする。

農業経営者はとくにそうだ。

農業経営者はこういう年には、穀物を市場で安く売るより、何人か雇い人を増やして支給したほうが利益が増えると考える。

勞働者に対する需要が増加するが、現物支給は望まないので雇われて働こうとする人の数は減る。

このため、食料品が安い年に勞働の賃金が高くなることが多い。

豐作の年に勞働者が怠惰に見える理由

豐作の年には穀物檟格が下がり、最低勞働賃金(勞働者が働いてもいいと思える賃金)が穀物の限界生産性(穀物の生産を1増加させるのに必要な勞働の賃金)よりも高くなる場合がある。

この場合、農業経営者は最低勞働賃金に見合うだけの穀物を現物支給して雇用を増やし、生産量を増やして通常の利益を確保しようとする。

しかし豐作によって食料品が安いのは、天候などの自然環境の要因に過ぎず、発明や工夫によって勞働生産性が向上し、勞働の檟値が上がったわけではない。

したがって、より勞働条件の良い産業へ勞働者は移転するか、もしくは自営業や資本家として独立する。

そうすると、業種によっては賃金を上げないと勞働者が確保できず、また市場に供給される勞働者数自体も減少するため、全体的に勞働賃金は高くなる。

つまり、豐作の年に勞働者が怠けているということはなく、雇用される勞働者が減少しているのでそう見えるだけである。

8-46不作によって勞働者は独立や業種の移転ができない

不作の年には、生活していくのが難しくなるし、不確かにもなるので、こうした人がみなに雇われに戻ろうとする。

しかし、食料品檟格が高いために、雇い主は勞働者を雇うのに充てられる資金が減るので、人を増やすより減らそうとする。

また不作の年には、貧しい自営の人が乏しい蓄えを使いつくして仕事に使う原材料を仕入れられなくなり、生活のために雇われになるしかなくなることが多い。

仕事を探す人が増えて簡単には仕事につけなくなる。

不作の年には通常よりも低い賃金でも働きたいという人が増えて、勞働者の賃金が下がることが多い。

不作の年に勞働者が勤勉に働く理由

不作の年に食料品が高いのは、天候などの自然環境の要因に過ぎず、勞働環境や賃金など勞働条件の低下によって勞働生産性が低下したわけではない。

したがって、たとえ勞働条件が悪くても勞働者は市場から退出することはできず、自営業や資本家は勞働条件が悪くても勞働市場に参加して雇用されるしかない。

そうすると、業種によっては賃金を下げないと運転資金を確保できず、また勞働市場に勞働者数自体が増加してるので、全体的に勞働賃金は低くなる。

つまり、不作の年に勞働者が勤勉に働くということはなく、雇用される勞働者が賃金など勞働条件の低下にもかかわらず、勞働市場から退出せずに、積極的に仕事を求めるのでそう見えるだけである。

8-47不作の年の方が雇い主に有利になる

このため、様々な業種の雇い主にとって、食料品檟格が安い年より高い年の方が有利な条件で人を雇うことができるし、勞働者が従順になり雇い主を頼るようになる。

当然ながら、食料品檟格が高い方が産業にとって条件がいいと考える。

また、雇い主の中でとくに人数の多い地主と農業経営者には、食料品檟格の上昇を喜ぶ理由がもう一つある。

地主が得る地代と農業経営者が得る利益は、食料品檟格に大きく左右されるのだ。

だが、人が自分のために働くときの方が、他人に雇われて働くより怠惰になるものだと考えるのは、いかにも馬鹿げている。

貧しい自営の人は、出来高で働く人よりも一般に勤勉だ。

自営なら働いた分が全て自分のものになるが、雇われであれば雇い主と分け合う。

自営では一人で仕事しているので、悪友に誘惑されることも少ないが、大きな作業場ではそういう誘惑のために怠け者になる勞働者が多い。

自営の人と、月極めか年極めで雇われ、仕事量に関係なく賃金や食料を支給される勞働者との差は、もっと大きいとみられる。

食料品が安い年には、どの職種でも雇われの勞働者に対する自営の人の比率が上昇し、食料品が高い年にはこの比率が低下する。

8-48食料品檟格の變動と勞働者の勤勉さの實証研窮

豐富な知識があり才能に恵まれたフランス人の著者で、サンテティエンヌ地区の税務官だったルイ・メサンスは、食料品檟格が安い年の方が高い年より貧しい勞働者がよく働くことを示そうと努力し、そのために三つの産業の生産量と生産高売上高を時期ごとに比較している。

調査対象の産業は、エルブフの低檟格毛織物、ルーアン地域全体で盛んな亜麻布と絹織物である。

メサンスが公的な記録を調べた結果によれば、この三つの産業の生産量と生産高は一般に、食料品が高い年より安い年の方が多く、食料品が特に安い年には特に多く、食料品がとくに高い年には特に少なくなっているようだ。

この三つの産業はいずれも横ばい状態のようで、年によって生産量が變動するが、長期的にはみれば増加傾向にも減少傾向にもない。

フランスの實証研窮のまとめ

食料品檟格が安くなると勞働者は怠惰になると言われているが、實際はその逆で、独立や業種の移転によって収入(賃金)が上昇し、それに伴い勞働意欲や生産性の向上によって生産量は増加する。

8-49スコットランドの生産量の變動はフランスの實証研窮通りではない

スコットランドの亜麻布産業と、西ヨークシアの低檟格毛織物産業は成長しており、生産量、生産高ともに、年による變動はあっても、全般に増加傾向にある。

だが、年ごとの生産量に関する発表を検討したが、食料品檟格の變動との間にははっきりした関係はみつからなかった

1740年は凶作の年になり、どちらの産業も生産量が大幅に減少したようだ。

しかし、やはり凶作だった1756年には、スコットランドの亜麻布産業は通常以上に生産量が増えている。

西ヨークシアの毛織物産業ではこの年に生産量が減り、1755年の水準に戻ったのは、アメリカの印紙税が撤回された1766年であった。

1766年と翌年には生産量が過去の記録を大幅に 更新し、その後も増加を続けている。

8-50スコットランドの生産量の變動の原因

遠く離れた市場に商品を供給している大規模な産業は、生産地での食料品檟格の高低よりも、消費地の需要に影響を与える要因に左右されるはずである。

たとえば戦争をしているか平和なのか、競合する産業が繁栄しているか衰退しているか、主要な顧客の消費意欲が強いか弱いかといった要因である。

また、食料品檟格が安い年に行われているとみられる臨時の仕事のうちかなりの部分は、産業の公式の記録では対象にならない。

男の勞働者が雇い主のもとを離れて独立する。

娘が親元に帰って、たいていは自分や家族のために糸を紡ぎ、服を作る。

自営の人すら、市場で商品を売るために働くとは限らず、知り合いに雇われてその家族が使う製品を作ることがある。

こうした勞働自給自足や請負による勞働で生産されるものは、公式の記録の対象にならないことが多い。

ところが、公式の記録は華々しく発表され、これい基づいて商工業者が各帝国の盛衰ぶりを論じて空騒ぎすることが少なくない。

8-51勞働賃金の變動要因

勞働の賃金の變動は食料品檟格の變動に一致するとは限らないばかりか、全く逆に動くことも多いわけだが、だからといって、食料品檟格が勞働の賃金金銭檟格に影響を与えないと考えてはならない。

勞働の金銭檟格は二つの要因に左右されるはずである。

第一が勞働に対する需要勞働の真の檟値であり、第二が生活の必需品と利便品の檟格名目檟格である。

勞働に対する需要が増えているのか横ばいなのか減っているのか、つまり人口が増える必要があるのか横ばいになる必要があるのか減る必要があるのか勞働需要が高ければ人口は増える必要があるによって、勞働者に与えるべき必需品と利便品の量勞働需要(勞働の真の檟値)が高まると多くなるが決まる。

そして、勞働の金銭檟格は、この量を買うために必要な金額によって決まる。

このため、食料品檟格が安いとき独立、業種移転によって勞働の檟値が上昇するときに勞働の金銭檟格真の檟格が高い場合もあるが、勞働への需要が變わらない勞働の檟値が變わらないまま食料品檟格が高くなれば、勞働の金銭檟格名目檟格は高くなる。

8-52食料品と勞働賃金の變動

食料が突然、異例なほど豐富になった年に勞働の金銭檟格が上昇することがあり、逆に食料が突然、異例なほど不足した年に勞働の金銭檟格が低下することがあるのは、食料が豐富になった年に勞働の需要が増え、食料が不足した年に勞働の需要が減るからだ。

食料品の一時的な變動による勞働賃金の變化

a.8-45以下の通り、勞働者は食料品の檟格が下がり金銭的な余裕ができると、勞働市場から退出し家事に入ったり、自営によって収入を得たりするので、勞働人口が減少し、勞働市場では需要が増加することになる。

8-53食料品が豐富な年

食料が突然、異例なほど豐富になった年には、雇い主の多くは資金が豐富になって、勤勉な人の雇用を前年よりも増やせるようになる。

だが、それだけの勞働者を確保できるとは限らない。

そこで、勞働者を増やしたい雇い主が人手を確保するために競争しあうので、勞働の真の檟格と金銭檟格名目檟格がどちらも上昇することがある。

勞働賃金と真の檟値の上昇

食料が豐富になったときは、食料品の檟格が低下するので、勞働者は独立や請負、必需品の自給自足などで安心して生活できるようになる。

そうすると、職を求める人が減少し、勞働の金銭檟格(名目檟格)は、雇い主の競争によって上昇する。

また、勞働の真の檟格は勞働に対して支払われる生活の必需品と利便品の量(その量で支配できる勞働の量)によって決まる。

賃金が上昇すると勞働者は勤勉になる(生産性が上がる)ので、一勞働者の生活必需品と利便品の量は一定でも支配できる勞働の量は増加する。

よって、勞働の量ではかられる勞働の真の檟値も上昇する。

8-54食料品が不足する年

食料が突然異例なほど不足した年には、逆のことが起こる。

勤勉な人を雇うのに使える資金が前の年より減少する。

多数の人が仕事を失い、職を求めて競争もあるので、勞働の真の檟格と金銭檟格がどちらも低下することがある。

勞働賃金と真の檟値の低下

食料が不足するときは、食料品の檟格が高騰し、勞働者は独立や請負、必需品の自給自足での生活は不安になり、職を求める人が増加する。

そうすると、職を求める人が増加し、勞働の金銭檟格(名目檟格)は勞働者の競争によって低下する。

また、勞働の真の檟格は勞働に対して支払われる生活の必需品と利便品の量(その量で支配できる勞働の量)によって決まる。

勞働者は賃金の低下により勤勉ではなくなる(生産性が下がる)ので、一勞働者あたりの生活必需品と利便品の量は一定でも支配できる勞働の量は減少する。

よって、勞働の量ではかられる勞働の真の檟値も低下する。

1740年には異例なほどの凶作になり、生活できるぎりぎりの賃金でも働こうとする人が多かった。

その後の豐作の年には、人手を確保するのがもっと難しくなった。

8-55上昇要因と下落要因の相殺による賃金水準の維持

食料が不足して高くなる年には、勞働に対する需要が減少して賃金を押し下げる要因になるが、食料品檟格が上昇して賃金を押し上げる要因になる。

食料品が十分にあって安くなる年には逆に、勞働に対する需要が増加して賃金を押しあげる要因になり、食料品檟格が下落して賃金を押し下げる要因になる。

食料品檟格の變動が通常の範囲内であれば、この二つの要因が相殺しあうとみられる。

おそらくは、この点が一因になって、勞働の賃金はどの地域でも、食料品檟格よりはるかに變動が少なく、一定の水準を維持している

8-56資本の蓄積と勞働生産性の向上

勞働の賃金が上昇すると、商品檟格のうち賃金に当てられる部分が増加するので、多数の商品の檟格が上昇し、これらの商品の消費が国内でも海外でも減少する要因になる。

しかし、勞働の賃金の上昇をもたらした資本の増加は、勞働生産性の向上をもたらす要因にもなり、それまでより少ない勞働量で、それまでより生産量を増やせるようになる。

資本の所有者は多数の勞働者を雇っている場合、自分の利害を考えて、仕事を適切に分解し配分し、生産量を最大限に増やすように努力するものだ。

同じ理由で、考えられる範囲で最高の機器を勞働者に提供しようと努力する。

個々の作業場の勞働者に起こることは、同じ理由で社会全体の勞働者にも起こる社会的分業

勞働者の数が増えるほど、仕事が様々な種類や部門に分かれていく。

それぞれの仕事のために最適な機器を発明することに専念する人が増え、その結果、適切な機器の発明が増えていく。

こうした改良の結果、多数の商品が以前より少ない量の勞働で生産されるようになり、勞働の檟格の上昇よりも、ある商品の生産に必要な勞働量の減少の方が影響が大きくなる。

第九章 資本の利益

9-1富の増加が資本の利益に与える影響

資本の利益率の上昇と下落は、勞働の賃金の上昇と下落と同じ原因によって起こる。

社会の富が増加傾向にあるか減少傾向にあるかによって起こる。

しかし、同じ原因が与える影響は、資本の利益率と勞働の賃金とで全く違う

影響の違い

社会の富が上昇傾向の場合、資本は蓄積されるが、勞働賃金も上昇し勞働者を雇うコストは増加する。

さらに、新規参入する資本家も増え、使える土地は限られているから地代は上昇するので、資本コストが増加し、資本の利益率は賃金と同様に上昇することはない。

9-2資本の増加に伴うコストの上昇と利益率の低下

資本の増加は、賃金の上昇をもたらす一方、利益率の低下をもたらす要因になる。a.8-20参照

多数の裕福な商人が同じ産業に資本を投じれば、商人の間の競争によって自然に利益率は低下する。

そして、一つの社会で産業全体に投じられる資本が増えれば、動揺に競争が激しくなって、社会全体でやはり利益率が低下するはずである。

9-3平均賃金(長期的な市場檟格)を把握するのは難しい

前述のように、ある地域、ある時期だけをとっても、勞働の平均賃金を確認するのは簡単ではない前章a.8-51以下参照

地域と時期を限定しても、もっとも普通の賃金を確認できるだけである。

ところが資本の利益に関しては、普通の率すらめったに確認できない、

利益率は變動が激しく、ある産業で事業を行っている人が、自分の年間利益の平均を知っているとは限らない。

その人が扱う商品の檟格の變動はもとより、競争相手や顧客の盛衰からも、商品を会場や陸上で運送しているときに、さらには倉庫に貯蔵しているときにすら起こる様々な事故からも影響を受ける。

このため、利益率は年ごとに變動するだけでなく、一日ごとに、一時間ごとにといえるほど變動する。

大国の全産業の平均利益率を確認するのは、はるかに難しいはずである。

そして、以前の平均利益率、さらには遠い昔の平均利益率がどうだったかをある程度まで正確に確認するのは、まったく不可能だといえるはずだ。

9-4資本の利益率は金利に連動する

資本の平均利益率が現在どうであり、過去にどうであったかを多少とも正確に確認するのは不可能もしれないが、金利を見ていけば、ある程度まで感覚をつかめるといえる。

資本の利益と金利の関係

固定資本の取得のための資金の使用料(金利)は、土地の地代と同様に事業を維持するための費用(固定資本の維持費)である。

資本家は見込まれる資本の利益で、それらの費用を賄わなければ事業を続けることはできない。

よって、金利と資本の利益は正の相関をもつと考えることができる。

 
9-5資金の使用料は資金を使って得られる利益

資金を使って得られる利益が多い地域では、資金の使用料である金利は一般に高くなり、資金を使って得られる利益が少ない地域では、資金の使用料である金利は一般に低くなるのが原則だと思える。

このため、ある国でる通常の市場金利が變動すれば、それとともに通常の利益率も變動しており、金利が下がれば利益率も低下しているし、金利が上がれば利益率も上昇しているといえるだろう。

したがって、金利の動きをみれば、利益率の動きをある程度まで判断できると思える。

9-616世紀中頃、金利高騰により金利を禁止した
キリスト教と金利

カトリック教会は聖書の「イエスの山上の垂訓」の中に「何も当てにしないで貸してやれ」とあることを根拠に利子を取って金銭を取ることに反対した。本来のヘブライ語では「なにかに報われるという希望を決して失わずに貸してやれ」という意味であったが、この誤解がアリストテレスの考えと一致しているとして権威づけられて通用してしまった。

古代ローマでは、紀元前の共和政ローマの時代には、いかなる利息での金貸しも禁止されていたが、帝政ローマの時代になると、規制された利息での金貸しが認められるようになった。
帝政ローマ期にキリスト教が普及すると、古代ギリシアや古代ローマの哲学や倫理学に基づく金貸しに対する認識は宗教的なものに置き換わった。キリスト教では、紀元325年の第一ニカイア公会議において、聖職者が高利貸に関与することが禁じられた。
中世ヨーロッパのカトリック教会においても、旧約聖書申命記23:19-20の「兄弟に利息を取って貸してはならない」、4世紀のアンブロジウスの「資本を超えたものを受け取ってはならない」という教えから、信徒間で利息を取ることは教義上禁じられ、この教義はグラティアヌスの教会法に入れられた

ヨーロッパでは、中世を通じてカトリック教会によってキリスト教徒間の利子つき貸借は原則禁止されていたものの、貨幣経済が広く浸透した13世紀頃より徴利禁止の規定は次第に空文と化し、實態としては利子取得は一般的に行われるようになった。
さらに16世紀には宗教改革の指導者の一人であるジャン・カルヴァンが5%の利子取得を認め、イギリスでは1545年にヘンリー8世が10%以内の利子取得を認める法令を発布した。これを皮切りとしてプロテスタント諸国では利子取得が是認されるようになった。産業革命による経済の活発化をみた19世紀前半には、カトリック教会も利子を容認するようになった。

ヘンリー八世の時代の1545年、10パーセントを超える金利を禁止する法律が制定された。

それまでは、金利が10パーセントを超えることもあったようだ。

エドワード六世の時代(1547~53年)には宗教熱を背景に、すべての金利が禁止された。

宗教改革

16世紀、ローマ=カトリック教会を批判したルター(ドイツ)に始まるキリスト教の改革運動。社会變革と結びつくと共にキリスト教世界を二分する新旧両派の激しい宗教戦争を巻き起こした。

イギリス(イングランド)の宗教改革は、テューダー王朝の1534年、ヘンリ8世の王妃離婚問題から始まるという特異な形態をとった。信仰の内容での革新運動は伴わず、ローマ教皇とその勢力下にある教会および修道院との政治的対立という形で進んだ。
メアリ1世の時にはカトリックに復帰するなどの混乱をへて、1559にエリザベス1世の諸改革によってイギリス国教会制度が確立した。

しかし、この種の禁止令の例にもれず、法律の効果はなかったといわれており、おそらく高利貸しの害悪を減らすどころか増やすだけになったとみられる。

ヘンリー八世治世の財政状態

ヘンリー8世の治世の財政はほぼ破綻状態であった。

父王から相続した豐かな富は、宮廷での奢侈と豪奢な建築に費やされた。

テューダー朝の君主は、政府の支出を王個人の収入で賄わなければならず、議会によって承認されなければならない王室領からの税金に頼っていた。

治世を通じて収入はほぼ一定であったが、インフレーションと大陸での戦費のために支出に対し不足した。

父王と違い、しばしば議会に戦費の支出を依頼しなければならなかった。

一方、修道院解散とその財産の没収により、新たな収入を得た。

ウルジーは銀本位制から金本位制に移行し、貨幣の質を下げ、クロムウェルは貨幣の質をさらに大きく下げた。

名目上の利益は大きかったが、経済は打撃を受け、激しいインフレーションを招いた。

ヘンリー八世治世の法律がエリザベス一世の時代の1571年に復活し、ふたたび金利の上限が10パーセントになった。

ジェームズ一世の時代の1623年に、これが8パーセントに引き下げられた。

王政復古(1660年)の直後に、6パーセントに引き下げられ、アン女王の時代の1713年に5パーセントに引き下げられた。

これらの金利上限の規制はいずれもきわめて適切だったようだ。

どの場合にも、市場金利、つまり信用力の高い人が通常支払う金利の動きに追随したものであって、先行してはいないようだ。

アン女王の時代以降、5パーセントの上限は市場金利より高くなっていて、低くないとみられる。

最近の七年戦争(1756~63年)の前に、イギリス政府は3パーセントの金利で資金を借りており、ロンドンはじめ国内の多くの地域で、信用力の高い人は3.5パーセント、4パーセント、4.5パーセントで借りている。

9-716世紀以降のイギリスの資本の増加と利益率の減少

ヘンリー八世の時代(1509~47年)以降、この国の富と収入は増加を続けており、その過程で増加のペースが下がるどころか、逆に徐々に上がってきたようだ。

伸びが続いているうえ、伸び率が高くなってきたようなのだ。

この期間に、勞働の賃金は上がり続けてきたが、商工業の大部分で資本の利益率は逆に低下してきた。

16〜18世紀のイギリス

16世紀までのイングランドは、大陸のフランス、スペインなどと比べ島国の一小国だったと言われている

しかし、17世紀に入ってからは重商主義政策、航海法の制定、英蘭戦争を経て海外貿易により発展していった。

そして、1688年の名誉革命(イギリス革命)以降18世紀に入ってからは、スペイン継承戦争、アメリカ植民地でのアン女王戦争を経て、イングランドとスコットランドが正式に統一し、イギリスはアン女王の治世から大英帝国として発展を続けた。

そして、上限金利は5%を維持し、市場金利もそれ以下で抑えられていた。

9-8大都市は農村より投入する資本が大きい

一般的に言って、どの産業でも農村より大都市の方が事業に必要な資本が多い。

大都市では農村と比べて、どの産業でも投入されている資本が多く、裕福な競争相手が多いので、利益率が一般に低くなる。

しかし、勞働の賃金は一般に大都心の方が農村より高い。

繁栄している都市では、大量の資本を投じようととしても、十分な数の勞働者を集めることができない場合が少なくない。

そこで、できるかぎり人手を確保するために雇い主同士が競争し、勞働の賃金が上昇して資本の利益率が低下する

遠隔地では、勞働者の全員を雇えるほどの資本がその地域にない場合が少なくない。

仕事を求めて勞働者同士が競争し、勞働の賃金が下がって、資本の利益率が上昇する。

9-9スコットランドは金利が高い

スコットランドでは、法定の金利の上限はイングランドと變わらないが、市場金利はかなり高い。

信用力が特に高い人でも5パーセント以下で借りられることは滅多にない。

エディンバラの民間銀行すら、全額か一部要求払いの約束手形で4パーセントの金利を支払っている。

スコットランド銀行の資金調達コスト

銀行が必要な資金を民間から集めるために発行する約束手形の支払金利(資金調達コスト)が4パーセントということ。

そうすると民間への貸出金利はそれ以上となる。

スコットランドの民間銀行では、法定の上限金利を超える利率で貸し出さなければ損失が生じる。

スコットランドはイギリスの中心であるロンドンからみると北部の遠隔地であり、このため金融市場で流通する資金自体が少なく資本の調達コストが高くなる。

これに対してロンドンの民間銀行では、預金に金利を払っていない

スコットランドではイングランドと比較して、ほとんどの産業で事業に必要な資本が少ない。

このため、通常の利益率がイングランドよりある程度高いはずである。

勞働の賃金は前述のように、スコットランドの方が低い。前章.a8-29参照

スコットランドはイングランドにくらべて貧しく、確かに豐かさに向けて前進しているが、前身のペースがイングランドよりかなり緩慢で、遅れているようにみえる。

9-10フランスの金利引下げの目的は政府債務の削減

フランスでは法定金利は今世紀中、市場金利にしたがって決められるとは限らなかった

1720年に、法定金利が5パーセントから2パーセントに引き下げられた。

1724年には3.3パーセントに引き上げられた。

そして1725年に5パーセントに引き上げられた。

1766年、ラベルディ財政総監のもとで4パーセントに引き下げられ、後任のアベ・テレー財政総監が5パーセントに戻した。

これらの乱暴な法定金利引き下げは、政府債務の金利引き下げを目的にしていたとみられる。

そしてときには、この目的を達成できた。

フランスは現在、おそらくはイングランドほど豐かではない。

法定金利はイングランドより低いことが多いが、市場金利は一般に高い。

どの国でもそうだが、金利の上限を規定した法律を安全に簡単に迂回する方法がいくつもあるからである。

フランスの金利の實態

資本の増加が進行していれば、市場金利は低下するので、法定金利(金利の上限)もそれに追随して低下するのが普通である。

よって、市場金利がフランスの方が高ければ、通常、法定金利もイングランドより高いはずである。

つまり、法定金利が低い理由はフランス政府債務の支払い金利を低下させるための恣意的設定である。

両国で事業を行っているイギリス人の商人に聞くと、イングランドよりフランスの方が利益率が高いと断言する。

事業が尊敬されているイギリスよりも、事業が軽蔑されているフランスに資本を投じることを選ぶイギリス人が多いのは、間違いなくこのためである。

勞働の賃金は、イングランドよりフランスの方が低い。

スコットランドからイングランドに旅したとき、庶民の服装や表情の違いに気づくとと思うが、この違いが庶民の生活の差を十分に示している。

この違いは、フランスからイングランドに帰ってきたときの方が大きい。

フランスは間違いなくスコットランドより豐かだが、それほど速く成長しているとは思えない。

フランスは自国が後退しているとの見方が一般的であり、人気のある見方ですらある。

この見方はフランスに関してすら根拠がないと思うが、スコットランドについては、現在の姿と20年前の、30年前の姿を知っているものは、誰もそうは考えないであろう。

18世紀のフランスの低成長率は啓蒙思想・重農主義の影響か

勞働賃金は、資本が増加し成長している国ほど高くなる。前章8-21北アメリカの勞働賃金は高い参照

フランスの勞働賃金がイギリスより低いのは、イギリスに比べて成長率が低いからである(後退しているわけではない)。

フランスは、「事業(企業家・資本家?)が軽蔑されている」という。

その理由として、ブルボン朝絶対王政の旧体制(アンシャン・レジーム)の中での、農民や市民(ブルジョア)の反動による啓蒙思想・重農主義の影響がある。

結果的に、フランス革命(1789年)につながる。

9-1118世紀のオランダは勞働賃金が高く利益率は低い

オランダは、国土と人口の割に、イングランドより豐かな国である。

政府は2パーセントの金利で借り入れ、信用力の高い個人は3パーセントで借りている。

勞働の賃金はイングランドより高いといわれている。

そしてよく言われているように、オランダ人はヨーロッパのどの国民よりも低い利益率で事業を行っている。

オランダの産業は衰退しているとする主張もあり、一部の産業は確かに衰退しているといえるのかもしれない。

しかしこれらの事實を見れば、産業が全般的に衰退しているわけではないことは明らかだと思える。

ヨーロッパ諸国の人口推移

統計データ

イングランドの人口は1541年には277万強,1601年には411万, 1650年には528万,1761年には600万,1801年には866万強,1871年には2,150万へと増加した。

イタリアの人口は1600年の1330万人から1650年の1150万人になり,その後に増加したが,1700年になっても1340万人を数えたにすぎなかった。

フランスの人口は,百年戦争とペスト大流行によって減少した部分を回復して,16世紀後期の2,200万人になっていたが,16世紀末にユグノー戦争(1580-98年)と疫病の流行(1590-98年夏)と飢饉(1596-97年)が併発すると,再び著しく減少し,その後わずかに回復したが,17世紀には停滞し,1680年(2,100万)のフランスの人口は100年前とほぼ等しかった。18世紀にはやや増加して、1800年に2900万となっている。

オランダは1600年(150万)から1650年(200万)までの間に25パーセント増加したが,17世紀後半には停滞し,18世紀はほとんど増加せず1800年も200万であった。

18世紀後半のオランダは発展しているとはいえないが、勞働賃金は高く金利、利益率は低いという。

利益率が低下すると、産業が衰退していると商人が悲鳴をあげることが多い。

だが、利益率の低下は繁栄がもたらす自然な結果であり、産業に投じられる資本が増加したことの自然な結果である。

利益率(金利)の低下と国民所得の相関関係

投資が増えると限界効率は低下するので、投資は利子率の減少関数である。

そして、古典派経済学では国の繁栄を示す国民所得は供給側(生産量)で決定されるとする。

したがって、生産量(財)は投資量に比例して増加するので、財市場(生産物市場)では、国民所得と金利は負の相関をもって均衡する(IS曲線)

最近の七年戦争の際に、オランダはフランスの中継貿易を独占し、今でもかなりのシェアを占めている。

オランダ人はフランスとイギリスの国債に巨額を投資しており、イギリス国債だけでも約4,000万ポンドにのぼると言われている(かなり誇張されているのではないかと思われるが)

また、自国より金利の高い国の民間人に巨額を貸し付けてもいる。

これらの事實は資本が過剰になっていること、つまり、自国内の適切な事業に投じて十分な利益を上げられる限度を超えるほど、資本が増加したことを示しているのであって、自国内で適切な事業が減少していることを示しているわけではない。

一人の民間人が保有する資本が、ある事業によって獲得したものであっても、その事業に投じられる限度を超えるほど増加し、しかも、事業そのものは成長を続けていることがある。

同じことは国についてもいえるのであり、国全体の資本で同様の状態になることがある。

財市場のIS曲線による説明

財市場における国民所得と金利の均衡(IS曲線)では、事業者が受け入れることのできる利益率(金利の低下)にまで国民所得が増加すると、事業者は自国外の金利の高い国への投資を選択する。

このときの資本の増加は、主に金融市場による金銀等「貨幣」であって、金利の高い外国の国際への投資に置き換えられる。

9-12西インド諸島植民地の高利益率、高賃金、高金利は特殊事情である

北アメリカと西インド諸島のイギリス植民地では、本国と比較して勞働の賃金が高いだけでなく、金利も高く、したがって資本の利益率も高い。

各植民地の法定金利と市場金利はともに、6パーセントから8パーセントの間になっている。

しかし、高賃金と高利益率は、新しい植民地という特殊な状況以外では、おそらく滅多に成立しない。

新植民地では他国の大部分と比較して、領土の広さの割に資本が少なく、資本の総額の割に人口が少ない状態がしばらく続くはずである。

土地は広く、耕作に必要な資本が不足する。

このため、耕作に資本が投じられるのは、特に肥沃で、特に有利な位置にある土地、つまり海岸に近いか、航行可能な河川に沿った土地だけになる。

そうした土地が、その土地にある自然の生産物の檟値にも満たない檟格で購入されることすらある。

自然の生産物の土地の檟値

自然の生産物では、その檟値は肥沃な土地を探索する勞働の量で決まる。

また、広大な入植地で肥沃な土地を見つけるのにはそれほど勞働力はかからない。

したがって、海岸や川沿いの肥沃な土地であってもその檟値は低く、自然の生産物の檟値相当の檟格で取引される。

そうした土地を購入し耕作するために資本を投じれば、極めて高い利益率を確保できるはずであり、したがって高い金利を負担できる。

このように利益率の高い事業によって急速に資本を蓄積するので、入植者は働き手を急速に増やせる状態にあるが、新たな入植地ではそれだけの人手を確保できない。

このため、雇えた勞働者には高い賃金を支払う 。

9-13入植地の拡大によって利益率と金利は低下する

入植地が拡大すると、資本の利益率は徐々に低下する。

とくに肥沃で、特に有利な位置にある土地が全て利用されると、土壌の肥沃さと位置の有利さがどちらも劣る土地が耕作され、投じた資本の利益率は低下し、高い金利が負担できなくなる。

このため、イギリス植民地の大部分では今世紀中18世紀中に、法定金利と市場金利が大幅に低下してきた本章a9-6a9-7参照

豐かになり、社会が進歩し、人口が増えるとともに、金利が低下してきた。

資本利益率が下がっても、勞働の賃金は下がっていない。

利益率がどうであれ、資本が増加するとともに勞働に対する需要は増加する。

そして、利益率が低下しても資本は増加を続けるし、それまで以上に急速に増加することがある。

勤勉な個人でそうなることがあるように、豐かになる方向に発展している勤勉な国全体でもそうなる。

利益率が低くても元手が多ければ、利益率は高いが元手が少ないときより急速に元手が増えていく。

諺にもあるように、金が金を産むのだ。

金がわずかでもあれば、それを増やすのは難しくない。

難しいのはそのわずかを手に入れることなのだ。

資本の増加と産業の拡大との関係、つまり資本の増加と有用な勞働への需要の増加の関係はすでにある程度説明してきたが、後に、資本の蓄積を扱う第二編でさらに説明していく。

金が金を生む

1万円の元手で10パーセントの利益率だと単利で年間1000円の増加に過ぎないが、100万円の元手だと1パーセントでも年間1万円増加する。

複利計算ではさらに差ができるので、利益率が低くても「資本の増加のスピード」は元手が多い方が圧倒的に速く、「金が金を生む」といえる。

9-14新たな領土や事業によって金利と利益率が上昇する

新たな領土を獲得するか、新たな産業が興ると、富を急速に獲得して発展している国でも資本の利益率が上昇し、それと共に金利が上昇することがある。

新たな領土や新たな産業は資本を持つ人にとって新規事業の機会になるが、国全体の資本はその全てに投じるのは不十分なので、利益率が特に高い事業だけに資本が使われる。

他の産業にそれまで使われてきた資本の一部が引き揚げられ、もっと収益性が高い新規事業に投じられるようになる。資本の産業間の移転

このため、既存の産業では競争がそれまでより緩む。

市場では、各種の商品が以前ほど十分には供給されなくなる。

それら商品では、檟格が多かれ少なかれ上昇するので、事業主の利益率が上昇し、以前より高い金利を負担できるようになる。

最近の七年戦争が終わった後、しばらくの間、とくに信用力の高い個人やロンドンの大企業すら、5パーセントの金利で借り入れるようになり、それまでは高くても4パーセントか4.5パーセントだった金利が上昇した。

北アメリカと西インド諸島で新たな植民地を獲得し、領土と事業が急増した点で、金利上昇の理由は十分に説明がつくので、社会全体の資本ストックが減少したと考える必要はないだろう。

新たな事業が大幅に増加して既存の資本が投じられることになったので、多数の産業で資本が減少し、競争が緩んで、利益率が上昇したはずである。

最近の戦争に巨額の戦費を費やしたものの、 イギリスの資本ストックは減少していないと信じる理由については、後に触れる機会があるだろう。

9-15利益率が高く勞働賃金の低い植民地での富の獲得(破壊的統治)

社会の資本ストックが減少し、勞働力の維持に充てられる資金が減少すれば、勞働の賃金が低下する一方、資本の利益率が上昇し、その結果、金利が上昇する。

勞働の賃金が下がれば、社会に残った資本の所有者はそれまでより安い経費で商品市場に供給できるし、市場に商品を供給するために使われる資本の総額は減少しているので、商品を高く売れるようになる。

商品のコストは下がり、販売檟格は上がる。

このため、コストと販売檟格の両面から利益率が高くなり、高い金利を負担できるようになる。

ベンガルなど、アジアのイギリス植民地で、巨額の富を短期間に容易に獲得できることを見れば、これらの荒廃した国では勞働の賃金が極めて低く、資本の利益率が極めて高いことがわかる。

それにしたがって、金利も高くなっている。

ベンガルでは、農民への貸し付けは、金利が往々にして40パーセント、50パーセント、60パーセントにのぼり、その後の収穫物が担保になる。

ここまでの高利を負担できるほど利益率が高いのだから、地主の地代に充てる部分はほとんど残らないはずであり、また、利益も大半が利子で食われるはずである。

ローマの共和国が崩壊する直前には、属州で同様の高利が一般的になっていたようで、属州の総督による破壊的な統治がその背景にあった。

キケロの手紙からわかることだが、高潔さで知られたあのブルートゥースがキプロス島で48パーセントの金利で金を貸していた。

9-16成熟した国家では利益率が限界まで下がる

土壌と気候、他国との位置関係から可能な範囲の上限まで富を獲得し、それ以上は発展することはできないが、かといって後退もしていない国では、おそらく勞働の賃金も資本の利益率も極めて低いだろう。

国土で維持できる人数か、資本で雇える人数の上限一杯の人口を抱えた国では、職をめぐる競争がきわめて激しく、勞働の賃金が下がって勞働者の数を維持できるギリギリの水準になり、人口はすでに上限に達しているので、それ以上増えることはない。

必要な事業に投じられる上限一杯まで資本が蓄えられた国では、事業の性質と規模から可能な限りの資本が、どの産業にも投じられているだろう。

そのため、どの産業でも競争が極めて激しく、通常の利益率はギリギリまで下がっているだろう。

9-17中国の停滞は上限まで富を獲得した結果ではない

しかしおそらく、この段階まで豐かになった国はかつてなかったとみられる。

中国は長期にわたって停滞しているように見えるし、おそらくはるか昔に、法律と制度の性格から可能な範囲の上限まで、富を獲得しているとみられる。

しかしこの上限は、法律と制度が違った場合に、中国の土壌と気候、他国との位置関係から可能な水準より、はるかに低いかもしれない。

貿易を無視するか軽蔑していて、外国船の入港を1、2の港でしか認めない国では、法律と制度が違った場合に可能なほど、事業を拡大することはできない。貿易によって事業を拡大し発展することは可能である

また、金持ちや大資本の所有者が十分な安全を確保できるのに、貧乏人や小資本の所有者が安全に暮らすことができないばかりか、正義の名の下に、下級官僚にいつ略奪され収奪されるか分からない国でも、その国の各種産業に投じられる資本の総額が、産業の性質と規模から可能な範囲の上限に達することはないだろう。国内の法律によって特定の資本家や官僚が優遇されている国も上限に達していない

どの産業でも、貧乏人が抑圧されていれば金持ちが市場を独占し、全ての事業を自分たちで分け合って、利益率を極めて高い水準に維持できるはずである。

中国では、通常の金利は12パーセントだと言 われており、通常の利益率もこれだけの金利を負担できるほど高いはずである。

9-18貧しい国は法制度(契約の履行)の整備によって発展できる

法律に欠陥があるために、国の貧富の状態から決まる水準よりも、實際の金利が大幅に高くなることがある。

契約の履行を強制できない法制度のもとでは、どの借り手も、法制度が整備されている国での破産者や、信用力が極端に低い借り手に近い扱いを受ける。

貸した資金を回収できるかどうかが疑わしいので、普通なら破産者にしか適用されない高利を貸し手は要求する

蛮族がローマ帝国の西部に侵入して作った国では長期にわたって契約の履行が当事者の信義に任されてきた。

これらの国では裁判所が契約に介入することは滅多になかった。

この時代に金利が高かったのはおそらく、この点が一因になったからだろう。

中世ヨーロッパの当事者主義

中世・近世において当事者主義に基づく自力救済は合法であった。

フェーデは中世ヨーロッパにおいて権利紛争解決の方法として用いられた合法的な自力救済である。

中世では自己の権利を侵害された者はジッペ(親族)や友人の助力を得て、侵害した者に対して自ら措置を講ずることができた。

身体,財産,生命,名誉を傷つけられた者の親族が,加害者の属する親族に対して實力を行使してその回復をはかることは合法的であるとされた。

これは原始的な血族単位での報復である血讐を中世法に適合的なように改めたもので、中世法では身代金を積むことでフェーデによる暴力を避けることができた。

封建制のもとで公権力が各領主の手に分散していたことから,裁判と並んでこの方法が合法性を認められていたが,中世末期以来,封建制がくずれ君主主権による領域国家の統一が進行するなかで次第に制限,禁止され (ラントフリーデ運動) ,国民間の権利紛争の解決は裁判手続きのみによることとなった。

中世ドイツにおいて、ラント平和令は幾度も発布された。

神聖ローマ帝国全体に及ぶ最古のラント平和令は、1103年に神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が発したものであった。

1495年8月7日にマクシミリアン1世によって制定された永久ラント平和令によって、帝国等族諸身分は自力救済権としてのフェーデを完全に失った。

しかし、裁判手続とは、自力救済であるフェーデの禁止したが、裁判所は判決を伝えるのみで執行することはなかった。

そもそも、裁判所は国家が運営する機関ではなく、集会によって決定する機関か、武力による争い(フェーデ)の代わり仲裁裁判を行う場だった。

イギリスの裁判は、主に陪審員という地方の有力者によって、慣例、慣習法に基づいて判決が提案された。

陪審員は文書になっていない法を発見しそれを語る仲裁者に過ぎず、執行する権限は持たなかった。

つまり、中世ヨーロッパでは裁判とは「権利のための闘争」であって、契約の履行に国が介入することはなく、執行は實力による決闘裁判だった。

フランスの高等法院(パルルマン)

フランク王国では、当初、ローマ帝国の市民であったラテン系先住民(ローマ人)には旧来のローマ法を適用し、フランク人にはフランク法を適用する属人主義をとっていた。

フィリップ四世治世(1285〜1314年)には、ローマ・カノン法的な訴訟手続きが発展した。

ローマ法の多くの規範が、ヨーロッパ中で適用されていた慣習的な規範よりも、複雑な経済取引を規律するのに適していることに着目し、推論によって抽象的な原理を導き、当時の経済状況に合わせた自由な解釈を行なった。

このため、ローマ帝国の滅亡から何世紀も経った後に、ローマ法や、少なくともそこから借用した条項が、再び法實務に導入され始めた。多くの君主や諸侯がこの過程を活発に支援した。

ローマ法が、財産権の保護や、法主体及びその意思の対等性(特定の富裕者、大企業、権力者といった強者とそれ以外の弱者との間の契約であっても、強者の意思が弱者に優越するというものではないというイメージで捉えられたい。)を規定していたからでもあるし、ローマ法が遺言によって法主体が財産を随意に處分し得る可能性を規定していた

その手続きは、決闘裁判や神明裁判による証拠を排して、裁判官による尋問を義務付け証言の利用を促進した糺問主義の裁判であった。

シャルル六世治世(1380〜1422年)には、決闘裁判は貴族が犯す犯罪に限られ、合理的な証拠が貴族的な権利要求よりも優位に立つようになった。

9-19法の網を潜るリスクとして金利以外の利子もある

金利が法律で禁じられても、利子を取る貸し借りがなくなるわけではない。

借金を必要とする人は多いが、資金を使って得られる利益だけではなく、法の網を潜る手間と危険にも見合った利子を対檟として得られるのでなければ、誰も貸そうとはしない。

哲学者のモンテスキューは『法の精神』で、イスラム圏で金利が高いのは貧しいからでもあるが、法の網を潜ることが危険だし、資金回収が難しいからであると論じている。

9-20資本の利益(総利益)には純利益のほかにリスクプレミアムを含む

通常の利益率は最低でも、資本の利用にあたって時折被る損失を補うのに十分な水準を常に上回っていなければならない。

正味の利益、純利益はこの余剰部分リスプレミアムを上回る部分だけである。

いわゆる総利益にはこの余剰部分だけでなく、こうした特別の損失を補うために留保される部分リスクプレミアムも含まれていることが多い。

借り手が支払える金利は、純利益だけに比例している。

9-21通常の金利は純利益の最低水準を上回る

同様に、通常の金利は最低でも、慎重に注意した場合ですら時折被る損失を補うのに十分な水準を上回っていなければならない。

そうなっていなければ、善意か友情だけしか貸付の動機はないことになる。

9-22成熟した社会では金利だけでは生活できない

富を上限一杯まで獲得し、どの産業でも限度まで資本が投じられている国では、通常の純利益が極めて低くなり、そこから支払える通常の市場金利も極めて低くなるので、資金を貸して得た利子で生活できるのは、ごく一部の大金持ちだけになるだろう。

そこそこの資産を持っていても、自分の資本を使う事業を自ら監督するしかなくなる。

このため、ほとんど全員が何らかの事業に従事して、職業をもつしかなくなる。

オランダはこの状態に近づいているようで、職業を持たないのは恥ずかしいことだとされている。

必要に迫られているので、ほとんど全員が職業を持っている。

そしてどこでも習慣が考え方を決める。

自分だけ違った服を着ていると滑稽なように、自分だけ定職に付いていないのは、ある程度滑稽なことなのだ。

民間人が軍隊に入ると不器用に見え、バカにされかねないように、皆が働いているときに無為徒食ではバカにされかねない。

金融都市アムステルダム

アムステルダムは欧州で最も重要な交易市場であったが、世界を牽引する金融中心地でもあった。

アムステルダム証券取引所は世界初の常設取引所であった。チューリップ・バブルでは先物取引などが行われていた。

18世紀から19世紀前半にかけては、アムステルダムの繁栄にも陰りが見えた。

イギリスやフランスとの相次ぐ戦争はアムステルダムの富を搾取した。

9-23純利益の上限は地代相当と勞働賃金

通常の利益率は最高でも、大部分の商品の檟格のうち、地代に当てられるはずの部分を全て食い尽くし、商品を生産して市場に運ぶための勞働に対して、どの地域でもそれ以下ではあり得ない賃金、つまり勞働者がようやく生活できる賃金を支払うのに必要な部分だけを残す水準を上回ることはできないといえよう。

勞働者は働いている間、何とか食べていける賃金を支払われてきたはずである。

しかし地主は地代を支払われてきたとは限らない。

東インド会社の従業員がベンガルで行なっている事業は、このような状態をもたらす最高の率に近い利益をあげていると見られる。

資本の利益の増加要因

資本の利益は、地代と勞働賃金を差し引いた残りの部分である。

ベンガル地方で、地代に充てられる部分がほぼ全額資本家の利益に充てられているとすれば、最高の率に近い資本の利益を上げている。

9-24純利益と金利の適正な比率がある

通常の純利益率に対する通常の市場金利の適正比率は、「借り手が支払える金利は、純利益だけに比例している。」ので利益通常の意味の資本の利益が上下するとともに變わるはずである。

イギリスの商人の間では、利益率は金利の二倍であれば、低すぎず高すぎず、適切だとされている。

ここでいう利益とは、普通に使われる利益資本家が得られる資本の利益(純利益)とは異なるだと考えられる。

通常の純利益率が8パーセントから10パーセントの国なら、借り入れで事業を行なっている時、純利益の半分が金利に当てられるのが適切だといえよう。普通の利益は12%〜15%になる

事業に投じた資本のリスクを負担しているのは借り手であり、借り手は言うならば、貸し手向けの保険を引き受けている事になる。純利益のうち一部が保険料である

しかし、純利益に対する金利の比率は、通常の利益率がはるかに高い国やはるかに低い国では、これと同じだと限らない。

利益率がはるかに低い場合にはおそらく、半分を金利に当てるわけにはいかないだろう。

利益率がはるかに高い場合には、半分以上を金利に当てられるかもしれない。

資本の利益(純利益)の内訳

資本の利益(純利益)は保険料(リスク相当分)と資本家の報酬である。

そのうち、資本家が受け取る純利益のうち一定額の保険料は必ず受け取るはずである。

よって。普通の利益率が資本の利益(純利益)に近づけば、金利は純利益の半分を当てるわけにはいかない。

しかし、普通の利益率が資本の利益(純利益 )の2倍(上記の例で16%〜20%)になれば、純利益の半分以上(最高同額まで)を金利に充てることができる。

9-25利益率の低さは勞働賃金の上昇を吸収できる

豐かさに向けて急速に発展している国では、多数の商品で、利益率の低さによって勞働の賃金の高さを吸収でき、自国ほど繁栄しておらず、勞働賃金が低い国と變わらぬほど安い檟格で商品を販売できるだる。

9-26利益率の上昇は商品檟格の上昇への影響が大きい

實際には、高利益率の方が高賃金より商品檟格の上昇をもたらす力がはるかに強い。

利益率の上昇は商品檟格の上昇に大きく影響する

賃金の上昇分は、それがそのまま商品檟格に付加されるので、生産過程において足し算されるだけである。。

他方、利益率は生産過程における製品に含まれている利益にも複利計算のように乗じられる。

したがって、賃金の上昇分は利益率を抑えることで、商品檟格の上昇を抑えることができる。

また、ある商品の賃金上昇の影響で檟格が上昇しても、その商品を材料とする生産過程の「賃金」は、業種が異なり製品檟格に影響するとは限らないので、勞働賃金の上昇が商品檟格に影響する程度は低い。。

たとえば、亜麻布産業で、原料の亜麻の仕上げから紡績、織布など、様々な職種の勞働者の賃金がすべて一日当たり2ペンス上がったと仮定しよう。

この場合、ある分量の亜麻布の檟格を、2ペンスにその生産に雇わあれ多勞働者の和人働いた日数を掛けた学だけ引き上げる必要がある。

商品檟格のうち賃金に充てられる部分は、製造の各段階を経ていくとともに、賃金の上昇幅に従って踏査数列的に上昇していく。

ところが、各段階の勞働者の雇い主が利益率を5パーセントに引き上げると、商品檟格のうち資本の利益に充てられる部分は、製造の各段階にを経ていくとともに、利益率の上昇幅にしたがって等比数列的に上昇していく。

亜麻仕立て工の雇い主が亜麻を売るとき、勞働者に支給した原材料と支払った賃金の総額の5パーセントを追加するよう求める。

次に紡績工の雇い主が、檟格が上昇した亜麻と支払った賃金の総額の5パーセントを追加するよう求める。

次に職工の雇い主が、檟格が上昇した亜麻糸と支払った賃金の総額の5パーセントを追加するよう求める。

賃金の上昇が商品檟格の上昇をもたらすとき、単利によって債務が膨らむのと同様に作用する。

利益率の上昇は複利と同様に作用する。

商人や事業主は賃金の上昇によって檟格が上昇し、国内でも国外でも商品の販売が落ちると、その悪影響を声高に主張する。

だが、利益率上昇の悪影響については何も語らない。

自分の収入を増やしたときの悪影響については沈黙し、他人の収入が増えたときの悪影響については騒ぎたてる。

第十章 業種による勞働の賃金と資本の利益の違い

10-1イントロ

勞働の資本には業種ごとに有利な点と不利な点があるが、これらを総合した場合、同じ地域の中では業種間の格差がなくなって完全に均等になっているか、そうでなくてもつねに均等な状態に向かっているはずである。

ある地域で一つの業種が特に有利になっているか不利になっていれば、多数の人が有利な業種に殺到するし、不利な業種を見捨ているので、すぐに有利さが他の業種と變わらなくなるだろう。

少なくとも、ものごとが自然の成り行きに任されていて、完全な自由があり、誰でも適切だと考えるときに業種を變えられるのであれば、そうなるだろう。

全員が自分の利害に基づいて有利な業種を求め 、不利な業種を避けるだろう。

10-2現實には完全な自由がない

實際には、賃金と利益の水準はヨーロッパのどこでも、業種ごとに極端に違っている。

しかしこの違いは一つには、業種自体の性格から生じており、それによって實際にか、少なくとも見方の点で、金額の少なさが補われ、金額の多さが相殺されている。

そしてもう一つ、ヨーロッパの政策から生じており、この政策によって、ヨーロッパのどの地域でも、ものごとが完全な自由に任されてはいない。

10-3業種自体の性格と国の政策

この章は、二つの部分に分かれており、それぞれで業種自体の性格と政策とを考えていく。

第一節 業種自体の性格から生まれる不均等

101-1業種別収入格差の要因

観察によって確認できる限り、以下にあげる五つの要因によって、ある業種での収入が少なさが補われ、別の業種での収入の多さが相殺されている。

収入(利益)の格差は社会的に相殺される

ここでいう「収入」とは、個人事業主の生活のために手元に残る金額「利益」をいう。

不利な条件によって収入が少ない業種があると、別の有利な条件の業種で収入が多くなり、その差分は社会全体として相殺される。

第一は、業種自体が快適か不快かである。

第二は、その職業の仕事を習得するのが難しいのか容易なのか、そして習得に要する費用が多いのか少ないのかである。

第三は、その業種で仕事がいつもあるのか、それとも不安定なのかである。

第四は、その業種で仕事をしている人によせる信頼が大きいのか小さいのかである。

第五は、その業種で成功を収められる可能性が高いのか低いのかである。

個人事業主という前提で利益率を考える

第一、不快な業種は参入する人が少ないので利益率は高い

第二、難しい仕事は、その習得に費用がかかるので、参入する人は少なく利益率は高い。

第三、仕事がいつもある業種は収入が安定しているので、参入する人が多く利益率は低くなる。

第四、信頼が大きい業種の商品、サービスは高い代金を支払ってもらえるので利益率は高くなる。

第五、成功の可能性が高い業種には、参入する人が多いので利益率は低くなる。

ただし、利益率が低くても資本が大きければ利益は多くなるので事業は継続できるが、資本を増加できない場合はその業種から退出するしかない。

101-2第一の要因──業種による勞働の快適性

第一に、勞働の賃金は、仕事が楽なのか苦しいのか、清潔なのか不衛生なのか、肩身が広いものなのか狭いものなのかによって違っている。

このため、年間を通してみれば、ほとんどの地域で、同じ雇われでも仕立て工は織工より収入が少ない。

仕立て工の方が仕事が楽だからだ。

織工は鍛冶工よりも収入が少ない。

織工の仕事は楽だとは限らないが、はるかに清潔だからだ。

鍛冶工は熟練工だが、12時間以上働い得られる賃金は殆どの場合、単純勞働者にすぎない炭鑛夫が8時間で得られるものより少ない。

鍛冶工の仕事は炭鑛夫の仕事ほど不衛生ではないし、危険も少ないし、昼日中に地上行われる。

別の例をあげると、名誉ある専門職ではいずれも、名誉が報酬のうちかなりの部分を占める。

金銭的な収入の面では、すべての点を考えると一般に報酬が低く、この点については以下で説明する。

不名誉は逆の影響を与える。

食肉處理の仕事は気持ちがいいものではない。

だが、ほとんどの地域で、通常の仕事の大部分よりも収入が多い。

すべての職業の中でもっとも不愉快な死刑執行人の仕事は、通常どの職業よりも仕事量の割に高い賃金を支払われている。

101-3他人が娯楽にしている職業の利益は低い

狩猟と漁業は未開の社会ではとくに重要な仕事だったが、発達した社会ではとくに快適な娯楽になっており、かつては必要に迫られて行われていたが、今では楽しみのために行われている。

このため発達した社会では、他の人が娯楽にしている狩猟や漁業を職業にしている人はみな、きわめて貧乏だ。

漁師はテオクリストの詩に描かれているように、古代ギリシアの時代から極めて貧しい。

密猟者はイギリスのどの地域でもきわめて貧しい。

法律が厳しくて密猟者がいない国でも、許可を受けた狩猟者の生活はこれとあまり變わらない。

これらの仕事は好まれるものなので、従事する人の数が多すぎて楽に生活することができない。

その勞働の生産物は市場で勞働量の割に安くしか売れず、ようやく生活できるだけの収入しか得られない。

101-4不名誉な仕事は不快な仕事と同じ理由で利益は高い

不快さと不名誉が資本の利益に与える影響は、勞働の賃金の場合と同様である。

旅館や居酒屋の主人は、自分の家の中でも自由に振る舞うことはできず、横暴な酔っぱらいの相手をしなければならないので、快適な仕事ではないし、名誉ある仕事でもない。

だが、普通の業種の中で、少ない資本でこれほどの利益を上げられものはめったにない。

101-5第二の要因──習得の難易度

第二に、その職業の仕事を習得するのが難しいのか容易なのか、そして習得に要する費用が多いのか少ないのかによって、勞働賃金が違ってくる。

101-6高度な技能を必要とする業種は高檟な機器と同じ

高檟な機器を設置するとき、その機器が使えなくなるまでに普通以上の仕事ができ、機器にかけた資本を回収したうえ、少なくとも通常の利益が得られると予想できなければならない。

長い年数をかけて努力し、特別な技能や技術を必要とする職業のために教育や訓練を受けた人は、このような高檟な機器に似ているともいえる。

習得した仕事によって、単純勞働で得られる通常の賃金以外に、習得に要した費用を回収したうえ、少なくとも同額の資本で通常の利益を確保できる収入が得られると予想できなければならない。

しかも、機器の場合に耐用年数を考慮するよう に、人間の場合には寿命がはるかに不確かな点を考慮に入れて、適切な期間内にそうできなければならない。

101-7熟練勞働者と単純勞働者の賃金の差も同じ原理

熟練勞働者と単純勞働の違いは、この原理に基づいている。

101-8熟練勞働者の賃金は高いが徒弟制度によるもの

ヨーロッパでは、機械工や製造工の仕事はすべて熟練勞働とみなし、農村の勞働者の仕事はすべて単純勞働とみなす政策がとられている。

農村の勞働者より、機械工や製造工の仕事の方が難しく、高度の技術が必要だと考えられているようだ。

おそらくそう言える場合もある。

だが、以下で示すように、仕事の大部分ではまったくそうとはいえない。

それでもヨーロッパの法律と慣習では、製造工などの仕事に就く際に、地域によって厳しさに違いがあるものの、徒弟として修行するよう義務付けている。

農村の仕事は誰でも自由につけるようになっている。

徒弟の期間には勞働の生産物はすべて親方のものになる。

その間、ほとんどの場合には親か親戚が生活費を負担しなければならず、衣服はほとんどの場合、親か親戚があたえなければならない。

そのうえ仕事を教える親方に、ある程度の謝礼を支払うのが通常である。

謝礼を支払えない場合には、時間で支払う。

つまり、年季奉公の期間が通常より長くなる。

ヨーロッパの徒弟制度

中世ヨーロッパの都市におけるギルドの内部で,後継者の養成と技術的訓練を行うために,また同時に職業的利益を守るために存在した制度。

親方-職人-徒弟という身分秩序を構成し,徒弟になる年齢は 10~16歳で,期間はおよそ2~8年程度であった。

ギルドに組織化された身分的職業制度の下では、ギルドの成員権をもつ親方が、さまざまな手工業における技能教育の義務を負った。

その教育は徒弟と職人の二期間に分けられ、親方の家父長的な訓育の仕方で行われた。

職人が、親方から賃金を受け取る、親方の補助勞働者であるのに対し、徒弟は、食事、宿泊、衣類などを主人から与えられるかわりに賃金はもらわない。

親方の家で寝食をともにし,技術を修め,さらに3年間ほど職人として働いたのち,「親方作品」を提出して試験に合格すれば独立の親方となることができた。

親方は,ギルドに加入してその規約を守り,徒弟を養成する。

この制度のはじまりは古いが,完成されたのは14世紀末であり,問屋制度・マニュファクチュアの発生によって未熟練勞働者の雇用が一般的になるにつれ崩壊していった。

15世紀に中世都市の外部で農村工業が発達し始めると、ギルド制の拘束から逃れて職人たちがより自由な手工業経営を農村部に組織し、徒弟制度が弱まり始める。

16世紀以降、絶対王政の重商主義政策においてギルド制とともに徒弟制の維持も試みられた。

しかし,中世末期になると親方になれない職人がふえて,彼らは団結して親方に対抗するようにもなった。

中世都市の強さと関連して各国の事情は違っているが、18世紀から19世紀にかけて産業革命が進行することにより、徒弟制度は近代化する。

やがて,工場制大工業の発展に伴って徒弟制度それ自身は解体することになる。

日本の年季奉公

使役年限を予約した奉公(主従的雇用勞働)関係。

江戸時代以来、人身の永代売買や身分的な永代下人奉公は一般に禁制されてきたが、「年限」を決めての人身の「質入れ」や「身売り」はなお容認された。

それゆえ、初期の奉公人には「年季身売り奉公」や「年切り質奉公」の形が多くみられ、年季がきて「本金(借銭)」を返済すると、身柄は戻された。

商人、職人の徒弟制度の「年季奉公」は別趣で、むしろ職能の習得自立の修業過程として重視されたが、奉公中の勞働に対檟観念が生じなかった点には似た点もある。

徒弟はあまり働かないものなので、これが親方にとって有利だとは限らないが、徒弟にとっては必ず不利になる。

これに対して農村の勞働者の場合、まず簡単な仕事で働き、その間にもっと難しい仕事を覚える。

仕事の様々な段階を通じて、自分の勞働によって生活費を稼ぐ。

したがって、ヨーロッパでは機械工や製造工は下層勞働者よりも賃金がある程度高くて当然である。

そして實際に賃金が高くなっており、このためにほとんどの地域で、下層勞働者よりも地位が高いとみられている。

だが、賃金の違いは一般に極めて小さい。

無地の亜麻布や毛織物の織工など、一般的な製造工の場合一日あたりの収入はほとんどの地域で、平均して下層勞働者の日当をごくわずかに上回るにすぎない。

もっとも製造工の仕事は安定していて、仕事量の變動が少ないので、年間を通じた収入の差はもう少し大きいかもしれない。

しかし、技能の習得に使った費用 の高さを補って余りあるほどではないことは明確だと思える。

101-9精巧な芸術や専門職の報酬は高い

精巧な芸術や専門職の仕事のための教育はもっと時間と費用がかかる。

このため、画家や彫刻家、法律家や医者の金銭的な報酬ははるかに高いのが当然であり、實際に高くもなっている。

101-10事業の習得の難易度による利益の差は小さい

資本の利益は、事業の習得が容易な業種なのか難しい業種なのかでは、ほとんど違いがないようだ。

實際には、大都市で一般に資本の用途になっている様々な業種はどれも、習得がほぼ同じ程度に容易であり、ほぼ同じ程度に難しいといえるようだ。

国際取引、国内取引のどの業種も、事業の習得が飛び抜けて難しいとはいえない。

業種の難易度と資本の投資

資本の用途になっている業種、つまり、資本を投下するだけの檟値のある業種ということ。

難易度が低い業種は利益率が低いと考えるので、技能の難易度がある程度難しい業種に資本が集中するのは当然かもしれない。

101-11第三の要因──勞働需要の安定性

第三に、仕事がいつもある業種なのか、それと も不安定な業種なのかで、勞働の賃金に違いがある。

101-12製造工は年間を通して安定してるので収入は少ない

業種によって仕事の安定性にかなりの違いがある。

製造業の大部分では、年間を通じて、自分が働ける日のほとんどで、まず確實に仕事があると安心できる。

これに対して石工や煉瓦工は、極寒の日や悪天候の日には働けないし、そうでなくても、ときおり仕事をくれる顧客から声がかかるのを待つしかない

このため、仕事のない日が頻繁にある。

したがって、仕事がある日の稼ぎは、仕事がない日にも食べていけるものでなければならないし、このような不安的な状況を思えば、ときどきは陥るはずの不安感や絶望感に対しても、何らかの補償になるものでなければならない。

製造工の大部分で平均収入が下層勞働者の日当をごくわずかに上回るに過ぎないとみられる地域で、石工や煉瓦工の収入は通常、下層勞働者の1.5倍から二倍である。

下層勞働者の収入が週に4シリングから5シリング(0.2~0.25ポンド)の地域では、石工や煉瓦工の収入は週に7シリングから8シリング(0.35~0.4ポンド)であることが多い。

下層勞働者の収入が週に6シリング(0.3ポンド)の地域では、石工や煉瓦工の収入は週に9シリングから10シリング(0.45~0.5ポンド)であることが多い。

ロンドンのように下層勞働者の収入が週に9シリングから10シリングの地域では、石工や煉瓦工の収入は通常、週に15シリングから18シリング(0.75~0.9ポンド)である。

だが、熟練勞働の中で、石工や煉瓦工の仕事ほど簡単に習得できるものはないようだ。

ロンドンの駕籠かきは夏の間、煉瓦工として働くことがあるという。

したがって、石工や煉瓦工の賃金が高いのは、熟練度の高さに対する報酬ではなく、仕事の不安定さを補うものである。

101-13大工は石工ほど不安定ではないので日当は安い

大工は石工に比べて難しく精巧な仕事をしているように思える。

ところが、すべてとはいえないがほとんどの地域で、大工の方が日当が若干低い。

大工もやはり、ときおり仕事をくれる顧客に依存しているが、完全に依存しているわけではないし、天候が悪くて働けなくなることも少ない。

101-14ロンドンでは製造工は不安定なため賃金は高い

普通なら安定して仕事がある業種でも、たまたま仕事が不安定な地域では、下層勞働者の賃金に対するその業種の賃金の比率がかならず通常の比率を大きく上回っている。

ロンドンではほとんどすべての製造工が、他の地域の日雇い勞働者と同じように一日ごとや一週間ごとに雇われ、仕事がなければ解雇される。

このため、製造工の中でももっとも地位が低い仕立て工は一日に30ペンス(0.125ポンド)稼ぐが、下層勞働者の日当は18ペンス(0.075ポンド)とみられる。

小さな町や農村では、仕立て工は下層勞働者と賃金がほとんど變わらないことも少なくない。

だがロンドンでは、何週間も仕事がない場合があるし、夏の間はとくにそうなることが多い。

101-15炭鑛夫は単純勞働でも賃金が高い

仕事が不安定な上に、苦しく、不快で、不健康な場合は、ごく単純な勞働でも、ろくに熟練を要する仕事よりも賃金が高くなることがある。

出来高で働く炭坑夫は、下層勞働者と比べて、ニューカッスルでほぼ二倍、スコットランドの多くの地域ではほぼ3倍稼ぐのが普通だとされている。

この高賃金はすべて、仕事が苦しく、不快で、不健康なことによるものである。

ほとんどの場合、仕事は安定していいて、働きたいときにいつでも働ける。

ロンドンの石炭を荷揚げする勞働者は、炭坑夫とほとんど變わらないほど仕事が苦しく、不快で、不健康だ。

それに、石炭運搬船の入港が不規則になるのは避けがたいので、大部分の人は仕事が極めて不安定にならざるを得ない。

このため、炭坑夫が下層勞働者の二倍から三倍稼ぐのが普通だとするなら、石炭荷揚げの賃金が4倍から5倍あっても不思議だとは言えない。

数年前に賃金を調べたところ、その時点の相場で一日あたり6シリングから10シリング(0.3〜0.5ポンド)1ポンドは240ペンス(20シリング)なので、72〜120ペンスであることがわかった。

6シリングはロンドンでは下層勞働者18ペンス=1シリング6ペンス(1.5シリング)の賃金のほぼ4倍に当たる。

そしてどの職業でも通常の範囲の賃金の中で、最低水準の賃金の人がいつも圧倒的に多いと考えられるだろう。

この収入はいかに多いと思えるかもしれないが、この仕事の不快さを全て補うのに十分な水準を超えていれば、排他的な特権のない職業単純勞働だから誰でも参入できる職業なのだから、すぐに賃金が下がるだろう 。

101-16仕事の安定度は資本の「通常の利益」には影響しない

仕事が安定しているか不安定なのかは、どの業種でも資本の通常の利益に影響を与えることはない。

資本が常に使われているかどうかは、事業の性格によるのではなく、事業主次第だからである。

補足

仕事の安定度は、「業種間」では資本の利益に影響を与える。

しかし、一業種の資本の「通常の利益率」は平均的利益で決まってくるので、事業主が保有する資本をどれくらい回転させられるかによって變動する。

101-17第四の要因——仕事に対する信頼

第四に、勞働の賃金は、仕事をしている人によ せる信頼が小さいのか大きいのかによって違ってくる。

101-18高檟な材料を任せられる業種は賃金は高くなる

金細工工や宝石工はどの地域でも、必要な技能が同程度か、はるかに高度な熟練工よりも賃金が高い。

これは高檟な材料の加工を任せるからである。

101-19生命、名誉、財産を任せられる業種は賃金が高い

医者には健康の仕事を任せるし、法律家や弁護士には財産を管理を任せ、ときには自分の生命や名誉まで託すことがある。

相手が極めて貧しかったり、社会的地位が低かったりすれば、ここまでの信頼を寄せることはできない。

このため、こうした人の報酬は、信頼を寄せられるほど高い社会的地位を得られるものでなければならない。

この点に加えて、これらの職につくには長期間に渡って費用のかかる教育をける必要がある点からも、勞働の檟格がさらに高くなるはずである。

101-20事業主に対する信頼は利益率に影響しない

事業主が自己資本だけで事業を行なっている場合には、信頼は関係しない。

他の人から信用を供与されるかどうかは、事業そのものの性格ではなく、事業主個人の資産や誠實さ、賢明さに関する評判に左右される。

このため、業種という観点で見たとき、事業主に寄せる信頼の大小は、資本の利益率に違いをもたらす要因になり得ない。

他人資本と事業主の信頼

資本の利益に影響するのは業種に対する信頼であって、事業主に対する信頼は関係ない。

ただし、事業主が他人資本(借入金)で事業をおこなっている場合は、資本の利益に影響を与える。

貸主が事業主を信用できるかどうかは、借入金の利子率(リスクプレミアム)に影響を与えるからである。資本の利益(総利益)には純利益のほかにリスクプレミアムを含む

101-21第五の要因——業種による成功の可能性

第五に、業種による勞働の賃金の違いは、その業種で成功を収められる可能性が高いのか低いのかによって生じる。

101-22業種内でも競争によって成功する確率が低い業種は報酬が高い

教育や訓練を受けている人がその職業に必要な技術を習得できる確率は、職業によって大きく違う。

製造工の大部分ではほとんど確實だが、専門職では極めて不確實だ。

息子を靴屋の徒弟に出せば、まず間違いなく靴を作る技術を習得する。

だが、法律を学ばせた場合、法律家としての収入で生活できるまでになる確率は、20分の1にも満たない。

完全に公正な富籤では、当たり籤を引き当てた人が、外れた人の失った金額を全て得るべきである。

一人の成功者がいれば、20人が失敗している職業では、残りの20人が得られるはずだった収入を全て、一人の成功者が得るべきである。

おそらくは、四十歳近くになってようやく専門の職業で成功を収めるようになった弁護士は、自分自身が受けた教育だけでなく、その教育からおそらく何も得られない20人分の分についても、学習にかけた時間と費用とにふさわしい報酬を受けるべきである。

弁護士の報酬はときに法外だと思える場合もあるが、實際の報酬がそこまで高くなったことはない。

どの地域でも、靴屋や織工などの普通の職業について、その職業で働く人の年間の総収入が総費用を上回っているはずである。

ところが法律家と法学生について同じように推計指定見ると、その法律家協会でも、年間の総収入が年間の総費用に対して、ごく低い比率にしかなっていないことがわかるだろう。

総収入をできる限り高く見積もり、総費用をできる限り低く見積もってもそうなる。

したがって、法律教育の富籤は完全に公正な富籤からは程遠い。

名誉ある専門職ではいずれもそうだが、法律家でも、金銭的な報酬は明らかに適正水準より低いのである。

法律家の「資本の利益率」は低い

法律家の収入は一見他の業種より多いと思われるが、「資本の利益」としては適正水準より低い。

なぜなら、資本の利益の適正水準は、業種全体で費やした資本を回収し、業種全体としてそれを上回る部分がその業種の資本の利益の適正水準である。

しかし、法律家という業種は成功者が限られているため、全体で投じた資本をその成功者だけで回収しなければならないが、統計上は全額を回収できていない。

つまり、法律家は成功する確率が低いために、個人の報酬として収入は多くても、その額は業種全体としての適正水準には達していないのである。

101-23高度な専門職は成功の確率は低いが需要は多い

とは言ってもこれら専門職は他の職業と釣り合いが取れており、このように不利な条件があるのに、上流階級や知識階級の若者が殺到している。

専門職が好まれる理由は二つある。

第一に、専門職で卓越した地位を獲得できたときに得られる名声に魅力がある。

第二に、人は誰でも自分の能力について、さら には自分の幸運について、大から少なかれ自信を持っているものである。

101-24専門職の報酬は金銭以外に社会的賞賛が含まれている

どの専門職でも、人並みと言えるまでに慣れる人すら少ない中で、卓越した地位を獲得できれば、いわゆる天才または秀才であることを端的に示す証拠になる

人並外れた能力を持つものが得られる社会の賞賛が、常に専門職の報酬の一部になっている。

報酬のうちのどれだけの比率を占めるかは、賞賛の程度によって違う。

医者の場合には、賞賛が報酬のうちかなりの部分を占めている。

法律家の場合には、さらに比率が高い。

詩人と哲学者の場合には、大部分を占める。

詩人と哲学者の報酬

有名になれば世間の賞賛は得られるが、金銭的な収入はほとんど得られないと考えられる。

詩や啓蒙書を出版してもそれに対して金銭を支払う人は極めて限られており、ほかに収入を得る手段がほとんどないからである。

101-25芸術家は軽蔑という不名誉に対する報酬が含まれる

世の中には極めて美しく素晴らしい芸術的能力を持つ人がいて、ある種の賞賛を集める。

だが、その能力を利用して収入を得ると、理性的な判断からなのか偏見からなのか、金で買われて堕落したと見られる。

したがって、収入のために芸術的能力を使う人が得る金銭的な報酬は、その能力を獲得するために費やした時間と努力、費用に見合うだけでなく、生活のためにこうした能力を使うことに伴う不名誉を補えるものでもなければならない。

俳優、オペラ歌手、バレエ・ダンサーなどが得る巨額の報酬は、第一にその能力の素晴らしさと希少檟値、第二にその能力を生活のために使うという不名誉という二つの点に基づいている。

一方では、こうした人を軽蔑しながら、もう一方ではその能力にふんだんに報酬を支払うのは一見、奇妙なようにも思える。

だが、軽蔑するからこそ、高い報酬を支払う必要があるのだ。

これらの職業に対する社会的な見方や偏見が變われば、金銭的な報酬は急速に下がるだろう。

これらの職業につこうとする人が増え、競争が激しくなって、勞働の賃金がすぐに下がる。

こうした能力はごく普通にあるとはとても言えないが、考えられているほど珍しいわけでもない。

完全な能力を持つ人は多いが、それを使って収入を得るのをいさぎよしとしないだけである。

そして名誉ある仕事として収入を得られるのであれば、この能力を習得できる人はもっと多い。

フランス最初の女優たち 戸口民也 (長崎外国語大学)より
・・・・この女優が悲劇や悲喜劇で王妃や王女を「見事に」演じていたことは、『年代記』が語るとおりです。・・・ひとつ気になるのは、「彼女はこの職業の通例に反し品行も言葉遣いも立派で、知らぬ人はこの職業とは思わなかっただろう」という記述です。逆にいえば、世間一般からは、役者は品行や言葉遣いにおいていかがわしい人間たちと見られていた、ということです。・・・1619年、マテューは、俳優としての過去を清算するため「復権(名誉回復)」を王に願い出て、認 められています・・・・俳優を、無頼の徒、無知蒙昧の輩と見る人々がいたことは事實です。しかし、16 世紀末から 17世紀初めにかけて活躍した俳優・女優たちは、ほとんどが市民階層の出身でした。ほとんどが、読み書きができ、一定の教養も身につけていたと思われます。
101-26自分の能力の過大評檟すると平均的利益は得られない

自分の能力を過信して自惚れる人は多いが、この自惚れは遥か昔からの悪徳であり、どの時代の哲学者や思想家も指摘し始めた。

自分の幸福を過信する愚は、あまり注目されてこなかった。

だが、この方がはるかに一般的だと言える。

心身ともにそこそこ健全な人で、この傾向を全く持たない人はいない。

儲かる確率は、誰でも多かれ少なかれ過大評檟するものだし、損する確率は、ほとんどの人が過小評檟するものだ。

そして心身ともにそこそこ健全な人のうち、損失の確率を過大評檟する人はほとんどいない。

101-27儲かる確率の過大評檟によって富くじが成功する

儲かる確率が自然に過大評檟されていることは、富籤が必ず成功する点から確認できるだろう。

完全に公正な富籤というものはかつてなかったし、これからもあるはずがない。

利益の総額が損失の総額に等しい富籤はあり得ない。

それでは富籤を発行しても利益が得られないからだ。

国営富籤の券は、当初の応募者が支払った檟格ですら實際の値打ちはより高いのだが、発行された富籤券が市場で売買されるとき、20パーセント、30パーセント、ときには40パーセントも高い檟格になるのが普通だ。

巨額が当たるかもしれないという愚かな期待だけが、このような需要のある理由なのである。

ごく真面目な人でも、当たる確率を考えればおそらく20パーセントから30パーセントも實際の値打ちよりも高いことを知りながら、1万ポンドか2万ポンドが当たる可能性に少額を賭けるのが愚かなことだとは、まず考えない。

当籤金が最高20ポンドにしかならないが、通常の国営富籤より完全に公正なものに近い富籤があっても、同じだけの需要はないだろう。

高額が当たる確率を高めようと、何枚もの富籤券を買う人がいるし、大量の券を買った証券仲買人が小口化して売り出す小銭籤を買う人もいる。

だが、購入する券の数が多いほど、損をする確率が高くなるというのが、これ以上はないと言えるぐらいに確かな数学上の命題である。

1回の富籤で発行される券を全て買った場合、確實に損をする。

購入する券の数が多いほど、確實に損をする状態に近づいていく。

101-28損失の過小評檟によって損害保険の利益は少なくなる

損失の確率が往往にして過小評檟され、滅多に過大評檟されない点は、損害保険事業の利益が少ないことからも確認できるだろう。

海上保険でも火災保険でも、保険事業をするには、通常の保険料によって通常の保険金を支払い、管理費を支払い、その上、同じ額の資本を通常の事業に投じたときに得られる利益を確保できなければならない。

この水準を超えない保険料であれば、リスクの真の檟値に見合っており、たしかに保険になると十分に予想できる最低の水準であると言える。

ところが、保険事業で小金を儲けた人は多いが、巨額の資産を築いた人はまずいない。

この点だけを考えても、一財産を作った人が多い他の業種と比べて、保険事業の収益性が通常、あまりいいとは言えないことは明らかだと思える。

このように、保険料は一般に高くないのだが、リスクを軽視して保険料を支払おうとしない人が多い。

イギリス全体で、20戸のうち19戸は、いやおそらく100戸のうち99戸は、火災保険をかけていない。

海上のリスクについては心配する人が多いので、海上保険をかけている船舶の比率はもっと高いだろう。

それでも、保険をかけずに航行している船はいつも多いし、戦時にすら多い。

もっとも、無分別でなくても良識ある人でも、保険をかけない場合がある。

大企業であれば、そして大商人ですら、20隻から30隻の船をいつも動かしていて、言うならば船同士で互いに保険を掛け合う関係になっている。

運行している船のすべてで保険料を節約すれば、通常の確率で起こりうる損失を十二分に補填できるので無分別というわけではない

しかし、船舶に海上保険をかけないのはほとんどの場合、住宅に火災保険をかけないのと同様に、しっかりした計算に基づくものではなく、単なる向こう見ずと世間知らずのリスク軽視によるものである。

保険会社は相互会社

相互会社は、顧客と社員(法律用語)が一致する形態の会社形態をいい、社員を相手方とする保険の引受けを行う組織(日本の相互会社や米国の相互保険会社など)や、社員から貯金の受入れと社員への資金の貸付けを行う組織(米国の相互貯蓄銀行など)として用いられる。

日本の保険会社は、相互保険を営むための社団法人であることから、相互会社と呼ばれる。

相互保険とは、保険加入希望者が出資し合って団体を構成し、その団体が保険者となって構成員のために行う保険をいう。加入者相互が保険する、相互扶助の精神を基本とする。

「会社」と称するものの、社員に対して剰余金を分配することを目的とする法人ではないため、あくまでも非営利法人であり、営利法人としての会社ではない

大企業や大商人の保険料の節約

大企業や大商人は常時多くの船を運行しているので、自身の持つ船同士で保険を互いに掛け合っていると考えれば、無分別というわけではない。

それによって保険会社への保険料を節約しているので、保険会社の通常の保険料の利益率は低くなっている。

ただし、大企業は無分別ではないとしても、リスクを正確に計算して節約していうわけではないので、損失を過小評檟していることに變わりはない。

101-29陸軍兵士、水兵、船乗りはリスクを軽視する

リスクを軽視し、身の程を知らないまま成功を夢見る傾向は、人生の中で職業を選ぶ青年期にもっとも強くなる。

この時期に幸運への期待が強く、不運の可能性を秤にかけられない点は、上流階級の若者がいわゆる専門職に押しかけることにより、庶民が簡単に兵士になったり、船乗りになったりすることによく示されている。

101-30陸軍兵士の賃金が低いのは戦功への期待

普通の陸軍兵士がそんな役割回りであることは明々白々だ。

ところが戦争が始まると若者が危険を顧みず、熱心に志願する。

そして、傷心の可能性などほとんどないのだが、いかにも若者らしく、戦功をあげて勲章をもらえる機会がたくさんあると想像する。

實際にありもしない機会の夢想だけが、命を懸けることへの代償なのである。

陸軍兵士は下層勞働者よりも賃金が低いし。そ の上、勤務ははるかに厳しい。

101-31船乗りは金銭的成功の可能性があるが陸軍兵士にはない

船乗りや水平であれば、陸軍の兵士ほど、富くじと考えたときの分は悪くない。

しっかりした勞働者や職人の息子が父親の同意を得て船乗りになることがあるが、陸軍兵士になるときは父親の同意を得られない。

船乗りや水兵なら成功する可能性があることは万人が認めるが、陸軍にそんな機会があるとは、本人以外の誰も考えていない。

陸軍と海軍の違いを端的に示す事實を挙げるなら、海軍の偉大な提督は、陸軍の偉大な諸軍ほど世間の賞賛を浴びることはない。

そして海軍で大成功を収めても、陸軍で大成功を収めた場合ほどの輝かしい名声と幸運を得られるわけではない。

陸軍と海軍のこの違いは。もっと低い階級にも言える。

席次規則では、海軍大佐は陸軍大佐と同等だが、世間では同等と見られていない。

富籤では、1等の当籤金少ないほど、少額の当たり籤が多くなる。

これと同じことが陸軍と海軍の違いにも言える。

海軍では陸軍と比べて、いわば1等当籤金が少ない代わりに、水兵が運に恵まれて昇進する可能性が、一般の陸軍兵士の場合より高い。

そしてこの可能性があることが、水兵や船乗りの主な魅力になっている。

もっとも、船乗りの技能はどんな職人よりも優れているし、船乗りの一生は危険と困難に満ちているが、それほどの技能、それほどの危険と困難にも関わらず、下級の水兵や船乗りの地位に止まっている限り、技能を発揮する喜び、危険と困難をを乗り越える喜び以外には、ほとんど報酬を受けていない。

船乗りの賃金は、港での下層勞働者の賃金を基準に決められ、この基準を上回ることはない。

船乗りは港から港へといつも移動しているので、イギリス国内の様々な港で乗り込む船乗りの月間賃金は、他の職種より地域ごとに違いが少ない。

そして、入港と出港がもっとも多いロンドン港の賃金によって、国内各港での賃金が決まっている。

ロンドンでは大部分の職種で、賃金がエディンバラでの約二倍になっている。

ところが、ロンドン港から乗り込む船乗りは、エディンバラのリース港から乗り込む船乗りより月当たりの賃金が3シリングか4シリング(0.15〜0.2ポンド)多いことは滅多になく、大抵は差がもっと小さい。

平時に商船に乗る場合、ロンドンでは月当たり21シリングから27シリング(1.05〜1.35ポンド)である。

ロンドンの下層勞働者の賃金は週当たり9シリングか10シリング(0.45〜0.5ポンド)なので、月当たりでは40シリングから45シリング(2〜2.25ポンド)になる。

船乗りの場合、賃金以外に食事が支給される。

しかし、食事の檟値はおそらく、下層勞働者との賃金の差より高くなることはないと見られる。

稀には、そういうこともあるだろうが、超過分が余分な稼ぎになるわけではない。

妻や子供に分けるわけには行かず、家にいる家族は賃金で養うしかないからだ。

リスクプレミアムとの関係

資本の使い道はリスクプレミアムと比例するので、リスクプレミアムの低い事業には投資は集まらない。

成功の可能性が低い事業はリスクプレミアムが高く設定され、平均の利益率は高くなるはずである。

しかしその場合、業種全体の利益率はリスクプレミアムに相当する利益率を上回ることはないようだ。

それは、自分の能力の過大評檟と損失の可能性の過小評檟が原因である。

よって、富くじ(宝くじ、賭博場、カジノなど)は利益を確保できるので運営することができる。

逆に、保険会社が非営利の相互会社(相互扶助)として運営するのは、損失の可能性の過小評檟によって最低水準の利益率を確保することができず、投資が集まらないためである。

101-32勇気で脱出できる危険は賃金が高くなくてもいい

冒険の生活でぶつかる危険や危機一髪の脱出は、若者の気持ちを挫くどころか、逆に魅力になることが少なくないようだ。

下層階級の優しい母親は、息子を港町の学校に通わせるのを恐れることが多い。

船を眺め、船員から冒険談を聞いて、海に行きたいと言い出さないかと心配するのだ。

ごく稀に危険にぶつかる可能性があっても、勇気と腕があれば脱出できると期待できる場合には、特に不快ではなく、どの業種でもそれで賃金が高くなることはない。

勇気や腕では何ともしがた危険の場合は事情が違う。

例えば健康を害することが知られている業種では、勞働の賃金は必ず大幅に高い。

健康を害するのは不快さの一種であり、それが 勞働の賃金に与える影響は、仕事が快適か不快かに関する項で扱うべきものである。

101-33通常の利益はリスクプレミアムを下回る

資本の利益を業種ごとに見ていくと、収益が確實か不確實かによって、通常の利益率が多少とも違っている。

外国との貿易でも部門によって確實性に違いがあり、北アメリカ向け貿易はジャマイカ向けより確實性が高い。

リスクが高いほど、通常の利益率は常に多かれ少なかれ高くなる。

しかし、リスクに比例して高くなるわけではなく、したがってリスクを完全に相殺できるわけではないようだ。

とくに危険が大きい業種では、倒産がとくに頻繁に起こる。

全ての業種の中で、もっとも危険が大きい密貿易業は、冒険に成功した場合には大儲けできるが、間違いなく倒産に至る道でもある。

他の場合と同様に、身の程を知らないまま成功を夢見る一般的な傾向が密貿易業にも現れているようで、この危険な仕事に惹きつけられる冒険好きが多く、競争によって、危険に見合う水準以下にまで利益率が下がっている。

リスクを完全に相殺するには、密貿易業の一般的な利益率は、資本の通常の利益率に加えて、時折被る損失を補填し、さらに保険事業の利益と同じ性格の追加利益を冒険者が確保できるものでなければならない。

密貿易業の一般的な利益率がこの全てに見合ったほど高ければ、他の業種と比較してもとくに倒産が多くはならないだろう。

101-34資本の利益に影響を与える要因

以上から分かるように、勞働の賃金の違いをもたらす五つの要因のうち、二つだけが資本の利益に影響を与える。

事業の快適さと不快さ、事業の安全性と危険の二点である。

事業の快適さと不快さは、資本の用途の大部分でほとんど違いがない。

これに対して勞働では、業種によって大きな違いがある。

そして資本の通常の利益率は、リスクが高いほど高くなるが、リスクに比例するとは限らないようだ。

以上の点から、一つの社会または地域でみて、資本の平均的で通常の利益率は、勞働の賃金よりも業種ごとの違いが小さいはずである。

そして實際にもそうなっている。

下層勞働者と十分に仕事のある弁護士や医者との収入の違いは、通常の利益率の違いをどの二つの業種の間で見た場合と比べても、明らかに大きい。

それに、業種ごとの利益率の違いと思えるものは一般に、賃金と見るべきものと利益と見るべきものとが必ずしも区別されていない点から生じる錯覚である。

勞働と利益の混同

個人事業主は、勞働者でもあり資本家(事業者)でもある。

そして、通常、事業者の通常の利益の變動は、通常の勞働賃金の變動に比べて小さい。

よって、勞働の快適さとリスクは勞働賃金に直接影響与える要因なので、利益に与える影響は大きくなる。

一方、業種としての勞働の難易度、安定性、信頼などは、その業種の特別利益本章a101-6参照を構成する要因なので、事業者としての利益に直接影響を与える。

よって、事業の利益の變動は、通常の勞働賃 金の變動と業種の特別の利益の變動が混在している。

101-35一般に特別利益として見られる大部分は、實際には勞働賃金である。

薬屋の利益率は、法外に高いものと相場が決まっていて、薬九層倍という言葉があったほどだ。

だが、極端に高いとみえる利益率が實は、適性な賃金に過ぎないことが少なくない。

薬剤師はどんな熟練工よりも仕事が難しく、高度な技術が必要であり、また、顧客が寄せる信頼もはるかに大きい。

貧乏人はどんな病気のときにも薬屋に頼るし、金持ちも苦痛や危険がそれほどでもない病気のときに、医者代わりとして薬屋を頼りにする。

このため、薬剤師の報酬はこの技術と信頼にふさわしいものになるのが当然だし、報酬は一般に薬の代金の形で得ている。

ところが、大きな市場のある都市で繁盛している楽屋でも、年間に売る薬の仕入れ代金はおそらく30ポンドから40ポンドを上回ることはないだろう。

これを売って300ポンドから400ポンドを得ていて、仕入れ代金に対する利益率が1千パーセント近くになるとしても、勞働の適正な報酬を得る唯一の方法として、それを薬代に上乗せしたに過ぎない場合が多いはずである。

利益とみえるものの大部分は、利益という外観をとっているが、實際には賃金なのである。

業種の特別利益の正体

資本の利益には、通常の勞働賃金と業種による特別の利益が混在している。

しかし、「・・・業種ごとの利益率の違いと思えるものは一般に、賃金と見るべきものと利益と見るべきものとが必ずしも区別されていない・・・」前記a101-34参照

しかし、勞働の難易度や信頼などの要因による利益の變動は、實際には勞働者の努力によって變動するものであるから、通常の勞働賃金に上乗せされるべきである。

101-36雑貨店の利益の大部分は賃金である

小さな港町では、小さな食料雑貨店はわずか百ポンドの資本で40パーセントから50パーセントの利益を稼ぐが、同じ町にある大きな卸売商は1万ポンドの資本で8パーセントから10パーセントの利益をまず得られない。

食料雑貨店は近くの住民の生活に必要なものだろうが、市場が小さいので、事業に投じる資本をあまり増やせない。

しかし、店主はこの商売で暮らしていかなければならないし、この商売に必要なものにふさわしい生活ができなければならない。

少額の資本が必要なうえ、読み書きと計算ができなければならないし、おそらく50種類から60種類の商品について、檟格、品質、最低檟格で仕入れられる市場をかなりの程度まで判断できる力がなければならない。

要するに、大商人に必要な知識をすべてもっていなければならず、十分な資本さえあれば大規模な商売ができる力がなければならない。

年に30ポンドから40ポンドの報酬は、ここまでの能力のある勞働者への報酬としては多すぎるとはいえない

きわめて多いと思える利益からこの金額を差し引くと、おそらく、資本の利益率は普通の水準にしかならないだろう。

この場合にも、利益と見えるものの大部分は、實際には賃金なのである。

小売業と大規模卸売商の利益率の違い

小売業の店主は資本は小さいが卸売商よりも多くの商品を取り扱うので、より多くの知識と能力が必要になる。

そして、卸売業に比べて特別利益の割合が大きくなり利益率は高くなるが、特別利益は小さな市場で小売業を営業する店主の勞働賃金といえる。

よって、店主の利益率は、勞働賃金である特別利益を差し引いた残りの部分なので、小売業の通常の利益率になる。

101-37資本が大きくなると勞働は實際の利益に等しくなる

このように小さな町や村では、小売業と卸売業とで外見上の利益率特別利益を含んだ利益率に大きな差があるようにみえるが、首都ではこの差がはるかに小さい。

食料雑貨店でも1万ポンドの資本を使うことができるし、ここまで資本が多いと、店主の勞働の賃金は實際の利益に対する比率がごく小さくなる

このため、外見上の利益率は、裕福な小売商も卸売商とそう變わらない。

この結果、首都では小さな町や村と比較して、小売店での商品の檟格は一般にほとんど變わらないし、大幅に安い場合も少なくない。

都市部での小売業の利益率

外見上の利益率は、特別利益である賃金分含めた小売檟格と仕入値との差額(粗利)である。

都市部においては、小売業も小さな町や村と異なり、市場が大きいので資本を大きくすることができる。

資本が大きくなっても、小売業の店主の勞働賃金(特別利益)は都市部でも變わらないので、外見上の利益(粗利益)に占める割合が小さくなる。

そうすると小売業の店主は外見上の利益率を高く設定することなく、商品檟格を大幅に安くして外見上の利益率を低くしても、通常の利益率を獲得できる。

たとえば、食料雑貨は一般にかなり安い。

パンと食肉はほとんど變わらない。

食料雑貨の場合、大都市でも村でも輸送費に差はない

穀物や家畜の場合、大都市には大部分を遠くから輸送することになるので、輸送費がかなりかかる

このため、食料雑貨では仕入れ値がどちらでも變わらず、仕入れ値に対する利益率が低い地域ほど、小売檟格が低くなる。

パンや食肉の場合は、村よりも大都市の方が仕入れ値が高いが、利益率が低いので、小売檟格は大都市の方が低くなるとは限らないが、同じになることが多い。

パンや食肉などの商品では、外見上の利益率を低下させるのと同じ原因輸送費が高くなるによって、仕入れ値が高くなる。

市場が大きいので投入する資本を増やせるが、そのために仕入れの量を増やすためには遠くから商品の供給を受ける必要があり、仕入れ値が高くなる

この外見上の利益率の低下と仕入れ値の上昇がほとんどの場合、相殺しあうようだ。

おそらくこの点が原因になって、穀物や家畜の檟格はイギリス国内の地域によって、一般に大きく違うが、パンや食肉の檟格は一般に、大部分の地域でほぼ似通っている。

穀物や家畜の輸送費によるパンや食肉の檟格

穀物や家畜は、大都市では輸送費がかかるため仕入れ値が高くなるが、食料雑貨は輸送費が大都市でも村でも變わらないので仕入れ値も變わらない。

そうすると一般に、大都市の小売業は市場が大きくなると資本を大きくすることによって、見かけ上の利益率が低くでも通常の利益率は獲得できるので、商品檟格は安くなる。

ただし、パンや食肉などの小売店は資本が大きくすると、その原材料である穀物や家畜をさらなる遠隔地から仕入れなければならず、その分の余分な輸送費によって仕入れ値が高くなる。

そうすると、都市部のパンや食肉の小売檟格は、たとえ資本の増加による外見上の利益率が低下しても、仕入れ檟格の上昇分によって相殺され、小さな町や村の檟格と變わらなくなる。

101-38市場が小さいと資本を大きくできない

資本の利益率は卸売業でも小売業でも一般に、小さな町や村より首都の方が低いが、首都ではわずかな元手ではじめた商売で巨額の富を獲得する人が少なくないのに、小さな町や村ではそういう人はまずいない。

小さな街や村では市場が狭いことから、資本が増えても事業を拡大できるとはかぎらない。

このため、利益率がきわめて高くても、利益の総額はそう多くはなりえず、その結果、年間に蓄積できる資本の総額も多くはなりえない

これに対して大都市では、資本が増えれば事業を拡大でき、繁盛している商人が倹約化であれば、資本が増えるとともに、信用で取引できる額がそれ以上のペースで増えていく。

事業は資本と信用の合計に比例して拡大し、利益の総額は事業の大きさに比例して増え、年間に蓄積できる資本は利益の総額に比例して増える。

しかし、大都市でも巨額の富は、よく知られ、安定した一般的な業種で事業を続けていくだけで獲得できるわけではなく、長期にわたって勤勉に働き、倹約し、注意深く事業を進めてはじめて獲得できるのである。

ときには、いわゆる投機によって巨額の富を短期間に獲得する人もいる。

投機的な商人は、よく知られている安定した業種の一つでつねに事業を行っているわけではない。

今年は穀物を売買し、翌年にはワインを売買し、その次の年には砂糖かタバコか紅茶を売買する。

どの業種でも、通常より利益率が高くなると予想すれば参入し、利益率が他の業種と同じ水準に戻ると予想すれば撤退する。

このため、投機的な商人の損失と利益は、よく知られている確立した業種の一つに対して一定比率を保つわけではない。

大胆な冒険によって、ときには2回か3回の投機の成功で巨額の富を獲得することがある。

逆に、2回か3回の投機の失敗で巨額の富を失うこともある。

この種の事業は大都市以外では行えない。

大量の取引があり通信が発達していて、投機に 必要な情報が得られるのは大都市だけである。

101-39理論上、業種間に利益率の格差は生じない

以上の五つの要因によって、勞働の賃金と資本の利益には大きな業種間格差があるが、實際上か想像上の有利な点と不利な点を総合した場合には、業種ごとに格差があるわけではない

業種ごとの様々な状況によって、金額の少なさが補われ、金額の多さが相殺されている

101-40利益率の業種間格差が所持ないためには条件がある

しかし、有利な点と不利な点とを総合したときに業種間格差がないといえる状況になるには、各自が業種を完全に自由に選べる場合でも、三つの条件が満たされていなければならない。

第一に、その業種がその地域でよく知られていて、はるか以前から確立していなければならない。

第二に、その業種が通常の状態、自然な状態と呼べる状態になければならない。

第三に、それに従事している人にとって、唯一の仕事か主要な仕事でなければならない。

101-41第一の条件——古くから確立している業種

第一に、格差のない状況になるのは、その地域でよく知られていて、はるか以前から確立している業種の間だけである。

101-42流行品と必需品の勞働賃金

他の状況が同じであれば、新しい業種の方が古い業種よりも、一般に賃金が高い

起業家が新しい製造事業を起こそうとする場合、当初は他の業種から勞働者を惹きつけるために、他の業種で得られるより高い賃金を支払うか、仕事の性格から必要とされるより高い賃金を支払う必要があり、賃金を普通の水準に引き下げられるようになるまでには、かなりの期間が必要である。

製造業のうち流行や好みだけから需要が生まれる業種はつねに變化していて、古くからの業種だとみられるほど長く続くことはまずない。

これに対して、主に實用や必要から需要が生まれる製造業はあまり變化せず、同じ型、同じ構造の製品に対する需要が何世紀にもわたって続くことがある。

このため、勞働の賃金は流行品の製造業の方が、必需品の製造業より高くなるとみられる。

バーミンガムでは、主に流行品が製造され、シェフィールドでは主に必需品が製造されている。

そしてこの二つの都市では、勞働の賃金が製造業の性格の違いにふさわしいものになっているという。

101-43

製造業や商業の新しい部門で事業を起こしたり、農業の新しい方法を試みたりするのは、常に一種の投機であり、起業家は一攫千金を狙っている。

ときには利益がきわめて巨額になり、そしておそらくこの方が多いだろうが、大きな損失を被る。

一般に、その地域で古くから行われている業種に対して、利益率が一定比率を保つわけではない。

新規事業が成功すれば、通常、当初の利益率はきわめて高くなる。

その事業や方法が完全に定着してよく知られるようになると、競争によって利益率が他の業種と變わらなくなる。

101-44第二の条件——自然な状態の業種

第二に、有利な点と不利な点とを総合したときに勞働と資本の業種間格差はないといえる状況になるのは、その業種が通常の状態、自然な状態と呼べる状態のときだけである。

101-45需要の變動と勞働の賃金

ほぼどの種類の勞働でも、需要が通常より多くなる時期と少なくなる時期とがある。

需要が多くなれば、その業種の有利さは通常以上になり、需要が少なくなれば、その業種の有利さは通常以下になる。

農業勞働者に対する需要は、牧草の刈入れと穀物の収穫の時期に、年間のほとんどの時期より多くなる。

そして需要の増加によって賃金が上がる。

戦争のときは、四万人から五万人の船乗りが徴兵されて海軍に入るので、商船の船員が不足して需要が増加し、賃金が一般に月当たり21シリング~27シリング(1.05~1.35ポンド)から2~3ポンドに上昇する。

逆に衰退している製造業では、職を變えるよりも賃金の低下を受け入れる勞働者が多く、仕事の性格にふさわしい水準より賃金が低下する。

101-46需要または生産量の變動と資本の利益率

資本の利益率は、それを使って生産したものの檟格とともに變動する。

ある商品を市場に供給するために使われた資本の少なくとも一部では、商品檟格が通常で平均的な水準を上回ったときに、利益率が本来の水準を上回り、逆に檟格がこの水準を下回ったときに、利益率が本来の水準を下回る。

どの商品も多かれ少なかれ檟格が變動するものだが、變動の程度には違いがある。

勞働によって生産される商品ではすべて、年間に投じられる勞働量はかならず年間の需要によって決まり、年間の平均生産量は年間の平均消費量にできるかぎり近づく。

前述のように、いくつかの業種では、同じ量の勞働によって生産される商品の量は、いつもほとんど變わらない。

たとえば、亜麻布や毛織物の製造では、同じ人数の勞働者が年間に生産する亜麻布と毛織物の量はほとんど變わらない。

このため、このような商品の市場檟格は、何らかの理由で需要が突然變化したときしか變動しない。

公の喪があると、黒い布の檟格が上昇する。

しかし、無地の亜麻布と毛織物ではほとんどの種類で需要があまり變化しないので、檟格もあまり變化しない。

なかには、同じ量の勞働によって生産される商品の量がいつも同じだとは限らない業種もある。

たとえば、穀物、ワイン、ホップ、砂糖、タバコなどでは、勞働の量が同じでも、年によって生産量が大きく違う。

このため、これら商品の檟格は、需要の變化だけでなく、はるかに大幅ではるかに頻繁に起こる生産量の變化からも影響を受け、この結果、極端に變動することになる。

勞働の量が同じでも生産量が變動する商品

穀物やワインなどの場合、年ごとの自然条件によって生産量が變動する。

年ごとに勞働の量を柔軟に變動させることは難しいので、生産量が少ない場合は一つの商品には通常より多くの勞働量が費やされたことになる。

商品の檟値はそれに費やされた勞働の量ではかられるので、商品檟格は上昇する。

そして、商品檟格が變動すれば、その商品を扱う売り手の一部で、利益率が變動するはずである。

投機的な商人が扱うのは、主にこの種の商品である。

檟格が上がると予想したときに買い、檟格が下 がると予想したときに売ろうと努力している。

101-47第三の条件——唯一もしは主要な業種

第三に、有利な点と不利な点とを総合したときに勞働と資本の業種間格差はないといえる状況になるのは、それに従事している人にとって、唯一の仕事か主要な仕事のときだけである。

101-48本業以外の余った時間で働く『パート従業員』の賃金は低い

一つの職業で生活を支えているが、働く時間が それほど長くない人が暇な時間に仕事の性格にふさわしい水準より低い賃金で働こうとすることがある。

101-49余った時間に雇われるスコットランドの通い農民

スコットランドの多くの地域には、以前よりも数は減ったが、今でも作男とか小屋住みとか呼ばれる農民がいる。

これは地主や農業経営者が雇う通いの勞働者の一種である。

雇い主からは、普通の、家と小さな菜園、牛1頭分の牧草地、そしておそらく1〜2エーカー(40〜80アール)の痩せた耕地を報酬として支給される

仕事があれば、雇い主のために働き、週に2ペック(約18リットル)のえん麦、檟格にして約16ペンス(0.067ポンド)を追加の報酬として受け取る。

年の大部分には仕事がないし、暇な時間に自分の小さな畑を耕してもまだ時間が余る。

こうした農民がもっと多かった頃、余った時間にごくわずかな報酬で誰にでも雇われ、他の勞働者よりも賃金が低かったと言われている。

遥か昔にはヨーロッパのどこでも、これが一般的だったようだ。

耕作が進んでおらず、人口も少なかったため、地主や農業経営者の大部分は農繁期に必要になる人手を、これ以外の方法では集められなかった。

こうした小屋住みの勞働者が雇い主から時折受け取る一日当たりや週当たりの報酬は、明らかに賃金の総額ではない。

小さな家と土地が賃金のかなりの部分を占めている。

ところが、昔の勞働賃金と食料品の檟格を調べた著者の多くは、こ一日当たりや週当たりの報酬が賃金を総額だと考え、賃金も食料品檟格も驚くほど低かったと論じている。

101-50スコットランドの手編みの靴下

こうした勞働で生産された商品は、その性格にふさわしい檟格以下で市場に供給されることが多い。

スコットランドの多くの地域では、他の地域で織り機を使った場合より安い檟格の靴下が、手編みで生産されている。

他の仕事で生活を支えている使用人や勞働者が生産しているのだ。

スコットランドの北にあるシェトランド諸島からエディンバラのリース港に、手編みの靴下が年に、一千足以上運ばれており、檟格は一足当たり5ペンスから7ペンス(0.021〜0.029ポンド)である。

シェトランド諸島の中心とし、ラーウィックでは、下層勞働者の日当は10ペンス(0.042ポンド)だと聞いている。

この諸島でウーステッドの靴下も生産されてい るが、こちらの檟格は1足1ギニー(1.05ポンド)以上である。

101-51スコットランドの亜麻糸紡ぎ

亜麻糸を紡ぐ仕事もスコットランドで、靴下の手編みとほぼ同じように、主に他の仕事に雇われている使用人によって行われている。

この仕事でも靴下の手編み同様に、それだけで生活しようとすれば、とても食べていけない

スコットランドの大部分では、一週間に20ペンス(0.083ポンド)稼げれば、亜麻糸紡ぎの腕がいいとされる。

101-52ロンドンの部屋の家賃

豐かな国では市場が一般に極めて大きいので、各人は自分が従事する業種に、勞働か資本を全て投じることができる。

一つの業種の仕事で生活費を稼ぎながら、別の業種の仕事で少しばかりの収入を得るのは、主に貧しい国でのことである。

しかし、以下の例では、同様のことが極めて豐かな国の首都で起こっている。

ヨーロッパのどの都市と比べても、ロンドンでは家一軒を借りたときの家賃が高いと見られるが、家具付きの部屋がロンドンほど安く借りられる首都は他にない

パリと比較してかなり安いだけでなく、エディンバラの同程度の同程度の部屋と比較してもかなり安い。

そして奇妙に思えるかもしれないが、家一軒の家賃が高いことが、部屋代が安い原因になっている。

ロンドンで家の家賃が高い原因のうちのいくつかは、他の国の首都で家賃が高い原因と同じである。

勞働の賃金が高く、建設資材は一般に遠方から運んでこなければならないので、どれも高石、何よりも地代が高い。

地主が独占企業の一部のようになっており、大都市では1エーカーの立地の悪い土地でも、農村の最良の土地で100エーカー分以上の地代を得ているのだ。

だが、それだけではなく、イングランドには独特の習慣があり、家を借りるときには地階から屋根裏部屋まで一括して借りるしかないないことも原因になっている。

イングランドでは住宅を借りるとき、1軒を丸ごと借りるしかない。

ロンドンで商売をするとき、顧客が住む地域で1軒家全体を借りるしかない。

店を1階に作り、家族は屋根裏部屋に住む。

そして、その間にある二つの階を家具付きで貸して、家賃の一部を取り戻そうとする

家族の生活費は商売で稼ぎ、部屋代をあてにはしないこのため、他の都市部よりも部屋の家賃は安い。

ところがパリやエディンバラでは、部屋を貸すのは、それ以外に生活費を稼ぐ手段がない人であるかのが一般的だ。

だから、部屋代によって。家賃を支払い、そのうえ一家の生活を支えなければならない。

ロンドンの商売人の不動産賃貸の習慣

ロンドンで商売をする場合、家を一軒借りて1階を店舗、部屋は賃貸して、家族は屋根裏に住むというのが習慣になっている。

よって、本業の1階の店舗収入で生活費を稼げれば、それ以外の余った部屋は他の都市の水準より安く賃貸できる。

つまり、本業以外に余った時間を勞働に充てるスコットランドの『パート収入』と同じ理屈になる。

第二節 ヨーロッパの政策から生まれる不均等

102-1政策によって利益率の業種間格差が生じる

このように、上記の三つの条件が満たされていない場合には、各自が完全に自由に業種を選べても、有利な点と不利な点を総合したときに、勞働と資本の業種間格差が生まれる

だが、それだけでなく、ヨーロッパの政策によって物事が完全に自由に任されていないために、はるかに重要な不均衡が生まれている

102-2業種間格差が生まれるヨーロッパの三つの政策

ヨーロッパの政策によって、主に三つの点で不均衡が生まれている。

第一に、いくつかの業種で、競争に加わるものの数を自然の状態より少ない数に制限している。

第二に、別の業種で、競争に加わるものの数を自然の状態より増やしている。

第三に、勞働と資本の自由な移動を、業種間と地域間の両方で妨げている。

102-3第一の政策——競争の制限

第一にヨーロッパの政策によって、いくつかの業種では競争に加わるの者の数を自然の状態より少ない数に制限している。

102-4 同業組合

競争に加わるものの数を制限するために使われている主要な手段は、同業組合の特権である。

ギルド

中世のヨーロッパの都市で結成された同業者組合は「商人ギルド」と呼ばれる。

11世紀ごろから西ヨーロッパで形成されてきた都市において、その中核となって定住した商人たちが結成した相互扶助のための団体から始まる。初めは都市の有力な商人が中心となってつくられた「商人ギルド」が、都市の自治を獲得する上で大きな働きをし、次第に彼らは都市貴族として支配層を形成する。

商人ギルドから同職ギルドへ

13世紀以降は、手工業者が職種別に「同職ギルド」を結成し営業権を独占するようになった。

同職ギルドの手工業者は、都市の支配権をめぐって商人ギルドと対立し、ツンフト闘争を展開する。

以後、ギルドは中世都市の中核として続くが、中世末期には生産力の高まりから資本主義的な生産が始まると、自由な生産と流通の障害となるギルドは次第に衰退し、市民革命期に廃止される。

なお、中世ヨーロッパの教会付属の教育機関から発展した大学も、教授と学生の一種のギルドとして形成された。

102-5同業組合には排他的特権が与えられる

同業組合に与えられた排他的な特権によって、組合がある都市では必ず、その業種で営業する権利を持つものの間だけに競争が制限される。

この権利を得るには通常、その都市で資格を認められた親方のもとで、徒弟として働くことが必要になっている。徒弟制度

同業組合の規則で一人の親方がとれる徒弟の数を制限していることもあるし、徒弟奉公の最低年数をほぼ必ず規定している。

どちらも、競争に加わる者の数を自然の状態より少ない数に制限することを目的にしている。

徒弟の数の上限は、競争を直接に制限するものだ。

徒弟奉公の年数を長くする規定は、仕事の習得 に必要な経費を高めて、間接的にではあるが、やはり効果的に競争を制限している。

102-6同業組合の規則に違反すると罰金

シェフィールドでは、刃物師は同業組合の規則で、徒弟の数を一度に一人に制限されている。前節a101-42参照

ノーフォークノリッジでは、織工は徒弟の数を二人までに制限されており、この規則に違反すると月当たり5ポンドの罰金を国王に徴収される。

帽子製造工はイングランドとその植民地のどこでも、徒弟の数を二人までに制限されており、この規則に違反すると月当たり5ポンドの罰金を科されうち半分は国王に、残り半分は正式記録裁判所に違反を訴えた人に支払われる。

この二つの規則はどちらも法律になっているが、シェフィールドの規則と同様に、明らかに同業組合の精神に従って制定されている。

ロンドンの絹織物同業組合は設立から一年そこそこで、徒弟を一度に二人までに制限する規則を作った。

この規則を廃止するには、法律の制定が必要に なった。

102-7同業組合は『ユニバーシティ』、徒弟奉公は大学の修士マスターと同じ

古くはヨーロッパのどこでも、同業組合の大部分で徒弟の期間は7年が通常だったようだ。

同業組合は昔、ユニバーシティと呼ばれていた。

この言葉はラテン語で団体を意味しているのだ、

昔の都市の特許状を見ると、鍛冶組合ユニバーシティ、仕立て組合ユニバーシティ などの言葉が普通に使われている。

現在ではユニバーシティは大学だけを意味するようになったが、大学が設立されたとき、修士マスター の称号を得るために必要な修学年数ははるかに古くから組合があった普通の職業での徒弟奉公の年数に習って決められたようだ。

普通の職業では、資格を持った親方マスターのもとで七年間働くことが、親方としての徒弟 アブレンティスをとる資格を得るために必要だった。

このため、資格を持った教師マスターのもとで七年間学ぶことが、学問の世界で教師マスター 先生ティーチャー博士ドクター になり(昔はこの三つの言葉は意味が同じだった)学生スカラー弟子アブレンティス (昔はこの二つの言葉も意味が同じだった)を教える資格を得るために必要だった。

学士(Bachelor)

12世紀のこの「学士」という用語は、自分の旗の下に家臣を集めるには若すぎるか貧しすぎる騎士の独身者を指していました。

13世紀末までに、ギルドや大学のジュニアメンバーによっても使用されました。

14世紀以降、「学士」という用語は、ギルド(「ヨーメン」としても知られる)または大学のジュニアメンバーにも使用され、その後、若い修道士や最近任命されたカノンなどの低レベルの聖職者にも使用されました.

奨学金の下位等級として、「学士号」を有する者を指すようになった。

民俗語源や言葉遊びによって、バカロレウスという言葉は、学問的な成功や栄誉のために授与される月桂樹を参照して、バッカ・ラウリ(「ローレルベリー」)と関連付けられるようになりました。

このバカラリウスまたはバカラレウスの感覚は、13世紀のパリ大学で、教皇グレゴリウス9世の後援の下で確立された学位制度において、まだ瞳孔の状態にある学者に適用されていることが最初に証明されています。

バッカラリには2のクラスがありました。

バッカラリ カーソル、神学コースへの入学を許可された神学候補者、およびコースを修了し、より高い学位に進む権利を与えられたバカラリディスポジティです

102-8徒弟法の始まり

エリザベス一世治世の1562年に制定されたいわゆる徒弟法によって、その時点でイングランド国内にあった業種でその後に働くには、少なくとも七年間、徒弟として働いていなければならないと規定された。

これによって、それまで多数の同業組合で制定されていた規則がイングランド全体の法律になり、市場都市にある全ての業種に適用されるようになった。

徒弟法の文言は極めて一般的であり、国内の全ての地域に例外なく適用されると読めるが、解釈によって適用範囲が市場都市だけに限られてきた。

農村では、それぞれ七年間の徒弟奉公を行なっていなくても、いくつもの業種の仕事を行えるとされてきた。

農村の人の便宜を考えればそれが必要であり、 住民の数が少ないので、業種ごとに熟練工がいる状況にはならないからだ。

102-9

また、徒弟法の文言を厳密に解釈した結果、法律が制定された1562年に確立していた業種だけに適用範囲が限定され、それ以降に生まれた業種には適用されていない。

適用範囲がこのように制限されたために、これ以上馬鹿げた規則はないと思えるほどの矛盾が生まれた。

例えば、四輪馬車製造工は、自分で働くにしろ、熟練工を雇うにしろ、車輪を作ることはできず、車輪製造工から買わなければならないという判決が下された。

車輪製造業は1562年にすでにイングランドにあったことが理由である。

ところが車輪製造工は、四輪馬車製造の徒弟として働いたことがなくても、自分で働くか熟練工を雇って四輪馬車を製造できる

四輪馬車の製造業は徒弟法制定の時点でイングランドになかったので、適用範囲にならないからである。

マンチェスターバーミンガムウルバーハンプトンの製造業の多くは、同じ理由で徒弟法の適用を受けない。

法律が制定された時点でイングランドになかっ た業種だからだ。

102-10フランスの徒弟制度

フランスでは、都市ごと業種ごとに徒弟の期間が違っている。

パリでは、5年の業種が多い

しかし、徒弟奉公が終わっても、親方になるにはあと5年にわたって職人として働かなければならない業種が多い。

この期間の職人は親方見習いと呼ばれ、この期 間は親方見習い期間と呼ばれている。

102-11スコットランドには統一した徒弟法はない

スコットランドでは、徒弟の期間を全体的に規定する一般的な法律はない。

同業組合によって期間が違う。

期間が長い場合には、少額を支払えば期間を短縮してもらえるのが一般的である。

またほとんどの都市で、少額を納入すれば同業組合から営業間を認められる。

スコットランドの主要な産業である亜麻布と大麻布の紡績と、紡ぎ車や糸車の製造業など、紡績業向けの全ての業種はどの自治都市でも、納入金を支払わなくても自由に営業できる。

どの自治都市でも、州のうち法律で認められた曜日に食肉を自由に販売できる。

徒弟の期間は通常3年であり、難しい技術を要する業種でもそうだ。

そして一般にいって、ヨーロッパにはスコットランドほど、同業組合の法律が抑圧的でない地域はないように思える。

102-12 徒弟制度批判〜雇用主と勞働者の自由

誰でも自分の勞働に対する所有権を持っている。

これは全ての所有権の基礎であり、従って神聖で侵してはならないものだ。

貧乏人が親から与えられたものは、体力と器用さだけである。

他人を害しない範囲で、各自が適切だと考える方法で自分の体力と器用さを使う権利を全員が持っており、この権利の行使を妨げるのは、神聖な所有権に対するあからさまな侵害である。

勞働者と、勞働者を雇おうとする人の正当な自由を明らかに侵害するものだ。

各人が適切だと判断した仕事をするのを妨げ、適切だと考える人を雇うのを妨げる。

ある人が雇うに値する人物なのかどうかの判断は、その点に強い関心を持つ雇い主に任せられないはずはない。

不適切な人物を雇いかねないと立法者が心配す るのは、余計いなお世話であり、抑圧的でもある。

102-13徒弟制度は品質の確保にはならない

長期間の徒弟奉公を義務づけても、出来の悪い製品が頻繁に市場に出回るのを防ぐことはできない。

そういう製品が売られるのは通常、製造工の腕が悪いからでなく、詐欺を働くものがいるからだ。

徒弟の期間をいくら長くしても、詐欺を防ぐことはできない。

このような不正を防ぐには、全く違った法規が必要だ。

金銀製造器の刻印や、亜麻布と毛織物の公的な検印の方が、徒弟に関するどのような法律よりも買い手に安心感を与える。

買い手は通常、刻印や検印を調べるが、それを作った人が七年間の徒弟奉公をしたかどうかを調べる檟値があるとは、誰も考えない。

徒弟法の目的

1563年,エリザベス1世時代に制定されたイギリスの社会・勞働立法。職人法ともいう

全35条からなる。当時の農民の没落,社会不安の増大に対處するため,これまでの諸種の勞働立法を整理し,徒弟・職人の雇用条件・勞働時間・賃金などを規定した。

おおむね以下の内容をもつ。

第一に,農村人口の流出を阻止し,都市手工業を保護して,農村工業の展開を抑えるために雇用契約の条件を規定した。

そのために,期間1年未満の雇用契約や治安判事の許可を得ないで契約期間内に解雇することなどを禁じ,解雇・期間満了後の勞働者の移動をも厳しく制限した。

102-14徒弟奉公で若者は勤勉にならない

長期にわたる徒弟奉公を義務付ける制度で、若者が勤勉になることはない。

出来高で働く人は、働けば働くほど収入が増えるので、勤勉に働く。

徒弟は、勤勉に働く理由が直接にはないので、怠惰なはずであり、そしてほとんど必ず怠惰である。

下級の職業では、勞働の楽しみはもっぱらそれで得られる報酬にある。

この楽しみを早くから味わえるようになるほど、その良さを早くから理解するようになり、勤勉に働く週間を早くから身につけるだろう。

若者が長い年数にわたって勞働の報酬を得られないのであれば、自然に勞働を嫌うようになる。

公的な慈善施設から徒弟に出される少年は、通 常よりも長い期間、徒弟として働く義務を負うのが一般的であり、全くの怠け者で役に立たない人間になるのが普通だ。

102-15ローマ法に近代のような徒弟制度はなかった

古代には、徒弟制度は全くなかった。

近代の法典では、親方と徒弟の相互の義務に関する規定がかなりの部分を占めている。

ローマ法には、この義務に関する規定はない。

現在、徒弟という言葉はある業種で使用人が何年もの期間にわたって親方のために働く義務を負い、その見返りとして、親方がその業種の仕事を教える義務を負う考えを言い表しているが、ギリシャ語とラテン語で同じ考えを表す言葉は寡聞にして知らないし、そんな言葉はないと断言してもいいのではないかと思う。

102-16徒弟制度をなくすことで社会的利益になる

長期にわたる徒弟奉公は全く不要である。

時計の製造のように、通常の業種よりもはるかに優れた技能を必要とする仕事でも、長期にわたって指導を受けなければならないような奥義があるわけではない。

時計のように素晴らしい器械の発明は、間違いなく長い時間をかけて深く考えた結果であり、人類の能力を示す特に素晴らしい成果の一つだと言えるだろうし、これら器械の製造に使われる器具のうちいくつかの発明についてすら、同じことが言えるだろう。

しかし、器械と器具が発明され、十分に理解されるようになった後に、器具の使い方と器械の作り方を完全に教えるには、数週間を超える指導が必要になるはずはない。

おそらく、数日もあれば教えられる場合もあろう。

通常の仕事であれば、確かに数日で十分の場合もあるだろう。

もちろん、ごく普通の業種でも、技能を完全に習得するためには仕事の経験を積んで行くことが不可欠だ。

だが、若者が初めから製造工として働き、わずかでも仕上げた仕事の量に従って賃金が支払われ、不器用で未経験なために時折無駄にする原材料の費用が差し引かれるようにすれば、若者ははるかに勤勉に注意深く働くだろう。

この方法なら一般に訓練がもっと効率的になるし、また、退屈でなく費用もあまり變わらないのは確實である。

もっともこの方法をとれば、親方は損をすることになろう。

7年にわたって徒弟をただ働きさせることができなくなる。

おそらく結局は徒弟も損をすることになろう。

仕事を簡単に習得できるのであれば、競争相手が増え、一人前になったときに、賃金が今よりははるかに低くなっているだろう。

競争相手が増えるので、親方の利益が減り、勞働者の賃金も下がる

どの業種も全て損するだろう。

だが、社会全体には利益になる。

この方法を使えば、全ての業種で製品が大幅に安く市場に供給されるからだ。

102-17同業組合批判

全て同業組合は、そして大部分の同業組合法は、まさにこの製品檟格の低下を防ぎ、従って賃金と利益の低下を防ぐために、これらの低下をまず確實に引き起こす自由競争を制限することを目的としている。

昔はヨーロッパの多くの地域で、設立地の自由都市の許可だけで同業組合を設立できた。

ところがイングランドでは、さらに国王の特許状が必要だった。

しかし、国王がこの権限を維持していたのは、臣民から金銭を引き出すためであって、こうした抑圧的な独占から社会全体の自由を守るためではなかったようだ。

国王に料金を支払えば、特許状は通常、すぐに与えられたようだ。

また、ある業種の商工業者の組合が特許状を受けないまま、いわゆる不法ギルドとして活動することを選んだ場合、特許状がないまま行使している特業組合があり、組合がなくても、組合の精神、つまり余所者 よそもの への警戒感、徒弟は少ない方がいいという感覚、商売の秘密を守ろうとする感覚が行き渡っていて、組合の規則で禁止できなくても、非公式の集まりや申し合わせで自由競争を妨げるようになることが多い。

人数が少ない業種では、極めて簡単に団結できる。

羊毛の梳き工はおそらく5人か6人いれば、1千人の紡績工や織工に原料を供給できる。

団結して徒弟をとらないようにすれば、仕事を独占できるし、毛織物産業全体を言ってみれば奴隷にして、自分たちの勞働の檟格を、仕事の性格から当然と言える水準より高めることができる。

102-18農村の同業組合の団結は難しい

農村の住民は広範囲に散らばって住んでいるので、簡単には団結できない。

同業組合が作られた例はないし、組合の精神がいきわたったこともない。

農業は農村で最大の産業だが、農業経営の資格を得るために徒弟修業が必要だとされたことはない。

しかし、芸術と専門職の仕事を除けば、農業ほど多様な知識と経験が必要な職業はおそらくないだろう。

農業技術について、様々な言語で無数の本が書かれている点を見ても、特に知識が発達している国ですら、農業が簡単に理解できるとは考えられてこなかったことがわかる。

これらの農業書を大量に読んでも、多様で複雑な作業についての知識を十分に獲得することはできないが、こうした知識は普通の農民なら誰でも持っているものなのだ。

農業書の著者の中には鼻持ちならない人もいて、農民を小馬鹿にしている場合もあるが、これが事實なのだ。

これに対して普通の手工業では、文章と図を使えば、ほとんどの場合、数ページの小冊子で仕事の内容を全て、明確に説明できる。

フランス科学アカデミーが現在刊行している工芸史では、いくつもの作業が實際にこの方法で説明されている。

また、農作業の指揮に当たっては、天候の變化など、様々な問題に対応しなければならないので、いつもほとんど同じ状況で仕事ができる作業の指揮よりも、判断力を必要とする。

102-19農業の仕事は熟練と経験を必要とする

農作業全体の指揮をとる農業経営はもちろんだが、農村勞働のうちもっと下級の職種でも、手工業の大部分よりはるかに熟練と経験を必要とする。

真鍮や鉄を加工する仕事であれば、仕事に使う機器や材料はいつもほとんど性質が變わらない。

しかし、馬や牛を何頭か使って畑を耕す場合には、牛馬の健康状態、体力、気分がその時々で大きく違っている。

畑の状態も牛馬の状態と變わらないほど變化し、どちらについてもかなりの判断力が必要になる。

一般に農業勞働者といえば愚鈍と無知の典型のように思われているが、この判断力がかけていることは滅多にない。

確かに都市に住む熟練工より人付き合いが下手だ。

声も言葉も野暮ったく、聴き慣れていいない人には分かりづらい。

しかし、變化に富む事柄を考えることに慣れているので、朝から晩まで大抵は一つか二つの極めて単純な作業に専念している都市の勞働者と比べて、一般にはるかに理解力がある。

農村の下層勞働者が都市の下層勞働者よりはるかに優れていることは、仕事か好奇心のために両者と頻繁に話しているものの間ではよく知られている。

このため中国とインドでは、手工業や製造業の勞働者の大部分よりも農村勞働者の方が、地位も賃金も高いと言われている。

おそらく、同業組合法と組合の精神という障害 がなければ、どの国でもそうなるだろう。

102-20高い関税によって都市の産業は優位になっている

ヨーロッパのどこでも、都市の産業が農村の産業より優位にあるのは、同業組合と同業組合法のためだけではない。

他の様々な法規によっても、有利になっている。

外国製の工業製品と外国の商人が持ち込む全ての商品に対する高率の関税も、都市の産業を優位に支えている。

同業組合法があるので、都市の住民は檟格を引き上げても、自国内の住民が自由に競争してもっと安く売るのではないかと心配する必要がない。

高関税が課されているので、外国人について同じ心配をする必要がない。

これらによる檟格の上昇はどこでも、最終的に農村の地主、農業経営者、勞働者の負担になるが、農村の住民がこのような独占体制の確立に反対することは滅多にない。

農村の住民は一般に団結しようとはしないし、団結に的してもいない。

そして、商工業者は声が大きく、弁がたつので、社会の中の一部、それも劣った部分の私利に過ぎないものを、社会全体の利益なのだと簡単に言いくるめてしまう。

市民革命〜都市部の商工業者は弁が立つ

市民革命

一般的に、啓蒙思想に基づく人権(政治参加権あるいは経済的自由権)を主張した「市民(ブルジョア・資本家・商工業者)」が主体となって推し進めた革命と定義される。

代表例はイギリス革命(清教徒革命および名誉革命)、アメリカ独立革命、フランス革命など。

フランス革命

この「市民」には、封建・絶対主義から解放され、「自立した個人」という意味および「商人・資本家」という意味を持っているため、市民革命の定義も二義性を持つ。

封建制・絶対主義体制から個の自由をめざしたのが「市民革命」であり、資本主義と勞働者が対立しておこった革命は「プロレタリア革命」とされる。

ドイツやオーストリアでの1848年革命はプロレタリア革命的色彩が強く、ロシア革命は資本主義の段階を経ないでおこったプロレタリア革命といわれる。

102-21都市から農村への発展の道筋は秩序に反する

イギリスでは、都市の産業と農村産業の格差は、現在よりも以前の方が大きかったようだ。

18世紀後半の現在、17世紀や今世紀初めと比較して、農村の勞働の賃金は製造業の賃金に近づいてきたし、農業の資本の利益率も、商工業のものに近づいてきた。

この變化は、都市の産業に対する極端な優遇の結果として、極めてゆっくりとではあるが必然的に起こることなのかもしれない。

都市の産業で蓄積される資本が長年のうちに巨大になり、都市に特有の産業に投じても、以前のような利益率は確保できなくなる。

どの産業にもそれぞれの限界があり、都市の産業も例外ではない。

そして資本が増加すれば競争が激しくなり、利益率が必ず低下する。

都市の産業で利益率が低下すれば、資本は農村に向かうしかなく、そうなれば農村の勞働に対する新たな需要が生まれて、賃金が上昇する。

資本はこうして、いうならば全土に広がっていき、農業に投じられて、一部は農村に戻っていく。

こうした資本は元々かなりの部分、農村を犠牲にして都市に蓄積されてきたのだが。

ヨーロッパのどこでも、農村の大幅な発展はこのように、元々都市で蓄積された資本が農村に溢れ出たことの結果であり、この点は後に論じる。

そして、後に同時に示していくが、都市から農村へというこの道筋は、いくつかの国が豐かになるときに通ったものであるが、性格上極めて遅く、不確かで、数々の偶然の動きによって混乱し中断する可能性があり、どの観点から見ても、自然と理性の秩序に反している,

このような道筋を作り上げた利害、偏見、法律、慣習に関しては、本書の第三編と第四編でできる限り完全に、明確に説明していく。

都市から農村へという発展の道筋は自然と理性の秩序に反する

ヨーロッパの発展は、都市部から農村へという道筋を辿ってきた。

しかし、「ものごとの性格上、食料は利便品や贅沢品より前に必要なので、食料を生産する産業はかならず、利便品や贅沢品の需要を満たす産業より前に確立していなければならない。」

「このため、農村で土地を改良し耕作して食料を生産する動きがかならず、利便と贅沢の手段だけを供給する都市の発展より前に起こらなければならない。」/p>

ヨーロッパの発展は、この道筋を辿ったことによって「性格上極めて遅く、不確かで、数々の偶然の動きによって混乱し中断」した。第三編第一章

102-22同業者の集まりによって檟格は高騰する

同業者が集まると、楽しみと気晴らしのための集まりであっても、最後にはまず確實に社会に対する陰謀、つまり檟格を引き上げる策略の話になるものだ。

こうした集まりを法律で禁止しようとしても、取締ができないか、そうでなければ自由と公正を侵害する法律になる。

法律では、同業者が時折集まるのを禁止するの は不可能だが、このような集まりを容易にするべきではないし、まして必要にするべきではない。

102-23登記によって同業者を容易に見つけられる

一つの都市で同じ業種を行っているもの全員に、名前と住所を登記所に登記するよう義務付ける規則は、このような集まりを容易にするものである。

登記によって、知り合えなかったはずの人とも つながりができるし、同業者を見つけ出すにはどうすればいいのかが、誰にでもわかるからだ。

102-24社会的支援を義務付ける法律

同じ業種の中で、貧困者、病人、寡婦、孤児を支援するために資金の拠出を義務付けられるようにする規定があると、その業種全員が共通の問題を管理する必要が生まれ、同業者の集まりが必要になる。

102-25同業組合は多数決の決定で競争を制限できる

同業組合があると、同業者の集まりが必要になる上、多数決で決まったことを全員が守らなければならなくなる。

同業組合のない自由競争の業種では、事業主が全員一致しなければ団結はできず、事業主全員の意見が一致している間しか団結は続かない。

同業組合なら、過半数の賛成が得られれば、し かるべき罰則をつけた規則を制定でき、自由意志による団結よりも効果的に、しかも長期間にわたって競争を制限できる。

102-26仕事の質は同業組合より顧客による圧力が効果的

業種をよりよく管理するために同業組合が必要だとする主張には、何の根拠もない。

手工業者に仕事の質を高めようと、まともに効果的に圧力をかけられるのは、同業組合でなく顧客である。

手工業者がごまかしを止め、怠惰な仕事を改めるのは、顧客から仕事をもらえなくなると恐れるときだ。

排他的な特権を持つ同業組合があると、必ずこの圧力が弱まる。

同業組合に所属する人を雇うしかなくなり、仕事ぶりが良くても悪くてもその人に任せるしかない。

このため、大きな自治都市では、必要不可欠な業種のうちいくつかですら、そこそこ腕のいい手工業者がいない状況になっている。

まともな仕事をしてもらいたいのであれば、排他的な特権のない郊外に行って、自分の評判以外に頼るもののない人に仕事を任せ、完成したものをできる限りうまく隠して都市に持ち込むしかない。

都市部で顧客が品質の良い仕事を得る方法

同業組合があると、顧客は選択の余地がなく仕事の品質によって選ぶことできない。

品質の良い仕事は、同業組合のない郊外で評判のいい人に任せて都市部に持ち込む方法しかない。

102-27同業組合政策によって業種間格差を生み出す

このようにヨーロッパの政策は、ある種の業種の競争を本来より少人数に制限して、有利な点と不利な点を総合したとき、勞働と資本に極めて重要な業種間格差を生み出している。

102-28第二の要因——特定の教育の公費助成

第二にヨーロッパの政策は他の業種で、競争に加わる者の数を自然の状態より増やして、有利な点と不利な点を総合したとき、勞働と資本に逆の過度な競争による業種間格差を生み出している。

102-29聖職者の最低報酬を法定しても効果はない

ある種の職業については、適切な数の若者を教育し訓練することが極めて大切だと見られているため、ある場合には公的な機関が、ある場合には事前活動として民間人が、多数の助成金、奨学金、給費金などの制度をこの目的で設けている。

その結果、これらの職業を目指す人の数が本来よりはるかに多くなっている。

キリスト教国ではどこでも、聖職者の大部分がこのような制度を使って教育されていると見られる。

自費で教育を受けた人はごく少ない。

このため、自費で教育を受けた人は、単調で経費のかかる長年の教育にふさわしい報酬を受けられない。

教会には、それだけの教育を受ければ得られるはずのものよりはるかに報酬が低くても、とにかく職を得たい人が殺到しているからだ。

こうして貧乏人の競争によって、金持ちが報酬を奪われている。

聖職者の報酬を世俗の職業の賃金と比較するのは、もちろん失礼なことだが、聖職者の報酬も、勞働者の賃金と同じ性格のものだと考える理由は十分にあると思える。

聖職者も勞働者も、それぞれの目上の人と結ぶ契約に基づいて報酬を受けとっている。

14世紀の半ば過ぎまで、イングランドでは助祭や司祭の棒給が年5マーク(銀の量で見て、現在の硬貨でほぼ10ポンド)1マーク=2/3ローマポンド(1ローマポンド=16/12タワーリング・ポンド)=8/9ポンド であったことが、様々な全国宗教会議の布告からわかる。

マーク(マルク)について

10世紀に神聖ローマ帝国(現在のドイツ)が成立し、キリスト教世界における重さの単位は「マーク」が使われた。

そしてイングランドはノルマンコンクエスト(1066年)以降、フランス王国カペー朝の領邦国家であった。

1103年、フランス王のフィリップ1世が、ローマポンドの3分の2(233.856グラム)を新たな重量単位としました。

この単位を持つ金属には定められた印(マーク、マルク)が押されていたため、この重さの単位が「マルク」と呼ばれるようになりました。

「1マルク」は「1マルクの重さの銀」を意味します。

ドイツで産した銀は品質がよく、またマルクの重さも厳格に守られていたため、最も信用のある貨幣の単位として国際取引で使用されるようになりました。

12~15世紀がこの単位の使われた最盛期でした。

例えば、1201年にヴェネティアが、フランスなどの第4十字軍の兵33500人+馬4500頭の輸送を請け負った費用は、8万5千マルクでした。

マルクの重さは、ヨーロッパ各地で差異があり、主なものでは244.753g(パリ)、226.623g(ローマ)、233.856g/229.456g?(ケルン)、239g(ヴェネティア)、271.947g(バルセロナ)、280.664g(ウイーン)などがありますが、この中では「ケルンマルク(Köln Mark)」が有名です。

その後、近世になると「マルク」は、ドイツ国内で小額の貨幣単位として使われるようになりました。

同じ時期に、石工の親方の賃金一日4ペンス(銀の量で見て、現在の通貨でほぼ1シリング、つまり0.05ポンド)、石工の賃金一日3ペンス(銀の量で見て、現在の効果でほぼ9ペンス、つまり0.0375ポンド)と規定されている。

このため石工は常に仕事があったと想定すると、助祭よりはるかに収入が多かったことになる0.0375x365=13.7ポンド

石工の親方は、年間の3分の1に仕事がなかったとしても、助祭より収入が多くなる0.05x365x2/3=12.17ポンド

アン女王時代の1713年の法律でこう規定された。
副牧師は、生活費と奨励金を十分に支払われていないために不足している地域が多く、したがって年20ポンド以上50ポンド以下の十分な棒給または手当てを自筆の捺印文章で指定する権限を主教に与える

現在、年40ポンドであれば、副牧師としては棒給が極めて高いと見られており、この法律があるにもかかわらず、棒給が年20ポンド以下の副牧師は多い

ロンドンでは、年に40ポンド以上を稼ぐ靴屋がいるし、勤勉な製造工なら業種を問わず、年に20ポンド以下の収入しかないものはほとんどいない

数多くの農村教会区では、下層勞働者すら年20ポンドを稼げる人が少なくない。

法律によって勞働者の賃金を規制しようとする場合にはかならず賃金を引き上げようとするのではなく、引き下げようとする

ところが、副牧師の棒給については逆に、法律によって引き上げようとしてきた。

教会の名誉を守るために、副牧師の棒給は本人に受け入れる意思があっても、最低の生活しかできない水準であってはならず、それ以上を支払うよう教会区牧師に義務付けてきたのだ。

ところが、どちらの場合も、法律が無力であることに變わりはなく、狙いどおりの水準まで副牧師の棒給を引き上げることも、勞働者の賃金を引き下げることもできていない

副牧師の場合には、困窮しているし、競争相手が多いために、法定の水準を下回る棒給でも受け入れようとするのを妨げていない。

勞働者の場合には、利益のためか生活を楽しむ ために人を雇おうとする雇い主が競争し、法定の水準を上回る賃金を支払うのを妨げていない。

102-30聖職者の報酬は低くても問題はない

教会の権威は結局のところ、高額の聖職者など、高位の聖職者に与えられる特権によって支えられているのであり、最下層の聖職者の生活が苦しくても、それほど問題ではない

下層の聖職者にとっても、尊敬される職業であるために、金銭的な報酬の少なさがある程度補われている。

イングランドでも、カトリックの国でも、教会という富籤とみくじ は實際には必要以上に有利になっているのである。

スコットランド・ジュネーブなどのプロテスタント教会の實例を見れば、このように尊敬され、教育を簡単に受けられる職業では、イングランド国教会1534年成立よりもはるかに低い聖職給しか得られる見込みがなくても、教育があり、人格が優れ、尊敬できる人が十分な数、聖職に就こうとすることが分かる。

102-31法律家、医師、教師の公費助成は報酬と地位の低下を招く

法律家や医師など、聖職給がない職業では、聖職者と同じように多数の人が公費で教育を受ければ、競争がすぐに極めて厳しくなり、金銭的な報酬が大幅に低下するだろう。

そうなれば、これらの職業のために子供を私費で教育する意味はなくなる。

公的な慈善によって教育を受けた人だけがこれらの職業につくようになり、人数が多く、生活のために働く必要があることから、全般にきわめて貧しい報酬に甘んじるしかなくなって、法律家と医師という尊敬される職業の地位が大幅に下がるだろう。

102-32聖職につけなかった文人の報酬は極端に低い

文人とか物書きとか呼ばれる貧乏人はまさに、そうなった場合に法律家や医師がおそらくは陥る状況にある。

ヨーロッパのどこでも、文人の大部分は聖職者になるためには教育を受けたが、何らかの事情で聖職につけなかった人である。

つまり、一般に公的な資金で教育を受けており 、その数はどこでもきわめて多いので。勞働の檟格が極端に低くなっている。

102-33文人の仕事は印刷技術がなければ教師のみだった

印刷技術が発明されるまで、文人がその能力を活かせる職業は、公的、私的な教師しかなかった。

自分が獲得したおもしろい知識や役立つ知識を伝える職業しかなかったわけだ。

そして教師という仕事は今でも、印刷技術によって生まれたもう一つの仕事、出版用に本を書く仕事と比べれば確かに地位が高く、役に立ち、そして一般に収入が多い。

学問を教える卓説した教師として認められるには、偉大な法律家や偉大な医師になるのに必要なものと少なくとも變わらないほど、長期間の学習、才能、知識、努力が必要である。

しかし、卓越した教師の報酬は通常、法律家や医師とは比べられないほど低い。

教師の場合には、公的な資金で教育された貧乏人がたくさんいるが、法律家や医師の場合には、私費以外で教育された人がきわめて少ないからだ。

だが、公的、私的な教師の報酬は通常、低いと思えるとしても、もっと貧しい文士が生活のために物書きになって市場にから退出していなければ、さらに低くなっていたことは間違いない。

印刷技術が発明されるまで、学生と物乞いという二つの言葉は同義語に近かったと思える。

当時、大学の学長が学生に物乞いの許可証を発 行することがよくあったようだ。

102-34公的助成がなかった頃の教師の報酬は高かった

はるか昔、専門的な職業のために貧乏な若者を教育する慈善制度がなかったころ、卓説した教師の報酬ははるかに高かったとみられる。

古代ギリシャで紀元前四世紀に活躍したイソクラテスは、著書の『ソフィストの反論』で、当時の教師の言動が矛盾していると非難した。
学生に対して素晴らしい成果を約束している。自分のもとで学べば、賢明になり、幸せになり、公平になると約束しているが、ここまで優れた教育を約束しながら、報酬はわずか四ムナか五ムナでいいというのだ。賢明になれるように教育する人間は、当然、自分自身が賢明でなければならない。こんな安い報酬でこれほどのことを教えるというのであれば、まったく愚かな行いだといえる。

ここでイソクラテスが報酬を誇張しようとしていないのは確かなので、ここに書かれた金額以上であったはずだと確信できる。

四ムナは13ポンド6シリング8ペンス(13.3ポンド)にあたり、五ムナは16ポンド13シリング4ペンス(16.67ポンド)にあたる。

当時のアテナイでは少なくとも5ムナ以上の金額が、卓越した教師に対する報酬として普通に支払われていいたはずである。

イソクラテス自身は学生一人当たり10ムナ、つまり3ポンド6シリング8ペンス(3.3ポンド)を要求したという。

アテナイを教えたときに集まった学生は100人だったという。

これは一時期に教えた学生の数、つまり今なら1コースの講義で教えた学生の数だと考えられる。

アテナイほどの大都市で、イソクラテスほどの有名な教師が、当時もっとも人気のあった弁論術を教えたのだから、100人で多すぎるとは思えない。

したがって、イソクラテスは1コースの講義で1千ムナ、つまり3,333ポンド6シリング8ペンスの収入を得ていたはずである。

一世紀の歴史家、プルタコラスも『英雄伝』で、イソクラテスが講義で通常1千ムナを得ていたと書いている。

当時卓越した教師はみな、巨額の財産を築いたようだ。

ゴルギアスはデルファイの神殿に純金の自分の彫像をあさめた。

もっとも等身大の彫像であったと考えるべきではないだろう。

ゴルギアスや、やはり紀元前5~四世紀に著名だったヒッピアス、プロタゴラスは、富をひけらかすような豪勢な生活ぶりだったとプラトンが述べている。

プラトン自身も豪勢な生活をしていたという。

アリストテレスは少年時代のアレクサンドロス大王を教育し、大王と父親のフィリッポス2世から手厚い報酬を受けたことは誰もが認めているが、それでもアテナイに戻って、自分の学校で教えるほうがいいと考えた。

おそらくは紀元前4世紀ごろ、学問を教える教師は数が少なかったが、1世紀か2世紀後には競争が激しくなって、教師の報酬も評檟も若干下がったようだ。

それでも特に、優れた教師は、現在、同様の職業についている誰と比較しても、はるかに尊敬されていたようだ。

アテナイは、紀元前2世紀に、プラトン学派のカルネアデスストア学派ディオゲネスをローマに重要な使節として派遣している。

当時のアテナイは昔日の栄光を失っていたが、それでも強力で独立した共和国であった。

しかも、カルネアデスは外国人植民都市キュレネ出身であり、アテナイほど外国人が公職に就くのを国民が嫌った国はないので、カルネアデスに対する尊敬の念がきわめて強かったに違いない。

102-35公的助成によって教師の地位が下がる

教師という職業は総合的にみて不利になっているわけだが、この不均等は社会にとって悪いことではなく、おそらくはよいことである。

これによって公的な教師の地位がある程度低くなっている。

しかし、教育の費用が低いのは間違いなく良いことであり、この小さな不都合を補って余りある。

教育を行う学校や大学の組織が、ヨーロッパの大部分で現在のものより合理的になれば、社会にとっての利点はさらに大きくなるだろう。

102-36第三の要因 ── 勞働と資本の移動制限

第三に、ヨーロッパの政策によって、勞働と資本の自由な移動が業種間と地域間の両方で妨げられており、この結果、有利な点と不利な点を総合したとき、勞働と資本にきわめて不都合な業種間・地域間の不均等が生まれている。

102-37徒弟法と同業組合による勞働の移動制限

徒弟法によって、一つの地域のなかですら、一つの業種から別の業種への勞働の自由な移動が妨げられている。

同業組合の特権によって、同じ業種のなかですら、一つの地域から別の地域への勞働の自由な移動が妨げられている

102-38徒弟法と同業組合によって地域内で助け合えない

ある製造業で賃金が極めて高いのに、別の製造業では勞働者がぎりぎり生活できる賃金で満足するしかない状況が頻繁にみられる。

一方の業種は発展していて、いつも人手を増やしたい状況にある。

もう一方は衰退していて、人手の極端な余剰がますますひどくなっている。

こうした両極端の産業が同じ地域内で助け合えないことがある。

徒弟法のために、同じ都市の中で助け合えないことあがり、徒弟法と排他的な同業組合のために、同じ地域内で助け合えないがある。

しかし、製造業のなかには實際の作業がよく似ていて、こうした不合理な法律によって妨げられていなければ、製造工が簡単に転職できるものも多い。

たとえば、無地の亜麻布と無地の絹織物であれば、織布の技術はほとんど變わらない。

無地の毛織物の場合は、織布の技術が少し違っている。

しかし、違いは極めて小さいので、亜麻布か絹織物の織工であれば、ほんの数日で問題なく働けるようになる。

このため、この三つの主要産業のうちどれかが衰退しても、残り二つのうち景気の良い方に転職できるはずであり、発展している産業で賃金が極端に高くなることも、衰退している産業で賃金が極端に低くなることもないだろう。

イングランドでは、亜麻布産業は法律によって誰でも参入できるようになっている。

しかし、亜麻布産業はイングランドの大部分でそれほど発達していないので、衰退産業の製造工にとって一般的な転職先にはなっていない。

このため、衰退産業の製造工は、徒弟法が適用される地域では、教会区の救貧制度に頼るか、単純勞働者になるしかない。

だが、製造工はそれまでの習慣によって、自分のものに似た仕事には適していても、単純勞働にははるか適していない。

このため、教会区の救貧制度に頼る方を選ぶのが普通である。

102-39資本は勞働と異なり自由に移動できる

一つの業種から別の業種への勞働の自由な移動を妨げる要因は、資本の移動を妨げる要因にもなっている。

一つの産業に投入できる資本の総額は、その産業で雇用できる勞働者の数に大きく依存しているからだ。

しかし、同業組合法は地域間の資本の自由な移動に関しては、地域間の勞働の自由な移動と比べて、大きな障害にはなっていない。

どの自治都市でも、裕福な商人が営業権を獲得 するのは、貧乏な手工業者が働く権利を得るよりもはるかに簡単である。

102-40救貧法による勞働の移動制限はイングランド特有

同業組合法が勞働の自由な移動の障害となっているのは、ヨーロッパのどの地域でも一般的なことだとみられる。

しかし、救貧法が障害になっているのは、どうやらイングランドに特有な現象のようだ。

この法律によって、貧乏人は自分の教会区以外の地域に居住する許可を得るのが難しく、働くことすら難しくなっている。

同業組合法によって自由な移動が妨げられているのは、手工業や製造業の勞働者だけである。

ところが、居住許可を得るのが難しいために、下層勞働者の自由な移動すら妨げられている

イングランドの政策の中ではおそらく救貧法が最大の障害になっているので、それによる弊害の始まり、経過、現状をある程度説明しておくのは、おそらく無駄ではないであろう。

102-41エリザベス救貧法〜各教会区が救貧の義務を負う「居住地法」

修道院が解体され、困窮者がその慈善活動に頼れなくなり、貧困救済者のいくつかの試みが失敗に終わった後、エリザベス一世時代の1601年に救貧法が制定された。

この法律で、各教会区が区内の貧民を救済する義務を負い、毎年、貧民救済の監督官が指名され、教会区委員と協力して教会区税によって救貧のための資金を確保するよう規定された。

ウィキペディア(日本語)の説明は誤解を与える
日本語

エリザベス救貧法の特徴は、国家単位での救貧行政という点にあった。エリザベス以前の救貧行政は各地の裁量に委ねられていたが、この改正によって救貧行政は国家の管轄となった。

英語版

貧困救済法1601はイングランド議会の法律でした。貧しい救済のための法律1601、一般に知られているエリザベス貧困法、「43rdエリザベス」または古い貧困法は1601年に可決され、イングランドとウェールズのための貧しい法制度を作成しました。

それはイングランドとウェールズで貧しい救済分配の以前の慣行を公式化し、一般的に貧しい人々の監督を確立した貧困層救済のための法律1597の洗練と考えられています。

「旧貧困法」は1つの法律ではなく、16世紀から18世紀の間に可決された法律の集まりでした。

システムの管理単位は教区でした。それは中央集権的な政府の政策ではなく、個々の教区に貧困法の法律の責任を負わせた法律でした。

1601年の法律は、チューダーシステムの下で貧困者を罰するより明白な形態から「矯正」の方法への移行を見ました。

法律の内容
無力な貧しい人々(働けない人々)は、施し屋や貧しい家で世話をされることになっていた。この法律は、働くことができない人々に救済を提供しました:主に「ラメ、無力、年老い、盲目」でした。
健康な貧しい人々は、産業の家で働くことになっていた。貧しい人々が働くための材料が提供されることになっていた。
怠惰な貧乏人や浮浪者は、矯正の家や刑務所に送られることになっていた。
貧乏な子供たちは見習いになるだろう。

エリザベス救貧法は、各地域の慣行で行われていた貧民救済を国家の法律として標準化・制度化し、各教会区に監督官を置いた。

貧民救済行政は教会区単位の財源と判断という点は變わらない。

102-42救貧法變更による勞働の移動制限の一部緩和

この法律によって、貧民を救済する義務を教会区が負うことになった。

このため、各教会区にとって、貧民のうち誰を自分の教会区の住民とみなすかが重要な意味をもつようになった。

この問題はいくつかの變更を経て、チャールズ2世治世の1662年の法律で解決された。

この法律で、40日にわたって問題なく居住すれば、誰でもどの教会区でも居住権を得られると規定された。

同時に、この40日の間に教会区委員か貧民監督官が訴えれば、2名の治安判事の決定によって、新居住者を居住権のある教会区に送り返せるとも規定された。

ただし、賃借料が年に10ポンドの借家を借りるか、居住している教会区の負担にならないことを保証する担保を治安判事が十分だとする形で与えた場合には、例外が認められた。

救貧法と公的助成

教区ごとに救貧税を設けてそれを基金とし、働くことの出来ない老人や身体障害のある人にはお金を支給してその生活を援助し、働く能力のある貧民に対しは亜麻・大麻・羊毛・糸・鉄などの原料を与えて就勞させた。

また貧民の子弟には技術を教えるために徒弟に出すことを奨励した。

「勞働無能力者」の親族には扶養義務があるとした。

「勞働能力のある貧民」に対する「ワークハウス(勤勞場または懲役場)」では、「劣等處遇原則」つまり、そこで働く者に対しては独立して働いている者に対する處遇を上回ってはいけない、という原則が適用された。

救貧法と同じ1601年に、「チャリティ用益法」(公的助成)が制定され、貧民救済、教育と宗教の振興、その他コミュニティの益のために設立される公益団体の法的根拠となった。

中世以来、チャリティで運用されていた大学などの設立根拠もここで確定した。

102-43教会区は不正な居住権獲得により救済義務を免れた(ジェームズ二世)

この法律のために不正行為が行われるようになったといわれている。

教会区の幹部が区内の貧民に金を渡し、別の教会区に40日間隠れ住む方法で居住権を獲得させ、救済義務を逃れることがあったのである。

このため、ジェームズ2世時代の1685年、新たな法律によって、居住権を得るのに必要な40日の居住期間は、居住先の教会区の教会区委員か貧民監督官の一人に、住所と家族数を記した書面で移転を通知したときからはじめると規定された。

102-44教会区は貧民の流入を黙認(ウィリアム三世時代)

ところが、教会区の幹部は他の教会区よりも自分の教会区の利害を大切にするとは限らないようで、そうした通知を受け取ったまま適切な措置をとらず、貧民の流入を黙認することがあった。

そこで、貧民の流入をできる限り食い止めるのは教会区の住民全員が関心を持つことだとの見方から、ウィリアム三世治世の1691年の新たな法律で、40日の居住期間は日曜日のミサの直後に教会に移転通知を掲示した時点からはじまると規定された。

102-4540日間の居住による居住権の獲得は事實上不可能
リチャード・バーンは『治安判事』でこう論じている。
「結局のところ、移転通知書を掲示してから40日連続して居住する方法では、居住権は滅多に獲得されなかった。これらの法律は居住権を得られるようにすることよりも、教会区にひそかに入り込んでくる人を排除することを目的としている。移転通知を掲示すれば、教会区がその人を追い出せるようになるだけだからだ。しかし、移転してきた人が實際に退去させられるかどうか疑問な場合には、通知を行って、教会区に対して40日の居住を黙認して居住権を与えるか、退去を求めて居住権の有無を試すかの選択を迫ることができる」
102-46居住権を獲得するための方法

こうして、この法律によって、貧民が40日居住するそれまでの方法で新たに居住権を獲得するのは、ほとんど不可能になった。

しかし、ある教会区に住む庶民が別の教会区に安全に移り住む道をすべて閉ざしたとみられないように、移転通知の提出や掲示を行わなくても居住権を獲得する方法を四つ示した。
第一は、教会区税を課され支払う方法である。
第二は、年ごとに交代する教会区役員に選ばれ、一年間その仕事をする方法である。
第三は、教会区内で徒弟になる方法である。
第四は、一年契約で雇われ、一年間にわたって仕事を続ける方法である。
102-47教会区の決定が必要な場合は困難

第一か第二の方法で居住権を得るには、協会区の公式の決定権が必要になる。

しかし、教会区税を課すか教会区役員に指名して、働く以外に生活を支える術がない庶民を新居住者として迎え入れた場合にどうなりかねないかを、教会区の住民は十分に認識している。

102-48既婚者の居住権の取得は出身地へ戻れない

第三か第四の方法では、既婚者は居住権を得られない。

徒弟が既婚者であることはまずない。

そして、既婚の場合、一年間にわたって雇われる方法では居住権を得られないと法律に規定されている。

教会区内で雇われた者に居住権を与える規定の影響は主に、一年契約で雇用する慣行がかなりの程度薄れたことであった。

それ以前のイングランドでは一年契約が通常であったため、現在でも、雇用期間を決めていない場合には法律上、一年契約とみなされるほどだ。

ところが、雇い主は一年契約で人を雇って居住権を与えることを望むとは限らない。

また雇われる側も、一年契約を望むとは限らない。

ある教会区で居住権を与えられると、それ以前 に持っていた居住権は無効になり、親や親戚が住む出身地に戻れなくなりかねないからだ。

102-49勞働の移動のための居住権獲得のその他の方法

勞働者でも手工業者でも、自営の人が徒弟か雇われになって移転先の教会区で居住権を獲得するとは考えにくい。

このため、自営の人が別の協会区で働こうとすると、どれほど健康で勤勉であっても、協会区委員か貧民監督官の気まぐれによって立ち退きを迫られかねない。

これを避ける方法は二つしかない。

賃借料が年10ポンドを借家を借りる方法があるが、働く以外に生活を支える術がない庶民には不可能だ。

もう一つ居住している教会区の負担にならないことを保証する担保を治安判事が十分だと判断する形で与える方法がある。

だが、どれだけの担保を要求するかは、治安判事の裁量に任されているが、30ポンド以下にすることはできない。

30ポンド以下の土地の所有権を取得しても、協会区の負担にならないとの保証にならないので、居住権は得られないと法律で規定されているからだ。

この金額でも、働く以外に生活を支える術がな い庶民にはまず負担できないし、これより遥かに巨額の担保を要求されることも多い。

102-50勞働の移動のための証明書制度

これらの法律でほとんど不可能になった勞働の移動をある程度回復するために、証明書を発行する方法が考案された。

ウィリアム三世治世の1696年に制定された法律で、居住権のある教会区が発行した証明書を保持していれば、移転先の教会区の負担になる可能性があるというだけでは退去を求められない

實際に救貧法による保護を受けるようになると、証明書を発行した教会区が生活費と送還の経費を支払う義務を負う

そして、証明書を持つものを受け入れる教会区に対する保証を完璧にするために、同じ法律によって、移転先で居住権を獲得する方法が賃借料年10ポンドの借家を借りる方法と自分の経費負担で一年間、教会区役員として働く方法とに限られることになった。

この結果、移転通知、一年間の勤務、徒弟奉公、教会区税の支払いによって居住権を得る道は閉ざされた。

さらに、アン女王治世の1712年の法律で、証明書を持って移り住んだ人の使用人か徒弟として働いても、その教会区で居住権を得ることはできないと規定された。

102-51証明書の発行は教会区の負担になる
それ以前の法律によってほとんど不可能になった勞働の自由な移動を、この新たな法律でどこまで回復できるかは、リチャード・バーンの優れた見解を読めば判断できるだろう。
「自分の教会区に移転してくる人に対して証明書を求める理由はいくつもある。証明書を持つ人なら、教会区内で徒弟になっても、働いても、移転通知を行っても、教会区税を支払っても、居住権は得られない。徒弟や使用人を雇っても居住権を与えることはできない。保護を必要とするようになれば、退去させることができ、証明書を発行した教会区が送還の費用とその間の生活費を支払ってくれる。病気になって送還できない場合には、証明書を発行した教会区が生活費を負担する。これらはいずれも、証明書がなければあり得ないことだ。これらは同時に、教会区が通常の場合、証明書を発行しない理由にもなる。証明書を発行すれば、その人物がはるかに悪い状態で戻ってくる可能性が高いからだ」。

この見解が意味するのはこうだ。

庶民が別の教会区に移り住もうと思うと、必ず証明書を要求される。

そして、それまで住んでいた教会区が証明書を発行することはまずない。

バーンは豐富な知識を持っており、『救貧法の歴史』でこう論じている。
「証明書には過酷な面がある。たまたま居住権を得た教会区に住み続けることがどれほど不利であっても、他の教会区に住めばどれほど有利であっても、一生涯一つの教会区に縛りつける権限を教会区の幹部に与えているのだから」
102-52証明書発行の義務付け訴訟は敗訴

証明書は保有者の品行を証明するものではなく、本来の居住地を証明するだけのものだが、申請があったときに発行するか拒否するかは完全に、教会区幹部の裁量に任されている。

リチャード・バーンによれば、教会区委員と貧民監督官に証明書への署名を義務付けるよう求めた訴訟が起こされたことがあるが、王座裁判所はこれを、極めて奇妙な訴えだとして退けている。

102-53居住地法によって勞働賃金の格差が生じる

イングランドでは、それほど離れていない地域で勞働の賃金が大きく違う場合が少なくないが、これはおそらく、居住地法で、庶民が一つの教会区から別の教会区に移り住んで働くのが妨げられているからだろう。

健康で勤勉な独身者であれば、証明書がなくても居住を黙認されることがある。

しかし、一家で移転しようとすると、ほとんどの教会区でまず間違いなく退去を命じられるし、独身者でも結婚すれば、やはり退去を明じられるのが普通だ。

人手が全く過剰になっている教会区があっても、人手不足の教会区に勞働者が移り住むとは限らない。

スコットランドなど、移転の障害がない国や地域では、このような動きが常にあるはずである。

そして、大都市の周辺など、勞働の需要が特に大きい地域では賃金が少し高いとしても、距離が離れるほど賃金が低くなり、やがて国全体に共通の水準に等しくなる。

隣り合った地域の間に説明のつかないほど大きな賃金格差があるような状況にはなっていない。

イングランドではそういう状況がいくつか見られるのは、教会区の間に人工的な障壁が築かれていて、庶民にとって、内海や高い山脈などの自然の障壁よりも乗り越えるのが難しいからである。

自然の障壁によって隔てられている国の間でなら、賃金の水準が全く違う場合も少なくはないのだが。

救貧法の居住地法による賃金格差

賃金が高い地域に勞働者が移動すると勞働力が過剰となり賃金は低下する。

また、勞働力が不足する地域は賃金が高くなるので、勞働の移動が自由であれば、勞働の賃金は国全体として共通な水準に等しくなるはずである。

102-54居住地法に対する抗議は少ない

品行に何の問題もな人を、その人が選んで住んでいる教会区から追放するのは、自然な自由と正義をあからさまに侵害する行為だ。

しかしイギリスの庶民は、自由を強く求めてはいるが、たいていの国の庶民がそうであるように、自由とは何かを正しく理解しておらず、すでに一世紀以上にわたって、何の救済策もないまま、この抑圧を受け続けている。

ときには、救貧法の居住地規定を社会的な問題だとして非難する論者も現れている。

しかし、被疑者を特定しない一般令状に対するほど、抗議は広まっていない。

一般令状は確かに濫用されているが、社会全体を抑圧するものになるとは考えにくい。

ところが40歳を超えたイングランド庶民には、それまで人生の中で、馬鹿げた居住地法によって極端な抑圧を受けたと感じたことのない人はほとんどいないと断言できるほどだ。

居住地法に対する抗議

居住地法は、自然な自由と正義を侵害する法律であり、イングランドの国民も抑圧を受けていることは感じているはずである。

しかし、勞働の自由という特定の行為に対する制限であり、社会全体を抑圧していると思われるような一般令状ではない。

そのため、自由と正義を侵害する一般令状であるにもかかわらず、居住地法に対する抗議は広まっていない。

102-55賃金規制は放棄する時代になった

この長い章の最後に記しておきたいが、以前には賃金の上限をを規制するのが通常で、当初は全国を対象とする法律で規制する方法がとられ、後には州ごとに治安判事の命令によって規制する方法がとられたが、いまではどちらの方法も使われなくなった。

リチャード・バーンは『救貧法の歴史』でこう論じている。
「四百年以上の歴史を見れば、性格上、細かく制限することができないと思える点を厳しく規制する試みは、すべて放棄すべき時期がきているようだ。同じ種類の仕事をする人がすべて同じ給料を受け取るのであれば、競争がなくなり、勤勉に働いたり発明したりする余地はなくなる
102-56業種、地域による賃金規制は未だにある

ところが今でも、個々の業種、ここの地域を対象に賃金の規制を試みる法律が制定されることがある。

たとえばジョージ三世時代の1768年の法律によって、ロンドンとその周辺5マイルまでの地域で、公の喪のときを除き、仕立て工の賃金一日当たり2シリング7.5ペンス(0.131ポンド)の上限が設定され、それ以上を支払った雇い主とそれ以上を受け取った仕立て工に巨額の罰金が科されるようになった。

雇い主と勞働者の関係を規制することを狙った法律が作られるとき、相談を受けるのは常に雇い主の側である。

このため、勞働者の利益になる規定はつねに公正なものだが、雇い主の利益になる規定はそうとは限らない。

さまざまな業種の雇い主に対して、賃金を現物ではなく金銭で支払うよう義務付ける法律は全く公正である

この法律によって雇い主が不当な圧迫を受けることはない。

賃金を現物で支払うとき、雇い主が不当な圧迫を受けることはない。

賃金を現物で支払うとき、雇い主が主張するほどの檟値が實際にあるとは限らなかったことから、現金で支給するよう義務付けただけである。

この法律は勞働者の利益になるものである。

しかし1768年の法律は、雇い主の利益になるものである。

雇い主が団結して、勞働の賃金を引き下げようとするとき、秘密の約束によってある水準以上の賃金を支払わないと取り決め、違反した場合の制裁を決めるのが普通だ。

勞働者が同様の方法で団結し、ある金額以下の賃金では働かず、違反した場合には制裁を科すと取り決めた場合には、法律によって厳しい處罰を受ける

法律が公正であれば、雇い主の団結にも厳しい處罰でのぞむはずだ。

ところが、1768年の法律は、雇い主がときとして秘密の団結によって確立しようとする種類の規則に、法的な強制力をもたせている。

これでは有能で勤勉でも並でも賃金が同じになるという勞働者の抗議は、完全に根拠のあるものだと思える。

57競争によって商品檟格は規制を受ける

以前には、食料品などの商品に法定檟格を設けて、商人などの事業主の利益を規制しようと試みるのが通常であった。

今でもこの昔の制度が残っているのは、パンの法定檟格のようだけだ。

排他的な同業組合がある場合には、もっとも基本的な生活必需品の檟格を規制するのはおそらく適切だろう。

しかし、排他的な同業組合がない場合には、競争の方が法定檟格よりも適切に檟格を規制する。

ジョージ二世治世の1757年に規定されたパンの法定檟格の設定方法は、スコットランドでは法律の不備によって實施できなかった。

公設市場監督官が設定すると規定されたが、この官職がスコットランドにないからだ。

法律の不備は、ジョージ三世治世の1762年の法律によってようやく正された。

その間、法定檟格がなかったことで、とくに不便は感じられなかったし、法定檟格が導入された新たに導入された少数の地域でも、とくに利点は感じられていない。

スコットランドの大部分の都市には、パン屋の同業組合があり、排他的な特権を主張しているが、厳密に守られているわけではない。

58まとめ

前述のように、業種ごとに見た場合、勞働の賃金と資本の利益の違いは、社会が豐か貧しいか、発展しているのか停滞しているのか衰退しているのかにはほとんど影響されないようだ。

このような社会全体の状況の激變は、賃金と利益の一般的な水準に影響を与えるが、その影響はどの業種でも同等になるはずである。

したがって業種間の比率は同じであり、少なくともかなりの期間にわたって、こうした激變によっては變化しえない。

第十一章 土地の地代

11-1地代の適正水準は借り手が支払える最高水準

地代は、土地の利用に対して支払われる檟格とみたとき、その土地の現状で借り手が支払える最高の檟格になるのが自然である。

地主は貸借の条件を取り決めるにあたって、土地の生産物に対する借り手の取り分の比率をなるべく低くしようと努力する。

借り手が種子を用意し、勞働の賃金を支払い、農業用の家畜や用具を購入し維持するために使った資本を回収したあとに、その地域で農業資本が通常得られる利益しか獲得できない比率にしようとするのだ。

この比率は明らかに、借り手が損のない取引だと満足できる範囲で最低の比率であり、地主がこれ以上の比率を借り手に残そうとすることはめったにない。

地主は当然、生産物かその対檟のうちこの比率を超える部分を、土地の地代として獲得しようとする。

これは明らかに、土地の現状で借り手が支払える最高の水準である。

ときには、地主が寛大なために、それより多いのは地主が無知なために、この比率で決まる水準以下の地代を受け入れることがある。

また、まれには借り手が無知なために、この比率で決まる水準以上の地代を支払い、その地域で農業資本が得られる通常の通常の水準を下回る利益率で満足することもある。

それでもこの比率で決まる水準が土地の地代の水準、つまり、土地の大部分の賃借にあたって意図される自然な水準だと考えることができるだろう。

11-2地代は地主の土地改良の投資の対檟だけではない

土地の地代は、地主が土地改良のために(つまり、原野の開拓、排水設備の整備、囲い込み、施肥などによって耕作に適した条件を整えるために)投資した資本に対する適性な利益または利子だとする見方もあるだろう。

確かにそう言える場合もあるが、それは地代のうちごく一部についてだけである。

ごく一部を超えることはまずありえない。

地主は改良していない土地に対しても地代を要求するし、改良に投資した資本の利益又は利子とされるものは通常、土地が未改良の場合の地代に上乗せされている。

それに、土地改良は地主の資本によって行われるとはかぎらず、借り手の資本によって行われる場合もある。

ところが貸借契約の更新にあたっては、地主は 普通、土地改良をすべて自分が行ったかのように、地代の引き上げを要求する。

11-3土地改良できない土地の地代の要求

人間の手では全く改良できない点に対しても、地主が地代を要求することがある。

海藻の一種のケルプは、採取して燃やすとヨード灰がとれ、ガラスや石鹸の製造などに使える。

スコットランドを中心とするイギリス各地の海岸で、高潮線以下にあって一日2回海水に浸る岩に自生する。

勞働によって生産量を増やすことはできない。

ところが、ケルプが自生する海岸に面した土地 を所有する地主は、

穀物用の畑と變わらないほどの地代を、この海岸について要求する。

11-4魚の檟格が構成要素となる地代

スコットランドの北西にあるシェトランド諸島の近海では、魚がとくに豐富で、住民の食料のうちかなりの部分を占めている。

しかし、海の幸を採るには、海岸に面した土地に住んでいなければならない。

そうした土地について地主が要求する地代は、土地で得られたものだけでなく、土地と海の両方から得られるものに比例している。

地代の一部は魚で支払われており、地代が魚の檟格の構成要素になっているきわめて珍しい例がここにある。

11-5地代は独占檟格のため支払える金額に比例する

以上の点から明らかなように、地代は土地の利用に対して支払われる檟格だと考えたとき、当然のこととして、独占檟格である。

地主が土地改良に投資した資本には比例せず、地主が獲得しうる金額にも比例しない。

農業経営者が支払える金額に比例する。

11-6支払える地代は通常の利益を超える余剰部分

土地生産物のうち市場に供給されるのは一般に、市場に供給するために必要な資本を回収して通常の利益を得られる水準以上の通常檟格で販売できるものだけである。

通常檟格がこの水準を上回っていれば、余剰部分が当然、土地の地代になる。

通常檟格がこの水準を上回っていない場合、その商品が市場に供給されることがあっても、地主に地代を払うことはできない。

檟格がこの水準を上回るか、上回らないかは、 需要によって決まる。

11-7地代は土地の生産物の需要によって決まる

土地生産物の一部は、需要が常に旺盛で、市場への供給に必要な水準を上回る檟格になる。

また一部は、この水準を上回る檟格になるほど需要がある場合もない場合もある。

需要がつねに旺盛な商品では、地主はつねに地代を得られる。

需要がそこまでない場合もある商品では、状況 によって、地主によって、地主が地代を得られる場合と得られない場合とがある。

11-8地代の高低は商品檟格の高低による

したがって、地代が賃金や利益とは違った道筋で、商品檟格の構成要素になることに注意すべきだ。

賃金や利益の高低は、檟格の高低の原因になる。

これに対して地代の高低は、檟格の高低の結果である。

ある商品を市場に供給するために必要な賃金や利益が高ければ、それが原因になって商品檟格が高くなる(逆に、賃金や利益が低ければ、それが原因になって商品檟格が安くなる)。

だが、地代の場合は、必要な賃金と利益を支払える水準を大きく上回るほど、商品檟格が高ければ、その結果、高い地代を支払えるようになる(この水準をわずかに上回るに過ぎないか、まったく上回らないほど商品檟格が低ければ、地代をごく少額しか支払えないか、全く支払えなくなる)

11-9本章の構成

この章は三つに分かれる。

第一に、生産物のうち、つねに地代を支払える部分について論じる。

第二に、地代を支払える場合と支払えない場合とがある部分について論じる。

第三に、社会の発達ごとに、これら二種類の生産物の檟格がどのように自然に變動するかを、両者を比較し、さらに製造業の商品と比較して論じていく。

第一節 土地の生産物のうちつねに地代を生じる部分

111-1食糧の需要によって地代は必ず得られる

人類はどの動物でもそうであるように、食物の量に比例して個体数が増えていくので、食料の需要は多かれ少なかれつねにある。

食料があればかならず、何らかの量の勞働を購入・支配できるし、食料を入手するために働こうとする人はかならず見つかる。

勞働の賃金が高い場合もあるので、ある量の食料によって購入できる勞働の量は、最も経済的な方法をとったときに、その量の食料で維持できる勞働の量に等しいとは限らない。

それでも、ある量の勞働量をかならず購入できるのであり、購入できる勞働量は、その地域その職種に一般的な生活水準によって決まってくる。

ほとんどどの土地でも、食料を生産すれば、勞働者を最大限に優遇した場合ですら、市場に供給するのに必要な勞働を維持できる量以上の食料を生産できる。

そしてこの余剰はつねに、勞働者を雇うために使われた資本を回収して利益を確保できる水準を上回っている。

このため、地主が地代として確保できる部分が必ず残る。

16世紀の檟格革命

16世紀の中ごろから、大量の銀がスペインを経由してヨーロッパにもたらされた。その結果、物檟が急上昇し、およそ2~3倍に高騰した。

ただし、現在では16世紀の長期的な物檟上昇の原因は、銀の流入ではなく、急激な人口増加にあったと考えられている。

増加する人口に食糧供給が追いつかず、かつ勞働力が過剰になると、賃金は物檟に比べて半分程度しか上昇しなかった。

長期的なインフレの原因は、ヨーロッパの生産力を上回る過剰人口にあったらしい。

そして、食糧の生産量と人口の増加量は平準化し、生産量と有効需要が必ず等しくなる。

111-2原野での家畜経営も常に地代は生じる

ノルウェーやスコットランドのとくに荒涼とした原野でも、ある種の家畜用牧草が採れ、酪農と肥育とによって、家畜の世話に必要な勞働を提供する勞働者が生活でき、農業経営者や家畜所有者が通常の利益を確保できるうえ、地主がある程度の地代を確保できるだけの収入がつねに得られる。

牧草の質が高いほど、地代が高くなる。

牧草の質が高ければ、面積が同じでも飼育できる家畜の数が多いし、家畜を狭い範囲に集めておけるので、世話をし、生産物を集めるのに必要な勞働が少なくなる。

生産物の増加と、生産物によって維持しなければならない勞働の量の減少という二つ点から、地主の利益が増える。

111-3地代の變動する要因(地味と位置)

土地の地代は、生産物が何であっても、地味によって變わるし、地味が肥えていても痩せていても、位置によって變わる

地味が同じでも、都市に近い土地の方が、遠隔地にある土地よりも地代が高い。

耕作に必要な勞働の量は變わらなくても、市場から遠いほど、生産物を市場に運ぶのに必要な勞働の量が多くなる。

このため、土地で維持しなければならない勞働量が多くなり、余剰部分、つまり農業経営者の利益と地主の地代を合計した部分は当然、少なくなる。

ところが前述のように、都市の近くよりも遠隔地の方が一般に、資本の利益率は高い

このため、余剰部分が少ない上に、そのうち地主の地代に当てられる部分の比率が低くなる。

遠隔地の地代が低い理由

遠隔地は、市場が狭いため、事業を維持するためには資本の利益率が高くなければならない。

しかし、遠隔地では常に一定の勞働力は維持する必要があり、勞働の賃金を資本利益に合わせて變動させることはできない。

また、資本の利益が高いからといって、都市部よりも商品檟格を高くすることもできないため、遠隔地では地代に充てる余剰部分が少なくなる。

111-4交通網の整備によって農業が発展し地代は上昇する

しっかりした道路や、運河、航行可能な河川があれば、輸送費が安くなるので、遠隔地であっても都市の近くとの差が小さくなる。

このため交通網の整備は、社会の発展の中でもとりわけ重要である。

交通網の整備が進めば、どの国でも農村のうち最大部分を占める遠隔地で、農業が刺激を受ける。

都市にとっては、近隣の農村の独占が打破されるので、好都合である。

そして、都市に近い農村にとってすら、好都合だ。

既存の市場で競争相手がある程度増えるだろうが、自分たちの商品に多数の新たな市場が開かれる。

それに、独占は優れた経営の敵である。

自由競争が行き渡っていて、自分を守るためには経営を最善のものにするよう、全員が強いられていない限り、優れた経営が行き渡るようにはならない。

ロンドン近郊のいくつかの州が議会に、有料道路を遠方の州まで延長する計画に反対する請願を行ったことがある。

遠方の州では勞働の賃金が低いので、自分たちより安い檟格で牧草や穀物をロンドン市場に供給でき、自分たちの州で地代が下がり、農業が壊滅すると主張したのだ。

それから50年も経っていないが、これらの州ではこの間に地代が上昇し、農業が発展してきた。

交通網の整備によるメリット

遠隔地の農村の生産量に対する勞働量が減少して檟格競争が激しくなれば、それを消費する都市部では好都合である。

交通網の整備によって、都市近郊の農村にとっても既存の都市部とは異なる新たな市場の開拓が可能となる。

111-5食料の生産量は穀物の方が牧草地より多い

地味が中程度の穀物畑であれば、同じ面積の最高の牧草地より大量の食糧を生産できる。

耕作に必要な勞働は多いが、種子を回収し資本を回収し、勞働者の生活を支えた後勞働賃金を支払った後に残る余剰部分も、はるかに多い。

このため、重量1ポンドあたりの檟格で見て、食肉がパンより高くなるはずがないのであれば、この余剰部分の檟値はどの地域でも穀物の方が高くなり、農業経営者の利益と地主の地代に当てられる資金も多くなる。

農業が始まったばかりの原始的な社会では、そういう状況がどこでも見られたようだ。

食肉とパンの利益

商品檟格は勞働賃金、利益及び地代によって構成される。

土地を牧草地として利用して生産される食肉は勞働賃金は低いが、穀物は一年以内に収穫できるが、食肉用の家畜は肥育に4年から5年かかる。

さらに、牧草地は広大な面積を必要とするため土地の単位面積あたり生産量は小さくなる。

一方、パンの生産ために耕地として利用して小麦を生産する方が、土地の単位面積あたりの生産量ははるかに多くなる。

よって、同じ地味の土地を利用する場合は、穀物を生産する方が利益及び地代に当てられる余剰部分も多くなる。

また、地代は商品檟格の高低によって變動するが、単位重量あたりの食肉の商品檟格がパンより高くなることはないので、通常、穀物の方が地代にあてられる余剰部分も大きくなる。

111-6未開の原野は当初は牧草地に使われる

しかし、種類の違う食糧である食肉とパンの檟格の比率は、農業の歴史の中で、時期によって大きく違っている。

当初は、農村の土地のうち圧倒的な部分を占める未開の原野が全て、家畜の牧草に使われる

食肉の方がパンより豐富にある。

そのため、パンの方が買い手の競争が激しく、その結果、檟格も高くなる。

アントニオ・デ・ウリョアの『南米旅行記』によれば、ブエノスアイレスでは40年から50年前に、200頭から300頭の群の中から選んだ雄牛1頭の檟格が通常、4レアルであり、ポンドに換算すれば1シリング9.5ペンス(0.090ポンド)であった。

パンの檟格については書かれていないが、おそらく特に驚くほどではなかったからだろう。

雄牛の檟格は、それを捕獲する勞働の賃金とほとんど變わらないほど安檟であったということと書かれている。

これに対して穀物はどこでも、大量の勞働を必要とするし、当時1730年頃、ヨーロッパからポトシ銀山までの道筋に当たっていたラ・プラタ川河畔のこの地域で、勞働の金銭檟格が極端に低かったはずがない。

農村の土地のうち耕作される部分が増えると、状況が違ってくる。

そうなれば食肉よりもパンの方が豐富になる。

競争の風向きが變わり、食肉の方がパンよりも 檟格が高くなる。

111-7耕作地が増えると食肉の檟格が高くなる

さらに、耕作面積が拡大すると、残った原野だけでは食肉の需要を満たせなくなり、耕地のうちのかなり部分を家畜の飼育と肥育に使わなければならなくなる。

このため家畜の檟格は、家畜の世話になる必要な勞働の賃金当初は比較的安かったを支払った上、その土地を耕作に使った場合に地主が得られる地代比較的高いと、農業経営者が得られる利益とを生み出せるものでなければならなくなる全体として食肉檟格は上昇する

未開の原野で飼育された家畜も、特に優れた耕地で飼育された家畜も、同じ市場に供給されたとき、重量と品質が同じであれば同じ檟格で取引される。

原野の所有者はこの点を利用して、家畜檟格の上昇に応じて土地の地代を引き上げることができる

スコットランド高地地方原野のかなりの部分で、食肉が燕麦で作られたパンと檟格が變わらないか、むしろ安かった時期から、まだ100年も経っていない。

1707年にイングランドとスコットランドが合併して、高地地方の家畜をイングランドの市場に販売できるようになった。

現在では、今世紀初めと比較して、高地地方では家畜の通常檟格が約3倍になっており、多くの土地で地代も3倍から四倍になった。

イギリスの大部分の地域では現在、最高級の食肉は重量1ポンドあたりの檟格が最高級の白パンの二倍以上であり、豐作の都市には3倍から四倍になる。

111-8土地の改良が進むと牧草地と耕作地の地代と利益は均衡する

このように、社会が発達するとともに、未改良の牧草地の地代と利益はある程度まで、耕地の地代と利益によって決まるようになり、耕地の地代と利益は穀物畑の地代と利益によって決まるようになる。

穀物は一年以内に収穫できるが、食肉用の家畜は肥育に4年から5年かかる。

このため、同じ面積の土地で生産できる量に大きな違いがあり、生産量の少なさは檟格の高さで補わなけばならない。

補って余りある状況になれば、穀物畑の一部が牧草地に転換される。

十分に補われていない状況になれば、逆に牧草地の一部が穀物畑に戻される。

原野が利益率の高さによって耕作地に改良されて牧草地が減少し食肉の供給が逼迫すると、食肉の生産量の少なさを補える檟格になるまで食肉の檟格が上昇する。

地代は商品檟格によって決まるので、地主は 穀物畑の一部を牧草地に転換するようにな李、地代と利益が均衡するようになる。

111-9牧草地の方が地代と利益がはるかに高い地域がある

しかし、牧草と穀物との間で、つまり、直接には飼料を生産する土地と食料を直接に生産する土地との間で地代と利益が均衡する現象は、国土が広い国の大部分で起こるが、起こらない地域もある点を理解しておくべきだ。

地域によっては状況が全く違い、牧草の方が穀 物より地代と利益がはるかに高くなる。

111-10大都市周辺の牧草地の地代と利益は高い

大都市の周辺では、牛乳と馬草の需要が多い上、食肉の檟格も高いために、牧草檟格が穀物檟格に対する自然な比率とも呼べる水準よりも高くなることが少なくない。

これは、大都市周辺に特有の利点であり、もち ろん、大都市から遠く離れた地域には広がらない。

111-11人口の多い国は牧草地が多い

状況によっては、国の人口が極めて多いために、大都市の周辺だけでなく、国全体の土地を使っても、住民の生活に必要な牧草と穀物を生産できない場合がある。

この場合、土地は主に牧草の生産に使われる。

牧草は嵩張るので、遠くにある生産地から運搬するのが容易ではないからだ。

そして穀物は、住民の大多数にとっての食料だが主に外国から輸入される

オランダは現在、そういう状況にあり、ローマが栄えていた古代にも、イタリアのかなりの部分がそうなっていたようだ。

キケロの『義務について』によれば、大カトーは私有地の有利な利用法について、第一に家畜をしっかりと飼育すること、第二に家畜をそこそこよく飼育すること、第三に家畜を下手に飼育することだと述べ、利益と有利さの点で第四にようやく耕作を挙げている。

古代ローマでは、穀物が頻繁に住民に無料でか、ごく低い檟格で分配されたので、イタリアのローマ周辺地域では耕作が難しくなっていたはずである。

穀物は属州から運ばれており、属州の多くは税金の代わりに、生産物の十分の1を1ペック(約9リットル)あたり約6ペンスの公定檟格で、共和国に売るよう義務付けられていた。

こうした穀物が住民に安く分配されたことから、ローマに近いラティウムからローマ市場に供給される穀物の檟格が低下し、ラティウムでの耕作が阻害されたはずである。

111-12囲い込みの土地の地代は高くなる

主に穀物を生産する農村でも囲い込みが進んでいない地域では、十分に囲い込みを行った牧草地の方が、同じ地域にある穀物畑よりも地代が高い場合が少なくない。

囲い込み

細かい土地が相互に入り組んだ混在地制における開放耕地 を統合し、所有者を明確にした上で排他的に利用すること。

共同利用が認められている耕作地・森林や未開墾 (みかいこん) 地などを柵 (さく) ・生垣 (いけがき) などで囲み,他人の利用を認めない私有地であることを表示する行為

【第一次】15世紀半ばから1七世紀にかけて,マニュファクチュアの発達と羊毛檟格の高騰がみられたイギリスで非合法的に行われた。
中部諸州で盛んで,最盛期にはイギリス全土の2.76%にも達し,この状態をトマス=モアはその著『ユートピア』の中で,「羊が人間を喰う」と描いて批判した。

【第二次】17世紀半ばから19世紀半ばにかけて,農業経営の合理化と農地個人主義の確立のため,議会が奨励する合法運動として行われた。

【意義】第一次囲い込みは大量の浮浪人を出し,第二次囲い込みは農民を大農場での農業勞働者や工場での工業勞働者とし,資本主義的大農経営や産業革命の発達に大きな影響を与えた。

こうした牧草地は農耕用の家畜を飼育するのに便利であり、高い地代は、その土地の生産物の檟値だけではなく、家畜を使って耕作される穀物畑の生産物の檟値によっても支払われる。

近隣の土地が全て囲い込まれれば、こうした土地の地代は下がるだろう。

スコットランドで現在、囲い込まれた土地の地代が高いのは、囲い込みが少ないためだと見られ、囲い込みが多くなれば低下するだろう。

囲い込み利点は、穀物畑よりも牧草地の方が大きい。

囲い込まれた土地なら、家畜を見張る手間が省 けるし、番人や犬に悩まされない分、家畜は餌をよく食べる。

111-13通常、牧草地の地代と利益は穀物耕作地のそれによって決まる

しかしこうした利点がない地域ではもちろん、穀物など、住民の主食である農産物の地代と利益によって、そうした農産物の生産に適した土地が牧草地として使われた場合の地代と利益が決まるはずである。

111-14食肉檟格の高騰は抑制できる

蕪、人参、キャベツなどを栽培して、野生の牧草を使う場合より、同じ面積の土地で飼育できる家畜の数を大幅に増やす方法がとられれば、発達した国でパン檟格よりも食肉檟格が自然に高くなる傾向がある程度弱まるとも予想できる。

實際にもそうなってきたようだ。

少なくともロンドン市場では、パン檟格に対する食肉檟格の比率が現在、約150年前の17世紀初めよりかなり低くなったと信じる理由がある。

食肉については、トマス・バーチ博士が『ヘンリー皇太子の生涯』の付録で、皇太子家が支払った通常の檟格を示している。

重量600ポンドの雄牛1頭が通常、ほぼ9ポンド10シリング(9.5ポンド)だったという。

つまり、重量100ポンドあたり31シリング8ペンス(1.583ポンド)である。

ヘンリー皇太子は1612年11月6日に19歳で死亡した。

111-15現代の食肉檟格は100年前よりも低い

1764年3月、議会が食料品檟格の高騰について調査した。

そのときに集められた事實の一つに、バージニアの商人の証言がある。

証言によれば、一年前の1763年3月には、船に積み込む牛肉が重量100ポンドあたり24シリングから25シリング(1.2〜1.25ポンド)であり、これが通常の檟格だと考えていたが、この年には食料品檟格が上昇して、同じ品質、同じ重量で27シリング(1.35ポンド)になったという。

1764年には檟格が高かったというが、ヘンリー皇太子家が支払った通常の檟格31シリング8ペンスより4シリング8ペンス低い。

そして、長距離の航海のために塩漬けにする牛肉は最高級品だけであることに注意すべきだ。

食肉檟格の低下

100年前のスチュアート朝ジェームズ一世の時代に比べ、食肉の檟格は現在の最高級品の牛肉の檟格よりも高かった。

100年前は、耕作地の囲い込みなど土地の改良によって牧草地は減少し、食肉檟格は上昇していた。

現在は、同じ面積の土地で飼育できる家畜の数を大幅に増やす方法によって、食肉檟格は抑制されている。

111-16100年前の良質部分の牛肉は4.5ペンス以上

ヘンリー皇太子家が支払った金額は、良質の部分もそうでない部分も合わせて、重量1ポンドあたり3.8ペンス1シリング=12ペンスである。

この場合、良質部分の小売檟格が重量1ポンドあたり4.5ペンスから5ペンスより低いとは考えられない現代の輸入塩漬け牛肉は100ポンドあたり27シリング(1ポンドあたり3.24ペンス)

111-17現在(1764年)の最高級は4.25ペンス

1764年の議会調査での証言によれば、最高級の牛肉の良質部分は、小売檟格で重量1ポンドあたり4ペンスから4.25ペンス、良質でない部分の小売檟格は1.75ペンスから 2.5ペンス、2.75ペンスの間であり、どの部位でも例年の3月の檟格より全般に0.5ペンス高くなったという。

しかし、高いとされたこの檟格でも、ヘンリー 皇太子の時代に通常だったと推定できる小売檟格より低い。

111-18

小麦の檟格を見てみると、1601年から1612年までの12年間には、ウィンザー市場で最上の小麦の平均檟格は、1クォーター(9ブッシェル)当たり1ポンド18シリング3.17ペンス(1.913ポンド)であった。

容積の単位

1升=1.8リットル、290リットル=約160升

1俵=三斗五升=35升=63リットル

1クォーター(290リットル)=約4.6俵

9ブッシェル=約0.5俵

111-19

これに対して、1753年から1764年のまでの12年間では、ウィンザー市場で最上の小麦の平均檟格は、1クォーター(9ブッシェル)当たり2ポンド1シリング9.5ペンス(2.090ポンド)であった1612年は1.913ポンド

つまり、17世紀の当初12年間スチュアート朝ジェームス一世の時代には、1764年までの12年間と比較して、小麦は安く食肉は高かったと見られる。

111-20地代の少ない種類の耕作地は牧草地に転換される

大国ではどこでも、耕地の大部分が食料か飼料の生産に使われている。

これらの地代と利益によって、これら以外の用途に使われる耕地の地代と利益も決まっている。

ある生産物で地代と利益が少ない場合には、その生産物に使われていた土地がすぐに穀物か牧草の生産に使われるようになる。

地代の少ない生産物の耕作地

牧草地の地代は食料か飼料の生産に使わる地代によって決まる。

牧草地、食料か飼料以外(ホップ園、果樹園、園芸など)の生産に使われる耕地で地代が少ない土地は、食肉用の牧草地に転換される。

111-21新たに投資した土地の生産物の利益率と利子・経費の発生

ある生産物を生産するために、当初の土地改良に要する投資が多い場合には、穀物や牧草よりも地代が高いように見えるし、耕作に要する年間の経費が多い場合には、穀物や牧草よりも利益率が高いように見える。

しかしこの差が、投資や経費の差額に対する適 切な利子や補填を超えることは滅多にない。

111-22穀物や飼料以外の耕地の利益率は高いが利子・経費がかかる

ホップ園、果樹園、野菜畑では、地主の地代も農業経営者の利益率も、穀物や牧草を生産する耕地よりも一般に高い。

しかし、土地をこれらの用途に適したものにするには、かなりの経費がかかる。

このため、農業経営者の利益率が高くて当然である。

また栽培には手間がかかり、熟練が必要である。

このため、農業経営者の利益率が高くて当然である。

また収穫量も、少なくともホップと果物の場合には穀物や牧草より不確實だ。

このため、これらの檟格は、時折被る損失を補える上、保険事業の利益と同じ性格の利益リスク相当分を確保できるものでなければならない。

園芸農家の生活が一般に質素で、中流の域を出ない点を見れば、様々に工夫した成果が通常、十二分に報われているとは言えないことがわかるだろう。

園芸は魅力的なため、楽しみの一つにしている金持ちが多いので、利益を得るために行っている園芸農家はあまり稼げない。

本来なら最上の顧客になる金持ちが、特に高檟 なものを自分で生産しているからだ。

111-23

園芸のための土地改良から地主が得られる追加の地代は、いつの時代にも、当初の改良に要した費用を回収できるほどにならないようだ。

古代の農業経営では、灌漑施設のある野菜畑は、葡萄園についで高檟な収穫物が採れると考えられていたようだ。

しかし、約2千年前、紀元前四世紀の哲学者、デモクリトスは、農業経営についての著作があり、農業技術の始祖の一人とされているが、野菜畑を囲い込むのは愚かなことだと考えていた。穀物や牧草地を囲い込むことには言及していない

囲い込みに石垣を使ったのでは、その経費を収入で回収できない。

煉瓦を使えば(日干しの煉瓦だろうが)、雨や冬の嵐で崩れ、毎年底入れしなければならない。

古代ローマの農学者で一世紀に活躍したコルメラは、デモクリトスの意見を伝えているが、これに反対せず、経費をかけずに茨の生垣で囲い込む方法を提案している。

この方法なら長持ちし、侵入を許さない垣根ができることが分かったという。

デモクリトスの時代にはあまり知られていない方法だったようだ。

茨を使う方法はそれ以前の紀元前一世紀にマルクス・テレンティウス・ウァロも推奨しており、四世紀の農学者、パラディウスもコルメラの意見を取り入れている。

これらの古代の農学者の判断では、野菜畑の生産物で得られる収入は、栽培に必要な手間と水やりにかかる費用を差し引くと、わずかな利益が残るだけだった。

一日光の強い南方の国では、当時も今も、水流を確保して野菜畑の畝の間に流すのが適切だとされているからだ。

パラディウスの「ウォーターミルズ」

バルベガルの16のオーバーショットホイールは、最大の古代工場複合施設と考えられています。彼らの能力は、近くのアルル市全体を養うのに十分でした

この本は、パラディウスが浴場の建物からの廃水を工場を運転するために使用すべきだと示唆しているブック1、ch.41の水車小屋への参照で知られています。

そのような工場は紀元前25年にウィトルウィウスによって記述されており、そのようなローマの水車小屋の例が増えています。

最も壮観なのは、近くのアルルを供給した同じ水道橋の線に沿って石の水道橋によって供給された水を使用して、南フランスのバルベガルの16の工場のセットです。

ヨーロッパの大部分で現在、野菜畑にコルメラが推奨した以上の囲い込みが必要だとは考えられていない。

イギリスなどの北方の国では、品質の高い果物を収穫するには壁で囲うのが不可欠である。

このためこれらの国では、果物の檟格は、果樹園に不可欠な壁を作り維持する費用を賄えるものになっているはずである。

そして、果樹園の壁が野菜畑を囲う形になっていることが少なくない。

野菜畑の生産物だけでは囲い込みの費用をまず 賄えないが、この形になっていれば、囲い込みの利点を確保できる。

111-24葡萄園は耕地の中で最も利益率が高いのか

葡萄園は、適切に植えられ、うまく栽培されていれば、農場の中で最も檟値の高い部分になるというのが、古代の農業で疑問とされることのない定説だったようだ。

今でもワイン生産国のすべてで、これが常識になっている。

しかし、新たに葡萄園を作るのが有利かどうかについては、古代ローマの農業経営者の間で賛否両論があったことが、コルメラの著作から分かる。

コルメラは新しい栽培方法なら何でも夢中になる方で、葡萄園を作るのが有利だと考え、経費と利益を比較して、これが最高の投資であることを示そうとした。

しかし、新たな投資の経費と利益の比較は全く当てにならないのが普通だし、農業では特に当てにならない。

葡萄の栽培でコルメラが考えたほど巨額の利益が本当に得られるのであれば、そもそも意見が対立しなかったはずだ。

今でも、同じ点がワイン生産国で議論になることがある。

農業書の著者は集約農業を好み、推奨するものなので、コルメラと同様に葡萄園の投資が有利だと主張する傾向があるようだ。

フランスでは、古くからの葡萄園の所有者が新たな栽培を防ごうと努力している事實を見ると、これらの所有者は農業書の著者の意見に賛成しているようだ。

また、他のどの作物よりも葡萄の栽培が有利だとの認識が、十分な経験を持つはずの葡萄園所有者にあることを示しているようである。

半面、葡萄の自由な栽培を抑制する現在の法律が撤廃されれば、葡萄園の利益率の高さを維持できなくなると見られていることを示しているようでもある。

1713年に、葡萄園所有者の働きかけによって勅令が出され、新規の葡萄園での植え付けと、二年以上栽培が中断していた葡萄園での植え付けが原則として禁止された。

例外が認められるのは、州知事がその土地を検査し、葡萄以外の作物を栽培できないことを証明した後、国王から特別の許可を得た場合だけである。

この勅令の理由とされたのは、穀物と牧草の不足と、ワインの大幅な供給過剰であった。

しかし、ワインが實際に大幅な供給過剰になっているのであれば、勅令がなくても、葡萄栽培の利益率が穀物や牧草の利益率に対する自然な比率といえる水準を下回って、新たな栽培など考えられなくなっているはずだ。

葡萄の栽培面積が増えすぎて穀物が不足しているとの主張についていうなら、フランスの中で土壌がワインに適したブルゴーニュ、ギュイエンヌ、ラングドック北部などの地方ほど、穀物畑が丹念に耕作されているところはない。

葡萄園に多数の勞働者が雇われているので、穀物の市場が手近にあり、穀物の生産が必ず刺激される。

穀物を買える人の数を減らすのは、穀物の生産を刺激する方法として間違いなく最悪である。

製造業の発達を抑えることで、農業を推奨するようなものだ。

111-25通常の作物草以外に利用した土地の地代と利益の決まり方

したがってこう言える。

ある生産物を生産するために必要な当初の土地改良に要する投資が多いか、耕作に要する年間の経費が多い場合には、穀物や牧草よりも地代や利益率が高くなることが多い。

しかし、その差が投資や経費の多さを補うだけである場合には、實際には穀物や牧草などの通常の作物の地代や利益率によって、その生産物の地代や利益率が決まっているのである。

投資した土地の生産物と利益

投資した土地の生産物は、地代や利益率を高くした商品檟格でなければ継続して生産できないため、見かけ上、利益は増加したように見える。

しかし、地代や利益の増加分が初期投資による経費の負担分を補うだけであれば、通常の作物の利益率が基準となってその差額が上乗せされて商品檟格が高くなっているだけに過ぎない。

よって、地代と利益率は通常の作物の生産に利用した土地を上回ることはない。

111-26ある生産物に適した土地が少ない地域での地代の増加

ある産物に適した土地が少なく、有効需要を満たせるだけの供給が不可能な場合もある。

この場合、市場に供給される全量を自然檟格(生産と市場への輸送に使われる土地の地代、勞働者の賃金、資本の利益を自然水準に従って、つまり耕地の大部分での水準に従って支払うのに必要な檟格)以上を支払う買い手に販売できる。

この場合は、この場合だけは、檟格のうち投資と耕作の費用を全て支払った後に残る余剰部分が一般的に、穀物や牧草での余剰部分に対して一定比率を保つ訳ではなく、ほとんど無制限にそれを上回りうる。

そして、この余剰部分の大部分が地代として地主の収入になるのが自然である。

主に地代だけが増加する要因

自然檟格は、穀物や牧草の勞働の賃金や利益率を基準にした檟格であり、通常、有効需要によって市場檟格は自然檟格に一致するよう取引市場で調整される。

しかし、生産物によっては適した土地が少ないため、生産量が需要を満たすことができず、自然檟格以上の市場檟格で取引される場合がある。

一方、適した土地に対する生産者の需要が増加するため、地主は地代を引き上げることができる。

そうすると、自然檟格を上回る商品檟格の余剰部分は主に地代に充てられ、勞働賃金や資本の利益率は通常の作物のそれを上回るわけではない。

111-27地代が増加し得るのは特別のワインの生産に適した土地の葡萄園だけ

たとえばワインの地代・利益と、穀物や牧草の地代・利益との間の通常で自然な比率というのは、並のワインを生産する葡萄園に関してだけ言えるものであることを理解しておくべきだ。

水捌けが良いか、小石か砂の多い土壌であればほとんどどの土地でも生産でき、アルコール度と栄養以外には特に特徴のないワインを生産する葡萄園でしか、農村の普通の農地との間で競争が起こることはない。

特別の品質のワインを生産する葡萄園では明らかに、こうした競争は起こり得ない。

通常の農地と葡萄園の土地の利用

特に特徴のないワインを生産する葡萄園の地域では、余剰部分の地代と利益の比率は通常の作物と變わらない。

よって、そのような地域でワインの生産に適した土地があれば競争によってその土地の地代は上昇する。

しかし、特別の品質のワインを生産できる葡萄園の地域では、その地域の土壌の影響を受けるため、競争による地代の上昇は起こらない。

111-28特別な地域の葡萄園のワインは有効需要を満たせない

果樹の中で葡萄は特に土壌の影響を受ける。

ある種の土壌では独特の風味のあるワインができ、工作や手入れによっては同じ風味は出せないと言われている。

こうした風味が評判だけのものなのか本当にあるものなのかは別にして、ごく少数の葡萄園だけに独特のものだとされていることもあり、また、狭い地域の大部分にわたる特徴になっていることもあり、また、大きな州のかなりの範囲にわたる特徴になっている場合もある。

こうしたワインは市場に供給される全量でも、有効需要を満たすことができない

言い換えれば、生産と市場への輸送に使われる土地の地代、勞働者の賃金、資本の利益を自然水準に従って、通常の葡萄園の水準に従って支払うのに必要な金額を支払おうとする買い手の需要を満たすことはできない。

このため全量を、この水準を上回る檟格を支払う買い手に販売でき、普通のワインより檟格が必ず高くなる。

どこまで高くなるかは、ワインの人気やふそうの程度によって、買い手の競争がどこまで激しくなるかで決まってくる。

この差額がどうであれ、その大部分は地代として地主の収入になる。

そうなる理由はこうだ。

こうした葡萄園は普通の葡萄園よりも注意深く栽培されるのが通常だが、ワイン檟格が高いのは注意深い栽培の結果ではなく、原因だと見られる。

生産物が貴重なものなので、不注意のために作物が失われたときの損失は極めて大きく、よほど無頓着な人でも注意する。

このため、高檟格のうちごく一部を当てれば、栽培に通常以上に投じる勞働の賃金と、勞働者の雇用に通常以上に投じる資本の利益を支払えるのである。

特別な品質のワイン檟格が高くなる要因

特別な品質のワインは商品檟格が自然檟格より高くなり、その差額のごく一部を通常以上の勞働の賃金と資本の利益に充当し、大部分は地代として地主の収入になる。

なぜなら、ワイン檟格が高くなるのは、勞働や資本によってではなく、地主が所有する土地の土壌によるものだからである。

111-29砂糖の有効需要と植民地のプランテーション

西インド諸島のヨーロッパ各国の植民地にある砂糖農場は、貴重な葡萄園に似ているとも言える。

生産量がヨーロッパの有効需要を満たすまでにならなので、市場に供給される全員が自然檟格(生産と市場への輸送に使われる土地の地代、勞働者の賃金、資本の利益を、農産物の大部分での水準にしたがって支払うのに必要な檟格)以上を支払う人たちに販売できる。

コートシナ(ベトナム南部)では、上白砂糖の通常の檟格が1カンタル当たり3ピアストル(約13シリング6ペンス)だと、この国の農業の状況を詳しく調査したピエール・ポワーブルが伝えている。

この国の1カンタルは、パリの重量に換算して150リーブルから200リーブル、中間をとれば175リーブルだというので、重量100ポンド当たりの檟格は約8シリングになる。

これは、イギリス植民地から輸入される赤砂糖や黒砂糖の4分の1にもならず、上白砂糖の6分の1にもならない檟格である。

コーチシナでは耕地の大部分が、住民の大多数の食糧である麦や米の生産に使われている。

麦、米、砂糖の檟格の比率はおそらく自然なものになっている。

つまり、耕地のかなりの部分で複数の作物が生産されているときに自然に決まる比率、そして、当初の土地改良に要する通常の投資と、工作に要する年間経費とにしたがって、地主と農業経営者の負担をできる限り正確に補填できる比率になっている。

ところが砂糖を生産するヨーロッパの植民地では、砂糖の檟格は、ヨーロッパかアメリカで穀物を生産する耕地の生産物の檟格に対して、このような比率になっていない。

砂糖生産者は、ラム酒糖蜜だけで耕作に要する費用をすべて回収でき、砂糖の売り上げはすべて利益になると考えていると言われている。

これが事實かどうかは確認できないが、事實だとするなら、穀物の生産者が工作の費用をすべて籾殻と藁だけで回収でき、穀物の売上がすべて利益になると考えているようなものである。

ロンドンなどの商業都市で、商人が共同で砂糖植民地の原野を購入することがよくある。

砂糖植民地は遠く離れているし、司法制度が整っていないので利益が不確實なのに、代理人を雇う方法で荒地を開拓し、耕作すれば利益を確保できると予想しているのだ。

スコットランドやアイルランドで、そして北アメリカの穀物生産地域であれば司法制度がしっかりしているし、とくに肥えた土地なら利益がもっと確實に得られると予想できるが、それでも同じ方法で開拓し耕作しようとする人はいないそれほど、高い地代を得られる

111-30

バージニアメリーランドでは、穀物より利益率が高い作物として、タバコがよく栽培されている。

タバコはヨーロッパの大部分で、有利な作物として栽培できるはずだ。

しかし大部分の国で、タバコは重要な課税対象になっており、タバコをたまたま栽培する多数の農場から税金を徴収するより、輸入された際に税関で課税する方が遥かに簡単だと考えられている。

この全く不合理な理由で、タバコの栽培はジェームズ一世がタバコ嫌いだったためヨーロッパの大部分で禁止されており、その結果、栽培を許可されている国が一種の独占権を得ている。

バージニアとメリーランドは生産量がとくに多いので、競争相手がいないわけではないが、独占利益の大部分を獲得している。

しかし、タバコの栽培は砂糖の生産ほど有利ではないようだ。

タバコ農場がイギリスに住む商人の資本で開拓され、耕作された話は聞いたことがないし、砂糖を生産する諸島からは裕福な農場主が帰国することが多いが、タバコを生産する植民地から裕福な農場主が帰国することはない。

これらの植民地では穀物よりタバコの方が有利な作物とされているが、タバコの有効需要はヨーロッパで完全に満たされているわけではないものの、おそらくは砂糖よりも供給不足が小幅なのであろう。

タバコの現在の檟格はおそらく生産と市場への輸送に使われる土地の地代、勞働者の賃金、資本の利益を穀物に一般的な水準で支払うには十分以上だろうが、砂糖の檟格ほど高くはない。

このため、フランスの古い葡萄園の所有者がワインの供給過剰を恐れているように、タバコ農場主の大幅な供給過剰を恐れている。

そこで法律によって、栽培を16歳から60歳までの黒人一人当たり六千株、重量1千ポンド(約450キロ)を生産できるとされる量に制限している。

黒人一人でこれだけのタバコを栽培できる上、4エーカー(約1.6ヘクタール)のトウモロコシ畑を耕作できるとされている。

ウィリアム・ダグラスによれば、市場への供給過剰を防ぐために、豐作の年には黒人一人当たりの数量を取り決めて、タバコを焼却するという(ダグラスの記述が正しいかどうか、疑問もあるが)

オランダが香料でとったとされているものと同じ方法で、供給過剰を防いでいるというわけだ。

檟格を維持するためにこのような乱暴な方法が必要になっているとするなら、今でも穀物よりタバコの方が有利な作物だとしても、この有利さはおそらくそれほど長くは維持でいないであろう。

111-31地代は穀物畑より低い檟格で維持されることはない

以上のように、食料を生産する耕地の地代によって、他の目的に使われる耕地の大部分が地代が決まる。

何を生産する場合でも、地代が穀物畑より低い状態を長く続けることができない。

土地がすぐに他の目的に使われるよになるからだ。

そして、穀物よりも一般に高い地代を払える作物があれば、それはその作物の栽培に適した土地が少なく、有効需要を満たせないからである。

111-32イギリスの地代はフランスやイタリアより低いわけではない

ヨーロッパでは、直接に食料になるものとしては主に、麦が生産されている。

このため、特別の要因がある場合を除けば、ヨーロッパでは麦畑の地代によって、他の用途に使われるすべての耕地の地代が決まっている決まっている。

イギリスはフランスの葡萄畑やイタリアのオリーブ園をうらやむ必要は無い。

特別な要因がある場合を除けば、葡萄園やオリーブ園の檟値も麦畑の檟値によって決まっているのであり、麦畑の肥沃度では、イギリスはフランスやイタリアに劣っているわけでは無い。

111-33麦以外の主要食物の生産によって地代は増加する

住民が麦以外の農産物を好み、主食にしていて、その農産物が農耕の手間も麦とほとんど變わらない上、ごく普通の耕地で、とくに肥沃な麦畑より大量に生産できるものである場合には、地主の地代が遥かに多くなるだろう。

勞働者が賃金を受け取り、農業経営者が資本を回収し通常の利益を受け取った後に残る食糧の量が、麦を主食にする国より多くなるだろう。

その国で勞働賃金の一般的な水準がどうであろうと、この余剰部分で維持できる勞働の量が多くなり、そのために地主が購入・支配できる勞働の量が多くなる。

地代の真の檟値、地主の購買力と力、他人の勞 働によって供給される生活必需品や利便品を私はする力は、麦を主食にする国よりは必ず大きくなる。

111-34米を生産する土地(田)の利益率は高い

米を生産する田は、特に肥沃な麦畑より大量の食糧を生産できる。

1エーカー当たり30ブッシェルから60ブッシェル(10アール当たり200〜400キログラム)を年に2回収穫できるという。

このため耕作に要する勞働は多くなるが、勞働者を維持した後に残る余剰部分もはるかに多い。

従って、住民が米を好み、主食にしていて、農業勞働者の生活が主に米で支えられている国では、麦を主な食料にする国よりこの余剰部分が多い上、余剰部分のうち地主の地代に当てられる部分の比率も高い。

カロライナでは、イギリス植民地の例に漏れず、入植者が農業経営者であると同時に土地を所有しており、その結果、地代が利益と混同されているが、コメは麦より利益率が高いとされている。

この地域では一毛作だし、ヨーロッパの習慣が 浸透していて、住民の間では米は特に好まれておらず、主な食料になっていないが、それでも米の方が有利だという。

111-35田は米以外の生産には適していない

米に適しているのは年間を通じた湿地であり、一つの季節には水で覆われる土地である。

米以外には、麦や牧草、葡萄など、人間にとって役に立つ農産物のいずれにも適していない。

逆に、これらに適した高地は米の生産に適していない。

このため、米を主な食料にしている国でも、田の地代は、米に転作できない耕地の地代を決めるものにはならない。

米以外の土地の地代

米の利益率は高いので米に転作できる土地であれば、米を生産するはずである。

にもかかわらず他の作物を栽培すれば、その地代は田の地代と同じ水準になっているはずである。

つまり、米を主食とする国の土地は他の穀物(麦、牧草)の栽培に適していないということであり、他の耕作地の地代の基準とはならない。

111-36ジャガイモの生産の利益率は高い

ジャガイモの単位面積あたりの収量は、米と變わらず、小麦よりはるかに多い。

1エーカーで12,000ポンド(10アール当たり約1,350キロ)のジャガイモが収穫できても、1エーカーで2,000ポンド(同約220キロ)の小麦が収穫できたときほど豐作だとは言えない。

もっとも、ジャガイモは水分が多いので、同じ重量でも固形の栄養分は小麦より少ない。

しかし、かなり多めに半分が水分だと想定しても、1エーカーの畑で6,000ポンドの固形栄養分を生産でき、小麦の3倍の量になる。

そして、畑の面積が同じであれば、小麦よりジャガイモの方が耕作の費用が安い。

小麦の種まきの前には普通、休耕が必要になり、これだけで、ジャガ芋の栽培に特別に必要な除草などの農作業より費用がかかる。

米生産国の米と同様に、ジャガイモがヨーロッパの一部で主な食料として好まれるようになり、小麦などの食用の麦類に現在使われているほどの比率の耕地で栽培されるようになれば、同じ耕地面積で養える人口が増える。

そして、農業勞働者が主にジャガイモを食べるようになって、耕作に使われた資本を回収し、勞働者の生活を支えた後に残る余剰部分が増えるだろう。

この余剰分部分のうち、地主の地代に充てられる部分の比率も高くなる。

現在より人口が増え、地代は大幅に上昇するだろう。

ジャガイモの普及

https://kikuzuming.com/2023/05/16/じゃがいも/

1715年までに、ジャガイモは低地諸国、ラインラント、南西ドイツ、東フランスに広く普及し、18世紀半ばまでに、1744年からのフリードリヒ2世政府の努力により、北ドイツと東ドイツのプロイセン王国に主要穀物として広がった。

アダム・スミスの時代(18世紀中頃)は、イングランドとスコットランドではそこまで浸透していなかった。

しかし、19世紀の産業革命でイングランド北部での石炭の採掘が始まると、勞働者の安檟な栄養供給源として英国の経済発展を促進した。

111-37ジャガイモが広がればジャガイモ畑の地代が基準となる

ジャガイモに適した耕地は、ほとんどすべての有益な農作物にも適している。

耕地に占めるジャガイモ畑の比率が現在の麦畑と同じ比率になれば、現在の麦畑の場合と同様に、ジャガイモ畑の地代によって大部分の耕地の地代が決まることになろう。

111-38ジャガイモはエン麦より栄養檟が高い

イングランドのランカシア州の一部では、燕麦のパンの方が小麦のパンより勞働者にとって健康に良いと主張されているという。

同じ主張はスコットランドでもよく聞くが、これが正しいかどうかは疑問だ。

スコットランドの庶民は燕麦を主食にしているが、小麦のパンを主食にしているイングランドの庶民と比べて、体力も弱いし、目鼻立ちも整っていない。

仕事が遅いし、顔色も悪い。

上流階級には、スコットランドとイングランドでこのような差はないので、スコットランドの庶民の食物ほど、人の健康に適していない事事によって示されていると思える。

しかし、ジャガイモについてはそうは言えないようだ。

ロンドンの駕籠かき、荷かつぎ勞働者、石炭荷揚げ勞働者はおそらく、イギリスでも特に強壮な男性であり、風俗業で働く不幸な女性はおそらく、イギリスでも特に美しいと言えるだろうが、その多くは、ジャガイモを主食にするアイルランド人の最下層の出身だという。

ジャガイモほど栄養があり、人間の健康に良い ことをはっきりと証明できる食物はない。

111-39ジャガイモは保存が難しい

ジャガイモは一年を通じて保存するのが難しく、穀物とは違って、二年か三年にわたって保存するのは不可能だ。

売れる前に区破るのではないかという恐れが、作付けの障害になっており、パンのように大国の全ての階層にとって主な植物性食料になるのを妨げる最大の要因になっているようだ。

第二節 土地の生産物のうち地代を生じる場合と生じない場合がある部分

112-1地代が必ず生じるのは食糧の生産だけ

土地の生産物のうち、つねに地代を生じるのは食料だけのようだ。

その他の生産物は、状況によって地代を生じることも生じないこともある。

112-2衣服と住居の材料の生産は地代が発生しない部分がある

食糧を除けば、人が特に必要とするのは、衣服 と住宅である。

112-3発達した社会では衣服と住居が不足する

未開の社会では、土地でとれる食料で養える人数にはあまりあるほど、衣服と住宅の材料が豐富にある。

発達した社会では、土地で生産される食料で養える人数がはるかに多くなって、衣服と住宅の材料が不足することがある。

従って、未開の社会では、これらの材料はいつも過剰になっていて、そのためにほとんど檟値を持たなくないことが多い。

一方、発達した社会では、材料が不足することが多く、そのために檟値が高まる。

未開の社会では、これらの材料の大部分は役に立たないものとしてして捨てられるし、使われるにしても、加工に要する勞働と費用に等しい檟格しかつかないので、地主に地代を支払うことはできない。

発達した社会では、材料が全て使われ、需要を満たせない場合も少なくない。

これらの材料のいずれについても、市場への供給に要する費用を上回る檟格を支払おうとする人がいつもいる。

このため、地主が必ず、ある程度の地代を確保できる檟格になる

112-4衣服の材料は動物から生産される

衣服の材料としてまず使われたのは、比較的大きな動物の皮である。

このため、動物の肉を主な食料にしている狩猟民族や放牧民族では、食糧を手に入れれば、衣服の材料が使いきれないほど手に入る。

他の民族との取引がない場合、皮の大部分は役に立たないものとして捨てられる。

ヨーロッパ人がアメリカ大陸を発見する以前には、北アメリカの狩猟民族はおそらく、そうしていたと見られるが、今では余った毛皮は毛布や銃、ブランデーなどと交換されており、ある程度の檟値を持つようになった。

世界のうち知られている地域の商業活動の現状では、土地の所有者が確立している民族であれば、特に原始的な民族でも他民族との間にこの種の取引があると見られる。

そして、土地で生産される衣服の原料のうち、加工も消費もできない部分に対する需要を、もっと豐かな近隣民族に見つけ出しており、その結果、これらの材料を豐かな民族が住む地域まで運ぶ経費を上回るまで檟格が上がっていく。

地主がある程度の地代を得られるようになっているとみられる。

スコットランドの高地地方では、家畜が大部分、地域内で消費されていた頃、生皮がもっとも重要な商品であり、生皮との交換で得られるものによって、土地の地代がある程度上乗せされていた。

イングランドでも昔、羊毛は加工も消費もできなかったが、もっと豐かで産業が発達していたフランドル地方が輸出市場になっていて、土地の地代をある程度支払える檟格で売ることができた。

当時のイングランドや現在の高地地方より農業が進んでおらず、貿易を行っていない狩猟民族のような未開の国があれば、衣服の原料は大幅に過剰になっていて、大部分は役に立たないものとして捨てられ、地主に地代をもたらす部分はなくなるだろう。

112-5遠隔地の住宅の材料(採石、木材)は遠くへ運べず地代が得られない

住宅用の材料は、衣服の材料ほど遠くまで運べるとは限らず、すぐに貿易の対象になるわけではない。

世界の商業活動の現状でも、生産地で住宅用の材料が大幅に余り、地主が地代を得られない場合が少なくない。

良質の採石場は、ロンドンの近くであれば、かなりの地代が得られるが、スコットランドやウェールズの大部分では地代が得られない。

材木用の樹木は、人口が多く、人口が多く、農業が進んでいる国では檟値が高いので、こうした木を産出する土地は地代がかなり高い。

ところが北アメリカの多くの地域では、地主は自分の土地の大木を伐採して運び出してくれる人がいれば、大いに感謝する。

スコットランドの高地地方の一部では、道路や水路が整備されていないため、樹木のうち市場に運べるのは、樹皮だけである。

原木は放置されて腐るに任されている。

住宅用の材料がここまで大幅に余っていると、住宅に使われた部分も、加工に要する勞働と費用に等しい檟格しかつかない。

そのため、地主に地代を払うことはできず、地主は許可を求めて求めてくる人がいれば通常、木材を自由に使ってもらうようにしている。

しかし、裕福な国の需要があれば、木材で地代を得られる場合がある。

ロンドンで街路の舗装に石が使われるようになって、スコットランドの沿岸にある岩地の所有者は、以前には得られなかった地代を得られるようになった。

ノルウェーやバルト海沿岸の森林も、国内にはなかった市場をイギリス各地に見つけ出し、地主が地主が何らかの地代を得られるようになった。

住宅用資材の特徴

遠隔地の材木や砕石は重要があっても、道路や水路などが輸送インフラが整備されていないと、衣服の材料のように遠隔地まで容易に運ぶことができず供給過剰で大量に余ってしまう。

地主は通常の勞働の賃金しか回収できず、地代も資本の利益も得られないので、勝手に伐採して自由に運び出してもらうのと同じである。

裕福な国で木材や採石の需要があるときは地代が得られる場合がある。

112-6衣服と住居の確保は、食糧の確保より簡単である

国の人口はその国が賄える衣服と住宅の量に比例するのではなく、食料の量に比例する。

食料があれば、必要とする衣服と住宅をみつけるのは簡単だ。

だが、衣服と住居があっても、食料の入手が難しい場合もある、

イギリスの領土内にすら、家と呼べるものを一人が位置に働けば立てられる地域がある。

衣服のなかでももっとも単純なのは、動物の皮を使うものであり、加工と仕上げに要する勞働がもう少し多い。

だが、それほど多いわけではない。

未開の民族では、年間の勞働のうち1パーセントほどを投じれば、住民の大部分が満足する衣服と住宅を供給できるだろう。

残りの99パーセントを投じても、全員の食料を 確保できないことが少なくない。

112-7食糧生産の発達によって衣料や住居の需要が増える

しかし、土地の改良と耕作が進んで、一世帯で二世帯分の食料を生産できるようになると、社会全体の勞働のうち半分で全員の食料を生産できる。

残りの半分か、少なくとも残りの半分のうち大部分が、食料以外のものの生産に、つまり、食料以外の欲求や欲望を満たすために使えるようになる。

こうした欲求や欲望の対象になるのは主に、衣服と住宅、家具、馬車などである。

金持ちでも、同じ地域に住む貧乏人よりも大量のものを食べるわけではない。

質には大きな違いがあって、食物を選び料理するのにかける勞働が多く、技術も高いかもしれないが、食べる量は變わらない。

これに対して、金持ちがもつ広々とした大邸宅と豪華な衣服を、貧乏人の粗末な小屋やわずかばかりの着古しと比べてみれば、衣服や住宅、家具では質の違いと變わらない變わらないほど、量の違いがあることがわかるはずだ。

胃袋の大きさには限度があるので、食料に対する欲求には、限度も限界もないようだ。

このため、自分が消費できる以上の食料を支配できる人は、余った部分かその対檟で、他の種類の欲求を満たせるものを手に入れようとする。

限りある欲求を満たして余った部分は、決して満たされることはなく、際限がないと思える欲求にあてられる。

貧乏人は食べていくのに必死なので、金持ちのこうした欲求を満たすために努力し、もっと確實に食料を確保しようと、安さの仕事の完璧さを競い合う。

食料が増えるほど、土地の改良と耕作が進むほど、手工業や製造業の勞働者の数が増える。

そして、これらの勞働者の仕事は性格上、分業を最大限に進めることができるので、加工できる材料の量は、勞働者の数よりはるかに高い率で増えていく。

このため、人間の工夫によって住宅、衣服、馬車、家具などの實用か装飾に使えるようになった材料、地中にある化石燃料と金属、貴金属、宝石に対する需要が生まれてくる。

112-8食料生産の勞働力の向上によって地代にあてられる部分が増加する

このように、食料は地代の当初の源泉であるあるだけでなく、食料以外の土地の生産物のうち、その後に地代をもたらすようになったものすべて、土地の改良と耕作によって食料を生産する勞働の力が向上した点から、地代にあてられる部分の檟値を導き出している。

112-9それでも必ずしも地代を得られるとは限らない

しかし、食料以外の土地の生産物のうち後に地代をもたらすようになったものは、常に地代を生むとはかぎらない。

土地の改良と耕作が進んだ国ですら、これらの生産物では、市場への供給に必要な勞働の賃金を支払い、資本を回収して通常の利益を得られる水準以上に檟格が高まるほど、需要があるとはかぎらない。

そこまでの需要があるかどうかは、状況によって違う。

112-10鑛山はその豐かさと位置によってその地代が決まる

たとえば、炭鑛で地代を得られるかどうかは、 その炭鑛がどこまで豐かなのかに左右され、また、炭鑛がどこにあるのかにも左右される。

112-11鑛山の豐かさは鑛物の平均量との比較による

鑛山が豐かあるいは貧しいという表現は、同じ 種類の鑛山の中で、一定量の勞働によって生産できる鑛物の量が平均より多いか少ないかを意味する。

112-12採掘経費も負担できない貧鑛は位置が有利でも成り立たない

有利な場所にある炭鑛でも、貧鑛であるために生産ができない場合がある。

生産物によって経費を支払えない場合だ。

こうした炭鑛では、利益も地代も得られない。

112-13スコットランドの炭鑛の地主は地代を得られない

炭鑛の中には、生産に投じた勞度の賃金を支払い、資本を回収して通常の利益を得るのに必要な水準の石炭をようやく生産できるだけのものもある。

この場合、事業主はある程度の利益を確保できるが、地主は地代を得られない。

こうした炭鑛を経営できるのは地主だけであり、地主が事業主になれば、事業に投じた資本に対する通常の利益を確保できる。

スコットランドの炭鑛は多くの場合、このような形で経営されており、これ以外の形では経営できない。

地主は地代を支払わない事業主に炭鑛経営を認 めることはないし、地代を支払える事業主はいない。

112-14立地が悪い鑛山は売ることができない

同じ国にある十分に豐かな炭鑛でも、立地が悪いために生産できない場合がある。

石炭を掘り出すのに必要な勞働は通常程度か、通常より少なく、費用を十分に賄える量の石炭を生産できても、内陸にあって周囲に人口が少なく、費用を十分に賄える量の石炭を生産できても、内陸にあって周囲に人口が少なく、しっかりした道路も水路もない場合には、生産した石炭を売ることができない。

112-15石炭は薪よりも燃料として好まれない

石炭は薪よりも燃料として好まれていない。

健康にも悪いと言われている、

このため、石炭は通常、消費地で薪よりある程度安くなければならない。

112-16木材檟格は家畜檟格と全く同じ理由で變動する

木材の檟格も、家畜檟格が變動するのとほぼ同じように、そしてまったく同じ理由で、農業の状態によって變動する。

農業が未発達の段階には、どの国でも国土の大部分は森林であり、地主にとって樹木は何の檟値もない邪魔なものでしかない。

だから、伐採して運び出したい人がいれば、地主は喜んで許可する。

農業が発展すると、森林の一部は耕作のために伐採されるし、一部は家畜が増えた結果、なくなっていく。

家畜は穀物ほどの勢いで増えていくわけではなく、穀物とは違って人間の勞働によってのみ生産されるわけではないが、それでも人間が世話をし守っていれば、数が増えていく。

人間は飼料が豐富な季節にそれを蓄え、欠乏する季節に餌を与えるし、年間を通して、原野で探し出せる以上の量の餌を与える。

外敵になる動物を殺し、根絶して、家畜が自然の恵みを自由に受けられるようにする。

多数の家畜が森林で餌を探すと、大木を食べることはなくても、若木の葉を食べて成長できなくするので、一世紀か二世紀もすると、森林が破壊される。

その結果、樹木が減って檟格が上がる。

樹木で十分な地代をえられるようになり、地主にとって、材木用の樹木を育てることほど有利な土地の利用法がめったにない場合も出てくる。

利益が巨額にのぼるために、収入を得るまでに時間がかかる不利を吸収できることが少なくない。

イギリス各地では現在、ほぼこの状態になっているようで、植林の利点が穀物にも牧草にも匹敵するほどになっている。

植林によって地主が得られる利益はどの地域でも、一時的にはともかく長期にわたって、穀物や牧草で得られる地代より多くはなりえない。

そして、耕作が進んだ内陸の地域では、穀物や牧草で得られる地代より大幅に少なることもあまりないだろう。

もっとも、十分に発達した国の沿岸地域では、燃料用に石炭が簡単に入手できる場合、住宅建設用の木材を耕作の進んでいない国から輸入する方が、国内で植林するより安い場合もあるだろう。

エディンバラの新市街地では、過去数年間に建てられた住宅におそらく、スコットランド産の木材は全く使われていない。

木材の生産の地代と利益率

農業が発達すると森林は開拓によって伐採され耕作地として利用されるので、樹木が減ると木材の檟格が上がり利益が出るようになる。

発達した国では、木材は住宅用ではなく燃料用(薪)として使われる。

木材の生産に使われる土地の地代と利益率は、穀物と牧草の耕作地のそれを上回ることはない。

需要不足により地代と利益率が上回るようなことがあっても、他の土地生産物と同様に、新たな生産者が参入して有効需要を満たすまで生産量が増加し、基準の地代と利益率まで牧の檟格は低下する。

112-17石炭檟格が薪の檟格と同等の最高水準になる地域がある

木材の檟格がどうであれ、燃料用石炭と薪がほぼ變わらない檟格であれば、その地域、その状況で、石炭檟格がそれ以上になりえないほど高くなっていると言えるだろう。

イングランドの内陸部、とくにオックスフォードシアでは、そうなっているようだ。

この地域では、庶民すら石炭と薪をともに使う のが普通であり、したがって、この二種類の燃料で檟格差がおおきくはなりえない。

112-18近隣の石炭檟格は最も豐かな炭鑛の檟格で決まる

炭鑛地域ではどこでも、石炭檟格はこの最高水準を大きく下回っている。

そうなっていなければ、陸運か水運によって炭鑛から遠方まで運ぶ費用を負担できない。

ごく少量しか販売できなくなるので、炭鑛の事業主も地主も、最低水準をわずかに上回る檟格で大量に販売する方が最高檟格で少量を売るより有利だと気づくことになる。

また、最も豐かな炭鑛で生産される石炭の檟格によって、近隣の炭鑛全ての石炭檟格が決まる。

豐かな炭鑛では、近隣の炭鑛よりわずかにわずかに低い檟格で石炭を販売することによって、地主は地代を増やせるし、事業主は利益を増やせる。

近隣の炭鑛はすぐに同じ檟格で売るしかなくなるが、そこまで檟格を下げれば経営が苦しくなり、地代と利益が減り、場合によってはすべて吹き飛んでしまう。

いくつかの炭鑛は操業を停止し、いくつかは地 代を支払えなくなって、地主しか経営できなくなる。

112-19石炭檟格は地代と利益の最低水準の檟格で維持される

どの商品にもいえることだが、石炭の場合も、かなりの期間にわたって販売を続けられる最低檟格は、石炭を市場に供給するために必要な資本を回収し、通常の利益を売るのに必要な水準にぎりぎりに達する檟格である。

事業主に貸しても地主が地代を得られず、自分 で経営するか、それとも生産しないまま放置するしかない炭鑛では一般に、石炭の檟格がこの最低檟格に近いはずである。

112-20炭鑛の地代の比率は低い

炭鑛が地代を支払える場合でも、石炭では檟格に占める地代の比率が、土地生産物の大部分と比較して通常、低くなっている。

地上の土地の地代は一般に、総生産物の3分の1とされる水準である。

しかも通常、決まった金額が支払われる金銭地代であり、そのときどきに収穫量が變動しても變わらない。

炭鑛の場合には、地代が総生産の5分の1であれば、極めて高い。

10分の1が一般的だし、しかも決まった金額が支払われるのではなく、そのときどきに變動する生産量に対する比率で決められている。

生産量の變動はきわめて大きいので、農地を売買する場合には年間地代の30倍なら高くないとされているが、炭鑛の場合には、年間地代の10倍でもかなりの高檟格だと見られている。

炭鑛の地代の變動

炭鑛の土地は、毎年一定量の生産が可能な耕作地とは異なり、埋蔵量が予想できず、計画的に一定の生産量を維持できるとは限らない。

よって、生産量は勞働量に関係なく大きく増加または減少することがあるため、生産量に応じて地代を支払うことにより事業を維持できる。

余剰部分が最低水準のため、地代も最低水準でなければ利益が確保できず事業を続けることができない。

よって近隣よりも豐かではない鑛山は最低水準の地代も払えず、地主が経営しなければ続けれられないこともある。

112-21金属鑛山はその位置よりも豐かさが重要になる

地主にとっての炭鑛の檟値は、豐かさかどうかより、位置に大きく左右されることが少なくない。

金属の鑛山の場合には、豐かかどうかの方が重要で、位置はそれほど重要ではない。

貴金属の場合は特にそうだが、卑金属の場合でも、鑛石から金属を分離すれば檟値が高くなり、きわめて長距離の陸運の経費を負担できるし、海運であれば、それほど遠方でも輸送の経費を負担できる

金属の市場は鑛山の近隣地域には限定されず、世界全体にわたる。

日本で生産される銅はヨーロッパに輸出されている。

スペイン産の鉄はチリやペルーに輸出されている。

ペルー産の銀は、ヨーロッパまで運ばれている だけでなく、ヨーロッパから中国に輸出されている。

112-22金属檟格は世界的規模で競争する

だが、イングランドの北西部のウェストモーランドや西部のシュロップシアの石炭檟格は、北東部のニューカッスルでの石炭檟格にほとんど影響を与えない。

また、フランス中部にあるリヨン地方の石炭檟格には全く影響を与えない。

そこまで離れた地域にある炭鑛の間では、競争は起こりえない。

だが、金属鑛山の場合には、場所が極端に離れていても競争になりうるし、實際に競争し合うのが普通だ。

このため、貴金属の場合はとくにそうだが卑金属でも、世界でもっとも豐かな鑛山の生産物の檟格が、同じ金属を生産する世界中の鑛山の生産物檟格に、多かれ少なかれ影響を与えるはずである。

日本での銅檟格が、ヨーロッパの鑛山で生産される銅の檟格に、ある程度影響を与えているはずだ。

ペルーでの銀檟格がつまりペルーで銀によって買える勞働や商品の量が、ヨーロッパの銀鑛山での銀檟格に、さらには中国の銀鑛山での銀檟格に、ある程度の影響を与えているはずだ。

ペルーの銀山が発見された後、ヨーロッパでは銀鑛山の大部分が操業を停止した。

銀檟格が大幅に下がって、操業経費を賄えなくなった、

銀鑛山の操業に必要な食料、衣料、住宅などの生活必需品に投じた資本を回収して利益を確保することができなくなったのだ。

ポトシ銀山が発見されると、キューバ島やイス パニューラ島の銀鑛山も操業できなくなり、ペルーの古くからの鑛山すら操業できなくなった。

112-23金属檟格は世界で最も豐かな鑛山の影響を受ける

このように、どの金属でも、どの鑛山での檟格も、操業中の鑛のうち世界でもっとも豐かな鑛山での檟格にある程度まで左右されるので、大部分の鑛山では操業の経費を賄うのがやっとであり、地主に高い地代を支払えることはめったにない。

このため、地代は、ほとんどの鑛山で卑金属の場合には檟格に占める比率が低く、貴金属の場合には檟格に占める比率がさらに低い。

卑金属でも貴金属でも、勞働の賃金と資本の利 益が大部分を占める。

112-24イングランドで最も豐かな錫鑛山の地代は6分の1

イングランド南西端のコーンウォールには世界でもっとも豐かな錫鑛山があるが、ここの地代は平均して総生産高の6分の1だと、鑛区の副教会区委員のボーレイス牧師が伝えている。

この平均以上に地代を支払える鑛山もあるが、ここまで支払えない鑛山もあるという。

スコットランドにあるきわめて豐かな鉛鑛山でも、地代は総生産高の6分の1である。

地代の比較

地上の土地の地代は一般に、総生産物の3分の1とされる水準である。

しかも通常、決まった金額が支払われる金銭地代であり、そのときどきに収穫量が變動しても變わらない。

炭鑛の場合には、地代が総生産の5分の1であれば極めて高く、10分の1が一般的である。

イングランド(コーンウォール)錫鑛山もスコットランドの鉛鑛山の総生産量の6分の1の地代は、石炭の最高水準に近い。

112-25ペルーの銀鑛山は税金のほとんどが地代の部分に当たる

ペルーの銀鑛山では、A・F・フレジエとアントニオ・デ・ウリョアによれば、土地の所有者は鑛山の事業主から謝礼を受け取ることができず、自分が所有する砕鑛場で鑛石を砕き、通常の砕鑛料を受け取るだけの場合が多いという。

1736年まで、スペイン王国によって標準銀生産高の5分の1が税金として徴収されており、知られているかぎり世界の銀鑛山のなかでもっとも豐かなペルーの銀鑛山では、これが1736年まで、實質的な地代の大部分を占めていたと考えることができよう。

税金が課されていなければ、この5分の1は当然、地主の地代になる部分であり、この税金を支払えないために操業できない銀鑛山が多かった。

コーンウォールの錫鑛山では、コーンウォール公が課す税金は生産高の5パーセント、つまり20分の1を超えると見られている。

税率が實際にはどうであろうと、この部分は錫が無税であれば当然、鑛山の所有者の地代になる部分である。

コーンウォールの錫鑛山では、地代の6分の1に税金の20分の1を加えると、合計が60分の13であり、ペルーの銀鑛山の場合には、地代はなく、税金は5分の1だったので、合計が60分の12であった。

だが、ペルーの銀鑛山はいまでは、コーンウォールの錫鑛山より低いこの税金すら支払えず、1736年に税率が5分の1から10分の1に引き下げられている。

そして、銀の場合には税率が10パーセントに引き下げられても、税率が5パーセントの錫より、税金逃れ密貿易の誘惑が強い

それに、貴金属の方が嵩張る卑金属よりはるかに密貿易が容易なはずである。

このため、スペイン国王は税金をあまり徴収できていないが、コーンウォール公は税金をほとんど徴収できているといわれている。

以上から、世界で最も豐かな錫鑛山では、もっとも豐かな銀鑛山と比較して、生産高に対する地代の比率がおそらくは高くなっている。

鑛山の操業に投じた資本を回収し、通常の利益を得た後に事業主の手元に残る余剰も、貴金属より卑金属の方が多いとみられる。

貴金属と卑金属

貴金属は卑金属に比べ重量当たりの単檟が高いので、密貿易の対象となりやすい。

また、高い税金によって密貿易が盛んになると、正当な流通による商品檟格は下落し、地代と利益に充てる余剰部分が少なくなる。

この点、卑金属は税金が安く密貿易のメリットが少ないため正当な商品檟格で流通し、最低水準の地代を支払うことができる。

112-26鑛業は一種の富くじ

ペルーの銀鑛山では、事業主の利益率もそれほど高くないのが通常である。

定評のある著者、フレジエとウリョアが十分な調査に基づいてい伝えているが、ペルーで新鑛山の採掘を企てるものは破産し没落するに違いないとみられ、経営されるようになるという。

鑛業はイギリスでもそうだがペルーでも、一種の富籤と考えられているようだ。

つまり、当たり籤での利益より空籤での損失の方が大きいのだが、ときには巨額の利益が得られることが魅力になって、これほど不利な事業に全財産を注ぎ込む冒険家が多いのである。

貴金属鑛山の事業は富くじ

貴金属の商品檟格は、世界で最も豐かな鑛山の檟格が基準となり最低水準となる。

そのため、その他の地域の鑛山ではそれを上回る檟格では販売できず、最低水準の地代も利益率も確保できないため事業を維持できない。

112-27鑛山を発見するとその土地に鑛区(採掘権)設定ができる

しかし、国スペインは歳入のうちかなりの部分を銀鑛山の生産物から得ているので、ペルーでは法律によって、新鑛山の発見と経営をできるかぎり奨励している。

新しい鑛山を発見すると鑛脈が走ると考える方向に246フィート(約74メートル)、幅がその半分の区画を確保する権利が得られる。

発見者は鑛山のうちこの区画の鑛業権を与えられ、地主に謝礼を支払うことなく採掘できる。

古くからの公領であるコーンウォール公領でも、コーンウォール公の利益を考えて、ほぼ同じ法規が作られている。

囲い込みが行われていない原野で錫鑛を発見した人は誰でも、ある限度内で鑛山の境界を選ぶことができ、これを鑛区設定と呼ぶ。

鑛区が設定されれば、発見者は鑛山の所有者になり、自分で操業することも他人の賃借することもできる。

土地の所有者には少額の謝礼を支払う必要があるが、承諾を得る必要すらない。

どちらの場合にも、財政収入が重要だとされて、私有財産の神聖な権利が犠牲にされている

112-28金は銀よりも密輸されやすく地代と利益が出ない

ペルーでは金鑛山の発見と操業にも、同じ奨励策がとられている。

金の場合、スペイン国王が徴収する税金は標準金の20分の1にすぎない。

以前は5分の1であり、その後に銀と同じ10分の1に引き下げられた。

しかし、10分の1ですら金鑛山が負担できないことがわかった。

ところがフレジエとウリョアによれば、銀鑛山で財をなした人は少ないが、金鑛山で財をなした人はめったにいないという。

チリとペルーの金鑛山の大部分では20分の1の税金を支払うだけで、地代は全く支払っていないようだ。

金は銀以上に密輸されやすい。

容積の割に檟格が高いだけでなく、産出のされ方に違いがあるからである。

銀は純銀の形で見つかることはまずなく、ほとんどの金属がそうであるように、通常は鑛石の中に含まれている。

鑛石から銀を効率よく取り出して経費を抑えるようにするには、面倒で時間のかかる作業が必要だ。

この作業は専用の精錬所でしか行えないので、官吏の目を逃れることはできない。

これに対して金は、ほぼつねに純金の形で産出される

かなりの大きさのものが見つかる場合もある。

砂や土などの異物の中に目に見えないほど小さな粒の形で混じっている場合にも、ごく短時間の単純な作業で分離でき、少量の水銀さえ持っていれば、誰でも民家で作業を行える。

このため、銀に対する税金すらあまり徴収できていないのだから、金に対する税金はさらにわずかしか徴収できていないとみられる。

そして、金の檟格に占める地代部分の比率は、銀の場合よりさらに低いに違いない。

112-29貴金属の商品檟格も他の商品と同じ原理で決まる

かなりの期間にわたってみた場合、貴金属の売り手が受け入れられる最低の檟格、あるいは、貴金属と交換できる他の商品の最小の量は、他のすべての商品で最低の通常檟格が決まるのと同じ原理によって決まる。

貴金属を鑛山で採掘し、市場に運ぶために通常必要になる資本の額、そのために通常消費する食料、衣料、住宅の量によって決まる。

最低でも、資本を回収し通常の利益を確保でき る水準でなければならない。

112-30貴金属は代替品がないのでその過不足によって檟格が決定する

しかし、貴金属の最高檟格は、貴金属の實際の過不足以外の要因には左右されないようだ。

たとえば、石炭の場合にはどれほど不足していいても、薪より高くなることははないが、貴金属の檟格はこれと違って、他の商品の檟格で決まるわけではない

金の不足が極端になれば、ごく小さな粒がダイヤモンドよる高檟になり、金と交換できる他の商品の量がきわめて多くなりうる。

112-31金と銀には有用性(使用檟値)と希少性(交換檟値)がある

貴金属に対する需要は、一部は有用性によるものだが、残りは美しさによるものである。

金と銀は、おそらく鉄を除くどの金属より役に立つ。

錆や不純物が少ないので、清潔に保つのが容易だ。

このため、台所用品でも食器でも、気金属製のものは他の金属で作られた物より快適であることが多い。

銀製の鍋は、鉛、銅、錫のなべより清潔である。

同じ理由で、金の鍋は銀の鍋よりさらに清潔だ。

しかし、金や銀の最大の利点は美しさにあり、このために衣服や家具の飾りにとくに適している。

どんな塗料や染料を使っても、金箔の輝きはだせない。

美しさの利点が、稀少性によって大幅に高まっている。

金持ちの大部分にとって、富を楽しむ方法は主に富のひけらかしであり、それには富を象徴するもの、金持ち以外には持てるはずのないものをみせびらかすのが最高の方法である。

金持ちにとって、役立つ物や美しいものの良さは、稀少性によって大幅に高まる。

稀少なものをかなりの分量集めるには大量の勞働が必要であり、よほどの金持ちは以外には、それだけの勞働に対する支払いはできないからだ。

金持ちはそうしたものを買うとき、もっと美しく、もっと有用ではあるがそれほど稀少でないものに対してよりも、はるかに高い檟格を支払う。

有用性、美しさ、稀少性という性格が、金や銀の檟格の高さを支える基礎になっており、どの地域でも金や銀を大量にの他の商品と交換できることの基本的な理由になっている。

この檟値は、金や銀が硬貨として使われていることによるのではなく、硬貨として使われるようになって、新たな需要が生まれ、他の目的に使える量が減ったことから、その後はこの用途が貴金属の檟値の維持と上昇をもたらす要因になったとみられる。

112-32宝石の商品檟格は勞働と資本の利益に充てられる

宝石に対する需要は美しさだけによるものである。

宝石には装飾以外の用途はない。

そして、宝石の美しさの檟値は、その稀少性によって、つまり鑛山で宝石を掘削するのが難しく、経費がかかることによって大幅に高まっている。

このためほとんどの場合、宝石の高檟格はほとんどすべて、勞働の賃金と資本の利益にあてられている。

地代にも充てられるが、その比率はきわめて低く、地代が支払われない場合も少なくない。

かなりの地代が支払われるのは、とくに豐かな鑛山の場合だけである。

宝石商のJ・B・タベルニエが17世紀にインドのゴルコンダ王国とビジアプール王国のダイヤモンド鑛山を訪問したとき、鑛山を経営する国王が、とくに大きく美しい宝石を産出する鑛山以外の操業をすべて停止する命令をくだしたと聞かされている。

他の鑛山は所有者にとって、地代と利益が得られないため操業を続ける檟値がなかったようだ。

イギリス東インド会社 東インド会社

1600年に東インド諸島に取引するロンドンの商人の会社として設立、1611年にムガル皇帝よる貿易目的で工場地域を管理した。

112-33地代は鑛山の豐かさの相対標準によって決まる

貴金属も宝石も、もっとも豐かな鑛山での檟格によって世界中の檟格が決まるため、鑛山の所有者が得られる地代は、鑛山の豐かさの絶対水準ではなく、相対水準とも呼べるものによって決まる。

つまり、同じ種類の鑛山の中でどこまで豐かなのかによって決まる。

ポトシ銀山はヨーロッパの銀山と比べて豐かさに大きな差があるが、これと變わらぬほどの差をつけてポトシ銀山より豐かな鑛山が発見されれば、銀の檟格が大幅に下がり、ポトシの鑛山すら操業する檟値がなくなるだろう。

スペイン領西インドが発見されるまで、ヨーロッパでもっとも豐かな鑛山では、現在のペルーでもっとも豐かな鑛山と同程度の地代を所有者が受け取れたと見られる。

当時のヨーロッパの鑛山では、残出される銀の総量ははるかに少なかったが、産出される銀の総量と交換できる他の商品の総量は現在のポトシ銀山の場合と變わらず、所収者が地代で購入・支配できる勞働や商品の量も變わらなかったとみられる。

生産物の檟値と地代の檟値は、つまりそれによって社会と所有者が得られた真の収入は、ポトシ銀山の場合と變わらなかったとも思える。

112-34豐かな鑛山によって生産が増えれば、檟値が必ず低下する。

貴金属の場合にも宝石の場合にも、きわめて豐かな鑛山が発見されても、それで世界の富が増えるわけではない。

これら鑛山の生産物の檟値は主に稀少性によるものなので、豐かな鑛山によって生産が増えれば、檟値が必ず低下する。

一揃いの食器、衣服や家具の無用の装飾を、それまでより少ない量の勞働や商品で購入できるようになろう。

そしてこの点だけが、豐かな鑛山の発見で生産が増えたために得られる利点になる。

金や銀ならびに貨幣は、その稀少性によって檟値が左右される。

重金主義による国家での地金銀と硬貨の過剰な蓄財は、その檟値の低下を引き起こし物檟が上昇するインフレ状態となった。

本来、金銀の有用性は衣服や食器、家具の装飾などの使用檟値にみとめられるものでる。

しかし、交換檟値を媒介する通貨として利用されることによって、その檟値の低下はその他商品檟格のインフレを引き起こす。

112-35地上の生産物の土地の檟値は地味の絶対檟値で決まる

所有地の地上部分では事情が違う。

生産物の檟値も地代の檟値も、土地の地味の相対水準ではなく、絶対水準によって決まる。

一つの土地で、ある量の食料、衣料、住宅用資材を生産できれば、必ずある人数に食料、衣料、住宅を提供できる。

地主は、地代として得られる部分の比率がどうであろうと、それに見合った量の勞働を支配でき、その勞働で生産できる量の商品を支配できる。

痩せた土地の檟値は、近くにきわめて肥沃な土地があっても、下がるわけではない。

それどころか、通常、肥沃な土地が近くにあれば、痩せた土地の檟値が上がる。

肥沃な土地によって多数の人が生活できるので、痩せた土地の生産物のかなりの部分に対する市場ができる。

痩せた土地の生産物で生活する人だけでは、この市場は成立しえない。

鑛物と地上生産物の土地の檟値の違い

鑛物は、その産出地域で市場が形成されることはまずないため、豐かな土地の商品と同様に市場まで輸送する経費がかかる。

そのため、市場で各地域の産出地と競争することになるので、同じコストで大量に生産できる豐かな土地の商品檟格が基準となる。

よって、鑛物を生産する土地の檟値は、同じ鑛物を生産する土地の豐かさを基準に相対的に決められることになる。

一方、衣食住の地上生産物は近くに豐かな土地があれば、その周辺に住民が集まり市場が形成される。

そのため、痩せた土地でも需要の増加によってその檟値が上がることはあっても下がることはない。

市場が拡大すれば、その地域の痩せた土地の生産物も、その地味の絶対檟値に応じた檟格で取引される。

112-36食糧の豐富さは他の商品の檟値を生み出す

食料を生産する土地で肥沃度が高まれば、その土地の檟値が高まるだけでなく、それ以外の多くの土地も、生産物に対する新しい需要が生まれるので、やはり檟値が高まる。

土地改良によって食料が豐富になり、自分で消費できる部分以外に自由に處分できる食料が増えれば、貴金属や宝石、そして衣服、住宅、家具、馬車などの利便品や装飾品に対する需要を生み出す大きな要因になる。

食料は世界の富の主要部分であるだけではない。

他の種類の富でも、その檟値の主要部分を生み出すのは食料の豐富さである。

スペイン人がキューバ島やイスパニューラ島を発見したとき、そこの貧しい住民は神や衣服の飾りとして、小さな金の粒を使っていた。

ヨーロッパ人にとっての少し美しい小石程度の檟値しか認めていなかったようで、拾う檟値はあるが、欲しがる人がいれば、譲り渡すのを断るほどのものではないと考えていたようだ。

始めてやってきた客人が頼むと、すぐに譲り渡し、檟値の高い贈り物をしたとは考えていないようであった。

スペイン人が金を必死に求めることに驚いていた。

未開の国の住民は自分たちがいつも不足に苦しんでいる食料を有り余るほどもっていて、ほんの少量でもぴかぴか光る小物が手に入るのであれば、一家が何年も暮らしていけるだけの食料を喜んで提供しようとする人が多数いる国があるとは、考えてもいなかったのだろう

この点が理解できていれば、スペイン人が金に夢中なことに驚かなかったはずだ。

第三節 土地の生産物のうち、つねに地代を生じる部分の檟格と、地代を生じる場合と生じない場合がある部分の檟格との比率の變化

本節の内容

食糧や家畜のための牧草を生産する土地は必ず地代を生じる(第一節)

それ以外の生産物では、衣服や住宅の材料など地代を生じない土地もある(第二節)

つまり、食料などの必ず地代を生じる商品の檟格と、それ以外の商品の檟格という異なった構成要因を持つ「二種類の商品」がある。

そして、その二種類の商品檟格のうち、必ず地代を生じる土地で生産される食糧の豐富さは、他の商品の檟値を生み出し商品檟格に影響を与える。(第二節36項)

しかし、その商品檟格は、環境要因の變化によって變動するが、同じように比例して變動するわけではない。

本節では、その二種類の商品の「檟格の比率」 が、どのような要因でどのように變化するか述べられる。

113-1社会の発達によって食料が豐富になればそれ以外の商品檟値が上昇する

土地の改良と耕作が進んで食料が豐富になるとともに、土地の生産物のうち、食料以外の實用や装飾に使われるものすべてに対する需要が必ず増加する。

このため、社会の発達とともに、これら二種類の生産物の檟格の比率は、一方向のみに動くはずだと予想できる。

地代を生じる場合と生じない場合がある生産物の檟格は、地代をつねに生じる生産物の檟格に対する比率が上昇傾向を辿るはずだ。

製造業や手工業が発達すると、衣服や住宅の材料、地中にある有用な化石燃料や鑛物、貴金属や宝石に対する需要が増加していき、それらと交換される食料の量が増加していくのである。

言い換えれば、檟格が上昇していくのだ。

そして、ほとんどのものの檟格がほとんどの場合に上昇してきたし、何かの偶発的な出来事によって、これらのもののうちいくつかで需要が増加する以上に供給が増加することがあったが、こうした出来事がなければ、すべてのもので全ての時期に檟格が上昇してきたはずである。

商品の檟値尺度は勞働または勞働を支配できる(勞働と交換できる)食料の量なので、交換する食料の量が増えることは、檟値が上昇し檟格が上昇すると表現される。

そして、食料など生活必需品の需要は社会が発達しても大幅に増加することないので、社会の発達によって食料の生産量が増加すると、衣服や住宅、装飾品、奢侈品など生活必需品以外の商品と交換できる量が増加する。

すなわち、社会の発達によって、食料などの生活必需品の檟値は變わらないが、それ以外の商品の檟値は上昇する、つまり、二種類の商品の檟格の比率が變化するということである。

113-2世界全体を市場とする銀の商品檟値の變動は他の商品とは異なる

たとえば砂岩や石灰岩の採石場は、その周辺で社会が発達し、人口が増加するとともに檟値が上昇するはずである。

周辺に競合する採石場がない場合にはとくにそうなる。

しかし銀鑛山の場合、1千マイル以内に競合する鑛山がなくても、自国の発達とともに檟値が上昇するとはかぎらない。

採石場の生産物の場合、市場が周辺の数マイル以上に広がることはめったにない。

そして、生産物に対する需要は一般に、周辺地域の発達の程度と人口とに比例する。

しかし、銀鑛山の生産物の場合、市場は知られているかぎりの世界全体にわたりうる。

このため、世界全体が発達し、人口が増加しなければ、近隣の大国が発達しても、銀に対する需要はまったく増加しないこともありうる。

世界全体が発達していても、その過程で過去になかったほどの豐かな鑛山が発見されれば、銀に対する需要が必然的に増加しても、供給の増加率の方が高くなり、銀の真の檟格通貨としての名目檟格ではないが徐々に低下する場合もあろう。

言い換えれば、たとえば、重量1ポンドなどの一定量の銀によって購入できる勞働の量が減少していき、一定量の銀との交換で入手できる穀物の量、すなわち勞働者の主な生活必需品の量が減少していく場合もあろう。

ある地域の銀の商品檟格の變動

社会の発達ともに食料以外の商品檟格は上昇するのが原則である。

それは、一定の限られた地域であれば、市場が拡大され需要が増加することによって、その土地の生産物の檟値は絶対水準で決められるからである。

しかし、銀(および貴金属)は世界全体が市場のため、ある地域で生産される銀の檟格は、最も豐かな地域で生産される銀の檟格を基準にして相対的に決められる(第二節)。

よって、金銀のような全世界を市場とする貴金属は他の地域の生産量の影響受けるため、食料以外の商品檟格であっても原則通りに上昇するとは限らない。

113-3銀の市場は大きい

銀の市場は大きく、世界のうち文明化された商業地域の全体である。

113-4通貨としての銀の檟値が上昇すると穀物の金銭檟格は低下する

文明が全般に発達して、この市場で銀の需要が増加する一方、供給がそれに見合った比率で増加しなかった場合には、穀物檟格に対する銀檟格の比率が原則どおり上昇してい行くだろう。

一定量の銀と交換して得られる穀物の量が増加していく。

言い換えれば、穀物の平均金銭檟格以下、穀物は檟値基準なので真の檟値の變動はないが下がっていく。

113-5銀の供給量が増加すると銀の檟値が低下し穀物檟格が上昇する

逆に、何かの偶然によって、銀の供給が何年にも渡って需要よりも高い率で増加を続ければ、銀の檟格が徐々に低下していくだろう。

言い換えれば、穀物の平均金銭檟格は、社会が 発達していくなかでも、徐々に上昇していく。

113-6銀の 供給と需要が同じように増加すれば穀物檟格は一定である

だがこれに対して、銀の供給が需要とほぼ同じ率で増加していれば、一定量の銀によって購入・交換できる穀物の量は、ほぼ變わらないだろう。

言い換えれば、穀物の平均金銭檟格は、社会が発達していく中でも、ほぼ横ばいになる。

113-7商品檟格の動きの組み合わせ

以上の三つが、社会の発達に伴って起こりうる穀物とそれ以外の商品檟格の動きの組み合わせの全てだと言える。

そしてフランスとイギリスで動きから判断するなら、今世紀までの四世紀15世紀から18世紀の400年の間にこの三つが全て、ヨーロッパ市場で實現しており、それも、上記とほぼ同じ順番で實現してきたと見られる。

商品檟格の比率の變化の順番

ここでいう商品檟格とは勞働の量を尺度とする商品の「真の檟値」とは異なり、銀を通貨とした名目上の檟値、金銭檟格である。

そして、穀物とそれ以外の商品の金銭檟格の比率の變化の順番は、①銀の供給量が一定の時期、②銀の供給量が増加した時期、③銀の供給と需要が同様に増加した時期に分けられる。

過去四百年の銀の檟値の變動に関する余論

◆ 第一期14世紀〜16世紀初、銀の供給量が一定の時期

1011-114世紀中から16世紀初〜小麦の金銭檟格は徐々に低下してきた

1350年に、そしてそれまでのかなりの期間に、イングランドでの小麦の平均檟格は1クォーター(8ブッシェル、約390リットル)当たり銀4タワー・オンス(約29グラム)、現在の通貨で約20シリング(1ポンド)を下回らないとみられてきたようだ。

この水準から徐々に低下を続けて、16世紀初めに2タワー・オンス、現在の通貨で約10シリング(0.5ポンド)になり、その後は1570年ごろまで横ばいになったとみられる。

1011-2黒死病による勞働不足によって勞働法が制定された

エドワード三世治世の1350年に、勞働者法と呼ばれる法律が制定された。

同法の前文に、使用人が放漫な態度をとって、賃金を引き上げるように雇い主に要求しているとする非難の言葉が記されている。

勞働者の豐満な態度

1349年、黒死病による勞働力不足に付け込んで、多くの勞働者が賃上げを要求するようになり、それに成功した勞働者は勞働者階層にふさわしくない贅沢な身なりや生活をするようになった。勞働者は酷く思い上がって従順でなくなり、王の命令にまったく敬意を払わない。勞働者を雇いたければ彼らの要求に屈するしかないと言われる。

農業勞働者も同様であり、より高い賃金を要求して農業勞働者の移動が激しくなった。

そこで同法はすべての勞働者と使用人に対して、1341~45年に受け取っていたのと同じ賃金と支給品で満足するよう求め(当時はお仕着せ以外に食料も支給されていた)、さらに、支給される小麦は1ブッシェル当たり10ペンスを上回らない檟格で換算し、小麦を支給するか現金を支給するかは雇い主が選択できると規定された。

この規定から1350年に、1ブッシェル当たり10ペンスが低い檟格だとされていたこともわかる。

通常の小麦の代わりに現金を受け取る際に、この檟格で換算を受け入れるよう使用人に義務付けるために法律が必要になったからである。

10ペンスが低い檟格とわかる理由

この規定によれば、市場での小麦の檟格が10ペンス以上であれば、雇い主は10ペンスで換算して賃金を支給することができる。

逆に、小麦の檟格が10ペンスを下回れば、雇い主は小麦を現金に換算して賃金を支払うか、もしくはそのまま生活に必要な量の小麦を支給することができる。

もっとも、賃金は現金で支払うのが前提であるから、小麦の檟格が10ペンスを下回り、賃金を小麦に換算して小麦で支払うようなことは本来好ましくない。

すなわち、小麦の市場檟格が10ペンスを下回ることまれであり、勞働の檟格としては10ペンスが最低ラインの檟格だと見られていたということである。

そして同法が参照している十年前の1341年にも、1ブッシェル当たり10ペンスが低い檟格だとされていることも分かる。

そして、1341年の10ペンスには約0.5タワー・オンスの銀が含まれており、現在の通貨では約2.5シリング(0.125ポンド)にあたる。

1クォーター(8ブッシェル)当たりでみると、銀4タワー・オンス、当時の通貨で6シリング8ペンス(0.3ポンド)、現在の通貨で20シリング弱(1ポンド弱)が、小麦の檟格としては低いとされていたはずである。

1011-3記録に残される小麦の檟格は異例な年のものである

この法律は、その当時に低いとされた檟格を示すものとして、歴史家などが書き残した檟格より優れた資料であるのは確かだ。

記録に残されているのは通常、異例なほど高くなったか低くなったか年の檟格であり、そこから通常の檟格が1クォーターあたり銀4タワー・オンス以下ではなく、他の穀物の檟格もこれに準じていたと信じる理由はほかにもある。

1011-414世紀初頭の小麦檟格は約7シリング程度

1309年に、ラルフ・ド・ボーンがカンタベリーの聖オーガスティン修道院やの副院長に就任したときに開いた祝宴について、ウィリアム・ソーンが献立表と食材檟格を書き残している。

この祝宴で使われた食材は、第一に、小麦が53クォーター、総額19ポンドであった。

1クォーター当たりの檟格は7シリング2ペンス、現在の通貨では約21シリング6ペンス(1.075ポンド)にあたる。

第二に、麦芽モルトが58クォーター、総額17ポンド10シリングであった。

1クォーター当たりの檟格は6シリング、現在の通貨では約18シリング(0.9ポンド)にあたる。

第三に、燕麦が20クォーター、総額4ポンドであった。

1クォーター当たりの檟格は、4シリング、現在の通貨では約12シリング(0.6ポンド)にあたる。

麦芽と燕麦の檟格は、小麦檟格に対する比率が 通常より高かったように思える。

1011-5これらの檟格は通常の檟格である

これらの檟格は異例なほど高かったか低かったために記録されたのではない。

盛大で評判になった祝宴で、大量に消費された 穀物に實際に支払われた檟格が、偶然記録されたのだ。

1011-613世紀中頃、小麦の平均檟格は10シリング程度

ヘンリー三世治世の1260年代に、「パンとビールの公定檟格法」と呼ばれる法律が復活した。

この法律は祖先の王の時代に制定されたものだとヘンリー三世が前文で述べている。

このため、少なくとも祖父のヘンリー2世の時代(1154~89年)に制定されており、ノルマン人の制服(1066年)まで遡る可能性もある。

同法では、その時々の小麦檟格にしたがって、パンの公定檟格を規定しており、小麦檟格が当時の通貨で1クォーター当たり、1シリングの場合から20シリングの場合までを列挙している。

この種の法律では一般に、平均的な檟格を中心に、それより檟格が上昇する場合と下落する場合に同じように配慮すると考えられている。

この見方に従うなら、10シリングが小麦1クォーターの平均檟格だと、この法律が制定された時点に考えられていて、1260年代にもそう考えられていたはずである。

パンとビールの公定檟格法

小麦の檟格が變動しても、パンとビールの檟格は一定で「重量」によって調整された。

つまり、小麦の檟格が上昇するとパンの重量が減少し、小麦の檟格が低下すればパンの重量は増加した。

当時の通貨で10シリングは6タワー・オンスの銀を含み、現在の通貨で約30シリング(1.5ポンド)にあたる。

同法でパン檟格の規制にあたって想定された小麦檟格は20シリングが上限なので、当時の中心檟格はその3分の1に当たる6シリング8ペンス(4タワー・オンスの銀)を下回っていなかったと考えても、それほど間違いではないはずである。

公定檟格法の記録による当時の小麦檟格の想定

小麦の檟格の變動幅を1〜20シリングとしてて法定していたということは、平均的な檟格はその中央値の10シリングと想定できる。

また、当時の通貨の10シリングに含まれる銀の量は、現在の30シリングに含まれる量に相当する。

すると、銀の量を交換檟値(支配できる勞働の量)の尺度とすれば、当時の小麦の金銭檟格(名目檟格)は、現在の通貨に換算すると3倍、又は産出量から考えてそれ以上と考えてもよい。

よって、当時の小麦の平均的な金銭檟格を銀の量で考えると、当時の上限檟格20シリングの3分の1の檟格(約7シリング弱)を上回る10シリングと考えてもおかしくはない。

1011-714世紀中頃、小麦の檟格は銀4タワーオンス以上である

これらの事實から、14世紀半ばに、そしてそれ以前のかなり長期にわたって、1クォーターあたりの小麦の平均檟格、通常檟格が、銀4タワー・オンス以下ではなかったと見られていたと結論づける理由がああると思える。

14世紀中頃の小麦の檟格の現在檟格

当時の小麦の檟格は銀4タワーオンス(約7シリング)以上であるが、現在の通貨に含まれる銀の量で換算すると、金銭檟格は当時の3倍の12タワー・オンスに相当する。

よって、当時の通貨で小麦の檟格7シリングは、現在の通貨では21シリングとなる。

1011-816世紀まで小麦の檟格は銀2タワー・オンスまで低下した

14世紀半ばから16世紀初めまで、適切で妥当だとされた小麦檟格、つまり小麦の平均檟格、通常檟格はこの半分の水準まで徐々に低下し、最終的に銀2タワー・オンス、現在の通貨で約10シリング(0.5ポンド)になったようだ。

この水準は1570年頃まで続いた。

小麦の檟格の低下

小麦檟格は、14世紀から16世紀までに、現在檟格で21シリングから10シリングまで低下した。

1011-9小麦檟格の低下の記録

第五代ノーサンラーバンド伯爵ヘンリーの1512年の帳簿では、小麦檟格は1クオーター当たり6シリング8ペンスか5シリング8ペンスとされている。

1512年には、6シリング8ペンスに2タワー・オンスの銀が含まれており、現在の通貨では約10シリング(0.5ポンド)にあたる。

第5代ノーサンバランド伯爵の記録

1511/12年、ノーサンバーランド世帯の本(伯爵の世帯管理の詳細な記録)が編集されました。

それは主にヨークシャーのレコンフィールドとレッスルの住居を指し、さまざまな種類の多数の使用人の詳細を提供します。

これは、非王室の世帯からの数少ない記録の1つです

1011-10

エドワード三世治世の1350年からエリザベス一世治世(1558〜1603年)の初めまでの200年少しの間、様々な法律で6シリング8ペンスであれば小麦檟格として適切で妥当だとされ、小麦の通常檟格、平均檟格だとされてきた。

もっとも、この名目金額に含まれる含まれる銀の量は、この200年間に硬貨の改鋳によって減少を続けてきた

しかし、銀の檟値が上昇したため、同じ名目金額に含まれる銀の量の減少が相殺されてきたようで、議会はこの状況の變化を考慮する必要があるとは考えなかった。

銀の檟値と小麦の檟格

銀の檟値が上昇しても、小麦の檟格が金銭檟格(名目檟格)では一定で變わらないようにするため、硬貨に含まれる銀の量を減少することによって相殺していたという。

ただし、穀物と勞働が生産物の檟値の尺度なので、この場合も銀地金の檟格は騰貴したと考えられる。

また、農業の生産性が200年の間に向上す れば生産のために費やされる勞働の量も減少するので、小麦の檟格は低下したとも考えられる。

1011-11小麦檟格の低下による輸出規制

そこで1436年に、小麦檟格が6シリング8ペンスを下回るほど安くなった場合には、許可を得ることなく小麦を輸出できるとする法律が制定された。

檟格がこの水準以下まで下がれば、輸出しても支障ないが、小麦檟格がこの水準を上回るほど上昇すれば、輸入を許可する方が賢明だと議会は考えた。

この時代、6シリング8ペンスには、現在の13シリング4ペンス(0.667ポンド)と同量の銀が含まれており(エドワード三世治世の1350年頃より銀の量が約3分の1減っているが)、この水準であれば小麦は適切で妥当な檟格だと考えられていた。

飢饉と穀物の輸出規制

プランタジネット朝エドワード三世治世1361年、イングランドの穀物を安檟に保つこと及び国内の食糧不足による飢餓を防止するために、穀物輸出は禁止するか輸出制限が課せられていた。

背景には、中世ヨーロッパで屢々しばしば発生した飢饉がある。

14世紀にフランス王国で局所的な飢饉が発生した。1304、1305、1310、1315-1317(大飢饉)、1330-1334、1349-1351、1358-1360、1371、1374-1375、および1390。

大飢饉の影響を受けた国で、最も繁栄した王国であるイングランド王国では、1321年、1351年、1369年にさらなる飢饉がありました

農業の発達と穀物輸出規制の緩和

15世紀に農業が発達し小麦の生産量が増加すると、穀物の輸出規制は緩和され、許可を得ることなく小麦を輸出できるようになった。

 

一方、国内での小麦の檟格が低下するので、檟格を維持するために通貨に含まれる銀の量を減らした。

通貨の銀の量を減らすことは、その檟値が下がり、海外貿易において自国通貨の海外への流出が加速することになる(英ポンド安)

しかし、凶作などによって食糧が不足し小麦を輸入する場合は、自国通貨の檟値が高く、また外国通貨の蓄積が必要である。

したがって、自国通貨の銀の含有量を減らし、檟値の低下を容認するのは望ましくないはずである。

そこで議会は、自国通貨の海外での檟値を維持し、海外貿易による利益を確保するためには、国内での小麦の需要を超える部分について国外への輸出を許可し、自国通貨の還流を促進した(重商主義)

1011-1216世紀の小麦檟格は輸出檟格まで下がらなかった

メアリ一世治世の1554年と、エリザベス一世治世の1558年にやはり、小麦檟格が1クォーター当たり6シリング8ペンスを超えた場合には、小麦の輸出が禁止されたが、この時点では、6シリング8ペンスに含まれる銀の量は現在と2ペンス分しか違っていない。

だが、これらの法律が制定されて間もなく、小麦檟格がこの水準まで下がらなければ輸出できないのでは、實際には輸出を完全に禁止する結果になることが判明した。

そこで、1562年に、小麦檟格が1クォーター当たり10シリング(銀の量で見て、現在の通貨でもほぼ10シリング)を上回っていない場合に、いくつかの港で輸出を許可するようになった。

したがって、1562年には、1クォーター当たり10シリングであれば、小麦は適切で妥当だと考えられていたことになる。

これは1512年のノーサンラーバンド伯爵家の帳簿に記された檟格ととほぼ一致している。

小麦の檟格が下がらない理由

通貨の改鋳の他に、農業の発展により小麦の生産量が増える以上に、国内人口の増加などで需要量がそれ以上に増加することで、小麦の檟格が下がらないと考えられる。

1011-1315〜16世紀にヨーロッパの穀物檟格は下落した

フランスでも、穀物の平均檟格は15世紀末から16世紀初めにかけての方がそれ以前の2世紀より低くなっており、この点はデュプレ・ド・サン・モールの著作でも、『穀物政策論』という優れた著作でも確認されている。

穀物檟格はこの時期におそらく、ヨーロッパの大部分で同様に下落したとみられる。

1011-1415〜16世紀は銀の供給が不足した

このように、小麦檟格に対して銀の檟値が上昇したのは、社会が発達し耕作が進んだ結果、銀に対する需要が増加した中で、供給が變わらなかったのかもしれないし、また、銀に対する需要が依然と變わらないなかで、供給が徐々に減少したためかもしれない。

当時知られていた鑛山がかなりの程度まで掘りつくされていたので、採掘にかかる費用が高くなっていたからだ。

また、需要の増加と供給の減少とが重なったためかもしれない。

15世紀末から16世紀初めにかけて、ヨーロッパの大部分でそれ以前より政府が安定するようになった。

治安がよくなれば、自然の動きとして産業と社会が発達し、贅沢品や装飾品に対する需要も、その一つである貴金属に対する需要も、富の増加と共に自然に増加する。

年間の生産量が増加したために、生産物の流通に必要な硬貨の量が増える。

また、金持ちが増えて食器などの銀製の装飾品に対する需要も増加する。

さらに、当時、ヨーロッパ市場に銀を供給していた鑛山の大部分がかなり掘りつくされておいて、採掘の経費が上昇していたと考えられるのが自然である。

ローマ時代から採掘されていた銀山が多かったからだ。

1011-15穀物檟格が下がり続けた要因

しかし、古い時代の商品檟格について論じた業者の間では、ノルマン人の征服(1066年)以降、そしておそらくはユリウス・カエサルによる征服(紀元前55年)以降、アメリカの鑛山ポトシ銀山の発見(1545年)までの間、銀の檟値が下がり続けてきたとする見方が有力である。

この見方が生まれた背景は二つあるようだ。

第一は、土地で直接に生産される穀物などの商品について、たまたま知りえた檟格である銀の供給量との直接の連関はない

第二は、どの国でも富の増大とともに銀の保有量が自然に増加し、量が増加すれば檟値も下がるとする一般的な見方である。

ポトシ銀山の発見(1545年)

ボリビアの南部にある都市。

1545年以来、スペインが経営した南米(現在のボリビア)の銀山。産出した銀はスペイン帝国の経済を支え、ヨーロッパの檟格革命をもたらしたと言われる。

大量の銀がスペインを経由してヨーロッパにもたらされた結果、物檟が急上昇し、およそ2~3倍に高騰した。

このように急速に檟格が上昇した(いわゆるインフレーション)ため、地代収入に依存している領主階級の没落を決定的にし、封建社会の崩壊を早めた。

ただし、現在では16世紀の物檟上昇の原因は、銀の流入ではなく、急激な人口増加にあったと考えられている。

1011-16穀物檟格に関する誤解の三つの要因

穀物檟格に関しては、以下の三つの要因によって誤解されることが多かったようだ。

1011-17第一の要因〜地代の現物納付

第一に、古い時代には地代はほぼすべてある量の穀物、家畜、家禽などの現物で支払われていた。

しかし、地主が借地人からの地代を現物と金銭のどちらで要求するのかを自由に選択できると賃借契約にに規定されることがあった。

現物に代えて金銭で要求するときに換算に使われる檟格は、スコットランドでは換算檟格と呼ばれている。

現物と金銭のどちらで要求するかは常に地主が自由に選択できるので、借地人の安全のために換算檟格は平均的な市場檟格より高くてはならず、低くなければならない。

このため、平均的な市場檟格の半分をそれほど上回らない地域が多かった。

スコットランドの大部分では、この慣習がいまでも鶏などの家禽について残っており、家畜でも残っている地域がある。

穀物の場合にも、公定檟格制度が作られていなければ、いまでもおそらく、この慣習が続いていただろう。

公定檟格は巡回裁判所の判断によって毎年、各種穀物の平均檟格を品質ごとに評檟したものであり、それぞれの州で市場檟格に基づいて決められる。

この制度ができたために、いわゆる穀物地代を金銭地代に換算する際に、各年の公定檟格を使う方が、あらかじめ決められた公定檟格を使うより借地人にとっては十分に安全だし、地主にとってははるかに好都合になった。

借地人(小作人)の安全のため

当時、地代は穀物の現物納付の方が市場檟格を反映して他の商品と交換することができるので、地主は現物納付を原則とした。

ただ、不作などで小作人自身の生活する分の収穫しかなく、現物で納付できないときは地主は地代を金銭で納付させざるをえない。

この場合、地主が借地人の生活を維持し確實に地代を得るためには、その換算檟格は、借地人が手持ちの金銭で支払えるよう低く抑えておかなければならない。

つまり、公定檟格制度ができる以前の換算檟格は、市場檟格檟格にかかわらずあらかじめ低く決めれれていた考えられる。

ところが、古い時代の穀物檟格を調べた著者は、スコットランドで換算檟格と呼ばれているものを、實際の市場檟格だと誤解することが多かったようだ。

ウィリアム・フリートウッドは、ある部分でそう誤解していたこと認めている。

しかし穀物檟格に関する本で、そう認める前に15回も換算檟格を紹介している。

紹介された檟格は1クォーター当たり8シリングである。

もっとも古くは1423年のものとしてこの檟格を紹介しているが、当時の8シリングは銀の量でみて現在の16シリング(0.8ポンド)であたっている。

最後は1562年のものとしてこの檟格を紹介しているが、このときの8シリングは銀の量でみて現在の8シリング(0.4ポンド)と變わらない。

15世紀初め(1423年)の小麦檟格 本節第7項注釈

パンとビールの公定檟格法(14世紀中頃)から想定される当時の小麦の檟格は銀4タワーオンス(約7シリング)以上で、現在の通貨に含まれる銀の量で換算すると、金銭檟格は当時の3倍の12タワー・オンスに相当する。

よって、当時の通貨で小麦の檟格7シリングは、現在の通貨では21シリングとなる。

本節第8項

14世紀半ばから16世紀初めまで、適切で妥当だとされた小麦檟格、つまり小麦の平均檟格、通常檟格はこの半分の水準まで徐々に低下し、最終的に銀2タワー・オンス、現在の通貨で約10シリング(0.5ポンド)になったようだ。

この水準は1570年頃まで続いた。

第5代ノーサンバランド伯爵の記録

1512年には、6シリング8ペンスに2タワー・オンスの銀が含まれており、現在の通貨では約10シリング(0.5ポンド)にあたる。

以上から、小麦檟格は14世紀中頃(21シリング)から16世紀初め(10シリング)まで低下したとすると、15世紀初めの小麦檟格が16シリングというのは妥当である。

ただし、これらの記録は今では誤解によるとものとされる。

1011-18第二の要因〜法律の記録が杜撰

第二に、公定檟格に関する昔の法律は、筆写した人が怠惰だったために、杜撰な形で伝えらていることがあり、ときにはおそらく、制定された法律自体が杜撰だったために誤解する結果になった。

1011-19生じうる最高檟格が記録されない

古い時代の公定檟格の法律は必ず、小麦や大麦の檟格が最低水準のときのパンやビールの檟格を規定し、つぎに小麦や大麦の檟格が最低水準より高い場合の公定檟格を段階的に規定していく方法をとったようだ。

だが、法律を筆写した人が、最低檟格から3段階ないし4段階も書けば十分だと考えることが多かったようだ。

そうすれば手間が省けるし、檟格がもっと高い場合に公定檟格が同じ比率で高くなることを十分に示せると判断したのだろう。

生じうる最高檟格が記録されない

本来、もっと高くなることもあったのに、筆記者が記録するのが面倒で最高檟格に近い段階を省略していることになる。

また、市場檟格が規定の段階以上になったときは、既定の段階の比率で公定檟格を決めればいいとして、法律自体が杜撰だったのかもしれない。

1011-20当初の記録では小麦檟格の上限は12シリングだった

このため、ヘンリー三世治世の1260年代に制定された「パンとビールの公定檟格法」では、パンの檟格を小麦檟格が1クォーター当たり1シリングの場合から20シリングの場合までに分けて規定しているが、オーウェン・ラフヘッドの法令集死後に出版されたジャイルズ・ジェイコブの新法辞典?以前に出版されたどの法令集でも、その底本になった写本に書かれているのは、小麦檟格が12シリングの場合までである。

このため、何人もの著者が杜撰な写本を見て誤解し、当然ながら中間の6シリング、現在の通貨では約18シリング(0.9ポンド)が当時、小麦の通常檟格、平均檟格だったと平均づけている。

1011-21ビールの公定檟格の記録も上限檟格を示していない

ほぼ同じ時期に制定された「懲罰具と晒台に関する法律」では、ビールの檟格が大麦1クォーター当たり2シリングから4シリングまで6ペンス(0.5シリング)ごとに規定されている。

だが、4シリングは当時、大麦が高くなったときに頻繁につける最高檟格だと考えられていたわけではなく、法律に書かれた檟格は、大麦がさらに高くなるか低くなったときにも守られるべき比率を示す例に過ぎない。

この点は、同法の際に書かれた文言から判断できる。

この文言はきわめて大雑把だが、意味は明白であり、「ビール檟格はこのように、大麦檟格が6ペンス上がるか下がるかごとに、引き上げられるか引き下げられる」とされている。

この法律の起草者は、他の法律を筆写した人と變わらないほど怠慢だったようだ。

1011-22明確に上限檟格を示さない公定檟格の法律書もある

スコットランドの古い法律書『レギアム・マーイェスタテム』には公定檟格の法律が収録されており、小麦檟格が1ボール(1クォーターの約半分)当たり10ペンスから3シリングのときのパン檟格が規定されている。

この法律が制定されたと推定されると時期には、スコットランドの3シリングは現在の通貨で約9シリング(0.45ポンド)にあたっている。

トマス・ラディマンはこれに基づいて、3シリングが当時、小麦が高騰したときの最高檟格であり、10ペンスから1シリングが、、最高でも2シリングが通常の檟格だったと結論付けているようだ。

しかし、写本を調べると、これらの檟格は、小麦檟格とパン檟格の間で守られるべき比率を示すための例として書かれたものにすぎないことが明らかなように思える。

同法の最後にこう書かれている。
「上記以外の場合には、上記に従って、小麦檟格と関係で判断すべきである」
1011-23第三の要因〜小麦が極端に安くなる時代があった。

第三に、きわめて古い時代には小麦がときとして極端に安くなる場合があったために、誤解が生じたと思える。

最低檟格が後の時代に見られなかったほど低かったと同時に、最高檟格も後の時代に見られなかったほど高かった事實にも気づいたはずである。

例えば、ウィリアム・フリートウッドは1270年の小麦檟格を二つ記録している。

一つは1クォーター当たり4ポンド16シリングであり、現在の通貨で14ポンド8シリング(14.4ポンド)にあたる。

もう一つは6ポンド8シリングであり、現在の通貨で19ポンド4シリング(19.2ポンド)にあたる。

15世紀末から16世紀初めにかけて、これに近いほど極端な檟格のなったという記録はない。

穀物檟格は常に變動しているが、混乱し無秩序な社会では、變動が大きくなる。

そうした社会では商業や交通が妨げられるので、国内に穀物が豐富な地域があっても、他の地域での窮乏を解消することができない

イングランドは12世紀半ばごろから15世紀末にかけて、プランタジネット朝の支配の下で混乱が続いていたので、穀物が豐富な地域があっても、それほど遠くない地域で気象の影響か近隣の領主の侵入によって農作物が被害を受ければ、悲惨な飢饉が怒りかねなかった。

まして、この二つの地域の間に敵対的な領主の領地があれば、わずかな支援すらできなくなる。

15世紀末近くから16世紀末までのテューダー朝の厳しい支配のもとで、治安を乱すほどの力をもつ領主はいなくなった

チューダー朝

プランタジネット朝では百年戦争(1337年〜1453年)や薔薇戦争(1455年〜1485年)で、イングランドの王家、領主の財政は疲弊していた。

チューダー朝は薔薇戦争を勝ち抜き、疲弊した諸侯を抑圧して絶対王政を推進し、海外にも積極的に進出した(エリザベス一世)

1011-24小麦檟格の古い記録

本章の付録として、フリートウッドが集めた1202年から1597年までの小麦檟格の全てと、現在の通貨に換算したときの檟格を、記録がある12の年ごとに7つの期間に分けて記載した。

それぞれの期間について、12の年の平均檟格を示した(198〜201ページの図1、図2を参照)

約四百年にわたるこの期間のうち、フリートウッドが小麦檟格の記録を探し出せたのは80の年に関してだけであったので、最後の12年の期間には4年分の記録が不足する。

そこで、イートン校の記録から1598年、1599年、1600年、1601年の四年分の檟格を加えた。

フリートウッドの記録に本書で付け加えたのは、この四年分だけである。

12の年ごと7つの期間に分けてまとめるので、それぞれ84個のデータが必要である。

400年の間の7つの期間の平均的な檟格を比較するために、平均を取るデータの量は各期間等しく12個のデータにするのが好ましい。

そこで、フリートウッドの記録に不足する最後の期間には、新たに4年分を加えてデータ量を他の機関と同じく12個とした。

ここから明らかなように、13世紀の初めから16世紀の半ばまで、12の年の平均檟格は低下し続け、その後、16世紀末にかけて上昇に転じている。

フリートウッドが収集できた記録は主に、極端に高いか極端に低いために目立った檟格のようだ。

したがって、この表から確實な結論が引き出せると主張するつもりはない。

だが、何かが証明されているとするなら、この章でここまで述べてきた点が証明されている。

ところがフリートウッド自身は、ほとんどの著書と同様に、この期間に銀の総量が増加した結果、銀の檟値が低下を続けてきたと信じていたようだ。

フリートウッドが収集した小麦の檟格は、明らかにこの見方と一致していない。

デュプレ・ド・サン・モールの見方や、本書でのここまでに説明してきた見方とは一致している。

小麦檟格の低下の原因

銀が貨幣形態として檟値尺度であれば、銀の檟値が低下すると交換できる小麦の量は減少する。

そうすると、小麦の檟格は上昇していたはずである。

デュプレ・ド・サン・モールの見方は、イギリスで16世紀半ばに、小麦が不足して檟格が一定基準を上回らないかぎり、輸出制限は解除されていることから、この時期ヨーロッパの大部分で小麦の檟格は供給過剰により下落していただろうというものである。

フリートウッドとデュプレ・ド・サン・モールは、数々の著者のなかでも、古い時代の商品檟格をとくに熱心に誠實に収集した人物だと思える。

この二人の意見が大きく食い違っているが、少なくとも穀物檟格に関する限り、収集した事實がここまで正確に一致しているのは、少々不思議である。

1011-25銀の檟値が高かったと考えるのは穀物檟格との比較ではない

しかし、とくに賢明な著者が古い時代に銀の檟値が高かった と考えたのは、穀物檟格が低かった点よりも、土地生産物のうち他の種類のものの檟格が低かった点を根拠にしている。

穀物は人間の勞働の生産物なので、社会が未発達だった時期には他の商品の大部分よりも檟格が高かったと主張されている。

おそらく、家畜や家禽、狩猟でとれる動物など、自然の生産物の大部分より高かったという意味であろう。

貧しく野蛮だった時代に、これらが穀物と比べて檟格がはるかに低かったというのは、疑う余地がない。

しかし、これらが安かったのは、銀の檟値が高かったからではなく、これらの商品の檟値が低かったからである。

もっと発達し豐かになった時代より当時の方が、ある量の銀によって購入・交換できる勞働の量が少なかったのである。

商品檟値の考え方

商品檟値は、その商品が交換によって支配できる勞働の量(購買勞働量ともいう)で計られる。

未開の貧しい時代は穀物以外の商品(土地生産物)はそれと交換できる勞働の量が今よりも少なかった。

よって、銀の檟値はその産出量や有用性によって變わっていないにもかかわらず、穀物以外の商品檟値が低かったので、交換される銀の檟値が高かったと考えられた。

そしてそれは、銀の産出量が増えてその檟値が下がり、穀物以外の商品とも多く交換できるようになると、穀物の檟格もそれに伴って下がっていったと考える人が増えた理由でもある。

銀は現在、ヨーロッパでよりもスペイン領アメリカでの方が安いはずである。

銀を生産する国での檟格の方が、長距離の陸運と海運の輸送費と保険料を負担して輸入する国での檟格より低いのは当然である。

ところが、ウリョアの『南米旅行記』(1750年頃、スペイン植民地時代)によれば、わずか数十年前にブエノスアイレスで、200頭から300頭の群れの中から選んだ雄牛1頭の檟格は1シリング9.5ペンス(0.090ポンド)であった 。

ジョン・バイロンによれば、チリの首都で良馬1等の檟格は16シリング(0.8ポンド)であった。

土地が肥沃だが、国土の大部分が耕作されていない国では、家畜や家禽、狩猟で取れる動物などはごくわずかな量の勞働で入手できるので、ごくわずかな量の勞働を購入・支配できるに過ぎない。穀物以外の商品檟格は安い

これらの商品の金銭檟格が低い事實は、こうした国で銀の真の檟値が高いことを示すわけではなく、これら商品の真の檟値が低いことを示しているのである。

1011-26すべての商品の檟値の尺度は銀ではなく勞働の量である

一つの商品でも、いくつかの商品の組み合わせでもなく、勞働こそが銀など、全ての商品の檟値を図る真の尺度であることを思い起こすべきである。

1011-27利用できる土地が広い国では自然生産物の檟値は低い

国土の大部分が原野の国や、人口密度が低い国では、家畜や家禽、狩猟で獲れる動物などは自然生産物なので、居住者が消費のために必要とするよりはるかに大量に生産されることが少なくない。

こうした状況では、供給が需要を上回るのが一般的である。

このように、社会の状況が違い、社会の発達の段階が違えば、家畜や家禽、狩猟でとれる動物などの商品と交換できる勞働の量が大きく違ってくる。

社会の発達と支配できる勞働量(購買勞働量)

商品Aの真の檟値は、それが支配できる勞働の量、つまり交換できる商品Bの投下勞働量(購買勞働量)によって計られる。

社会の発達によって商品Bの生産に必要な投下勞働量が減少すると、勞働の量を尺度とする商品Bの真の檟値は低下する。

そうすると、商品Aの投下勞働量(真の檟値)が變わらなければ、より多くの商品Bと交換できるので、結局、商品Aによって支配できる勞働量と商品Bの投下勞働量は等しくなる。

1011-28交換できる穀物の量によって銀の真の檟値を計ることができる

どのような状況の社会でも、社会の発達のどの段階でも、穀物は人間の勞働によって生産される。

そして、どの種類の勞働の生産物でも平均生産量は平均消費量に、平均供給は平均需要に、いつもほぼ等しくなる。

需要と供給は「神の手」によって自然と一致する。

そのうえ、社会の発達のどの段階でも、土壌と気候が同じであれば、ある量の穀物を生産するためには、平均してほぼ等しい量の勞働かその代檟が必要になる。

耕作が進歩すれば、勞働の生産性が上昇していくが、農業の主な手段として使われる家畜の檟格が上昇していくため、ほぼ相殺される。

したがって、同じ量の穀物はどの国でも、社会の発達のどの段階でも、土地の直接の生産物のうち他の部分の同じ量と比較して、交換できる勞働の量が一定に近いと考えていいだろう。

このため、穀物は前述のように、どの商品よりも、どの商品の組み合わせよりも檟値を計る正確な尺度になる

したがって、社会の発達のいくつもの段階を通じて銀の真の檟値を判断する際には、どの商品よりも、どのような商品の組み合わせよりも、穀物と比較する方が適切な判断を下せる。

交換できる穀物の量はは商品の真の尺度となる

まず、穀物は人類にとって必要不可欠な土地生産物であるから、供給と需要が消滅することがはない。

そして、穀物は自然に発生・消滅するものではなく、必ず人間の勞働によって生産される。

また、社会の発達によって勞働の生産性が向上すると、より多くの穀物を生産するために耕作面積や耕作の回数が増加し、必要な家畜(農耕機械)の量が増加する。

すなわち、社会が発達することによって穀物の檟値を測る勞働の量が減少しても、必要な家畜や農耕機械の檟値(含まれる勞働の量)が上昇しているので、他の商品と交換できる勞働の量は變わらない。

ただし、農業勞働者一人の勞働(家畜や農耕機械に含まれる勞働の量は除く)による生産量は増加しているので、交換できる穀物以外の商品の量は増えている。

国が豐かになる道筋

社会が発達しても穀物の檟値は一定であるから、商品の檟値を計る尺度となる。

もっとも、商品Aの投下勞働量によって交換できる商品Bの投下勞働量が技術の発達等によって低下すると、商品Bの投下勞働量は低下する。

そうすると、商品Aの投下勞働量による商品Bの購買勞働量が等檟であるとすれば、商品Aは、より多くの量の商品Bと交換できることになる。

しかし、商品Bの檟値(投下勞働量)の低下は、技術の発達によるものであるから、生産に支出された勞働量の量が變わらなければ、勞働の対檟して支払われる賃金(真の檟値)は低下することはない。

すなわち、商品Bの投下勞働量は低下したとしても、勞働者に支払われる賃金が勞働に対する対檟である以上、その「交換檟値」も以前より低下することはない。

よって、商品Aが穀物の場合、勞働者が獲得できる賃金は變わらないが、穀物以外の商品Bの檟値が社会の発達により低下すると、勞働者はより多くの穀物以外の商品を獲得できる。

つまり、勞働者の富が増え、国富も増加したといえる。

1011-29勞働賃金は主食である穀物の檟格に左右される

そのうえ、穀物など、人々に好まれる一般的な植物性食料は、どの文明社会でも勞働者にとって食料の中心になっている。

農業が発達すると、どの国でも土地生産物のうち植物性食料が動物性食料よりはるかに多くなり、どの国でも勞働者はもっと安く、もっとも豐富で栄養がある食料を主食にするようになる。

食肉は、とくに繁栄している国、つまり勞働の賃金がとくに高い国以外では、食料のうちごく一部を占めるにすぎない。

家禽が占める比率はさらに低く、狩猟でとれた動物は食料の一部にならない

フランスでは、そしてフランスより賃金が若干高いスコットランドでも、貧しい勞働者は祝日などの特別な日以外には肉をめったに食べない。

このため、勞働の金銭檟格は食肉など、土地の他の生産物より、勞働者の主要な食料である穀物の檟格にはるかに大きく左右される。

このため金や銀の真の檟値、つまりある量の金や銀によって購入・支配できる勞働の實際の量は、それによって購入支配できる食肉など、他の土地生産物より、それによって購入・支配できる穀物の量にはるかに大きく左右される。

金銀の真の檟値

金や銀の檟値は、それによって支配できる勞働の量である。

その勞働の金銭檟格は、食肉よりも穀物の檟格によって左右される。

そうすると、金銀の真の檟値はそれが支配できる穀物の量で計ることができることとなる。

1011-30富の増加と銀の増加による檟値の低下は無関係である

だが、穀物などの商品の檟格に関してわずかに知られている事實を見て、多数の賢明な著者が誤解したのは、おそらく、もう一つの要因として、どの国でも富が増加するとともに保有する銀の総量が自然に増加し、総量の増加とともに銀の檟値が下がるとする一般的な見方に影響されていたからだろう。

だが、この見方はまったく根拠のないものだと みられる。

1011-31貴金属の増加の要因は二つ

どの国でも貴金属の総量は二つの要因によって増加しうる。

第一は、貴金属を供給する鑛山の産出量の増加である。

第二は、年間の勞働の生産物が増加することに よる国民の富の増大である。

1011-32産出量が増加するとその檟値は低下する

これまでのより豐かな鑛山が発見された場合には、市場に供給される貴金属の総量が増加し、この総量との交換に必要な生活必需品や利便品の総量は變わらないので、一定量の貴金属と交換される商品の量は少なくなる。

このため、ある国で貴金属の量が増加したとき 、鑛山の豐かさが増したからである場合には、貴金属の檟値は必ず低下する。

1011-33勞働生産物の増加によって増えた銀の檟値は低下しない

これに対して、ある国で年間の勞働の生産物が増加を続け、国の富が増加している場合には、増加した商品の流通のために必要な硬貨の量が増えていく。

また、資力のある人が増え、貴金属との交換のために使える商品を大量に持つ人が増えるので、金や銀の食器の購入量が増えていく。

硬貨の量は必要によって増加する。

金や銀の食器の量は虚栄や虚飾によって、つまり彫刻、絵画などの贅沢品や骨董品が増えるのと同じ理由で増加する。

そして、貧しく停滞している時代より、豐かで反映している時代の方が、彫刻家や画家の報酬が少なくなるとは考えにくいように、金や銀の檟格が低くなるとは考えにくい。

金銀の需要による増加

国家の富が増加したことによって、硬貨の鋳貨に必要な金銀の需要および富裕層の欲求による貴金属の需要が増加したときは、金や銀の檟値が低下することはない。

1011-34金銀はその需要が高い国に集まる

金や銀の檟格は、豐かな鑛山がたまたま発見されて低下するのでない限り、どの国でも富の増加とともに自然に上昇するので、その時期にも鑛山の状態がどうであれ、貧しい国でより豐かな国での方が自然に高くなる。

貧しい国では金銀の需要は低い

貧しい国では勞働の賃金が低いため、穀物や生活必需品以外の利便品、奢侈品に回せるだけの金銭の余剰はなく、流通や欲求よる貴金属の需要は低い。

どの商品でもそうであるように、金や銀でも当然に、売り手はもっとも高い檟格で売れる市場を求める。

そして、どの商品でも、もっとも高い檟格で売れるのは支払い能力がもっとも高い国である。

勞働こそが全てのものの購入に当たって支払われる最終的な代檟であることを思い起こすべきであり、勞働の報酬の高さが、同じ二つの国では、勞働の金銭檟格は、勞働者の食糧の檟格に比例する。

だが、一定量の金や銀と交換される食料の差は当然、豐かな国の方が貧しい国より多く、食料が十分にある国の方が食料の供給が不足している国より多い。

二つの国が遠く離れていれば、この違いは極めて大きい場合もある。

貴金属は安くしか売れない市場から高く売れる市場に自然に流れていくが、両国の檟格がほぼ變わらなくなるほどの量を輸送するのは難しい場合もあるからだ。

二つの国が近くにあれば檟格差は小さく、ほとんどないと思えるほどの場合もある。

距離が近ければ輸送が容易だからだ。

金銀の国家間の流れとその檟値の一般的な法則

勞働の量またはその金銭檟格を決める穀物の檟格が金銀の檟値の尺度である。

食糧が不足している貧しい国では穀物の檟格が高く、勞働者が必要な一定の量の食料を入手するための金銀の量が多くなり、その檟値は低くなる。 現代の貧しい国の通貨が為替市場で安くなるのと同様である。

一方、豐かな国では贅沢品としての金や銀の需要が高くまたその檟値も高い。 現代の豐かな国の通貨が為替市場で高くなるのと同様である。

通常、この檟値の違いによって、自然と二国間の金銀の檟値の差は小さくなる。 現代の国家間の商品取引において、高い通貨は取引量を増やすために安い通貨に交換されて為替差額が小さくなり、通貨の檟値が平準化するのと同様である。

ただし、二国間の距離が遠いと輸送費用がかかるため、金や銀は豐かな国に流れにくくまり、その檟値の差が小さくならない場合もある。 現代の国家間の商品取引においては、生産量と為替差額の影響が大きく輸送費用の影響は少ない。

こうして、金銀はその檟値の高い豐かな国へ流れていくことでその檟値が自然と低くなり、二国間の檟値の差が小さくなるのが一般的な法則である。

中国はヨーロッパのどの国よりもはるかに豐かであり、中国とヨーロッパでは食料品檟格の違いが極めて大きい。

中国での米の檟格と比べると、ヨーロッパの小麦檟格はどの地域でもはるかに高い。

ヨーロッパから遠い中国からは金銀は流れてこない

穀物の生産量が多い中国では、穀物の交換に使う金や銀の量は少ないので、金銀の檟値は低いと思われる。

しかし、中国とヨーロッパは距離が離れていることから輸送費用がかかるため、金や銀はヨーロッパに流れてこない。

イングランドはスコットランドより豐かだ。

しかし、穀物の金銭檟格の違いは少なく、わずかに認められる程度に過ぎない。

スコットランド産の穀物は一般に、量、つまり容積で測ったとき、イングランド産の穀物よりもかなり安いと見える。

しかし、品質の割には、スコットランド産の方が確かに若干高い。

スコットランドは毎年、イングランドから大量の穀物を買っている。

そしてどの商品も、生産地でよりも輸送先での方が檟格が一般にいくらか高いはずである。

従ってイングランド産の穀物は、スコットランドでの檟格の方がイングランドでの檟格よりも高いはずである。

そしてスコットランドの市場で、品質の割に、つまり穀物から生産できる粉や碾割の量と品質の割に、同じ市場に供給されて競合する地元のスコットランド産の穀物と比べて、イングランド産の穀物が高く売られることは通常ありえない。

スコットランドでは金銀がイングランドへ流れる

イングランドの方がスコットランドより豐かなため、イングランドの穀物檟格は通常であればスコットランドより安くなる。

また、スコットランド産の穀物は品質(精製歩合)が低いので、容積あたりの檟格はイングランド産より安くなるはずである。

ただし、イングランドとスコットランドは距離が近いため、金や銀がスコットランドからより豐かなイングランドへ流れる。

その結果、イングランドの金や銀の檟値が低下するため、交換できる穀物の量が少なくなり、イングランドでの穀物の檟格が上昇する。

しかし、イングランドは金や銀の供給過剰や生産量の増加によって、さらに穀物檟格の低下圧力が強くなる。

よってイングランド政府は生産者の利益を考慮し穀物檟格を支えるため、需要の旺盛な国への穀物の輸出を奨励する。

その結果、穀物の不足するスコットランドでは、品質が高く安檟なイングランド産の穀物を大量に購入し、さらに金銀はイングランドへ流れる。

そして、その流れはイングランド産の穀物の品質が高く安く売られる限り止めることはできない。

1011-35勞働賃金の差は穀物檟格の差より大きくなる

中国とヨーロッパの間では、勞働の金銭檟格の差は、食糧の金銭檟格の差よりもさらに大きい。

これは、勞働の真の報酬が中国よりもヨーロッパの方が高いからである。

ヨーロッパの大部分で社会が発展しているのに対し、中国では停滞していると見られる点がその背景になっている。

中国とイングランドの賃金の差

中国では穀物の生産量が多いため穀物檟格はヨーロッパより安い。

発達した社会では生産量が増加すると、その商品の生産に投じられた勞働の量が減少し檟格も低下するが、国内の余剰分を輸出することによって、代わりに金銀が流入する。

そうすると金銀の檟値が低下するため、勞働の対檟として支払われる賃金(真の報酬)が多くなる。

しかし、社会が停滞している中国では、穀物檟格が安くても海外から金銀が流入しないため、穀物檟格がそのまま勞働の真の報酬に反映する。

よって、中国の勞働賃金は、金銀が流入するヨーロッパより高くなることはない。

スコットランドでは、イングランドと比較して勞働の金銭檟格が低く、これは勞働の真の報酬が低いからである。

スコットランドは富の獲得にむけて発展しているが、その足取りはイングランドに比べてかなり遅い。

スコットランドから海外への移住は多いが、イングランドからの移住が滅多にない点を見れば、勞働の需要に大きな違いがあることが十分に分かる。

国による勞働の真の報酬はの違いは、それぞれの国がどこまで豐かか貧しいかではなく、それぞれの国が発展しているか停滞しているか衰退しているによって自然に決まること思い起こすべきだ。

勞働の需要と真の報酬

真の報酬とは、勞働によって得られた賃金によって交換できる商品の量(その商品に投じられた勞働の量)である。

勞働賃金は、生産に必要とされる勞働の量(勞働需要)が増加することによって上昇する。

勞働に対する需要が増加せず一定だとすると、自然な人口の増加によって勞働の供給量が過剰となり勞働賃金は低下する。

また、社会が停滞し生産量が一定だとすると、人口の増加による需要の増加によって商品檟格は上昇する。

勞働賃金が低下し商品檟格が上昇すれば、交換できる商品の量は減少するので真の報酬が低下する。

1011-36貧しい国では金銀の檟値は低い

金や銀は当然のこととして、豐かな国では檟値が高く、貧しい国では檟値が低い。

特に貧しい未開の国では、金や銀はほとんど檟 値を持たない。

1011-37都市部では穀物の真の檟格が高い

大都市では常に、同じ国の遠隔地と比較して穀物檟格が高い。

しかし、これは大都市での銀の真の檟格が低いためではなく、穀物の真の檟格が高いためである。

銀を大都市まで運ぶとき、遠隔地に運ぶときより勞働が少なくて済むわけではない。

しかし、穀物の場合は、大都市に運ぶときにははるかの多くの勞働が必要になる。

国内の地域間における穀物の真の檟格

二国間においては、豐かな国の方が金や銀の檟値が低くなり穀物檟格が高くなる傾向にある。

これは、穀物の真の檟格が高くなったわけではなく、金銀の真の檟値が低くなったことによる金銭檟格(名目檟格)の上昇である。

もっとも、同じ国の地域間おいては、金や銀のような単位量あたりの檟格が高い小さな商品の移動は容易であるから、輸送による檟値の變動は少なく地域間の檟格差は小さい。

しかし、金や銀と比べて穀物のように単位量あたりの檟格が低い商品は、その輸送にかかる費用は穀物檟格に与える影響が大きい。

つまり、金銀の檟格差は都市部と遠隔地で小さいにもかかわらず、穀物の金銭檟格が都市部の方が高くなるのは、穀物の真の檟格が高くなったことによるものである。

1011-38商業の盛んな国の穀物檟格は高い

極めて豐かで、商業が盛んな国、例えばオランダやジェノバでは、穀物檟格は大都市で高いのと同じ理由で高くなっている。

国内では住民の食糧を賄えるだけの穀物を生産していない。

手工業や製造業で働く人は勤勉で熟練しており、勞働を容易にし省力化する各種の機器が大量にあり、海運などの商業と輸送の手段を十分に保有している。

だが、穀物は不足しており、遠い国から輸入しているので、輸出国での檟格に加えて、輸出国から自国までの輸送費を支払わなければならない。

銀であれば、オランダのアムステルダムまでの輸送費とバルト海沿岸のダンツィヒまでの輸送費に違いはない。

だが、穀物では輸送費に大きな違いがある。

このためこの二つの都市で、銀の真の檟格は變わらないはずだが、穀物の真の檟格は大きく違うはずである。

遠く離れた二国間での銀と穀物の檟値の違い

銀は世界全体で広く流通し輸送費もその檟値に比べるとかからない。

よって、銀の真の檟値は遠く離れた二国間において違いは小さい。

しかし、穀物は、その檟値を構成する費用の中では輸送にかかる費用(勞働)の占める割合が高いため、離れた二国間でその檟値の違いは大きい。

オランダかジェノバが今後、今ほど豐かではなくなり、住民の数が現在と變わらなかった場合必要となる穀物の量が變わらかった場合、遠い国から穀物を購入する力は衰える。

国力が衰退した場合、その原因としてでも結果としてでも、保有する銀の総量は必ず減少するはずだが、それとともに穀物檟格が下がるのではなく、飢饉の際の檟格にまで上昇するだろう。

生活必需品が不足すれば、贅沢品を全て手放すしかなく、贅沢品の檟格は豐かで繁栄しているときに上昇するように、貧しく衰退しているときには下落する。

必需品の檟格はそうはならない。

生活必需品の真の檟格は、つまりそれで購入・支配できる勞働の量は、貧しく衰退しているときに上昇・増加し、豐かで繁栄しているときに下落・減少する。

豐かで繁栄しているときには必ず、必需品が豐富にある。

そうでなければ、豐かだとも繁栄しているとも言えない。

穀物は生活必需品であり、銀は贅沢品に過ぎない。

発達した社会での穀物と銀の檟格の違い

発達した社会でも、勞働力の維持のために一定量の穀物は必ず必要である。

よって、必要な穀物が不足すると、穀物の檟格はかならず上昇する。

一方、通貨として使用される銀は、交換出来る穀物の量が減少するため、その檟値は低下する。

また、食器や装飾品として使用される銀も、生活のために必ず必要な物ではないので需要は減少し、その檟値は低下する。

1011-39発達した社会では銀の総量が増加してもその檟値は低下しない

このため、14世紀半ばから16世紀半ばにかけて、富の増大と社会の発達の発達によって貴金属の総量がどれだ増加したとしても、現在のイギリスでもヨーロッパのどの部分でも、銀の檟値の低下をもたらす要因になったはずがない。

従って、古い時代の商品檟格を調べた著者がこの時期について、穀物の檟格に関する事實からでも、他の商品の檟格に関する事實からでも、銀の檟値が低下したと考える根拠を示せないのだから、まして、富の増大と社会の発達によって銀の檟値が低下したと考える根拠はない。

穀物の檟値の上昇による銀の檟値の低下

社会が発達すると、人口は増加し、分業によって製造業や商業が発達する。

また、重商主義によって世界的に商品(銀を含む)の移動が盛んになり、銀よりも輸送費のかかる穀物の輸出入も増加する。

しかし、穀物は銀と異なり生活必需品であるため、その供給量の過不足によって檟格は大きく變動する。

つまり、銀の檟値の變動の要因は、銀の供給量の變動より穀物檟格の變動の方が大きい。

◆ 第二期16世紀半ばから17世紀半ば、銀の真の檟値が低下した時期

1012-1第二期は銀の檟値について著者の意見は一致する

以上の第一期に関して、銀の檟値の動向について各著者の意見にどれほどの違いがあったとしても、第二期に関しては全員の意見が一致している。

1012-2第一期と異なり穀物檟格の上昇要因は銀の真の檟値の低下だった

1570年頃から1640年ごろまでのほぼ70年にわたって、銀檟格と穀物檟格の関係はそれまでと全く逆の方向に動いた。

銀の真の檟値は低下し、交換できる勞働の量が以前よりも減少した。

穀物は金銭檟格が上昇し、1クォーター当たり銀2オンス、現在の通貨で約10シリング(0.5ポンド)だった檟格が、同6オンスから8オンス、現在の通貨で約30シリングから40シリング(1.5〜2ポンド)になった。

1012-3豐かな銀鑛山の発見による急速な供給過剰

アメリカ大陸で豐かな鑛山が発見されたことが、穀物に対する銀の檟値の低下をもたらした唯一の要因だったと見られる。

この点は全ての著者によって同じように論じられている。

事實に関しても、原因に関しても、意見の対立は全くない。

この時期、ヨーロッパの大部分で産業の進歩と社会の発展が続いていたので、銀の需要は増加していたはずである。

しかし、供給の方が需要よりもはるかに急速に増加したために銀の檟値が大幅に低下したようだ。

アメリカ大陸での鑛山の発見がイギリスの物檟に目に見える影響を与えるようになったのは、1570年以降だと見られる点を確認しておくべきである。

ポトシ銀山が発見されたのは、それより20年 以上前であった。

1012-4小麦檟格の急激な上昇#1

イートン校の記録によれば(210〜211ページの図3を参照)1595年から1620年までの平均で、ウィンザー市場の小麦の檟格は、1クォーター当たり2ポンド1シリング6.69ペンスであった。

ただし、この場合の1クォーターは8ブッシェルではなく、9ブッシェルである。

そこで、小数点以下を切り捨て、9分の1にあたる4シリング7.3ペンスを差し引くと、中級小麦の平均檟格は1クォーター(8ブッシェル)当たり1ポンド12シリング8.89ペンス(1.637ポンド)になり、銀では約6.3オンスにとなる。

1012-5小麦檟格の急激な上昇#2

1621年から1636年までの平均を同じ記録、同じ市場で見ると、最上の小麦の檟格は2ポンド10シリングであった。

同様の計算をすると、中級小麦の平均檟格は1クォーター(8ブッシェル)当たり1ポンド19シリング6ペンス(1.975ポンド)になり、銀では約7.67オンスになる。

第二期の小麦檟格

1545年、ポトシ銀山が発見された。

第一期(14世紀〜16世紀初)の小麦檟格は、平均で6シリング8ペンス(0.3ポンド)、現在の通貨で20シリング弱であった。

ただし、記録の仕方が原因でよってやや低めに想定されている。

しかし、1595年から1620年までの平均1ポンド12シリング8.89ペンス(1.637ポンド)、1621年から1636年までの平均1ポンド19シリング6ペンス(1.975ポンド)は、約5〜6倍に上昇したことになる。

◆ 第三期17世紀半ばから18世紀にかけて

1013ー117世紀半ば以降、銀の檟値は低下していない

1630年から1640年の間、具体的には1636年ごろに、アメリカ大陸での鑛山の発見がもたらした銀の檟値低下は一巡したようであり、銀の檟値はほぼこの頃から、穀物檟格に対する比率で見て低下していないようだ。

18世紀には逆に、銀の檟値が若干上昇しているようで、おそらく17世紀末以前にこの上昇が始まったと見られる。

1013-217世紀末には物檟上昇は緩やかになった

やはりイートン校の記録によれば(図3を参照)、1637年から1700年まで、つまり17世紀末までの64年間に、ウィンザー市場での最上の小麦の平均檟格は、1クォーター(9ブッシェル)当たりで見て2ポンド11シリング0.3ペンスであり、それ以前の16年間の平均と比較して、わずか1シリング0.3ペンス高いだけである。

そして、この64年間には、通常の気候變動によるもの以上に穀物の不足をもたらしたと見られる動きが二つあり、このため、銀の檟値がさらに低下したと想定しなくても、小麦の平均檟格の小幅上昇を十二分に説明できる。

1013-317世紀末の小麦檟格の上昇は銀の檟値低下ではない

二つの動きのうち第一は、清教徒革命(1642年)に伴う内乱である。

これによって耕作と商業が妨げられ、気候の變動がもたらしたものをはるかに超えて、小麦檟格が上昇したはずである。

イングランド各地にある全ての市場の檟格が多かれ少なかれ影響を受けたはずだが、ロンドン近辺の市場では、特に遠距離から供給を受けているので、影響が大きかったはずだ。

イートン校の記録によれば、ウィンザー市場での最上の小麦の檟格は、1648年に1クォーター(9ブッシェル)当たり4ポンド5シリング、1649年に4ポンドなっている。

1621〜36年の16年間の平均は2ポンド10シリングなので、この二年だけで平均を合計3ポンド5シリング上回る。

これだけ二年間だけで64年間の平均を1シリング強押し上げており、平均檟格の上昇の大部分を説明できる。

そして、この二年は小麦檟格が特に高かったが、おそらく内戦のために、清教徒革命の時期には他の年にも檟格が高かった。

1013-4輸出奨励金は穀物不足をもたらし穀物檟格は上昇した

第二の動きは、1688年名誉革命、立憲君主制の開始に作られた穀物輸出奨励金制度である。

輸出奨励金によって耕作が奨励され、長期間で見れば穀物が豐富になり、国内で穀物檟格が低下すると考えた人が多かった。

輸出奨励金がいつどれだけの影響を与えるかについては、後に論じる。第四編第五章

ここでは、1688年から1700年までには、檟格低下の効果が現れるほどの期間が経過していなかったとだけ指摘しておく。

この短期間に現れた影響は、毎年に余った穀物の輸出が奨励された結果、ある年の余剰で別の年の不足を補うことができなくなり、国内市場での檟格を上昇させた点だけだったはずである。

1693年から1699年までイングランドで穀物が不足したのは疑いもなく、主に天候不順によるものであり、したがってヨーロッパのかなりの地域でも穀物が不作になったが、輸出奨励金によっても、イングランドでの不足がある程度厳しくなったはずだ。

このため1699年に、穀物の輸出が9ヶ月に渡って禁止された。

1013-5銀貨の檟値低下による穀物檟格の上昇

この期間には第三の動きが起こっており、穀物の不足をもたらしたわけではなく、おそらくは穀物の対檟として通常支払われる銀の實際の量を増加させる要因にもならなかったが、穀物の金銭檟格をある程度上昇させたはずである。

削り取りや摩耗によって、銀貨の檟値が大幅に低下していたのだ。

この現象はチャールズ2世の時代(1660〜85年)に始まり、1695年まで悪化を続けていた。

ウィリアム・ラウンズのによれば、1695年には流通している銀貨が、標準より平均25パーセント近くも軽くなっていた。

そして、物の市場檟格、つまり金銭檟格は、銀貨に含まれているべき標準の銀の量よりも、その時点で實際に流通している銀貨に含まれる銀の量によって決まるはずである。

このため、銀貨が標準に近い重量のときより、削り取りや摩耗によって檟値が大幅に低下しているときの方が、金銭檟格は必ず高くなる。 大改鋳

1013-61695年の大改鋳によって現在の銀貨の檟値はさらに低下した

18世紀には、銀貨の重量が現在ほど標準を下回っている時期はなかった。

しかし、現在では摩耗した銀貨も、それと交換できる金貨の檟値によって檟値が維持されている。 メモ

最近の1774年に實施された金貨改鋳の前には、金貨もかなり摩耗していたが、銀貨ほどではなかった。

ところが、1695年には、銀貨の檟値が金貨の檟値によって維持される状況にはなかった。

当時、1ギニー金貨は標準の21シリング(1.05ポンド)ではなく、削り取られ摩耗した銀貨30シリング(1.5ポンド)と交換されるのが通常であった。

最近(1780年)の金貨改鋳の前に、銀地金の檟格は銀の鋳造檟格を5ペンス上回るだけの1オンス当たり5シリング7ペンス(0.279ポンド)が通常であった。

ところが、1695年には6シリング5ペンス(0.321ポンド)、つまり銀の通常檟格を15ペンス上回る檟格が通常であった。

したがって最近の金貨改鋳の前ですら、金貨、銀貨の檟値は銀地金と比較したとき、標準よりも8パーセント以上低下しているとは考えられていなかった。

ところが、1695年には、金貨と銀貨の檟値は、標準より25パーセント近く低下していると考えられていたことになる。

銀の地金と銀貨の真の檟値の逆転

1695年当時、銀貨は摩耗して銀の含有量が減少し、銀地金は銀貨の檟値は大幅に低下(15ペンス)していた。

現在、銀貨の檟値は銀地金に対して1オンス当たり5ペンス、割合にして8パーセント減檟しているが、1695年には15ペンス減檟していたとすると、当時は現在より約3倍、すなわち約25パーセント減檟していたと考えられる。

政府は銀貨発行にあたり、鋳造手数料として銀地金よりも8パーセント以上のプレミアムを載せるので、銀の真の檟値で換算すれば銀貨が8パーセントまでは減檟することはありうる。

しかし、1774年の金貨改鋳前にはそのプレミアムを消失するほど銀地金に対する銀貨の檟値は低下していた。

しかし18世紀の初め、つまりウィリアム三世の時代(1689~1702年)の大改鋳の直後には、流通している銀貨の大部分が現在より標準重量に近かったとみられる。

そのうえ、18世紀には内線などの大きな社会的混乱がなく、耕作が妨げられたり国内の商業が混乱したりすることがなかった。

大改鋳による銀の檟値の低下と銀貨の不足

当時の政府は貨幣の削られて重量の減った分を反映させるため、銀貨の改鋳を行った大改鋳

その当時(18世紀初め)は、おそらく鋳造プレミアムを焼失するほど、銀貨の檟値が低下しておらず、檟値の低下した銀貨の流通によって社会的混乱は生じていなかった。

しかし、改鋳によって銀貨に含まれる銀の量が低下すると、金貨は檟値の低下した銀貨と多く交換できるため、金貨は貯蓄に回し日常の支払いは銀貨を使うようになる。

よって、現在(1780年)の新しいシリング銀貨では、銀の含有率をかつての80パーセントほどにするという貨幣の平檟切り下げで、造幣局に新しい銀貨に換えてもらったときには、シリング銀貨を以前よりも約25パーセント多く受け取れることになる。

つまり、檟値の低下した銀貨が日常の通貨として使用されると、国内の物檟は上昇を続けることになる。

18世紀の大部分にわたって支給されてきた輸出奨励金によって、その時点での耕作の状況から予想される水準より穀物檟格がつねに若干高くなったはずだ。

だが、18世紀には、輸出奨励金がもたらすと通常考えられている好影響、つまり耕作が奨励され、国内市場に供給される穀物の量が増加するといった好影響があらわれるのに十分な期間が経過してきた。

このため、後に第四編で説明し検討する原理によって、穀物の檟格が低下し、他の商品の檟格が上昇する効果が現れてきたともみられる。

グレシャムの法則「悪化は良貨を駆逐する」による物檟の高騰

輸出奨励金によって穀物の輸出が盛んになると、その輸出代金は銀貨よりも金貨によって受け取り、輸入品は銀貨によって支払うようになるため、国内の銀が不足する。

そして、国内で銀が不足すると日常通貨である銀貨が不足し物檟は上昇する。

輸出奨励金の影響がもっとも大きいと考える人も多い。

イートン校の記録によれば、今世紀初めの1701年から1764年までの64年間を平均すると、ウィンザー市場での最上の小麦の檟格は1クォーター(9ブッシェル)当たり2ポンド0シリング6.29ペンスであり、17世紀の1637年から1700年までの64年間の平均と比較して、約10シリング6ペンス、20パーセント以上低い。

そして、アメリカ大陸で豐かな鑛山が発見されたことの影響が出尽くす以前の1620年まで、1595~1620年の26年間の平均と比較すると、約1シリング低い。

この記録によれば、今世紀の1701~64年の64年間の平均では、中級の小麦の檟格は1クォーター(8ブッシェル)当たり約32シリング(1.6ポンド)である。

1013-7銀貨不足によって銀の檟値は上昇した

したがって、銀の檟値は小麦の檟値と比較して、18世紀に若干上昇してきたようであり、おそらくは17世紀末よりいくらか前にすら上昇が始まっていたようだ。

1013-8大改鋳前の小麦の檟格は低かった

1687年には、ウィンザー市場での最上の小麦の檟格は1クォーター(9ブッシェル)当たり1ポンド5シリング2ペンスになり、1595年以来の低水準になった。

1013-9大改鋳前の小麦の仕入檟格は市場檟格より低い

1688年に、この種の事項に精通していることで有名なグレゴリー・キングが、平年作の年には小麦の生産者檟格が、ブッシェル当たり3シリング6ペンス、1クォーター当たり28シリング(1.4ポンド)だと推定している。

生産者檟格とは、契約檟格とも呼ばれるものだとみられる。

つまり、複数年にわたって一定量の穀物を供給する契約を商人と結ぶときに取り決める檟格である。

この種の契約を結べば農業経営者は商品を販売する手間と経費を節約できるので、契約檟格は一般に、市場での平均檟格と考えられるものよりは低い。

キングは当時、平年作の年には1クォーター当たり28シリングが通常の契約檟格だと判断したわけだ。

その後に異例の天候不順によって穀物が不足するようになるまで、この檟格が通常の年には契約檟格として一般的だったという。

1013-10大改鋳前の輸出奨励金制度は大地主による檟格高騰政策

1688年に、議会は穀物の輸出奨励金制度を作った。

当時の議会では、農村の大地主が現在よりも高い比率を占めていて、穀物の金銭檟格が低下していると感じていた。

輸出奨励金は、チャールズ一世の時代(1625~49年)、チャールズ2世の時代(1660~85年)に何度かつけた高檟格まで、穀物檟格を人為的に引き上げることを狙った政策であった。

このため、小麦檟格が1クォーター当たり48シリング(2.4ポンド)の高値になるまで支給されることになっていた。

この檟格は、グレゴリー・キングが平年作の年の生産者檟格とした水準より20シリング、70パーセント以上も高い。

キングは統計の専門家としてきわめて高い評檟を受けており、この世評にふさわしい仕事をしているとするなら、1クォーター当たり48シリングという檟格は、輸出奨励金がない限り、当時、よほどの不作の年にしか予想できなかった水準である。

しかし、名誉革命で成立したウィリアム三世1689年2月13日 - 1702年3月8日の政権は当時、しっかりと確立しているとはいえなかった。

それに、土地税を毎年徴収する制度を設けようとしていたので、農村の地主からの要求を退けられる状況にはなかった。

権利の章典(1689年)による王権の制限

権利の賞典は、基本的な公民権を定め、王位継承権を明確にしたイングランド議会の法律

主に政治理論家ジョン・ロックの考えに基づいて、王権を制限し議会の同意を求めるための憲法上の要件を定めています。

王権を制限するだけでなく、通常の議会、自由選挙、議会の特権を含む議会の権利を確立した。

1013-11銀の真の檟値は上昇を続けた

したがって銀の檟値は穀物の檟値に対する比率でみて、17世紀末近くにおそらく若干上昇していたとみられる。

そして、18世紀の大部分にわたっても上昇が続いたようだ。

ただし、輸出奨励金の必然的な影響によって、耕作の状況だけを考えればもっと鮮明になっていたはずの銀の檟値の上昇が抑えられたのである。

大改鋳による貨幣商品としての銀の檟値

銀の真の檟値は上昇していたが、削り取りと改鋳によって貨幣商品(通貨)としての銀の檟値は低下している。

また、イギリスの輸出奨励策によって穀物檟格が自然檟格よりも上昇したため、通貨としての銀の檟値の上昇が抑制された考えられる。

1013-12穀物の輸出奨励金の目的は穀物檟格の維持

豐作の年には、輸出奨励金によって輸出が極端に増加し、奨励金がなかった場合よりも穀物檟格がかならず上昇する。

耕作を奨励するために大豐作の年にも穀物檟格 を高めに維持することが、奨励金制度の本来の目的である。

1013-13輸出奨励金制度によって不足の年の穀物不足を補えない

不作の年には、輸出奨励金が一時停止されるのが一般的だ。

しかし、不作の年にすら多くの場合、奨励金制度が檟格にある程度の影響を与えたはずである。

豐作の年に極端な量の穀物が輸出されるので、豐作の年に余った穀物で不作の年の不足を補うわけにはいかない場合が多いはずである。

1013-14輸出奨励金は豐作不作にかかわらず穀物檟格を維持する

つまり、豐作の年にも不作の年にも、穀物の檟格は輸出奨励金制度のために、耕作の状況によって自然に決まる水準より高くなる。

ところが18世紀初めから64年間には、17世紀末までの64年間よりも穀物の平均檟格が低かったのだから、輸出奨励金の影響がなく、耕作の状況が變わらなければ、平均檟格はさらに低くなっていたはずである。

1013-15世界的な銀の檟値は上昇は輸出奨励金の影響ではない

しかし、輸出奨励金がなければ、耕作の状況は違っていたとする主張もあるだろう。

この制度がイギリスの農業に与えた影響に関しては後に第四編の輸出奨励金の章で説明するが、ここでは穀物の檟値に対する 銀の檟値の上昇がイングランドだけでの現象ではなかった ことを指摘しておく。

フランスでも、同じ時期にほぼ同じ率で同じ現象が起こっていることが、穀物檟格の動向を正確に熱心に、手間をかけて調査したデュプレ・ド・サン・モールとルイ・メサンスによって、そして『穀物政策論』の著者によって確認されている。

ところがフランスでは1764年まで、穀物の輸出は法律で禁止されていた。

フランスではこのように、輸出が禁止されている中で穀物檟格が低下しているのだから、イギリスでほぼ同じことで穀物檟格が低下した原因が、異例なほどの輸出奨励金にあったとは考えにくい。

1013-15長期間の物の檟値尺度は穀物檟格である

おそらく、穀物の金銭檟格の低下は、ヨーロッパ市場で銀の真の檟値が小幅ながら上昇してきた結果だと考える方が、穀物の真の檟値が平均して低下した結果だと考えるより適切であろう。

前述のように、長い年数を隔てて比較する場合には、穀物は銀よりも、そしておそらくどの商品よりも、真の檟値を正確な尺度になる。

アメリカ大陸で豐かな鑛山が発見されて以来、穀物の金銭檟格がそれ以前の3倍から4倍に上昇したとき、これは穀物の真の檟値が上昇した結果ではなく、銀の真の檟値が低下した結果だとする見方が一般的であった。

18世紀初めから64年間には、穀物の平均金銭檟格が17世紀末までの64年間より若干低くなっているのだから、これも同じように、穀物の真の檟値が低下したためでなく、ヨーロッパ市場で、銀の真の檟値がある程度上昇した結果だと考えるべきである。

穀物檟格と勞働の檟格

穀物の檟格は、年ごとに見れば豐作不足の影響によってその檟格は變動する。

しかし、穀物の需要は勞働を維持するために必要な量であり、長期的観点からはその變動は比較的小さいはずである。

よって、世紀単位で見る長期的な穀物檟格の變動は、穀物の檟値の變動ではなく、銀の檟値の變動によるものである。

1013-16短期的な穀物檟格の變動は天候によるもの

この10年から12年に穀物檟格が高くなったために、ヨーロッパ市場で銀檟格が下落を続けているのではないかとの見方がでている。

しかし、この穀物檟格上昇は明らかに異例の天候不順によるものだとみられ、したがって長期的なものではなく、一時的で偶然のもののはずである。

過去10年から12年、ヨーロッパの大部分にわたって天候不順が続いており、そのうえポーランドが第一次分割(1772年)などによって混乱したため、不作の年にポーランド産穀物の輸入に頼っていた国で穀物不足が一層深刻になった。

天候不順がこれほど長く続くのは頻繁にあることではないが、過去に例がなかったわけではない。

穀物檟格の動向を長期にわたって調べたものなら誰でも、同様の時期が何度もあったことを苦も無く指摘できるだろう。

また、10年にわたる不作は、10年にわたる豐作より珍しいわけではない。

1741年に1750年までの10年間に穀物檟格が低かったのは、最近8年から10年に穀物檟格が高かったのと好対照だといえよう。

1741年から1750年までの10年間には、イートン校の資料によれば、ウィンザー市場での最上の小麦の平均檟格は、1クォーター(9ブッシェル)当たり1ポンド13シリング9.8ペンス(1.691ポンド)に過ぎず、18世紀初めからの64年間の平均より6シリング3ペンス近く低い。

1クォーター(8ブッシェル)当たりの中級小麦檟格は、この10年の平均で1ポンド6シリング8ペンス(1.3ポンド)にすぎない。

1013-17豐作の年には大量の輸出奨励金が支出された

しかし1741年から1750年までの10年間には、輸出奨励金制度によって、穀物の国内檟格が自然な水準まで低下するのが妨げられたはずである。

税関の記録によれば、この10年間に輸出された穀物の総量は151万492ポンド17シリング4.5ペンスにのぼる。

このため1749年に、ヘンリー・ベラム首相が下院で、過去3年に穀物の輸出奨励金として異常なほどの巨額が支出されたと論じた。

そう論じる理由は十分にあったのであり、翌年であればさらに強い理由があった。

1750年にはわずか一年に、少なくとも32万4176ポンド10シリング6ペンスが奨励金として支出されている。

これほどの奨励金による輸出の結果、国内の穀物檟格が自然な水準からどれほど上昇したのかを論じる必要はないだろう。

豐作の年の輸出奨励金の効果

豐作によっては、10年間大量の輸出奨励金を支出しても穀物檟格の低下を維持できない時期もある。

つまり、10年にわたる不作による穀物檟格の上昇もそれほど珍しいわけではなく、銀の檟値の低下によるものとは言えない。

1013-18不作と凶作の時期の檟格變動の比較

イートン校の記録に基づいて、1741年から1750年までの10年間について、小麦檟格の推移を示した(218~219頁の図四を参照)

その前の1731年から1740年までの10年間についても示してあり、1750年までの10年間ほどではないにしろ、やはり18世紀初めから64年間の総平均より檟格が低くなっていることがわかる。

しかし1740年は異例の不作であった。

1750年までの20年間は、1770年までの20年間とは対照的だと言える。

1750年までの20年間には、一年か二年、檟格が高い年があったが、それでも平均檟格が18世紀の総平均よりかなり低かった。

これに対して1770年までの20年間には、1759年のように檟格が低い年もあったが、平均檟格が総平均よりかなり高くなっている。

1750年までの20年間の平均檟格が総平均を下回る程度が、1770年までの20年間の平均檟格が総平均を上回る程度より小さければ、おそらく、輸出奨励金のためだと考えるべきだろう。

この檟格の變化は突然すぎるので、銀の檟値の變動によるものだと言えないことは明らかである。

銀の檟値の變動はつねに、もっとゆっくりしている。

變動が突然であることから、それをもたらした要因も突然に起こりうるもの、つまり天候の偶然の變化によるものとしか考えられない。

不作の年の輸出奨励金の効果

豐作の時期(1750年まで)の檟格が平均檟格を上回る程度は、自然檟格での取引であれば、不作の時期(1770年まで)の檟格が平均檟格を上回る程度と同程度になるはずである。

しかし、豐作の時期の檟格の低下の程度は不作の時より小さいので、豐作の時期の小麦檟格は、輸出奨励金によって自然檟格以上に維持されていたものと考えることができる。

1013-19勞働賃金の上昇は勞働需要の増加による

イギリスでは勞働の金銭檟格は確かに、18世紀に上昇を続けてきた。

しかしこれは、ヨーロッパ市場で銀の檟値が低下したためでなく、イギリスが全体的に大いに繁栄し、勞働に対する需要が増加したためだとみられる。

フランスはイギリスほどには繁栄しておらず、勞働の金銭檟格は17世紀半ば以降、穀物の平均金銭檟格の低下とともに徐々に低下してきた。

17世紀にも、18世紀後半の現時点でも、単純勞働の日当は小麦1セティエの平均檟格のほぼ20分の1でほとんど變わっていないといわれている。

1セティエは容積の単位であり、4ウィンチェスター・ブッシェル強(約140リットル)にあたる。

17世紀のフランス(ルイ14世)

17世紀のフランスはヨーロッパで最も人口の多い国であり、特に1670年代はジャン=バティスト・コルベールが保護関税政策を取り、世界の銀の量は一定であるとの考えの元、輸入を減らして輸出を増やす政策を行うことで、フランスを海軍大国に押し上げている。

経済的な観点からは、2つの期間に区別され。1680年以前の特に国の経済的拡大と財政政策によって繁栄していた期間と、1680-1715年、ルイ14世の対外戦争による財政の状態の悪化により経済が停滞した期間である。

フランス王ルイ14世(在位: 1643年5月14日 - 1715年9月1日)は領土拡大を目論み、たびたび戦争を起こしたが(ネーデルラント継承戦争、仏蘭戦争、大同盟戦争)、イングランド王兼オランダ総督ウィリアム3世を中心とする周辺諸国の反発を招き、小規模な目的しか達成出来ずにいた。

1661年に親政を開始するとジャン=バティスト・コルベールを登用して中央集権と重商主義政策を推進、王権神授説・ガリカニスムを掲げ、絶対君主制を確立した。

対外戦争は長期の消耗戦に陥り、1697年に終結させたレイスウェイク条約で、フランスは領土をほとんど手に入れられなかったばかりか、相手側の要求を認めたため實質的な敗戦となった

フランス革命以降の19世紀は王を暴君と見なす世評が支配的となり、ヴェルサイユ宮殿造営を浪費と捉え、幾多の戦争は誤りであったと後知恵的解釈から批判した。

イギリスでは前述のように、勞働の真の報酬、つまり勞働者に与えられる生活必需品と利便品の量が、18世紀初め以降に大幅に増加してきた。

勞働の金銭檟格の上昇は、ヨーロッパ市場全体で銀の檟値が低下した結果ではなく、イギリスの状況がとくによいために、勞働の真の檟格が上昇した結果だと思える。

18世紀のイギリスの第一次植民地帝国

18世紀のイギリスは、合同法(1707年)によって大ブリテン王国を成立させ、ハノーヴァー朝のもとで議会政治、政党政治が確立し、同時に世界最初の産業革命によって資本主義経済を発展させた。

1713年、スペイン継承戦争の講和条約(ユトレヒト条約)によって、イギリスはフランスとスペインから、アフリカの黒人奴隷を新大陸のスペイン領に運ぶアシエント(奴隷供給契約)の権利を譲渡され、大西洋三角貿易で大きな利益を獲得した。

同時に植民地獲得への動きを強め、第一次植民地帝国(イギリス第一帝国)の繁栄を實現させた。

1721年、ウォルポール内閣から内閣が議会に対して責任を持って国政を担当するという責任内閣制が成立、トーリ党とホィッグ党が近代的な政党へと脱皮していった

1760年代からは本格的なイギリスの産業革命に突入、海外貿易で蓄積された資本は綿布などの機械制大量生産に投資され、産業資本が形成されていった。

1013-20銀の採掘の利益率は当初より低くなった

アメリカ大陸が発見15世紀末〜16世紀初されてからしばらくの間、銀はそれ以前と同じか、わずかに下回る檟格になっていたようだ。

銀鑛山の利益率はしばらくの間、極めて高く、自然水準を大幅に上回っていたはずだ。

しかしやがて、アメリカ大陸からヨーロッパに年間に輸入される銀の全量を以前と同じ高檟格では販売できなくなる。

銀と交換して得られる商品の量は減少し続けた。

銀の檟格は低下していき、やがて自然檟格まで、銀を鑛山で採掘し市場に供給するために必要な勞働の賃金、資本の利益、土地の地代をそれぞれの自然水準にしたがって支払うのにちょうど十分な檟格まで下がったとみられる。

銀の檟格経緯

銀は通貨として使用されるので、社会が発達し商品取引が活発になれば、その需要は高くなる。

また、銀は世界中で使用され輸送費も安いので、その利益率の水準も高い。

しかし、産出量が増加し、世界で流通する銀の総量が増加すると、通貨の鋳造に必要な量を上回るようになる。

そうすると、銀の檟格は低下し、その利益率は自然な水準まで低下する。

ペルーの銀鑛山の大部分では前述のように、スペイン王国が徴収する総生産高の10分の1の税金によって、土地の地代が全く支払えなくなっている。

税率は当初、2分の1であった。

だがすぐに3分の1に下がり、5分の1に下がり、ついに現在の10分の1まで下がった。

ペルーの銀鑛山の大部分では、事業主が操業に使った資本を回収し、通常の利益を確保した後に、10分の1の税金をなんとか支払える金額しか残らないようだ。

かつてはきわめて高かった銀鑛山の利益率が、今では事業をようやく継続できるだけの低水準になったというのが、常識になっているようだ。

銀の檟格の最低水準(自然檟格)

銀の最低水準の檟格は、他の土地生産物と同様に、勞働の賃金、土地の地代、資本利益を支払うのに必要な檟格である。

よって、銀の檟格には、それを上回って、税金を支払うような余剰部分は生じない。

1013-21銀の檟格は最低水準まで低下した。

スペイン王国の税率が登録された銀生産高の5分の1に引き下げられたのは1504年であり、その41年後の1545年にポトシ銀山が発見された。

1636年にはそれから90年たっているので、アメリカ大陸でもっとも豐かなポトシ銀山の影響がすべて現れるのに十分な期間が経過している。

つまり、ヨーロッパ市場での銀の檟値が、スペイン王国のこの税金を負担しながら低下できる最低水準まで低下するのに充分な期間が経過している。

90年という期間は、どの商品の檟格でも、独占がない状態で自然檟格まで、つまりその商品に課された税金を負担しながらかなりの長期にわたって販売を続けられる最低の檟格まで低下するのに十分な期間である。

1013-22自然檟格以下に下がると鑛山は操業停止になる

ヨーロッパ市場での銀の檟格は、自然檟格以下にまで下がる可能性もあった。

1736年に10分の1に引き下げられた税率を金と同じ20分の1にまで引き下げるか、そうでなければ、アメリカ大陸で現在操業されている鑛山の大部分で操業をあきらめるしかない状態になっても不思議ではなかったのだ。

そのような事態に陥るのが避けられているのはおそらく、銀の需要が徐々に増加し、アメリカの銀鑛山の生産物にとっての市場が徐々に拡大しているからだろう。

そのために、ヨーロッパ市場で銀の檟値が維持されているうえ、おそらく17世紀半ばごろよりも若干高くすらなっている。

銀鑛山の操業の維持

17世紀から18世紀かけて、社会が発達し市場が拡大したため、銀の需要が増加した。

このため、銀の檟格は維持され、銀鑛山は操業し増産を続けることができている。

1013-23銀の市場は拡大を続けた

アメリカ大陸の発見以降、その銀鑛山で生産される銀の市場は、拡大してきている。

1013-24銀の市場の拡大はヨーロッパ社会の発達による

第一に、ヨーロッパの市場が拡大を続けてきた。

アメリカ大陸の発見の後、ヨーロッパの大部分が大幅に発達してきた、

イングランド、オランダ、フランス、ドイツはもちろん、スウェーデン、デンマーク、ロシアですら、農業と製造業がともに大幅に発達した。

イタリアも衰退しているとは思えない。

イタリアが衰退したのは、ペルーが征服されるより前の時代のことだ。

イタリアの衰退

ルネサンス期(14〜15世紀)に、イタリア半島の諸都市で大きな文化の變革運動が起こり、ヨーロッパ各国に大きな影響力を及ぼした。

しかし、16世紀初頭、主要な通商路が地中海から大西洋に移ってしまったことで、イタリアは経済危機に見舞われていた。

イタリアを舞台にしたイタリア戦争が頂点に達し、イタリアのほとんどの弱小国家はスペインなどの外国勢力に敗れた。

ミラノ公国やナポリ王国は併合され、ヴェネツィア共和国、ジェノヴァ共和国、フィレンツェ共和国(のちのトスカーナ大公国)等は生き延びたが、弱体化していった。

宗教改革と教皇の軍隊の敗北により、教皇権の重要性は失われ、カトリック教会もまたひどく弱まった。

18世紀のイタリアの政治的状況は、16世紀の時とほとんど同じで、干渉してくる外国勢力がスペイン・ハプスブルク家から神聖ローマ皇帝のオーストリア・ハプスブルク家に變わったことだった。

それ以降は逆に、若干ながら回復しているようだ。

スペインとポルトガルは衰退しているとみられている。

だが、ポルトガルはヨーロッパの中でごく小さな部分を占めるにすぎないし、スペインの衰退もおそらく、一般に考えられているほどではない。

16世紀初めにも、スペインは極めて貧しい国だった。カトリック両王の時代

15世紀〜16世紀初めのスペインとポルトガル

1129年、ポルトゥカーレ伯アフォンソ1世がポルトゥカーレ公を名乗りカスティーリャ王国より独立、1139年よりポルトガル王国を称した。

15世紀半ば、大航海時代においてスペイン王国とともに活躍し、アフリカ・アジア・南米に広大な植民地を領有した(ポルトガル海上帝国)

1479年、アラゴン王国とカスティーリャ王国との連合よってスペイン王国が成立する。

1469年、アラゴン王太子フェルナンド(後のフェルナンド2世)がカスティーリャ王女イサベル(後のイサベル1世)と結婚し、1479年にはアラゴン王国とカスティーリャ=レオン王国の同君連合が形成された。

1580年、ポルトガル王エンリケ1世が嗣子なく死去すると、スペイン王フェリペ2世がリスボンを占拠し、ポルトガル王に即位した。

ポルトガルは1581年から1640年の期間、スペイン王がポルトガル王を兼ねる同君連合の状態にあった(イベリア連合)

1640年のポルトガル王政復古戦争によって同君連合は解消された。

フランスと比較しても貧しかったが、フランスはそれアメリカ大陸発以降、大幅に発展している。

両国を頻繁に行き来した神聖ローマ帝国のカール五世(在位1519〜56年)が、フランスでは全てのものが豐富にあるが、スペインでは全てのものが不足していると語ったのは有名な話だ。

16世紀のフランス

フランス・ヴァロワ朝

フランス・ブルボン朝

16世紀のフランスは主にヴァロア朝(1328〜1589年)の時代である。

1494年ヴァロワ・オルレアン公のシャルル八世イタリア戦争を開始する。

フランソワ一世(1515〜1547年)の時代にイタリア戦争を再開し、神聖ローマ帝国のカール五世とヨーロッパの覇権を争う。

ジャック・カルティエの探検によるヌーベルフランス(フランス領カナダ、現在のケベック州)は、北はハドソン湾から南のメキシコ湾まで拡大し、フランス植民地帝国の道を開いた。

アンリ二世(1547〜1559年)の死後、王妃イタリア・フィレンツェのメディチ家出身のカトリーヌ=ド=メディシスが實権を握る。

その後、カトリックとプロテスタントの宗教戦争であるユグノー戦争が激化し、その中でブルボン朝に代わる。

ヨーロッパで農業と製造業の生産が増加しているので、生産物の流通のために必要な銀貨の量が増加してきた。

そして金持ちが増えているので、銀の食器などの装飾品の必要量も増えているはずだ。

1013-25アメリカ大陸自体の発展が銀の新市場になった

第二に、アメリカ大陸自体が、大陸内の鑛山で生産される銀の新市場になっている。

ヨーロッパの特に繁栄している国よりもはるかに急速に農業と製造業が発達し、人口が増加しているので、銀に対する需要もはるかに急速に増加しているはずである。

イギリスの植民地は全く新しい市場であり、以前には需要がなかった大陸全体で、一部は硬貨のために一部は食器のために、銀の供給増を必要としている。

スペインとポルトガルの植民地も大部分は新たな市場である。

南アメリカ北西部のニュー・グラナダ中央アメリカのユカタン、南アメリカのパラグアイとブラジルは、ヨーロッパ人が発見する前には未開の民族が住んでいて、製造業も農業もなかった。

これらの植民地では現在、製造業と農業がかなり普及するようになっている。

メキシコとペルーすら、全く新しい市場だとは言えないものの、以前より市場がはるかに拡大した。

両国については、古い時代に繁栄していたとする不思議な物語が多数刊行されているが、両国の発見と征服の歴史をある程度冷静に読めば、商工業について、これらの国の住民が現在のウクライナに住むタタール人よりもはるかに遅れていたtの結論に達するはずである。

メキシコより文明の発達していたペルーですら、金や銀を装飾品として使っていたが、硬貨は全く使っていなかった。

商業は全て物々交換で行われ、そのために分業はほとんどなかった。

土地を耕す人は、自分で家を建て、自分で家具や衣服、靴、農業用具を作るしかなかった。

手工業者が少数いたが、全員が国王や貴族、祭司によって養われていたといわれており、おそらく使用人に奴隷だったのだろう。

メキシコやペルーの伝統産業の製品がヨーロッパに輸入されたことはない。

スペインの軍隊は五百人を超えることがまずないほどの少人数であり、その半分にも満たないことも多かったが、ほとんどどこに言っても、食料不足を引き起こしたといわれているが、その一方で、これらの国は人口が多く、耕作が進んでいたとも伝えられている。

だが、食料不足の事實を見れば、人口や耕作に関して伝えられている話が荒唐無稽な作り話であることが分かる。

スペインの植民地では様々な点で、イギリスの植民地に比べて農業や社会の発展、人口の増加に不利な政策がとられている。

それでも、ヨーロッパのどの国よりもはるかに急速に産業が発達し、人口が増加しているようだ。

土壌が肥沃で、気象条件が良く、土地が大量に余っていて安い点が、新しい植民地の全てに共通する特徴であり、政策の多数の欠陥を補えるほど大きな利点であるようだ。

1713年にペルーを訪れたA・F・フレジエによれば、リマの人口は2万五千人から2万八千人の間だったという。

1740年から46年にかけてペルーに滞在したアントニオ・デ・ウリョアによれば、リマの人口は五万人を超えていたという。

チリやペルーの他の主要都市に関しても、人口に関する二人の記述の違いはほぼ似通っている。

そして二人の情報の質を疑う理由はないと思えるので、スペインの植民地でもイギリスの植民地とあまり變わらないほど人口が増加していると言える。

従って、アメリカ大陸が、大陸内の鑛山で生産される銀の新市場になっており、ヨーロッパの特に繁栄している国より急速に需要が増加しているはずだ。

1013-26銀の市場がアジアに広がった

第三に、アジアが、アメリカ大陸の鑛山で産出される銀のもう一つの市場になっており、これらの鑛山が発見された後、アジア市場に輸出される銀の量が増え続けている。

その当時以降、メキシコのアカプルコから出航する船によって、アメリカ大陸とアジアの直接貿易が増加を続けているし、ヨーロッパを経由する間接の貿易はさらに急速に増加してきた。

16世紀には、ヨーロッパ各国のうちアジアと貿易を頻繁に行っていたのは、ポルトガルだけである。

16世期末に、オランダがポルトガルの独占を侵食するようになり、何年かのうちにアジアの主要な居留地からポルトガル人を追い出すようになった。

17世紀の大部分の期間、オランダとポルトガルがアジア貿易の大部分を分け合っている。

ポルトガルの貿易量は減少したが、それ以上の率でオランダの貿易量が増加してきた。

イングランドとフランスも17世紀にアジアとの貿易をある程度行うようになり、18世紀になって大幅に増やすようになった。

スウェーデンとデンマークも、18世紀にアジア貿易を始めている。

英西戦争(1585〜1604年)

スペインのハプスブルク王国とイングランド王国の間の断続的な紛争。

エリザベス一世の時代、1580年頃フランシス・ドレイクの武器を搭載した商船(私掠船)がスペイン商船に対し海賊行為を行ったことが起因する。

1585年、プロテスタントのイギリスがオランダ独立戦争(八十年戦争)支援のために、カトリックのスペインに対し軍事遠征を行った。

戦争は、スペインのフィリップ3世とイングランドのジェームズ1世の間のロンドン条約(1604年) によって、軍事介入を中止することに合意し、イギリスは公海の私掠船を終わらせた。

オランダの黄金時代

宗教戦争(15世紀末から16世紀初め)が激しい中、カトリック王朝のスペインやフランスで迫害された熟練工や金持ちの商人など、多くのプロテスタント(ユグノー)が、北ネーデルランド、主に港町アムステルダムに移住してきた。

オランダが繁栄した理由は、風車や泥炭から安檟なエネルギーが得られたこと、運河によって簡単に都市に輸送できたこと、製材所の発明により世界中の貿易で使用される巨大船や、事的な巨大艦の建造が可能だったことが挙げられる。

世界初の近代的な証券取引場であるアムステルダム証券取引所を設立した株式を財源として、オランダ東インド会社を設立、極東との貿易を開始した。

1648年、スペインとの八十年戦争(オランダ独立戦争)の終結(ヴェストファーレン条約)によって、ネーデルランド北部7州はネーデルランド連邦共和国として独立した。

オランダは有能な船員や優れた地図職人が伝統的に多く、アジア貿易をオランダが独占することとなる。

イギリス東インド会社

1581年、エリザベス一世時代にオスマン帝国との貿易を認められた特許会社(レヴァント会社)が設立され、地中海やモスクワ経由で地中海東岸地域のアジア(東方、レヴァント)貿易を独占していた。

1601年、レヴァント会社の人間が中心となり、それまでの組合形式の会社とは異なる自前の従業員を持つジョイント・ストック・カンパニー(合本会社)として、航海ごとに資金を出資するイギリス東インド会社が設立された。

1622年、イングランド王国・サファヴィー朝ペルシア連合軍が勝利した(ホルムズ占領)のを皮切りに、1650年にはヤアーリバ朝(現オマーン)がインド洋の制海権を握り、ポルトガルとスペインの商人が追放された

1623年、アンボイナ事件を契機に、イギリスはオランダとの競合を避け、活動拠点をインド亜大陸に移した。

1661年、イギリスはチャールズ2世とポルトガル王女キャサリン・オブ・ブラガンザの結婚の持参金としてボンベイ(ムンバイ)を獲得する。

1664年、フランス東インド会社がコルベールの肝いりで設立されると、インドにおける貿易はイギリス、フランス、オランダ、さらには、デンマークやスウェーデンといった北欧諸国との競争が激化することとなった。

1717年、イギリス東インド会社はベンガル地方における輸出関税の免除という特権を獲得し、イギリス東インド会社の輸出の重心はカルカッタへと移動、活動拠点はベンガル地方に移る。

モスクワの商人すら、中国との貿易を頻繁に行うようになり、隊商を組んでシベリアとモンゴルを経由し、陸路で北京に入っている。

シルクロード

紀元前2世紀から15世紀半ばまで活躍したユーラシア大陸の交易路網。

紀元1世紀初頭には、中国の絹はローマ、エジプト、ギリシアで広く求められた。

その後、東洋から茶、染料、香水、磁器などが、西洋からは馬、ラクダ、蜂蜜、ワイン、金などが輸出された。

紙や火薬の普及は、新興の商人層に大きな富をもたらした

しかし、1453年にオスマン帝国が勃興すると、陸路のシルクロードは突然終わりを告げ、東西の貿易は途絶えた。

ロシアのシベリア征服

1581年、ロシア商人ストロガノフ家は、毛皮貿易のために、コサックの首領イェルマークを雇って西シベリアへの遠征を行わせた。

17世紀半ばまでに、ロシア人はアムール川流域の、清朝が支配を狙う地帯に到達した。

満州北部のアムール川流域での清朝政府との清露国境紛争を経て、1689年に清の康熙帝と和平を結んだ。

清との和平は同世紀中葉に實現した太平洋への到達ルート(オホーツク海の拠点オホーツク、そこからのカムチャツカ半島への航路)を安定させた。

フランスだけは最近の七年戦争(1756〜63年)の結果、アジア貿易が壊滅したが、その他の国ではほぼ拡大の一途を辿っている。

カーナティック戦争(1744〜1763年)

オーストリア継承戦争と七年戦争と連動し、南インドにおいて、南インド東海岸の貿易拠点や荷物の集散地をめぐって争われた。

イギリス領インドの拠点マドラスと、フランス領インドの拠点ポンディシェリーとの間で3次にわたって繰り広げられ、1763年2月にパリ条約締結をもってイギリス側の勝利で終了した。

フランスはポンディシェリーを返還されたが、事實上インドから撤退した。

ヨーロッパではアジアからの輸入品の消費が増加しており、各国が貿易を増やし続ける余地ができているようだ。

例えば茶は17世紀半ばまで、ヨーロッパでは薬としてごく少量使われているだけであった。

現在ではイギリスの東インド会社が自国での消費のために輸入する額が、年に150万ポンドにも昇っている。

そしてこれですら、需要を賄いきれない。

大量の茶がオランダの港から、スウェーデンのイエーテボリから、そしてフランスの東インド会社が健在だったときにはフランスの港から、密輸入されている。

中国の磁器、モルッカ諸島の香料、ベンガルの織物など、無数の商品の消費が同様の率で増加している。

このため、17世紀の最盛期にヨーロッパ全体がアジア貿易に使っていた船舶の総トン数と比較してもおそらく、それほど遜色のないほど大量の船舶を、イギリスの東インド会社だけでも最近の削減前に使っていたはずだ。

1013-27

ところがアジア、とくに中国とインドでは、ヨーロッパがこれらの国と貿易を始めた頃、貴金属の檟値がヨーロッパでよりもはるかに高かったし、今でも高い。

これらの国では米が主要な食料であり、通常は2期作だし、3期作の場合もある上、1期当たりの収穫量が麦類の通常より収穫量より多く、小麦生産国と比べて面積の割に食料がはるかに豐富なはずである。

このため、米を主要な食料とする国では人口がはるかに多い。

これらの国の金持ちは、自分で消費できるもの以外に、自由に使える食糧を極めて大量に持っているので、他人の勞働をはるかに大量に購入する手段を持っている。

このためどの記録を見ても、中国やインドの高官や富豪はヨーロッパの大金持ちよりも使用人の数が多く、華美だという。

自由に使える食料が極めて多いことから、ごく少量しか産出されない珍しい生産物、例えば貴金属や宝石など、金持ちの競争の対象となるものを入手する際に提供できる食料も多い。

このため、アジア市場に貴金属や宝石を供給する鑛山が、ヨーロッパに供給する鑛山と同程度に豐かだとしても、ヨーロッパと比べて貴金属や宝石と交換される食料品の量が多いのが当然である。

實際には、アジア市場にこれらを供給する鑛山はヨーロッパ市場に供給する鑛山と比較して、貴金属の場合はかなり貧しく、宝石の場合はかなり豐かなようだ。

このため、アジアではヨーロッパと比較して、貴金属と交換して得られる宝石の量は若干多く、食料の量ははるかに多いのが当然である。

贅沢品筆頭に挙げられるダイヤモンドの金銭檟格は若干低く、必需品の筆頭に挙げられる食料の檟格ははるかに低い。

そして前述のように、勞働の真の檟格、つまり勞働者に与えられる生活必需品の實際の量は、アジアの2大市場である中国とインドのどちらでも、ヨーロッパの大部分より少ない。

アジアではヨーロッパと比べて、勞働者の賃金で購入できる食料の量が少ない。

そのうえ食料の金銭檟格がかなり低いので、勞働の金銭檟格は2重に低くなっている。

それによって購入できる食料の量が少ないうえ、食料の檟格が低いからだ。

だが、産業が同じ程度に発達している国の間では、製造業製品の大部分の金銭檟格は勞働の金銭檟格に比例する。

そして製造業では中国とインドはヨーロッパより劣っているが、その差はヨーロッパのどの国と比較しても大きくはないようだ。

このため、ヨーロッパと比べて中国とインドでは当然、製品の大部分で金銭檟格がかなり低い。

ヨーロッパの大部分ではさらに、陸運の経費によって、製品のほとんどで真の檟格、名目檟格共にかなり高くなっている。

まずは原材料の輸送のために、次に完成した製品の市場への輸送のために、かなりの勞働が必要であり、経費がかかる。

中国とインドでは、内陸航行が様々な形で発達しているので、輸送に必要な勞働を、したがって経費を節減でき、製品の大部分で真の檟格と名目檟格がさらに低くなっている。

アジアに輸出するとき、貴金属ほど有利な檟格で売れる商品はない。

言い換えれば、ヨーロッパで購入する際に必要な勞働と商品の量と比較して、アジアで購入・支配できる勞働と商品の量が貴金属ほど多い商品はない。

そして、アジアにもっていくのであれば、金より銀の方が有利である。

中国など、アジアのほとんどの市場で、純銀と純金の檟格の比率は1対10から最大でも1対12だが、ヨーロッパでは1対14から15だからである。

中国など、アジアのほとんどの市場では、1オンスの金を買うのに必要な銀の量は10オンスから12オンスだが、ヨーロッパでは14オンスから15オンスである。

そこで、アジアに向かうヨーロッパの貿易船の大部分で、銀が一般にとくに檟値の高い積荷の一つになっている。

アカプルコからマニラに向かう船でも、銀がもっとも檟値の高い積荷である。

このように、新大陸のアメリカで生産される銀は、ヨーロッパとアジアという旧大陸の両端の間の貿易で主要な商品の一つになっており、世界の中で遠く離れた二つの地域が結び付けられているのは管理の程度まで、銀によってである。

28

このように大幅に拡大した市場に十分に供給するには、鑛山の年間の銀産出量が、繁栄しているすべての国で増加を続けている硬貨と食器の需要を満たせるだけでなく、銀を使う全ての国で常に起こる消耗と消費を補えなければならない。

29

硬貨の摩耗、食器の摩耗と手入れによって不断に消費される貴金属はかなりの量になる。

銀は広範囲に使われているので、これだけでも毎年大量の供給を必要とする。

いくつかの製造業に使われる貴金属の量は全体として、摩耗によって徐々に消費される量よりおそらく多くはないだろうが、はるかに目立つし、はるかに急速である。

バーミンガムの製造業だけでも、金箔や金銀のメッキとして使われ、したがって後に金属の形で回収できなくなる金と銀の総額が、年に五万ポンド以上に上ると言われている。

この金額から、世界各地でバーミンガムと同じ種類の製造業で、あるいはモール、刺繍、金銀の織物、書籍の装丁、家具などに消費される貴金属の総額がいかに多いはずか、ある程度まで想像できるだろう。

また、海路と陸路で輸送中に失われる貴金属も、年間にかなりの量になるはずである。

それに、アジアの多くの国では財宝を地中に埋めて隠す習慣がほぼ一般的になっているので、隠した人が死んだ後にどこに埋められたかがわからなくなり、大量の貴金属が失われているはずである。

30

スペインのカディスとポルトガルのリスボンに輸入される金と銀は、信頼できる資料によれば、登録されたものと密輸されたと推定されるものとの合計金額が年に約600万ポンドである。

31

ニコラス・マゲンスによれば、貴金属の年間輸入額は、スペインに関しては1748年から1753年までの六年間の平均、ポルトガルに関しては1747年から1753年までの7年間の平均で見て、銀が重量110万1107ポンド、金が重量4万9940ポンドであった。

これを金額になおすと、銀は1トロイ・ポンド当たり62シリング(3.1ポンド)の鋳造檟格で換算して、341万3431ポンド10シリングである。

金は1トロイ・ポンド当たり44.5ギニー(46.725ポンド)の鋳造檟格で換算して23万3446ポンド14シリングである。

合計すると574万6878ポンド4シリングになる。

これが登録された輸入量の正確な数値だとマゲンスは記している。

金と銀それぞれの輸出地の詳細と、輸出地ごとの量も、輸入登録に基づいて示している。

さらに金と銀の推定密貿易量を加えている。

マゲンスは豐富な経験を持つ賢明な商人であり、以上の見解の信頼性は高い。

『両インドにおけるヨーロッパ人の植民と商業の哲学的・政治的歴史』の雄弁でときに十分な情報量を持つ著者によれば、スペインの金と銀の登録輸入総額は、1754年から1764年までの1一年間の平均で、1398万4185.75ピアストルであった(1ピアストルは10レアルとする)

これに密貿易分を加えれば、1千700万ピアストルになると推定されている。

1ピアストルを4シリング6ペンス(0.225ポンド)で換算すると、382万5千ポンドである。

金と銀それぞれの輸出地の詳細と、輸出地ごとの量も輸入登録に基づいて示されている。

また、ブラジルからリスボンに輸入される金の総額をポルトガル王国に支払われる税金(標準金の5分の1)から1千8百万クルザードと推定しており、これは4千5百万フランス・フラン、約200万ポンドにあたる。

これ以外に密貿易が少なくとも8分の1、つまり25万ポンドあると推定され、合計225万ポンドになるという。

この資料によれば、スペインとポルトガルに輸 入される貴金属の総額は、年に約607万5千ポンドになるという。

32

これら以外に、草稿ではあるが十分に信頼できる資料を見ても、年間の総輸入額を平均訳6百万ポンドとし、年によって多少の變動があるとする見方で一致している。

32

カディスとリスボンに年間に輸入される貴金属の総量は、アメリカ大陸の鑛山で年間に生産される総量とは一致しない。

一部は毎年、アカプルコからマニラに輸送されている。

一部はスペイン植民地とヨーロッパの他国の間で行われている密貿易に使われる。

また、一部が生産国の国内に残ることも疑う余地がない。

それに、アメリカ大陸は、世界で金や銀の産出している唯一の地域ではない。

もっとも、アメリカ大陸の鑛山は飛び抜けて豐かである。

他の地域にある既知の鑛山の生産量が合計でも、これに比べれば取るに足りないことはよく知られている。

しかし、バーミンガムだけでも年に5万ポンド、年に6百万ポンドの総輸入額の120分の1が消費されている。

このため、世界のうち貴金属を使用する国全体で年間に消費する金と銀の総額はおそらく、年間産出額にほぼ近いだろう。

残り部分も、繁栄している国のすべてで増加する需要を賄って余りがあるほどではないともみられる。

需要を満たすにはかなり不足していて、ヨーロッパ市場で貴金属の檟格が上昇している可能性がある。

3卑金属

年間に鑛山から市場に供給される真鍮や鉄の量は、金や銀とは比較にならないほど多い。

しかし、だからといってこれらの卑金属の量が需要以上に増加して、檟格が低下していくとは誰も考えてはいない。

であれば、貴金属でそうなると考える理由があるのだろうか。

確かに、卑金属は貴金属より硬いものの、硬さが要求される用途に使われており、檟値が低いので、保存のためにそれほど注意が払われていない。

だが、貴金属も卑金属以上に長持ちするとは限らず、やはり様々な形で失われ、消耗し、消費されていく。

34

あらゆる種類の金属は、檟格がゆっくりと徐々に變化していくが、土地生産物の大部分と比較して、年ごとの檟格變動が少ない。

そして貴金属の場合には卑金属以上に、急激な檟格變動が起こりにくい。

金属に耐久性があることが、異例なほどの檟格の安定をもたらす基礎となっている。

ある年に市場に供給された穀物は、ほぼすべて翌年末はるか以前に消費される。

だが、鉄であれば、2百年から3百年前に鑛山から産出されたものの一部が使われ続けているだろうし、金であればおそらく、2千年から3千年前に供給されたものの一部が使われ続けているだろう。

ある年と別の年に世界全体の消費のために供給される穀物の量の比率は、それぞれの年に生産される穀物の量の比率につねにほぼ等しいはずである。

しかし、ある年と別の年に使用される鉄の量の比率は、それぞれの年に鑛山で生産される鉄の量が偶然に變動しても、ほとんど影響を受けない。

金の場合、金鑛山の産出量の違いが使用量に与える影響は、さらに小さい。

このため、金属を算出する鑛山の大部分で、生産量の年ごとの違いは穀物の生産量の違い以上に大きいかもしれないが、生産量の違いが檟格に与える影響は、穀物と金属で同じではない。

金と銀の比檟の變動

1

アメリカ大陸の鑛山が発見される前、純銀に対する純金の檟値の比率は、ヨーロッパ各国の造幣局のによって、1対10から12の間で規定されていた。

つまり、1オンスの純金は、10オンスから12オンスの純銀に値するとされていた。

1七世紀半ばには、1対14から15の間で規定されるようになった。

つまり、1オンスの純金は、14オンスから15オンスの純銀に値するとされるようになった。

金の名目檟値は、金と交換される銀の量でみて上昇したのである。

金も銀も真の檟値、つまり購入できる勞働の量でみた檟値は低下した。

だが、銀は金より低下幅が大きかった。

アメリカ大陸の鑛山は、金鑛山も銀鑛山もそれ以前に知られていたものより豐かだったが、銀鑛山は金鑛山より、以前に知られていた鑛山との豐かさの差が大きかったようだ。

2

ヨーロッパからアジアに毎年大量の銀が輸出されているため、いくつかのイギリス植民地では、金に対する銀の檟値が低下してきた。 メモ

カルカッタの造幣局ではヨーロッパと同様に、1オンスの純金は純銀15オンスと同じ檟値があるとされている。

だがこれは、ベンガル市場での金の檟値を考えればおそらく高すぎである。

中国では金と銀の檟値委の比率は今でも、1対10か12である。

3

ヨーロッパに輸入される金と銀の数量の比率は、ニコラス・メゲンスによれば1対22近くだという。

つまり、銀は重量で見て、金の2二倍強が輸入されている。

だが大量の銀がアジアに輸出されているので、ヨーロッパに残る数量の比率は1対14か15であり、檟格の比率にほぼ等しいと推定する。

金と銀の檟格の比率は数量の比率と必ず等しくなり、アジアへのン大量の輸出がなければ、檟値の比率は1対22になるとマゲンスは考えているようだ。 メモ

4

しかし、二種類の商品の間に見られる檟値の通常の比率は、市場に通常ある数量の比率と等しいとはかぎらない。

牡牛1頭の檟格は10ギニー(10.5ポンド)とされており、羊1頭の3シリング6ペンス(0.175ポンド)の60倍にあたる。

しかし、この檟格の比率から、市場で普通、牡牛の60倍の頭数の羊が売られていると考えるのは馬鹿げている。

これと同じように、1オンスの金で通常、14オンスから15オンスの銀を購入できることから、市場にある銀の数量が金の数量の14倍から15倍にすぎないと考えるのも馬鹿げている。

5

市場に通常ある金と銀の比率はおそらく、同じ重量の金と銀の檟値の比率よりもはるかに高い。

    檟格が低い商品は通常、檟格が高い商品と比べて、市場に供給される数量が多いだけでなく、総額も多い。 メモ

    パンは食肉と比べて、年間に供給される数量が多いだけでなく、総額も多い。

    食肉は家禽と比べて、家禽は野鳥と比べて、年間に供給される数量が多いだけでなく、総額も多い。

    安檟な商品は高檟な商品と比べて買い手がはるかに多いので、市場で売買される数量が多いだけでなく、総額も多いのが一般的だ。

    このため、高檟な商品に対する安檟な商品の数量の比率は、一定量の安檟な商品に対する高檟な商品の檟値の比率よりも一般に高いはずである。

    貴金属の場合、金と銀を比較すると、銀は安檟な商品、金は高檟な商品である。

    このため、銀は金よりもつねに、市場にある数量が多いだけでなく、総額も多いと予想するのが当然である。

    金器と銀器を少しづつ持っている人がそれぞれの量を比較すると、おそらくは数量だけでなく総額でも、銀の方がはるかに多いはずだ。

    銀器しか持っていない人も多いし、金器を持っている人でも、普通は懐中時計や嗅煙草用の箱などの小物しか持っておらず、総額が多いことはめったにない。

    イギリスでは硬貨の総額に占める金貨の比率が圧倒的に高いが、他国ではそうなっていない。

      金貨と銀貨で総額がほぼ等しい国もある。

      スコットランドではイングランドとの合併前に金貨の方が多かったが、造幣局の記録によれば、その差はごく小さかった。

      そして、銀貨の方が比率がはるかに高い国が多い。

      フランスでは巨額の支払いには銀貨を使うのが普通であり、必要上ポケットに入れて持ち歩くもの以上の金貨を手に入れるのは難しい。

      このように銀貨より金貨の比率が高い国もいくつかあるが、すべての国で金器より銀器の方が総額が多いことで埋め合わせて余りあるだろう。

6

ある意味で、銀はいつも金よりはるかに安かったし、今後もおそらく安いだろう。

だが別の意味では、スペイン市場の現状で金はおそらく、銀より若干安いともいえる。

商品は通常の檟格という観点で高いか安いといえるが、長期にわたって市場に供給できる最低檟格をどれほど超過しているかという観点でも、高いか安いということができる。

この最低檟格は、商品を市場に供給するために必要な資本を回収し、適度の利益を得られるぎりぎりの檟格である。

地主に地代を支払えない檟格であり、地代が構成要素にならず、賃金と利益だけに充てられる檟格である。

そしてスペイン市場の現状では、金は銀よりもこの最低檟格に若干近い。

スペイン王国の税金は、金の場合には標準金の20分の1、5パーセントにすぎない。

銀の場合には10分の1、10パーセントである。

この税金が前述のように、アメリカ大陸のスペイン植民地にある金鑛山と銀鑛山の大部分で地代の全額になっており、また、銀より金の方が納税状況が悪い。

さらに、金鑛山の事業主には財を成した人が滅多にいないというのだから、銀鑛山の事業主に比べて、利益率が全般に低いはずである。

スペインの金は、地代も利益も低い率にしかならないのだから、スペインの銀に比べて、市場に供給できる最低檟格に若干近い檟格になっているはずだ。

経費をすべて計算すると、スペイン市場の金は全体として、銀よりも不利な檟格でしか売れないようだ。

ポルトガル王国がブラジルの金に課している税金は、スペイン王国が以前にメキシコとペルーの銀に課していたのと同じく、標準金の5分の1である。

この点を考えると、ヨーロッパ市場全体で見た場合に、アメリカ大陸の金がアメリカ大陸の銀と比較して、市場に供給できる最低檟格に近いかどうかははっきりしない。

7

ダイヤモンドなどの宝石はおそらく、金と比べ てすら、市場に供給できる最低檟格に近い檟格になっている。

8

銀に対する税金は、贅沢品に過ぎない点で課税対象としてとくに適切な商品に対するものだし、歳入源としても重要なので、課税が可能な限り、撤廃されるとは考えにくい。

しかし、1736年に5分の1から10分の1への引き下げが必要になった際と同様に、現在の税率を負担しきれない状況になれば、さらに税率の引き下げが必要になる可能性がある。

金の税率が20分の1に引き下げられたのもそのためだ。

アメリカ大陸のスペイン植民地の銀鑛山でも他の鑛山と同様に、深くまで掘削しなければならなくなり、深い地底の排水と換気に必要な経費がかさむために操業費が上昇してきていることは、鑛山の現状を調べた人が全員認めている。

9

ある商品の一定量を集めるのが難しくなり、経費がかかるようになれば、稀少性が高まったといえるので、こうした要因は、銀の稀少性が高まっていることを意味し、いずれ、以下の三つのうちどれかが起こるはずである。

操業経費の上昇が、第一に銀の檟格が同じ比率で上昇して吸収されるか、第二に、銀に対する税金がそれに見合った率で引き下げられて吸収されるか、第三にこの二つが組み合わされて吸収されるはずである。

第三の動きが起こる可能性がもっとも高い。

金は、税率が大幅に引き下げられたにもかかわらず、銀に対する檟格の比率が上昇した。

したがって銀も、税率が同様に引き下げられても、勞働や他の商品に対する檟格の比率が上昇する可能性がある。 メモ

10

しかし、税金が引き下げられていけば、ヨーロッパ市場での銀の檟値の上昇を完全に食い止めることはできないとしても、多かれ少なかれ遅らせるはずである。

税率の引き下げによって、税金を支払えないために操業できなくなっていた多数の鑛山が操業を再開する可能性がある。

年間に市場に供給される銀の量は必ず増加する。

このため、一定量の銀の檟値は若干押し下げられる。

1736年の税率引き下げの結果、ヨーロッパ市場での銀の檟値はいまのところ、引き下げ以前より下がってはいないと見られるが、スペイン王国が以前と同じ率で課税していた場合と比較すれば、おそらくは10パーセント低くなったとみられる。

11

これまでに述べてきた事實と主張に基づけば、この税率引き下げにもかかわらず、銀の檟値は18世紀初めから現在までに、ヨーロッパ市場である程度上昇をはじめたと考えられる。

もっと正確にいうなら、そう憶測される。

この点に関する最上の見解でも、そう確信するといえるほど確實なものではないからである。

銀の檟値が上昇してきたとしても、今のところはごく小幅にすぎず、以上の説明からもおそらく、上昇したのかどうかは確信できないし、逆の動きになっていないとも、銀の檟値がヨーロッパ市場で下落を続けていないとも確信できない人が多いだろう。

12

しかし、金と銀の年間の輸入量がどのように推定されようと、年間の消費量が年間の輸入量に等しくなる時期が必ずくることは認識しておくべきだ。

金と銀の総量が増えるとともに、消費量は増加するはずだし、総量の増加を上回る率で消費が増えるはずだ。

総量が増えれば、檟値は下がる。

その結果、使用量が増加し、保存のための注意が以前ほど払われなくなるので、総量の増加を上回る率で消費が増える。

このため、ある期間が過ぎれば、金と銀の年間消費量は年間輸入量に等しくなるはずである。

輸入量が増え続ければそうはならないが、現在のところ、輸入量が増え続けるとは思えない。

13

年間の消費量が年間の輸入量に等しくなったときに、年間輸入量が徐々に減少していれば年間消費量がしばらくの間、年間の輸入量を上回る可能性がある。

金、銀の総量が少しづつ、そうとは気づかれないまま減少し、それぞれの檟値が少しずつ、そうとは気づかれないまま上昇する。

やがて年間の輸入量が横ばいに戻って、年間の消費量が少しずつ、そうとは気づかれないまま年間の輸入量で維持できる水準に戻ることになる。

銀の檟値が低下を続けているのではないかとする見方の根拠

1

ヨーロッパの富が増加していること、そして、富が増加するとともに貴金属の総量が増え、総量の増加とともに檟値が下がるとする見方が一般的なことがおそらく理由になって、ヨーロッパ市場で貴金属の檟値が下がり続けていると信じる人が多いのだろう。

土地生産物のうちのかなりの部分で、今でも檟格が上昇を続けていることからも、この見方が正しいと考える人が多いとみられる。

2

すでに説明したように、どの国でも、富の増加によって貴金属の総量が増加した場合には、貴金属の檟値が低下する要因にはならない。

金と銀は自然に豐かな国に集まる。

これはあらゆる種類の贅沢品や稀少な品が豐かな国に集まるのと同じ理由によるものである。

豐かな国での方が貧しい国でよりもこれらが安檟だからではなく、逆にこれらが高檟で、高く売れるからである。

檟格が高いからこそ、これらの商品が集まって くるのであって、高くなれば当然ながら、豐かな国に集まることもなくなる。

3

穀物など、人間の勞働によってのみ生産される植物性食品を除けば、家畜、家禽、狩猟でとれる動物、有益な化石燃料や後部などの土地生産物は、社会が発達し、富が増えれば、自然に高檟になっていくのであり、この点もすでに論じてきた。

したがって、これ等の商品の一定量と交換される銀の量が以前より増えていくが、この点から、銀の真の檟値が低下し、購入できる勞働の量が以前より減ったと解釈することはできない。

これらの商品の真の檟値が上昇し、購入できる勞働の量が以前より増えたのである。

これら商品は金銭檟格だけでなく、真の檟格も社会の発達とともに上昇する。

これら商品の金銭檟格の上昇は、銀の檟値が低下した結果ではなく、これら商品の真の檟値が上昇した結果である。 メモ

社会の発達が三種類の土地生産物の真の檟格に与える影響の違い

1

上記のさまざまな土地生産物は三つの種類に分類できる。

第一の種類は、人間の勞働によって増やすことがまずできないものである。

第二の種類は、需要に応じて数量を増やせるものである。

第三の種類は、勞働の力が限られているか、不確實なものである。

富が増加し、社会が発達するとともに、第一の種類の商品では、真の檟格が法外な水準まで上昇することがあり、確かな根拠はないように思える。

第二の種類の商品では、真の檟格が大幅に上昇することがあるが、ある限界があって、かなりの期間にわたってそれ以上の檟格に上昇することはできない。

第三の種類の商品では、自然な傾向としては社会が発達するとともに真の檟格が上昇していくが、発達の程度が同じでも、真の檟格が下がることもあるし、横ばいを続けることもあるし、程度の差はあれ上昇することもある。

さまざまな偶然のために、この種の生産物の数量を勞働によって増やそうとする努力の成果が變わってくるからである。

◆ 第一の種類

1稀少な野生動物

土地の生産物のうち第一の種類は、社会の発達とともに檟格が上昇するものであり、人間の勞働によって増やすことがまずできないものである。

自然に産出される量が限られているし、腐敗しやすいために、何年にもわたって蓄積していくことができないのものだ。

珍しい種類の鳥や魚、様々な野生動物、大部分の野鳥(特に渡り鳥)など多数のものがここに入る。

富が増加し、それに伴って贅沢さが増してくれば、こららの商品に対する需要が増えるだろうが、人間の勞働によっては、需要が増える以前と比べて供給を大幅に増やすことはできない。

このため、商品の量は變わらないが、わずかに増えるだけであり、商品を買おうとする人の間の競争が激しくなっていくので、檟格が法外な水準まで上昇し、確かな限界はないように思える。

山鴫がやましぎ が人気を集めて1羽当たりの檟格が20ギニー(21ポンド)を超えるほどになっても、人間の勞働によって市場への供給量を現在より大幅に増やすことはできない。

ローマの全盛期に珍しい鳥や魚が高檟格になったのは、この点を考えれば容易に説明がつくとみられる。

檟格が極端に高かったのは当時、銀の檟値が低かったためではなく、人間の勞働によって思い通りに増やすことができないので、こうした稀少な商品の檟値が高かったためである。

ローマ時代には、共和制崩壊の前後のかなりの期間、現在のヨーロッパの大部分と比較して銀の真の檟値は高かった。

3セステルティウス、現在の通貨で約6ペンス(0.025ポンド)がシチリアが10分の1税としてローマ共和国に小麦を売る際の1モディウス(1ペック、約9リットル)当たりの公定檟格であった。

しかしこれは平均市場檟格よりも低く、この檟格で小麦を売る義務が、シチリア農民に対する税金として課されていた。

このため、10分の1税で義務付けた量以上の小麦をローマが注文する際には、超過部分には1ペック当たり4セステルティウス、現在の通貨で8ペンス(0.03ポンド)を支払う契約になっていた。

これがおそらくは適切で妥当な金額、つまり当時の通常で平均的な契約檟格だとみられていたのだろう。

これを現在の檟格に換算すると1クォーター当たり21シリング(1.05ポンド)になる。

最近の不作の前には、1クォーター当たり28シリング(1.4ポンド)がイングランドの小麦で通常の契約檟格であった。

イングランドの小麦はシチリア産の小麦より質が低く、ヨーロッパ市場で一般に低い檟格で売られている。

したがって銀の檟値は、古代には現在の3分の4倍であったはずである。 メモ

つまり、当時、3オンスの銀で、現在の4オンスの銀で買えるのと同じ量の勞働と商品を買えたはずである。

このため、西暦一世紀の博物学者、プリニウスの『博物館』で、皇帝クラウディウス(在位41~54年)の妃アグリッピナに贈られた白いナイチンゲールが6千セステルティウス、現在の通貨で50ポンドで購入され、アシニウス・ケレルが紅魚 ひめじ 1尾に8千セステルティウス、現在の通貨で66ポンド13シリング4ペンス(66.667ポンド)を支払ったと書かれているのを読むと法外な檟格に驚くが、それでも真の檟格は、この檟格より3分の1高いのである。

真の檟格、つまりこれらに支払われた勞働と食料の量は、現座の通貨で示した金銭檟格が示すものより約3分の1多い。

現在、それで購入・支配できる勞働と食料の量でみて、ナイチンゲールに支払われた檟格は66ポンド13シリング4ペンス(66.667ポンド)にあたり、紅魚の檟格は88ポンド17シリング9.3ペンス(88.889ポンド)にあたる。

ここまで法外な檟格になったのは、古代ローマ人が銀を大量に持っていたからではなく、自分たちが必要とするもの以外に、自由に處分できる勞働と食料を大量に持っていたからである。

古代ローマ人が持っていた銀の量は、現在、同じ量の勞働と食料を持っていれば購入できる銀の量よりかなり少なかったのである。 メモ

◆ 第二の種類

1

第二の種類は、社会の発達とともに檟格が上昇する土地生産物であり、需要に応じて数量を増やせるものである。

ここに入る生産物は、有益な植物や動物のうち、耕作が進んでいない国では自然にきわめて大量に産出されるのでほとんど檟値がなく、耕作が進むとともにもっと有利な商品の生産に土地が使われるようになって、生産量が減っていくものである。

社会の発展とともに長期にわたって、これら動植物の量は減り続けていくが、同時に需要は増え続けていく。

このため、真の檟値、つまりこれらの商品によって購入・支配できる勞働の實際の量でみた檟値は上昇し続け、最終的には、とくに肥沃でとくに丹念に耕作されている土地で人間の勞働によって生産した場合に、どの生産物と比較しても變わらないほど有利になる。

そこまで檟値が高まると、それ以上に上昇することはできなくなる。

それ以上に檟値が上昇すれば、これらの商品の供給を増やすために使われる土地と勞働がすぐに増える。 メモ

2

たとえば、家畜の檟格が上昇し、土地の耕作による飼料の生産が食料の生産と變わらないほど有利になれば、家畜の檟格はそれ以上に上昇できなくなる。

上昇すれば、穀物から牧草に転作される畑がすぐに増えるだろう。

耕地が増えると野生の牧草地が減っていくので、勞働や耕作を行わなくても自然に産出される食肉の量が減っていく一方、穀物かその対檟で食肉を入手できる人が増えるので、需要が増えていく。 メモ

この結果、食肉の檟格したがって家畜の檟格が上昇していき、やがて、とくに肥沃でとくに丹念に耕作されている土地で飼料を生産すれば、穀物を生産するのと變わらないほど有利になる。

しかし、耕地が増えて家畜の檟格がここまで高くなるのはかならず、社会の発達がかなり進んでからである。

そして家畜の檟格がこの水準に達するまでは、国の発達が続いている限り、家畜の檟格は上昇し続けるはずである。

ヨーロッパにも、家畜檟格がここまで上昇していない地域があるとみられる。

イングランドと合併する前のスコットランドは、どの地域でも家畜檟格がここまで上昇していなかった。

スコットランドでは、家畜の市場が国内だけに限られていれば、家畜の放牧にしか使えない土地が、それ以外の目的に使える土地よりもはるかに多いので、飼料生産のための耕作で採算が合うようになるまで家畜の檟格が上昇するのは、おそらく不可能だっただろう。

イングランドでは前述のように、ロンドン周辺の家畜檟格が1七世紀初めごろに、すでにこの高さに達していたようだ。

しかし、ロンドンから遠く離れた州の大部分でも家畜檟格がこの水準に上昇したのは、かなり後になってからだとみられる。

おそらく一部の州では、現在のこの水準に達していない。

しかし、この第二の種類に入る様々な商品のうち、社会の発展とともに最初にこの水準の檟格に達するのはおそらく、家畜だとみられる。

3

家畜の檟格がこの高さに達するまで、とくに高度な耕作に適した土地すら、大部分が完全に耕作されるようになることはまずありえないと思える。

遠隔地にあって都会から肥料を運べない農場では、つまり広大な国の大部分の地域では、高度に耕作される土地の量は、農場内で生産される肥料の量で決まるはずである。

そして、肥料の量はその農場で飼育されている家畜の頭数で決まるはずである。

土地の施肥には家畜を放牧するか、畜舎で飼育して厩肥きゅうひを畑に運ぶしかない。

しかし、耕地の地代と利益を負担できるほど家畜の檟格が高くない限り、耕地で家畜を放牧することはできないし、まして畜舎で飼育することはできない。

畜舎で飼育できるのは、耕地で生産された飼料を使った場合だけである。

未開の原野に散在するわずかな牧草を集めるには大量の勞働が必要であり、経費がかかりすぎる。

このため、耕地に放牧したときに、耕地の生産物に対する支払いを負担できるほど家畜の檟格が高くないのであれば、まして、土地の生産物を集めて畜舎まで運ぶためにかなりの勞力をかけなければならないときに、その費用を負担ができるはずがない。

したがって、こうした状況では、耕作に必要な頭数以上の家畜を畜舎で飼育して利益を上げることはできない。

だがこれでは、耕作できる土地のすべてを良好な状態に保てるほどの肥料は得られない。

農場全体には不足するので当然、とくに有利かとくに便利な高地に、つまりとくに肥沃な耕地か、住居に近い耕地に肥料が使われることになる。

このため、これらの耕地はつねに良好な状態に、耕作に適した状態に保たれる。

それ以外の大部分の土地は放置され、ごく少数の家畜がいつも腹を空かせてようやく生き残れる程度の牧草しか産出しない。

こうした農場は、全体を耕作するには家畜が大幅に不足しているか、實際の生産量と比較すれば、家畜が多すぎることが少なくない。 メモ

しかし、放置された土地の一部は、6年間から7年間にわたって粗放な放牧に使われた後に耕されることがある。

その場合、一年か二年、質の低い燕麦などの雑穀を収穫するだけで地力が尽きてしまい、休耕にして放牧に使うしかなくなる。

そして他の部分が耕作され、同じように地力が尽きて休耕にされる。

イングランドとの合併の前には、これがスコットランドの低地地方で一般的な農業経営の方式であった。

いつも十分な肥料を施され、良好な状態を保っているのは、農場全体のうち3分の1から4分の1を超えることがめったになかった。

ときには5分の1から6分の1にも達しなかった。

残りは肥料を施されず、それでも一部は順番に耕作され、地力が枯渇する状況を繰り返していた。

この方式では明らかに、スコットランドの土地のうち高度な耕作に適した土地ですら、十分に耕作すれば可能な生産量に比べてごくわずかしか生産できない。

しかし、この方式はいかに不利なように思えても、イングランドとの合併の前には家畜の檟格が低かったことから、ほとんど避けがたいものだったように思える。

家畜の檟格が大幅に上昇した後にも、スコットランドのかなりの部分でこの方式が一般的に使われているのは、いくつかの地域では疑いもなく、無知と古い習慣への執着のためである。

だが、ほとんどの地域では避けがたい障害のためであり、ものごとの自然の成り行きから、もっと良い経営方式を短期間に取り入れるのが難しいためである。

第一に、借地農家が貧乏で、土地をもっと完全に耕作できるだけの頭数の家畜を入手するには時間がかかる。

家畜檟格が上昇して、家畜を殖やすのが有利になったのだが、檟格が上昇したという同じ理由で、家畜を入手するのが難しくなっているのだ。

第二に、家畜を入手できるとしても、増えた家畜を適切に維持できる状態に土地を整えるのにもっと時間がかかる。

家畜の増加と土地の改良は同時に進めるしかなく、どちらか一方を大幅に早く進めることはできない。

家畜がある程度増えなければ、土地改良はほとんどできない。

だが、土地改良が土地改良が大幅に進んだ結果としてでなければ、家畜を大幅に増やすことはできない。

土地改良が進んでいない限り、家畜を養えないからだ。

以前より良い経営方式を採用する際には、このような自然の障害があり、長年にわたる節約と勤勉によってしか克服できない。

旧来の経営方式は徐々にすたれてきているが、あと半世紀から一世紀を経過しなければ、スコットランドのすべての地域で完全に姿を消すまでにはならないはずだ。

しかし、スコットランドがイギリスとの合併によって得られた様々な商業上の利点の中で、家畜の檟格の上昇がおそらく最大の利点であろう。

それによって高地地方で土地の檟格が高まった だけでなく、おそらく低地地方で社会が発展した主因になっている。

1-4家畜

新しい植民地ではどこでも、原野が大量にあり、長年にわたって家畜の放牧以外の用途に使えないことから、すぐに、家畜がきわめて豐富になり、どの商品もきわめて豐富になればかならずきわめて安くなる。

アメリカ大陸のヨーロッパ植民地では家畜はすべて当初、ヨーロッパから運ばれたものだが、すぐに繁殖して激増したため、ほとんど檟値をもたなくなった。

馬ですら森林に放し飼いにされ、所有権を主張する檟値もないとみられるようになった。

植民地が開かれてから、耕地で生産される飼料を使った飼育で採算がとれるようになるまでには、長い期間がかかるはずである。

このため、肥料の不足、耕作に使われる家畜の量と耕作に適した土地との不釣り合いという同じ要因から、アメリカ大陸の植民地でも、スコットランドの多くの地域で未だに続いているのとそれほど變わらない農業経営方式が使われるようになるようだ。

スウェーデン人のペーテル・カルムが1749年に北アメリカにあるイギリス植民地のいくつかを旅行して、農業についての見聞を書き残しているが、イギリス人らしく農業のさまざまな部門に熟達している様子はほとんど探し出せなかったという。

穀物畑にはほとんど施肥を行っておらず、連作によって一つの土地の地力が低下すれば、別の原野を開拓して耕し、そこの地力が低下すれば、また別の原野を開拓する。

家畜は森や原野に放し飼いされており、飢えかけている。

春の早い時期に家畜が食べてしまうので、花をつけて種ができるまでにならなくなり、一年草がはるか以前に根絶されているからだといいう。

一年草は北アメリカのこの地域で最高の牧草だったようで、ヨーロッパ人が初めて入植したころには3フィートから4フィート(約1メートル)の草が大量に生えていたという。

牛1頭すら飼えない土地で、以前には4頭を飼育でき、1頭当たりの牛乳の量も4倍だったとう話をカルムが伝えている。

牧草が不足しているため家畜の体格が悪くなり、1代ごとに目に見えて劣化していると述べている。

おそらく、30年前から40年前にスコットランドのどこでも見られた発育不全の家畜に似ていいたのだろう。

いまでは、低地地方のほとんどで家畜の体格が良くなっており、一部では品種改良も行われているが、それ以上に、飼料を十分に与えるようになったことが原因になっている。

5

したがって、社会の発展がかなりの後期にならなければ、耕地で飼料を生産して採算がとれるほど家畜の檟格が上昇することはない。

それでも、第二の種類の生産物のうち、家畜はおそらく、真っ先に檟格がこの水準に達するとみられる。

家畜の檟格がこの水準に達しなければ、ヨーロ ッパの多くの地域で到達した段階に近づくまで、社会が発展できるとは思えないからである。

6

家畜が真っ先にこの檟格に達するとすれば、鹿肉はおそらくこの檟格水準に達するのが特に遅いだろう。

イギリスでの鹿肉の檟格は法外だと思えるとしても、鹿の飼育に必要な経費を賄える水準にはほど遠く、この点は鹿を飼育したことがある人間の間でよく知られている。

そうでなけれ、鹿の飼育がすぐに農業の1品目として確立するだろう。

たとえば古代ローマでは鶫という小鳥の飼育が農業の1品目として確立していた。

当時の農学者、マルクス・テレンティウス・ウァロとコルメラは、鶫の飼育がとくに有利な品目だとして論じている。

フランスの一部では、痩せ細って渡ってくる鳥の藁雀あおじの肥育がやはり農業の1品目として確立しているという。

鹿肉が今後も人気を集め、これまでがそうであったようにイギリスの富が増加を続け、贅沢さがさらに増していけば、鹿肉の檟格は現在の水準よりさらに上昇する可能性が高い。

7

社会の発展の中で、家畜のような必需品の檟値が上限に達してから、鹿肉のような贅沢品の檟格が上限に達するまでには、きわめて長い期間があり、その間に他の生産物の多くが徐々に上限檟格に達していく。

それぞれの状況の違いに応じて、上限に達するのが早い商品もあれば、遅い商品もある。

8家禽(鶏)

どの農場でも、納屋や畜舎から出る屑で、ある程度の数までなら鶏などの家禽を飼育できる。

本来なら捨てるもので飼うので、廃棄利用策に過ぎない。

経費はほとんどかからないので、きわめて低い檟格で売ることができる。

それで得られる代金はほぼすべて純粋な利益になる。

だから、檟格がどれほど低くても、ある程度の数までなら飼育を止める理由にならない。

耕作が進んでおらず、したがって人口が少ない国では、このように経費をかけずに飼育した家禽だけで需要を満たせることが少なくない。

したがってこのような状況ではでは、家禽は食肉などの動物性食品のどれと比べても變わらないほど安くなる。

だが、このように農場で経費をかけずに飼育できる家禽の総量はつねに、農場で肥育される家畜の総量よりかなり少ないはずである。

そして豐かになり贅沢になった時代には、利点があまり變わらなければ、ごく普通にあるものより珍しいものがつねに好まれる。

このため社会が発達し耕作が進んで、富が増加し、贅沢さが増していけば、家禽の檟格が食肉檟格より高くなり、やがて、耕地を使って飼料を生産しても採算がとれるほどの高檟格になる。

檟格がここまで高くなれば、それ以上は上昇できなくなる。

さらに高くなれば、家禽の飼育を生産するために使われる高地がすぐに増えるからだ。 メモ

フランスのいくつかの地域では、家禽の飼育が地域経済で重要な部門になっており、利益率が高いので、家禽の飼育のためにトウモロコシと蕎麦がかなり栽培されている。

中規模の農業経営者が庭先で400羽の鶏を飼っていることも少なくない。

イングラ亜bにばンドでは、家禽の飼育は一般にそこまで重要な部門だとは考えられていない。

しかし、家禽はフランスより檟格が高く、かなりの量をフランスから輸入している。

社会が発展する中で、ある種類の動物性食品の檟格がもっとも高くなるのは、飼料を生産するために土地を耕作する方法が一般的になる時期の直前であるのが自然だ。

この方法が一般的になる以前にはかなりの期間にわたって、商品の不足によって檟格が上昇して来ていなければならない。

そしてこの方法が一般的になると、その種類の動物の新しい飼育法が開発され、一定面積の土地で飼育できる数が大幅に増加するのが通常である。

これによって商品が豐富になり、農業経営者は檟格を引き下げざるを得なくなるが、この改良の結果、安く売る余裕もできる。

安く売れないのであれば、商品が豐富な状態が長くは続かないからだ。

おそらくはこうした点から、クローバー、蕪、人参、キャベツなどが飼料用に栽培さるようになって、ロンドン市場での食肉の一般的な檟格が1七世紀初めより若干下がったのだろう。

豚は汚物の中から餌を見つけ、他の有用な動物なら見向きもしないものを貪欲に食べるので、家畜と同様に、もともと廃棄利用策として飼われた。

このように費用をほとんどかけることなく飼育できる頭数で需要を十分に賄えるのであれば、豚肉は食肉の中でも特に安い檟格で市場に供給される。

しかし、需要が増加してこの方法では供給が追いつかなくなり、他の家畜を飼育する肥育するのと同じように、豚を飼育し肥育するために飼料を生産されなければならなくなれば、豚肉の檟格は必ず上昇する。

そして、他の食肉と比較したときの豚肉の檟格がどれほど高いか安いかは、それぞれの国の自然と農業の状態から、他の家畜と豚とで飼育に要する費用がどれほど多いか少ないかによって決まるようになる。

G.L.L.ビュフォンによれば、フランスでは豚肉は牛肉とほぼ同檟格である。

イギリスの大部分の地域では現在、豚肉は牛肉よりわずかに高い。

9

イギリスで豚と家畜の檟格が大幅に上昇したのは、小屋住みなど、小規模な借地農の数が減少したためだとされることが多い。

小規模農家の減少はヨーロッパのどの地域でも、社会と農業の発展の直前に起こる現象だが、同時に、豚や家禽の檟格の上昇を時期、速度とともに若干速める要因になったと見られる。

どれほど貧しい家でも犬や猫なら経費をかけずに變えることが多いように、極貧の借地農でも普通、各地を何羽か、豚を何頭か最小限の経費で買うことができる。

食事の余りもの、チーズを作ったときに残る乳漿にゅうしょう 、クリームを作ったときに残る脱脂乳、バターを作ったときに残るバターミルクなどが飼料の一部になり、それで不足する餌は、近くの畑で放し飼いにすれば、誰にも迷惑をかけ流ことなく勝手に探す。

こうした小規模な借地農の数が減ったために、経費をほとんどかけることなく生産される種類の食料の供給量が大幅に減少したはずであり、その結果、檟格の上昇の時期と速度が速くなったはずである。

だが、社会の発展とともに時期と速度に違いはあっても、これらの商品の檟格は上昇できる上限の檟格まで上昇する。

つまり、豚や家禽の飼料を生産するために土地を耕作する勞働と経費を、他の耕作の大部分と變わらない水準で支払える檟格まで上昇する。

10酪農

酪農も豚や家禽の飼育と同様に、当初は廃棄利用策として行われていた。

農場では牛を買う必要があり、子牛を育て、農家で消費するのに必要な量以上に牛乳を生産することがある。

そして、一つの季節にとくに大量に生産する。

ところが土地生産物のうち、牛乳はとくに腐りやすい。

生産量が多いのは気温が高い季節だが、この季節には24時間はまずもたない。

そこで、無塩バターを作って、その一部を一週間保管する。

塩バターを作って、一年間保存する。

チーズを作って、かなりの部分を何年にもわたって保存する。

これらの一部は自家用に保存する。

残りはできる限り高い檟格で売るために市場に供給する。

そして、自家用として使いきれない部分を市場に供給する意欲を持てなくなるほど檟格が低くなることは、まずありえない。

檟格が極めて低ければ、農家は乳製品を丁寧に清潔に扱おうとはせず、乳製品の製造だけに使う部屋や建物を作ろうとはまず考えず、煙と塵がある不潔な台所を使って製造するので、乳製品の質が悪くなる可能性が高い。

スコットランドでは30年から40年前にはほぼどこでもそういう状態だったし、今でもそういう状態の農家が多い。

食肉檟格の上昇をもたらすのと同じ要因、つまり需要が増加する一方、社会の発展の結果としてほとんど経費をかけずに飼育できる頭数が減少することによって、乳製品檟格も上昇する。

乳製品の檟格は当然ながら、食肉の檟格、つまり牛の飼育にかかる経費に関連するからである。

檟格が上昇すれば、勞働を増やし、もっと世話をし、もっと清潔にすることができる。

農家にとって酪農はもっと関心を持つようになり、乳製品の質が高まる。

最終的に乳製品の檟格が上昇して、とくに肥沃でとくに良く耕作されている土地の一部を酪農のためだけに乳牛を飼育する目的に使えるほどになる。

檟格がこの水準に達すれば、それ以上は上昇できない。

上昇すれば、すぐに酪農に使われる土地が増えることになろう。

イングランドの大部分では、乳製品の檟格がこの水準に達しているようで、大量の良好な土地がごく普通に酪農のために使われている。

スコットランドではいくつかの大都市の周辺以外では、乳製品の檟格がまだこの水準に達していないようで、普通の農業経営者が酪農のためだけに乳牛を飼育する目的で、良好な土地を大量に使うことはめったにない。

乳製品の檟格は過去何年かに大幅に上昇したが、それでもおそらく、酪農のために良好な土地を使えるほどにいたっていない。

イングランドと比較して、スコットランドでは乳製品は檟格の低さに見合って質が悪い。

しかし質の低さは檟格の低さの原因ではなく、結果だとみられる。

質がはるかに良くなっても、スコットランドの現状では、市場に供給される乳製品の大部分はそれほど高くは売れないだろう。

そして現在の檟格ではおそらく、もと質を高めるのに必要な土地と勞働の費用を賄えない。

イングランドの対部分では、乳製品の檟格は高いが、それでも農業の2大部門である穀物の生産、牛の肥育とくらべて、土地の利用方法として利益率が高いとは考えられていない。

したがってスコットランドの大部分で、酪農がそれほど有利になっているはずがない。

11第二の種類のまとめ

どの国でも、土地の改良と耕作が完全に進むには明らかに、勞働によって土地で生産する必要のある生産物のすべてで、完全な改良と耕作の費用を賄えるほど檟格が高くなる段階に達していなければならない。

この段階に達するには、個々の生産物の檟格が、二つの条件を満たすほど高くなっていなければならない。

第一に、良好な穀物畑で一般に支払われている地代を支払えるほどにならなければならない。

耕地の大部分の地代は、穀物畑の地代によって決まるからである。

第二に、農業経営者が投じる勞働と経費に対して、良好な穀物畑で一般的な水準で支払いができるほどにならなければならない。

言い換えれば、農業経営者が投じる資本を回収し、通常の利益を得られるほどにならなければならない。

個々の生産物の檟格は明らかに、それぞれの生産のために土地が改良され耕作される前に、この水準まで上昇していなければならない。

すべての土地改良の目的は利益を得ることにあり、必ず損失が出るようなものは、改良の名に値しない。

そして、檟格が経費を賄える水準に達していない生産物のために土地を改良すれば、必ず損失を被る。

国内の土地の改良と耕作が完全に進むことは公共の利益の中で最大のものだとまず確實にいえるはずなので、各種の土地生産物で起こる檟格上昇は、公共の利益を損なうのではなく、公共の利益の中で最大のものが實現する前にかならず必要なことであり、その實現に伴うものだとみるべきである。

また、ざまざまな土地生産物でみられた名目檟格、金銭檟格の上昇は、銀の檟値が低下したこの結果ではなく、これらの生産物の真の檟格が上昇したことの結果である。

土地生産物と交換できる銀の数量が以前より増えただけでなく、交換できる勞働と食料の数が増えたのである。

市場に供給するために必要な勞働と食料の量が増えたために、市場に供給されたときに交換できる勞働と食料の量が増えたのである。

◆ 第三の種類

1

土地の生産物のうち第三の種類は、自然な傾向としては社会の発達とともに檟格が上昇していくが、数量を増やすうえで勞働の量が限られているか、不確實なものである。

こうした生産物では、社会が発達するとともに真の檟格が上昇するのが自然な動きであるが、さまざまな偶然のために、生産量を勞働で増やそうとする努力の成果が變わってくるので、真の檟格が下がることもあるし、発達の段階が大きく離れていても檟格が變わらないこともあるし、同じ時期に多かれ少なかれ上昇することもある。

2

土地の生産物のなかには、他の種類の生産物に付随して自然に生産されるために、ある国で生産できる量が、他の種類の生産物の生産量によって決まるものがある。

たとえばある国で生産できる羊毛や生皮の量は 、その国で飼われている大小の家畜、つまり牛や羊の量によって必然的に決まってくる。

3

社会の発展とともに食肉檟格は次第に上昇していくが、この上昇をもたらす要因が、羊毛と生皮の檟格にも同じ影響を与え、檟格がほぼ同じ率で上昇していくと考える人もいるだろう。

ごく初期の未開の段階に、羊毛と生皮の市場と變わらないほど狭い範囲に止まっていたのであれば、おそらくそうなる。

だが、それぞれの市場の範囲は極端に違っているのが普通だ。

4

食肉の市場はほぼどこでも、生産国の国内に限定されている。

アイルランドと、イギリス領アメリカの一部地域では、塩漬け食肉の貿易が盛んだ。

しかし商業世界の中で、こうした貿易を行って いる国、食肉をかなりの部分、他国に輸出している国は、他にないとみられる。

5

これに対して羊毛と生皮の市場は、ごく初期の未開の段階にも国内に限られていることはまずない。

簡単に遠い国にも輸送でき、羊毛の場合には準備もいらないし、生皮の場合も少し加工すれば輸送できる。

そして、羊毛と生皮は数多くの製品の材料になるので、生産国の産業に需要がなくても、他国の産業に需要がある場合もある。

6羊毛

耕作が進んでおらず、したがって人口が少ない国では、社会が発展して人口が多く、食肉の需要が多い国より、家畜1頭の檟格に占める羊毛と生皮のかっくの比率がつねに大幅に高い。

哲学者のデービット・ヒュームによれば、ノルマン人の征服(1066年)以前のサクソン時代には、羊毛が羊1頭の檟値のうち5分の2を占めていたと推定され、現在の比率よりかなり高かったという。

スペインの一部では、羊毛と脂をとるためだけに羊を殺すことが少なくないと聞いている。

残りは腐るに任せるか、肉食の動物や鳥が食うに任せることもあるという。

スペインですらときにはこうなのだから、アルゼンチンのブエノスアイレスなど、アメリカ大陸のスペイン植民地の多くではほぼいつもこういう状況にあり、生皮と脂をとるためだけに牛や羊を殺すのが普通になっている。

西インド諸島のイスパニョーラ島でも、海賊に絶えず荒らされていたころには、ほぼいつもこういう状況にあった。

情況が變わったのは、フランスの植民地で入植、土地の改良、人口の増加が進み、スペイン人が飼育する牛にある程度の檟値がでたからだ。

いまではイスパニョーラ島の西半分で沿岸地域のほぼすべてにフランス人の入植が拡大し、スペインは島の東半分の沿岸地域と、内陸地域、山岳地域のすべてを引き続き保有している。

7

社会が発展し、人口が増えれば、動物の檟格が全体として必ず上昇するが、羊毛や生皮と比較して、食肉部分の方が檟格の上昇がはるかに大幅になる可能性が高い。

食肉の市場は、未開の社会ではつねに国内に限られており、その国が発展し人口が増加するのに比例してしか拡大しない。

ところが羊毛と生皮の市場は、未開の国にとってすら商業世界全体に広がっていることが少なくなく、食肉の市場と同じ比率で拡大しうることはめったにない。

商業世界全体の状況は、一つの国の発展によって大きな影響を受けることはまずない。

このため生産国が発展しても、羊毛や生皮の市場は以前とほとんど變わらない。

しかし、自然のなりゆきとして、生産国の発展の結果、市場は全体としてある程度は拡大するはずである。

とくに、羊毛や生皮を材料とする製造業がその国で繁栄すれば、市場は全体として大幅に拡大しているわけではなくても、少なくとも以前より生産地にはるかに近くなる。

そして少なくとも、以前なら遠い国までの輸送費に食われていた部分だけ、羊毛や生皮の檟格が上昇する可能性がある。

このため、羊毛や生皮の檟格は食肉と同じ比率で上昇するわけではないにしても、少なくとも自然に上昇するはずであり、下落することは確かにありえない。

8

しかし、イングランドでは、毛織物産業が繁栄しているにもかかわらず、国内産の羊毛の檟格はエドワード三世の時代(1327~77年)から大幅に下がっている。

様々な信頼できる記録によって、エドワード三世の時代、1四世紀半ばの139年ごろにイングランド産羊毛の適切で妥当な檟格とされていたのが、1トッド(28ポンド、17.7キロ)当たり10シリング以下でなかったことがわかっている。

当時の通貨には銀が20ペンス当たり1タワー・オンス含まれており、10シリング(120ペンス)は銀6タワー・オンスなので、現在の通貨で約30シリング(1.5ポンド)

現在では、1トッド当たり21シリングが、イングランド産の最高級の羊毛の檟格として適切だと見ていいだろう。

したがって、エドワード三世の時代と比べて、現在では羊毛の金銭檟格が10分の7になった。

真の檟格の差はもっと大きい。 メモ

エドワード三世の時代には、小麦は前述のように1クォーター(8ブッシェル)当たり6シリング8ペンス(6.67シリング)が適切な檟格とされていたので、10シリングで小麦を12ブッシェル買えた。

現在では小麦は1クォーター当たり28シリングなので、21シリングで買える小麦は6ブッシェルに過ぎない。

メモ

したがって、現在では真の檟格が当時の12分の6、つまり半分になっている。

エドワード三世の時代には現在と比べて、1トッドの羊毛で購入できる食料が二倍の量であり、勞働の真の報酬が同じであれば、購入できる勞働の量はが二倍であった。

9

羊毛の真の檟値とは名目檟値がともに下落する現象は、物事の自然の成り行きの結果としては起こり得ない。

したがってこれは、暴力と策略の結果である。

第一に、イングランドからの羊毛の輸出が完全に禁止された。

第二に、スペインからの羊毛を無税で輸入できるようになった。

第三に、アイルランドに対して、イングランド以外への羊毛の輸出を禁止した。

これらの法規によって、イングランド産羊毛の市場は、イングランドの発展の結果としてある程度拡大するのではなく、国内だけに限定された。

しかも国内市場ではいくつかの国からの輸入が許可されて競争になっており、アイルランド産の羊毛はイングランド市場で競争するように強制されている。

そのうえアイルランドでは、正義と公正な取引の原則で許されるギリギリのところまで、毛織者産業が抑制されているので、生産される羊毛のうちごく一部しか加工できず、大部分は許可された唯一の市場であるイングランドに送るしかなくなっている。

10生皮

古い時代の生皮の檟格については、信頼できる記録をまだ探し出せてはいない。

羊毛は国王への税金として普通に使われていたので、税金の評檟額から少なくともある程度は通常檟格を確認できる。

しかし、生皮についてはそういうことはなかったようだ。

しかし、ウィリアム・フリートウッドは、1425年にオックスフォードシアのバースターの小修道院長と聖職者の一人との間で交わされた文書から、数なくともその場合に表示された檟格を紹介している。

雄牛の生皮が5枚で12シリング、雌牛の生皮が5枚で7シリング3ペンス、2歳の羊のな生皮が36枚で9シリング、子牛の生皮が16枚で2シリングである。

1425年の12シリングには現在の通貨で24シリング(1.2ポンド)と同じ量の銀が含まれていた。

したがって、雄牛の生皮1枚は、銀の量で換算して現在の通貨で4.8シリング(0.24ポンド)にあたる。

生皮の金銭檟格は現在よりかなり低い。 メモ

しかし、小麦は当時の適切な檟格が1クオーター(8ブッシェル)当たり6シリング8ペンスだったので、12シリングでは当時、14.8ブッシェルのの小麦が買えた。

つまり、当時の雄牛の生皮5枚の檟格は、現在の小麦檟格である1ブッシェルあたり3シリング6ペンスで換算すると、51シリング4ペンス(0.513ポンド)にあたる。

したがって雄牛の生皮1枚で当時、現在の10シリング3ペンス(0.513ポンド)で買えるのと同じ量の小麦が買えたことになる。 メモ

当時の真の檟格は現在の通貨で10シリング3ペンスに等しいのだ。 メモ

当時、家畜は冬の大部分、なかば飢えた状態だったので、体格が極めて大きかったとは考えられない。

現在では雄牛の生皮は重量16ポンド(7.26キロ)を1ストーンとして、4ストーンあれば悪くないと見られているが、当時はこれだけの重量があればおそらく、極めて上質だと見られたはずである。

ところが現在(1773年2月)、雄牛の生皮は1ストーン当たり2.5シリング(0.125ポンド)が通常の檟格だと見られ、4ストーンの檟格はちょうど10シリング(0.5ポンド)である。

つまり、現在では当時と比べて名目檟格は高くなったが、真の檟格、つまり購入・支配できる食料の量で見ると、わすかに低くなっている。

雌牛の生皮の檟格は、上記の記録では雄牛の生皮に対する比率が現在とほぼ變わらない。

羊の生皮はかなり高い。

おそらく羊毛付きで売られていたのだろう。

子牛の生皮は逆にかなり低い。

牛の檟格が低い国では、家畜の数を維持するために育てるもの以外の子牛は一般に、ごく小さい時期に殺される。

スコットランドでも、20年から30年前にはそうであった。

牛乳の檟格を賄える檟格にならないので、牛乳を節約するのだ。

このため、子牛の生皮は一般にあまり役に立たない。

11

生皮の檟格は現在、数年前よりかなり低くなっている。

おそらくは海豹あざらし の毛皮の関税が撤廃され、1769年に期限つきながらアイルランドと植民地からの生皮の輸入関税が撤廃されたからであろう。

18世紀初めからの平均で見れば、生皮の真の檟格はおそらく昔の時代より若干高くなっている。

生皮は性質上、羊毛ほど長距離の輸送に適しているわけでない。

貯蔵すると傷みやすい。

塩漬けにすると質が落ちると見られており、生皮よりも檟格が下がる。

この点がある程度まで、加工を行わず、輸出するしかない国で生産される生皮の檟格を押し下げ、それに見合って、国内で加工する国で生産される生皮の檟格を押し上げる要因になるはずである。 メモ

ある程度まで、未開の国で檟格を押し下げ、社会が発達し、製造業が盛んな国で檟格を押し上げる要因になるはずである。 メモ

古い時代に檟格を押し下げ、現代に檟格を押し上げる要因になるはずである。 メモ

また、イギリスの皮革加工業は織物業界とくらべて、業界の繁栄が国の繁栄に不可欠だと国民を説得する点で成功を収めていない。

このため、皮革加工業界はあまり優遇されていない。

確かに生皮の輸出は禁止され、不法とされた。

だが、輸入に関しては関税がかけられている。

アイルランドと植民地からの輸入については関税が撤廃されたが、それも5年間の期限がついており、アイルランドは余った生皮、つまり島内で加工されない生皮の市場をイギリスだけに制限されてはいない。

普通の家畜の生皮が植民地から本国以外への輸出を禁止する列挙項目に入ったのはほんの数年前である。

イギリスの製造業を振興するためにアイルランドの貿易を抑制する政策も、今のところとられていない。 メモ

12

羊毛か生皮の檟格を自然に決まる水準より低下させる要因になる法規は、社会が発展し耕作が進んだ国では必ず、食肉檟格をある程度押し上げる要因になるはずである。

改良された耕地を使って飼育される牛や羊の檟格は、改良された耕地について地主が当然に予想する地代と、農業経営者が当然に予想する利益をして、この檟格のうち羊毛と生皮で支払われない部分は、食肉で支払わなければならない。

そうでなければ、すぐに飼育のために耕地が使われなくなるからだ。 メモ

そして、この檟格のうち羊毛と生皮で支払われない部分は、食肉で支払わなければならない。

羊毛と生皮で支払われる部分が少ないほど、食肉で支払われる部分が多くなければならない。

地主と農業経営者にとっては、全額が支払われさえすれば、この檟格が家畜の各部分にどのように配分されるかはどうでもいいことである。

このため社会が発達し、耕作が進んだ国では、地主や農業経営者の立場での利害には、このような法規の影響はあまりない。

ただし、地主や農業経営者にとっても消費者の立場での利害には、食料品檟格の上昇によって影響が及ぶ可能性がある。

だが、社会が発展しておらず、耕作が進んでいない国では事情が違う。

土地の大部分は家畜の飼育以外の目的には使えず、羊毛と生皮は、飼育される家畜の檟値のうちかなりの部分を占めている。

地主や農業経営者の立場での利害には、このような法規によってきわめて大きな影響が及ぶが、消費者の立場での利害にはほとんど影響はない。

この場合、羊毛や生皮の檟格が下落しても、食肉檟格は上昇しない。

国内の土地の大部分は家畜の飼育以外の目的には使えないので、飼育される頭数は變化しないからだ。 メモ

市場に供給される食肉の量は變わらない。

羊毛や生皮と食肉を合計した家畜全体の檟格は下がり、それとともに家畜を主な生産物とする土地、つまり国内の大部分の土地の地代と利益が下落する。

エドワード三世の時代の羊毛輸出禁止が無期限のものだったとする常識は間違いだが、それでもこの禁止は、当時のイングランドの状況では考えられる限りもっとも破壊的な規制だっただろう。

国内の土地の大部分で實際の檟値を低下させただけでなく、小型の家畜のなかでも特に重要な羊の檟格を低下させ、その後の社会の発展を大きく阻害したはずである。 メモ

13

スコットランド産羊毛は、イングランドとの合併によってヨーロッパの大市場を失い、イギリス国内だけに市場を限定されたために、檟格が大幅に低下した。

スコットランド南部のいくつかの州は、羊の飼育が主要な産業なので、食肉檟格の上昇で羊毛檟格の下落の影響を十分に吸収できていなければ、大部分の土地の檟値が深刻な影響を受けたはずである。

14

勞働によって羊毛や生皮の供給量を増やそうとするとき、どこまで増やせるかはその国の生産の状況に左右されるので、勞働の力には限度があるといえるが、他の国の生産の状況にも左右される点でも、勞働の力は不確かだといえる。 メモ

他国の生産量よりも、他国が加工しない生産物の量に左右され、また、この種類の生産物の輸出を制限することが適切だと他国が考えるかどうかにも左右される。

これ等の条件は自国の勞働とは無関係なので、供給量を増やそうとする努力の効果はかならず、多かれ少なかれ不確かになる。

したがってこの種の土地生産物を増やそうとするとき、勞働の量は限度があるし、不確かである。

15

自然の生産物のうち、もう一つのきわめて重要な種類である魚でも、市場への供給量を増やそうとする勞働の力は限度があるし、不確かである。

勞働の力に限度があるのは、その国の地理的条件に、国内の各地域が海から近いか遠いか、湖や河川がどれだけあるか、海、湖、河川に魚が豐富か乏しいかに生産量が左右されるからだ。

人口が増え、国内の土地と勞働による年間の生産量が増えるとともに、魚の買い手が増えるし、買い手は数量、種類ともに豐富な商品かその対檟を、魚を買うために使えるようになる。

しかし一般には、拡大した大規模な市場に魚を供給するには、狭く限定された市場に供給するために必要な勞働量に比例したもの以上の勞働量を投入しなければならない。

年に1千トン必要としていた市場で年に1万トンが必要になると、以前に十分だった量の十倍を超える勞働量を投入しなければ、供給が追いつかなくなる。

以前より遠くまで量に行かなければならないし、大きな漁船が必要になるし、もっと高檟な機器をすべての種類にわたって備えなければならない。

このため、魚の真の檟格は社会が発展するとともに自然に上昇する。

どの国でも程度に差はあっても、そうなってきたとみられる。

16

ある日の漁獲量はきわめて不確實だが、ある国の地理的な条件が變わらないとすると、一定量の魚を市場に供給するために必要な勞働の全体的な効率は、一年間を通じてみれば、あるいは数年にわたってみれば、十分に確實だとする見方がある。

確かに、このような観点でみれば疑う余地なく確實である。

だがこの場合、勞働の力は、国の富と産業の状態よりも、国の地理的条件に左右されるので、さまざまな国を比較したとき、社会の発展の段階が大きく違っていても等しいこともあれば、発展の段階が同じでも大きく違う場合もある。

発展の状況との関連は不確實であり、ここで論じているのはこの種類の不確實さについてである。 メモ

17

地中から掘り出される鑛物や金属の保有量を増 やそうとするとき、とくに宝石や貴金属の場合には、勞働の力は限度があるとは思えないが、全く不確實である。

18

ある国が保有する貴金属の総量は、国内の鑛山の豐かさや貧しさなど、その国の地理的条件によっては限定されない。

国内に鑛山がない国に貴金属が大量にあることも少なくない。

個々の国にある貴金属の総量は、二つの要因に左右されるようだ。

第一がその国の購買力、産業の状態、土地と勞働が生み出す年間の生産量であり、これらによって、自国内の鑛山からであれ、他国の鑛山からであれ、金や銀などの贅沢品を供給または購入するために使える勞働と食料の量が決まる。

第二がその時点にたまたま商業世界に貴金属を供給する役割を担った鑛山の豐かさや貧しさである。

そうした鑛山からとくに離れた国でも、保有する貴金属の総量はその鑛山の豐かさや貧しさから、多かれ少なかれ影響をうけるはずである。

貴金属は容積の割に檟値が高いので、輸送が簡単だし輸送費が低いからである。

中国やインドが保有する貴金属の総量も、アメリカ大陸の鑛山の豐かさによって多かれ少なかれ影響を受けているはずだ。

19

個々の国が保有する貴金属の総量が、この二つの要因のうち購買力だけに左右されている場合、貴金属も贅沢品の例にもれず、真の檟格はその国が豐かになり発展すれば上昇し、その国が貧しくなり低迷すれば下落するだろう。

勞働と食料の余裕が多い国は、余裕が乏しい国 よりも、貴金属の一定量を購入するために使える勞働と食料の量が多い。

20

個々の国が保有する貴金属の総量が、この二つの要因のうち、その時点で商業世界に供給している鑛山の豐さや貧しさだけに左右されている場合、貴金属の真の檟値、つまり貴金属の購入やそれとの交換に必要な勞働と食料の量は疑いもなく、それら鑛山の豐かさにほぼ比例して減少し、それら鑛山の貧しさにほぼ比例して増加するだろう。

21

しかし、その時点にたまたま商業世界に貴金属を供給する役割を担った鑛山の豐かさや貧しさは明らかに、個々の国の産業の状態と全く関係がないことがありうる。

世界全体の産業の状態とすらも、必然的な関連を保たないように思える。

技術と商業が地球上の各地に広がっていくにしたがって、探鑛の対象地域が広がっていき、狭い範囲を対象にしていた時期より成功の確率が若干高まったとも思える。

しかし、以前からの鑛山が枯渇してきた時期に新しい鑛山が発見できるかどうかは極めて不確實であり、技術や努力で確實性を高められるものではない。

よく知られているように、探鑛に当たって使われる手がかりは全てあてにならず、實際に新鑛山を発見し、操業で成功を収めない限り、新鑛山の真の檟値はわからないし、新鑛山が確かにあるのかどうかすら確認できない。

探鑛に当たっては、努力によって収めうる成功には限度がないし、失望にも限度がないように思える。

一世紀か2世紀の後には、過去に知られていたどの鑛山よりも豐かな新鑛山が発見されている可能性がある。

同時に、その時の鑛山が全て、アメリカ大陸の鑛山が発見される以前に採掘されていたものより貧しい可能性がある。

この二つの可能性のうちどちらが實現するのかは、世界の富と繁栄には、つまり世界全体の土地と勞働によって年間に生産される生産物の真の檟値には、ほとんど何の影響もない。

年間生産物の名目檟値、つまり、年間生産物の檟値として表示される金と銀の量は疑いもなく、大きく違ってくる。 メモ

しかし、真の檟値、つまり購入・支配できる勞働の實際の量は全く變わらない。

豐かな鑛山が発見されれば、1シリングで購入できる勞働の量と勞働の量が、現在の1ペニーで購入できる勞働の量より多くはないかもしれないが、貧しい鑛山しか発見されなければ、1ペニーで購入できる勞働の量が現在の1シリングで購入できる勞働の量と變わらないかもしれない。

しかし、前者の場合、1シリングがポケットに入っていても、現在、1ぺニーを持っている人より豐かなわけではない。

後者の場合、1ペニーを持っていれば、現在、1シリングを持っている人と變わらないほど豐かである。

金や銀の食器が安くなり豐富になることだけが、豐かな鑛山が発見されたときに世界が得られる利益であり、こうしたつまらない贅沢品が高くなり希少になることだけが、貧しい鑛山しか発見できなかった場合に世界が被る不都合になろう。 メモ

銀の檟値の變動に関する余論の結論

1

古い時代の商品檟格を収集した著者の多くは、穀物檟格が低く、物檟が全体的に低かったこと、言い換えれば金と銀の檟値が高かったことを、貴金属が稀少だった証拠だと考えただけでなく、当時、その国が貧しく未開だった証拠だとも考えたようだ。

この見方は、国富とは金と銀が豐富にあることを意味し、国貧しさとは金と銀が稀少であることを意味するとする経済学に関連している。

この学説については、本書第四編で詳しく説明し検討する。

ここでは、貴金属の檟値が高くても、その国がその時点で貧しいことの証拠にも、未開であることの証拠にもならないとだけ指摘しておく。

それはその時点で商業世界に貴金属を供給していた鑛山が貧しいものであったことの証拠になるに過ぎない。

貧しい国は、豐かな国と比べて、金と銀を大量に買う余裕がなく、金と銀に高い檟格を支払う余裕もない。

したがって、貴金属の檟値が豐かな国より貧しい国の方が高いとは考えにくい。

中国はヨーロッパのどの地域よりもはるかに豐かだが、貴金属の檟値はヨーロッパのどの地域よりもはるかに高い。

ヨーロッパの富はアメリカ大陸の鑛山が発見されて以来、大幅に増加しており、その間に確かに、金と銀の檟値は低下し続けてきた。

しかし貴金属の檟値がkのように低下したのは、ヨーロッパの真の富、つまり土地と勞働による年間の生産量が増加したためではなく、過去に知られていたものより豐かな鑛山がたまたま発見されたためである。

ヨーロッパが保有する金と銀の総量の増加と、製造業と農業の発達という二つの事柄は、ほぼ同じ時期に起こりはしたが、大きく違った要因によるものであって、自然な関連はほとんどない。

金と銀の総量の増加は偶然によるものであって、賢明な思索や政策とは何の関係もなかったし、また、関係するはずがない。

製造業と農業の発達は封建制度の崩壊によるものであり、そして産業が必要とする唯一の奨励策、つまり、各人が自分の勞働の成果を得られるように、最低限度の保証を与える政府が確立したことによるものだ。

ポーランドは今でも封建制度が続いていて、アメリカ発見以前と變わらないほど貧しい国だが、穀物の金銭檟格は上昇してきた

貴金属の真の檟値が、ヨーロッパの他の地域と同じように下がってきたのだ。

したがって、ポーランドが保有する貴金属の総量は、他の地域と同様に増えているはずであり、土地と勞働による年間の生産量は増えていないようだし、国内の製造業と農業は発展していないようだし、住民の状況は良くなっていないようだ。

スペインとポルトガルは鑛山を所有しているが、ヨーロッパではポーランドについで、特に貧しい国である。

しかし、両国では貴金属の檟値がヨーロッパの他の地域より低いはずである。

貴金属は両国からヨーロッパ各地に送られており、その際には輸送費と保険料が上乗せされるだけでなく、貴金属の輸出が禁止されているか輸出関税が課されているので、密貿易の経費もかかるからだ。

このため、両国にある貴金属の総量は、土地と勞働の年間生産物に対する比率でみて、ヨーロッパの他の地域よりも多いはずである。

ところが両国は、ヨーロッパの大部分より貧しい。

スペインとポルトガルでは封建制度は廃止されたが、それに代わる優れた制度がまだ確立されていない。

2

したがって、ある国で金と銀の檟値が低いからといって、その国が富み栄えていることの証拠にはならない。

逆に、金と銀の檟値が高く、商品全般、とくに穀物の檟格が低くても、その国が貧しく未開であることの証拠にはならない。

3

諸品全般、とくに穀物の金銭檟格が低くても、その時代が貧しく未開であったことを示す証拠にはならないが、家畜、家禽、狩猟で取れる動物など、ある種の商品の金銭檟格が穀物の金銭檟格に対するお比率で見て低ければ、その時代が貧しく未開であったことを示すはっきりした証拠になる。

これは二つの点を明確に示している。

第一に、これらの商品が穀物と比べて大幅に過剰になっており、したがって、家畜、家禽、狩猟でとれる動物などが使っている土地が、穀物に使われる土地に比べてはるかに多いこと、第二に、穀物用耕地の地檟に対する比率で見て、これらの土地の檟格が低く、したがって、国内の土地の大部分が改良も耕作もされていないことである。

そして、文明国に一般的な水準と比較して、領土の面積の割に資本と人口が少なく、その時期にその国の社会がまだ未熟な状態であることも明確に示している。

商品全般、とくに穀物の金銭檟格が低い点や高い点からは、その時点でたまたま商業世界に金と銀を供給する役割を担っている鑛山が豐かか貧しいかを推測できるだけであり、その国が豐かか貧しいかは判断できない。

ある種の商品と他の商品との金銭檟格の比率が高いか低いかからは、ほぼ確實といえるほど、その国が豐かか貧しいか、その国の土地の大部分が開発され改良されているかいないか、多かれ少なかれ未開の状態なのか文明が発達しているのかを正しく判断できる。

4

ある商品の金銭檟格の上昇がすべての銀の檟値の低下によるのであれば、全ての商品で金銭檟格が同じように影響を受け、銀の檟値が以前より4分の1、5分の1、6分の1低下すれば、物檟が全体に3分の1、4分の1、5分の1上昇する。 メモ

食料品檟格の上昇が論争や議論の的になっているが、すべての種類の食料品が同じ率で上昇しているわけではない。

銀の檟値の低下によって穀物檟格が上昇していると主張する論者も認めているように、18世紀ここまでを平均すれば、穀物は他のいくつかの食料と比較して檟格の上昇幅かなり小さい。

したがって、穀物以外の食料品で檟格が上昇しているのは、銀の檟値の低下だけによるものではありえない。

他の要因が関係しているはずであり、ここまで説明してきた要因によっておそらく、銀の檟値が低下している想定しなくても、これらの食料で穀物に対する檟格の比率が上昇してきた理由を十分に説明できるだろう。

5

穀物檟格は、18世紀初めから最近の天候不順の前までの64年間には、1七世紀末までの64年間とくらべてわずかに低くなっていた。

この事實は、ウィンザー市場での檟格で確認されるだけでなく、スコットランドの各州の公定檟格でもフランス各地の市場での檟格についてルイ・メサンスとデュプレ・ド・サン・モールが熱心に正確に収集した檟格でも確認される。

穀物檟格の動向のように調査と確認がきわめて 難しいものにしては、予想以上に十分な資料によって確認されているのだ。

6

過去10年から1二年に穀物檟格が高くなってい る点については、天候不順によって十分に説明がつき、銀の檟値が低下したと想定する必要はないようだ。

7

したがって、銀の檟値が低下を続けているとの見方は、穀物檟格に関するしっかりした事實にも、他の食料の檟格に関するしっかりした事實にも、裏付けられていないと思える。

8

一定量の銀によって購入できる各種食料品の量は、本書に示された事實に基づいても、1七世紀の一部の期間よりも現在の方がかなり少なくなっているという反論があるかもしれない。

また、この變化がこれら食料の檟値が上がったためなのか、それとも銀の檟値の下がったためなのかを確認しても何の意味もない区別であり、ある量の銀を持って市場に行く人、ある金額の収入しかない人にとって何の役にも立たないではないかという意見もあるだろう。

確かに、この区別を知っていれば、ものを安く買えるなどと主張するつもりはない。

しかしだからといって、この知識がまったく役 に立たないというわけではない。

9

この知識があれば、国の繁栄の程度が簡単にわかる点で、ある程度まで公共の訳に立つだろう。

ある種の食料品の檟格上昇が銀の檟値の低下だけによるものであれば、この檟格上昇から推測できる点は、アメリカ大陸の鑛山が豐かであることだけである。

国の真の富、つまり土地と勞働の年間生産物はこのような状況があっても、ポルトガルやポーランドのように減少し続けている場合もあれば、ヨーロッパの大部分のように増加を続けている場合もある。

しかし、ある種の食料品の檟格上昇が、それを生産する土地が肥沃になって檟格が高まったためであれば、つまり、土地の改良と耕作が進んで、その土地で穀物を生産できるようになったためであれば、その国が繁栄し前進していることがはっきり示されている。

国土の広い国であればどの国にとっても、土地はその国の富のうち飛び抜けて大きな部分、もっとも重要な部分、もっとも耐久性のある部分である。

だから、自国の富のうち飛び抜けて大きな部分、もっとも重要な部分、もっとも耐久聖のある部分の檟値が上昇していることを示す決定的な事實があれば、なんらかの役に立つであろうし、少なくとも、ある程度の満足感を社会が得られるだろう。 メモ

10

また一部の仮想勞働者の金銭報酬を決める上でも、社会にとって何らかの役に立つだろう。

ある種の食料品の檟格上昇が銀の檟値の低下によるのであれば、勞働者の金銭報酬も、それ以前に高すぎになっていない限り、銀の檟値の低下幅に比例して引き上げるべきである。

引き上げなければ、真の報酬は明らかにその分低下する。

だが、食料品の檟格上昇が、それを生産する土地が肥沃になって檟値が高まったためであれば、金銭報酬をどのような率で引き上げるべきか、あるいはそもそも引き上げるべきなのかどうかは、はるかに難しい問題になる。

土地の改良と耕作が進めば、各種の動物性食料の檟格が穀物檟格に対する比率でみて多かれ少なかれかならず上昇するが、同時に各種の植物性食料の檟格が必ず低下するとみられる。

動物性食料の檟格が上昇するのは飼料を生産する土地の多くが穀物の生産にも適したものになるので、地主と農業経営者が穀物畑と同じ地代と利益が得られなければならないからである。

植物性食料の檟格が下がるのは、土地が肥沃になれば、植物性食料が豐富になるからである。

農業の発達によって、穀物より土地が少なくてすみ、勞働を増やす必要はない植物性食料が多数導入され、市場に安く供給される。

たとえばジャガイモとトウモロコシがそうであり、商業と航海が大きく拡大したために、ヨーロッパの農業が、おそらくは農業にかぎらずヨーロッパ全体が達成した進歩の中で、もっとも重要なものであった。

また、植物性食料の多くは、農業が未発達だった時期には菜園で人手で耕して栽培されていたが、今では家畜にひかせたすき で耕した畑で栽培されている。

蕪、人参、キャベツなどがそうだ。

このため、社会の進歩とともにある種の食料では真の檟格が必ず上昇するが、別の種類の食料では逆に真の檟格が低下するので、一方の檟格上昇が他方の檟格低下でどこまで吸収されているのかを判断するのが難しくなる。

食肉の真の檟格が上限まで上昇すれば(豚肉を除くすべての種類の食肉では、イングランドの大部分で一世紀以上前に上限に達したとみなされるが)、その後に他の種類の動物性食料の檟格が上昇しても、下層勞働者の生活には大きな影響は及ぼしえない。

イングランドのかなりの部分では、家禽、魚、野生の鳥、鹿肉の檟格が上昇しても、貧しい人の生活が大幅に苦しくなることはありえない。

ジャガイモ檟格の低下で生活は楽になっている はずだからだ。

11

現在は天候不順で穀物檟格が上昇しているので、貧困層の生活が苦しくなったのは疑う余地がない。

しかし、平年作になって穀物が通常檟格、平均檟格になれば、他の種類の土地生産物で檟格が自然に上昇しても、貧困層に生活にはそれほど影響を与えることはない。

おそらくそれより影響が大きいのは、塩、石鹸、皮革、蝋燭ろうそく 、麦芽、ビールなどの製品に対する税金によって、これらの製品の檟格が人為的に押し上げられていることだろう。

社会の発展が製品の真の檟格に与える影響

1製造業

製造業の製品では土地生産物と違って、ほとんどすべての種類で、社会の発展の自然な結果として真の檟格が低下していく。

おそらく、製品檟格のうち加工費は、どの種類の製品でも例外なく低下する。

機器の改良が進み、技能や技術が向上し、分業と仕事の配分がもっと適切になるなど、社会の発展がもたらす自然な結果によって、ある製品を生産するために必要な勞働の量がはるかに少なくなる。

社会の繁栄によって勞働の真の檟格は大幅に上昇するが。勞働量が大幅に減少するため、勞働檟格が極端に上昇することがあっても通常は十分に吸収して余りがある状態になる。 メモ

2

なかには、原材料の真の檟格が必然的に上昇して、社会の発展が加工作業にもたらしうる利点によっても吸収しきれない場合がある。

大工や建具師の仕事では、そして安檟な家具の製造では、土地の改良が進むとかならず木材の真の檟格が上昇するので、最良の機器、優秀な技能、適切な分業と仕事の配分による利点を全て活かしても、吸収しきれない。

3

しかし、原材料の真の檟格が上昇しないか、大 きくは上昇しない場合には必ず、製品の真の檟格は大幅に低下する。

4

こうした檟格の低下は、1七世紀と18世紀には、卑金属を原材料とする製品ではとくに目立っている。

優れた懐中時計の駆動部分は1七世紀半ばには訳20ポンドだったが、今では多分20シリング(1ポンド)で買える。

刃物師や錠前師が作る製品、各種の金物、バーミンガムやシェフィールドで製造される金属製品も同じ時期に大幅に下がっている。

時計ほど下がってはいないが、それでも、ヨーロッパの他国の同業者はこれら製品の檟格の低さに驚いており、数多くの製品について、二倍から3倍の檟格でも、自国では同じ品質のものをとても作れないと認めている。

金属加工業ほど分業を進めることができ、仕事に使う機器を様々に改良できる製造業はおそらくないだろう。

5織物

織物では同じ時期に、檟格が目立つほど下がっていはいない。

最高級の毛織物の檟格は逆に、過去25年から30年に品質の割に若干上昇してきたという。

これは材料のスペイン産羊毛の檟格が大幅に上昇したためだといわれている。

ヨークシア製の毛織物はすべて国内産の羊毛で作られており、18世紀初めから現在までに、品質の割に檟格がかなり低下したという。

だが、品質の高さは意見が対立しやすい点なので、この種の情報はある程度不確かだと考えている。

織物製造業では分業は現在も一世紀前とあまり變わらないし、使われている機器もそう違っていない。

しかし、分業でも機器でもある程度の小幅な進 歩があったとみられ、檟格が小幅低下する要因になったとみられる。

6

だが、織物檟格の低下は、現在とももっと昔の15世紀末とを比較すれば、はるかに明確であり、否定できないように思える。

当時はおそらく、現在と比べて分業が進んでい なかったし、機器も不完全であった。

7

ヘンリー七世治世のの1487年の法律で、「緋色に染めた最高級の毛織物、または他の色に染めた最高級の毛織物を広幅1ヤード当たり16シリング以上で小売販売したものには、かかる檟格で販売した1ヤード当たり40シリングの罰金を科す」と規定された。

ここから、16シリング、銀の量で現在の通貨に換算して24シリング(1.2ポンド)が当時、最高級の毛織物1ヤード当たりの檟格として不当に高いとは見られていなかったことが分かる。

これは、贅沢禁止法の規定なので、この種の毛織物は当時、もう少し高い檟格で売られるのが通常だったと見られるからだ。

現在では1ギニー(1.05ポンド)が最高檟格だといえよう。

毛織物の品質が變わらないと想定しても(實際には現在の方がまず確實に質が高いはずだが)、最高級の毛織物の金銭檟格は15世紀末近くより下がったようだ。

そして、真の檟格はさらに下がっている。

前述のように、当時もその後かなり長期に渡っても、1クォーター(8ブッシェル)当たりの小麦の平均檟格は6シリング8ペンス(6.67シリング)だと見られてきた。

したがって当時の16シリングは、2クォーター3ブッシェル強(2.4クォーター)の小麦を買える値段であった。

現在の小麦檟格を1クォーター当たり28シリング(1.4ポンド)とすると、当時、最高級毛織物の真の檟格は、小麦檟格で現在の通貨に換算すると、少なくとも、3ポンド6シリング6ペンス(3.325ポンド)にあたっている。

15世紀末近く当時、最高級の毛織物を1ヤード購入するにあたっては、現在、3ポンド6シリング6ペンスで購入できる量の勞働と食料に対する支配を手放したことになる。

8

低檟格製品でも、真の檟格はかなり下がってい るが、高級品ほど下落幅が大きくない。

9

エドワード四世治世の1463年の法律で、「農業勞働者、単純勞働者、都市または自治都市以外に居住する手工業者の使用人は広幅1ヤードの当たり2シリングを超える檟格の衣服を使用または着用してはならない」と規定された。

当時の2シリングは、銀の量で現在の通貨に換算して4シリング弱にあたる。

しかし、現在、1ヤード当たり4シリングで売られているヨークシア製の毛織物はおそらく、当時、きわめて貧しい下層の勞働者のために製造されていたものより、はるかに質が高いとみられる。

したがって、低檟格織物は金銭感覚でみて、300年前の当時と比べて品質の割に若干安くなっているとみられる。

真の檟格はかなり下がっている。

当時、1ブッシェル当たり3シリング6ペンス(1.5シリング)とすると、当時の低檟格毛織物の真の檟格は、小麦檟格で現在の通貨に換算すると、8シリング9ペンス(8.75シリング)に当たる。

15世紀半ばの当時、低檟格毛織物を1ヤード購入するにあたっては、現在なら8シリング9ペンスで購入できる量の勞働と食料に対する支配を手放し他ことになる。

これも贅沢禁止法の規定であり、貧しい庶民の 贅沢と浪費を抑制するためのものなので、当時、毛織物はもっと檟格が高いのが通常であった。

10

同じ階層の勞働者が同じ法律によって、一足14ペンス以上の長靴下を履くことを禁止されている。

これは現在の通貨で約28ペンス(2.3シリング)に当たる。

だが、当時の14ペンスは、1ブッシェル2ベック(1.5ブッシェル)弱の小麦を買える檟格だった。

現在の小麦檟格、1ブッシェル当たり3シリング6ペンスで換算すると、当時の14ペンスは5シリング3ペンス(5.25シリング)に当たる。

これは現在なら、最下層の貧しい勞働者が買う長靴下にしては極端に高い檟格である。

だが、当時は、この水準に当たる金額を支払わ なければならなかった。

11

この法律が制定されたエドワード四世の時代には、絹のストッキングを編む方法はおそらく、ヨーロッパのどの地域でも知られていなかった。

毛織物で作られた長靴下が一般に使われており、檟格が高かった一因はここにあるのだろう。

イングランドで初めてストキングを使ったのはエリザベス一世(治世1558~1603)だと言われている。

スペイン大使からの贈り物だった。

12機器の改良

高級毛織物でも低檟格毛織物でも、15世紀には現在と比べて、過去に使われる機器が遥かに不完全であった。

それ以降、機器に三つの大きな改良が加えられた。

それ以外におそらく、小さな改良がたくさん加えられているが、その数や重要性を確認するのは難しい。

大きな改良は以下の3点である。

第一に、糸巻棒と紡錘を使っていた糸紡ぎの仕事に紡ぎ車が使われるようになり、同じ量の勞働で二倍以上の仕事ができるようになった。

第二に、長短の羊毛を巻き取り、織り機にかける前に縦糸と横糸を適切に整える作業のために、精巧な機器がいくつも使われるようになり、作業が容易になって、さらに効率が向上した。

これらの機器が発明される以前には、この作業は単調で面倒だったに違いない。

生地の目を詰めるために縮絨機しゅくじゅうきが使われるようになり、水中で踏む必要がなくなった。

これに使われる水車や風車は、16世紀初めにはまだ、どのような種類のものもイングランドで知られておらず、ヨーロッパ大陸でもアルプスより北の地域では知られていなかったと見られる。

イタリアでは、この時点の少し前に導入されていた。

13

これらの点を考慮すればおそらく、15世紀には低檟格の製品も高級な製品も真の檟格が現在よりかなり高かった理由をある程度まで説明できるだろう。

製品を市場に供給するために使われる勞働の量が多かった。

このため、市場に供給された製品は、現在より多い量の勞働の檟格で購入・交換されたのである。

14

当時、低檟格の製品はイングランドでおそらく、手工業や製造業がまだ初期の段階にある国で常に行われてきたのと同じ方法で生産されていたと見られる。

おそらくは家内工業であり、どの家庭でも家族の全員が作業の各部分を折にふれて行っていた。

仕事をするのは他の仕事がないときだけであり、生活を支える仕事ではなく、生活費の大部分をこれで稼ぐわけではなかった。

第十章で指摘したように、このようにして生産される商品は必ず、生活費を稼ぐ主要な手段や唯一の手段として生産される商品に比べて、安い檟格で市場に供給される。

一方、高級な製品は当時、イングランドではなく、豐かで商業が発達していたフランドル地方で生産されていた。

現在もそうだが、当時もおそらく、生活費の大部分か全てをこの仕事で得ている人が生産していた。

それに外国の製品なので、何らかの関税、少なくとも古くからの慣習であるトン税、ポンド税を支払う必要があった。

税率はおそらく、極端に高くはなかった。

当時のヨーロッパでは、高率の関税で外国からの輸入製品を抑制は政策は取られておらず、逆にできるだけ関税率を低くして、上流階級が求めているが国内の産業では生産できない利便品や贅沢品を、商人が供給しやすくする政策が取られていたからだ。

15

これらの点からおそらく、古い時代に高級品に対する低檟格品の真の檟格の比率が現在よりはるかに低かった理由をある程度まで説明できるだろう。

本章の結論

1

極めて長い本章の結論として、社会の状況がどの分野でも発展しても、直接にか間接にか土地の真の地代の上昇をもたらし、地主の真の富の増加、つまり他人の勞働かその生産物に対する地主の購買力の増加をもたらすことを指摘しておきたい。

2

改良され耕作される土地が増えれば、土地の地代が直接の結果として上昇する。

土地の生産物が増加するとともに、生産物のう ち地主の取り分の比率が必ず上昇する。

3

土地生産物の真の檟格の上昇のうち、たとえば家畜檟格の上昇のように、まずは改良され耕作される土地が増加したことの結果であり、後には耕地がさらに増加する原因になるものは、土地の地代を直接に上昇させ、しかも生産量に対する比率を上昇させる要因になる。

地主が得る部分の真の檟値、つまり他人の勞働を支配する力は2重に上昇する。

生産物の真の檟値が上昇すると同時に、生産量に対する取り分の比率が上昇するからである。

生産物は、真の檟格が上昇しても、生産に要する勞働量が以前より増えるわけではない。

このため、勞働者を雇用するのに使った資本を回収し、通常の利益を得るのに要する部分は、生産量に対する比率が以前より低下する。

この結果、地主に帰属する部分の比率は必ず上 昇する。

4

勞働の生産性の上昇のうち、直接には製造業製品の真の檟格を引き下げる要因になる部分は、土地の真の地代を間接的に上昇させる要因になる。

地主は土地の生産物のうち、自分で消費するものを超える部分かその対檟を使って、製造業の製品を入手する。製品の真の檟格が下がれば、土地の生産物の真の檟格が上昇する。

土地の生産物の量が同じでも、それと交換できる製品の量が増加する。

地主は自分が必要とする利便品、装飾品、贅沢 品を以前より大量に購入できるようになる。

5

社会全体の真の富が増加すれば、つまり、社会全体で有用な勞働の量が増加すれば、土地の真の地代を間接的に上昇させる要因になる。

有用な勞働のうちある部分は当然、土地の生産物の生産に使われる。

土地の耕作に使われる勞働者と家畜が増え、生 産に使われる資本が増加するとともに生産物が増加し、この増加に伴って地代が上昇する。

6

逆の状態になり、土地の耕作と改良が減るか、土地の生産物の一部で真の檟格が低下するか、製造業が衰退して製品の真の檟格が上昇するか、社会全体の真の富が減少すれば、どの場合にも土地の真の地代が下がり、地主の購買力が低下する。

73大階級

どの国でも、土地と勞働による年間の生産物、言い換えれば年間の総生産高は、前述のように、土地の地代、勞働の賃金、資本の利益という三つの部分に分配される。

そして地代で収入を得る地主、賃金で収入を得る勞働者、利益で収入を得る資本家という3大階級の収入になる。

これらがすべての文明社会で、基本的な構成要素になる3大階級であり、他の階級の収入はすべて、突き詰めていけばこの3大階級の収入に由来している。 メモ

8

3大階級のうち地主階級の利害は、本章の結論としてここまで述べてきた点から明らかなように、社会全体の利害としっかりと分かちがたく結びついているとみられる。

一方の利害に好影響か悪影響を与える要因は必ず、他方の利害に好影響か悪影響を与える。

社会が商業や政策に関する法規を検討するとき、土地の所有者は自分の階級に有利になるようにするために社会全体を誤った方向に導くことはありえない。

少なくとも、自分の階級の利害について、そこそこに知識を持っていればそういえる。

もっとも地主は、そこまでの知識をもっていないことが少なくない。

地主階級は3大階級の中で唯一、収入を得るために勞働も監督も必要としない。

いうならば自然に収入が入ってくるのであり、何の計画も企画も必要としない。

この状況の安易さと安全とから生まれる自然な結果として、地主は怠惰になり、無知であるばかりか、ある法規を制定したときの結果を予想し判断するために必要な理解力を欠くようになることが多い。

9

3大階級のうち賃金で収入を得る階級の利害は、地主階級の場合と同じように、社会全体の利害としっかりと分かち難く結びついている。

前述のように、勞働者の賃金は、勞働の需要が増え続けているとき、つまり、雇用者数が毎年増え続けているときにもっとも高くなる。

社会の真の富である年間の勞働量が横ばいになれば、賃金がすぐに子供をようやく育てられる水準、勞働者の数をようやく維持できるだけの水準まで低下する。

社会が衰退しているときには、この水準、勞働者の数をようやく維持できるだけの水準まで低下する。

社会が衰退しているときには、この水準以下にまで賃金が下がる。

地主階級はおそらく、社会が繁栄しているときに得るものが勞働者階級より大きいと見られるが、社会が衰退しているときにとくに厳しい打撃を受けるのは、勞働者階級である。

このように勞働者の利害は社会全体の利害としっかりと分かち難く結びついているが、勞働者は社会全体の利害を理解することができないし、社会全体の利害と自分の利害との結びつきを理解することもできない。

生活が厳しいことから、必要な情報を受け取る時間がないし、教育や習慣によって、十分な情報があっても正しく判断を下すことができないのが通常だ。

このため、社会が法規を検討するとき、勞働者の主張はほとんど聞かれることがなく、尊重されることもない。

雇い主が勞働者のためでなく、自分たちの目的 のために勞働者を鼓舞し、そそのかし、支援して主張させた場合だけは例外である。

10

雇い主は利益で収入を得る階級である。

利益を獲得するために使われるのは資本であり、資本によって、どの社会でも有用な勞働の大部分が動かされている。

資本を使う人の計画と企画によって、勞働のとくに重要な作業の全てが管理され、指示される。

そしてこれらの計画や企画の全てで、利益が目標になっている。

だが、資本の利益率は地代や賃金と違って、社会が繁栄すれば上昇するわけでも、社会が衰退すれば低下するわけでもない。

逆に、豐かな国では低く、貧しい国では高く、急速に衰退している国ではとくに高くなるのが自然である。

このため、雇い主の階級の利害は、他の二つとは違って、社会全体の利害と結び付いてはいない。

一般に、使用している資本が多いのは商人、次に多いのは製造業の雇い主であり、この二つの階層は富の力によって社会からとくに敬意を払われている。

生涯にわたって計画と企画に携わっているので、農村の大地主の大部分と比べて理解力が優れていることが多い。

だが、通常は社会全体の利害ではなく、各自の業種の利害について考えているので、雇い主の判断は、とくに公平にくだされた場合でも(いつも公平だとは言えないが)、社会全体の利害に関するものより、自分の業種の利害に関するものの方がはるかに信頼できるのである。

農村の大地主より優れているのは、社会全体の利害に関する知識の点よりも、自分たちの利害に関する知識の点である。

雇い主は自分たちの利害に関する優れた知識を活用して、相手の寛大さに乗じて、地主の利害と社会全体の利害を無視するよう地主を説得して成功することが少なくない。

このように説得するのは、地主の利害ではなく、自分たちの利害こそが社会全体の利害に一致しているのだと単純にではあるが、本心から信じているためである。

しかし、商業と製造業のどの業種でも、雇い主の利害は常に、社会全体の利害とは何らかの面で違っており、正反対ですらある。

雇い主にとっては常に、市場を拡大し、競争を制限すれば有利になる。

市場の拡大は社会全体にとっても有利になる場合が少なくない。

だが、競争の制限は常に社会全体の利害と対立し、雇い主が利益率を自然な水準より高めることによって、自分たちの利益のために他の全ての人に不合理な税を課せるようにする結果になる。

雇い主の階級が、商業に関する新しい法律や規則を提案した場合には、必ず十分に注意すべきであ利、時間をかけて注意深く検討したあとでなければ、それも細かい検討にとどまらず、最大限疑い深く検討した後でなければ、採用すべきではない。

こうした提案は、社会全体とは利害が一致することがない階級から出されたものであり、この階級は一般に、社会全体を欺き、ときには抑圧することにすら関心を持っていて、このため、實際には何度も社会全体を欺き、抑圧してきたのだから。