資本論 第一巻 第一冊

著 者 カール・マルクス(Karl Marx)
翻譯者 高畠素之
出版社 改造社
出版年 一九二八年

目 次

新改譯版について

ここ に此処に刊行する新改譯版は、旧改譯版(新潮社版)を基礎として幾多の訂正を加えたものである。訂正の大部分は、誤植、誤字の改修以上に出なかったが、なかには譯法に於いて可なり本質的の訂正を加えた點《點》も少ないくない。

旧改譯版に対し、小泉信三、酒井利彦両氏より注意を与えられた個所については、熟慮の上、十分両氏の示教しきょう に準拠したつもりである。茲に両氏の好意を謝じ、併せてこの新版に対しても、諸家の忌憚なき示教を希求する次第である。

尚、この新改譯版を以って、一先ひとまづ、拙譯資本論の定本たらしめんとするものであることを附言して置く。

昭和二年
高畠素之

旧改譯版序文

私が『資本論』の翻譯に着手したのは大正八年七月、最終の分冊を刊行しえたのは大正十三年七月、その間正に五年の風霜ふうそう えっ している。勿論、その間には種々なる餘技的享楽に時間を浪費したこともあるから、五カ年の全部を『資本論』のためにのみ没頭したとは言い得ないが、然しこの間に於ける私の注意と努力と時間の主要部分が『資本論刊行の一目的に集中されていたことは事実である。

それで昨年七月、最終分冊を刊行し終ったとき、私の過去五年間の努力は曲がりなりにも大成された譯であるから、私としては大いに重荷を卸した気分になり、祝盃の一つもあげねばならなかった筈であるが、事実は更に苦痛を加えるのみであった。それは私の過去に於ける労作が、甚しく不出来に終ったという自意識に原因を置いている。

私の翻譯は、何よりも先ず難解であった。譯者たる私自身が読んで見ても、原文を対照しないでは意味の通じないところ が無限にある。これは一つには、『資本論』の名に脅威されて、私の譯筆が餘りに硬くなり過ぎたことにも起因している。現に『資本論』以前に刊行した『資本論解説』の方は、不出来ながらも難解の欠點 あら は比較的少なかった。『資本論』も『解説』程度にやってやれぬことはなかったであろうが、何分にも硬くなってしまって日本文のてい 《体》をなさなくなった。

第二に、純然たる誤譯とすべきものが少なからず見出された。これは大抵ケーアレス・ミステークとしてゆるし得べきものであったが、中には私は実力不足に依るものも可なりあった。

第三に、印刷上の誤植その他不体裁の點が少なからず見出された。ことに旧版第一巻第一、第2冊の如きは、刊行が磯がさたためであろうか、随分物笑いになりそうな欠點あら を含んでいた。

しか し、誤譯や誤植を改めるのには、さして時間と努力を要しない。一番困難ことは、難解の譯文をいま一度原文と対照して、日本人に解る日本語に全部譯し換えることである。それも些細な小冊子なら兎も角、大冊三巻にわた り一難去って更にこの苦難を切り抜けねばならぬかと思うと、そう思っただけで気が詰まりそうになる。それほど、私の神経と理解性の尖端は『資本論』のために麻痺しくされていたのである。

然し、私としては、どうしてもこの仕事だけは完成せねばならぬ。原本だけが恥を後世に遺すようなことがあっては申し譯がない。十分とは行かぬ迄も、せめて日本文が読めると仮定したマルクスから、一流の冷笑を以ってあしらわれないだけの成績は収めて置きたい。旧版は兎に角失敗であったが、第二戦に於いては少なくとも其処 そのところ まで漕ぎつけたい、というのが絶えず私の心頭にこびりついて離れない念願であった。

そういう決心を以って著手ちゃくしゅしたのが、この改譯版である。忠実、真摯の二點は勿論不動の出發點として、それ以外、この改譯版で最も力を めたのは、旧版の最大欠點あら たる難解を一掃して、出来得る限り理解しやすい日本文の『資本論』を綴ることであった。この點に於いて私の努力がどの程度まで功を奏したかは、勿論権威ある評者の評価に待つ他ないが、私としては全力的に精根を絞ったつもりである。時間も可なり費した。昨年八月から著手して、少なくとも昨年一杯には第一巻だけは仕上げるつもりであったが、何分にも手入れを要する個所が多く、今日に及んでようや く第一巻を完了したような結末、その間十ヶ月は文字通りこの仕事のにのみ没頭して来たのである。

改譯については、カウツキー編纂平民版資本論が助けになった。旧版序文にも断った通り、私の語学は英独二語に限られているため、その他の国語で原文のまま掲げられている譯註や引抄は如何とも歯が立たぬのであるが、カウツキーの平民版にはそれが全部ドイツ語に翻譯されているので、この點が先づ助かった。次に言い現しの曖昧な點、難解な點や、区切りの長いところ などは、すべて読者の便宜を標準として手際よく編纂されている。これらの點も出来得る限り、平民版に従ったが、然し全体の骨子は旧拙譯版通り原本第六版を基礎として、平民版の編纂秩序には準拠しなかった。

マルクスは第一版序文の中にも言っている如く、最初本書を三巻に分つ考えであった。すなわ ち第一部『資本の生産行程』を第一巻に収め、第二部『資本の流通行程』と第三部『資本の総生産行程』とを第二巻に充て、第四部『餘剰価値学説史』を以って第三巻の内容たらしめようとしたのであった。

彼れは第一巻執筆当時、既に全三巻の主要部分をあらかた脳裡に築き上げていたのであるが、病気のため第一巻を完成したきりで、一八八三年三月十四日その第三版印刷中にこの世を去った。

彼れの死後、エンゲルスは第二巻の編緝《編集》に著手したが、その編集中、彼れはマルクスの最初の計畫《計画》を変更して、第二巻には前記の第二部、すなわ ち『資本の流通行程』のみを含めることを適当と信じた。 くてこの第二巻は一八八五年五月五日(マルクス誕生日)、第一巻に後るること正に十八年にして漸く刊行を見ることとなったのである。

第三巻の刊行は更に後れた。

一八九三年七月、第二巻再版の公にされたとき、エンゲルスは尚第三巻の編集に従事していた。しれが初めて公にされたのは、一八九四年十月四日、第一巻を距ること実に実に二十七年の後であった。第三巻はこれを上下に分かち、マルクスが最初の第二巻の後半として計画した前記第三部『資本の総生産行程』を取り扱った。

第二、第三両巻の發行がく長引いた事と、マルクスの原稿を整理するに当たっての困難とについて、エンゲルスはこの両巻の序文の中に、立ち入った叙述を与えている。

彼れはその労作に對する彼れ自身の貢献を努めて貶下へんげしようとしているが、事実彼れの苦心努力が如何ばかりであったかは、到底筆紙ひっしつく《尽》し難き所であろうと思う。

彼れは数年間にわたる衰視のため、人工光線の助けに依って辛うじて筆を手にし得るに至ったことを第三巻序文中に述べている。実に『資本論』はマルクス、エンゲルスの厳密の意味に於ける共同著作というも過言でない程、エンゲルスの努力に負うところが多かったのである。

エンゲルスは、マルクスが第三巻として計画した前記の第四部『餘剰価値学説史』をば第四巻として刊行する予定であったが、その目的を達せずして不幸協労者の跡を追った。それは一八九五年八月六日、第三巻が刊行されてから、わづかに一年たらずの後であった。

然し、彼れはかねてこの事あるべきを覚悟していたので、死に先立つ数年、ドイツ社会主義者中の碩学せきがく カール・カウツキーに第四巻編緝の任を託したのであった。カウツキーはエンゲルスの死後この事業に著手したが、材料が餘りに豊富であったため、これを独立の一書たらしむるを適当と信じ、『餘剰価値学説史』と題して刊行した。これは前後三巻より成り、第一巻は一九〇四年十月、第二巻(二部より成る)は一九〇五年八月五日、第三巻は一九一〇年三月十四日に發行された。目下森戸辰男氏等の手に依って、これが邦譯進行中と聞く。学界のため、大成を祈望するものである。

拙譯第二巻は比較的手入れを要する処が少ないから、引続き刊行し得る予定であるが、第三巻は相当の日子にっし を要するであろうと予期される。然し成るべく達成し得るよう、努力を密集することを言う迄もない。

終りに臨み、本書完成のため陰ながら好意と間接の教鞭を与えられていると聞く学界の一二権威者に対し、茲に特記して謝意を表する。

大正十四年五月九日
本郷において
高畠素之

第一版原著者序文

ここに第一巻を公刊しようとする作は、一八五九刊の拙著『経営学批判』の続きと成るものである。

その著手から続き迄の間が斯様かように長引いたのは、幾度も幾度も私の仕事を中絶させて多年に亙る宿痾しゅくあのためであった。

私がここに第一巻を公刊するこの著作は、1859年に刊行された私の著作『経営学批判』の続きである。

はじめと続きのとの間の長い休止は、私の仕事を繰り返し中断させた長年にわたる病気のためである。

『経済学批判』の内容は、この巻の第一篇第一章に概括されている。

その概括は、単に聯絡《連絡》及び完備を目的としたのみでなく、また説明をも改善したのである。

如何ようにか事情の許す限り、の書に於いては単に暗示に止まっていた多くの點を、本書ではヨリ十分に説明した。

反対に又、彼の書に於いて詳細に説明された點が本書ではただ暗示されたに止められているところもある。

彼の書に収めた価値説及び貨幣説の歴史に関する諸説は、本書に於いては当然に全く削除されている。

然し彼の書の読者は、本書第一篇第一章の諸註に、右の学説の歴史に関する新たなる参考資料が提供されているのを見出すであろう。

あの以前の著書の内容は、この巻の第一章〔本書の第一篇にあたる〕に要約されている。

そうしたのは、連関をつけ完全にするためだけではない。

叙述が改善されている。

以前には暗示されただけの多くの點が、ここでは、事情がなんとか許す限り、さらに進んで展開されており、また逆に、そちらでは詳しく展開されたことが、ここでは暗示させるにとどまっている。

価値理論及び貨幣理論の歴史に関する部分は、今度は当然に全部なくなっている。

とはいえ、以前の著書の読者は、第一章の注の中に、右の理論の歴史のための新たな諸資料が示されているのを見出すであろう。

何事も初めが困難である。

これは如何なる科学についても言い得ることである。

されば本書に於いても第一章、特にその中の商品分析を含む一節の理解は、けだし最大の困難を呈するであろう。

で、価値の實體じったい及び価値の大小の分析に関する特に細密なる點については、私は出来得る限り分析を通俗化した()。

(一)

斯くすることは、シュルツェ・デリッチに反対したフェルヂナンド・ラツサレの文章の中、此等の問題に関する私の説明の『知的神髄』を述ぶると著者みづから書明している一節の中にさへ幾多の重大な誤解が含まれているのを思うとき、なお更ら必要になって来る。

ついでに一言すべきは、ラツサレの経済上の述作じゅっさく に含まれている一般学説上の命題が、例えば資本の史的性質に関するものも、また生産事情にと生産方法との關係に関するものも、その他のものも、甚だしきは私の發明にかかる諸種の新術語に至る迄も、殆んど一語一語私の述作から、しか も出所を断らずに採用したものであるということは、恐らく便宜上の目的に出たものであろう。

これは、彼れの敷衍ふえん的解釈や利用について言うのではないことは勿論である。

それは私の関する所ではないからである。

全てはじめは難しい〔ドイツの諺〕ということは、どの科学にもあてはまる。

だから、第一章、ことに商品の分析を収める節〔本書の第一章にあたる〕の理解は、最も困難であろう。

さらに立ち入って、価値の實體じったいと価値の大きさとの分析に関して言うなら、私はその分析をできる限り平易にした (1)

価値形態——その十分に發達した姿容しようは貨幣形態であるが——なるものは、極めて無内容であり且つ単純なるものである。

かも人類は今日に至る迄二千年以上も、これを究めようとして空しき努力を費やして来た。

然るに一方、それよりも遥かに内容多き複雑なる諸現象の分析は、少なくとも殆ど、成功の域に達しているのである。

これは何故であるか!

發育した生体は、その組成分子たる細胞よりも研究し易いからである。

加うるに、経済上の諸現象の分析に於いては顕微鏡も化学的反應料も用をなさぬ。

抽象の力を以って、この二つのものに代用せねばならぬ。

然るにブルヂォア的社会にとっては、労働生産物の商品形態又は商品の価値形態は正に経済上の細胞形態となっているのである。

素養のない人々には、此等の形態の分析は単に煩瑣はんさな区別立てもてあそぶだけのものとしか見えぬであろう。

成る程それに違いないが、然しそれは顕微鏡的分析に於いて為される区別立てと異なる所はないのである。

価値形態——その完成した姿態が貨幣形態である——は、極めて没内容的であり簡単である。

とはいえ、人間精神は2000年以上も前から、これを解明しようと果たさなかったのであるが、他方、これよりはるかに内容豊富で複雑な諸形態の分析には、少なくともほぼ成功した。

なぜか?

發育した身体は身体細胞よりも研究しやすいからである。

その上、経済的諸形態の分析に際しては、顕微鏡も科学的試薬も役に立ち得ない。

抽象力が両者にとって代わらなければならない。

ところが、ブルジョア社会にとっては、労働生産物の商品形態または商品の価値形態が経済的な細胞形態である。

素養のない者にとっては、この形態の分析はただいたずらに細かい詮索をやっているように見える。

この場合には実際細かい詮索が肝要なのであるが、それはまさに、顕微解剖学でそのような詮索が肝要であるのと同じことである。

そこで価値形態を取扱った一節を除いて考えるならば、本書は決して難解を以ってとがめられ得るものではなおであろう。

斯く言うについては勿論、何等か新たなる事物を学ぼうとする読者を、すなわち自分自身で思惟しようとする読者を仮定するものである。

それゆえ、価値形態に関する部分を別とすれば、本書を難解だと言って非難することはできないであろう。

もちろん私は、新たなものを学ぼうとし、したがってまた、自分自身で考えようとする読者を想定している。

物理学者は、自然現象が最も充実した形に現れる処に、他の影響に撹乱されることの最も少ない処に、これを観察する。

或は又、なし得る処にあっては、これが純粋の家庭を確保せしめる条件の下に実験を行う。

私が、本書に於いて攻究こうきゅうせんとすることは、資本制生産方法とそれに照應した生産事情並びに交換事情とである。

此等のものの本場となっているのは、今日迄のところイギリスである。

これイギリスが、私の学理的説明の主要な例解として役立つ所以である。

然しドイツの読者がパリサイ教徒的に、イギリスの農工労働者状態に対して肩をそびや かし、或は楽天家気どりでドイツの状態がまだまだそんなに不良でないと安心しているならば、私は彼等に向って『この話はお前のことを言っているのだ』と叫ばねばならぬ。

物理学者は、自然過程を、それがもっとも典型的な形態で、またそれが撹乱的な影響によってかき乱されることが最も少ない状態において現象する所で観察するか、あるいは、それが可能な場合には、家庭の純粋な信仰を保証する諸条件のもとで実験を行う。

私がこの著作で研究しなければならないのは、資本主義的生産様式とこれに照應する生産諸關係及び交易諸關係である。

これこそ、イギリスが私の理論的展開の主要な例証として役立つ理由である。

しかしもしドイツの読者が、イギリスの工業労働者や農業労働者の状態についてパリサイ人(*1のように眉をひそめるか、あるいは、ドイツでは自体はまだそんなに悪くなっていないということで楽天的に安心したりするならば、私は彼にこう呼びかけなければならない、”お前のことを言っているのだぞ!*2”と。

資本制生産の自然律に起因する社会的対抗の發達程度の大小如何ということは、それ自身としては問題でない。

問題となるのは、この自然律それ自身である。

この、鉄の如き堅固不動の必然性を以って作用し貫徹する所の傾向が問題となるのである。

要するに、産業の比較的發達した国は、産業の發達が比較的幼稚な国に対して、将来の状態を予示するものに過ぎぬのである。

資本主義的生産の自然諸法則から生ずる社会的な敵対の發展程度の高低が、それ自体として問題になるのではない。

問題なのは、これらの諸法則そのものであり、鉄の必然性をもって作用し、自己を貫徹するこれらの傾向である。

産業のより發展した国は、發展の遅れた国に対して、他ならぬその国自身の未来の姿を示している。

だが、このことは暫くき、兎に角ドイツに於いて資本制生産方法の既に十分馴化じゅんか された処、例えば厳密の意味の工場に在っては、イギリスよりも遥かに状態が不良となっているのである。

けだしドイツには、工場法の対抗力が欠けているからである。

また時余の諸方面について言えば、他の べての西欧大陸諸国に於けると同じく、ドイツを苦しめるものは単に資本制生産の發達のみでなく、またこの發達の缺如せることも同様な結果を与えるのである。

近世的の窮迫した状態と相並んで、時代錯誤の社会的及び政治的事情を伴う所の、古代的にして時世遅れな生産方法の存続から生ずる幾多の伝来的な窮迫状態もまた 、我々を圧迫している。

我々は実に、生ける物に依って悩まされるのみでなく、また死せる物に依っても悩まされているのである。

死者生者を捕える。

しかしこの點はしばらく置くとしよう。

我が国で、資本主義的生産が完全に市民権を得ているところ、例えば本来的工場では、工場法という対錐〔釣り合うおもり〕がないためにイギリスよりもはるかに状態は悪い。

その他のすべての部面では、他の西ヨーロッパの大陸全部と同じように、資本主義的生産の發展ばかりでなく、その發展の缺如もまた、我々を苦しめている。

近代的な窮境と並んで、一連の伝来的な窮境が我々を締め付けているが、これらの窮境は、古風で時代遅れの生産諸様式が、時勢に合わない社会的政治的諸關係という付随物を伴って、存続していることから生じている。

我々は生きているものに悩まされているだけでなく、死んだものにも悩まされている。

”死者が生者をとらえる! ✴︎

ドイツ及びその他の西欧大陸諸国の社会的統計は、イギリスのに比較すると至って貧弱である。

然しこの貧弱な統計を以ってしても、メドゥーザ夜叉の面相をうかがはしむるに十分な程度まで、ヴェールを吹き上げる。

若し我が政府及び議会が、イギリスと同じく経済状態に関する諸種の定時調査委員会を設け、これに真理探究のためイギリスと同様の全権を付与するとすれば、しか して又、この目的のためにイギリスの工場監督官『公衆健康』に関する医事報告者、婦人及び児童の搾取や、住宅や、食物の状態やに関する調査委員の如き、堪能で、公平で、はばか る所なき人々を見出すことが出来るとすれば、我々はドイツ国内の状態に愕然たらしめられるであろう。

パーシウスは対手に見られぬように隠れ笠を被って魔物を追跡した。

然るに我々ドイツ人は、却って魔物の存在を否定し得んがために隠れ笠を目深に被るのである。

イギリスの社会統計に比べると、ドイツやその他の西ヨーロッパ大陸ののそれは貧弱である。

それでもなお、その社会統計は、その背後にメドゥーサ*1の頭のあることを感づかせるには十分なほど、ヴェールを少しまくり上げている。

もし我々の政府や議会が、イギリスにおけるように、経済事情に関する定期的な調査委員会を設置し、これらの委員会が、真実の探求のために、イギリスにおけると同じ全能の権限を与えられ、この目的のために、イギリスの工場監督官や、公衆衛生に関する医事報告書や、婦人および自動の搾取に関する、住宅状態や栄養状態等々に関する調査委員たちと同じような、専門知識があり不偏不党で容赦しない人々を見つけ出すことができるならば、我々は自分自身の状態にぞっとするであろう。

ペルセウス*2は、怪物を追跡するために隠れ防止を用いた。

我々は、怪物の実存を否認してしまうためにこの帽子で目も耳も隠してしまうのである。

然し我々は、この點について思違いをしてはならぬ。

十八世紀のアメリカ独立戦争が、ヨーロッパの中等階級に對する警鐘であったと同じく、十九世紀のアメリカ南北戦争は又、ヨーロッパの労働者階級に對する警鐘となった。

イギリスに於いては、社会的激変は極めて分明である。

而してそれは或點に達すると、大陸諸国の上に反應作用せねばならぬ。

イギリスに於けるこの社会的激変の進行は労働者階級それ自身の發達程度に準じて或時はヨリ粗暴な形を採り、或時は又ヨリ穏かな形を採るであろう。

そこで、イギリスに於ける現在の支配階級にとっては、ヨリ高尚な動機は暫く措き、己れ自身のもっとも特殊な利益の上からしても、労働者階級の發達を妨げる所の、法律に依って除去し得べき一切の障礙《障碍》を廃除することが必要となって来る。

私は特にこの理由からして、イギリスに於ける工場法の歴史、内容、結果等について、本巻に極めて細密な叙述を与えた次第でである。

一の国民は他の国民から学ばねばならぬ。

また学び得るのである。

一の社会はその運動の自然律の向う所を明らかにし得たとしても——而して近世社会の経済的運動律を明らかにすることは、本書終局の目的とする所であるが——決して自然に準拠した發達段階を飛び越え得るものでなく、又、法令を以ってそれを廃除し得るものでもない。

が、生みの苦しみを短縮し緩和し得ることは事実である。

人のことについて自分を欺いてはならない。

18世紀のアメリカ独立戦争がヨーロッパの中間階級〔ブルジョワジー〕に対して、出動準備の鍵を打ち鳴らしたように、19世紀のアメリカの内乱〔南北戦争〕は、ヨーロッパの労働者階級に対して出動準備の鐘を打ち鳴らした。

イギリスでは変革過程が手に取るように明らかである。

この過程は、一定の高さに達すれば、大陸に跳ね返ってくるに違いない。

それは大陸では。、労働者階級自身の發展程度に應じて、より残忍な形で、あるいはよりヒューマンな形で、行われるであろう。

したがって、今日の支配階級は、より高尚な動機は別として、まさに彼ら自身の利害關係によって、労働者階級の發達を妨げる一切の法律によって処理できる諸障害を取り除くことを命じられている。

そのために私は、ことにイギリスの工場立法の歴史、内容、成果に対して、本巻の中であのように詳しい叙述のページを割いたのである。

一国民は他の国民から学ばなければならないし、また学ぶことができる。

たとえある社会が、その社会の運動の自然法則への手がかりを掴んだとしても——そして近代社会の経済的運動法則を暴露することがこの著作の最終目的である——その社会は、自然的な發展諸段階を飛び越えることも、それらを法律で取り除くこともできない。

しかし、その社会は、産みの苦しみを短くし、和らげることはできる。

なお、万一の誤解を避けるために一言したいことは、私は資本家及び土地所有者の姿を決して美しい方面からは描いて居らぬ。

個々の人は経済的範疇を人格化した者としてのみ、特殊の階級關係及び階級利害を負擔《負担》する者としてのみ、本書では問題とされるのである。

私は社会の経済的形態の發達を一の自然史的行程と解するものであって、この立場からすれば個々の人々は主観的には如何ほど四囲しい の事情を超絶しているとしても、社会的にはその被造者たるを失はしないのである。

そこで、私の立場は、他の総べての人々の立場に比し、個々の人々をして四囲の事情につき責任を負わしめ得ることが最も少ないものとなる譯である。

起こるかもしれない誤解を避けるために一言しておこう。

私は決して、資本家や土地所有者の姿態を薔薇色には描いていない。

そしてここで諸人格が問題になるのは、ただ彼らが経済的諸カテゴリーの人格化であり、特定の諸階級關係や利害の担い手である限りにおいてである。

経済的社会構成体の發展を一つの自然史過程と捉える私の立場は、他のどの立場にも増して、個々人に諸關係の責任を負わせることはできない。

個人は主観的には諸關係をどんなに超越しようとも、社会的には以前として諸關係の被造物なのである。

科学の自由攻究は、経済学の領域に於いても他の総べての領域に於けると同一の敵に逢着ほうちゃくするというのみではない。

経済学の取扱う材料の特殊の性質は、人心の最も激越野卑にして悪意ある情念を、私的利害の仇神あだがみを、自由攻究の敵として戦場へ呼び立てることになるのである。

例えばイギリスの国教会は、その収入の三十九分の一を失うよりも、寧ろ三十九の信仰ケ条のうち三十八ケ条に対して向けられる攻撃を甘受するという有様であって、無神論それ自身は、これを伝来的の所有關係に對する批判に比すれば、今日では些些 ささ たる軽罪となっているに過ぎぬのである。

経済学の領域では、自由な科学的研究は、他のすべての領域におけるのと同じ敵に出会うだけではない。

経済学が取り扱う素材の固有の性質が、自由な科学的研究に対して、人間の胸中のもっとも激しくもっとも狭小でもっとも厭うべき情念を、私的利害というフリアイ〔復讐の女神〕を、戦場に呼び寄せる。

たとえば、イギリスの高教会派*1は、その39の信仰個条のうちの38までに對する攻撃は許しても、その貨幣収入の39分の1に對する攻撃は許さないのである。

今日では、無心論者でさえ、伝来の所有諸關係に對する批判に比べれば、”軽過失”である。

然しこの點についても、一の進歩があったことは明らかである。

一例として、最近数週間に發表された青表紙本(イギリス政府の報告書)『産業問題及び労働組合に関する遣外使節との通信』を挙げよう。

この報告書の中で、イギリス皇帝の対外代表者たちは、ドイツ、フランス、約言すればヨーロッパ大陸のあら ゆる文明国を通じて今や資本と労働の現存事情の一変動がイギリスと同様に感知され得るに至っていること、及びイギリスと同様にそれが不可避的となっていることを、飾り気のない言葉で宣明している。

同時に又、大西洋彼岸に於いても、北アメリカ合衆国副大統領ウェード氏は、公開の席上に於いて、奴隷制度が廃止されてからは、資本關係及び土地所有關係の変動が普通のこととなっていると宣明した。

斯くの如き事実は、紫袍黒衣しほうこくいを以っておおうことの出来ぬ時代の徴候である。

それは明日にも大奇跡の行われることを意味するものではなく、寧ろ支配階級の間に於いてさえ、現社会は固定の結晶体にあらずして可変性を有した不断に変化しつつある有機体だという予感が既に明らかにきざ していることを示すものである。

しかしここにも一つの進歩があることを見逃せない。

例えば、最近数週間のうちに公表された青書*2『産業問題および労働組合に関する女王の在外使節との往復文書』〔ロンドン、1867年〕を指摘したい。

イギリス帝国の在外代表たちが、ここで率直な言葉で語っているのは、ドイツ、フランス、要するにヨーロッパ大陸のすべての文明国において、資本と労働との現存の諸關係の変化がイギリスにおけると同じように感知され、同じように不可避である、ということである。【解説】

イギリスの産業革命と、ヴィクトリア朝の繁栄として明確に見られたイギリス資本主義の成長よって、労働者階級でも熟練工は一定の収入を得て安定し、他のヨーロッパ諸国でも、資本家(ブルジョワジー)はこのような労働者階級との關係の安定が必要になっていた。

同時に大西洋の彼方では、北アメリカ合衆国の副大統領ウェイド氏が公開の席上でこう明言した。

奴隷制の廃止以降、資本および土地所有諸關係の変化が日程に登っている!と。

これこそ時代の兆候であって、紫衣〔王権〕での黒衣〔宗教〕でも覆い隠せるものではない。

この兆候は、明日にも奇跡が起こるだろ、ということを意味しない。

それが示しているのは、現在の社会は決して固定した結晶ではなくて、変化の可能な、そして絶えず変化の過程にある有機体だという予感が、支配階級の間にさえ目覚めている、ということである。

本書第二巻に於いては、資本の流通行程(第二部)と総生産行程(第三部)を取扱い、最終の第三巻(第四部)に於いては学説史を取扱うことになるであろう。

この著書の第二巻は資本の流通過程(第二部)と総過程の諸姿容(第三部)とを取り扱い、最後の第三巻(第四部)は理論の歴史を取り扱うであろう

科学的批判の精神に基づく一切の評価は、私の歓迎する所である。

けれども、私が未だ全て譲歩したことのない、謂わゆる興論なるものの偏見に対しては、私は依然として大詩人ダンテの格言を守る。

汝の道を進め。而して人々を彼等の言うに任せよ!

科学的批判に基づく一切の意見を歓迎する。

私がかつて一度も譲歩したことのないいわゆる世論と言われるものの偏見に対しては、あの偉大なフィレンツェ人〔ダンテ〕の標語が 、常に変わることなく私に当てはまる。

”汝の道を進め、そして人々をして語るに負かせよ!

大正十四年五月九日
ロンドンにおいて
カール・マルクス

第二版原著者序文

あとがき〔第二版〕

諸般の読者には、まず、第二版でなされた変更について報告して置かなければならない。 本書の篇章の分け方がいっそう見わたしやすくなったことは、すぐに目に付く。 追加した注は、いつでも第二版への注として明記されている。 本文そのものについて言えば、最も重要なのは次の點である。

第一章第1節では、あらゆる交換価値がそれで表現される諸等式の分析による価値の導出が、科学的に一層厳密に行われており、また、初版では暗示されただけの、価値の實體じったい と社会的要労働時間による価値の大きさの規定との関聯 かんれん が、はっきりと強調されている。 第一章第三節(価値形態)は、すでに初版の二重の叙述から見て必要とされたことであるが、全く書き換えられている。 ——ついでに言えば、この二重の叙述は、私の友人であるハノーファーのドクトル・L・クーゲルマンの勧めによったものである。 1867年の春、私が彼のもとを訪れていたとき、最初の校正刷がハンブルクから届いた。 そして、彼は、大多数の読者にとっては価値形態の補足的なもっと教師風の説明が必要だと言って、私を納得させたのである。 ——第一章の最後の節商品の物神的性格・・・は大部分で書き換えられている。 第三章第1節(価値の尺度)は綿密に修正されている。 なぜなら、初版におけるこの部分は『経済学批判』(ベルリン、1859年)ですでになされている説明を指示して粗略に取り扱われていたからである。 第七章、ことに第二節は、著しく書き換えられている。

あちこちに見られる本文の変更は、文体に関するだけのものが屢々しばしばあり、いちいち立ち入ることは無用であろう。 そのような変更は本書の全体にわたっていたるところにある。 それにもかかわらず、いま、パリで出版されつつあるフランス語譯の校訂にあたって、私は、ドイツ語原文の多くの部分いついて、ある箇所ではうより徹底的な書き換えが、他の箇所ではより大きな文体上の改訂が、あるいはまた、ときどきある書きまちがいのより綿密な取り除きが、必要であったと感じている。 そのための時間がなかった。 というのは、本書が売り切れになり、第二版の印刷は1872年1月にはもう取り掛からなければならない、という知らせを私が受け取ったのは、やっと1871年の秋のことで、差し迫った別の仕事〔国際労働者協会での闘争〕の真っ最中のことだったからである。

『資本論』が、ドイツの労働者階級の広い範囲にわたって急速に理解されだしたことは、私の仕事への最高の報酬である。 経済的にはブルジョアの立場にある人物、ヴィーンの工場主マイアー氏という人が、晋仏戦争中に刊行されたパンフレット〔『ヴィーンにおける社会問題』、ヴィーン、1871年〕のなかで適切に述べているところでは、ドイツ人の世襲財産とみなされていたあの偉大な理論的感覚が、ドイツのいわゆる教養階級からはすっかり失われていしまい、それに反してドイツの労働者階級の中で、新たに復活している、ということである。

*〔ここまでの四パラグラフは第三版(1883年)、第四版(1890年)では削られている〕。

経済学なるものは、ドイツに於いては、今日に至るまで一の外来化学となっている。

グスターフ・フォン・ギューリヒは、その著『農工商業の史的叙述』特に一八三〇年に刊行された同書の第一及び第二巻の中で、従来ドイツに於ける資本制生産方法の發達としたが って又近世ブルジョア的社会の成立とを妨げた歴史的事情を大体に亙って究明している。

要するに、ドイツには経済学の生きた地盤が欠けていたのである。

それは、出来合いの商品としてイギリス及びフランスから輸入された。

ドイツの経済学教授たちは、これを学んだ生徒に過ぎなかった。

斯くて外国の事実を学理的に表現した経済学は、彼等教授の手に依って、彼等を囲繞する小ブルヂォア的世界の意味に翻譯されたる、誤り説明されたる、ドグマの集まりに転化されてしまったのである。

経済学はドイツでは今日に至るまで外国の科学であった。

グスタフ・フォン・ギュリヒは、『・・・商業、工業、および農業の歴史的叙述』において、ことに彼の著作のうち1830年に出版された最初の二巻において、わが国で資本主義的生産様式の發展を妨げ、それゆえまた近代ブルジョア社会の建設を妨げた歴史的事情を、すでに大体において論究している。

ドイツの状況

もっとも、1850年以降は、ドイツの各領邦国家は急速に工業化され、特に石炭、鉄(後に鋼鉄)、化学薬品、鉄道が強みとなり、1871年には約4100万人であった人口は1913年には約6800万人までに増加した。

産業の發展は労働需要を高め、労働市場における賃金も上昇するため、労働者が養える子供が増加することで人口は増加する(アダム・スミス『国富論(上)』より)。

すなわち、経済学の生きた地盤が欠けていたのである。

経済学はイギリスとフランスとから完成品として輸入された。

ドイツ人の経済学者教授たちは依然として生徒であった。

外国の〔縁遠い 〕現實の理論的表現が、彼らの手で、自分たちを取り巻く小ブルジョア世界の意味で解釈された、すなわち曲解された一つの教養集に転化された。

彼等はその制すべからざる科学的無力の感じと、実際に於いて縁遠い問題につき先生顔せねばならぬという不安の意識とを学説史に関する博学の外飾の下に隠蔽しようと試みた。

又は他から得た材料を、前途有望なるドイツ官僚の志願者が浄罪じょうざい火として通過せねばならぬ諸知識の混淆こんこう 物を代表している所の官府学と称するものから借用して来た材料を、混合せしめることに依って、これを隠蔽しようと試みたのである。

科学的無力というまったくは抑えきれない感情と、実際にはうとい領域で教師ぶらねばならない良心の動揺とを、彼らは、文献史的博学という飾り物を身に着けることによって、あるいはまた、諸知識のごたまぜであらゆる官房学*1──ドイツ官僚の希望に満ちた*2候補者はこの煉獄に耐えなければならない──から借用した外来の材料を混合することによって、隠そうとした。

一八四八年以降、資本制生産はドイツに於いても急速に發達し、今や既にその投機的な開花期に達している。

而かも運命は依然として我が専門学者たちに背いている。

彼等がかつて経済学を公平無私に研究し得た時、近世的経済事情は当時未だドイツの現實には存在してらなかった。

然るに、その後この事情は出現したが、その時には最早、資本主義的視野の内部に於いてこれを公平に研究することを許さない状態の下にあった。

経済学なるものは、それがブルヂォア的である限り、すなわ ち資本制度を以って社会的生産が歴史的に通過する所の發達段階となさず、寧ろ反対に、社会的生産の絶対的にして終局的なる形態となしている限り、単に階級闘争が潜伏状態に止まっているか、又はわず 此処彼処ここかしこに現れているに止まる間のみ、一の科学となって居れるに過ぎぬのである。

1848年以来ドイツでは資本主義的生産が急速に發展し、今日ではすでに資本主義的生産のまやかしの花を咲かせている。

だが、運命は相変わらずわが専門家たちには与しない。

彼らが、とらわれることなく経済学に携わることができた間は、ドイツの現實には近代的な経済的諸關係が欠けていた。

このような諸關係が生まれたときには、ブルジョア的視野のなかでは、もはや、それらのとらわれない研究が許されないような諸事情になっていた。

資本主義的生産過程によりドイツが急速に發展したことで、それまで近代的経済学の自由な研究に携わっていたドイツ経済学者は、もはやブルジョワ的視點にとらわれない経済学研究は許されなくなってしまった。

経済学がブルジョア的であるかぎり、すなわち、資本主義的秩序を社会的生産の歴史的に一時的な發展段階とととらえないで、反対に、社会的生産の絶対的で究極的な姿態ととらえる限り、経済学が科学でありうるのは、ただ、階級闘争がまだ潜在的であるか、またはただ個別的現象として現れているにすぎない間だけのことである。

資本主義的生産秩序が、歴史的に絶対的なもの(永続的な価値をもつもの)とすると、経済学を社会科学として研究するのは、資本家と労働者の階級闘争が大きな社会変革として現實に發生していない間だけである。

社会変革が起これば、資本主義経済学はその意義を失うため研究する必要性はなくなる。

例えば、イギリスを例にさぐろう。

イギリスの正統派経済学は、階級闘争が未だ發達しなかった時代のものである。

然るにその最終の偉大なる代表者リカルドは、遂に階級的利害の対立を、労銀《労賃》と利潤、利潤と地代との対立を素朴に自然律と見做して、これを意識的に彼の研究の出發點たらしめたが。

が、それと共に又、ブルヂォア的経済学は打越え難き限界に到達した。

斯くてリカルドの存命中にも既に、ブルヂォア的経済学はリカルドに反抗して起こったシスモンヂから批評を受けることになったのである()。

(一)拙著『経済学批判』第三九頁を見よ。

イギリスをとってみよう。

イギリスの古典派経済学は、階級闘争が未發展の時期のものである。

その最後の偉大な代表者たるリカードウは、階級的利害の対立、すなわち労賃と利潤との対立、利潤と地代との対立を、素朴にも社会的な自然法則ととらえることによって、ついに意識的に、この対立を彼の研究の出發點にするのである。【解説】

リカードウは、著書『経済学および課税の原理』の中で、投下労働が交換価値を生み出すという投下労働価値説を確立した。

しかし、それとともにまた、ブルジョア経済学は乗り越ええない制限に到達した。

まだリカードウの存命中に、しかも彼に対立して、シスモンディという人物の姿をとって、批判がブルジョア経済学に向けられたのである

(1)

私の著書『経済学批判』、39頁〔邦譯『全集』、第13巻、46頁〕を見よ。

続いて一八二〇年から三〇年に至る時代が、イギリスに於いては経済学部面の科学的活気を以って秀でた時代であった。

これに正にリカルド説の俗化及び普及の時代であるとと共に、又、旧派に對するリカルド説の抗争時代でもあった。

許多あまたの素晴らしい試合が行われた。

而かもこの当時の出来事は、ヨーロッパ大陸には殆んど知られなかった。

なぜならば、この論戦は多くは評論雑誌の論文や、際物きわもの図書や、パンフレットなどに散らばっていたからである。

リカルド説は当時すでに、ブルヂォア的経済に對する攻撃の武器として使用されることは稀にはあった。

然しこの時代に於ける論戦のおおう所なき特徴は、当時の状態に依って説明しうるものである。

一方に於いて、当時の近世的大工業はようやくその幼少期を脱したばかりのところであった。

それは、一八二五年の恐慌と共に初めて大工業が近世的生活の周期的循環を開始したという事実によって示される所である。

他方に、資本と労働との階級闘争は、政治上には神聖同盟を中心として集まった諸政府及び封建諸侯と、ブルヂォアの手に引率された多数民衆との間に軋轢に依り、又、経済上には貴族の土地所有に對する産業資本の抗争——フランスに於いては、大地主と小地主との対立の蔭に隠れ、イギリスに於いては穀物条例以後公然と爆發するに至った所の——に依って、依然背後に押し込められていた。

この時代に於けるイギリスの経済学文献は、ドクター・ケネーの死後に於けるフランスの経済的激動期を彷彿たらしむるものがあった。

けれども、それは小春日和が春を偲ばむしむる如きものに過ぎなかった。

斯かる間に、一八三〇年を以って最終決定の危機が始まったのである。

これに続く1820──1830年の時代は、イギリスでは、経済学の領域での科学的活気によって特徴づけられる。

それは、リカードウ理論の俗流化と普及の時間であるとともに、旧学派とのそれの闘争の時期でもあった。

いくつもの華々しい試合が行われた。

当時なされたことは、ヨーロッパ大陸ではあまり知られていない。

というのは、その論争の対部分が、雑誌論文や時事問題書やパンフレットでばらばらにおこなわれたからである。

この論争のとらわれるところのない性格は──リカードウ理論は例外的にはすでにブルジョア経済に對する攻撃武器として用いられているのではあるが──当時の事情から説明できる。

一方では、大工業そのものがやっと幼年期を脱したばかりであって、そのことは、1825年の恐慌をもって大工業が初めてその近代的生活の周期的循環を開始していることによって、すでに証明されている。

資本主義経済では、生産・消費の国家管理が行われないので、常に好景気と不景気の波が生じる。

好景気→設備投資→需要増加→生産過多→価格下落→生産抑制→倒産・失業の増加→需要低下→不景気という周期的循環が起こる。

大工業が誕生したイギリスでは、この循環による過剰生産によって1825年に初めて恐慌が起こり、以降10年ごとに不況を経験している。

他方では、資本と労働との間の階級闘争も、政治的には、神聖同盟*1のまわりに集まった諸政府や封建諸侯と、ブルジョアジーにひきれられた国民大衆との間の抗争によって、経済的には、産業資本と貴族的土地所有との対抗によって、まだ後方に押しやられていた。

このあとの方の対抗は、フランスでは分割地所有と大土地所有との対立の背後に隠れていたが、イギリスでは穀物法*2以来公然と爆發した。

イギリスの経済学文献は、この時代には、ドクトル・ケネーの没後のフランスにおける経済学の疾風怒濤時代を思い起こさせるが、しかしそれは小春日和が春を思い起こさせるよなものに過ぎない。

1830年になって、最終的に決定的な危機がやってきた。

ブルヂォアは既にフランス及びイギリスに於いて、政権を奪い取った。

その時以後、階級闘争は実際上にも学理上にも、ますます公然たる脅威的の形を採るようになった。

それは科学的なるブルヂォア経済学の弔鐘ちょうしょうを鳴らすことになったのである。

斯くて最早、いづれの定理が正しいか正しくないかということでなく、いづれの定理が資本にとって有利であるか有害であるか、便利であるか不便であるか、警察令違反的であるかいなめ いか、ということが問題となってきた。

それでも、工場主コブデン及びブライトに依って統率された穀物条例反対同盟から濫發された所の、押しつけがましいパンフレット類でさえ、土地所有貴族に對する論戦に依って、科学的関心は兎も角、少なくとも歴史的関心の対象となったのである。

然るに、サー・ロバート・ピール以後の自由貿易主義立法者は、ブルヂォアの俗学的経済学から、この最後の刺針をも引き抜いてしまった。

ブルジョワジーはフランスとイギリスではすでに政権を奪取していた。

そのときから、階級闘争は実践的にも理論的にも、ますます公然とした威嚇的な形態をとってきた。

それは科学的なブルジョア経済学の弔いの金を鳴らした。

いまや問題なのは、もはや、この定理が正しいかではなく、それが資本にとって有益か有害か、好都合か不都合か、反警察的であるかそうでないか、ということであった。

経済理論としての真偽ではなく、土地所有者や資本家の利害と正義によって判断される、人間の内面的諸問題となっていた。

先述のとおり、資本主義生産過程の是非をめぐる人間の心情的な闘争がはじまったといえる。

私利を離れた研究に代わって、金で雇われた論難攻撃が現れ、とらわれない科学的研究に代わって、弁護論の非良心と悪意とが現れた。

私利を離れた研究がなくなっても、一方で科学的な公平性を欠く誹謗中傷合戦が行われた。

しかし、工場主のコブデンやブライトを先頭とする穀物法反対同盟が世間に散布したおしつけがましパンフレット類でさえ、土地所有貴族に對するその反駁によって、たとえ科学的関心はひかなくとも歴史的関心はひいた。

この最後の刺でさえ、サー・ロバート・ピール以来の自由貿易立法は、俗流経済学からとりさってしまった。

一八四八年のヨーロッパ大陸革命は、イギリスへも反應した。

そこで尚未だ学問的格式を放棄することもなく、支配階級の単なる詭弁論者又は阿諛あゆ者たることを以って満足しない人々は、資本の経済学を常時既に無視し あた はざるまでに發達していたプロレタリアの要求に一致せしめようとした。

斯くしてジォン・スチュアート・ミルを最良の代表者とする一の気の抜けた混合主義が生じて来たのである。

これ正にブルヂォア的経済学の破産を宣告したものである。

ロシアの大学者にして大批評家なるニコライ・チェルニシェフスキーは、その著『ミルに従える経済要論』の中で、早くもこの事実の上に名工的な光明を投じた。

大陸における1848年の革命はイギリスにもはねかえってきた。

1848年革命は、1848年からヨーロッパ大陸各地で起こり、ウィーン体制(ナポレオン戦争後の体制)が崩壊した革命。

この革命はそれまでの革命とは異なり、以前のブルジョワジー主体の市民革命からプロレタリアート主体の革命へと転化した。

科学的意義ををなお自負し、支配階級の単なる詭弁化や追従者以上のものになろうとした人々は、資本の経済学をプロレタリアートの今やもう無視しえない諸要求とと調和させようとした。

そこで、ジョン・スチュアート・ミルによってもっともよく代表されている、無気力な折衷主義が現れたのである。

これはブルジョア経済学の破産宣告であって、それは、ロシアの偉大な学者であり批評家であるN・チェルヌイシェーフスキーがその著作『ミルによる経済学概説』〔副島種典譯『J・S・ミル 経済学原理への評解』、上、下、岩波書店〕の中でみごとに解明しているところである。

斯くの如く、ドイツに於ける資本制生産方法は、この生産方法の矛盾性が既にフランス及びイギリスに於いて歴史的闘争のためやかま しく表面に現れた後、成熟状態に達したのである。

と同時に、ドイツのプロレタリアはブルヂォアに比して既に遥か確乎かっこたる学理的階級意識を有していた。

斯くしてドイツのブルヂォア的経済学は、それが可能となった如く見え始めるや否や、また不可能となってしまったのである。

したがって、フランスやイギリスで資本主義的生産様式の敵対性格が、すでに歴史的諸闘争によっり、耳目を驚かせて露呈された後に、ドイツでこの生産様式が成熟に達したのであるが、その時にはすでに、ドイツのプロレタリアートはドイツのブルジョアジーよりもはるかに明確な理論的階級意識をもっていた。

それゆえ。学問としてのブルジョア経済学がドイツにおいて可能になるかと見えたときに、それはふたたび不可能となってしまった。

結局、ドイツの資本家、ブルジョアジーは資本主義的生産様式を身に着ける前に、プロレタリアートの方が先に経済的な理論的階級意識を明確にしたため、ドイツ独自のブルジョア資本主義が發展することはなかった。

斯かる状態の下に、ドイツに於けるブルヂォア的経済学の代弁者は二つの組に分かれた。

一は怜悧れいりにして営利心強き実際家たちであって、此等の人々は俗学的経済学の弁護術に於いて最も浅薄せんぱく な、それ故に又、最も成功した代表者バスチアの旗下きかつどった。

他は自己専門の学問につき教授たるの尊厳を誇る人々であって、彼等は調和し得ざること調和せしめんとする企図に於いて、ジォン・スチュアート・ミルに随従ずいじゅう したのである。

斯くしてドイツ人は、ブルヂォア的経済学の隆昌期りゅうしょうき に於ける如く衰減期に於いても亦、依然として単なる生徒たり、模倣者たり、随従者たり、外国卸商の小行商人たるに止まっていた。

このような事情のもとでブルジョア経済学の代弁者たちは二派に分かれた。

一方の、抜け目がなく利にさとい実際的な人々は、俗流経済学的弁護論の最も浅薄な、それゆえ最も成功した代表であるバスティアの旗のもとに集まった。

自分たちの学問の教授的威厳を誇りとするもう一方の人々は、調和できないものを調和させようとするJ・S・ミル の試みに追随した。

ブルジョア経済学の古典時代におけると同じように、その崩壊時代においても、ドイツ人は依然として、単なる生徒、受け売り人であり、追随者に過ぎず、外国の大商会の単なる小行商人に過ぎなかった。

斯くの如く、ドイツ社会独自の歴史的發達は、『ブルヂォア的』経済学の一切の独創的な感性を不可能たらしめたが、批判の方面に於いては、そうでなかった。

蓋し、ブルヂォア経済学の批判は、それがいやしくも一の階級を代表する限り、資本制生産方法の顚覆てんぷく と階級そのものの終局的廃止とを歴史的使命とする所の階級たるプロレタリアのみを代表し得るからである。

したがって、ドイツ社会の固有の歴史的發展は、この国でのブルジョア経済学の独創的育成を一切排除したが、しかしこの経済学に對する批判の方は排除しなかった。

そもそもこのような批判がある階級を代表する以上は、それが代表できるのはただ、資本主義的生産様式の変革と諸階級の最終的廃止とをその歴史的使命とする階級——プロレタリアート——だけである。

ドイツに於けるブルヂォアの代弁者たる学識ある者も無き者も、過去に於ける私の述作に対してなし得たが如く、『資本論』に対しても同様に黙殺的の態度を採ろうとした。

然るに、この戦術が最早時宣に適しなくなるや否や、彼等は私の著述を批判するという口実の下に『ブルヂォア的意識をやすんぜしめる』処方箋を書いたのである。

而も彼等は労働者の新聞雑誌に於いて(例えば『フォルクス・シュタート』紙に於けるヨゼフ・ヂーッゲンの論文を見よ)力の優った挑戦者を見出した。

彼等は今日に至る迄、此等の挑戦者に対して答弁を借り放しにしているのである

ドイツに於ける俗学的経済学の飾限的な空談者どもは、拙著の書き振り及び表現を非難している。

『資本論』の文章上の欠點あらについては、私自身ほど適切にこれを非難し得る者はいないのである。

が、此等の空談先生及び彼等の読者たちに利用と喜びとを与えるため、ここにイギリス及びロシアの批評を一つあてつ挙げよう。

私の見地と全く反対の立場に立っている『サターデー・レヴィユー』誌は、『資本論』ドイツ初版に對する批評の中でいった。——『資本論』の表現は『最も乾燥な経済学上の問題に、一種特別の魅力を与えている』と。

また『サンクト・ペテルブルグスキー・イエドモスチ』誌は一八七二年四月廿日はつか發行の紙上に述べて曰く、『彼れの表現は、過度に専門的な僅少きんしょう の部分を除けば、科学上複雑なる主題を取り扱っているに拘らず、平明と非常なる活気とを特色としている。この點に於いて、著者は決して・・・ドイツに於ける多数の学者とせん を同じうするものでない。・・・蓋し彼等の著書はすこぶ晦渋かいじゅう な乾燥した言葉を以って綴られ、普通の人間では頭脳を砕かれてしまう』と。

然しドイツ流行の国民的自由主義的な教授たちの著書の読者にとっては頭脳とは全く異ったものが砕かれることになるのである。

ドイツのブルジョアジーの代弁者たちは、学者も無学の者も、私の以前の諸著書について成功したのと同じやり方で、『資本論』を差し当たり黙殺しようと試みた。

この戦術がもはや実情に合わなくなったとき、彼れらは、私の著作を批判するという口実で、ブルジョア意識の鎮静のための処方箋を描いたのであるが、しかし、彼れらが労働新聞社の誌面に見出したもの——例えば『フォルクスシュタート』紙のヨーゼフ・ディーツゲンの諸論文 *1をみよ——は彼れらにまさる戦士たちであり、これに対して彼れらは今日までまだ答弁をしないままでいる (1

ドイツの俗流経済学の冗長な退屈なおしゃべり屋たちは、私の著書の文体や叙述をののしる。

『資本論』の文章上の欠陥を私自身以上に厳格に判断しうるものは誰もいない。

それにもかかわらず私は、これらの諸君や彼れらの読者のひら くために、ここにイギリス人とロシア人の判断を一つづつ引用しよう。

私の見解にはまったく敵対的な『サタデイ・レヴュー』は、ドイツ語初版の紹介の中で、こう言った。

もっとも無味乾燥な経済的諸問題にさえ一つの独自な魅力を与えていると。

『サンクト-ペテルブルスキエ・ヴェードモスチ』(ペテルブルク新聞)はその1872年4月20日号で、とりわあけ次のように述べている。

叙述は、少数のごく特殊の部分を別とすれば、一般に理解しやすいこと、明瞭なこと、そして対象の高度の科学性にもかかわらずなみなみならず生き生きとしていること、によって特徴づけられている。この點で著者は・・・普通の人間ならそのために頭が破裂しそうになるほどあいまいで無味乾燥な言葉で著書を書いている・・・多くのドイツの学者たちとは比べものにならないと。

だが、当今のドイツ国民自由党 *2の教授式文献の読者たちにとっては、頭とはまったく別のなにかが破裂するのである。

『資本論』の優秀なるロシア譯本が、一八七二年の春ペテルスブルグで發行された。

而してその第一版三千部は既に殆んど売切れとなった。

これよりさきに 、キエーヴ大学経済学教授ニコライ・ジーベル氏は、既にその著『価値及び資本に関するリカルドの学説』の中で、私の価値説、貨幣説及び資本説は、根底に於いてスミス・リカルド説の必然的完成であるという論証を与えた。

西部ヨーロッパの人々がこの純真なる著書を読んで驚くことは、著者が純学理上の立場を一貫して固く把持はじしているという一事である。

『資本論』のすぐれたロシア語が1872年の春にペテルブルクで刊行された。

3000部の版がいまではもうほとんど売り切れている。

すでに1871年に、キエフ大学の経済学教授N・ジーベル氏は、その著書『D・リカードウの価値および資本にかんする理論』において、価値、貨幣、および資本にかんする私の理論が、その大綱において、スミス=リカードウ学説のの必然的な継承發展であることを論証した。

彼れの堅実な著書を読んで西ヨーロッパが驚くのは、純粋に理論的な多胎場が首尾一貫して堅持されていることである。

『資本論』に應用した方法は、殆んど理解されて居らぬ。

それは、此について幾多の相矛盾した見解が行われているのを見ても知り得る所である。

『資本論』で用いられた方法は、すでにいろいろと相互に矛盾した解釈がそれについてなされていることで証明されているように、あまり理解されていない。

例えば、パリの『レヴー・ポジヴィスト』誌は私を非難して曰く、マルクスは一方に、経済学を形而上学的に取扱うと共に、他方に(どうしたかと言えば)与えられた事実に対して単なる批判的の分析を与うるに止まり、将来という一品料理屋のために処方(コント主義的の?)を作成して居らぬと。

この形而上学云々の批難に対して、ジーベル教授は曰く、『厳密の学説的方面について言う限り、マルクスの方法なるのものは、総べての卓絶した理論的経済学者に共通するところの長所短所を有しているイギリス学派全体に依って用いられた演繹方法に外ならぬ』と。

ブロック氏は『ドイツに於ける社会主義理論家』(『エコノミスト』誌一八七二年、七、八月号よりの抜粋)の中で、私の方法が分析的であるという發見をなして曰く『マルクス氏はこの著に依って、分析主義学者として卓絶した地位を占むるに至った』と。

ドイツの評論は、言う迄もなく私の『ヘーゲル式詭弁学』をやかましく喋々ちょうちょうしている。

ペテルスブルグの『キエストニーク・エゥロープイ』誌(一八七二年五月号第四二七乃至四三六頁)は専ら『資本論』の方法を論評した一論文の中で、マルクスの研究方法は厳密に現實主義的であるが、表現方法は不幸にしてドイツ流弁証法的であることを發見したと言っている。

同誌は曰く、『表現の外観に依って判断すれば、マルクスは一見如何にも最大の理想主義哲学者、而もドイツ流の悪い意味の理想主義哲学者であるように見える。が、実際のところ、彼では経済学批判の労作に於いては一切の先行者よりも無限にヨリ多く現實主義的である。

・・・彼れは決して理想主義者と名づけられる人ではない』と。

たとえば、パリ・・ジティヴィスト〔コンオtの実証主義哲学の支持者たち〕の評論誌〔『ラ・フィロゾフィー・ポジティーヴュ』〕は私に対して、一方では、私が経済学を形而上学に取り扱っていると言い、他方では──なんと!──私が与えられた事実を単に批判的に分解するだけで、未来の大週簡易食堂のための調理法(コント流の?)を買いていないと言って、非難を浴びせている *1

形而上学だという非難にたいしては、ジーベル教授は次のように述べている──

本来の理論にかんする限り、マルクスの方法はイギリスの学派全体の演繹法であって、その欠點あら も長所も最良の理論経済学者たちに共通のものである *2

M・ブロック氏──『ドイツにおける社会主義の理論家たち。ジュルナル・デ・ゼコノミスト1872年7月号および8月号からの抜粋』〔パリ、1872年〕──は、私の方法が分析的であることを發見して、とりわけ次のように言っている──

この著作によってマルクス氏はもっともすぐれた分析的思想家の列に入る。

ドイツの評論家たちは、もちろんヘーゲル的詭弁だと非難の叫びをあげた*3

ペテルブルクの『ヴェーストニク・エブロープイ』(ヨーロッパ報知)は、もっぱら『資本論』の方法を取り扱った一論文 *2(1872年5月号、427-436ページ)において、私の研究方法は厳密に実在論的であるが、叙述方法は不幸にもドイツ的弁証法的であることを見出している。

同誌は次のように言っている──

一見したところ、叙述の外的形式から判断すれば、マルクスは最大の観念論哲学者であり、しかも、この言葉のドイツ的な意味で、すなわち悪い意味で、そうなのである。だが実際には、彼れは、経済学批判の仕事での彼れのすべての先駆者よりも、無限にもっと自在論者である。・・・彼れを観念論者と呼ぶことはどうしてもできない

この論文の筆者に対しては、彼れ自身の批評の中から若干の點を抜粋するよりもいい上に適当な答弁を与えることは出来ぬ。

尚また、この抜粋はロシア原文を手にし得ざる多くの読者諸君にとって興味あることでもあろう。

私はこの筆者にたいして、彼れ自身の批判からのいくつかの抜粋によって答える以上に、うまく答えることはできない。

そのうえ、これらの抜粋は、ロシア語原文を手に入れることができない多くの私の読者にも興味のあるところであろう。

彼れは拙著『経済学批判』の序文(私の方法の唯物論的基礎を論述したもの)から、一の引用を与えた後、語を続けて言った。——

『マルクスにとっては、研究の対象たる諸現象の法則を發見すると言う一點のみが縦横であった。而も彼れにとって重要となったものは、此等の現象が一の完成された形態を有し且つ与えられたる歴史的期間の範囲内に見られる如き相互連絡を保つ限りにおいて支配を受ける所の法則だけではない。更らに、此等の減少の法則、すなわ ち一の形態から他の形態への、一組の相互連絡關係から他の一組の相互連絡關係への経過こそ、彼れにとっては何より先づ第一に重要な問題なのである。彼れは一度びこの法則を發見するや否や、それが社会的生活のうちに結果となって現れる所のものを仔細に研究する。・・・したが ってマルクスは左の一事についてのみ努力することになる。それはすなわ ち、厳密なる科学的研究に依って、社会的事情の特定的秩序の必然性を論証し、でき得る限り公平に彼れの研究の起點たり支持點たるべき事実を確定するということである。それには、現在に於ける秩序の必然性と同時に、この秩序が不可避的に移りゆくべき他の秩序の必然性をも論証すれば十分であって、斯かる必然性を人類が信ずるか否か、意識しているか否かということは、あえ て問う所でないのである。マルクスは社会的の運動を以って、単に人類の意志、意識及び意向から独立するというのみでなく、寧ろ人類の欲求、意識及び意向を決定する所の法則に依って支配される自然史的の一行程なりとしている。・・・意識的の要素が文化史上斯く従属的の役目を演ずるに過ぎぬとすれば、文化それ自体を対象とする所の批判的研究に於いては殊に、意識の何等かの形態又は結果を研究の基礎として得ざることは自明の事実である。すなわ ちこの批判的研究の起點となり得るものは、観念ではなく外部的の現象のみである。斯かる批判的研究の任務は、一の事実を、観念に対してではなく、他の事実に対して比較対照することに限られるであろう。この研究にとって重要なことは、甲乙二個の事実をば出来得る限り厳密に検覈 けんかく し、 甲が乙に対して事実上同一進化の相異った要素となっていることを發見するにある。殊に最も重要なことは、各秩序の順序を、斯かる進化の各段階が依って現れる所の前後の順序及び連絡を、更らに劣る所なく厳密に究明するという一事である。然しながら、人或は言うであろう。経済生活上の普遍律なるものは、それが現在に應用されるとを問わず、総べて同一のものであると。これこそ、マルクスが否認せんとする所のものである。マルクスに依れば、斯かる抽象的の法則は存在して居らぬのである。・・・彼れに依れば、寧ろ反対に、歴史的の各時代はそれ自身の法則を有している。・・・人類の生活なるものは、一定の發達期を越えるや否や、すなわ ち一の段階から他の段階に進み入るや否や、従来に於けるとは異った法則に依って支配され始める。一言以ってこれを覆えば、人類の経済的生活は生物学の他の諸部門に於ける發達史と類似の一現象を呈するものである。旧来の経済学者が経済上の法則をば物理化学上の法則に擬したことは、これ取りも直さず、経済法則の性質を全く誤解したものである。・・・現象をヨリ深く分析することに依って、社会的の各有機体は——動物有機体に於けると同じく——根本的に相区別されるものであることが知られる。・・・しかのみならず、各有機体はその全構造を異にし、個々の器官も相一致することなく、斯かる器官の作用する条件も亦異っているために、同一の現象も全く相異なった法則の支配を受けるようになるのである。

私が、私の方法の唯物論的基礎を論じた『経済学批判』(ベルリン、1859年)の私の序文からのひとつの引用(Ⅳ-Ⅶページ〔邦譯『全集』、第13巻、6-7ページ〕)をしたあとで、この筆者はさらに続けて論じている。

「 マルクスにとってはただ一つのことだけが重要なのである。彼れがその研究に携わっている諸現象の法則を發見すること、がそれである。

しかも、彼れにとって重要なのは、諸現象が一つの完成形態を持っている限りにおいて、またある与えられた期間内に見られる一つの連関のなかにある限りにおいて、それらの諸現象を支配している法則だけではない。

彼れにとって、さらになによりもまず重要なのは、諸現象の変化とそれらの發展の法則、すなわち、ある形態から他の形態への移行、連関の一つの秩序から他の秩序への以降の法則である。

ひとたびこの法則を發見するや、彼れは、この法則が社会的生活の中でみずからを著す諸結果を詳細に研究する。

・・・このことに應じて、マルクスが苦心するのは、ただ一つのこと、すなわち、正確な科学的研究によって社会的諸關係の一定の諸秩序の必然性を立証し、彼れのための出發點および視點として役立つ諸事実をできる限り非の打ちどころのないまでに確定することだけである。

このためには、彼れが現在の秩序の必然性を論証すれば、それでまったく十分なのであって、人々がそんことを信じるか信じないか、意識するかしないかにはまったくかかわりがないのである。

マルクスは社会の運動を、諸法則──すなわち人間の意志や意識や意図から独立しているのではなく、むしろ逆に、人間の意欲や意識や意図を規定する諸法則──によって支配される一つの自然史的過程とみなしている。

・・・意識的要素が文化史におい7てこのように従属的役割を演じるとすれば、文化そのものを対象とする批判が、意識のなんらかの形態またはなんらかの結果をその基礎とすることはとうていできない、ということはおのずから明らかである。

すなわち、この批判にとっては、理念ではなくただ外的現象だけが出發點として役立ちうる。

この批判は、一つの事実を、理念とではなく他の事実と比較し対比することに限定されるであろう。

この批判にとって重要なのは、両方の事実ができる限り正確に研究され、現實的にそれぞれ一方の事実が他方に対して異なる發展契機にをなす、ということとだけであるが、しかしとりわけ重要なのは、それに劣らず正確に、諸秩序の序列が探求されること、發展諸段階がそのなかで現われる連続と結合とが探求されること、である。

〔諸秩序の序列が以下は、カウフマンの原文ではこれらの發展段階がその中で現われる順序、連続および結合が探求されることであるとなっている〕〔・・・〕しかし、次のように言う人もいるであろう。

〔・・・〕経済活動の一般的諸法則は同一のものであって、人がそれらを現在に適用するか過去に適用するかとは、なんのかかわりもない、と。

これこそまさにマルクスの否定するところである。

彼れによれば、そのような抽象的な諸法則は実在しない。

彼れの見解によれば、それとは反対に、歴史上のそれぞれの時代がそれぞれの独自の諸法則をもっている。

・・・生活が、与えられた一つの發展時代を経過してしまって、与えられた一段階から他の段階に移行するやいなや、それはまた別の諸法則によって支配され始める。

一言でいえば、経済生活は生物学という他の領域における發展史に似た現象を、我々に示す。

・・・旧来の経済学者たちは、経済的諸法則を物理学や化学の諸法則と同様なものと考えたので、経済的諸法則の性質を理解しなかった。

・・・諸現象をより深く分析すると、もろもろの社会有機体も、植物有機体や動物有機体と同じように、互いに根本的に異なるものであることが証明された。

・・・まったく同じ現象でも、これらの諸有機体の構造全体の相違、等の結果、全く異なる諸法則に従う。」

『マルクスは例えば、人口律なるものは総べての時代、総べての場所を通じて同一であるという説を否認する。彼れは寧ろ反対に、各發達段階はそれ自身の人口律を有っていると説くのである。・・・生産力の發達が異なれば、それにつれて社会的事情及びこれを支配する所の法則も亦異なって来る。マルクスがこの見地からして資本主義経済制度を研究し説明すべき標的を立てたのは、これ畢竟 ひっきょう 、経済生活の正確なる研究に欠くべからざる標的を厳正科学的に樹立したことに外ならぬのである。・・・斯かる研究の科学的価値は、与えられたる社会的有機体の發生、存在、發達、及び死滅と、他のヨリ高級なる社会的有機体に依る代置 だいち とを規制する所の特殊法則を開明した點に在る。而してマルクスのこの著述は実に、斯かる科学的価値を有するものである。』

「 たとえば、マルクスは、人口法則がすべての時代、すべての場所で同一であるということを否定する。

反対に、彼れは、そのぞれの發展段階はそれぞれ独自の人口法則をもつ、ということを確信する。

・・・生産力の發展が異なるにつれて、諸關係も諸關係を規制する諸法則をもつ、ということを確言する。

マルクスは、自分自身に対して、この観點から資本主義的経済秩序を研究し説明するといいう目標を提起することによって、ただ、経済生活の正確な研究がいずれも持たざるをえない目標を、厳密に科学的に定式化しているだけである。

・・・このような研究の科学的価値は、ある与えられた社会有機体の發生・現存・發展・死滅を規制し、またそれと他のより高い社会有機体との交替を規制する特殊な諸法則を解明することにある。

そして、このような価値をマルクスの著書は実際にもっているのである。」

評者は彼れがマルクスの真の研究方法と呼ぶ所のものを斯く剴切がいせつに又——この研究方法に関する私自身の應用について いえば——斯く好意を以って、描述 びょうじゅつされたものは、そもそも弁証法的研究方法以外の何ものであったか?

この筆者は、私の現實的方法と彼れが名付けるものを、このように的確に描き、その方法の私個人による適用に関する限り、このように好意的に描いているのであるが、こうして彼れの描いたものは、弁証法的方法以外のなんであろうか?

勿論表現方法は、形式の上からいえば研究方法とは異ったものでなければならぬ。

研究方法に於いては材料を細大さいだいれなく採り集め、その様々の發達形態を分析し、此等の形態の内部的紐帯 ちゅうたいを探求すべきである。

而してこの仕事が完了した後、初めて現實の發達運動を適当に表現することが出来るのである。

これがなし遂げられて、材料の生命が観念上に反對する時、問題はさながらアプリオリ的に組み立てられたかの如く見えるかも知れぬ。

もちろん、叙述の仕方は、形式としては、研究の仕方と区別されなければならない。

研究は、素材を詳細にわがものとし、素材のさまざまな發展諸形態を分析し、それらの發展諸形態の内的紐帯 ちゅうたい をさぐりださなければならない。

この仕事を仕上げてのちに、はじめて、現實の運動をそれにふさわしく叙述することができる。

これが成功して、素材の生命が観念的に反映されれば、まるである”先験的な”構成とかかわりあっているかのように、思われるかもしれない。

私の弁証法的方法は、単に根本に於いてヘーゲル流のそれとは異なるのみでなく、また正反対のものである。

ヘーゲルにとっては、思惟行程——彼れは更らにこの行程を観念と呼んで独立の主体たらしめたのであるが——は現實世界の創造主であって、現實はただ思惟行程の外部現象に過ぎぬ。

これに反して、私の立場から見れば、観念世界なるものは畢竟するところ、人類の頭脳の内で変更され翻譯された物質世界に外ならぬのである。

私の弁証法的方法は、ヘーゲルのそれとは根本的に異なっているばかりでなく、それとは正反対のものである。

ヘーゲルにとっては、彼れが理念とという名のもとに一つの自立的な主体に転化しさえした思考過程が、現實的なものの創造者であって、現實的なものはただその外的現象をなすにすぎない。

私にとっては反対に、観念的なものは、人間の頭脳のなかで置き換えられ、翻譯された物質的なものにほかならない。

ヘーゲル式弁証法の神秘的方面については、今をへだてること殆んど三十年前、すなわ ちヘーゲル弁証法が尚流行していた地代に、私はこれを批判した。

然るに私が『資本論』第一巻を書いていた当時、今日教化されたドイツに於いて巾を利かしている所の、きむづかしい、横柄な、凡庸な口真似学者たちは、かつ てレッシングの時代に勇敢なるモゼス・メンデルスゾーンがスピノザを取扱ったのと同じ様に、『死んだ犬』としてヘーゲルを待遇することに満足を感じていた。

私が大思想家ヘーゲルの門人なりとみづから公言し、おまけに価値説を取り扱った章の此処彼処ここかしこで、わざと彼れ独特の口吻こうふん を弄んだ所以は茲にある。

弁証法はヘーゲルの手で神秘化されたとはいえ、この事実は決してヘーゲルが弁証法の作用する一般的形態を、包括的に且つ意識的に表現した最初の学者であることを妨げるものでない。

弁証法は、ヘーゲルに於いて逆立ちしている。

我々は神秘の外殻の内に合理的の核心を見出すため、この逆立ちした弁証法を更らに顛倒てんとうせしめねばならぬ。

ヘーゲル弁証法が〔事物を〕神秘化する側面を、私は30年ほど前に、それがまだ流行していた時代に批判した。

ところが、私が『資本論』第一巻を仕上げようとしていたちょうどそのときに、いま教養あるドイツで牛耳をとっている、不愉快で不遜な亜流ども〔ビュヒナー、デューリングなどをさす〕が、ちょうどレッシングの時代に勇ましいモゼス・メンデルスゾーンがスピノーザを取り扱ったように、すなわち死んだ犬として、ヘーゲルを取り扱って得意になっていた。

それゆえ私は、自分があの偉大な思想家の弟子であることを公然と認め、また価値理論にかんする章のあちこちで、彼れに固有な表現様式にこび を呈しさえした。

弁証法がヘーゲルの手の中でこうむっている神秘化は、彼れが弁証法の一般的な運動諸形態をはじめて包括的で意思的な仕方で叙述したということを、決して妨げるものではない。

弁証法はヘーゲルにあっては逆立ちしている。

神秘的な外皮のなかに合理的な核心を發見するためには、それをひっくり返さなければならない。

弁証法は神秘化された形態を以ってドイツの流行となった。

それは現存の事態に巧妙あらしむるものの如く見えたからである。

反対に、合理的の姿に於ける弁証法は、ブルジォア及びその偏理的代弁者たちにとって苦悩となり恐怖となるものである。

なぜならば弁証法なるものは、現存事態に對する肯定的理解の中に、現存事態に對する否定的の理解をも、必然的消滅の理解を含めているからである。

それは歴史的に生成した一切の形態をば、不断流動しつつあるものとして、経過的の方面から観察し、何ものにも怖れることなく、本質において批判的、革命的たるが故である。

その神秘化された形態で、弁証法はドイツの流行となった。

というのは、それが現存するものを神々こうごうしいものにするように見えたからである。

その合理的な姿態では、弁証法は、ブルジョアジーやその空論的代弁者たちにとっては、忌まわしいものであり、恐ろしいものである。

なぜなら、この弁証法は、現存するものの肯定的理解のうちに、同時にまた、その否定、その必然的没落の理解を含み、どの生成した形態をも運動の流れのなかで、したがってまたその経過的な側面からとらえ、なにものによっても威圧されることなく、その本質上批判的であり革命的であるからである。

資本制社会の矛盾に満ちた運動は、近世産業の通過する周期的循環の転変てんぺん及びその絶頂たる一般的恐慌を通して、実際的ブルヂォアの心裡に極めて痛切に印象される。

この恐慌は今また——まだ初期の状態に止まっているとはいえ——すでに進行しつつある。

それは舞台の多方面なることと、影響の強烈なることとに依って、神聖なるプロイセン的ドイツ新帝国の僥倖たちの頭脳にも追々と弁証法を仕込むことになるであろう。

資本主義社会の矛盾に満ちた運動は、実際的なブルジョアには、近代産業が通過する周期的循環の浮沈においてもっとも痛切に感じられるのであって、この浮沈の頂點が──全般的恐慌である。

この全般的恐慌は、まだ前段階にあるとはいえ、ふたたび進行中であって、その舞台の全面性によっても、その作用の強さによっても、神聖プロイセン=ドイツ新帝国の成りあがり者たちの頭にさえ弁証法を叩き込むことであろう

〔フランス語版への序言とあと書き〕

市民モリス・ラシャートルへ

親愛なる市民

『資本論』の翻譯を逐次刊行の分冊で發行するというあなたのお考えに私も賛成です。

この形式によれば、この著作は労働者階級にもっと近づきやすくなるでしょうし、その點の考慮こそ、私にとって他のなににもまして大切なのです。

これはあなたのメダルの良い面ですが、しかしそこには裏の面もあります。

すなわち私が用いた、そして経済的諸問題にはまだ適用されたことのない分析の方法は、はじめの諸章を読むことをかなり困難にしています。

そこで心配になるのは、いつでもせっかちに結論に達しようとし、一般的原則と自分が熱中している直接的問題との連関を知りたがるフランスの読者が、はじめから先に進むことができないので、うんざりはしないかということです。

これは一つの不利な點ですが、真理を切望する読者に前もってこのことをお知らせし、心構えをしていただく以外には私にはどうしようもいありません。

学問にとって平坦な大道はありません

そして、学問の険しい小道をよじ登る苦労を恐れない人々だけが、その輝く頂上ににたどりつく幸運に恵まれるのです。

親愛なる市民、私の変わらざる誠意を込めたあいさつをお受け取りください。

カール・マルクス
読者へ

**J・ロワ氏はできる限り正確で、逐語的でさえある翻譯をしようとされた。

彼れは、その任務をきちょうめんに果たされた。

しかし、まさに彼れのきちょうめんさのために、私は餘儀なく、表現方法を変え、読者にもっとわかりやすくしなければならなかった。

これらの手直しは、この本が分冊で刊行されたので、その日その日にまされたのであって、同じ程度に念入りにには行われなかったし、また文体の不統一をうまざるをえなかった。

いったんこの改訂の仕事をやりだしてからは、底本とした原本(ドイツ語第二版)にも改訂を加えることになってしまった。

すなわち、若干の詳しい記述は簡単にし、他のそれは完全にし、歴史的または統計的資料を補い、批判的な評言を付け加えるなどした。

このフランス語版は、どんな文章上の欠點あら があるにしても、原本とはまったく別な一つの科学的価値をもつものであって、ドイツ語のできる読者によっても参照されてしかるべきものである。

なお、ドイツ語第二版のあと書きのうち、ドイツにおける経済学の發展やこの著作で用いられた方法にかんする箇所を、以下にあげておこう。〔本書譯、17-30ページ参照〕

第三版編集者序文

マルクスは不幸にして、この第三版に手づから上梓し得るまでの準備を与えることが出来なかった。

このどえらい思想家——彼れの偉大の前には、今や反対者でさえも膝を屈している——は一八八三年三月十四日に死んだのである。

マルクスには、みずからこの第三版を印刷に付するばかりのものにすることは、許されなかった。

その偉大さの前にはいままでは敵でさえ頭を下げるこの力強い思想家は、1883年3月14日に没したのである。

私は彼れの死に依って、四十年間に亙る最も固く結合された最良の友を失った。

私は言葉を以って言い現し得るよりも以上のものを、この友に負うている。

而して今や、この第三版と手記のまま遺された第二巻との發行を処理すべき義務が私の上に落ちて来たのである。

ところで此等の義務の前者を私は如何にして果したか、それについて読者に顛末を報告する義務がある。

彼れの死去によって、私は40年来の、もっとも優れた、もっとも親密な友を、言葉では尽くせないほどの多くをおかげをこうむっている友を失ったのであるが、その私に、いまやこの第三版と、手稿のまま残された第二巻との出版のめんどうをみる義務がかかってきた。

この義務の第一の部分を私がどのように果たすか、それについてここで読者に報告しておかなければならない。

マルクスは最初、第一巻の本文を大部分に亙って書き換え、学説的方面に関した数個の點をヨリ鋭く言い現し、新たに若干の點を追加し、更らに歴史的及び統計的の材料を、最近時まで含めて補足しようと目論んでいた。

ところが、彼れの病気と第二巻編集締切りの切迫とは、遂に彼れをしてしあ署の企図を断念せしむるに至った。

そこで已むを得ず、最も切要な點だけを変更し、当時發行されたフランス版に含まれている数個の補遺のみを新たに採り入れるということに限らねばならなくなった。

マルクスは最初、第一巻の本文の大きな部分を書き改め、幾多の理論的な點をいっそう明確に述べ、新しい點を付け加え、最近にいたるまでの歴史的および統計的資料を補足するつもりであった。

彼れのこの企てを断念した。

彼れの病状と、第二巻の原稿を完成させたいという熱望とのために、彼れはこの企てを断念した。

ただ、もっとも必要なところだけが変えられ、その間に刊行されフランス語版(『資本論。カール・マルクス著』、パリ、ラシャトール、1873年)

彼れの遺稿中には、旧ドイツ版に所々訂正を与えフランス語版への参照をも施したものが見出された。

また利用すべき個所に厳密の印をつけたフランス語版も一部あった。

だが此等の増訂は、少数の場合を除き、いづれも本書の最終部分(資本の蓄積行程と題する一篇)に限られている。

この部分は、旧版に於いては他の諸篇よりも著しく最初の立案に従ったものであって、これに比べると他の諸篇はヨリ根本的に訂正されていた。

この最終の一篇は、文章に活気があり一気呵成いっきかせい的であると同時に、叙述が疎漫で英語口調を混え、曖昧な點も所々に見出される。

且つ蓄積發展行程の説明には、此処彼処に空隙があって、重要な點を単に暗示しているに過ぎぬ処も幾許いくばくかあった。

果たせるかな、遺品のなかには、マルクスによってところどころ訂正され、またフランス語版への参照が指示されているドイツ語版が一冊あった。

また、利用すべき箇所に彼れが正確にしるしをつけたフランス語版も一冊あった。

これらの変更や追補は、わずかの例外を別とすれば、本書の最後の部分である資本の蓄積過程の篇に限られている。

これより前の諸篇はもっと根本的に手入れされていたのに、この篇では従来の本文は、他の諸篇に比べて、より多くの最初の諸篇はもっと根本的に手入れされていたのに、この篇では従来の本文は、他の諸篇に比べて、より多くの最初の草稿に従っていた。

それゆえ、文体はより生き生きしており、よりまとまったものであったが、しかしまた、よりぞんざいであり、英語風の語法も混じっており、ところどころ不明瞭であった。

個々の重要な契機が暗示されているだけであったために、展開の道筋はにはここかしこに途切れがあった。

マルクスは文章の點で、この一篇の諸節に手づから根本的の訂正を加えてきた。

これに依り、またマルクスから直接(??)聞かされていた暗示に依って、私は専門後その他に對する英語の言い現しを、どの點まで除去して可なるかの標準を与えられた。

補遺増訂の個所については、マルクスはそれらを更らに改訂して、冗長なフランス後に代うるに、彼れ自身の引締ったドイツ語を以ってしたに違いない。

だが、私としては、出来得る限り原文に従いドイツ語に書き換えることを以って満足せねばならなかった。

文体について言えば、マルクスはいくつかの章節をみずから根本的に修正していた。

そして、そのなかでも、またたびたびの口頭の示唆によっても、私が英語の語術やその他の英語風の語法をどの程度まで取り除いてよいかという基準を私に与えていた。

追補や補足も、もしマルクスがやったならば、きっともっと手を入れ、またなめらかなフランス語を彼れ独特の簡潔なドイツ語によって置き換えたことであろう。

私は、それらの追補や補足を、できるだけもとの原文にそくして翻譯することで満足しなければならなかった。

斯くてこの第三版に於いては、著者みづから確かに変更したであろうと信ぜられる以外の処には、一語も変更を加えて居らぬ。

ドイツ経済学者の慣用の通り言葉、例えば現金を支払って他人から労働を受ける人のことを労働の与え主といい、賃銀を受けて他人に労働を与える人のことを労働の受け主と呼ぶような寝言を、『資本論』の中へ持ち込もうなどという考えは、もと より私には起り得なかった。

フランス語でも、トラヴァイユという言葉は、日常生活に於いては『仕事』の意味に用いられている、

然し資本家のことをトラヴァイユの与え主といい、労働者のことをトラヴァイユの受け主と呼ぼうとする経済学者があるとすれば、フランス人は当然にこれを狂人と見做すであろう。

したがって、この第三版では、著者自身が変えたであろうことを私が確実に知っていない言葉については、一語も変えられてはいない。

ドイツの経済学者たちが自分の考えを述べる際によく用いる慣用の通俗後、たとえば、現金支払いと引き換えに他人から労働を与えられる人を、労働を与える人と呼び、賃金と引き換えに自分の労働を取り上げられる人を、労働を受け取る人と呼ぶような、そんなわけのわからない言葉を『資本論』に取り入れることなどは、私には思いもつかないことであった。

フランス語でも travail〔労働〕は、日常生活では仕事の意味に用いられる。

ところが、もしも、資本家を donneur de travail〔労働を与える人〕と呼び、労働者を receveur de travail 〔労働を受け取る人〕と呼ぼうとする経済学者があるとすれば、フランス人は当然に彼れを狂人だと思うであろう。

私は又、本文中に一貫して使用されているイギリス式の貨幣及び度量衡名称を、新ドイツ式のものに換算することを敢てしなかった。

第一版の刊行された当時、ドイツには一年の日子にっしほど多数の度量衡種類があった。

加うるに、貨幣ではマルクが二種(現行の帝国統一マルクは、当時に於いてはこれを十九世紀三十年代の終末に發見したセートベーアの頭の中にのみあったのである)グルデンが二種、ターレルが少なくとも三種あった。

而してその三種のターレルのうち一種は、『新三分の二貨』を単位とするものであった。

更らに、自然科学の方面には、メートル式度量衡が、また世界市場の方面には、イギリス式度量衡が専ら行われていた。

斯かる状態の下に、本書の如く事実上の例証を殆んど全くイギリスの産業關係のみから探り入れることを余儀なくされた著述に於いて、イギリス式の度量衡単位を使用することは自明の事実であった。

而してこの理由は、今日に於いても依然、決定的となっている。

これは世界市場方面にイギリス式の単位を必要ならしめた諸種の事実關係が今日に至る迄殆んど変化する所なく、殊に主要なる諸産業(鉄及び綿花)に於いては、今日でも殆んどイギリス式の度量衡のみが行われているという事情に鑑みるとき、尚更ら然りといわねばならぬ。

同じように、私は、本文で一貫して用いられているイギリスの貨幣や度量衡をそれに相当する新しいドイツの度量単位に換算するようなことも、あえてしなかった。

初版が現われた時には、ドイツでは一年の日数ほど多くの種類の度量衡があり、そのうえ二種のマルク(ライヒスマルクは、当時は、30年代の終わりにそれを考案したゼートベーアの頭の中でしかまだ通用していなかった)、二種のグルデン、そして少なくとも三種のターレルがあり、ターレルのうちの一種は新3分の2ターレル貨を単位とするものであった。

自然科学ではメートル法が、世界市場ではイギリスの度量衡が、支配的に用いられていた。

このような事情の下では、その事実的例証をほとんどもっぱらイギリスのの産業事情から取ってくることを餘儀なくされていた著書にとって、イギリスの度量単位を用いることは当然のことであった。

そしてこの最後にあげた理由は今日でもなお決定的である。

世界市場におけるそうした事情はほとんど変わっていないし、またとくに、決定的な産業──鉄と綿──にとってはイギリスの度量衡がこんにもなおほとんど支配的に用いられているだけに、なおさらそうなのである。

最後に尚、世人に依って殆んど理解されて居らぬマルクスの引抄法について一言する。

純事実上の叙述及び描写については、例えばイギリスの青表紙本(政府又は議会の報告書)からの引抄の如きは、言うまでもなく単純なる説明的引例として役立っているのであるが、他の経済学者の学説的見解を引抄した処はそうではない。

この方面の引抄は、説明の進行中に現れて来る一の経済的思想が、何処どこおい て、何時、また何人に依って、初めて、明白に言い現されたかを明らかにすればいいのである。

これについて問題となることは、経済上の当該見地が経済学上の歴史に対して有意義であるか否か、また、それが学説として、当時の経済状態を多かれ少なかれ適切に言い現しているか否か、ということだけである。

而してそれが本書の著者の立場に対して尚絶対的又は相対的の効力を有しているか否か、それとも全く歴史に属してしまったか否か、ということは、些かも問題とならぬ。

要するに斯種このしゅ の引抄は、本書の本文に對する経済学史から援用した手近の註解たるに過ぎぬのであって、経済上に於ける学説の個々の重要な進歩をば、年月日と創始者とに従って確定するものに過ぎぬのである。

而してこの事実は、従来傾向的にして殆んど牽強附会けんきょうふかい的な無智のみを史家の特徴としていた一科学たる経済学にとっては、極めて必要なことなのである。

斯くてマルクスが何故、第二版の序文に述べた如く、ドイツ経済学者の所論をばただ例外的にのみ引抄するに止めたかは容易に首肯し得る所となるであろう。

最後に、あまり理解されていないマルクスの引用の仕方について、なお一言しておこう。

純然たる事実の報告や記述の場合には、たとえば、イギリスの青書からの引用が、言うまでもなく単純な文書による証明として役立っている。

だが、ほかの経済学者たちの理論的見解が引用される場合には、事情は異なる。

この場合には、引用は、〔経済学の〕發展過程のなかで生まれてくる経済思想が、そこで、いつ、だれによって、はじめて明白に語られているかを確定するだけのものとされている。

そのさい肝要なことは、問題の経済学的表象がこの学問の歴史にとって意義のあるものであるということ、それがその時代の経済状態の多かれ少なか適切な理論的表現であるということだけである。

しかし、この表象が本書の著者の立場にとってなお絶対的または相対的な妥当性をもっているかどうか、あるいは、それがもうまったく過去の歴史のものになっているかどうか、ということは全然問題ではない。

したがって、これらの引用は、本文に対しては、経済学の歴史から借りてきた一連の注釈となるに過ぎないのであって、経済理論のここの比較的重要な進歩を、年代と著者とによって確定するものである。

そして、こうしたことは、これまでその学史記述家たちがただ偏頗 へんぱ な、出世主義に近い無知だけで名声をあげてきているような科学では、きわめて必要であった。

──いまや、なぜマルクスが、第二版へのあと書きにもあるとおりに、ただまったく例外的にしかドイツの経済学者たちを引用しないか、ということも理解できるだろう。

第二巻は一八八四年中に刊行し得るようにしたいと思っている。

第二巻はたぶん1884年中には刊行できるであろう。

編集者への序言〔英語版への〕

『資本論』の英語版の刊行についてはなんらの弁明も要しない。

むしろ反対に、この著書の中で主張されている諸理論が、この数年来、イギリスとアメリカ両国の定期刊行物や当代の文献で絶えず言及され、攻撃され擁護され、正解され誤解されてきたことを考えれば、なぜこの英語版がこんいまで遅れたかについての説明が期待されるであろう。

1883年に著者が没してから間もなく、この著作の英語版が現實に必要とされていることが明らかになったとき、マルクスともまたこの序言の筆者とも長年の友人であり、そしてこの著書そのものにおそらく他の誰よりも精通しているサミュエル・ムア氏が、この翻譯を引き受けることを承諾した。

この翻譯の公刊は、マルクスの著作類の遺言執行者〔マルクスの娘エリナー〕が切望していたところである。

私が原稿と原文を比較して、助言すべきだと考えられる変更を私が示唆するという了解になっていた。

やがて、ムア氏がその職業上の〔法律家としての〕仕事のために、われわれみんなが望んでいたよりも早くは、この翻譯を完了しえないことがわかったとき、われわれは、仕事の一部分を引き受けようというドクター・エイヴリングの申し出を、よろこんで受け入れた。

同時に、マルクスの末娘であるエイヴリング夫人は、引用文を照合することと、イギリスの著者や青書からとってきて、マルクスがドイツ語に翻譯した多数の章句の原文を復元することを申し出た。

こんことは、わずかのやむをえない例外を除いて、本書全体を通して行われた。

本書の次の部分はドクター・エイヴリングによって翻譯された。〔英語版の章区分は本巻とは異なる〕

(1)第10章(労働日)と第11章(剰餘価値の率と総量)。

(2)第6篇(労賃、第19章より第22章までをを含む)。

(3)第24章〔本巻では第22章〕第4節(・・・諸事情)からこの第一部の終わりまで。これには、第24章の終わりの部分、第25章〔同上、第23章〕、および第8篇〔同上、第24、第25章〕の全体(第25章の-第33章)が含まれている。

(4)著者の二つの序言。この第一部の残りの部分はムア氏によって翻譯された。

こうして、譯者たちはそれぞれ自分の受け持ちの仕事だけに責任を負っているが、私は全体について共同責任を負うものである。

一貫してわれわれの仕事の底本とされたドイツ語版第三版は、著者の残した覚書の助けを借りて、1883年に私が準備したものである。

この覚書は、第二版の章句のうちで、1873年刊行のフランス語版( (1)の、指定された章句と置き換えられるべき箇所を支持している。

(1)

カール・マルクス著『資本論』、J・ロワ氏譯、著者完全校閲、パリ、ラシャトール刊。

この翻譯は、ことにこの第一部のあとのほうの部分では、ドイツ語第2版の本文に對するかなりの変更と追加とを含んでいる。

こうして、第二版の本文に加えられた変更は、マルクスが英語版のためにみずから書いた一連の指図書きに指示している変更と、だいたい一致していた。

この英語譯というのは、10年ほど前にアメリカで計画されたが、主として有能適切な譯者がいないためにとりやめとなったものである。

この指図書きの原稿は、ニュー・ジャージーのホウボウケンにいる我々の古くからの友人F・A・ゾルゲ氏によってわれわれにまかせられた。

それは、そのほかにもなおフランス語版からのいくつかの挿入を指示している。

しかし、それは第三版のための最後の指図書きより何年も古いものなので、私は、まれにしか、とくにそれがわれわれの困難をまぬがさせてくれる場合にしか、それを随意に利用してよいとは考えなかった、

同じようにフランス語版も、困難な章句のほとんどについて参照された。

あおれは翻譯にさいし原文のもつすべての含蓄のうちなにかが犠牲にされざるをえない場合に、著者自身ならなにを犠牲にする用意があったかを示す指針として、参照されたのである。

とはいえ、われわれが読者に対して取り除いておくことができなかった困難が一つある。

すなわち、ある種の用語を、それらが日常生活で用いられている意味と異なるばかりでなく、普通の経済学で用いられている意味とも異なる意味に使用していることがそれである。

しかしこれは避けられないことであった。

科学上の新しい見地は、いずれも、その科学の術語における革命を含んでいる。

このことをもっともよく示しているのは化学である。

化学では術語全体がほぼ20年ごとに根本的に変えられており、またそこでは、一連のおおくの異なった名称を通り過ぎてこなかったような有機化合物は、おそらく一つも見出せないでだろう。

経済学は、概して、商業生活や工業生活の諸用語をそっくりそのまま取ってきて、それを運用することで満足していきたのであって、そうすることによって経済学は、これらの用語で表現される諸観念の狭い範囲内に自分自身を閉じ込めたことにまったく気づかないできた。

こうして、古典派経済学でさえ、利潤も地代も生産物のうち労働者がその雇い主に提供しなければならない不払い部分(雇い主はこの不払部分の最終的な排他的所有者ではないが、その最初の取得者である)の細分であり断片であるにすぎない、ということに十分気づいていいたとはいえ、それでも決して、利潤や地代にかんする通例の概念を超えて進んだことはなく、生産物のこの不払部分(マルクスによって剰餘生産物と名付けられた部分)を一全体としてその総体性において研究したことがなく、したがって。その源泉と性質とについても、あるいはその価値のその後の分配を規制する諸法則についても、決して明白な理解に到達したことがない。

それと同様に、農業または手工業を除いて、全産業が無差別にマニュファクチュアといいう用語で一括され、そのために、経済史上の二つの大きな本質的に異なる時代、すなわち、手労働の分業に基づく本来的マニュファクチュアの時代と、機械に基づく近代工業のの時代とのくべつが消し去られている。

しかしながら、近代的資本主義的生産を人類の経済史上の単なる経過的な一段階と見る理論が、この生産様式を不滅で究極的なものと見る著述家たちの慣用する用語とは異なった用語を用いなければならない、ということは自明のことである。

著者の引用方法について一言しておくことも、場違いではないであろう。

大多数の場合に、引用は、普通の仕方で、本文でなされている主張を裏付ける文書での証明として役立っている。

しかし、ある特定の見解が、いつ、どこで、だれによって、はじめて明白に語られたかを示すために、経済学的著述家たちの章句が引用される場合も多い。

このような引用がなされるのは、引用された意見が、その時代に支配的な、社会的生産および交換の諸条件の多かれ少なかれ適切な表現として重要であるという場合であって、マルクスがそれを承認するとか、あるいはそれが一般的に妥当するとか、ということとはまったく無關係である。

それゆえ、これらの引用は、この学問の歴史から取ってきた一連の注釈によって、本文を補っているのである。

我々の翻譯に含まれるのは、この著作の第一部だけである。

しかしこの第一部は、高い程度に、それ自身一つの全体をなしており、また20年ものあいだ一つの独立の著作とみなされていきた。

1885年に私がドイツ語で出版した第二部は、第三部がなければ全く不完全であるが、その第三部は1887年末以前には刊行できない。

第三部がドイツ語の原文で出版されたときに、第二部と第三部との英語版の準備を考えても十分間に合うであろう。

『資本論』は大陸ではしばしば労働者階級の聖書と呼ばれています。

この著作のなかで到達された諸結論が、ドイツやスイスだけではなく、フランスでも、オランダやベルギーでも、アメリカでも、またイタリアやスペインにおいてさえも、日ごとにますます、労働者階級の大きな運動の基本的原理となりつつあるということ、どこにおいても労働者階級の大きな運動の基本的諸原理となりつつあるということ、どこにおいても労働者階級はますますこれらの諸結論のうちに、自分の状態と大望とのもっとも適切な表現を認めるようになっていること、これらのことは、この運動に通じている人ならば、誰も否定はしないであろう。

そしてイギリスにおいてもまた、マルクスの諸理論は、まさにいまこそ、労働者階級の隊列に劣らず、教養ある人々の隊列においても普及しつつある社会主義運動に、力強い影響を及ぼしている。

だが、それだけではない。

イギリスの経済状態の根本的な検討が不可抗的な国民的必要事として提起される時期が、急速に近づきつつある。

この国の産業体制の運行は、生産の、したがってまた市場の、不断の急速な拡大なしには不可能なのであって、それは完全に停止しかけている。

自由貿易はその方策を用いつくしてしまった。

マンチェスターでさえこの自分の”かつての”経済的福音を疑っている( (1

(1)

本日の午後に開かれたマンチェスター商工会議所の四半期集会において、自由貿易について熱心な討論が行われた。

次のような趣旨の決議案が提出された。

すなわち、他の諸国民がイギリスの自由貿易の先例にならうことを、40年もむなしく待ってきた。そこで本会議所は、いまや、この立場を再考すべき時期が到来したものと考えるというのである。

この決議案はたった一票の多数で否決された。

票数は賛成21、反対22であった(『イーヴニング・スタンダード』、1886年11月1日付)。

急速に發達している外国の産業は、どこにおいてもイギリスの生産をおびやかしている。

関税によって保護された市場でそうであるだけでなく、中立の市場でも、そしてドーヴァー海峡のこちら側においてさえ、そうである。

生産力は幾何級数的に増大するのに、市場の拡大はせいぜい算術級数的にしか進まない。

1825年から1867年まで絶えず繰り返された、停滞、繁栄、過剰生産、および恐慌という10か年の循環は、確かにもう終わったように見える。

だがそれは、ただ我々を永続的で慢性的な不況という絶望のふちにおとしいれるためでしかない。

あこがれの繁栄期は来ないであろう。

それを先ぶれする兆候が見えるかと思うと、そのたびごとにその兆候はまたもや消えてなくなる。

その間に、冬が来るたびごとに、失業者をどうするか?という大問題があらためて起こってくる。

だが、失業者の数は年々膨張しているのに、この問題に答えるものはだれもいない。

そして我々は、失業者達が辛抱できなくなり、彼れら自身の運命を彼れら自身の手に握るであろう瞬間を、ほぼ予測することができる。

そのような瞬間に、かの人〔マルクス〕の声が聴かれなければならないことは疑いない。

その人の全理論は、イギリスの経済史と経済状態とにかんする終生の研究の結果であり、またその人はこの研究によって、少なくともヨーロッパでは、イギリスこそ、不可避な社会革命が平和的で合法的な手段によって完全に遂行されうる唯一の国である、という結論に達したのである。

この平和的な革命にたいして、イギリスの支配階級が”奴隷制擁護の反乱”なしに屈服するとはほとんど期待していない、と彼れが付け加えることを決して忘れなかったのはいうまでもない。

進歩的なイギリスであれば、資本主義社会から共産主義社会に合法的に移行できると期待していたと思われる。

しかし、その後の様々なな活動の結果を見て、非合法な暴力革命でなければ実現できないという結論に達したと思われる。

1886年11月5日
フリードリヒ・エンゲルス

第四版編集者序文

第四版に於いては、本文ついても、脚註についても、出来得る限り終局的の確率を与える必要があった。

私は如何にしてこの必要を充たしたか、それについて以下簡単に述べる。

第四版では、私は、本文について注についてもできるだけ最終的に確定する必要に迫られた。

私がこの必要にどのように應じたか、それについて簡単に次のことを述べておこう。

私はいま一度フランス版とマルクスの手記とを比較した後、フランス版から尚若干の補遺をドイツ版の採り入れた。

此等の補遺は本版(譯本)第八五頁、第四七九乃至四八〇頁、第五七一頁乃至五七六頁、第六一六乃至六一八頁、及び六二〇頁の註七十九に含まれている。

私は又、フランス版及びイギリス版に従って、鉱山労働者に関する長文の脚註を本文に移し換えた(第四八一乃至四八七頁)。

その他の小変更は、いづれも純技術的性質のものに止まっている。

フランス語版とマルクスの自筆の覚え書きとをもう一度比較したのち、私は前者からさらに若干の追補をドイツ語本文に取り入れた。

それらは、80ページ(第三版、88ページ)、458-460ページ(第三版、509-510ページ)、547-551ページ(第三版、600ページ)、591-593ページ(第三版、644ページ)。596ページ(第三版。648ページ)の注79にある *1

同様に、フランス語版と英語版との先例にならって、鉱山労働者にかんする長い注(第三版、509-515ページ)を本文に組み入れた(第四版、461-467ページ *2)。

その他の小さな変更は純粋に技術的な性質のものである。

更らに、若干の補註をも追加したが、これは特に、歴史的事情の変動上から必要となった如く見える個所に多いのである。

此等の補註はいづれも角形の確固に納め、それに私の姓名の頭文字『F・E・』又は編集者なる後の『D・H』を附した。

さらに私は若干の説明的な補注を、ことに歴史的事情の変化がそれを必要としているように思われた箇所に、つけ加えた。

すべてこれらの補注は角括弧に入れて、私の頭文字かまたは”D.H.”〔編集者〕といいう文字を付記しておいた

当時イギリス版が刊行された為、幾多の引抄を完全に修正することが必要となった。

このイギリス版の為に、マルクスの末女エラナーは、一切の印象個所を原文と対照するの労をとった。

斯くて本書に於ける引抄の大部分を占めているイギリス文献からの引抄については、ドイツ文からの翻譯ではなく、イギリスの原文がそのまま用いられることになった。

そこで第四版の編集上、此等の原文を参照する必要が生じた。

私はこの参照に依って、幾多の些細な不確実を見出した。

例えば、参照頁数の間違いがあった。

これは一部的にはノートから写しとる際の誤写に因るものであり、一部的には又、三度び版を重ねている中につもり積もった誤植の毛かであろう。

ノートから多数の引抄を書き写すに当って避けられ如きは、一八四三年から四五年に至る間マルクスのパリー在住中に整えられた古ノートから引抄されたものであるが、当時マルクスはまだ英語を知らず、イギリスの経済学者の文献はこれをフランス譯で読んでいた。

それを更らにドイツ語に重譯したのであるから、文章の調子に幾分変化を来たすことを免れなかった。

例えばスチュアートやユーアや、その他の著述家の場合がそれである。

此等の個所に対しては、今や英語の原文を利用し得るようになったのである。

以上の外にも尚、同様の些細な不正確や不注意の點について 訂正を加えた。

多数の引用文の完全な校訂が、その間に刊行された英語版によって、必要になっていた。

この英語版のために、マルクスの末娘エリナ-が、引用箇所全部を原文と照合する労を引き受けてくれたので、圧倒的に多い英語の資料からの引用においては、英語版ではドイツ語からの再翻譯ではなく、英語の原文そのものが出ている。

そこで、第四版では、この原文を参考にすることが私の義務になった。

そのさいさまざまな小さい不正確な點が見出された。

まちがったページ数の指示、そのあるものはノートから写すときに書き誤ったものであり、あるものは三つの版を重ねるあいだに累積された誤植である。

引用符や省略を示す點線のつけまちがいもあるが、これは抜粋ノートからの多数の引用をする場合には避けられないものである。

あちこちにあまり感心しない譯語があった。

いくつかの箇所は、マルクスがまだ英語がわからなくて、イギリスの経済学者たちをフランス語譯で読んでいた①843-1845年の古いパリ時代のノートから引用されていた。

そこで重譯にはありがちのことだが、長子が多少変化している場合には──たとえば、スチュアト、ユアなどの場合がそうであるが──いまや英語の原文を利用しなければならなかった。

そして、これに似た小さい不正確な點や粗雑な點はもっとある。

然し、この第四版を前数版と比較する時、此等一切の小面倒な訂正も何等語るに値する所の変更を本書の上に与えて居らぬことが得心とくしんされるであろう。

ただ一つ、リチャード・ジォンズからの引抄(第五八七頁、註四十七)のみは出処不明であった。

これは多分、署名を書き誤ったものであろう。

が、その他の引抄は、いづれも完全なる立証力を保持している。

或いは寧ろ、本版に於ける正確な形態を以って、その立証力を更らに強められているのである

しかし第四版をそれ以前の諸版と比べてみれば、この骨の折れる訂正の手続きを全部行っても、本書には言うに足りるほどの変更は生じていないことが、納得されるであろう

ただ一つ、リチャード・ジョウンズからの引用(第四版、562ページ、注47〔第七篇、第22章、第3節末の注47〕)だけは、見つけることができなかった。

マルクスがおそらく書物の表題を書き間違えたのであろう

だが、私はこの場合、或る古い事件に遡る必要に迫られている。

だが、ここで私はどうしても、一つの古い話に立ち戻らざるをえない。

私はマルクスの引抄の確実生が疑われた唯だ一つの場合を知っている。

この問題は、マルクスの死後まで持ち越されたものであるから、私は茲にそれを黙過もっかすることが出来ぬのである。

というのは、私の知るところでは、マルクスの引用の正しさが疑問とされた場合が、ただ一つだけあるからである。

ところが、このことがマルクスの没後まで続いてきたのでここでそれをそのまま見過ごすわけにはいかないのである。

一八七二年三月七日のベルリン『コンコルヂア』誌(ドイツ製造業者同盟の機関)に『カール・マルクスの引抄振り』と題する匿名の一文が現れた。

論者はこの文章の中で、一八六三年四月十六日のグラッドストーンの予算演説から採用したマルクスの引抄——これは最初一八六四年の『国際労働者協会』の創立演説中に掲げられ、後ちまた『資本論第一巻(第六四一頁)に再録されたものである——をば道徳的憤怒と非議会的言辞との濫發を以って偽造呼ばわりしている。

論者の主張する所に依れば、マルクスの挙げた『富と権力との斯かる麻酔的増殖は・・・ことごと く有産階級にのみ限られている』という一句は、ハンサードの半官報的議事速記録には、一語も現れて居らぬ。

『この文句はグラッドストーンの演説の何処にも見出されない。彼れの演説には、寧ろ正反対のことが言われている。要するに〔以下ゴチック体で〕マルクスはこの文句をば、形式上にも実質上にも偽造挿入したものである!』

1872年3月7日、ドイツの工場主連盟の機関紙、ベルリンの『コンコルディア』に、カール・マルクスはどのように引用するかという匿名の論文が現われた。

この論文では、道徳的憤激と議会らしからぬ悪罵とをふんだんに用いて、1863年4月16日のグラッドストンの予算演説からの引用(1864年の国際労働者協会の創立宣言〔邦譯『全集』、第16巻、3-11ページ〕に現われ、『資本論』第一巻、第四版、617ページ。第三版、670-671ページ〔本書譯、第一巻、1114-1115ページ〕に再度現れたもの)は偽造だ、と主張された。

すなわち、人を酔わせるような、富と力のこの増大も・・・全く有産階級だけに限られているという文章は、ハンサードの(半官的な)速記録〔ハンサード發行のイギリス議会討議集〕には一言も出ていない、というのである。

だがこの文章はグラッドストンの演説のどこにもない。まさにそれとは反対のことがそこでは述べられている。

(太字で)マルクスはこの文章を形式的にも実質的にも偽って付け加えたのだ!

マルクスは右の攻撃文の載っている『コンコルヂア』誌を同年五月に受け取り、同年六月一日の『フォルクス・シュタート』紙上で右の匿名氏に答えた。

これに依れば、彼れは、右の引抄を如何なる新聞報道から採用したか。もはや思い出せなかった故先づその同じ引抄の文句が二つの英文出版物に載っている事実を指摘し、続いて『タイムズ』紙に掲載された演説記事を引抄するに止めた。

この記事に依れば、グラッドストーンは次ぎの如く言っている。

『以上は我国の富に関する状態である。兎に角、私は断言せねばならぬ。若し富と権力との斯かる麻酔的増殖が、安楽階級にのみ限られているということが私の信ずる所であるとすれば、私は殆んど憂慮と苦痛とを以ってこの増殖の事実を眺めなければならぬ。斯かる事実は労働民の状態をごう も顧みざるものである。正確な統計に基けるものと私が信じている上述の増殖は、全く有産階級にのみ限られる所のものである。』

マルクスは、『コンコルディア』のこの号の送付を翌々月の5月に受けて、6月1日の『フォルクスシュタート』でこの匿名氏〔ルーヨ・プレンターノ〕に答えた。

彼れは、どの新聞報道から引用したのかを、もう思い出せなかったので、まず同文の引用文が二つの英語の労作にあることを指摘し、次いで『タイムズ』の報道を引用するにとどめた。

グラッドストンは次のように述べている——これがこの国の富の現状である。私個人としてはこう言わなければならない。人を酔わせるような、富と力のこの増大も、もし私の缶あげるようにそれが裕福な境涯にある階級だけに限られているのであれば、私はこの増大をほとんど憂慮と苦痛とを持ってみざるを得ない、と。この増加には労働人口の状態は全然考慮されていない。私の述べた、そして正確な報告に基づくものと思われるこの増大は、全く有産階級だけに限られている増大である。

つまり、グラッドストーンが茲に言うことは、事実若しそうだとすれば残念なことだが、事実はその通りだと言うのである。

すなわち富と権力の斯かる麻酔的増殖は、悉く有産階級にのみ限られているということになるのである。

更らに半官報的ハンサード速記録についてマルクスは う言っている。——『グラッドストーン氏はその後この點に手入れをした演説記録の版本の中から、イギリス大蔵卿の音葉としては確かに穏かならぬ右の一個所をば聡明にも削除した。

然し斯様なことは、イギリス議会の常習であって、決してかのベーベルをだまそうとしてなされたラスカーの發明の如きものではないのである』

それゆえグラッドストンはここでこう言っているのである。

もしそうならば、自分にとっては遺憾であるが、しかし実際はそうなのだ、すなわち、人を酔わせるような、力と富のこの増大は、全く有産階級だけに限られているのだ。

そして半官的なハンサードについては、マルクスはさらに次のように述べている。

この箇所に後からつぎはぎして訂正を加えたこの版では、グラッドストン氏は、賢明にも、イギリスの大蔵大臣の言としては確かに信用にかかわる個所を誤魔化して削除したのである。とにかく、これはイギリス議会の伝来の習慣であって、決して小男ラスカーがベーベルをやっつけるのに編み出した發明品のようなものではない。

匿名氏は茲に於いて、ますます躍起となった。

彼れは、その任務をきちょうめんに果たされた。七月四日の『コンコルヂア』誌に掲げられた答弁の中で、彼れ自身の用いた間接の証拠材料を押し除けながら、きまり悪るそうに次の事実を仄めかした。

すなわ ち、議会の演説は速記録から引抄されるのが『習慣』であり、而も『タイムズ』紙の記事(『偽造挿入した』文句を含む所の)とハンサードの記事(右の文句を含まぬもの)とは『内容に於いて完全に一致』し、且つ『タイムズ』紙の記事は『創立演説中の、かの疑わしい個所とは正反対のもの』を含むというのである。

が、彼れは『タイムズ』紙の記事の中には、この自称的な『正反対のもの』と相並んで『かの疑わしい個所』も亦、明らかに含まれていることについては、慎重に沈黙を守っていたのである。

匿名氏はますます憤激する。

7月4日の『コンコルディア』での彼れの答弁では、二次的根拠を脇に押しのけながら、彼れは恥ずかしげにこうほのめかす。

議会演説は速記録によって引用するのが慣例であり、しかもまた、『タイムズ』の報道は(これには偽って付け加えられた文章がある)とハンサードの報道(これにはそれがない)とは実質的にはまったく一致しているし、また、『タイムズの報道は創立宣言の中の悪名高い一節とは正反対のものを含んでいる、と。

この場合、この男は、『タイムズ』の報道がこのいわゆる正反対のものの他に、まさにあの悪名高い一節を明文を持って含んでいる!ことを、要人深く黙殺しているのである。

彼れは斯く主張しながらも、己の主張が進退きわまったこと、而して新たなる誤魔化しに依ってのみこの窮地から救われ得ることを感じた。

そこで彼れは右に論証せる如き『鉄仮面の嘘』に充ちた文章を飾るに、『不誠実』、『不正直』、『虚構の記述』、『かの虚構なる引抄』、『鉄仮面の嘘』、『全く偽造された引抄』、『この偽造』、『全く恥づべき』等、等の教法師的な悪口を以ってすると同時に、また論點を多方面に押し移すことの必要を感じた。

而して『自囘の文章を以って、我々(「嘘つき』でない匿名氏)はかのグラッドストーンの言葉に如何なる意義を附すべきかを説明しよう』と約束した。

標準となり得ない彼れ一個の私見がいささかでもこの問題に關係する所あるかの如く!

ところで、この約束の文章は、七月十一日の『コンコルヂア』誌に掲載されたのである。

それにもかかわらず、匿名氏は、自分がにっちもさっちも行かなくなったということ、自分が助かるには新しい逃げ口上に頼るしかないとうことを感じる。

そこで彼れは、いま証明したような彼れの厚かましい嘘八百に満ち満ちた彼れの論文に、”悪意”、卑劣さ、嘘だらけの資料、あのでたらめの引用文、厚かましいうそ八百、完全に偽造された引用文、kの偽造全く破廉恥等々という、ありがたい悪口雑言をたっぷり挿入する一方、係争問題を別の領域に移すことが必要だと知り、そこで、第二の論文では、グラッドストンの言葉の内容に、我々(でたらめでない匿名者)がどんな意義を付するか、を論じることを約束する。

まるで、彼れの取るに足らない考えがほんの少しでもことがらに關係があるように!

第二の論文は7月11日の『コンコルディア』に載っている。

マルクスは更らに、八月七日の『フォルクス・シュタート』紙上で答弁した。

而してこの答弁に於いては、一八六三年四月十七日の『モーニング・スター』及び『モーニング・アドヴァタイザー』両紙から、問題の記事を引抄した。

この両記事に依れば、グラッドストーンの言う所は、彼れにして若し富と権力との斯かる麻酔的増殖が安楽諸階級にのみ限られていると信じたとすれば、彼れは憂慮と苦痛とを以って、この増殖の事実を眺めたであろうということになる。

然るにグラッドストーンは、この増殖が有産諸階級にのみ限られていると言った。

随って右の両記事は、かの匿名氏の称する『偽造挿入した』文句をその儘含んでいるのである。

マルクスは8月7日の『フォルクシュタート』でもう一度答えたが、今度は、1863年4月17日の『モーニング・スター』および『モーニング・アドヴァタイザー』の、問題の箇所の報道を引用した。

両紙によれば、グラッドストンは次の世に述べている。

人を酔わすような、富と力のこの増大も、もし私の考えるように、それが真に裕福な階級に限られているのであれば、私はこの増大を憂慮・・・を持って見るであろう。

そしてこの増大は、財産を所有する階級だけに限られているのである、と。

すなわち、これらの報道もまた、いわゆる偽って付け加えられた文章を逐語的に載せているのである。

マルクスは更らに『タイムズ』紙とハンサード速記録との本文を参照して、議事の翌日、以上三新聞に現れた夫々それぞれ 独立してはいるが然し互いに一致している所の記事に依って確実を保証された問題の一句が、人の知る『習慣』に従って校閲されたハンサード速記録に欠けていること、及びグラッドストーンがマルクスの言う通りその一句を『後に及んで削除した』ものであることを確証した。

而してマルクスは最後に、もはやこれ以上匿名氏と係り合う暇がないと宣明した。

斯くして匿名氏は十分満足を与えられたように見えた。

少なくとも、マルクスはその後もはや『コンコルヂア』誌の寄贈を受けなかったのである。

すなわち、翌朝現れた互いに独立の同一内容の三つの新聞報道によって、現實に語られた物と確証している文章が、周知の慣例にしたがって校閲されたハンサードの報道には欠けているということ、そしてグラッドストンはこの文章を、マルクスの言葉を借りれば、あとからくすね取ってしまったのである。

そして最後にマルクスは、これ以上匿名氏を相手にしている暇はない、と宣言している。

匿名氏もこれで満足したと見えて、少なくともマルクスには『コンコルディア』のその後の号は送られてこなかった。

斯くして、問題は死して葬られたように見えた。

尤もその後一二度、ケンブリッヂ大学に關係ある人々の間から、マルクスが『資本論』の中で犯したと称せられる言語道断な著述上の罪悪に関する不可解な取沙汰が洩れて来た。

が、これについていろいろ調べたが、確かなことは一つも知り得なかった。

然るに、一八八三年十一月二十九日(すなわ ちマルクスの死後八ヶ月)に至り、在ケンブリッヂ、トリニチー大学、セドレー・テーラーなる署名の投書が『タイムズ』紙上に現れた。

この小男は極めて温順な協同組合事業に手を出している人物であるが、彼れは右の文章の中で、最初に捕えた機会を以って、早くも、かのケンブリッヂの取沙汰に関する手掛りのほか、更らに『コンコルぢあ』誌の匿名氏に関する手掛りをも我々に与えたのである。

これでこの事件は終わって、葬り去られたかに見えた。

確かに、その後も一度か二度、ケンブリッジ大学と交渉のあった人々から、マルクスは『資本論』の中で言語道断な文筆上の罪過を犯したそうだ、といういわくありげな噂話を聞いたことがある。

しかし、いくら調べて見ても、うわさ以上の確かなことは全く何もわからなかった。

ところが、1883年11月29日、マルクスが没してから八か月後に、『タイムズ』紙上に一つの手紙が現われた。

それは、ケンブリッジのトリニティ・カレッジから出された。

セドリー・テイラーと署名されたものであるが、そのなかで、まったく思いがけないことに、このきわめて小心なへぼ協同組合主義を商売にしている小男が、ケンブリッジのひそひそ話についてばかりでなく、『コンコルディア』の匿名氏についても、われわれに解明を与えてくれたのである。

このトリニチー大学の小男は言う。——『かの創立演説中にグラッドストーンの演説を引抄せしめる動機となったことが明かである所の悪意を暴露する任務が・・・ブレンタノ教授(当時ブレスラウ大学に在り、今はシュトラウスブルグ大学にいる)に留保されていたことは、頗る奇異の感を与うる事実である。

かの引抄を弁護しようとした・・・カール・マルクス氏は、ブレンタノの巧妙なる攻撃によってたちま い詰められ、進退きわま った結果、無謀に主張して曰く、グラッドストーンは、一八六三年四月十七日の「タイムズ」死に掲げられた演説記事の中から、大蔵卿としての自己の地位に危険なる一句を削除する為に、該記事が、ハンサード速記録の中に公表せられるに先立ち、早くもこれを改竄 かいざん したと。

然るに、一度びプレンタノが現れて、「タイムズ」紙及びハンサード速記録の演説記事本文を仔細に対照し、以ってこの両記事がいづれも、かの前後の連絡から狡獪こうかい に引きちぎった引抄に依りグラッドストーンの言葉に せられた意味を全然廃除する點に於いて、相一致する次第を論証するに及び、マルクスは時間が乏しいという口実の下に退却した。

トリニティ・カレッジの小男は次のように言う。

ひどく奇妙に見えるのは(創立)宣言のなかで、明らかにグラッドストンからの引用をするよう命じた”悪意”を暴露することが、・・・ブレンターノ教授(当時はブレスラウに、いまはシュトラスブルクにいる)のために保留しておかれた、ということである。・・・この引用を弁解しようとしたカール・マルクス氏は、ブレンターノ巧みな攻撃によってたちまち死地に追いこまれると、ずぶとくも次のように主張した。すなわち、グラッドストン氏は、1863年4月17日の『タイムズ』に載った自分の演説の報道がハンサードに載るまえに、それにつぎはぎして訂正を加えて、イギリスの大蔵大臣としては確かに信用にかかわる個所をごまかして削除したのだ、と。ブレンターノが、細部にわたる原文の比較によって、『タイムズ』とハンサードの報道は、狡猾に切り離された引用によりグラッドストンの言葉になすりつけられた意味を絶対に含んでいない、という點で一致してることを証明したとき、マルクスは、暇がないという口実にして引き下がったのである!

問題の核心は茲にあったのである!

而して『コンコルヂア』誌上に於けるブレンタノ君の匿名論戦は、ケンブリッヂの生産組合的想像に斯く燦爛さんらんと反射したのである!

ドイツ製造業同盟の聖ヂォーヂたる彼れは、実に斯く陣をき、その『巧妙に処理した攻撃』に斯くやいばを操った。

然るに、地獄の龍なるマルクスの方は、百計きた『窮地に追われ、速かに』この聖ヂォーヂの足もとで往生を遂げた!というのである

こういうわけで、むく犬の正体であった! *1

そして、『コンコルディア』でのブレンターノ氏の匿名のたたかいが、ケンブリッジの生産協同組合的幻想に、こんなにも輝かしく反映したのだ!

ドイツの工場主連盟のこの聖ゲオルギウス、彼れは巧みな攻撃において、このように身構え、このようにその剣のさき をつきつけたが、地獄の竜マルクスはたちまち死地に追い詰められて、彼れの足元でこと切れたのである!

而かも、このアリオスト式の全戦争記は、我が聖ヂォーヂの誤魔化しを隠蔽するに役立つのみである。

この戦争記に於いては、もはや『偽造挿入』でなく、『前後の連絡から狡獪に引きちぎった引抄』が問題となっている。

斯くて、全問題は別途の方面に押し移されることになった。

而してこれが理由の如何は、聖ヂォーヂ並びにケンブリッヂに於ける彼れの楯持に依って確知されている所であった。

ところが、このアリオスト風の戦記全体も、ただ、わが聖ゲオルギウスの逃げ口上を隠すのに役立つだけである。

ここでの話題はすでにもはや、偽りのつけ加えや偽造ではなく、狡猾に切り離された引用である。

問題全体がすり替えられた。

そして、聖ゲオルギウスも、ケンブリッジの彼れの楯持ちも、そのわけは百も承知だったのである。

エラナー・マルクスは『タイムズ』紙に掲載を拒絶されたため、一八八四年二月号の月刊誌『ツデイ』紙上でセドレー・テーラー氏に答えた。

彼女は論戦を問題となった唯一の論點に引きつづめた。

マルクスは果して、くだんの文句を『偽造挿入』したか否か、というのである。

セドラー・テーラー君はこれに答えて言う。——『グラッドストーン氏の演説の中に、たまたま或る一句があったか否かの問題』は、自分の見る所に依れば、これを『件の引抄の目的がグラッドストーンの言葉の意味を単に正伝するものなるか、曲伝するものなるかの問題に比すれば』マルクス対ブレンタノの論戦に於いては『甚だ重要性の少ないものである』と。

而して彼れは『タイムズ』紙の記事の中に『実際、用語上の矛盾が含まれている』ことは承認するが、然し前後の連絡を正当に(すなわ ち自由主義者・グラッドストーン的意義に)解釈すれば、グラッドストーンの謂わんとした所は明かにこれを知ることが出来るといっている。(一八八四年三月号『ツデイ』誌)。

茲に最も滑稽なことは、我がケンブリッヂの小男が、匿名氏ブレンタノの」謂わゆる『習慣』に従ってハンサード速記録から引抄しないヽヽ で、ブレンタノが『当然断片的』なりと評した『タイムズ』紙の記事から引抄すべきことを主張している一事である。

勿論、ハンサード速記録には、件の致命的な文句は載っていないヽヽヽのである!

エリナー・マルクスは、『タイムズ』が掲載を拒絶したので、月刊誌『トゥ・デイ』の1884年2月号で答えた。

そのさい彼れ女は論争を、かつて問題となった唯一の點に、すなわち、マルクスはあの文句を偽ってつけ加えたか否か?という點に引き戻した。

これに対してセドリー・テイラー氏は次のように應酬している──ある一定の文句がグラッドストン氏の演説の中にあったかなかったか、という問題は、彼れの意見によれば、マルクスとブレンターノとの論争では、その引用が、グラッドストンの真意を表現する意図でなされたか、それともそれを歪曲する意図でなされたか、という問題に比べれば、きわめて二次的な意義しかなかった。そして次に彼れは、『タイムズ』の報道が、実際の言葉のなかに矛盾を含んでいるということを認めている。しかし、だが、と彼れは続けてい言う。それ以外の文脈は、ただしく解すれば、すなわち、自由主義的グラッドストン的意味に解すれば、グラッドストン氏が言わんと欲したことを示している、と(『トゥ・デイ』、1884年3月号)。

ここで滑稽極まることは、いまやケンブリッジのわが小男が、匿名のブレンターノによれば慣例だというハンサードにのっとって演説を引用しない で、同じブレンターノによってどうしてもつぎはぎになると特徴づけられた『タイムズ』にのっとって引用することを主張している、ということである。

もちろん、この宿命的な文句はハンサードには欠けているのだ!

エラナー・マルクスにとっては、以上の論弁を『ツデイ』同号紙上で雲散霧消うんさんむしょうせしめることは容易であった。

テーラー氏は一八七二年の論戦を読んだか、然らずんば読まなかった筈で、若し読んだとすれば、彼れはいま『偽造挿入』しているのみでなく、『偽造省略』をもしている譯である。

又、読まなかったとすれば、彼れは口をつぐむ義務を有する。

いづれにしても彼れが、その友ブレンタノの口から出たマルクスは『偽造挿入』したという非難を、一瞬時も支持しようと企てなかったことは明かである。

反対に、マルクスの方は『偽造挿入』したのではなく、重要な一句を隠匿したのだ言うことになる。

而かもマルクスに依って隠匿されたというこの一句は、『国試労働者協会』創立演説第五頁の『偽造挿入』したと主張される文句の数行前に引抄されているのである。

又、グラッドストーンの演説の『矛盾』について言えば、かの『資本論』第六四二頁註百五の中で『一八六三年及び六四年に於けるグラッドストーンの予算演説に含まれている不断の見逃し難き矛盾』を指摘したのは、ほかならぬマルクスその人ではなかったか?

彼れはセドレー・テーラーの如く此等の矛盾を自由主義的御都合論に都合のいいように分解せしめることを敢てしなかったという點だけが違うのである。

エリナー・マルクスは、『トゥ・デイ』の同じ号で、この論拠をやすやすと雲散霧消させた。

一つは、テイラー氏が1872年の論争を読んでいたとする場合。

そうだとすれば、彼れは今や、偽って付け加えをしたばかりでなく、偽って削り取りもしたのである。

解説

ブレンターノ氏は、『タイムズ』が報道した言葉やマルクスが引用した部分は、ハンサードの速記録にはなく、つぎはぎがあったとしても実質的に内容は同じだと誤魔化していた。

しかし、テイラー氏は、素直にも『タイムズ』のグラッドストン氏の演説の報道の内容を前提に、マルクスがつぎはぎをして、創立宣言に悪意をもって載せたとしている。

つまり、テイラー氏の主張は、ブレンターノ氏が速記録にないという言葉を『タイムズ』の報道を前提にすることによって、1872年のブレンターノ氏の主張に対し、偽って付け加えをしており、また、演説の内容で矛盾していると思われる部分を創立宣言に引用していないといって、マルクスの創立宣言の内容から偽りの削り取りもしているのである。

もう一つは、彼れがそれを読んでいなかったとする場合。

そうだとすれば、彼れは口をつぐんでいる義務があったのである。

いずれにしても確かなことは、マルクスが偽って付け加えをしたという友人ブレンターノの告發を、彼れは一瞬たりとも指示する気はなかった、ということであった。

それとは反対に、こんどは、マルクスが偽って付け加えたのではなく、重要な一句を隠してしまったというのである。

ところが、この同じ文句は、創立宣言の5ページに、いわゆる偽って付け加えられた文句の数行前に、引用されている。

また、グラッドストンの演説の中の矛盾についてであるが、まさにマルクスこそが、『資本論』618ページ(第三版、672ページ)の注105〔第七篇、第23章、第5節、注105〕において、1863年と1864年のグラッドストンの予算演説の中の相次ぐまぎれもない矛盾について語っているではないか!

ただマルクスは、セドリー・テイラー流に、これらの矛盾を、自由主義的なめでたしめでたしで終わらせようとはしないだけである。

要するに、エラナー・マルクスの答弁を摘要すれば次ぎの如くになる。——『寧ろ反対に、マルクスはいやしくも引抄の価値あるものはごう も抹殺することなく、又、一言半句も偽造挿入せることはなかった。彼れは寧ろ、グラッドストーンの演説中に述べられたことは確かであるが、何故かハンサード速記録から洩れ落ちた一句をば復活させて、煙滅 えんめつ から救い出してやったのである。』

そこで、エリナー・マルクスの回答の中の結びの要約は次のとおりである。

それとは反対に、マルクスは、引用に値するものを各紙もしなければ、微塵も偽って付け加えもしなかった。逆に、彼れは、グラッドストンの演説中ののなかにある一句、疑いもかけられたのだが、とにかくハンサードから脱落していた一句を、復活させ、忘却から救ったのである。

これで、セドレー・テーラー君も満足した。

而して、この十余年間に亙り而も二大国に跨った教授的な全無駄話の結果は要するに、もはや何人もマルクスの文献的誠意を疑うことを敢てしなくなったということと、この時以後セドレー・テーラー君もブランタノ氏がハンサード速記録の法王的無過性を信じなくなったと同様に、定めしブレンタノ氏の文献的戦闘に信を措かなくなるであろうということとの二點に二點に盡されているのである。

果たせるかな、これでセドリー・テイラー氏も満足した。

そして、20年にわたって二つの大国にまたがってたくらまれ続けた教授たちの仲間びいきの策謀全体の成果は、もはやマルクスの文筆上の良心性をあえて攻撃する者がなくなったということであり、また、それ以後はおそらくセドリー・テイラー氏も、ブレンターノ氏がハンサードの教皇的無謬性には信をおかないであろうと同じく、ブレンターノ氏の文筆上の戦闘報告に信をおかないであろうということであった。

一八九〇年六月二十五日
ロンドンにおいて
F・エンゲルス

この書を忘れ難きわが友、勇敢にして忠実且つ高潔なるプロレタリア先鋒の同士

ウィルヘルム・ヴォルフ(一八〇九年六月十一日、タルナウに生まれ、一八六四年五月九日、亡命中マンチェスターに客死す)に捧ぐ

第一巻 資本の生産工程

第一篇 商品及び貨幣

第一章 商品

) 商品の二因子、すなわ 使用価値と価値(価値の實體じったいと価値の大小)

1

資本制生産方法が専ら行われる社会の富は『偉大なる商品集積』()として現れ、個々の商品(1)はその成素形態として現れる。

故に我々の研究は、商品の分析を以って始まる。

資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は「商品の巨大な集まり(1)」として現れ、個々の商品はその富の要素形態として現れる。

それゆえ、我々の研究は、商品の分析から始まる。

2

商品は先づ、外界の一対象である。

すなわち、その諸性質に依って、人類の何等かの種類の欲望を充たす一の物である。

この欲望の性質如何、すなわちそれが胃腑から起るか、又は空想から起るかは、、問題の上に何等の変化をも与えるものでない()。

又、その物が如何ようにして人類の欲望を充たすか、すなわ ち直接に生活資料として、換言すれば享楽の対象としてか、それとも迂囘的に生産機関としてかそれも茲では問題とならない。

商品は、何よりもまず、その諸属性によって何らかの種類の人間的欲求を満たす一つの物、一つの外的対象、である。

これらの欲求の性質、すなわち欲求が例えば胃袋から生じるか、想像から生じるかということは、事態を何ら変えない(2)。

ここでは、また、どのようにして物が人間的欲求を満たすか——直接に生活手段として、すなわち享受の対象としてか、それとも、回り道をして、生産手段としてか——ということも問題ではない。

3

鉄、紙などの如き如何なる有用物も、これを二重の見地、すなわち質と量との両面から観察することが出来る。

斯くの如き有用物は、いづれも多数性質の集合物であって、したがって種々なる方面に有用なるを得る。

此等の種々なる方面、随って有用物の様々なる用途を發見するには、歴史的事蹟じせきである()。

有用物の分量に對する社会的公認尺度の設定も亦そうである。

元来、商品尺度の多種多様なることは、一部的には、秤量ひょうりょうせらるべき対象の性質の多種多様なるに起因し、一部的にはまた。伝習でんしゅう に起因するものである。

鉄、紙などのような有用物は、どれも、二重の観點から、質および量の観點から、考察されなければならない。

このような物はどれも、多くの属性からなる一つの全体であり、それゆえ、さまざまな面で有用でありうる。

これらの様々な面と、それゆえ物のいろいろな使用の仕方とを發見することは、歴史的な行為である(3)。

有用物の量をはかる社会的尺度をみつけ出すこともそうである。

諸商品尺度の相違は、一部は、はかられる対象の性質の相違から生じ、一部は慣習から生じる。

4

物の有用性は、この物を使用価値5たらしめる()。

然し、この有用性は、空中に浮かんでいるものではない。

それは商品体の諸性質に基くものであって、商品体を離れては存在しない。

されば鉄、小麦、ダイヤモンドなどの如き商品体それ自身が一の使用価値、すなわち財なのである。

商品体のこの資格は、商品体の使用上の諸能性を占有するために、人類が多くの労働を費したか、少しの労働しか費さないかに懸るものではない。

我々は使用価値を考察するに当り、つねに、その一定の分量を前提する。

例えば何ダースの時計、何ヤールのリンネル、何トンの鉄などという如くである。

商品の使用価値は、特殊の一学科たる商品学()に材料を供給するものである。

ある物の有用性は、その物を使用価値にする(4)。

しかし、この有用性は空中に浮かんでいるのではない。

この有用性は、商品体の諸属性によって制約されており、商品体なしには実存しない。

それゆえ、鉄、小麦、ダイヤモンドなどのような商品体そのものが、使用価値または財である。

有用性は商品体が実際に存在することによってその価値が規定される。

そして、それら商品体は「多くの属性からなる一つの全体」として使用、消費されて初めて有用性が認められ「使用価値」となる。

商品体のこの性格は、その使用上の諸属性を取得するために人間が多くの労働を費やすか、少しの労働を費やすかにはかかわりがない。

使用価値の考察に際しては、一ダースの時計、一エレのリンネル、一トンの鉄などのようなその量的規定性がつねに前提されている。

諸商品の諸使用価値は、一つの独自な学科である商品学の材料を提供する(5)。

5

使用価値なるものは、使用又は消費によってのみ実現される。

富の社会的形態の如何を問わず、使用価値は常にその実材的内容を形成する。

而して我々が茲に考究せんとする社会形態においては、それは同時にまた、交換価値7の実材的負担者8たるのである。

使用価値は、使用または消費においてのみ、実現される。

使用価値は、富の社会形態がどのようなものであろうと、富の素材的内容をなしている。

我々が考察しようとする社会形態においては、それは同時に交換価値の素材的担い手をなしている。

6

交換価値は先づ、分量關係すなわ ち一種類の使用価値が他種類の使用価値と交換される()比例——時と処とに準じて絶えず変化するところの——として現れる。

故に交換価値は偶然的な純相対的な物であり、随って商品に内在固有するところの交換価値(固有価値)9ありというは、一の形容矛盾であるように見える()。

この問題を尚、詳しく考えてみよう。

交換価値は、さしあたり、一つの種類の使用価値が他の種類の使用価値と交換される量的關係、すなわち比率(6)として現れる。

それは、時と所とともに絶えず変動する關係である。

それゆえ、交換価値は、なにか偶然的なもの、純粋に相対的なもののように見え、したがって、商品に内的な、内在的な、交換価値(”固有価値”)というものは、一つの”形容矛盾"(*1”に見える(7)。

事態を、もっと詳しく考察してみよう。

7

一定の商品、例えば一クォーターの小麦は、x量の靴墨、y量の絹、z量の金、約して言えば、種々様々な比例に於ける他の諸商品と交換される。

されば小麦は、単一の交換価値のみを有するものではなく、多数の交換価値を有しているのである。

然るにx量の靴墨も、y量の絹も、z量の金なども、総べて皆、一クォーターの小麦の交換価値であるから、x量の靴墨、y量の絹、z量の金などは交互に置き換え得るところの、又は互にそのおお さを等しうするところの交換価値であらねばならぬ。

そこで第一に、ういう結論が生じて来る。

すなわち、同じ一商品の有效ゆうこうなる各交換価値は、一の等一物を言い現している。

第二にまた、総じて交換価値なるものは、それ自身と区別し得る或内容の表章様式すなわち『現象形態』たり得るのみである。

ある特定の商品、たとえば1クォーターの小麦は、x量の靴墨、y量の絹、z量の金などと、要するにきわめて様々な比率で他の諸商品と交換される。

だから、小麦は、ただ一つの交換価値を持っているのではなく、いろいろな交換価値を持っている。 交換価値の尺度の多様性

したがって、特定の商品は真の価値、固有の価値を持つにもかかわらず、現實には交換する量の相対的な比率によって表される。

しかし、x量の靴墨も、y量の絹もz量の金なども、どれも1クォーターの小麦の交換価値であるから、x量の靴墨、y量の絹、z量の金などは、互いに置き換えうる、または互いに等しい大きさの、諸交換価値でなければならない。 多様な尺度の帰着

つまり、商品の真の価値が交換価値だとすれば、全ての商品において、交換することのできる一定の量の商品の絶対的な真の価値は等しくなければならない。

それゆえ、こういうことになる。

第一に、同じ商品の妥当な諸交換価値は一つの等しいものを表現する。

しかし、第二に、交換価値は、一般にただ、それとは区別されうるある内実の表現様式、「現象形態」でしかありえない。

8

更らに二つの商品、例えば小麦と鉄とを例に採ろう。

これら二商品の交換比例は如何ようにもあれ、それは常に与えられたる分量の小麦を、或分量の鉄と等位に置く方程式、例えば一クォターの小麦=aハンドレッドウェイトの鉄[#横書き]を以って示すことが出来る。

この方程式は何を意味するか。

それは同じ大きさの一共通物が、二つの相異った物すなわち一クォターの小麦とaハンドレッドウェイトの鉄との内に存在することを示すのである。

随ってこの両者のおのおのは、それが交換価値である限り、斯様な第三者に約元し得るものでなくてはならぬことになる。

さらに、二つの商品、たとえば小麦と鉄とをとってみよう。

それらの物の交換比率がどうであろうとも、この比率は、常に、ある与えられた分量の小麦がどれだけの分量の鉄に等置される一つの等式、たとえば、1クォーターの小麦=aツェントナーの鉄の鉄によって表せうる。

この等式は何を意味するのか。

同じ大きさの一つの共通物が、二つの異なった物に中に、すなわち1クォーターの小麦の中にもaツェントナーの鉄の中にも、実存するということである。

したがって、両者は、それ自体としては一方でもなければ他方でもないある第三のものに等しい。

したがって、両者はどちらも、それが交換価値である限り、この第三のものに還元されうるものでなければならない。

幾何学上の単純なる一例を以って、この事実を明かにしよう。

如何なる直線形にしろ、その面積を決定し比較するためにはこれを三角形に分解する。

而してまた、この三角形それ自体は、これをその目に見える形とは全く異った言い現し、すなわちその高さと底との積の二分の一に約元する。

これと同様に、諸商品の交換価値も亦、それに依ってヨリ多量なり少量なりを表現されているところの一共通物に約元し得るのである。

簡単な幾何学上の一例がこのことを明らかにするであろう。

およそ直線形の面積をはかり、比較するためには、それをいくつかの三角形に分解する。

三角形そのものは、その目にみえる形とはまったく異なる表現──底辺×高さ÷2──に還元される。

これと同じように、諸商品の諸交換価値もある共通物に還元されて、諸交換価値は、この共通物の多量または少量を表すことになる。

10

この共通物は、商品の幾何学的、物理学的、化学的、又はその他の自然的性質であり得ない。

商品の有形的性質は総じてそれが商品を有用ならしめ、使用価値たらしむる限りに於いてのみ、考慮に入るものである。

他方にまた、商品の使用価値からの抽象こそ、商品の交換比例をば一目瞭然的に特徴するところのものである。

交換比例の内部に於いては、一の使用価値はそれが適当なる比例を以って存在しさえすれば、他の如何なる使用価値とも同じに通用する。

或はまた、老バーボンの言う如く、『一種類の商品と他種類の商品とは、その交換価値の大きさが等ければ共に同じものである。同じ大きさの交換価値を有する物の間には、何等の差異も区別もない』()。

この共通なものは、商品の幾何学的、物理学的、科学的またはその他の自然的属性ではありえない。

そもそも商品の物体的諸属性が問題になるのは、ただ、それらが商品を有用なものにし、したがって使用価値にする限りでのことである。

ところが、他方、諸商品の交換關係を明白に特徴づけるものは、まさに諸商品の使用価値の捨象である。

この交換価値の内部では、一つの使用価値は──それが適当な比率で存在していさえすれば──他のどの使用価値ともまったく同じものとして通用する。

あるいは、老バーボンが言うように、「一つの種類の商品は、その交換価値が同じ大きさならば、他の種類の商品と同じである。同じ大きさの交換価値を持つ諸物の間には、いかなる相違も区別も実存しない

11

各商品は、これを使用価値として見れば、互いに質を異にするということが先に立つが、交換価値として見れば、ただ量を異にし得るに過ぎず、随って使用価値の一原子をも含まないのである。

使用価値としては、諸商品はなによりもまず、相違なる質であるが、交換価値としては、相違なる値でしかありえず、したがって、一原子の使用価値も含まない。

12

そこで、商品体をその使用価値から離れてみるとき、残るところはただ労働生産物たる性質のみである。

然し労働生産物でさえも、既に我々の手の中で変化している。

労働生産物の使用価値から抽象することは、同時にまた、労働生産物を使用価値たらしめる有形的な諸成分及び諸形態からも抽象することになる。

斯くして労働生産物は、もはや、卓子たくし(つくえ)でもなく、家でもなく、絲でもなく、その他何等の有用物でもない。

労働生産物のあらゆる有形的性質は消え去っている。

それはもはや、指物労働、建築労働、紡績労働、その他如何なる一定の生産的労働の産物でもない。

労働諸生産物の有用的性質と共に、それらの物に表現されている諸労働の有用的性質も亦消滅し、これら諸労働の種々なる具体的形態も亦消滅する。

諸労働はもはや、互いに相違なるところなく、総べてが等一なる人間労働、すなわち抽象的人間労働に約元されている。

そこで、諸商品体の使用価値を度外視すれば、諸商品にまだ残っているのは、一つの属性、すなわち労働生産物という属性だけである。

しかし、労働生産物もまたすでに我々の手で変えられている。

もし我々が、労働生産物の使用価値を捨象するならば、我々は、労働生産物を使用価値にしている物体的諸成分と諸形態をも捨象しているのである。

それはもはや、テーブル、家、糸、あるいはその他の有用物ではない。

その感性的性状は、すべて消し去られている。

つまり、使用価値を度外視することは、労働生産物もまた我々が変えたということになる。

労働生産物の有用性や具体的形態が全て消滅した場合、個々の商品は、他の商品と区別できる独自の価値は存在しなくなる。

つまり、個々の商品に存在するのは、個性のない一般的・平均的な人間の労働によって付加された、抽象的な価値が存在するのみである。

13

然らば、労働諸生産物の残基は何であるかを考察しよう。

右の抽象の後に労働生産物に残るものは、同一なる空幻くうげん的の対象性のみである。

すなわち無差別なる人間労働の、換言すれば、その支出の形式に頓着とんちゃく することなく考えた人間労働の支出の、単なる凝結ぎょうけつ のみである。

これらの物は結局ただ、その生産のためにに人間労働力が支出され、人間労働が蓄積されるということを示すに止まる。

これらの物は、斯くの如き共通なる社会的實體じったい の結晶としてみるとき、価値12——商品価値13——なのである。

そこで、これらの労働生産物に残っているものを考察しよう。

それらに残っているものは、同じ幻のような対象性以外の何物でもなく、区別のない人間的労働の、すなわちその支出の形態にはかかわりのない人間的労働の支出の、単なる凝固体以外の何物でもない。

これらのものが表しているのは、もはやただ、これらの物の生産に人間的労働力が支出されており、人間的労働が堆積されているということだけである。

これらのものに共通な、この社会的實體じったいの結晶として、これらの物は、価値──商品価値である。

14

商品の交換關係に於いては、交換価値なるものは使用価値から全く独立したものとして現れることは、我々の既に見たところである。

然るに、労働諸生産物の使用価値から現實的に抽象してしまうと、上に限定せる如き価値が残る。

故に商品の交換關係に現れるところの共通物とは、すなわち価値であるということになる。

諸商品の交換關係そのものにおいては、それら諸商品の交換価値は、それら諸商品の諸使用価値とはまったくかかわりないものとして、我々の前に現れた。

そこで、労働諸生産物の使用価値を現實に捨象すれば、いままさに規定されたとおりのそれらの価値が得られる。

したがって、商品の交換關係または交換關係のうちに自らを表している共通物とは、商品の価値である。

15

本書の研究が進むにつれて、価値の必然的表章様式又は現象形態としての交換価値の説明に論を戻すことになるが、今は づ、この形態から独立して価値の性質を考えて見ねばならぬ。

研究の進行は、価値の必然的な表現様式または現象形態としての交換価値に我々を連れ戻すであろうが、やはり、価値は、さしあたり、この形態から独立に考察されなければならない。

16

要するに、一の使用価値、すなわち財は、抽象的意義に於ける人間労働がその中に対象化され實體じったい 化されてるが故にのみ価値を有するのである。

然らばこの価値の大きさは、如何にして秤量ひょうりょうされるか。

使用価値の中に含まれているところの『価値形成實體じったい』たる労働の量に依って秤量されるのである。

而して労働の量はまた、労働の時間的継続に依って秤量され、労働時間14は更らに時、日、等の如き一定の時間部分を尺度とするのである。

したがって、ある使用価値または財が価値を持つのは、そのうちに抽象的人間的労働が対象化または物質化されているからにほかならない。

では、どのようにしてその価値の大きさは計られるのか。

それに含まれている「価値を形成する實體じったい」、すなわち労働の、分量によってである。

労働量そのものは、その継続時間によって計られ、労働時間はまた、時間、日などのような一定の時間部分を度量基準としている。

17

商品の価値がその生産の進行中に支出された労働の量に依って決定されるとすれば、人が怠惰であり又は不熟練であればある程、商品を造り上げる為にそれだけ多くの時間を要するのであるから、彼れの造る商品はそれだけ価値の多いように見えるかも知れぬ。

然しながら、価値の實體じったいを形成する労働とは、等一なる人間労働、換言すれば同一なる人間労働力の支出を謂うのである。

商品界の価値全体の中に表現される社会の総労働力は、無数の個別的労働力から成り立っているが、茲では総べて一様なる人間労働力と見做される。

而してこれらの個別的労働力の各個は、それが社会的の平均労働力たる性質を有し、また斯くの如き社会的の平均労働力として作用し、随って一商品の生産上に、平均的或は社会的に必要なる労働時間のみを要する限り、いずれも皆同一なる人間労働力である。

而してその社会的に必要なる労働時間とは、現在に於ける社会的に標準を成す生産条件と、労働の熟練及び能率の社会的平均程度とを以って、何等かの使用価値を生産するに必要な労働時間を指すのである。

一商品の価値が、その生産の間に支出された労働の分量によって規定されるとすれば、ある人が怠惰または不熟練であればあるほど、彼はその商品の感性にそれだけ多くの時間を必要とするのだから、彼の商品はそれだけ価値が大きいと思われるかもしれない。

しかし、諸価値の實體じったいをなす労働は、同等な人間的労働であり、同じ人間的労働力の支出である。

商品世界の諸価値に表される社会の総労働量、確かに無数の個人的労働力から成り立っているけれども、ここでは同一の人間的労働力として通用する。

これらの個人的労働力のそれぞれは、それが一つの社会的平均労働力という性格を持ち、そのような社会的平均労働力として作用し、したがって、一商品の生産に平均的に必要な、または社会的に必要な、労働時間だけを必要とする限り、他の労働力と同じ人間的労働力である。

社会的に必要な労働時間とは、現存の社会的・標準的な生産諸条件と、労働の熟練および強度の社会的平均度とをもって、なんらかの使用価値を生産するのに必要な労働時間である。

18

例えは、イギリスに於いて蒸気機関の採用された結果、一定量の絲を織物にするのに恐らく従来の労働のなかばを以って事足るようになったであろう。

イギリスの手織工は、この同一の仕事に対して事実上従来通りの労働時間を要したのであるが、彼れ自身の労働一時間の生産物は、今や半時間の社会的労働を表現するに過ぎなくなり、随って従前の価値の半ばに低落したのである。

たとえば、イギリスで蒸気機関が導入されてからは、一定の分量の糸を織物に転化するためには、おそらく依然の半分の労働で足りたであろう。

イギリスの手織工はこの転化のために実際には依然と同じ労働時間を必要とした、彼の個人的労働時間の生産物は、今ではもう半分の社会的労働時間を表すに過ぎず、それゆえ、以前の価値の半分に低下したのである。

19

斯くの如く、一の使用価値の価値の大小を決定するものは、社会的に必要なる労働の量、又はその生産上社会的に必要なる労働時間に外ならぬのであって()、個々の商品は、この場合、総じてその所属種類の平均的見本15と見るべきである()。

斯くて同一量の労働を含むところの、換言すれば同一の労働時間に生産され得るところの諸商品は、みな同じ大きさの価値を有することになる。

一商品の価値が他の各商品の価値に対して有する比例は、前者の生産に必要なる労働時間が後者の生産に必要なる労働時間に対して有する比例に等しい。

『価値として見れば、如何なる商品も、凝結したる労働時間の一定量に過ぎぬ』(十一)のである。

したがって、ある使用価値の大きさを規定するのは、社会的に必要な分量、または、その使用価値の生産に社会的に必要な労働時間にほかならない(9)。

個々の商品は、ここでは一般に、それが属する商品種類の平均見本として通用する(10)。

それゆえ、等しい大きさの労働分量が含まれている、または同じ労働時間で生産されうる、諸商品は、同じ価値の大きさをもつものである。

一商品の価値と他のすべての商品の価値との比は、一方の商品の生産に必要な労働時間と他方の商品の生産に必要な労働時間との比に等しい。

「価値としては、すべての商品は、一定量の凝固した労働時間にほかならない(11)」。

20

されば商品の価値の大さは、その商品の生産に必要なる労働時間が不変19であるとすれば変化することはないであろう。

然るにこの労働時間は、労働の生産力に変化ある毎に変化するものである。

而して労働の生産力はまた、種々なる事情、なかんづく労働者の熟練の平均程度、科学及びその工芸的應用の發達程度、生産行程の社会的結合、生産機関の範囲及び作用能力、諸種の自然事情、等に依って決定される。

それゆえ、ある一つの商品の生産に必要とされる労働時間が不変であれば、その商品の価値の大きさは不変のままであろう。

しかし、その労働時間は、労働の生産力が変動するたびに、それにつれて変動する。

労働の生産力は、いろいろな事情によって規定され、とりわけ、労働者の熟練の平均度、科学とその技術学的應用可能性との發展段階、生産過程の社会的結合、生産手段の規模とその作用能力によって、さらには自然諸關係によって、規定される。

20

例えば同一量の労働が、翌年には八ブシェルの小麦に依って代表され、不作の年には僅々きんきん四ブシェルの小麦に依って代表される。

また、同一量の労働が、豊坑ほうこうに於いては痩坑そうこうに於けるよりも多量の金属を供給する等の事実もある。

ダイヤモンドは、地表に於いては稀有のものであって、これを見出すには平均して多大の労働時間を要する。

斯くしてダイヤモンドは僅少の量を以って多大の労働を代表することになるのである。

ヤコーブは、果して金の全価値が支払われたことあるかを疑っている。

ダイヤモンドに至っては尚更である。

エシュヴェーゲ20に依れば、一八二三年ブラジルの諸ダイヤモンド坑に於ける過去八十年間の採掘総高は、同国に行われる甘蔗かんしょ 及び珈琲栽培業の一年半の平均生産物の価格にも達しなかった。

而も前者はヨリ多くの労働、随ってまたヨリ多くの価値を代表していたのである。

たとえば、同じ分量の労働でも、豊作のときには8ブシェルの小麦に表され、凶作のときにはただ4ブシェルの小麦に表されるにすぎない。

同じ分量の労働でも、豊かな鉱山では貧しい鉱山でよりも多くの金属を供給する、等々。

ダイヤモンドは地殻にはめったにみられないので、その發見には平均的に多くの労働時間が費やされる。

そのため、ダイヤモンドはわずかな体積で多くの労働を表すことになる。

ジェイコブは、金がかつてその全価値を支払われたことがあるかどうかを、疑っている(*1

このことは、ダイヤモンドにはいっそうよくあてはまる。

エッシュヴェーゲによれば、1823年の時點でブラジルのダイヤモンド鉱山の過去80年間の総産出高は、ブラジルの砂糖農園またはコーヒーの農園の1年半分の平均生産物の価格にも達していなかった(*2)。

ダイヤモンドの総産出高がはるかにより多くの労働を、それゆえ、より多くの価値を表しているいたにもかかわらず、そうだったのである。

21

同一量の労働も、豊坑に於いてはヨリ多大のダイヤモンドに依って代表されるのであって、ダイヤモンドの価値は低落することになる。

また若し僅少の労働を以って炭素をダイヤモンドに化し得るようになるとすば、ダイヤモンドの価値は煉瓦の価値以下に低落し得るのである。

概括して言えば、労働の生産力が大なるに従って、一物品の生産に要する労働時間は益々小となり、その物品に結晶している労働量、随ってこの物品の価値は益々小となるのである。

反対に、労働の生産力が小なれば小なる程、一物品の生産に要する労働時間は益々大となり、斯くしてこの物品の価値も亦益々大となるのである。

すなわち一商品の価値の大小は、この商品に体現している労働の量に正比例し、その生産力には逆比例して変化するのである。

もしももっと豊かな鉱山があれば、同じ労働分量はもっと多くのダイヤモンドに表され、ダイヤモンドの価値は下がるであろう。

もしもほんのわずかの労働で石炭をダイヤモンドに変えることに成功すれば、ダイヤモンドの価値は煉瓦の価値以下になりうる。

一般的に言えば、労働の生産力が大きければ大きいほど、ある物質の生産に必要とされる労働時間はそれだけ小さく、それに結晶化される労働量はそれだけ小さく、その価値はそれだけ小さい。

逆に、労働の生産力が小さければ小さいほど、ある物質の生産に必要な労働時間はそれだけ大きく、その価値はそれだけ大きい。

すなわち、一商品の価値の大きさは、その商品に実現される労働の分量に正比例し、その労働の生産力に反比例して、変動する(*3)。

22

物は価値たらずして使用価値たることを得る。

すなわち人類に對するその物の效用こうよう が、労働によって生じたのでない場合がそれであって、例えば空気や、処女地や、自然的の牧場や、野生の木材などに於いて見るところである。

また、物は商品たらずして有用であり、且つ人間労働の生産物たることを得る。

例えば、自己の労働の生産物に依って自己の欲望を満たす人は、使用価値を創り出すには相違ないが、商品を造り出すものではない。

商品を生産するためには、彼れは単に使用価値を生産するというのみでなく、また他人のための使用価値を、すなわ ち社会的使用価値を生産せねばならぬ。〔否、単に他人のために21使用価値を造るということばかりではない。中世の農民は封建主君のために年貢ととすべき穀物22を造り、僧侶のために十分一税とすべき穀物23を造った。然し年貢とすべき穀物も、十分一税とすべき穀物も、他人のために生産されたものではあるが、そのために商品とはならなかった。生産物が商品となるためには、それが使用価値として役立つ他人の手に交換を通して移転されることを要するのである〕(十一a)。

最後に如何なる物も、使用対象たることなくして価値たることを得ない。

物が無用であるとすれば、その内に含まれている労働も亦無用であって、斯かる労働は労働とは認められず、随って何等の価値をも形成するものではないのである。

ある物は、価値であることなしに、使用価値でありうる。

人間にとってその物の効用が労働によって媒介されていない場合がそれである。

空気、処女地、自然の草原、原生林などがそれである。

あるものは商品であることなしに有用であり、人間的労働の生産物でありうる。

自分の生産物によって、自分自身を満たす人は、確かに使用価値を作り出すが、商品を作り出しはしない。

商品を生産するためには、彼は、使用価値を生産するだけではなく、他人のための使用価値を、社会的使用価値を、生産しなければならない。

しかも、ただ単に他人のためというだけではない。

{中世の農民は、封建領主のために年貢の穀物を生産し、僧侶のために十分の一税の穀物を生産した。しかし、年貢穀物も十分の一税穀物も、それらが他人のために生産されたということによっては、商品にはならなかった。商品になるためには、生産物は、それが使用価値として役立つ他人の手に、交換を通して移さなければならない}(11a)。

最後に、どんな物も、使用対象〔フランス語版では「有用物」〕であることなしには、価値ではあり得ない。

物が無用であれば、それに含まれている労働もまた無用であり、労働としては数えられず、したがって何らの価値もない。

) 商品に表現される労働の二重性質

23

商品は最初、一の二重物として、すなわち使用価値及び交換価値として、我々の目にえいじた。

後に至り、労働も亦、価値は言い現される方面から観察すれば、使用価値造出者としてのそれに属するところのものと同一の特徴を有しなくなることが明かになった。

商品に含まれる労働のこの二重性質は、私が初めて批判的に論証したところのものである(十二)。

而してこの問題は、経済学を理解するについての枢軸すうじくであるから、ここ尚詳なおくわ しく開明するする必要がある。

最初に、商品は、二面的なものとして、すなわち使用価値及び交換価値として、我々の前に現れた。

後には、労働もまた、それが価値に表現される限りでは、使用価値の生みの母としての労働に属するのと同じ特徴を、もはや持っていないということが示された。

商品に含まれる労働のこの二面的性質は、私によって初めて批判的に指摘されたものである(12

この點は、経済学の理論にとって決定的な點であるから、ここで立ち入って説明しておこう。

24

試みに、一着の上衣と十ヤールのリンネルとの如き二商品を例に採ろう。

仮りに、10ヤールのリンネル=Wとすれば 上衣=2Wとなるように、右の前者が後者に二倍した価値を有するものとする。

二つの商品、例えば1着の上着と10エレのリンネルをとってみよう。

前者は後者の二倍の価値をもつものとすれば、10エレのリンネル=Wのとき、1着の上着=2Wである。

25

上衣は特殊の一欲望を充たすところの使用価値である。

これを造り出すには、一定種類の生産的活動を要する。

この生産的活動の種類は、その目的や、作業方針や、対象や、要具や、結果などに依って決定される。

 

斯くその有用性が生産物の使用価値に依って、又は生産物が使用価値であるという事実に依って表現される労働を、我々は簡単に有用労働24と名づける。

上着は、一つの特殊な欲求を満たす一つの使用価値である。

それを作り出すためには、一定の種類の生産的活動が必要である。

この活動は、その目的、作業様式、対象、手段、および結果によって規定されている。

その有用性がこのようにその生産物の使用価値に──またはその生産物が使用価値であるということに──表される労働を、我々は簡単に有用的労働と呼ぶ。

この観點のもとでは、労働はつねにその有用効果との関連で考察される。

26

上衣とリンネルとが、おのおの質を異にする使用価値であるが如く、その存在を媒介するところの労働も亦互いに質を異にする。

裁縫と機械とがすなわちそれである。

若し上衣とリンネルとが互いに質を異にする使用価値でなく、随ってまた互いに質を異にする有用労働の生産物でないとすれば、両者は商品として対立することができなくなる。

上衣は上衣と交換されるものではなく、同じ使用価値は同じ使用価値と交換されるものではないからである。

上着とリンネルとが質的に異なる使用価値であるのと同じように、それらの定在を媒介する労働も質的に異なるもの──裁縫労働と織布労働である。

もしもこれらの物が質的に異なる使用価値ではなく、したがって質的に異なる有用的労働の生産物でないとすれば、それらはおよそ商品として相對することができないであろう。

上着が上着と交換されることはなく、同じ使用価値が同じ使用価値と交換されることはない。

27

種類の相異なった使用価値または商品体の総和には、同様にまた種類の異にするところの、門、科、属、種、変種、等に分類される様々な有用労働の総和、換言すれば社会的分業が現われる。

この社会的分業は商品生産の存在条件であるが、然しその反対に商品生産は社会的分業の存在条件たるものではない。

古代インド的の共同体に於いては、労働は社会的に分割されているが、然しその生産物は商品となるものではない。

尚一層手近な例を挙ぐれば、如何なる工場に於いても労働は体制的に分割されているが、この分割は労働者が自己の手に成った生産物を交換するという事実に依って媒介されるものではない。

互いに独立した個別的な私労働の生産物のみが、商品として相対立するのである。

さまざまな種類の使用価値または商品体の総体のうちには、同じように多様な、属、種、科、亜種、変種を異にする有用的労働の総体──社会的分業──が現れている。

この社会的分業は、商品生産の実存条件である。

もっとも、逆に、商品生産は社会的分業の実存条件ではない。

古インド的共同体では、労働は社会的に分割されているが、生産物は商品になっていない。

あるいは、もっと手近な例を挙げれば、どの工場でも労働は体系的に分割されているが、この分割は、労働者たちがかれらの個別的生産物を交換することによって媒介されているのではない。

自立的な、互いに独立の、私的労働の生産物だけが、互いに商品として相對するのである。

28

要するに、各商品の使用価値には、一定の目的に合致した生産的なる活動25すなわ ち有用労働が含まれている。

使用価値なるものは、互いに質を異にする有用労働を含むにあらざれば、商品として相対立することは出来ない。

生産物が一般に商品の形を採る社会、すなわ ち商品生産者の社会に於いてこそ、互いに独立した生産者の私営業として相互個別的に含まれる有用労働の斯かる質的差異は、複雑に編成された一体制なる社会的分業に發展して行くのである。

したがって、我々は次のことを見てきた。

──どの商品の使用価値にも一定の合目的的な生産的活動または有用的労働が潜んでいる。

諸使用価値は、質的に異なる有用的労働がそれらに潜んでいなければ、商品として相對することはできない。

その生産物が一般的に商品という形態をとっている社会においては、すなわち商品生産者たちの社会においては、自立した生産者たちの私事として互いに独立に営まれる有用的労働のこうした質的区別が、一つの多岐的な体制に、すなわち社会的分業に、發展する。

29

上衣を着る者が裁縫師であろうが、裁縫師の注文客であろうが、それは上衣にとって区別のないことである。

いづれの場合にも、上衣は使用価値として作用する。

同様に、裁縫業が特殊の一職業となり、換言すれば社会的分業の独立した一部となったからとて、上衣をそれを生産する労働との關係そのものは何等変化するところがない。

衣服を着ようとの欲望に迫られたところにあっては、裁縫師という事業者の生じない以前、人類は既に数千年の久しきにわたって裁縫師ていたのである。

然し上衣やリンネル、換言すれば天然自然には存在せざる、素材的富の各要素の存在は常に、特殊の自然素材をば特殊の人間欲望に同化せしむるところの、一定の目的に従ってする特殊の生産的活動に依って媒介されねばならなかったのである。

要するに労働なるものは、これを使用価値の形成者たる有用労働として見れば、凡ゆる社会的形態から独立した、人類生存上の一条件であり、人類と自然との間の代謝機能26たる人類生活を媒介すべき永遠の自然必然事27なのである。

ところで、上着にとっては、それが裁縫師によって着られるか、それとも裁縫師の顧客によって着られるかは、どうでもよいことである。

どちらの場合でも、上着は使用価値として作用する。

同じように、上着とそれを生産する労働との關係は、裁縫労働が特殊な職業となり、社会的分業の自立的な一分肢となることによっては、それ自体として変わることはない。

人間は、衣服を着る必要に迫られたところでは、誰かある人が裁縫師になる前に、すでに何千年にわたって裁縫労働を行ってきた。

しかし、上着やリンネルのような天然自然には存在しない素材的富のあらゆる要素の定在は、特殊な自然素材を特殊な人間的欲求に適合させるある一つの特殊な合目的的な生産的活動によって、つねに媒介されなければならなかった。

だから、労働は、使用価値の形成者としては、有用的労働としては、あらゆる社会形態から独立した、人間の一実存条件であり、人間と自然との物質代謝を、それゆえ人間的生活を、媒介する永遠の自然必然性である。

30

上衣、リンネル等の如き使用価値約言すれば商品体は、自然素材並びに労働たるに二要素の結合したものである。

上衣、リンネル等に含まれる各種有用労働の総和を控除するとき、常に残るところのものは、人間の助力なくして自然のまま存在している物質的の基底である。

人類は生産上ただ自然それ自身のする通りにしかなし得ないのである。

すなわち素材の形態を変更し得るに過ぎない(十三)。

しかのみならず、この形態変更の労働に於いても、人類は常に自然力によって支持される。

されば労働は、その所産たる使用価値すなわち素材的労働の唯一の源泉ではない。

ウィリアム・ペテーの言う如く、労働は素材的富の父であり、而して土地はその母である。

使用価値である上着、リンネルなど、要するに商品体は、二つの要素の、すなわち自然素材と労働との、結合物である。

上着、リンネルなどに含まれているすべての異なった有用的労働の総和を取り去れば、人間の関与なしに天然に存在する物質的基体が常に残る。

人間は、彼の生産において、自然そのものと同じようにふるまうことができるだけである。

すなわち、素材の形態を変えることができるだけである(13

それだけではない。

形態を変える労働そのものにおいても、人間は絶えず自然力に支えられている。

したがって、労働は、それによって生産される使用価値の、存在的富の、唯一の源泉ではない。

ウィリアム・ペティが言っているように、労働は素材的富の父であり、土地はその母である(

31

以上は使用対象たる限りの商品を論じたのであるが、更らに転じて商品価値を論ずることにしよう。

そこで、今度は、使用対象である限りでの商品から、商品価値に移ろう。

32

さきの仮定に依れば、上衣はリンネルに二倍する価値をっている。

然しこれは量の上の差異に過ぎないものであって、この問題は今のところまだ我々に關係がない。

そこで、我々は、上衣一着の価値がリンネル十ヤールの価値に二倍しているとすれば、リンネル二十ヤールは上衣一着と同じ大きさの価値を有するということを想起する。

上衣もリンネルも価値としては同じ實體じったいの物であり、同一種類の労働を客観的に言い現した物である。

然るに裁縫労働と>機織はたおり労働とは、互いに質を異にする労働である。

ところが、同一の人間が裁縫と機織とを交互に行う社会状態、換言すればこの二つの相異なった労働方法が畢竟ひっきょう 、同一個人の労働の変形に過ぎず、尚未だ別々の個人の固定した専門的機能とならぬところの(あたか も我々の専業裁縫師に依って今日造られる上衣、明日造られるズボンが、同一なる個人的労働の変化を前提するに過ぎぬ如く)社会状態もある。

更らに、今日の資本制社会に於いても、労働需要の方向変化に従い、人間労働の一定部分は、或時は採捕の形を以って、或時は又機織の形を以って供給されることは、一目瞭然の事実である。

勿論、この労働の形態変化は、故障なしには行われぬかも知れないが、兎にかく行われねばならぬ物である。

われわれの想定によれば、上着はリンネルの二倍の価値をもっている。

もっとも、これは量的な区別に過ぎず、この区分はさしあたりまだ我々の問題ではない。

そこで、我々は、一着の上着の価値が10エレのリンネルの価値の二倍であれば、20エレのリンネルは一着の上着と同じ価値の大きさを持つということを思い出そう。

価値としては、上着とリンネルとは同じ実態をもつ物であり、同種の労働の客観的表現である。

ところが、裁縫労働と織布労働とは、質的に異なる労働である。

とはいえ、ある社会状態においては、同じ人間が裁縫労働と織布労働とをかわるがわる行い、したがってこの二つの異なる労働様式は同じ個人の労働の諸変形に過ぎず、まだ異なる諸個人の特殊な固定的な職能にはなっていないことがある。

それはちょうど、わが裁縫師が今日仕立てる上着と明日仕立てるズボンが同じ個人的労働の変化を前提にするに過ぎないのと全く同じである。

さらに、一見してわかるように、われわれの資本主義社会においては、労働需要の方向が変化するにつれて、それに應じて、一定部分の人間的労働が、あるときは裁縫労働の形態で、あるときは織布労働の形態で、かわるがわる供給されている。

労働のこの形態変換は、摩擦なしには行われないかもしれないが、ともかく行わなければならない。

33

生産的労働の定形、随ってまた、労働の有用的性質をいて問わぬとすれば、生産的活動について残るところのものは、それが人間労働力の支出であるという事実のみである。

裁縫と機織とは、互いに質を異にする生産的活動とはいえ、いづれも人間の脳髄や、筋肉や、神経や、手などの生産的支出である。

而してこの意味に於いては、いづれも人間労働である。

裁縫と機織とは、人間労働力支出上の相異なった二形態に外ならない。

勿論、人間労働力は、いづれかの形で支出されるためには、それ自身既に多かれ少なかれ發達していることを要する。

然し商品の価値なるものは、そのままの人間労働29すなわ ち人間労働一般の、支出を表現するものである。

生産的活動の規定性、したがって労働の有用的性格を度外視すれば、労働に残るのは、それが人間的労働力の支出であるということである。

裁縫労働と織布労働とは、質的に異なる生産的活動であるにもかかわらず、ともに、人間の脳髄、筋肉、神経、手などの生産的支出であり、こうした意味で、ともに、人間的労働である。

それらは、人間的労働力を支出する二つの異なった形態に過ぎない。

確かに、人間的労働力そのものは、それがあれこれの形態で支出されるためには、多少とも發達していなければならない。

しかし、商品の価値は、人間的労働自体を、人間的労働()一般の支出を表している。

34

ブルヂォア的社会に於いて、警官なり銀行家なりは極めて重大なる役目を演じ、反対にその儘の人間はすこぶ る見すぼらしい役目を演ずるのであるが(十四)、茲に謂う人間労働についても矢張り同様である。

すなわち人間労働とは、特別の發達なき通例の各人が、平均してその身体組織の中に つ単純労働力の支出を意味する。

勿論、この単純なる平均労働﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅ 30それ自身は、国と文化時代との異なるに随って性質を変更するものであるが、然し一定の社会について言えば、それは一定している。

複雑なる労働31は要するに、単純労働の強められたもの﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅ 32、或は寧ろ倍加されたもの﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅ 33に過ぎぬのであって、少量の複雑労働は多量の単純労働に等しいものとなる。

この換算が絶えず行われるということは、経験の示すところである。

或商品は最も複雑なる労働の産物であるかも知れない。

而もその価値に依って、それは単純なる労働の生産物と等しからしめられ、斯くしてまた単純なる労働の一定量を代表するに過ぎぬものとされる(十五)。

種類の相異なった各労働がその尺度単位として単純労働に換算される様々の比例は、生産者の背後に於ける社会的行動に依って定められる物である。

随って生産者から見れば、それは習慣に依って与えられるかの如き観を呈して来る。

以下、論旨を単純ならしむるため、各種の労働力はt直接に単純労働力を代表するものとみる。

これに依って換算の労が省かれることになるのである。

ところで、ブルジョア社会では、将軍なり銀行家なりは大きな役割を演じ、これに対して人間自体はごくみすぼらしい役割を演じているが14、この場合の人間的労働もそのとおりである。

それは、平均的に、普通の人間ならだれでも、特殊な發達なしに、その肉体のうちにもっている単純な労働力の支出である。

確かに、単純な平均労働そのものは、国を異にし文化史上の時代を異にすれば、その性格を変えるが、現に存在する一つの社会では、与えられている。

より複雑な労働は、何乗かされた、あるいはむしろ何倍か された単純労働としてのみ通用し、そのためには、より小さい分量の複雑労働がより大きい分量の単純労働に等しいことになる。

この還元が絶えず行われていることは、経験が示している。

ある商品はもっとも複雑な労働の生産物であるかもしれないが、その価値は、その商品を単純労働の生産物に等置するのであり、したがって、それ自身、一定分量の単純労働を表すにすぎない15

労賃というカテゴリーは、われわれの叙述のこの段階ではまだまったく存在しない。

さまざまな種類の労働がその度量単位である単純労働に還元されるさまざまな比率は、生産者たちの背後で一つの社会的過程によって確定され、したがって生産者たちにとっては慣習的によって与えられるかのように見える。

簡単にするために、以下ではどんな種類の労働力をも直接に単純な労働力とみなすが、それは、還元の労を省くためにほかならない。

35

すなわ ち価値としての上衣及びリンネルを考察する場合には、その使用価値の差異から抽象するのであるが、それと同様に、これらの価値に依って代表される労働を考察する場合にも、その有用形態たる裁縫及び機織という差異から抽象することになるのである。

使用価値としての上衣及びリンネルは、布と絲とを以ってする目的の一定した生産的活動の結合であり、反対に価値としての上衣及びリンネルは、同一種類の単なる労働凝結物であるが、それと同時に、これらの価値に含まれている労働は布と絲とに對する生産的關係を通して有意義となるものではなく、ただ人間労働力の支出としてのみ、意義あるものである。

上衣及びリンネルなる使用価値の構成要素が裁縫と機織であるのは、この雙方そうほうが互いに質を異にしているからであり、またこの雙方そうほう 夫々それぞれ 上衣価値とリンネル価値との実証となるのは、その特殊の質から抽象して、いづれも人間労働の質という等一の質を有するものとされる限りに於いてのみ、言い得ることである。

したがって、価値である上着およびリンネルにおいては、それらの使用価値の区別が捨象されているように、これらの価値に表されている労働においては、裁縫労働および織布労働というそれらの有用的形態の区別が捨象されている。

使用価値である上着およびリンネルが目的を規定された生産的活動と布および糸との結合したものであり、これに対して価値である上着およびリンネルは単なる同種の労働凝固体であるように、これらの価値に含まれている労働は、布及び糸に對するその生産的なふるまいによってではなく、ただ人間的労働力の支出としてのみ通用する。

裁縫労働と織布労働とが使用価値である上着およびリンネルの形成要素であるのは、まさにこれらの労働の異なる質によってである。

裁縫労働と織布労働とが上着価値およびリンネル価値の實體じったい であるのは、ただ、こらの労働の特殊な質が捨象され、両方の労働が等しい質、人間的労働という質を持っている限りでのことである。

労働をその商品の使用価値、すなわち有用性や具体的外形の形成要素としてとらえるならば、それは労働の異なる質によって区別されなければならない。

一方、労働が商品の真の価値の實體じったい であるとしてとらえるならば、商品独自の労働の質によって区別することなく、平均的人間的労働という共通の質を持っていなければならない。

36

ところが上衣とリンネルとは、単に価値一般であるばかりでなく、また一定の大きさを有する価値である。

而して我々の仮定に従えば、上衣一着の価値はリンネル十ヤールに二倍している。

然らば、これら両価値の大小の差は何処から生じて来るか?

それはすなわ ち、リンネルは上着に比して半分の労働しか含んで居らず、随って後者を生産するには、前者を生産するに比し二倍の時間に亙って労働力を支出せねばならぬといういことから生ずるのである。

だが、上着もリンネルも単に価値一般ではなく、一定の大きさをもつ価値であり、我々の想定では、一着の上着は10エレのリンネルの二倍の価値がある。

これらの価値の大きさのこの相違はどこから生じるのか?

それは、リンネルが上着の半分の労働しか含んでおらず、したがって、上着を生産するにはリンネルを生産する時間の二倍にわたって労働力が支出されなければならまい、ということから生じる。

37

斯くの如く使用価値についていえば、商品に含まれている労働は単に質的にのみ考慮に入るのであるが、価値の大小については、単に量的にのみ、すなわ ち質のドン詰まりなる人間労働に約元sれた後にのみ、考慮に入るのである。

前の場合には、労働の 『如何にして』と『何』とが問題であるが、後の場合には労働の『幾許いくばく』が、時間的継積が問題となる。

一商品の価値の大小は、その商品に含まれる労働量を代表するものであるから、一定の比例に於ける諸商品は、常に同じ大きさの価値でなければならぬ譯である。

したがって、商品に含まれている労働は、使用価値との関連ではただの質的にのみ意義をもつとすれば、価値の大きさとの関聯かんれん では、それがもはやそれ以上の質をもたない人間的労働に還元されているので、ただの量的にのみ意義を持つ。

前の場合には、労働のどのようにしてと、何をするかが問題となり、あとの場合には、労働のどれだけ多くが、すなわちその継続時間が問題となる。

一商品の価値の大きさは、その商品に含まれている労働の分量だけを表すから、諸商品は、一定の比率においては、常に、等しい大きさの価値でなければならない。

38

上衣の生産に必要な凡ゆる有用労働の生産力が不変であるとすれば、上衣の価値のおおきさは、上衣自身の量が増すに従って大となる。

今、一着の上衣がx日数の労働時間を代表するとすれば、二着の上衣は2x日数の労働時間を代表することになり、以下それに準じて行く。

然るに一着の上衣の生産に必要なる労働が二倍に増大し、又は半分に低減したと仮定すれば、前の場合には、一着の上衣は従来二着の上衣が有っていただけの価値を有つことになり、また後の場合には二着の上衣は従来一着の上衣が有っていただけの価値しか有たぬことになる。

尤も、いづれの場合にも、一着の上衣は従来と同じ役をなし、それに含まれている有用労働は従来と同じ品質を有っているであって、ただその生産に支出された労働量が変化しただけである。

たとえば、一着の生産に必要とされるすべての有用的労働の生産力が不変のままにとどまるならば、上着の価値の大きさは、上着自身の量が増えるにつれて増大する。

一着の上着がx労働日を表すなら、二着の上着は2x労働日を表す、等々。

しかし、一着の上着の生産に必要な労働が二倍に増加するか、あるいは半分に減少するものと仮定しよう。

前の場合には、一着の上着は以前の二着の上着と同じ価値を持ち、あろの場合には、二着の上着が以前の一着と同じ価値しかもたない。

もっとも、どちらの場合でも、一着の上着は相変わらず一着の上着として役立ち、それに含まれている有用的労働も相変わらず同じ品質のものである。

ただ、その生産に支出された労働分量が変わったのである。

39

ヨリ多量の使用価値は、それ自身ヨリ大なる素材的富を代表する。

二着の上衣は一着よりは多い。

二着の上衣は二人に着せ得るが、一着の上衣は一人にしか着せられぬ。

然し素材的富の量は増大しても、それに應じて価値の大さは同時に減じ得る。

この対抗的運動は、労働の二重性質から生ずるものである。

生産力なるものは常に、有用な具体的な労働の生産力を意味することは言う迄もない。

而してそれは事実上、与えられたる期間に於ける、一定の目的に従って営まれる生産的活動の作用程度を決定するに過ぎぬ。

されば有用労働なるものは、その生産力の増減如何に正比例してヨリ豊富なる生産物源泉ともなり、またヨリ貧弱なる生産物源泉ともなるのである。

反対に、生産力の変化は、価値に体現する労働その者に対しては何等の影響をも及ぼすものではない。

生産力なるものは元来、労働の具体的な有用な形態の一属性であるから、この形態から抽象し去るとき、生産力はもはや労働に対して何等の關係をも有ち得るものではなくなる。

随って生産力は如何に変じても、同一の労働が同一の期間に造り出す価値量は不変である。

然し同一の期間に作り出される使用価値の量には、種々なる際が生じて来る。

すなわち生産力が増進すれば、ヨリ多量の使用価値を生ずるが、生産力が低減すれば、ヨリ少量の使用価値を生ずることになるのである。

随って、労働の豊度を増進せしめ、斯くしてまた労働より生ずる使用価値の量を増大せしむる生産力の変化に依って、この使用価値の生産に必要なる労働時間の総体が短縮されるとすれば、斯かる場合には右の増大した使用価値総量の価値の大さは減少することになる。

それと反対の場合には、反対の結果が生じて来る。

より大きい分量の使用価値は、それ自体としては、より大きい素材的富をなす。

二着の上着は、一着の上着より大きい素材的富をなす。

二着の上着があれば、二人に着せることができるが、一着の上着では一人にしか着せられない、等々。

とはいえ、素材的富の量の増大に対應して、同時にその価値の大きさが低下することもありうる。

このような対立的運動は、労働の二面的性格から生じる。

生産力は、もちろんつねに、有用的具体的労働の生産力であり、実際、与えられた時間内における合目的的生産的活動の作用度だけを規定する。

だから、有用的労働は、その生産力の上昇または低下に正比例して、より豊かな生産物源泉ともなれば、より貧しい生産物源泉ともなる。

これに対して、生産力の変動は、それ自体としては価値に表される労働には全く影響しない。

生産力は、労働の具体的有用的形態に属するから、労働の具体的有用的形態が捨象されるや否や、生産力は、当然、もはや労働に影響を与えることはできなくなる。

だから、生産力がどんなに変動しても、同じ労働は同じ時間内には、つねに同じ価値の大きさを生み出す。

ところが、同じ労働は同じ時間内に、異なった分量の使用価値を──生産力が上がれば、より大きい量、生産力が下がれば、より小さい量を──提供する。

したがって、労働の多産性を、それゆえ、労働によって提供される使用価値の総量を増大させる生産力の変動は、もしそれがこの使用価値総量の生産に必要な労働時間の総計を短縮させるならば、この増大した使用価値総量の価値の大きさを減少させる。

反対の場合には逆になる。

40

如何なる労働も、一面から見れば、生理的意味に於ける人間労働力の支出である。

而して斯くの如き、等一なる人間労働すなわち抽象的の人間労働という資格に於いては、如何なる労働も商品価値を造り出す。

また他の方面から見れば、一切の労働は一定の目的に合致せる特殊の形態35を採った人間労働力の支出である。

而してこの具体的な有用な労働という資格に於いて一切の労働は使用価値を生産するものである(十六)。

すべての労働は、一面では、生理学的意味での人間的労働力の支出であり、同等な人間的労働または抽象的人間的労働というこの属性において、それは商品価値を形成する。

すべての労働は、他面では、特殊な、目的を規定された形態での人間的労働力の支出であり、具体的有用的労働というこの属性において、それは使用価値を生産する(16)。

)価値形態すなわち交換価値

41

商品は鉄、リンネル、小麦などの如き、使用価値すなわち商品体の形で世に現れて来る。

この形は、それらの物のりのままの現物形態である。

然しながら、これらの物は二重物なるが故にのみ、すなわ ち使用対象であると同時にまた価値負担者38であるが故にのみ、商品たるのである。

換言すれば、これらの物は現物形態39と価値形態40との二重形態を有す限りに於いてのみ商品として現れ、又は商品の形を採ることになるのである。

商品は、使用価値または商品体の形態で、鉄、リンネル、小麦などとして、この世に生まれてくる。

これが商品のありふれた自然形態である。

とはいえ、商品が商品であるのは、それが二重のものであり、使用対象であると同時に価値の担い手であるからに他ならない。

だから、商品は、自然形態と価値形態という二重形態をもつ限りでのみ、商品として現れ、言い換えれば、商品という形態をとるのである。

42

商品の価値対象性41つか み所ないものであって、それはこの點に於いてクイックリー夫人42とは違うのである。

商品体は感性的に粗糙そぞうな対象性を有するものであるが、それと正反対に、商品の価値対象性には自然素材の一點一粒もまじ えられて居らぬ。

されば個々の商品を如何にひねって見ても、それが価値物43として掴み所のないことに変わりはない。

然しながら商品なるものは、同一の社会的単位なる人間労働の表章である限りに於いてのみ、価値対象性を有すること、随ってまた商品の価値対象性は、純社会的のものであることを想起するとき、この価値対象性は、商品対象品の社会的關係の上にのみ現れ得ることは、自明の事実となるのである。

実際のところ、我々はさきに価値を見出すために、それを くまっている商品の交換価値すなわち交換關係から出發したのであるが、今また、この価値現象形態に論を戻さねばならぬ。

商品の価値対象性は、どうつかまえたらいいかわからない(*1ことによって、寡婦のクイックリー(*2区別される。

商品体の感性的にがさがさした対象性とは正反対に、商品の価値対象性には、一原子の自然素材も入り込まない。

だから、一つ一つの商品を好きなだけひねくり回しても、それは、価値物としては、依然としてつかまえようがないものである。

とはいえ、商品が価値対象性をもつのは、ただ、それが人間的労働という同じ社会的単位の表現である限りにほかならないこと、それゆえ、商品の価値対象性は純粋に社会的なものであること、を思い出せば、それがただ商品と商品との社会的關係においてのみ現れうるということも、自ずから明らかである。

実際、我々は、諸商品の交換価値または交換關係から出發して、そこに隠されている諸商品の価値の足跡をさぐりあてた。

いまや、我々は、価値のこの現象形態に立ち返らなければならない。

43

商品がその使用価値の種々雑多なる現物形態と頗る際立って対照した共通の価値形態なる貨幣形態44有つことは、何人も——他のことは知らなくても——知るところである。

さりながら、我々は茲にブルヂォア的経済学に依って未だかつて試みられたことのない一事を成し遂げなければならぬ。

それはすなわ ち、右の貨幣形態の起源を論証すること、換言すれば商品の交換關係に含まれる価値表章45の發達を、その最も単純にして最も目立たぬ姿から、人目を眩惑する貨幣形態に至るまで、追跡することである。

これに依ってまた、貨幣の謎は消滅することになるのである。

だれでも、他のことはなにも知らなくても、諸商品がそれらの使用価値の種々雑多な自然形態とは極めて著しい対照をなす一つの共通の価値形態、すなわち貨幣形態を持っていることは知っている。

しかし、いまここで成し遂げなければならないことは、ブルジョア経済学によって決して試みられることもなかったこと、すなわち貨幣形態の發生を立証すること、すなわち、諸商品の価値關係に含まれている価値表現の發展を、そのもっとも目立たない姿態から目を眩ませる貨幣形態に至るまで追跡することである。

それによって、同時に、貨幣の謎も消えうせる。

44

最も単純なる価値關係は、種類の異った単一の商品——それは如何なる商品であっても構わない——に對する一商品の価値關係であることは明らかである。

斯くて二つの商品の価値關係は、一商品に對する最も単純な価値表章を供給することになるのである。

もっとも簡単な価値關係は、あきらかに、どんな種類であろうと種類を異にするただ一つの商品に對する一商品の価値關係である。

だから、二つの商品の価値關係は、一つの商品にとってのもっとも簡単な価値表現を与える。

A 単純、個別又は偶生の価値形態

45

x量A商品=Y量B商品 又はA商品x量はB商品y量に値する。

20ヤールのリンネル1着の上衣 又はリンネル二十ヤールは、上衣一着に値する。

x量の商品A=y量の商品B すなわち、x量の商品Aはy量の商品Bに値する。

20エレのリンネル=1着の上着 すなわち、20エレのリンネルは1着の上着に値する

1)価値表章の両極。相対的価値形態と等価形態
46

凡ゆる価値形態の秘密は、右の単純なる価値形態の中に伏在している。

随って、これが分析こそ、困難の中堅たるものである。

すべての価値形態の秘密は、この簡単な価値形態のうちに潜んでいる。

だから、この価値形態の分析には真の困難がある。

47

種類の相異なった二つの商品AとB(すなわち上例でいえばリンネルと上衣)は、この場合の二つの相異った役目を演ずることは明かである。

すなわちリンネルは右上衣に依って、その価値を言い現し、上衣はこの価値表章の材料として役立つのである。

第一の商品は能動の役目を演じ、第二の商品は被動の役目を演ずる。

第一の商品の価値は、相対的価値として表現されている。

換言すれば、それは相対的の価値形態46に在る。

第二の商品は等価として作用する。

換言すれば、それは等価形態47に在る。

ここでは、種類を異にする二つの商品AとB、我々の例ではリンネルと上着とは、明らかに、二つの異なった役割を演じている。

リンネルはその価値を上着で表現し、上着はこの価値表現の材料として役立っている。

第一の商品は能動的役割を演じ、第二の商品は受動的役割を演じている。

第一の商品の価値は相対的価値として表されている。

すなわち、この商品は相対的価値形態にある。

第二の商品は等価物として機能する。

すなわち、等価形態にある。

48

相対的価値形態と等価形態とは、相互に従属し交互に制約する不可分的な二要素48であると同時に、また互に相排斥し或は相対抗する両極端、換言すれば同一なる価値表章の両極である。

これらの両形態は常に、価値表章に依って相互関連せしめられる相異った商品の間に配置される。

例えば、リンネルの価値はリンネルでは言い現し得ない。

20ヤールのリンネル=20ヤールのリンネル なる言い現しは、何等の価値表章となるものでない。

この方程式は寧ろ反対に、二十ヤールのリンネルは二十ヤールのリンネル以外の、すなわ ちリンネルなる使用対象の一定量以外の、何者でもないということを語るに過ぎぬのである。

要するに、リンネルの価値はただ相対的にのみ、すなわち他の商品に依ってのみ、言い現され得るのである。

されば、リンネルの 相対的価値形態なるものは、他の何等かの商品がリンネルと対立して等価形態に在ることを前提する。

他方に、等価として作用するこの他の商品は、同時にまた相対的価値形態に在り得るものではない。

この商品は、自己の価値を言い表すものでなく、ただ他商品の価値表章の材料たるに過ぎぬのである。

相対的価値形態と等価形態とは、同じ価値表現の、互いに依存し合い、互いに制約し合う、不可分の契機であるが、同時に互いに排除し合う、あるいは対立し合う、両極端、すなわち両極である。

それらは常に、この価値表現によって互いに関連させられる〔二つの〕異なった商品に配分される。

私は、例えば、リンネルの価値をリンネルで表現することはできない。

20エレのリンネル=20エレのリンネルは、決して価値表現ではない。

この等式が語るのは、むしろ逆に20エレのリンネルは20エレのリンネル、すなわち一定分量の使用対象であるリンネル、以外のなにものでもないということである。

したがって、リンネルの価値は、ただ相対的に、すなわち他の商品でしか表現され得ない。

それゆえ、リンネルの相対的価値形態は、何かある他の商品がリンネルに相対して等価形態にあることを前提とする。

他面、等価物の役を務めるこの他の商品は、同時に相対的価値形態にあることはできない。

それは自分の価値を表現するのではない。

それは、他の商品の価値表現に材料を提供するだけである。

49

勿論 20ヤールのリンネル=1着の上衣 という言い現し、すなわちリンネルは二十ヤールは上衣一着に値するという言い現しは、 1着の上衣=20ヤールのリンネル  という、すなわち上衣一着はリンネル二十ヤールに値するという転倒された關係を含む。

然し上衣の価値を相対的に言い現すためには、こんこ方程式を転倒する必要がある。

而して、斯くするや否や、リンネルは上着に代って等価となるのである。

斯くの如く、同一の商品は、同一の価値表章に於いて、同時に相対及び等価の両形態を採ることは出来ぬのであって、これらの両形態は寧ろ両極的に相排斥するものである。

確かに、20エレのリンネル=1着の上着、すなわち、20エレのリンネルは1着の上着に値する、という表現は、1着の上着=20エレのリンネル すなわち、1着の上着は20エレのリンネルに値するという、という逆の関聯 かんれん を含んでいる。

しかし、そうは言っても、上着の価値を相対的に表現するためには、私はやはりこの等式を逆にしなければならず、そうするやいなや、上着ではなくリンネルが等価物となる。

したがって、同じ商品は同じ価値表現においては同時に両方の形態で現れることはできない。

この両形態は、むしろ対極的に排除し合うのである。

50

ところで、一の商品が相対的価値形態に在るか、又はその反対の等価形態に在るかということは、全く価値表章に於けるこの商品の位置の如何に懸ることである。

換言すれば。それが自己の価値を言い現す商品であるか、又は言い表される商品であるかの如何に懸ることでる。

そこで、ある一つの商品が相対的価値形態にあるか、それと対立する等価形態にあるかは、もっぱら、価値表現におけるその商品のその都度の位置——すなわち、その商品は、その価値が表現される商品なのか、それでもって価値が表現される商品なのか——にかかっている。

(2) 相対的価値形態
a 相対的価値形態の内容
51

一商品の単純なる価値表章が、如何ように二商品間の価値關係内に伏在するかを見出すためには、先づ量的方面から全く切り離して、この価値關係を観察する必要がある。

然るに大抵の人は、それと正反対の方法をとって、価値關係の中に二種類の商品の定量が当位に置かれる比例のみを見て、相異った物の大小はこれを同一の単位に約元するとき、初めて量的に比較し得るに至ることを看過する。

相異った物の対大小は、これを同一なる単位の言い現しとして見るとき、初めて同一分母の大さとなり、随ってまた、通約し得る大さとなるのである(十七)。

ある一つの商品の簡単な価値表現が二つの商品の価値關係のうちにどのように潜んでいるかを見つけ出すためには、この価値關係を、差し当たりその量的關係から全く独立に、考察しなければならない。

人は、たいてい、これと正反対のことを行っており、価値關係のうちに、二種類の商品の一定分量どうしが等しいとされる割合だけを見ている。

その場合、見落とされているのは、異なった物の大きさは、それらが同じ単位〔統一体〕に還元されて初めて、量的に比較されうるものとなるということである。

それらは、同じ単位の諸々の表現としてのみ、同名の、それゆえ同じ単位で計量されうる大きさなのである(17)。

52

20ヤールのリンネル=1着の上衣 であるにしろ、又は =20着の上衣 であるにしろ、=x着の上衣  であるにしろ、換言すればリンネルが少数の上衣に値するにしろ、多数の上衣に値するにしろ、いづれにしてもこれらの比例は常にリンネルと上衣とが、価値の大きさとしては、同一単位の言い回しであり、同一性質の二物であることを意味している。

リンネル=上衣は、この方程式の基礎となる物である。

20エレのリンネル=1着の上着 であろうと、=20着の上着であろうと、 =x着の上着  であろうと、すなわち、一定分量のリンネルが多くの上着に値しようと少ない上着に値しようとmこのような割合はどれも、リンネルと上着とは、価値の大きさとしては、同じ単位の諸表現であり、同じ性質の物であるということを、常に含んでいる。

リンネル=上着 が等式の基礎である。

53

然し、これらの二商品は質的に当位に置かれるとはいえ、その演ずる役目は同一でない。

そこでは、リンネルの価値のみが言い表されるのである。

如何にしてか。

リンネルの『等価』又は『リンネル』と交換され得る物としての、上衣に関連せしめられることに依ってである。

この關係に於いては、上衣は価値の存在形態(50すなわち価値物として通用する。

なぜならば、単に斯かる物としてのみ、上衣はリンネルと同一であるからである。

しかし、質的に等値された二つの商品は同じ役割を演じるのではない。

リンネルの価値だけが表現される。

では、どのようにしてか?

リンネルが、その「等価物」としての、またはそれと「交換されうる」としての上着に対してもつ関連によって、である。

この關係の中では、上着は価値の実存形態として、価値物として、通用する。

なぜなら、ただそのようなものとしてのみ、上着はリンネルと同じものだからである。

54

他方にまた、リンネルの固有の価値性(51)が前方に現れて来る。

換言すれば、それは、独立した一表章を与えられるのである。

なゼならば、リンネルはただ価値としてのみ、自己の等価物又は自己と交換され得る物としての上衣に相関的になるからである。

同様に酪酸は、蟻酸プロピルとは異った物質である。

然し雙方そうほうとも同じ科学的實體じったいから成り立っている。

すなわちいづれも炭素(C)から成り、而かも同じ割合の結合、すなわ ちC4H8O2を有っている。

そこで今、蟻酸プロピルを酪酸と等位に置くときは、この關係に於いてさき つ蟻酸プロピルは単にC4H8O2の存在形態に過ぎぬ物と見做されるであろう。

而して次に、酪酸も亦C4H8O2から成るといわれるでろう。

斯くの如く、蟻酸プロピルを酪酸と等位に置くことに依って、両者の科学的実証は、その物体的形態から区別していい現されることになるのである。

他方では、リンネルそれ自身の価値存在が現れてくる。

すなわち、一つの自立的表現を受け取る。

なぜなら、ただ価値としてのみ、リンネルは、等価物のものとしての、またはそれと交換されうるものとしての上着と関連しているからである。

例えば、酪酸は、蟻酸プロピルとは異なる物体である。

しかし、両者は、同じ化学的實體じったい ——炭素(C)、水素(H)、及び酸素(O)から成り立ち、しかも同じ比率の組成、すなわちC4H8O2から成り立っている。

いま酪酸に蟻酸プロピルが等値されるとすれば、この關係の中では、第一に、蟻酸プロピルは単にC4H8O2の実存形態としてのみ通用し、第二に、酪酸もまたC4H8O2から成り立っていることが述べられるであろう。

すなわち、蟻酸プロピルが酪酸に等値されることによって、酪酸の化学的實體じったいが、その物体から区別されて。表現されるであろう。

55

商品はこれを価値として見れば人間労働見れば人間労働の単なる凝結であるというとき、我々の分析に依って商品は価値抽象(52)に約元されることになるが、然し現物形態とは異った何らの価値形態をも附与されることにはならぬ。

然るに、他商品に對する一商品の価値關係に於いてはそうでない。

この場合には、一商品の価値性質(53)は、他商品に對するそれ自身の関連を通して現れて来る。

我々が、価値としては諸商品は人間的労働の単なる凝固体であると言えば、我々の分析は諸商品を価値抽象に還元するけれども、商品にその自然形態とは異なる価値形態を与えはしない。

一商品の他の商品に對する価値關係の中ではそうではない。

ここでは、その商品の価値性格が、他の商品に對するその商品の関連によって、現われ出るのである。

56

例えば、上衣を価値としてリンネルを等位に置くとき、上衣に含まれている労働はリンネルに含まれている労働と同じ立場と等位に置かれることになる。

ところが上衣を造る裁縫は、リンネルを就くする裁縫とは異った一の具体的労働である。

然し、機織と等位に置かれることに依って、裁縫は事実これらの量労働に於ける現實的等一物に、すなわ雙方そうほう に共通した人間労働という性質に約元されることになる。

この迂囘に依って、機織も亦価値を織る限りに於いては裁縫と区別せられるべき何等の特徴をも有しないこと、換言すれば抽象的の人間労働であることが明らかになる。

種類の相異なった商品の等価表章に依って事実上その共通物なる人間労働一般に約元されることになるからである(十七a)。

例えば、上着が、価値物として、リンネルに等値されることによって、上着に潜んでいるリンネルに潜んでいる労働に等値される。

ところで、確かに、上着を作る裁縫労働は、リンネルを作る織布労働とは種類の異なる具体的労働である。

しかし、織布労働との等値は、裁縫労働を、両方の労働の中の現實に等しいものに、人間的労働という両方に共通な性格に実際に還元する。

この回り道を通った上で、織布労働も、それが価値を織り出す限りにおいては、裁縫労働から区別される特徴を持っていないこと。すなわち抽象的人間的労働であること、が語られるのである。

57

然し、リンネル価値を構成する労働の特殊性質を言い表しだけでは、まだ十分でない。

流動状態にある人間労働力、すなわち人間労働は、価値を造り出すけれども価値ではない。

それは凝結した状態に入り、対象的形態を採ったとき価値となるのである。

リンネルの価値を人間労働の凝結として言い現すためには、我々はそれを、リンネル自身とは物的に異っていて、而かも同時にリンネルにも他の商品にも共通した一の『対象性』55として言い現さねばならぬ。

この問題は既に解決されている。

もっとも、リンネルの価値を構成している労働の独自な性格を表現するだけでは十分でない。

流動状態にある人間的労働力、すなわち人間的労働は、価値を形成するけれども、価値ではない。

それは凝固状態において、対象的形態において、価値になる。

リンネル価値を人間的労働の凝固体として表現するためには、リンネル価値は、リンネルそのものとは物的に異なっていると同時にリンネルと他の商品とに共通なある「対象性」として表現されなければならない。

この課題は、すでに解決されている。

58

リンネルの価値關係に於いては、上衣はリンネルと質の等しい物、すなわち同一性質の物として通用する。

それは、一の価値であるからである。

随ってそれはこの場合、価値が現れてゆくところの物、換言すればその捕捉し得べき現物形態を以って価値を代表しているところの物として通用する。

勿論、上衣なる商品の現物体は、単なる使用価値である。

上衣は我々のつかむ最初のリンネルの一片と同様に、ごうも価値を言い現わすものではない。

この事実は要するに、上衣はリンネルに對する価値關係の外部に於いてよりも、その内部に於いての方が、多くの意義を有している——恰も人に依っては、金縁付きの上衣を着ていると、それを着ていない時よりも意義がある如く——ことを論証するに過ぎぬ。

リンネルの価値關係の中で、上着が、リンネルに質的に等しいものとして。同じ性質を持つ物として、通用するのは、上着が一つの価値だからである。

だから上着は、ここでは価値がそれにおいて現れる物として、または手で掴めるその自然形態で価値を表す物として、通用する。

ところで、上着は、上着商品の身体は、確かに一つの単なる使用価値である。

上着が価値を表現していないのは、リンネルの任意の一片が価値を表現していないのと同じである。

このことは、ただ、上着はリンネルに對する価値關係の内部ではその外部でよりも多くの意味を持つということを示すだけである。

ちょうど、多くの人間は金モールで飾られた上着の中ではその外でよりも多くの意味を持つように。

59

上衣の生産に於いては、事実上、裁縫の形で人間労働力が支出せられた。

すなわち上衣の中には人間の労働力が蓄積されているのである。

この方面から見れば、上衣はすなわ ち『価値の負担者』である。尤も上衣の斯かる性質それ自身は、上衣が如何に擦り切れても、その絲目から透いて見える譯ではない。

而してリンネルの価値關係に於いては、上衣はただこの方面からのみ、すなわち体現された価値として、価値物体としてのみ、意味を有っている。

リンネルは上衣がボタンをかけた盛装に誤られず、その中に己と血筋の繁った美しい価値の魂を認めたのである。

然し、リンネルから見て価値が同時に上衣の形を採ることなくんば、上衣はリンネルに対して価値を言い現し得るものではない。

それは恰度、Bなる個人から見て陛下の地位が同時にまたAなる個人の風貌容姿を帯び、随って君主の代る度毎にその容貌や、毛髪や、他のいろいろなものを変更することなければ56、AはBに対して陛下たり得ないのと同様である。

上着の生産においては、裁縫労働という形態のもとに、人間的労働力が実際に支出された。

従って、上着の中には人間的労働が堆積されている。

この面からすれば、上着は「価値の担い手」である。

もっとも、上着のこの属性そのものは、上着がどんなに擦り切れても、その糸目から透けて見えるわけではないが。

そして、リンネルの価値關係の中では、上着はただこの面だけから、それゆえ、体化されt価値としてのみ、価値体としてのみ、通用する。

ボタンをかけた〔よそよそしい〕上着の外観にもかかわらず、リンネルは、上着のうちに同族の美しい価値魂を見てとったのである。

しかし、上着がリンネルに対して価値を表すことは、同時にリンネルにとって価値が上着という形態をとることなしには、できないことである。

ちょうど、個人Aが個人Bに対して、陛下に對する態度を取ることは、同時にAにとって陛下がBのいう肉体的姿態を取ること、従って、顔つき、髪の毛、その他なお多くのものが、国王の国王の交替のたびに替わることなしには、できないように。

60

上衣がリンネルの等価たる価値關係に於いては、上衣形態が価値形態として通用し、リンネルなる商品の価値は、上衣なる商品の現物体を通して言い現される。

すなわち一商品の価値は、他商品の使用価値によって依って言い現されることになるのである。

リンネルはこれを使用価値として見れば、感性的に上衣と相異なる一物であり、また価値として見れば『上衣に等しき物』であって、上衣たるが如く見える。

斯くしてリンネルは、その現物形態とは異った価値形態をを与えられることになるのである。

リンネルの価値性57は、上衣との等性を通して現れるのと同じである。

それは恰度、クリスト信者の羊性が『神の子羊』との等性を通して現れるのと同じである。

こうして、上着がリンネルの等価物となる価値形態の中では、上着形態が価値形態として通用する。

それゆえ、商品リンネルの価値が商品上着の身体で表現され、一商品の価値が他の商品の使用価値で表現されるのである。

使用価値としては、リンネルは、上着とは感性的に異なる物であるが、価値としては、リンネルは、「上着に等しい物」であり、従って、上着のように見える。

このようにして、リンネルは、その自然携帯とは異なる価値形態を受け取る。

リンネルの価値存在が上着とのその同等性において現れるのは、キリスト教徒の羊的性質が神の子羊()とのその同等性において現れるのと同じである。

61

さき に商品価値の分析が我々に語った一切のことは、今やリンネル自身が他の商品上衣との交通を通して語っているのを見るのである。

ただリンネルは、己れ一人だけに通ずる言語、すなわち商品語を以ってその思想を洩らすのである。

リンネルはその価値が人間労働という抽象的性質から見た労働に依って形成されることを語らんとするに、上衣なるものは、それがリンネル自身と等しく通用する限り、すなわ ち価値である限り、自身と同一の労働から成る言うのである。

リンネルはその崇高なる価値対象性がその粗硬なる現物体とは異なるものであることを語らんとするに、価値は上衣のように見え、随ってリンネルそれ自身はこれは価値物として見れば、上衣と るで瓜二つだと言うのである。

ついでに言うが、商品語もヘブライ語の外に尚幾多の、多かれ少なかれ正確な方言を有っている。

例えばラテン系の動詞ヴァレレ、ヴァレル、ヴァロアール58は、ドイツ語の『ヴェルトザイン』59よりもヨリ適切に、Bなる商品をAなる商品とそれ自身の価値表章という形態を有するものである。

パリーは奠祭も同然だ60!。

上述のように、商品価値の分析が先に我々に語った一切のことを、リンネルが他の商品、上着と交わりを結ぶやいなや、リンネル自身が語るのである。

ただ、リンネルは、自分だけに通じる言葉で、商品語で、その思いを打ち明ける。

労働は人間的労働という抽象的属性においてリンネル自身の価値を形成するということをいうために、リンネルは、上着がリンネルに等しいものとして通用する限り、上着はリンネルと同じ労働から成り立っていると言う。

リンネルの高尚な価値対象性は、糊でゴワゴワしたリンネルの身体とは異なっているということを言うために、リンネルは価値は上着に見え、従って、リンネル自身も価値物としては上着と瓜二つであると言う。

ついでに言えば、商品語もヘブライ語の他に、もっと多くの、あるいはより正確な、あるいはより不正確な、方言を持っている。

例えば、ドイツ語のWertsein〔値する〕は、ロマンス語系の動詞、Velere,Valer,Valoir〔イタリア語、スペイン語、フランス語の「値する」と言う言葉〕に比べると、商品Bの商品Aとの等値が商品A自身の価値表現であることを言い表すには不適切である。

Paris Vaut bien une messe!〔パリは確かにミサに値する!(

62

価値關係に依って、商品Bの現物形態は、商品Aの価値形態となる。

換言すれば、商品Bの現物体は商品Aの価値鏡となるのである(十八)。

商品Aは、価値体としての、すなわ ち人間労働の体化としての商品Bに関連せしめられること61に依って、使用価値Bを自分自身の価値表章とする。

斯く商品Bの使用価値に依って言い現された商品Aの価値こそ、相対的価値という形態を有する物である。

従って、価値關係の媒介によって、商品Bの自然形態が商品Aの価値形態となる。

言い換えれば、商品Bの身体が商品Aの価値鏡となる(18)。

商品Aが価値体としての、人間的労働の体化物としての、商品Bに関連することによって、商品Aは、使用価値Bをそれ自身の価値表現の材料にする。

商品Aの価値は、このように商品Bの使用価値で表現されて、相対的価値という形態を持つ。

b 相対的価値形態の量的限定性
63

価値を言い現さるべき各商品は、十五シエッフルの小麦、百斤の珈琲、などの如き一定量の使用対象である。

斯くの如き一定の商品量は、一定量の人間労働を含むものである。

されば、価値形態は、単に価値一般を言い現すべきものとなる。

斯くて商品Bに對する商品A、すなわ ち上衣に對するリンネルの価値關係に於いては、上衣なる商品種類は単に価値体一般として質的にリンネルと等位に置かれるのみでなく、また例えば二十ヤールなる一定量のリンネルに対して、例えば一着の上衣というが如き一定量の価値体又は等価物が等位に置かれることにもなるのである。

その価値が表現されるべき商品は、どれも、与えられた分量のある使用対象——15シェッフル(の小麦、100ポンドのコーヒーなど—— である。

この与えられた商品分量は、一定分量の人間的労働を含んでいる。

従って、価値形態は、単に価値一般だけではなく、量的に規定された価値、すなわち価値の大きさをも表現しなければならない。

それゆえ、商品Bに對する商品Aの、上着に對するリンネルの、価値關係においては、上着という商品種類は、単に価値一般として、リンネルに質的に等値されるだけでなく、一定分量のリンネル、例えば20エレのリンネルに対して、一定分量の価値体、例えば一着の上着が等値されるのである。

64

20ヤールのリンネル=1着の上衣  又は『二十ヤールのリンネルは一着の上衣に値する』という方程式は、一着の上衣には二十ヤールのリンネルに於ける正確に等量の価値実態が含まれていること、すなわ ちこれら二つの商品量はともに同じ分量の労働同じ大さの労働時間に値することを前提する。

然るに二十ヤールのリンネル、又は一着の上衣の生産に必要なる労働時間は、機械若しくは裁縫上の生産力(63)に変化ある都度変化するものである。

そこで以下、斯くの如き変化が価値大小の相対的表章に及ぼす影響を研究せねばならぬ。

20エレのリンネル=1着の上着  すなわち 二十エレのリンネルは一着の上着に値する」という等式の前提にあるのは、一着の上着には二十エレのリンネルに潜んでいるのと全く同じ量の価値の實體じったい が潜んでいること、すなわち、両方の商品分量は等しい量の労働または等しい大きさの労働時間を費やさせることである。

ところが、二十エレのリンネルまたは一着の上着の生産に必要な労働時間は、織布労働または裁縫労働の生産力が変動するたびに、変動する。

そこで、このような変動が価値の大きさの相対的表現に与える影響について立ち入って研究しなければならない。

65

、上衣の価値が不変で、リンネルの価値が変化する場合(十九)。

例えば、亜麻栽培地の豊度が減じたため、リンネルの生産に要する労働時間が二倍に増大したとすれば、リンネルの価値も亦二倍に増大する。

斯くて 20ヤールのリンネル=1着の上衣 は 20ヤールのリンネル=2着の上衣 となるであろう。

なぜならば、一着の上衣は今や二十ヤールのリンネルに比べて僅かに二分の一の労働時間しか含まぬことになるからである。

反対に例えば、機織が改良された結果、リンネルの生産に必要なる労働時間が半分に減じたとすれば、リンネルの価値も亦半減して、今や 20ヤールのリンネル=1/2着の上衣  となる。

されば商品Aの相殺的価値、すなわ ち商品Bに依って言い現された商品Aの価値は、商品Bの価値に変化がないとすれば、商品Aの価値に正比例して増大し又は減少するのである。

Ⅰ リンネルの価値は変動するが(19)、上着価値は不変のままである場合。

例えば、亜麻の採れる土地が痩せた結果、リンネルの生産に必要な労働時間が二倍になるとすれば、リンネルの価値は二倍になる。

いまや一着の上着は二十エレのリンネルの半分の労働時間を含むに過ぎないから、20エレのリンネル=1着の上着 の代わりに、20エレのリンネル=2着の上着  となるであろう。

これに対して、例えば織機の改良によって、リンネルの生産に必要な労働時間が半分に現象すれば、リンネル価値は半分に低下する。

それに應じて、いまや、20エレのリンネル=1/2着の上着 となる。

従って、商品Aの相対的価値、すなわち商品Bで表現される商品Aの価値は、商品Bの価値が不変のままでも、商品Aの価値に正比例して、上昇または低下する。

66

、上衣の価値が変動して、リンネルの価値が不変である場合。

例えば羊毛の収穫思わしからざるため、上衣の生産に必要なる労働時間が二倍に拡大したとすれば、20ヤールのリンネル=1着の上衣は  20ヤールのリンネル=1/2着の上衣 となる。

反対に若し上衣の価値が半分に減じたとすれば、20ヤールのリンネル=1着の上衣 となる。

すなわ ち商品Aのの価値に変化なきときは、商品Bに依って言い現されるAの相対的価値は、Bの価値変化に逆比例して増減することになるのである。

Ⅱ リンネルの価値は不変のままであるが、上着価値が変動する場合

こうした事情のもとで、例えば羊毛の刈り取りが思わしくないために、上着の生産に必要な労働時間が二倍になれば、20エレのリンネル=1着の上着 の代わりに、いまや、20エレのリンネル=1/2着の上着 となるであろう。

これに反して、上着の価値が半分に減少すれば、20エレのリンネル=2着の上着 となるであろう。

だから、商品Aの価値が不変のままでも、商品Aの相対的な、商品Bで表現される価値は、Bの価値変動に反比例して、低下または上昇する。

67

以上(一)及び(二)於ける種々なる場合を比較するとき、相対的価値の同一なる分量変化が全く反対の原因から生じ得ることが知られる。

すなわち、20ヤールののリンネル=1着の上衣  なる方程式は、(1)リンネルの価値が二倍に増大した結果としても、又は上衣の価値が半分に減じた結果としても、20ヤールのリンネル=2着の上衣  なる方程式に転化され、更らに(2)リンネルの価値が半分以上に減じた結果としても、又は上衣の価値が二倍に増大した結果としても、 20ヤールのリンネル=1/2の上衣 なる方程式に転化されるのである。

 

Ⅰ及びⅡのもとでの様々の場合を比較してみると、相対的価値の大きさの同じ変動が正反対の原因から生じうることがわかる。

実際、20エレのリンネル=1着の上着は、(1)リンネルの価値が二倍になっても、岩城の価値が半分に減少しても、20エレのリンネル=2着の上着 という等式になり、また、(2)リンネルの価値が半分に低下しても、上着の価値が二倍に上昇しても、20エレのリンネル=1/2着の上着 という等式になるのである。

68

、リンネル及び上衣の生産に必要なる労働が、時を等しうして同一の方向に同一の比例を以って変化することもあり得る。

斯かる場合には、雙方そうほうの価値が如何ほど変化しても、20ヤールのリンネル=1着の上衣 なる方程式には変化がない。

リンネル及び上衣の斯かる価値変化は、価値不変なる第三の商品と比較して見れば解る。

若し凡ゆる商品の価値が同時に同一の比例を以って増騰しし又は低落するとすれば、相対的価値には変化が生じないであろう。

この場合に於ける現實的に価値変化を知るには、右の価値騰落以後、同一の労働時間を以って生産せられる商品量が従前に比して一般に大となったか、小となったかを見るべきである。

Ⅲ リンネル及び上着の生産に必要な労働分量が、同時に同じ方向に、同じ比率で変動することもある。

この場合には、これらの商品の価値がどんなに変動しようと、相変わらず、20エレのリンネル=1着の上着 である。

これらの商品の価値変動は、これらの商品を、価値が不変のままであった第三の商品と比較すれば、すぐにわかる。

全ての商品の価値が、同時に、同じ比率で、上昇または低下すれば、それらの商品の相対的価値は不変のままであろう。

これらの商品の現實の価値変動は、同じ労働時間内に、いまや一般的に、以前よりも多量かまたは少量の商品分量が商品分量が供給されるということから見て採れるであろう。

69

、リンネルと上衣夫々の生産に必要なる労働時間、随って夫々の価値は、時を等しうして同一の方向に、然し異った比率を以って  又は反対の方向その他の様式に変化し得る。

而して斯種の在り得べき一切の変化の結合が一商品の相対的価値に及ぼす影響は、単純に上記()()()各場合の應用に依って知られるところである。

Ⅳ リンネル及び上着の生産にそれぞれ必要な労働時間、それゆえこれらの商品価値が、同時に同じ方向に、しかし等しくない程度で変動するか、あるいは反他の方向に変動する等々のことがありうる。

この種のありとあらゆる組み合わせが一商品の相対的価値に与える影響は、Ⅰ、Ⅱ、及びⅢの場合を應用すれば、簡単にわかる。

70

要するに、価値量の現實的変化は、相対的表章(すなわ ち相対的の大小)に依って一點の疑をも残さざる様に、又は一の余すところなき迄に、反映される物ではない。

商品の価値は不変であっても、相対的価値は変化し得る。

価値は変化しても、相対的価値は不変たることもあり得る。

最後にまた、価値量とその相対的表彰とが同時に変化しても、斯かる変化は必ずしも相一致するものでないのである(二十)。

こうして、価値の大きさの現實的変動は、価値の大きさの相対的表現または相対的価値の大きさには、明確にも余すところなしにも反映されはしない。

一商品の相対的価値は、その商品の価値が不変のままでも、変動しうる。

そして、最後に、一商品の価値の大きさとこの価値の大きさの相対的表現とが同時に変動しても、この変動が一致する必要は少しもない(20

3)等価形態
71

Aなる一商品(リンネル)の価値が、種類の異ったBなる一商品(上衣)の使用価値に依って言い現されるとき、後者それ自身の上に等価という特殊の 勝ち形態が刻印されることは、我々の既に見たところである。

リンネルなる商品は、上衣がその物体的形態とは異った勝ち形態を採ること無くして自己と等しい値に通用するという事実によって、それ自身の価値性を表明する。

すなわちリンネルは実際のところ、上衣が直接自己と交換し得るという事実によって、それ自身の価値性を言い現すものである。

されば、一商品の等価形態とは、要するに、それが他商品と直接に交換され得ること66の形態なのである。

我々は次のことを見てきた。

——一商品A(リンネル)は、その価値を種類を異にする一商品Bの使用価値(上着)で表現することによって、商品Bそのものに、一つの独自な価値形態、等価物という形態を押し付ける。

リンネル商品は、上着が、その身体形態とは異なる価値形態を取ることなしに、リンネル商品に等しいとされることにより、それ自身の価値存在を現出させる。

従って、リンネルは、事実として、上着が直接にリンネルと交換されうるものだということによって、それ自身の価値を表現する。

したがって、一商品の等価形態は、その商品の他の商品との直接的交換可能性の形態なのである。

72

上衣の如き商品種類が、リンネルの如き他の商品種類に対して等価の役割の役をつとめるとしても、随って、リンネルと直接に交換され得る形態に在るという特殊の性質が上衣に与えられるとしても、上衣とリンネルとの交換され得べき比率は、それだけではまだ確かめられたことにならぬのである。

リンネルの価値の大小は一定しているのであるから、この比率は上衣の価値の大小に懸る譯である。

上衣が等価として、リンネルが相対的価値として、言い現されているにしろ、或は反対に、リンネルが等価として、上衣が相対的価値として、言い現されているにしろ、いづれにしても上衣の価値の大小が、その生産に必要なる労働時間に依って決定され、随って価値形態から独立して決定されることに変わりはない。

然し上衣なる商品種類が価値表章上、等価の位置を占めるや否や、その価値量はもはや価値量としての表章を受けなくなる。

価値方程式の上から言えば、上衣なる商品種類は寧ろ一の物の定量として作用するに過ぎなくなる。

ある一種類の商品、例えば上着が、別の種類の商品、例えばリンネルのために等価物として役立ち、それゆえ、上着が、リンネルと直接に交換されうる形態にあるという特徴的な属性を受け取るとしても、それによって、上着とリンネルが交換されうる比率が与えられるわけでは決してない。

この比率は、リンネルの価値の大きさが与えられているのだから、上着の価値の大きさによって決まる。

上着が等価物として表現されリンネルが相対的価値として表現されていようとも、上着の価値の大きさは、依然として、上着の生産に必要な労働時間によって、従って上着の価値形態とは関わりなく、規定されている。

しかし、上着という商品種類が価値表現において等価物の位置を占めるやいなや、この商品種類の価値の大きさは、価値の大きさとしての何らの表現も受け取らない。

この商品種類は、価値等式においては、むしろただ一定分量の物の役を務めるに過ぎない。

73

例えば、四十ヤールのリンネルは何かに『値して』いる。

何に値しているかといえば、すなわち二着の上衣に値しているのである。

上衣なる商品種類はこの場合等価の役割を演ずるのであるから、換言すれば上衣なる使用価値はリンネルに対し価値体として通用するのであるから、随ってまた一定量の上衣はリンネルなる一定の価値量を言い現すに十分のものとなる。

随ってまた一定量の上衣はリンネルなる一定の価値量を言い現すに十分のものとなる。

斯くして二着の上衣は四十ヤールのリンネルの価値量を言い現し得る。

然しそれは自分自身の価値量、すなわち上衣の価値量を言い現し売るものでない。

この事実、すなわ ち等価なるものは、価値方程式上つねに一の物の、一の使用価値の、単純なる形態を有するに過ぎぬという事実の皮相的解釈こそ、かのベーリー並びに彼れの先駆者たり後継者たる多くの人々をして、価値表章の中に単なる量的比率を見るの錯誤に陥らせたものである。

而も事実は寧ろ、商品の等価形態なるものは、何等の量的価値決定をも含むものではない。

例えば、40エレのリンネルは「値する」——何にか?二着の上着に、である。

ここでは、上着という商品種類は等価物の役割を演じており、上着という使用価値はリンネルに対しては価値体として通用するから、リンネルという一定の価値分量を表現するためには、やはり一定分量の上着があれば十分なのである。

だから、二着の上着は、40エレのリンネルの価値の大きさを表現することがおできるが、それ自身の価値の大きさ、上着の価値の大きさを表現することは決してできない。

価値等式における等価物は、常に、ただ、一つの物——一使用価値の——単なる分量という形態をとるに過ぎないというこの事実の皮相的な理解は、ベイリーを——彼の多くの先行者や後続者と同じように——迷わせて、価値表現のうちにただ量的な關係のみを見るに至らせた。

だが、一商品の等価形態には、むしろ、何の量的な価値規定も含まれないのである。

74

等価形態を考察する際我々の注意に上る第一の特色は、使用価値がその反対物たる価値の現象形態になるという事実である。

等価形態の考察に際して目に付く第一の独自性は、使用価値がその反対物の、価値の、現象形態になるということである。

75

商品の現物形態は価値形態となる。

然し茲に注意すべきことは、この物対物67はこれを商品B(上衣なり、小麦なり、鉄なり)の立場から見れば、他の随意の一商品A(リンネルなど)が、それと関連せしめられる価値關係の内部にのみ、ただこの關係の範囲内にのみ、行われるという事実である。

如何なる商品も、それ自身に対しては等価關係に立つことが出来ず、随ってまた、自身の現物形態を以って自身の価値の表章たらしめることは出来ぬのであるから、勢い他の商品を等価として、それに關係せねばならぬことになる。

すなわち他商品の現物形態を以って、自己の価値形態たらしめねばならなくなるのである。

等価形態の考察に際して目に付く第一の独自性は、使用価値がその反対物の、価値の、現象形態になるということである。

商品の自然形態が価値形態になるのである。

だが、注意せよ。

この”入れ替わり”が一商品B(上着、または小麦、または鉄など)にとって生じるのは、ただ、任意の他の一商品A(リンネルなど)が商品Bと取り結ぶ価値關係の内部だけでのことであり、ただこの関聯 かんれん の内部だけでのことである。

どんな商品も等価物としての自分自身に関聯かんれん することはできず、従ってまたそれ自身の自然的外皮をそれ自身の価値の表現にすることはできないから、どんな商品も等価物としての他の商品に関聯かんれん せざるを得ない。

あるいは、他の商品の自然的外皮をそれ自身の価値形態にせざるを得ないのである。

76

いま、商品体としての商品体、すなわち使用価値としての商品体に適用される一の尺度を以って、この事実を理解しよう。

棒砂糖は物体なるが故に、重さを有している68

随って目方がある69

然し如何なる棒砂糖を眺めても、っても、その目方はわからない。

いま、予め目方の確定された種々なる鉄片と採る。

鉄片の具体的形態は、棒砂糖の具体的形態と同様に、それ自身として考察するときは重さの現象形態ではない。

然し棒砂糖を重さとして言い表すには、それを鉄との重量關係に置く。

この關係に於いては、鉄は重さ以外には何物をも代表せざる物体として作用する。

されば鉄の各分量は、砂糖の目方の尺度として役立ち、砂糖体に対しては単なる代表された重さ70すなわ ち重さの現象形態を代表することになる。

而してこの役目は、砂糖なり、目方の確定せらるるべき他の何等かの物体なりが、鉄との間に結ぶ右の關係の内部に於いてのみ、鉄に依って演ぜられるのである。

若しいづれにも重さが無いとすれば、両者はこの關係に入ることが出来ず、斯くして一方は他方の重さの表章としては 役立ち得なくなるであろう。

このことをわかりやすくするのは、商品体としての——すなわち使用価値としての——商品体に適用される尺度の例であろう。

棒砂糖は、物体であるから、重さがあり、したがって重量を持っているが、どんな棒砂糖からもその重量を見てとったり感じ取ったりすることはできない。

そこで、我々は、その重量があらかじめ規定されている様々の鉄片をとってくる。

鉄の物体形態は、それ自体として見れば、棒砂糖の物体形態と同じように、重さの現象形態ではない。

にもかかわらず、棒砂糖を重さとして表現するためには、われわれはそれを鉄との重量關係に置く。

この關係の中では、鉄は重さ以外のなにものも表さない一物体として通用する。

だから、鉄の諸分量は、砂糖の重量尺度として役立ち、砂糖体に対しては単なる多さの容態、重さの現象形態を表す。

鉄がこの役割を演じるのは、ただ、その重量が見いだせるべき砂糖または他のなんらかの物体が鉄と取り結ぶこの關係の内部においてだけである。

もしも両方の物に重さがなければ、両者はこの關係に入ることはができず、したがって、一方が他方の重さの表現に役立つこともできないであろう。

77

雙方そうほう秤皿はかりざら に載せるとき、いづれも重さとして同一物であること、随ってまた一定の比率に置いて見れば、いづれも同じ目方のものであることを、我々は事実に於いて知るのである。

斯くの如く目方の尺度としての鉄体は、棒砂糖に対して単に重さのみを代表するのであるが、それと同様に上記の価値表章に於いても、上衣体はリンネルに対して単に価値のみを代表するのである。

両方の物を天秤皿に載せれば、両者が重さとしては同じものであり、したがって、一定の比率では、同じ重量のものであるということが、実際にわかる。

鉄体が重量の尺度としては棒砂糖に対してただ重さだけを代表するように、われわれの価値表現においては上着体がリンネルに対してただ価値だけを代表するのである。

78

然しこの點で、類似は終わってしまう。

鉄は棒砂糖の目方の表章たる資格を以って、この両物体に共通の現物性質なる重さを代表するのであるが、上衣はリンネルの価値表章たる資格を以って、この両物体の超自然的性質たる価値、すなわ ち純粋に社会的のものを代表するのである。

しかし、類似はここまでである。

鉄は、棒砂糖の重量表現においては、両方の物体に共通な自然属性であるそれらの重さを代表するのに対して──上着は、リンネルの価値表現においては、両方の物の超自然的属性、すなわち、純粋に社会的なものであるそれらの価値、を代表する。

79

一の商品なる例えばリンネルの相対的価値形態が、この商品の現物体及びその諸性質とは全く異った或物、例えば上衣に等しき物として、それ自身の価値性を言い現すとき、この表章それ自体は一の社会的關係を包蔵するものであることをほのめ かしている。

等価形態の場合は反対である。

蓋し等価形態なるものは、上衣の如き商品体がその儘の姿で価値を言い現しているということ、換言すれば本来的な価値形態を具備しているということを本領としているのである。

これは上衣商品がリンネル商品に対して等価の位置に立つ価値關係の内部に於いてのみ、言い得ることである(二十一)。

然し物の諸性質は、他物に對するその物の關係から生ずるものではなく、寧ろ斯かる關係を通して顕証けんしょう されるに過ぎぬのであるから、上衣はその等価形態、すなわち直接に交換し得るという性質を、重さや保温性と同様に本来具備しているように見える。

この點に、等価形態の謎的性質が由来しているのである。

この謎的性質は、等価形態が完全に發達し、貨幣の形をとって経済学者の前に現われるに及んで、初めて彼れのブルヂォア的に粗雑な注意に上るのであって、そのとき彼れは金銀に換うるに、それほどまばゆく ﹅﹅﹅﹅ な諸商品を以ってすることに依り、またかつ て商品等価の役目を演じた凡ゆる商品の目録をば常に新たなる満足を以って読み上げることに依って金銀の神秘的性質を解き去ろうとする。

20ヤールのリンネル=1着の上衣 という如き最も単純なる価値表章が、既に等価形態の謎を提出していることは、彼れの気付かなかったところである。

一商品、たとえばリンネルの相対的価値形態は、リンネルの価値存在を、リンネルの身体およびこの身体の諸属性と完全に区別されるものとして、たとえば上着に等しいものとして表現するのであるが、そのことによって、この表現が一つの社会的關係を秘めていることを、この表現そのものが暗示している。

等価形態については逆である。

等価形態とは、まさに、ある商品体、たとえば上着が、このあるがままの物が、価値を表現し、したがって、生まれながらにして価値形態をもっている、ということなのである。

たしかに、このことが通用するのは、ただ、リンネル商品が等価物としての上着商品に関聯かんれん させられている価値關係の内部でのことに過ぎない(21)。

しかし、ある物の諸属性は、その物の他の諸物との關係から生じるのではなく、むしろこのような關係の中で確認されるだけであるから、上着もまた、その等価形態を、直接的交換可能性というその属性を、重さがあるとか寒さを防ぐとかいうその属性と同じように生まれながらに持っているようにみえるのである。

そこから、等価形態の謎的性格が経済学者のブルジョア的な粗雑な目を見はらせるのは、やっと、等価形態が完成されて貨幣となって彼の前に立ち現れるときである。

そのとき、彼は、金銀の神秘的性格を説明し去ろうとして、金銀の代わりに目を眩ませることのさらに少ないいろいろな商品をこっそりもってきて、かつては商品等価物の役割を演じたことなあるこれらいっさいの商品賤民の目録を棒読みしては、そのたびに満足の喜びを新たにする。

すでに、20エレのリンネル=1着の上着 というようなもっとも簡単な価値表現が等価形態の謎を解く鍵を与えていることなど、彼は感づきもしないのである。

80

等価として役立つ商品の現物体は、常に抽象的人間労働の体化たるものであって、それは一定の有用な具体的な労働の産物たることを常とする。

斯くして、この具体的人間労働は、抽象的の人間労働を言い現したものとなるのである。

例えば、上衣が抽象的人間労働の単なる体現として通用するとき、事実上上衣の中に体現されている裁縫も亦、抽象的人間労働の単なる体現形態として通用することになる。

リンネルの価値表章を通して見られる裁縫の有用性なるものは、この労働に依って衣服随ってまた人のミナリが造られるという點に存するものでなく、むしろ価値たること、随ってまたリンネルの価値に対象化されている労働から毫も区別し得ざる労働の凝結たることを認めしむる一の物体が、それに依って造られるという點に存しているのである。

斯様な価値鏡となるためには、裁縫それ自身が人間労働たる抽象的性質以外の何物をも反射しないことを必要とする。

等価物として役立つ商品の身体は、つねに、抽象的人間的労働の体化として通用し、しかもつねに、一定の有用的具体的労働の生産物である。

したがって、この具体的労働が抽象的人間的労働の表現になるのである。

たとえば、上着が抽象的人間的労働の単なる実現として通用するとすれば、実際に上着に実現される裁縫労働は抽象的人間的労働の単なる実現形態として通用する。

リンネルの価値表現においては、裁縫労働の有用性は、それが衣装をつくり、したがってまた風采をあげる()ということにあるのではなく、それが価値であること、したがって、リンネル価値に対象化された労働とまったく区別されない労働の凝固体であること、が見てとれるような一身体をつくることにある。

このような価値観を作るためには、裁縫労働そのものは、人間的労働であるというその抽象的属性以外の何者も反映してはならない。

81

裁縫なる形態に於いても、機織なる形態に於いても、人間労働力が支出されているという點に差異はない。

すなわ雙方そうほう とも人間労働の一般的性質を具備しているのであって、例えば価値生産という如き一定の場合に於いては、いづれもこの見地の下にのみ考慮に入り得るのである。

これら総べての點を通じて、神秘的なところはない。

然し商品の価値表章になると、問題が転倒して来る。

一例を挙ぐれば、機織は機織たる具体的形態に於いてでなく、人間労働たる一般的性質に於いて、リンネルの価値を形成するという事実を言い現すためには、リンネルの等価を生産するところの裁縫なる具体的労働が、抽象的人間労働の明瞭なる体現形態として機織に対立して来るのである。

それゆえ、どちらも人間的労働という一般的属性を持っており、またそれゆえ特定の場合、例えば価値生産の場合には、どちらもただこの観點の下でのみ考察されうる。

こうしたことは全て、何も神秘的なことではない。

ところが、商品の価値表現においては、事態がねじ曲げられる。

例えば、織布労働が織布労働としてのその具体的形態においてではなく、人間的労働としてのその一般的属性においてリンネル価値を形成するということを表現するために、織布労働に対して裁縫労働が、すなわちリンネルの等価物を生産する具体的労働が、抽象的人間的労働の手で掴める具現形態として、対置されるのである。

82

斯くの如く、具体的労働がその反対物なる抽象的労働の現象形態になるという事実こそ、等価形態の第二の特色たるものである。

従って、具体的労働がその反対物の、抽象的人間的労働の現象形態になるということが、等価形態の第二の独自性である。

83

然し、この具体的労働なる裁縫は、無差別なる人間労働の単なる表章として通用するとき、他の労働、すなわ ちリンネルの中に含まれている労働と等一の形態を有し、随って他のあら ゆる商品を生産するところの労働と同様に私的労働であるとはいえ、 かも直接に社会的なる形態を採った労働となるのであって、さればこそ、それは他の商品と直接に交換し得る生産物となって現れるのである。

斯く私的労働がその反対の形態なる直接社会的の形態を採った労働になるということは、すなわち等価形態の第二[原文ママ]の特色たるものである。

しかし、裁縫労働というこの具体的労働が、区別のない人間的労働の単なる表現として通用することによって、それは、他の労働、すなわちリンネルに含まれている労働との同等性の形態をとるのであり、したがってまたそれは、商品を生産する他のあらゆる労働と同じく私的労働であるにもかかわらず、しかも直接に社会的な形態にある労働なのである。

だからこそ、その労働は他の商品と直接に交換されうる一生産物で自分自身を表すのである。

したがって、私的労働がその反対物の形態、直接に社会的な形態にある労働になるということが、等価形態の第三の独自性である。

84

これらの最後に述べた等価形態の二特色は、かの思想形態や、社会形態や、自然形態など幾多の形態と相並んで、更らに価値形態をも初めて分析したところの大思想家に遡って考えるとき、ヨリ理解し易きものとなる。

その大思想家というのは、すなわちアリストテレースのことである。

最後に展開された等価形態の二つの独自性は、価値形態を、極めて多くの思考形態、社会形態及び自然形態とともに初めて分析したあの偉大な探求者にまで我々が遡るとき、さらに一層理解しやすいものとなる。

その人とはアリストテレスである。

85

アリストテレースは先づ、商品の貨幣形態なるものが単純なる檟値形態(換言すれば、任意に選んだ何等かの商品を以ってする一商品の檟値表章)の更らに發達した容姿に過ぎぬことを明らかに述べている。

すなわち彼れは 5じょく=1家屋 は 5褥=幾許 いくばくの貨幣 と『異なるところがない』と言っている。

アリストテレスは、まず第一に、商品の貨幣形態は簡単な価値形態の、すなわち、何か任意の他の一商品による一商品の価値の表現の、一層發達した姿態に過ぎないことを、はっきりと述べている。

というのは、彼はこう言っているからである。

「5台の寝台=一軒の家」といいうことは、「5台の寝台=これこれの額の貨幣」というのと「区別されない」と。

86

彼れはまた、この価値表章を含む檟値關係が更らに、家屋がしとね と質的に等しいものとされること、竝びに斯かる本質上の等一性なくんば、これらの感性的に相異った物は、通約し得べき大きさとして相互に關係せしめられ得るものでないことを認めている。

彼れは言う。——『交換は等一なくして存在し得るものでなく、等一は通約なくして存在し得るものでない』と。

が、彼れは茲で行き詰まってしまって、檟値形態のそれ以上に進んだ分析を放棄している。

『然し斯く種類の異った物が通譯され得るということ』換言すれば質的に等しいということは、『本当は不可能である。』斯かる等一は、これらの物の眞の性質には關係なきものであって、『實地の必要に對する應急策』たり得るに過ぎぬのであると。

彼はさらに、この価値表現が潜んでいる価値關係は、それはそれでまた、家が寝台に質的に等値されることを条件とすること、そして、これらの感性的に異なる諸物は、このような本質の同等性なしには、同じ単位で計量されうる量として、相互に関聯 かんれん し得ないであろうということを見抜いてる。

彼は言う。「交換は同等性なしにはありえないが、同等性は同じ単位で計量されうることなしにはありえない」。

しかし、彼はここではたと立ち止まって、価値形態のそれ以上の分析をやめてしまう。

「しかし、種類を異にする諸物が、同一の単位で計量されうることは」、すなわち、質的に等しいということは、「ほんとうは、不可能なことである」。

こうした等置は、諸物の真の性質にとって無縁なものでしかありえず、したがって、ただ「実際上の必要のための應急手段」でしかありえない、というのである()。

87

要するに、アリストテレースは、彼れのそれ以上に進んだ分析が如何なる點で頓挫したかをみづから語っている譯わけである。

すなわち、檟値概念のけつ如ということがその頓挫の原因となったのである。

しとねの檟値表章に於いて、家屋が褥に比して代表するとことの等一物、換言すれば、家屋と褥との雙方そうほう に共通するところの實體じったいは何であるか?

斯様な物は『本當は存在し得るものでない』と、アリストテレースは言う。

何故存在し得ないか。

褥と家屋との雙方に於ける現實的の等一物が家屋に依って代表される限り、家屋は褥に比して等一物を代表することになる。

而して、その等一物とは、卽ち人間勞動のことである。

したがって、アリストテレスは、彼のそれ以上の分析がどこで挫折したかを、すなわち、価値概念の缺如のためであることを、自ら語っているのである。

寝台の価値表現において家が寝台のために表している等しいもの、すなわち共通な実態は、なにか?

そのようなものは「ほんとうは実存しない」とアリストテレスは言う。

なぜか?

家が寝台に対して一つの等しいものを表すのは、家がこの両方のもの、寝台と家との中にある現實に等しいものを表す限りにおいてである。

そして、これこそ──人間的労働なのである。

88

然るに、商品檟値の形態に於いては、一切の勞動が等一なる人間労働として、卽ち同じ値打ちのものとして言い現され流という事実をば、檟値形態それ自身の中から看取することを、アリストテレースにとって不可能たらしめた原因がある。

それは即ち、ギリシアの社会は奴隷労働に立脚するものであって、人類及びその労働力の不等を自然的の基礎にしていたという事實である。

一切の勞動は人間労働一般であるが故に、又その限りに於いてのみ、等一であり同じ値打ちのものであるという、価値表章の秘密は、人類平等の概念が既に固定して先人的俗見となったとき、初めて解明し得るものである。

然し斯かる事実は、商品形態が勞動生産物の一般的形態となり、随ってまた商品所有者としての人類相互の関係が、支配的の社会関係となっている社会の下に、初めて行われ得ることである。

アリストテレースは商品の檟値表彰野中に等一関係を発見した点に、天才の閃きを示しているが、彼れの生存せる社会の歴史的制限に依って、この等一関係なるものが『本當は』如何なる事実に存しているかを見出すことを妨げられたのである。

しかし、商品価値の形態にはすべての労働が等しい人間的労働として、それゆえ、等しい妥当性をもつものとして、表現されているということを、アリストテレスは価値形態そのものから読み取ることができなかった。

なぜなら、ギリシア社会は奴隷制度を基本としており、したがって、人間およびその労働力の不平等を自然的基礎としていたからである。

価値表現の秘密、すなわち、人間的労働一般であるがゆえの、またその限りでの、すべての労働の同等性および同等な妥当性は、人間の平等の概念がすでに民衆の先入見まで定着するようになるとき、はじめて、解明することができる。

しかしそれは、商品形態が労働生産物の一般的形態であり、したがってまた商品所有者としての人間相互の關係が支配的な社会的關係である社会において、はじめて可能である。

アリストテレスの天才は、まさに、彼が諸商品の価値表現のうちに一つの同等性關係を發見している點に、輝いている。

ただ、彼は、彼が生きていた社会の歴史的制約に妨げられて、この同等性關係が、いったい「ほんとうは」なんであるかを、見出すことができなかったのである。

4)単純檟値形態の総体(71)
89

一商品の単純なる檟値形態は、種類の異った他の一商品に對する檟値関係、換言すれば交換関係の中に含まれている。

商品Aの価値は、商品Bを以って、量的に言い現される。

語を換えていえば、一商品の価値は、それが『交換価値」として表現されることに依り、独立した形に言い現されるのである。

本章の冒頭に於いては、通俗的に、商品は使用価値及び交換価値であると言ったが、それは厳密に言うと誤りである。

商品は使用価値即ち使用対象であって、且つ『檟値』なのである。

商品はその価値が現物形態とは異なる特殊の現象形態を、交換価値なる形態を探るとき、斯かる二重物として表現されるのであって、この形態は商品を他から切り離して観察するとき決して存在するものでなく、種類の異った他の一商品との価値関係又は交換関係に於いてのみ得られることになるのである。

これだけのこと心得て置けば、右の如き言い方も有害とはならず、却って省略の目的に役立つのである。

一商品の簡単な価値形態は、種類を異にする一商品に對するその商品の価値關係のうちに、あるいはそれとの交換關係のうちに、含まれている。

商品Aの価値は、質的には、商品Bの商品Aとの直接的交換可能性によって表現される。

それは、量的には、一定分量の商品Bの、与えられた分量の商品Aとの交換可能性によって表現される。

言い換えれば、一商品の価値は、「交換価値」としてのその表示によって、自立的に表現されている。

この章のはじめでは、普通の流儀にしたがって、商品は使用価値および交換価値と言ったが、これは厳密に言えば、誤りであった。

商品は、使用価値または使用対象、および「価値」である。

商品は、その価値がその自然形態とは異なる一つの独自な現象形態、交換価値という現象形態をとるやいなや、あるがままのこのような二重物として自己を表すが、商品は、孤立的に考察されたのではこの形態を決してとらず、つねにただ、第二の、種類を異にする商品との価値關係または交換關係のなかでのみ、この形態をとるのである。

もっとも、このことを心得ておきさえすれば、さきの言い方も有害ではなく、簡約に役立つ。

90

商品の檟値形態換言すれば価値表章なるものは、商品檟値の性質に起因するものであって、反対に檟値及び檟値大小が交換価値なる表彰様式に起因するものでないことは、曩の分析に依って論証されたところである。

而もこの後の見解こそ、マーカンチリスト及びその近世的蒸し返し屋なるフェリエー、ガニール(二十二)等、並びに彼等の反対論者なるバスチア及びその一派の如き近世自由貿易商人等のなづ いていた妄想なのである。

マーカンチリストは価値表章の質的方面に重きを置き、斯くして貨幣に依り完成姿容を与えられるところの、商品の等価形態を特に強調することになったのである。

これに反して、如何なる価格を以っても商品を売り飛ばしてしまわねばならぬ近世自由貿易行商人は、相対的檟値形態の量的方面に重きをおくのであって、彼等から見れば、商品の価値も檟値大小も、交換価値に依る表章以外の處、換言すれば、日々の物価表以外の處には存在するものではない。

スコットランド人マクラウドは、ヨーロッパ街72の錯乱したる観念をば出来得る限り学説的に粉飾する任務を以って、迷信的なマーカンチリストと啓蒙された自由貿易行商人とを綜合せしむることに成功したのである。

我々の分析が証明したように、商品の価値形態はまたは価値表現が商品価値の本性から生じるのであり、逆に、価値および価値の大きさが交換価値としてのそれらの表現様式から生じるのではない。

ところが、この逆の考え方が、重商主義者たち(*1、およびその近代的な蒸し返し屋である、フェリカ、ガニス22なその妄想であるとともに、彼等とは正反対の論者である近代自由貿易外交員、たとえばバスティアとその一派の妄想でもある。

重商主義者たちは、価値表現の質的な側面に、それゆえ貨幣をその完成姿態とする商品の等価形態に重きを置き、これに対して、自分の商品をどんな価格ででもたたき売らなければならない近代自由貿易行商人たちは、相対的価値形態の量的側面に重きを置く。

その結果、彼らにとっては、商品の価値の大きさも交換關係による表現のうち以外には実存せず、したがって、ただ日々の物価表のうちにのみ実存する。

スコットランド人マクラウドは、ロンバード街〔ロンドンの金融街〕の混乱をきわめた諸表象をできる限り学問的に飾り立てるという彼の職能において、迷信的な重商主義者たちと啓蒙された自由貿易行商人たちとの見事な総合をなしている。(*2

91

我々は商品Bへの価値関係に含まれている商品Aの価値表章を仔細に観察することに依って、この関係の内部に於いては商品Aの現物形態は単に使用価値の姿容としてのみ、また商品Bの現物形態卽ち価値姿容74としてのみ通用することを明らかにした。

斯くして、各商品の中に包まれている使用価値と価値との内部対立は、外部的の対立に依り、換言すれば価値が言い現さるべき商品を直接単に使用価値としてのみ通用せしめ、反対に、価値を言い現す方の商品を単に交換価値してのみ通用せしむるニ商品間の関係に依って、表現されることになる。

要するに一商品の単純なる檟値形態は、その商品の中に含まれている使用価値と価値との対立の単純なる現象形態となるのである。

商品Bに對する価値關係に含まれている商品Aの価値表現を立ち入って考察してみると、この価値表現の内部では、商品Aの自然形態はただ使用価値の姿態としてのみ意義を持ち、商品Bの自然形態はただ価値形態または価値姿態としてのみ意義を持つ、ということがわかった。

したがって、商品のうちに包み込まれている使用価値と価値との内的対立は、一つの外的対立によって、すなわち二つの商品の關係によって表され、この關係の中では、それの価値が表現されるべき一方の商品は、直接にはただ使用価値としてのみ意義を持ち、これに対して、それで価値が表現される他方の商品は、直接にはただ交換価値としてのみ意義を持つ。

したがって、一商品の簡単な価値形態は、その商品に含まれている使用価値と価値との対立の簡単な現象形態なのである。

92

如何なる社会状態の下に於いても、労働生産物は使用対象たるものであって、ただ使用物品の生産上に支出された労働をその『対象物』として、価値として、表現せしむる歴史的に限定された一の発展時期に於いてのみ、労働生産物は商品に転化されるのである。

そこで商品の単純なる檟値形態は、同時にまた、労働生産物の単純なる商品形態であり、随って商品形態の発達なるものは、檟値形態の発達と一致するということになる。

労働生産物は、どのような社会状態においても使用対象物であるが、労働生産物を商品に転化するのは、歴史的に規定された一つの發展の時期——すなわちその使用物の生産において支出された労働を、その使用物の「対象性」属性として、すなわちその使用物の価値として表す、歴史的に規定された一つの發展の時期だけである。

そこで、こうなる——商品の簡単な価値形態は、同時に労働生産物の簡単な商品形態()であり、したがってまた、商品形態の發展は価値形態の發展と一致する、と。

93

単純なる檟値形態が不十分であることは、一見して知られる。

この檟値形態は、一列の転形を遂ぐることに依って初めて価格形態に熟成するところの胚種形態に過ぎぬものである。

簡単な価値形態、すなわち、一連の変態を経て初めて価格形態に成熟するこの萌芽形態の不十分さは、一見して明らかである。

94

商品Aの価値が他の何等かの商品に依って言い現されるということは、要するに、Aの価値がそれ自身の使用価値から区別されるということに過ぎぬ。

随ってこの表章は、Aをそれ自身とは異った何等かの単一なる商品種類との交換関係に置くだけであって、他の凡ゆる商品に対するAの質的統一並びに量的比例を表現するものではないのである。

一商品の単純なる相対的価値形態は、他の一商品の単一なる等価形態を伴う。

斯くして上衣なる商品は、リンネルの相対的価値表章たる関係に於いては、リンネルという単一の商品種類についてのみ等価形態、卽ち直接に交換し得る形態を採ることになるのである。

何らかの商品Bでの表現は、商品Aの価値をただ商品A自身の使用価値から区別するだけであり、したがってまた、商品Aを、それ自身とは異なる何らかの個々の商品種類に對する交換關係に置くだけで、商品Aの他のすべての商品との質的同等性および量的比例關係を表すものではない。

一商品の簡単な相対的価値形態には、他の一商品の個別的等価形態が対應する。

こうして、上着は、リンネルの相対的価値表現の中では、リンネルという個々の商品種類との関連で等価形態または直接的交換可能性の形態をとるにすぎない。

95

だが、単一なる価値形態は、おのづからヨリ完全な形態に推転するものである。

単一なる価値形態に依っても、Aなる一商品の価値が、種類の異った単一の商品を以って言い現されることは事実である。

然しこの第二の商品が如何なる種類の物であるか、卽ちそれが上衣であるか、鉄であるか、小麦又はその他の物であるかということは、どうでもいい問題である。

そこで甲なる商品種類に対して価値関係に入るか、乙なる商品種類に対して価値関係に入るかに従って、同一商品についても種々の異った単純なる価値表章が生ずることになる(二十三a)。

斯様な可能的価値表章の数は、他の異った商品種類の数に依ってのみ制限される。

斯くて商品の個別的価値表章は、種々異った単純なる価値表章の絶えず延長し得る一列に転化される訳である。

とはいえ、個別的な価値形態は、おのずから、より完全な一形態に移行する。

確かに、個別的な価値形態の媒介によって、一商品Aの価値を別の種類のただ一つの商品によって表現されるだけである。

しかし、この第二の商品がどのような種類のものであるか、上着か、鉄か、小麦などかとうかということは、全くどうでもいいことである。

従って、商品Aが他のあれこれの商品の商品種類に対して価値關係に入るのに従って、同一の商品の様々な簡単な価値表現が生じる(22a)。

商品Aの可能な価値表現の数は、商品Aと異なる商品種類の数によって制限されているだけである。

だから、商品Aの個別的な価値表現は、商品Aの様々な簡単な価値表現の常に延長可能な列に転化する。

B 総体的の、換言すれば拡大されたる価値形態75

96

z量A商品 = u量B商品 又は =v量C商品 または =w量D商品 または =x量E商品  または =etc.

20ヤールのリンネル = 1着の上着 または = 10片の茶 または = 40片の珈琲 または =  1クォーターの小麦 または = 2オンスの金 または = 1/2噸の鉄 または =etc.

z量の商品A = u量の商品B または = v量の商品C または =w量の商品D または =x量の商品E または =等々

(20エレのリンネル = 1着の上着 または = 10ポンドの茶 または = 40ポンドのコーヒー または = 1クォーターの小麦 または = 2オンスの金 または = 1/2トンの鉄 または =等々)

1)拡大されたる相対的価値形態
97

一の商品、例えばリンネル、の価値は、今や商品界の他の無数の要素に依って言い現されることになった。

他の各商品体は、リンネル檟値の鏡となるのである(二十三)。

斯くしてこの檟値それは自身は、茲に初めて眞に無差別的な人間労働として現れることになる。

けだ し、この価値を形成するところの労働は、今や明かに他の凡ゆる労働と——これらの労働が如何なる現物形態を有するにせよ、卽ち上衣に対象化されるか、小麦に対象化されるか、それとも鉄、金その他の物に対象化されるかを問わず——同じ値打ちの労働として表現されることになるからである。

リンネルはまた、今やその価値形態に依って、もはや他の個別的商品種類のみに対して社会的関係に立つものではなく、商品界全体に対して同一の関係に立つこととなる。

それは商品たる資格に於いては、この商品界の一市民である。

同時にまた、その表章が無限に連系するという事実の中に、商品価値なるものは、それが現れてゆく使用価値の特殊形態に対しては無頓着であるという事実が存在しているのである。

ある一つの商品、例えばリンネルの価値は、今や商品世界の無数の他の要素で表現されている。

他の商品体はどれもリンネル価値の鏡となる(23)。

こうして、この価値そのものが、初めて真に、区別のない人間的労働の凝固体として現れる。

というのは、この価値を形成する労働は、他のどの人間的労働とも——それがどのような自然形態をとっていようとも、それゆえまた、それが上着、または小麦、または鉄、または金などのどれに対象化されていようとも——等しい意識を持つ労働として、今やはっきりと、表されているからである。

だから、今や、リンネルはその価値形態によって、もはや単にある個々の他の商品種類に対してだけでなく、商品世界に対して社会的關係に立っている。

商品としては、リンネルはこの商品世界の一市民である。

それと同時に、商品価値の諸表現の無限の列のうちには、商品価値はそれが現れる使用価値の特殊な形態には無関心であるということが示されている。

98

20ヤールのリンネル1着の上着  なる第一形態に於いては、これらの二商品が一定の分量比例をを以って交換され得るようになるのは偶然的事実であり得る。

然るに、第二形態に於いては、偶然的の現象とは本質的に異なり且つそれを決定するところの背景が直ちに認められる。

リンネルの価値は、それが上衣、珈琲又は鉄などの、いづれに依って表現されようとも、語を換えて言えば種々様々の所有者の手に属する無数の相異った商品のいづれに依って表現されようとも、その大小には変化がない。

斯くして二人の個別的商品所有者間に於ける偶然的の関係は消滅し、交換が商品檟値の大小を規制するのではなく、反対に商品檟値の大小が商品の交換比例を規制するものであることが明かになる。

20エレのリンネル=1着の上着 という第一の形態においては、これらの二つの商品が一定の量的比率において交換されうるものだということは、偶然的な事実でありうる。

これに対して、第二の形態においては、偶然的な現象とは本質的に区別され、それを規定する一つの背景が、ただちに透けて見えてくる。

リンネルの価値は、上着、またはコーヒー、または鉄など、きわめて様々な所有者のものである無数の異なった商品で表されても、同じ大きさであることに変わりはない。

二人の個別的商品所有者の偶然的な關係はなくなる。

交換が商品の価値を大きさを規制するのではなく、逆に、商品の価値の大きさが商品の交換比率を規制するということが明白になる。

2)特殊の等価形態
99

上衣、茶、小麦、鉄などの如き各商品は、リンネルの価値表章に於いては等価として、随ってまた価値体77として通用する。

これら各商品の一定の現物形態は、今や夫々それぞれ相並んで特殊の等価形態となる。

同様に、これら種々なる商品体に含まれている様々の具体的にして有用なる一定の労働種類も亦、今や人間労働それ自身の同様に数多き特殊の実現形態として、現象形態として、通用するのである。

上着、茶、小麦、鉄などという商品は、リンネルの価値表現においては、どれでも等価物として、それゆえ、価値体として通用する。

これらの各商品の特定の自然形態は、いまや、他の多くの特殊的等価形態とならんで一つの特殊的等価形態である。

同じように、様々な商品体に含まれる多様な特定の具体的有用的労働種類は、いまや、ちょうどその数だけの、人間的労働一般の特殊な具現形態または現象形態として通用する。

3)総体的なる、換言すれば拡大されたる、価値形態の欠点
100

先づ、商品の相対的価値表章は未完成のものである。

その表現系列は結了することがないからである。

各価値方程式を相互に結合する鎖は、新たなる価値表章の材料を供給するところの、新たなる商品種類が現れて来る度に毎に、絶えず延長し得るものとなっている。

第二に、この鎖は相互に一致することなき、種類の相異った様々の価値表章より成る錯雑な寄木細工を成している。

最後に——これは かあらねばならぬことであるが——各商品の相対的価値が、この拡大された形態を以って言い現されるとすれば、各商品の相対的価値形態は他の相対的価値形態とは異った価値表章の限りなき連系となる。

拡大されたる相対的価値形態の欠点は、この形態に照応せる等価形態の上に反射する。

各個の商品種類の現物形態はこの場合、他の無数の特殊等価形態と相並んだ特殊の等価形態であるから、総じてただ相互に除斥し合うところの制限された等価形態のみが存在することになる。

同様に、特殊の各商品等価に含まれている一定の具体的な有用な労働種類は、人間労働の特殊な現象形態に過ぎず、随って人間労働の余すところなき現象形態となるものではない。

人間労働なるものは、これらの特殊現象形態の中に、その完全なる又は総合的の現象形態を有していることは事実であるが、然し何等の統一的な現象形態をも有しては居らぬのである。

第一に、商品の相対的価値表現は未完成である。

なぜなら、その表示の例が決して完結しないからである。

一つの価値等式が他の価値等式とつくる連鎖は、新しい価値表現の材料を提供する新種の商品が登場するたびに、それによって絶えず引き続き延長されうるものである。

第二に、この連鎖は、ばらばらな、様々な種類の価値表現の雑多な寄木細工をなしている。

最後に──当然そうならざるをえないのだが──どの商品の相対的価値もこの展開された形態で表現されるとすれば、どの商品の相対的価値形態も、他のどの商品の相対的価値形態とも異なる価値表現の無限の一系列である。

──展開された相対的価値形態の欠陥は、それに対應する等価形態に反映する。

ここでは、各個の商品種類の自然形態が、無数の他の特殊的等価形態ととならぶ一つの特殊的等価形態であるから、およそ実存しているのは、ただ、互いに排除しあう制限された諸等価形態にすぎない。

同じように、どの特殊的商品等価物にも含まれている特定の具体的有用的労働種類も、ただ、人間的労働の特殊的な、したがって、尽きることのない〔不完全な〕現象形態にすぎない。

確かに、人間的労働は、その完全な、または全体的な現象形態を、あの特殊的現象諸形態の総範囲のうちにはもっている。

しかし、その場合でも、人間的労働は、統一的現象形態をもっていない。

101

けれども、拡大されたる相対的価値形態は、第一形態に属する左の如き単純なる相対的価値表章又は方程式の総和のみから成るものである。

20ヤールのリンネル1着の上着

20ヤールのリンネル10片の茶 その他

然るに、これらの方程式の各はまた、これを転換して考えると、次の如き同一なる方程式をも含むことになる。

即ち

1着の上着20ヤールのリンネル

10片の茶20ヤールのリンネル その他

とはいえ、展開された相対的価値形態は、簡単な相対的価値表現の、すなわち第一の形態の諸等式の総計からなっているものにほかならない。

たとえば、

20エレのリンネル = 1着の上着

20エレのリンネル = 10ポンドの茶

などの、総計からである。

ところが、これらの等式はどれも、逆の関連ではまた次のような同じ等式を含んでいる。

すなわち、

1着の上着 = 20エレのリンネル

10ポンドの茶 = 20エレのリンネル

などの等式である。

102

実際のところ、或一人がそのリンネルを以って他の多くの商品と交換し、斯くしてこのリンネルの価値が他の一列の諸商品に依って言い現されることになると、他の多くの商品所有者も亦必然的にその商品を以ってリンネルと交換し、斯くして彼等の種々の異った商品の価値は、リンネルという同一なる第三の商品に依って言い現されねばならぬことになる。

そこで 20ヤールのリンネル1着の上着 又は =10片の茶 又は =その他の物  という系列を転換し、斯くして本来すでにこの系列の中に含まれている逆行的の関係を言い現すとすれば、その場合には左の如き結果が得られることになる。

実際、もしある人が彼のリンネルを他の多くの商品と交換し、それゆえ、リンネルの価値を一連の他の商品で表現するとすれば、必然的に、他の多くの商品所有者もまた彼らの商品をリンネルと交換しなければならず、それゆえ、彼らの様々な商品の価値を、同じ第三の商品で、すなわちリンネルで、表現しなければならない。

──こうして、20エレのリンネル=1着の上着、または =10ポンドの茶 または =等々 という列を逆にすれば、すなわちこの列に事実上すでに含まれている逆の関聯かんれん を表現すれば、次の形態が得られる。

C 一般的の檟値形態

103

1着の上着    
10片の茶    
40片の珈琲   
1クォーターの小麦 20ヤールのリンネル
2オンスの金   
1/2噸の鉄    
x量のA商品   
その他の商品   

1着の上着 =

10ポンドの茶 =

40ポンドのコーヒー =

1クォーターの小麦 =

2オンスの金 =          >>>>> 20エレのリンネル

1/2トンの鉄 =

x量の商品A =

等々の商品 =

1)檟値形態の変化したる性質
104

商品は今や(一)その檟値をば単一なる商品に依って表現するが故に単純に表現し、また(二)同一の商品を以って表現するが故に統一的に表現するものであって、商品の檟値形態は単純であると同時に、共通的であり、随って一般的のものとなる。

商品は、それぞれの価値を、いまや()簡単に表している、なぜならただ一つの商品で表しているからであり、かつ(ニ)統一的に表している、なぜなら、同じ商品で表しているからである。

諸商品の価値形態は、簡単かつ協働的であり、それゆえ一般的である。

105

第一及び第二の形態はいづれも、一商品の価値をば、この商品自身の使用価値たる商品体から区別した物としていい現すに過ぎぬ。

形態Ⅰおよび形態Ⅱ()は、どちらも、一商品の価値を、その商品自身の使用価値または商品体と区別されたものとして表現したにすぎなかった。

106

第一の形態は、1着の上着20ヤールのリンネル10片の茶1/2噸の鉄 等の如き価値方程式を生ぜしめた。

上衣の価値はリンネルに等しき物として、また茶の価値は鉄に等しき物として言い現される。

然し、上衣並びに茶のこれらの価値表章なるリンネルに等しき物と、鉄に等しき物とは、リンネルと鉄がが異なると同様に相異なるものである。

斯かる形態は、実際上には労働生産物が偶然的のまた時折り行われる交換に依って商品に転化される極初期の時代にのみ生ずることは明かな事実である。

第一の形態は、1着の上着=20エレのリンネル、10ポンドの茶=1/2トンの鉄、などのような価値等に表現されるが、リンネルに等しいもの、および鉄に等しいものという上着および茶のこの価値表現は、リンネルと鉄が異なっているように、異なっている。

この形態が実際に現れるのは、明らかに、ただ、労働生産物が偶然的なときおり行われる交換によって商品に転化されるそもそもの始まりにおいてだけである。

107

第二の形態は、第一の形態よりも完全に、一商品の檟値をばそれ自身の使用価値から区別する。

蓋し上衣を例に採るならば、その価値は今や一切の可能なる形態を以って、リンネルに等しき物、鉄に等しき物、茶に等しき物として、即ち上衣以外の凡ゆる物として、自己の現物形態に対立するからである。

他方にまた、諸商品の共通した各価値表章はこの場合、直接に排除されることとなる。

今や、夫々の商品の価値表章に於いて、他の一切の商品は、檟値なる形態を以ってのみ現れることになるからである。

拡大されたる檟値形態は、一の労働生産物なる例えば家畜の如きものが、もはや例外的にでなく。寧ろ習慣的に、他の種々なる商品と交換されるようになるとき、事実上初めて出現し来たるものである。

第二の形態は、第一の形態よりも完全に、一商品の価値をその商品自身の使用価値から区別する。

というのは、たとえば上着の価値は、いまや、ありとあらゆる形態で、すなわちリンネルに等しいもの、鉄に等しいもの、茶に等しいもの、等々として、つまり、上着に等しいものでないだけで他のあらゆるものに等しいものとして、上着の自然形態に相對するからである。

他面、ここでは、諸商品の共通な価値表現は、すべて、直接に排除されている。

というのは、それぞれの商品の価値表現において、いまや他のあらゆる商品は、ただ等価物の形態でのみ現れるからである。

展開された価値形態が、はじめて実際に現れるのは、ある労働生産物、たとえば家畜が、もはや例外的にではなくすでに慣習的に、他の様々な商品と交換されるときである。

108

この新たに得られた形態に依って、商品界の諸価値は、商品界から切り離された共通の同一商品種類なる例えばリンネルを以って言い現され、斯くして凡ゆる商品の価値は、これらの物がリンネルに等しいという事実に依って表現されることになる。

各商品の価値は、今やリンネルに等しき物として単に自分自身の使用価値から区別されるのみではなく、また他の凡ゆる使用価値からも区別される。

而して正にこの事実に依り、各商品の価値は、一切の商品との間に共通せるものとして言い現されることになる。

即ちこの形態に依って、初めて諸商品は現実的に価値として相互関係せしめられ、相互に交換檟値として現れ得るようになるのである。

新しく得られた形態は、商品世界の諸価値を、商品世界から分離された一つの同じ商品種類、たとえばリンネルで表現し、こうして、すべての商品の価値を、それらの商品のリンネルとの同等性によって表す。

リンネルに等しいものとして、どの商品の価値も、いまや、その商品自身の使用価値から区別されているだけでなく、およそ使用価値というものから区別されており、まさにそのことによって、その商品とすべての商品とに共通なものとして、表現されている。

だから、この形態がはじめて現實的に諸商品を互いに価値として関連させ、言い換えれば、諸商品を互いに交換価値として現象させるのである。

109

さきの両形態は、各商品の価値をば、種類の異った単一の商品なり、又は斯くの如き一列の多数商品なりのいづれかに依って言い現わすものであって、これらのいづれの場合に於いても、ここの商品が価値形態を探るのは、謂わば個々の商品の私事であって、他の商品よりの助力なくして遂行し得るところのものである。

他の商品は寧ろ前者に対し、等価としての単なる被動的な役割を演ずるに過ぎぬ。

反対に、一般的の価値形態は、商品界の共同事業としてのみ生ずるものであって、一の商品は、他の凡ゆる商品が同時に同一の等価を以ってその檟値を言い現し、而して新たに出現する商品種類は、いずれもそれを模倣せねばならぬという理由のみに依ってのみ、一般的の価値表章を受けるのである。

これに依って次の事実が明かになって来る。

即ち商品の価値対象性78なるものは、商品の単なる『社会的存在』に過ぎぬものであるから、商品の全般的な社会的関係に依ってのみ言い現され得るものであり、随って商品の価値形態なるものは、社会的に有効の形態でなければならぬことになるのである。

前の二つの形態は、商品の価値を、種類を異にするただ一つの商品によってであれ、その商品とは異なる一連の多数の商品によってであれ、一商品ごとに表現する。

どちらの場合にも、自分自身に一つの価値形態を与えることは、いわば個々の商品の私事であり、個々の商品は他の諸商品の関与なしにそれを成し遂げる。

他の諸商品は、その商品に対して、等価物という単に受動的な役割を演じる。

これに対して、一般的価値形態は、商品世界の共同事業としてのみ成立する。

一商品が一般的価値表現を獲得するのは、同時に他のすべての商品がそれらの価値を同じ等価物で表現するからにほかならず、そして、新しく登場するどの商品種類もこれにならわなければならないのである。

これによって、諸商品の価値対象性は──それがこれらの物の単に「社会的な安定」であるがゆえに──諸商品の全面的な社会的関聯かんれん によってのみ表現されうること、それゆえ、諸商品の価値形態は社会的に通用する形態でなければならないこと、が現れてくる。

110

今や一切の商品は、リンネルに等しき物となるのであるが、この形態を以って単に質的の等一物として、価値一般として、現れるのみでなく、同時にまた量的に比較し得る価値量としても現れる。

一切の商品は同一の材料なるリンネルの上に夫々の価値量を反射するが故に、これらの価値量はまた交互に反射し合うこととなるのである。

例えば 10片の茶20ヤールのリンネル であり、また40片の珈琲20ヤールのリンネル  であるとすれば、10片の茶40片の珈琲となる。

換言すれば、珈琲一片は茶一片に比し、価値実態なる労働を4ぶんの1しか含まぬことになるのである。

リンネルに等しいものという形態で、いまやすべての商品が質的に等しいもの、すなわち価値一般として現れるだけでなく、同時に、量的に比較されうる価値の大きさとしても現れる。

すべての商品がそれらの価値の大きさをリンネルという一つの同じ材料に映すので、これらの価値の大きさは互いに反映しあう。

たとえば、10ポンドの茶=20エレのリンネル であり、40ポンドのコーヒー=20エレのリンネル であれば、10ポンドの茶=40ポンドのコーヒー である。

あるいは、1ポンドのコーヒーには、1ポンドの茶に比べて、1/4 だけの価値實體じったい、労働、しか含まれていない。

111

商品界の一般的なる相対的価値形態は、商品界から排除された等価商品なるリンネルの上に、一般的等価の性質を印刻する。

リンネル自身の現物形態は、一切の人間労働の目に見える体化として、その一般的なる社会的蛹化79として通用する。

リンネルを生産するところの私的労働なる機織は、同時にまた一般社会的なる形態、即ち他の凡ゆる労働と等一なる形態のもとに存在している。

一般的価値形態を構成する無数の方程式は、リンネルに実現されている労働をば順を追うて他の商品に含まれている各労働と等位に置き、斯くすることに依って機織を人間労働一般の普遍的現象形態たらしめる。

斯くして、商品価値に対象化されている労働は、単に消極的の意味で、現実的労働の一切の具体的形態並びに有用性質から抽象された労働として表現されるというのみでない。

その積極的性質も亦、明かに現れて来るのである。

商品価値に対象化されている労働は、現実的の凡ゆる労働をば人間の人間労働という共通の性質に、人間労働力の支出に約元したものとなるのである。

商品世界の一般的な相対的価値形態は、商品世界から排除された等価物商品であるリンネルに、一般的等価物という性格を押し付ける。

リンネル自身の自然形態がこの商品世界の共通な価値姿態であり、したがって、リンネルは、他のすべての商品と直接に交換されうるものである。

リンネルの身体形態が、いっさいの人間的労働の目に見える化身、一般的社会的蛹化、として通用する。

リンネルを生産する織布労働という私的労働が、同時に、一般的社会的形態で、他のすべての労働との同等性の形態で存在する。

一般的価値形態を構成する無数の等式は、リンネルに実現されている労働を、他の商品に含まれているそれぞれの労働に、順々に等置し、そうすることによって、織布労働を人間的労働一般の一般的現象形態にする。

こうして、商品価値に対象化されている労働は、現實的労働のすべての具体的形態と有用的属性とが捨象される労働として消極的に表されているだけではない。

この労働自身の積極的な本性がはっきりと現れてくる。

この労働は、いっさいの現實的労働が人間的労働というそれらに共通な性格に、人間的労働力の支出に、還元されたものである。

112

各種の労働生産物をば区別なき人間労働の単なる凝結として表現せしめる一般的価値形態は、それが商品界の社会的表章であることを自身の構造に依って示すもので、商品界の内部に於いては、労働の一般人間的なる性質が労働の特殊社会的なる性質を構成するものであることは、この一般的価値形態に依って明かにされるところである。

労働生産物を区別のない人間的労働の単なる凝固体として表す一般的価値形態は、それ自身の構造によって、それが商品世界の社会的表現であることを示している。

こうして、一般的価値形態は、商品世界の内部では労働の一般的人間的性格が労働の独自な社会的性格をなしているということを明らかにしている。

2)相対的価値形態と等価形態との発展関係
113

相対的価値形態の発展程度には、等価形態の発展程度が照応するものである。

然し茲によく注意すべきことは、等価形態の発展なるものは、相対的価値形態の発展の表章及び結果に過ぎぬという一事である。

相対的価値形態の發展の程度には等価形態の發展の程度が対應する。

しかし——しかもこれは十分注意すべきことであるが——等価形態の發展は相対的価値形態の發展の表現であり結果であるにすぎない。

114

一商品の単純又は個別的なる相対的価値形態は、他の一商品をば個別的の等価たらしめる。

次に、一商品の価値をば他の凡ゆる商品に依って言い現すところの拡大されたる相対的価値形態は、これらの商品の各に種々異った特殊等価という形態を印刻する80

最後にまた、特殊の一商品種類は、他の凡ゆる商品に依ってその統一的な価値形態の材料たらしめられるが故に、一般的の等価形態を受けるのである。

ある一つの商品の簡単な、または個別的な相対的価値形態は、他の一つの商品を個別的な等価物にする。

相対的価値の展開された形態、すなわちある一つの商品の価値の他のすべての商品での表現は、それらの商品に様々な種類の特殊的等価物という形態を刻印する。

最後に、ある一つの特殊的な商品種類が一般的等価形態を受け取るが、それは、他のすべての商品が、その商品種類を、それらの商品の統一的一般的価値形態の材料にするからである。

115

が、価値形態一般の発展と同一の程度を以って、その両極なる相対的価値形態と等価形態との対立も亦発展することになる。

しかし、価値形態一般が發展するのと同じ程度で、その両極である相対的価値形態と等価形態の対立も發展する。

115

第一の形態(20ヤールのリンネル1着の上衣)も既に、この対立を含んではいるが、それを確立する迄には至って居らない。

同一の方程式を進行的に読むか、又は逆行的に読むかに従って、リンネルと上衣の如き商品両極のおのおの は、交互同等に相対的価値形態たる位置を採ったり、等価形態たる位置を採ったりする。

斯かる両極的対立を確認するは、この第一形態に於いては尚努力を要することである。

第一の形態——20エレのリンネル=1着の上着——は、すでにこの対立を含んでいるが、それを固定化させてはいない。

同じ等式が前から読まれるか後から読まれるかにしたがって、リンネルと上着という二つの商品極のいずれもが、等しく、あるときは相対的価値形態にあり、あるときは等価形態にある。

両極の対立を固辞するのは、ここではまだ骨が折れる。

116

次に第二の形態に在っては、つねに単一なる商品種類がその相対的価値を完全に拡大し得るものであり、語を換えていえば拡大された相対的価値形態を有するものであるが、それは他の一切の商品がこの単一商品に対して等価形態の位置にあるが故にのみ、又その限りに於いてのみ行われ得ることである。

この場合 20ヤールのリンネル1着の上衣 又は =10片の茶 又は =1クォーターの小麦  等の如き価値方程式の両辺は、斯かる方程式の全性質を変更して、これを相対的価値形態から一般的価値形態に転化せしむることなくしては、もはや転倒し得るものでない。

形態Ⅱにおいては、常にただ一つずつの商品種類がその相対的価値を全体的に展開しうるすぎない。

言い換えれば、他のすべての商品がその商品種類に対して等価形態にあるからこそ、またその限りでのみ、その商品種類自身が展開された相対的価値形態を持つ。

ここではもはや、価値等式——例えば、20エレのリンネル=1着の上着 または =10ポンドの茶 または=1クォーターの小麦 など——の両辺を置き換えることは、この等式の全性格を変えてそれを全体的価値形態から一般的価値形態に転化させることなしには、不可能である。

117

最後に第三の形態は、ただ一つのものを除くのほか、商品界に属する一切の商品が一般的の等価形態から排除されている故に、またその限りにおいてのみ、商品界に一般社会的なる相対的価値形態を付与するものである。

即ち一の商品リンネルは、他の凡ゆる商品と交換し得る形態、換言すれば直接社会的なる形態を採ることになるのであるが、それは他の凡ゆる商品が斯かる形態から排除されている故に、またその限りに於いてのみ、行われることなのである(二十四

あとの形態、すなわち形態Ⅲが、ついに商品世界に一般的社会的な相対的価値形態を与えるが、それは、ただ一つの例外をのぞいて、商品世界に属する全ての商品が一般的等価形態から排除されているからであり、またその限りでのことである。

だから、リンネルという一つの商品が、他の全ての商品との直接的交換可能性の形態または直接的に社会的な形態にあるのは、他の全ての商品がこの形態にないからであり、またその限りのでのことである(24

118

反対に、一般的等価として作用する商品は、商品界の統一的したがってまた一般的なる相対的価値形態から排除されている。

若しリンネルが、換言すれば一般的価値形態の位置にある何等かの一商品が、同時にまた一般的なる相対的価値形態にもあず かるとすれば、この商品は自分自身の等価として役立たねばならなくなり、斯くして、20ヤールのリンネル20ヤルのリンネル という、価値も価値量も言い現すことなき同義反覆が生ずることになるであろう。

そこで一般的等価の相対的価値を言い現すためには、むしろ第三の形態を転倒せねばならぬことになる。

この等価は、他の商品との間に共通せる何等の相対的価値形態をも有せず、その価値は他の凡ゆる商品体の限りなき系列に依って相対的に言い現される。

斯くして今や、拡大されたる相対的価値形態たる上記第二の形態は、等価商品の特殊の相対的価値形態として現れることになる。

逆に、一般的等価物の役を務める商品は、商品世界の統一的な、それゆえ一般的な相対的価値形態から排除されている。

もしリンネルが、すなわち一般的等価形態にある何らかの商品が、同時に一般的相対的価値形態にも参加するとすれば、それは自分自身のために等価物として役立たなければならないであろう。

その場合には、20エレのリンネル=20エレのリンネル という、価値も価値の大きさも表現しない同義反復が得られるであろう。

一般的等価物の相対的価値を表現するためには、むしろ形態Ⅲを逆さにしなければならない。

一般的等価物は、他の商品と共通な相対的価値形態をもっておらずその価値は、他の全ての商品体の無限の列によって相対的に表現される。

こうして、今や、展開された相対的価値形態または形態Ⅱが、等価物商品の独自な相対的価値形態として現れる。

3)一般的価値形態から貨幣形態への推転
119

一般的価値形態なるものは、価値全般の一形態である。

随ってそれは、如何なる商品にも帰し得るのである。

他方にまた、一の商品は他のいっさいの商品から等価として排除される故に、またその限りにおいてのみ、一般的等価形態(第三の形態)という位置を採るのであって、この排除が終局的に特殊の商品の一商品種類に限られた瞬間から、商品の統一的なる相対的価値形態は、茲に初めて客観的の固定性と一般社会的なる通用力82とを得ることになるのである。

一般的等価形態は、価値一般の一つの形態である。

従って、どの商品もこの形態をとることができる。

他方、一商品が一般的等価形態を(形態Ⅲ)にあるのは、ただ、その商品が他の全ての商品によって、等価物として排除されるからであり、またその限りでのことである。

そして、この排除が一つの独自な商品種類に最終的に限定された瞬間から、初めて商品世界の統一的な相対的価値形態が客観的固定性と一般的社会的妥当性とを獲得したのである。

120

現物形態の上に等価形態が社会的に合成せしめられる特殊の商品種類は、今や貨幣商品となる。

換言すれば、それは貨幣として作用することになるのである。

商品界の内部において、一般的等価たる役目を演ずることは、斯かる商品種類の特殊の社会的機能となり、随ってまたその社会的独占に帰するものであって、上記第二形態の下にリンネルの特殊の等価として作用し、また第三の形態の下に事故の相対的価値をば、共通的にリンネルに依って言い現した諸商品中の一定の商品金こそ、歴史的にこの優先地位を占めるものである。

どこで今、第三の形態の於ける商品リンネルの位置に商品金を置くとすれば、左の結果が得られることになる。

さて、その自然形態に等価形態が社会的に癒着する独自な商品種類は、貨幣商品となる。

または、貨幣として機能する。

商品世界の内部で一般的等価物の役割を演じることが、その商品種類の独自な社会的機能となり、したがって、社会的独占となる。

形態Ⅱではリンネルの特殊的諸等価物の役を務め、形態Ⅲでは自分たちの相対的価値を共通にリンネルで表現する諸商品の中で、この特権的地位を歴史的に勝ち取ったのは、特定の商品、すなわち、金である。

こうして形態Ⅲにおいて、商品リンネルの代わりに商品金を置けば、次の形態が得られる。

D 貨幣形態

121

20ヤールのリンネル
1着の上着     
10片の茶     
40片の珈琲    
1クォーターの小麦  2オンスの金
1/2噸の鉄     
x量のA商品    
その他の商品   

第一のの形態から第二の形態へ、更らに第二の形態から第三の形態への推転に当って、本質的の変化が行われる。

然るに第四の形態は、リンネルの代わりに今や金が一般的の等価形態を採るという一点を除けば、第三の形態と何等異なるところのがない。

第四の形態に於ける金は、第三の形態に於けるリンネルと同一のものに止まっている。

即ちそれは一般的の等価となるのである。

ただ、直接にして一般的の交換可能なる形態、換言すれば一般的の等価形態は、今や社会的習慣に依って終局的に金なる商品の特殊の現物形態として合成せしめられる様になるいう一点に、進歩する存するのみである。

        1着の上着 =
        10ポンドの茶 =
        40ポンドのコーヒー =
        1クォーターの小麦 =       >>>>> 2オンスの金
        1/2トンの鉄 =
        x量の商品A =
        等々の商品 =

形態Ⅰから形態Ⅱへの、形態Ⅱから形態Ⅲへの移行に際しては、諸々の本質的な変化が起きる。

これに対して、形態Ⅳは、今やリンネルの代わりに金が一般的等価形態をとるということの他には、形態Ⅲと区別去るところがない。

形態Ⅳにおける金は、相変わらず、形態Ⅲにおいてリンネルがそうであったもの——一般的等価物である。

進歩は、ただ、直接的一般的交換可能性の形態または一般的等価形態が、いまや社会的慣習によって、商品金の独自な自然形態に最終的に癒着しているということだけである。

122

金はあらかじめすでに商品として他の諸商品に対立していたればこそ、今やまた貨幣としてそれに対立するのである。

金も亦、他の凡ゆる商品と同様に等価として——個別的交換行為に於ける単一の等価としてにしろ、又は他の商品価値と相並んだ特殊の等価にしてしろ——作用していたもので、それが次第に大なり小なりの領域内に於いて83一般等価たる機能をつく すようになったのである。

金は商品界の価値表章の上にこの地位を独占するや否や貨幣商品となるのであって、それが貨幣商品となった瞬間に初めて第四の形態は第三の形態から区別され、斯くして一般的の価値形態は貨幣形態に転化されることとなる。

金は他の諸商品に貨幣として相對するが、それは、金が他の諸商品にすでに以前から商品として相対していたからにほかならない。

他のすべての商品と等しく、金もまた、個々の交換行為における個別的等価物としてであれ、他の商品等価物と並ぶ特殊的等価物としてであれ、等価物として機能した。

次第に金は、広い範囲か狭い範囲かの違いはあっても、一般的等価物として機能するようになった。

金が商品世界の価値表現におけるこの地位の独占を勝ち取るや否や、それは貨幣商品となり、そして、それがすでに貨幣商品となったその瞬間から、初めて形態Ⅳは形態Ⅲから区別される。

123

すでに貨幣商品として作用していた例えば金の如き商品を以ってするところの、例えばリンネルの如き一商品の単純なる相対的価値表章は即ち価格形態84ものであって、リンネルの価格形態は次の如くなる。

   20ヤールのリンネル2オンスの金

或はまた、二磅が金二オンスの鋳貨名であるとすれば、

   20ヤールのリンネル2磅

すでに貨幣商品として機能している商品例えば金による、一商品例えばリンネルの簡単な相対的価値表現は、価格形態である。

だから、リンネルの「価格形態」は、

    20エレのリンネル = 2オンスの金    

であり、あるいは、二ポンド・スターリングが2オンスの金の鋳貨名であれば、

    20エレのリンネル = 2ポンド・スターリング

である。

124

貨幣形態の概念に於ける困難な点は、一般的の等価形態を、随ってまた一般的の価値形態全般を、換言すれば上記第三の形態を理解することに限られるている。

第三の形態は、再帰的に第二形態なる拡大された檟値形態全般に分解されるものであって、組織要素たるものは、即ち、20ヤールのリンネル1着の上着  又は x量のA商品y量のB商品 という上記第一の形態である。

斯くして単純なる商品形態は、貨幣形態の胚種となるのである。

貨幣形態の概念把握における困難は、一般的等価形態、従って一般的価値形態一般、携帯Ⅲに限定される。

形態Ⅲは、もとに遡れば形態Ⅱ、すなわち展開された価値形態に帰着し、そしてmこの形態Ⅱの構成要素は形態Ⅰ、すなわち、20エレのリンネル=1着の上着 または x量の商品A=y量の商品B である。

だから、簡単な商品形態は貨幣形態の萌芽である。

(四) 商品の魔術性85及びその秘密

125

商品は一見、自明的な、たわいない物のように考えられる。

然るにそれを分析して見ると、形而上学的の煩悩と神学的の気紛れとに充ちた至って奇怪な物であることが知られる。

商品は使用価値である限り、その諸性質に依って人類の欲望を充たすという見地から観察しても、又は人間労働の生産物たる資格に於いて初めてこれらの性質を受けるという見地から観察してもいづれにしても、何等神秘的な点を有しておらぬ。

人類はその活動に依って、自然素材の諸形態をば自己に有用となるように変更するものであって、これは感性的に名称な事実である。

例えば木材の形態は、それで卓子テーブルを作る時に変更される。

それにも拘わらず、卓子は木材という平常の有形物であることに変りはない。

然るにそれは、商品として現れるや否や、有形物たると同時にまた超有形物なる一の物86となる。

それは今や、足で床の上に立つのみでなく、また他の一切の商品に対して逆立ちすることにもなり、自発的に踊り出す場合(二十五)に比し、遥かに不可思議な幻想をその木頭の中から展出する。

商品は、一見、自明な、平凡なものらしく見える。

商品の分析は、商品が形而上学的なつべこべと神学的なしかめつらしさとに満ちた非常に厄介な代物であることを明らかにする。

商品が使用価値である限り、商品がその諸属性によって人間の諸欲求を満たすという観點から見ても、あるいは、人間的労働の生産物として初めてこれらの諸属性を受け取るという観點から見ても、商品には神秘的なものは何も無い。

人間がその活動によって自然素材の諸形態を人間にとって有用な仕方で変えるということは、感性的に明らかなことである。

例えば、木材でテーブルが作られるとき、木材の形態は変えられる。

にもかかわらず、テーブルは相変わらず木材であり、ありふれた感性的な物である。

ところが、テーブルが商品として登場するやいなや、それは感性的でありながら超感性的な物(*1)に転化する。

それは、その脚で立つだけでなく、他のすべての商品に対しては頭で立ち、そして木の頭から、テーブルが一人で踊り出す場合よりも遥かに奇妙な妄想を展開する(25)。

126

要するに、商品の神秘的なる性質は、その使用価値から生ずるものでなく、また檟値決定の内容から生ずるものでもない。

蓋し第一に、諸種の有用労働又は生産的活動は、如何に相異ったものであろうとも、それが人間の身体的組織の機能であり、而して斯かる昨日はその内容及び形態の如何を問わず、いづれも本質に於いては人間の脳髄や、神経や、筋肉や、感官などの支出であることは、生理学上の真理である。

第二にまた、檟値大小の決定の基礎たるべきかかる支出の時間的継続即ち労働の量についていえば、労働の量なるものは感性的にその質から区別し得る。

生活資料の生産に必要な労働時間なるものは、社会の発展段階の如何に従って一様にそうでなかったにしろ、とにかく如何なる状態の下に於いても、人類の利害に関係せねばならなかった(二十六)。

最後にまた、人類が何等かの様式を以って相互のために労働するとき、人類の労働は社会的の形態を与えられることになるのである。

したがって、商品の神秘的性格は商品の使用価値から生じるものではない。

それはまた、価値規定の内容から生じるものでもない。

というのは、第一に、有用的労働または生産的活動が互いにどんなに異なっていても、それらが人間的有機体の諸機能であること、そして、そのような機能は、その内容やその形態がどうであろうと、どれも、本質的には人間の脳髄、神経、筋肉、感覚器官などの支出であるということは、一つの生理学的真理だからである。

第二に、価値の大きさの規定の基礎にあるもの、すなわち、右のような支出の継続時間または労働の量について言えば、この量は労働の質から感覚的にも区別され得るものである。

どんな状態の下でも人間は——發展段階の相違によって一様ではないが——生活手段の生産に費やされる労働時間に関心を持たざるをえなかった(26)。

最後に、人間がなんらかの様式で互いのために労働するになるやいなや、彼らの労働もまた一つの社会的形態を受け取る。

127

然らば、労働生産物が商品形態を採るや否や帯ぶるところの謎的性質は、何処から生ずるか?

明かに商品形態それ自身から生ずるのである。

諸種の人間労働が等一であるという事実は、労働諸生産物の等一なる価値対象性という物的形態を受け、人間労働力の支出が時間的継続を以って秤量されるという事実は、労働諸生産物の価値大小という形態を受け、而して最後に、労働の社会的性質を確立せしめる生産者間の関係は、労働諸生産物の社会的関係という形態を受ける。

では、労働生産物が商品形態をとるやいなや生じる労働生産物の謎的性格は、どこから来るのか。

明らかに、この形態そのものからである。

人間的労働の同等性は、労働生産物の同等な価値対象性を受け取り、その継続時間による人間的労働の支出の測定は、労働生産物の価値の大きさという形態を受け取り、最後に、生産者たちの労働のあの社会的諸規定がその中で發現する彼らの諸關係は、労働生産物の社会的關係という形態を受け取る。

128

斯くして商品形態を秘密に充ちたものとする原因は、要するに左の事実に存することとなるのである。

即ち商品形態なるものは、人間労働の社会的性質をば、労働生産物の対象的性質として、労働生産物の社会的なる自然性質として見えしめ、斯くしてまたそう労働に対する生産者の社会的関係をば、生産者の外部に存在する各対象間の社会的関係として見えしめるということがそれである。

斯かる物体物94に依り、労働生産物は商品という有形的にして且つ超有形的なる物、換言すれば社会的の物となるのであって、これ あたかも物が視神経に与える光りの印象が、視神経それ自身の主観的刺激としてでなくはなく、寧ろ眼の外部に在る物の対象形態として表現される如くである。

ただ、物を視る場合には、現実に於いて外部的の対象なる一の物から、目という一の物に光が投ぜられるのであって、物理的の二物間に於ける物理的の一関係が成立するに過ぎぬのであるが、商品形態並びにそれを表現しているところの、労働諸生産物の価値関係はこれに反して、労働生産物の物理的性質及びそれに起因する物的諸関係とは何等関係するところなきものである。

商品なる形態の下に、物と物との関係の幻想的形態を採って人類の目に映ずるものは、人類自身の一定の社会的関係に外ならぬ。

そこでこれに類似した現象を見出すためには、宗教の夢幻境ドリームランドに助を求めねばならなくなる。

この境地に於いては、人類の頭脳の諸産物は、相互に関係し且つ人類とも関係しているところの、それ自身の生命を附与された独立した存在物であるように見える。

商品界に於ける人類の手で造られた諸産物についても同様である。

私にこれを、労働生産物が商品として造られるや否やそれに固着し、随ってまた商品生産から不可分のものとなっているところの魔術性と名づける。

したがって、商品形態の神秘性は、単に次のことにある。

すなわち、商品形態は、人間に対して、人間自身の労働の社会的性格を労働生産物そのものの対象的性格として、これらの物の社会的自然属性として反映させ、したがってまた、総労働に對する生産者たちの社会的關係をも、彼らの外部に存在する諸対象の社会的關係として反映させるということにある。

この”入れ替わり”によって、労働生産物は商品に、すなわち感性的でありながら、超感性的な物、または社会的な物に、なる。

例えば、視神経に与える光の印象は、視神経そのものの主観的刺激としては現れないで、目の外部にある物の対象的形態として現れる。

しかし、視覚の場合には、外的対象である一つのものから目というもう一つの物に、現實に光が投げかけられる。

それは、物理的な物と物との間の一つの物理的な關係である。

これに対して、労働生産物の商品形態およびこの形態を表す労働生産物の価値關係は、労働生産物の物理的性質およびそれから生じる物的諸關係とはなんの関わりもない。

ここで、人間にとって物と物との關係という幻影的形態をとるのは、人間そのものの特定の社会的關係に他ならない。

ここでは、人間の頭脳の産物が、それ自身の生命を与えられて、相互の間でも人間との間でも關係を結ぶ自立的姿態のように見える。

商品世界では人間の手の生産物がそう見える。

これを私は、物神崇拝と名付けるが、それは、労働生産物が商品として生産されるやいなや労働生産物に付着し、したがって、商品生産と不可分な物である。

129

使用対象なるものは、総じてそれが相互に独立して経営される私的労働の生産物なるが故にのみ商品となるのであって、これらの私的労働の複合せるものは即ち社会的の総労働となるのである。

生産者はその労働生産物の交換に依って初めて相互社会的に接触するのであるから、生産者の私的労働の特殊社会的なる性質も亦、この交換の内部にのみ現れるものとなる。

換言すれば、諸種の私的労働は、交換が労働生産物間に、また労働生産物を通して生産者の間に設ける関係に依り初めて、実際のところ社会的総労働の肢体たる実を示すのである。

そこで生産者から見れば、その私的労働の社会的関係は、るがままのもとして現れる。

換言すれば、労働上に於ける人と人との直接の社会的関係としてでなく、寧ろ人と人との物的関係及び物と物との社会的関係として現れることになるのである。

商品世界のこの物神的性格は、これまでの分析がすでに示したように、商品を生産する労働に固有な社会的性格から生じる。

そもそも使用対象が商品になるのは、使用対象が互いに独立に営まれる私的労働の生産物であるからに他ならない。

これらの私的諸労働の複合体が社会的総労働をなす。

生産者たちは彼らの労働生産物の交換を通して初めて社会的接触に入るから、彼らの私的諸労働の独特な社会的性格もまたこの交換の内部で初めて現れる。

言い換えると、私的諸労働は、交換によって労働生産物が、そしてまた労働生産物を媒介として生産者たちが置かれる諸関聯かんれん を通して、事実上初めて、社会的総労働の諸分肢として自己を發現する。

だから、生産者たちにとっては、彼らの私的諸労働の社会的諸関聯かんれん は、そのあるがままのもとして、すなわち、人と人とが彼らの労働そのものにおいて結ぶ直接的に社会的な諸關係としてではなく、むしろ、人と人との物的諸關係および物と物との社会的諸關係として現れるのである。

130

労働生産物なるものは、その交換の内部に於いて初めて感性的に相異なれる使用対象性から分離された社会的に等一なる檟値対象性を与えられる。

有用物と価値物とえの、労働生産物の斯かる分割は、交換が既に十分の延長と重要さとを与えられ、有用物が交換を目的として生産され、物の価値性質が物を生産する際既に考慮に入れるようになったとき、初めて実際上に作用するものである。

このとき以後、生産者の私的労働は事実に於いて二重の社会的性質を受ける。

即ちそれは一方に、一定の有用労働として一定の社会的欲望を充たし、斯くして総労働の、原生的に発達したる社会的分業組織の肢体たる実を挙げねばならぬ。

他方にそれは、特殊の各有用種類の各有用私的労働が他の有用労働と交換し得る物であり、随って値打の等しいものである限りに於いてのみ、それに従事する生産者の種々多様なる欲望を充たすのである。

いかなる点に於いても相異っている諸労働が等一であるという事実は、その現実的不等一から抽象し去ることに依ってのみ、換言すればこれらの労働が人間労働力の支出として、抽象的なる人間労働として、有する共通の性質に約元することに依ってのみ存在し得る。

労働生産物はそれらの交換の内部で初めて、それらの互いに感性的に異なる使用対象性から分離された、社会的に同等な価値対象性を受け取る。

有用物と価値物とへの労働生産物のこの分裂は、実際には、有用物が交換を目当てに生産されるまでに、したがって、諸物の価値性格がすでにそれらの生産そのものにおいて考慮されるまでに、交換が十分な広がりと重要性を獲得したときに、初めて發現する。

この瞬間から、生産者たちの私的諸労働は、実際に、二重の社会的性格を受け取る。

私的諸労働は、一面では、一定の有用的労働として一定の社会的欲求を満たさなければならず、そうすることによって、総労働の、自然發生的な社会的分業の体制の諸分肢として実証されなければならない。

私的諸労働は、他面では、特殊的な有用的私的労働のどれもが、別の種類の有用的私的労働のどれとも交換されうるものであり、したがって、これらと等しいものとして通用する限りでのみ、それ等自身の生産者たちの多様な欲求を満たす。

互いに”まったく”異なる諸労働の同等性は、ただ、現實の不等性の捨象、諸労働が人間的労働力の支出として、抽象的人間労働として持っている共通な性格への還元においてしか、成り立ちえない。

131

私的労働の斯かる二重の社会的性質は、実地の取引に於いて生産物交換の上に現れるところの諸形態を以ってのみ、この労働に従事する生産者たちの頭脳に反射される。

即ち彼等の私的労働の社会的に有用なる性質は、労働生産物が有用(而も他人にとって)でなければならぬという形態を以って、また種類の相異った各労働が等一であるという社会的性質は、物質的に相異った労働諸生産物の共通の価値性質なる形態を以って、反射されるのである。

私的生産者たちの頭脳は、彼らの私的諸労働のこの二重の社会的性格を、実際の交易、生産物交換において現れる諸形態でのみ反映する。

──すなわち、彼らの私的諸労働の社会的に有用的な性格を、労働生産物が有用でなければならないという、しかも他人にとって有用でなければならないという形態で反映し、種類を異にする労働の同等性という社会的性格を、労働生産物というこれらの物質的に異なる諸物の共通な価値性格という形態で反映するのである。

132

要するに人類は、その労働諸生産物が種類の相等しき人間労働の単なる物的外皮として通用するが故に、これを価値として相互関係せしめるのではなく、寧ろ反対に、種類の相異った各生産物をば交換上価値として相互等位に置くことに依って、彼等の相異った諸労働をば人間労働として相互等位に置くのである。

それは彼等の知らざるところであるが、然し事実に於いてそう行っているのである(二十七)。

価値が如何るものであるかと云うことは、公然看板に掲げられているものではない。

寧ろ各労働生産物は、価値に依って社会的の象形文字に転化されるのである。

後に至り、人類はこの象形文字を読み解いて、自己の社会的産物の秘密の奥に達しようとする。

蓋し諸種の使用対象が価値として決定されるようになることは、言語と同様に人類の社会的産物であるからである。

労働生産物なるものは価値である限り、その生産上に支出された人間労働の物的表章に過ぎぬという、後年の科学的発見は、人類の発達史上一新時代を画するものであるとはいえ、決して労働の社会的性質の対象的外観を駆除するものではない。

相互独立して営まれる諸種の私的労働の特殊社会的なる性質は、これら諸労働の人間労働としての等一性に存するものであって、それが労働生産物の価値性質なる形態を採るという、この場合に於ける特殊の生産形態なる商品生産にのみ適用するところの事実は、商品生産の事情に囚われている人々にとっては、右の発見後に於いても依然終局的なものとして現れる。

それは恰も、空気が化学の力でその諸要素に分析されるようになった後にも、空気の形態は依然一の物理的な物体形態として存続し得るのと同様である。

したがって、人間が彼らの労働生産物を価値として互いに関連させるのは。これらの物が彼らにとって一様な人間的労働の単なる物的外皮として通用するからではない。

逆である。

彼らは、彼らの種類を異にする生産物を交換において価値として互いに等置し合うことによって、彼らのさまざまに異なる労働を人間的労働として互いに等置するのである。

彼はそれをそれを知ってはいないけれども、それを行う(27)(*1)。

だから、価値のひたい にそれがなんであるかが書かれているわけではない(*2)。

むしろ、価値が、どの労働生産物をも一種の社会的象形文字に転化するのである。

あとになって、人間は、この象形文字の意味を解読して彼ら自身の社会的産物──というのは、使用対象の価値としての規定は、言語と同じように、人間の社会的産物だからである──の秘密の真相を知ろうとする。

労働生産物は、それが価値である限り、その生産に支出された人間的労働の単なる物的表現にすぎないという後代の科学的發見は、人類の發達史において一時代を画策するものであるが、労働の社会的性格の対象的外観を決して払いのけはしない。

商品生産というこの特殊的生産形態だけにあてはまること、すなわち、互いに独立した私的諸労働の独特な社会的性格は、人間的労働としてのそれらの同等性にあり、かつ、この社会的性格が労働生産物の価値性格という形態をとるのだということが、商品生産の諸關係にとらわれている人々にとっては、あの發見の前にも後にも、究極的なものとして現れるのであり、ちょうど、空気がその諸元素に科学的に分解されても、空気形態は一つの物理的物体形態として存続するのと同じである。

133

生産物の交換者にとって先づ実際的に利害関係あることは、彼れが自己の生産物を以って他人から幾許の生産物を受けるか、換言すれば生産物なるものはいかなる比率を以って相互交換されるかという問題である。

この比率は一定の習慣的固定に達するや否や、労働生産物の性質に起因せるものの如く見え、斯くして例えば一噸の鉄と二オンスの金とが相互等価であることは、あたか も一封度の金と一封度の鉄とが物理上並びに化学上の諸性質を異にするに拘わらず、重量は相等しいと云うが如くであるように見えてくる。

実際のところ、労働生産物の価値性質なるものは、労働生産物が価値量として作用することに依り初めて確立されるのである。

而してこの価値量なるものは、交換者の意思、先見、行動などから独立して不断に変化する。

交換者から見れば、彼れ自身の社会的行動は、彼れが支配する物ではなく、寧ろ彼れを支配している物の運動という形態を有することになるのである。

生産物の交換者たちがさしあたり実際に関心をもつのは、自分の生産物と引き換えにどれだけの他人の生産物が手に入るか、すなわちどのような割合で生産物が交換されるかという問題である。

この割合が一定の慣習的な固定性にまで成熟すると、この割合はあたかも労働生産物の本性から生じるかのように見える。

たとえば、1トンの鉄と2オンスの金とが等しい価値のものであるのは、ちょうど、1ポンドの金と1ポンドの鉄とが、それらの物理的科学的属性の相違にもかかわらず、等しい重さのものであるのと同じように見えるのである。

労働生産物の価値性格は、事実上、価値の大きさとしての諸生産物の發現によってはじめて固まる。

価値の大きさは、交換者たちの意思、予見、および行為にはかかわりなく、絶えず変動する。

交換者たち自身の社会的運動が、彼らにとっては、諸物の運動という形態をとり、彼らは、この運動を制御するのではなく、この運動によって制御される。

134

相互独立して経営され而も社会的分業の原生的分子として全般的に相互依存する諸種の私的労働は、絶えずその社会的比率に約元されるものであるが、斯かる科学的洞察が経験それ自身の中から生ずる以前、既に予め十分発達したる商品生産を必要とする。

蓋し斯かる私的労働に依る諸生産物の偶然的にして不断に変動しつつある交換比例の下に、これらの物の生産上社会的に必要なる労働時間は規律的の自然律96として権力的に励行されること、あたか も家が人の頭上に倒れかかる場合に於ける重力の法則の如くであるからである(二十八)。

互いに独立に営まれながら、しかも社会的分業の自然發生的な諸分肢として互いに全面的に依存しあっている私的諸労働が社会的に均斉のとれた基準に絶えず還元されるのは、私的諸労働の偶然的でつねに動揺している交換比率を通して、それらの生産のために社会的に必要な労働時間が──たとえば、誰かの頭の上に家が崩れ落ちるときの重力の法則のように──規制的な自然法則として強力的に自己を貫徹するからである(28)、という科学的洞察が経験そのものから生じるためには、そのまえに、完全に發展した商品生産が必要である。

135

要するに、労働時間を以ってする価値量の決定は、相対的商品価値の現象的運動の下に隠れている一秘密であって、これが発見は労働生産物の価値量が偶然的にのみ決定されるという外観を止揚するとはいえ、この決定の行われる現実的形態を決して止揚するものではないのである。

だから、労働時間による価値の大きさの規定は、相対的な諸商品価値の現象的運動の下に隠されている秘密である。

この秘密の發見は、労働生産物の価値の大きさが単に偶然的に規定されるだけであるという外観を取り除くが、この規定の物的形態を取り除きはしない。

136

人類生活の諸形態に関する思察、随って又これが科学的の分析は、総じて現実に於ける発展に反対した進路を採るものである。

それは後方から98、即ち発展行程の完成した結果を以って、始まる。

労働生産物に商品の性質を印刻する諸形態、換言すれば商品流通の前提となる諸形態は、寧ろ不変のものとして人類の目に映ずるのであるが、これらの形態は人類がその歴史的性質ではなく、内容について説明を得ようと努める以前、既に社会的生活の現物形態たる固定性を有している。

斯くして価値量の決定に達せしめたものは、商品価格の分析に外ならず、また価値性質の確定に達せしめたものは、諸商品の共通的な貨幣表章に外ならぬことになったのである。

而も商品界のこの完成形態たる貨幣形態こそ、私的労働の社会的性質、随って私的労働者の社会的関係を示顕せしめずして物的に隠蔽するところのものとなるのである。

例えば上衣や深靴などが、抽象的人間労働の一般的体化たるリンネルに関係せしめると言うとき、この言い現しの不合理なることは一目瞭然である。

然し上衣や深靴などの生産者が、これらの商品をば一般的等価としてのリンネル——又は金銀であっても構わない。いづれにしても問題の上には何等の変化も生じないから——に関係せしめるとき、社会的総労働に対する彼等の私的労働の関係は、確然この不合理な形態を以って彼等に現れる。

人間の生活の諸形態についての省察は、したがってそれらの科学的分析もまた、一般に、現實の發展とは反対の道ををたどる。

それは”あとから”始まり、したがって發展過程の完成した諸結果から始まる。

労働生産物に商品の刻印を押す、したがって商品流通にとって前提されている諸形態は、人々が、これらの形態の歴史的性格についてではなく——これらの形態は人々にはむしろすでに不変のものと考えられている——これらの形態の内実について解明しようとする以前に、すでに社会的生活の自然諸形態の固定性を帯びている。

こうして、価値の大きさの規定に導いたのは商品価格の分析に他ならなかったし、諸商品の共通な貨幣表現に他ならなかった。

ところが、商品世界のまさにこの完成形態——貨幣形態——こそは、私的諸労働の社会的性格を、したがってまた私的労働者たちの社会的諸關係を、あらわに示さず、かえって、物的に覆い隠すのである。

もし私が、上着、長靴などが抽象的人間的労働の一般的化身としてのリンネルに關係すると言えば、この表現が馬鹿げていることはすぐに目につく。

ところが、上着、長靴などの生産者たちが、これらの商品を、一般的等価物としてのリンネルに——または金銀に、としても事態に変わりはない——関聯かんれん させるならば、社会的総労働に對する彼らの私的諸労働の関連は彼らにとってまさにこの馬鹿げた形態で現れるのである。

137

ブルヂォア経済学に於ける諸藩中は、正に斯種の形態から成るものである。

これらの範疇は、商品生産というこの歴史的に限定された社会的生産方法の生産事情に関する、社会的に通用し得べき客観的なる思惟形態に外ならぬものである。

されば商品界に於ける一切の神秘、商品生産の基礎上に造られる労働諸生産物を囲繞いにょう する一切の魔法及び妖精は、我々が一度び他の生産諸形態に来たるや否やたちまちにして消滅してしまうのである。

この種の諸形態こそが、まさにブルジョア経済学の諸カテゴリーをなしている。

それらは、商品生産というこの歴史的に規定された社会的生産様式の生産諸關係に對する、社会的に妥当な、したがって客観的な思考諸形態なのである。

それゆえ、商品生産の基礎上で労働生産物を霧に包む商品世界の一切の神秘化、一切の魔法妖術は、我々が別の生産諸過程のところに逃げ込むや否や、直ちに消え失せる。

138

経済学はロビンソン物語を愛好するものであるから(二十九)、先づロビンソンをその島に出現せしめよう

本来質素な男であったとはいえ、而も充足すべき諸種の欲望を有し、随って種々なる有用労働をなさねばならなかった。

彼れは道具99や什器を造ったり、騾馬ラバ を馴らしたり、漁をしたり、狩をしたりせねばならなかったのである。

祈祷やその他類似の事柄については茲に言わない。

なぜならば、彼れはこれに依って享楽を与えられ、斯種の活動をば気晴らしと見做していたからである。

彼れの生産的機能は種々異っていたとはいえ、いづれも同一なるロビンソンの相異った活動形態に過ぎず、換言すれば、人間労働の相異った様式に過ぎないことは、彼れの知るところであった。

彼れは必要のため、その時間を各機能の間に厳密に割り振ることを余儀なくされた。

いづれの機能が彼れの全活動の上にヨリ大なる範囲を占め、又いづれがヨリ小なる範囲を占めるほかは、所期の利用上の効果100を得るに当って打勝つべき困難の大小に懸るものであった。

彼れは経験に依ってこれを教えられた。

彼れは時計や、元帳や、インキや、ペンなどを難船から救ったのであったが、やがて善良なるイギリス人として帳簿をつけ始めた。

彼れの家財目録の中には、彼れの所有に属する使用諸物件や、これらの物件の生産に必要なる各種の作業や、最後に又、これらの種々なる生産物の一定量を得るについて平均的に必要なる 労働時間やを示す表が含まれていた。

ロビンソンと彼れ自身の手で造り出された富を構成する諸物件との間に於ける一切の関係は、この場合極めて単純明快であって、かのマックス・ヴィルト君101でさえも特別の努力なくしてこれを理解し得た程度である。

而かも価値決定上の凡ゆる本質的要素は、この関係の中に含まれているのである。

経済学はロビンソン物語を好むから(29)、まず孤島のロビンソンに登場願おう。

生まれつき慎ましい彼ではあるが、それでも様々な欲求を満たさなければならず、したがってまた、道具を作り、家具をこしらえ、ラマ〔南アメリカ産のラクダ科の役畜〕を馴らし、魚を取り、狩りをするといった様々な種類の有用的労働を行わなければならない。

祈祷やこれに類することは、ここでは問題にしない。

なぜなら、わがロビンソンは、それに喜びを見出し、この種の活動を寛ぎと見做しているからである。

彼の生産的機能は様々に異なっているけれども、彼は、それらの機能が同じロビンソンの相異なる活動形態に他ならず、したがって、人間的労働の相異なる様式に他ならないことを知っている。

彼は必要そのものに迫られて、彼の時間を彼のさまざまな機能の間に正確に配分しなければならない。

彼の全活動の中でどの機能がより大きい範囲を占め、どの機能がより小さい範囲を占めるかは、所期の有用効果の達成のために克服されなければならない困難の大小によって決まる。

経験がそれを彼に教える。

そして、わがロビンソンは、時計と帳簿とインクとペンとを難破船から救い出しているので、立派なイギリス人らしく、やがて自分自身のことを帳簿につけ始める。

彼の財産目録には、彼が所有する諸使用対象と、それらの生産に必要とされる様々な作業と、最後に、これらの様々な生産物の一定分量のために彼が平均的に費やす労働時間との一覧表が含まれている。

ロビンソンと彼の手製の富である諸物との間の全ての関聯かんれん は、ここでは極めて簡単明瞭であって、M・ヴィルト氏(*1)でさえ、とりたてて頭を痛めることなしに理解できたほどである。

にもかかわらず、そこには、価値の全ての本質的規定が含まれているのである。

139

今、ロビンソンの明るい島から陰暗な中世ヨーロッパに目を転じよう。

ここには独立した人間はいないで、如何なる人も農奴と領主、家臣と藩主、俗人と僧侶という風に相倚存あいいぞんしていることが見出される。

物質的生産の社会的関係も、この生産の上に築かれた生活部面も、みな人的の倚存に依って特徴を与えられている。

然しまた、この人的倚存が、与えられたる社会的の根抵となって居ればこそ、労働も、生産物も、その現実とは異った空幻的の姿容を採る必要がなく、現実勤労103並びに現物給付104として社会的運営に関与するのである。

この場合には、商品生産の基礎上に於けるとは異なり、労働の普遍性ではなく、その現実的形態が、特殊性が、労働の直接社会的な形態となるのである。

役務労働も、商品を生産するところの労働と同様に、時間を以って秤量されることは事実であるが、然し領主に対する勤労に於いて支出されるものが自身の労働力の一定量であることは、如何なる農奴も知るところである。

僧侶に給付すべき十分一税に至っては、彼れの祝福以上に明瞭な事実である。

されば、斯かる社会の人々が相互に演ずる役割を如何に判断してみたところで、労働上に於ける個々人の社会的関係は彼等自身の人的関係として現れ、物と物、労働生産物と労働生産物との間の社会的関係に依って隠蔽されるものではない。

そこで次に、ロビンソンの明るい島から暗いヨーロッパの中世に目を移そう。

ここでは、独立した男の代わりに、誰もが依存しあっているのが見られる——農奴と領主、臣下と君主、俗人と聖職者とが。

人格的依存が、物質的生産の社会的諸關係をも、その上に立つ生活領域をも性格づけている。

しかし、まさに人格的依存關係が与えられた社会的基礎をなしているからこそ、労働も生産物も、それらの現實性とは異なる幻想的姿態をとる必要はない。

それらは、夫役や貢納として社会的機構のなかに入っていく。

労働の自然形態が、商品生産の基礎上でそのように労働の一般性ではなく労働の特殊性が、ここでは、労働の直接的に社会的な形態である。

夫役労働も商品を生産する労働と同じように、時間によってはかられるが、どの農奴も、彼が領主のために支出するのは彼の個人的労働力の一定分量であるということを知っている。

坊主どもに納めるべき十分の一税は、坊主の祝福よりもはっきりしている。

だから、ここで人々が相対しているさいに身に着けている扮装がどのように判断されようとも、彼らの労働における人格と人格との社会的諸關係は、いつでも彼ら自身の人格的諸關係として現れ、物と物との、労働生産物と労働生産物との、社会的諸關係に変装されてはいない。

140

我々は共同的の労働、換言すれば直接社会化された労働を考察するに当り、凡ゆる文化民族の歴史の門口に見出される原生的の労働形態に遡ることを必要としない(三十)。

ヨリ手近な実例となるものは、穀物や、家畜や、糸や、リンネルや、衣類などを自家の必要のために生産するところの農民家族に於ける田舎的家父長制の産業105である。

これら各種の物件は、農民家族から見れば、その家族労働の相異った生産物たるものであるが、然しそれ自身商品として相対立するものではない。

これらの生産物を造る各種の労働——農耕や、飼畜や、紡績や、機織や、裁縫などは、商品生産と同様にそれ自身の原生的分業を有する家族の諸機能であるから、その現実形態を以ってしても既に社会的機能となっているのである。

家族内に於ける労働の配分と個々の家族員の労働時間とは、男女及び老幼の差異に依り、また季節の変化と共に変化する労働の現物的条件に依って規制される。

然し時間的の持続に依って秤量される個別的労働力の支出は、この場合、最初より労働それ自身の社会的性質として現れる。

なぜならば、個々の労働力は本来、家族に於ける総労働の各器官として作用するに過ぎぬからである。

共同的な、すなわち直接的に社会化された労働を考察するためには、我々はすべての文化民族の歴史の入り口で出会う労働の自然發生的形態にまで遡る必要はない(30)。

自家用のために、穀物、家畜、糸、リンネル、衣服などを生産する農民家族の素朴な家父長的な勤労が、もっと手近な一例をなす。

これらの様々な物は、家族に対して、その家族労働の様々な生産物として相對するが、それら自身が互いに商品として相對することはない。

これらの生産物を生み出す様々な労働、農耕労働、牧畜労働、紡績労働、織布労働、裁縫労働などは、その自然形態のままで、社会的機能をなしている。

なぜならそれらは、商品生産と同じように、それ独自の自然發生的分業をもつ、家族の諸形態だからである。

男女の別、年齢の相違、および季節の推移につれて変わる労働の自然的諸条件が、家族の間での労働の配分と個々の家族成員の労働時間とを規制する。

しかし、ここでは、継続時間によってはかられる個人的労働力の支出が、はじめから、労働そのものの社会的規定として現れる。

なぜなら、個人的労働力は、はじめから、家族の共同的労働力の器官としてのみ作用するからである。

141

最後に方面を変えて、自由なる個々人が共同の生産機関を以って労働し、その数多き個別的労働力をば、社会的の一労働力として意識的に支出するところの一社会を想像して見よう。

斯かる社会に於いては、ロビンソンの労働の凡ゆる生産物は専ら彼れ自身の手に成る生産物であり、随って直接に彼れ自身の使用対象であった。

然るに、この場合に於ける社会の総生産物は、一の社会的生産物である。

この生産物中の一部は、更らにまた生産機関として役立つのであって、依然社会的のものとなっている。

然るに他の一部は、この社会の成員たちに依り生活資料として消費されるものであって、彼等の間に分配されることを要するのである。

この分配の様式は、社会的生産組織そのものの特殊の種類、及びそれに照応せる生産者の歴史的発達程度の如何に応じて差異を生ずるであろう。

然し商品生産と平行させて考えるため、各生産者の受ける生活資料の量は、彼れの労働時間に依って決定されるものと仮定する。

斯くて労働時間はこの場合、二重の役割を演ずることになるのである。

卽ち社会的なる計量を以ってする労働時間の配分に基いて、種々なる欲望に対する各種労働機能の正確なる比率が与えられると同時に、一方また労働時間は、共同労働に対する各生産者の関与分、随って総生産物のうち個人的に消費し得べき部分に対する、各生産者の受分の尺度として役立つ。

斯かる社会に於いては、労働及び労働生産物を通して与えられる人類の社会的関係は、生産上にも分配上にも透明的に単純なるものである。

生産物が商品として、価値として取り扱われ、而してまた私的労働が、この物的形態107に依り等一なる人間労働として相互関係せしめられる点に一般社会的なる生産関係が存している商品生産者の一社会にとっては、抽象的人類の崇讃を特徴とするクリスト教、殊にそのブルヂォア的形態に発展したるプロテスタント教や自然神教などこそ、最も適当した宗教形態なのである。

古代アジア、古代ギリシア及びローマ等に於ける生産方法の下に在っては、生産物が商品に転化されること、随ってまた人類が商品生産者として存在することは、従属的の役割を演ずるに過ぎぬ。

尤もこの役割は、当時の共同体が消滅に近づけば近づくほど、益々重要のものとなった。

厳密な意義の商業民族は、エピクールの神々の如く、又はポーランド社会の隅々にして散在していたユダヤ人の如く、古代世界の隙間隙間にのみ存在していたものである。

最後に、目先を変えるために、共同的生産手段で労働し〔「協議した結果に従って」──フランス語版挿入〕自分たちの多くの個人的労働力を自覚的に一つの社会的労働力として支出する自由な人々の連合体を考えてみよう。

ここでは、ロビンソンの労働のすべての生産物は、もっぱら彼自身の生産物であり、それゆえまた、直接的に彼にとっての使用対象であった。

この連合体の総生産物は一つの社会的生産物である。

この生産物の一部分は、ふたたび生産手段として役立つ。

この部分は依然として社会的なものである。

しかし、もう一つの部分は、生活手段として、連合体の成員によって消費される。

この部分は、だから、彼らの間で分配されなければまらない。

この分配の仕方は、社会的生産有機体そのものの特殊な種類と、これに照應する生産者たちの歴史的發展程度とに應じて、変化するであろう。

もっぱら商品生産と対比するだけのために、各生産者の生活手段の分け前は、彼の労働時間によって規定されるものと前提しよう。

そうすると、労働時間は二重の役割を果たすことになるだろう。

労働時間の社会的計画的配分は、さまざまな欲求に對するさまざまな労働機能の正しい割合を規制する。

他面では、労働時間は、同時に、共同労働に對する生産者たちの個人的関与の尺度として役立ち、それゆえまた、共同生産物のうち個人的に消費されうる部分に對する生産者たちの個人的分け前の尺度として役立つ。

人々が彼らの労働および労働生産物に対してもつ社会的諸関連は、ここでは、生産においても分配においても、簡単明瞭である。

(*1)商品生産者たちの一般的社会的生産關係は、彼らの生産物を商品として、したがってまた価値として取り扱い、この物的形態において彼らの私的諸労働を同等な人間的労働として互いに関聯 かんれん させることにあるが、このような商品生産者たちの社会にとっては、抽象的人間を礼拝するキリスト教、ことにそのブルジョア的發展であるプロテスタント、理神論などどしてのキリスト教がもっともふさわしい宗教形態である。

古アジア的、古代的(*2)等々の生産様式においては、生産物の商品への転化、それゆえまた商品生産としての人間の定住は、一つの副次的な役割を──といっても、共同体が崩壊の段階に入っていけばいくほど、ますます重要になる役割を──演じている。

本来の商業民族は、エピクロスの言う神々(*3)のように、あるいはポーランド社会の中のユダヤ人のように、古代世界の空隙にのみ存在する。

142

古代に於けるこれらの社会的生産組織は、ブルヂォア的の生産組織体に比すれば遥かに単純にして透明のものである。

然しこれらの生産組織体は、個々人が彼等を相互に結合しているところの自然的種族関係の臍の緒から未だ断ち切れて居らぬ個人的発達の未熟状態か、又は直接の主従関係かの、いづれかに立脚するものであって、労働生産力の発達が尚低級段階に止まり、随って物質的生活の生産行程の内部に於ける人類の関係、換言すれば人と人、人と自然のとの間に於ける関係が尚極限されていることに制約されるものである。

あの古い社会的生産有機体は、ブルジョア的生産有機体よりもはるかに簡単明瞭ではあるが、それらは、他の個々人との自然的な類的連関の臍帯からまだ切り離されていない個々人の未成熟に基づいているか、さもなければ、直接的な支配・隷属關係(*4)に基づいている。

それらの生産有機体は、労働の生産能力の發展段階の低さによって、またそれに照應して狭隘な、物質的生活生産過程の内部における人間の諸關係によって、それゆあ人間相互の諸關係と、人間と自然のの諸關係とによって、制約されている。

143

斯かる現実的局限は、観念的には古代に於ける自然宗教及び民族宗教の上に反射されている。

現実界の宗教的反射なるものは、総じて日常生活上の実際的事情が、人類相互間並びに人類対自然間の透明的に合理的なる関係をば日々人類の目に呈示するに至り、茲に初めて消滅し得るものである。

物質的生産行程に基く社会的生活行程の形態は、それが自由に社会化した人類の産物として彼等の意識的計画的なる支配の下に立つとき、ここに初めてその神秘的仮面を脱ぎ捨てることになるのであって、それには社会が一定の物質的基礎を、一列の物質的生存条件を与えられることを要する。

而してこれらの条件をそれ自身も亦、久しきに亙る がき発展史の原生的産物なのである。

この現實の狭隘さが古代の自然宗教や民族宗教に観念的に反映している。

現實世界の宗教的反射は、一般に、実際の日常生活の諸關係が、人間に対して、人間相互の、また人間と自然の透いて見えるほど合理的な諸関聯かんれん を日常的に表すようになるとき、はじめて消え失せる。

社会的生活過程の、すなわち物質的生産過程の姿態は、それが、自由に社会化された人間の産物として彼らの意識的計画的管理のもとにおかれるとき、はじめてその神秘のヴェールを脱ぎ捨てる。

けれども、そのためには、社会の物質的基礎が、あるいは、それ自身がまた長い苦難に満ちた發展史の自然發生的産物である一連の物質的実存諸条件が、必要となる。

144

経済学は、不完全ながらも(三十一)価値及び価値量を分析して、これらの形態の下によこたわる内容を発見したことは事実である。

然しながら、この内容が何故斯かる形態を採るか、また労働は何故価値に依って、時間的持続を以ってする労働の秤量は何故労働生産物の価値量に依って表現されるかということは、経済学の諮問したことすらない問題である(三十二)。

生産行程が人類に依って支配されるのではなく、反対に人類が生産行程に依って支配されるところの社会的形態に属することを公然標榜している諸公式は、経済学のブルヂォア的意識にとっては、生産的労働それ自体と全く同様に自明的自然必然事(108)となっている。

斯くて経済学は、恰も教父たちがキリスト教前期の諸宗教を取扱った如くにして、社会的生産組織体のブルヂォア前期的諸形態を取扱うことになるのである(三十三)。

ところで、確かに経済学は、不完全にではあるけれども(31)、価値と価値の大きさとを分析して、この形態のうちに隠されている内容を發見した。

しかし、経済学では、なぜこの内容があの形態をとるのか、したがって、なぜ労働が価値に、またそん継続時間による労働の測定が労働生産の価値の大きさに表されるのか?という問題を提起したことさえもなかった(32)。

生産過程が人間を支配していて、人間がまだ生産過程を支配していない社会構成体に属しているということが、その額に書かれている諸定式は(*1)、経済学のブルジョア的意識にとっては、生産的労働そのものがそうであるのと同じくらいに自明な自然的必然性であると見做されているのである。

それだから、経済学が社会的生産有機体の前ブルジョア的諸形態を取り扱うやり方は、教父たちが前キリスト教的諸宗教を取り扱うやり方と同じなのである(33)。

145

商品界に固着せる魔術性に依り、換言すれば労働の社会的性質の対象的外観に依って、経済学者の一部が如何ばかり惑わされているかは、交換価値形成上に演ずる自然の役目についての冗漫な論争が就中 なかんづくこれを論証するところである。

交換価値なるものは、物の上に付与された労働を言い現わす一定の社会的様式であるから、それが自然素材を含み得ない音は為替相場などと異なるところはないのである。

商品世界にまつわりついている物神崇拝に、あるいは社会的労働諸規定の対象的外観に、一部の経済学者がどんなにはなはだしく欺かれているかということは、とりわけ、交換価値の形成における自然の役割についての退屈でばかばかしい論争が示している。

交換価値は、ある物に支出された労働を表現する一定の社会的様式であるから、たとえば為替相場と同じように、それが自然素材を含むことはありえないのである。

146

商品形態はブルヂォア的生産の最も普遍的にして発達の最も幼稚なる形態であって、今日における支配的な、随ってまた特徴的な様式を以ってではないにしても、兎にかく早くから出現することになったのである。

随ってその魔術性を見透みとおすことは、比較的尚容易であるように見える。

然るにヨリ具体的な諸形態になると、斯かる単純の外観さえも消滅してしまう。

貨幣制度の幻想は、何処から来たものであるか?

それは貨幣としての金銀が一の社会的生産関係を代表するものであるとは見ず、寧ろ奇異なる社会的性質を有する自然物の形態に在るものと見た。

而してこの貨幣制度を眼下に見下している近世経済学も亦、それが資本を取扱う段になると魔術性を発揮して来るのではないか。

地代は社会から生ずるものではなく土地から生ずると考えたフィジオクラット的幻想が消滅して幾日月になるか?

商品形態は、ブルジョア的生産のもっとも一般的なもっとも未發展な形態であるから──だからこそ、商品形態は、こんにちほど支配的な、それゆえ特徴的な様式でではないにしても、早くから登場するのだが──その物神的性格はまだ比較的にたやすく見抜けるように見える。

もっと具体的な形態の場合には、簡単であるという外見さえ消え失せる。

重金主義の幻想はどこから来るのか?

重金主義は、金銀を見ても、貨幣としての金銀は一つの社会的生産關係を、しかも奇妙な社会的属性を帯びた自然物という形態で、表示するのだということを見てとることができなかった。

また、お高くとまって重金主義を冷笑している近代の経済学は、それが資本を取り扱うやいなや、その物神崇拝は手に取るように明らかになるではないか?

地代は土地から生じるのであって、社会から生じるのではないという重農主義的幻想が消えてから、どれだけたったであろうか。

147

が、説明の尚早を避けるため、茲では商品形態それ自身に関する他の一例を以って満足することにしよう。

若し、諸商品に口あらば、彼等は斯う言うであろう。

我々の使用価値は人類にとって関係あるものであるかも知れぬ。

然しそれは、物としての我々に属するものではない。

物としての我々に属するものは、我々の価値である。

これは、我々自身が商品物(114)としてなす交通に依って証明されるところである。

我々は交換価値としてのみ、相互に関係する物であると。

しかし、先回りしないために、ここでは商品形態そのものについてのもう一つの例で満足することにしよう。

諸商品がものを言えるとすれば、こう言うであろう。

我々の使用価値は人間の関心を引くかもしれない。

それは物としての我々には属さない。

そうではなくて、我々の物的に属しているものは、我々の価値である。

商品物としての我々自身の付き合いがそのことを証明している。

我々は、ただ交換価値としてのみ自分たち自身を互いに関連させ合うのだ、と。

148

ところで、商品が経済学者の口を通して語るところを聴け。

曰く『檟値(交換価値)は物の性質であり、富(使用価値)は人の性質である。この意味における価値は必然的に交換を含むものであるが、富はそうではない』(三十四)。『富(使用価値)は人の属性であり、価値は商品の属性である。或一人、又は或一団体は富裕であり、一の真珠又は一のダイヤモンドは価値豊かである。・・・一の真珠又は一のダイヤモンドは、真珠若しくはダイヤモンドとして価値を有っている』(三十五)。

では、経済学者が、この商品のたましいをどのように伝えるか聞いてみよう。

──「価値」(交換価値)「は物の属性であり、富」(使用価値)「は人間の属性であり、価値は、この意味では、必然的に交換を含んでいるが、富はそうではない(34)」。「富」(使用価値)「は人間の属性であり、価値は商品の属性である。人間や社会は富んでいる。真珠やダイヤモンドには価値がある。・・・真珠やダイヤモンドは、真珠やダイヤモンドとして価値を持つ(35)。

149

従来、如何なる化学者も、真珠又はダイヤモンドの中に交換価値を発見したことはなかった。

然るに批判的の深味ふかみ を得意とするところの、この化学的実体の経済学上に於ける発見者たちは、物の使用価値は物的性質からは独立しているに反し、価値は物それ自身に属するという風に考える。

彼等の斯かる見解は、物の使用価値なるものは人類にとり交換に依ることなく、物と人との直接の関係を通して実現されるのであるが、檟値の方は反対に社会的行程なる交換を通してのみ実現されるという特殊の事実に依って確証される。

これについて、かの善良なるドッグベリー117のことを想起しないものがあるだろうか。

彼れは夜衞シーコールに向って、『身なりの善い人になるのは境遇の賜物だが、読み書きができるようになるのは天性だ』と教えたのであった(三十六)。

これまでまだどの化学者も、真珠やダイヤモンドの中に交換価値を發見してはいない。

ところが、批判のするどさをとくに自負するこの化学的實體じったい の経済学的發見者たちは、物の使用価値はそれらの物的属性にはかかわりないが、これに対して、それらの価値は物としてのそれらに属するということを見出すのである。

ここで、彼らの見解を確証するのは、物の使用価値は人間にとって交換なしに、それゆえ物と人間との直接的關係において実現されるが、反対に物の価値はただ交換においてのみ、すなわち一つの社会的過程においてのみ、実現されるという奇妙な事情である。

ここで、あのお人好しのドッグベリーを思い出さない人があろうか。

彼は、夜番のシーコウルに教えて語る──「男ぶりのいいのは運の賜物たまもの だが、読み書きは自然にそなわるものだ(36)(

第二章 交 換 行 程

150

商品はみづから市場に行って、みづから相互に交換しうるものではない。

そこで我々は、その保護人1たる、商品所有者2のことを考えねばならぬ。

商品は物であるから、人間に対しては抵抗力がない。

若し商品が従順でないとすれば、人間はこれに対して強力を行使し得る。

換言すれば、それを所有してしまうことが出来るのである(三十七)。

これらの物を商品として相互関係せしめるためには、商品の保護人たちは、その意思がこれらの物に宿るところの人として相互関係することを要する。

即ち一方の者は他方の者の同意を以ってのみ、換言すれば各人とも共通の意思行為に依ってのみ、己の商品を譲渡して他人の商品を占有するに至ることを要するのである。

諸商品は、自分で市場におもむくこともできず、自分で自分たちを交換することもできない。

したがって我々は、商品の保護者、すなわち商品の所有者たちを探さなければならない。

商品は、物であり、それゆえ人間に対して無抵抗である。

もしも商品が言うことを聞かなければ、人間は暴力を用いることができる。(*1

言い換えれば、商品をわが物にすることができる(37)。

これらの物を商品として互いに関連させるためには、商品の保護者たちは、その意思をこれらの物に宿す諸人格として互いに關係し合わせなければならない。

それゆえ、一方は他の同意のもとにのみ、したがってどちらも両者に共通な一つの意思行為を媒介してのみ、自分の商品を譲渡することによって他人の商品を自分のものにする。

151

要するに、商品所有者は相互に私有者たることを認めねばならぬ訳であって、この権利関係——法律上発達したるものであると否とを問わず、契約がその形態となるところの——は即ち経済上の関係を反射するところの意思関係であり、而して斯かる権利関係換言すれば意思関係の内容は、経済上の関係それ自身に依って与えられるものである(三十八)。

この場合、各人は商品の代表者としてのみ、商品所有者としてのみ、存在するに過ぎぬ。

本書の説明が進むに従い、総じて経済上の舞台に現れる諸種の人物は、彼等の間に存在している経済事情の人格化したものに過ぎぬことが明かになるであろう。

だから、彼らは互いに私的所有者として認め合わなければならない。

契約をその形式とするこの法的關係は、法律的に發展していてもいなくても経済的關係がそこに反映する意思關係である。

この法的關係または意思關係の内容は、経済的關係そのものによって与えられている(38

諸人格は、ここではただ、互いに商品の代表者としてのみ、実存する。

我々は、一般に展開が進むにつれて、諸人格の経済的扮装はただ経済的諸關係の人格化にほかならず、諸人格はこの経済的諸關係の担い手として互いに相對すると言うことを見出すであろう。

152

商品所有者をば商品から特に区別するところのものは、商品から見れば他の如何なる商品体も自己の檟値の現象形態たるに過ぎぬという事実である。

商品は生まれながらの平等屋であり皮肉であるので、単にその魂ばかりでなく肉体までも、他の総べての商品と——それがマリトルン4以上に醜いものであっても——交換せんものと絶えず待ち構えている。

商品は斯く商品体の具象性に対する感覚を欠いているのであるが、この感覚欠乏は商品所有者の五種有余の感覚に依って補われる。

彼れの商品は、彼にとって何ら直接的の使用価値を有するものではない。

然らずんば、彼れはこれを市場に持ち行かないであろう。

それは他人にとって使用価値を有するもので、所有者から見れば交換価値の負担者たり随って交換上の要具たる使用価値(三十九)のみを直接有しているに過ぎぬ。

そこで商品の所有者は、彼れに満足を与えるところの使用価値ある商品を目的として、自己の商品を手放そうとするのである。

随って如何なる商品に於いても、その所有者の変更されることが必要になってくる。

然るに所有者が変更されるということは、即ち商品が交換されることを意味するものであって、商品はこの交換に依り、価値として相互に関係せしめられ、価値として実現されることになる。

要するに如何なる商品も、使用価値として実現され得るに先立ち、予め価値として実現されることを要するのである。

所有者を特に商品から区別するものは、商品にとってはどの商品体もそれ自身の価値の現象形態としての意義しか持たないという事情である。

だから、生まれながらの水平派であり犬儒学派(*1)である商品は、他のどの商品とも、例えそれがマリトルネス(*2)よりまずい容姿していても、魂だけでなく体までも取り替えようと絶えず待ち構えている。

商品所有者は、こうした、商品には欠けている、商品体の具体性に對する感覚を、彼自身の五感およびそれ以上の感覚で持って補う。

彼の商品は彼にとってはなんらの直接的使用価値も持たない。

さもなければ、彼はそれを市場にもって行きはしなかった。

それが持っているのは、他人にとっての使用価値である。

彼にとってそれは、直接的には、ただ交換価値の担い手であり、それゆえ交換手段であるという使用価値を持っているだけである(39)。

だからこそ、この商品は彼は自分を満足させる使用価値を持つ商品と引きかえに譲渡しようとするのである。

全ての商品は、その所有者にとっては非使用価値であり、その非所有者にとっては使用価値である。

したがって、これらの商品は、全面的に持ち手を交換しなかればならない。

ところが、この持ち手の交換が諸商品の交換なのであって、またそれらの交換が諸商品を価値として互いに関連させ、諸商品を価値として実現する。

それゆえ、諸商品は、自ら使用価値として実現しうる前に、価値として実現しなければならない。

153

他方にまた、如何なる商品も価値として実現され得るにさきだち、使用価値たるを示さねばならぬ。

蓋し商品のために支出される労働は、それが他人にとって有用な形で支出される限りに於いてのみ計算に入るからである。

けれども、この労働が果して他人にとって有用であるかうかは、その交換に依ってのみ証明され得るのである。

他面では、諸商品は、自ら価値として実現しうるまえに、自らが使用価値であることを実証しながらならない。

というのは、諸商品に支出された人間的労働が、それとして認められるのは、この労働が他人にとって有用な形態で支出された場合に限られるからである。

ところが、その労働が他人にとって有用であるかどうか、それゆえその生産物が他人の欲求を満足させるかどうかは、ただ諸商品の交換だけが証明できることである。

154

如何なる商品所有者も、その欲望を充たすところの使用価値ある他の商品を目的としてのみ、自己の商品を手放そうとする。

それだけの範囲内では、交換は彼れにとり個人的の行程に過ぎぬ。

他方に彼れは、その商品を価値として実現しようとする。

語を換えていえば、彼れ自身の商品が他商品の所有者にとって使用価値を有すると否とに拘わらず、同一の価値ある随意の他商品にこれを転化せしめんとするのである。

それだけの範囲内では、交換は彼れにとり一般社会的の行程である。

然しながら一切の商品所有者を通じて、同一の行程が専ら個人的のみであると同時に、また一般社会的のみであるということにはなり得ない。

どの商品所有者も、自分の欲求を満たす使用価値を持つ別の商品と引き換えでなければ自分の商品を譲渡しようとはしない。

その限りでは、交換は彼にとって個人的な過程でしかない。

他面、彼は自分の商品を価値として実現しようとする。

すなわち、彼自身の商品が他の商品の所有者にとって使用価値を持つか持たないかにはかかわりなく、自分の気に入った、同じ価値を持つ他のどの商品ででも価値として実現しようとする。

その限りでは、交換は彼にとって一般的社会的過程である。

しかし、同じ過程が、同時にすべての商品所有者にとって、もっぱら個人的であるとともに同時にもっぱら一般的社会的であるということはありえない。

155

更らに立ち入って考えるならば、各商品所有者にとって他人の各商品は彼れ自身の商品の特殊等価たるものであり、斯くしてまた彼れ自身の商品は他の凡ゆる商品の一般的等価たるのである。

然るに如何なる商品所有者も同一のことをするのであるから、一般的の等価となる商品はなく、如何なる商品も檟値として相互等位に置かれ檟値量として相互比較される。

一般的の相対的檟値形態を有しないことになる。

斯くて商品は商品として相対立することがなく、単に生産物として、使用価値としてのみ、相対立することになるのである。

立ち入ってみると、どの商品所有者にとっても、他人の商品はどれも自分の商品の特殊的等価物として意義をもち、それゆえ、自分の商品は他のすべての商品の一般的等価物として意義を持つ。

しかし、すべての商品所有者が同じことを行うのだから、どの商品も一般的等価物ではなく、それゆえまた、諸商品は、それらが自己を価値として等置し、価値の大きさとして比較しあうための一般的相対的価値形態をもってはいない。

だから、諸商品はおよそ商品として相対しているのではなく、ただ生産物または使用価値として相対しているに過ぎない。

156

商品所有者たちは茲に進退きわまり、ファウストの謂う如く『初めに実行あり』と考える。

即ち彼等は思惟する以前すでに実行していたのである。

彼等の自然本能を通して、商品性質の法則が作用していた。

彼等はその商品を以って一般的の等価たる他の何等かの商品と対立的に関係せしめることに依ってのみ、これを価値とし、随ってまた商品として、相互関係せしめ得るのである。

この事実は商品の分析に依って知られたところである。

然しながら一定の商品を一般的の等価たらしめ得るものは、社会的行為のみである。

即ち凡ゆる商品の社会t型行動は、これらの商品の価値を全般的に代表すべき一定の商品を排除することになるのであって、これがため、斯く排除された商品の現物形態は社会的に有効な等価形態6となる。

一般的の等価たることは、社会的行程に依って、斯く排除された商品の特殊社会的な機能となり、この商品は斯くして貨幣となるのである。

『彼等はただ一つの意向のぞみち、己が能力ちから と権威とを獣に与えたり。而して獣の名もしくはその名の数字ある微章を有たぬ総べての者に売買することを得ざらしめたり』(『ヨハネ黙示録』)。

わが商品所有者たちは、当惑してファウストのように考え込む。

はじめに行為ありき(

それゆえ、彼らは考える前にすでに行動していたのである。

商品本性の諸法則は、商品所有者の自然本能において確認されたのである。

彼らは、彼らの商品を一般的等価物としての他の何らかの商品に対立的に関連させることによってしか、彼らの商品を価値として、商品として、互いに関聯かんれん させることができない。

このことは、商品の分析があきらかにした。

だが、もっぱら社会的行為だけが、ある特定の商品を一般的等価物にすることができる。

だから、他のすべての商品の社会的行動がある特定の商品を排除し、この排除された商品によって他の全ての商品はそれらの価値を全面的に生じするのである。

これによって、この排除された商品の自然形態が社会的に通用する等価形態となる。

一般的等価物であるということは、社会的過程によって、この排除された商品の独特な社会的な機能となる。

こうして、この商品は——貨幣となる。

「この者どもは、心を一つにしており、自分たちの力と権威を獣に委ねる。この刻印のある者でなければ、誰も物を買うことも売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名を表す数字である」(ヨハネ黙示録〔17・13と13・17からつないで引用されている〕)。

157

貨幣結晶なるものは、種類の相異った労働生産物をば事実上、相互等位に置き、以ってこれを事実上、商品に転化せしむる交換行程の必然的な一産物である。

交換の歴史的なる拡大及び深化は、商品の性質中に眠っている使用価値と価値との対立を展開せしる。

この対立を通商上外部的に表現せしめようとする欲望は、商品価値の独立した形態を生ぜせしめるものであって、商品が商品と貨幣とに分化することに依り斯かる独立した価値形態が終局的に獲得される迄は休止するところがないのである。

斯くて、労働生産物が商品に転化されるのと同一の比率を以って、商品の貨幣化が行われることになる(四十)。

貨幣結晶は、種類を異にする労働の生産物が実際に互いに等置され、それゆえ実際に商品に転化される交換過程の必然的産物である。

交換の歴史的な拡大と深化は、商品の本性のうちに眠っている使用価値と価値との対立を發展させる。

交易のためにこの対立を外的に表示しようとする欲求は、商品価値の自立的形態へと向かわせ、商品と貨幣とへの商品の二重化によってこの自立的形態が最終的に達成されるまで、とどまることを知らない。

それゆえ、労働生産物の商品への転化が生じるのと同じ度合いで、商品の貨幣への転化が生じるのである (40)。

158

直接の生産物交換7は、一方に単純なる価値表章の形態を有しているが、他方には尚未だこの形態を有して居らぬ。

それは即ち x量A商品y量B商品 なる形態である。

直接的生産物交換の形態は x量A使用対象y量使用対象である(四十一)。

この場合A及びBなる物品は、交換以前にはまだ商品ではなく、交換に依り始めて商品となるのである。

一の使用対象を可能的に交換価値たらしむる第一の様式は、それが所有者にとり非使用価値として、彼れの直接の欲望を超過した使用価値量として、存在するということである。

如何なる物も、それ自体としては人間の外部に存在するものであって譲渡しうるものである。

而してこの譲渡が交互的であり得るためには、暗黙の間に人々がこれらの譲渡し得る物件の私的所有物として、その故にまた相互独立した人格として、対立し合うということを要するだけである。

直接的な生産物交換は、一面では簡単な価値表現の形態をもっているが、他面ではまだそれをもっていない。

この形態は、x量の商品A=y量の商品Bであった。

直接的な生産物交換の形態は、x量の使用対象A=y量の使用対象Bである(41)。

AとBという物は、ここでは、交換の前には商品ではなく、交換を通して初めて商品となる。

ある使用対象が可能性から見て交換価値であるという最初の様式は、非使用価値としての、その所有者の直接的欲求を超える分量の使用価値としての、その定在である。

物はそれ自体としては人間にとって外的なものであり、それゆえ譲渡されうるものである。

この譲渡が相互的であるためには、人々は、ただ、黙って、その譲渡されうる物の私的所有者として、またまさにそうすることによって相互に独立の人格として、相対しさえすればよい。

159

而も斯くの如き相互独立した関係は、原生的共同体——家父長制家族の形態を採ったものであるにせよ、又は古インドの村落共産社会、ペルーのインカ国家等の形態を採ったものであるにせよ——の成員間には存在して居らぬ。

商品交換は各共同体のきる処に、換言すれば各共同体が他の共同体又はその成員たちと接触する点に始まる。

が、諸種の物は、それが一度び共同体の対外生活に於いて商品となるや否や、共同体内部の生活に於いても亦反応作用的に商品となってくる。

これらの物の量的交換比例は、その初め全く偶然的のものである。

斯くて時経る間に、労働生産物の少なくとも一部分は、交換を目的として生産されねばならなくなる。

この時以後、一方に直接の必要に対する物の有用性と、交換のための有用性との区分が確立され、使用価値は交換価値から分離することになるのであるが、他方にまた、物の交換される量的比例は、生産それ自体に倚存 いぞん することとなる。

習慣は物を価値量として確定するのである。

しかし、互いに他人であるこのような關係は、自然發生的な共同体の成員にとっては──その共同体が、家父長的家族の形態をとっていようと、古インド的共同体の形態をとっていようと、インカ国家などの形態をとっていようと──実存しない。

商品交換は、共同体の終わるところで、諸共同体が他の諸共同体または他の諸共同体の諸成員と接触する點で、始まる。

しかし、諸物がひとたび対外的共同生活で商品になれば、それらのものは反作用的に、内部的共同生活においても商品になる。

諸物の量的交換比率は、さしあたりは全く偶然的である。

それらの物が交換されうるものであるのは、それらを互いに譲渡し合おうととする所有者たちの意志行為によってである。

しかし、そのうちに、他人の使用対象に對する欲求が次第に固まってくる。

交換の不断の反復は、交換を一つの規則的な社会的過程にする。

それゆえ、時の経過とともに、労働生産物の少なくとも一部分は、意図的に交換目当てに生産されざるをえなくなる。

この瞬間から、一面では、直接的必要のための諸物の有用性と交換のための諸物の有用性との間の分離が確定する。

諸物の使用価値は、諸物の交換価値から分離する。

他面では、それらの物が交換され合う量的比率は、それらの物の生産そのものに依存するようになる。

慣習はそれらの物を価値の大きさとして固定される。

160

直接の生産物交換に於いては、各商品はその所有者から見れば、直接に交換用具8であり、非使用者にとっては等価である。(尤もこれは、各商品がその非所有者の使用価値たる限りに於いてのみ言い得ることなのである)。

この場合、交換品は尚未だそれ自身の使用価値から、又は交換者の個人的欲望から独立した檟値形態を受けては居ぬ。

斯かる形態の必要は、交換行程に入る商品の数及び種類の増大につれて、発達して来る。

即ち、問題はその解決手段と同時に生ずることとなるのである。

商品所有者が自身の物品を他の種々なる物品と交換し比較する取引は、種々なる商品所有者の種々なる商品がその取引の内部に於いて同一の第三商品種類と交換され、価値として比較されることなくしては、決して行われるものでない。

斯くの如き第三の商品種類は、他の種々なる商品の等価となることに依り、狭い限界内に止まるとはいえ、とにかく直接に、一般的即ち社会的なる等価形態を与えられる。

この一般的等価形態はそれを生ぜしめた瞬間的の社会的接触と生滅を共にするものであって、急過的に交々こもごも甲なる商品に属したり、乙なる商品に属したりするのである。

然し商品交換の発達につれて、この等価形態は専ら特殊の商品種類についてのみ固着して、貨幣形態に結晶する。

それが如何なる種類の商品に固着するかは、最初は偶然的に定まることであるが、これについては大体に於いて二つの事情が決定を与える。

即ち貨幣形態なるものは、交換に依って他から得て来た最重要の物品——事実上自己の共同体に生じた生産物の交換価値の原生的現象形態たるところの——に固着するか、又は自己の共同体に生じた譲渡し得べき富の主なる要素となっている使用対象(例えば家畜の如き)に固着するかである。

貨幣形態は先づ遊牧民の間に生じて来る。

蓋し遊牧民の所有物はことごと く動産的の、随ってまた直接に譲渡され得るところの形態を採っているものであり、且つ彼等はその生活様式の上から絶えず他の共同態と接触し、斯くして生産物の交換を行うことになるからである。

人類が人類自身を奴隷として原始的の貨幣材料にしたことは屢々行われるところであるが、然し土地がこの目的に使用されたことはなかった。

斯かる観念は発達したるブルヂォア的社会にのみ生じ得たところであって、十七世紀の最終の三分一期に始まった。

而してこの観念をば国民的の規模を以って遂行せんとする企画は、それより一世紀の後、フランスに於けるブルヂォア的革命の際、初めて試みられたところである。

直接的な生産物交換においては、どの商品もその所収者にとっては直接的に交換手段であり、その非所有者にとっては等価物である。

もっとも、その商品がその非所有者にとって使用価値である限りでのことであるが。

したがって、交換品は、それ自身の使用価値または交換者の個人的欲求から、独立した価値形態をまだ受け取っていない。

この形態の必然性は、交換過程に入り込む商品の数と多様性との増大とともに發展する。

課題はその解決の手段と同時に生じる。

商品所有者が彼ら自身の物品を他のさまざまな物品と交換したり比較したりする交易は、さまざまな商品所有者の様々な商品がその交易の内部で同一の第三の種類の商品と交換され、価値として比較されることなしには決して生じない。

このような第三の商品は、他の様々な商品にとっての等価物となることによって、直接的に──たとえ狭い限界内においてにせよ──一般的または社会的な等価形態を受け取る。

この一般的等価形態は、それを生み出す一時的な社会的接触とともに發生し、それとともに消滅する。

この形態は、あれこれの商品に、かわるがわる、かつ一時的に帰属する。

しかし、それは、商品交換の發展につれて、もっぱら特殊な種類の商品に固着する。

すなわち、貨幣形態に結晶する。

それがどのような種類の商品に固着するかは、さしあたり偶然である。

しかし、一般的には、二つの事情が決定的である。

貨幣形態が固着するのは、外部から入ってくるもっとも重要な交易品──これは、事実上、内部の諸生産物がもつ交換価値の自然發生的な現象形態である──か、さもなければ、内部の譲渡されうる所有物の主要要素をなす使用対象、たとえば家畜のようなものである。

遊牧諸民族が最初に貨幣形態を發展させるのであるが、それは、彼らの全財産が動かしうる、それゆえ直接的に譲渡されうる形態にあるからであり、また彼らの生活様式が彼らを絶えず他の諸共同体と接触させ、それゆえ、生産物交換へと誘い込むからである。

人間はしばしば人間そのものを奴隷の姿態で原初的な貨幣材料としてきたが、土地をそうしたことはかつてなかった。

このような観念は、すでに發展をとげたブルジョア社会においてのみ出現した。

その始まりは17世紀の最後の三分の一期のことであり、その実施が国民的規模で試みられるのは、それからやっと一世紀後、フランスのブルジョア革命のなかにおいてであった()。

161

商品交換がその地方的羈絆きはん を打ち破り、斯くして商品価値が人間労働一般の体化に発展してゆくのと同一の比例を以って、本来一般的等価の社会的機能を盡すに適した商品である貴金属が貨幣形態を るようになる。

商品交換がそのもっぱら局地的な束縛を打破し、それゆえ商品価値が人間的労働一般の体化物にまで拡大していくのと同じ割合で、貨幣形態は、一般的等価物という社会的機能に生まれながらにして適している商品に、すなわち貴金属に、移っていく。

162

『金銀は本来貨幣であるという訳ではないが、貨幣は本来金銀である』(四十三)[原文ママ]という命題の真理は、金銀の現物性質が貨幣の機能に適しているという事実に依って証明される(四十三)。

然し以上の説明に依って我々の知るところは、商品価値の減少形態として、換言すれば商品の価値量を社会的に言い現わすところの材料として、役立つべき貨幣の一機能のみである。

檟値——換言すれば抽象的随って等一なる人間労働の体化——の現象形態たり得るものは、如何なる複本も同一の等態的性質9を有する一物質に限られている。

他方にまた、各檟値量の区別は純粋に量的のものであるから、貨幣商品たるものは純然たる量的の区別を与えられ得るものでなくてはならぬ。

即ちそれは、意の儘に分割し綜合し得るものでなくてはならぬ。

然るに、金銀は本来斯かる性質を具備しているのである。

ところで、「金銀は生まれながらにして貨幣ではないが、貨幣は生まれながらにして金銀である(42)」ということは、金銀の自然的属性が貨幣の諸機能に適していることを示している(43

しかし、我々は、これまでのところでは、貨幣の一つの機能しか知らない。

すなわち、商品価値の現象形態として、または商品の価値の大きさが社会的に表現される材料として、役立つという機能だけである。

価値の適切な現象形態、または抽象的な、それゆえ同等な、人間的労働の体化物ととなりうるのは、その一片をとってみてもみな同じ均等な質を持っている物質だけである。

他面、価値の大きさの区別は純粋に量的なものであるから、貨幣商品は純粋に量的な区別ができるもの、したがって任意に分割ができてその諸部分がふたたび合成できるものでなければならない。

ところが、金銀は生まれながらにしてこの属性を備えている。

163

貨幣商品の使用価値は二重のものとなる。

即ちそれは商品としての特殊の使用価値——例えば金が齲歯むしば の塡充や奢侈品の原料などに役立つ場合に於ける如き——の外に、尚その特殊の社会的諸機能から生ずる形式的の使用価値をも与えられる。

貨幣商品の使用価値は二重化する。

貨幣商品は、商品としてのその特殊的な使用価値、例えば金が虫歯の充填、奢侈品の原材料などに役立つ、というような特殊的な使用価値のほかに、その独特な社会的機能から生じる一つの形式的な使用価値を受け取る。

164

他の一切の商品は貨幣の特殊的等価に過ぎず、而して貨幣はこれらの商品の一般的等価であるから、これらの商品は特殊の商品として、一般的の商品たる貨幣(四十四)に対立するものとなるのである。

他のすべての商品は貨幣の特殊的等価物にほかならず、貨幣はこれらの商品の一般的な等価物であるから、これ等の商品は、一般的商品としての貨幣(44)対して特殊的商品としてふるまう。

165

貨幣形態なるものは一商品に固着した他の凡ゆる商品の関係の反射に過ぎぬことは、我々の既に見たところである。

そこで貨幣が商品であると云うことは(四十五)、先づその完成した形態から出発して、然るのちこれを分析せんとする人にとってのみ、一の発見となるのである。

交換行程は、それに依って貨幣に転化せしめられる商品に仮を付与するものでなく、寧ろ特殊の檟値形態を附与する。

これらの両事項を混同せる結果、金銀の価値は想像的のものであると考えられるようになったのである(四十六)。

また、貨幣は一定の機能上それ自身の単なる表章を以って代置せられ得るものであるから、そこで貨幣は単なる表章に過ぎぬという錯誤が生じてきた。

然しこの錯誤の中には、物の貨幣形態は物それ自身から見れば外部的のものであって、その背後に隠れている人間関係の単なる現象形態に過ぎぬという予覚が含まれている。

この意味に於いては、如何なる商品も表章であるということになろう。

なぜならば、如何なる商品も価値として見れば、その生産に支出された人間労働の物的外皮に過ぎぬからである(四十七)。

けれども一定の生産方法の基礎上に於いて物に与えられる社会的の性質、又は労働の社会的性質に与えられる物的性質をば、単なる表章に過ぎぬとすることは、これ取りも直さず、これらの性質が人類の一般的合意と称せられるものに依って可とされた人類思察の専壇的産物であるとすることになる。

かの十八世紀に愛好された説明方法は、実に斯くの如きものであった。

当時の学者は人類関係の発生行程を説明することができなかったので、この関係の謎的形態の中から、せめて予備的にでも奇異の外観を取り去ろうとしたのである。

既に見たように、貨幣形態は、他のあらゆる商品の諸関連の反映が、一つの商品に固着したものにほかならない。

したがって、貨幣は商品である(45)ということは、貨幣の完成した姿態から出發して後から分析する者にとっての一つの發見であるに過ぎない。

交換過程は、この過程が貨幣に転化させる商品に、その価値を与えるのではなくて、その独特な価値形態を与えるのである。

この二つの規定の混同は、金銀の価値を想像的にものとみなす誤った考えを生み出した(46)。

貨幣が、一定の諸機能において、それ自身の単なる章標によって置き換えられうるところから、貨幣は単なる章標であるというもう一つの誤りが生じた。

他面、この誤りのうちには、物の貨幣形態はその物自身にとって外的なものであり、その背後に隠されている人間の諸關係の単なる現象形態に過ぎないという予感があったのである。

この意味では、どの商品も一つの章標であろう。

なぜなら、どの商品も価値としては、それに支出された人間的労働の物的外皮に過ぎないからである(47)。

しかし、一定の生産様式の基礎上で、諸物が受け取る社会的諸性格、あるいは労働の社会的諸規定が受け取る物的諸性格を、単なる章標として説明するとすれば、そのことによって同時に、それらの性格を人間の恣意的な反省の産物として説明することになる。

これこそは、その成立過程がまだ解明されえなかった人間的諸關係の謎のような姿態から少なくとも差し当たり奇異の外観をはぎ取ろうとして、18世紀に好んで用いられた啓蒙主義の思想であった。

166

商品の等価形態は商品の価値大小の量的決定を含むものでないことは、さきに述べた通りである。

我々は、金が貨幣であり随って他の凡ゆる商品と直接交換し得るものであることを知ったとしても、例えば十封度ポンドの金が幾許かに値するかを知ったことにはならぬ。

金は他の各商品と同じく、相対的に他商品を通してのみそれ自身の価値大小を言い現し得るに過ぎぬ。

金それ自身の価値は、金の生産に必要な労働時間に依って決定され、等量の労働時間が凝結している他の各商品の分量に依って言い現される(四十八)。

金の相対的価値大小のかかる確定は、金の生産所に於ける直接の生産物交換に依って行われる。

されば、金が貨幣として流通に入るとき、その価値は予め既に与えられている訳である。

十七世紀最終の数十年に於いても、貨幣の商品たることを知り得る程に貨幣分析は進んでいたが、それでもまだ発端に過ぎなかった。

貨幣が商品であることを理解する点ではなく、寧ろ商品なるものは如何にして、何故に、また何に依って、貨幣となるかを理解する点に、難関が存しているのである(四十九)。

先に指摘したように、一商品の等価形態はその商品の価値の大きさの量的規定を含んではいない。

金が貨幣であり、それゆえ他のすべての商品と直接的に交換されうるものであることを知っても、それだからといって、例えば10ポンドの金の価値がどれだけであるかはわからない。

どの商品もそうであように、貨幣()はそれ自身の価値の大きさを、ただ相対的に、他の諸商品によってのみ、表現することができる。

貨幣自身の価値は、その生産のために必要とされる労働時間によって規定され、等量の労働時間が凝固した、他の各商品の分量で表現される(48)。

貨幣 ()の相対的価値の大きさのこうした確定はその産源地での直接的交換取引のなかで行われる。

それが貨幣として流通に入るときには、その価値はすでに与えられている。

すでに17世紀の最後の2,30年間に貨幣分析の端緒はかなり進んでいて、貨幣が商品であるということが知られていたけれども、それはやはり端緒に過ぎなかった。

困難は、貨幣が商品であることを理解する點にあるのではなく、どのようにして、なぜ、何によって、商品が貨幣であるのかを理解する點にある(49)。

167

x量A商品y量B商品  という最単純な価値表章に於いても、他の物の価値大小を表現する方の物が、この関係からは独立して、その等価形態をば社会的自然性質として具備しているように見えることは、我々の既に見たところである。

我々はこの虚偽の外観が如何にして確立されたかを追究した。

この外観は、一般的等価が特殊の一商品種類の現物形態と合体するとき、換言すれば貨幣形態に結晶するとき、完成される物である。

一の商品は、他の諸商品の価値を全般的に代表するが故に初めて貨幣となるのであるが、表面に現れたところでは、寧ろ反対に、一商品が貨幣であるから、他の諸商品はそれに依って一般的に自己の価値を代表せしめるように見えてくる。

これを媒介するところの運動は、それ自身の結果の中に消滅して何等の痕跡をも止めない。

諸商品の方からは何もしないで、自己の外部に自己と相並んで存在するところの一商品体として、それ自身の価値形態が完成されていることを見出すのである。

これらの物——金銀は、大地の胎内から出て来るとき既に一切の人間労働を直接に体化したものとなっているのであって、貨幣魔術性の生ずる所以は其処そこに在る。

社会的生産行程に於ける人類の単なる原始的行為と、随ってまた人類の管理並びに意識的なる個人的行動から独立した、生産事情の物的形態とは、先づ人類の労働生産物が一般的に商品形態を採る点に現れる。

されば、貨幣魔術の謎とは畢竟、商品魔術の謎が見えるようになって人目を射る如き形を採ったものに過ぎぬのである。

我々が見たように、すでにもっとも簡単な価値表現、x量の商品A=y量の商品B においても、他の一つの物の価値の大きさがそれによって表される物は、その等価形態を、この関聯かんれん から独立に社会的自然属性として持っているかのように見える。

我々はこの虚偽の外観の確立を追求した。

一般的等価形態が、ある特殊な種類の商品の自然形態に癒着したとき、あるいは貨幣形態に結晶したとき、この外観は完成する。

他の諸商品がその価値を一商品によって全面的に表示するので、その商品は初めて貨幣なるのだとは見えないで、むしろ逆に、その商品が貨幣であるからこそ、他の諸商品はその商品で一般的にそれらの価値を表示するかのように見える。

媒介する運動は、それ自身のうちに消失して、何の痕跡も残さない。

諸商品は、自ら関与することなく、自分たち自身の価値姿態が、自分たちの外に自分たちと並んで実存する一商品体として完成されているのを見出す。

金や銀というこれらの物は、地中から出てきたままで、同時に、一切の人間的労働の直接的化身なのである。

ここから、貨幣の魔術が生じる。

人間の社会的生産過程における人間の単なる原始的な振る舞いは、それゆえまた人間の管理や人間の意識的な個人的行為から独立した彼ら自身の生産諸關係の物的姿態は、差し当たり、彼らの労働生産物が一般的に商品形態を取るという點に現れる。

だから、貨幣物神の謎は、目に見えるようになった、人目をくらますようになった商品物神の謎に他ならない。

第三章 貨 幣 又 は 商 品 流 通

(一) 価 値 の 尺 度

168

説明を単純ならしめるため、本書の全体を通じて金が貨幣商品であると仮定して置く。

私は、本書のどこでも、ことを簡単にするために、金を貨幣商品として前提する。

169

金の第一の機能は、商品界に価値表章の材料を供給すること、換言すれば各商品の価値を同分母の大きさとして、質的に相等しく量的に相互比較し得べき大きさとして表現することにある。

斯くして金は価値の一般的尺度たる機能をくすことになる。

而してこの機能によってのみ、特殊の等価商品たる金は、先づ貨幣となるのである。

金の第一の機能は、商品世界にその価値表現の材料を提供すること、すなわち、諸商品価値を、質的に等しく量的に比較可能な同名の大きさとして表すことである。

こうして、金は、価値の一般的尺度として機能し、そして独自な等価物商品である金は、もっぱらこの機能によって初めて、貨幣となる。

170

各商品は貨幣があるが故に通約し得るものとなるのではなく、寧ろその反対である。

卽ち一切の商品は、これを価値として見れば対象化された人間労働であり、随ってそれ自身に於いて通約し得るものであればこそ、同一の特殊商品を以ってその価値を共通的に秤量することができ、斯くしてこの特殊商品をば、共通的の価値尺度たる貨幣に転化し得るのである。

檟値尺度としての貨幣は、商品の内在的価値尺度たる労働時間の必然的な現象形態である(五十

諸商品は、貨幣によって同単位での計量が可能となるのではない。

逆である。

全ての商品が価値としては対象化された人間的労働であり、それゆえそれ自体が同単位で計量可能であるからこそ、全ての商品はその価値を同じ独自な一商品で協働ではかり、そうすることことによって、この独自な一商品を諸商品の協働の価値尺度または貨幣に転化することができるのである。

価値尺度としての貨幣は、諸商品の内在的価値尺度である労働時間の必然的現象形態である(50)。

171

一商品の価値を金で言い現したもの、卽ち x量A商品y量貨幣商品 なる方程式は、その商品の貨幣形態であり、価格である。

1噸の鉄2オンスの金  の如き単一なる方程式は、今や鉄の価格を社会的に妥当に表現するに十分なものとなり、最早他の諸商品の価値方程式と相並んで整列することを要しない。

なぜならば、金という等価商品は既に貨幣の性質を有っているからである。

斯くて商品の一般的なる相対的価値形態は、今や再びその本来の単純又は個別的なる相対的価値形態の姿容を採るようになる。

他方にまた、拡大したる相対的価値表章、換言すれば各相対的価値表章の限りなき連系は、貨幣商品の特殊相対的なる価値形態となる。

然しこの連系は今や、諸商品の価格を以って社会的に与えられることになるのである。

試みに物価表を逆に読んでゆくならば、貨幣の価値大小が凡ゆる可能の商品に依って代表されていることを見出す。

だが、貨幣には何等の価格もない。

貨幣にして若し他の諸商品の斯かる統一的な相対的価値形態に関与しようとすれば、それは自分自身を等価としてこれに関連せしめられねばならなくなるであろう。

金による一商品の価値表現——x量の商品A=y量の貨幣商品——は、その商品の貨幣形態またはその商品の価格である。

鉄の価値を社会的に通用する仕方で表すためには、1トンの鉄=2オンスの金 というような単一の等式で今や十分である。

この等式は、他の諸商品の価値等式と隊伍を整えて更新する必要はもはやない。

なぜなら、等価物商品である金がすでに貨幣の性格を帯びているからである。

それゆえ、諸商品の一般的な相対的価値形態は、今や再び、その最初の簡単なまたは個別的な相対的価値形態の姿態をとる。

多面、展開された相対的価値表現、または相対的価値諸表現の無限の列が、貨幣商品の独自な相対的価値形態になる。

しかし、この列は、今やすでに諸商品価格のうちに社会的に与えられている。

物価表の値段表示を後ろから読めば、貨幣の価値の大きさがありとあらゆる商品で表されていることがわかる。

これに反して、貨幣は何の価格も持たない。

他の諸商品のこうした統一的な相対的価値形態に参加するためには、貨幣はそれ自身の等価物としてのそれ自身に関連させなければならないであろう。

172

商品の貨幣形態なる価格は、価値形態一般と同様に、商品の有形的なる現実的形態とは異なるところの、単なる観念的又は想像的の形態に過ぎぬものである。

鉄、リンネル、小麦などの価値は、我々の目には見えないがこれらの物それ自身の内部に存在している。

それは、これらの物が金に等しいということに依って表象されるのである。

而してこの金に等しいということは、謂わばこれらの物の頭の中にのみ存在しているところの、金に対する一関係である。

されば商品所有者は、これらの物の価格を外界に知らせるためには、彼れ自身の舌を貸し与えるか、又は紙札を下げてやらねばならぬことになる(五十一)。

商品の価格または貨幣形態は、商品の価値形態一般と同じように、手で掴めるその実在的な物体形態から区別された、従って単に観念的な、または表象されただけの形態である。

鉄、リンネル、小麦などの価値は、目には見えないけれども、これらの物のそのもののうちに実存する。

これらの価値は、それらの物の金との同等性によって、それらの物のいわば頭の中にだけ現れると金との関連によって、表象される。

だから、商品の保護者は、商品の価格を外界に伝えるためには、自分の舌で商品を代弁するか、または商品に紙札を下げる化しなければならない(51)。

173

金を以ってする商品価値の表章は観念的のものであるから、この目的には単なる想像的又は観念的な金2以外の物は利用し得ないのである。

商品の価値が価格形態卽ち想像的の金形態を附与されたからといって、それだけではまだまだ商品は金に実現されるものでなく、幾百万マルクの商品価値を金で評価するというだけならば、その目的のために一ペンス の現実的な金をも必要としないことは、如何なる商品販売業者もよく知るところである。

要するに、貨幣なるもきこうのは価値尺度としての機能からいえば、単なる想像的又は観念的の貨幣として役立つに過ぎぬのであって、この事実から奇怪極まる諸種の学説が生ずることになった(五十二)。

金による商品価値の表現は観念的なものであるから、この操作のためには、やはりただ表象されただけの、または観念的な金が使われる。

商品の保護者の誰もが知っているように、彼が自分の商品の価値に価格の形態または表象された金形態を与えても、彼は到底まだその商品を金に化したわけではなく、また、幾百万の商品価値を金で評価するためにも、現實の金の一片も彼には必要ではない。

だから、価値尺度という機能においては、貨幣は、ただ表象されただけの、または観念的な貨幣として役立つのである。

この事情は、極めて馬鹿げた諸理論を生み出した(52)。

174

価値尺度たる機能に役立つ物は想像的の貨幣のみであるとはいえ、価格は現実的の貨幣材料に全く倚存しているものである。

檟値、換言すれば一噸の鉄という如き物に含まれている人間労働の量は、それと等量なる労働を含む想像的の貨幣商品量に依って言い現される。

そこで金、銀又は銅の何づれが価値尺度として役立つかに従い、一噸の鉄の価値は全く相異った価格表章を受けることになる。

語を換えて言えば、全く相異った量の金なり、銀なり、銅なりとして表象されることになるのである。

価値尺度機能のためには、ただ表象されただけの貨幣が役立つとはいえ、価格は全く実在的な貨幣材料に依存している。

例えば、1トンの鉄に含まれる価格、すなわち人間的労働の一定分量が、等しい量の労働を含む貨幣商品の表象された一定分量によって表現される。

従って、金、銀、銅のどれが価値尺度として使われるかに従って、同じ1トンの鉄の価値は全く異なる価値表現を受け取るのであり、言い換えれば、金、銀、銅の全く異なる量によって表象されるのである。

175

そこで金銀の如き二つの相異った商品が同時に価値尺度として役立つとすれば、この場合には如何なる商品も金価格及び銀価格なる二つの相異った価格表章を有つことになる。

而してこれらの価格表章は、金対銀の価値比例が例えば 1:15  として普遍である限り、穏かに並立して行くのであるが、この価値比例に変動が生ずれば、商品の金価格と銀価格の比例は撹乱を受けることになる。

これで見ても、価値尺度の複本位制は価値尺度の機能と矛盾するものであることが知られる(五十三)。

それゆえ、二つの異なった商品、例えば金と銀とが同時に価値尺度として使われれば、全ての商品は二通りの異なる価格表現、すなわち金価格と銀価格とを持つことになり、金に對する銀の価値比率が不変のままであるかぎり、例えば1体15である限り、両者は平穏無事に共存する。

しかし、この価値比率に変動が生じるたびに、商品の金価格と銀価格のとの比率が撹乱され、こうして、価値尺度の二重化はその機能と矛盾するということが、事実によって証明される(53)。

176

価格の一定した商品は何れも a商品Ax金b商品Bz金c商品Cy金 等の形で表現される。

右の中のabcは夫々ABCなる商品の一定量であり、xzyは何づれも金の一定量を示す。

斯くの如く、諸商品の価値は種々なる大さの想像的金量に転化される。

換言すれば、此等の商品の現物体は種々雑多なるにも拘らず、その価値は分母の相等しきあい等しき様々の大さに、様々の大さの金に転化されるのである。

諸商品の価値は、斯様な相異った金量として相互に比較され秤量されるのであって、その結果、諸商品の価値を尺度としての一定量の金に関連せしめる必要が技術上生じて来る。

而してこの尺度単位として役立つ場合、一方にそれはオンスその他のものに細分され、他方にまたハンドレッドウェイトその他のものに合算されることになるのである(五十四)。

斯くして如何なる金属流通に於いても、既与の重量標準名が貨幣標準卽ち価格標準の本来の名称となって来る。

価格規定を受けた商品は、全て、a量の商品A=x量の金、b量の商品B=Z量の金、c量の商品C=y量の金 などの携帯で表示され、そこでは、a,b,cは商品種類A、B、Cの一定量を表し、x、z、yは金の一定量の表す。

だから、諸商品価値は、様々な大きさの表象された金分量に、従って、商品体の錯綜した多様性にもかかわらず、金の大きさという同名の大きさに転化される。

諸商品価値は、このような様々な金分量として相互に比較され、はかられあう。

そこで、諸商品価値を、その度量単位としてのある固定された分量の金に関連付ける必要が技術的に生じてくる。

この度量単位そのものは、さらに可除部分〔割り切ることのできる個数部分〕に分割されることによって度量基準に發展させられる。

金、銀、銅は、それらが貨幣になる前に、すでにそれらの金属重量のうちにこのような度量基準をもっているので、たとえば1ポンドが度量単位として役立ち、そこから一方では再分割されてオンスなどになり、他方では合算されてツェントナーなどになる(54)。

だから、すべての金属流通では、重量の度量基準の既存の呼称がまた貨幣の度量基準または価格の度量基準の最初の呼称をなしている。

177

貨幣が価値尺度としてつくす機能と、価格標準として盡す機能とは、全く相異なるものである。

即ち貨幣なるものは、これを人間労働の社会的体化として見れば価値尺度であり、確定された金属量として見れば価格標準となるのである。

価値尺度としての貨幣は、相異った商品の価値を想像的の金量に価格に転化せしめることに役立ち、価格標準としての貨幣は、斯かる金量それ自身を秤量するものである。

価値尺度を以ってするとき、商品は価値として秤量されるのであるが、価格標準なるものは反対に、様々の金量を一の金量ではか るのであって、一の金量の価値を他の金量の重量で秤るのではない。

価値標準を成立せしめるためには一定重量の金を尺度単位として確定する必要がある。

これについては、分母の相等しき様々の大さの尺度を決定する他の総べての場合に於ける如く、尺度比例の確立ということが決定的に必要となって来る。

要するに、同一量の金が尺度単位として不変的に役立てば役立つ程、価格標準は益々良好にその機能を盡すことになるのであるが、反対に金が価値尺度として役立ちうるのは、金それ自身が労働生産物であり、随って変化し得べき価値であるが故にのみ行われることである(五十五)。

貨幣は、価値の尺度として、また価格の度量基準として、二つのまったく異なる機能を果たす。

貨幣が価値の尺度であるのは、人間的労働の社会的化身としてであり、価格の度量基準であるのは、確定された金属重量としてである。

貨幣は、価値尺度としては、多種多様な商品の価値を価格に、すなわち表象された金分量に転化することに役立ち、価格の度量基準としては、この金分量をはかる。

価値の尺度によっては、諸商品が諸価値としてはかられ、これにたいして、価格の度量基準は、金の諸分量をある金分量によってはかるのであって、ある金分量の価値を別の金分量の重量ではかるのではない。

価格の度量基準のためには、一定の金重量が度量単位として固定されなければならない。

この場合、およそ同名の大きさの度量規定を行う他のどんな場合でもそうであるように、度量比率の不変性が決定的となる。

だから、価格の度量基準は、同一分量の金が度量単位として変わることなく役立てば役立つほど、それだけよく機能を果たす。

ところが、金が価値の尺度として役立つのは、金そのものが労働生産物であり、したがって可能性から見て一つの可変的な価値であるからに他ならない(55)。

178

先ず、金の価値変動が価格標準としての機能を決して侵害するものでないことは、明瞭な事実である。

金の価値は如何に変動しても、相異った金量は相互間に絶えず同一の価値比例を保っている。

金の価値が仮りに一〇〇〇パーセント下落したとしても、十二オンスの金が一オンスの金に比して十二倍の価値を有っていることに変わりはないであろう。

且つまた、価格に於いて問題となることは、相異った金量の相互比例のみである。

他方に、一オンスの金は価値の騰落と共に重量を変ずるものでないから、その可除部分の重量も同様に変化することがない。

これがため、金はその価値が如何に変動しても、価格の固定尺度としては、常に同一の機能を盡すことになるのである。

なによりもまず明らかなことは、金の価値変動は、価格の度量基準としてのその機能を決して損なわないということである。

たとえば、金の価値がどんなに変動しても、異なった金分量は、相変わらずつねに、相互に同じ価値比率を保っている。

金の価値が1000パーセント低下〔10分の1になること〕しても、前と同じように、12オンスの金は1オンスの金の12倍の価値を持っているであろうし、しかも価格において問題となるのは、異なった金分量の相互比率だけなのである。

他方、1オンスの金はその価値の増減につれてその重量を変えることは決してないから、その可除部分の重量も同様に変わらず、したがって、金は、その価値がどんなに変動しようとも、価格の固定的度量基準としてつねに同じ役目を果たす。

179

金の価値変動は更らに、価値尺度としての機能を妨げることにもならぬ。

蓋し金の価値変動は、あらゆる商品の上に同時に影響するものであって、他の事情に変化なき限り、これらの商品相互の間に於ける相対的価値には、影響するところがないのである。

尤も、これらの相対的価値は、今や従来に比し、或は高きある或は低き金価格を以って言い現されることになる。

金の価値変動は、また、価値尺度としてのその機能をも妨げない。

金の価値変動は、すべての商品に同時に影響し、したがって、“他の事情が同じであれば”、諸商品相互の相対的価値を変えないのである。

もっとも、いまや、すべての商品は、以前よりも高いかまたは低い金価格で表現されるけれども。

180

商品が金で評価される場合にも、一商品の価値が他の何等かの商品の使用価値で表現される場合と同様に、与えられた時期に一定量の金を生産するためには、一定量の労働を要するということだけが仮定される。

商品価格一般の運動については、さきに述べた単純なる相対的価値表章の法則が行われる。

一商品の価値を他の何らかの商品の使用価値で表す場合と同じように、諸商品を金で評価する場合にも、そこで前提とされることは、ただ、与えられて時點で一定の金分量を生産するには一定分量の労働が必要であるということだけである。

商品価格の運動にかんしては、一般に、すでに展開された簡単な相対的価値表現の諸法則があてはまる。

181

貨幣価値に変化がないとすれば、商品の価格は価値が昂騰する時にのみ一般的に昂騰し、また商品価値に変化がないとすれば、貨幣価値が低落する時にのみ一般的に昂騰し得る。

反対に、貨幣価値に変化がないとすれば、商品の価格は価値の低落する場合にのみ一般的に低落し、また商品価値に変化がないとすれば、貨幣価値が昂騰する時にのみ一般的に低落し得る。

斯く言えばとて、貨幣価値の高騰に比例して商品価格が低落し、貨幣価値の低落に比例して商品価格が昂騰するということには決してならぬ。

これは価値の不変なる商品についてのみ言い得ることである。

例えば貨幣価値の昂騰と同時に同一の比例を以って価値の昂騰する商品にあっては、価格は変化することがない。

若しこの商品の価値が貨幣価値よりも緩慢又は迅速に昂騰するとすれば、その商品の価格の昂騰又は低落は、その商品の価値運動と貨幣の価値連動との差に依って決定されることになり、以下準じて行くのである。

商品価格が全般的に上昇しうるのは、貨幣価値が変わらなければ、商品価値が上がる場合だけ、商品価値が変わらなければ、貨幣価値が下がる場合だけである。

逆に、商品価格が全般的に低下しうるのは、貨幣価値が変わらなければ、商品価値が下がる場合だけ、商品価値が変わらなければ、貨幣価値が上がる場合だけである。

それゆえ、貨幣価値の上昇はそれに比例する商品価格の低下を引き起こし、また、貨幣価値の低下はそれに比例する商品価格の上昇を引き起こすということには決してならない。

そういうことは、ただ、価値の変わらなかった商品についてだけ言えることである。

たとえば、その価値が貨幣価値と同時にかつ同じ程度に上がる商品は、同じ価格を維持する。

もしも商品の価値が貨幣価値よりもゆっくり上がるかまたは速く上がるかすれば、商品価格の低下または上昇は、商品の価値変動と貨幣の価値変動のとの差によって規定される、等々。

182

これより価格形態の考察に論を戻そう。

さて、価格形態の考察に戻ろう。

183

金属重量の貨幣名は本来の重量名から次第に分離されるのであるが、その様々な原因の中、歴史的に決定的なものを挙ぐれば左の通りである。——

(一)発達程度のヨリ低き民族に外国貨幣が輸入されること(例えば古代ローマの金銀貨は、最初外国商品として流通していたものである)。斯かる外国貨幣の名称は、国内に行われる重量名とは異っている。

(二)富が発達するにつれ、ヨリ下級の貴金属はヨリ高級の貴金属に依って、即ち銅は銀に依り、銀は金に依って価値尺度たる機能を奪われる。尤もこの順序は、一切の詩的年代順と著しく矛盾するところがあるかも知れぬ(五十六)。一例を挙ぐれば、ポンド は元来、現実に於ける一封度ポンド の銀に対する貨幣名であった。然るに価値尺度としての金が銀を駆逐するや否や、この磅なる名称は金対銀の比例の如何に従って、十五分の一封度又はその他の重量の金に附せられることとなった。斯様にして貨幣名としての磅と、金の通例の重量名としての封度とは、相互分離されることになったのである(五十七)。

(三)数世紀の久しきに亙って持続された王侯に依る不純貨幣の鋳造。これがため、鋳貨の本来の重量の中から、実際のところその名称だけが後世に遣されることとなったのである(五十八)。

金属重量の貨幣名は、様々な原因から、それらの最初の重量名から次第に離れる。

なかでも、歴史的に決定的なのは、次の原因である。

)發展程度の低い諸国民のもとへの外国貨幣の導入。

たとえば、古代ローマにおいては、金鋳貨と銀鋳貨は、最少はまず外国商品として流通した。

これらの外国貨幣の呼称は、国内の重量名とは異なっている。

(ニ)富が發達するにつれて、低級な貴金属は高級な貴金属によって、すなわち銅は銀によって、銀は金によって、価値尺度機能から押しのけられる──たとえこの順序があらゆる詩的年代記()と矛盾していようとも(56)。

たとえば、ポンドは、現實の1ポンドの銀を表す貨幣名であった。

金が価値尺度としての銀を駆逐するやいなや、同じ呼称が、金と銀との価値比率に従って、おそらく1/15ポンドなどという金につけられる。

貨幣名としてのポンドと、金の慣習的な重量名としてのポンドとは、いまや分離される(57)。

)何世紀にもわたって、続けられてきた王侯による貨幣の変造。

これによって、鋳貨の元来の重量からは、実際にその呼称だけが残されることになった(58)。

184

この史的行程に依って、金属重量の貨幣名を通例の重量名より分離せしむる事実は各民族の習慣となるのである。

元来、貨幣標準なるものは、一方から言えば純粋に伝習的のものであり、他方から言えば普遍的に通用することを必要とするものでもあるから、結局は法律に依って規定されることになって来る。

斯様にして例えば、一オンスの金というが如き一定重量の貴金属は、政府の力に依って若干の可除部分に分割され、 これらの部分はポンドドルその他の法定名を与えられることになる。

これらの可除部分は斯くして貨幣の真の尺度単位となるのであるが、 それがまた更らにシリングペンスその他の如き法定名を有する他の可除部分に細分される(五十九)。

一定の金属重量が金属貨幣の標準たることには変化がない。

変化したのは、可除部分に分割されたことと、名称を附せられたこととの二点である。

こうした歴史的過程は、金属重量での貨幣名とその慣習的重量名との分離を世の習わしにする。

貨幣の度量基準は、一方では純粋に慣習的であり、他方では一般妥当性を要求するので、最終的には法律によって規制される。

貴金属の一定の重量部分、たとえば1オンスの金が、公的には可除部分に分割されて、ポンド、ターレルなどのような法定の洗礼名を受け取る。

そのときに、貨幣の本来の度量単位として通用することになるこのような可除部分は、さらに下位の可除部分に細分されて、シリング、ペニーなどのような法定の洗礼名を受け取る(59)。

一定の金属重量が金属貨幣の度量基準であることに変わりはない。

変えられたのは、分割と命名だけである。

185

価格、換言すれば商品価値の観念的転形たる金量は、今や貨幣名を以って、貨幣標準の法律上有効なる計算名の以って、言い現されることになる。

その結果、イギリスでは、一クォターの小麦は一オンスの金に等しいとはいわず、三磅十七志十片半に等しいということになる。

この様に、商品は貨幣名を以って自己が幾許に値しているかを語ることになるのであって、物を価値として、換言すれば貨幣形態を以って、確定する必要の生じた場合には、貨幣はつねに計算貨幣として役立つのである(六十)。

したがって、いまや、諸価格、すなわち諸商品の諸価値が観念的に転化されている金分量は、貨幣名、または金の度量基準の法律的に有効な計算名で表現される。

したがって、1クォーターの小麦は1オンスの金に等しいと言う代わりに、イギリスでは、それは3ポンド・スターリング17シリング10と1/2ペンスに等しいと言うであろう。

こうして、諸商品は、それらがどれだけに値するかを、それらの貨幣名で語り、貨幣は、ある物を価値として、それゆえ貨幣形態で、固定する必要があるときにはいつでも、計算貨幣として役立つのである(60)。

186

物の名称は、物の性質から言えば全く外部的のものである。

或人の名がヤコーブだということを知っても、その人について何も知ったことにはならぬ。

同様に、磅、弗、フラン、デゥカート、その他の貨幣名に於いては、価値関係の一切の痕跡が消滅している。

加うるに、貨幣名なるものは、商品の価値を言い現わすと同時に、また貨幣標準たる金属重量の可除部分をも言い現す物であるから、貨幣名という幽玄的表章の隠れたる意味は、 愈々いよいよ以って解らなくなって来る(六十一)。

他方にまた、価値を商品界の雑多なる現物体から区別するためには、それが斯かる無概念的に物的にして且つ単純に社会的なる形態9を採るようになることが必要である(六十二)。

ある物の名称は、その本性にとってまったく外的なものである。

ある人の名がヤコブであると知っても、私はその人物のついては何もわからない。

同じように、ポンド、ターレル、フラン、ドゥカートなどの貨幣名においては、価値關係のすべての痕跡が消え失せている。

これらの秘教的カバラ的章標の奥義をめぐる混乱は、 貨幣名が商品の価値を表現すると同時に、ある金属重量の、すなわち貨幣の度量基準の、可除部分をも表現するだけに、なおさら大きくなる(61)。

他方、価値が、商品世界の多種多様な身体から区別されて、没概念的で物的な、しかしまた、まったく社会的なこの形態に達するまで發展し続けるということは、必然的である(62)。

187

価格とは、商品に対象化された労働の貨幣名である。

されば商品はその価格を構成するところの貨幣量に等しいと説くことは、一の重要であって、一商品の相対的価値表章なるものは、総じて二商品間の投下関係を言い現すことになるのである(六十三)。

だが価格なるものは、商品価値量の指標たる資格に於いて同時にまた商品対貨幣の交換比例の指標であるとはいえ、反対に商品対貨幣の交換比例の指標は、必ずしも商品価値量の指標でなければならぬということにはならない。

いま、同じ大さの社会的に必要なる労働が、一クォターの小麦と二磅の貨幣(約半オンスの金)とに表現されるとすれば、この二磅は一クォターの小麦の価値量の貨幣表章、換言すればその価格である。

ところで若しこの価格を三磅にすることを許すか、又は一磅にすることを余儀なくせしめる事情が生じたとすれば、この一磅と三磅とは、小麦の価値量の表章としては余りに小さく余りに大きいものになるとはいえ、それが小麦の価格たることに変わりはないのである。

なぜならば、それは第一に小麦の価値形態卽ち貨幣であり、第二に小麦対貨幣の交換比例の指標となっているからである。生産条件又は労働の生産力が不変であるとすれば、一クォターの小麦を再生産するには、依然同一量の社会的労働時間が支出されねばならぬ訳であって、この事情は小麦小麦生産者の意志にも、他の商品所有者の意思にも懸るものではない。

価格は、商品に対象化された労働の貨幣名である。

それゆえ、商品と貨幣分量——この貨幣分量の名前が商品の価格である——とが等価である、というのは同義反復である(63)。

ちょうど、一般に、一商品の相対的価値表現は常に二つの商品の等価性の表現であるというのが同義反復であるように。

しかし、商品の価値の大きさの指標としての価格が、その商品の貨幣との交換比率の指標であるとしても、逆に、商品の貨幣との交換比率の指標が必然的に商品の価値の大きさの指標であるということにならない。

仮に、等しい大きさの社会的必要労働が、1クォーターの小麦と2ポンド・スターリング(約1/2オンスの金)とによって表されているとしよう。

2ポンド・スターリングは、1クォーターの小麦に3ポンド・スターリングの値段をつけることが許されるか、あるいは、それに1ポンド・スターリングの値段をつけることを余儀なくされるならば、1ポンド・スターリングと3ポンド・スターリングとは、1クォーターの小麦の価値の大きさの表現としては、小さすぎるか、または大きすぎるかのどちらかであるが、それにもかかわらず、それらはこの小麦の価格である。

というのは、第一に、それらはこの小麦の価値形態、すなわち貨幣であり、第二に、小麦の貨幣との交換比率の指標だからである。

生産諸条件が変わらない限り、すなわち労働の生産力が変わらない限り、1クォーターの小麦を生産するためには、相変わらず等しい量の社会的労働時間が支出されなければならない。

この事情は、小麦生産者の意思にも、他の商品所有者たちの意思にも、かかわりない。

188

要するに、商品の価値量なるものは、商品の形成行程に内在しているところの、社会的労働時間に対する必然的の一関係を言い現すものであって、価値量が価格に転化された時、この必然的関係は商品とその外部に存在する貨幣商品との間の交換比例として現れる。

だが、この交換比例に於いては、商品の価値量と同様にまた、与えられたる事情のもとにその商品が譲渡されるところの価値よりもヨリ大、若しくはヨリ小なる価値が言い現せ得る。

斯くの如く、価格と価値大小との量的不一致を生ぜしめ、前者をして後者よりも大又は小ならしむる可能は、価格形態それ自身の内部に存在しているのであるが、これは決して価格形態の欠点ではなく寧ろこれがあるが故に、価格形態は規律が無規律の盲目的に作用する平均率としてのみ貫徹され得るところの生産方法に適応した形態となるのである。

したがって、商品の価値の大きさは、社会的労働時間に對する、一つの必然的な、この商品の形成過程に内在する關係を表現する。

価値の大きさの価格への転化とともに、この必然的な關係は、一商品とその商品の外部に実存する貨幣商品との交換比率として現れる。

しかし、この比率においては、商品の価値の大きさが表現されうるのと同じように、与えられた事情のもとでその商品が譲渡される際の価値の大きさとの量的不一致の可能性、または価値の大きさから価格が背離する可能性は、価格形態そのもののうちにある。

このことは、価格形態の欠陥ではなく、むしろ逆に、価格形態を、一つの生産様式に——規律が、盲目的に作用する無規律性の平均法則としてのみ自己を貫徹しうる一つの生産様式に——適切な形態にするのである。

189

だが、価格形態なるものは、単に価値量と価格と、換言すれば価値量と価値量それ自身の貨幣表章との間に於ける量的不一致を可能ならしむるのみでなく、また一の質的矛盾をも宿し得る。

即ち、貨幣は商品の価値形態に他ならないのに、価格はもはや総じて価値表章では無くなる。

斯くて例えば良心、名誉等の如き、それ自体としては何等商品でもないものが、貨幣を目的として販売に附せられ、その価格を通して商品形態を与えられ得る。

斯くの如く、物は価値を有せずして、形式的に価格を有し得るのである。

この場合、価格表章なるものは、数学上の一定の数量と同様に仮定的のものとなる。

他方に、何等の人間労働も対象化されて居らない故に何等の価値をも有することなき未墾地の価格のような仮定的の価格形態も、現実的の価値関係又はその派生的関係を宿し得るのである。

ところが、価格形態は、価値の大きさと価格との、すなわち価値の大きさとそれ自身の貨幣表現との量的不一致の可能性を許すばかりでなく、一つの質的な矛盾——貨幣は諸商品の価値形態に他ならないにもかかわらず、価格がそもそも価値表現であることをやめるに至るほどの矛盾——をも宿しうる。

それ自体としては、商品でない諸々の物、例えば良心、名誉などが、 その所有者によって貨幣かねで売られるものとなり、こうしてその価格を通して商品形態を受け取ることがありうる。

だから、ある物は、価値を持つことなしに、形式的に価格を持つことがありうる。

価格表現は、ここでは、数学上のある種の大きさ〔虚数〕と同じように、想像的な価格形態、例えば、なんの人間的労働もそれに対象化されていないために何の価値も持たない未耕地の価格のようなものも、 ある現實の価値關係、またはそれから派生した関聯かんれんを潜ませていることがありうる。

190

価格なるものは、相対的価値形態一般と同様に、例えば一噸の鉄というが如き一商品の価値を言い現すのに、例えば一オンスの金という如き一定量の等価が直接に鉄と交換し得るという事実を以ってするものであって、反対に鉄の方が直接に金と交換し得るという事実を以ってするものではない。

そこで、商品が実際に交換価値の作用をなすためには、その現物形態を脱却し、単なる仮想的の金から現実的の金に転化されねばならぬことになる。

この転化、この変質作用は、商品にとってはヘーゲルの『概念』にとって必然から自由への推転が、又はウミサリ蟹にとって甲羅の破裂が、教父ヒエロニムスにとって古きアダムの脱却が(六十四)苦しいことである以上に苦しいことであるかも知れないが、それでも、到底避けられぬ条件となっているのである。

相対的価値形態一般がそうであるように、価格がある商品たとえば1トンの鉄の価値を表現するのは、一定分量の等価物、たとえば1オンスの金が鉄と直接に交換されうるということによるのであって、逆に、鉄の方が金と直接に交換されうるということによって表現するのでは決してない。

したがって、商品は、実際に交換価値の作用を果たすためには、その肉のからだ(*1)を脱して、ただ表象されただけの金から現實の金に自己を転化させなければならない。

たとえ、商品にとって、この化体(*2)が、ヘーゲルの「概念」にとって必然から自由に移行すること(*3)よりも、ザリガニが殻を破ることよりも、教父ヒエロニムスにとって古いアダムから脱却すること(64)(*4)よりも「いっそうつらいこと」であろうとも。

191

商品はその現実的形態たる例えば銀の如きもの以外に、尚、価格に於いて観念的の価値形態、即ち仮想的の金形態を有し得る。

が、商品は現実的に鉄でもあり、金でもあるといいう訳には行かぬのである。

商品に価格を附与するには、仮想的の金を商品と等位に置けば十分である。

商品がその所有者にとって一般的等価たる昨日を盡し得るためには、金に依って代置されることを要する。

仮に鉄の所有者が或浮世的商品の所有者の処へ来て、鉄価格を指しながら、これが貨幣形態であると言ったとすれば、浮世的商品の所有者は、天井の聖ペテロが己に向って信仰箇条を読み上げたダンテに答えた如く答えるであろう。——

『かの鉄の純分と目方は十分く吟味してある。

だが言え、君は尚それを懐中ふところぞうしているか否かを。』

商品は、たとえば鉄というような実在的な姿態とならんで、価格という観念的価値姿態、または表象された金姿態を持つことができる。

しかし、商品は、現實に鉄であると同時に現實に金であることはできない。

商品に価格を与えるためには、表象された金を商品い等置すれば十分である。

商品がその所有者のために一般的等価物の役割を果たすためには、商品は金と取り替えられなければならない。

たとえば、鉄の所有者がこの世の欲を満たす(*5)ある商品の所有者の前にやってきて、鉄の価格をさして、これは貨幣形態であると言ったとすれば、この世の欲を満たす商品の所有者は、天国で聖ペテロがけれに向かって信仰個条を暗誦したダンテに答えたとおりに、 答えるであろう──「""この貨幣の純度と重さは、十分にしらべられた。

しかし我に語れ、そなたそれを、おのが財布の中にもっているのか(*6)""」

192

価格形態なるものは、商品が貨幣と交換され得ること、交換されねばならぬことを含んでいる。

他方にまた、金は予め貨幣商品として交換行程内に活動しているが故にのみ、観念的価値尺度として作用するのであって、観念上の価値尺度の下には硬貨が伏在しているのである。

価格形態は、貨幣と引き換えに商品を譲渡する可能性と譲渡する必然性とを含んでいる。

他方、金が観念的価値尺度として機能するのは、金がすでに交換過程において貨幣商品として動き回っているからにほかならない。

だから観念的な価値の尺度のうちには、硬い貨幣が待ち構えている。

(二) 流 通 用 具

3

a 商 品 の 転 形

193

商品の交換行程には、矛盾的にして相排除し合う諸関係が含まれていることは、曩に述べた通りである。

商品が発達しても、これらの矛盾は除去されるものではなく、その運動し得る形態が作り出されるのであって、これが総じて現実的の矛盾を融和させるところの方法となるのである。

例えば、一の物体が絶えず他の物体へ落ち掛る(求心)と同時に、また絶えずそれから離れる去る(遠心)という矛盾がある。

而して楕円形なるものは、この矛盾を実現させると同時にまた融和させる運動形態の一となっているのである。

すでに見たように、諸商品の交換過程は、矛盾し互いに排除し合う諸関連を含んでいる。

商品の發展は、これらの矛盾を取り除くのではなく、これらの矛盾が運動しうる形態を作り出す。

これが、一般に、現實的諸矛盾が自己を解決する方法である。

たとえば、一つ物体が絶えず他の物体に落下し、しかも同時に絶えずそれから飛び去るというのは、一つの矛盾である。

楕円は、この矛盾が自己を実現するとともに解決する運動諸形態の一つである。

194

商品は交換行程に依って、それが使用価値になって居らぬ人の手から使用価値となっている人の手に移転されるのであるが、交換行程なるものは、この意味に於いて社会的代謝機能となるのである。

一の有用労働方法の生産物が他の有用労働方法の生産物にとって代る。

商品はそれが使用価値として役立つ処へ着いたとき、商品交換の部面から消費の部面に移転されるが、この場合我々の興味を引く問題は、寧ろ商品交換の部面のみである。

そこで我々は、この全行程をば形式亭方面から観察することが必要となってくる。

即ち社会的代謝機能を媒介するところの商品形態変化、語を換えていえば商品の転形14のみを観察することが必要となるのである。

交換過程が、諸商品を、それらが非使用価値である人の手から、それらが使用価値である人の手に移行させる限りにおいて、それは社会的素材変換である。

ある有用な労働様式の生産物が他の有用な労働様式の生産物に取って代わる。

商品は、それが使用価値として役立つ場所にひとたび到達すると、商品交換の部面から脱落して消費の部面に入る。

ここで我々が関心を持つのは、前者だけである。

したがって、我々は、全過程を形態の面から、すなわち社会的素材変換を媒介する諸商品の形態変換または変態だけを、考察しなければならない。

195

この形態変化の理解は極めて不十分な状態に止まっているのであるが、それは——檟値概念その者の不明瞭に因るは別として——一商品の凡ゆる形態変化は、普通商品及び貨幣商品なる二商品の交換を通して行われるという事実に因るのである。

ところで若し、一商品が金と交換されたというこの素材的要件のみを念頭に置くとすれば、我々の正に着眼せねばならぬこと、即ち商品形態の上にいかなる現象が生じたかということは看過されることになる。

換言すれば、金は単なる商品としては貨幣でないこと、並びに他の商品はその価格を通して、 自己の貨幣形態としての金に関聯かんれんせしめられるということが看過されることになるのである。

この形態変換の理解がまったく不十分なのは、価値概念そのものがよくわかっていないことを別にすれば、どの商品の形態変換も、二つの商品の、すなわち普通の商品と貨幣商品との、交換において行われるという事情のせいである。

もしも商品と金との交換というこの素材的契機だけに固執するなら、人は、まさに見るべきもの、すなわち形態の上に生じるものを見落とすことになる。

すなわち、単なる商品としての金は貨幣ではないこと、そして、他の商品は、それらの価格において、 諸商品自身の貨幣姿態としての金に自分自身を関聯かんれんさせているということが、見落とされているのである。

196

商品は先ず、鋳金にもされず、砂糖漬にもされず、ありの儘の姿で15交換行程に入り込む。

交換行程に入った時、商品は商品と貨幣とに分化され、商品に於ける使用価値と檟値との内在的対立を表現するところの外部的対立が生じてくる。

この対立に於いて、使用価値としての商品と交換価値としての貨幣とが相対峙するのである。

諸商品は、さしあたりまず、金メッキもされず、糖衣もほどこされず、大得意で交換過程に入る。

交換過程は、商品と貨幣とへの商品の二重化を、すなわち、諸商品がそれらに内在する使用価値と価値との対立をそこに表す外的対立を、生み出す。

この対立においては、使用価値としての諸商品が交換価値としての貨幣に相對する。

197

他方にまた、この対立の両翼は、何づれも商品であり、使用価値と価値との合成である。

然し、相異った物の斯かる合成は、それぞれの極に於いて逆に表現され、斯くすることに依ってまた両極の相互関係を表現する。

商品は現実的には使用価値である。

商品の価値性は、単なる観念的のものとして価格に現われる。

商品は価格に依って、自己の現実的価値形態としての対極たる金に関連せしめられる。

反対に、物質としての金は、檟値体現物としての貨幣として作用するに過ぎぬ。

それは現実に於いて交換価値なのである。

その使用価値は単なる観念的のものとして、各相対的価値表章の連系の上に現れる。

これらの相対的価値表章に於いて、物質としての金はその現実的なる各使用形態を総括せるものとしての対立諸商品に関連せしめられる。

商品の斯かる対立的形態は、商品交換行程の現実的運動形態を代表するものである。

他方、この対立の両側は商品であり、したがって使用価値と価値との統一である。

しかし、区別のこの統一は、両極のそれぞれに逆に〔区別されて〕自己を表しており、そうすることによって同時に両者の相互関連を表している。

商品は、実在的には使用価値であり、その価値存在は、価格の中に、ただ観念的に現れるにすぎない。

この価格によって商品はその実在的な価値姿態としての、対立する金と関連させられる。

逆に、金材料は、価値の体化物としてのみ、貨幣としてのみ意義を持つ。

それゆえ、金は、実在的に交換価値である。

その使用価値は、一連の相対的価値諸表現の中に、やはりただ観念的に現れるにすぎないのであり、この一連の相対的価値表現の中で、 金は、その実在的な使用諸姿態の全範囲である、対立する諸商品と関聯かんれんさせられる。

諸商品のこれらの対立的な形態が、諸商品の交換過程の現實的な運動諸形態なのである。

198

これより、何等かの商品所有者、例えばお馴染みのリンネル機織業者にともないて、交換行程の舞台なる商品市場に行こう。

彼れの商品は二十ヤールのリンネルであるが、その価格は予め決定されている。

即ち二磅である。

彼れはこのリンネルを以って二磅と交換する。

彼れは律儀な男であるから、この二磅を以って更らに同じ価格の家庭用バイブルと交換する。

斯くの如く、彼から見れば、単に商品であり価値負担者であるに過ぎなかったリンネルは、その価値形態なる金と交換され、それから更らに他の一商品なるバイブルと交換されるのであるが、このバイブルは使用対象として彼れの家庭内に持ち込まれ、其処で家庭強化の欲望を満たすことになるのである。

さて、我々は、誰かある商品所有者、たとえばわがおなじみのリンネル織布者と連れ立って、交換過程の舞台である商品市場に行くことにしよう。

彼の商品、20エレのリンネルは、価格が決められている。

その価格は2ポンド・スターリングである。

彼はそれを2ポンド・スターリングと交換し、そして実直者の彼は、この2ポンド・スターリングをふたたび同じ価格の家庭用聖書と交換する。

彼にとって商品すなわち価値の担い手にすぎないリンネルが、それの価値姿態である金と引き換えに譲渡され、さらにこの姿態から、もう一つの商品、すなわち聖書と引き換えにふたたび譲渡される。

そして、その聖書は使用対象として織布者の家に入り、そこで信仰欲望を満たすことになる。

199

商品の交換行程なるものは斯くの如く、相互に対立し補充し合うところの二転形16なる商品から貨幣への転形と、貨幣から商品への再転形とを通して行われることになる(六十五)。

商品転形の要素となるものは、即ち商品所有者の行為なる販売(商品を以って貨幣と交換すること)及び購買(貨幣を以って商品と交換すること)と、これら両行為の合成たる購買を目的とする販売とである。

こうして、商品の交換過程は、相対立し、かつ互いに補い合う二つの変態──商品の貨幣への転嫁と貨幣から商品への再転化──において、行われる(65)。

商品変態の諸契機は、同時に、商品所有者の諸取引──販売、すなわち商品の貨幣との交換、購買、すなわち貨幣の商品との交換、、および、両行為の統一、すなわち買うために売る──である。

200

いま、リンネル機織業者の立場からこの取引の最終の結果を見るに、彼れの手にはリンネルの代りにバイブルがある。

卽ち最初の商品の代わりに、価値は等しいが、有用性は異っている他の商品が、彼れの手に帰しているのである。

彼れは同様にして、他の生活資料や生産機関をも占有するのであって、彼れの立場から見れば、この全行程は彼れの労働生産物と他人の労働生産物との交換を、生産物交換を媒介するものに過ぎぬ。

さて、このリンネル織布者が取引の最終結果をよく調べてみると、彼は、リンネルの代わりに聖書を、すなわち彼のもともとの商品の代わりに、価値は同じだが有用性の異なる別の商品を、所有している。

同じ仕方で、彼は、彼のその他の生活手段や生産手段を手に入れる。

彼の立場からは見れば、全過程は、彼の労働生産物と他人の労働生産物との交換、すなわち生産物交換を媒介するにすぎない。

201

卽ち商品の交換行程なるものは、左の形態変化を以って行われることになるのである。

商品貨幣商品

WGW

したがって、商品の交換過程は、次のような形態変換において行われる。

商品-貨幣-商品

W - G - W

202

この運動は、素材的内容の方面から観察すれば、W-W 卽ち商品と商品との交換であり、社会的労働の代謝機能である。

而してこの代謝機能が結末に達したとき、行程それ自身が終局を告げるものである。

この運動は、その素材的内容からすれば、W - W すなわち商品と商品との交換であり、社会的労働の素材変換であり、その結果の中では過程そのものが消え失せている。

203

W-G(商品の第一転形、卽ち販売)。

商品価値が商品の現物体からの金の現物体へ躍り込むことは、私がかつ て他の処で言った如く商品の命がけの飛躍18である。

若しこの飛躍が失敗に終わるとすれば、それは商品にとっては痛手ではないが、商品所有者にとっては確かに痛手となるのである。

社会的分業は彼れの欲望を多方面ならしめると同時に、また彼れの労働を一局面にかたよせせしめる。

これがため、彼れの生産物は、彼から見れば交換価値として役立つに過ぎなくなるのである。

然るにこの生産物は貨幣を通してのみ、社会的に妥当なる一般的等価形態を与えられる。

而も貨幣は他人の懐ろにあるので、これを他人の懐ろから引出すためには、商品は先づ貨幣所有者にとって使用価値であることを要する。

換言すれば、商品の生産に支出された労働は社会的に有用な形態で支出されたものであること、卽ち社会的分業の一節たる事実を示すものであることを要する。

換言すれば、商品の生産に支出された労働は社会的に有用な形態で支出されたものであること、卽ち社会的分業の一節たる事実を示すものであることを要する。

然るに分業なるものは、原生的の生産組織体19であって、その繊維は生産者の背後に於いて織り成されたものであり、尚引続き織り成されているのである。

交換せらるべき商品は恐らく、新たに生じた欲望の充足を標榜するか、又は自力を以って新たなる欲望を呼び起こそうとする、何等かの新たなる労働方法の生産物であるかも知れぬ。

昨日までは同じ商品生産者の数多き機能の一であった特殊の一作業も、今やこの関連から引き離されて自立し、斯くすることに依ってまた、その部分生産物をば独立した商品として市場に送り出すということもあろう。

四囲しいの事情がこの分離行程を実現せしめる程に成熟している場合もあろうし、然らざる場合もあろう。

今日一の社会的欲望を充たしている生産物も、明日は他の類似種類の生産物に依って、全部的又は一部的にその地位を奪われることがあるかも知れぬ。

W - G。商品の第一の変態または販売。

商品価値が商品のからだからの金の体に飛び移ることは、私が別のところで(*1)名付けたように、 商品の"命がけの飛躍サルト・モルターレ"である。

この飛躍に失敗すれば、なるほど商品は打撃を受けないかもしれないが、商品所有者は確かに打撃を受ける。

社会的分業は、彼の欲求を多面的にするのと同じ度合いで彼の労働を一面的にする。

それだからこそ、彼の生産物は彼にとって交換価値としてしか役立たないのである。

しかし、彼の生産物が、社会的に通用する一般的な等価形態を受け取るのは、ただ貨幣においてだけであり、しかもその貨幣は他人のポケットの中にある。

貨幣をそこから引き出すためには、商品は、何よりもまず、その貨幣所有者にとっての使用価値でなければならない。

したがって、その商品に支出された労働は、社会的に有用な形態で支出されていなければならない。

言い換えれば、その労働は、社会的分業の一分岐であることを実証しなければならない。

しかし、分業は、自然發生的な生産有機体であり、その網の目は、商品生産者たちの背後で織られたものであり、また引き続き織られつつある。

ひょっとすると、この商品は、ある新しい労働様式の生産物であり、新しく生じた欲求を満たそうとするか、またはこれから自力である欲求を呼び起こそうとしているのかもしれない。

昨日まではまだ同一の商品生産者の多くの機能のうちの一つであったある特殊な作業が、ひょっとすると、今日はこの繋がりから分離し、自立して、そのために、その部分生産物を独立の商品として市場に送り出すかもしれない。

この分離過程のために、事情が熟していることも、熟していないこともあるであろう。

その生産物は、今日はある社会的欲求を満たしている。

ひょっとすると、明日は、その全部または一部が、似たような種類のある生産物によってその場所を追われるかもしれない。

204

そこでリンネル機織工の労働の如きが、仮りに社会的分業の公認された一節20であるとしても、単にそれだけのことで、彼れの生産物たる二十ヤールのリンネルの使用価値が保証される訳ではない。

リンネルに対する社会的欲望も他の凡ゆる欲望と同様に定限を有しているものであるが、若しこの欲望が競争者たる他のリンネル機織業者の生産物に依って既に充たされているとすれば、 さきの機織業者の生産物は過多となり、余冗となり、随って無用のものとなってしまう。

夏も小袖という諺はあるが、彼れはその生産物を小袖にする目的で市場を往来するものではない。

だが仮りに、彼れの生産物が使用価値たる実を示し、斯くすることに依って貨幣を吸引したとしても、次には、幾許の貨幣が吸引されたかということが問題となる。

その答は既に、商品価値量の指標たる価格の中に予想されていることは確かである。

尤も商品所有者側に於ける純主観的の誤算も考慮に入れねばならぬ訳ではあるが、斯かる誤算は市場に於いて即時客観的に訂正されるものであるから、茲では措いて問はないことにする。

彼れはその生産物の為に、社会的に必要なる平均労働時間のみを支出した筈であるから、彼れの商品の価値はその商品に対象化されている社会的勞動量の貨幣名に外ならぬ訳である。

然るに彼れの認諾もなく、背後に在って、リンネル機織業に於ける旧来の生産条件は変化を遂げる。

斯くて昨日までは、リンネル一ヤールの生産上疑いもなく社会的に必要なる労働時間であったものが、最早そうではなくなるのであって、それは貨幣所有者が種々なる競争リンネル機織業者の相場表について熱心に論証せんとするところである。

曩のリンネル機織業者にとって不幸なことには、この世の中には彼れの外にも尚沢山のリンネル機織業者が存在しているのである。

仮に労働が、我がリンネル織布者の労働のように、社会的分業の特許を受けた一分岐であるとしてもまだそれだけで、他ならぬ彼の20エレのリンネルの使用価値が保証されているわけでは決してない。

リンネルに對する社会的欲求が——しかも、この欲求も、他のすべての社会的欲求と同じく限度を持っている——彼の競争相手のリンネル織布者によってすでに満たされているとすれば、我が友の生産物は、過剰となり、余分となり、したがって無用となる。

もらった馬の歯を見るな(*2)というが、彼は贈り物をするために市場に赴くのではない。

しかし、仮に彼の生産物の使用価値が実証され、それゆえ、貨幣が商品によって引き寄せられるとしよう。

ところが、今度は、どれだけの貨幣が?という問題が生じる。

答えは、もちろん、商品の大きさの指標である商品の価格のうちに予想されている。

我々は、商品所有者の犯しかねない純粋に主観的な誤算は無視しよう。

それは、市場で直ちに客観的に訂正されるのである。

彼は、彼の生産物に、社会的に必要な平均労働時間だけを支出したとしよう。

したがって、この商品の価格は、この商品に対象化されている社会的労働分量の貨幣名にほかならない。

ところが、我がリンネル織布者の許しも得ずに、また彼の背後で、古くから保証されてきたリンネル織布業の生産諸条件が激変した。

昨日までは、疑いもなく、1エレのリンネルを生産するのに社会的に必要な労働時間であったものが、今日はそうではなくなる。

そのことは、貨幣所有者が我が友の様々な競争相手たちのつける値段表からこのうえなく熱心に立証する通りである。

彼にとって不幸なことに、世間にはたくさんの織布者がいるのである。

205

最後に、市場に在る如何なる一反のリンネルも、社会的に必要なる労働時間のみを含むものと仮定しよう。

斯く仮定しても、これらの各反の総和は、余分に支出された労働時間を含みうるのである。

若し市場の胃腑が、一ヤール当り二志の平準価格ではリンネルの全部を吸収し得るものでないとすれば、これ取りも直さず、社会的労働時間中の余りに大きな部分がリンネル機織業の形で支出されたことになり、その結果は、個々のリンネル機織工がその各の生産物に対して社会的に必要なる労働時間以上を支出した場合と異なるところはないであろう。

諺に共に捕われた者は共に馘らるというのは、このことである。

市場に存在する一切のリンネルは単なる商品と見做され、その各反は全体の可除部分とされるに過ぎぬ。

而してまた実際のところ、各一ヤールの価値は、同質なる人間労働の、社会的に決定された同一量を体化せるものに外ならぬのである。

最後に、市場に出回っているリンネルのどの一片にも、ただ社会的に必要な労働時間だけが含まれているものと仮定しよう。

それにもかかわらず、これらのリンネル片の総計が過剰に支出された労働時間を含むことがありうる。

もし市場の胃袋がリンネルの総量を、1エレ当たり2シリングの標準価格で吸収できないならば、そのことは、社会的総労働時間のあまりにも大きな部分がリンネル織布業の形態で支出されたということを証明している。

その結果は、ちょうど、一人一人のリンネル織布者が彼の個人的生産物に社会的に必要な労働時間以上の労働時間を費やしたのと同じことである。

この場合には、ともに捕われ、ともに縛り首にされる〔ドイツの諺。「死なばもろとも」の意〕、ということになる。

市場にあるすべてのリンネルは一つの取引品としてしか通用せず、その各片はそれの可除部分としてしか通用しない。

そして、事実、どの1エレの価値も、同等な人間的労働の社会的に規定された同じ分量(*3)の体化物にほかならないのである。

206

かように、商品は貨幣を恋しているが、『まことの恋路は滑らかではない』24のである。

社会的生産組織体はその分散せる組成部分を分業の体系に表現するものであって、この組織体の量的編成は、質的編成と同じく原生的に偶然的のものである。

斯くて商品所有者たちは次の事実を発見することになる。

即ち、彼等を独立した私的生産者たらしめる分業はまた、社会的生産行程とこの行程に於ける彼等相互の関係とを彼等自身から独立したものとなし、且つ人々相互の独立を補充するに、全般的なる物的相互倚存の一体形を以ってするということが、それである。

こうして、商品は貨幣を恋い慕うが、「”まことの恋が平穏無事に進んだためしはない(*1)”」。

分業体系のうちにその”引き裂かれたる四肢(*2)”を示している社会的生産有機体量的編成は、その質的編成と同じく、自然發生的・偶然的である。

それゆえ、わが商品所有者たちは、彼らを独立の私的生産者にするその同じ分業が、社会的生産過程と、この過程における彼らの諸關係とを彼ら自身から独立のものとすること、諸人格相互の独立性が全面的な物的依存の体制によって補完されていること、を見出すのである。

207

分業は労働生産物を商品に転化し、斯くすることに依ってまた、労働生産物の貨幣化を必要ならしめる。

同時にまた、分業はこの変質作用22の成否如何を偶然に懸らしめるのである。

だが、茲では現象を純粋の形で考察すべきであるから、その順当な進行を仮定せねばならぬ訳である。

尚また、この現象が兎もかく進行して、商品が販売不可能となることがないとすれば、その場合商品の形態変化は絶えず行われてゆく。

尤も変則的には、この形態変化の進行中に実体たる価値量が喪失された理、追加されたりすることはあるかも知れぬ。

分業は、労働生産物を商品に転化させ、そうすることによって、労働生産物の貨幣への転化を必然にする。

同時に、分業は、この全質変化()が成功するかどうかを偶然にする。

とはいえ、ここでは、現象を純粋に考察しなければならず、それゆえその正常な進行を前提しなければならない。

いずれにせよ、およそ過程が進行するならば、したがって、商品が売れなくなるのでない限り、商品の形態変換ははつねに行われる。

もっとも、異常な場合には、この形態変換において實體じったい──価値の大きさ──が減らされたり増やされたりすることはあるだろうが。

208

一方の商品所有者に在っては金がその商品に取って代り、他方の商品所有者に在っては商品がその金に取って代る。

この場合に於ける明瞭な現象は、商品と金、即ち二十ヤールのリンネルと二磅の金貨との間に、所有者の変換が、位置の変換が行われるということ、換言すればこれらの物が交換されるということである。

だが、商品は何と交換されるか?

曰く、それ自身の一般的価値形態と。

また、貨幣は何と交換されるか?

曰く、それ自身の使用価値の特殊な一形態と。

金は何故、貨幣としてリンネルに対立するか?

曰く、二磅という価格即ち貨幣名を通して、リンネルは既に貨幣としての金に関連せしめられているからである。

本来の商品形態の脱却は、商品が譲渡されて、その使用価値が価格に於いては仮想的にのみ存在していた金を現実的に吸引する瞬間に行われるものであるから、商品の単なる観念的価値形態たる価格の実現は、同時にまた、その反対たる貨幣の単なる観念的使用価値の実現であり、商品の貨幣化は、同時にまた、貨幣の商品化であるということになる。

即ち単一の行程も実は二重の行程であって、商品所有者の極から見れば販売である行程が、貨幣所有者の反対の極から見れば購買であるということになる。

換言すれば、販売は購買でもあり、W-G は G-W でもあるということになる(六十六)。

一方の商品所有者にとっては、金が彼の商品にとって代わり、他方の商品所有者にとっては商品が彼の金にとって代わる。

一目瞭然な現象は、商品と金との、20エレのリンネルと2ポンド・スターリングとの、持ち手変換または場所変換、すなわちそれらの交換である。

しかし、商品はなにと交換されるのか?それ自身の一般的価値姿態と、である。

なぜ金はリンネルに貨幣として相對するのか?なぜなら、2ポンド・スターリングというリンネルの価格またはリンネルの貨幣名が、 すでにリンネルを貨幣としての金に関聯かんれんさせているからである。

もともとの商品形態からの脱皮エントオイセルングは、 商品の譲渡フェアオイセルングによって、すなわち、商品の価格においてただ表象されているだけの金を、その商品の使用価値が現實に引き寄せる瞬間に、なしとげられる。

それゆえ、商品価格の実現、あるいは商品の単に観念的なだけの価値形態の実現は、同時に、逆に、貨幣の単に観念的なだけの使用価値の実現であり、商品の貨幣への転化は、同時に貨幣の商品への転化である。

同じ一つの過程が二面的な過程なのであり、一方の極、商品所有者からは販売であり、対局、貨幣所有者からは購買である。

言い換えれば、販売は購買であり、W - G は同時に G - W である(66)。

209

以上の説明に於いては、単に商品所有者間の関係、卽ち彼等が自己の労働生産物を手放すことに依ってのみ他人の労働生産物を占有するという関係だけを念頭に置いたのであって、それ以外には人類の何等の経済的関係を知るところがなかった。

斯かる関係のもとに於いては、一方の商品所有者は自己の労働生産物が本来貨幣形態を有している金などの如き貨幣材料であるか、又は彼れ自身の労働生産物が既に脱皮して本来の使用価値形態を脱却したかの、いづれかの理由に依ってのみ、貨幣所有者として他の商品所有者に対立し得るに過ぎぬ。

金は貨幣たる機能をつくす為には、何処かの点から商品市場に入らねばならぬことは言うまでもない。

卽ちその生産所が商品市場となるのであって、此処で金は直接の労働生産物として価値の等しい他の労働生産物と交換される。

が、この瞬間以後、金は常に実現され商品価格を代表することになるのである(六十七)。

われわれは、これまでのところでは、商品所有者たちの経済的關係──自分の労働生産物を手放すこといによってのみ、他人の労働生産物を手に入れるという關係──以外の人間の経済的關係を全く知らない。

だから、ある商品所有者に別の商品所有者が貨幣所有者として相對することができるのは、ただ、彼の労働生産物が生まれながらにして貨幣形態を持っており、したがって金などののような貨幣材料であるからか、さもなければ、彼自身の商品がすでに脱皮をとげそのもともとの使用形態を脱ぎ捨てているからか、のどちらかにほかならない。

金は、貨幣として機能するためには、当然どこかの地點で商品市場に入らなければならない。

この地點は金の産源池にあり、そこにおいて金は、直接的労働生産物として同じ価値を持つ他の労働生産物と交換される。

だが、この瞬間から、金はつねに実現された商品価格を表す(67)。

210

金がこの生産所で他の商品と交換されるという問題は暫くき、 如何なる商品所有者の手に入ったとしても、金は彼れに依って譲渡された商品の転形姿容となり、 商品の第一形態 W-G なる販売の産物となるのである(六十八

金が観念上の貨幣たる価値尺度となったのは、他のあらゆる商品の価値が金を以って秤量され、斯くして金がこれらの商品の使用価値形態の観念的対抗物となり、これらの商品の価値形態となった結果である。

而して金が現実的の貨幣となるのは、他の諸商品がその全般的譲渡に依って金を自己の現実的に転形した使用価値形態たらしめ、斯くしてまた、自己の現実的価値形態たらしめる結果なのである。

商品は価値形態を採ったとき、その原生的使用価値並びに自己の根源たる特殊有用労働の凡ゆる痕跡を喪失して、 区別なき人間労働の画一的な社会体現に蛹化ようかしてゆくのである。

金の産源池での金と商品との交換を別にすれば、金は、どの商品所有者の手中においても譲渡された彼の商品の脱皮した姿態であり、販売すなわち第一の商品変態 W-G の産物である(68

金が観念的貨幣または価値尺度となったのは、すべての商品がそれらの価値を金ではかり、こうして、金をそれらの使用姿態の表象された反対物に、それらの価値姿態にしたからである。

金が実在的貨幣となるのは、諸商品が、それらの全面的譲渡によって、金を諸商品の現實的に脱皮した、あるいは転化された使用姿態にし、それゆえ諸商品の現實的価値姿態にするからである。

商品は、その価値姿態においては、その自然發生的使用価値とその商品を生んでくれる特殊な有用的労働とのあらゆる痕跡を脱ぎ捨て、区別のない人間的労働の一様な社会的体化物へと蛹化している。

211

だから貨幣を見ても、それに転化した商品がどんなものであったかを知ることは出来ぬ。

貨幣状態に於いては、如何なる商品も同じもののように見える。

されば塵芥じんかいは貨幣ではないが、貨幣は塵芥を代表し得るのである。

いま、さきのリンネル機織業者がその商品を販売して得る二個の金貨は、小麦1クォターの転化した形態であると仮定しよう。

リンネルの販売 W-G は、同時にまたリンネルの購買 G-Wである

だが、リンネルの販売としてのこの行程は、その反対なるバイブルの購買を以って終わるところの運動を開始せしめ、リンネルの購買としてのこの行程は、その反対の小麦の販売の以って開始された運動を終了させる。

W-G-W(リンネルー貨幣ーバイブル)の第一段なる W-G (リンネルー貨幣)は、同時にまた (貨幣ーリンネル) であり、還元すれば W-G-W(小麦ー貨幣ーリンネル)なる他の一運動の最終段階でもある。

一の商品が商品形態から貨幣に転化されるという第一転形は、同時にまた、他の商品が貨幣形態から商品に再転化されるという第二の反対転形たることを常とするのである(六十九)。

だから、貨幣を見ても、その貨幣に転化した商品がどのようなものであったかはわからない。

一つの商品は、その貨幣形態においては、他の商品と全く同じに見える。

だから、なるほど糞尿は貨幣ではないけれども、貨幣は糞尿であるかもしれない。

われわれは、わがリンネル織布者がその商品を譲渡して得た二つの金貨は、1クォーターの小麦が転化した姿態であると仮定しよう。

リンネルの販売 W - G は、同時にその購買 G - W である。

だが、リンネルの販売としては、この過程は、その反対の過程、聖書の購買によって終わる一つの運動を始動させる。

リンネルの購買としては、この過程は、その反対の過程、小麦の販売によって始まった一つの運動を終わらせる。

W-G(リンネル-貨幣)、すなわちW-G-W(リンネル-貨幣-聖書)のこの最初の局面は、同時に、G-W(貨幣-リンネル)、すなわちW-G-W(小麦ー貨幣-リンネル)というもう一つの運動の最後の局面である。

一つの商品の第一の変態、すなわち商品形態から貨幣への商品の転化は、つねに同時に、別の商品の第二の対立的な変態であり、貨幣形態から商品へのその商品の再転化である(69

212

G-W (商品の第二転形又は最終形態、即ち購買)。貨幣は他の凡ゆる商品の転形したる姿容であり、他の凡ゆる商品が一般的に譲渡される結果であるが故に、絶対的に譲渡し得るところの商品となるのである。

貨幣は凡ゆる商品の価格を逆に読ませるものであって、一切の商品体は貨幣商品化の忠実なる材料となり、これらの商品体の中に貨幣はそれ自身を反射するのである。

同時にまた、商品が貨幣に送るところの秋波たる価格は、貨幣の転形能力の制限を、貨幣それ自身の分量を示すものとなる。

商品は貨幣となるに及んで消滅するものであるから、貨幣を見ても、それが如何にして所有者の手に帰したのか、又は何がそれに転化したのかを知ることは出来ぬ。

何処から来たにせよ、出処は分からない。

それは一方において販売された商品を代表すると同時に、他方にはまた、購買せらるべき商品をも代表しているのである(七十)。

G-W。商品の第二の、または最後の変態、すなわち購買。──貨幣は、他のすべての商品の脱皮した姿態であり、言い換えれば、それらの一般的譲渡の産物であるから、絶対的に譲渡されうる商品である。

貨幣は、すべての価格を後ろから読み、そうすることによって、貨幣自身が商品に生成するために身を任せる材料であるすべての商品の身体に自己を映し出す。

同時に、諸商品が貨幣に投げかける愛のまなざしである諸価格は、貨幣の転化能力の限界を、すなわち貨幣自身の量を示す。

商品は貨幣への生成のうちに消失するから、貨幣を見ても、どのようにして貨幣がその所有者の手に入ったか、あるいは何が貨幣に転化したかは、わからない。

その起源がなんであろうとも、”貨幣は臭くない()”。

貨幣は、一方では売られた商品を代表するとすれば、他方では買われうる諸商品を代表する(70)。

212

G-W 即ち購買は、同時にまた、W-G即ち販売であって、一商品の最後の転形は、同時にまた他商品の最初の転形となるのである。

曩のリンネル機織業者から見れば、彼れの商品の一生は、彼れが二磅を再転形せしめたバイブルを以って終了するのであるが、このバイブルの販売者は、リンネル機織業者から受け取った二磅を以ってブランデーと交換する。

即ち、W-G-W(リンネル-貨幣-バイブル)の最終転形 W-G は、同時にまた W-GーW(バイブル-貨幣-ブランデー) の第一段 W-G となるのである。

商品生産者はそれぞれ特殊の商品のみを提供するので、これがためその販売は過多に陥ることが屢々ある。

然るに彼れの欲望は多方面に亙っているので、彼れは勢いその実現したる価格即ち売得貨幣をば、絶えず幾多の購買に分割することを余儀なくされる。

斯くの如く、一の売買は、様々な商品の数多き購買に分流するものであって、一商品の最終転形は他の諸商品の第一転形の総和を成すのである。

G-W、すなわち購買は、同時に販売、すなわちW-Gである。

それゆえ、一つの商品の最後の変態は、同時に別の商品の最初の変態である。

わがリンネル織布者にとっては、彼の商品の生涯は、彼が2ポンド・スターリングを再転化した聖書でもって終わる。

しかし、聖書の売り手は、リンネル織布者から受け取った2ポンド・スターリングをウィスキーに換える。

G-W、すなわちW-G-W(リンネル-貨幣-聖書)の最後の局面は、同時に、W-G、すなわちW-G-W(聖書-貨幣-ウィスキー)の最初の局面である。

商品生産者は単一の生産物だけを供給するので、それをしばしば大量に販売するが、他方、彼は、彼の他面的な欲求に迫られて、実現された価格または入手した貨幣額を絶えず多数の購買に分散しなければならない。

だから、一つの販売は、様々な商品の多数の購買になっていく。

こうして、一つの商品の最後の変態は、他の諸商品の最初の諸変態の総和をなす。

213

いま、リンネルという如き一商品の総転形を観察するとき先づ注意に上ることは、これらの転形が相互対立し補充し合うところの二運動 W-G 及び G-W から成るということである。

これらの相対立した二つの商品形態は、商品所有者の相対立した経済的二性質の上に反射される。

彼れは販売する位置に立ったときは販売者となり、購買する位置に立ったときは購買者となる。

然るに如何なる商品転形に於いても、商品の両形態たる商品形態と貨幣形態とは同時に対立した極に存在するものであって、それと同様に、同一の商品所有者も彼れが販売者たる場合には、他の購買者に依って対立され、購買者たる場合には、他の販売者に依って対立される。

同一の商品が商品から貨幣に転化し、貨幣からまた商品に転化するという相対立した

そこで、一つの商品、たとえばリンネルの総変態を考察すれば、まず第一にわかることは、それが互いに対立しつつ補い合っている二つの運動、すなわちW-GとG-Wとから成り立っていることである。

商品のこれら二つの相対立する転化は、商品所有者の二つの相対立する社会的過程において行われ、その商品所有者の二つの相対立する経済的役割に反映される。

商品所有者は、販売の担当者としては売り手になり、購買の担当者としては買い手になる。

しかし、商品のどちらの転化においても、商品の両形態、商品形態と貨幣形態とが、相対立する両極に分かれながらも同時に実存するのと同じように、同じ商品所有者に対して、売り手としての彼には別の買い手が、買い手として彼には別の売り手が、相對する。

同じ商品が二つの相反する転化をつぎつぎに経過し、商品から貨幣になり、また貨幣から商品になるのと同じように、同じ商品所有者が売り手の役割と買い手の役割とを次々に取り替える。

したがって、売り手と買い手とは、決して固定的な役割ではなく、商品流通の内部で絶えず人物を取り替える役割なのである。

14

一つの商品の総変態は、そのもっとも簡単な形態においては、四つの極と三人の”登場人物”とを想定する。

最初に商品にはその価値姿態としての貨幣が相對するが、この価値姿態は、向こう側の他人のポケットの中に物的な堅固な実在性をもっている。

こうして、商品所有者に貨幣所有者が相對する。

次に、商品が貨幣に転化すると、貨幣は商品の一時的等価形態となり、この等価形態の使用価値または内容は、こちら側の他の諸商品体のうちに実存する。

第一の商品転化の終點としての貨幣は、同時に第二の商品転化の出發點である。

こうして第一幕の売り手は第二幕では買い手となり、そこでは彼に対してある第三の商品所有者が売り手として相對する(71)。

(71)
15

商品変態のこれら二つの相反する運動局面は、一つの循環をなしている。

すなわち、商品形態、諸品形態の脱ぎ捨て、商品形態への復帰、がそれである。

もちろん、商品そのものがここでは対立的に規定されている。

商品は、その所有者にとって、出發點においては非使用価値であり、終點においては使用価値である。

同じく、貨幣は、商品が自己を転化させる固い価値結晶としてまず現れ、その後、商品の等価形態として消え失せる。

16

一つの商品の循環をなす二つの変態は、同時に、別の二つの商品の逆の部分変態をなす。

同じ商品(リンネル)がそれ自身の変態の系列を開始し、別の商品(小麦)の総変態を完結させる。

その商品は、その第一の転化である販売の間に、自ら二役を演じる。

これに対して、商品そのものは金のさなぎ の姿でこの世の全ての者がたどる道(を遍歴するが、金の蛹として、その商品は同時にある第三の商品の第一の変態を終わらせる。

こうして、各商品の変態系列が描く循環は、他の諸商品の諸循環と解け難く絡み合っている。

この総過程は、商品流通として現れる。

*〔旧約聖書、ヨシュア、23.14、列王記上、2.2などに由来する成句〕
17

商品流通は、形式的にだけでなく本質的にも、直接的な生産物交換から区別される。

事態の経過をほんの少し振り返ってみよう。

リンネル織布者は、リンネルと聖書と、すなわち自分の商品を他人の商品と、無条件に交換した。

しかし、この現象はただ彼にとって真であるに過ぎない。

冷やすもの〔聖書〕よりも温くする〔ウィスキー〕を好む聖書の売り手は、聖書と引き換えにリンネルを得ようなどとは思ってもいなかった。

それは、ちょうど、リンネルの織布者が、彼のリンネルと交換されたのが小麦であったことなどは知らないのと同じである。

Bの商品がAの商品に取って代わるが、AとBとが彼らの商品を互いに交換し合うのではない。

確かにAとBとが彼らの商品を互いに交換し合うのではない。

確かに、AとBとが互い買い合うこともありうるが、そのような特殊な関連は、決して商品流通の一般的諸關係によって条件づけられてはいない。

こうしてわかるように、商品流通においては、一面では、商品交換が直接的な生産物交換の個人的場所的制限を打ち破り、人間的労働の素材変換を發展させる。

他面では、当事者たちによっては制御不可能な、社会的な、自然的諸連関の全範囲が發展する。

織布者がリンネルを売ることができるのは、農民が小麦をすでに売っているからにほかならず、気短か者が聖書を売ることがで切るのは、織布者がリンネルをすでに売っているからに他ならず、酒造業者が水〔ウィスキー〕を売ることができるのは、別の人が永遠の生命の水(〔聖書〕をすでに売っているからに他ならない、等々。

*〔新約聖書、ヨハネ福音書、4.14〕
18

したがって、流通過程は、直接的な生産物交換と違って、使用価値の場所または持ち手の変換によって消失するものではない。

貨幣は、それが一つの商品の変態系列から最終的に脱落するからといって、消滅するものではない。

貨幣は、商品が立ち退いた流通上の場所に常に沈殿する。

例えば、リンネルの総変態、リンネル-貨幣ー聖書においては、まずはじめにリンネルが流通から脱落して貨幣がリンネルの場所を占め、次いで聖書が流通から脱落して貨幣が聖書の場所を占める。

商品による商品の置き換えは、同時にある第三者の手に貨幣商品を付着させる(72)。

流通は常に貨幣を發汗させるのだ。

この現象はこのように手に取るように明らかであるが、それにも関わらず、経済学者たちによって、ことに俗流自由貿易論者たちによって、大抵見落とされている。

19

どの販売も購買であり、またどの購買も販売であるから、商品流通は諸販売と諸購買との必然的均衡をもたらすというドグマほど、馬鹿げたものはありあえない。

もしそれが、現實に行われる販売の数は現實に行われる購買の数に等しいということを意味するとすれば、それはつまらない同義反復である。

しかし、それは、売り手は彼の商品の買い手を市場に連れてくるということを証明するものとされている。

販売と購買は、二人の対極的に対立する人物、すなわち商品所有者と貨幣所有者との間の相互關係としては一つの同一の行為である。

それらは、同じ人物の行動しては二つの多極的に対立する行為をなす。

だから、販売と購買との同一性は、もしも流通の錬金術的蒸留器 に投げ入れられた商品が貨幣として出てくるのでなければ、すなわち商品所有者の売るところとならず、したがって貨幣所有者によって買われないならば、その商品は無用になるということを含んでいる。

さらに、その同一性は、この過程がもしも成功すれば、それは一つの休止點を、商品の生涯の長いこともあれば短いこともある一時期を成すということを含んでいる。

商品の第一の変態は、販売であると同時に購買であるから、この部分過程は同時に自立した過程である。

買い手は商品を持っており、売り手は貨幣を、すなわち再び市場に現れるのが遅かろうが早かろうが流通可能な形態を保持する一商品を、持っている。

誰も、別の人が買わなければ売ることができない。

しかし誰も、自分自身が売ったからといって、直ちに買う必要なはい。

流通は生産物交換の時間的、場所的、個人的制限を打ち破るが、それはまさに、生産物交換の場合に存在する。

自分の労働生産物の譲渡と他人の労働生産物の入手との直接的同一性が、流通によって販売と購買との対立において対立に分裂させられることによってである。

自立して互いに相対している諸過程が一つの内的な統一をなしているということは、とりもなおさず、これらの過程の内的な統一が外的な諸対立において運動することを意味する。

互いに補い合っているために内的に非自立的であるものの外的な自立化が、一定の點まで進むと、統一が強力的に自己を貫徹する——恐慌によって。

商品に内在的な対立、すなわち使用価値と価値との対立、私的労働が同時に直接に社会的労働としてのみ通用するという対立、物の人格化と人格の物化との対立——この内在的矛盾は、商品変態上の諸対立においてそれの發展した運動諸形態を受け取る。

だから、これらの形態は、恐慌の可能性を、とはいえただ可能性のみを含んでいる。

この可能性の現實性への發展は、単純な商品流通の立場からはまだ全く実存しない諸關係の全範囲を必要とする(73)。

『経済学批判』、74ー76ページ〔邦譯『全集』、第13巻、77ー80ページ〕におけるジェイムズ・ミルについての私の叙述を参照せよ。

この問題については二つの點が経済学的弁護論の方法にとって特徴的である。

第一に、商品流通と直接的な生産物交換との諸区分を単純に捨象することによる両者の同一視。

第二に、資本主義的生産過程のの生産当事者たちの諸關係を、商品流通から生じる簡単な諸關係に解消することにによって、資本主義的生産過程の諸矛盾を否定し去ろうとする試み。

だが、商品生産と商品流通は、その範囲と影響力は異なるとしても、極めて多様な生産様式に属する現象である。

したがって、これら多様な生産様式に共通な、抽象的な、商品流通のカテゴリーだけを知っても、これらの生産様式の”種差”については何もわからないし、それゆえまた、それらに判断を下すことはできない。

経済学以外のどの科学においても、初歩的な自明なことでこれほど大袈裟に勿体ぶることが幅をきかせてはいない。

例えば、J・B・セーは、商品が生産物であることを知っているからという理由で、厚かましくも、恐慌に最終的判定〔全般的な過剰生産恐慌を否認する〕を下そうというのである。

b 貨幣の通流(
*〔英語版翻譯者(ムア及エンゲルス)の注——「この言葉〔currency ドイツ語ではUmlauf〕は、ここでは、その元の意味、すなわち貨幣がたどる過程または経路という意味で使われており、流通〔circulation ドイツ語では Zirkulation〕とは本質的に違う過程である。
1

労働生産物の素材変換が行われる形態変換、WーGーWは、同じ価値が商品として過程の出發點をなし、諸品として同じ點に復帰することを条件づけている。

それゆえ、諸諸品のこの運動は循環である。

他方、運動のこの形態は貨幣の循環を排除する。

この運動形態の結果は、貨幣が絶えずその出發點から遠ざかることであり、そこに復帰することではない。

売り手が、彼の商品の転化した姿態である貨幣を握って離さない限り、商品は第一の変態の段階にあり、言い換えれば、その流通の前半を経過しただけである。

買うために売るという過程が完了すれば、貨幣もまたその元の所有者の手から再び遠ざかっている。

リンネル織布者が聖書を買った後、改めてリンネルを売るとすれば、確かに貨幣は彼の手に帰ってくる。

しかし、その貨幣は、最初の20エレのリンネルの流通によって帰ってくるのではなく、この流通によっては、貨幣はむしろリンネル織布者からてkら遠ざかって聖書の売り手の手中に入る。

貨幣は、新しい商品のための同じ流通過程の更新または反復によってのみ帰ってくるのであり、この場合にも前の場合とおなじ結果に終わる。

だから、商品流通によって貨幣に直接与えられる運動形態は、貨幣が絶えずその出發點から遠ざかること、ある商品所有者の手から別の商品所有者の手に移っていくこと、すなわち貨幣の通流である。

2

貨幣の通流は、同じ課程の不断の単調な反復を示す。

商品は常に売り手の側にあり、貨幣は常に購買手段として買い手の側にある。

貨幣は、商品の価格を実現することによって、購買手段として機能する。

貨幣は、商品の価格を実現することによって、商品を売り手の手から買い手の手に移し、他方、自分は買い手の手から遠ざかって売り手の手に移り、別の商品についてまた同じ課程を繰り返す。

貨幣の運動のこの一面的な形態が商品の二面的な形態運動〔形態上の変化〕から生じているということは、大いに隠されている。

商品流通そのものの本性が、それと反対の外観を生み出す。

商品の第一の変態は、貨幣の運動としてだけでなく、商品自身の運動としても目に見えるが、商品の第二の変態は、ただ貨幣の運動としてしか目には見えない。

商品は、その流通の前半においては、貨幣と場所を換える。

それと同時に、商品の使用姿態は、流通から脱落して消費に入る(74)。

商品の価値姿態または貨幣仮面が商品にとってかわる。

流通の後半を、商品は、もはやそれ自身の生まれながらの外皮ではなく、金の外皮に包まれて通り抜ける。

それとともに、運動の連続性は全く貨幣の側に帰することになり、商品にとっては、二つの相対立する過程を含むその同じ運動が、貨幣自身の運動としては、常に同じ過程を、すなわち貨幣が常に別の商品と行う場所変換を、含む。

それゆえ、商品流通の結果である別の商品による商品の置き換えは、商品自身の形態変換によって媒介sれるのではなく、流通手段としての貨幣の機能によって媒介されるものとして現れ、流通手段としての貨幣が、それ自体としては、運動しない諸商品を流通させ、諸商品を、それらが非使用価値である人の手からそれらが使用価値である人の手へと——常に貨幣自身の進行とは反対の方向に——移すものとして現れる。

貨幣は、絶えず商品の流通場所で商品に取って代わり、それによって貨幣自身の出發點から遠ざかることにより、諸商品を絶えず流通部門から遠ざける。

それゆえ、貨幣の運動は商品流通の表現に過ぎないにもかかわらず、逆に、商品流通が貨幣の運動の結果に過ぎないものとして現れるのである(75)。

商品が繰り返し販売される場合でさえ——これは、ここではまだ我々に取って実存しない現象だが、——その商品は、最後の終局的販売とともに、流通の部面から消費の部面に落ち、そこで、あるいは生活手段として、あるいは生産手段として、役立つのである。

3

    他方、貨幣に流通手段という機能が帰属するのは、貨幣が諸商品の自立化された価値であるからに他ならない。

    だから、流通手段としての貨幣の運動は、実際には、諸商品自身の形態運動に他ならない。

    それゆえ、後者の形態運動は、感性的にも貨幣の流通に反映されないはずはない。〔これ以下この段落の終わりまでは、フランス語版によってエンゲルスがマルクスの文を書き換えた〕

    こうして、例えば、リンネルは、まず初めに、その商品形態をその貨幣形態に転化する。

    この泰一の変態、WーGの最後の極である貨幣形態は、次に、リンネルの最後の変態、GーW、すなわち聖書へのその再転化、の最初の極になる。

    しかし、この二つの形態変換のどちらも、商品と貨幣にとの交換によって、それらの相互の場所変換によって、執り行われる。

    同じ貨幣片が、商品の脱皮した姿態として売り手の手に入り、商品の絶対的に譲渡されうる姿態としてそこを去る。

    この貨幣片は二度その場所を換える。

    リンネルの第一の変態は、この貨幣片を織布者のポケットに入れ、第二の変態はそれを再び引っ張り出す。

    すなわち、同じ商品の相対立する二つ形態変換は、反対の方向での貨幣の二度にわたる場所変換に反映されているのである。

4

これに対して、一面的な商品変態だけが——単なる販売または単なる購買のどちらであれ——行われる場合には、同じ貨幣はやはりただ一度場所を変えるだけである。

貨幣の第二の場所変換は、常に、商品の第二の変態、商品の貨幣からの再転化、を表現する。

同じ貨幣片の場所変換の頻繁な反復にはただ一つの商品の変態系列だけでなく、商品世界一般の無数の無数の変態の絡み合いもまた反映されている。〔「同じ貨幣片の」以下はフランス語版によってエンゲルスが挿入した文〕

なお、全く自明のことであるが、これらは全て、ここで考察している単純な商品流通の形態にだけ当てはまる。

5

どの商品も、流通へのその第一歩によって、その第一の形態変換によって、流通から脱落し、そこには常に新しい商品が入ってくる。

これに対して、貨幣は、流通手段として絶えず流通部面に住み着き、絶えずそこを目がけてくる。

そこで、流通部面はどれだけの貨幣を絶えず吸収するのかという問題が生じる。

6

一国においては、毎日、多数の、同時的な、それゆえ空間的に並存する、一面的な商品形態——言い換えれば、一方の側からの単なる販売、他方の側からの単なる購買——が行われている。

諸商品は、それらの価格において、一定の表象された貨幣分量にすでに等値されている。

ところで、ここで考察されている直接的流通形態は、商品と貨幣とを——一方を販売という極に、他方を購買という対局に置いて——互いに絶えず生身で対置させるから、商品世界の流通過程のために必要とされる流通手段の送料は、すでに諸商品の価格総額によって規定されている。

事実、貨幣は、諸商品の価格総額においてすでに観念的に表現されている金の総額を、ただ実在的に表すに過ぎない。

だから、これらの総額同志が等しいことは自明のことである。

けれども、我々が知っているように、諸商品の価値が変わらなければ、それらの価格は、金(貨幣材料)そのものの価値とともに変動し、後者が下がれば比例的に上がり、後者が上がれば比例的に下がる。

諸商品の価格総額がこのように上がったり下がったりすれば、流通する貨幣の総量は、この場合、確かに貨幣そのものから生じるけれども、流通手段としての貨幣の機能から生じるのではなく、価値尺度としての機能から生じるのである。

諸商品の価格がまず貨幣の価値に反比例して変動し、次に流通手段の総量が諸商品の価値に正比例して変動する。

全く同じ現象は、たとえば、金の価値は下がらないが、銀が金に代わって価値尺度となる場合、あるいは、銀の価値は上がらないが、金が価値尺度の機能から銀を駆逐する場合に、生じるであろう。

前者の場合には、以前の金よりも多くの銀が流通するに違いないし、後者の場合には、以前の銀よりも少ない金が流通するに違いない。

どちらの場合にも、貨幣材料、すなわち価値の尺度として機能する商品の価値が、それゆえ諸商品価値の価格表現が、それゆえこれらの価格の実現に役立つ流通する貨幣の総量が、変わったのであろう。

7

すでに見たように、諸商品の流通部面には一つの穴があいていて、そこを通って金(銀、要するに貨幣材料)が、与えられた価値を持つ商品として流通部面に入ってくる。

この価値は、価値尺度としての貨幣の機能においては、したがって、価格規定にさいしては、前提されている。

今、たとえば価値尺度そのものの価値が下がるとすれば、このことは、さしあたりまず、貴金属の産源池で、商品としての貴金属と直接に交換される諸商品の価格変動に現れる。

ことに、ブルジョア社会のより未發達な状態においては、他の諸商品の大部分は、なおかなり長い間、いまや幻想的となった、時代遅れとなった価値尺度の価値で評価されるであろう。

とはいえ、一つの商品は他の商品に、それに對する自分の価値關係を通して自分を感染させていく。

諸商品の金価格または銀価格は、それらの価値そのものに規定された諸比率で次第に調整され、ついには、全ての商品価値が貨幣金属の新しい価値に應じて評価されるようになる。

この調整過程には、貴金属の引き続く増加が伴う。

貴金属は、直接にそれと交換される諸商品と入れ替わって流入してくるからである。

だから、諸諸品の価格付与の訂正が一般的になるのと同じ割合で、あるいは、諸商品の価値が貴金属の新しい、すでに低下した、またある一定の點まで低下し続ける価値に應じて評価されるのと同じ割合で、諸商品の価格の実現に必要な貴金属の増加総量もすでに存在している。

新しい金銀産源地の發見に続いて生じた事実の一面的観察は、17世紀及ことに18世紀に、商品価格が上昇したのはより多くの金と銀とが流通手段として機能したからであるという誤った結論に導いた。

以下では、金の価値は与えられたものと前提される。

事実、それは、価格評価の瞬間には与えられているのである。

8

そこで、この前提のもとでは、流通手段の総量は、諸商品の実現されるべき価格総額によって規定されている。

さらに、今、どの商品種類の価格も与えられたものと前提すれば、諸商品の価格総額は、明らかに、流通に出回っている商品総量によって決まる。

1クォーターの小麦が2ポンド・スターリングに値するならば、100クォーターは200ポンド・スターリングであり、200クォーターは400ポンド・スターリング等々であ利、それゆえ、小麦の総量が増えるとともに、その販売に際して小麦と場所を取り換える貨幣総量がそれだけ増えなければならないということは、あまり頭を悩まさないでも理解できることである。

9

商品総量を与えられたものと前提すれば、流通する貨幣の総量は、諸商品の価格変動に應じて、増減する。

それが増減するのは、諸商品の価格総額その価格変動の結果として増減するからである。

そのためには、全ての商品の価格が同時に上がったり下がったりする必要は全くない。

流通している全ての商品の実現されるべき価格総額を増加または減少させるためには、一定数の主要物品の価格が、一方の場合には上昇すれば、他方の場合には低下すれば、それで十分である。

諸商品の価格変動が現實の価値変動を反映しようと、単なる市場価格の動揺を反映しようと、流通手段の総量に對する影響は同じである。

10

互いに連関のない、同時的な、それゆえ空間的に並存する、一定数の販売または部分変態、例えば1クォータの小麦、20エレのリンネル、1冊の聖書、4ガロンのウィスキーのそれが、行われるとしよう。

各物品の価格は2ポンド・スターリングであり、それゆえ、実現されるべき価格総額は8ポンド・スターリングの貨幣総量が流通にに入らなければならない。

これに対して、もしもこれらの同じ商品が、我々になじみの変態系列、1クォーターの小麦──2ポンド・スターリング──20エレのリンネル──2ポンド・スターリング──1冊の聖書──2ポンド・スターリング──4ガロンのウィスキー──2ポンド・スターリングの諸分肢をなすとしれば、2ポンド・スターリングは、これらの様々な商品の価格を順番に実現し、したがってまた、8ポンド・スターリングの価格総額を実現することによって、これらの商品を順番に流通させ、最後に酒造業者の手の中で休息する。

この2ポンド・スターリングは、4回の通流を成し遂げる。

同じ貨幣片が繰り返し行うこの場所の変換は、商品の二重の形態変換、すなわち二つの相対立する流通手段を通しての商品の運動、および様々の商品の変態のからみ合いを表す(76)。

この過程が経過する、相対立し、互いに補い合う諸局面は、空間的に併存することはできず、ただ時間的に継起することができるだけである。

それゆえ、期間がこの過程の継続の尺度をなす。

あるいは、与えられた時間内における同じ貨幣片の通流の回数が、貨幣通流の速度を計る。

さきの4つの商品の流通過程がたとえば一日続くとしよう。

そうすると、実現されるべき価格総額は8ポンド・スターリングになり、一日の間の貨幣片の通流の回数は4回となり、流通する貨幣の総量は2ポンド・スターリングとなる。

あるいは、流通過程のある与えられた期間については── 諸商品の価格総額/同名の貨幣片の流通回数=流通手段として機能する貨幣の総量となる。

この法則は一般的に妥当する。

確かに、ある与えられた期間における一国の流通過程は、一面では、同じ貨幣片がただ一度だけ場所を換え、すなわち1回の通流だけを行う、多くの分散した同時的な空間的に併存する販売(あるいは購買)または部分変態を包括し、他面では同じ貨幣片が多かれ少なかれ何回かの通流を経過する、多くの、一部は併存し一部は互いにからみ合う多かれ少なかれいくつかの分肢を持つ変態系列を包括している。

しかし、流通に出回っている同名のすべての貨幣片の総通流回数が与えられれば、個々の貨幣片の平均通流回数または貨幣通流の平均速度が与えられる。

たとえば、一日の流通過程のはじめにそこに投じられる貨幣総量は、当然、同時に空間的に併存して流通する諸商品の価格総額によって規定される。

過程の内部では、一つの貨幣片は、他の貨幣片に対していわば責任を負わされる。

一方の貨幣片がその通流速度を速めれば、他方の通流速度はゆるやかになる。

あるいは後者の貨幣片は流通部門から全く飛び出してしまう。

というのは、流通部門は、その個々の要素の中位の通流回数を掛ければ、ちょうど実現されるべき価格総額に等しくなるような金総量しか、吸収できないからである。

流通手段として機能することのできる貨幣の総量は、平均速度が与えられていれば、一定であるから、たとえば一定量の1ポンド紙幣を流通に投げ入れさえすれば、同量のソヴリン貨〔1ポンド金貨〕をそこから投げ出すことができる。

これは、すべての銀行がよく心得ている芸当である。

11

貨幣通流一般には、諸商品の流通過程だけが、すなわち相対立する諸変態を通しての諸商品の循環だけが現れるとすれば、貨幣通流の速さには、諸商品の形態変換の速さが、諸変態系列の連続的な絡み合いが、素材変換のあわただしさが、流通部門からの諸商品の急速な消滅と新しい商品による同じく急速な置き換えが、現れる。

したがって、貨幣流通の速さには、使用姿態の価値姿態への転化と価値姿態の使用姿態への再転化という、相対立しつつ補い合ってい両局面の、すなわち販売と購買の両過程の、流動的な統一が現れる。

逆に、貨幣流通の緩慢化には、これらの過程の分離と対立的自立化が、形態変換の、それゆえ素材変換の、停滞が、現れる。

この停滞がどこから生じるかは、当然、流通そのものからは見てとることはできない。

流通は、ただ現象そのものを示すだけである。

貨幣流通の緩慢化に伴い、流通の周辺のあらゆる點で貨幣が出たり消えたりする頻度が減ると見る通俗的見解が、この現象を流通手段の量の不足から説明するのは、まことにふさわしいことである(77)。

>ヘレンシュヴァント〔スイスの経済学者〕のいかさまは、全て、商品の本性から生じる、それゆえ商品流通に現れる諸矛盾は、流通手段の増加によって除去しうるということに帰する。

ちなみに、生産過程および流通過程の停滞を流通手段の不足に帰する通俗的幻想からは、逆に、流通手段の現實の不足、例えば、「”通貨の調節”」という政府の不手際による不足がそれはそれで停滞を引き起こすことはあり得ない、という結論は決して出てこない。

12

したがって、それぞれの期間に流通手段として機能する貨幣の総量は、一面では、流通している商品世界の価格総額によって、他面では、商品世界の対立的な流通過程の流れが速いか遅いか——これによって、価格総額の何分の一が同じ貨幣片によって実現されうるあが決まる——によって、規定される。

ところが、諸商品の価格総額は、各種の商品の価格にだけでなく、その総量にも依存している。

しかも、価格の運動、流通する商品の総量、そして最後に、貨幣の通流速度という三つの要因は、様々な方向と様々な割合で変化しうる。

したがって、実現されるべき価格総額、それゆえ、それによって制約される流通手段の総量は、非常に多くの組み合わせを取りうる。

ここでは、商品価格の歴史における、もっとも重要な組み合わせだけを列挙しよう。

13

商品価格が変わらない場合には、流通手段の総量が増加しうるのは、流通する商品の総量が増加するためか、あるいは、貨幣の通流速度が減少するためか、あるいは、両者が一緒に作用するためである。

流通手段の総量は、逆に、商品の総量の減少または〔貨幣の〕流通速度の増加とともに、減少しうる。

14

商品価格が一般的に上昇する場合には、流通手段の総量が不変でありうるのは、流通する商品の総量が、それらの価格の上昇と同じ比率で減少するときか、あるいは流通する商品総量は一定のままなのに、貨幣の通流速度が、価格上昇と同じ速さで増加するときである。

流通手段の総量が減少しうるのは、商品総量が価格よりも速く減少するか、あるいは、通流速度が価格よりも速く増加するためである。

15

商品価格が一般的に低下する場合には、流通手段の総量が不変でありうるのは、商品総量が、それらの価格の低下と同じ比率で増加するときか、あるいは、貨幣の流通速度が、価格と同じ比率で低下するときである。

流通手段の総量が増加しうるのは、商品価格の定価に比べて商品総量がより速く増加するか、または流通速度がより速く低下するときである。

16

様々な要因の変化は相互に相殺されうるから、それらの要因が絶えず動揺しているにもかかわらず、実現されるべき商品価格の総額は、したがってまた流通する貨幣の総量も、一定不変のままである。

だから、ことにかなり長い期間を考察すれば、各国において流通する貨幣総額の平均水準が、外見から予想されるよりは、はるかに一定していること、また、周期的には生産恐慌や商業恐慌から生じ、稀には貨幣価値そのものの変動から生じる激しい撹乱を除けば、この平均水準からの偏差が、同じく予想されるよりはるかに小さいことがわかるのである。

17

流通手段の量は、流通する商品の価格総額と貨幣通流の平均速度とによって規定されるという法則(78)は、諸商品の価値総額が与えられていて、それらの変態の平均速度が与えられていれば、通流する貨幣または貨幣材料の量はそれ自身の価値によって決まる、というように表現することもできる。

逆に、商品価格は流通手段の総量によって、その流通手段の総量はまた一国に存在する貨幣材料の総量によって、規定されるという幻想は(79)、その最初の唱導者たちにあっては、商品は価格なしに、貨幣は価値なしに、流通過程に入り、次にそこにおいて、ごた混ぜの商品群の一可除部分が山をなす金属の一可除部分と交換されるとかいう馬鹿げた仮説に根差している(80)。

ヒュームの理論は、A・ヤングにより、J・スチュアトらを反駁しながら、その著『政治算術』(ロンドン、1774年)において擁護されており、その112ページ以下には、「物価は貨幣の量に依存する」という特別の一章がある。

私は、『経済学批判』、149ページ〔邦譯『全集』、第13巻、144ページ〕で、「彼(A・スミス)は、貨幣を全く誤って単なる商品として取り扱うことによって、流通する鋳貨の量についての問題を無言のうちに片付けている」と述べている。

これが当てはまるのは、A・スミスが”立場上”貨幣を取り扱う限りにおいてだけである。

しかし、折に触れて、例えば彼以前の経済学の諸体系の批判に際しては、彼は正しいことを明言している。

同じように、A・スミスは、彼の著作を”立場上”は分業の賛美から始めるが、後になると、国家収入の源泉に関する最後の篇〔第五篇、第二章〕では、折に触れて、彼の師、A・ファーガスンの分業の告發〔本譯書、第一巻、第四篇、第十二章、第四、五節参照〕再生産している。

ヴァンダリントとヒュームの『小論集』〔『若干の主題に関する小論および論文集』、新版、全二巻、ロンドン、1764年〕とを立ち入って比較してみると、ヒュームがヴァンダリントのともかく重要なこの著作を知っていて利用したということについて、私には疑いの余地はない。

流通手段の総量が価格を規定するという見解は、バーボンにも、もっと古い著述家にも、見られる。

ヴァンダリントは言う。

一つ一つの種類の商品はどれも、それらの価格を通して、流通しているすべての商品の価格総額の一要素をなすということは、自明である。

だが、互いに同じ単位で計量できない諸使用価値が、ひとかたまりになって、一国に存在する金または銀の総量とどのように交換されるのかは、全く不可解である。

もしも、商品世界を、各商品がただその可除部分にをなすにすぎない単一の総商品だとしてごまかすならば、次のようなみごとな計算例が生じる。

総商品=xツェントナーの金 と置けば、商品A=総商品の可除部分=Xツェントナーの金の同じ量の可除部分、こうしたことが、モンテスキューにあっては、大真面目に語られている。

リカードウや、彼の弟子たちのジェイムズ・ミル、ロード・オウヴァストンなどによるこの理論のいっそう發展については、『経済学批判』、140ー146ページ、および150ページ以下〔邦譯『全集』、第13巻、136ー142ページ、および145ページ以下〕参照。

J・S・ミル氏は、彼の得意とする折衷的理論によって、彼の父であるJ・ミルの見解とその反対者たちの見解とを同時にもち合わせるすべを心得ている。

彼の概説書『経済学原理』の本文と、彼が自分自身を当代のアダム・スミスと名乗っている序文(初版)〔末永茂喜譯、岩波文庫、()、24ー25ページ〕とを比較すると、この男の素朴さと、この男を信じきってアダム・スミスだと買いかぶった読者の素朴さとのどちらに驚いてよいかわからない。

アダム・スミスに對するこの男の關係は、ウェリントン公に對するカルスのウィリアムズ・カルス将軍(の關係のようなものである。

経済学の領域におけるJ・S・ミル氏の包括的でもなければ内容豊かでもない独創的諸研究は、1844年に出た彼の小著『経済学の若干の未解決問題』〔末永茂喜譯『ミル経済学試論集』、岩波文庫〕の中で、隊伍を整えて行進していくのが見られる。

ロックは、金銀に価値がないことと、量によるそれらの価値の規定との関連を、次のように単刀直入に述べている。

*〔クリミア戦争時、アルメニアの要塞カルスのトルコ軍守備隊を指揮したイギリス軍大佐。要塞は陥落したが、軍功により準男爵の位を与えられ将軍に昇進した〕
c 鋳貨。価値章標
1

流通手段としての貨幣の機能から、貨幣の鋳貨姿態が生じる。

諸商品の価格または貨幣名で表象される金の重量部分は、流通においては、同名の金片またが鋳貨として諸商品に相対しなければならない。

価格の度量基準の確定と同じく、造幣の業務は国家に帰属する。

金および銀が、鋳貨としては身につけるが、世界市場でまた脱ぎ捨てる様々な国民的制服には、商品流通の国内的または国民的部面とその一般的世界市場的部面との分離が現れている。

2

したがって、金鋳貨と金地金とは、元々外形によって区別されているだけであり、金は一方形態から他方の形態に絶えず転化することができる(81)。

しかし、造幣局から出ていく道は、同時に坩堝るつぼへの歩みでもある。

すなわち、流通しているうちに、金鋳貨は、あるものはより多く、あるものはより少なく、摩耗する。

金の肩書きと金の中身とが、名目純分と実質純分とが、その分離過程を歩み始める。

同名の金鋳貨でも、重量が異なるために、価値が等しくなくなる。

流通手段としての金は、価格の度量基準としての金から背離し、したがってまた、諸商品——金がこれらの商品の価格を実現するのであるが——の現實的等価物であることをやめる。

この混乱の歴史が、中世および18世紀までの近代の鋳貨史をなしている。

鋳貨の金存在ザインを金仮象シャイン に転化させる、すなわち鋳貨をその公称金属純分の象徴に転化させる流通過程の自然發生的傾向は、ひつの金貨を通用不能にする——すなわち廃貨扱いとする——金属目減りの程度に関する最近の法律によって認められてさえいる。

鋳造手数料その他の細目を取り扱うことは、当然、私の目的外のことである。

しかし「イギリス政府が無償で提供する」という「大した気前のよさ」に驚嘆するロマン主義のへつらい屋アダム・ミューラー(*1に対しては、サー・ダッドリー・ノースの次の判断をあげておく。

3

貨幣流通そのものが、鋳貨の実質純分を名目純分から分離し、その金属定住をそおん機能的定在から分離するとすれば、鋳貨機能においては、金属貨幣には、金属貨幣に代わって他の材料からなる標章または象徴が登場する可能性を、貨幣流通は潜在的に含んでいる。

金または銀の極めて微小な重量部分を鋳造することの技術的障害と、もともと、より高級な金属の代わりにより低級な金属が——金の代わりに銀が、銀の代わりに銅が——価値尺度をつとめており、それゆえ、それらの金属がより高級な金属によって廃位されるときまでは、貨幣として流通しているという事情とが、銀製や銅製の標章が金鋳貨の代替物として果たす役割を歴史的に説明する。

それらが、金に取って代わるのは、商品流通の諸領域のうちでも、鋳貨が極めて急速に流通し、それゆえ極めて摩耗する領域、すなわち、販売と購買が極めて小さな規模で絶え間なく繰り返される領域においてである。

これらの衛星が金そのものの地位に定着するのを妨げるために、支払いに際して金の代わりにこれらの衛星だけを受け取らなければならない割合が法律で非常に低く規定されている。

異なった種類の鋳貨が通流する特殊な領域は、もちろん、交錯し合っている。

補助鋳貨は、最小の金鋳貨の何分の1かの支払いのために、金と並んで現れる。

金は絶えず小売流通に入っていくが、補助鋳貨と替えられて、同じように絶えずそこから投げ出される(82)。

4

銀製または銅製の標章の金属純分は、法律によって任意に規定される。

それらは、通流するうちに金鋳貨よりも一層急速に磨耗する。

だから、それらの鋳貨機能は、それらの重量とは、すなわちおよそ価値とは、事実上まったく関わりのないものとなる。

金の鋳貨定在はその価値實體じったいから完全に分離する。

こうして、相対的に無価値な物、すなわち紙券が、金の代わりに鋳貨として機能することができるようになる。

金属製の貨幣標章においては、純粋に象徴的な性格は、まだある程度覆い隠されている。

紙幣においては、それが、まぎれもなく現れ出ている。

”つらいのは最初の一歩だけ”〔フランスの諺〕

5

ここで問題となるのは、強制通用力を持つ国家紙幣だけである。

それは直前に金属流通から發生する。

これに対して、信用貨幣は、単純な商品流通の立場からいって我々のまだまったく知らない諸關係を想定する。

しかし、ついでに述べておけば、本来の紙幣が流通手段としての貨幣の機能から生じるとすれば、信用貨幣は、支払手段としての貨幣の機能に、その自然發生的な根源をもっている(83)。

財務高官(清朝の戸部侍郎こぶじろう王茂蔭ワンマオイン は、中国の不換国家紙幣を兌換銀行券に変えることをひそかに狙った一つの計画を天使に具申しようと思いついた。

1854年4月の紙幣審議会(大臣審議)の報告では、彼はこってりと油を絞られている。

彼が、例によって、竹のムチでしたたかに打たれもしたかどうかは、報告されていない。

報告の終わりにはこう書いてある。

通流による金鋳貨の絶えざる摩減については、イングランド銀行のある「総裁」〔ジェイムズ・モリス〕が「上院委員会」(「銀行法(にかんする)で証人として次のように述べている。

6

1ポンド・スターリング、5ポンド・スターリングなどといった貨幣名が印刷された紙券が、国家によって外部から流通過程に投げ込まれる。

それらが現實に同名の金総額に代わって流通する限り、それらの運動には貨幣流通そのものの法則だけが反映する。

紙幣流通の独自な法則は、金に對する紙幣の代理關係だけから生じる。

そして、この法則とは、要するに、紙幣の發行は、紙幣によって象徴的に表される金(または銀)が現實に流通しなければならないはずの量に制限されるべきである、ということである。

ところで、流通部面が吸収することのできる金の分量は、確かに、一定の平均水準の上下に絶えず変動している。

しかし、与えられた一国における流通媒介物の総量は、経験的に確定される一定の最小限より下に下がることは決してない。

この最小総量が絶えずその構成部分を変える──すなわち、つねに異なった金片から成り立っている──からといって、もちろん、この最小総量の大きさが変わるものでもないし、この最小総量だけは絶えず流通部面を駆け回っているという事態が変わるものでもない。

だから、この最小総量は、紙製の象徴によって置き換えることができる。

これに対して、もしも今日すべての流通経路がその貨幣吸収能力を最大限にまで紙幣で満たされるとすれば、明日は、商品流通の変動の結果、水路があふれるかもしれない。

限度はすべて失われる。

しかし、紙幣がその限度を、すなわち〔紙幣がなければ〕流通したはずの同名の金鋳貨の量を超過するならば、全般的信用崩壊の危機は別にして、紙幣は、商品世界の内部では、やはりただ、この世界の内在的諸法則によって規定された金量を、したがってまたちょうど代理されうるだけの金量を、表すにすぎない。

もしも紙券の総量が、たとえば、1オンスずつの金の代わりに2オンスずつの金を表すとすれば〔たとえば、紙幣の総量があるべき総量の二倍になれば──フランス語版〕、たとえば1ポンド・スターリングは、事実として、約1/4オンスの金の代わりに約1/8オンスの金の貨幣名になる。

結果は、金が価値の尺度というその機能の點で変更をこうむったのと同じである。

それゆえ、以前は1ポンド・スターリングという価格で表現された同じ価値が、今では2ポンド・スターリングという価格によって表現されるのである。

7

紙幣は金章標または貨幣章標である。

商品価値に對する紙幣の關係は、ただ、紙幣によって象徴的・感性的に表されているその金分量で商品価値が観念的に表現されているということだけである。

他のすべての商品分量と同じように価値分量でもある金分量を紙幣が代理する限りでのみ、紙幣は価値章標なのである(84)。

貨幣に関する最良の著述家たちでさえ貨幣のさまざまな機能をいかにあいまいに理解しているかは、たとえばフラートンからの次の箇所が示している。

したがって、貨幣商品は、流通において単なる価値章標によって置き換えられるうるのだから、価値の尺度としても価格の度量基準としても不要だというのである!

8

最後に問題となるのは、なぜ金はそれ自身の単なる無価値な章標によって置き換えられうるのか?tということである。

しかし、すでに見たように、金がこのように置き換えられうるのは、金が鋳貨または流通手段としてのその機能において孤立化または自立化される限りのことにすぎない。

ところで、この機能の自立化は、摩減した金片が引き続き流通することに現れているけれども、確かに、個々の金鋳貨については生じない。

金片が単なる鋳貨または流通手段であるのは、まさに、それが現實に通流している限りでのことに過ぎない。

しかし、個々の金鋳貨に当てはまらないことでも、紙幣によって置き換えられうる最小総量の金にはあてはまる。

この最小総量の金は、絶えず流通部門に住みつき、持続的に流通手段として機能し、それゆえもっぱらこの機能の担い手として実存する。

したがって、その運動は、商品変態W-G-W──そこでは、商品の価値姿態は、ただちにふたたび消え失せるためにのみ、商品に相對する──の相対立する諸過程の継続的相互転換を表すだけである。

商品の交換価値の自立的表示は、ここでは一時的契機でしかない。

この自立的表示はただちに再び別の商品によって置き換えられる。

だから、貨幣を絶えず一つの手から別の手に遠ざける過程においては、貨幣の単なる象徴的実存でも十分なのである。

商品価格の一時的に客体化された反射としては、貨幣はただそれ自身の章標として機能するにすぎず、だからまた章標によって置き換えられうる。

貨幣の章標に必要なのは、それ自身の客観的社会的妥当性だけであり、紙製の象徴はこの妥当性を強制通用力によって受け取る。

この国家強制が有効であるのは、一つの共同体の境界によって画された、すなわち国内の、流通部面の内部においてだけであるが、しかしまたここでだけ、貨幣は流通手段または鋳貨としてのその機能に完全に解消してしまい、それゆえ、紙幣において、その金属實體 じったい から外的に切り離された、単に機能的な、実存様式を受け取ることができるのである。

金銀は、鋳貨としては、あるいは流通手段としての排他的機能においては、それ自身の章標になるということから、ニコラス・バーボンは、「”貨幣の価値を高める”」政府の権利、すなわち、たとえば、グロシェンと呼ばれる一定分量の銀に、ターレルというようなもっと大きな銀分量の名称を与え、こうして債権者にはターレルの代わりにグロシェンを償還する政府の権利を、引き出している。

第三節 貨 幣(

Geld(第三章の表題)ではなく、定冠詞のないGeld(英語でmoneyであり、価値尺度および流通手段という第一および第二の規定に対して「第三の規定における貨幣」とマルクスが呼んだものである。フランス語版では、この表題は、La Monnaie ou I'argentとなり、次の最初のパラグラフもすっかり書き換えられている。〕
1

価値尺度として機能し、それゆえまた、みずからか代理物かによって、流通手段として機能する商品は貨幣である。

それゆえ、金(または銀)は貨幣である。

金が貨幣として機能するのは、一面では、それが、その金の(または銀の)肉体のままで、それゆえ貨幣商品として、現れなければならない場合、したがって、価値尺度におけるように単に観念的にでもなければ、流通手段におけるように代理可能なものとしてでもなく現れなければならない場合であり、他面では、金の機能が金自身によって果たされるか代理物かによって果たされるかにかかわりなく、その機能が、金を、唯一の価値姿態または交換価値の唯一の適当な定在として、単なる使用価値としての他のすべての商品に対して固定する場合である。

a 蓄財貨幣の形成
1

二つの相対立する商品変態の連続的循環または販売と購買との流動的転換は、貨幣の休むことのない通流に、または流通の”影響運動期間 ベルベトウム・モビレー*1としての貨幣の機能に、現れる。

変態系列が中断され、販売がそれに続く購買によって補われなくなるやいなや、貨幣は不動化される。

あるいは、ボワギュベールの言うように、”可動物”から”不動物”に(*2、鋳貨から貨幣に、転化される。

2

流通商品そのものの最初の發展とともに、第一の変態の産物である、商品の転化された姿態または商品の金さなぎ を固持する必要と情熱とが發展する(86)。

商品を買うためにではなく、商品形態を貨幣形態に置き換えるために、商品が売られる。

この形態変換は、素材変換の単なる媒介から目的そのものになる。

商品の脱皮した姿態が、商品の絶対的に譲渡されうる姿態または単に一時的な貨幣形態として機能することを妨げられる。

こうして、貨幣は蓄蔵貨幣に石化し、商品販売者は貨幣蓄蔵者になる。

3

商品流通のそもそもの始まりにおいては、使用価値の余剰分だけが貨幣に転化される。

こうして、金銀は、おのずから、有り余るものの、または富の、社会的表現となる。

かたく閉ざされた欲求の範囲が自給自足のための伝統的な生産様式に照應している諸民族においては、蓄蔵貨幣形成のこの素朴な形態が永久化される。

アジア人、ことにインド人の場合がそうである。

商品価格は一国に存在する金銀の総量によって規定されると妄信するヴァンダリントは、なぜインドの商品はあんなに安いのか?と自問して、インド人は貨幣を埋蔵するからだと答えている。

彼の指摘によれば、1602年から1734年までのあいだに、インド人は、もともとアメリカからヨーロッパに来た1億5千万ポンド・スターリングの銀を埋蔵した(87)。

1856年から1866年までに、つまり10年間に、イギリスは、それ以前にオーストラリアの金と交換して得られた1億2千万ポンド・スターリングの銀をインドと中国に輸出した(中国に輸出された銀は大部分ふたたびインドに流入した)。

4

商品生産が一層發展するにつれて、どの商品生産者も、”万物の神経ネルウス・レルム *1”である「社会的動産担保」を確保しなければならなくなる(88)。

彼の欲求は絶えず更新され、他人の商品を絶えず買うことを命じるが、他面では彼自身の商品の生産と販売は時間を要し、また偶然に左右される。

売ることなしに買うためには、彼は、あらかじめ、買うことなしに売っていなければならない。

こうしたやり方は、一般的な規模で行われるとすれば、自己矛盾に陥るように思える。

しかし、貴金属は、それらの産源池では、じかに他の諸商品と交換される。

ここでは、販売(商品所有者の側での)が、購買(金銀の所有者の側での)なしに行われる(89)。

そして、それ以降の、後続の購買を伴わない販売は、単にすべての商品所有者の間への貴金属再配分を媒介するだけである。

こうして、交易のすべての地點に、きわめて種々さまざまな規模での金銀の財宝が生まれる。

商品を交換価値として、または交換価値を商品として固持する可能性とともに、黄金欲が目覚める。

商品流通の拡大とともに、貨幣──富の、いつでも出動できる、絶対的に社会的な形態──の力が増大する。

貨幣を見ても、なにがそれに転化しているかは分からないが、あらゆるものが、商品であろうとなかろうと、貨幣に転化する。

すべてのものが売れるものとなり、買えるものとなる。

流通は、あらゆるものがそこに飛び込み、貨幣結晶として出てくる大きな社会的蒸留器レトルトとなる。

この錬金術には聖者の骨さえ抵抗できないのであるから、もっとか弱い”人間の取引の外にある聖なる物”〔フェニキアの乙女のこと〕にいたっては、なおさらそうである(90)。

貨幣においては諸商品のあらゆる質的区別が消え去っているように、貨幣は貨幣でまた、徹底的な水平派として、あらゆる区別を消し去る(91)。

しかし、貨幣はそれ自身商品であり、だれの私有財産ともなりうる外的なものである。

こうして、社会的な力が私人の私的な力になる。

だから、古典古代の社会は、貨幣を、社会の経済的および道徳的秩序の破壊者として非難するのである(92)。

すでにその幼年期にプルトス(*2の髪をつかんで地中から引きずり出した(93)近代社会は、黄金の聖杯を、そのもっとも独自な生活原理の輝ける化身として歓迎する。

厳密な意味での購買は、金または銀を、すでに商品の転化された姿態として、または販売の産物として、想定する。

もっとも、キリスト教的なフランス王(*3アンリ三世は、修道院などから聖遺物を略奪してそれを貨幣に換えている(*4

フォキス人〔ギリシア中部の住民〕によるデルフォイ神殿の財宝の略奪(*5がギリシアの歴史においてどのような役割を果たしたかは、よく知られている。

古代人の間では、周知のように、諸神殿が商品という神の住居として役立った。

神殿は「神聖な銀行」であった(*6

”すぐれて”商業民族であったフェニキア人にとっては、貨幣はあらゆるものの脱皮した姿態とみなされた。

それゆえ、愛の女神の祭礼に際して他国の者に身をまかせた乙女たちが、報酬として得た貨幣を女神にささげたのは、当然のことであった。

             「金か! 黄金色にきらきら輝く貴重な金貨だな!
              ・・・これだけの金があれば、黒を白に、醜を美に、
              邪を正に、卑賎を高貴に、老いを若きに、
              臆病を勇気に変えることもできよう。
               ・・・神々よ、どういうことだ、これは? どうしてこれを?
              これはあなたがたのそばから神官や信者たちを引き離し、
              まだ大丈夫という病人の頭から枕を引きはがす代物だ。
              この黄金色の奴隷めは、信仰の問題でも
              人々を結合させたり離反させたりし、
              呪われた奴らを祝福し、白癩びゃくらい病みを崇拝させ、
              盗賊を立身させて、元老院議員なみの爵位や権威や栄誉を与えるやつなのだ。
              枯れしぼんだ古後家を再婚させるのもこいつだ。
              ・・・やい、罰当たりな土くれめ、
              ・・・売女め」
                
(シェイクスピア『アテネのタイモン』〔第四幕、第三場。小田島雄志譯、『シェイクスピア全集』Ⅴ、白水社、139ページ〕)
              「まったく、人の世の習いにも、
              金銭ほど人に禍いをなす代物はない
              こいつのために町は亡ぼされ、民は家から追い出される。
              この代物が人間のまともな心を迷いに導き、
              ねじまげて、恥ずべき所業に向かわせ、
              人々に邪悪の道を踏みならわせては、
              見境なしに不敬のわざへ誘い込むのだ」
                
(ソフォクレス『アンティゴネ』〔呉茂一譯、岩波文庫、25-26ページ〕)

”(債務奴隷の意味もある)となっているが、『経済学批判』では「神経」となり、第四版でもそうなっている〕
*6〔古代銀行は前八世紀のホメロスのときにすでに存在し、農工産物の質入れ、貸付け、鋳貨流通にともない、前六世紀には神殿銀行が私人の銀行とともに發生した〕
5

使用価値としての商品は一つの特殊な欲求を満たし、素材的富の一つの特殊な要素をなす。

ところが、商品の価値は、素材的富のあらゆる要素に対してその商品がもつ引力の程度をはかる尺度となり、それゆえ、その商品の所有者がもつ社会的富の尺度となる。

未開の単純な商品所有者にとっては、西ヨーロッパの農民にとってさえ、価値は価値形態とは不可分のものであり、それゆえ、金銀財宝の増加が価値の増加である。

確かに、貨幣の価値は——貨幣自身の価値変動の結果としてであれ、諸商品の価値変動の結果としてであれ——変動する。

しかし、このことは一面では、200オンスの金が100オンスの金よりも、300オンスの金が200オンスの金よりも、依然として大きな価値を含んでいるということを妨げないし、他面では、この物の金属的自然形態が依然として全ての商品の一般的等価形態であり、全ての人間的労働の直接的に社会的な化身であることを妨げるものでもない。

蓄蔵貨幣形成の衝動は、その本性上、限度を知らない。

貨幣は、どの商品にも直接的に転化されうるものであるから、質的には、あるいはその形態からすれば、無制限なもの、すなわち素材的富の一般的代表者である。

しかし、同時にどの現實の貨幣額も、量的に制限されたものであり、それゆえまたその効力を制限された購買手段であるに過ぎない。

貨幣の量的制限と質的無制限性との間のこの矛盾は、貨幣蓄蔵者を、蓄積のシシュフォス労働(に絶えず追い返す。

彼は、新しい国を制服するたびに新しい国境に出くわす世界征服者のようなものである。

*〔シシュフォスは、地獄の急坂で、いくら岩を押し上げてもそれが落ちてくるという、永遠に続く同じ仕事を罰として科されたギリシア神話の人物。徒労で虚しく続く仕事の意〕
6

金を貨幣として、それゆえまた蓄蔵貨幣形成の要素として、留めておくためには、金が流通すること、すなわち購買手段として消費手段の中に消えてしまうことが、阻止されなければならない。

だから、貨幣蓄蔵者は、金物神に、彼の肉体的欲望を犠牲として捧げる。

彼は禁欲の福音を厳粛に受け取る。

他面、彼は、たくさん生産すればするほど、それだけたくさん売ることができる。

だから、勤勉、節約、および貪欲が彼の主徳をなし、たくさん売って少ししか買わないことが、彼の経済学の総括をなす(94)。

7

蓄蔵貨幣の直接的形態と並んで、その審美的形態、すなわち金銀製品の所有が行われる。

それは、ブルジョア社会の富とともに成長する。

「”金持ちになろう。さもなければ、金持ちらしく見せよう”」(ディドロ()。

こうして、一面では、金銀の絶えず拡大される市場が、金銀の貨幣諸機能からは独立に形成され、他面では、ことに社会的な暴風雨の時期に流出する貨幣の潜在的な供給源が形成される。

8

蓄蔵貨幣の形成は、金属流通の経済では、様々な機能を果たす。

その第一の機能は、金銀鋳貨の通流諸条件から生じる。

すでに見たように、商品流通の規模、価格、および速度が絶えず変動するのに連れて、貨幣の通流総量は、休むことなく干満を繰り返す。

従って、貨幣の通流総量は、縮小したり拡大したりすることができなければならない。

ある時は貨幣が鋳貨として引き寄せられ、ある時は鋳貨が貨幣として弾き出されなければならない。

現實に通流する貨幣総量が流通部面の飽和度に絶えず照應しているためには、一国に存在する金または銀の分量が、鋳貨機能を果たしている分量よりも大きくなければならない。

この条件は、貨幣の蓄蔵貨幣形態によって満たされる。

蓄蔵貨幣形態の貯水池は、同時に、流通している貨幣の流出および流入の水路として役立ち、それゆえ、流通する貨幣は、その通流水路から決して溢れ出ないのである(95)。

長い間、東インド会社の職員をやっていたジョン・スチュアト・ミルは、インドでは相変わらず銀の装飾品が直接に蓄蔵貨幣として機能していることを確認している。

インドにおける金銀の輸出入に関する1864年の議会文書によれば、1863年には、金銀の輸入は輸出を1963万7764ポンド・スターリングだけ超過した。

1864年までの最近8年間には、貴金属の輸出に對する輸入の超過が1億965万2917ポンド・スターリングにのぼった。

今世紀の間に2億ポンド・スターリングをはるかに超える額がインドで鋳造された。

 
b 支払手段
1

これまでに考察された商品流通の直接的形態においては、同一の価値の大きさが常に二重に存在した。

一方の極における商品と対極における貨幣と。

それゆえ、商品所有者は、雙方そうほうの側に現存する等価物の代理人として接触しただけであった。

しかし、商品流通の發展とともに、商品の譲渡がその商品の価格の実現から時間的に分離される諸關係が發展する。

ここでは、これらの關係のうちもっとも単純なものを示唆するだけで十分である。

ある種類の商品はその生産に比較的長い時間を必要とし、別の種類の商品は比較的短い時間を必要とする。

商品が異なれば、その生産も異なった季節に結びついている。

ある商品は市場の所在地で生まれ、別の商品は遠くの市場に旅をしなければならない。

それゆえ、ある商品所有者は、別の商品所有者が買い手として登場する前に、売り手として登場することがありうる。

同じ人々の間で同じ取引が絶えず繰り返される場合には、商品の販売条件は商品の生産条件によって規制される。

他面、ある種の商品例えば家屋の利用は、一定の期間を決めて売られる。

その期限を過ぎたのち、初めてその買い手はその商品の使用価値を現實に受け取ったことになる。

だから、彼は、支払いをする前に買っているのである。

一方の商品所有者は現存する商品を売るが、他方は貨幣の単なる代表者として、あるいは将来の貨幣の代表者として、買う。

売り手は債権者となり、買い手は債務者となる。

この場合には、商品の変態、または商品の価値形態の展開が変わるので、貨幣もまた一つの別の機能を受け取る。

それは支払手段(96)になる。

ルターは、購買手段としての貨幣と支払手段としての貨幣とを区別している。

2

債権者または債務者と言う役柄は、ここでは単純な商品流通から生じる。

単純な商品流通の形態変化が、売り手と買い手に、この新しい刻印を押すのである。

したがって、それらは、売り手と買い手という役割と同じように、さしあたり一時的な、同じ流通業者たちによって代わる代わる演じられる、役割である。

しかし、この対立は、いまや最初から、あまり気持ちの良くないもののように見え、またいっそう結晶しやすいものである(97)。

しかしまた、これらの役柄は、商品流通とは関わりなく登場することがある。

例えば、古典古代世界の階級闘争は、主として債権者と債務者との間の闘争という形態で行われ、ローマでは平民債務者の没落に終わり、この債務者に代わって奴隷が登場する。

中世では、闘争は封建的債務者の没落に終わり、この債務者はその政治権力をその経済的基盤と共に失った。

とはいえ、貨幣形態は——実際、債権者と債務者の關係は、貨幣關係という形態をとる——ここではただもっと深いところにある経済的生活条件の敵対關係を反映しているに過ぎない。

18世紀初めのイギリス人の商人たちの間における債務者・債権者について、次のように述べられている。

3

さて、商品流通の部面に戻ろう。

商品と貨幣という二つの等価物が販売過程の両極に同時に現れることは、既になくなった。

いまや、貨幣は、第一に、売られる商品の価格規定における価値尺度として機能する。

契約によって確定されたその商品の価格は、買い手の債務、すなわち彼が一定の期限に支払う責任のある貨幣額を示す。

貨幣は、第二に、観念的購買手段として機能する。

それは、ただ買い手の支払約束のうちにしか実存しかないけれども、商品も持ち手変換を引き起こす。

支払期限に達して初めて支払手段は現實に流通に入る。

すなわち、買い手から売り手に移る。

流通過程が第一の局面に中断したので、すなわち、商品の転化された姿態が流通から引き揚げられたので、流通手段は蓄蔵貨幣に転化した。

支払手段が流通に入ってくるのは、商品が既に流通から出て行った後のことである。

貨幣は、もはや、この過程を媒介するのではない。

貨幣は、交換価値の絶対的定在または一般的商品として、この過程を自立的に閉じる。

売り手が商品を貨幣に転化したのは、貨幣によってある欲求を満たすためであり、貨幣蓄蔵者が商品を貨幣に転化したのは、商品を貨幣形態で保存するためであり、債務者である買い手が商品を貨幣に転化したのは、支払うことができるようになるためである。

もし彼が支払わなければ、彼の所有物の強制販売が行われる。

こうして、商品の価値姿態である貨幣は、いまや、流通過程そのものの諸關係から生じる社会的必然によって、販売の目的そのものになる。

4

買い手は、彼が商品を貨幣に転化する前に、貨幣を商品に再転化する。

すなわち、第一の商品変態以前に第二の商品変態を行う。

売り手の商品は流通するが、ただ私法上の貨幣請求権においてのみその価格を実現する。

この商品は、それが貨幣に転化する前に、使用価値に転化する。

その商品の第一の変態は、後になってからやっと遂行される(98)。

なぜ私が本文でこれと反対の形態を考慮しないかは、1859年に公刊された私の著作から次の引用を見ればわかるであろう。

5

流通過程のどの一定期間をとっても、そこで支払期限に達した諸債務は、諸商品——その販売によってこれらの債務が生み出されたのだが——の価格総額を表している。

この価格総額の実現のために必要な貨幣総量は、さしあたりまず、支払手段の通流速度によって決まる。

この通流速度は二つの事情によって制約される。

すなわち、Aがその債務者Bから貨幣を受け取り、それをさらに自分の債権者Cに支払うというような債務者と債権者との諸關係の連鎖と、様々な支払期限の間の時間の長さとである。

諸支払の、または後から行われる第一の変態の、過程的な連鎖は、前に考察した変態系列の絡み合いとは本質的に区別される。

流通手段の通流においては、売り手と買い手との間の連関が表現されるだけではない。

この連関そのものが、貨幣通流において、貨幣通流とともに、初めて成立する。

これに対して、支払手段の運動は、すでにその運動以前に出来上がって現存している社会的連鎖を表現するのである。

6

諸販売の同時性と並立性は、通流速度が鋳貨総量の代わりをすることに制限を加える。

それらは、むしろ逆に、支払手段の節約の一つの新しい梃子となる。

諸支払いが同じ場所に集中するにつれて、諸支払の決済のための固有の施設と方法とが自然發生的に發達する。

たとえば中世のリヨンにおける”振替ヴイルマン”がそうである。

AのBに對する、BのCに對する、CのAに對する等々の諸債権は、ただ付き合わされさえすれば、一定の額までは、正および負の大きさとして互いに相殺される。

こうして、債務の差額だけが清算されればよい。

諸支払の集中が大量になればなるほど、それだけその差額は、したがって流通する支払手段の総量もまた、相対的に小さくなる。。

7

支払手段としての貨幣の機能は、一つの無媒介の〔直接的〕矛盾を含んでいる。

諸支払が相殺される限り、貨幣はただ観念的に、計算貨幣または価値尺度として機能するだけである。

現實の支払いが行われなければならない限りでは、貨幣は、流通手段として、すなわち、素材変換のただ一時的媒介的商品として登場するのではなく、社会的労働の個別的な化身、交換価値の自立的な定在、絶対的商品として登場する。

この矛盾は、生産恐慌・商業恐慌中の貨幣恐慌と呼ばれる時點で爆發する(99)。

貨幣恐慌が起きるのは、諸支払の過程的な連鎖と諸支払の相殺の人為的制度とが十分に發達している場合だけである。

この機構の比較的全般的な撹乱が起きれば、それがどこから生じようとも、貨幣は、突然かつ媒介なしに、計算機能というただ観念的なだけの姿態から硬い貨幣に急変する。

それは、卑俗な商品によっては代わりえないものになる。

商品の使用価値は無価値になり、商品の価値はそれ自身の価値形態をまえにして姿を消す。

つい先ほどまで、ブルジョアは、繁栄に酔いしれ、蒙を啓く とばかりにうぬぼれて、貨幣など空虚な妄想だ宣言していた。

商品だけが貨幣だと、と。

ところがいまや世界市場には、貨幣だけが商品だ!という声が響きわたる。

鹿が清水を慕いあえぐように〔旧約聖書、詩篇、42.2〕、ブルジョアの魂も貨幣を、この唯一の富を求めて慕いあえぐ(100)。

恐慌においては、商品とその価値姿態である貨幣との対立は絶対的矛盾にまで高められる。

それゆえまた、この場合には貨幣の現象形態はなんであろうとかまわない。

支払い用いられるのが、金であろうと、銀行券などのような信用貨幣であろうと、貨幣飢饉は貨幣飢饉である(101)。

本文ですべての全般的生産・商業恐慌の特殊的局面として規定されたこの貨幣恐慌は、同じく貨幣恐慌と呼ばれるが、自立的に生じうる、したがって商工業には反作用にのみ作用する特殊な種類の恐慌とは、はっきり区別されなければならない。

後者は、貨幣資本を運動の中心とし、それゆえ銀行、取引所、財政金融界をその直接の部面とする恐慌である(弾三版へのマルクスの注)。〔この括弧内の付記はエンゲルスのものと思われるが、これとほぼ同じ注は初版からある。初版の注81、第二版の注99。第三版で字句が修正された。〕

このような瞬間が「”商業の友”」によってどのように利用されるかは、次のとおり。

なかば政府機関紙である『ジ・オブザーヴァー』紙は、1864年4月24日にこう書いている。

8

さて、ある与えられた期間に通流する貨幣の総額を考察すれば、それは、通流手段および支払手段の通流速度が与えられている場合、実現されるべき商品価格総額に期限の来た諸支払総額を加え、それから相殺される諸支払いを差し引き、最後に同じ貨幣片があるときは流通手段として、あるときは支払手段として、かわるがわる機能する通流の回数を差し引いたものに等しい。

たとえば、農民が彼の穀物を2ポンド・スターリングを売るとすれば、その2ポンド・スターリングは流通手段として役立っている。

支払期日に彼はこの2ポンド・スターリングで彼がすでに織布者から供給されていたリンネルの支払いをする。

同じ2ポンド・スターリングが今度は支払い手段として機能する。

次に織布者は、一冊の聖書を現金で買う。

そうすると、2ポンド・スターリングは再び流通手段として機能する、などなど。

だから、諸価格、貨幣流通の速度、および諸支払いの節約が与えられていても、ある期間、たとえば1日の間に通流する貨幣の総量と、流通する商品の総量とは、もはや一致しない。

すでにずっと前に流通から引き上げられた諸商品を代表する貨幣が通流する。

その貨幣等価物がやっと将来になってから現れる諸商品が流通する。

他面、日々に契約される諸支払と、同じ日に支払期限達する諸支払とは、全く釣り合いの取れない大きさである(102)。

9

信用貨幣は、売られた商品に對する債務証書そのものが債権の移転のために再び流通することによって、支払手段としての貨幣の機能から直接的に生じてくる。

他面、信用制度が拡大するに連れて、支払手段としての貨幣の機能も拡大する。

このようなものとして、それは、大口取引の部面を住みかとし¥する独自の実存諸形態を受け取り、これに対して、金鋳貨または銀鋳貨は、主として小口取引の部面に押し戻される(103)。

現金が本来の商取引に入ることがどんなに少ないかを示す一環として、ここに、ロンドン最大の商会の一つ(モリスン。ディロン会社)の一年間の貨幣収入と支払いに関する表をあげよう。

この会社の取引高は、1856年には数百万ポンド・スターリングに登っているのだが、ここでは100万ポンド・スターリングの規模に縮小してある。

10

商品生産が一定の高さと広さに達すると、支払手段としての貨幣の機能は、商品流通の部面の外に及ぶようになる。

貨幣は契約の一般的商品となる(104)。

地代、租税などは、現物納付から貨幣支払いに転化する。

この転化が生産過程の総姿態によってどんなに強く制約されるかは、たとえば、あらゆる公課を貨幣で取り立てようとしたローマ帝国の試み二度にわたって失敗したことで証明されている。

ボワギュベール、ヴァボン将軍などがあのように雄弁に非難しているルイ14世治下のフランス農民の途方もない窮乏は、重税のせいだけでなく、現物税から貨幣税への天下のせいでもあった(105)。

他面、地代の現物形態がアジア——そこではそれが同時に国税の主要な要素である——では自然諸關係と同じような不変性を持って再生産される生産諸關係に基づいているとすれば、この支払形態は反作用的にこの旧来の生産形態を維持する。

それは、トルコ帝国の自己維持の秘密の一つをなしている。

もし、ヨーロッパによって押しつけられた対外貿易が、日本において現物地代の貨幣地代への転化をもたらすならば、日本の模範的な農業もおしまいである。

その狭い経済的実存諸關係は解消されるであろう。

11

どの国でも一定の一般的な支払期限が固定している。

これ等の支払期限は、再生産の他の諸循環を度外視すれば、一部は、季節の移り変わりに結び付いた生産の自然諸条件にもとづいている。

これらの支払期限は、租税、地代のような、直接には商品流通から發生するのではない諸支払をも規制する。

社会の表面全体に散らばっているこれらの支払いのために一年のうちの一定の諸期日に必要とされる貨幣の総量は、支払手段の節約に、周期的な、しかしまったく表面的な、攪乱を引き起こす(106)。

支払手段の通流速度に関する法則の帰結として、どんな起源をもつ支払であろうと、すべての周期的支払にとって必要な支払手段の総量は、諸支払期間の長さに正比例する(107)*1

1826年の議会の調査委員会でクレイグ氏は次のように述べている。

スコットランドにおける銀行券の実際の平均流通高は、300万ポンド・スターリングを割っていたにもかかわらず、1年のうち何回かの支払期限日には、銀行券の保有するすべての銀行券、つまり全部で約700万ポンド・スターリングの銀行券が残らず動員される。

こうした場合、銀行券はただ一つの独特な機能を果たさなければならないが、いったんこの役割を果たしてしまえば、そこから出ていった各銀行に流れ帰るのである(ジョン・フラートン『通貨調節論』、第二版、ロンドン、1845年、86ページ注〔福田譯、岩波文庫、115-116ページ〕)。

理解を助けるために付け加えると、フラートンの著作が出たころのスコットランドでは、預金に対して、小切手ではなくもっぱら銀行券が払い出されていたのである。

「年に4000万(*2を調達する必要があるとすれば、産業が必要とする回転および流通のために、同じく600万」(の金)「で足りるかどうか?」という問題に対して、ペティはいつものようにみごとに答える。

*1〔ここは、カウツキー版およびアドラツキー版以外の版本では「反比例」となっており、戦後のロシア語版、ドイツ語版、フランス語版など、たいていの版本で「正比例」に改められた。、マルクスは、支払手段の通流速度を制約する事情として、債権者・債務者の關係の連鎖と、様々な支払期限の間の時間の長さとをあげているが、これは支払期限(満期日)に達した債務についての行論である。したがって、「諸支払期間の長さ」を「支払期限と次の支払期限との隔たり」(週払いとか月払い)と解すれば、長い方が支払総額が大きくなるから「正比例」である。これに対して、「支払期間」を「支払が行われる期間」(1日とか1週間)と解すれば、長い方が同一の貨幣が支払手段として転々通流するので貨幣の必要量は少なくなり、「反比例」となる。マルクスは、ここでは「支払期限」について論じており、「期間」については、一か所しか言及しておらず、手記的支払を問題にしているため「諸支払期間」(周期的な期限と期限との間)としたものと思われる。第二巻、第九章末(本譯書、第二巻、298ページ)でこの分が再び引用されているが、ここで「反比例」と解すると矛盾した解釈をせざるをえなくなる。〕
*2〔ペティの原文では「400万」。ペティはイングランドとウェイルズの総人口の衣食住等のための総支出年額を4000万ポンド・スターリングとし、この運営に必要な貨幣量を、通流速度を考慮しつつ算定しているのであって、「400万」の調達で十分と解され、マルクスの誤記ないし誤植ではないかと思われる。大内・松川譯『租税貢納論』、岩波文庫、184ページの譯注参照。なお、同趣旨の記述はその著『政治算術』、第九章「この国民の産業を運営していくに足りるだけの貨幣があること(大内・松川譯、岩波文庫、142ページ)などにもある〕
12

支払手段としての貨幣の發展は、負債額の支払期限のための貨幣蓄積を必要とさせる。

自立的な致富形態としての蓄蔵貨幣形成がブルジョア社会の進展とともに消失するのに対して、支払手段の準備金の形態をとる築造貨幣形成はブルジョア社会の進展とともに逆に増大する。

c 世界貨幣
1

貨幣は、国内の流通部面から外へ歩み出るとともに、国内の流通部面で成長する価格の度量基準、鋳貨、補助鋳貨、および価値章標という局地的諸形態ををまた脱ぎ捨てて、貴金属のもともとの地金形態に逆戻りする。

世界商業では、諸商品はそれらの価値を普遍的に展開する。

だから、そこではまた諸商品の自立的な価値姿態が世界貨幣として諸商品と対峙する。

世界市場において初めて、貨幣は、その自然形態が同時に”抽象的”人間的労働の直接的に社会的な具現形態である商品として、全面的に機能する。

貨幣の定在様式はその概念にふさわしいものになる。

2

国内の流通部門では、ただ一つの商品だけが、価値尺度として、それゆえまた貨幣として役立つことができる。

世界市場では、二重の価値尺度、金と銀とが、支配する(108)。

だから、国内で貨幣として機能する貴金属だけを蓄蔵することを国家的銀行に命じる立法は、いずれも愚かなことである。

たとえば、イングランド銀行が、このようにして「愛嬌のある故障」を自分から生み出してことは、よく知られている。

金銀の比価の変動が著しかった歴史上の諸時代については、カール・マルクス『経済学批判』、136ページ以下〔邦譯『全集』、第13巻、132ページ以下〕を見よ。

——第二版への追加

サー・ロバート・ピールは、彼が提案した1844年の銀行法で、銀準備が金準備の4分の1を超えないことを条件に、銀地金を保証として銀行券を發行することをイングランド銀行に許すことによって、この不便を取り除こうとした。

その際、銀の価値は、ロンドン市場でのその市場価格(金での)によって評価されるのである。

——我々は、再び、金銀の比価が激しく変動する時代にある。約25年前には、金銀の比価は、15+1/2対1であったが、今ではほぼ22対1であ利。そして銀は金に比べてなお引き続き下落している。

これは、本質的には、両金属の生産方法における変革の帰結である。

以前には、金は、ほとんどもっぱら、金を含有する沖積層の、すなわち金を含有する岩石の風化の産物の、洗鉱だけで得られた。

今では、この方法はもはや間に合わないものになり、以前には二次的にしか行われなかった金を含有する石英鉱脈そのものの加工——これは、すでに古代人(ディオドロス〔J・F・ヴルム譯『歴史文庫』〕、第三巻、第12——14節〔258ー261ページ〕)にもよく知られていたが——によって後景に退けられている。

他面、アメリカのロッキー山脈の西部に新しい巨大な銀鉱床が發見されたばかりでなく、これらとメキシコの銀鉱山が鉄道によって開發された。

鉄道は近代的機械と燃料の供給を可能にし、それによって最大の規模とより低い費用での銀の採取を可能にした。

だが、量金属が鉱脈中に出てくる仕方には、大きな区別がある。

金は、大抵混じり物のない状態で出てくるが、その代わり、石英中に微少量づつ散在している。

だから、脈石全体を打ち砕いて金を洗い出すか、または、水銀によって抽出するかしなければならない。

そこで、100万グラムの石英からやっと1-3グラムの金が採れるに過ぎないことがよくあり、30-60グラムの金が採れることはめったにない。

銀は混じり物のない状態で出ることはまれであるが、その代わり、たいてい40-90%の銀を含有する、独自な、脈石から比較的容易に分離できる鉱石中に現れる。

あるいは、より少量ずつではあるが、それ自身すでに精錬のしがいがある銅、鉛などの鉱石中に含まれている。

すでにこれらのことからわかるのであるが、金を生産する労働は増大したのに、銀を生産する労働は決定的に減少したののであり、したがって、銀の価値低下は全く当然のことである。

この価値低下は、銀価格がいまもなお人為的な手段によって吊り上げられていなかったとすれば、もっと大きな価格低下として表現されたであろう。

だが、アメリカの銀埋蔵量はやっとその子部分が採掘できるようになっただけであるから、銀の価値がまだかなり長い間にわたって低下し続けるという見込みが十分にある。

加えて、日用品と奢侈品しゃしひん のための銀需要の相対的低下、銀に代わるメッキ品やアルミニウムなどの登場は、銀価値の低下をさらに一層促進するに違いない。

このことに照らせば、国際的強制通用が銀を再び1対15+1/2というもとの比価に押し上げるだろうという複本位制論の夢想性が推し量られるというものである。

むしろ、銀は、世界市場においても、その貨幣資格をますます失うであろう。──F・エンゲルス

3

世界貨幣は、一般的支払手段、一般的購買手段、および、富一般(”普遍的富”)の絶対的社会的体化物として機能する。

国際収支の差額を決済するための、支払手段としての機能が、〔他の機能に〕優先する。

それゆえに、重商主義のスローガンは言う──貿易差額を!と(109)。

さまざまな国民の間における素材変換の従来の均衡が突然攪乱されるたびに、金銀は本質的に国際的購買手段として役立つ。

最後に、金銀が富の絶対的社会的体化物として役立つのは、購買も支払いも問題ではなく、一国から他国への富の移転が問題である場合であり、しかも、商品形態によるこの移転が、商品市場の商況か、あるいは、所期の目的そのものによって、排除される場合である(110)。

重商主義は、金銀による貿易差額の超過分の決済が世界貿易の目的であると論じたが、その反対者は反対者で、世界貨幣の機能をまったく誤解した。

流通手段の総量を規制する諸法則の誤解が、貴金属の国際的運動の誤解にどのように反映するかは、私がリカードウに即して詳しく証明したところである。(『経済学批判』、150ページ〔邦譯『全集』、第13巻、145ページ〕以下)。

というリカードの誤ったドグマは、それゆえ、すでにバーボンに見られる。

マカロックは、『経済学文献。分類目録』(ロンドン、1845年)において、バーボンのこの先見の明を称賛しているが、バーボンにあっては「”通貨主義”」の筋の通らない諸前提がまだ素朴な諸形態をとって現れていることについては、言及することさえ、きわめて慎重に避けている。

この目録の無批判性およびむしろ不確実性は、貨幣理論の歴史についての諸篇においてその極みに達している。

なぜなら、マカロックはここで、彼が「”銀行家たちの定評ある指導者”」と呼ぶロード・オウヴァストン(元銀行家ロイド)の追従者として尻尾を振っているからである。

4

どの国も、その国内流通のために準備金を必要とするように、世界市場流通のために準備金を必要とする。

したがって、蓄蔵貨幣の諸機能は、一部は国内の流通手段および支払手段としての貨幣の機能から生じ、一部は世界貨幣としての貨幣の機能から生じる(110a)。

この後の方の役割においては、つねに、現實の貨幣商品、生身の金銀が必要とされる。

それだからこそ、ジェイムズ・スチュアトは、金銀を、その単に局地的な代理物と区別して、はっきりと”世界貨幣(”として性格づけるのである。

5

金銀の流れの運動は、一つの二重運動である。

一面では、その流れは、その産源池から世界市場の全体に広がり、そこにおいて様々な国民的流通部面よって様々な規模で引き入れられ、それらの国の国内通流水路に入り、摩減した金銀鋳貨を補填し、奢侈品の材料を提供し、また蓄蔵貨幣に凝結する(111)。

この第一の運動は、諸商品に実現された国民的労働と貴金属に実現された金銀産出諸国の労働との直接的交換によって媒介されている。

他面、金銀は、様々な国民的流通部面のあいだを絶えず往復する。

これは、為替相場のやむことのない動揺の後を追う運動である(112)。

6

ブルジョア的生産の發展している諸国は、銀行という貯水池に大量に集約される蓄蔵貨幣を、その独自な諸機能のために必要とされる最小限にまで制限する(113)。

一定の例外を除けば、蓄蔵貨幣の貯水池がその平均水準を超えて目立ってあふれるということは、商品流通の停滞か、または商品変態の流れの中断を指し示すものである(114)。

これらの様々な機能は、銀行券のための兌換準備金の機能が加わるや否や、危険な衝突に陥ることがある。

第1節 資本の一般的定式

1

商品流通は資本の出發點である。

商品生産、および發達した商品流通——商業——は(*1、資本が成立する歴史的諸前提をなす。

世界商業および世界市場は、16世紀に資本の近代的生活史を開く(*2

2

商品流通の素材的内容、すなわち様々な使用価値の交換を度外視して、この過程が生み出す経済的諸形態だけを考察するならば、我々はこの過程の最後の産物として、貨幣を見出す。

商品流通のこの最後の産物が、資本の最初の現象形態である。

3

歴史的には、資本は、どこでも最初はまず貨幣の形態で、貨幣財産すなわち商人資本および高利資本として、土地所有に相對する(1)。

とはいえ、貨幣を資本の最初の現象形態として認識するためには、資本の成立史を解雇する必要はない。

同じ歴史が、日々、我々の目の前で繰り広げられている。

新たな資本は、いずれも、まず持って、いまなお貨幣——一定の諸過程を経て自ら資本に転化すべき貨幣——として、舞台に、すなわち商品市場、労働市場、または貨幣市場という市場に登場する。

人格的な奴隷・支配關係に基づく土地所有の権力と、非人格的な貨幣の権力との対立は、次の二つのフランスの諺にはっきり言い表されている。

4

貨幣としての貨幣と資本としての貨幣とは、差し当たり、それらの流通形態の相違によってのみ区別される。

商品流通の直接的形態は、WーGーW、商品の貨幣への転化および貨幣の商品への再転化、買うために売る、である。

しかし、この形態の他に我々は、それとは独特に区別される第二の形態GーW-G、貨幣の商品へのてんかおよび商品の貨幣への再転化、得るために買う、を見出す。

この後の方の流通を描いて運動する貨幣が、資本に転化し、資本に生成するのであって、その性質規定からみてすでに資本である。

5

流通GーWーGをもっと詳しく見よう。

それは、単純な商品流通と同じく、二つの対立する局面を通る。

第一の局面であるGーW、購買では、貨幣が商品に転化される。

第二の局面であるWーG、販売では、商品が貨幣に再転化される。

そして、この両局面統一は、貨幣を商品と交換し、その同じ商品を再び貨幣と交換するという、すなわち売るために商品を買うという総運動である。

あるいは、購買と販売という形式上の区別を問わないとすれば、貨幣で商品を買い、その商品で貨幣を買う(2)と言いいう総運動である。

この全過程が消え失せて生じる結果は、貨幣t貨幣の交換、GーGである。

私が100ポンド・スターリングで2000ポンドの綿花を買い、その2000ポンドの綿花を再び110ポンド・スターリングで得るとすれば、結局私は100ポンド・スターリングを110ポンド・スターリングと、貨幣と貨幣を交換したことになる。

6

そこで、全く明らかなことであるが、もし回り道をして同じ貨幣価値を同じ貨幣価値と、すなわち、たとえば、100ポンド・スターリングを100ポンド・スターリングと交換しようとするのであれば、流通過程GーWーGは馬鹿げた無内容なものであろう。

それに比べれば、自分の100ポンド・スターリングを流通の危険に晒さずに握りしめている貨幣蓄蔵者のやり方の方が、はるかに簡単で確実であろう。

他方では、商人が100ポンド・スターリングで買った綿花を今度は110ポンド・スターリングで売ろうと、またはそれを100ポンド・スターリングで、また場合によっては50ポンド・スターリングでさえも売り飛ばさざるをえなくなろうと、いずれにしても彼の貨幣は、単純な商品流通での運動、たとえば、穀物を売りしれで手に言に入れた貨幣で衣服を買う農民の手のなkでの運動とは、全く種類の異なる、一つの独自で特色のある運動を描いたのである。

従って、まず、循環GーWーGと形態上の区別の特徴を明らかにすることが重要である。

この特徴を明らかにすれば、同時に、これらの形態上の区別の背後に隠れている内容上の区別も明らかになるであろう。

7

まず両方の形態に共通なものを見よう。

どちらの循環も、同じ二つの相対立する局面、すなわちWーG、販売と、GーW、購買とに分かれる。

この両局面のどちらにおいても、商品と貨幣という同じ二つの物的要素が相対しており、買い手と売り手という二人の同じ経済的扮装を人物が相対している。

両方の循環は、どちらも同じ対立する二局面の統一である。

そして、どちらの場合にも、この統一は三人の契約当事者の登場において媒介されていて、そのうちの一人は売るだけであり、もう一人は買うだけであるが、第三の人は交互に買ったり売ったりする。

8

とはいえ、両方の循環W-G-WとG-W-Gとをもともと区別するのは、同じ対立する二つの流通局面順序が逆なことである。

単純な流通商品は、販売で始まって購買で終わり、資本としての貨幣の流通は、購買で販売で終わる。

前の場合には商品が、後の場合には貨幣が、運動の出發點と終點をなしている。

第一の形態では貨幣が、第二の形態では逆に商品が、全経過を媒介する。

9

流通W-G-Wでは、貨幣は最後には、使用価値として役立つ商品に転化される。

したがって、貨幣は最終的に支出される。

これに反して、逆の形態GーWーGでは、買い手が貨幣を支出するのは、売り手として貨幣を受け取るためである。

商品の購買に際して彼が貨幣を流通に投げ入れるのは、その同じ商品の販売によって貨幣を再び流通から引き上げるためである。

彼が貨幣を手放すのは、再びそれを手に入れようという、ずるい下心があってのことにほかならない。

それゆえ、貨幣は前貸しされるに過ぎない(3)。

10

形態W-G-Wでは、同じ貨幣片が二度その場所を変える。

売り手は、買い手から貨幣を受け取って、もう一人の別の売り手にそれを支払ってしまう。

商品と引き換えに貨幣を手に入れることで始まる総過程は、商品と引き換えに貨幣を引き渡すことで終わる。

形態GーWーGでは逆である。

この場合に二度場所を変えるのは、同じ貨幣片ではなくて、同じ商品である。

買い手は、売り手から商品を受け取って、それをもう一人の別の買い手に引き渡す。

同じ貨幣片ではなくて、同じ商品である。

単純な商品流通では、同じ貨幣片の二度の場所変換がその貨幣片をある人の手から別の人の手に最終的に映すのであるが、この場合には同じ商品の二度の場所変換が貨幣をその最初の出發點に還流させるのである。

11

出發點への貨幣の還流は、商品が買われたときよりも高価に売られるかどうかということにはかかわりがない。

この〔より高価に売られるかどうかという〕事情は、還流する貨幣額の大きさに影響するだけである。

還流という現象そのものは、買われた商品が再び売られ、こうして循環G-WーGが完全に描かれるならば、ただちに發生する。

したがって、これは、資本としての貨幣の流通と、単なる貨幣としての貨幣の流通の間の、感性的に認められうる区分である。

12

循環W-G-Wは、ある商品の販売が貨幣をもたらし、その貨幣を別の商品の購買がまた持ち去れば、それでただちに完全に終わってしまう。

もし、それにもかかわらず出發點への貨幣の還流が生じるとすれば、それはもっぱら全行程の更新または反復によるのである。

私が1クォーターの穀物を3ポンド・スターリングで売り、この3ポンド・スターリングで衣服を買うならば、この3ポンド・スターリングは、私にとって最終的に支出される。

私はその3ポンド・スターリングとはもはやなんの関わり合いもない。

それは衣服商人のものである。

そこでもし、私がさらにもおう1クォーターの穀物を売るならば貨幣は私のもとに還流するのであるが、しかしそれは、第一の取引の結果としてでなく、ただそのような取引の反復の結果としてである。

私が、第二の取引を終えて新たに買うとすれば、貨幣はまた私から離れていく。

したがって、流通WーG-Wでは、貨幣の支出はその還流とは何の関わり合いもない。

これに反して、G-WーGでは、貨幣の還流が貨幣の支出の仕方そのものによって条件づけられている。

この還流がないならば、操作が失敗したか、または過程が中断されてまだ完了していないか──なぜなら、過程の第二の局面、すなわち購買を補って完結させる販売、が欠けているから──である。

13

循環W-GーWは、ある一つの商品の極から出發して別の一商品の極で終結するのであって、このあとの商品は流通から出て消費に委ねられる。

それゆえ、消費、欲求の充足、一言でいえば使用価値が、この循環の究極目的である。

これに反して、循環G-WーGは、貨幣の極から出發して、最後に同じ極に帰ってくる。

それゆえ、この循環を推進する動機とそれを規定する目的とは、交換価値そのものである。

2

単純な商品流通においては、両極が同じ経済的価値を持つ。

それらは同じ商品である。

それらはまた、同じ大きさの価値を持つ商品である。

しかしそれらは、質的に異なる使用価値、たとえば穀物と衣服である。

ここでは、生産物交換、すなわち社会的労働がそれで自らを表す様々な素材の変換が、運度の内容をなす。

流通G-WーGにおいては、それとは異なる。

この流通は一見したところ無内容に見える。

なぜなら、同義反復的であるからである。

両極は同じ経済的形態をもつ。

それらはどちらも貨幣であり、したがって質的に異なる使用価値ではない。

というのは、貨幣は諸商品の転化した姿態にほかならず、この姿態において諸商品の特殊的使用価値は消え失せているからである。

まず、100ポンド・スターリングを綿花と交換し、次いで、その同じ綿花を再び100ポンド・スターリングと交換すること、すなわち回道をして貨幣を貨幣と、同じものを同じものと交換することは、ばかばかしくもあれば無目的でもあるように見える(4)。

総じて、ある貨幣額が別の貨幣額から区別されうるのは、その大きさの違いだけによるのである。

それゆえ、過程G-WーGは、その両極がともに貨幣であるから、両極の質的な区別のよってではなく、もっぱら両極の量的な相違によって、その内容が与えられる。

100ポンド・スターリング買われた綿花が、たとえば100プラス10ポンド・スターリング、すなわち110ポンド・スターリングでふたたび売られる。

それゆえ、この過程の完全な形態は、G-WーG’であり、このG’はG+⊿Gすなわち、最初に前貸しされた貨幣額プラスある増加分、に等しい。

この増加分、または最初の価値を超える超過分を、私は剰余価値メーアヴェルト(surplus value)と名付ける。

それゆえ、最初に前貸しされた価値は、流通の中で自己を維持するだけでなく、流通の中でその価値の大きさを変え、ある剰余価値を付け加える。

すなわち自己を増殖する。

そして、この運動が、それ〔最初に前貸しされた価値〕を資本に転化させるのである。

「商業」および「投機」を”職責上”論じているある著作には次のように書かれている。

G-Gすなわち、貨幣を貨幣と交換することは、商業資本の特徴的な流通形態であるのみならず、すべての資本のそれでもあることがコーベトにはわかっていないとはいえ、少なくとも彼は、商業の一種である投機ののこの流通形態が賭博と共通であることは認めている。

だが、そこへマカロックがやってきて、売るために買うことは投機することであり、したがって投機と商業とのあいだの区別は消えてなくなる、ということを見出す。

アムステルダム取引所のピンダロス〔ギリシアの叙情詩人〕であるピントは、これよりもはるかに素朴に言う。

14

W-G-Wにおいて、両極のWとW、たとえば穀物と衣服とが、量的に異なった大きさの価値であるということも、確かにありうる。

農民が自分の穀物をその価値よりお高く売ったり、衣服をその価値よりも安くかったりすることはありうる。

また、彼の方が、衣服商人に騙されることもありうる。

とはいえ、このような価値の不一致は、この流通形態そのものにとっては全く偶然であるに過ぎない。

その両極、たとえば穀物と衣服とが等価物であっても、流通形態が過程GーWーGのように無意味になってしまうことは決してない。

両極が等価物だということは、ここではむしろ正常な経過の条件なのである。

15

買うための販売の反復または更新は、この過程そのものと同じく、この過程の外にある究極目的、消費に、すなわち特定の諸欲求の充足に、その限度と目標とを見出す。

これに反して、販売のための購買では、始まりも終わりも同じもの、貨幣、交換価値であり、そしてすでにこのことによって、その運動は無限である。

確かに、GがG+ΔG になり、100ポンド・スターリングが100プラス10ポンド・スターリングになっている。

しかし、単に質的に考察すれば、110ポンド・スターリングは100ポンド・スターリングと同じようにある限定された価値額である。

もし110ポンド・スターリングが貨幣として支出されるとすれば、それは自分の役割を捨てることになるであろう。

それは資本であることをやめるであろう。

もし流通から引き上げられれば、それは蓄蔵貨幣に石化して、最後の審判の日〔世界の末日〕まで蓄え続けられてもびた一文も増えはしない。

ひとたび価値の増殖なるものが問題となれば、増殖の欲求は、110ポンド・スターリングの場合も100ポンド・スターリングの場合と同じである。

というのは、両者ともに交換価値の限定された表現であり、したがって両者ともに、大きさの増大によって富自体に近づくという同じ使命を持つからである。

確かに、最初に前貸された価値である100ポンド・スターリングは、流通においてその価値に付け加えられる10ポンド・スターリングの剰余価値から一瞬のあいだ区別されはするが、しかしこの区別はすぐにまた消えてなくなる。

過程の終わりには、一方の側に100ポンド・スターリングという元の価値が、そして他方には10ポンド・スターリングという剰余価値が出てくる、というわけではない。

出てくるのは、110ポンド・スターリングという一つの価値であって、それは最初の100ポンド・スターリングと同じく、全く価値増殖過程を開始するのに適した形態にある。

運動の終わりには、貨幣がふたたび運動の始まりとして出てくる(5)。

それゆえ、販売のための購買が行われる各個の循環の終わりには、おのずから新たな循環の始まりをなす。

単純な商品流通——購買のための販売——は、流通の外にある究極目的、すなわち使用価値の取得、欲求の充足、のための手段として役立つ。

これに反して、資本としての貨幣の流通は自己目的である。

というのは、価値の増殖は、この絶えず更新される運動の内部にのみ実存するからである。

それゆえ、資本の運動には際限がない(6)。

(5)

(6)

アリストテレスは貨殖術に家政術を対立させる。彼は家政術から出發する。それが生計術である限りでは、それは、生活に必要な財貨と家または国家にとって有用な財貨とを調達することに局限される。

彼はさらに次のように説明する。

それゆえ商品取引の最初の形態は物々交換であったのであるが、しかしそれが拡大されるにつれて必然的に貨幣が生じてきた。〔原文では「必然的に貨幣の使用が工夫されるに至った」〕。

貨幣の發明とともに、物々交換は必然的にカペーリケに、すなわち商品取引に發展せざるを得なかった。

そして、この商品取引は、その最初の傾向とは矛盾して、貨殖術すなわち金儲け術になった。

そこで貨殖術が家政術から区別されるのは「貨殖術にとっては、流通が富の源泉である」ことによってである。

16

この運動の意識的な担い手として、貨幣所有者は資本家になる。

彼の人格、またはむしろ彼のポケットは、貨幣の出發點であり帰着點である。

あの流通〔GーWーG〕の客観的内容——価値の増殖——は彼の主観的目的である。

そして、ただ抽象的富をますます多く取得することが彼の操作の唯一の推進的動機である限りでのみ、彼は資本家として、または人格化された——意思と意識とを与えられた——資本として、機能するのである。

それゆえ、使用価値は、決して資本家の直接的目的として取り扱われるべきではない(7)。

個々の利得もまたそう取り扱われるべきでなく、利得することの休みのない運動のみが資本家の直接的目的として取り扱われるべきである。(8)。

この絶対的な致富衝動、この熱情的な価値の追求(9)は、資本家と貨幣蓄蔵者とに共通であるが、しかし、貨幣貯蔵者は狂気の沙汰の資本家でしかないのに、資本家は合理的な貨幣蓄蔵者である。

価値の休みのない増殖——貨幣蓄蔵者は、貨幣を流通から救い出そうとすること(10)を追求するのであるが、より賢明な資本家は、貨幣を絶えず繰り返し流通に委ねることによってこのことを達成する(10a)。

もちろん、この洞察は、同じマカロックおよびその仲間たちが理論的な当惑に陥ったとき、例えば過剰生産を論じる際に、彼らがこの同じ資本家を善良な市民——すなわち使用価値だけを問題にし、しかも長靴、帽子、卵、キャラコその他の極めてありふれた種類の使用価値に対して、真の人狼的(*2な渇望をさえ發揮する善良な市民——に転化することを妨げるものではない。

Σωζειν〔救う〕という言葉は、財宝の蓄蔵を表すギリシア語特有の表現の一つである。

同様に〔英語の〕to saveという言葉にも、救うという意味と同時に蓄えるという意味がある。

17

商品の価値が単純な流通においてとる自立的形態——貨幣形態——は、商品交換を媒介するのみであって、運動の最終の結果においては消え失せる。

これに反して、流通GーWーGにおいては、商品と貨幣とはともに、価値そのものの異なる実存様式として——すなわち貨幣は価値の一般的実損傷式として、商品は価値の特殊ないわばただ仮装しただけの実存様式として——機能するに過ぎない(11)。

価値は、この運動の中で失われることなく、絶えず一つの形態から別の形態へ移っていき、こうして一つの自動的な主体に転化する。

自己を増殖しつつある価値がその生活の循環の中で代わる代わるとる特殊な現象諸形態を固定させてみれば、そこで得られるのは、資本は貨幣である、資本は商品である、という説明である(12)。

しかし、実際には、価値はここでは過程の主体になるのであって、この過程の中で貨幣と商品とに絶えず携帯を変換しながらその大きさそのものを変え、原価値としての自己自身から剰余価値としての自己を押し出して、自己自身を増殖するのである。

というのは、価値が剰余価値を付け加える運動は、価値自身の運動であり、価値の増殖であり、したがって自己増殖であるからである。

価値は、それが価値であるがゆえに価値を生むという、摩訶不思議オカルトな資質を受け取った。

それは、生きた子を生むか、または少なくとも金の卵を生むのである。

18

価値は、貨幣形態および商品形態をあるいはとりあるいは脱ぎ捨てながら、しかもこの変換の中で自己を維持し拡大するのであるが、このような過程の支配的主体として、価値は何よりもまず、それによって価値の自己自身との同一性が確認されるような一つの自立的形態を必要とする。

そして、このよな形態を、価値はただ貨幣という形でのみ持つ。

それゆえ、貨幣は、あらゆる価値増殖過程の出發點と終點とをなす。

それは、100ポンド・スターリング出会ったが、今では110ポンド・スターリングである、等々。

しかし、貨幣そのものは、ここでは価値の一つの形態として通用するだけである。

というのは、価値は二つの形態を持つからである。

商品形態をとることなしには、貨幣が資本になることはない。

したがって、貨幣はこの場合には、蓄蔵貨幣形成の場合のように商品に対して敵対的に登場することはない。

資本家の知っているように、全ての商品は、いかにみすぼらしく見えようとも、またいかに嫌な臭いがしようとも、神かけて紛れもなく貨幣であり、内面的に割礼を受けた(ユダヤ人〔真のユダヤ人〕であり、しかもその上、貨幣をより多くの貨幣にするための奇跡的手段である。

*〔霊による心の割礼にちなむ。新約聖書、ローマ、2.28ー29参照〕
19

単純な流通においては、商品の価値は、その使用価値に相対してせいぜい貨幣という自立的形態を受け取るに過ぎないが、この場合はその価値が突然に、過程を進みつつある、自ら運動しつつある實體 じったい として現れるのであって、この實體じったいにとっては、商品および貨幣は二つの単なる形態に過ぎない。

しかもそれだけではない。

価値はいまや、商品關係を表す代わりに、いわば自己自身に對する私的な關係に入り込む。

それは、原価値としての自己を、剰余価値としての自己から区別し、父なる神としての自己を、子なる神としての自己自身から区別するのであるが、父も子もともに同じ年齢であり、しかも、実はただ一個の人格でしかない。

というのは、前貸された100ポンド・スターリングは、10ポンド・スターリングの剰余価値によってのみ資本になるのであって、それが資本になるやいなや、すなわち子が生まれそして子によって父が生まれるやいなや、両者の区別は再び消え失せ、両者は一者、110ポンド・スターリングであるからである。

20

したがって、価値は、過程を進みつつある貨幣になり、そしてこのようなものとして資本になる。

価値は、流通から出てきて再び流通に入り込み、流通の中で自己を維持しかつ幾倍にもし、増大して流通から戻ってくるのであり、そしてこの同じ循環を絶えず繰り返した新たに始めるのである(13)。

GーG’、貨幣を生む貨幣——money which begets money(——これが、資本の最初の代弁者である重商主義者たちの語った資本の記述である。

*〔イギリスをはじめヨーロッパ各地の、16ー17世紀の「金は金を生む」という諺にちなむ〕
3

売るために買うこと、またはもっと完全に言えば、より高く売るために買うこと、GーWーG’は、確かに、資本の一種である商人資本だけに固有な形態のように見える。

しかし、産業資本もまた、貨幣——自己を商品に転化し商品の販売によって自己をより多くの貨幣にである。

購買と販売との合間に流通部面の外部で行われるであろう諸行為は、この運動の形態をいささかも変えはしない。

最後に、利子生み資本主義においては、流通GーWーG’は、短縮されて、媒介なしのそれの結果として、いわば簡潔体で、GーG’、すなわちより多くの貨幣に等しい貨幣、自己自身よりも大きい価値として、現れる。

21

したがって事実上、GーWーG’は、直接に流通部面に現れる資本の一般的定式である。

第二節 一般的定式の諸矛盾

1

貨幣がさなぎ の状態を脱して資本に成長するさいの流通形態は、商品、価値、貨幣、および流通そのものの本性について以前に展開されたいっさいの法則に矛盾する。

この流通形態を単純な商品流通から区別するものは、同じ二つの相対立する過程である販売および購買の順序の転倒である。

では、このような純粋に形式上の区別が、どのようにして、これらの過程の本性を魔術的に変えてしまうのであろうか?

2

それだけではない。

この転倒は、互いに取り引きし合う三人の取り引き仲間のうちの一人にとって実存するだけである。

私は、単純な商品所有者としては商品をBに売り、次に商品を商品をAから買うのであるが、資本家としては、商品をAから買い、こんどはそれをBに売る。

取り引き仲間のAとBとにとってはこのような区別は実存しない。

彼らはただ、商品の買い手または売り手として登場するだけである。

私自身も、そのつど単純な貨幣所有者または商品所有者として、買い手または売り手としてとして、かれらに相對するのであり、しかも私は、どちらの順序においても、一方の人にはただ買い手として、他方の人にはただ売り手として、一方の人にはただ貨幣として、他方の人にはただ商品として、相對するだけである。

どちらの人にも資本または資本家として、すなわち、貨幣もしくは商品以上のなんらかのもの、あるいは貨幣もしくは商品の作用以外の作用をなしうるもの、の代表として、相對するのではない。

私にとっては、Aからの購買とBへの販売とは、一つの順序をなしている。

しかし、これら二つの行為の関連は、ただ私にとって実存するだけである。

Bとの私の取り引きはAがかかわり知るところではないし、またAとの私の取り引きはBがかかわり知るところでもない。

もし私が彼らに向かって、順序を転倒することによって特別な功績を打ち立てるのだなどと説明しようとすれば、彼らは私に向かって、私が順序そのものを間違えているのだということ、全取り引きは購買で始まって販売で終わったのではなく、その逆に、販売で始まって購買で終わったのだということを、証明するであろう。

実際のところ、私の第一の行為である購買はAの立場からは販売であり、私の第二の行為である販売はBの立場からは購買であった。

それだけでは満足しないで、AとBは、この順序全体が余計なものであり、ごまかしであったとのだと言明するであろう。

Aはその商品を直接にBに売り、Bはそれを直接にAから買うであろう。

そうすれば、全取り引きは普通の商品流通の秘湯の一方的行為に縮まって、Aの立場からは単なる販売、Bの立場からは単なる購買になる。

したがって、我々は、順序を転倒することによっては単純な商品流通の部面を超え出たことにはならないのであって、むしろ我々は、単純な商品流通が、その本性上、この流通に入り込む価値の増殖、したがって剰余価値の形成を許すかどうかを見極めなければならない。

3

流通過程が単なる商品交換として現れるような形態にある場合をとってみよう。

二人の商品所有者が互いに商品を買い合って、相互の貨幣請求権の差額を支払日に決済するという場合は、いつでもそれに該当する。

貨幣はこの場合には、商品の価値をその価格で表現するために計算貨幣として役立つのであって、商品そのものに物的に〔現金で〕相対してはいない。

使用価値が問題となる限りでは、明らかに両方の交換者が得をすることができる。

両方とも、自分にとって使用価値としては無用な商品を譲渡して、自分が使用するために必要な商品を手に入れる。

しかも、このような利益だけが唯一の利益ではないであろう。

ワインを売って穀物を買うAは、おそらく、穀物栽培者Bが同じ労働時間内に生産しうるよりも多くのワインを生産するであろうし、また、穀物栽培者Bは、同じ労働時間内にブドウ栽培者Aが、生産しうるよりも多くの穀物を生産するであろう。

したがって、この二人のそれぞれが、交換によらないで、自分自身でワインや穀物を生産しなければならない場合に比べれば、同じ交換価値と引き換えに、Aはより多くの穀物を手に入れ、Bはより多くのワインを手に入れる。

したがって使用価値に関しては、「交換は両方の側が得をする取り引きである(14)」と言える。

交換価値についてはそうではない。

「ワインは多く持っているが穀物は持っていない男が、穀物は多く持っているがワインは持っていない男と取り引きして、彼らのあいだで50の価値ある小麦が50の価値あるワインと交換されるとしよう。この交換は、前者にとっても後者にとっても、交換価値の増加ではない。とうのは、彼らのそれぞれが、すでに交換以前に、彼がこの操作によって手に入れた価値と等しい価値を持っていたのであるから(15)」。

貨幣が流通手段として商品と商品との間に入り込み、購買と販売という行為が感性的に分裂しても、事態にはなんの変りもない(16)。

商品の価値は、商品が流通に入り込む前に、その価格で表されているのであり、したがって流通の前提であって、結果ではない(17)。

同じ著者は、『経済学概論』としても刊行された。

メルシエ・ド・ラ・リヴィエール『政治社会の自然的および本質的秩序』、544ページ

4

抽象的に考察すると、すなわち、単純な商品流通の内在的な諸法則からは出てこない諸事情を度外視すると、単純な商品流通においては、ある使用価値が別の使用価値と取り替えられるということを除けば、商品の変態、商品の単なる形態変換のほかには何も起こらない。

同じ価値、すなわち同じ分量の対象化された社会的労働が、同じ商品所有者の手の中に、最初には彼の商品の姿態で、次にはこの商品が転化される貨幣の姿態で、最後にはこの貨幣が再転化される商品の姿態で、とどまっている。

この形態変換は価値の大きさの変化を少しも含まない。

ところで、商品の価値そのものがこの過程でこうむる変換は、その貨幣形態の変換に限られている。

この貨幣形態は、最初は売りに出された商品の価格として、次にはある貨幣額、といってもすでに価格に表現されていた貨幣額として、最後にはある等価商品の価格として、実存する。

この形態変換は、ちょうど5ポンド銀行券をソヴリン金貨、およびシリング銀貨と両替する場合と同じように、その自体として価値の変化を含んでいない。

したがって、商品の流通は、それが単に商品価値の形態変換のみをもたらすに過ぎない限り、この現象が純粋に起こる場合に、等価物同士の好感をもたらす。それゆえ、価値がなんであるかをほとんど感づいていない俗流経済学者でさえも、それがそれなりのやり方で現象を純粋に考察しようとするときにはいつでも、需要と供給とが一致するということ、すなわちそれらの作用は総じてなくなるということを想定するのである。

したがって、使用価値に関しては交換者の両方が得をすることがありうるとしても、交換価値で両方が得をするということはあり得ない。

この場合にはむしろ、「平等のあるところに得はない」と言われる。

なるほど商品は、その価値から背離した価格で売られることもありうるが、しかしこの背離は、商品交換の法則の侵害として現れる(19)。

商品交換は、その純粋な姿態においては、等価物どうしの交換であり、したがって価値を増やす手段ではない(20)。

ガリアーニ『貨幣について』、クスートディ編〔前出叢書〕、近代篇、第四巻、244ページ。

5

それゆえ、商品流通を剰余価値の源泉として叙述しようとする試みの背後には、たいてい一つの”取り違え”〔quid pro quo〕、使用価値と交換価値の取り違えが、隠れている。

たとえばコンディヤックの場合は次のようにである──

これでわかるように、コンディヤックは、使用価値と交換価値を混同しているだけでなく、全く子供じみたやり方で、發達した商品生産の行われている社会を、生産者が自分の生活維持手段を自分で生産し自分の欲求を超える超過分、余剰分だけを流通に投じるような状態とすり替えているのである(22)。

とはいえ、コンディヤックの議論はしばしば現代の経済学者たちにあっても繰り返されているのであって、ことに、商品交換の發達した姿態である商業を、剰余価値を生産するものとして叙述しようとする場合がそうである。

たとえば、次のように言う──

と。

しかし、人は商品に二重に──一度はその使用価値に、もう一度はその価値に──支払はしない。

しかも、たとえ商品の使用価値が売り手によりも買い手にとって有用物であるとしても、その貨幣形態は、買い手よりも売り手にとって有用である。

でなければ、彼をそれを売ったりするであろうか?

したがって、同じように、こう言うこともできるであろう──買い手は、たとえば商人の靴下を貨幣に転化させることによって、文字通り一つの「生産行為」を行うのだと、と。

コンディヤック『商業と政府』(1776年)。所収、デールおよびモリナリ編『経済学論集』、パリ、1847年、267、291ページ。

それゆえ、ル・トローヌがその友コンディヤックに次のように答えているのは全く正しい──

〔前出、907ページ〕と。

同時に彼は次のような皮肉でコンディヤックをからかっている──

〔前出、904ページ〕。

コンディヤックは、交換価値の本性には少しも感づいていないからこそ、彼は、教授ヴィルヘルム・ロッシャー氏その人の子供じみた概念に對するお似合いの保証人なのである。ロッシャーの『国民経済学原理』、第三版、1858年、を見よ。

S・P・ニューマン『経済学要論』、アンドウヴァーおよびニューヨーク、1835年、175ページ。

6

もし交換価値の等しい商品どうしが、または交換価値の等しい商品と貨幣とが、したがって等価物どうしが交換されるならば、明らかにだれも、自分が流通に投じるよりも多くの価値を流通から引き出しはしない。

その場合には剰余価値の形成は行われない。

ところが、商品の流通過程がその純粋な形態において前提とするのは、等価物どうしの交換である。

とはいえ、現實には何事も純粋に運びはしない。

それゆえ我々は、非等価物の間の交換を想定してみよう。

7

どの場合でも、商品市場では商品所有者が商品所有者に相對するだけであり、これらの人々が互いに及ぼし合う力は彼らの商品の力でしかない。

諸商品の素材的相違は、交換の素材的動機であって、商品所有者たちを互いに相手に依存させ合う。

というのは、彼らのうちの誰一人として自分の手の中に自分自身の欲求の対象をもっておらず、各々がその手の中に他人の欲求の対象をもっているからである。

諸商品の使用価値のこのような素材的相違の他には、諸商品の間にはもう一つの区別が、すなわち諸用品の自然形態と諸商品の転化した形態との間の、商品と貨幣との間の区別があるだけである。

すなわち、商品所有者たちは、売り手すなわち商品所有者として、および買い手すなわち貨幣所有者として、区別されるだけである。

8

いま、なんらかの説明のつかない特権によって、売り手が商品をその価値以上に売ること、その価値が100なのに110で、したがって10%の名目的な価格引き上げをして売ることが許されると仮定しよう。

したがって売り手は10の剰余価値を徴収する。

しかし彼は、売り手であったあとでは買い手になる。

いまや第三の商品所有者が売り手として彼に出会い、この売り手もまた商品を10%高く売る特権を享受する。

さきの男は、売り手としては10だけ得をしたが、買い手としては10だけ損をする(24)。

全体としては、事実上、すべての商品所有者が自分たちの商品を互いにその価値よりも10%高く売り合うということであり、それは、あたかも彼らが商品をその価値通りに売ったのとまったく同じ、ということになる。

諸商品のこのような全般的な名目的価格引き上げは、ちょうど、商品価値がたとえば金の代わりに銀で評価されるような場合と同じ結果を生み出す。

諸商品の貨幣名すなわち価格は膨張するであろうが、諸商品の価値關係は不変のままである。

9

逆に我々は、商品をその価値以下で買うことが買い手の特権だと想定してみよう。

この場合には、買い手がふたたび売り手になるということを思い出す必要は少しもない。

彼は、買い手になる前に売り手であった。

彼は、買い手として10%儲ける前に、すでに売り手として10%の損をしていたのである(25)。

すべてはやはりもとのままである。

10

剰余価値の形成、それゆえまた貨幣の資本への転化は、したがって、売り手たちが商品をその価値以上に売るということによっても、また、買い手たちが商品をその価値以下で買うということによっても、説明されえないのである(26)。

11

無縁な諸關係をこっそり持ち込んで、たとえばトランズ大佐とともに次のようなことを言ってみても、問題は少しも簡単にはならない。──

流通においては、生産者と消費者とは、売り手と買い手として相對するだけである。

生産者にとっての剰余価値は消費者が商品に価値以上に支払うことから生じる、と主張することは、商品所有者は売り手として高すぎる価格で売る特権をもっている、という単純な命題を仮装させるだけのことでしかない。

売り手は商品をみずから生産したのであるか、それとも商品の生産者を代表しているかであるが、同様に買い手もまた、彼の貨幣で表されている商品をみずから生産したのであるか、それともその商品の生産者を代表しているかである。

したがって、相對するのは、生産者と生産者である。

彼らを区別するものは、一方は買い、他方は売る、ということである。

商品所有者は、生産者という名では商品をその価値以上に売り、消費者という名では消費者に高すぎる価格を支払う、ということによっては、我々は一歩も前進させられはしない(28)。

R・トランズ『富の生産に関する一論』、ロンドン、1821年、349ページ。

12

それゆえ、剰余価値が名目的な価格引き上げから生じるとか、商品を高すぎる価格で売る売り手の特権から生じるとかいう幻想を一貫して主張しようとする人々は、売ることなしに買うだけの、したがってまた生産することなしに消費するだけの、一階級を想定するのである。

このような階級の実存は、我々のこれまでに到達した立場、すなわち単純な流通の立場からは、まだ説明のできないものである。

しかし、先回りしてみることにしよう。

このような階級が絶えず買うために用いる貨幣は、交換無しに、無償で任意の法的権原〔行為を正当化する法律上の原因〕および協力的権原に基づいて、商品所有者たちそのものから絶えずこの階級のもとに流れていかなければならない。

この階級に商品を価値以上に売るということは、無償で手放した貨幣の一部分を騙して再び取り戻すことに他ならない(29)。

たとえば、小アジアの諸都市は、年々の貨幣貢租を古代ローマに支払った。

この貨幣で持ってローマはそれらの都市から商品を買い、しかもそれを高すぎる価格で買った。

小アジア人たちは、商業という方法で征服者たちから酵素の一部分をずる賢く取り戻すことによって、ソーマ人を騙した。

だが、それにもかかわらず、騙されたのは小アジア人たちであった。

彼らの商品は、相変わらず彼ら自身の貨幣で彼らに支払われた。

このようなことは、決して致富または剰余価値形成の方法ではない。

と憤慨したリカードウ学派の一人はマルサスに質問している。

マルサスは、彼の弟子の坊主チャーマズと同じように、単なる買い手または消費者の階級を経済的に賛美しているのである。〔S・ベイリー〕『近時マルサス氏の主張する需要の性質および消費の必要に関する諸原理の研究』、ロンドン、1821年、55ページを見よ。

13

したがって、我々は、売り手が買い手であり、また買い手が売り手であるような商品交換の制限内に止まることにしよう。

我々の困惑は、ことによると、我々が登場人物を人格化されたカテゴリーとしてのみ捉えて個人として捉えていなかったことから起こってきているのかもしれない。

14

商品所有者Aはきわめてずるくて彼の仲間のBまたはCを騙すかもしれないが、BまたはCの方はどんなに望んでも仕返しができないものとしよう。

Aは40ポンド・スターリングの価値のあるワインをBに売って、それと引き換えに50ポンド・スターリングの価値のある穀物手に入れるとしよう。

Aは自分の40ポンド・スターリングを50ポンド・スターリングに転化させ、よりわずかの貨幣をより多くの貨幣にし、自分の商品を資本に転化させた。

交換が行われる前には、Aの手には40ポンド・スターリング分のワインがあり、Bの手には50ポンド・スターリング分の穀物があって、総価値は同じ90ポンド・スターリングであった。

流通している価値は一原子も増加しはしな買ったが、AとBとへのその配分が変わった。

一方で、不足価値であるものが他方では剰余価値として現れ、一方でマイナスとして現れるものが他方ではプラスとして現れる。

これと同じ変化は、Aが交換という形態に身を隠さずにBから直接10ポンド・スターリングを盗んだとしても、生じたであろう。

流通している価値の総額は、明らかに、その配分におけるどのような変化によっても増加されえないのであって、それはちょうど、あるユダヤ人がアン女王時代の1ファージング銅貨〔4分の1ペニーにあたる〕を1ギニー金貨〔21シリングにあたる〕と引き換えに売るとしても、一国の貴金属の総量を増やすことにはならないのと同じことである。

一国の資本家階級の総体は自分で自分から騙し取ることはできない(30)。

デスチュト・ド・ドラシは、フランス学士院会員であったにもかかわらず——いや、おそらくそうであったからこそ——これとは反対の意見であった。

彼は次のように言う——産業資本家たちは、「全てのものを、その生産に費やしたよりも高くうる」ことによって、彼らの利潤をあげる。「では彼らに誰に売るのか?まず、互いに、である」と(『意志および意志作用論』、239ページ)。

15

したがって、どんなにぬらりくらり言い抜けてみたところで、結果はやはり同じである。

等価物どうしが交換されてもやはり剰余価値は生じない(31)。

流通または商品交換は何らの価値も創造しない。

セーは、これらの命題の帰結がどうなるかにはもちろんおかまいなしに、これを重農主義者たちからほとんど逐語的に借用している。

その当時は世に忘れられていた重農主義者の諸著作を自分自身の「価値」の増加のために彼が利用したやり方は、次の例によってわかるだろう。

すなわち、セー氏の「最も有名な」命題、「人は生産物でもってのみ生産物を買う」(同前、第二巻〔第一巻の誤り〕、438ページ〔増井譯にはない。なお、同譯書上巻299ー300ページ欄外参照〕)は、重農主義者たちの原文では、「生産物は生産物でもってのみ支払われる」となっている(ル・トローヌ、前出、899ページ)。

16

こうしたことから、資本の基本形態mすなわち資本が近代社会の経済組織を規定する際に取る形態を我々が分析するにあたって、なぜ、資本の、身近に知られている、いわば大洪水以前の姿態(である商業資本及び高利資本を、さしあたりまったく考慮しないでおくかが、わかるであろう。

*〔旧約聖書、創世記、第六ー八章のノアの洪水伝説にちなみ、いわゆる「前期的資本」をさす〕
17

本来の商業資本においては、形態GーWーG’、より高く売るために買う、がもっとも純粋に現れている。

他面では、商業資本の全運動は、流通部面の内部で行われる。

しかし、貨幣の資本への転化、剰余価値の形成を流通そのものから説明することは不可能であるから、等価物どうしが交換される限り、商業資本は成り立ちえないように思われるのであり(33)、それゆえ、買う商品生産者と売る商品生産者との間に商人が寄生的に割り込み、これらの商品生産者の両方から騙し取るということから、商業資本を導き出すほかないように思われる。

フランクリンが「戦争は略奪であり、商業は詐欺である(34)」と言っているのは、この意味においてである。

商業資本の価値増殖を商品生産者に對する単なる詐欺によって説明すべきでないとすれば、そのためには一連の長い中間項が必要なのであるが、商品流通とその簡単な諸契機とが唯一の前提となっている今の場合には、それらの中間こうはまだ全く欠けている。

ベンジャミン・フランクリン『著作集』、第二巻、スパークス編、『国民の富に関する検討されるべき諸見解』所収〔376ページ〕。

18

商業資本にあてはなることは、高利資本にはいっそうよくあてはまる。

商業資本においては、その両極、すなわち市場に投じられた貨幣と市場から引き上げられる増加した貨幣とは、少なくとも購買と販売によって、流通の運動によって、媒介されている。

高利資本においては、形態GーWーG’が、無媒介の両極GーG’に、より多くの貨幣と交換される貨幣に、貨幣の本性と矛盾しており、それゆえまた商品交換の立場からは説明し得ない形態に、短縮されている。

それゆえ、アリストテレスも次のように言う——

アリストテレス『政治学』、第一巻、第10章〔17ページ、山本光雄譯、『アリストテレス全集』15、岩波書店、28ー29ページ。同譯、岩波文庫、57ページ〕。

19

我々の研究が進むにつれて、商業資本と同じく利子生み資本もまた、派生的形態として見出されるであろう。

それと同時に、なぜそれらが歴史的に資本の近代的な基本形態よりも先に現れるかということ述べられる。

20

すでに明らかにしたように、剰余価値は流通からは生じえないのであり、したがって、それが形成される場合には、流通そのものの中では、目に見えない何事かが、流通の背後で起こっているに相違ない(36)。

しかし剰余価値は、流通から以外に他のどこから生じ得るであろうか?

流通は、商品所有者たちの一切の相互関連(の総和である。

この流通の外部では、商品所有者はもはや自分自身の商品と関連するだけである。

    この関聯かんれん は、彼の商品の価値について言えば、一定の社会的諸法則によって計られた彼自身の労働のある分量をその商品が含んでいるということに尽きる。

    この労働分量は、彼の商品の価値の大きさに表現される。

    そして、価値の大きさは計算貨幣で表されるのであるから、この労働分量は、たとえば10ポンド・スターリングという価格に表現される。

    しかし、彼の労働は、その商品の価値プラスその商品自身の価値を超える超過分に表わされはしない。

    それは、10であると同時に11である価格に、すなわち、それ自身よりも大きい価値に、表されはしない。

    商品所有者は、彼の労働によって価値を形成することはできるが、しかし、事故を増殖する価値を形成することはできない。

      彼は、新たな労働によって現存する価値に新たな価値を付け加えることによって、たとえば革で長靴を作ることによって、商品の価値を高めることはできる。

      同じ素材が今や、より大きな労働量を持つが、しかし革の価値は元のままである。

      革は自己を増殖しはしなかったし、長靴製造中に剰余価値を生み出しはしなかった。

      したがって、商品生産者が、流通部面の外で、他の商品所有者たちと接触することなしに、価値を増殖し、それゆえ貨幣または商品を資本に転化させるということは、不可能である。

      *〔第三、第四版では「商品関連」となっている〕
21

したがって、資本は、流通から發生するわけにはいかないし、同じく、流通から發生しないわけにもいかない。

資本は、流通の中で發生しなければならないと同時に、流通の中で發生してはならないのである。

こうして、二重の結果が生じた。

22

貨幣の資本への転化は、商品交換に内在する諸法則に基づいて展開されるべきであり、したがって等価物どうしの交換が出發點をなす(37)。

いまのところまだ資本家の幼虫として現存するに過ぎない我々の貨幣所有者は、商品をその価値どおりに買い、その価値どおりに売り、しかもなお過程の終わりには、彼が投げ入れたよりも多くの価値を引き出さなければならない。

彼の蝶への成長は、流通部面の中で行われなければならず、しかも流通部面の中で行われてはならない。

これが問題の条件である。

”ここがロドス島だ、ここで跳べ!(

これまでの説明から、読者は、ここで言われているのは、資本の形成は商品価格が商品価値に等しい場合でも可能でなければならないという意味でしかないことを、理解されるであろう。

資本の形成は、商品価格の商品価値からの背離によっては説明されえない。

価格が価値から現實に背離している場合には、まず、その価格を価値に還元しなければならない。

すなわち、この背離状態を偶然的なものとして度外視し、資本形成の諸現象を純粋に商品交換を基礎にして考察し、この考察に際しては攪乱的で本来の経過には無縁な付随的事情によって混乱させられないようにしなければならない。

なお、知ってのとおり、この還元は決して単なる科学的手続きに過ぎないものではない。

市場価格の絶えざる動揺、その高騰と低落とは、補正し合い、互いに相殺しあって、その内的基準としての平均価格に自らを還元する。

この基準は、たとえば、比較的長い時期にわたる全ての企業において、商人または工業家の導きの星となる。

すなわち、彼は、比較的長い期間を全体として見れば、諸商品が現實にはその平均価格よりも安くも高くもなくその平均価格で売られることを知っている。

したがって、利害關係を離れてインテレツセロース考えることにいやしくも彼が関心インテレッセ を持つとすれば、彼は資本形成の問題を次のように設定しなければならないであろう——諸価格が平均価格によって、すなわち究極においては商品の価値によって規制される場合に、資本はどのようにして發生し得るのか?と。

私がここで「究極においては」と言うのは、平均価格は、A・スミス、リカードウなどが信じているように商品の価値の大きさと直接に一致するものではないからである。

*〔アイソーポス『寓話』、ハルム版、203行。山本光雄譯『イソップ寓話集』、岩波文庫、54ページ。ロドス島で大跳躍をしたと言うだぼら吹きに対して、それではここで跳んでみろ、と人々が行ったという寓話から〕

第三節 労働力の購買と販売

1

資本に転化すべき貨幣の価値の変化は、この貨幣そのものの上には起こりえない。

というのは、購買手段としても支払い手段としても、貨幣は、それが買いまたは支払う商品の価格を実現するだけであり、他方では、貨幣は、それ自身の形態にとどまっている場合には、同じ不変な大きさの価値を持つ化石に凝固するからである(38)。

それと同様に、第二の流通行為である商品の再販売からもこの変化は生じえない。

というのは、この行為は、商品を自然形態から貨幣形態に再転化させるだけだからである。

したがって、この変化は、第一の行為GーWで買われる商品のうちに起こらなければならないが、しかし、その商品の価値の上に、ではない。

というのは、投下物どうしが交換されるのであり、商品はその価値どおりに支払われるからである。

したがって、この変化は、その商品の使用価値そのものから、すなわちその商品の消費から生じうるのみである。

一商品の消費から価値を引き出すためには、わが貨幣所有者は、流通部面の内部で、すなわち市場において、一商品——それの使用価値そのものが価値の源泉であるという独自な性質を持っている一商品を、したがってそれの現實的消費そのものが労働の対象化であり、それゆえ価値創造である一商品を、發見する幸運に恵まれなければならないであろう。

そして、貨幣所有者は、市場でこのような独特な商品を——労働能力または労働力を、見出すのである。

2

我々が労働力または労働能力と言うのは、人間の肉体、生きた人格性のうちに実存していて、彼がなんらかの種類の使用価値を生産するそのたびごとに運動させる、肉体的および精神的諸能力の総体のことである。

とはいえ、貨幣所有者が商品としての労働力を市場で見出すためには、様々な条件が満たされていなければならない。

商品交換は、それ自体、商品交換自身の本性から生じる依存關係以外には、いかなる依存關係も含んではいない。

この前提のもとでは、商品としての労働力は、ただ、労働力がそれ自身の所有者によって、すなわちそれが自分の労働力である人によって、商品として売りに出されるか、または売られる限りにおいてのみ、またそのゆえにのみ、市場に現われうる。

労働力の所有者が労働力を商品として売るためには、彼は、労働力を自由に処分することができなければならず、したがって自分の労働能力、自分の人格の自由な所有者でなければならない(39)。

労働力の所有者と貨幣所有者とは、市場で出会って互いに対等な商品所有者として關係を結ぶのであって、彼らが区別されるのは、一方が買い手で他方が売り手であるという點だけであり、したがって両方とも法律上では平等な人格である。

この關係が続いていくためには、労働力の所有者が常にただ一定の時間を限ってのみ労働力を売るということが必要である。

というのは、もし彼が労働力をひとまとめにして全部一度に売り払うならば、彼は自分自身を売るのであって、自由人から奴隷に、商品所有者から商品に、転化するからである。

人格としての彼は、自分の労働力を、いつも自分の所有物、それゆえまた自分自身の商品として取り扱わなければならない。

そして、彼がそうすることができるのは、ただ、彼がいつでも一時的にだけ、一定の期間だけに限って、自分の労働力を買い手の処分に任せて消費させ、したがって労働力を譲渡してもそれに對する自分の所有権は放棄しないという限りでのことである(40)。

古典古代に関する諸々の百科全書には次のような馬鹿げたことが買いてある。

すなわち、古典古代世界でも、「自由な労働者と信用制度とが欠けていたことを除けば」資本は十分に發展していた、と。

モムゼン氏もまた、その『ローマ史』〔全三巻、第二版、ベルリン、1856−1857年〕のなかで何度も”見当違い”を犯している。

そのために、様々な立法が労働契約の期間の最大限を確定しているのである。

自由な労働が行われている諸国民のもとでは、全ての法典が契約解除の予告条件を規定している。

別の国々、ことにメキシコでは(アメリカ南北戦争以前にはメキシコから切り離された諸准州においても、またクーザ(の変革までは事実上ドナウ諸州においても)、奴隷制が”債務奴隷制 ピーオニッジ ”という形態のもとに隠蔽されている。

労働で返済されるはずの、代々引きつかがれていく前借金によって、個々の労働者だけでなくその家族また、実際に他人およびその家族の所有物になる。

フアレス〔メキシコの大統領〕は債務奴隷制を廃止した。

いわゆる皇帝マクシミーリアンは勅令によってこの制度を復活させたが、この勅令はワシントンの下院において、適切にも、メキシコに奴隷制を復活させる勅令だとして弾劾された。

*〔ワラキアとモルダヴィアを統一してルーマニアを創設し、ブルジョア民主主義的改革を実施した国王〕
3

貨幣所有者が労働力を市場で商品として見出すための第二の本質的条件は、労働力の所有者が、自分の労働の対象化された商品を売ることができないで、自分の生きた肉体のうちにのみ実存する自分の労働力のそのものを商品として売りに出さなければならない、ということである。

4

誰でも、自分の労働力と異なる商品を売ろうとすれば、もちろん、生産諸手段、たとえば原料、労働用具などを所有していなければならない。

彼は革がなくては長靴を作ることはできない。

彼には、そのほかに生活諸手段も必要である。

誰でも、未来派(*1の音楽家でさえも、未来の生産物によっては、したがってまたその生産がまだ完了していない使用価値によっては、生きていくことはできない。

しかも人間は、世界という舞台(*2に現われた最初の日と同じように、いまなお毎日、彼が生産する以前にもその途中でも消費しなければならない。

もし生産物が商品として生産されるならば、それらは生産された後に売られなければならないのであって、生産者の欲求は販売後に初めて満たされるうる。

生産時間の上にさらに販売のために必要な時間が付け加わる。

*1〔音楽劇によって「総合芸術作品」を創造しようとするヴァーグナーの著『未来の芸術作品』にちなんで反対派が「空想家」の意に使った同派への蔑称〕
*2〔シェイクスピア「お気に召すまま」、第二幕第七場参照。小田島雄志やく『シャイクスピア全集』Ⅲ、白水社、323ページ〕
5

したがって、貨幣を資本に転化させるためには、貨幣所有者は商品市場で自由な労働者を見出さなければならない。

ここで、自由な、と言うのは、自由な人格としての自分の労働力を自分の商品として自由に処分するという意味で自由な、他面では、売るべき他の商品を持っておらず、自分の労働力の実現のために必要な一切の物から解き放たれて自由であるという意味で自由な、この二重の意味でのそれである。

6

なぜ、この自由な労働者が流通部面で貨幣所有者に相對するのかという問題は、労働市場を商品市場の特殊な一部門として見出す貨幣所有者には関心のないことである。

そして、この問題はさしあたり我々にとっても関心ごとではない。

貨幣所有者が、実践的に事実にしがみつくのと同じように、我々は理論的に事実にしがみつく。

とはいえ、一つのことは明らかである。

自然は、一方の側に貨幣または商品の所有者を、他方の側に単なる自分の労働力の所有者を、生み出しはしない。

この關係は自然史的關係ではないし、また、歴史上のあらゆる時代に共通な社会的關係でもない。

それは明らかに、それ自身、先行の歴史的發展の結果であり、幾多の経済的変革の産物、すなわち社会的生産の全一連の古い諸構成体の没落の産物である。

7

さきに考察した経済的諸カテゴリーもまた、自己の歴史的な痕跡を帯びている。

商品としての生産物の定在のうちには、一定の歴史的諸条件が包み込まれている。

商品になるためには、生産物は、生産者自身のための直接的な生活維持手段として生産されてはならない。

もし我々が、さらに進んで、生産物の全てが、またはその多数だけでも、商品の形態をとるのはどのような事情のもとにおいてであるかを探究していたら、それは、まったく独特な生産様式である資本主義的生産様式の基礎上でのみ起こるということが明らかになったことであろう。

とはいえ、このような研究は商品の分析の範囲外のことであった。

生産物量の圧倒的大部分が直接に自家需要に向けられていて商品に転化していなくても、したがって社会的生産過程がその全体的な広さと深さの點でまだまだ交換価値に支配されているというにはほど遠くても、商品生産および商品流通は生じうる。

商品としての生産物の出現は、社会内分業は十分に發展して、直接的交換取引において初めて始まる使用価値と交換価値との分離がすでに完成されていることを条件とする。

しかし、このような發展段階は、歴史的に甚だしく異なる経済的社会諸構成体に共通のものである。

8

他方、貨幣を考察するならば、貨幣は商品交換の一定の發展程度を前提する。

貨幣の特殊な諸形態——単なる商品等価物、または流通手段、または支払手段、蓄蔵貨幣、世界貨幣——は、いずれかの機能の作用範囲の違いと相対的優越とに應じて、社会的生産過程のきわめて異なる諸段階を示している。

にもかかわらず、経験によれば、これらのすべての形態が形成されるためには、商品流通の比較的わずかな發達で十分である。

資本については事情は異なる。

資本の歴史的な実存諸条件は、商品流通および貨幣流通とともに定在するものでは決してない。

資本は、生産諸手段および生活諸手段の所有者が、みずからの労働力の売り手としての自由な労働者を市場で見出す場合にのみ成立するのであり、そして、この歴史的条件は一つの世界史を包括する。

それゆえ、資本は、最初から社会的生産過程の一時代を告示する(41)。

したがって、資本主義時代を特徴づけるものは、労働力が労働者自身にとっては彼に属する商品という形態を受け取り、それゆえ彼の労働が賃労働という形態を受け取る、ということである。

他面では、この瞬間から初めて、労働生産物の商品形態が普遍化される。〔第二版への注〕

9

いまや、労働力というこの独自な商品を、もっと詳しく考察しなければならない。

他のすべての商品と同じく、労働力も一つの価値を持っている(42)。

この価値はどのようにして規定されるのか。

10

労働力の価値は、他のどの商品価値とも同じく、この独特な物品の生産に、したがってまた再生産に必要な労働時間によって規定されている。

労働力そのものは、それが価値である限り、それに対象化された社会的平均労働の一定分量を表すのみである。

労働力は、生きた個人の素質として実存するのみである。

したがって、労働力の生産はこの生きた個人の生存を前提する。

この個人の生存が与えられていれば、労働力の生産とは、この個人自身の再生産または維持のことである。

自分を維持するためには、生きた個人は、一定量の生活諸手段を必要とする。

したがって、労働力の生産に必要な労働時間は、この生活諸手段の生産に必要な労働時間に帰着する。

すなわち、労働力の価値は、労働力の所有者の維持に必要な生活諸手段の価値である。

とはいえ、労働力はその發機によってのみ自己を実現し、労働の中でのみ確認される。

しかし、労働力の確認である労働によって人間の筋肉、神経、脳髄などの一定分量が支出されるのであって、それは再び補充されなkればならない。

この支出の増加は収入の増加を条件とする(43)。

労働力の所有者は、今日の労働を終えたならば、明日もまた、力と健康との同じ条件のもとで同じ過程を繰り返すことができなければならない。

したがって、生活手段の総量は、労働する個人を労働する個人として、その正常な生活状態で維持するのに足りるものでなければならない。

食物、衣服、暖房、住居などのような自然的欲求そのものは、一国の気候その他の自然の独自性に應じて異なる。

他面では、いわゆる必需欲求の範囲は、その充足の仕方と同様に、それ自身の一つの歴史的産物であり、それゆえ、多くは一国の文化段階に依存するのであり、とりわけまた、本質的には、自由な労働者の階級がどのような条件のもとで、それゆえどのような慣習と生活要求とを持って形成されたか、に依存するのである(44)。

したがって、労働力の価値規定は、他の商品の場合とは対照的に、歴史的かつ社会慣行的モラーリッシュ な一要素を含んでいる。

とはいえ、一定の国、一定の時代については、必要生活諸手段の平均範囲は与えられている。

それゆえ、農耕奴隷のかしら に立つ管理者である古ローマのウィリクス〔土地所有者から農場経営と労働監督を委託された奴隷〕は、「奴隷よりも仕事が楽だというので奴隷よりもわずかな分量」を受け取った(Th.モムゼン『ローマ史』、〔第一巻、第二版、ベルリン〕1856年、810ページ)。

W.Th.ソーントン『過剰人口とその救済策』、ロンドン、1846年、参照。〔初版と第二版では「W.Th.ソーントンは、その著・・・において、これについての興味のある証拠を挙げている」となっている〕

11

労働力の所有者は死を免れない、

したがって、貨幣の資本への継続的転化が前提するように、市場における彼の出現が継続的現象であるべきだとすれば、労働力の売り手は、「生殖によって、その生きている個体も自己を永久化するのと同じように(45)」自己を永久化しなければならない。

心身消耗と死亡とによって市場から奪い取られた労働力は、少なくとも同数の新たな労働力によって絶えず補充されなければならない。

したがって、労働力の生産に必要な生活手段の総額は、補充人員すなわち労働者の労働者の子供たちの生活手段を含むのであり、こうしてこの独自な商品所有者の”種族”が商品市場で自己を永久化するのである(46)。

ペティ。〔ドウナー・トー編英語版の文献索引、フランス語エディシオン・ソシアル版、スペイン語エディトリアル・カルタゴ版には『賢者には一言をもって足る』からと指示されているが、ドイツ語版その他の版本には文献とページ数の指示がなされていない。なお。『賢者には・・・』には末尾に似た文があるが、これと同じ文は見当たらない〕

「その」(労働の)「自然価格とは・・・労働者を維持するために、および、市場での労働供給を減少させないように保証できるだけの家族を彼が養うことを可能にするために、一国の気候および慣習に應じて必要な程度の、生活必需品および便利品の分量のことである」(R・トランズ『穀物貿易にかんする一論』、ロンドン、1815年、62ページ)。

ここでは、労働という言葉が労働力の代わりに誤り用いられている。

12
2

一般的人間的な本性を、それが特定の労働部門における技能と熟練とに到達し、發達した独特な労働力になるように変化させるためには、特定の養成または教育が必要であり、それにはまたそれで、大なり小なりの額の商品等物価が費用としてかかる。

労働力の性格がより複雑なものであるかないかの程度に應じて、その養成費も異なってくる。

したがって、この修行費は、普通の労働力については、ほんのわずかでしかないとはいえ、労働力の生産のために支出される価値の枠の中に入っていく。

13

労働力の価値は、ある一定額の生活諸手段の価値に帰着する。

それゆえ、労働力の価値はまた、この生活手段の価値、すなわちこの生活諸手段の生産に必要な労働時間の大きさとともに変動する。

2

生活諸手段の一部分、たとえば食物、燃料などは、日々新たに消費されてなくなるので日々新たに補填されなければならない。

他の生活諸手段、たとえば衣服、家具などは、比較的長期間にわたって消費され、それゆえ比較的長期間をおいて補填されればよい。

ある種類の商品は日毎に、他の種類の商品は週ごと、四半期ごと、等々に買われる支払われるかしなければならない、

しかし、これrなお支出の総額が、たとえば一年の間にどのように配分されようとも、それは日々、平均的収入によって賄わなければならない。

かりに、労働力の生産に日々必要な諸商品の総量をAとし、週ごとに必要な諸商品の総量をBとし、四半期ごとに必要な諸商品の総量をC、滔々とすれば、これらの諸品の日々の平均は、(365A+52B+4C+等々)/365であろう。

もし、一平均日に必要なこの商品総量のうちに6時間の社会的労働が潜んでいるとすれば、労働力のうちには毎日、半日分の社会的平均労働が対象化されていることになる。

すなわち、労働力の日々の生産に必要なこの労働分量は、労働日の日価値、すなわち日々生産される労働力の価値を形成する。

もしまた、半日分の社会的平均労働が3シリングまたは1ターレルという金量で表されるとすれば、1ターレルは労働力の日価値に相当する価格である。

もし、労働力の所有者が労働力を日々1ターレルで売りに出すとすれば、労働力の販売価格は労働力の価値に等しくなる。

そして、我々の前提によれば、自分のターレルの資本への転化を熱望する貨幣所有者は、この価値を支払うのである。

14

労働力の価値の最後の限界または最低限界をなすものは、日々その供給を受けなければ労働力の担い手である人間がその生活過程を更新し得ないようなある商品総量の価値、すなわち、肉体的に必要不可欠な生活諸手段の価値である。

もし労働力の価格がこの最低限にまで下がるならば、それは労働力の価値以下への低下である。

というのは、その場合には労働力は、ただ萎縮した形態でしか維持され發揮され得ないからである。

しかし、あらゆる商品の価値は、その商品を標準的な品質で供給するために必要な労働時間によって規定されているのである。

15

ことがらの本性から出てくるこのような労働力の価値規定を粗野だとして、たとえばロッシとともに次のように嘆くのは、きわめて安っぽい感傷である。

すなわち——「労働能力を、生産過程中にある労働〔原文は労働者〕の生活維持諸手段を考慮に入れずに把握することは、幻想を把握するに等しい。労働という人、労働能力という人は、同時に労働者および労賃のことを言っているのである(47)」と。

労働能力と言っている人が労働のことを言っているのではないということは、ちょうど、消化能力と言っている人が消化のことを言っているのではないのと同じことである。

周知のように、消化過程にとっては、丈夫な胃袋よりも多くのものが必要である。

労働能力という人は、労働能力の維持に必要な生活諸手段を考慮しないわけではない。

それどころか、その生活諸手段の価値が労働能力の価値で表現されているのである。

労働能力が売れないならば、それは労働者にとって何の役にも立たないのであり、彼は、自分の労働能力がその生産のために一定分量の生活維持諸手段を必要としたこと、そしてその再生産のために絶えず繰り返し新たにそれらを必要とすることを、むし冷酷な自然的必然事として感じるのである。

そのとき労働者は、シスモンディともに、「労働能力は・・・もしそれが売れなかれば、無である(48)」ことを發見する。

『経済学講義」、ブリュッセル、1843年、370、371ページ。

労働力というこの独特な商品の独自な本性には、買い手と売り手の間に契約が結ばれても、労働力の価値は、他のどの商品の価値とも同じように、それが流通に入る前に規定されていた——というのは、労働力の生産のために一定分量の社会的労働が支出されたからである——が、労働力の使用価値は、そのあとで行われる力の發揮の中で初めて存立する。

それゆえ、力の譲渡フエアオイセルングと、力の現實の發揮オイセルング すなわち力の使用価値としての定在とは、時間的に離れている。

そして、このような商品、すなわち販売による使用価値の形式的譲渡と買い手へのそれの原始的引き渡しとが時間的に離れている商品の場合には(49)、買い手の貨幣は、たいてい支払手段として機能する

資本主義的生産様式の行われている国ではどこでも、労働力は、売買契約で確定された期限のあいだ機能し終えたあとで、たとえば、各週末に、初めて支払いを受ける。

それゆえ、労働者はどこでも、資本家に労働力の使用価値を前貸する。

労働者は、労働力の価格の支払いを受ける前に、労働力を買い手に消費させるのであり、それゆえ、どこれも労働者が資本家に信用貸しするのである。

この信用貸しということが決して空虚な妄想でないことは、資本家が破産すると信用貸しされた賃銀の喪失がときおり生じることによってだけでなく(50)、もっと後まで残る一連の影響よっても示されている(51)。

しかし、貨幣が購買手段として機能するか、それとも支払い手段として機能するかということは、商品交換そのものの本性を少しも変えるものではない。

労働力の価格は、家賃と同じように、後になって初めて実現されるとはいえ、貨幣が購買手段として機能するか、それとも支払手段として機能するかということは、商品交換そのものの本性を少しも変えるものではない。

労働力の価格は、家賃と同じように、後になって初めて支払われるとはいえ、すでに売られている。

とはいえ、關係を純粋に保つためには、さしあたり、労働力の所有者はいつでもそれを売ればすぐに契約で定っている価格を受け取る、と前提するのが便宜である。

一例。ロンドンには二種類の製パン業者がいる。一つは、パンをその価値通りに売る「”正常価格売り業者”」ともう一つはその価値以下で売る「”安売り業者アンダーセラーズ とである。

この業者の部類は製パン業者の総数の3/4以上を占めている。

(『製パン職人によって申し立てられた苦情』にかんする政府委員H・S・トリマンヒアの『報告書』、ロンドン、1862年、XXXⅡページ)。

この”安売り業者”の売っているパンはパンは、ほとんど例外なく、明礬みょうばん 、せっけん、真珠灰、石灰、ダービシャー石粉その他類似の、美味で栄養のある衛星的な成分を混入することによって、不純物にされている(みぎに引用した青書を見よ。また、「パンの不純物混和にかんする1855年の委員会」の報告、およびハッスル博士の『摘發された不純物混和』、第二版、ロンドン、1861年、を見よ)。

サー・ジョン・ゴードンは1855年の委員会で次のよう説明した——「これらの不純物混和の結果、毎日二ポンドのパンで暮らしている貧民は、今では、彼の健康に對する有害な影響は別としても、栄養物の4分の1も実際には受け取っていない。」と。

「労働者階級の大部分」が、この不純物についてよく知っていながら、しかもなお明礬、石粉などのおまけまで受け取るのかという理由として、トリマンヒアは次のように述べている(前出、XLVⅢページ)——彼らにとっては「その製パン業者はまたは、”小売店”が勝手によこすパンを受け取るのはやむを得ないことである」。

 彼らは一労働週間が終わってはじめて支払いを受けるのであるから、彼らのまた「彼らの家族がその一週間に消費したパンの代価を週末になってはじめて支払う」ことができる、と。

そして、トリマンヒアは証言を引用しながら次のように付け加えている——「このような混ぜ物でできたパンが、特にこの種の客のために作られるということは、周知のことである」と。

イギリスの多くの炭鉱所有者の方法は、労働者が資本家に与える信用のいっそういんぎんな展開とみなすことができる。

この方法によれば、労働者は月末になってはじめて支払いを受け、その間の期間は資本から前貸しを受けるのであるが、前貸しはしばしば商品で行われる、この商品に対して労働者はその市場価格以上に支払わねければならない("現物支給制度 トラック・システム ")。

16

我々は、今では、労働力というこの独特な商品の所有者に対して、気比所有者から支払われる価値がどのように規定されるかを知っている。

この貨幣所有者自身が交換で受け取る使用価値は、労働力の現實の使用、すなわちその消費過程においてはじめて現れる。

貨幣所有者は、原料その他のようなこの過程に必要な全ての物を商品市場で買い、それらに価格通りに支払う、

労働力の消費過程は、同時に、商品の生産過程であり剰余価値の生産過程である。

労働量の消費は、他のどの商品の消費とも同じく、市場すなわち流通部面の外で行われる。

それゆえ、我々も、貨幣所有者および労働力所有者と一緒に、表面で行われていて誰の目にもつくこの騒々しい流通部面を立ち去って、この二人の後について、生産という秘められた場所に、”無用の者立ち入るべからず”と入り口に掲示してあるその場所に、入っていこう。

ここでは、どのようにして資本が生産するかということだけでなく、どのようにして資本そのものが生産されるかということもまた、明らかにでろう。

貨幣の秘密がついに暴露されるに違いない。

17

労働力の売買がその枠内で行われる流通または商品交換の部面は、実際、天賦人権の真の楽園であった。

ここで支配しているのは、自由、平等、所有、およびベンサム(*1だけである。

自由!というのは、一商品たとえば労働力の労働力の買い手と売り手は、彼らの自由意志によって規定されているだけだからである。

彼らは、自由で法律上対等な人格として契約する。

契約は、そこにおいて彼らの意志が一つの共通な法的表現を与えられる最終結果である。

平等!おちうのは、彼らは商品所有者としてのみ互いに関連し合い、等価物と等価物を交換するからである。

所有!というのは、誰も皆、自分のものを自由に処分するだけだからである。

ベンサム!というのは、両当事者のどちらにとっても、問題なのは自分のことだけだからである。

彼らを結び付けて一つの關係の中に置く唯一の力は、彼らの自己利益、彼らの特別利得、彼らの私益という力だけである。

そして、このように誰もが自分自身のことだけを考えて、誰もが他人のことは考えないからこそ、全ての人が、事物の予定調和(*2に従って、または全く抜け目のない摂理のおかげで、彼らの相互の利得、共同の利益、全体の利益という事業を成し遂げるだけである。

*1〔イギリスの法学者・哲学者ベンサムの功利主義、すなわち、幸福・快楽を道徳および立法の基本原理とする立場をさす〕
*2〔世界を形成する實體じったい はモナド(単子——一または単位の意)であるが、モナドからなる世界に秩序があるのは、神が予めモナド相互に調和をもたらすように定めたからであるとするドイツの哲学者ライプニッツの説に基づく考え。普遍的調和とも言う〕
18

この単純流通または商品交換の部面から、俗流自由貿易論者は、資本及び賃労働の社会についての見解、概念、及び自己の判断の基準を引き出してくるのであるが、この部面を立ち去るに当たって、わが”登場人物たち”の顔つきは、すでに幾分か変わっているように見える。

さきの貨幣所有者は資本家として先に立ち、労働所有者は彼の労働者としてその後についていく。

前者は、意味ありげにほくそ笑みながら、仕事一筋に。

後者は、まるで自分の皮を売ってしまって(もう革になめされるより他には何の望みもない人のように、おずおずと嫌々ながら。

*〔普通は「危険をしょい込む」「不快な結果に耐える」を意味する慣用句であるが、マルクスうは語句通りに用いて諷刺している〕
*〔本性はフランス語版およびドイツ語第四版で二節に分けられた。なお、フランス語版の章の表題は「使用価値の生産と余剰価値の生産」なり、節の名もそれに対應している。

第1節 労働過程

1

労働力の使用は労働そのものである。

労働力の買い手は、その売り手を労働させることにより、労働力を消費する。

労働力の売り手は、労働することによって、”現實に”自己を發現する労働力、労働者となるが、彼はそれ以前には”潜勢的に”そうであったに過ぎない。

自分の労働を商品に表すためには、彼は何よりもまず、その労働を使用価値に、何らかの種類の欲求の充足に役立つ物に表さなくてはならない。

したがって、資本家が労働者に作らせるものは、ある特殊な使用価値、ある特定の物品である。

使用価値または財貨の生産は、資本家の管理のもとで行われることによって、その一般的な本性を変えはしない。

それゆえ、労働過程は、さしあたり、どのような特定の社会的形態にもかかわりなく考察されなければならない。

*〔エンゲルス校閲の英語版では、この句の前、冒頭に、「資本家が労働力を買うのは、それを使用するためである。そして」の追加がなされている。またこの節の表題は「労働過程、あるいは使用価値の生産」となっている〕

2

労働は、まず第一に、人間と自然とのあいだ一過程、すなわち人間が自然とのその物質代謝を彼自身の行為によて媒介し、規制し、管理する一過程である。

人間はその自然素材そのものに一つの自然力として相對する。

彼は、自然素材を自分自身のために使用しうる形態で取得するために、自分の肉体に属している自然諸力、腕や足、頭や手を運動させる。

人間はこの運動によって、自分の外部の自然に働きかけてそれを変化させることにより、同時に自分自身の自然を変化させる。

彼は、自分自身の自然のうちに眠っている諸能力を發展させ、その諸力の働きを自分自身の統御に服させる。

我々はここでは、労働の最初の動物的、本能的な諸形態を問題としない。

労働者が自分自身の労働力の売り手として商品市場に現れるような状態は、太古的背景に遠ざけられている。

我々が想定するのは人間にのみ属している形態の労働である。

クモは織布者の作業に似た作業を行うし、ミツバチはそのろう のの小室の建築によって多くの人間建築師を赤面させる。

しかし、最も拙劣な建築師でも最も優れたミツバチより最初から卓越している點は、建築師は小室を蝋で建築する以前に自分の頭の中でそれを建築しているということである。

労働過程の終わりには、その初めに労働者の表象の中にすでに現存していた、したがって観念的にすでに現存していた結果が出てくる。

彼は自然的なものの形態変化を生じさせるだけでない。

同時に、彼は自然的なもののうちに、彼の目的——彼が知っており、彼の行動の仕方を法則として規定し、彼が自分の意志をそれに従属させなければならない彼の目的——を実現する。

そして、この従属は決して一時的な行為でない。

労働の全期間にわたって、労働する諸器官の緊張のほかに、注意力として現れる合目的的な意志が必要とされる。

しかも、この意志は、労働がそれ自身の内容と遂行の仕方とによって労働者を魅了することが少なければ少ないほど、それゆえ労働者が労働を自分自身の肉体的および精神的諸力の働きとして楽しむことが少なければ少ないほど、ますます多くなる。

3

労働過程の単純な諸契機は、合目的的な活動または活動または労働そのもの、労働の対象、および労働の手段である。

4

人間に対して本源的に食料、既成の生活諸手段を与える土地(1)(経済学的には水もまたその中に含まれる)は、人間の関与なしに、人間の労働の一般的対象として存在する。

労働が大地との直接的連関から引き離すに過ぎない一切の物は、天然に存在する労働諸対象である。

たとえば、生活要素である水から引き離されて捕えられる魚、原生林で伐採される木材、鉱脈から割り採られる鉱石がそうである。

これと反対に、労働対象がそれ自身すでにそれ以前の労働によっていわば濾過されているならば、我々はそれを原料と名付ける。

たとえば、これから洗鉱されるすでに割り採られた鉱石がそうである。

原料はすべて労働対象であるが、その労働対象も原料であるとは限らない。

労働対象は、それがすでに労働によって媒介された変化を被っているときにのみ原料である。

5

労働手段とは、労働者が自分と労働対象との間に持ち込んで、この対象に對する彼の能動活動の導体として彼のために役立つ、一つの物または諸物の複合体である。

彼は、それらの諸物を彼の目的に應じて、他の諸物に働きかける力の手段として作用させるために、それらの物の機械的・物理的・化学的諸属性を利用する(2)。

労働者がじかに自分のものとしてもつ対象は——既成の生活諸手段、たとえば果実の採取においては、彼自身の肉体的諸器官のみが労働手段として役立つが、このような場合は別として——労働対象ではなく、労働手段である。

こうして、自然的な物それ自身が、彼の能動活動の器官、すなわち聖書の言葉に(*1にもかかわらず、彼が自分自身の肉体的諸器官に付け加えて彼の自然の姿を引き伸ばす一器官になる。

土地は、彼の本源的な食糧倉庫であるのと同様に、彼の労働手段の本源的な武器庫である。

それはたとえば、空に投げたり、こすったり、重しにしたり、切ったりするための石を供給する。

土地そのものが一つの労働手段であるとはいえ、それが農業において労働手段として役立つためには、さらに全一連の他の労働手段と、すでに比較的高度に發展をとげた労働力とを前提とする(3)。

およそ労働過程がいくらかでも發達していれば、すでに加工された労働諸手段を必要とする。

最古の人間の洞窟の中に、我々は、石の道具や石の武器を見出す。

人類史のはじめにおいては、加工された石、木、骨、貝殻と並んで、馴らされた、したがってそれ自身すでに労働によって変化させられ飼育された動物が、労働諸手段として主要な役割を演じる(4)。

労働諸手段の使用と創造は、萌芽的にはすでにある種の動物に備わっているとはいえ、独自的人間的労働過程を特徴付けるものであり、それゆえフランクリンは、人間を a tool-making animal すなわち道具を作る動物(*2と定義している。

滅亡した動物種族の身体組織を認識するのに遺骨の構造が持つのと同じ重要性を、労働諸手段の遺物は滅亡した経済的社会構成体を判断する場合に持っている。

何が作られるかではなく、どのようにして、どのような労働手段を持って作られるかが、経済的諸時代を区別する(5)。

労働諸手段は、人間労働力の發達の測定器であるばかりでなく、労働がそこにおいて行われる社会的諸關係の指標でもある。

労働諸手段そのものの中では、その総体を生産の筋骨系統と名付けることのできる機械的労働諸手段の方が、労働対象の容器としてのみ役立ち、その総体が、まったく一般的に生産の脈管系統と呼ぶことができるような労働諸手段、たとえば管、桶、籠、壺などよりも、ある社会的生産時代のはるかに決定的な徴標 メルクマール を示す。

容器としての労働手段は、化学工業において初めて重要な役割を演じる(5a)。

他の點では惨めな著作『経済学の理論』、パリ、1815年、において、ガニルは、重農主義者に反対して、本来農業の前提をなす多くの労働諸過程を次々に適切に数え上げている。

『富の形成および分配に関する諸考察』(1776年)において、チェルゴは、文化の初期にとっての馴らされた動物の重要性をみごとに展開している〔津田内匠譯『チェルゴ経済学著作集』、岩波書店、95ページ。水田清『チェルゴオ 富に関する省察』、岩波文庫、67ー71ページ)。

すべての商品のうちで、本来の奢侈品は、様々な生産時代の技術的比較にとってもっとも意義のないものである。

第二版への注。これまでの歴史的記述は、物質的生産の發展を、したがってすべての社会的生活の基礎を、それゆえまたすべての現實の歴史の基礎を、ほとんど知らないが、人は少なくとも先史時代を、自然科学的な、いわゆる歴史的でない、研究に基づき、道具および武器の材料に従って、石器時代、青銅器時代、および鉄器時代に区分している。

*1〔「あなた方のうち、誰が思い煩ったからとて、自分の身長を1エレでも伸ばすことができようか」新約聖書、マタイ、6.27、ルカ、12.25。日本聖書教会新共同譯では「寿命をわずかでも伸ばすことができようか」となっているが、ここではマルクスが使用したルター譯聖書から直譯した〕
*2〔マルクスは、このフランクリンの言葉を、トマス・ペントリが匿名で刊行した『労働短縮のために機械を使用することの効用および政策についての手紙』、ロンドン、1780年から引用している〕
6

より広い意味で、労働過程の手段に数えられるものには、労働の対象への労働の働きかけを媒介し、それゆえあれこれの様式で活動の導体として役立つ諸物のほか、およそこの過程が行われるために必要なすべての対象的諸条件がある。

それらは、直接にこの過程に入り込みはしないが、sれらなしにはその過程はまったく進行できないか、不十分にしか進行できない。

この種の一般的労働手段は、やはり土地そのものである。

というのは、土地は労労働者には”立つ場所”を、彼の過程には作用空間(”仕事の場”)を与えるからである。

労働によってすでに媒介されたこの種の労働諸手段は、たとえば作業用建物、運河、道路などである。

7

したがって労働過程においては、人間の活動は、労働手段によって、当初から企図された労働対象の変化を生じさせる。

過程は生産物においては消失する。

過程の生産物は、使用価値すなわち形態変化によって人間の欲求に適合させられた自然素材である。

労働はその対象と結合した。

労働は対象化されており、対象は加工されている。

労働者の側においては不静止の形態で現れたものが、生産物の側においては今や静止した属性として、存在ザイン の形態で現れる。

労働者は紡いだのであり、生産物は紡がれた物である。

8

全過程を、その結果の、すなわち生産物の立場から考察するならば、労働手段と労働対象の両者は生産手段(6)として、労働そのものは生産的労働(7)として現れる。

たとえば、まだ捕らえらていない魚を漁獲のための生産手段と呼ぶことは逆説であるように思われる。

しかし、魚がいない水中で魚を捕らえる術はまだこれまで發明されていない。

生産的労働のこの規定は、単純な労働過程の立場から生じてくるのであって、資本主義的生産過程にとっては決して十分なものではない。

9

ある使用価値が労働過程から生産物として出てくるとき、それ以前の労働過程の諸生産物である他の諸使用価値が生産諸手段としてこの労働過程に入り込む。

後者の労働の生産物であるその同じ使用価値が、前者の労働の生産手段を形成する。

それゆえ、生産物は労働過程の結果であるだけでなく、同時にまたその条件でもある。

10

採鉱、狩猟、漁獲など(農耕は処女地そのものを初めて開墾する限りでのみ)のように労働対象を天然に見出す採取作業を除けば、すべての産業部門は、原料すなわちすでに労働によって濾過された労働対象、それ自身すでに労働生産物である対象を取り扱う。

たとえば、農業における種子がそうである。

自然の産物とみなされがちな動物や植物も、おそらく前年の労働の生産物であるだけでなく、現在の形態をとっているそれらのものは、幾多の世代を通して、人間の管理のもとで、人間の労働を介して続けられてきた変形の産物である。

しかし、とくに労働諸手段に関して言えば、その大多数が、もっとも浅薄な観察眼にさえも過去の労働の痕跡を示す。

11

原料は生産物の主要實體じったいを形成することもあるし、また補助材料としてしてのみ生産物の形成に入り込むことこともありうる。

補助材料は、石炭が蒸気機関によって、油が車輪によって、乾草が馬車馬によって消費されるように労働手段によって消費されることもあり、また、塩素が身漂白のリンネルに、石炭が鉄に、染料が羊毛に付け加えられるように、原料に付け加えられて、それに素材的変化を生じさせることもあり、また、たとえば仕事の場の照明および暖房に用いられる材料のように労働そのものを助けることもある。

主要材料と補助材料のとの区別は、本来的化学工業においては、使用された原料のいずれもが生産物の實體じったい として再現されないので曖昧になる(8)。

シュトルヒは、本来の原料をmatiéreと呼び、matériauxと呼ぶ補助材料から区別している。

シェルビュリエは、補助材料を matiéres instrumentalsと読んでいる〔シュトルヒ『経済学講義』、第一巻、サンクト・ペテルブルク、1815年、228ページ。シュルビュリエ『富か貧困か。社会的富の現在の分配の原因と結果との説明』、パリ、1841年、14ページ〕。

12

物はそれぞれいろいろな属性を持ち、それゆえ様々な用途に供されううるから、同じ生産物がきわめて異なった労働過程の原料となりうる。

たとえば、穀物は、製粉業者、澱粉製造業者、酒造業者、牧畜業者などのための原料である。

穀物は種子としては、自分自身の生産の原料となる。

同様に、石炭は生産物として鉱山業から出てきて、生産手段として鉱山業に入り込む。

13

同じ生産物が、同じ労働過程において、労働手段としても、原料としても、役立つことがありうる。

たとえば、家畜の肥料の場合がそうであって、この場合には、家畜は加工される原料である同時に肥料製造の手段である。

14

消費のための完成形態で実存する一生産物が、たとえばブドウがワインの原料となるように、新たに他の一生産物の原料になることがありうる。

または、労働はその生産物を、それが再び原料としてのみ用いうる形態で手放す。

この状態にある原料、たとえば綿花、縫い糸、織り糸などは、半製品と呼ばれるが、段階製品〔中間製品〕と呼ぶ方が良いであろう。

元の原料は、それ自身すでに生産物であるにもかかわらず、さまざまな過程からなる全段階を通過せねばならないかもしれないのであり、これらの過程においてこの原料は、絶えず変化した姿態で、絶えず新たに原料として機能しながら最後の労働過程にいたり、そこで完成した生活手段または完成した労働手段として押し出される。

15
上述のように、ある使用価値が原料として現れるか、労働手段として現れるか、生産物として現れるかは、もっぱらその使用価値が労働過程で果たす一定の機能に、その使用価値が労働過程において占める位置に依存する物であって、この位置が変わるにつれて上記の諸規定が変わるのである。
16

それゆえ、諸生産物は、それらが生産諸手段として新たな労働過程に入り込むことによって生産物という性格を失う。

それらは、いまでは、もう生きた労働の対象的要因として機能するだけである。

精紡工は、紡錘スピンドルを、紡ぐ手段としてののみ取り扱い、亜麻を、紡ぐ対象としてのみ取り扱う。

もちろん、人は、紡績材料と紡錘がな畔は紡ぐことができない。

それゆえ、これらの生産物が現存していることは、紡績の開始に際して、前提されている。

しかし、この過程そのものにおいては、亜麻と紡錘が過去の労働の生産物であることはどうでもよいことであって、それはちょうど、パンが農民、製粉業者、製パン業者などの過去の諸労働の生産物であることが栄養行為の場合にどうでもよいのと同じである。

それとは逆の場合。もし労働過程において生産諸手段が過去の労働の諸生産物としての性格を表すとすれば、そのことは、それらの生産諸手段の欠陥によって明らかにされる。

切れないナイフ、切れてばかりいる糸などは、刃物工Aや精紡工Eをまざまざと思い起こさせる。

優秀な生産物では、その生産物の使用諸属性の、過去の労働による媒介は消え失せている。

17

労働過程で役立たない機械は無用である。

そのうえ、機械は自然の物質代謝の破壊力に侵される。

鉄はさび、木は朽ちる。

織られもせず編まれもしない糸は、廃物の綿花である。

生きた労働は、これらの物をとらえて、死から蘇らせ、単なる可能的な使用価値から、現實的で有効な使用価値に転化させなければならない。

これらの物は労働の火になめられ、労働の肉体として同化され、それらの概念および使命にふさわしい諸機能を営むまでに、この過程の中で精気を吹きこまれながらペガイステート 、確かに消費されてなくなりもするが、しかしそれらは、生活手段として個人的消費に入り込むかまたは生産諸手段として新たな労働過程に入り込むかすることのできる新たな諸使用価値の、新たな諸生産物の、形成要素として、合目的的に消費し尽くされる。

*〔ベガイステンはゲーテによってしばしば用いられた古い言葉。のち、ベガイステルンの語に取って代わられた〕
2

したがって、現存する諸生産物が労働過程の諸結果であるばかりでなく、その実存諸条件でもあるとすれば、他方、それらの生産物の労働過程への投入、したがって生きた労働との接触は、過去の労働のこれらの諸生産物を使用価値として維持し実現するための唯一の手段なのである。

18

労働は、その素材的諸要素、それの対象およびそれの手段を消費し、それらを食い尽くすのであり、したがって消費過程である。

この生産的消費が個人的消費と区別される點は、後者は諸生産物を生きた個人の生活手段として消費し、前者はそれら労働の生活諸手段、すなわち生きた個人の自己を發現する労働力の生活諸手段として消費する、ということである。

それゆえ、個人的消費の生産物は消費者そのものであり、生産的消費の結果は消費者とは区別される一生産物である。

19

労働は、それの手段およびそれの対象そのものがすでに諸生産物である限りは、諸生産物を創造するために諸生産物を消費する。

すなわち、諸生産物の生産諸手段として、諸生産物を消耗する。

しかし、労働過程が本源的には人間の関与なしに現存する土地と人間との間でのみ行われるように、労働過程においては、天然に現存していて、自然素材と人間の労働との結合を何ら示していないような生産諸手段もまた、今なお役立っている。

20

我々が、その単純で抽象的な諸契機において叙述してきたような労働過程は、諸使用価値を生産するための合目的的活動であり、人間の欲求を満たす自然的なものの取得であり、人間と自然との間における物質代謝の一般的な条件であり、人間生活の永遠の自然的条件であり、それゆえこの生活のどの形態からも独立しており、むしろ人間生活のすべての社会形態に等しく共通なものである。

それゆえ、我々は、労働者を他の労働者たちとの關係において叙述する必要がなかった。

一方の側に人間とその労働、他方の側に自然とその素材があれば、それで十分であった。

小麦を味わってみても誰がそれを栽培したのかわからないのと同様、この過程を見ても、どのような条件のもとでそれが行われるのか、奴隷監督の残忍な鞭のもとでか、資本家の心配げな眼差しのもとでか、それともキンキンナトゥス(*1が数ユゲルム(*2の耕作において行うのか、石で野獣を倒す未開人が行うのか(9)、はわからない。

このうえなく高度なこの論理的理由から、トランズ大佐は実になんと未開人のこの石のうちに發見する——資本の起源を。

なぜ英語のstock〔木の幹を意味する〕が資本と同意義であるかという點についても、おそらく、あの最初の棒〔ドイツ語のstock〕から説明することができるであろう(*3

*1〔有徳と勇気のシンボルとされるローマの執政官。農耕中にローマ軍救出の命を受け、数日でそれを成就し、また農園に戻った〕
*2〔1ユゲルムは、一組の牛が午前中に耕せる面積。ほぼ1モルゲン。約25アールに当たる〕
*3〔ムアおよびエンゲルスの英語版では、「なぜ」以下の文は削除されている〕
21

我々はわが”将来の”資本家のもとに戻ろう。

我々が彼のもとを去ったのは、彼が商品市場において労働過程に必要なすべての要因、すなわち対象的諸要因または生産的諸手段と、人的要因または労働力とを買ったのちのことであった。

彼は抜け目ない玄人くろうと の目をもって、紡績業、製靴業などの彼の特殊な事業にふさわしい生産諸手段と労働力を選んだ。

したがって、わが資本家は自分の買った商品、労働力の消費にとりかかる。

すなわち、彼は労働力の担い手である労働者に、それの労働によって生産諸手段を消費させる。

労働過程の一般的本性は、労働者が労働過程を自分自身のためではなく資本家のために行うということによっては、もちろん変化はしない。

しかし、長靴を作ったり、糸を紡いだりする一定の仕方もまた、資本家の介入によっては、さしあたり、変化しえない。

資本家は、さしあたり、市場で見出すままの労働力を、したがってまた資本家がまだ一人もいなかった時代に發生したままのその労働を、受け入れなくてはならない。

労働が資本のもとに従属することによって生じる生産様式そのものの転化は、もっとのちになってから初めて生じうるのであり、それゆえもっと後になって初めて考察されるべきである。

22

ところで労働過程は、それが資本家による労働力の消費過程として行われる場合には、二つの独自な現象を示す。

労働者は、自分の労働の所属する資本家の管理のもとで労働する。

    資本家は、労働が秩序正しく進行し、生産諸手段が合目的的に使用され、したがって原料が少しも無駄遣いされず、労働用具が大切にされるように、すなわち作業中のそれの使用によって余儀なくされる限りでしか労働用具が傷められないように、見張りをする。

    さらに第二に、生産物は資本家の所有物であって、直接的生産者である労働者の所有物ではない。

      資本家は、たとえば労働力の日価値を支払う。

      したがって、労働力の使用は、他のどの商品——たとえば一日の間賃借りした馬——の使用とも同様に、その一日の間資本家に属している。

      商品の使用は商品の買い手に所属し、そして、労働の所有者は、自分の労働を与えることによって、実際には、自分が売った使用価値を与えるだけである。

      彼が資本家の作業場に入った瞬間から、彼の労働力の使用価値は、したがってそれの使用すなわち労働は、資本家に所属したのである。

      資本家は、労働力の購買によって、労働そのものを、生きた酵素として、同じく彼に所属する死んだ生産物形成諸要素に合体させたのである。

      彼の立場からは、労働過程は彼が買った商品である労働力の消費に過ぎないが、しかし彼はこの労働力に生産諸手段を付け加えることによってのみ、それを消費することができる。

      労働過程は、資本家が買った諸物の間の、彼に所属している諸物の間の一過程である。

      それゆえ、この過程の生産物は、彼のワイン地下貯蔵庫における發酵過程の生産物とまったく同様に、彼に所属する(10)。

      ジェイムズ・ミルは、『経済学要綱』70、71ページ渡辺輝雄譯、春秋社、83ページ〕で次のように言っている——

第二節 価値増殖過程

1

生産物——資本家の所有物——は、ある使用価値、糸、長靴などである。

しかし、たとえば長靴がある意味では社会進歩の基礎をなしており、またわが資本家が断固とした進歩主義者であるとしても、彼は長靴を長靴そのもののために製造しはしない。

商品生産においては、使用価値は、決して”それ自身のために人が愛する(”物ではない。

この場合、使用価値は、一般に、それらがただ交換価値の物質的基体、その担い手であるがゆえに、またその限りでのみ、生産されるのである。

そしてわが資本家には二つのことが問題である。

第一に、彼は、交換価値を持つ使用価値、販売予定の物品、商品を、生産しようとする。

そして第二に、彼は、その生産のために必要な諸商品の価値総額よりも、すなわち彼が商品市場において彼の貴重な貨幣を前貸してして得た生産諸手段と労働力との価値総額よりも、大きい価値を持つ商品を生産しようとする。

彼は、使用価値だけでなく商品を、使用価値だけでなく価値を、しかも価値だけでなく剰余価値をも、生産しようとする。

*〔フランス語その他でごく普通に使われる言い回し〕
2

ここでは商品生産が問題なのであるから、事実上、我々はこれまでのところ明らかに過程の一側面を考察したに過ぎない。

商品そのものが使用価値と価値との統一であるのと同様に、商品の生産過程は労働過程と価値形成過程との統一でなければならない。

そこで、今度は我々は、生産過程を価値形成過程として考察することにしよう。

3

上述のように、それぞれの商品の価値は、その使用価値に物質化されている労働の分量によって、その生産のために社会的に必要な労働時間によって、規定されている。

このことは、労働過程の結果としてわが資本家の手に入った生産物についても当てはまる。

したがって、まずもって、この生産物に対象化されている労働が計算されなければならない。

4

この生産物が、たとえば、糸であるとしよう。

    糸の生産のためには、まず第一に、その原料、たとえば10ポンドの綿花が必要であった。

    綿花の価値がどれだけであるかを、今から研究するにはおよばない。

    というのは、資本家はそれを市場において、その価値、たとえば10シリングで買ったのだから、綿花の価格のうちには、その生産のために必要な労働が、すでに一般的社会的労働として示されている。

    さらに、我々は、綿花の加工中に消費し尽くされた紡錘量、——使用された他のすべての労働手段をこれが代表するものとする——が、2シリングの価値を持つとしよう。

    12シリングの金量が24労働時間または二労働日の生産物であるとすれば、さしあたり、この糸には二労働日が対象化されていることになる。

    綿花がその形態を変化させ、消耗された紡錘量がまったく消え失せているという事情に、惑わされてはならない。

      40ポンドの糸の価値=40ポンドの綿花の価値+まる1錘分の紡錘の価値であるとすれば、すなわちこの等式の両辺を生産するために同じ労働時間が必要であるとすれば、一般的価値法則に従って、たとえば10ポンドの糸は10ポンドの綿花および1/4錘の紡錘との等価物である。

      この場合には、同じ労働時間が、一方では使用価値・糸において、他方では使用価値・綿花および紡錘において、みずからを表している。

      したがって、価値は、それが糸、紡錘、綿花のいずれにおいて現れているかについては、無関心である。

      紡錘と綿花とが、静かに相並んで横たわっているのではなく、紡績過程で結合し、この結合がそれらの使用形態を変化させ、それらを糸に転化するということは、紡錘および綿花の価値には少しも影響しないのであって、そのことは、ちょうど紡錘および綿花が単純交換によって糸という等価物と引き換えられる場合と同様である。

      綿花の生産に必要な労働時間は、綿花を原料としている糸の生産に必要な労働時間の一部分であり、それゆえに糸のうちに含まれている。

      紡錘量の生産に必要な労働時間についても、事情は同じである(11)。

      この紡錘量の摩滅または消費なしには綿花は紡がれ得ないからである。

5

したがって、糸の価値、糸の生産に必要な労働時間が考察される限りでは、〔はじめに〕綿花そのものおよび消耗された紡錘量を生産するために、最後に綿花および紡錘で糸を作るために、通過させられなければならないところの、様々な特殊的な、時間的にも空間的にも分離されている労働諸過程は、同じ一つの労働過程の様々な特殊的な、時間的にも空間的にも分離されている労働諸過程は、同じ一つの労働過程の様々な相次いで現れる諸局面とみなされうる。

糸に含まれている労働はすべて過去の労働である。

糸を形成する諸要素の生産に必要な労働時間は以前に過ぎ去っており、過去完了であるが、これに対して、最終過程である紡績に直接費やされた労働は比較的現在に近く、現在完了である、ということはまったくどうでもよい事情である。

一軒の家を建築するのに一定量の労働、たとえば30労働日の労働が必要であるとすれば、30日目の労働日が最初の労働日よりも29日遅く生産に入り込んだということは、その家に合体された労働時間の総量を少しも変えるものではない。

そのため、労働材料および労働手段に含まれている労働時間は、あたかもちょうど、紡績の形態で最後に付け加えられた労働よりも前に、もっぱら紡績過程の比較的以前の一段階で支出されたかのように、みなされうる。

6

したがって、12シリングの価格で表現される生産諸手段の価値、綿花および紡錘の価値は、糸価値すなわち生産物の価値の構成部分をなしている。

ただ、二つの条件だけは満たされなければならない。

第一に、綿花と紡錘とは現實に、ある使用価値の生産に役立っていなければならない。

    我々の場合には、これらの物から糸ができ上がっていなければならない。

    価値にとっては、どのような使用価値が価値を担うかはどうでもよいが、しかしどうしてもなんらかの使用価値が価値を担っていなければならない。

    第二に、与えられた社会的生産諸条件のもとで必要な労働時間だけが費やされたということが前提とされる。

      したがって、もし1ポンドの糸を紡ぐのに1ポンドの綿花だけが必要であるとすれば、1ポンドの糸の形成においては、1ポンドの綿花だけが消費されるようにしなければならない。

      紡錘についても同じである。

      もし資本家が、気まぐれに、鉄の紡錘の代わりに金の紡錘を用いるとしても、糸価値においては、社会的に必要な労働時間だけが、すなわち鉄の紡錘の生産に必要な労働時間だけが計算に入る。

7

いまや、我々には、生産諸手段すなわち綿花および紡錘が、糸価値のうちのどの部分を形成するかがわかっている。

それは、12シリング、すなわち二労働日の物質化に等しい。

したがって、今度は、精紡工の労働そのものが付け加える価値部分が問題である。

8

我々は、この労働を、いまや、労働過程中にある場合とはまったく別の観點から考察しなければならない。

労働過程中においては、綿花を糸に転化させるという目的に沿った活動が問題であった。

他のすべての事情が変わらないものと前提すれば、労働が目的に沿ったものであればあるほど、それだけ糸の出来は良い。

精紡工の労働は、他の生産的諸労働とは独特に相違するものであった。

そして、この相違は紡績の特殊な目的、その特殊な作業様式、その生産諸手段の特殊な本性、その生産物の特殊な使用価値において、主体的にも客体的にも現れていた。

綿花と紡錘とは紡績労働の必需手段(*1として役立ちはするが、それらを持って腔綫砲(*2を作ることはできない。

これとは反対に、精紡工の労働が価値形成すなわち価値源泉である限りでは、それは鑽開工さんかいこう の労働、または——ここで我々の身近にある例では——糸の生産諸手段に実現されている綿花栽培者および紡錘製造工の労働とまったく相違しない。

ただ、この同一性によってのみ、綿花栽培、防水製造、および紡績は、糸価値おいう同じ総価値の、単に量的にのみ相違する諸部分を形成しうるのである。

ここでは、もはや、労働の質、性状、および内容が問題ではなく、いまやその量が問題となるだけである。

これはただ単に計算されればよい。

我々は、紡績労働が単純労働、社会的平均労働であると仮定しよう。

これと反対の過程をしても事態は少しも変わらないということは、のちにわかるであろう。

*1〔原文は「生活諸手段」となっている。むしろ文脈からは「生産諸手段」と解されるが、本文のように譯出した〕
*2〔砲の射程距離と正確度を増すために、砲身の内側(腔)にらせんの線条をほどこして砲弾を回転させる様式の砲〕
*3〔砲身の中空部をえぐる労働者〕
9

労働過程の中で、労働は絶えず不静止の形態から存在ザインの形態に転換する。

1時間の終わりには、紡績運動はある分量の糸に表されており、したがって一定分量の労働すなわち1時間労働が綿花に対象化されている。

我々は、〔紡績労働とは言わずに——英語版〕労働時間、すなわち1時間のあいだの紡績工の生命力の支出、と言う。

なぜそう言うかと言えば、紡績労働は、ここでは、それが紡績という独特の労働である限りではなく、労働力の支出である限りでのみ、意義をもつからである。

10

いまや、決定的に重要なのは、この過程の継続中に、すなわち綿花の糸への転化の継続中に、社会的に必要な労働時間だけが消費されるということである。

標準的な、すなわち平均的な社会的生産諸条件のもとでは、aポンドの綿花が、1労働時間中にbポンドの糸に転化されなければならないとすれば、12✖️a ポンドの綿花を 12✖️b ポンドの糸に転化する労働日だけが、12時間の労働日として意義をもつ。

というのは、社会的に必要な労働時間だけが価値を形成するものとして計算に入るからである。

11

労働そのものと同様に、ここでは、原料および生産物もまた、本来の労働過程の立場から見た場合とはまったく別な光景を示す。

ここでは、原料は、一定分量の労働の吸収者としてのみ意義をもつ。

この吸収によって、それは実際に糸に転化する。

なぜなら、労働力が紡績活動の形態で支出され、原料に付け加えられたからである。

しかし、その生産物である糸は、いまではもはや、綿花によって吸収された労働の測定器に過ぎない。

1時間に1+2/3ポンドの綿花が紡ぎ尽くされるとすれば、すなわち1+2/3ポンドの糸に転化されるとすれば、10ポンドの糸は吸収された6労働時間を指し示す。

一定の、経験的に確定される分量の生産物は、いまや、一定分量の労働、一定量の凝固した労働時間を表すだけである。

それらは、社会的労働の1時間、2時間、1日分などの物質化でしかない。

12

労働がまさに紡績労働であり、その材料が綿花であり、そしてその生産物が糸であるということは、労働対象そのものがすでに生産物であり、したがって原料であるということと同様に、ここでは、どうでもよいことになる。

労働者が紡績工場ではなくて炭鉱で働くとすれば、労働対象である石炭は天然に存在しているであろう。

それにもかかわらず、炭層から割り採られた一定分量の、たとえば1ツェんトナーの石炭は、一定分量の吸収された労働を表すであろう。

13

労働力の販売のところでは、労働力の日価値は3シリングであり、この3シリングには6労働時間が体化されており、したがってそれだけの労働分量が労働者の日々の生活諸手段の平均額を生産するために必要であると想定された。

そこで、我が精紡工が1労働時間中に1+2/3ポンドの綿花を1+2/3の糸に転化するとすれば(12)、6時間では10ポンドの綿花を10ポンドの綿花を10ポンドの糸に転化する。

したがって、紡績過程の継続中に綿花は6労働時間を吸収する。

この労働時間は3シリングの金分量に表される。

したがって、綿花は紡績そのものによって3シリングの価値を付け加えられる。

ここでの数字はまったく任意のものである。

14

いまや、我々は、生産物である10ポンドの糸の総価値を調べてみよう。

そこには二1/2労働日が対象化されている。

二日の労働は綿花と紡錘量とに含まれ、1/2日の労働は紡績過程中に吸収されている。

同じ労働時間は15シリングの金貨で表される。

したがって、10ポンドの糸の価値に相当する価格は15シリングとなり、1ポンドの糸の価格は1シリング6ペンス(となる。

*〔1シリングは12ペンス〕
15

我が資本家は愕然とする。

生産物の価値は、前貸しされた資本の価値と同じなのである。

前貸しされた価値は増殖せず、なんらの剰余価値も生まれなかったのであり、したがって、貨幣は資本に転化しなかった。

10ポンドの糸の価値は15シリングである。

しかも、15シリングが商品市場でこの生産物の形成諸要素に、または、同じことだが、労働過程の諸要因に、支出された。

すなわち、10シリングは綿花に、2シリングは消耗された紡錘量に、そして3シリングが労働者に。

糸の価値が膨れ上がったとしても何の役にも立たない。

というのは、その糸の価値はもともと綿花、紡錘、および労働力に配分されていた諸価値の合計でしかなく、そして既存の諸価値にこのような加算がなされただけで決して剰余価値は發生し得ないからである(13)。

これらの諸価値はいまやすべて一個の物に集中されているが、しかしそれらは15シリングの貨幣額が三つの商品購買によって分割される前には、やはりこの貨幣額に集中されていたのである。

これが、あらゆる非農業労働の不生産性に関する重農主義者の学説の基礎をなす根本命題であり、そして、それは経済学者達——専門の——にとって覆すことのできないものである。

16

この結果は、それ自体としては奇異なものではない。

1ポンドの糸の価値は1シリング6ペンスであり、それゆえ我が資本家は10ポンドの糸に対しては商品市場で15シリングを支払わなければならないであろう。

彼が自分の住宅を市場で建て売りで買おうと、それを自分で建てさせようと、いずれの措置も、家の獲得に投じられた貨幣を増加させはしないであろう。

17

俗流経済学に精通している資本家はおそらくこう言うであろう——自分は自分の貨幣をより多くの貨幣にする意図をもって前貸ししたのである。と。

とはいえ、地獄への道はよき意図の石で敷き詰められている(*1のであって、彼は同じように、生産しないで金儲けする意図をもつこともできたのである(14)。

    彼はこうするぞとと言っておどす。

    二度と騙し討ちは食わないぞ。

    これからは、自分で商品を製造する代わりに、市場で出来合いの商品を買おう、と。

    しかし、もし彼の仲間の資本家たちがみな同じことをするならば、彼はどこの市場で商品を見いだすのであろうか?

    それに、彼は紙幣を食うことはできない。

    彼はこう説教し始める。

    自分の節欲を考えてもらいたい。

    自分は自分の15シリングを無駄遣いすることもできたのだ。

    そうはしないで、自分はそれを生産的に消費し、それによって糸を作ったのだ、と。

    しかし、その報酬として、彼は悔恨の代わりにまさに糸をもっている。

    彼は決して貨幣貯蔵者の役割に逆戻りはしてはならないのであって、禁欲の教えがどんな結果になるかは、貨幣蓄蔵者が我々に示してくれた。

    そのうえ、何もないところでは皇帝カイザーもその権利を失っている(*2

    彼の禁欲の功績がどうであろうとも、過程から出てくる生産物の価値はそこに投入された諸商品価値の総額に等しいだけなのであるから、彼の禁欲に特別に報いるための何ものもそこにはない。

    従って、彼は徳の徳は徳の報酬である(*3ということで甘んじるほかはない。

    〔ところが〕そうはしないで、彼はしつこくなってくる。

    糸は、自分には無用である。

    自分はそれを売るために生産したのである、と。

    それならば彼はそれを売ればよいのだし、さもなければもっと簡単に、これからは彼自身の必要なものだけを生産すればよい。

    これは、すでに、彼のおかかえ医者マカロックが過剰生産という流行病に對する特効薬として、彼に書き与えた処方箋である。

    彼はなおしつようにも反抗してこう言う。

    労働者は自分自身の手足で何もないところに労働生産物を創造し、商品を生産することができようか?

    自分が労働者に材料を与えたのであって、労働者は、それによってのみ、またそれのうちにのみ、彼の労働を体化することができるのではないか?

    ところで、社会の圧倒的部分はそのような貧乏人からなっているのであるから、自分は自分の生産諸手段すなわち自分の綿花と自分の防水とによって、社会に対し、また自分が生活諸手段を供給した労働者そのものにもはかり知れないほど役に立ったではないか?

    それなのに、自分が役に立ったことを勘定に入れてはならないのか?と。

    しかし、労働者はそのお返しに彼の役に立つため、綿花と紡績をを糸に転化したではないか?

    そのうえ、ここで問題なのは役に立つことではない(15)。

    役に立つとは、商品のそれであれ、労働のそれであれ、ある使用価値の有用的な働き以外のなにものでもない。

    しかし、ここで肝心なのは交換価値である。

      彼は、労働者に3シリングの価値を支払った。

      労働者は彼に、綿花に付け加えられた3シリングの価値で正確な等価物を返した。

      価値に対して価値を返したのである。

      つい今まであれほど資本の尊大さを發揮していた我が友は、突然、彼自身の使用する一労働者の謙虚な態度をとる。

        自分はみずから労働したではないか?

        精紡工に對する監視、監督の労働を行ったではないか?

        この自分の労働もまた価値を形成するではないか?と。

        彼自身の使用する”監督”と支配人は肩をすくめる。

        しかし、そうこうするうちに、彼は、もう、快活な笑いと共に、もとの顔つきにかえってしまった。

        彼は長たらしい連祷(*4で我々を辟易させたのである(*5

        彼はそんな連祷にはびた一文も出しはしない。

        彼は、この種のつまらない言い抜けやそらぞらしいごまかしはこれを、そのためにとくに雇ってある経済学の教授たちにまかせる。

        彼自身は実際家なのであって、確かに、事業の外で言うことは必ずしもよく考えているわけではないが、事業の内ですることはいつでも承知しているのである。

        こうしてたとえば、1844ー1847年に、資本家は、資本の〔一〕部分を生産的な事業から引き上げて、鉄道株の投機でそれを失った。

        また、アメリカの南北戦争の時代には、資本家は、リヴァプールの綿花取引所で投機をするために、工場を閉鎖し、工場労働者を街頭へ投げ出した。

        私は、この點について『経済学批判』、とくにその14ページで、次のように述べた〔邦譯『全集』、第13巻、23ページ〕。

        *1〔「罪人の歩む道は平坦な石畳であるが、その行き着く先は、陰府の淵である」(旧約聖書続編、シラ、21ー10)に由来し、のちにイギリス、ドイツのことわざとなった言い回し〕
        *2〔冗談として用いられることの多いドイツ、スペイン等の警句〕
        *3〔ローマの宮廷詩人クラウディアヌスの「まことの徳そのものはそれ自身にとって報酬である」に由来するヨーロッパの格言〕
        *4〔交互にとなえる祈りの繰り返し〕
        *5〔英語版では、この文と次の文は「彼は経済学者たちの全信条を我々に繰り返し述べたてたのであるが、実際のところ——と彼を言う——そんなことにはびた一文も出しはしないであろう、と」となっている〕
        *6〔ドイツ語の「ディーンスト」には「奉仕すること」「役に立つこと」の両義があるのにちなむ〕
18

もっと詳しく見ることにしよう。

労働日の日価値は3シリングであった。

なぜなら、労働力そのものに半労働日が対象化されているから、すなわち労働力の生産に日々必要な生活諸手段は半労働日を要するからである。

しかし、労働力のなかに潜んでいる過去の労働と、労働力が遂行することのできる生きた労働とは、すなわち労働力の日々の維持費と労働力の日々の支出とは、二つのまったく異なる大きさである。

前者は労働力の交換価値を規定し、後者は労働力の使用価値を形成する。

労働者を24時間のあいだ生かしておくために、半労働日が必要だということは、労働者が丸一日労働することを決して妨げはしない。

したがって、労働力の価値と、労働過程における労働力の価値増殖とは、二つの異なる大きさである。

この価値の差は、資本家が労働力を買ったときに念頭においていたものであった。

糸または長靴を作るという労働力の有用的属性は、価値を形成するには労働が有用的形態で支出されなければならないという理由からいって、一つの”不可欠な条件”であったにすぎない。

しかし、決定的なものは、価値の源泉であり、しかもそれ自身がもっているよりも多くの価値の源泉であるという、この商品の独特な使用価値であった。

これこそは、資本家がこの商品から期待する独特な役立ち方なのである。

そして、その場合、彼は商品交換の永遠の諸法則に従って行動する。

事実、労働力の売り手は、他のどの商品の売り手とも同様に、それの交換価値を実現してそれの使用価値を譲渡する。

彼は、後者を手放すことなしには、前者を受け取ることはできない。

労働力の使用価値すなわち労働そのものがその売り手に属さないのは、売られた油の使用価値が油商人に属さないのとまったく同様である。

貨幣所有者は労働日の日価値を支払った。

それゆえ、1日のあいだの労働力の使用、1日にわたる労働は、彼に属する。

労働力は丸一日作用し労働することができるにもかかわらず、労働力の日々の維持は半労働日しか要しないという事情、それゆえ、労働力の一日の間の使用が創造する価値がそれ自身の日価値の二倍の大きさであるという事情は、買い手にとっての特殊な幸運ではあるが、決して売り手に對する不当行為ではないのである。

19

わが資本家には、彼に笑いをもたらすこのこと(*1は、あらかじめわかっていたのである。

それゆえ、労働者は、作業場において、六時間だけでなく、十二時間の労働過程のために必要な生産諸手段を見いだす。

10ポンドの綿花が6時間労働を吸収して10ポンドの糸に転化したとすれば、20ポンドの綿花はは12時間労働を吸収して20ポンドの糸に転化するであろう。

我々は、この延長された労働過程の生産物を考察してみよう。

20ポンドの糸には、いまや5労働日が対象化されている。

4労働日は消費された綿花および防水の量に対象化され、1労働日は紡績過程のあいだに、綿花によって吸収されている。

ところが、5労働日の金表現(*2は、30シリング、言い換えれば1ポンド・スターリング10シリングである。

したがって、これが20ポンドの糸の価格である。

1ポンドの糸は相変わらず1シリング6ペンスの値である。

しかし、この過程に投入された諸商品の価値総額は27シリングであった。

糸の価値は30シリングである。

生産物の価値は、その生産のために前貸しされた価値よりも 1/9だけ増大した。

こうして、27シリングは30シリングに転化した。

それは、3シリングの剰余価値を生んだ。

手品はついに成功した。

貨幣は資本に転化した。

*1〔ゲーテ『ファウスト』、第一部、「書斎」のファウストの言葉、「こいつはお笑い草だ」の言い換え。手塚譯、第一部、中公文庫、97ページ参照〕
*2〔フランス語版では「貨幣表現」となっている。〕
20

問題のすべてがの条件が解決されており、商品交換の法則は少しも損なわれていない。

等価物どうしが交換された。

資本家は買い手として、それぞれの商品、すなわち綿花、紡錘量、労働力にその価値どおりに支払った。

それから、彼は、商品の他の買い手が誰でも行うことを、行った。

彼はそれらの商品の使用価値を消費したのである。

労働力の消費過程は、同時に商品の生産過程であって、30シリングの価値を持つ20ポンドの糸という生産物を生み出した。

資本家は、市場に立ち戻ってきて、前には商品を買ったのであるが、今度は商品を売る。

彼は1ポンドの糸をその価値よりびた1文も高くも低くもない1シリング6ペンスで売る。

それでも彼は、彼がはじめに流通に投げ入れたよりも、3シリングだけ多くを流通から引き出す。

この全経過すなわち彼の貨幣の資本への転化は、流通部面において行われるのであり、しかも流通部面において行われるのでない。

流通の媒介によって行われる。

なぜなら、商品市場における労働力の購買によって条件づけられているからである。

流通において行われるのではない。

なぜなら、流通は生産部面において起こる価値増殖過程を準備するだけだからである。

こうして”あた う限りの最善の世界においては、万事が最善に仕組まれている(”のである。

*〔ライプニッツ『弁神論』一の八、の「この最善の世界は最善の仕組み」という予定調和を反駁するために書かれたヴォルテール『カンディード』、第一、第三、第六、第三十章に由来する言葉。吉村正一郎譯、岩波文庫、14、22、35、172ページ参照〕
21

資本家は、新たな一生産物の素材形成者として、または労働過程の諸要因として、役立つ諸商品に貨幣を転化することによって、すなわち諸商品の死んだ対象性に生きた労働を合体することによって、価値を、対象化された過去の死んだ労働を、資本に、自己を増殖する価値に、恋にもだえる身のように(「働き」始める、命を吹き込まれた怪物に、転化させる。

*〔ゲーテ『ファウスト』、第一部、「ライプツィヒのアウエルバッハの酒場」で学生たちの合唱するリフレインの歌詞。手塚譯、第一部、中公文庫、149-151ページ参照〕
22

さて、価値形成過程と価値増殖過程とを比較してみると、価値増殖過程はある一定の點を超えて延長された価値形成過程にほかならない。

もし後者が、資本によって支払われた労働力の価値が新たな等価物によって補填される點まで継続されるだけなら、それは単純な価値形成過程である。

もしも価値形成過程が、この點を超えて継続されるならば、それは価値増殖過程となる。

23

さらに、価値形成過程を労働過程と比較してみると、後者の本質は使用価値を生産する有用的労働にある。

ここでは、運動は、質的に、その特殊なやり方において、目的および内容の観點から、考察される。

その同じ労働過程が、価値形成過程においてはその量的側面からのみ現われる。

問題になるのは、いまではまさに、労働がその作業のために要する時間、すなわち労働力が有用的に支出される継続時間だけである。

ここでは、労働過程に入り込む諸商品もまた、目的に沿って作用する労働力のための、機能的に規定された素材的諸要因としてはもはや意義を持たない。

それらは、いまではもはや、一定の分量の対象化された労働として計算にはいるだけである。

生産諸手段に含まれていようと労働力によって付け加えられていようと、いまではもはや、労働はその時間尺度に従って計算にはいるだけである。

それは、何時間分、何日分などととなる。

24

とはいえ、労働は、使用価値の生産に費やされた時間が社会的に必要である限りでのみ計算に入る。

このことは、次の様々なことを含んでいる。

労働力は標準的諸条件のもとで機能しなければならない。

もし、紡績機械が紡績業にとって社会的に支配的な労働手段であるとすれば、労働者の手に紡車が与えられてはならない。

労働者は標準的な品質の綿花の代わりに、切れてばかりいる屑綿を受け取ってはならない。

この両方の場合〔紡車と屑綿の場合〕には、彼は1ポンドの糸の生産に社会的に必要な労働時間よりも多くの時間を費やすであろうが、この余分な時間は価値または貨幣を形成しないであろう。

とはいえ、対象的な労働諸要因が標準的性格のものであるかどうかは、労働者にではなく資本家に依存する。

もう一つの条件は労働力そのもの標準的性格である。

労働力が使用される部門においてそれは一般的な平均程度の熟練、技能および敏速さをもっていなければならない。

しかし、わが資本家は、労働市場で標準的な品質の労働力を買った。

この力は、普通の平均程度の緊張でもって、社会的に通例の強度で支出されなければならない。

資本家はこのことについて、細心に監視するのであるが、それと同じ細心さで、労働もせずに時間が浪費されないように監視する。

彼は労働力を一定期間にわたって買ったのである。

彼は自分のものをなくさないように気をつける。

彼は盗まれたくないのである。

最後に──この點については、この御仁は独自の”刑法典”を持っている──原料および労働諸手段が、目的に反して消費されてはならない。

なぜなら、浪費された材料または労働手段は、対象化された労働の余分に支出された分量を表しており、したがって計算に入らず、価値形成の生産物には入り込まないからである(17)。

これは、奴隷制にもとづく生産を高価なものにする事情の一つでである。

労働者は、ここでは、古典古代人の適切な表現(*1に従えば、”ものを言う道具”としてのみ、”なかばものを言う道具”としての動物および”ものを言わない道具”としての死んだ労働道具から区別されうる。

しかし、労働者自身は、動物と労働道具に、自分はそれらと同類なのではなく、人間なのだということを思い知らされる。

彼は、それらを虐待し、損壊しながら、”喜ぶコン・アモール*2ことによって、それらと自分との区別についての自尊人を得るのである。

それゆえ、この生産様式においては、もっとも粗雑でもっとも鈍重な、だがまさにそのどうしうようもない無骨さのゆえに壊れにくい労働用具のみを使用することが、経済原則として通用する。

それゆえ、南北戦争の勃發まではメキシコ湾沿岸の奴隷制諸州において、古代中国的構造のすきが見られた。

この犂は、イノシシやモグラのように土地を掘りはするが、うね を作ったり土地をすき返したりはしないものであった。J・E・ケアンズ『奴隷力』、ロンドン、1862年、46ページ以下、参照。

オムステドは、彼の『沿岸奴隷制諸州〔の旅〕』〔ニューヨーク、1856年、46-47ページ〕において、とりわけ、次のように述べている──

*1〔ローマの学者M・T・ウァロ(前116ー27)の著『農事に関する書』、第一巻、17より。それによれば、奴隷は「ものをいう道具」、動物は「なかばものを言う道具」、犂は「ものを言わない道具」。マルクスは、デュロ・ド・ラ・マル著『ローマ人の経済学』、パリ、1840年から引用している〕
*2〔ドイツの詩人ヴィーラントがホラティウスの書簡紙などを譯出するにあたって用いた表現〕
25

こうしてわかるように、以前に商品の分析から得られた、使用価値を創造する限りでの労働と、価値を創造する限りでの同じ労働とのあいだの区別は、いまや、生産過程の異なる二側面の区別として現れた。

労働過程と価値形成過程との統一としては、生産過程は商品の生産過程である。

労働過程と価値増殖過程との統一としては、それは資本主義的生産過程、商品生産の資本主義的過程である。

26

前に述べたように、資本家によって取得される労働が単純な社会的平均労働であるか、それとも、より複雑な労働、より高い特殊な比重をもつ労働であるかは、価値増殖過程にとってはまったくどうでもよいことである。

社会的平均労働に比べてより高度なより複雑な労働として意義をもつ労働は、単純な労働と比べて、より高い養成費がかかり、その生産により多くの労働時間を要し、それゆえより高い価値をもつ労働力の發揮である。

もし労働力の価値がより高いならば、それゆえにこそこの労働力はより高度な労働において自らを發揮し、それゆえに同じ時間内で比較的高い価値に対象化される。

とはいえ、紡績労働と宝石細工労働とのあいだの等級上の区別がどうであろうとも宝石細工労働者が彼自身の労働力の価値を補填するにすぎない労働部分は、彼が剰余価値を創造する追加的労働部分と質的には決して区別されない。

前者〔紡績労働〕の場合も後者〔宝石細工労働〕 の場合も、剰余価値は、労働の量的な超過によってのみ、同じ労働過程の、すなわち一方の場合には糸生産の過程の、他方の場合には宝石生産の過程の、時間的延長によってのみ生じてくるのである(18)。

高度な労働と単純な労働、「”熟練労働”」と「”不熟練労働”」とのあいだの区別は、一部分は単なる幻想にもとづくか、または少なくとも、実在することをとうにやめていて、いまや伝統的慣行において残存しているに過ぎない区別にもとづいており、また一部分は、労働者階級のある階層がよりいっそう孤立無援な状態にあり、そのため、これらの階層が自分たちの労働力の価値をたたかいとる力を他の階層よりも弱めている、ということに基づいている。

この区別にあっては、偶然的な事情が大きな役割を演じるのであって、同じ労働種類が地位を替える場合があるほどである。

たとえば、資本主義的生産の發展したすべての国におけるように、労働者階級の体質が弱められ、かなり疲れ果てているところでは、一般に、多くの筋力を必要とする粗野な労働が、はるかに精妙な労働と地位を替えて高度な労働に逆転し、精妙な労働が単純労働の等級に低落するのである。

たとえば、イングランドでは、煉瓦積み工の労働はダマスク織り製織工の労働よりはるかに高い等級を占めている。

他面”ファスチャン剪毛せんもう 工”(綿ビロード剪毛工)の労働は、多くの肉体的緊張を要し、そのうえ非常に非衛生的であるにもかかわらず、「単純」労働となっている。

ともかく、いわゆる「”熟練労働”」が国民の労働の中で量的に大きな範囲を占めているものと思い込んではならない。

ラング*1は、イングランド(およびウェイルズ)では、1100万人以上の生存が単純労働にもとづいていると見積もっている。

彼の著述当時の人口1800万人から、貴族の100万人と、受給貧民(*2、浮浪者、犯罪者、売春婦などの150万人とを差し引くと、小金利生活者、官吏、著述家、芸術家、学校教師などを含む465万人の中間階級が残る。

この465万人を取り出すために、彼は、銀行家などのほかに、すべての比較的高級な「工場労働者」を中間階級の勤労部分に入れている!

煉瓦積み工も「高級な労働者」からもれていない。

こうして、彼のもとには前述の1100万人が残るのである(S・ラング『国民的困窮』、ロンドン、1844年、〔49-52ページの各所〕)。

*1〔初版では、「最近までインドの財務長官をしていたラング」となっている〕
*2〔救貧法によって救済を受ける貧民〕
*3〔このミル執筆「植民地」の項目は『大英百科事典』第四、五、六版への補遺に含まれ、第三巻、1824年、113ページにあるが、マルクスは、E・G・ウェイクフィールド『イギリスとアメリカ』、ロンドン、第二巻、1833年、77ページ(中井正譯、()、世界古典文学、日本評論社、21ページ)のなかでの同項目の引用を使用したものと思われる〕
27

他方では、どの価値形成過程においても、より高度な労働は、つねに、社会的平均労働に還元されなければならない。

たとえば、一日のより高度な労働はx日の単純労働に還元されなければならない(19)。

したがって、資本によって使用される労働者は単純な社会的平均労働を行うと仮定することによって、余計な操作がはぶかれ、分析が簡素化される。

第6章 不変資本と可変資本 div>
1

労働過程のさまざまな諸要因は、生産物価値の形成にさまざまな関与を行う。

労働者は、彼の労働の一定の内容、目的、および技術的性格がどのようなものであれ、一定分量の労働を付け加えることによって、労働対象に新たな価値を付け加える。

他方では、我々は、消耗された生産諸手段の価値を、生産物価値の構成諸部分として、たとえば綿花と紡錘との価値を糸価値の中に、ふたたび見出す。

したがって、生産諸手段の価値は、それが生産物に移転することによって維持される。

この移転は、生産諸手段の生産物への転化のあいだに、労働過程中に、行われる。

それは労働によって媒介されている。

では、どのように行われるのか?

2

労働者は同じ時間内に二重に労働するのではない。

すなわち、一つには彼の労働によって綿花にある価値を付け加えるために、もう一つには綿花の旧価値を維持するために──あるいは同じことであるが、彼が加工する綿花の価値と彼が労働するのに用いる紡錘の価値とを、生産物すなわち糸に移転するために──労働するのではない。

むしろ、単に新価値を付け加えることによって、労働者は旧価値を維持するのである。

しかし、労働対象に對する新価値の付け加えと生産物における旧価値の維持とは、労働者が同じ時間内に、一度しか労働しないのにその同じ時間内に生み出す二つのまったく相異なる諸結果なのであるから、結果のこの二面性は、明らかに彼の労働そのものの二面性からのみ説明されうる。

同じ時點において、彼の労働は、一方の属性では価値を創造し、他方の属性では価値を維持または移転しなければならない。

3

各々の労働者は、どのようにして労働時間を、それゆえ価値を、付け加えるのか?

それはつねに彼独自の生産的労働様式の形態でのみ行われる。

精紡工は紡ぐことによってのみ、織布工は織ることによってのみ、鍛冶工は鍛造たんぞう することによってのみ労働時間を付け加える。

しかし、彼らが労働一般、それゆえ新価値を付け加えるさいの目的にそくした形態によって、すなわち紡ぐこと、織ること、鍛造することによって、生産諸手段である綿花と紡錘、糸と織機、鉄と鉄敷 かなしき は、一生産物の、新たな一使用価値の、形成諸要素となる(20)。

生産諸手段の使用価値のもとの形態は消え失せるが、しかし使用価値の新たな一形態で出現するためにのみ消え失せる。

ところが、価値形成過程の考察の際に明らかになったように、一使用価値が新たな一使用価値の生産のため、その目的にそくして消耗される限りでは、消耗された使用価値の生産のために必要な労働時間は、新たな使用価値の生産のために必要な労働時間の一部分をなすのであり、したがってそれは、消耗された生産手段から新生産物に移転される労働時間なのである。

したがって、労働者が消耗された生産諸手段の価値を維持するのは、すなわちそれらの価値を価値構成部分として生産物に移転するのは、労働一般を付け加えることによってではなく、この付加的労働の特殊的有用的性格によって、それの独特な生産的形態によってである。

このような目的にそくした生産活動としては、すなわち紡ぐこと、織ること、鍛造することとしては、労働は、ただ接触するだけで生産諸手段を死からよみがえらせ、それらに精気を吹き込んで労働過程の諸要因にし、それらと結合して生産物となるのである。

4

労働者の独特な生産的労働がもし紡ぐことでないとすれば、彼は綿花を糸には転化しないであろうし、したがって綿花と紡錘との価値を糸に転化もしないであろう。

これに反して、同じ労働者が職業を変えて指物工になるとしても、彼は相変わらず一労働日によって、彼の材料に価値を付け加えるであろう。

したがって、労働者が彼の労働によって価値を付け加えるのは、彼の労働がある特殊的有用的な内容をもつからではなく、それが一定の時間続けられるからである。

したがって紡績工の労働は、その抽象的一般的属性においては、すなわち人間的労働力の支出としては、綿花と紡錘との価値に新価値を付け加え、紡績過程としてのその具体的、特殊的、有用的属性においては、これらの生産手段の価値を生産物に移転し、こうしてそれらの価値を生産物において維持する。

そこから、同じ時點における労働の結果の二面性が生じる。

5

労働の単なる量的な付加によって新たな価値が付け加えられ、付け加えられる労働の質によって生産諸手段の旧価値が生産物において維持される。

労働の二面的性格の結果として生じる同じ労働のこの二面的作用は、様々な現象において手に取るように示される。

6

何らかの發明によって、精紡工が以前には36時間で紡ぐことができたのと同じだけの綿花を6時間で紡ぐことができるようになったと仮定しよう。

合目的的で有用的生産的な活動としては、彼の労働はその力を6倍にした。

その生産物は6倍の糸であり、6ポンドではなく36ポンドの糸である。

しかし、36ポンドの綿花は、いまや、以前に6ポンドの綿花が吸収したのと同じだけの労働時間を吸収するに過ぎない。

6ポンドの綿花には、旧方法を持ってるのに比べて6分の一の新たな労働が付け加えられた、それゆえいまでは、以前の価値の6分の1が付け加えられるだけである。

他方、いまや、6倍の綿花の価値が、生産物すなわち36ポンドの糸のうちに実存する。

6紡績時間のうちに、6倍の減量の価値が維持され、生産物に移転される。

もっとも、同じ原料に6分の1の新価値が付け加えられるのであるが、このことは、同じ不可分の過程中に価値を維持するという労働の属性が、価値を想像するという労働の属性といかに本質的に相違するものでるかを示す。

紡績作業中に同じ分量の綿花に費やされる必要労働時間が多ければ多いほど、綿花に付け加えられる新価値はそれだけ大きいが、しかし、同じ労働時間内に紡がれる綿花のポンドが多ければ多いほど、生産物において維持される旧価値はそれだけ大きい。

7

その反対に、紡績労働の生産性が不変のままであり、したがって、精紡工は、1ポンドの綿花を糸に転化するために相変わらず前と同じだけの労働時間を必要とすると仮定しよう。

しかし、綿花そのものの交換価値が変動し、1ポンドの綿花の価格が6倍に騰貴するか、または6分の1に下落するとしよう。

どちらの場合にも、精紡工は引き続き同じ分量の綿花に同じ労働時間、したがって同じ価値を付け加え、どちらの場合にも、彼は同じ時間内に同じ量の糸を生産する。それにもかかわらず、精紡工が綿花から糸すなわち生産物に移転する価値は、一方の場合には以前の6倍であり、他方の場合には6分の1である。

労働諸手段が高価になったり廉価になったりしても労働過程において常に同じように役に立つ場合にも、右と同じである。

8

紡績過程の技術的諸条件が不変のままであり、またその生産諸手段についても何ら価値変動が生じないとすれば、精紡工は、前と変わらぬ価値を持つ同じ分量の原料と機械を、同じ労働時間でこれまで通り消費する。

この場合には、彼が生産物において維持する価値は、彼が付け加える新価値に正比例する。

彼は、2週間で1週間の2倍の労働、したがって2倍の価値を付け加え、それと同時に2倍の価値を持つ2倍の減量を消耗し、また2倍の機械を摩滅させ、したがって2週間の生産物に、1週間の生産物の2倍の価値を維持する。

前と変わらぬ与えられた生産諸条件の下では、労働者はより多くの価値を付け加えれば付け加えるほどより多くの価値を維持するのであるが、しかし彼がより多くの価値を維持するのは、彼がより多くの価値を付け加えるからではなく、前と変わらぬ、そして彼自身の労働のいかんとはかかわりない諸条件のもとで価値を付け加えるからである。

9

もちろん、相対的な意味では、労働者はつねに新価値を付け加えるのと同じ比率で旧価値を維持するということができる。

たとえ綿花が1シリングから2シリングに騰貴するか、または6ペンスに下落するかしても、労働者が1時間の生産物において維持する綿花価値は、その価値がいかに変動しようととも、つねに2時間の生産物において維持する価値の半分でしかない。

さらに、彼自身の労働の生産性が変動し、それが上昇するかまたは低下するならば、彼はたとえば1労働時間に以前よりもより多くの、またはより少ない綿花を紡ぎ、それに対應して、より多くの、またはより少ない綿花価値を1労働時間の生産物において維持するであろう。

それにもかかわらず、労働者は2労働時間では1労働時間の2倍の価値を維持するであろう。

10

価値は、価値商標における単なる象徴的な表現を別にすれば、一つの使用価値、一つの物の中にのみ実存する。(人間そのものも、労働力の単なる定在として考察すれば一つの自然対象であり、たとえ生きた自己意識をもった物であるとちsても、一つの物なのであって、労働そのものはこの労働力の物的發揮である。)

それゆえ、使用価値がなくなれば、価値もまたなくなる。

生産諸手段は、それの使用価値と同時にその価値を失いはしない。

なぜなら、生産諸手段が労働過程を通してその使用価値の最初の姿態を失うのは、実のところ、生産物において別なある使用価値の姿態を獲得するためでしかないからである。

しかし、価値にとっては何らかの使用価値のうちに実存するかということが、いかに重要であるとしても、商品の変態が示すように、どのような使用価値のうちに実存するかということはどうでもよいことである。

以上のことから結論されるのは、労働過程において、価値が生産手段から生産物に移行するのは、ただ、生産手段がその独自な使用価値とともにその交換価値をも失う限りのでのことである。

生産手段は、それが生産手段として失う価値だけを生産物に引き渡す。

しかし、この點では、労働過程の対照的諸要因によってそれぞれ事情は異なる。

11

機関を熱する石炭は、車軸に塗る油などとも同様に、跡形もなく消滅する。

染料その他の補助材料は消滅するが、しかし生産物の属性のうちに現れる。

原料は生産物の實體じったいを形成するが、しかしその形態を変える。

すなわち、原料と補助材料は、それらが使用価値として労働過程に入り込んだときの自立的な姿態を失う。

本来の労働諸手段の場合は、違っている。

    用具、機械、工場の建物、容器などは、それらが最初の姿態を保持し、昨日とまったく同じ形態で明日も再び労働過程に入り込む限りにおいてのみ、労働過程で役に立つ。

    それらは、その存命中に、すなわち労働過程中に、生産物に対立してその自立的な姿態を保持するように、その死後にもやはりそうする。

    それらは、機械、道具、作業用建物などの遺骸は、それらの助けで作られた諸生産物とは相変わらず別個に実存する。

    いま、このような一労働手段が役立っている全期間、すなわちそれが仕事場に入り込んだ日からそれが廃物置場に追放される日までを考察すると、この期間中にその使用価値は労働によって完全に消費し尽くされ、それゆえそれの交換価値は完全に生産物に移行したのである。

    ある紡績機械が、たとえば10年で寿命が尽きたとすれば、それの総価値は、この10年間の労働過程の間に10年間の生産物に移行したのである。

    したがって、一労働手段の存命期間は、それを用いて絶えず新たに繰り返される多数または少数の労働過程を含んでいる。

    そして労働手段の場合も事態は人間と同じである。

      どの人間も毎日24時間だけ死んでいく。

      しかし、どの人間を見ても、彼が既に幾日死んでしまっているかは正確にはわからない。

      それでも、このことは、生命保険会社が人間の平均寿命から、きわめて確実な、そのうえはるかに重要なことであるが、きわめて儲けの多い、結論を引き出すことを妨げはしない。

      労働手段についてもそうである。

        ある労働手段、たとえばある種類の機械が平均してどれだけ長持ちするかは経験から知られている。

        それの使用価値が、労働過程において6日しか持ちこたえないと仮定しよう。

        そうすれば、この気化は平均して1労働日にその使用価値の6分の1を失い、それゆえ価値の6分の1を日々の生産物に引き渡す。

        すべての労働諸手段の摩滅、したがってたとえば労働諸手段の日々の使用価値の喪失と、それに対應する日々の生産物へのそれらの価値の引き渡しは、こういうやり方で計算される。

12

このようにして、生産手段は、それが労働過程においてそれ自身の使用価値の破壊によって失う価値以上の価値を生産物に引き渡すことは決してないということが、はっきりわかる。

それは、交換価値の形成者として役立つことがなく、使用価値の形成者として役立つであろう。

それゆえ、人間の関与なしに天然に現存するすべての生産諸手段の場合、土地、風、水、鉱脈内の鉄、原生林の木材等の場合がこれである。

13

ここで我々は、もう一つの興味ある現象に出会う。

ある機械がたとえば1000ポンド・スターリングの価値をもち、1000日で摩滅するとしよう。

この場合には、機械の価値の1000分の1が、日々、機械そのものからそれの日々の生産物に移行する。

生命力が次第に失われるとはいえ、機械総体は労働過程において不断に作用し続ける。

したがって、労働過程の一要因である、ある生産手段は、労働過程へは全体として入り込むが、価値増殖過程*2へは部分的に入り込むだけだということがわかる。

ここでは、労働過程と価値増殖過程との区別は、同じ生産手段が同じ生産過程において、労働過程の要素としては全体として計算に入り、価値形成の要素としては一部分ずつ計算に入るに過ぎないということによって、それらの過程の対象的諸要因に反映する(21)。

ここでは、労働諸手段すなわち機械、建物等の修理のことは問題にならない。

修理される機械は、労働手段としてではなく労働材料として機能する。

それを用いて労働が行われるのではなく、その使用価値を補修するためにそれ自身が加工されるのである。

我々の目的にとっては、このような修理労働は、その労働手段の生産に必要な労働の中につねに含められていると考えることができる。

本文で問題になっているのは、どんな医者でも治療することができない、徐々に死を招く摩滅であり、「ときどき修復することができず、たとえばナイフで言えば、結局刃物師が、これはもはや新しい刃に研ぎ直す値打ちもないという状態に至らせるような種類の損耗である(*1」。

本文で述べたように、たとえば機械は、どの個々の労働過程にも全体として入り込むが、同時的に行われる価値増殖過程(*2には一部分ずつ入り込むだけである。

次のような概念混同は、このことから判断することができる。

「リカードウ氏は、靴下製造機を製造する機械工の労働の一部分」が、たとえば1足の靴下の価値の中に含まれていると言う(*3

「とはいえ、各1足の靴下を生産した総労働は・・・機械工の労働全部を含むのであって、その一部分だけを含むのではない。というのは、確かに1台の機械は何足もの靴下を作るのであるが、しかしそのどの1足も、その機械のどれかの部分が欠けては作ることができなかったであろうから」(〔H・ブルーム〕『経済学におけるある種の用語論争にかんする諸考察。とくに価値および需要供給に関聯 かんれん して』、ロンドン、1821年、54ページ)。

なみはずれて自己満足の強い「”知ったかぶり屋ワイズエイカー *4”」であるこの著者の混乱と、それゆえ彼の論難とは、リカードウも、彼の前後のどんな経済学者も、労働の二側面を厳密に区別せず、それゆえ価値形成におけるそれらの側面の相異なる役割などなおさら分析しんかったという限りでのみ、もっともである。

*1〔『タイムズ』、1862年11月26日付〕
*2〔フランス語版、英語版では「価値形成過程」となっている〕
*3〔リカードウ『経済学および課税の原理』、堀経夫譯、『リカードウ全集」Ⅰ、雄松堂書店、28ページ〕
*4〔自分が賢いと思っている愚か者をさすイギリスの通俗語〕
14

他方では、その反対に、ある生産手段は、部分的に労働過程に入り込むだけであるにもかかわらず、価値増殖過程(*1には全体として入り込むことがありうる。

綿花を紡いで糸にするさいに、毎日115ポンドにつき15ポンドが屑になって糸にはならず、”デビルダスト(*2”にしかならないと仮定しよう。

其れでも、この15ポンドのクズが標準であり、綿花の平均加工と不可分のものであれば、糸の要素を何ら形成しないこの15ポンドの綿花の価値は、糸の實體じったい を形成する100ポンドの綿花の価値とまったく同様に、糸価値の中に入り込む。

15ポンドの綿花の使用価値は、100ポンドの糸を作るために塵にならざるを得ない。

したがって、この綿花の消滅は、糸の一つの生産条件である。

そうであるからこそ、この綿花はその価値を糸に引き渡すのである。

こうしたことは労働過程のすべての廃棄物について当てはまる——少なくともこれらの廃棄物が再び新たな生産諸手段を形成せず、それゆえ新たな独自な使用諸価値を形成しない限りにおいてのことであるが。

そのようにして、マンチェスターの大機械製作工場では、巨大な機械によってカンナ屑のように削り取られた山のような鉄屑が見られるのであって、〔この場合には〕これらの鉄屑は、夕方には大きな車で工場から製鉄所に移され、後日再び鉄塊として製鉄所から工場に戻されるのである。

*1〔フランス語版、英語版では「価値形成過程」となっている〕
*2〔開綿機(デビル)から排出された土砂、綿の種子、茎の破片、ごく短い綿の繊維などの塵〕
15

生産諸手段は、それらが労働過程中にそれらのもとの使用価値の姿態で実存した価値を失う限りにおいてのみ、生産物の新たな姿態に価値を移転する。

生産諸手段が労働過程で被ることがありうる価値喪失の最大限は、明らかに、それらが労働過程にはいるときにもっていた最初の価値の大きさによって、すなわちそれら自身の生産に必要な労働時間によって、制限されている。

それゆえ生産諸手段は、それらが役立つ労働過程とはかかわりなくもっている価値よりも多くの価値を生産物に付け加えることは決してできない。

ある労働材料、ある機械、ある生産手段がどんなに有用であろうと、それに150ポンド・スターリングたとえば500労働日を費やすならば、それが、役立って形成され総生産物にたいして、150ポンド・スターリング以上のものを付け加えることは決してない。

それの価値は、それが生産手段としてそこに入り込む労働過程によってではなく、それが生産物としてそこから出てくる労働過程によって規定されている。

労働過程においては、それは、使用価値としてのみ、有用的属性をもつ物としてのみ役立つのであり、それゆえ、もしそれがこの過程にはいる前に価値をもっていないとしたら、それは生産物になんらの価値も引き渡しはしないのであろう(22)。

この點から、まぬけなJ・B・セーの愚かさが把握される。

すなわち彼は剰余価値(利子、利潤、地代)を、生産諸手段すなわち土地、用具、革などがそれらの使用価値によって労働過程で「”生産的に役立つこと”」から導き出そうとするのである。

如才ない弁護論的思いつきを書き物にすることをなかなかやめないヴィルヘルム・ロッシャー氏は、次のように叫ぶ──

きわめて正しい!搾油所によって生み出された「油」は、搾油所の建設に費やされる労働とは極めて異なったものである。

そして、ロッシャー氏は「価値」とは「油」が価値を持つのだから「油」のような代物だと解しているのであるが、しかし石油は、相対的には「きわめて多く」ではないとはいえ「自然の中に」存在するのであって、次のような彼の別の言葉は、おそらくこの點について指摘しているのであろう。

ロッシャー氏の自然と〔自然の生み出す〕交換価値との關係は、愚かな未婚の娘が、〔自分の産んだ〕赤ん坊は「とても小さいもの」でしかなかったと言うのと同じようなものである。

この同じ「学者」(”良心的な学者”)は、上述の際になお次のように言う——

単なる「要求」から、なにしろ、実に、まさに、「価値」を展開する経済学のこの「解剖学的生理学的方法」のなんと「器用」なことか!

16

生産的労働が生産諸手段を新たな一生産物の形成諸要素に転化することによって、生産諸手段の価値に一つの輪廻りんね が生じる。

生産諸手段の価値は、消耗された肉体から、新たな姿態に形作られた肉体へ移行する。

しかしこの輪廻は、いわば現實的労働の背後で起こる。

労働者は、元の価値を維持することなしには新たな労働を付け加えることはできず、したがって新たな価値を創造することはできない。

というのは、彼はつねに一定の有用的形態で労働を付け加えなければならないのであり、しかも諸生産物を新たな一生産物の生産手段にし、そうすることによってそれらの生産物の価値を新たなその生産物に移転することなくしては、有用的形態で労働を付け加えることはできないからである。

したがって、価値を付け加えることによって価値を維持するということは、自己を發現している労働力すなわち生きた労働の天性というべきものである。

この天性は、労働者にはなんの費用もかからないが、資本家には現存資本価値の維持という多大の利益をもたらす天性なのである(22a)。

景気が良い限りは、資本家は金儲けに没頭しきっていて、労働のこの無償の贈り物には気がつかない。

労働過程の強力的中断すなわち恐慌は、彼にこのことを通説に感じさせる(23)。

1862年11月26日付の『タイムズ』紙上で、800人の労働者を使用し、毎週平均150俵の東インド綿または約130俵のアメリカ綿を消費する紡績工場の持ち主である一工場主が、彼の工場の年々の操業中断費のことを嘆き訴えている。

彼はそれを6000ポンド・スターリングと見積もっている。

この失費の中には、地代、租税、保険料や、一年契約の労働者、支配人、簿記係、技師などの給料のような、いまの場合、我々とは關係のない多くの費目がある。

それから彼は、工場をときどき暖め、蒸気機関をときおり運転するための石炭代を150ポンド・スターリングと計算し、そのほかのときおりの労働によって機械を「いつでも動かせる状態」に保っておく労働者の賃金をも計算する。

最後に、機械の損傷を1200ポンド・スターリングと計算する。

なぜなら、「天候と腐朽の自然法則とは、蒸気機関が回転を止めるからといってその作用を停止しない」からである。

彼は、この1200ポンド・スターリングという額は、機械がすでに消耗しきった状態にあるがゆえに、非常に少なく見積もられていると断言している。

*〔死からほかの生へ生まれ変わることの繰り返しをさす仏教用語〕
17

一般に生産諸手段において消耗されるのはそれらの使用価値であり、この使用価値の消費によって労働は生産物を形成する。

生産諸手段の価値は、実際には、消費されず(24)、したがってまた再生産されえない。

それらの価値は維持されるのであるが、しかし、労働過程において価値そのものにある操作が加えられるから維持されるのではなく、もともと自己のうちに価値を実存させている使用価値が、確かに消滅するからこそ、とはいっても消滅してほかの使用価値になるに過ぎないからこそ、維持されるのである。

それゆえ、生産諸手段の価値は生産物の価値の中に再現するのであるが、しかし厳密にいえば、それは再生産されるのではない。

生産されるのは、新たな使用価値であり、そのなかで旧交換価値が再現するのである(25)。

おそらく、20版は重ねたと思われる北アメリカのある概説書には、次のように書かれている——

その価値が生産物に再現するありとあらゆる生産成分をだらだらと数え上げたあげく、最後に次のように言う—— 他のすべての奇妙な點は別としても、たとえば更新された活力の中に再現するのは、パンの価格ではなく、血液を形成するパンの實體じったい である〔ことは十分に述べられている〕。

これに反して、この活力の価値として再現するものは、生活諸手段ではなく生活諸手段の価値である。

同一の生活諸手段は、それらが半分の費用しかかからない場合にも(、まったく同じだけの筋肉や骨格などを、要するに同一の活力を生産するが、しかし同じ価値を持つ活力を生産するのではない。

「価値」の「活力」へのこの置き換えと、パリサイ人的な曖昧さの全体とは、前貸しされた価値の単なる再現から剰余価値をひねりだそうとする、いずれにしても無駄な試みを隠し持っているのである。

*〔英語版、フランス語版では、「それらが半分の価格でしかない場合にも」となっている〕
18

労働過程の主体的要因、自己を發現している労働力の場合は、事情が違う。

労働は、その合目的的な形態によって生活諸手段の価値を生産物に移転し維持するあいだに、その運動の各瞬間に、付加的価値すなわち新価値を形成する。

労働者が彼自身の労働力の価値との等価物を生産した點、たとえば6時間の労働によって6時間によって3シリングの価値を付け加えた點で、生産過程が中断するとしよう。

この価値は、生産物価値のうち、生産諸手段の価値に帰せられる構成部分を超える超過分を形成する。

この価値は、この過程の内部で生じた唯一の本来の価値(であり、生産物価値のうち。この過程そのものによって生産されている唯一の部分である。

確かにこの価値は、資本家によって労働力の購買に際して前貸しされ、労働者自身によって生活諸手段に支出された貨幣を補填するものでしかない。

支出された3シリングの関連でみると、3シリングの新価値は再生産としてのみ現れる。

しかし、この価値は、現實的に再生産されているのであって、生産諸手段の価値のように単に外見的にのみ再生産されているのではない。

ある価値の他の価値による補填は、この場合には新たな価値創造によって媒介されている。

*〔ロシア語版、中国語版は、「新価値」としている〕
19

とはいえ、すでに述べたように、労働過程は、労働力の価値の単なる等価物が再生産され、労働対象に付け加えられる點を超えて続行される。

この等価物のために十分である6時間ではなく、この過程は12時間続けられる。

したがって、労働力の發現により、それ自身の価値が再生産されるだけでなく、ある超過価値が生産される。

この剰余価値は、生産物価値のうち、消耗された生産物形成者——すなわち生産諸手段および労働力——の等価値を超える超過分をなす。

20

我々は、労働過程の様々な諸要因が生産物価値の形成において演じる様々な役割を叙述することによって、実際には、資本それ自身の価値増殖過程における、資本の様々な構成諸部分の機能を特徴付けた。

生産物の総価値のうち、それの形成諸要素の価値総額を超える超過部分は、価値増殖した資本が最初に前貸しされた資本価値を超える超過分である。

一方における生産諸手段と他方における労働力とは、最初の資本価値がその貨幣形態を脱ぎ捨てて、労働過程の諸要因に転化するさいにとった様々な実存諸形態に過ぎない。

21

したがって、資本のうち、生産諸手段すなわち原料、補助材料、および労働手段に転換される部分は、生産過程でその価値の大きさを変えない。

それゆえ私は、これを不変資本部分、または簡単に不変資本と名付ける。

22

これに反して、資本のうち、労働力に転換される部分は、生産過程でその価値〔の大きさ〕を変える。

この部分は、それ自身の等価物と、これを超えるある超過分である剰余価値とを再生産するので、この剰余価値はそれ自身変動しうるのであって、より大きいこともより小さいこともありうる。

資本のこの部分は、一つの不変量から絶えず一つの可変量に転化する。

それゆえ私は、これを可変資本部分、または可変資本として区別される。

23

不変資本という概念は、それの構成諸部分の価値革命を決して排除するものではない。

1ポンドの綿花が、きょうは6ペンスに値するが、綿花収穫の不作の結果、あすは1シリングに騰貴すると仮定しよう。

    引き続き加工されるべき元の綿花は6ペンスの価値が買われたが、いまや生産物に1シリングの価値部分を付け加える。

    そして、〔騰貴する前に〕すぐに紡がれた、おそらくもう糸として市場に流通しているであろう綿花もやはり、生産物にその最初の価値の2倍を付け加える。

    とはいえ、これらの価値変動が、紡績過程のそのものにおける綿花の価値増殖とはかかわりがないということは明らかである。

    元の綿花がまだ労働過程にまったく入り込んでいないとすれば、それはいまや6ペンスでではなく1シリングで転売されうるであろう。

    それとは逆に、労働過程に入り込んでいる場合には、それが今しがた通過した労働過程の数が少なければ少ないほど、それだけこの結果が確実となる。

    それゆえ、このような価値革命に際しては、加工されることのもっとも少ない形態にある減量に騰貴すること、したがって、織物よりはむしろ糸に、また糸よりはむしろ綿花そのものに投機することが、投機の法則なのである。

    この場合には、価値変化は、綿花を生産する過程において生じるのであって、綿花が生産手段として、それゆえ不変資本として機能する過程において生じるのではない。

    一商品の価値は、確かにその中に含まれている労働の分量によって規定されているのであるが、しかしこの分量そのものは社会的に規定されている。

    その商品の生産に社会的に必要な労働時間が変化したとすれば——そして、たとえば同じ分量の綿花でも、不作時は豊作のときよりもより多くの分量の労働を表す——、もとの商品はいつでもその類の個別的見本として通用するに過ぎないのであり(28)、つねに社会的に必要な、したがってまたつねに現在の社会的諸条件のもとで必要な、労働によってはかられる。

24

原料の価値と同じように、すでに生産過程で役立っている労働諸手段、すなわち機械などの価値も、したがってまたそれらが生産物に引き渡す価値部分も、変動することがありうる。

たとえば新たな發明の結果、同じ種類の機械が労働のより少ない支出でもって再生産されるならば、もとの機械は多かれ少なかれ減価し、それゆえまた、それに比例してより少ない価値を生産物に移転する。

しかし、この場合もまた、価値変動は、その機械が生産手段として機能する生産過程の外部で生じる。

この過程内では、その機械は、それがこの過程とはかかわりなくもっている価値よりも多くの価値を引き渡すことは決してない。

25

生産諸手段の価値における変動は、たとえ生産諸手段がすでに過程に入った後に反作用的に生じたものであっても、不変資本としてのそれらの性格を変えないのであるが、それとはまったく同様に、不変資本と可変資本との比率における変動も、それらの資本の機能上の区別には少しも影響しない。

たとえば、労働過程の技術的諸条件が改革され、その結果、以前には10人の労働者がより価値の少ない10個の道具を用いて比較的小量の原料を加工していた所で、いまや、一人の労働者が一台の高価な機械を用いて100倍の原料を加工するとしよう。

この場合には、不変資本すなわち使用された生産諸手段の価値総量はおおいに増大し、労働力に前貸しされた資本の可変部分はおおいに減少するであろう。

とはいえ、この変動は、不変資本と可変資本との大きさの割合、すなわち全体の資本が不変的構成部分と可変的構成部分とに分割される比率を変化させるだけであって、不変〔資本〕と可変〔資本〕との区別には影響しない。

第7章 剰余価値率

第1節 労働力の搾取度
1

前貸資本Cが生産過程で生み出した剰余価値、すなわち前貸資本価値Cの増殖分は、まずもって、生産物の価値のうち、それの生産諸要素の価値総額を超える超過分として現れる。

資本Cは、生産諸手段に支出される一つの貨幣額cと、労働力に支出されるもう一つの貨幣額vとの二つの部分に分解する。

cは不変資本に転化される価値部分を、vは可変資本に転化される価値部分を表す。

したがって、最初はC=c+vであり、たとえば前貸資本500ポンド・スターリング=410ポンド・スターリング(c)+90ポンド・スターリング(v)である。

生産過程の終わりには商品が現れてくるが、その価値は(c+v)+mであって、このmは剰余価値である。

たとえば{410ポンド・スターリング(c)+90ポンド・スターリング(v)}+90ポンド・スターリング(m)である。

最初の資本CはC’に、500ポンド・スターリングから590ポンド・スターリングに転化した。

両者の差額は、m、すなわち90ポンド・スターリングの剰余価値である。

生産諸要素の価値は前貸資本の価値に等しいのであるから、生産物価値のうち、それの生産諸要素の価値を超える超過分は、前貸資本の増殖分に等しい、または生産された剰余価値に等しいということは、実際には、同義反復である。

2

とはいえ、この同義反復はより詳しい規定を必要とする。

生産物価値と比較されるものは、生産物の形成に際して消費された生産諸要素の価値である。

しかし、前述したように、使用された不変資本のうち労働諸手段から成り立つ部分は、その価値の一部分のみを生産物に引き渡すのであるが、他方、残りの部分はそのもとの実存形態で存続する。

この後者は価値形成においてはなんの役割も演じないのであるから、ここではこの部分は度外視しなければならない。

これを計算に入れてもなんの変りもないであろう。

    かりに、c=410ポンド・スターリングは、312ポンド・スターリングの原料、44ポンド・スターリングの補助材料、および過程で磨滅する54ポンド・スターリングの機械からから成り立っているが、現實に使用された機械の価値は1054ポンド・スターリングであると仮定しよう。

    生産物価値の産出のために前貸しされたものとして、我々が計算に入れるのは、機械がそれの機能によって失う、それゆえそれが生産物に引き渡す54ポンド・スターリングの価値のみである。

    もし、我々が、蒸気機関などとして元の形態のまま存続する1000ポンド・スターリングを参入するとすれば、我々は、それを両方の側に、すなわち前貸価値の側と生産物価値の側とに参入しなければならないのであり(26a)、こうしてそれぞれ1500ポンド・スターリングと1590ポンドスターリングとなるであろう。

    差額すなわち剰余価値は、相変わらず90ポンド・スターリングであろう。

    それゆえ、価値生産のために前貸しされた不変資本と言うとき、我々は、文脈から見て反対の結果が出てくるとわかるのでない限り、生産において消耗された生産諸手段の価値という意味にのみ解する。

3

このことを前提にしてC=c+v という定式にもどると、この定式は、C’=(c+v)+m に転化し、また、まさにこのことによって、CはC’に転化する。

既述のように、不変資本の価値は生産物において再現するにすぎない。

したがって、過程において現實に新たに生み出された価値生産物は、過程から得られた生産物価値とは異なるのであって、それゆえ、一見そう見えるように、(c+v)+m すなわち{410ポンド・スターリング(c)+90ポンド・スターリング(v)}+90{ポンド・スターリング}(m)ではなく、v+m すなわち{90ポンド・スターリング(v)+90ポンド・スターリング(m)}なのであり、590ポンドスターリングではなく、180ポンドスターリングなのである。

c すなわち不変資本がゼロであるとすれば、言い換えれば、資本家が、生産された生産諸手段をなに一つ使用せず、原料も補助諸材料も労働用具も使用せずに、天然に現存する諸素材と労働力を使用しさえすればよい産業諸部門があるならば、なんらの不変価値部分も生産物に引き渡されえないであろう。

生産物価値のうちのこの要素──我々の例では410ポンド・スターリング──は欠落するでろうが、しかし、90ポンドスターリングの剰余価値を含む180ポンド・スターリングの価値生産物は、あたかもcが最大の価値額を表す場合と、まったく同じ大きさにとどまるであろう。

したがって、C=(0+v)=v であり、そしてC’、すなわち増殖した資本=v+mであり、C’-Cは、相変わらず=mであろう。

それに反して、m=0であれば、言い換えれば、労働力──それの価値が可変資本として前貸しされる労働力が等価物を生産しただけであるならば、C=c+vであり、そしてC’(生産物価値)=(c+v)+0であり、それゆえ、C=C’であろう。

前貸資本は価値増殖をしてなかったことになるであろう。

4

すでに我々が実際に知っているように、剰余価値は、vすなわち労働力に転換された資本部分に生じる価値変化の結果であるにすぎず、したがってv+m=v+⊿v(vプラスvの増加分)である。

しかし、現實の価値変化および価値変化の割合は、前貸総資本の可変的構成部分が増大する結果、前貸総資本もまた増大するということによって曖昧にされる。

前貸総資本は500であったのが590になる。

したがって、過程を純粋に分析するためには、生産物価値のうち不変的資本価値が再現するに過ぎない部分を完全に度外視すること、すなわち、不変資本c=0とすること、そのうえで、不変量と可変量の演算をするのに、加減のいずれかによってのみ不変量が可変量に結び付けられる場合の数学上の一法則を適用することが、必要である。

5

もうひとつの困難は、可変資本の最初の形態から生じる。

たとえば上述の例では、C’=410ポンド・スターリングの不変資本+90ポンド・スターリングの可変資本+90ポンド・スターリングの剰余価値である。

しかし、90ポンド・スターリングは一つの与えられた、したがって不変の大きさであり、それゆえこれを可変の大きさとして扱うことは不合理であるように見える。

しかし、90ポンド・スターリング(v)すなわち90ポンド・スターリングの可変資本は、ここでは、実際に、この価値が通過する過程を表す象徴であるにすぎない。

労働力の購入に前貸しされた資本部分は、一定分量の対象化された労働であり、したがって、購買された労働力の価値と同様に不変の大きさの価値である。

しかし、生産過程そのものにおいては、前貸しされた90ポンド・スターリングに代わって自己を發現する労働力が、死んだ労働に代わって生きた労働が、静止している大きさに代わって流動している大きさが、不変の大きさに代わって可変の大きさが、登場する。

その結果は、vの再生産プラスvの増加分である。

資本主義的生産の立場からは、この全経過は、労働力に転換された、最初は不変な価値の自己運動である。

この過程とその結果は、この不変な価値によって生じるものだとされる。

それゆえ、90ポンド・スターリングの可変資本すなわち自己増殖する価値という定式が矛盾に満ちたものに見えるとしても、それはただ資本主義的生産に内在する矛盾の一つを表現するにすぎない。

6

不変資本をゼロに等しいとすることは、一見すると奇異に感じられる。

とはいえ、こうしたことは日常生活で絶えず行われている。

たとえば、ある人が綿工業から得られるイギリスの利得を計算しようとすれば、彼は、なによりもまず合衆国、インド、エジプトなどに支払われた綿花価格を差し引く。

すなわち、彼は生産物価値のうちに再現するにすぎない資本価値をゼロとするのである。

7

もちろん、剰余価値の割合については、直接に剰余価値を生み出し、剰余価値によって価値変化を表す資本部分に對する割合だけでなく、前貸総資本に對する割合も、大きな経済的意義をもっている。

それゆえ、我々はこの割合を第三部で詳しく扱う〔第三巻、第一篇、第二章「利潤率」参照〕

資本の一部分を、労働力にこれを転換することによって増殖するためには、資本の他の部分が生産諸手段に転化されなければならない。

可変資本が機能するためには、不変資本が、労働過程の一定の技術的性格に應じて、それ相應の比率で前貸しされなければならない。

とはいえ、ある化学的過程のために蒸留器レトルト その他の容器が必要であるという事情は、分析のさいに蒸留器そのものを捨象するということを妨げるものではない。

価値創造および価値変化がそれ自体として、すなわち純粋に考察される限りにおいては、生産諸手段すなわち不変資本のこの素材的諸姿態は、流動的な、価値形成的な力が固定されるべき素材を提供するだけである。

それゆえ、この素材の本性は、それが綿花であろうと鉄であろうとどうでもよい。

この素材の価値もまたどうでもよい。

この素材は、生産過程中に支出されるべき労働分量を吸収しうるに足る分量で現存しさえすればよい。

この分量が与えられれば、それの価値が上がろうと下がろうと、または土地や海洋のように無価値であろうと、価値創造および価値変化の過程は、そうしたことによっては影響されない(27)。

第二班への注。ルクレティウスのいう「”無からはなにものも創造さえない("」ということは自明のことである。

「価値創造」は、労働力の労働への転換である。

また、労働力自体は、なによりもまず、人間的に有機体に転換された自然素材である。

*〔ルクレティウス『物の本質について』、第一巻、156-157行。樋口勝彦譯、岩波文庫、17ページ〕
8

したがって、我々は、さしあたり不変資本部分をゼロに等しいとする。

それゆえ、前貸資本はc+vからvに、生産物価値(c+v)+mは価値生産物(v+m)に還元される。

価値生産物=180ポンド・スターリングが与えられ、そのなか生産過程の全継続期間中に流動する労働が表されているとすれば、剰余価値=90ポンド・スターリングを得るためには、可変資本の価値=90ポンド・スターリングを差し引かなければならない。

90ポンド・スターリング=mという数は、ここでは生産された剰余価値の絶対的なおおきさを表現する。

しかし、その比率的な大きさ、したがって可変資本が価値増殖した割合は、明らかに可変資本に對する剰余価値の割合によって規定され、またm/vで表現される。

すなわち、上述の例では90/90=100%である。

可変資本のこの比率的増殖または剰余価値の比率的大きさを、私は剰余価値率と名付ける(28)。

これは、イギリス人が「”利潤率”」「”利子率”」などと言うのと同じ言い方である。第三部からは、剰余価値の法則を知れば利潤率は把握しやすいということがわかるであろう〔第三巻、第一篇、第二章「利潤率」、参照〕。逆の道をたどったのでは、”どちらも”把握されない。

9

上述したように、労働者は、労働過程のある期間中は彼の労働力の価値、すなわち彼の必要生活諸手段の価値を生産するにすぎない。

労働者は、社会的分業に基づく状態において生産するのであるから、彼の生活諸手段を直接に生産するのではなく、ある特殊な商品、たとえば糸の形態で、彼の生活諸手段の価値──または彼が生活諸諸手段を購買するのに用いる貨幣──に等しい価値を生産するのである。

彼の労働日のうち、彼がこのために使用する部分は、彼の平均的な日々の生活諸手段の価値に應じて、したがってその生活諸手段の生産に必要な平均的な日々の労働時間に應じて、より大きいこともより小さいこともある。

彼の日々の生活諸手段の価値が、平均して、対象化された6労働時間を表すとすれば、労働者は、この価値を生産するためには、平均して、日々6時間労働しなければならない。

彼が資本家のためにではなく、自分自身のために独立して労働するのだとしても、その他の事情が変わらない限り、彼の労働力の価値を生産し、それによって彼自身の維持または永続的な再生産のために必要な生活諸手段を獲得するためには、彼は、相変わらず平均して、一日のうちの同じ可除部分だけ労働しなければならないであろう。

しかし、労働日のうち労働者が労働力の日価値たとえば3シリングを生産する部分においては、彼は、ただ資本家によってすでに支払われた(28a)労働力の価値の等価物を生産するだけなのであるから、したがって新たに創造された価値によって前貸可変資本価値を補填するだけなのであるから、価値のこの生産は単なる再生産として現れる。

したがって私は、労働日のうち、この再生産が行われる部分を必要的労働時間と名付け、この時間中に支出される労働を必要労働と名付ける(29)。

それは労働者にとって必要である。

なぜなら、彼の労働の〔特定の〕社会的形態にはかかわりなく必要だからである。

それは資本とその世界にとって必要である。

なぜなら、労働者の永続的な定在は資本とその世界との基礎だからである。

{第三版への注。著者はここではありふれた経済的用語を用いている。現實には、資本家が労働者にではなく、労働者が資本家に「前貸しする」ということが、本書137ページ〔本譯書、第一巻、296ページ以下〕で証明されているを想起されたい──F・エンゲルス}

我々は、これまで本書では、「必要労働時間」という言葉を、一般に商品の生産に社会的に必要な労働時間という意味で用いてきた。

今後は、我々は、この言葉を、独特な商品である労働力の生産に必要な労働時間という意味にも用いる。

同じ”術語”を異なる意味に用いるのは不便ではあるが、どんな科学においても完全には避けられない。

たとえば高等数学と初等数学とを比較されたい。

10

労働者が必要労働の限界を超えて苦役する労働過程の第二の期間は、確かに労働者に労働を費やさせる、すなわち労働力を支出させるのであるが、しかし彼のためにはなんらの価値も形成しない。

それは、無から何かを創り出すという魅力をいっぱいたたえながら資本家を魅惑する剰余価値を形成する。

私は、労働日のこの部分を剰余労働時間と名付け、この時間中に支出される労働を剰余労働(surplus labour)と名付ける。

価値一般の認識にとっては、それを労働時間の単なる凝固として、単なる対象化された労働として把握することが決定的であるように、剰余価値の認識にとっては、それを剰余労働時間の単なる凝固として、単なる対象化された剰余労働として把握することが決定的である。

この剰余労働が、直接的生産者すなわち労働者から搾り取られる形態だけが、もろもろの経済的社会構成体を区別するのであり、たとえば奴隷制の社会を賃労働の社会から区別するのである(30)。

真にゴットシュート的(な独創性をもってヴィルヘルム・トゥキュディデス(*2・ロッシャー氏は、次のような發見をする。

すなわち、剰余価値または剰余生産物の形成、およびこれと結びついている蓄積は、こんにちでは資本家の「節約」のおかげなのであり、資本家はその代償として「たとえば利子を要求する」のであるが、これに反して、「もっとも低い文化段階では・・・弱者が強者によって節約を強制される」(『国民経済学原理』、82,78ページ)と。

強制されるのは労働の節約か?それとも現存しない超過生産物の節約か?ロッシャーのような男とその一味を強制して、現存する剰余価値の取得を正当化する資本家の多少とももっともらしい理由を、剰余価値の發生の根拠だとこじつけさせるものは、現實的な無知のほかに、価値および剰余価値の良心的な分析と、おそらく危険で反警察的な結論とに對する弁護論的な恐怖である。

*1〔ゴットシュートはドイツの文学者で新文芸思潮を異常な偏狭さで排撃した。彼の名は高慢と鈍感の同義語になっている〕
*2〔ヴィルヘルム・ロッシャーがその著『国民経済学原理』初版の序文で「控えめな態度で自分は経済学のトゥキュディデスであると名乗った」(マルクス『剰余価値学説史』、補録、五。邦譯『全集』、第26巻、第三分冊、647ページ)ことにちなむあてこすり〕
11

可変資本の価値は、この資本によって購買された労働力の価値に等しいのであるから、また、この労働力の価値は労働日の必要部分を規定するが、剰余価値のほうは労働日の超過部分によって規定されるのであるから、次のような結論が生じる──剰余価値の可変資本に對する比は剰余労働の必要労働に對する比と等しい。

すなわち、剰余価値率m/v=剰余労働/必要労働である。

両方の比率は、同じ關係を相異なる形態で表現するのであって、一方は対象化された労働の形態で、他方は流動的な労働の形態で、表現する。

それゆえ、剰余価値率は、資本による労働者の、搾取度の正確な表現である(30a)。

第二版への注。剰余価値率は、労働力の搾取度の正確な表現とはいえ、搾取の絶対的な大きさの表現では決してない。

たとえば、必要労働が5時間で剰余労働が5時間であれば、搾取度は100%である。

これに対して、必要労働が6時間で剰余労働が6時間であれば、100%という搾取度は不変のままであるが、他方、搾取の大きさは5時間から6時間に20%だけ増大する。

12

我々の仮定によれば、生産物の価値={410ポンド・スターリング(c)+90ポンド・スターリング(v)+90〔ポンド・スターリング〕(m)であり、前貸資本500ポンド・スターリング出であった。

剰余価値は90で前貸資本は500であるから、通常の計算方法にしたがって、剰余価値率(一般に利潤率と混同されている)は18%と算出されるであろうし、この比例数の低さはケアリ氏その他の調和論者(を感動させるかも知れない。

しかし、実際には、剰余価値率はm/cすなわちm/(c+v)ではなく、m/vであり、したがって、90/500ではなく90/90=100%であって、外観上の搾取度の5倍以上である。

さて、この場合、我々は、労働日の絶対的な大きさを知らず、また労働過程の期間(日、週など)も知らず、最後に90ポンド・スターリングの可変資本が同時に運動させる労働者の数をも知らないにもかかわらず、剰余価値率m/vは、これを剰余労働/必要労働に転換できるのであるから、労働日の二つの構成部分の相互の比率を正確に我々に示す。

それは100%である。

すなわち、労働者は、一日のうち半分は自分のため、残りの半分は資本家のために労働したのである。

*〔ケアリとバスティアの経済的調和論については、マルクスは『1857ー58年の経済学草稿』、第一分冊、『資本論草稿集』1、大月書店、3ー22ページで批判している〕
13

したがって、剰余価値率の計算方法は、要約すれば次のようになる。

生産物価値全体をとり、そこに再現するに過ぎない不変資本価値をゼロに等しいとする。

あとに残る価値額は、商品の形成過程で現實に生み出された唯一の価値生産物である。

剰余価値が与えられているならば、可変資本を見出すために、我々は、剰余価値をこの価値生産物から差し引く。

可変資本が与えられていて、剰余価値を求める場合には、逆に可変資本を差し引く。

両者が与えられているならば、最後の演算をし、可変資本に對する剰余価値の割合m/vを計算しさえすればよい。

14

方法はこのように簡単であるが、その根底に横たわっている読者に不慣れな見方について、いくつかの例を挙げて読者を慣れさせるのが適当であると思われる。

まず、1万錘のミュール紡錘をもち、アメリカ綿から32番手の糸を紡いで、紡錘1錘あたり毎週1ポンドの糸を生産する紡績工場の例をとろう。

    屑は6%である。

    したがって、毎週1万600ポンドの綿花が加工されて、1万ポンドの糸と600ポンドの屑になる。

    1871年4月では、この綿花は1ポンド当たり7+3/4ペンスかかり、したがって、1万600ポンドでは約342ポンド・スターリングかかる。

    1万錘の紡錘は、前紡錘と蒸気機関とを含めて1錘あたり1ポンド・スターリング、したがって1万ポンド・スターリングかかる。

    その摩滅は〔年に〕10%=1000ポンド・スターリングであり、毎週では20ポンド・スターリングである。

    工場建築物の賃借料は300ポンド・スターリング、週あたりで6ポンド・スターリングである。

    石炭(1時間1馬力当たり4ポンド、100馬力(図示馬力()でもって週当たり60時間、建物の暖房含む)は週当たり11トン〔1トンは2240馬力〕で、1トン8シリング6ペンスずつで、週当たり約4+1/2ポンド・スターリングかかるし、ガスは週当たり1ポンド・スターリング、油は週当たり4+1/2ポンド・スターリング、したがってすべての補助材料は週当たり10ポンド・スターリングかかる。

    したがって、不変的価値部分は週当たり378ポンド・スターリングである。

    労賃は、週あたり52ポンド・スターリングである。

    糸価格は1ポンド当たり12+1/4ペンスであり、1万ポンド=510ポンド・スターリングであるから、したがって剰余価値は510ー430=80ポンド・スターリングである。

    我々は、378ポンド・スターリングの不変価値部分をゼロとする。

    というのは、それは、毎週の価値形成には関与しないからである。

    残るのは、132=52(v)+80(m)ポンド・スターリングという毎週の価値生産物である。

    したがって、剰余価値率=80/52=153+11/13%である。

    10時間の平均労働日では、必要労働=3+31/33時間、剰余労働=6+2/33時間である(31)。

    第二版への注。初版であげた1860年についての一紡績工場の例は、事実に関する若干の誤りを含んでいた。

    本文であげたまったく正確なデータは、マンチェスターの一工場主〔エンゲルスをさす〕によって私に提供されたものである。

    ——注意すべきことは、イギリスでは旧馬力はシリンダー直径に従って計算されたが、新馬力は、インディケーターが示す実馬力によって数えられるということである。

    *〔インディケーターによる曲線図から得られる馬力を図示馬力と言い、これから機会損失をを引いたものを実馬力という〕
15

ジェイコブは、1815年について、小麦価格は1クォーターあたり80シリング、1エーカーあたり22ブシェルの平均収穫、その結果1エーカーが11ポンド・スターリングをもたらすと仮定して、上のような計算をあげている〔『サミュエル・ウィットブレドへの手紙。イギリス農業が必要とする保護に関する諸考察の続編』、ロンドン、1815年、33ページ〕。

生産物の価格はその価値に等しいとつねに前提すれば、剰余価値は、ここでは、利潤、利子、十分の一税等の種々の項目に配分されている。

これらの項目は我々にとってはどうでもよい。

我々は、それらを合計し、3ポンド・スターリング11シリングの剰余価値を得る。

種子と肥料に支出された3ポンド・スターリング19シリングは、不変資本部分としてゼロに等しいとする。

3ポンド・スターリング10シリングの前貸可変資本が残り、それに代わって3ポンド・スターリング10シリング+3ポンド・スターリング11シリングの新価値が生産されている。

したがって、m/v=3ポンド・スターリング11シリング/3ポンド・スターリング10シリングとなり、100%以上である。

労働者は、自分の労働日の半分以上を、剰余価値の生産のために費やし。この剰余価値を様々な人々が様々な口実で分配し合うのである(31a)。

ここにあげた計算は、例証として通用するだけである。

というのは、価格=価値ということが想定されているからである。

第三部で述べるように、この等値は、平均価格についてさえもこう簡単な仕方では行われない〔特に第三巻、第一篇、第一章「費用価格と利潤」、第二篇、第九章「一般的利潤率(平均利潤率)の形成と商品価値の生産価格への転化」、参照〕。

第二節 生産物(の比較的諸部分での生産物価値の表現

〔フランス語版では「同じ生産物」となっている。なおこの説については第二版あと書き(本譯書、第一巻、16ページ)参照〕
1

さて、我々は、資本家がどのようにして貨幣を資本にするかを示した例に立ちもどろう〔本巻、第五章、第二節「価値増殖過程」。

彼が雇う精紡工の必要労働時間は6時間、剰余労働も同じく6時間、それゆえ労働力の搾取度は100%であった。

12時間の労働日の生産物は、30シリングの価値を持つ20ポンドの糸である。

この糸価値の8/10(24シリング)だけは、単に再現するに過ぎない消耗された生産諸手段の価値(20シリングの価値の20ポンドの綿花、4シリングの価値の紡錘など)によって形成されており、すなわち不変資本からなっている。

残りの2/10は、紡績過程中に生じた6シリングの新価値であり、そのうち半分は前貸しされた労働力の日価値すなわち可変資本を補填し、他の半分は3シリングの剰余価値を形成する。

したがって、20ポンドの糸の総価値は次のような構成になっている。

この総価値は、20ポンドの糸という総生産物において表現されているのであるから、さまざまな価値要素もまた当然、生産物の比率的諸部分で表現しうるはずである。

30シリングの糸価値が20ポンドの糸の中に実存するならば、この価値の8/10すなわち24シリングの不変的部分は、生産物の8/10すなわち16ポンドの糸の中に実存する。

そのうちの13+1/3ポンドは、20シリングの原料の価値すなわち紡がれた綿花の価値を表現し、2+2/3ポンドは、4シリングの消耗された補助材料および労働諸手段——紡錘など——の価値を表現する。

2

したがって、13+1/3の糸は、20ポンドの糸という総生産物に紡がれた全ての綿花を、すなわち総生産物の原料を表しているが、それ以上のものは何も表していない。

確かに、この13+1/3ポンドの糸の中には、13+1/3シリングの価値を持つ13+1/3ポンドの綿花〔先の想定によれば、資本家は1ポンドの綿花を1シリングで買う〕が潜んでいるだけであるが、しかし、6+2/3シリングというそれの付加価値が、残りの6+2/3ポンドの糸から綿花が引き抜かれて総生産物中の全ての綿花〔20ポンド〕が13+1/3の糸に詰め込まれでもしているかのようである。

これに反して、この13+1/3ポンドの糸は、いまや、消費された補助諸材料および労働諸手段の価値の一原子をも、紡績過程で創造された新価値の一原子をも、含んではいない。

それと同じように、不変資本の残り、(=4シリング)が潜んでいる他の2+2/3ポンドの糸は、20ポンドの糸という総生産物の中に消耗された補助諸材料および労働手段の価値以外のものは何も実現しない。

3

それゆえ、生産物の8/10、すなわち16ポンドの糸は、身体の面から、使用価値として、糸として考察すれば、残りの生産物部分とまったく同じように紡績労働の形成物であるにもかかわらず、この連関においては、なんらの紡績労働をも、紡績過程そのものの間に吸収されたなんらの労働をも含んでいない。

それは、まるで紡ぐことなしに糸に転化したかのようであり、糸というその姿態は純粋のごまかしデデもあるかのようである。

実際に、資本家がそれを24シリングで販売し、それで彼の生産諸手段を買い戻す場合には、16ポンドの糸は、綿花、紡錘、石炭などの変装したものに過ぎないことが明らかになる。

4

それとは逆に、後に残っている生産物の2/10すなわち4ポンドの糸は、いまや、12時間の紡績過程で生産された6シリングの新価値以外のものは何も表現しない。

消耗された諸原料と労働諸手段との価値のうち、この4ポンドの糸の中に潜んでいるものは、すでに抜き出されて最初の16ポンドの糸に合体された。

20ポンドの糸に体化された紡績労働は、生産物の2/10に集中されている。

それは、まるで精紡工が4ポンドの糸を空気で紡いだか、さもなければ、人間的労働の関与なしに天然に現存し、生産物にはなんらの価値をも付け加えない綿花と防水とをもって紡ぎでもしたかのようである。

5

こうして、日々の紡績過程の全価値生産物は4ポンドの糸のうちに実存するのであるが、この4ポンドの糸のうち、半分はただ消費された労働力の補填価値を、したがって3シリングの可変資本を表現するのみであり、他の2ポンドの糸は3シリングの剰余価値を表現するのみである。

精紡工の12労働時間は6シリングに対象化されているのであるから、30シリングの糸価値には60労働時間が対象化されている。

その60労働時間は20ポンドの糸のうちに実存するのであるが、この20ポンドの糸の8/10すなわち16ポンドは、紡績過程以前に過ぎ去った48労働時間の体化物、すなわち糸の生産諸手段に対象化された労働の体化物であり、これに反して、2/10すなわち4ポンドは、紡績過程そのものにおいて支出された12時間労働の体化物である。

先に述べたように〔本譯書、第一巻、325-326ページ参照〕、糸価値は、糸の生産において生み出された新価値と、すでに糸の生産諸手段の中に前もって実存する諸価値の合計に等しい。

いまや、生産物価値の機能的または概念的に相異なる諸構成部分が、生産物そのものの比率的諸部分で表現されるということが明らかになった。

6

生産物——生産過程の結果——が、生産諸手段に含まれている労働または不変資本部分だけを表現するある分量の生産物と、生産過程で付け加えられた必要労働または可変資本部分だけを表現するもう一つの分量の生産物と、同じ過程で付け加えられた剰余労働または剰余価値だけを表現する最後の分量の生産物とに分解することは、のちにこれを、錯綜した、なお未解決な諸問題に應用するときに示されるように、重要なことであるとともに簡単なことである。

今までに、我々は、総生産物を12時間の労働日の完成した結果として考察した。

しかし、我々は、総生産物の生成過程をたどり、しかもなお、部分諸生産物を機能的に異なる生産物諸部分として表現することもできる。

7

精紡工は、12時間で20ポンドの糸を生産するのであるから、1時間で1+2/3ポンドの糸を生産し、8時間には13+1/3の糸、すなわち全労働日中に紡がれる綿花の総価値に相当する部分生産物を、生産する。

同じやり方で、次の1時間36分の部分生産物は2+2/3ポンドの糸であり、それゆえ12労働時間中に消耗された労働諸手段の価値を表現する。

同様にして、精紡工は、次の1時間12分には2ポンドの糸=3シリングを、すなわち彼が必要労働の6時間中に創造する価値生産物全部に等しい生産物価値を、生産する。

最後に、彼は、最終の6/5時間で、やはり、2ポンドの糸を生産するのであるが、それの価値は彼の半日の剰余労働によって生み出された剰余価値に等しい。

この計算の仕方は、イギリスの工場主の常用のものになっており、たとえば彼は、労働日の最初の八時間、すなわち2/3で綿花を回収し、云々というであろう。

この定式は正しいのであって、実際、はじめの定式を、生産物の諸部分が完成して並べられている空間から、それらが相次いでたどる時間に翻譯したものにすぎないことがわかる。

しかし、この定式はまた、きわめて無知な観念をともなうことがありうるのであって、実践的には価値増殖過程に利害關係インテレシールド をもつとともに、理論的にはこの過程を曲解することに関心インテレッセを持つ人々の頭脳にあっては、ことにそうである。

そこで次のように思い込まれることがありうる。

すなわち、わが精紡工は、たとえば彼の労働日の最初の八時間には綿花の価値を、次の1時間36分には消耗された労働諸手段の価値を、次の1時間12分には労賃の価値を、生産または補填するのであり、そしてかの有名な「最後の1時間」だけを工場主に、すなわち剰余価値の生産にささげるのである、と。

こうして、精紡工には、綿花、紡錘、蒸気機関、石炭、油などをもって糸を紡ぎながら、それと同じ瞬間にこれらのものを生産し、そして、あたえられた強度をもつ一労働日をそのような5労働日にするという、二重の奇蹟が背負わされる。

というのは、われわれの事例では、原料および労働諸手段の生産が、24/6すなわち四日分の12時間労働日を必要とし、それらのものを糸に転化するのにさらに一日分の12時間労働日を必要とするからである。

強欲がこのようなもろもろの奇蹟を信じており、また、それらの奇蹟を証明する空論的追従者に決してこと欠かないということについては、これから、歴史的に有名な一つの例でこれを示そう。

第三節 シーニアの「最後の1時間」

1

1836年のある日、その経済学と名文とをもって聞こえた、いわばイギリス経済学者のなかのクラウレン(*1であるナッソー・W・シーニアは、オックスフォードからマンチェスターに呼び出された。

これは、オックスフォードで経済学を教える(*2代わりに、マンチェスターで経済学を学ぶためであった。

工場主たちは、近ごろ公布された工場法〔1833年の工場法〕と、それを乗り越えてさらに進もうとしている10時間運動とに対抗する、無償試合の闘士として彼を選んだのである。

彼らは、いつもながらの実際的な明敏さで、この教授先生には「”そうとう手をかけて仕上げる必要がある”」と前から認めていた。

だからこそ、彼をマンチェスターに呼び寄せたのである。

他方、教授先生のほうは、マンチェスターで工場主たちから受けた講義を、『綿業におよぼす影響から見た工場法についての書簡』、ロンドン、1837年といいうパンフレットに書き上げた。

このなかでは、とりわけ次のようなお説教を読むことができる。

シーニア、前出、12、13ページ。

我々は、我々の目的にとってどうでもよい珍妙な諸點には立ち入らない。

たとえば、工場主たちは、磨滅した機械など、したがって資本の一構成部分の補填を、利得として──総利得であろうと純利得であろうと、汚い利得であろうと清い利得であろうと──計算するという主張がそれである。

また、あげられた数字が正しいか誤っているかという點にも立ち入らない。

それらの数字が、いわゆる「分析」と称するもの以上のなんの値打もないことは、レナド・ホーナーが、『シーニア氏への一書簡』、ロンドン、1837年〔30-42ページ〕、のなかで証明した。

レナド・ホーナーは、1833年の”工場調査委員”の一人であり、1859年までは工場監督官、実際上の工場監察官(*4であって、彼は、イギリスの労働者階級のために不滅の功績を立てた。

彼は、憤激した工場主たちに対してだけでなく、工場における「工員たち」の労働時間を数えることよりも下院における工場主たちの「票」を数えることの方がはるかに重要だと思っている大臣たちに対しても、生涯にわたる闘争を遂行したのである。

シーニアの叙述は、それの内容の誤りを全く度外視しても混乱している。

彼が本来言おうとしたことは、次のようなことであった。

工場主は、労働者たちを毎日11時間半、すなわち23/2時間、働かせる。

個々の労働日と同じく、年労働も11時間半、すなわち23/2時間(掛ける1年間の労働日の数)から構成されている。

このことを前提にすれば、23/2労働時間は、11万5千ポンド・スターリングを生産する。

1/2労働時間は、1/23×115,000ポンド・スターリングを生産する。

20/2労働時間は、20/23×115,000ポンド・スターリング=100,000ポンド・スターリングを生産する。

すなわち、それは、前貸資本だけ補填する。

3/2労働時間が残り、それは3/23×115,000ポンド・スターリング=15,000ポンド・スターリングを生産する。

この、3/2労働時間がのうちの1/2労働時間は、1/23×115,000ポンド・スターリング=5,000ポンド・スターリングを生産する。

すなわち、それは工場および機械の磨滅の補填分だけを生産する。

最後の半労働時間、すなわち最後の一労働時間が2/23×115,000ポンド・スターリング=10,000ポンド・スターリングを、すなわち純利潤を生産する。

原文では、シーニアは、生産物の最後の2/23を労働日そのものの部分に転化している。

*1〔ドイツの感傷的でみだらな、通俗的大衆小説の作家〕
*2〔シーニアは、1825年から5年間、オックスフォード大学に新設されたドラモンド経済学講座の初代教授〕
*3〔シーニアの原文と英語各版では「1/23(11万5千ポンド・スターリングのうちの5000ポンド・スターリング)」となっている〕
*4〔公私の生活を取り締まる強力な権利を發揮した古代ローマの小口調査や風紀観察にあたる高官である監察官のたとえ〕
2

この教授先生は、こんなものを「分析」と名付けているのである!

彼が、労働者たちは一日の大部分を建物、機械、綿花、石炭などの価値の生産、それゆえそれらの再生産または補填に浪費するという工場主たちの嘆きを信じたのであれば、どんな分析も余計であった。

彼は、簡単に次のように答えるべきであった。

諸君!もし諸君が11時間半ではなく10時間働かせるなら、他の諸事情はもとのままとして、綿花、機械のなど日墓の消耗も1時間半分減少するであろう。

したがって、諸君はちょうど諸君が損をするのと同じだけ得をすることになる。

諸君の労働者たちは、将来は、前貸資本価値の再生産または補填のために一時間半だけ少なく浪費するであろう、と。

もし、彼が工場主たちの言葉を信じないで、専門家として分析が必要であると思ったのであれば、労働日の大きさに對する純利得の比率のみがもっぱら中心となっている問題について、彼は、何よりもまず、工場主諸君にお願いし、機械、工場建築物、原料、および労働をごちゃごちゃいっしょくたにしないで、どうか、工場建築物、機械、原料などに含まれている不変資本を一方の側に置き、労賃に前貸しされた資本を他方の側におおきください、というべきであった。

そのうえで、万一、工場主の計算どおりに、労働者が2/2労働時間すなわち1時間で労賃を再生産または補填するという結果になったとしたら、分析家は次のように続けるべきであった。

3

諸君の申し立てによれば、労働者は最後から二番目の一時間で自分の労賃を生産し、最後の一時間で諸君の剰余価値をすなわち純利得を生産する。

労働者は等しい時間内には等しい価値を生産するのであるから、最後から二番目の1時間の生産物は、最後の1時間の生産物と同じ価値を持つ。

さらに、労働者は、彼が労働を支出する限りにおいてのみ価値を生産するのであり、彼の労働の分量は彼の労働時間によってはかられる。

諸君の申し立てによれば、この労働時間は1日当たり11時間半である。

この11時間半の一部分を、彼は、自分の労賃を生産または補填するために消費し、他の部分を諸君の純利得を生産するために消費する。

労働日中には、彼はそれ以上のことはなにもしない。

ところが、申し立てによれば、彼の賃金と彼によって提供される剰余価値とは等しい大きさの価値なのであるから、彼は明らかに、自分の労賃を5+3/4時間で生産し、諸君の純利得をもう一つの5+3/4時間で生産するのである。

さらに、2時間半分の糸生産物の価値は彼の労賃プラス諸君の純利得の価値額に等しいのであるから、この糸価値は11+1/2労働時間によってはかられなければならず、〔このうち〕最後から二番目の1労働時間は、最初のそれと同じように普通の1労働時間である。

"それ以上でもそれ以下でもない"

そうだとすると、精紡工は、どのようにして1労働時間で5+3/4労働時間を表す糸価値を生産することができるのか?

実際には、彼はそのような奇蹟を行いはしない。

彼が、1労働時間で使用価値として生産するものは、一定分量の糸である。

この糸の価値は5+3/4労働時間によってはかられるのであって、そのうちの4+3/4労働時間は、毎時間消費された生産諸手段すなわち綿花、機械などのなかに彼の関与なしに潜んでいるのであり、4/4すなわち1労働時間は彼自身によって付け加えられているのである。

したがって、彼の労賃は5+3/4時間で生産されるのであり、1紡績時間の糸生産物も同じく5+3/4労働時間を含んでいるのであるから、彼の5+3/4紡績時間の価値生産物〔新価値〕が1紡績時間の生産物価値と等しいということは、決して魔術でもなんでもない。

しかし、もし、精紡工は綿花、機械などの価値の再生産または「補填」によって彼の労働日のほんの一瞬間でも失うものだと諸君が考えるならば、諸君はまったくまちがっているのである。

彼の労働が綿花と紡錘とで糸を作ることによって、すなわち彼が糸を紡ぐことによって、綿花と紡錘との価値はおのずから糸に移行する。

これは、彼の労働の質のせいであって、その量のせいではない。

もちろん、彼は、1時間には1/2時間におけるよりもより多くの綿花価値をなどを糸に移転するであろうが、それはただ、彼が、1時間では1/2時間におけるよりもより多くの綿花を紡ぐからにほかならない。

したがって、諸君には次のことがおわかりであろう──労働者は最後から二番目の1時間で彼の労賃の価値を生産し、最後の1時間で純利得を生産するという諸君の表現は、彼の労働日の二時間の糸生産のうちには、その二時間が初めにあろうと終わりにあろうと、11+1/2労働時間が、すなわち彼の全労働日の時間とちょうど同じだけの時間が、体化されているということ以上のことはなにも意味しない。

また、労働者は最初の5+3/4時間で彼の労賃を生産し、最後の5+3/4時間で諸君の純利得を生産するという表現は、諸君は最初の5+3/4時間には支払い、最後の5+3/4時間には支払わないということ以外にはなにも意味しない。

私が、労働力の支払ではなく労働の支払いというのは、諸君の俗語で語るためである。

さて、諸君が、諸君の支払う労働時間と、諸君の支払わない労働時間の比率を比較するなら、諸君は、それが半日対半日、したがって100%であることを見出すであろうが、これは、もちろん結構なパーセンテージである。

また、もし諸君が、諸君の「工員たち」から11時間半ではなく13時間を手に入れることに成功し、そして諸君は当然にそうすると思われるのであるが、超過した1時間半を単なる剰余労働に付け足すならば、剰余労働は5+3/4時間から7+1/4時間に増加し、それゆえ剰余価値率は100%から126%に増大するであろうということもまったく疑いない。

これに反して、もし諸君が、1時間半の付加によって剰余価値率が100%から200%になり、それどころか200%以上に上昇する、すなわち「二倍以上」になるものと期待するならば、諸君はあまりにもばかげた楽天家であろう。

他方──人間の心というのはおかしなもので、とくに財布に心が奪われているときにはそうである──もし、労働日が11時間半から10時間半に短縮することによって、諸君の純利得の全部がだめになるであろうと恐れるならば、諸君はあまりにもきちがいじみた悲観論者であろう。

断じてそんなことはない。

他の事情がすべてもとのままだと前提すれば、剰余労働は5+3/4時間から4+3/4時間に減少するのであろうが、剰余価値率は今まで通り相当高い。

すなわち、82+14/23%である。

そこで、かの宿命的な「最後の1時間」なるもの──これについて諸君は、千年王国説(*1の信奉者が世界の没落について語った以上の作り話を語ったのであるが──は「”まったくのたわごと オール・ボッシュ ”」なのである。

それが失われるからといって、諸君にとって「純利得」が犠牲になることもないし、諸君によって働かされる男女の児童たちの「魂の純潔」が犠牲となることもないであろう(32a)。

シーニアが、工場主たちの純利得、イギリス綿業の存在、イギリスの世界市場での偉大さが、「最後の1労働時間」にかかっていることを証明したとき、ドクター・アンドルー・ユアのほうでは、おまけに工場の児童および18歳未満の年少者たち(*2は、作業場の暖かくて純潔な道徳的雰囲気のなかにまる12時間とじこめておかれないで、「1時間」早く冷酷で浮薄な外界に突き出されると、怠惰と悪徳によって彼らの魂の救いを奪われるということを証明した〔ユア『製造業の原理 フィロソフィー 』、ロンドン、1835年、406ページ〕。

1848年以来、工場監督者たちは、その半年ごとの『報告書』の中で、「最後の」「宿命的な1時間」の件で倦むことなく工場主たちをからかっている。

たとえばハウエル氏は、1855年5月31日付の彼の工場報告書の中で次のように言う

1848年に10時間法案が議会を通過したとき、工場主たちは、ドーシットシャーとサマシットシャーとの間に散在する農村地方の亜麻紡績工場で何人かの正規の労働者たちに強要し、反対請願文を出させたのであるが、そのなかではとりわけ次のように述べられている

これについて、1848年10月31日の工場報告書は、次のように述べている

次いで、この同じ工場報告書は、これらの工場主諸君の「道徳」と「美徳」の見本、すなわち、彼らが全く抵抗できない少数の労働者たちにさきのような諸請願文に署名させられるために、さらにそれらを一産業部門全体、各地域全体の請願文として議会に信じ込ませるために、彼らが用いた奸計、策略、誘惑、脅迫、偽造などの見本を上げている。

シーニアは、のちにはあっぱれにも工場立法に精力的に味方したのであるが、そのシーニア自身も、また彼の最初およびその後の反対者たちも、あの「独創的發見」の誤った結論を解き明かすことができなかったことは、いわゆる経済「科学」の現状にとって、きわめて特徴的なことである。

彼らは、実際の経験に訴えた。

”なぜ”と”なんのために”とは、依然として神秘のままであった。

*1〔近い将来にキリストが再臨し、1000年統治したのち世界は終末に達するであろうという、キリスト教の神秘的な説〕
*2〔工場法の規定で、13または14歳を基準に児童と年少者を区別し、その保護を図るとされた〕
4

いつか諸君の「最後のとき」が現實にやってくるとき、オックスフォードの教授のことを思いたまえ。

では、あの世でもっとお付き合いを深めよう。

"さようなら!(33)"・・・と。

1836年にシーニアによって發見された「最後の1時間」といいう警笛は、1848年4月15日に、経済学の主要な大立者の一人であるジェイムズ・ウィルスンによって、『ロンドン・エコノミスト』誌上で、10時間法を論難するためにあらためて吹きならされた。

とはいえ、この教授先生も、彼のマンチェスターへの旅行でなにほどかの儲けは得たのである!

『工場法についての書簡』〔1837年〕によれば、純利得全部すなわち「利潤」および「利子」、それどころか「”それ以上のあるもの”」までが労働者の不払労働時間に依存している!

その一年間、オックスフォードの学生と教養ある俗物との共通の利益のために著された彼の『経済学概論』〔1836年〕においては、彼は、まだリカードウの労働時間による価値規定に反対して、利潤は資本家の労働から生じ、利子は空の禁欲、彼の「節欲」から生じるということを「發見」していた。

このたわごとそのものは古いものであったが、Abstinenz〔節欲〕という言葉は新しいものであった。

ロッシャー氏がこれをEnthaltung〔節制〕とドイツ語譯しているのは正しい。

彼の同国人で彼ほどラテン語に通じていないヴィルト某々から、シュワルツェ某々ら、その他ミヒュエル某々らは、これを坊主臭くEntsagung〔禁欲〕と譯している。

第四節 剰余生産物(

*〔フランス語版では、「純生産物」となっている〕
1

生産物のうち剰余価値を表している部分(第二節の例では20ポンドの糸の1/10すなわち2ポンドの糸)を、われわれは、剰余生産物(surplus produce,produit net)と名付ける。

剰余価値率が、資本の総額に對する剰余価値の比率によってではなく、資本の可変的構成部分に剰余価値の比率によって規定されるのと同じように、剰余生産物の水準も、総生産物の残部に對する剰余生産物の比率によってではなく、必要労働を表している生産物部分に對する剰余生産物の比率によって規定される。

剰余価値の生産が資本主義的生産の規定的目的であるのと同じように、富の高さの程度をはかるのは、生産物の絶対的大きさではなく、剰余生産物の相対的な大きさである(34)。

リカードウよりずっと前に、剰余生産物の狂信者であるアーサー・ヤング──彼は、とにかくおしゃべりで無批判的な著作家で、その名声はその功績に反比例しているのではあるが──は、とりわけ次のように言った。

注34への追加〔第二版への〕。

奇妙なのは、「剰余の富〔剰余生産物〕を〔それが労働者階級を働けるようにするのであるから〕労働者にとって有利であると主張する強い傾向」があるとことである。

*〔フランス語版では、この前に「ホプキンズは、次のようなきわめて正しい指摘をしている」の句がある〕
2

必要労働と剰余労働との合計、すなわち労働者が彼の労働力の補填価値を生産する時間と剰余価値を生産する時間との合計は、彼の労働時間の絶対的大きさ──労働日(working day)を形成する。

第8章 労働日

第1節 労働日の諸限界

1

我々は、労働力がその価値通りに売買されるという前提から出發した。

労働力の価値は、他のあらゆる商品の価値と同様に、その生産に必要な労働時間によって規定される。

したがって、労働者の平均的な日々の生活諸手段の生産に6時間を必要とするならば、労働者は、彼の労働力を日々生産するためには、あるいは彼の労働力を販売して受け取った価値を再生産するためには、平均して1日あたり6時間労働しなければならない。

この場合には、彼の労働日のうちの必要部分は6時間であり、それゆえ他の事情が前と同じならば、一つの与えられた大きさである。

しかし、そのことだけでは、労働日そのものの大きさはまだ与えられてはいない。

2

我々は、線分 a——————bが、必要労働時間の継続または長さ、たとえば6時間を表すものと仮定しよう。

労働がabを超えて1時間、3時間、あるいは6時間などと延長されるのに應じて、我々は三つの相異なる線分を得る。

    労働日Ⅰ a——————b——c

    労働日Ⅱ a——————b————c

    労働日Ⅲ a——————b——————c

    これらの線分は、7時間、9時間、12時間という三つの異なる労働日を表す。

    延長線bcは剰余労働の長さを表す。

    労働日はab+bcであるから、すなわちacであるから、それは可変量であるbcとともに変化する。

    abは定量であるから、bcとabとの比は常に測ることができる。

    それは、労働日1では、abの1/6、労働日Ⅱでは、3/6、労働日Ⅲでは、6/6になる。

    さらに、剰余労働時間/必要労働時間という比率は剰余価値率を規定するから、剰余価値率は、右の比によって与えられている。

    それは、三つの異なる労働日において、それぞれ16+2/3%、50%、および100%になる。

    逆に、剰余価値率だけでは、労働日の大きさはわからないであろう。

    たとえばそれが100%であるとしても、労働日は8時間、10時間、12時間などでありうる。

    それは、労働日の二つの構成部分、すなわち必要労働と剰余労働とが等しい大きさであることを示すであろうが、この部分のそれぞれがどのような大きさであるかを示しはしないであろう。

3

従って、労働日は不変量でなく可変量である。

その二つの部分のうちの一方は、確かに労働者そのものの持続的な再生産のために必要な労働時間によって規定されているが、しかし、その全体の大きさは、剰余労働の長さまたは継続とともに変動する。

それゆえ、労働日は規定されうるものではあるが、それ自体として規定されているものではない(35)。

4

ところで、労働日は固定的な大きさではなく流動的な大きさであるとはいえ、他方、それは一定の制限内でのみ変化しうる。

しかし、その最小限度の制限は規定しえない。

確かに、延長線bc、すなわち剰余労働をゼロとすれば、一つの最小限度の制限、すなわち労働者が自己を維持するために一日のうちどうしても労働しなければならない部分が残る。

しかし、資本主義的生産様式の基礎上においては、必要労働はつねに彼の労働日の一部分ををなしうるのみであり、したがって労働日がこの最小限度の制限まで短縮されることは決してありえない。

これに反して、労働日は一つの最大限度の制限をもっている。

それは一定の限界を超えては延長されえない。

この最大限度の制限は二重に規定されている。

第一に、労働力の肉体的な制限によって。

    人間は、24時間からなる一自然日の間には、一定分量の生命力しか支出できない。

    それは、馬が日々八時間だけしか働けないのと同じである。

    一日のある部分のあいだにこの〔生命〕力は休息し、睡眠をとらなければならず、また他の部分のあいだに人間は食事をし、身体を洗い、衣服を着るなどの他の肉体的な諸欲求を満たさなければならない。

    この純粋に肉体的な制限のほかにも、労働日の延長は社会慣行的モラーリッシュな諸制限に突き当たる。

      労働者は、知的および社会的な諸欲求のために時間を必要とするのであり、それらを諸欲求の範囲と数は、一般的な文化水準によって規定されている。

      それゆえ、労働日の変化は、肉体的および社会的な諸制限の内部で行われる。

      しかし、この制限はきわめて弾力性に富むものであって、変動の余地はきわめて大きい。

      こうして、8、10、12、14、16、18時間からなる労働日、したがってきわめて相異なる長さの労働日が存在するのである。

5

資本家は、労働日をその日価値で買った。

一労働日のあいだ中、労働力の使用価値は彼のものである。

したがって、彼は労働者を一日のあいだ自分のために労働させる権利を手に入れた。

しかし、一労働日とはなにか(36)?

いずれにせよ、自然の一生活日よりは短い。

どれだけ短いのか?

資本家としては、彼はただ人格化された資本にすぎない。

彼の魂は資本の塊である。

ところが、資本は唯一の生活本能を、すなわち自己を増殖し、剰余価値を創造し、その不変部分である生産諸手段で、できる限り大きな量の剰余労働を吸収しようとする本能を、もっている(37)。

資本とは、生きた労働を吸収することによってのみ吸血鬼のように活気づき、しかもそれをより多く吸収すればするほどますます活気づく、死んだ労働である。

労働者が労働する時間は、資本家が、自分の買った労働力を消費する時間である(38)。

もし労働者が、自分の自由に処理しうる時間を自分自身のために消費するならば、彼は資本家のものを盗むことになる(39)。

この質問は、バーミンガム商業会議所に對するサー・ロバート・ピールの有名な質問、「”1ポンドとはなにか?”」よりもはるかに重要なのであって、右の質問は、ピールがバーミンガムの「”小シリング論者(」とまったく同様に、貨幣の本性について無知であったからこそ提出されえたものである。

*〔対ナポレオン戦争末期に兌換停止により銀行券が減価した際、1シリングの金純分を引き下げ1シリングと命名し(小しりんぐ)、この切り下げられた貨幣価値で累積した国債や私債を償還しようという、バーミンガムの銀行家トマス・アトウッドらの主張の追随者。貨幣を価値とは無關係な観念的な度量単位にすぎないとする立場のこの提案は、巨額の債務者である国家や銀行や大企業家の債務償還の利益を擁護するものであった。マルクス『経済学批判』、邦譯『全集』、第13巻、64-65ページ参照。なお、この注36の記述は、〔ハーロウおよびライト〕『通貨問題』、ロンドン、1844年、266ページによる〕
6

したがって、資本家は商品交換の法則を楯に取る。

彼は、他のすべての買い手と同じように、彼の商品の使用価値からできる限り大きな効用を手に入れようとする。

しかし、生産過程の疾風怒濤の中でかき消されていた労働者の声が、突如として高くなる。

    私があなたに売った商品は、その使用が価値を創造し、しかもそれ自身が値するよりも大きな価値を創造するという點で、他のありきたりの商品とは区別される。

    これこそあなたがその商品を買う理由であった。

    あなたの側で資本の増殖として現われるものは、私の側では労働力の余分な支出である。

    あなたと私とは、市場ではただ一つの法則、すなわち商品交換の法則を心得ているだけである。

    それゆえ、私の日々の労働力の使用はあなたのものである。

    しかし、私の労働力の日々の販売価格を媒介にして、私は日々この労働力を再生産し、それゆえ新たに売ることができなければならない。

    年齢などによる自然的な消耗を別にすれば、私は、分別のある倹約な一家の主のように、私の唯一の財産である労働力を管理し、そのばかげた浪費はいっさい節制することにしよう。

    私は毎日、労働力の正常な持続と健全な發達とに合致する限りでのみ労働力を流動させ、運動に、すなわち労働に転換しよう。

    労働日を無制限に延長することによって、あなたは、一日のうちに、私が三日間で補填できるよりも多くの分量の私の労働力を流動させることができる。

    こうしてあなたが労働において得るものを、私は労働實體じったいにおいて失うのである。

    私の労働力の利用とどれの略奪とは、まったく別なことがらである。

    もし一人の平均労働者が合理的な労働基準のもとで生きることのできる平均期間が30年であるとすれば、あなたが連日私に支払う私の労働力の価値は、それの総価値の1/(365×30)すなわち1/10950である。

    ところが、もしあなたが私の労働力を10年間で消費するとすれば、あなたが私に日々支払うのは、それの総価値の1/3650ではなく 1/10950であり、したがってその日価値の1/3に過ぎない。

    それゆえ、私の商品の価値の2/3を日々私から盗むのである。

    あなたは、三日分の労働力を消費しながら、私には1日分の労働力を支払うのである。

    これは、我々の契約および商品交換の法則に反する。

    したがって、私は標準的な長さの労働日を要求するのであり、しかもあなたの情に訴えてそれを要求するのではない。

    というのは、金銭取引に温情はない(*1からである。

    あなたは模範市民で、もしかすると動物虐待防止協会の会員で、そのうえ聖人の誉れが高いかもしれない。

    しかし、私と相対しているときにあなたが代表している物には、胸で高鳴る心臓はない。

    その物の中で何かが鼓動しているように思えるとすれば、それは私自身の心臓の鼓動である。

    私は、標準労働日を要求する。

    なぜなら、私は他のすべての販売者と同じように、私の商品の価値を要求するからである(40)。

    1860-1861年に労働日を9時間に短縮するため、”ロンドンの建築労働者たち”の大ストライキが行われたが、その最中に、彼らの委員会は一つの声明を發表した。

    それはわが労働者の上記の弁論とほとんど一致している。

    この声明はいささか皮肉を込めて、「”建築業者”」のうちもっとも貪欲な物──サー・M・ピートウなる者──が「聖人の誉れ」が高いことをあてこすっている。(このピートウも1867年以後没落した──ストロウスバーグ式に!(*2

    *1〔ドイツの政治家ハンゼマンの1847年6月の議会演説に由来する言葉〕
    *2〔括弧内は、第二版への注。ピートウは、はじめ建築業、のち鉄道企業に乗り出し、実際には1866年に破産した。ドイツの同じく鉄道起業家ストロウスバーグが、イギリスの洗礼名で「鉄道王」として大規模な投機を行い、1870年から倒産しはじめたこととピートウとを結び付けている〕
7

このように、まったく弾力的な諸制限を度外視すれば、商品交換そのものの本性からは、労働日の限界、したがって剰余労働の限界は何ら生じないことがわかる。

資本家が労働日をできる限り延長し、できることなら一労働日を二労働日にしようとする場合には、彼は、買い手としての彼の権利を主張する。

他方、売られた商品の独特な本性は、買い手がこの商品を消費することへのある制限含んでいるのであって、労働者が、労働日を一定の標準的な大きさに制限しようとする場合には、彼は売り手としての彼の権利を主張する。

したがって、ここでは、どちらも等しく商品交換の法則によって確認された権利対権利という一つの二律背反が生じる。

同等な権利と権利との間では強力がことを決する。

こうして、資本主義的生産の歴史においては、労働日の標準化は、労働日の諸制限をめぐる闘争──総資本家階級と、総労働者すなわち労働者階級とのあいだの一闘争──として現われる。

第二節 剰余労働に對する渇望。工場主とボヤール

1

資本が剰余労働を發明したのではない。

社会の一部の者が生産諸手段を独占しているところではどこにおいても、労働者は、自由であろうと自由でなかろうと、生産諸手段の所有者のための生活諸手段を生産するために、自分の自己維持のために必要な労働時間に余分な労働時間を付け加えなければならない(41)。

この所有者がアテネの”貴族”であろうと、エルトリア〔イタリア中西部の古代国家〕の神政者であろうと、”ローマの市民”であろうと、ノルマン人〔中世スカンジナヴィア地方〕の領主であろうと、アメリカの奴隷所有者であろうと、ワラキア〔ルーマニア南部〕のボヤール〔ロシアやルーマニアなどの領主〕であろうと、近代のランドローナ〔イギリスの地主〕または資本家であろうと、そうである(42)。

とはいえ、ある経済的社会構成体において、生産物の交換価値ではなくそれの使用価値が優位を占めている場合には、剰余労働は、諸欲求の範囲──狭いとか、広いとかの差はあっても──によって制限されているのであって、剰余労働に對する無制限な欲求は生産そのものの性格からは發生しないということはあきらかである。

それゆえ、古典古代において、交換価値を自立的な貨幣姿態で獲得することが問題である場合に、金銀の生産において過度労働は恐るべきものとなる。

ここでは、死ぬまで労働を強制することが過度労働の公認の形態である。

シチリアのディオドロスを読みさえすればよい(43)。

それでもやはり、これは古典古代世界においては例外である。

しかし、その生産がまだ奴隷労働、夫役労働などというより低い諸形態で行われている諸民族が、資本主義的生産様式によって支配されている世界市場に引き込まれ、この世界市場によって諸民族の生産物を外国へ販売することが、主要な関心事にまで發展させられるようになると、奴隷制、農奴制などの野蛮な残虐さの上に、過度労働の文明化された残虐さが接木 つぎき される。

それゆえ、アメリカ合衆国南部諸州における黒人労働は、生産が主として直接的な自家需要に向けられていた限りでは、温和な家父長的な性格を保っていた。

しかし、綿花の輸出がこれら諸州の死活の利害問題になるにつれて、黒人の過度労働が、ところによっては黒人の生命を7年間の労働で消費することが、打算づくめの制度の要因になった。

黒人から一定量の有用生産物をしぼり出すことは、もう問題ではなくなった。

いまや、剰余価値そのものの生産が問題であった。

夫役労働、たとえばドナウ諸侯国〔ワラキアとモルダヴィア侯国〕におけるそれについても同様である。

ニーブーアは、彼の『ローマ史』〔第五版、1853年、74ページ〕の中で、きわめて素朴に次のように述べている

シスモンディは遥かに深遠に、「ブリュッセルのレース」は賃雇い主と賃雇い人を前提とすると言った。

2

ドナウ諸侯国における剰余労働への渇望を、イギリスの工場における同じ渇望と比較することは、特別な興味がある。

なぜなら、夫役労働における剰余労働は、一つの自立的な感性的に知覚できる形態を有するからである。

    労働日は6時間の必要労働と6時間の剰余労働とからなるものとしよう。

    そうすれば、自由な労働者は資本家に対して毎週6×6すなわち36時間の剰余労働を提供する。

    それは、労働者が週のうち3日は自分のために労働し、3日は無償で資本家のために労働するのと同じことである。

    しかし、このことは目には見えない。

    剰余労働と必要労働とは互いに融合し合っている。

    それゆえ、私は、この同じ關係を、たとえば労働者は1分間ごとに30秒は自分のために、30秒は資本家のために労働するというように表現することもできる。

    夫役労働の場合には事情は異なる。

      たとえば、ワラキアの農民が自己の維持のために行う必要労働は、ボヤールのために行う彼の剰余労働とは空間的に分離されている。

      彼は、一方を自分自身の畑で行い、他方を領主の直営農場で行う。

      それゆえ、労働時間のこの両部分は、自立的に併存する。

      夫役労働の形態においては、剰余労働は必要労働から厳密に分離されている。

      現象形態のこの相違は、明らかに剰余労働と必要労働の量的關係を少しも変えない。

      週に3日の剰余労働は、それが夫役労働と呼ばれようと賃労働と呼ばれようと、労働者自身のためにはなんらの等価物も形成しない3日間の労働であることに変わりはない。

      とはいえ、資本家の場合には、剰余労働に對する渇望は労働日の無制限な延長への熱望となって現われ、ボヤールの場合にはもっと単純に夫役日数の直接的な追究となって現れる(44)。

      以下に述べることは、クリミア戦争以来の変革〔クーザの変革を指す。本譯書、第一巻、288ページの譯注参照〕以前に形成されていたルーマニア諸州の状態に関するものである。

3

夫役労働は、ドナウ諸侯国においては、現物地代その他の農奴制の付属物と結びついてはいたが、支配階級への決定的な貢租をなしていた。

こういう事情の所では、夫役労働が農奴制から發生したことはまれであり、むしろたいていは、逆に、農奴制が夫役労働から發生した(44a)。

ルーマニア諸侯ではそうであった。

809705

これらの諸州の本源的な生産様式は共同所有を基礎としていたが、スラヴ的形態の共同所有ではなかったし、ましてインド的形態のそれではなかった。

地所の一部分は自由な私的所有として、共同体の各成員によって自立的に経営され、他の部分——”共有地”——は彼らによって共同的に耕作された。この共同労働の生産物は、一部は凶作その他の災害のための予備元本として、一部は戦費、宗教費、その他の共同体の支出を賄うための国家備蓄として役立った。

時が経つに連れて、軍事及び宗教關係の高職者たちが、共有財産とともに、そのためになされる諸々の給付を横奪した。

自由農民たちが彼らの共有地で行った労働は、共有地の盗人たちのための不役労働に転化された。

それとともに農奴制諸關係が發展したが。しかしこの諸關係は、世界の解放者ロシアが農奴制を廃止するという口実の下にこれを法律に制定するまでは、ただ事実上發展したにとどまり、法律的に發展したのではなかった。

ロシアの将軍キシリョーフ(が1831年に公布した不役労働の法典は、もちろんボヤールたち自身によって口授されたものであった。

こうしてロシアは、ドナウ諸侯国の大貴族たちと、全ヨーロッパの自由主義的白痴どもの拍手喝采を依拠に勝ち得た。

第三版への注。——このことはドイツにも、ことにエルベ河以東のプロイセンにも同じように当てはまる。15世紀には、ドイツの農民は、ほとんどどこにおいても、生産物と労働とによる一定の給付の義務を果たされていたが、その他の點では少なくとも実際上は自由な人間であった。ブランデンブルク、ポンメルン、シュレージエン、及び東プロイセンのドイツの開拓者たちは、それどころか法的にも自由人として認められていた。農民戦争〔1524〜1526年〕のける貴族の勝利が、この状態を終わらせた。敗れた南ドイツの農民たちが再び農奴となっただけではなかった。すでに16世紀の半ば以来、東プロイセン、ブランデンブルク、ポンメルン、およびシュレージエンの自由農民が、そしてその後間も無くシュレースヴィヒ=ホルスタインの自由農民たちもまた、農奴に落とされるのである(マウラー『不役農場〔・・・の歴史〕』、第四巻。——マイツェン『〔・・・〕プロイセン国家の土地〔・・・〕』。——ハンセン『シュレースヴィヒ=ホルシュタインにおける農奴制〔・・・〕』)——F・エンゲルス}

*〔ドナウ諸侯国は、1829——1834年、ロシアに占領され、キシリョーフが総督となった。次に述べる法典はそのもとで公布された。〕
4

「レグルマン・オルガニク」〔国家基本法、すなわち憲法〕──かの夫役労働の法典はこう呼ばれたのであるが──によれば、ワラキアの農民にはいずれも、いわゆる土地所有者に対し、詳細に規定されたある分量の現物納付以外に、(1)12日の労働日、(2)一日の耕作労働、および(3)一日の木材運搬、を行う義務がある。

”総計”で、年に14日である。

とはいえ、この労働日なるものが、敬愛学への深い洞察で、その普通の意味にではなく、一日分の平均的生産物を作るために必要な労働日と解されているのであって、しかもこの一日分の平均的生産鬱なるものが、キュクローブス〔ギリシア神話に登場する巨人族〕でもそれを24時間では仕上げられないように狡猾に規定されている。

それゆえ「レグルマン」そのものが、まったくロシア流の皮肉を含んだすげない言葉で、12労働日とは36日分の手労働の生産物と理解すべきであり、一日の耕作労働とは三日分のそれ、一日の木材運搬も同じく三倍のそれと理解すべきであると明言する。

合計で42夫役日である。

しかし、そのうえにいわゆるヨバギー、すなわち臨時の生産上の必要に應じて領主に提供すべき労役給付が加わる。

どの村落も、その人口の大きさに比例して、毎年一定の割り当て人数をヨバギーに差し出さなければならない。

この追加的夫役労働は、ワラキアの農民一人当たり14日と見積もられる。

こうして、規定の夫役労働は年に56労働日となる。

しかし、ワラキアでは、気候が悪いために一年の農耕日数は210日にすぎず、そのうちの40日は日曜および祭日のために、平均30日は悪天候のために、合計70日が失われる。

残るのは140労働日である。

夫役労働対必要労働の比、56/84すなわち66+2/3%は、イギリスの農業労働者または工場労働者の労働を規制する剰余価値率よりもはるかに小さな剰余価値率を表現する。

しかし、これは法律で規定された夫役労働であるにすぎない。

それに、「レグルマン・オルガニック」は、イギリスの工場立法よりももっと「自由主義的」な精神で、それ自身の法網をたやすくくぐりぬけられるようにするすべを心得ていた。

それは、12日(*1を54日(*2にしたあとで、さらに54日(*2の各夫役日の名目上では一日分の仕事なるものが、その一部を翌日分への追加として持ち越さざるをえないように規定されている。

たとえば、一日のうちにある広さの地面を除草するものとするとされているが、この地面は、とくにトウモロコシ畑では、この作業のために二倍もの時間を必要とするのである。

法定の一日分の仕事は、二、三の農業労働については、その一日が五月に始まって10月に終わるというように解釈されうる。

モルダヴィア地方については、これらの規定はもっと過酷である。

勝利に酔った一ボヤールはこう叫んだ──「レグルマン・オルガニックの12夫役日は、1年に365日になる!(45)」と。

もっと詳しいことは、E・ルニョ『ドナウ諸侯国の政治的社会的歴史』、パリ、1855年〔304ページ以下〕に見出される。

*1〔初版以来のこの数字は、上記の計算方法から見て、「総計」の14日でなければならない〕
*2〔初版以来のこの数字は、「56日」でなければならない〕
5

ドナウ諸侯国のレグルマン・オルガニックが剰余労働に對する渇望の積極的表現であり、その各条項がそれを合法化したものであるとすれば、イギリスの工場諸法は同じ渇望の消極的表現である。

これらの法律は、国家の名によって──しかも資本と地主との支配する国家の側から──労働日を強制的に制限することにより、労働日を強制的に制限することにより、労働日を無制限にしぼりとろうとする資本家の熱望を取り締まる。

日々ますます威嚇的に膨れ上がる労働運動を度外視すれば、この工場労働の制限は、イギリスの畑地にグアノ(を注ぎ込んだのと同じ必然性によって余儀なく行われたのである。

この同じ盲目的な略奪欲が、一方の場合に土地を疲弊させ、他方の場合には国民の生命力根源をすでに襲っていた。

ここでは、周期的な流行病が、ドイツおよび兵士の身長低下(46)と同じように、そのことを明瞭に語ったのである。

*〔南米西海岸、とくにペルー沿岸の島に産する海鳥の化石糞で、1840年以後、とくに50年代以降、肥料として大量にヨーロッパに輸入された〕
6

現在(1867年)も効力を持っている1850年の工場法は、週日〔一週間のうち日曜日を除く平日〕平均で10時間〔の労働〕を許している。

すなわち、はじめの五週日については朝の6時から晩の6時までの12時間であるが、そのうち1/2時間が朝食のために、1時間が昼食のために法律によって差し引かれ、したがって残るのは 10+1/2時間、最後の週日については7+1/2時間である(47

この法律の特別の番人である内務大臣直属の工場監督者たちが任命されていて、その報告書が半年ごとに議会の名によって公表される。

それらの報告書は、したがって剰余労働に對する資本家の渇望の継続的かつ公式の統計を提供する。

1850年の工場法の歴史は、本章の進行に連れて述べられる。

7

しばらく、我々は工場監督者の言うところを聞こう(48)。

イギリスにおける大工業の發端から1845年までの期間については、私はところどころで触れるだけにとどめ、これについては読者にフリードリヒ・エンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』、ライプツィヒ、1845年〔邦譯『全集』、第二巻〕を参照していただくことにする。

エンゲルスが資本主義的生産様式の精神をどんなに深く把握したかは、1845年以来出版されている工場報告書、鉱山報告書などが示しており、また、彼がどんなにおどろくほど詳しくその状態を描き出したかは、彼の著作と、18年ないし20年後に公表された「児童労働調査委員会」の公式の報告書(1863年~1867年)とを、ざっと比較しただけでもわかる。

すなわち、後者の報告書が取り扱っているのは、1862年まではまだ工場立法が実施されておらず、部分的にはいまなお実施されていいない産業諸部門なのである。

したがって、これらの諸部門では、エンゲルスによって描写された状態に多少とも大きな変更が外部から押し付けられることはなかった。

私は、主として1848年以後の自由貿易時代、すなわち、ほら吹きで学問的にはでたらめな自由貿易商人たちが、ドイツ人に対してファウハー(ばりに実にたくさんのつくり話をしゃべりまくるあの楽園時代から、私の例を借りてくることにする。

──いずれにしても、ここではイギリスだけが前面に立ち現れる。

なぜなら、イギリスが資本主義的性s難を典型的に代表しており、しかもイギリスだけが、取り扱われる対象についての公式の継続的な統計をもっているからである。

*〔マルクスはここで、ドイツの俗流経済学者ファウハー(Ⅰ829-1787年)の名を入れて、「でたらめをしゃべりまくる」という意味のvorfauchenという新語を編み出してからかっている〕
8

「詐欺的な工場主は、朝の6時15分に──ときにはより早く、ときにはより遅く──仕事を始め、午後6時15分過ぎに──ときにはより早く、ときにはより遅く─仕事を終える。彼は、名目上、朝食時間として決められた30分の始めと終わりから5分間づつを奪い取り、また〔名目上〕昼食時間として決められた30分の始めと終わりから5分間ずつを奪い取り、また〔名目上〕昼食時間として決められた1時間の始めと終わりから10分間ずつを取り上げる。土曜日には、彼は午後2時以後15分間──ときにはもっと長く、ときにはもっと短く──仕事をする。こうして、彼の利得は次のようになる。

午後6時以前 ・・・ 15分
午後6時以後 ・・・ 15分
朝食時間に ・・・ 10分
昼食時間に ・・・ 20分
60分
一週間の合計 300分
土曜日
午後6時以前 ・・・ 15分
朝食時間に ・・・ 10分
午後2時以後 ・・・ 15分
〔40分〕
一週間の総利得 340分
すなわち、週に5時間40分であり、これに祭日または臨時休業の二週間を差し引いた50労働週をかければ27労働日になる(49)。」

『工場規制法。下院の命により1859年8月9日印刷』の中の「工場監督官L・ホーナー氏の・・・諸提案」、4,5ページ。

「労働日が標準的な長さを超えて毎日5分間ずつ延長されるならば、年に2+1/2生産日になる(50)」。「あちらこちらで、ほんのわずか時間を奪い続けることによって得られる毎日1時間ずつ追加は、1年の12か月を13か月にする(51)」。

『工場監督官報告書。1856年10月〔31日〕』に終わる半年間、35ページ。
『工場監督官報告書。1858年4月30日・・・』、9ページ。
9

恐慌においては、生産は中断されて「短時間」しか、週のうち二、三日しか労働が行われないが、その恐慌も、もちろん、労働日を延長しようとする衝動になんの変化も生じさせない。

仕事が行われるのがわずかであればあるほど、行われる仕事で得られる利得はそれだけ大きくなければならない。

労働しうる時間がわずかであればあるほど、あおれだけ多くの剰余労働時間の労働をしなければならない。

こうして工場監督官たちは、1857年から1858年までの恐慌期について次のように報告する。──

『工場監督官報告書』、同前、10ページ。
『工場監督官報告書』、同前、25ページ。
10

同じ現象は、1861年から1865年までの恐ろしい綿花恐慌のあいだにも、より小さな規模で繰り返されている(54)。

『工場監督官報告書。1861年4月30日に終わる半年間』、付録第二号を見よ。

『工場監督官報告書。1862年10月31日・・・』、7,52,53ページ。

違反は1863年の後半の半年間にふたたび増加している。『工場監督官報告書。1863年10月31日に終わる半年間』、7ページ参照。

『工場監督官報告書。1860年10月31日・・・』、23ページ。

工場主たちの法定での供述によれば、彼らの工場の工員たちがいかに頑迷に工場労働のあらゆる中断に反對するかは、次のような奇妙な事実が示すとのことである。

すなわち1836年6月のはじめにデューズベリー(ヨークシャー)の治安判事のもとに届いた告發によれば、バトリー付近にある八つの大工場の工場主たちが工場法に違反した。

これらの紳士たちの一部は、12歳から15歳までの5人の少年を金曜日の朝6時から翌土曜日の午後4時過ぎまでこき使い、食事時間と深夜一時間の嗣明とのため以外にはどんな休息も許さなかったかどで告發されていた。

しかも、これらの児童たちは、この休みのない30時間の労働を、穴と呼ばれている「ショディ〔再製羊毛〕ホール」──そこは羊毛のぼろ布が引き裂かれるところで、ほこりや屑などがもうもうとしていて成年労働者でさえも灰を保護するために絶えず口をハンカチでしばっていなければならない──で行われなければならなかった!

被告人諸公は、宣誓の代わりに──彼らはクエーカー教徒(*1として、あまりにも小心な宗教人であるから宣誓は行わない──次のように確言した。

すなわち、自分たちはおおいに同情している哀れな児童たちに4時間の睡眠を許していたのであるが、頑固な児童たちはどうしても床につこうとしなかった!と。

クエーカー教徒諸公は、20ポンド・スターリングの罰金を宣告された。

ドライデンは、これらのクエーカー教徒を予想していた。

「見かけは神々しさあふれる狐、
誓いは恐れたが、悪魔のように
 嘘はついたろう、
精進潔斎者ように、聖なる
 顔だちをそなえ、
あえて罪を犯すのもお祈りを
 となえてからだ(*2

資本がこのように労働者たちの食事時間や休養時間から「こそどろ」することを、工場監督者たちも、「数分間のちょろまかし(58)、「数分間のひったくり(59)」、または労働者たちが仲間同士で呼んでいるように、「”食事時間のかじり取り(60)”」と言っている。

『工場監督官報告書。1856年10月31日・・・』、34ページ。
同前、35ページ
同前、48ページ
同前
同前
11

明らかに、このような雰囲気の中では、剰余労働による剰余価値の形成は秘密でもなんでもない。

同前、48ページ
『工場監督官報告書。1860年4月30日・・・』、56ページ。
12

この點では、全時間にわたって労働する労働者「”全時間工”」と呼び、6時間だけしか労働することを許されない13歳未満の児童を「”半時間工”」と名付けること(63)以上に特徴的なことはない。

ここでは労働者は、人格化された労働時間以上のなにものでもない。

すべての個人的区別は、「全時間工」と「半時間工」との区別に帰着する。

この表現は、工場内でも工場報告書内でも公的な市民権を得ている。

第三節 搾取の法的制限のないイギリスの産業諸部門

1

これまでわれわれが労働日の延長を求める衝動、剰余労働を求める人狼的な渇望を観察したのは、イギリスの一ブルジョア経済学者が言うように、アメリカのインディアンに對するスペイン人の残虐さにも劣らない無制限な不法行為(64)のために、資本がついに法律的取り締まりの鎖につながれるようになった領域においてである。

そこでこんどは、労働力のしぼり取りがこんにちにおいてもなお無拘束であるか、昨日まではまだそうであった二、三の生産部門に目を向けよう。

一種の経済学概論であるこの書の理論的部分は、当時としては若干の独創的なもの──たとえば経済的恐慌について──を含んでいる。

その歴史的な部分は、サー・F・M・イーデン『貧民の状態(』、ロンドン、1797年、からの恥知らずな剽窃 ひょうせつ である。

*〔初版から第四版までの『貧民の歴史』は、誤記〕

ロンドン『デイリー・テレグラフ』、1860年1月17日付。

2

スタッフォードシャーの製陶業は、過去22年のあいだに、三回にわたって議会の調査の対象となった。

その結果は、「児童労働調査委員会」宛の1841年のスクリヴン氏の報告、枢密院医務官の命によって公表された1860年のグリーノウ医師の報告(『公衆衛生、第三次報告書』、第一部、102-113ページ)、最後に1863年6月13日付『児童労働調査委員会、第一次報告書』のなかの1863年のロンジ氏の報告に記録されている。

私の課題のためには、1860年および1863年の報告書から、搾取されている児童たち自身の若干の証言を借りてくれば十分である。

児童たちの状態から成人、とくに未婚および既婚の婦人たちの状態──しかもそれに比べれば綿紡績業などはきわめて快適で衛生的な仕事であると思われる一産業部門における状態──を推論できるであろう(66)。

F・エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』、249-251ページ〔邦譯『全集』、第二巻、440-442ページ〕を参照

3

9歳のウィリアム・ウッドは、「働き始めたたときは7歳10ヶ月であった」。

彼ははじめから「”型運びをした”」(型に入った仕上がり品を乾燥室に運び、そのあとからの型を持ち帰った)。

彼は週に6日は、毎日、朝の6時にやってきて、晩の9時ごろに仕事をやめる。

したがって、7歳の児童が15時間労働を行うのである!

12歳の少年J・マリーは次のように供述する──

10歳の少年ファーニハフ──

『児童労働調査委員会、・・・第一次報告書。1863年』、付録、16,19,18ページ。

4

グリーノウ医師は、ストウク・アポン・トレントやウルスタントンの陶業地方では寿命が以上に短いと言明している。

20歳以上の男子人口のうち製陶業に雇われている者は、ストウク地方では36.6%、ウルスタントンでは30.4%に過ぎないにもかかわらず、この年齢層の男子のうち、第一の地方では死亡者数の半分以上が、第二の地方では約2/5が、肺疾患の結果死亡した陶工によって占められている。

ハンリーの開業医ブースロイド博士は次のように供述している──

同様に、もう一人の医師マクベイン氏は供述する──

これらの供述は、1860年のグリーノウ医師の報告書から引用したものである(68)。

『公衆衛生、・・・第三次報告書』、103、105ページ。

5

以下は、1863年の委員会の報告書からの引用である。北スタッフォードシャー診療所の医長J・T・アーリッジ医師は言う──

最近までまだ同じ診療所の”住み込み外科医”であったチャールズ・パースンズ(氏は、ロンジ委員に宛てた手紙の中で、とりわけ次のように書いている──

彼は陶工病の諸原因を数え上げ、その最たるものは「長時間労働」であると総括している。

委員会報告書は──

ように希望している。

イングランドの製陶業について言えることは、スコットランドのそれについても言える(70)。

『児童労働調査委員会。1863年』、24,22ページおよびⅪページ〔上記のあーリッジ医師の供述は24ページ、パーンズ(ピアスン)の供述は22ページとⅪページにある〕。

同前、ⅩLⅤⅡページ

*〔フランス語版では、「ピアスン」となっている〕
6

マッチ製造業は、1833年に、すなわちりんを軸木そのものにつける發明に始まる。

それは、1845年以来イングランドで急速に發展し、ロンドンの人口の密集地域から、とくにマンチェスター、バーミンガム、リヴァプール、ブリストル、ノリッジ、ニューカッスル、グラスゴウにも拡大したのであるが、それとともに、すでに1845年にヴィーンの一医師がマッチ製造工に特有な病気として發見していたあご けいれん症も広がった。

労働者の半数を13歳未満の児童と18歳未満の年少者たちである。

この製造業は、その不衛生さと不快さとのためにきわめて評判が悪いので、この仕事のために児童たち──「ぼろを着た、餓死に瀕した、なったくほったらかしの(*1、教育を受けていない児童たち(71)] ──を引き渡すのは、労働者階級のうちでもっとも零落した部分や餓死にひんした寡婦などだけである。

ホワイト委員が(1863年に)尋問した証人のうち、270人が18歳未満、40人が(*2が10歳未満、10人はわずか8歳、5人はわずか6歳であった。

12時間から14ないし15時間にわたって変動する労働日、夜間労働、大抵の場合、燐毒に満ちた作業室そのものの中でとられる不規則な食事。

ダンテも、この製造業には彼の恐ろしさこのうえない地獄絵もおよばないことに気づくであろう。

同前、LⅠⅤページ。

*1〔「まったくほったらかしの」は、マルクスの挿入〕
*2〔第三版、第四版、英語版では「50人」となっている〕
7

壁紙工場では、粗製の種類のものは機械で、精巧な種類のものは手(”木版刷り”)で印刷される。

仕事が最も忙しいのは10月初めから4月末のまでのあいだである。

この期間中は、この仕事はしばしば、しかもだいたい中断なしに、午前6時から晩の10時まで、また深夜までも続けられる。

J・リーチは供述する──

W・ダフィーは言う──

J・ライトボーンは言う──

G・アプスデンは言う──

マンチェスターのある工場の業務執行社員であるスミスは言う──

それでも、”荘重な複数用法”〔「余」「余自身」と言う場合に「われわれ」「われわれ自身」を使用すること国王などの表現法〕がひどくお気に召しているこのスミス氏は、ニヤニヤしながら付け加える——

ところが”木版刷り”の使用者は言う——

全体的に言って、工場主諸氏は、「少なくとも食事時間中は機械を停止すること」という提案に対して、憤激をもって反對するを言明する。

バラ(ロンドンの)のある壁紙工場の支配人おとりー氏はいう──

委員会報告書は、素朴にも次のような意見を述べている──二、三の「有力な商会」が、時間すなわち他人の労働をわがものにする時間を失い、また、それによって「利潤を失う」と懸念しているからといって、それが、13歳未満の児童と18歳未満の年少者たちから12時間ないし16時間ものあいだ彼らの昼食を「失わせ」てよいという「十分な理由」にはならないし、また、労働手段の単なる補助材料として、生産過程そのもののあいだに彼らに昼食を与える──蒸気機関に水と石炭を、羊毛に石鹸を(*2、車輪に油を給するのとおなじように──のでよいという「十分な理由」にもならない(73)、と。

これは、われわれが言う剰余労働時間という意味に解すべきではない。

これらの諸君は、10時間半の労働を標準労働日とみなしているのであって、したがってこれには標準的な剰余労働も含まれている。

このあとに、いくらか余計に支払われる「超過時間」が始まる。

のちの機会に述べるであろうが、いわゆる標準労働力の使用は価値以下に支払われるのであり、したがって「超過時間」なるものは一層多くの「剰余労働」を絞り出すための資本家の策略にすぎない。

ついでながら、このことは。「標準日」中に使用される労働力が現實に価値どおりに支払われる場合でさえ変わりはないのである。

『児童労働調査委員会。1863年』、付録、123、124、125、140ページ、およびLXIVページ。

*1〔ユウェナリス『諷刺詩』、第四歌、第一行。クリスピヌスは、ローマ皇帝ドミティアヌスの延臣で、第一歌で、「この色欲ばかりふける大悪党めが」と皇帝に鞭打たれる。この句は、彼の不埒をとがめる語。転じて「またも同じ人物」の意〕
*2〔羊毛に含まれる羊脂や土砂を除去するために、石鹸とアルカリの水溶液を使用する〕
8

イギリスの産業部門の中で、製パン業──(われわれは最近やっと道を切り開きはじめたばかりの機械製のパンは度外視する)──ほど古風な、ローマ帝政時代〔紀元前27年から紀元後5世紀まで〕の詩人たちの作から読み取れるような紀元以前の生産様式を、こんにちまで維持してきている部門はない。

しかし、まえに述べたように、資本は、さしあたり、それが征服する労働過程の技術的性格には無関心である。

資本は、とりあえず、労働過程をそのあるがままに取り入れる。

9

信じられないほどのパンの不純物混和、ことにロンドンにおけるそれは、「食料品の不純物混和にかんする」下院委員会(1855-1856)とハッスル博士の著者『摘發された不純物混和』とによってはじめて暴露された(74)。

これらの暴露の結果は「食料品および飲料品の不純物混和防止のための」1860年8月6日の法律であったが、それは、不純商品の売買によって「”正直に働いて金をもうけよう”」〔英語の成句〕と企てるすべての”自由商業主義者”に対して、もちろん最大の思い槍を示しているので、実行のない法律であった(75)。

この委員会そのものが、自由主義とは本質的に不純品の、またはイギリス人の期のきいた言い方によれば「混じりもの」の取引のことであるという確信を、いくらか素朴に言明した。

実際に、この種の「混じりもの作りゾフイステイク *1」は、白を黒に、黒を白にするすべをプロタゴラス〔ソフィストの祖〕よりもよく心得ており、あらゆる現實的なものが単なる仮象にすぎないことを”実見によって”証明するすべをエレア派(*2よりもよく心得ている(76)。

粉末にするか塩を混ぜた明礬みょうばん が、「”パン屋の材料”という意味ありげな名前を持つ通常の商品となっている。

周知のように、すす は、炭素の効能が極めて強い形態であって、資本主義的煙突掃除夫がイギリスの借地農場経営者に販売する肥料になっている。

さて、1862年に、イギリスの「”陪審員”」は、ある訴訟で、買い手に内緒で90%のほこりと砂が混ぜられている煤が「商業的」意味で「本物の」煤であるか、それとも「法律的」意味での「不純な」煤であるかを決定しなければならなかった。

「”商業の友たち”」は、それは「本物の」商業的な煤であると決定を下して原告の借地農場経営者の訴え棄却し、おまけに原告は訴訟費用を支払わなければならなかった。

フランスの化学者シェバリエ(*3は、商品の「”混じりもの製造”」に関する論文の中で、彼が検査している600いくつかの品目の多数について、10種、20種、30種のさまざまな不純物混和の方法を数え上げている。

彼は、自分が全ての方法を知っているわけではなく、また自分が知っている全てのに言及しているわけではない、と付け加えている。

彼は、砂糖については六種、オリーヴ油については九種、バターについては10種、塩については12種、ミルクについては19種、パンについては20種、ブランデーについては23種、小麦粉については24種、チョコレートについては28種、ワインについては30種、コーヒーについては32種などの不純物混和の仕方をあげている。

主(*4なる神でさえ、この運命を免れない。

ルアール・ド・カル『聖体の偽造について』。パリ、1856年、を見よ。

*1〔ギリシアの弁論術・修辞学を業としたソフィストたちにちなみ、「詭弁を弄する」と「混ぜものをする」の二義にかけた言い方〕
*2〔「有るということ」が真の不変な實體じったい であり、運動等は仮象に過ぎないとするギリシア哲学の一派〕
*3〔主著に『食物、薬物、および商品の内実の変造と不純物混和の時點。識別法の指示を付す』、パリ、1850-1852年、全二巻がある〕
*4〔ここから最後までの文は、第二版の巻末に付された「第一部への補遺」でマルクスにより追加された〕
10

いずれにしても、委員会は、公衆の目を彼らの「日々のパン」、したがってまた製パン業者に向けさせていた。

と同時に、公開の集会や議会に對する請願において、過度労働などに関するロンドンの製パン職人の叫びが響きわたった。

この叫びがきわめて切実なものとなったので、先に何度も触れた1863年の委員会の委員であったH・S・・トリマンヒア氏が、王国調査委員に任命された。

彼の報告書(77)は、諸証言と相まって、公衆を——その心をではなくその胃袋を——揺り動かした。

確かに、聖書通のイギリス人は、聖寵せいちょう 〔神の恵み〕の選択によって資本家や地主や聖務業務のない聖職禄受領者となっているのでなければ、顔に汗してパンを食う〔旧約聖書、創世記、 3・19〕のが人間の転職であることは知っていたが、しかし、人間が自分のパンを食うときに、毎日、明礬、砂、その他の結構な鉱物性成分は別としても、膿瘍 のうよう うみ膿やクモの巣やゴキブリの死骸や腐ったドイツ製酵母の混じったある分量の人間の汗の賜物 たまもの を食わなければならないのだとは知らなかった。

それゆえ、神聖な「自由商業」陛下にはなんの敬意も表すことなしに、それまで「自由」であった製パン業が国家監督官の監督に服させられ(1863年の議会の会期末に)、同じ議会の法律により、18歳未満の製パン職人たちに対して、夜の9時から朝の5時までの労働時間が禁止された。

この最後の条項は、実に古きよき昔をしのばせるこの産業部門の過度労働のについて、余すところなく語っている。

『製パン職人によって申し立てられた苦情に関する・・・報告書』、ロンドン、1862年、および〔同〕『第二次報告書』、ロンドン、1863年。

11

同前、『第一次報告書』〔注77の『製パン職人・・・報告書』、1862年を指す〕、Ⅵ-Ⅶページ。

同前、LXXIページ。

12

「”安売り親方たち”」については、ブルジョア的立場でさえも「彼らの競争の基礎になっているのが、職人たちの不払労働である(80)」という點を理解している。

そして、「”正常価格売り製パン業者”」は、「”安売り”」競争者たちを他人の労働の盗人および不純生産物の製造者として調査委員会に告發している。

ジョージ・リード『製パン業の歴史』、ロンドン、1848年、16ページ。

『報告書(第一次)。証言』。「正常価格売り製パン業者」チーズマンの供述、108ページ。

13

パンの不純物混和とパンを正常価格以下で販売する製パン業者階級の形成とは、イギリスでは、18世紀の初め以来、この営業の同職組合的性格が衰微し、資本家が製粉業者または麦粉問屋の姿で、名目的な製パン親方の背後に登場するとともに、發展した82

ジョージ・リード、前出。17世紀および18世紀初頭には、ありとあらゆる営業に侵入しつつあった”問屋”(商事代理人)は、まだ当局から「”公的不法妨害」として告發された。

それでたとえば、サマセット州の治安判事四季裁判所における”大陪審”は、下院に対して「”告發”」をしたのであるが、それにはとりわけ次のように述べられている──「ブラックウェル・ホールのこれらの商事代理人は、公的不法某会社であり織物業に害を与えるものであって、不法妨害として抑圧されるべきである」と(〔ジョージ・クラーク〕『わがイギリスの羊毛に関する準備書面』、ロンドン、1685年、6、7ページ)。

同時に資本主義的生産のための基礎、すなわち労働日の無制限な延長と夜間労働との基礎、が据えられた。

ただし、夜間労働はロンドンにおいてさえ、ようやく1824年になって真に地歩を固めたのではあるが83

『第一次報告書』、Ⅷページ。

14

これまで述べてきたことから、委員会報告書が製パン職人たちを短命な労働者に数えており、労働者階級のあらゆる部分であたりまえになっている多数の幼児死亡を幸いにしてのがれたとしても、彼らが42歳に達することはめったにないとしている點は納得されるであろう。

それにもかかわらず、製パン営業はいつも就職希望者で満ち溢れている。

ロンドンへのこれらの「労働力」の供給源はスコットランド、イングランドの西部農業地域、および──ドイツ人である。

15

1858-1860年に、アイルランドの製パン職人たちは、夜間労働および日曜労働に反對する世論換気のための大集会を自費で組織した。

民衆は、たとえば1860年のダブリンでの5月集会では、アイルランド人的な熱情をもって彼らに味方した。

この運動によって、ウックスフォールド、キルケニー、クロンメル、ウォーターフォードなどでは、もっぱら昼間だけの労働が実に大成功のうちに実現された。

イギリス政府はアイルランドにおいて寸分のすきなく武装しているのであるが、この政府の委員会は、ダブリン、リメリク、コークなど情け容赦のない製パン親方に対して、沈痛な調子で抗議する──

6.鉄道業
16

以上はアイルランドのことであった。

海峡〔ノース海峡〕の他の側、スコットランドでは、農業労働者、犂を手にする人が、きわめて厳しい天候の中で13ないし14時間労働し、それに加えて日曜日に4時間の追加労働を行う(この安息日厳守の国で!)と告發し86、他方では、ロンドンのある大陪審〔検視官審問のさいの〕の前に三人の鉄道労働者、すなわち車掌、機関士、および信号手が同時に立っている。

エディンバラ*2近くのラスウェイドにおける1866年1月5日の農業労働者の大衆集会。(1866年1月13日付の『ワークマンズ・アドヴォケイト』を身よ。)

1865年の末以来、農業労働者のあいだに労働組合が──まず最初にスコットランドで──結成されたことは、一つの歴史的な出来事である。

イングランドでもっとも抑圧された農業地域の一つであるバッキンガムシャーでは、賃労働者たちが、1867年3月に、週賃金を9ないし10シリングから12シリングに引き上げるため、一大ストライキを行った。

〔「イングランドで」以下の一文は初版巻末の「第一版への補遺」で追加〕──(以上に延べた注から明らかになように、イギリスの農業プロレタリアートの運動は、1830年以後彼らの強行的な示威運動が抑圧されて以来、とくに新しい救貧法*3〔1834年〕の実施以来、すっかり挫折していたが、60年代にふたたび始められ、ついに1872年には画期的なものにまでなる。私は第二巻で、ふたたびこの點について、さらに1867年以来出版されたイギリス農業労働者の状態にかんする青書について、ふれる〔現行版の『資本論』の第二部および第三部には、この記述は見当たらない〕。第三版への追加)。

〔ここで「第三版への追加」と記されている括弧内の文章とほぼ同一の文章は第二版巻末に付された「補遺」にあり、マルクスにより注への追加指示がされていた〕

ある大きな鉄道事故が数百人の乗客をあの世に送ったのである。

鉄道労働者たちの怠慢が事故の原因である。

彼らは陪審員たちの前で異口同音にこう言明している。

10年ないし12年前には、自分たちの労働は一日にたった8時間に過ぎなかった。

最近の5,6年のあいだに、労働は14、18、20時間へしゃにむに引き上げられ、また行楽専用列車の時期のように旅行好きな人々が特に激しく殺到する場合には、労働は、しばしば中断なしに40-50時間続く。

彼らは普通の人間であって、キュクロープスたち〔ギリシア神話に登場する巨人族〕ではない。

ある時點では、彼らの労働力は役に立たなくなる。

感覚麻痺が彼らを襲う。

彼らの脳は考えることをやめ、彼らの目は見ることをやめる、と。

まったく「”尊敬すべきイギリスの陪審員”」は、彼らを「”故殺(”」のかどで陪審裁判に付する評決をもって答え、寛大な評決副申請書のなかで次のように殊勝な願いを表明している──なにとぞ鉄道關係の大資本家諸氏は、将来、必要な数の「労働力」を購入するさいにはもっと気前よくふるまい支払われた労働力を吸い取るときには、「もっと節制的」まてゃ「もっと禁欲的」または「もっと節約的」にされたい87、と。

『レイノルズ・〔ニューズ〕ペイパー』、1866年1月〔21日〕付。その直後に、この同じ週刊誌は、毎週のように「”おそるべき宿命的な事故”」、「”凄惨な悲劇”」などという「”センセーショナルな見出し”」をつけて、たくさんの新しい鉄道事故を掲載している。

これにたいし、北スタッフォード線の一労働者は次のように答えている──「機関士と火夫の注意力が一瞬でもゆるめば、その結果どうなるかは誰もが知っている。

それにしても、ひどい荒天のなかで、中休みも休養もなしに際限なく労働が延長される場合、どうしてそれ以外んことが起こりえましょうか?

毎日起こっている例として、次の場合をあげましょう。

この月曜日、一人の火夫が夜明け早々に一日の仕事を始めました。

彼は14時間50分後に仕事を終えました。

お茶を飲む暇さえなく、彼はまた新たに仕事に呼び出されました。

〔・・・〕したがって彼は29時間15分休みなしに苦役を続けなければならなかったのです〔最初の14時間50分と次の仕事の14時間25分との合計をさす〕。

彼の一週間の仕事の残りは以下のように組まれていました──水曜日15時間、木曜日15時間35分、金曜日14時間半、土曜日14時間10分、この週の合計は88時間30分。

そこで、彼が6労働日分の支払しか受けなかったときの驚きを創造してください。

この男は新米だったので、一日の仕事とはどれだけのことを言うのかと質問しました。

答えは13時間、したがって週当たり78時間ということでした。

では、10時間30分の余分な時間に對する支払いはどうなっているのか?

長い口論の末、彼は10ペンス」(10グロッシェン銀貨にも足りない)「の手当を受け取ったのです」(同前、1866年2月4日付)。

*1〔過失致死など、殺意なく不法に人を殺すこと。「謀殺」の反対語〕
7.婦人服仕立女工と鍛冶工
17

あらゆる職業、年齢、性からなる労働者たちの種々の雑多な群れが、オデュッセウスに群がり寄る打ち殺された人々の霊魂よりもずっと熱心にわれわれのところに群がり寄る。

そしてその小わきにかかえた青書を見なくても一目で彼らの過度労働が見て取れる、この群れのなかから我々は、さらにもう二人の人物──婦人服仕立女工と鍛冶工とを取り出そう。

彼らの著しい対照ぶりは、資本の前で万人が平等であることを実証するのである。

18

1863年6月の最後の週、ロンドンの全ての日刊新聞「単なる過度労働からの死」という「センセーショナル」な見出しをつけた一文を掲載した。

話題になったのは、非常に声望のある宮廷用婦人服仕立所で仕事をしていて、エリーズという感じの良い名前の婦人に搾取されていたメアリー・アン・ウォークリーという20歳の婦人服仕立女工の死亡のことであった。

しばしば語られた古い物語が、今また新たに發見されたのであって88、これらの娘たちは平均して16時間半、しかし社交季節にはしばしば30時間も休みなしに労働し「労働力」がおのうように動かなくなると、時折シェリー酒やポートワインやコーヒーを与えて動くようにしておくというのである。

F・エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』、253、254ページ〔邦譯『全集』、第二巻、443−446ページ〕参照

ところで、時はまさに社交季節の最中であった。

新たに輸入されたイギリス皇太子妃〔のちのエドワード七世に1863年に嫁いだデンマーク王女アレクサンドラ〕の祝賀舞踏会用の貴婦人たちの豪華なドレスをあっという間に仕上げるという魔法が必要であった。

メアリー・アン・ウォークリーは、他の60人の娘たちと一緒に、必要な空気容積のほとんどほとんど1/3もない一室で30人づつとなって、26時間半休みなく労働し、他方、夜は、一つの寝室をさまざまな板の仕切りで仕切った息詰まる穴の一つ中で、一つのベッドに二人づつで寝た89

"衛生局”に勤務している医師レサビー氏は、当時次のように言明している——

ロンドンのある病院の医長リチャードスン博士は次のように述べている——

しかもこれは、ロンドンの婦人服仕立屋の中では比較的良いほうであった。

メアリー・アン・ウォークリーは金曜日に病気になり、エリーズ夫人の驚いたことには、その前に縫かけの婦人服の最後の仕上げさえもせずに、日曜日に死んだ。

あまりにも遅く死の床に呼ばれた医師キーズ氏は、「”検屍官審問陪審”」で、率直に証言した——「メアリー・アン・ウォークリーは過密な作業室における長時間労働と、狭すぎる換気不良の寝室とのために死んだ」と。

これに対して、「”検屍官審問陪審”」は、この医師に礼儀作法について教えをたれるために、〔評決の中で〕次のように言明した——「死亡者は脳卒中で死んだのであるが、彼女の死が過密な作業場における過度労働によって早められたものと懸念される理由がある。

わが「白人奴隷は」と自由貿易主義者諸公コブデンおよびブライトの機関紙『モーニング・スター』は叫んだ、「わが白人奴隷は墓場に入りゆくまで苦役させられ、音もなく萎え果てて死にゆく 90」と。

『モーニング・スター』、1863年6月23日付。

『タイムズ』紙は、ブライトらに反対してアメリカの奴隷所有者を弁護するためにこの事件を利用した。

それは次のように言う——

同じやり方でトーリー等の機関紙『スタンダード』は、ニューマン・ホール師*1を次のように罵倒している——

最後にトマス・カーライル氏がご託宣を並べたが、彼については私はすでに1850年に「天才はだめになり、崇拝が残っている」と書いた*2

彼は、一つの短いたとえ話の中で、現代史の唯一の大事件であるアメリカの南北戦争が、つまるところは、次のようなことだとしている——すなわち、北部のピーターは南部のポールの頭蓋を全力を込めて打ち砕こうと欲しているのであるが、その理由は、北部のピーターがその労働者を「日極め」で雇っているのに、南部のポールがそれを「一生涯雇っている」からだというのである(「くるみの殻ののなかのアメリカのイリアス*3 」、『マクミランズ・マガジン』、1863年8月号〔301ページ〕。

こうして、都市の——農村のでは断じてない——賃労働者に對するトーリー党の同情の気泡はついにはじけ散ってしまった。

この同情の核心は——すなわち奴隷制である!

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第四節 昼間労働と夜間労働、交替制

イギリス政府は、1833年に工場法を制定(ただし繊維産業に限る)。

この制定においては、児童労働の労働時間制限を設けた。

また法案の実行力を確保するために監察官も設けた。

1844年、1847年、1867年、1874年にわたって労働日・時間の短縮と少年婦人労働の制限などを柱に、下記のとおり改正された。

1867年、、軍需産業であった鉱工業への工場法の適用時の実態について「本節」は書かれていると思われる。

1
1

不変資本である生産諸手段は、価値増殖過程の立場から考察すれば、労働を──そして一滴一滴の労働とともに剰余労働のある比率的分量を──吸収するためにのみ定在する。

生産諸手段が剰余労働の吸収を行わない限り、その単なる実存は資本家にとって消極的損失である。

というのは、それらが使用されないでいる時間中は、それらは無用な資本前貸しを表しているからである。

そして、この使用中断によって仕事の再開のために追加支出が必要となるやいなや、この損失は積極的なものとなる。

自然日の限界を超えて労働日を夜間まで延長することは、単に緩和剤の作用をするだけであり、労働という生き血を求める吸血鬼の飢えを、ただある程度しずめるだけである。

それゆえ、一日の24時間全部にわたって労働を我が物とすることが、資本主義的生産の内在的衝動なのである。

しかし、同じ労働力が昼夜連続的に搾り取られるなどということは肉体的に不可能であるから、この肉体的障害を克服するために、昼間食い尽くされる労働力と夜間に食い尽くされる労働力との個体が必要になる。

この交替には様々な方法がありうるのであって、たとえば労働人員の一部がある週には日勤につき、次の週には夜勤につくというように編成されうるのである。

周知のように、この交替制は、この輪番制は、イギリス綿業などの血気盛んな少壮期に支配的に行われていたのであり、とりわけ現在では、モスクワ県の綿紡績工場そにおいてさかんに行われている。

この24時間の生産過程は、大ブリテンの今もって「自由」な多くの産業諸部門、とりわけイングランド、ウェイルズ、およびスコットランドの溶鉱炉、鍛冶工場、圧延工場その他の冶金工場において、今日もなお制度として実存している。

労働過程は、ここでは、六平日労働日の毎日の24時間以外に、たいていの場合、日曜日の24時間をも含んでいる。

労働者は男子と女子、すなわち男女の成人と児童たちとからなっている。

児童及び年少者たちの年齢は、8歳から(若干の場合には6歳から)18歳にいたるまでのあらゆる昼間の年齢層にわたっている92

『児童労働調査委員会、第三次報告書』、ロンドン、1864年、Ⅳ、Ⅴ、Ⅵページ。

若干の部門では、また、未婚および既婚の女子たちが男子従業員と一緒に夜業をしている93

2

夜間労働の一般的な有害な影響を度外視しても94、生産過程が、休みなしに24時間継続することは、名目的労働日の限界を踏み越えるための絶好の機会を与える。

児童を夜間労働に使用しているある製鋼業者は述べた──

身体の維持と發達にとって太陽光線のもつ重要性について、一医師はとりわけ次のように述べている──

この一文は、ウスター「”総合病院”」の医長W・ストレインジ氏の「健康」についての著書(1864年)〔『七つの健康のもと 』、ロンドン、84ページ〕から引用したものであるが。氏は調査委員の一人であるホワイト氏宛の手紙の中で、次のように書いている──

そもそも、このようなことがまじめな論争の対象となるということが、資本主義的生産が資本家とその”家来たち”との「脳機能」にどのように作用するものであるかを、もっともよく示している。

たとえば、今述べた極めて骨の折れる産業諸部門においては、その労働者にとっても公認の労働日は、夜間でも昼間でも、たいてい12時間である。

しかし、この限界を超える過度労働は、イギリスの公式報告書の言葉を借りれば、多くの場合、「真に恐るべき95」とまったく同様に、貨幣の本性について無知であったからこそ提出されえたものである。

同前、第57号、ⅩⅡページ。

報告書は次のように言う──

同前(『第四次報告書』、1865年)、第58号、ⅩⅡページ。

3

同前。

4

ジョージ・アリンズワース、9歳は言う──

同前、ⅩⅢページ。

これらの「労働力」の教育程度は、当然のことながら、調査委員の一人との次のような会話に現われているようなものであるに違いない!

ジェリマイア・ヘインズ、12歳──

ウィリアム・ターナー、12歳──

ジョン・モリス、14歳──

ウィリアム・スミス、15歳──

エドワード・テイラー、15歳──

ヘンリー・マシューマン、17歳──

上述の冶金工場で行われているのと同じ制度は、ガラス工場や製紙工場においても支配的に行われている。

紙が機械で製造される製紙工場では、ぼろ布選別の工程以外のあらゆる工程にとって、夜間労働が通例となっている。

若干の場合、夜間労働が、交替制によって休みなしに1週間ぶっ通しで続けられる。

普通は日曜日の夜から次の土曜日の夜12時まで行われる。

昼組の者は、週に5日間は12時間、1日には18時間労働し、夜組の者は、週に5晩は12時間、一晩は6時間労働する。

他の場合には、各組が1日おきに連続して24時間労働する。

そのうちの一組は、この24時間という数を満たすために、月曜日に6時間、土曜日に18時間労働する。

他の場合には中間的な制度が採用されていて、そこでは、製紙機械につけられているすべての者が、1週間に毎日15-16時間労働する。

調査委員ロードが言うところでは、この制度は12時間交替制と24時間交替制とのあらゆる弊害を結合しているように思われる。

13歳未満の児童、18歳未満の年少者、および婦人達がこの夜勤制度のもとで労働している。

12時間交替制において、彼らは交代要員の欠員のために、ときどき2交替分の24時間、労働しなければならなかった。

証言が明らかにしているところでは、少年や少女たちが非常にしばしば超過時間労働をしており、それが24時間はおろか、36時間という休みのない労働にまで延長されることもまれではない。

艶出し作業場の「連続的で単調な」過程では、「食事のため2回か、せいぜい3回30分づつ休む以外になんらの規則的な休養や休止もなく」、12歳の少女たちがまる1か月間にわたって毎日14時間労働しているのが見出される。

正規の夜間労働が完全に廃止されている若干の工場においては、恐ろしいまでに多くの超過時間労働が行われており、しかも「これは、しばしば、もっとも不潔な、最も暑い、もっとも単調な諸工程においてなのである」(『児童労働調査委員会、第4次報告書』、1865年、ⅩⅩⅩⅤⅢページ、およびⅩⅩⅩⅠⅩページ)。

2
5

さて、我々は、資本自身がこの24時間制度をどう解しているかを聞くことにしよう。

資本は、もちろん、この制度の度を過ぎたやり方、「残酷で信じがたいほどの」労働日の延長を生み出すこの制度の濫用を黙過する。

資本が語るのは、「正常な」形態にあるこの制度のことだけである。

6

製鋼工場主であるネイラーおよびヴィッカーズ両氏は、600人ないし700人の人員を使っており、そのうちわずか10%が18歳未満であり、このうちさらに20人の少年だけが夜間要員であるが、彼ら工場主たちは次のように言っている──

7

ジョン・ブラウン会社は、製鋼・製鉄工場で、3000人の大人と少年を使用しており、しかも製鋼・製鉄重労働の〔一〕部に「昼夜交替制」を採用しているのであるが、この会社のJ・エリス氏は、重労働の製鋼工場では、二人の大人に対して一人ないし二人の少年が使われていると言明している。

この工場には18歳未満の少年が500人おり、このうちの約1/3、すなわち170人が13歳未満である。

提出された改正法案について、エリス氏は次のような意見を述べている──

8

キャメル会社の「サイクロップス製鋼・製鉄工場」は、上記のジョン・ブラウン会社の工場と同じほどに大規模に経営されている。

その専務取締役は、政府委員ホワイトに自分の証言を文書にして手渡したが、その後、修正のため手元に返却された原稿を隠匿するのが適当であると考えた。

だがホワイト氏は記憶力がよい。

彼がまったく正確に思い出すところによれば、これらのサイクロップス的〔巨人キュクロープス的〕諸氏たちにとっては、児童および年少者たちの夜間労働の禁止は「不可能なことであり、それは彼らの工場を停止させるのに等しいであろう」とのことであるが、そうは言っても、彼らの事業では18歳未満の少年は6%強そこそこであり、13歳未満の者はわずか1%にすぎないのである!と101

同前、第82号、ⅩⅦページ。

9

同じ事がらについて、アタクリフにある製鋼・圧延・鍛鉄工場であるサンダースン兄弟会社のE・F・サンダースン氏は、次のように説明している──

サンダースン氏は、彼が児童たちにいくら支払っているかを知らないのであるが、しかし、

では、なぜ果たされないのか?

そうした制限をすることによって、一週間おきに、あるときは昼間、あるときは夜間に労働する大人たちは、その時間の間*1自分の組の少年たちから引き離され、彼らが少年たちから引き出す利益の半分を失うからである。

すなわち、彼らが少年たちに施す訓練は、これら少年たちの労賃の一部とみなされるのであり、そのため大人たちは、少年労働をより安く手に入れることができる。

どの大人も彼の利益の半分を失うであろう」。

言い換えれば、サンダースン会社は、成年男子たちの労賃の一部を、少年たちの夜間労働で支払う代わりに、自分のポケットから支払わねければならないであろう。

この機会にサンダースン会社の利潤はいくらか減少するであろうし、そしてこれこそ、なぜ少年たちが昼間彼らの手職を覚えるわけにはいかないかということへのサンダースン会社もっともな理由なのである102

そのうえ、このことにより、現在、少年たちが代わりをしている大人たちに正規の夜間労働が背負わされるであろうし、彼らはこれに耐えられないであろう。

要するに、諸困難は極めて大きいので、そのためおそらく夜間労働はまったく廃止されることになろう。

しかし、サンダースン会社は、鋼をつくる以上のことをしなければならない。

鋼づくりは金儲けの単なる口実に過ぎない。

溶鉱炉、圧延工場など、建物、機械、鉄、石炭などは、自ら鋼に転化することよりも、より以上のことをしなければならない。

それらは剰余労働を吸収するために定在するのであり、そしてもちろん24時間でのほうが12時間でよりもより多く吸収する。

それらは、事実、神と法との定めによって、一日まる24時間にわたる一定数の工員たちの労働時間を取得する権利証書をサンダースン会社に与えるのであり、そして労働を吸収する機能が中断されるや否や、それらは資本の性格を失い、それゆえサンダースン会社にとってまったくの損失なのである。

しかし、他の資本家たちが、昼間だけしか労働をさせることを許されず、それゆえその建物、機械、原料が夜には「遊んで」いるのに、なぜこのサンダースン会社に限って特権を要求するのか?

「確かに」──とE・F・サンダースンはサンダースン全社の名において答える──

第五節 標準労働日獲得のための闘争。14世紀中葉から17世紀末までの労働日延長のための強制法
1
1

「労働日とは何か?」労働日の日価値を支払って資本がそれを消費してよい時間の大きさはどれほどか?

労働日は、労働力そのものを再生産するのに必要な時間を超えてどれほど延長されうるか?

これらの質問に対して、上述したように資本は答える。

労働日とは、毎日のまる24時間から労働力が新たな役に立つために絶対欠かせないわずかばかりの休息時間を差し引いたものである、と。

まず、自明のことであるが、労働者は彼の生活の一日全体を通じて労働力以外の何物でもなく、それゆえ、彼が自由にし得る時間は、すべて本性上も法律上も労働時間であり、したがって資本の自己増殖のためのものである。

人間的教養のための、精神的發達のための、社会的役割を遂行するための、社会的交流のための、憎艇的・精神的生命力の自由な活動のための時間は、日曜日の安息時間でさえもが──そして安息日厳守の国であろうとも104──まったく馬鹿げたことなのである!

たとえば、イギリスにおいては、今でもなお農村で、労働者が自宅の前の小さな菜園で労働して安息日を冒とくしたというかどで、禁固刑の判決を下されることがときどきある。

その同じ労働者が、たとえ宗教的な気まぐれからであろうと、金属工場、製紙工場、またはガラス工場を日曜日に欠勤すれば、契約違反のかどで処罰される。

正統派信仰を奉ずる議会も、安息日の冒瀆が資本の「価値増殖過程」で起こっている場合には、それには耳を塞いぐ。

ロンドンの魚屋および鳥肉屋の日雇い労働者たちが日曜労働の廃止を要求したある陳情書(1863年8月)では、彼らの労働は、週のシア所の6日には平均して1日に15時間働き、日曜日には8時間ないし10時間続くと述べられている。

同時に、この陳情書からは、エクスター・ホール*1の貴族的な偽信心家たちの気難しい食い道楽が、とくにこの「日曜労働」を奨励するとうことも推測される。

実に熱心に「自分たちの身体のことに気を配る*2」これらの「聖者たち」は、第三者たちの過度労働、欠乏、および飢餓を耐え忍ぶ忍従の精神によって、自分たちがキリスト教徒であることを証明している。

”胃の腑に従うことは、彼ら(労働者)の場合には実によくないことになる*3”。

しかし、資本は、剰余労働を求めるその無制限な盲目的衝動、その人狼的渇望の中で、労働日の精神的な最大限度のみではなく、その純粋に肉体的な最大限度をも突破していく。

資本は、身体の成長、發達、および健康維持のための時間を強奪する。

それは、外気と日光に当たるために必要な時間を略奪する。

それは食事時間を削り取り、できれば食事時間を生産過程そのものに合体させようとし、その結果、ボイラーに石炭が、機械に油があてがわれるのと同じように、食物が単なる生産手段としての労働者にあてがわれる。

それは、生命力の蓄積、更新、活気回復のための熟睡を、まったく消耗し切った有機体の蘇生のためになくてはならない程度の無感覚状態の時間に切りつめる。

この場合、労働力の正常な維持が労働日の限度を規定するのではなく、逆に労働力の最大可能な日々の支出が──たとえそれがいかに病的で強制的で苦痛であろうと──労働者の休息時間の限度を規定する。

資本は労働者の寿命を問題にはしない。

それが関心をもつのは、ただ一つ、一労働日中に流動化させられうる労働力の最大限のみである。

資本は、労働力の寿命を短縮することによってこの目的を達成するのであって、それは、貪欲な農場経営者が土地の豊度の略奪によって収穫を増大させるのと同じである。

2

したがって、本質的に剰余価値の生産であり剰余労働の吸収である資本主義的生産は、労働日の延長によって、人間的労働力の正常な精神的および肉体的發達と活動との諸条件を奪い去るような人間的労働力の萎縮を生み出すだけではない。

それは労働力そのもののあまりにも早い消耗と死亡とを生み出す105

それは、労働者の生存時間を短縮することによって、ある与えられた諸期限内における労働者の生産時間を延長する。

3

しかし、労働力の価値は、労働者の再生産または労働者階級の繁殖に必要な諸商品の価値を含む。

したがって、資本が自己増殖をめざす無制限な衝動の中で必然的に追求する労働日の反自然的延長が、ここの労働者の生存期間、したがって彼らの労働力の持続期間を短縮するならば、消耗した労働力のより急速な補填が必要になり、したがって、労働力の再生産により大きな消耗費を計上する必要があるのであって、それはちょうど、ある機械がより早く磨滅すればするほど、日々再生産されなければならぬ機械の価値部分がそれだけ大きくなるのと同じである。

それゆえ、資本はそれ自身の利害によって一つの標準労働日を指向させられているかのように見える。

2
アメリカ黒人奴隷
4

奴隷所有者は、自分の馬を買うのと同じように自分の労働者を買う。

彼は奴隷を失うことによって資本を失うのであり、この資本は新たな支出によって奴隷市場で補填されなければならない。

しかし、

5

名前を変えれば、これはみなおまえのことを言っているのだぞ*1

奴隷貿易を労働市場に置き換え、ケンタッキーおよびヴァージニアをアイルランドならびにイングランド、スコットランド、およびウェイルズの農業地方に置き換え、アフリカをドイツに置き換えて読んでみたまえ。

我々は、過度労働がロンドンの製パン職人をいかに一掃しているかをすでに聞いているのであるが、それでもなお、ロンドンの労働市場は製パン職人に職を求めるドイツ人その他の命がけの志願者で超満員である。

上述のように、製陶業はもっとも短命な産業部門の一つである。

だからといって製陶工は不足していいるであろうか?

近代的製陶法の發明者であり、自分自身普通の労働者の出身であるジョウサイア・ウェッジウッドは、1758年に下院で、この製造業全体に働いているのは1万5千人ないし2万人であると言明した107

ジョン・ウォード『・・・ストウク・アポン・トレント市の歴史』、ロンドン、1843年、42ページ。

1861年には、大ブリテンの諸都市におけるこの産業の中心部の人口だけで10万1302人にのぼった。

もちろん、個々の情熱的な活況の時期には、労働市場は由々しい欠乏を示した。

たとえば、1834年がそうであった。

しかし、そのとき、工場主諸氏は、農業地方の「過剰人口」を北部へ送ることを救貧法委員たちに提案し、「工場主たちはこれを吸収し消費するであろう109」と説明した。

これが、彼らの本音であった。

『ベリー・ガーディアン』紙は、英仏通商協定の締結*2後は、1万人の追加の人手が吸収されうるであろうし、やがてさらに3万人か4万人の人手が必要となるであろうと嘆いた。

人肉取引の周旋人と下請周旋人が1860年に農業地方をあさり回ってほとんど成果を上げられなかったが、その後、「一人の工場主代表が、救貧局長のヴィラーズ氏に対し、救貧院労役場から貧児と孤児とを供給することをふたたび許可されたいと請願した110」。

同前。ヴィラージは、その気は十分あったとしても、「法律上」工場主たちの懇願を拒否しなければならない立場にあった。

とはいえ、工場主諸氏たちは、地方の救貧当局の厚意によって彼らの目的を達した。

工場監督官A・レッドグレイヴ氏は、こう確言した。

すなわち、今回は、孤児や需給貧民の子供たちを「法律上」徒弟とみなす制度*4は、「昔の弊害」——(この「弊害」については、エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』〔邦譯『全集』、第二巻〕参照)——「をともなってはいなかった」。

確かにかつては「娘や若い婦人たちがスコットランドの農業地方からランカシャーとチェシャーに連れてこられた件について、この制度の濫用が行われたことがあるにはあった」と。

この「制度」では、工場主は救貧院当局と一定期間にわたって契約を結ぶ。

彼は、児童たちに衣食住を支給し、わずかな手当を貨幣で与える。

レッドグレイヴ氏の以下の言葉は奇妙な言葉に聞こえるのであって、ことに次のことを考慮するとそうである。

すなわち、イギリス綿工場の繁栄の諸年のうちでさえ1860年には比類のない年であり、その上労賃は高かった。

なぜなら、異常な労働需要が、アイルランドの人口減少とぶつかったからであり、イングランドおよびスコットランドの農業地方からのオーストラリアとアメリカへの前例のない移民とぶつかったからであり、イングランドのいくつかの農業地方における人口の明確な減少——これは一部にはついに生命力の破壊が行われた結果であり、また一部には自由に処分しうる人口が人肉取引業者多tによってすでに汲み尽くされた結果である——とぶつかったからである。

それにもかかわらず、レッドグレイ氏はこう言う。

工場主が、50人または100人の少年を一緒に住まわせ、一緒に食事を支給し、一緒に監督してもできないのに、どうして労働者自身が自分の子供たちにその4シリングの労賃でこれら全てのことをしてやれるのかを、レッドグレイヴ氏は言い忘れておいでなのである。

本文から誤った結論が引き出されないようにするために、私はここでなお次のことを述べておかねばならない。

すなわち、イギリスの模範作業と見做されなければならない、と。

イギリスの綿業労働者は、どの點から見ても、大陸における同じ運命の仲間よりもより良い立場にある。

上記の工場監督官レッドグレイヴは、1851年の産業博覧会の後、大陸、ことにフランスとプロイセンを旅行し、そこの工場事情を調査した。

彼は、プロイセンの工場労働者について次のように言っている。 「彼が受け取るのは、簡単な食事と僅かな楽しみごとを手に入れるのに足りるだけの賃金であり、彼はそれに慣れ満足している。・・・彼は、イギリスの競争者よりも悪い暮らしし、過酷な労働している」と(『工場監督官報告書。1853年10月31日』、85ページ)。

6

経験が資本家一般に示すものは、絶えざる過剰人口、すなわち資本の当面の増殖欲に比較しての過剰人口である——とはいえ、この過剰人口の流れは、發育不完全な、短命な、急速に交替する、いわば未熟のうちに摘み取られる代々の人間から形成されているのではあるが111

もちろん、経験は、他面では、歴史的に言えばやっと昨日始まったばかりの資本主義的生産が、いかに急速にかつ深く人民の力の生命源を侵してしまったか、産業人口の退化が、もっぱら農村から絶えず自然發生的な生命要素を吸収することによっていかに緩慢にされるか、また農村労働者さえも、自由な空気に恵まれる、彼らの間で実に全能の力を持って支配している”自然淘汰の原理”により最強個体の身が成長させられているにもかかわらず、すでにいかに衰弱し始めているか、を賢明な観察者に示している112)。

『公衆衛生、枢密院医務官第六次報告書。1863年』、1864年、ロンドンで公刊、を見よ。

この報告書は、とくに農業労働者を扱っている。

実際、彼らは、グラスゴウがその”路地と小路”で売春婦や泥棒たちと雑魚寝させている3万人の「”勇敢なスコットランド高地人”」に似ている。

自分を取り巻いている労働者世代の苦悩を否認する実に「十分な理由」を持つ資本は、その実際の運動において、人類の将来の退化や結局は食い止めることのできない人口の減少という予想によっては少しも左右されないのであって、それは地球が太陽に墜落するかもしれないということによって少しも左右されないのと同じことである。

どんな、株式思惑においても、いつかは雷が落ちるに違いないというのは誰でも知っているが、自分自身が黄金の雨受け集め安全な場所に運んだあとで、隣人の頭に雷が命中することを誰もが望むのである。

”大洪水よ、我が亡きあとに来たれ!*1”これがすべての資本家およびすべての資本家国家のスローガンである。

それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命に対し、なんらの顧慮も払わない113

肉体的、精神的萎縮、早死、過度労働の拷問に関する苦情に答えて資本は言う──われらが楽しみ(利潤)を増すがゆえに、われら、かの艱苦 かんく に悩むべきなのか(*2?と。

しかし、全体として見れば、このこともまた、個々の資本家の善意または悪意に依存するものではない。

自由競争は、資本主義的生産の内在的な諸法則を、個々の資本家に対して外的な強制法則として通用させるのである114

それゆえ、たとえば我々は、1863年の初めに、スタッフォードシャーに広大な製陶工場をもつ26の商会──それにはJ・ウェッジウッド父子会社も含まれる──が、ある陳情書の中で「国家の強制的介入」を請願しているのを見出すのである。「他の資本家たちのとの競争」は、自分たちが児童の労働時間を「自發的に」制限することなどを許さない。

注114への追加〔第二版での〕。

つい最近の出来事が、はるかに顕著な実例を提供した。

熱病的な好況の時期に、綿花価格の高騰をきっかけとして、ブラックバーンの綿織布工場の所有者たちが、相互協定により彼らの工場の労働時間を一定期間にわたって短縮するにいたった。

この期間は、11月末ごろ(1871年)に満了した。

その間に、紡績と織布とを兼営しているより富裕な工場主たちは、かの協定によって引き起こされた生産の減少を利用し、彼ら自身の事業を拡張し、小親方たちの犠牲で大儲けした。

そこで、小親方たちは、窮地に陥り──工場労働者に訴え、9時間運動を真剣に進めるよう呼びかけ、この目的のために寄付金を出すと約束した!

7

標準労働日の確率は、資本家と労働者の間の数世紀にわたる闘争の成果である。

しかし、この闘争の歴史は二つの対立する流れを示している。

たとえば、我々の時代のイギリスの工場立法を、14世紀から18世紀中葉すぎにいたるまでのイギリスの労働者規制法115と比較されたい。

この労働者規制法は、同じころにフランスやオランダなどでも見出されるのであるが、イギリスにおいてそれは、生産諸關係によってそれらがずっと前に無効にされてしまったあと、1813年にようやく正式に廃止された。

現代の工場法は労働日を強制的に短縮するのに対して、これら諸法はそれを強制的に延長しようとする。

確かに、資本が萌芽状態にあり、資本がやっと生成されたばかりで、したがってまだ単なる経済的諸關係の強力だけによってではなく、国家権力の助けをも借りて十分な分量の剰余労働を吸収する権利を確保するような場合、この資本の諸要求は、資本がその成年期に不平を言いつつ不承不承に行われなければならない譲歩の数々と比べてみると、まったくつつましいものに見える。

「自由な」労働者が、資本主義的生産様式の發展の結果、彼の習慣的な生活諸手段の価格と引き換えに、彼の活動的な全生活時間を、いな彼の労働能力そのものを売ることを、レンズ豆の煮物と引き換えに彼の長子の特権を譲る〔旧約聖書、創世記、25・31-34〕ことを、自發的に承諾するようになるまでには、すなわち社会的に強制されるようになるまでには、数世紀かかっている。

それゆえ、14世紀中葉から17世紀末まで、資本が、国家権力の助けを借り大人の労働者たちに押しつけようとする労働日の延長が、19世紀の後半に、子供たちの血が資本に転化するのを防ぐために国家がときおり設ける労働時間の制限とほぼ一致するのは当然なのである。

今日、たとえば、最近まで北アメリカ共和国のもっとも自由な州であったマサチューセッツ州において、12歳未満の児童の労働の国家的制限として布告されているものは、イギリスでは、まだ17世紀中葉には、血気さかんな手工業者、たくましい作男、および頑健な鍛冶屋の標準労働日だったのである116

8

最初の「”労働者規制法”」(エドワード三世治下第23年、1349年)は、その直接の口実(その原因ではない。というのは、この種の法律はその口実が無くなっても数世紀にわたって存続するのだから)をペストの大流行*1に見出したのであって、このペストは人口を激減させ、その結果トーリー党のある著述家が言っているように、「労働者たちを手ごろな価格で」(すなわち、あれらの使用者たちに適度な分量の剰余労働を残す価格で)「働かさせることの困難が実際に耐えがたいものとなった117」。

〔J・B・バイルズ〕『自由貿易の詭弁』、第七版、ロンドン、1850年、205ページ〔第9版、253ページ〕。

同じこのトーリー党員は、さらに次のことも認めている──

それゆえ妥当な労賃が、労働日の限界と同じく、強制法の形で命令された*2

ここでは、労働日の限界だけが我々の関心事であるが、それは、1496年(ヘンリー7世治下)の法でも繰り返されている。

その当時、すべての手工業者および農業労働者の3月から9月までの労働日は──これは決して実行されはしなかったが──朝5時から晩の7時と8時の間まで続くものとされた。

しかし、食事時間は、朝食のために1時間、昼食のために1時間半、4時の間食のために半時間であり、したがって、現行の工場法の規定のちょうど2倍であった118

J・ウェイドがこの法令について次のように述べているのは当然である──

冬期には、休み時間は同じで、朝5時から夕暮れまで労働させられるものとされた。

「日賃金あるいは週賃金で雇用されている」すべての労働者に関する1562年のエリザベスの法は、労働日の長さはもとのままにしているが、中休み時間を夏期には2時間半に、冬期には2時間に制限しようとしている。

昼食時間は1時間に限るとされ、「半時間の午睡」は、5月半ばと8月半ばの間に限り許されるものとされる。

欠勤1時間ごとに1ペニー(約8ペニッヒ)が賃金から差し引かれるものとされる。

とはいえ、実際には、事情は労働者にとって法典の規定よりもはるかに有利であった。

経済学の父であり、いわば統計学の創始者であるウィリアム・ペティは、17世紀の最後の3分の1期に公刊した一著作の中で次のように言っている──

アンドルー・ユア博士が、1833年の12時間法案を暗黒時代への後退であると罵ったのはもっともではなかったか?

もちろん、この法に含まれていてペティが言及した諸規定は。「徒弟」にも適用される。

しかし、17世紀の末になってもなお児童労働がどんな状態にあったかは、次の不平からも見てとれる。

すなわち、

これに反して、ドイツは褒められる。

なぜなら、そこでは児童は揺りかご時代から、少なくとも「少しは仕事を仕込まれる120」からである。

『機械工業を奨励する必要に関する一論』、ロンドン、1690年、13ページ。

マコーリーはイギリス史をウィッグ党とブルジョアとの利益になるように偽造したが、彼は、次のように長広舌をふるう。

マコーリーはさらに、「ことのほか博愛心に富む」”商業の友たち”が、17世紀にオランダのある救貧院で4歳の児童が就業させられていたことを「歓喜」して語っていることを、また、「”実行に移された美徳”」のこの実例は、A・スミスの時代にいたるまでマコーリーばりの人道主義者のあらゆる著作の中で、模範とみなされていることを、報じることもできたであろう。

手工業と区別されるマニュファクチュアの發生とともに、ずっと以前からある程度まで農民の間に実存している児童”搾取”の徴候が姿を現わし、農村住民にのしかかるくびきが重くなればなるほど、児童搾取も發展するということは正しい。

資本の傾向はまぎれもなく認められるが、事実そのものは、双生児の出現と同じく、まだ稀なものにすぎない。

それゆえ、それらの事実がとくに注目すべき驚嘆に値することとして、未来を予感する「”商業の友たち”」により、当代および後代のために「歓喜」を込めて記録され、これに見習うよう勧められたのである。

スコットランド生まれのへつらい者で美辞麗句の口達者屋であるかのマコーリーは言う──「今日、耳にするのは退歩だけであり、目にするのは進歩だけである」と。

なんという目、そしてとくになんという耳であろう!

9

18世紀の大部分のあいだ、大工業の時代にいたるまでは、資本はまだ、イギリスで、労働者の週価値を支払うことにより労働者の一週間をまるまる領有することには成功していなかった──とはいえ、農業労働者たちは例外をなしていたのではあるが。

4日間の賃金でまる一週間生活できたからといって、労働者たちにとっては、そのことが残りの二日間をも資本家のために労働しなければならぬ十分な理由になるとは思われなかった。

イギリスの経済学者の一派は、資本のお気に召すようにこのわがままを怒り狂って非難したが、他の一派は労働者たちを擁護した。

我々は、たとえば、ポスルウェイト──その当時、彼の商業事典は、こんにちマカロックおよびマグレガーの類似の諸著作と同じ好評を博した──と、先に引用した『工業および商業にかんする一論』の著者〔ジョン・カニンガム〕との論戦を聞いてみよう121

労働者に對する非難攻撃者のなかでもっとも激怒しているのは、本分で上げた『工業および商業に関する諸考察を含む』、ロンドン、1770年、の匿名の著書である。

それ以前、彼の著書『租税に関する〔諸〕考察』、ロンドン、1765年、の中で既にそうであった。

話にならぬほどひどい統計的おしゃべり屋であるポロウニアス*1・アーサー・ヤングも同じ方向を追っていく。

労働者を擁護するもののうちで抜きんでているのは、『貨幣万能論』、ロンドン、1734年〔浜林・四元譯、東京大学出版会〕、におけるジェイコブ・ヴァンダリント、『食糧の現在の〔高〕価格の諸原因の研究』、ロンドン、1767年、における神学博士サニエル・フォースター師、プライス博士*2、ならびにとくにまた『商工業百科事典』への補遺および『大ブリテンの商業的利益の説明および改善』、第二版、ロンドン、におけるポルスウェイトである。

事実そのものは、他の多くの同時代の著作家たち、とりわけジョウサイア・タッカー*3によって確認されていることがはっきりしている。

10

ポルスウェイトは、とりわけ次のように言う──

11

これに対して、『工業および商業に関する一論』の著者〔カニンガム〕は次のように答える──

『工業および商業にかんする一論』。

彼みずから96ページで、すでに1770年にイギリスの農業労働者たちの「幸福」の中身がどのようなものであったかを語っている。

プロテスタントは、伝統的な休日のほとんど全てを仕事中に転化したことだけですでに、資本の發生史において一つの重要な役割を演じている。

この目的のために、すなわち「怠惰、放埓ほうらつ 、およびロマンチックな自由の夢想を根絶する」ために、同じくまた「救貧税を軽減し、勤勉の精神を助長し、マニュファクチュアにおける労働価格を引き下げるために」、わが資本の忠実なエッカルト*1は、おおやけの事前に頼っているこのような労働者、一言で言えば”受給貧民たち”を「理想的な労役場」に閉じ込めるための特効薬を提案する。

このような労役場は恐怖の家にされなければならない127」。

同前、242,243ページ。

この「恐怖の家」、この「労役の規範」では、「まる12時間があとに残るように、適当な食事時間ををも含めて1日に14時間」労働させられるべきである128

同前〔260ページ〕。「フランス人は」──と彼は言う──「我々の熱狂的な自由の観念をせせら笑っている」(同前、78ページ)。

12

「理想的労役場」、すなわち1770年の恐怖の家では1日に12時間労働!*1

63年後の1833年に、イギリス議会が4つの工場部門で13歳から18歳までの児童たちの労働日をまる12時間に引き下げたときには、イギリス産業の最後の審判の日が始まったかのように思われた!

1852年に、ルイ・ボナパルトが、法定労働日を根底から揺るがすことによってブルジョア的地歩を占めようとしたとき、フランスの労働人民は*2は、異口同音に叫んだ──

チューリヒでは、10歳以上の児童の労働は12時間に制限されている。

アールガウ〔スイス〕では、1862年に、13歳ないし16歳の児童たちの労働は、12時間半から12時間に短縮され、オーストリアでは、1860年に、14歳ないし16歳の児童たちについて、同じく12時間に短縮された130

ベルギーは、労働者の規制に関してもブルジョア的模範国であることを実証している。

ブリュッセル駐在のイギリス全権公使ロード・ハウアード・ディ・ウォールデンは、1862年5月12日付で、”外務省”に次のように報告している──

13

資本の魂が1770年にはまだ夢として描いていた受救貧民のための「恐怖の家」は、数年後に、マニュファクチュア労働者たちそのもののための巨大な「労役場」として出現した。

それは工場と呼ばれた。

そして今度は、理想が現實の前に生色を失った。

第六節 標準労度日獲得のための闘争。法律による労働時間の強制的制限。

1833-1864年のイギリスの工場立法

1
1

資本が労働日をその標準的な最大限まで延長し、次いでこれを超えて12時間という自然日の限界にまで延長する131のに数世紀を要したが、その後今度は、18世紀の最後の3分の1期に大工業が誕生して以来、なだれのように強力で無制限な突進が生じた。

風習と自然、年齢と性、昼と夜とのあらゆる制限が粉砕された。

古い法令では農民流に簡単だった昼と夜の概念でさえも極めて曖昧になったので、1860年になってもなお、イギリスの一判事が、昼とはなんであり夜とはなんであるかを「判決上有効に」説明するために、真にタルムード(学者的な英知を絞らなければならなかった132

『1860年、アントリウム州ベルファスト高等法院ヒラリー開廷期〔1月11日~31日〕の法廷におけるJ・H・オトウェイ氏の判決』を見よ。

資本は飲めや歌えの酒宴をはった。

2

生産の大騒ぎに騙されていた労働者階級が、いくらか正気に戻るや否や、彼らの抵抗が、まずもって大工業の生国であるイギリスで始まった。

とはいえ、30年間は、彼らによって勝ち取られた譲歩は純粋に名目的なものにとどまった。

議会は、1802年から1833年までに五つの労働法を公布したが、しかし極めて狡猾にも、その強制施行や必要な官公吏などのために要する経費としてびた一文も可決しなかった133

それらは死文にとどまった。

『工場監督官報告書。1860年4月30日』、50ページ。

2
1833年の工場法
3

1833年の工場法──綿工場、羊毛工場、亜麻工場、および絹工場を包括する──以後、近代産業によって一つの標準労働日がようやく始まる。

1833年から1864年までのイギリスの工場立法の歴史に以上に、資本の精神をみごとに特徴づけるものはない!

1833年の法律が言明するところによれば、普通の工場労働日は朝5時半に始業し、晩の8時半に就業するものとし、また15時間という時限の制限内では、年少者(すなわち13歳ないし18歳の者)を1日のうちのどんな時間に使用しても、同一の年少者が1日に12時間以上労働しさえしなければ、特別に規定されたある場合を除き、適法であるとされる。

この法の第6条は、「このように労働時間を制限された者には、すべて、毎日少なくとも1時間半の食事時間が与えられるものとする」と規定している。

9歳未満の児童の使用は、のちにふれる例外を除いて禁止され、9歳から13歳までの児童の労働は、1日8時間〔9時間の誤り〕に制限された。

夜間労働、すなわちこの法律によれば晩の8時半から朝の5時半までの労働は、9歳ないし18歳のすべての者について禁止された。

4

立法者たちは、成年労働力を吸収する資本の自由、または彼らの名付ける「労働の自由」を侵害する気は毛頭なかったのであり、彼らは、工場法のこうした身の毛のよだつ結果を防止するために、一つの独自な制度を案出したのであった。

それゆえ、リレー制度(リレーとは、英語でもフランス語でも、別々の駅で郵便馬車の馬を継ぎ替えるという意味である)の名でこの「案」が実施され、その結果、たとえば朝5時半から午後1時半までは9歳ないし13歳の1組の児童が、午後1時から晩の8時半までは別の1組が、継ぎ馬として使われるというふうになった。

5

しかし、過去22年間に公布された児童労働にかんするすべての法律を、工場主諸氏がまったくあつかましく無視したことに報いるため、今度もまた彼らに呈する苦言の丸薬は金色に染めて飲みやすくされた。

議会は、1834年3月1日以後11歳未満の児童が、1835年3月1日以後13歳未満の児童が、8時間以上工場で労働してはならない!と規定した。

「資本」にとってこれほど思いやりのあるこの「自由主義」は、ファレ医師、サー・A・カーライル、サー・B・ブロウディー、サー・C・バル、ガスリー氏など、要するにロンドンのもっとも著名な”内科医たち”と"外科医たち”が、下院における彼らの証言の中で。”遅滞は危険だ!”と明言していただけに、なおのこと称賛に値するものであった。

ファレ医師は、いくらかぶっきらぼうに述べた──

〔『連合王国の作業場および工場における児童労働規制のための法案に関する委員会報告書。証言記録つき。1832年8月8日、下院の命により印刷』、J・R・ファレ医師の証言、598-602ページ。この注に掲げられた英語の原文は、マルクスのドイツ語譯とほぼ同じであるため省略した。〕

あの「改革」議会〔1832年の選挙法改正後の議会〕が、工場主諸氏への思いやりから、なお何年もの間、13歳未満の児童を週72時間の工場労働という地獄に封じ込めておきながら、奴隷解放法〔1833年8月可決〕──これまた自由を一滴一滴と服用させるに過ぎないが──においては反対に、農場主に対してどんな黒人奴隷をも週45時間以上過度労働させることを直ちに禁止したのである!

6

しかし、資本は決して妥協しないで、今度は長年にわたる騒々しい扇動を開始した。

その主たる問題は、児童という名のもとに8時間労働に制限され、かつ一定の就学義務を課されている部類の年齢のことであった。

資本家的な人間学によれば、児童年齢は、10歳またはせいぜい11歳で終わるものであった。

工場法の完全実施の期限、不吉な1836年が迫ってくれば来るほど、工場主暴徒はますます激しく荒れ狂った。

事実、それは政府を縮みあがらせることに成功したのであって、その結果、政府は、1835年に、児童労働の限界を13歳から12歳に引き下げることを提案した。

ところが、”外部からの圧力”が威嚇的に増大した。

下院は勇気を失った。

下院は、13歳の児童を1日に8時間以上資本のジャガノートの車輪のもとに投げ込むことを拒否し、1833年の法は完全に効力を生じた。

それは、1844年6月までそのまま変更されなかった。

7

この法がはじめは部分的に、次いで全面的に工場労働を規制した10年の間、工場監督官たちの公式報告書は、法の実施不可能に関する苦情で満ち溢れている。

すなわち、1833年の法は、朝5時半から晩8時半までの15時間の間なら、任意の時點で各「年少者」および各「児童」に12時間または8時間の労働を始めさせ、中断させ、終わらせることを、同じくまた、異なる者に異なる食事時間を指示することを、資本の主人たちの自由裁量にまかせたので、主人たちはやがて一つの新しい「リレー制度」を見つけ出した。

それによれば、労働者たちは一定の駅々で交代させられるのではなく、次々と別な駅々で絶えず繰り返し新たに継ぎ替えられるのである。

我々は後に、この制度のみごとさに立ち返らなければならないのであるから、これ以上は詳しくは論じない。

しかし、この制度が工場法全体を、単にその精神から見てばかりではなくその文言から見ても無効にしたということだけは一見して明らかである。

個々それぞれの児童とそれぞれの年少者についてこんな複雑な記帳が行われていいては、工場監督官たちは、どのようにして法定の労働時間と法定の食事時間の保証を強制すればよいのか。

やがてふたたび大部分の工場において、以前の残忍な不法が、罰も受けずにさかんに行われていた。

内務大臣とのある会見(1844年)で、工場監督官たちは、新たに案出されたリレー制度の下ではどんな監督も不可能であることを証明した136

『工場監督官報告書。1849年10月31日』、6ページ。

しかし、その間に、情勢はすでにおおいに変化していた。

とくに1838年以来、工場労働者たちは、憲章 チャーター *1を彼らの政治的なスローガンにするとともに、10時間法案を彼らの経済的なスローガンにしていた。

工場主自身のうちでも工場経営を1833年の法に従ってすでに規制していた一部の者は、よりひどいあつかましさか、より幸運な地方的事情にかによって法律違反をなしえた「にせ兄弟たち*2」の不道徳な「競争」に関して陳情書を次々に提出し、議会を圧倒した。

そのうえ、たとえ個々の工場主がいかに以前の強奪欲を欲しいままにしたいと思おうとも、工場主階級の代弁者および政治的指導者たちは、労働者にたちに對する態度と言葉を変えることを命令した。

彼らはすでに穀物法廃止のための戦役を開始しており、勝利のためには労働者たちの援助を必要としていた!

それゆえ彼らは、自由貿易の千年王国のもとでは、パンのかたまりを2倍にする*3だけでなく、10時間法案をも採択すると約束した137

『工場監督官報告書。1848年10月31日』、98ページ。

したがって、1833年の法を真実のものにしようとするだけの処置に対しては、まずますもって反對するわけにはいかなかった。

トーリー党は、彼らのもっとも神聖な利益、すなわち地代をおびやかされたので、ついに博愛家ぶった憤激をあらわにしながら、彼らの敵たちの「非道な術策138」を、怒鳴りつけた。

なお、レナド・ホーナーは、「”非道な術策”」という表現を公式に用いている(『工場監督官報告書。1859年10月31日』、7ページ)。

3
1844年の工場法
8

こうして、1844年6月7日の追加工場法が成立した。

それは、1844年9月10日に施行された。

この法律は、新しい部類の労働者、すなわち18歳以上の婦人たちを被保護者の分類に加えている。

彼女たちは、その労働時間が12時間に制限され、夜間労働が禁止されるなど、あらゆる點で年少者と同等とされた。

したがって、立法は、はじめて成年者たちの労働をも直接かつ公式に監督することを余儀なくされるにいたった。

1844-1845年の工場報告書には、皮肉にも次のように延べられている──

『工場監督官報告書。1844年9月30日』、15ページ。

13歳未満の児童の労働は1日6時間半に、そして一定の諸条件の下では1日7時間に短縮された140

この法は、毎日毎日ではなく1日おきにだけ労働する場合には、児童を10時間使用することを許している。

一般に、この条項は実効のないものにとどまった。

9

この法は、にせ「リレー制度」の濫用をなくすために、とりわけ次のような重要な細則を定めた──

その結果、たとえばAは、朝8時に仕事を始め、Bは10時に始めるとしても、Bの労働日はAのそれと同じ時間に終わらなければならない。

労働日の開始は公的な時計、たとえば最寄りの鉄道時計で示されるものとされ、工場の時計はこれに合わせられなければならない。

午前の労働を12時前に始める児童たちは、午後1時以後に再び使用されてはならない。

したがって、午後組は午前組とは別の児童たちから成り立っていなければならない。

食事のための1時間半は、すべての被保護労働者に同一時限に与えられなければならず、少なくとも1時間は午後3時以前に与えられなければならない。

児童または年少者たちは、少なくとも30分の食事のための休憩なしに、午後1時以前に5時間以上使用されてはならない。

児童、年少者または婦人たちは、どの食事時間中も、なんらかの労働過程が行われている工場の室内にとどまってはならない、など。

10

すでに述べたように、これらのことこまかな諸規定は、労働の期間、限界、休憩を、時計の打つ音に従ってこのように軍隊式に画一的に規制するものであるが、この諸規定は決して議会の幻想の産物ではなかった。

それらは、近代的生産様式の自然諸法則として、諸關係の中からしだいに發展してきたのである。

それらの法則の定式化、公的な承認、および国家による宣言は長期にわたる階級闘争の所産であった。

それらの法則のもっとも手近な結果の一つは、実践の中で成年男子工場労働者の労働日も同じ制限に従わせられた──というのは、大多数の生産過程において、児童、年少者、および婦人たちの共同作業が不可欠であったから──ということである。

それゆえ、一般に、1844-1847年の期間中は、工場立法に従わせられている全ての産業部門において、12時間労働日が一般的かつ画一的に行われていた。

11

とはいえ、工場主たちは、この「進歩」を、それを埋め合わせる「退歩」なしには許さなかった。

工場主たちにけしかけられて、下院は、神と法とによって資本に当然に与えられるべき「工場児童の追加供給」を保証するために、働かせるべき児童の最低年齢を9歳から8歳に引き下げた141

12

1846-1847年は、イギリス経済誌で新紀元を画する年である。

穀物法が撤廃され、綿花その他の原料に對する輸入関税が廃止され、自由貿易が立法の導きの星と宣言された!

要するに、千年王国が始まった。

他方、同じこれらの年にチャーティスト運動と10時間法運動とがその頂點に達した。

これらの運動は、復讐すると息まくトーリー党の中に同盟者を見出した。

ブライトおよびコブデンが先頭に立っている、約束違背の自由貿易軍の

13

1847年6月8日の新工場法は、「年少者」(13歳から18歳)およびすべての婦人の労働日が、1847年7月1日には暫定的に11時間短縮されるが、1848年5月1日には最終的に10時間に制限されるものとすると確定した。

その他の點では、この法は、1833年および1844年の法の修正的な追加でしかなかった。

14

資本は、1848年5月1日におけるこの法の完全実施を妨げるために、前哨戦を企てた。

しかも、労働者たち自身が、経験によってりこうになったと称して、彼ら自身の事業を再び破壊するのを助けるはずであった。

時機は巧妙に選ばれた。

『工場監督官報告書。1848年10月31日』、16ページ。

工場主諸氏は、10%の一般的な賃金引き下げが行われ、そして労働日が最終的に10時間に短縮されるやいなや、その2倍の賃金引下げが行われた143

このように有利に準備された好機の下で、1847年の法の撤廃のための扇動が労働者たちの間で始められた。

そのさい、詐欺、誘惑、および脅迫のどんな手段も用いられないものはなかったが、すべては無駄であった。

半ダースの請願書の中で労働者たちが「この法による彼らの圧迫」を訴えなければならなかった點については、請願者自身が、口頭審問に際して、彼らの署名は強要されたものであることを明言した。

しかし、工場主たちが、自分どおりに労働者たちをしゃべらせることに成功しなかったとき、彼ら自身が、新聞と議会で、労働者たちの名においてますます声高に叫んだ。

彼らは、自分たちの世界改善という気まぐれのために不幸な労働者を無慈悲にも犠牲に供する一種の国民公会委員であるとして工場監督官たちを非難した。

この策略も失敗した。

工場監督官レナド・ホーナーは、自分みずから、また彼の部下の副監督官を通じて、ランカシャーの工場で多くの証人審問を行った。

審問された労働者の約70%の者が10時間に、はるかに少ないパーセンテージの者が11時間に、全くとるに足らない少数の者がもとの12時間に賛成である明言した145

同前、17ページ。

ホーナー氏の管区では、こうして181工場の1万270人の成年男子労働者が審問された。

彼らの供述は、1848年10月に終わる半年間の工場報告書の付録の中に見出される。

これらの証人審問は、他の點でも貴重な資料を提供している。

15

もう一つの「穏便な」策略は、成年男子労働者を12時間ないし15時間労働させ、次いでこの事実をプロレタリアートの心からの願いの最上の表現であると説明することであった。

しかし、またもや「無慈悲な」工場監督官レナド・ホーナーが居合わせた。

たいていの「超過時間労働者」は次のように供述している──「彼らは、もっと少ない労賃で10時間働く方がはるかに好ましいのであるが、彼等にはまったく選択権がない。

彼らのうちの多くの者が失業しており、多くの精紡工が余儀なくただの”糸継ぎ工”として働かされているのであるから、もし彼らがより長い労働時間を拒絶すれば、すぐさま他の者が彼らに取って代わるであろう。

こうして、彼らにとって問題になることは、より長時間働くか、それとも首を切られるかということである146

同前。

「付録」における、レナド・ホーナー自身によって集められた供述、第69、70、71、72、92、93号、および副監督官Aによって集められた供述、第51、52、58、59、62、70号を見よ。

一工場主は、みずから真実のことを打ち明けた。

同前、第265号〔37ページ〕のあとに第14号を見よ。

16

資本の前哨戦は失敗に終わり、10時間法は1848年5月1日發行した。

とはいえ、そうする間にも、 チャーティスト党の大失敗──その指導者が投獄され、その組織は粉砕された──は、すでにイギリス労働者階級の自身を動揺させていた。

その後まもなく、パリの6月蜂起とその血塗られた圧殺*1は、ヨーロッパ大陸においてもイギリスにおいても、支配階級のあらゆる分派──すなわち土地所有者と資本家、オオカミ相場師と小商人、保護貿易主義者と自由貿易主義者、政府と反対党、僧侶と無神論者、若い売春婦と年老いた尼僧──を、財産、宗教、家族、社会を救え!という協働の叫びのもとに糾合した

労働者階級はいたるところで法の保護に外におかれ、破門され、「”容疑者逮捕法*2”」のもとにおかれた。

したがって、工場主諸氏は気がねする必要はなかった。

彼らは、単に10時間法に対してだけでなく、1833年以来労働力の「自由な」吸収をある程度抑制しようとした全立法に対しても公然たる反乱を起こした。

それは、”奴隷制擁護の反乱”〔本譯書、第1巻、45ページの譯注参照〕の縮図であり、恥知らずな仮借なさをもって、恐怖政治的な精力をもって、2年以上にわたって行われたのである。

このどちら〔10時間法反対と全立法反対〕も、反乱資本家は彼の労働者たちの生きた皮〔命〕以外にはなにものも危険にさらすことがなかったので、ますますもって安上がりであった。

17

以下に述べることを理解するためには、1833年、1844年、および1847年の工場法は、そのうちの一つのが他のものを修正しない限り、三つとも法律としての効力をもつということ、それらはいずれも18歳以上の男子労働者の労働日を制限していないということ、さらに、1833年以来、朝の5時半から晩の8時半までの15時間の時限がずっと法律上の「昼間」であったのであり、この範囲内で、はじめは12時間、のちには10時間の年少者および婦人の労働が規定の諸条件のもとで行われるものとされたこと、そうしたことが想起されなければならない。

18

工場主たちはあちらこちらで、彼らが使っていた年少者と婦人労働者の一部、ときには半分を解雇しはじめ、その代わりに、ほとんどなくなっていた夜間労働を成年男子労働者の間に復活させた。

彼らは叫んだ、10時間法のもとではこれ以外に選択の余地はない!147と。

『工場監督官報告書。1484年10月31日』。133,134ページ。

19

第二の措置は、食事のための法定の休憩に関連していた。

工場監督官の言うところを聞こう。

『工場監督官報告書。1848年4月30日』、47ページ。

したがって、工場主諸氏の主張するところによれば、1844年の法の食事時間に関する実に厳密な諸規定は、労働者たちに彼らの工場への出勤以前と工場からの退出以後に、従って自宅において飲食する許可だけを与えたものである!

それに、労働者たちはなぜ朝の9時以前に昼食をとってはならないのか?

ところが、直線弁護士たちは、規定の食事時間を、「実際の労働日の間の中休み中に与えなければならず、かつ朝の9時から晩の7時までの引き続き10時間、中休みなしに仕事をさせることは違法である149」と判定した。

『工場監督官報告書。1484年10月31日』、130ページ。

20

これらの楽しい示威運動ののち、資本は、1844年の法の条文に合致した、すなわち合法的な措置によって、その反逆を開始した。

21

1844年の法は、確かに午前12時より前に就業させられた8歳から13歳の児童たちを昼の1時よりあとに再び就業させることを禁止した。

しかしそれは、午前12時またはその後に労働時間が始まった児童たちの6時間半の労働は規制しなかった!

それゆえ、8歳の児童たちは、午前12時に労働を始めた場合には、12時から1時まで1時間、午後2時から4時まで2時間、晩の5時から8時半まで3時間半、全部合わせて法定の6時間半使用させることができた!

あるいはもっとうまいやり方もできた。

児童たちの使用を晩の8時半までの成年男子労働者の労働に適合させるためには、工場主たちは、午後2時より以前には児童たちになんの仕事も与えなければよいのであって、そうすれば彼らを晩の8時半まで中断せずに工場にとどめおくことができた!

『工場監督官報告書・・・』、同前、142ページ。

労働者と工場監督官たちは、衛生学的および道徳的な理由から抗議した。

しかし、資本は答えて言った──

22

実際、1850年7月26日に下院に提出された統計によれば、あらゆる抗議にもかかわらず、1850年7月15日には257の工場で3742人の児童がこの「慣行」に従わされていた151

『工場監督官報告書。1850年10月31日』、5,6ページ。

それだけではまだこと足りない!

資本のずる賢い目は、1844年の法が、元気回復のための少なくとも30分の休憩なしには午前中の5時間の労働を許していないが、しかし、午前の労働についてはこの種のことは何も規定していないことを發見した。

それゆえ資本は、8歳の働く児童を2時から晩の8時半まで休みなしに苦役させるだけでなく、ひもじくもさせるという楽しみを要求し、かつ、むりやり獲得した!

資本の本性は、その未發展な諸形態においても發展した諸形態においても、変わりはない。

アメリカの南北戦争勃發の直前に奴隷所有者たちの勢力がニューメキシコ準州に押し付けた法典では、次のように述べらている。

労働者は、資本家がその労働力を買った以上は、「その人の(資本家)の貨幣である*2と。

同じ見解は、ローマの貴族たちの間でも行われていた。

彼らが平民の債務者に前貸しした貨幣は、債務者の生活諸手段を通じて、債務者の地と肉とに転化した。

それゆえ、この「血と肉」は「彼ら〔貴族たち〕の貨幣」であった。

十銅板表*3のシャイロック的な法律はここに由来する!

貴族の債権者たちが、ときどきティベル川び向こう岸で、債務者たちの人肉料理を使い祝宴を催したというランゲの仮説*4は、キリスト教の主の晩餐についてのダウマーの仮説*5と同じく、未決定のままにしておこう。

23

とはいえ、児童労働を規制する限りで1844年の法律の条文にこのようにシャイロック的に固執することは、「年少者および婦人たち」の労働を規制する限りで同法に公然と反逆する手立てになるほかはなかった。

思い起こされるのは、「にせリレー制度」の廃止が、あの法律の主要な目的および主要な内容をなしていることである。

工場主たちは、次のような簡単な宣言でもって彼らの反逆を開始した。

すなわち、15時間の工場日を勝手に短く区切って年少者と婦人たちを思うがままに使用することを禁止した1844年の法の諸条項は、

である、と。

『工場監督官報告書。1848年10月31日』、133ページ。

それゆえ、彼らはきわめて平然と、法律の条文を飛び越え、彼らの一存でかつての制度を再び実施するであろうと工場監督官たちに通告した154

とりわけ、博愛家アシュワースがレナド・ホーナー宛に送ったクエーカー臭い手紙の中にそう書いてある(『工場監督官報告書。1849年4月〔30日〕』、4ページ)。

それは、悪い助言に惑わされている労働者たち自身のために、

同前、140ページ。

24

これらすべての言い逃れは、もちろんなんの役にも立たなかった。

工場監督官たちは訴訟を起こした。

しかし、まもなく、工場主たちの請願のもうもうたる砂塵が内務大臣サー・ジョージ・グレイにふりかかったので、彼は、1848年8月5日付の回状の中で、監督官たちの対し、「年少者と婦人たちを10時間以上労働させるためにリレー制度が明白に濫用されているのでない限り、一般に、法律の条文に違反したかどをもって告訴することのない」よう通達した。

これによって、工場監督官J・スチュアトは、15時間の工場日の時限内で、いわゆる交代制度をスコットランド全域で許可し、同地では、まもなく、交代制度が再び元のように盛んになった。

これに反してイングランド〔とウェイルズ〕の工場監督官たちは、大臣は法律を停止する独裁権をもってはいないと宣言し、”奴隷制擁護の”反乱者に對する訴訟手続きを続行した。

25

とはいえ、裁判官たち、すなわち”州治安判事たち157”が、無罪判決をくだしてしまうならば、いくら法定に召喚しても何になったろうか?

これらの「”州治安判事”」、すなわち、W・コベットの名付ける「”偉大な無給者”」は、諸州の名士たちからなる一種の無給治安判事である。

彼らは、事実上、支配階級の領主裁判所を形成している。

これらの法廷においては、工場主諸氏が自分自身を裁判したのである。

一例をあげよう。

『工場監督官報告書。1849年4月30日』、21,22ページ。同様な諸事例については、同前、4,5ページ参照。

もちろん、この法廷の構成がすぐに公然たる法律違反であった159

サー・ジョン・ホブハウスの工場法として知られるウィリアム4世治下第1年および第2年の〔1831年〕の法律の第24号〔第39号の誤り〕、第10条によって、綿紡績工場もしくは織布工場のいかなる所有者も、またはこのような所有者の父、息子、および兄弟も、工場法に関する問題で治安判事として職務を行うことは禁じられている。

『工場監督官報告書。1849年4月30日』〔22ページ〕。

26

勅撰弁護士たちは、1848年の法の工場主的解釈は不条理であると宣言したが、社会救済者たち〔工場主たち〕は考えを変えようとはしなかった。

「私は」──とレナド・ホーナーは報告している──

『工場監督官報告書。1849年4月30日』、5ページ。

すでに1848年12月に、レナド・ホーナーは、このリレー制度のもとではそんな監視制度もきわめて広範なこの過度労働を防止できないと異口同音に言明した65人の工場主29人の工場監督者との名簿をもっていた162

『工場監督官報告書。1849年10月31日』、6ページ。

同じ児童と年少者たちが、あるときは紡績室から織布室などへ、あるときは15時間の間にある工場から他の工場へ移し替えられた163

『工場監督官報告書。1848年10月31日』、95ページ。

この制度をどうして取り締まれようか!

27

しかし、現實的な過度労働をまったく度外視すれば、このいわゆるリレー制度は、資本の幻想から生まれた子なのであって、労働の魅力が資本の魅力に変わった點を除けば、フーリエがその「”各種作業短時間参画*1”」のユーモラスなスケッチをもってしてもそれにはとうてい及ばなかったほどのものであった。

立派な新聞が、「適度な注意と方法とが成し遂げうるもの」の模範として褒めたたえた、かの工場主たちの計画を見られたい。

労働人員は、しばしば12ないし15の部類に分けられ、これらの部類そのものがまたその構成部分を絶えず変えた。

15時間の工場日の時限のあいだに、資本は、あるときは30分、あるときは1時間、労働者を引き寄せてはまた突き放すことによって、彼をあらためて工場に引き入れては、また工場から追い出すようにし、こうしてまる10時間労働が完全に遂行されるまではいつも労働者をつかんで放すことなく、わすかなばらばらの時間ずつ労働者をあちこちに追い立てたのである。

舞台の上でと同じように、同じ人物が、違う幕の違う場面にかわるがわる登場しなければならなかった。

それに、俳優が劇の上演の終わるまでは舞台に属しているのと同じように、労働者たちはいまや、工場への往復時間は勘定に入れずに、15時間のあいだ工場に属した。

こうして、休息時間は強制された怠惰の時間に転化し、それが若い労働者たちを居酒屋へ、若い婦人労働者たちを売春宿へ駆り立てた。

資本家が、労働人員を増加させずに彼の機械を12時間または15時間稼働させるために毎日新しい思いつきを考え出すたびごとに、労働者はときにはあの切れ端の時間で、ときにはこの切れ端の時間で、彼の食事を丸飲みしなければならなかった。

10時間運動の時代には、工場主たちは、労働者のやつらは10時間労働で12時間分の労賃を受け取ることを期待して請願を行っていると叫んだ。

いまや彼らはメダルを裏返しにした。

彼らは、労働力を12時間も15時間も意のままに使って10時間分の労賃を支払ったのである165

『工場監督官報告書。1849年4月30日』、6ページ、ならびに『工場監督官報告書。1848年10月31日』における工場監督官ハウエルおよびソーンダーズによる「”交代制度”」の詳細な説明を見よ。

また、アシュトン*4およびその近辺の僧侶が「”交代制度”」に反対して1849年の春に女王〔ヴォクトリア〕に提出した請願書を見よ。

これがむく犬の正体*2であり、これが10時間法の工場主版であった!

終油の秘蹟*3に満ちた、人類愛にあふれたこの自由貿易論者たちはこそは、自由な穀物輸入が実施される場合には、イギリス産業の諸手段をもってすれば、資本家たちを富ませるのに10時間労働でまったく十分だということを、穀物法反対運動の間のまる10年間、労働者たちの前で1銭1厘にいたるまで計算して見せた当人たちだったのである166

たとえば、『工場問題と10時間法案』、R・H・グレグ著、〔ロンドン〕1837年を参照

28

2年間にわたる資本の反逆は、イギリスの4つの最高裁判所の一つである”財務裁判所*1”の判決によってついに勝利の栄冠を与えられた。

この裁判所は、1850年2月8日に提訴された訴訟事件において、工場主たちは確かに1844年の法の精神に反する行為を行ったが、しかしこの法そのものがこの法を無意味ならしめる若干の文言を含んでいる、と判決した。

F・エンゲルス『イギリスの10時間法案』(私の編集した『新ライン新聞、政治経済評論』、1850年4月号、13ページ〔邦譯『全集』、第7巻、246ページ〕所載)。

同じ「上級」裁判所は、同様に、アメリカの南北戦争中にも、海賊船の武装を禁止する法律を正反対のものにひっくり返してしまうような曖昧な文言を發見した*2

これまでまだ年少者と婦人労働者たちに對するリレー制度の適用をためらっていた多数の工場主も、いまやこれに飛びついた(169)。

4
1850年の工場法
29

しかし、資本のこの外観上の決定的な勝利とともに、ただちに一つの転換が起こった。

労働者たちは、不屈でしかも日々新たな抵抗を行ってきたとはいえ、これまでは受動的であった。

いまや彼らは、ランカシャーとヨークシャーで公然たる威嚇的集会を開いて抗議した。

すなわち、いわゆる10時間法はこのように単なるペテン、議会的なまやかしだったのであり、未だかつて存在したことはないのだ!と。

階級的敵対は前例がないほどの緊張感に達していると、工場監督官たちは政府に切に警告した。

工場主たち自身の一部も次のように不平を鳴らした──

しかも、労働力の平等な搾取は、資本の第一の人権なのである。

30

こうした事態のもとで、工場主たちと労働者たちとの間に妥協が成立し、それが1850年8月5日の追加新工場法の中で議会により承認された。

「年少者および婦人たち」については、労働日は、最初の5日の週日には10時間から10時間半に引き上げられ、土曜日については7時間半に制限された。

労働は、朝の6時から晩の6時までの時限内に行われなければならず169、それには食事時間のための1時間半の休憩が含まれ、この食事時間の休憩は、同時刻に、かつ1844年の法律の諸規定にのっとて与えなければならない、等々。

冬期には、朝の7時から晩の7時までの時限に変えることができる。

これによって、リレー制度にきっぱりと結末がつけられた170

児童労働については、1844年の法律が依然として有効であった。

31

以前と同じように、今度もある部類の工場主たちは、プロレタリア児童に對する特殊な領主権を確保した。

それは絹工場主たちであった。

すでに1833年に、彼らは、「年齢のいかんをを問わず児童を日々10時間酷使する自由が自分たちから奪われるならば、自分たちの工場は停止させられるであろう」と脅迫的にわめきたてた。

13歳以上の児童を十分な人数だけ購入することは、彼らにとって不可能であるというのである。

彼らは、所望の特権をゆすり取った。

この口実は、その後の調査でまっかな嘘であると判明したが171、しかしだからといってそのことは、仕事をするのに椅子の上に乗せてもらわなければならない小さな児童たちの血から、彼らが10年間にわたって毎日10時間ずつ絹を紡ぎ出すことの妨げにはならなかった172

『工場監督官報告書。1844年9月30日』、13ページ。

同前

確かに、1844年の法は、彼らから11歳未満の児童を6時間半以上こき使う「自由」を「奪いはした」が、その代わりに11歳ないし13歳の児童を毎日10時間ずつこき使う特権を彼らに保証し、しかも、他の工場児童については規定されている就業義務制を破棄した。

今度の口実はこうであった。

『工場監督官報告書。1846年10月31日』、20ページ。

南部ロシアにおいて、有角家畜が皮と脂肪のために屠殺されたように、児童たちが軽やかな指のためにことごとく屠殺されるのである。

ついに1850年には、1844年に与えられた特権が絹撚糸部門と絹繰り返し部門とに制限されたが、しかしここでは、「自由」を奪われた資本の損害を補填するために、11歳から13歳の児童の労働時間が10時間から10時間半に引き上げられた。

その口実は、

というものであった。

『工場監督官報告書。1861年10月31日』、26ページ。

政府の医学的調査がその後に証明したところによれば、その逆に、

同前、27ページ。

一般的には、工場法の適用を受けている労働者人口は、肉体的にはおおいに改善されている。

全ての医師の証言がこの點では一致しており、様々な時期における私自身の個人的観察によって、私もそのことを確信している。それにもかかわらず、また乳幼児期における児童の恐るべき死亡率を度外視しても、グリーノウ医師の公式の報告書の示すところでは、工場地域の健康状態は「標準的健康の農業地域」に比べて好ましくない。

証拠として、とくに1861年の彼の報告書から下の表を引用しておく。

工場監督官たちが半年ごとに抗議を繰り返してきたにもかかわらず、この不法は今日にいたるまで続いている176

イギリスの「自由貿易論者」が、いかにしぶしぶと絹製造業のための保護関税を断念したかはご存知のとおりである。

フランスからの輸入を防ぐ保護の代わりに、いまやイギリスの工場児童の無保護が役立っている。

32

1850年の法律は、「年少者および婦人たち」について、朝の5時半から晩の8時半までの15時間の時限を、朝の6時から晩の6時までの時限に変更しただけであった。

したがって、児童たちについては変更はなく、彼らの総労働時間の長さは6時間半を超えてはならなかったとはいえ、この12時限の開始前の半時間と終了後の2時間半は相変わらず彼らを使用することができた。

この法律の審議中に、この変則の恥知らずな濫用に関する一つの統計が、工場監督官によって議会に提出された。

しかし、無駄であった。

その背後には、繁栄の諸年の間に児童たちの手助けを借りて成年男子の労働日をふたたび15時間に吊り上げようとする意図が潜んでいた。

続く3年間の経験によって、このような試みは成年男子労働者のたちの抵抗に突き当たって失敗せざるをえないことが示された177

『工場監督官報告書。1853年4月30日』、30ページ。

それゆえ、1850年の法は、ついに1853年に、「年少者および婦人たちよりも朝早く、晩は遅くまで児童たちを使用すること」の禁止によって補完された。

このとき以来、わずかの例外を除いて、1850年の工場法は、その適用を受ける産業諸部門において、すべての労働者の労働日を規制した178

イギリス綿業の絶頂の年であった1859年と1860年に、若干の工場主たちは、超過時間に對する賃金増額というおとりのえさ によって、成年男子精紡工などに労働日の延長を承諾させようとした。

手動ミュール精紡工たちと自動ミュール精紡機台持工たちは、彼らの使用者への陳情書によってこの試みをやめさせたのであるが、その中ではとりわけ次のように述べられている──

最初の工場法の發布以来、いまや半世紀が流れ去っていた179

この法律の用語が、この法律に違反するための手段となっていることについては、議会報告書『工場規制法』(1859年8月9日)、およびその中にあるレナド・ホーナーの「現在極めて広く行われるにいたっている違法作業を監督官が防止できるように工場法を改正するための諸提案」を参照。

5
工場法の歴史のまとめ
33

立法がその本来の領域の外にはじめて手を出したのは、1845年の「捺染工場法」によってであった。

資本がこの新たな「常軌の逸脱」を受け入れたときに示した不満のほど〔皮肉の反語──喜び〕は、この法の一行一行が余す所なく語っている!

この法は、8歳から13歳の児童および婦人たちの労働日を、朝の6時から晩の10までの16時間に制限しており、食事時間のための法定の休憩はまったくない。

これは、13歳以上の男子労働者を、昼も夜も、意のままにこき使うことを許している180

それは議会の産みそこないである181

34

それにもかかわらず、原則は、すでに、近代的生産様式のもっとも独自な創造物である大工業諸部門における勝利をもって、凱歌を奏していた。

1853-1860年の大工業諸部門の驚くべき發展は、工場労働者の肉体的および精神的再生と手を携えて進み、どんな視力の弱い目にも映った。

労働日の法律による制限と規制とを、半世紀にわたる内乱によって一歩一歩奪い取られた当の工場主たち自身が、〔法律の規制を受ける工場と〕まだ「自由」である搾取領域との対照を自慢げに引き合いに出したほどである182

たとえば、1863年3月24日付『タイムズ』への投書の中でE・ポッター〔マンチェスター商工会議所〕がそうしている。『タイムズ』は彼に、10時間法に對する工場主たちの反逆を想起させている。

「経済学」のパリサイ人〔偽善的独裁者〕たちは、法律による労働日の規制の必然性に對する洞察こそ彼らの「科学」の特徴的な新發見であると宣言した183

とりわけ、トゥックの『物価史』の協力者であり編集者であるW・ニューマーチ氏がそうである。

世論に対していくじのない譲歩をすることが科学的進歩であろうか?

簡単に理解されることであるが、工場実力者たちが不可避的なもに順應し、それにたてつかなくなってから、資本の反抗力は次第に弱まり、同時に他方では、直接には利害關係のない社会階層の中で労働者階級の同盟者の数が増大するとともに彼らの攻撃力が増大した。

1860年以来の比較的速い進歩は、そこから生じた。

35

染色工場と漂白工場184は、1860年にレース工場と靴下工場は1861年に、1850年の工場法の適用を受けた。

1860年に公布された漂白工場および染色工場に関する法は、労働日が、1861年8月1日には暫定的に12時間に引き下げられ、、1862年8月1日は確定的に10時間に、すなわち平日は10時間半、土曜日には7時間半に引き下げられると規定している。

こうして、不吉な年である1862年が来ると、かつての茶番劇が繰り返された。

工場主諸氏は、もう1年だけ年少者および婦人たちの12時間使用を許してもらいたいと議会に請願した。

労働者の名において語るふりをしたのに、その労働者たちそのものによって、このように打ち負かされたので、今度は、資本は法律家の眼鏡の助けを借りて、1860年の法が、「労働者の保護」のための全ての議会の諸法と同じく、意味の曖昧な言い回しで書かれているため、「“つや出し工”」と「”仕上げ工”」をその適用範囲から除外する口実を与えるということを發見した。

つねに資本の忠実な下僕であるイギリスの裁判権は、「”民事訴訟”」裁判所によって、この三百代言的言い抜けを是認した。

「児童労働調査委員会」の第1次報告書(1863年)の結果、すべての土器製造工場(製陶工場だけではない)、マッチ工場、雷管康應、弾薬筒工場、綿ビロード剪毛(”ファスチャン剪毛”)工場、および「仕上げ」〔織物の〕という名称で一括されている多数の工程が同じ運命を分け合った。

1863年には、「屋外漂白業185」および製パン業が独自の法の適用下におかれたのであるが、これによって前者は、とりわけ児童、年少者、および婦人たちの夜間(晩の8時から朝の6時まで)の労働を禁止され、後者は、18歳未満の製パン職人を晩の9時から朝の5時まで使用することを禁止された。

「屋外漂泊者たち」は、夜間に女子をこき使っていないと嘘をつくことによって、「漂白業」に関する1860年の法律の適用をを逃れた。

この嘘は、工場監督官たちによって暴露されたが、それと同時に、議会は、労働者たちの請願によって、「屋外漂白業」とは草の香りのする涼しい仕事だという観念をはぎ取られた。

このお屋外漂白業では、カ氏90度ないし100度〔セ氏約32度ないし38度〕の乾燥室が使われ、その中では主として少女たちが労働している。

「涼み」とは、乾燥室からときおり逃れ出て外気にあたることを指す術語である。

ある医師は、次のように言明している──

工場監督官たちは、ごきげんな「屋外漂泊者たち」から遅ればせながら戦いととられた1863年の>法律について次のように述べている──

農業、鉱山業、輸送業を除いて、イギリスのすべての重要な産業部門から「自由」を奪い取ろうとする上述の委員会のその後の諸提案については、のちに立ち戻ることにする185a

第二版への注。私が本文に述べてあることを書いた1866年以来、ふたたび一つの反動が起こってきている。

第7節 標準労働日獲得のための闘争。イギリスの工場立法が他国におよぼした反作用
1
資本主義的生産の歴史的結論
1

労働が資本のもとへ従属することから生じうる生産様式そのもののあらゆる姿態変化は別として、剰余価値の生産すなわち剰余労働の絞り出しが、資本主義的生産の独特な内容及び目的をなすということを読者は思い出されるであろう。

これまで展開してきた立場では、自立した、それゆえ法律上成年である労働者のみが、商品の売り手として資本家と契約を結ぶということも、読者は思い出されるであろう。

したがって、我々の歴史的素描において、一方で近代的産業が主役を演じ、他方では肉体的および法律的未成年者の労働が主役を演じるとすれば、我々にとっては、前者は労働吸収の特殊な部面としてのみ意義を持ち、後者は労働吸収のとくに顕著な実例としての意義をもっただけである。

とはいえ、これから先の展開を先回りにして述べないでも、単なる歴史的諸事実の連関から、次のような結論が引き出される。

2

第一に──無制限で容赦のない労働日の延長を求める資本の衝動がまずもって満足させられるのは、水力、蒸気力、および機械によって真っ先に変革された諸産業においてであり、綿花、羊毛、亜麻、絹の紡績業および織布業という近代的生産様式のこれらの最初の創造物においてである。

変化した物質的生産様式と、それに照應して変化した生産者たちの社会的諸關係186とは、はじめには〔労働日の長さの〕無制限な逸脱をつくり出し、次にはこれとは反対に、休憩時間を含めた労働日を法律によって制限し、規制し、画一化する社会的な制御を呼び起こす。

それゆえ、この制御は、19世紀の前半中は単に例外的立法としてのみ現れる187

この制御が新たな生産様式の本源的領域を征服し終えた時には、その間に他の多くの生産部門が本来の工場体制をとっていただけではなく、製陶業やガラス製造業などのような多かれ少なかれ時代遅れな経営様式をとっているマニュファクチュア、また製パン業のような古風な手工業、そして最後に釘製造業のような分散したいわゆる家内労働188でさえも、工場とちょうど同じ程度に、ひさしい以前から資本主義的搾取の手に陥っていたことが明らかになった。

このいわゆる家内工業の状態については、「児童労働調査委員会」の最近の報告書の中に極めて豊富な材料が見出される。

それゆえ立法は、しだいにその例外的性格を脱却することを──すなわち、イギリスでのように立法がローマ的決疑論者流にふるまうところでは、労働が行われるどの家屋をも思いのままに工場であると言明することを──余儀なくされた189

3

第二に——孤立した労働者、自分の労働力の「自由な」販売者としての労働者が、資本主義的生産がある一定の成熟段階に達すると抵抗できずに屈服するということは、若干の生産諸様式(*1においては労働日の規制の歴史によって、他の生産諸様式*1においては今なお続いているこの規制をめぐる闘争によって、実に明白に証明される。

それゆえ、標準労働日の創造は、資本家階級と労働者階級との間の、長期にわたる、多かれ少なかれ隠されている内乱の産物なのである。

この闘争は近代産業の範囲内で開始されるのであるから、それは、まずもって、近代産業の祖国であるイギリスで演じられる190

大陸的自由主義の楽園であるベルギーは、この運動の何らの痕跡も示していない。

同国の炭鉱及び金属鉱山においてさえ、労働者たちは、男女を問わず、何時間でも、いつ何時でも、完全な「自由」をもって消費されている。

そこで働いている各1000人あたり、733人が成年男子、88人が女子、135人及び44人が16歳未満のそれぞれ少年おとび少女である。

溶鉱炉などでは、各1000人あたり、668人が成年男子、149人が女子、98人及び85人が16歳未満のそれぞれ少年及び少女である。

ところで、その上、成熟及び未成熟労働力の異常な搾取と引き換えに支払われる労賃は低く、1日平均で男子が2シリング8ペンス、女子が1シリング8ペンス、少年が1シリング2ペンス半である。

しかしまた、そのおかげで、ベルギーは、1863年には1850年に比べて、石炭、鉄などの輸出の数量及び価額をほぼ2倍にした。〔『タイムズ』、1866年12月11日、15、24、27、31日、1867年1月15日付〕

イギリスの工場労働者たちは、単にイギリスの労働者階級ばかりでなく近代的労働者階級一般の戦士であったのであり、同じくまた彼らの理論家たちも資本の理論に最初に挑戦したものである191

今世紀の最初の10年間が過ぎると間もなく、ロバート・オーウェンが、労働日の制限の必要性を理論的に主張しただけでなく、10時間労働日をニュー・ラナークの彼の工場で現實に実施したとき、それは共産主義的空想であると嘲笑された——彼の「生産的労働と児童の教育との結合*3」と全く同じように、また彼によって創設された労働者の協同組合と全く同じように。

こんにちでは、右の第一の空想は工場法となっており、第二の空想は全ての「工場法」において正式の用語として用いられており、第三の空想は、それどころかすでに反動的なペテンの仮面として役立っている。

だからこそ工場哲学者*2ユアは、「労働の完全な自由」のために雄々しく戦う資本を相手にして、イギリスの労働者階級が「工場法という奴隷制」を彼らの旗印にしたのは、拭い難い不名誉であると非難する192

ユア(フランス語譯)『製造業の原理』、パリ、1836年、第2巻、39、40、67、77ページなど。

4

フランスは、イギリスの後ろからびっこを引きながらのろのろとついてくる。

12時間法の誕生193のためには2月革命が必要であったが、その法も、イギリスの原型よりもはるかに欠點の多いものである。それにも関わらず、フランスの革命的方法は、独自の長所をも表している。

「パリ国際統計会議 1855年」の”報告書”では、とりわけ次のように述べられている──

「夜間労働が人間有機体に与える破壊的な影響」のほかに、「薄暗い同じ作業場の中で、男女が夜間入り混じって働くことの破滅的な影響」も強調されている。

それは、全ての作業場及び工場に対して一挙に無差別に労働日の同じ制限を課しているのであるが、これに対してイギリスの立法は、ときにはこの點で、ときにはあの點で、事情の圧力に渋々屈服しており、新たな法律的な紛糾を生み出すおそれが多分にある194

これらの諸法の相異なる諸規定とそこから生じる複雑さとを数え上げた後、ベイカー氏は言う──

しかし、このことによって法律家諸氏に確保されているものは、訴訟だけである。

他方、フランスの法律は、イギリスで児童と未成年者と婦人たちとの名においてのみ闘いととられ、最近になってようやく普遍的権利として要求されているものを、原理として宣言している195

そこで、工場監督官たちも、ついに敢然と次のように言う──

5

北アメリカ合衆国では、奴隷制が共和国の一部を不具にしていた限り、どんな自立的な労働運動も麻痺したままであった。

黒人の労働が〔奴隷労働の〕焼き印を押されているところでは、白人の労働も解放されえない。

しかし、南北戦争の最初の成果は、7マイル長靴*1のような機関車の速さで、大西洋から太平洋まで、ニューイングランドからカリフォルニアまで広がった8時間運動であった。

ボルティモア全国労働者大会*2(1886年8月)は次のように宣言する──

同じ時期(1866年9月はじめ)に、ジュネーヴにおける「国際労働者大会」〔9月3-8日の国際労働者教会の大会〕は、ロンドンの総評議会の提案に基づいて、次のように決議した──

6

こうして、大西洋の両岸で、生産諸關係そのものから本能的に成長した労働運動は、イギリスの工場監督官R・J・ソーンダーズの次の陳述の正しさを裏書きする。

『工場監督官報告書。1848年10月31日』、112ページ。

7

わが労働者は生産過程に入ったときとは違うものとなって、そこから出てくるということを我々は認めなければならない。

市場では、彼は、「労働力」商品の所有者として他の商品所有者たちと相対したのであり、商品所有者が商品所有者と相対したのである。

労働者が自分の労働力を資本家に売るときに結んだ契約は、彼が自分自身を自由に処分するものであることを、いわば白い紙に黒い文字で書き込めた*1ようにはっきりと証明した。

取引が終わった後になって、彼は「なんら自由な行為者ではなかった」こと、彼が自分の労働力を自由に売る時間は、彼がそれを売ることを強制されている時間であること(198)、実際に、彼の吸収者は「一片の筋肉、一本の腱、一滴の血でもなお搾取することができる限り(199)」手放しはしないことが暴露される。

フリードリヒ・エンゲルス「イギリスの10時間法案」、『新ライン新聞、政治経済評論』、1850年4月号、5ページ〔邦譯『全集』、第7巻、239ページ〕。

自分たちを悩ます蛇*2に對する「防衛」のために、労働者たちは結集し、階級として一つの国法を、資本との自由意志的契約によって自分たちとその同族とを売って死と奴隷状態とに陥れることを彼ら自ら阻止する強力な社会的防止手段を、奪取しなければならない200

10時間法案は、それが適用された産業諸部門において、「労働者たちを完全な退化から救い、彼らの肉体的状態を保護」した(『工場監督官報告書。1859年10月31日』、47ページ)。

「譲ることのできない人権*3」の派手な目録に代わって、法律によって制限された労働日というつつましい”大憲章*4”が登場する。

それは「労働者が販売する時間がいつ終わり、彼ら自身のものとなる時間がいつ始まるかをついに明瞭にする201」。

抑えた皮肉ときわめて慎重な表現を用いて、工場監督官たちは、現在の10時間法案は、資本家をも、資本の単なる化身としての彼に固有な生来の野蛮性からある程度開放し、彼に若干の「教養」のための時間を与えたということをほのめかしている。

以前には、

なんとひどく変わったことか!*5

第9章 剰余価値の率と総量 div>
1
1

これまでと同じように、この章でも、労働力の価値、したがって労働日のうち労働力の再生産または維持のために必要な部分は、与えられた不変の大きさとして想定される。

2

このように前提すれば、個々の労働者が一定の時間内に資本家に提供する剰余価値の総量は、剰余価値率と同時に与えられている。

たとえば、必要労働が1日に6時間であって、3シリング=1ターレルの金分量で表されるとすれば、1ターレルは、1個の労働力の日価値、または1個の労働力の購入に前貸しされる資本価値である。

さらに、剰余価値率が100パーセントであるとすれば、この1ターレルの可変資本は、1ターレルの剰余価値総量を生産する。

すなわち労働者は、毎日6時間の剰余労働総量を提供する。

2
第一の法則 「剰余価値の総量 = 労働日の剰余価値 × 労働者総数」
3

ところで、可変資本は、資本家が同時に使用するすべての労働力の総価値を表す貨幣表現である。

したがって、可変資本の価値は、1個の労働力の平均価値に使用労働力の総数を掛けたものに等しい。

したがって、労働力の価値が与えられているならば、日々100個の労働諸力を搾取するためには100ターレルの、n個の労働諸力を搾取するためにはnターレルの、資本が前貸しされなければならない。

4

同様に、1個の労働力の日価値である1ターレルの可変資本が日々1ターレルの剰余価値を、nターレルの可変資本は日々1ターレルのn倍の剰余価値を、生産するとすれば、100ターレルの可変資本は日々100ターレルの剰余価値を、nターレルの可変資本は日々1ターレルのn倍の剰余価値を、生産する。

したがって、生産される剰余価値の総量は、個々の労働者の労働日が提供する剰余価値に使用労働者の総数を掛けたものに等しい。

しかし、さらに、個々の労働者が生産する剰余価値の総量は、労働日の価値が与えられているならば、剰余価値率によって規定されているのであるから、このことから次のような第一の法則が出てくる──

5

したがって、剰余価値の総量をM、個々の労働者により1日に提供される平均剰余価値をm、個々の労働力の購入に日々前貸しされる可変資本をv、可変資本の総量をV、1個の冷え金労働力の価値をk、それの搾取度を a'/a(剰余労働/必要労働)、使用労働者の総数をn、とすれば、次のようになる──

一個の平均労働力の価値が不変であるということだけでなく、一人の資本家によって使用される労働者たちが平均労働者に還元されているということもまた、引き続き想定されている。

生産される剰余価値が搾取される労働者の総数に比例して増大しないという例外的な場合もあるが、しかしその場合には、労働力の価値も不変のままではない

6

それゆえ、一定総量の剰余価値の生産では、ある要因の減少が別の要因の増加によって埋め合わされることがありうる。

可変資本が削減されるとしても、同時に同じ割合で剰余価値率が引き上げられるならば、生産される剰余価値の総量は不変のままである。

さきの仮定のもとで、資本家が日々100人の労働者を搾取するために100ターレルを前貸ししなければならず、しかも剰余価値率が50%であるとすれば、この100ターレルの可変資本は、50ターレルまたは100×3労働時間の剰余価値を生み出す。

剰余価値率が2倍になれば、すなわち労働日が6時間から9時間ではなく6時間から12時間に延長されるとすれば、50ターレルに半減した可変資本が、同じく50ターレルまたは50×6労働時間の剰余価値を生み出す。

したがって、可変資本の削減は、それに比例する労働力の搾取度の引き上げによって、または、就業労働者総数の減少は、それに比例する労働日の延長によって、埋め合わせることができる。

したがって、ある限界内では、資本が搾り取ることのできる労働の供給は、労働者の供給とはかかわりのないものとなる202

この基本法則は俗流経済学の諸氏に分かっていないらしく、彼ら、あべこべなアルキメデスたちは、需要供給による労働の市場価格の規定の中に、地球を地軸から持ち上げるための支點ではなく、地球を静止させるための支點を見出したものと思っている。

その反対に、剰余価値率の低下は、それに比例して可変資本のおおきさまたは就業労働総数が増大するならならば、生産される剰余価値の総量を変化させない。

3
第二の法則 「剰余労働の総量の絶対的制限」
7

それにもかかわらず、労働者総数または可変資本の大きさ〔の減少〕を剰余価値率の増大または労働日の延長によって埋め合わせることには、超えることのできない制限がある。

労働力の価値がどれだけであろうとも、すなわち、労働者の維持に必要な労働時間が2時間であろうと10時間であろうと、一人の労働者が毎日生産することのできる総価値は、24労働時間が対象化される価値よりもつねに小さい。

すなわち、もし12シリングまたは4ターレルが、対象化された24労働時間の貨幣表現であるとすれば、この額よりも常に小さい。

我々のさきの仮定によれば、労働力そのものを再生産するためには、またはそれの購入に前貸しされる資本価値を補填するためには、日々6労働時間が必要であるが、この仮定の下では、100パーセントの剰余価値率または12時間労働日で500人の労働者を使用する500ターレルの可変資本は、日々、500ターレルまたは6×500労働時間の剰余価値を生産する、

200パーセントの剰余価値率または18時間労働日でもって日々100人の労働者を使用する100ターレルの資本は、200ターレルまたは12×100労働時間の剰余価値総量を生産するにすぎない。

そして、この資本の総価値生産物、すなわち、前貸しされた可変資本の等価物プラス剰余価値が、毎日400ターレルまたは24×100ターレル労働時間という額に達することは決してできない。

本来24時間よりもつねに短いものである平均労働日の絶対的制限は、剰余価値率の上昇による可変資本削減の埋め合わせに對する、または労働力搾取度の引き上げによる被搾取労働者総数の削減の埋め合わせに對する、絶対的制限をなしている。

この明白この上ない第二の法則は、あとで展開されるはずの資本の傾向──資本によって働かされる労働者総数または労働力に転換される可変資本構成部分をおよそできる限り縮小しようとする傾向、〔しかし〕できるだけ大きな剰余価値総量を生産しようとする資本のもう一つの傾向と矛盾する傾向──から生じる多くの現象を説明するために重要である、

その逆の場合、たとえ使用される労働力の総量または可変資本の大きさが増大しても、それが剰余価値率の低下に比例して増大しない場合には、生産される剰余価値の総量は減少する。

4
第三の法則 「剰余労働の総量は、前貸可変資本(労働力)の大きさに正比例する」
8

第三の法則は、剰余価値率および前貸可変資本の大きさという二つの要因による、生産される剰余価値の総量の規定から生じる。

剰余価値率または労働力の搾取度が与えられており、労働力の価値または必要労働時間の大きさが与えられているならば、可変資本が大きければ大きいほど、生産される価値および剰余価値の総量もそれだけ大きいということは自明である。

労働日の限界が与えられ、それの必要〔労働〕構成部分の限界も与えられているならば、個々の資本家の生産する価値および剰余価値の総量は、明らかに、もっぱら彼によって動かされる労働の総量によって決まる。

ところが、この労働総量は、これまた、資本家が前貸しする可変資本の大きさによって規定されている。

したがって、剰余価値率が与えられており、労働力の価値が与えられているならば、生産される剰余価値の総量は、前貸しされる可変資本の大きさに正比例する。

ところが、知られるように、資本家は自分の資本を二つの部分に分ける。

一部分は彼は生産諸手段に支出する。

これは彼の資本の不変部分である、

他の部分を彼は生きている労働力に転換する。

この部分は彼の可変資本を形成する、

同じ生産様式の基礎の上でも、生産部門が異なれば、不変的構成部分と可変的構成部分とへの資本の分割も異なる。

同じ生産部門の内部でも、この割合は、生産過程の技術的基礎と社会的結合とが変化するにつれて変化する。

しかし、ある与えられた資本が、不変的構成部分と可変的構成部分とにどのように分かれようとも、すなわち、前者に對する後者の比が 1:2であろうと1:10であろうと1:xであろうと、いま定立された法則は、それによっては影響されない

というのは、さきの分析によれば、不変資本の価値は、たしかに生産物価値の内に再現するのであるが、しかし新たに形成される価値生産物には入り込まないからである。

1000人の精紡工を使用するためには、もちろん、100人の精紡工を使用するためよりも多くの原料等を必要とする。

しかし、これらの付け加えられるべき生産諸手段の価値は、それが上昇しようと下落しようと不変であろうと、大きかろうと小さかろうと、それたの生産諸手段を動かす労働諸力の価値増殖過程には何の影響も及ぼさない。

したがって、右に確認された法則は、次のような表現形式をとる──

9

この法則は、外観を基礎とするすべての経験と明らかに矛盾している。

だれでも知っているように、使用総資本の百分比構成を見た場合、相対的に多くの不変資本および少ない可変資本を使用する紡績業者は、だからといって、相対的に多くの可変資本および少ない不変資本を動かす製パン業者よりも小さい利得または剰余価値を手に入れるというわけではない。

この外観上の矛盾を解決するためには、なお多くの中間項が必要なのであるが*1、それはあたかも、0/0が一つの現實的な大きさを表しうることを理解するためには、初等代数学の立場からは多くの中間項が必要であるのと同じである。

古典派経済学はこの法則を一度として定式化したことはなかったとはいえ、本能的にこの法則に執着しているのであって、それというのも、この法則が価値法則一般の一つの必然的な帰結だからである。

古典派経済学は、乱暴な抽象によってこの法則を、現象上の諸矛盾から救おうとしている。

リカードウ学派がこのつまづきの石*2でどのように失敗するにいたったかは、のちに見るであろう203

これについての詳細は「第四部」〔のちの『剰余価値学説史』〕で述べる。

「真に、なにものも学んでいない*3」俗流経済学は、いつもと同じようにここでもまた、現象を支配し説明する法則を省みないでその外観に固執する。

それは、スピノーザとは反対に「無知は十分な根拠になる*4」と信じているのである。

10

一社会の総資本によって毎日動かされる労働は、一つの単一な労働日とみなされうる。

たとえば、労働者の数が100万で、労働者一人の平均労働日が10時間であるとすれば、社会的労働日は1000万時間からなる。

この労働日──それの限界が肉体的に画されているにせよ社会的に画されているにせよ──その長さが与えられている場合には、剰余価値の総量は、ただ労働者総数すなわち労働者人口の増加によってのみ、増加されうる。

人口の増大は、この場合には、社会的総資本による剰余価値の生産に對する数学的限界を画する。

その逆の場合。

人口の大きさが与えられている場合には、この限界は、労働日の延長の可能性によって画される204

次の章で述べるように、この法則は、これまでに取り扱われた形態の剰余価値〔絶対的剰余価値〕だけにあてはまるものである。

5
資本家に必要な可変資本
11

剰余価値の生産に関するこれまでの考察から明らかなように、貨幣又は価値のどんな任意の額でも資本に転化できるわけではなく、この転化のためには、むしろ、一定の最小限の貨幣又は交換価値が、個々の貨幣所有者または商品所有者の手にあることが前提とされる。

可変資本の最小限は、剰余価値を手に入れるために年中毎日消耗される個々の一労働力の費用価格である。

この労働者が自分自身の生産諸手段をもっており、しかも彼が労働者として生活することで満足するとすれば、彼にとっては、自分の生活諸手段を再生産するのに必要な労働時間、たとえば毎日8時間で十分であろう。

したがって彼は、8労働時間分の生産諸手段を必要とするにすぎないであろう。

これに反して、この8時間のほかにたとえば4時間の剰余労働をこの労働者に行わせる資本家は、追加的生産諸手段を調達するための追加的貨幣額を必要とする

とはいえ、我々の仮定のもとでは、この資本家は、日々取得される剰余価値で労働者と同じ暮らしをするためだけでも、すなわち彼の必要な諸欲求を満たしうるためだけでも、すでに二人の労働者を使用しなければならないだろう。

この場合には、彼の生産の目的は単なる生活維持であって、富の増加ではないであろうが、しかし資本主義的生産のもとではこの後の方のことこそが想定されているのである。

彼が普通の労働者のわずか2倍だけよい暮らしをし、しかも生産される剰余価値の半分を資本に再転化するためには、彼は、労働者数と同時に、前貸資本の最小限を8倍に増やさなければならないであろう。

もちろん、彼自身が自分の労働者と同じように直接に生産過程で働くこともできるが、しかしその場合にも、彼はただ、資本家と労働者との間の中間物、「小親方」であるにすぎない。

ある一定の高度に達した資本主義的生産は、資本家が、資本家としてすなわち人格化された資本として機能している間の全時間を、他人の労働の取得、したがってまたそれの監督に、ならびにこの労働の生産物の販売に、振り向けうることを条件とする205

この本はきわめて興味深い。我々はこの本の中で、「”資本主義的借地農場経営者”」または「”商人的借地農場経営者”」──この者〔資本主義的借地農場経営者〕が、〔この書で〕はっきりそう呼ばれているような──の發生史を研究することができ、また、生活維持を根本問題とする「“小借地農場経営者”」と対比した彼の自己賛美を聞くことができる。

中世の同職組合制度は、個々の親方が使用してもよい労働者総数の最大限をきわめて小さく制限することによって、手工業親方の資本家への転化を強制的に食い止めようとした。

貨幣所有者または商品所有者は、生産のために前貸しされる最小限の額が中世のこの最大限をはるかに超える場合にはじめて、現實に資本家に転化する。

ここでもまた、自然科学の場合と同様に、ヘーゲルが彼の『論理学』の中で發見した法則、すなわち、単なる量的な変化がある一定の點で質的な区別に転化するという法則*1の正しさが、実証される205a

ロランとジェラール〔いずれもフランスの化学者〕とによってはじめて科学的に展開されて近代化学に應用されている分子理論は、この法則にもとづくものにほかならない*2

{第三版への追加}──化学者でないものにとってはかなり明瞭でないこの注の説明のために次のことを述べておく。

著者がここで言っているのは、1843年にC・ジェラールが初めてそう名付けた炭化水素化合物の「同族列」のことであって、それらはそれぞれそれ自身の代数組成式をもっている。

たとえば、パラフィン列はCnH2n+2であり、正アルコール列は、CnH2n+2Oであり、正脂肪酸列は、CnH2nO2である、などその他多数。

これらの例では、分子式へのCH2の単純な量的追加によって、つねに質的に異なる物質が形成される。

これらの重要な事実の確定に関するロランとジェラールの関与──マルクスによって過大評価された──については、コップ『化学の發達』、ミュンヘン、1873年、709および716ページ、ならびにショルレマー『有機化学の發生および發達』、ロンドン、1879年、54ページ、を参照せよ。──F・エンゲルス。

12

個々の貨幣所有者または商品所有者がさなぎ から一人前の資本家になるために自由に処理しえなければならない価値額の最小限は、資本主義的生産の發展段階が異なるにつれて変化し、また一定の發展段階にあっても、生産部面が異なればその部面の特殊な技術的諸条件に應じて異なる。

若干の生産部面では、資本主義的生産の端初にすでに、個々の個人の手にはまだ現存しないほどの資本の最小限が必要とされる。

このことは、一部にはコルベール時代のフランスでのように、また我々の時代にいたるまでの多くのドイツ諸邦でのように、このような私人に對する国家補助金を誘發し、一部には、若干の工業部門および商業部門の経営のための法定の独占権をもつ会社206──近代的株式会社の先駆──の形成を誘發する。

*〔ルター『商取引と高利について』、ヴィッテンベルク、1542年(ヴァイマール版、第15巻、312ページ)。松田智雄・魚住昌良、『ルター著作集。第一集』第五巻、聖文舎、526ページ〕ルターはこれらの説教で、国会の独占禁止決議にもかかわらず野放しになっている「独占会社」に激しく反対している。

13

我々は、資本家と労働者との關係が生産過程の経過中に被った諸変化の詳細には立ち入らないし、したがってまた、資本そのもののさらに進んだ諸規定にも立ち入らない。

ただここでは、わずかの要點だけを強調しておこう

14

生産過程の内部では、資本は、労働に對する──すなわち自己を發現している労働力または労働者そのものに對する──指揮権にまで發展した。

人格化された資本である資本家は、労働者が自分の仕事を秩序正しく、ふさわしい強度で遂行するように気を配る。

15

資本はさらに、労働者階級に、この階級自身の狭い範囲の生活諸欲求が命じるよりもより多く労働することを強いる一つの強制關係にまで發展した。

そして、他人の勤勉の生産者として、剰余労働の汲出者および労働力の搾取者として、資本は、エネルギー、無節度、および効果の點で、直接的強制労働にもとづく従来のすべての生産体制を凌駕している。

16

資本はまずもって、歴史的に与えられるままの技術的諸条件をもって労働を自己に従属させる。

こうして資本は、直接には生産様式を変化させない。

それゆえ、これまでに考察した形態での、労働日の単なる延長による剰余価値の生産は、生産様式そのもののいかなる変化にもかかわりなく現れた。

それは、古風な製パン業の場合にも、近代的綿紡績業の場合に劣らず効果があった。

17

生産過程を労働過程の見地から考察すれば、労働者は資本としての生産諸手段に關係したのではなく、彼の目的に即した生産的活動の単なる手段および材料としての生産諸手段に關係したのである。

たとえば、なめし皮業では、労働者は獣皮を彼の単なる労働対象として取り扱う。

彼がなめすものは資本家の皮ではない

生産過程を価値増殖過程の見地から考察するやいなや、事情は別になる。

生産諸手段はただちに他人の労働の吸収のための手段に転化した。

もはや労働者が生産諸手段を使うのではなくて、生産諸手段が労働者を使用する。

生産諸手段は、労働者によって彼の生産的活動の素材的諸要素として消費されるのではなく、生産諸手段が労働者を、生産諸手段自身の生活過程の酵素として消費するのであって、ここに資本の生活過程というのは、自己自身を増殖する価値としての資本の運動にほかならない。

夜間には休止して生きた労働を吸収することのない溶鉱炉と作業用建物とは、資本家たちにとっては「純損失」である。

それだからこそ、溶鉱炉と作業用建物とは、労働諸力に對する「夜間労働への請求権」を作り出すのである。

貨幣の、生産過程の対象的諸要因すなわち生産諸手段への単なる転化が、生産諸手段を、他人の労働および剰余価値に對する法律的権原および強制的権原に転化させる。

資本主義的生産に独自であってそれを特徴づけているこの転倒、実にこの死んだ労働と生きた労働との間の、価値と価値創造力との間の關係の逆転が、どのように資本家たちの意識に反映するかを、最後になお一つの例で示しておこう。

1848-1850年のイギリス工場主たちの反逆の最中に──「西スコットランドのもっとも由緒ある商会の一つで、1752年以来存続した代々同一家族によって営まれてきたカーライル父子会社という、ペイズリーにある亜麻・綿紡績工場の社長」──このようにきわめて聡明な紳士が、1849年4月25日付の『グラスゴウ・デイリー・メイル』紙に「リレー制度」と題する一通の手紙207を寄せたが、その中にはとりわけ次のような異様なまでに素朴な文句が紛れ込んでいる。

『工場監督官報告書。1849年4月30日』、59ページ。

同前、60ページ。

自分自身はスコットランド人であって、イングランドの工場監督官たちとは反対に全く資本家的な考え方にとらわれている工場監督官スチュアトは、自分の報告に取り入れているこの手紙が、「リレー制度を採用しているある工場主が書いたもので、特別にこの制度に對する偏見と疑念とを片づけることを目的としたもっとも有益な通信である」と明言している。

18

西スコットランドのこの先祖伝来の資本の脳みそにとっては、紡錘などの生産諸手段の価値と、自己自身を価値増殖するという、または日々一定分量の他人の無償労働を丸飲みするという生産諸手段の資本属性との見境が、まったくつかないのであって、そのためにこのカーライル同族会社の社長は、彼の工場を売れば紡錘の価値が空に支払われるだけでなく、そのうえなお紡錘の価値増殖分も支払われるのだと実際に妄想している。

すなわち、紡錘に潜んでいる、同種の紡錘を生産するのに必要な労働が支払われるばかりでなく、紡錘の助けによってペイズリーのけなげな西スコットランド人たちから日々汲みだされる剰余労働もまた支払われるのだと実際に妄想しているのであって、それゆえにこそ、彼は、労働日を2時間だけ短縮すれば、紡錘機器12台ずつ売却価格が10台ずつの売却価格に縮まってしまうのだと思うのである!

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