【判決理由】多数意見
一 学生の政治活動の自由の制限
上告代理人雪入益見外八三名の上告理由第一章について。
1 学生の署名活動・学外団体への加入と人権保障規定
論旨は、要する、
学生の署名運動について、
事前に学校当局に届け出て、その指示を受けるべきことを定めた、
被上告人大学の、原判示の生活要録六の六の規定は、
憲法15条、16条、21条に違反するものであり、
また、
学生が、学校当局の許可を受けずに、学外の団体に加入することを禁止した、同要録八の一三の規定は、
憲法19条、21条、23条、
26条に違反するものであるにもかかわらず、
原審が、これら要録の規定の効力を認め、
これに違反したことを理由とする、本件退学処分を有効と判断したのは、
憲法、及び法令の解釈適用を誤つたものである、と主張する。
しかし、
右、生活要録の規定は、
その文言に徴しても、
被上告人大学の学生の選挙権、若しくは、請願権の行使、又はその教育を受ける権利と直接かかわりのないものであるから、
所論のうち、右規定が憲法15条、16条及び26条に違反する旨の主張は、
その前提において既に失当である。
また、
憲法19条、21条、23条等の、いわゆる自由権的基本権の保障規定は、
国、又は公共団体の統治行動に対して、個人の基本的な自由と平等を保障することを目的とした規定であつて、
専ら、国又は公共団体と個人との関係を規律するものであり、
私人相互間の関係について、当然に適用、ないし類推適用されるものでないことは、
当裁判所大法廷判例(昭和四三年(オ)第九三二号同四八年一二月一二日判決・裁判所時報六三二号四頁)の示すところである。
したがつて、
その趣旨に徴すれば、
私立学校である、被上告人大学の学則の細則としての性質をもつ、前記生活要録の規定について、
直接、憲法の、右基本権保障規定に違反するかどうかを論ずる余地はないものというべきである。
所論違憲の主張は、採用することができない。
2 学校の包括的規制と学生の政治活動の自由
ところで、
大学は、国公立であると私立であるとを問わず、
学生の教育と、学術の研究を目的とする、公共的な施設であり、
法律に格別の規定がない場合でも、
その設置目的を達成するために、必要な事項を学則等により一方的に制定し、
これによつて、在学する学生を規律する包括的権能を有するもの、と解すべきである。
特に、
私立学校においては、
建学の精神に基づく、独自の伝統、ないし校風と教育方針とによつて、社会的存在意義が認められ、
学生も、そのような伝統、ないし校風と教育方針のもとで教育を受けることを希望して当該大学に入学するものと考えられるのであるから、
右の伝統、ないし校風と教育方針を学則等において具体化し、これを実践することが当然認められるべきであり、
学生としてもまた、当該大学において教育を受けるかぎり、かかる規律に服することを義務づけられるものといわなければならない。
もとより、
学校当局の有する、右の包括的権能は、無制限なものではありえず、
在学関係設定の目的と関連し、かつ、その内容が、社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認されるものであるが、
具体的に、学生のいかなる行動について、いかなる程度、方法の規制を加えることが適切であるとするかは、
それが、教育上の措置に関するものであるだけに、必ずしも画一的に決することはできず、
各学校の伝統、ないし校風や教育方針によつても、おのずから異なることを認めざるをえないのである。
これを、学生の政治的活動に関していえば、
大学の学生は、その年令等からみて、
一個の社会人として行動しうる面を有する者であり、
政治的活動の自由は、このような社会人としての学生についても、重要視されるべき法益であることは、いうまでもない。
しかし、他方、
学生の政治的活動を、学の内外を問わず、全く自由に放任するときは、
あるいは、学生が学業を疎かにし、
あるいは、学内における教育、及び研究の環境を乱し、
本人、及び、他の学生に対する教育目的の達成や研究の遂行をそこなう等、
大学の設置目的の実現を妨げるおそれがあるのであるから、
大学当局が、これらの政治的活動に対して、なんらかの規制を加えること自体は、十分にその合理性を首肯しうるところであるとともに、
私立大学のなかでも、学生の勉学専念を特に重視し、
あるいは、比較的保守的な校風を有する大学が、その教育方針に照らし、
学生の政治的活動は、できるだけ制限するのが、教育上適当であるとの見地から、
学内、及び、学外における学生の政治的活動につき、
かなり広範な規律を及ぼすこととしても、
これをもつて、直ちに、社会通念上、学生の自由に対する不合理な制限であるということはできない。
3 あてはめ
そこで、
この見地から、被上告人大学の前記生活要録の規定をみるに、
原審の確定するように、
同大学が、学生の思想の穏健中正を標榜する、保守的傾向の私立学校であることをも勘案すれば、
右要録の規定は、
政治的目的をもつ署名運動に学生が参加し、
又は、政治的活動を目的とする学外の団体に、学生が加入するのを放任しておくことは教育上好ましくないとする、同大学の教育方針に基づき、
このような学生の行動について、届出制、あるいは許可制をとることによつて、
これを規制しようとする趣旨を含むもの、と解されるのであつて、
かかる規制自体を不合理なものと断定することができないことは、上記説示のとおりである。
してみると、
右、生活要録の規定そのものを無効とすることはできない、とした原審の判断は相当というべきであつて、
原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)に所論の違法はない。
論旨は、採用することができない。
二 思想信条の自由と退学処分の違法性
同第二章について
論旨は、要するに、
本件退学処分は、
上告人らの学問の自由を侵害し、かつ、思想、信条を理由とする差別的取扱であるから、
憲法23条、19条、14条に違反するものであり、
また、
かかる違憲の処分によつて、上告人らの教育を受ける権利を奪うことは、
憲法13条、26条にも違反するにもかかわらず、
原審が、右退学処分を有効と判断したのは、
憲法及び法令の解釈適用を誤つたものである、と主張する。
大学が、学生に対して退学処分を行うにあたつては、
教育機関にふさわしい手続と方法により、
本人の反省を促す、補導の過程を経由すべき法的義務があると解すべきであるのに、
原審が、右義務のあることを認めず、
適切な補導過程を経由せずに行われた本件退学処分を、徴戒権者の裁量権の範囲内にあるものとして有効と判断したのは、
学校教育法11条、同法施行規則13条3項、被上告人大学の学則36条の解釈適用を誤つたものである、と主張する。
しかし、
本件退学処分について、
憲法23条、19条、14条等の、自由権的基本権の保障規定の違反を論ずる余地のないことは、
上告理由第一章について判示したところから明らかである。
したがつて、右違憲を前提とする憲法13条、26条違反の論旨も採用することができない。
また、
原審の確定した上告人らの生活要録違反の行為は、
大学当局の許可を受けることなく、
上告人A1が、左翼的政治団体であるD同盟(以下、D同という。)に加入し、
上告人A2が、D同に加入の申込をし、
更に、同上告人が、大学当局に届け出ることなく、
学内において、政治的暴力行為防止法の制定に対する反対請願の署名運動をしたというものであるが、
このような、実社会の政治的社会的活動にあたる行為を理由として退学処分を行うことが、
直ちに、学生の学問の自由及び教育を受ける権利を侵害し公序良俗に違反するものでないことは、
当裁判所大法廷判例(昭和31年(あ)第2973号同38年5月22日判決・刑集一七巻四号三七〇頁)の趣旨に徴して明らかであり、
また、
右退学処分が、上告人らの思想、信条を理由とする差別的取扱でないことは、
上告理由第三章について後に判示するとおりである。
原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
三 退学処分手続きの違法性
同第三章について
1 判断基準
論旨は、要するに、
大学が、学生に対して退学処分を行うにあたつては、
教育機関にふさわしい手続と方法により、本人の反省を促す補導の過程を経由すべき法的義務があると解すべきであるのに、
原審が、右義務のあることを認めず、
適切な補導過程を経由せずに行われた、本件退学処分を、徴戒権者の裁量権の範囲内にあるものとして有効と判断したのは、
学校教育法11条、同法施行規則13条3項、被上告人大学の学則三六条の解釈適用を誤つたものである、と主張する。
思うに、
大学の学生に対する懲戒処分は、
教育、及び、研究の施設としての大学の内部規律を維持し、
教育目的を達成するために認められる自律作用であつて、
懲戒権者たる学長が、学生の行為に対して懲戒処分を発動するにあたり、
その行為が懲戒に値いするものであるかどうか、
また、懲戒処分のうち、いずれの処分を選ぶべきかを決するについては、
当該行為の軽重のほか、
本人の性格、及び平素の行状、
右行為の他の学生に与える影響、
懲戒処分の本人、及び他の学生に及ぼす訓戒的効果、
右行為を不問に付した場合の一般的影響等、諸般の要素を考慮する必要があり、
これらの点の判断は、
学内の事情に通暁し、直接教育の衝にあたるものの合理的な裁量に任すのでなければ、適切な結果を期しがたいことは、明らかである(当裁判所昭和28年(オ)第525号同29年7月30日第三小法廷判決・民集八巻七号一四六三頁、同昭和28年(オ)第745号同29年7月30日第三小法廷判決・民集八巻七号一五〇一頁参照)。
もつとも、
学校教育法11条は、懲戒処分を行うことができる場合として、
単に教育上必要と認めるとき
と規定するにとどまるのに対し、
これをうけた同法施行規則13条3項は、退学処分についてのみ、四個の具体的な処分事由を定めており、
被上告人大学の学則36条にも右と同旨の規定がある。
これは、
退学処分が、他の懲戒処分と異なり、
学生の身分を剥奪する重大な措置であることにかんがみ、
当該学生に改善の見込がなく、これを学外に排除することが教育上やむをえないと認められる場合にかぎつて、退学処分を選択すべきであるとの趣旨において、
の処分事由を限定的に列挙したものと解される。
この趣旨からすれば、
同法施行規則13条3項4号、及び、被上告人大学の学則36条4号にいう
学校の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した
ものとして、退学処分を行うにあたつては、
その要件の認定につき、他の処分の選択に比較して、特に慎重な配慮を要することはもちろんであるが、
退学処分の選択も、前記のような、諸般の要素を勘案して決定される教育的判断にほかならないことを考えれば、
具体的事案において、当該学生に改善の見込がなく、これを学外に排除することが教育上やむをえないかどうかを判定するについて、
あらかじめ本人に、反省を促すための補導を行うことが、教育上必要かつ適切であるか、
またその補導を、どのような方法と程度において行うべきか等については、
それぞれの学校の方針に基づく、学校当局の具体的、かつ専門的・自律的判断に委ねざるをえないのであつて、
学則等に格別の定めのないかぎり、右補導の過程を経由することが、
特別の場合を除いては、常に退学処分を行うについての、学校当局の法的義務であるとまで解するのは相当でない。
したがつて、
右補導の面において、欠けるところがあつたとしても、
それだけで、退学処分が違法となるものではなく、
その点をも含めた当該事案の諸事情を、総合的に観察して、
その退学処分の選択が、社会通念上、合理性を認めることができないようなものでないかぎり、
同処分は、懲戒権者の裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を否定することはできないもの、というべきである。
2 あてはめ
ところで、
原審の確定した本件退学処分に至るまでの経過は、おおむね次のとおりである。
(1) 被上告人大学では、昭和36年19月下旬ごろ、
前記のような、上告人らの生活要録違反の行為を知り、
それが、同大学の教育方針からみて、甚だ不当なものであるとの考えから、
上告人らに対して、D同との関係を絶つことを強く要求し、
事実上、その登校を禁止する等、原判示のような措置をとつたが、
この間の大学当局の態度を全体として評すれば、
同大学の名声のために、上告人らの責任を追及することに急で、
同人らの行為が、校風に反することについての反省を求めて、説得に努めたものとは認めがたいものがあつた。
(2) 他方、上告人らは、
生活要録に違反することを知りながら、
D同に加入し、又は、加入の申込をしたものであつて、
右違反についての責任の自覚はうすく、D同に加入することが不当であるとは考えず、
これからの離脱を求める被上告人大学の要求にも、真実従う意思はなく(加入申込中であつた上告人A2は同年一二月に正式に加入した。)、
関係教授らの説諭に対しては終始反発していた。
しかし、同年12月当時までは、大学当局としては、できるだけ穏便に事件を解決する方針であつた。
(3) ところが、昭和37年1月下旬、
某週刊誌が良妻賢母か自由の園か
と題して、
本件の発端以来、被上告人大学のとつた一連の措置を批判的に掲載した記事中に、
上告人A1が、仮名を用いて、大学当局から受けた取調べの状況についての日記を発表し、
次いで、都内の公会堂で開かれた、各大学自治会、及びD同等主催の戦争と教育反動化に反対する討論集会
において、上告人らが、それぞれ事件の経過を述べ、
更に、同年2月9日荒れる女の園
という題名で、本件を取り上げたラジオ放送のなかで、
上告人らが、大学当局から取調べを受けた模様について述べたので、被上告人大学では、これを、上告人らが、学外で同大学を誹謗したものと認め、
ここに至つて、上告人らの一連の行動、態度が、退学事由たる学校の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した
ものに該当するとして、同年2月12日付で本件退学処分をした。
以上の事実関係からすれば、
上告人らの、前記生活要録違反の行為自体は、
その情状が比較的軽微なものであつたとしても、
本件退学処分が右違反行為のみを理由として決定されたものでないことは明らかである。
前記(2)(3)のように、
上告人らには、生活要録違反を犯したことについて反省の実が認められず、
特に、大学当局ができるだけ穏便に解決すべく説諭を続けている間に、
上告人らが、週刊誌や学外の集会等において、公然と大学当局の措置を非難するような挙に出たことは、
>同人らが、もはや同大学の教育方針に服する意思のないことを表明したものと解されてもやむをえないところであり、
これらは、処遇上無視しえない事情といわなければならない。
もつとも、
前記(1)の事実、その他原判示にあらわれた大学当局の措置についてみると、
説諭にあたつた関係教授らの言動には、
上告人らの感情をいたずらに刺激するようなものも、ないではなく、
補導の方法と程度において、
事件を重大視するあまり、冷静、寛容及び忍耐を欠いたうらみがあるが、
原審の認定するところによれば、
かかる大学当局の措置が、上告人らを反抗的態度に追いやり、
外部団体との接触を深めさせる機縁になつたもの、とは認められないというのであつて、
そうである以上、
上告人らの前記(2)(3)のような態度、行動が、
主して、被上告人大学の責に帰すべき事由に起因したものである、ということはできず、
大学当局が、右の段階で、
上告人らに改善の見込がないと判断したことをもつて、著しく軽卒であつたとすることもできない。
また、
被上告人大学が、上告人らに対して、D同からの脱退、又はそれへの加入申込の取消を要求したからといつて、
それが、直ちに思想、信条に対する干渉となるものではないし、
それ以外に、同大学が、
上告人らの思想、信条を理由として、
同人らを差別的に取り扱つたものであることは、原審の認定しないところである。
これらの諸点を総合して考えると、
本件において、
事件の発端以来、退学処分に至るまでの間に、被上告人大学のとつた措置が、
教育的見地から、批判の対象となるかどうかはともかく、
大学当局が、上告人らに、同大学の教育方針に従つた改善を期待しえず、教育目的を達成する見込が失われたとして、
同人らの前記一連の行為を学内の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した
ものと認めた判断は、
社会通念上、合理性を欠くものであるとはいいがたく、
結局、本件退学処分は、
懲戒権者に認められた裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を是認すべきである。
したがつて、
右と結論を同じくする原審の判断は相当であつて、
原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
四 結論
同第四章について
所論の点に関する原審の認定は、
原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができないものではなく、
原判決に所論の違法はない。
論旨は、ひつきよう、
原審の専権に属する事実の認定、証拠の取捨判断を非難するに帰し、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。