占領目的阻害行為処罰令違反と講和条約発効後の免訴

(昭和二十八年7月22日大法廷判決言渡)

昭和二十五年政令第325号違反

昭和27(あ)2868号
判決
原審破棄・免訴(補足意見、意見)
主文
原判決及び第一審判決を破棄する。
被告人を免訴する。
要旨
所謂アカハタ及びその後継紙、同類紙の発行停止に関する指令についての昭和25年政令第325号違反被告事件は、講和条約発効後においては刑の廃止があつたものとして免訴すべきである。
参照条文
昭和20年勅令542号,昭和25年政令325号前文,昭和25年政令325号1条,昭和25年政令325号2条,昭和25・6・26附及び昭和25・7・18附マツカーサー書簡,刑訴法337条2号,刑訴法411条5号,昭和27法律81号,昭和27法律137号2条6号,昭和27法律137号3条1項,憲法39条,憲法21条
裁判結果

【判決理由】多数意見

裁判官真野毅、同小谷勝重、同島保、両藤田八郎、同谷村唯一郎、同入江俊郎及び裁判官井上登、同栗山茂、同河村又介、同小林俊三の意見は、本件は、原判決後に、刑が廃止されたときにあたるとするにあるから、刑訴411条五号413条但書337条二号により、主文のとおり判決する。

裁判官田中耕太郎、同霜山精一、同斎藤悠輔、同本村善太郎は反対意見である。

【意見】真野毅、小谷勝重、島保、藤田八郎、同谷村唯一郎、入江俊郎

裁判官真野毅、同小谷勝重、向島保、同藤田八郎、同谷村唯一郎、同入江俊郎の意見は次のとおりである。

弁護人上田誠吉の上告趣意第三点について。

占領阻害行為処罰令(政令325号)の性質

昭和20年勅令第542号は、わが国の無条件降伏に伴う連合国の占領管理に基いて制定されたものである。

世人周知のごとくわが国は、ポツダム宣言を受諾し降伏文書に調印して、連合国に対して無条件降伏をした。

その結果、連合国最高司令官は、降伏条項を実施するため適当と認める措置をとる権限を有し、この限りにおいて、わが国の統治の権限は連合国最高司令官の制限の下に置かれることとなつた(降伏文書八項)

また日本国民は、連合国最高司令官により、又はその指示に基き、日本国政府の諸機関により課せられるすべての要求に応ずべきことが命令されており(同三項)

すべての官庁職員は、連合国最高司令官が降伏実施のため適当であると認めて自ら発し、又はその委任に基ぎ発せしめる一切の布告、命令及び指令を遵守し、且つこれを実施することが命令されておる(同五項)

そしてわが国は、ポツダム宣言の条項を誠実に履行することを約すると共に、右宣言を実施するため、連合国最高司令官又はその他特定の連合国代表者が要求することあるべき一切の命令を発し、且つ一切の措置をとることを約したのである(同六項)

さらに、日本の官庁職員及び日本国民は、連合国最高司令官又は他の連合国官憲の発する一切の指示を、誠実且つ迅速に遵守すべきことが命ぜられており、

若し、これらの指示を遵守するに遅滞があり、又はこれを遵守しないときは、連合国軍官憲及び日本国政府は厳重且つ迅速な制裁を加えるものとされている(指令第一号附属一般命令第一号一2項)。

それ故、連合国の管理下にあつた当時にあつては、日本国の統治の権限は一般には憲法によつて行われているが、連合国最高司令官が降伏条項を実施するため適当と認める措置をとる関係においては、その権力によつて制限を受ける法律状態におかれているものと言わねばならぬ。

すなわち連合国最高司令官は、降伏条項を実施するためには日本国憲法にかかわりなく、法律上全く自由に自ら適当と認める措置をとり、日本官庁の職員に対し指令を発してこれを遵守実施せしめることを得たのである。

かかる基本関係に基き、前記勅令第542号、すなわち政府ハポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ連合国最高司令官ノ為ス要求ニ係ル事項ヲ実施スル為、特ニ必要アル場合ニ於テハ命令ヲ以テ所要ノ定ヲ為シ及必要ナル罰則ヲ設クルコトヲ得 といふ緊急勅令が、降伏文書調印後、間もなき昭和20年9月20日に制定された。

この勅令は前記基本関係に基き、連合国最高司令官の為す要求に係る事項を実施する必要上制定されたものであるから、日本国憲法にかかわりなく憲法外において法的効力を有するものと認めなければならない。(昭和24年(れ)第685号、同28年4月8日言渡大法廷判決参照)

本件で問題となつている、

昭和25年政令325号占領目的阻害行為処罰令(以下政令325号という) は、その前身である、昭和21年勅令311号連合国占領軍の占領目的に有害な行為に対する処罰等に関する勅令と共に、前記勅令542号に基き、連合国最高司令官の為す要求に係る事項を実施する為制定せられた命令 (以下ポツダム命令という)であつて、

その制定当時においては、これまた前同様に憲法外における法的効力を有するものと言うべきである。

本件に必要な関係を有する範囲においては、政令325号は、占領目的に有害な行為をした者に対して刑罰を科する罰則を設けたものである。

そしてその占領目的に有害な行為の実質は、一般的・概括的な規準に従つて解釈上定められると言うのではなく、

この政令自体の中において、占領目的に有害な行為とは、
(イ) 連合国最高司令官の日本国政府に対する指令の趣旨に反する行為、
(ロ) その指令を施行するために連合国占領軍の軍、軍団又は師団の各司令官の発する命令の趣旨に反する行為、
及び
(ハ) その指令を履行するために日本国政府の発する法令に違反する行為をいう、
と列挙的・限定的に定められているのである。

そこで原審の認定した本件の事実関係は、前記(イ)連合国最高司令官の日本国政府に対する指令の趣旨に反する行為をなし、占領目的に有害な行為をなしたというのであつた。

それ故ここでは政令325号を、この指令違反の点に限局して論述することとする。

この政令325号の罰則は、その犯罪行為の実質的内容を政令自体において直接的・自給自足的に特定することなく、いわば抽象的な形式的内容に過ぎない連合国最高司令官の日本国政府に対する指令の趣旨に反する行為という表現をもつて、ただ間接的・他依存的犯罪行為の実質的内容を特定し得べからしめたものに過ぎない。

言いかえれば、まず連合国最高司令官の指令の存在とその内容を探求することによつてのみ、間接的に政令325号の犯罪構成要件の具体的な実質的内容は初めて特定せられ明らかならしめられるものである。

そしてこの罰則は単に、連合国最高司令官の発した指令の趣旨に違反する行為を処罰することとしているのであつて、

その指令が、いかなる事項に関するものであるか、またその指令がいかなる内容のものであるか等については何等の制限をしていない極めて広範なものである。

すなわち網羅的にすべての指令違反が処罰の対象とされているわけである。

この連合国最高司令官の指令が誠実に遵守せらるべきことは、すでに冒頭において述べたとおり、降伏文書及び一般命令においても特に明定されているところであり、

占領という特殊な状態において、最高司令官がその意思を実現し、その権威を発揚し、もつて占領目的を達成するがためには最も必要な前提要件であり、また最も大切な基盤であると言わねばならぬことは多言を要しないところである。

それ故にこの要件を充実し、この基盤を完成するためにこそ、そしてそのためにのみ政令325号及びその前身である昭和21年勅令311号は定められたと見るべきである。

かくてこの罰則はその本質において、全く最高司令官の占領目的達成のための手段たるに過ぎないものであるから、

占領状態の継続ないし最高司令官の存続を前提としてのみの存在の価値と意義を有するに過ぎないものと言うべきである。

別の言葉でいえばこの罰則はその本質上、占領状態の終了従つて、最高司令官そのものの解消と共に、当然その効力を失うべきものであると言わなければならない。

サンフランシスコ講和条約の意義

さて、昭和27年4月28日、日本国の平和条約はその効力を発生し、日本国と平和条約を締結批准した各連合国との間の戦争状態は終了し、

平和は克復せられ、連合国の占領は撤廃せられ、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権は承認せられ、もつてわが国は独立国家の地位を恢復したのである。

かくて平和条約発効後においては占領がないのであるから、占領目的に有害な行為が発生存在する余地がないのは当然である。

また連合国最高司令官は解消したのであるから連合国最高司令官の指令が発生存在する余地もなく、したがつて連合国最高司令官の指令違反行為が発生存在する余地がないのも当然自明の理である。

それ故、指令違反を処罰する政令325号は前にも述べたとおり、平和条約発効後においてはその効力を保持する余地がなく、当然失効したものと言わなければならない。

ただ昭和27年法律81号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律(平和条約発効の日である昭和27年4月28日施行)は、昭和20年勅令542号を廃止すると共に、 勅令542号に基く命令は、別に法律で廃止又は存続に関する措置がなされない場合においては、この法律施行の日から起算して百八十日間に限り、法律としての効力を有すると規定している。

ついで昭和27年法律137ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く法務府関係諸命令の措置に関する法律(昭和27年5月7日施行)は、政令325号を廃止すると共に、この法律の施行前にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による旨を規定した。

一般にポツダム命令は、前記法律81号により平和条約発効と同時に原則として法律としての効力を有すると定められたのであるから、

いやしくもその内容が、憲法の規定に違反していない限り、平和条約発効後においても効力を持続すると見るべきであるが、政令325号の罰則は、

他の一般ポツダム命令のごとく、その命令自体において犯罪行為の実質的内容を具体的に特定したものではなく、前に詳しく述べたように、単に最高司令官の指令違反を犯罪とし処罰するのであるから、その本質上、平和条約の発効と同時に当然失効するのである。

平和条約発効と同時に政令325号に法律としての効力を与えー従来現存する各指令の内容そのものに法律としての効力を与えたのでなくー、単に指令違反を犯罪とし処罰することを定めるのは、法律の内容として現実に不可能なことを定めるものであつて、結局憲法に違反するわけである。

したがつて、前記法律81号の制定されたことは、平和条約発効と同時に政令325号が当然失効することを妨げるものではない。(もし前記法律81号の立法が、従来現存する各指令の内容そのものに対して、法律としての効力を与えたものならば、各指令の内容について、一々憲法適否の審査をする必要があるが、同立法は、他の一般ポツダム命令に対すると同様に、政令325号に対しても、ただ単にその政令の内容、すなわち指令違反行為そのものの処罰に、法律としての効力を与えたに過ぎないものであつて、各指令の内容そのものに対して、法律としての効力を与えたものではないから、一々指令自体の内容について、憲法適否を審査することを要しないし、また、当該指令の内容の憲法適否にかかわりなく、前に述べたとおり、指令違反を処罰せんとする限りにおいて、前記法律81号は、違憲無効である。)

かように政令325号は、昭和27年4月28日、平和条約発効と同時に失効したものであるから、右失効後、昭和27年5月7日に施行された前記法律137号が、右失効前になされた行為に対しても、罰則の適用につき従前の例によると定めたものとすれば、すでにひとたび失効して効力のなくなつた政令325号の罰則をさらに復活させて、事後において過去の行為に遡及適用せしめようとする、いわゆる事後立法ということになり、憲法39条の趣旨に違反し無効であると言わなければならない。

なお政令325号は、平和条約の発効と同時に効力を失うべきものとしても、同令は占領下の臨時的必要に対処するため制定された臨時立法であるから、いわゆる限時法的性格を有し、その失効後も行為当時の同令を適用して処罰すべきであるとの見解をとる者がある。

しかしながら政令325号は、前にも述べたように占領という特殊な状態において、連合国最高司令官がその意思を実現し、その権威を発揚し、もつて占領目的を達成するための手段として制定されたに過ぎないものであるから、

占領下に同政令において違法とされた行為の違法性及び可罰性は、占領終了と共に当然消滅するものと言わなければならぬ。

すでに占領が終了し、日本国が独立を恢復し、日本国憲法が完全な支配を及ぼすに至つた今日において、占領下における最高司令官の指令に違反した行為を処罰すべきであるとすることは、占領終了の後においてもなお最高司令官の権威の存在を認めその指令の効力の存続を承認し、占領目的に有害な行為の持続を是認しようとするものであつて、かくのごときは到底憲法の容認しないところというべきである。

されば憲法違反の故に失効した罰則を、現時法的理論によつて存続せしめようとする見解の誤りであることは明白らかである。

あてはめ

そこで本件についてみるに、原審の適用した罰則である政令325号は、平和条約発効と同時にその効力を失つたのであるから、

犯罪後の法令により刑が廃止された場合にあたるものとして、被告人に対し免訴の言渡をするを相当とする。

論旨は結局理由があり、本件はその余の上告趣意に対する判断をまたず、この点において原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認める。

【意見】井上登、同栗山茂、河村又介、小林俊三

裁判官井上登、同栗山茂、同河村又介、同小林俊三の意見は次のとおりである。

弁護人上田誠吉の上告趣意第三点及び第四点について。

昭和25年6月26日附及び同年7月18日附連合国最高司令官の指令は、アカハタ及び連合国最高司令官によつてアカハタの同類紙、又は後継紙と認定された出版物を編集、印刷、頒布、又は運搬し、若しくは頒布の目的を以て所持することを禁止する趣旨を含んでいる。

被告人はこの指令の趣旨に違反して、占領目的に有害な行為をしたものであるとの理由によつて、昭和25年 政令第325号1条2条1項により、処断せられたのである。

昭和25年政令第325号は、昭和20年勅令第542号に基き制定されたいわゆるポツダム命令であつて、連合国最高司令官の指令の趣旨に違反する行為等を処罰することを規定するものであるが、

勅令第542号が、憲法外において、法的効力を有していたことは当裁判所の判例(昭和24年(れ)第685号同28年4月8日言渡大法廷判決)の示すとおりであるから、

従つてまた、右政令第325号も、たといその内容をなす指令に憲法違反の部分を含んでいても、占領期間中は憲法にかかわらず全面的に有効であつたことを認めなければならない。

しかしながら、占領終了によつて日本が独立を回復し、憲法がその効力を完全に発揮するに至つた後においては、憲法違反の法規の存在を容認することはできないから、これを有効な国法として存続させることができるかどうかは、この観点から厳正な検討をしなければならない。

思うに占領が終了し、連合国最高司令官の地位がなくなり、従つてその指令も指令に対する服従義務もなくなつたからといつて、

平和条約発効後は、右政令第325号が当然全面的にわが国法として存続する内容も効力ももち得ないということはできない。

すなわち、右政令第325号の内容となつている指令といつても、単に連合国又は占領軍の利益のためにのみ発せられたものばかりではなく、わが国の秩序を維持し公共の福祉を増進するために発せられたものも存在する。

このような内容をもつ指令は、連合国最高司令官から発せられたというだけの理由で、これを内容とする政令第325号がわが国の有効な国法となり得ないとはいえない。

従つて指令の内容において合憲なるものは、平和条約発効後においてもその指令のかぎりにおいて、わが国は右政令第325号を、わが国法として存続させることはその自由とするところである。

そこで昭和27年法律第81号は、昭和二十年勅令第542号に基く命令は、別に法律で廃止又は存続に関する措置がなされない場合においては、平和条約効力発生の日から180日間に限り、法律として効力を有する旨を規定したのであるから、

この中に含まれる政令第325号も、その内容とする指令が合憲なるかぎり、右法律により有効なわが国法として存続することになつたのである。

また、右政令第325号の定める罰則は、禁令の具体的内容を右政令自体に定めているのではなく、時に応じて行われる最高司令官の指令等をその基本とするのであるから、かかる不確定が存続するかぎりこれを国法とすることは多くの疑義が存するところであるが、

すでに、平和条約発効と同時に既存の指令等はそのまま確定し、右政令が当時仮りに白地法規の性質をもつていたとしても、その空白はすでに充足せられたのであるから、指令等が合憲なるかぎり、これをわが国法として存続せしめることを妨げる理由とならない。

そこで、本件被告人が違反したと認められた前記指令の内容が合憲であるかどうかを考えて見るに、

憲法21条は、基本的人権として言論の自由を保障し、殊にその2項は明らかに検閲を禁止している。

検閲とは公表されようとする言論に対して、官憲がこれを事前に審査しその容認するもののみの公表を許すことである。

しかるに前記指令は、アカハタ及びその同類紙又は後継紙について、これを掲載されようとする記事が国家の秩序を紊り、又は社会の福祉を害するというような理由の有る無しを問わず予じめ全面的にその発行を禁止するものであり、通常の検閲制度にもまさつて言論の自由を奪うのであるから、

憲法21条に違反するものであることは明らかであつて、右政令第325号もまたこの指令に対する違反を罰するかぎりにおいて、憲法に違反するといわなければならない。

従つて占領中は、政令第325号により、右指令の趣旨に違反した行為として処罰されなければならなかつたとしても、

占領終了し、日本国憲法が完全にその効力を発揮することになつた後においては、裁判所は憲法違反の法規の効力を容認することはできないから、右政令第325号は、前記指令を適用するかぎりにおいて、わが国のこれに関する立法の如何にかかわらず(すなわち法律第81号によつても)平和条約発効と同時に、その効力を存続せしめることができないものと断じなければならない。

さらに、昭和27年5月7日公布と同時に施行された法律第137号は、その2条において、右の政令第325号を廃止し、その3条において、この法律の施行前にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例によると定めている。

しかし憲法違反の故に、すでに効力を失つている法規を有効なものとして復活せしめようとする規定は、そのかぎりにおいて違憲であるから、右3条も前記指令に関するかぎりその効力を生ずるに由なきものである。

また、右の政令第325号に限時法として効力を認めようとする説は、憲法違反の故に失効した法規を限時法の理論によつて存続させることは不可能であるから首肯することはできない。

以上述べたように、政令第325号は前記指令に関するかぎり、平和条約発効と共に失効したのであるから、それ以後は右指令の趣旨違反を理由として処罰することができなくなつたのである。

されば本件は原判決後の法令により刑の廃止があつた場合に準ずべきものと解するのを相当とする。

或は刑の廃止には国家意思の表示が必要であつて、本件の場合前記法律第137号は明らかに従前の例によるという規定を置き、刑の存続を認めているという説があるけれども、

憲法は国の最高法規であるから、憲法の条規に違反する罰則は立法があつたからといつて、その効力を有することができないことは、憲法98条で明らかである。

よつて本件は、原判決後に刑の廢止があつた場合にあたるから、その余の上告趣意に対する判斷をするまでもなく、原判決及び第一審判決を破棄し被告人を免訴すべきものである。

【補足意見】河村又介

裁判官河村又介の補足意見は次のとおりである。

私の意見は大体前掲のとおりであるが、なお次の点を明らかにしておきたい。

旧憲法下において制定された法令については、それが一旦法的に有効に成立したものである以上、新憲法に定めるところとは異なつた機関や手続によつて制定されたものであつても、その法令の定めている内容が新憲法下で許されないようなものでない限り当然無効とはならない。

憲法98条一項は、このように解すべきであること、すでに曾て〔かつて〕述べたとおりである(最高裁判所昭和25年(れ)第723号、同27年12月24日大法廷判決における補足意見参照)。

右の法理は、本件の政令第325号のように、憲法施行後制定された法令についても同様であつて、その規定している内容が憲法に違背しない限り、平和条約発効によつて、憲法が全面的に効力を発揮するようになつたからとて当然に効力を失う筈はない。

従つて昭和27年法律第81号は、この当然の事理を前提として、右の政令の有効期間を平和条約発効後180日間に限つたものであつて、

本来平和条約発効と共に消滅すべき筈であつたものが、この法律によつて始めて存続することになつたのではないと解する。

【意見】田中耕太郎、同霜山精一、同斎藤悠輔、同本村善太郎

裁判官田中耕太郎、同霜山精一、同斎藤悠輔、同本村善太郎の本件についての意見は次のとおp>section>

弁護人上田誠吉の上告趣意第一、二点並びに第四点について。

昭和20年勅令542号は、わが国の無条件降伏に伴う連合国の占領管理に基い制定されたものであること、

連合国最高司令官は、降伏条項を実施するためには日本国憲法にかかわりなく、法律上全く自由に自ら適当と認める措置をとり、日本の官庁職員及び日本国民に対し指令を発して、これを遵守せしめることを得るものであること、

されば同勅令は、日本国憲法にかかわりなく同憲法施行後も同憲法外において法的効力を有し、従つて同勅令に基く政令325号もまた無効といえないこと、

並びに右勅令にいわゆる特ニ必要アル場合とは、所論のように日本政府が法律案を作り、これを国会に提出するいとまがないような場合を指すものでなく、従つて同政令が同勅令所定の要件を具備しない無効なものといえないことは、すべて当裁判所大法廷判決の趣旨に照し明らかなところである。(昭和24年(れ)685号同28年4月8日宣告大法廷判決中、弁護人森長英三郎の上告趣意第二点、第三点についての判断参照)

それ故、前記勅令並びに政令を無効であるとする論旨第一、二点、並びに論旨第四点中右政令所定の指令の一つである本件アカハタ及びその後継紙並びに同類紙の発行停止を命じた最高司令官の指令が、憲法19条21条に違反するとの点はいずれも採用することはできない。

なお、平和条約が発効したからといつて右指令が憲法に反するか否かを判断すべきでないことは、〔下記〕論旨第三点についての説明によつて了解すべきである。

同第三点について。

本件第一審判決の確定したところによれば被告人の本件犯行は、昭和26年1月2日頃から同年同月25日頃までに行われたものであるから、

被告人の所為は前論旨に説明したとおり、右犯行当時法的に有効に存在した昭和25年政令325号一条に違反し、同2条1項に該当すること明白であつて、被告人は同条項所定の処罰を免れないものといわなければならない。

しかるに所論は、原判決後に刑の廃止があつたから免訴の判決をなすべき旨を主張する。

しかし、刑訴411条五号に、いわゆる判決があつた後に刑の廃止があつたこととあるのは、刑訴337条二号にいわゆる犯罪後の法令により刑が廃止されたとき。と同義であつて、犯罪後の法令により積極的に明示又は少くとも黙示を以て、既に発生、成立した刑罰権を特に放棄したとき、すなわち特にこれを廃止する国家意思の発現あつたときを指すものである。

なぜなら、罪刑法定主義を採用した法治国においては、犯罪者が行為時法によつて処罰されるのは当然の約束であつて、行為時法によつて既に発生、成立した刑罰法規の効果である刑罰は、その後における大赦又は法令に因つて特に消滅又は廃止されない限り、存続するのは当り前であるからである。

刑の廃止は行為時法によつて発生、成立した刑罰権の放棄であるから、行為時法により刑罰権が一旦有効に発生、成立した以上、行為の後その刑罰権を発生、成立せしめる原因となつた法規が、単に将来に向つて廃止され又は消滅したからといつて、既に発生、成立して終つた既成の法律効果を、同時に放棄、廃止する国家意思の表現がない限り、法律効果そのものが当然消滅する道理がない。

ただ犯罪行為の後、これを成立せしめた或る法規が廃止され又は消滅した場合に、その廃止又は消滅の理由が同時に立法者において、既に発生、成立した刑罰権をも暗黙に放棄したと認むべき場合があるに過ぎないのである。

特に犯罪後の立法によつて或る刑罰法規を廃止した場合に、その廃止の理由が立法者の側における法的観念、刑法的価値判断に変更を生じ、従前認められていた刑罰法上の可罰性を認むべきでないとするような理由であるときは、その廃止と同時に、既成の刑罰権をも暗黙に放棄したと推定するに過ぎないのである。

これに反しいわゆる限時法の場合、特にその立法と同時に予め法規失効後も失効前の違反行為に対し、罰則を適用する旨の明文を設けた場合(昭和六年法津四〇号重要産業ノ統制ニ関スル法律附則参照)のように、法規の廃止又は消滅が、立法者の法的観念又は刑法的価値判断の変更によるものでなく、単に事情の変更乃至時間の経過に因るに過ぎないときは、法規の廃止又は消滅後も寧ろ立法者が既成の法律効果を放棄しない国家意思であると見るべきである。

そして、本件政令325号占領目的阻害行為処罰令は、その名の示すとおり初めから占領中のみに限り有効に存在し、占領の終了と同時にその効力を失うべき性格の政令であること論を俊たないから、いわゆる限時法に属するものと解すべきこと多言を要しない。

されば本件政令の基本法である、昭和20年勅令542号並びにこれに基く本件政令325号が、原判決があつた(昭和27年4月28日言渡)後、同日午後10時30分連合国と日本国との平和条約発効と同時に失効したとしても、既成の同政令2条一項の刑罰を廃止したと認むべき法令に因る明示又は黙示の国家意思は認められないし、(特に本件指令の趣旨に反する同令違反につき大赦がなかつたことは顕著な事実である。)、また同処罰令の前示のごとき限時法たる性格上刑罰を廃止したものと見ることもできない。

しかのみならず、昭和27年法律81号同法律137号の一連の法律は、(同法律81号が、新らたな国内法律として有効であるか否かは別として)、 却つてその刑罰を特に廃止しない旨の明確な国家意思を表明しているのであるから、所論刑の廃止の主張はいずれの点から見ても採用できない。

なお前述のごとく刑の廃止は、行為時法によつて有効に発生成立した刑罰権の放棄であるから、一旦有効に成立した刑罰権を特に放棄しない趣旨の立法は、畢竟刑訴337条二号、若しくは411条五号のごとき、訴訟法、又は刑法6条のごとき、例外規定が適用のないことを明確にした立法に外ならないのであつて、一旦失効した刑罰法規そのものを、失効後再び有効な法規としてこれを復活させるものでない。

それ故、憲法39条の事後立法又は二重処罰とは何の関係もない全く自由な立法政策上の問題であること多言を要しない。

されば前記法律137号就中、 同81号を目して法律の内容として不可能なことを定めるもので違憲であるとの説、又はすでに失効した罰則を復活させて事後において過去の行為に遡及適用せしめるものであるという説のごときは、法規そのものの将来に対する廃止又は失効と、その廃止又は失効前に法規適用の結果発生した法律効果とを混同するものといわなければならない。

また既に平和条約発効前たる昭和26年1月中、有効に発生成立した本件政令2条1項の犯罪の前提となる指令の内容が、平和条約発効後において憲法21条に違反するとの説は、裁判時において行為時法そのものが必ず存続していなければならないということを前提とするものであるが、

限時法の場合に行為時法を適用するのは、一旦失効した刑罰法規そのものを、失効後再び有効な法規としてこれを復活存続せしめることでないことは前に説明したとおりであるから、その前提において既に失当である。

仮りに該指令の内容が憲法21条に違反していると仮定しても(後述のごとく本件指令は、アカハタ及びその後継紙等が日本の政党の合法的な機関紙ではなく国外の破壊勢力の道具であるという事実を証明しているということに立゙脚しているのであるから、立法問題としては要するに、思想乃至表現の自由の問題ではなく、むしろ一種の暴力である国外からの破壊活動そのものを内容としており、従つて国民の基本的権利に関する憲法19条、21条等違反の問題を生ずる余地のないこと明白である。されば、これを憲法21条違反であるとの説は、前示指令の内容に全然副わない平穏無事な事実関係を想定しこれを前提とするもので、賛同できない。)

それは昭和27年法律81号が、有効な法律とは認められないこと、従つて同法律によつて新らたに処罰できないことを説明し得ても、既に右法律前発生、成立した本件政令違反に対する刑罰が、放棄、廃止されたことの説明とはなり得ないこというまでもない。

同第五点乃至第八点について。

昭和25年6月26日附及び同年7月18日附、連合国最高司令官のアカハタ及びその後継紙並びに同類紙の発行に対し課せられた、停刊措置に関する指令によれば、アカハタは日本の政党の合法的な機関紙ではなく、日本国民の間に、特に今回は日本にいる多数の朝鮮人の間に、人心をかく乱して公共の安寧と福祉とを侵害することを目的とした、悪意のある虚偽のせん動的な宣伝を広めるために用いられる、国外の破壊勢力の道具であるという事実を証明していると認めている。

従つて同指令は、アカハタ及び連合国最高司令官によつて、アカハタの後継紙又は同類紙と認定された出版物を、一般人に宣伝、播布するためにする一切の行為を禁止するものであつて、その編集、印刷、頒布又は運搬、若しくは頒布の目的を以て所持することをも禁止する趣旨を含んでいることは、同指令自体で明白である。

そして本件、平和のこえが、右アカハタの後継紙と認定された出版物であつて、被告人がこれを知りながら直接又は間接に頒布してその発行行為をしたものであることは、原判決の是認した第一審判決が証拠により適法に確定したところである。

されば、所論第五点乃至第七点は、連合国最高司令官の指令の解釈、又は原判決の認定を非難するに帰し、また同第八点は、量刑不当の主張であつて、いずれも刑訴405条の上告理由として採用することはできない。

被告人本人の上告趣意について。

昭和25年政令325号、占領目的阻害行為処罰令違反の内容をなす指令の解釈権は連合国最高司令官にあつたのであるから、原判決が本件平和のこえが、アカハタの後継紙であるか否かの認定権が、連合国最高司令官及び最高司令官の委任を受けた法務総裁に存し、日本の裁判所にこれと反する認定をなす権限は存しない旨の原判決の説示は正当である。

されば所論第一点中この点に関する部分は採用できない。

その部分並びに論旨第二点は、原判決の是認した第一審判決が証拠に基き適法になした事実認定を非難するか、又は単なる訴訟法違反の主張であつて、刑訴405条の上告理由に当らない。

次に所謂第三点のように、昭和27年4月28日平和条約の発効により、本件政令325号が効力を失つても免訴の事由とならないことは、弁護人上田誠吉の上告趣意第三点について説明したとおりであるから同論旨も採用できない。

なお所論第四点は違憲をいうが具体的条文を挙示しないし、また政治的不法弾圧であるというだけでは原判決に対する適法な上告理由と認め難いからこれまた採用できない。

よつて、刑訴408条により、本件上告は棄却すべきものである。

【意見】斎藤悠輔

裁判官斎藤悠輔は、本件につき次の意見を附加する。

刑法6条は実体刑法上、犯罪行為時法を適用するのが当然であつて、新法を遡及適用すべきでない原則に対し、犯罪者に対する恩恵上一大例外を認めたものであるから、その立法趣旨に照しこれを狭く厳格に解すべく、広く類推して解釈すべきでないことはいうまでもない。

同条はその法文上明らかなように、単に犯罪後ノ法律ニ因リ刑ノ変更アリタルトキハ其ノ軽キモノヲ適用スと規定して、犯罪行為時法の刑が犯罪後の法律に因り変更されたときに限り規定したに止り、ドイツ旧刑法2条2項のように、犯罪の時から判決言渡の時までの間、いやしくも実体刑法規定の変更があつたときは、犯罪者に最も有利な結果を生ずべき一切の規定を適用する趣旨の立法ではない。

すなわち刑法6条は、犯罪者の犯罪行為成立(即時犯)、又は完結(継続犯)後、判決言渡までの間において、その犯罪者の行為規範の違反に対し、科すべく予定した法律効果を規定した法規(実体刑法各本条)に変更を生じたときは、本来、罪刑法定主義の建前からすれば行為当時の刑罰を科すべきであるのに、立法者の犯罪者に対する量刑観念の変化に伴う、最も寛大な立法意思の表現である最も軽い法律効果を規定した法規を適用すべきものとして、特に軽き刑を規定した新法の遡及効(すなわち軽き事後法の適用)、又は既に失効した最も軽き刑を規定してあつた中間法の復活適用を認めたに過ぎないものである。

従つて同条は、ドイツ刑法2条a2項後段のように、行為当時の刑罰法規が判決言渡の時に廃止され又は消滅した場合に、その法規を適用しないで無罪たらしめるという趣旨の実体刑法規定ではなく、またかかる場合に、刑訴337条二号にいわゆる犯罪後の法令により刑が廃止されたときと類推解釈すべき訴訟法規定でもない。

従つて、わが刑法6条を免訴の根拠規定とすることのできないことはいうまでもない。

次に本件被告人は、その犯罪行為の時から少くとも昭和27年4月28日平和条約発効までの間、有罪であつたことについては裁判官全員一致の意見である。

そして、真野、小谷、島、藤田、谷村、入江六裁判官の免訴説は、その余の裁判官の賛同しないところであり、また、井上、栗山、河村、小林四裁判官の免訴説は前記六裁判官の免訴説とその理由において相容れないものであつて、右四裁判官以外の裁判官の賛同しないところである。

されば、右二個の免訴説は各独立した少数意見であつて、本件は合議の本質上、上告棄却の裁判あつたものと考えざるを得ない。

【補足意見】真野毅

裁判官真野毅の補足意見は冒頭他の五裁判官とともに述べた意見の外次のとおりである。

棄却説(田中、霜山、斎藤、本村各裁判官意見)は、

刑訴411条五号、及び刑訴337条二号にいわゆる刑の廃止というのは、
犯罪後の法令により、積極的に明示又は少くとも黙示を以て、既に発生、成立した刑罰権を特に放棄したとき......を指すものである
と言い、
さらに
刑の廃止は、行為時法によつて発生、成立した刑罰権の放棄であるから、行為時法により刑罰権が一旦有効に発生、成立した以上、行為の後その刑罰権を発生、成立せしめる原因となつた法規が単に将来に向つて廃止され又は消滅したからといつて、既に発生、成立して終つた既成の法律効果を同時に放棄、廃止する国家意思の表現がない限り、法律効果そのものが当然消滅する道理がない
と論じている。

この考え方は、わたくしの考え方とは正反対で全くうらはらになつている。

すなわち棄却説では、刑罰法規の廃止があつても犯罪後の法令により、明示又は黙示ですでに発生した刑罰権を特に放棄する意思の表現がない限り、刑の廃止による免訴には当らないとするのである。

これに反しわたくしは、刑罰法規の廃止があれば明示又は黙示による反対規定がない限り、刑の廃止による免訴の規定が適用さるべきだと考えるのである。

刑法6条は、
犯罪後ノ法律ニ因リ刑ノ変更アリタルトキハ其軽キモノヲ適用ス
と規定し、
刑訴337条二号は、
犯罪後の法令により刑が廃止されたときは、判決で、免訴の言渡をしなければならない旨を規定し、
また、刑訴411条五号は、
判決があつた後に刑の廃止若しくは変更があつたときは、判決で、原判決を破棄することができる
旨を規定している。

これらの諸規定は、それぞれ実体面と手続面から定められたものではあるが、互に密接な関連があるから総合して統一的な解釈を打ち立てることを要するわけである。

憲法の原則となつている罪刑法定主義からいえば、犯行後に制定された刑罰法規を適用して人を処罰することは許されない。

犯罪者に対しては、犯罪時に現存する刑罰法規を適用して処罰すべきものであるということになる。

これでもつて恣意・専断による処罰は堅く禁ぜられ、各人の基本的人権は安泰に擁護される仕組みである。

ところが犯罪後裁判時までの間に、刑を定めている刑罰法規の変更によつて刑が軽く変更される場合がある。

そうなると、その変更後の同種犯罪者に対しては軽い刑を定めた新刑罰法規が適用されるのに比し、従前の犯罪者に対しては重い刑を定めた旧刑罰法規が適用されるという不権衡が生ずる。

かかる不権衡を取り除き、一視同仁に公平に従前の犯罪者に対しても軽い新刑罰法規を適用するように定めたのが、前記刑法6条の趣旨である。

すなわち、刑法6条は、公平処罰の見地から被告人の利益のために、罪刑法定主義と密接な関係を有する行為時法主義(不遡及の原則)の一つの例外を定めたものである。

ここに公平の意義について注意すべき大切なことは、従前の犯罪者を刑の変更後の犯罪者との比較において公平に軽く処罰する趣旨であつて、

従前の犯罪者ですでに裁判の確定した者(重い刑を受けた者)との比較においては、公平に重く処罰するのではなく、却つて不公平に軽く処罰される結果となることを法は十分承認しているのである。

裁判手続が早く済んだ被告人は重く罰せられ、たまたま裁判手続が遅れた被告人は軽く罰せられる点だけを捉えてみると、それは不公平なばかりでなく不合理であることは勿論であるが、

それにも拘わらず法は、裁判未確定の被告人の利益のために敢て軽い刑を適用するとしたのである。

この意義において、立法者の恩恵といつても寛容の精神といつても法の仁愛といつても、また法の慈悲(マーシー・オブ・ロー)といつてもよい。

さて刑の廃止について、前述刑法6条の適用があるか否かについては多少の議論はあるが、刑の廃止は同条にいわゆる刑の変更の最も軽い極限に当るわけであるから、当然に同条の適用を見るものというべきである。

刑法6条刑ノ変更の中には、狭義の刑の変更と刑の廃止(刑訴411条五号)を含むものと解するを相当とする。
(刑の廃止には、刑の変更の刑法6条の精神を類推するというのは、いささか文字に捉われた感がある。また刑の廃止は変更とは質が異るから、同条の適用がないというのは、あまりに観念的な物の考え方である。共に賛同することを得ない。)

そこで刑の廃止があつた場合には、もはや刑罰法規は存在しない法律状態となつたのであるから、前に述べた公平・恩恵・寛容・仁愛・慈悲の精神によつて、従前の犯罪者も処罰されないこととなるのである。

この場合、他の法律に特別の規定が無ければ無罪とすべきか、あるいは免訴とすべきかは多少問題として疑問を残したであろう。

しかし刑訴337条二号(旧刑訴三六三条二号)は、明文をもつてこの疑問に解決を与えるため、犯罪後の法令により刑が廃止されたときは、判決で免訴を言渡すべきものと規定したのである。

刑法6条の実体法的規定と、刑訴337条二号の訴訟法的規定の関係は、右のような意義に解するを相当とする。(かりに、刑の廃止の場合には刑法6条の適用がないとの説によつても、裁判時法により刑が廃止された場合には、従前の犯罪に対して刑罰を科すべき理由はなく、刑訴337条二号によつて免訴されるわけである)

つぎに、犯罪後の法令で刑が廃止されたに拘わらず、第一審又は控訴審が誤つて免訴判決をしなかつた場合には、法令違反として上訴の規定に従つて上訴審において審判される。

さらにまた、第一審又は控訴審の判決後に刑の廃止があつた場合には、その判決自体にはそれがために法令違反はないけれども、原判決破棄の事由とされているのである(刑訴383条二号411条五号)

その立法の趣旨は、被告人の利益のために公平の見地から設けられたものであつて、前に述べた刑法6条の立法趣旨と全く同じものであると言うことができる。

上述のとおりであるから将来に向つて刑の廃止があれば、特に明示又は黙示による反対規定がない限り、従前の犯罪者は刑の廃止後の同種の行為者との対比において、公平な処理となるように免訴されるものというべきである。

そして刑の廃止の場合に立法技術としてしばしば用いられているところの、かの旧法(令)廃止前にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例によるといつた風の規定が、まさに前記明示による反対規定に当るわけである。

そこで、棄却説なるものについて検討してみよう。

(一)従前の例によるという規定の矛盾

棄却説は、刑罰法規が廃止されても、行為時法によつてすでに発生した刑罰権は、特に明示又は黙示によつて放棄する意思の表現がない限り消滅することなく、従前の犯罪に対しては処罰ができるというのであるが、

それなら従前の行為に対し罰則の適用については、従前の例によるというような規定は全然無意味で、これを設ける必要はないということになる。

これは、一般の考えに反することは、あまりにも明瞭である。

(二) 刑法六条の立法趣旨との矛盾

 

前にも述べたとおり、刑法6条等一連の規定は、将来に向つて刑罰法規が廃止された場合には、その法律状態の下における同種の行為者との対比において公平に取扱われるように、従前の犯罪者を免訴するというのが立法趣旨であるのに、

棄却説は、将来に向つて刑罰法規が廃止されても、従前の犯罪に対する刑罰権の放棄が明示又は黙示により表現されない限り免訴にはならないと説いている。

この説はその根本において、刑法6条などの立法趣旨を全く誤解しているのではあるまいか。

(三) 刑の廃止の意義の誤解

棄却説は、刑の廃止は行為時法によつて発生、成立した刑罰権の放棄であるからとまず自ら定義し、

従前の刑罰法規が将来に向つて廃止されたからといつて、既に発生した法律効果を放棄する意思の表現がない限り従前どおり処罰すべきだと説いている。

しかし、わたくしをして忌憚なく言わしむれば、かかる定義自体がおかしい。

いわば、結論を導き出すのに都合のよいように定義を作りあげて、これを前に据え置いたという感じがする。

刑の廃止とは棄却説の定義しているようなものではなく、前に述べたごとく刑を定めている刑罰法規が廃止(もちろん失効を含む)されること、すなわち将来に向つて効力を失うことを意味する。

かように将来に向つては処罰できない法律状態となるから、それとバランスをとり公平になるように、従前の犯罪者を免訴するというのが刑法6条などの立法趣旨であることは何度もいつたとおりである。

棄却説はこの立法趣旨を全く理解していない嫌いがある。

(四) 法律による赦免と刑の廃止による免訴の混同

棄却説は従前の犯罪に対し発生した刑罰権は、特に明示又は黙示によるその放棄の規定がない限り、刑の廃止による免訴をすべきでないとしているが、

かように従前の犯罪に対する刑罰権を放棄する法律が設けられる場合には、大赦令による大赦と同様なことがその法律によつて行われると見るべきものである。

普通の大赦令による大赦は政令に基いて行われるが、前記の場合は法律に基いて赦免が行われるという差があるだけのことであるから、

この場合には大赦に関する刑訴337条三号、及び411条五号後段の規定が適用さるべきであり、従つて刑の廃止に関する刑訴337条二号、及び411条五号前段の規定は適用さるべきものではないのである。

この意味において棄却説は、法律による赦免と刑の廃止による免訴とを混同する過ちを犯しているものと言わねばならぬ。

(五) 限時法理論との矛盾

棄却説はさらに理由として、限時法理論を持ち出して来ている。

これは明らかにその主張の前段と矛盾したことになる。

いわゆる限時法説なるものは刑の廃止があつても免訴をせず、従前の例によつて処罰するというのであつて、

刑の廃止による免訴の一例外を認めるために案出された刑法理論である。

それ故刑の廃止を認めないところには、限時法理論を適用すべき余地は全くないわけである。

それだのに棄却説は、前段の説明においては刑の廃止はないのだといい、後段の説明においては限時法に属するといつているのは、前後矛盾する理由を主張する誤りがあると言わねばならない。

(六) 限時法理論の経緯と適用のあり方について

ドイツでは、施行期限を限定して制定された1878八年のビスマルクの社会主義者法が、期限を経過して失効した後に、1885年ライヒス・ゲリヒトがこれを適用して従前の犯罪者を処罰した。

それ以来、限時法の理論は刑法学界において順次盛んに論議せられ、限時法の認否及びその理論的根拠、ないし限時法適用の範囲等について種々雑多な学説が展開せられ、甲論乙駁、真に帰趨するところを知らなかつた。

この状態を立法によつて解決しようとして、1909年の第一次予備草案が出来て以来幾度も委員会が更改せられ、その都度別の草案が作られていつたが、

最後に、1935年6月28日の法律で刑法2条aの規定が設けられ、その3項において、限時法は一定の施行期間を定めた法律に限られることを明定した。

これで四分五裂というか七花八裂というか、むしろ百鬼夜行の観ががないでもなかつた限時法理論には終止符が打たれたのであつた。

それから四年も経過して、ドイツでは限時法理論の妖怪が白日の下影をひそめた頃になつて、

わが国では昭和14年3月C氏が、臨時馬の移動制限に関する法律の適用に関し、昭和14年10月19日に刑の廃止による免訴を言渡した大審院判例の批評として、独乙(ドイツ)旧法時代出版のビンデングやフランクの限時法説を引用して、むしろおそるおそるとでも言つた態度で、この事案には限時法の観念を適用してこそ、始めて能く取締の目的を達成し得るのではあるまいかと論じた。

その後日支事変、太平洋戦争の非常時下において、取締の目的を達成する便宜のため、限時法理論は学説及び判例に採り入れられ、相当放漫に流れて行つた感がする。

旧憲法下のことは知らないが、新憲法下における裁判所の真の使命は、そんな取締の目的を達成する便宜のために法を解釈し、又は刑法理論を構成することではなくして、たゞ法を適正に運用して、国民の基本的人権を擁護することに重点があるとわたくしは考えるのである。

取締の目的を達成し得るためには、用意周到な立法こそが大切であるとさるべきである。

そしてわたくしは、数年前のいわゆる限時法事件において、限時法に関するわたくしの考えを述べておいたが(判例集四巻一〇号一九八三頁以下)、その考え方は今日においても変りはない。

わたくしは法律の実施につき、一定期間を限定している場合にのみ限時法を認めるものである。

その以外には限時法を認むべき必要もなく、またこれを認めるのは妥当でない。

従前の行為を処罰する必要があれば、一挙手一投足の労で立法上の手当をすれば事足りると考える。

(七) 期限の定めのない臨時法としての適用について

かりに、限時法(ツアイト・ゲゼッツ)を前記のごとく、法律の実施につき一定期間を限定している場合に限らず、いわゆる臨時法(テンポレーレス・ゲゼッツ)の場合をも含むものと解するとしても、

本件のごとき法律状態の大変革の場合に当つて、限時法の理論を駆使することは許されない。

わが国が受諾した、ポツダム宣言一2項においては、前記目的が達成せられ、かつ日本国民の自由に表明した意思に従つて、平和的傾向を有する責任ある政府が樹立された場合においては、連合国占領軍は速かに日本国から撤収さるべきであろう と定めているのであつて、

占領の終了は時間的に確定期限又は不確定期限がつけられているというのではなく、単に前記条件(この条件の成就したか否かは一に連合国の主観的判断にかかる)がつけられている極めて不確定なものである。

従つて、占領目的のためにする立法を臨時法として限時法中に取込むこと自体に余程の疑問があるべきである。

この点はしばらく措くも、占領中において政令325号の指令違反行為の処罰規定は、憲法外の法的効力を有しただけのものであつた。

占領終了後においては、どこにも憲法外の法的効力を認むべき根拠はなくなり、憲法のみが完全な支配力を及ぼす法律状態となつた。

かかる法律状態の下においては、将来に向つて指令違反行為は発生する余地もなく、これを処罰する従前の規定は当然失効し、またかかる処罰規定を設けても違憲無効であることは明白である。

しからばこれと対比して、占領中に犯された従前の指令違反行為につき、前に述べた、刑法6条等の立法趣旨である公平・寛容の見地から、刑の廃止による免訴の取扱いをすべきは当然ではあるまいか。

また占領下において、政令325号で犯罪とされた従前の行為の犯罪性及び可罰性は、占領終了と共に当然消滅すべきものである。

憲法が完全に支配する時代となつた後においても、従前の行為に対し限時法理論を借り来つて、従前どおり処罰しようとする棄却説の見解は、

ただに限時法の不当な拡張による濫用であるばかりでなく、全く憲法の重さを十分に理解しない議論だといわなければならない。

憲法は、限時法の理論よりは遙かに重い。

憲法に違反する従前行為処罰を、>限時法の故をもつて許容することはできない。

(八) 昭和27年法律81号の問題点

最後に昭和27年法律81号は、勅令542号に基く命令は、昭和27年4月28日から起算して180日間に限り、法律としての効力を有する旨を定めている。

政令325号はこの勅令542号に基く命令に当るから、この法律81号によつて180日間法律としての効力を有するものとされた。

その意義、如何がいささか問題である。

(い) 政令325号の位置付け

法令廃止の場合に、従前の行為を従前どおり処罰しようとするときは、旧法(令)廃止前にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例によるというような立法技術を普通一般に用いることに慣例化されている。

法律81号は、政令325号についてかような立法技術は用いなかつた。

それ故、これとは違う意味に解すべきであろう。

(ろ) 政令325号(占領阻害行為処罰令)の解釈

そうすると法律81号は、政令325号については指令を含まない白地刑罰法規そのままの形で、その他のポツダム命令と同じように、将来に向つて180日間は法律としての効力を有せしめようとしたものと解するの外はない。

そうだとすると、占領終了後は指令もなく指令違反行為も発生存在することは不可能であるから、これを処罰しようとする法律81号は無意義であつて違憲無效であることは明らかである。

かくのごときは、政令325号の有する特殊性(指令違反行為を処罰するという形式的内容)を顧みず、その他の一般ポツダム命令と一括して、一律にただ単に法律としての効力を法律81号が与えたことから生ずる当然の結果である。

(は)

そこで法律81号は概括的に、勅令542号に基く命令を180日間法律として延命する旨を規定したが、

政令325号の関する限りにおいては、従前の行為に対して従前の例によつて処罰するという意義を有するものと解すべきだとの見解も生じて来る。

そう解するとしても、従前の例によるという規定の意義は、従前の行為に対する相対的関係においては、当該法令を廃止しないでそのまま存続せしめるという趣旨に解すべきものである(昭和24年(れ)685号、同28年4月8日言渡大法廷判決中の真野裁判官意見参照)

それ故かかる法律は、占領終了後は憲法に違反することとなり、当然失効するものであつて到底その効力を保持することはできない。

その詳細は、他の五裁判官と共に述べた意見のとおりである。

だから、法律81号は、政令325号に関しては、いかなる意義に解しても違憲無効であると言わねばならぬ。

棄却説がこの無効な法律81号を援用しているのは、全く無意味の業である。

これを要するに、以上いずれの点から検討してみても、棄却説はついに理由なきものであると論断せざるを得ないのである。

【補充意見】井上登

裁判官井上登の補充意見。

私の意見の要領は、栗山、河村、小林三裁判官と連名で書いたとおりであるが、その後、他の裁判官たちの意見書を見たのでそれについて少しく書きたい。

先ず、真野外五裁判官の意見は、私には少しはつきりしない処がないではないが、要するに、

昭和27年法律第81号(以下単に81号と書く)が、個々の指令(昭和25年政令第325号によつて適用される指令をいう、以下同じ)を法律化したものならば、個々の指令について、その内容が違憲なりや否やを判断しなければならないが、

81号は、個々の指令を法律化したのではなく、右政令第325号(以下単に325号と書く)を法律化したものである、

そして右政令は、指令に違反する者を罰することを内容とするものであり、指令は司令官が占領目的を達成するが為め発するものであるから、占領という事実がなくなつた以上、>指令も占領目的に有害な行為というものも存在せず、従つて指令違反者を、占領目的に有害な行為をした者として罰するということはあり得ないというにあるらしい(不可能なことを定めるものであつて結局憲法に違反するというのはわからない)

しかし占領という事実がなくなつても、日本が自由な立場において、新たに法律を以つて既に発せられ、内容の確定して居る指令(内容が違憲のものでない限り)に違反した者を罰することとするのは、少しも差支ない(六裁判官のいうようにあり得ない事でもないし、違憲でもない)

占領目的という語は、従来、占領自体を目的とし、占領目的に有害な行為とは、占領の妨となる行為というような意味に用いられたこともあるけれども、

そうでなく、如何なる目的のために日本を占領するかというその目的、例えば日本を民主的な平和国家にする為めといつたような意味にも用いられたのであり、その目的のために発せられた指令もあり得るのであるから、かかる指令に違反する者を、325号によつて処罰することは、領終了後においても少しも差支ないわけである。

81号が、325号に、法律としての効力を持たしめたのは、このことを考えて居るものと見るの外ない。

325号自体は、いわゆる白地刑罰法規ともいうべきものであつて、それだけでは何等の働をもなすものでなく、その空白部分を充足する個々の指令と合せて考えるにあらざれば意味のないものである。

そして裁判所が、或る法令が違憲なりや否やを考えるのは、具体的の事件において、その法令を適用すべきや否やについて考えるのであるから、

本件においては、81号によつて法律化せられた325号によつて、本件の指令を適用して被告人を処罰することが違憲なりや否やを考えなければならないのである。

そして81号を以てしても、内容違憲の指令を適用することを是認することは許されない処であるから(憲法98条)、右指令の内容が違憲なりや否やを考えなければならないのである。

右の外、栗山、河村、小林三裁判官と連名で、書いたとおりである。

以上の如く私たちの意見は、真野外五裁判官の意見と異なるのであるが、325号によつて、本件指令違反者を罰することは憲法違反であり、わが国独立後は許されざるに至つた(右六裁判官の意見は325号は全面的に適用されざるに至つたというのであるから、その中に本件の場合も含まれること勿論である)ものであつて、刑の廃止に準ずべきものとする点において、私たちの意見と前記六裁判官の意見とは同じであり、両者を合して、裁判所の多数意見となるものである。

次ぎに本件指令によれば、或る出版物が、一行政機関である法務総裁によつてアカハタの同類紙又は後継紙なりと認定されただけで、その出版物の編集者、印刷者、頒布者、運搬者等は、その出版物に現実に書いてあることが少しも害のないことであつても罰せられるのである。

われわれはこのことが憲法の条項に反するものとするのであつて、田中外三裁判官の意見書にあるような、人心をかく乱して悪意のある虚偽のせん動的な宣伝を広めるような記事を書くのを禁ずることが、憲法違反だというのではない。

なお右四裁判官は、刑訴411条五号同337条二号等は、特にこれを廃止する国家意思の発現あつた時を指すものである......云々といつて、本件指令の内容が違憲であるとしても本件は免訴すべきものではないというけれども、

本件指令の内容が違憲であるとすれば、国家の最高意思である憲法において、既にこれを適用して処罰することを許さない旨の意思が表示されて居るものといわなければならない。

占領中は憲法にかかわらず、司令官の権力によつて該指令が有効とされ、違反者が罰せられて居たのだけれども、

かかる権力がなくなり憲法が最高意思となつた以上、その時からその意思に従うべきは当然である。

それ以外、更に国家意思の発現などを要しないことは勿論、たとえ立法機関が法律をもつて反対の意思を表示してもそれは無効である。

それ故、司令官の権力がなくなり、憲法の右の意思が働くようになつたことを以つて、前記各法条にいう刑の廃止と同様に取扱うべきものとわれわれは考えるのである。

【補足意見】小林俊三

裁判官小林俊三の補足意見は次のとおりである。

別項、他の三裁判官と共にした意見においてその要領は示されているが、なお私かぎりの意見を補足する。

一 政令325号と平和条約の発効の関係

政令第325号(以下単に、この政令、又は本件政令という)と、平和条約発効との関係について附け加えておきたい。

この政令は、もし法律第81号のような立法的措置がとられなかつたとすれば、平和条約発効という事実によつてどうなるかといえば、

私は、この政令の特異の性質上同時に当然失効すべきものであつたと考える。

同じことをくりかえすことになるが、この政令の対象となる違反行為は、連合国最高司令官の指令(以下単に指令という)が本となつているから、平和条約発効によつて占領状態が終結し、わが国が独立し、憲法が全面的に効力を発動した後において、

指令に対する服従義務を前提とする、この政令の効力がなお存続し、その罰則が有効に適用されると解すべきなんらの理由もないからである。

しかし、この政令の性質から出て来るこの結論は、この政令の内容となる指令との関係において、

わが国が独立後、独自の意思により、改めて国法として存続させることができるかどうかの問題とは自から別である。

すなわち、指令の内容が合憲であれば、その指令が充足されるかぎりにおいて、この政令をわが国法として存続せしめることは、わが国の自由であること別項意見に示されたとおりである。

法律第81号は、この趣旨に解すべべきであつて、この政令に関するかぎり憲法に適合する指令と不可分の関係において、平和条約発効後も、その効力を存続するに至つたのである。

かく解することは、法律第81号とこの政令との関係をもつて、事後立法とすることにはならない。

この政令は、平和条約発効までは憲法にかかわりなく有効な国法であつたのであるから、

平和条約発効と同時に、この政令につき、その内容を充足する指令の合憲なるものにかぎり、その効力を有権的に存続せしめることに外ならないからである。

二 法律第81号の性質

この政令の特異な性質上、法律第81号この政令自体に法律としての効力を与えたのであつて、

従来存する各指令の内容そのものに、法律としての効力を与えたものでないという説について一言したい。

この政令は、指令が内容を充足することによつてはじめて刑罰法規として動く力をもつものであるから、

この政令自体にのみ、法律としての効力を与えるということは意味のないことと思われる。

また占領下において、種々の点で相当に不確定であつた指令も、平和条約発効と共に、それまでに発せられたものは特定したということと、以後はもう発せられることがないということを考えれば、

この政令は、特定した各指令をその内容に充足した形においてまとまつた法規となつたと見るべきである。

従つて法律第81号は、この政令が合憲な指令を充足した形において、法律としての効力を与えたと解するのが相当である。

それゆえこの政令の内容となる指令が、きわめて広くいかなる事項いかなる内容であるか不明瞭であり、法律の内容として不可能なことを定めることとなるから憲法に違反する、という理由は生じない。

三 刑の廃止と刑罰権の放棄について

犯罪後の法令により刑が廃止されたときというのは、明示又は黙示によつて、すでに発生成立した刑罰権を特に放棄する国家意思の発現があつたときを指すのであるという説に関連して述べておきたい。

ここにいう法令により刑の廃止があつたときとは、犯罪後(刑訴337条二号)というも、判決があつた後(同411条五号)というも、いずれも行為時の後であることは同じであつて、一たん刑罰権が発生成立した後であることに変りはないが、

結局その刑罰権といえども、由来する法令を離れて生ずるものでなく、またその法令の運命が説の分れるところでもあるから、先ずずその法令自体について考察しなければならないことはもちろんである。

しかるに、法令の効力を定めるにあたつては、法治国においては、その法令が合憲であるか否かがすべてに先行する要件であるから、

既成の法律効果を放棄廃止する国家意思があつたかどうかの問題も、先ず、基く法令自体が合憲か否かの問題を離れてはあり得ないと共に、

さらに、法秩序全体の構造から考えなければならないことである。

そこで、法令が合憲であることはすべてに先行するという立場をとる以上、裁判時においてその法令が違憲であつて効力をもち得ないとすれば、

立法の如何にかかわりなくその法令の罰則は効力を生ずるに由なく、これを刑訴の定める刑の廃止と見るの外ないのである。

従つてまた、既成の刑罰権に基く法律効果も、違憲法令に由来することとなる結果、立法の如何にかかわりなく効力を生ずることはできないのである。

けだし、くりかえせば、法令が合憲であるということは、法治国における至上の要請だからである。

要するにこの問題は、論者のいう明示又は黙示の国家意思は、裁判時における憲法の効力を越えることができるかどうかということに帰着すると考えられる。

これについてなお、理由を少し加えれば、

(一) 占領中の法令の違憲審査の義務の発生

前記の説に従えば、わが国が独立を回復したことと、憲法が全面的に効力を発動したことが、本件について法律上、格別の意義をもたないことになるであろう。

いうまでもないが、わが国は法治国として自主的地位を回復し、立法についても法令の解釈適用についても、占領期間中の一切の制約から解放され、独自の見地に立つてこれを行う能力を回復したものであるから、

改めてこれらの法令につき、わが憲法の条規に従つて自主的検討を行う本来の地位に帰つたのであり、またかかる責務を生じたのである。

これらの事実が、本件の政令についてなんら価値がないと考えることはできない。

また、憲法が全面的に効力を発動するに至つた結果、すべての法令は、わが憲法を本源としてその精神を展開する使命をもつとともに、これに違反することを許されないこととなつた事実を認めるならば、

本件の政令について、これらの事実が、論者のいわゆる既成の法律効果より劣位に立たなければならないという理由も考えられない。

(二) 違憲立法の立法者の意思について

また、平和条約発効によつて、わが国が占領状態を脱して独立したことは、

同時に連合国最高司令官の地位がなくなり、その指令に対する服従義務も消滅し、基本的人権を司法的に保障することを重要な使命とする憲法が、全面的に効力を発動するに至つたことである。

その結果、憲法に照合して、この政令の内容を充足する指令が違憲なるかぎり、効力を生ぜず刑の廃止があつた場合に当ると解せられることは、

仮りに論者の説に従つても、その廃止の理由が立法者の側における法的観念、刑法的価値判断に変更を生じ、従前認められていた刑罰法上の可罰性を認むべきでないとする理由がある場合に当るく、

従つて当然、既成の刑罰権を暗黙に放棄したと推定される場合にも当ると解するのが相当である。

(三) 最高裁判所の違憲審査の意義

さらに右の説に従えば、最高裁判所は違憲審査権を行うにあたり、本件の政令については当然裁判所において効力を有する憲法に従つてこれを審査することを要しないばかりでなく、

これに従うことを許されないという趣旨をもつのであろう。

しかし本件の政令が、占領下において有効な国法であつたと解するのは、いずれの説も一致するように憲法にかかわりなく効力を有していたと解するのであるから(各意見引用大法廷判決参照)

平和条約発効と同時に、法律第81号により、その効力を存続せしめる立法があつた後においては、新たなる裁判時における憲法上の審査を免れる理由は考えられない。

前に述べた法令が合憲であることは、法令の解釈適用の上においてすべてに優先する要件であるということは、最高裁判所が違憲審査を行う時において考えなければならない事項であると思う。

論者に従えば、既成の刑罰権に基く法律効果は、その基く法令が後に違憲であることによつて左右されず、専らこれを放棄する国家意思の有無によつて定まるのであるから、

かかる国家意思を認める解釈が生ずることによつて、違憲審査権は裁判時において、違憲の法令をなお適用する結果に対し手を触れることができないこととならざるを得ない。

いずれにしても、既成の法律効果に対しこれを放棄する国家意思の有無は、その効果の由来する法令が裁判時において違憲であるという事実を越えることはできないと考える。