上告代理人手取屋三千夫、同織田義夫の上告理由及び上告代理人織田義夫の上告理由について。
裁判所は、
憲法に特別の定めがある場合を除いて、
一切の法律上の争訟を裁判する権限を有するのであるが(裁判所法3条1項)、
ここにいう一切の法律上の争訟とは、
あらゆる法律上の係争を意味するものではない。
すなわち、
ひと口に法律上の係争といつても、その範囲は広汎であり、
その中には、事柄の特質上、
裁判所の司法審査の対象外におくのを適当とするものもあるのであつて、
例えば、一般市民社会の中にあつて、
これとは別個に、自律的な法規範を有する特殊な部分社会における法律上の係争のごときは、
それが、一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、
その自主的、自律的な解決に委ねるのを適当とし、
裁判所の司法審査の対象にはならないものと解するのが相当である(当裁判所昭和34年(オ)第10号昭和35年10月19日大法廷判決・民集一四巻一二号二六三三頁参照)。
そして、
大学は、国公立であると私立であるとを問わず、
学生の教育と学術の研究とを目的とする教育研究施設であつて、
その設置目的を達成するために、必要な諸事項については、
法令に格別の規定がない場合でも、学則等によりこれを規定し、実施することのできる自律的、包括的な権能を有し、
一般市民社会とは異なる特殊な部分社会を形成しているのであるから、
このような、特殊な部分社会である大学における法律上の係争のすべてが、
当然に裁判所の司法審査の対象になるものではなく、
一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題は、
右司法審査の対象から除かれるべきものであることは、
叙上、説示の点に照らし明らかというべきである。
そこで、次に、右の見地に立つて本件をみるのに、
大学の単位制度については、
大学設置基準(昭和三一年文部省令第二八号)がこれを定めているが、
これによれば(ただし、次に引用の条文は、いずれも昭和四五年文部省令第二一号による改正前のものである。)
大学の教育課程は、各授業科目を必修、選択及び自由の各科目に分け、
これを各年次に配当して編成されるが(二八条)、
右各授業科目には、その履修に要する時間数に応じて単位が配付されていて(二五条、二六条)、
それぞれの授業科目を履修し試験に合格すると、
当該授業科目につき所定数の単位が授与(認定)されることになつており(三一条)、
右教育課程に従い、大学に四年以上在学し、所定の授業科目につき、合計一二四単位以上を修得することが卒業の要件とされているのであるから(三二条)、
単位の授与(認定)という行為は、
学生が当該授業科目を履修し、試験に合格したことを確認する教育上の措置であり、
卒業の要件をなすものではあるが、
当然に一般市民法秩序と直接の関係を有するものでないことは明らかである。
それゆえ、単位授与(認定)行為は、
他にそれが、一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることを肯認するに足りる特段の事情のない限り、
純然たる大学内部の問題として、
大学の自主的、自律的な判断に委ねられるべきものであつて、
裁判所の司法審査の対象にはならないものと解するのが相当である。
所論は、
現行法上、又は社会生活上単位の取得それ自体が、一種の資格要件とされる場合があるから、
単位授与(認定)行為は、司法審査の対象になるものと解すべきであるという。
しかしながら、
特定の授業科目の単位の取得それ自体が、
一般市民法上、一種の資格要件とされる場合のあることは所論のとおりであり、
その限りにおいて単位授与(認定)行為が、一般市民法秩序と直接の関係を有することは否定できないが、
そのような場合はいまだ極めて限られており、
一部に右のような場合があるからといつて、
一般的にすべての授業科目の単位の取得が、一般市民法上の資格地位に関係するものであり、
単位授与(認定)行為が、常に一般市民法秩序と直接の関係を有するものであるということはできない。
そして、
本件単位授与(認定)行為が、
一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることについては、
告人らはなんらの主張立証もしていない。
してみれば、
本件単位授与(認定)行為は、
裁判所の司法審査の対象にはならないものというべく、
これと結論を同じくする原審の判断は、結局、正当である。
論旨は、右説示と異なる見解に立つて原判決の違法をいい、
それを前提として原判決の違憲をいうものであつて、採用することができない。
よつて、行政事件訴訟法七条、
民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、
裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。