テュキュディデス「戦史」第5章
οἱ γὰρ Ἕλληνες τὸ πάλαι καὶ τῶν βαρβάρων οἵ τεἐν τῇ ἠπείρῳ παραθαλάσσιοι καὶ ὅσοι νήσουςεἶχον, ἐπειδὴ ἤρξαντο μᾶλλον περαιοῦσθαι ναυσὶνἐπ’ ἀλλήλους, ἐτράποντο πρὸς λῃστείαν,ἡγουμένων ἀνδρῶν οὐ τῶν ἀδυνατωτάτωνκέρδους τοῦ σφετέρου αὐτῶν ἕνεκα καὶ τοῖςἀσθενέσι τροφῆς, καὶ προσπίπτοντες πόλεσινἀτειχίστοις καὶ κατὰ κώμας οἰκουμέναις ἥρπαζονκαὶ τὸν πλεῖστον τοῦ βίου ἐντεῦθεν ἐποιοῦντο, οὐκἔχοντός πω αἰσχύνην τούτου τοῦ ἔργου, φέροντοςδέ τι καὶ δόξης μᾶλλον·
「というのも、古代のギリシャ人やバルバロイ(異民族)のうち、海沿いに住む者たちや島々を所有していた者たちは、より頻繁に船で互いに渡航し始めると、海賊行為に手を染めるようになった。彼らは決して弱者ではなく、利益を得るために、また貧しい者には生計を立てるためにこの道に進んだ。城壁を持たない都市や村に住む人々を襲い、略奪して生計を立て、その活動に恥を感じることはなく、むしろ名誉とされることさえあった。」
δηλοῦσι δὲ τῶν τε ἠπειρωτῶν τινὲς ἔτι καὶ νῦν, οἷςκόσμος καλῶς τοῦτο δρᾶν, καὶ οἱ παλαιοὶ τῶνποιητῶν τὰς πύστεις τῶν καταπλεόντωνπανταχοῦ ὁμοίως ἐρωτῶντες εἰ λῃσταί εἰσιν, ὡςοὔτε ὧν πυνθάνονται ἀπαξιούντων τὸ ἔργον, οἷςτε ἐπιμελὲς εἴη εἰδέναι οὐκ ὀνειδιζόντων.
「このことは、今でも一部の大陸に住む人々が証明している。彼らにとっては、この行為(海賊行為)を立派に行うことが名誉とされている。また、古代の詩人たちが示しているように、どこでも同じように、船で到着する人々に『あなた方は海賊ですか?』と尋ねることが習慣だった。尋ねられた人々はその行為を恥じることなく、また尋ねる側もそれを侮辱とは見なさなかった。」
これは、古代において海賊行為が一般的であり、名誉ある職業とさえ見なされていた文化を反映しています。
ἐλῄζοντο δὲ καὶ κατ’ ἤπειρον ἀλλήλους.καὶ μέχριτοῦδε πολλὰ τῆς Ἑλλάδος τῷ παλαιῷ τρόπῳνέμεται περί τε Λοκροὺς τοὺς Ὀζόλας καὶΑἰτωλοὺς καὶ Ἀκαρνᾶνας καὶ τὴν ταύτῃ ἤπειρον.τό τε σιδηροφορεῖσθαι τούτοις τοῖς ἠπειρώταιςἀπὸ τῆς παλαιᾶς λῃστείας ἐμμεμένηκεν·
「そして彼らは、互いに大陸においても略奪を行っていた。現在でも多くのギリシャ地域は昔のやり方で暮らしており、特にオゾライ・ロクリス人、アイトリア人、アカルナニア人、その周辺の大陸においてそうである。この大陸の人々が武装しているのは、昔からの海賊行為の名残である。」
この文章では、海賊行為や略奪がかつては一般的であり、その影響が一部の地域では現代まで続いていることが述べられています。
この文脈で言及されている「大陸」とは、ギリシャ本土の一部地域を指しています。具体的には、ギリシャ本土の西側に位置するロクリス地方(オゾライ・ロクリス)、アイトリア地方、アカルナニア地方が含まれます。これらの地域は、エーゲ海やイオニア海に面しており、かつては海賊行為や略奪が行われていたとされています。
したがって、「この大陸」とは、広く「ギリシャ本土」を指す一方で、特に西ギリシャに位置するこれらの地域を指していると考えられます。